魔理沙が散々に顔を腫らして神社にやってきたときの私の驚きはいかほどであっただろう。彼女の可愛らしい唇からは血がにじみ出ており、目の上には青タンまでできている。しかし魔理沙は痛みに顔をしかめながらも、なぜだから笑みを浮かばせていた。
私が「どうしたの?」と聞くと「ケンカしたんだ」と魔理沙は嬉しそうに答えた。
それから魔理沙は、「ケンカの仕方を教えて欲しい」と私に頼んできた。
「その前に貴女は誰とケンカしたのよ?」
と私が尋ねると、魔理沙はバツが悪そうにして「まぁいいじゃないか、ケンカの理由なんて聞くだけ野暮だぜ」と誤摩化した。少なくとも誰かに虐められたとかではなさそうなのだが、幾らなんでも怪我が目に余る。魔理沙の可憐な小さな顔が、腐ったジャガイモみたいに変色膨張している。ということは相手は人間の女の子ではない。人間の女にはそこまで力はないから。あと妖怪でもないと思う。妖怪はこんな形では人間を攻撃してこないはずだ。だから、魔理沙のケンカ相手は人間の男。
そうなると次は別の問題が出てくる。
幻想郷の男で、魔理沙の顔面をこれほど躊躇なく殴れる者がいるだろうか。
魔理沙はたかが10そこそこの、まだ幼すぎる少女である。しかも友達の私がいうのも何だけど、この子はかなり顔貌が優れている。その奇麗な顔をここまで徹底的に拳を振り下ろせる男に、私は覚えがない。
私は魔理沙に頼まれて基本的な打突を教えている間も、彼女のケンカ相手が気になって仕方なかった。魔理沙は私に打突を教えてもらって喜んでいたが、こんな基礎技術で倒せる程の相手でないことは見なくても分かる。
そもそもケンカとはなんなんだろう。
魔理沙が理不尽な理由で殴られたのなら、この子はわざわざ私の所に来ない。強がりでケガの理由にウソついたって私なら必ず見破ってしまうからだ。もし魔理沙が理不尽に叩かれたというのなら私はきっと出張る。この子を助けるために。
だけど魔理沙にとって私に出張られる程に恥ずかしいことはない。「魔理沙を虐めると博麗の巫女にチクられるぞ」なんて揶揄されるくらいなら、この子は死んだ方がマシだと思うだろう。
結局、魔理沙のケンカの詳細は分からないままに1週間が過ぎた。その間、魔理沙はケガの療養をしながら私にケンカ……というより格闘技の初歩的な技術を習っていた。私も徒手空拳の対人間技は習っていたので、それを魔理沙に教えてあげた。魔理沙は合気や間接取りの類いよりは、殴る蹴るの打撃技を好んで教えてもらいたがっていた。私が教授する以前の魔理沙は、本気で力を込めて誰かを叩いても「ペチン」と音がしてしまいそうな程に殴るということが出来ていなかった。とりあえずは一通りの事を教えてもらって魔理沙は喜んでいたが、この程度では一週間前と何も変わらないだろう。そもそも魔理沙は体重が軽すぎるのである。私もそれほど重い方ではないけれど、それでも魔理沙よりは体重が五キロは上だ。40キロあるかないかの魔理沙の打突なんて、紙すら破ることは出来ない。はっきり言って戦力外もいいところだ。魔理沙は体術における体重の重要性をまるで理解していない。
私は魔理沙の後をこっそり付ける事にした。魔理沙は口には出さなかったが、彼女は明らかに復讐としようとしていたからだ。そうでなければわざわざ私にケンカの仕方を教えてくれなんて言ってこない。いや、復讐というよりはリベンジマッチという方がニュアンスが近い。魔理沙がしているのは、あくまでケンカらしいのだから。
果たして私の予想は正しかった。
魔理沙が登場した広場は水をうったようにシーンと静まり返った。魔理沙の姿に多くの視線がさらされる。広場には五人ほどの少年がいたが、魔理沙の対戦相手はすぐに分かった。
五人の中でひときわ大きく太い、牛のような顔をした少年。具体的な根拠はなかったが私はこの子が魔理沙のリベンジ相手に違いないと確信できた。名前が分からないので、仮に「牛太郎」とでもしておこうか。
「やい、魔理沙。またお前は性懲りもなくオヤビンにケンカを売ってきやがって! 一週間前にオヤビンけちょんけちょんにされたのをもう忘れたのか!?」
牛太郎の側にいた、語尾に「やんす」とでも付けそうなくらい腰巾着が板についている少年が魔理沙に向かって吠えた。この子は仮に「ヤンス」と呼んでおこう。
魔理沙は事前に果たし状を牛太郎に送っていたようである。
「おいおい、そりゃ一週間前の話だろ? 『乙女三日会わざれば刮目して見るべし』。今の私は一週間前の100倍強いぜ」
魔理沙はヤンスの恫喝に不敵に笑った。
「なにが100倍だ、オヤビンはお前の1万倍は強いんだ。今回だって無駄に決まってるでやんす!」
ヤンスが魔理沙にそう言い返す(本当に「やんす」って言ったわね)。
ヤンスと同意見なのは悔しいが、彼の言っていることは正しい。牛太郎はどう見ても魔理沙とは比較できないほどの戦力を有している。
牛太郎の身長は明らかに180cmを超えている。腕周りの筋肉は服の上からでも分かるくらい太く、着物の間からチラリと見える胴体は立派なものだ。体重はおそらく90キロを下回らないだろう。牛のような顔に誤摩化されるが、よくよく観察すると顔には幼さが残る。歳の頃は13歳か15歳それくらいではあるが、その目には確かな覚悟があった。ケンカの技術は未知数であるが、その身体の持つ迫力だけでも幻想郷で一番のケンカ自慢と言われても信じてしまう。
私がこの牛太郎と真っ向勝負でケンカしろと言われたら、即座に断るだろう。間違いなく負けるからだ。私が勝てないものが、ましてや魔理沙がどうして勝てるだろう。身長にして40センチ、体重は倍以上の差がある相手に一週間の付け焼き刃でどうにかなるものではない。
しかし一方で不思議に思う事もある。
以前の魔理沙のケガは顔にも及んでいた。この牛太郎は本当に魔理沙の顔面を殴ることが出来るんだろうか?
今の状況をみるに、一週間前も魔理沙からケンカを売ってきたんだろうけど、私が牛太郎の立場ならそんなものは確実に無視する。
魔理沙とケンカしたって100%弱いものイジメにしかならないし、そもそも女を殴るなんて男が廃るというものだ。まだ顔を見ただけであるが、牛太郎が女を殴って愉悦するようにもタイプには思えない。
「御託はいい。やろうか」
そんなこんなしているうちに、牛太郎がのそっと腰をあげて魔理沙に対峙してしまった。牛太郎は思ったより更に低くドスの効いた声をしていた。
いや、それより……またやるの!?
魔理沙の目的は何となく分かる。ケンカっていう男の子だけに許された、最高に熱くなれる遊びに自分も参加してみたくなったとかそんな理由だろう。それ自体は理解できる。
ただ牛太郎のケンカを受ける理由が全く分からない。
一週間前に勝負を受けたこと自体も謎なのだけれど、以前完勝した相手とまたケンカをするのは何故なのか。
私は混乱する一方であった。
「ルールは前と一緒でいいのか、魔理沙?」
「ああ。勝敗は『参ったという』『気絶する』、禁止事項一切なし!」
牛太郎ではなく、私が魔理沙を殴りたくなった。なんで「何でもあり」ルールなのか。いや、確かにケンカというものはそういうものなんだろうけど、せめて倒れた後の攻撃は禁止してもらわないと、魔理沙に勝ち目はない。というより危なすぎる。このルールでは魔理沙はほぼ確実に気絶するまでやることになる。
牛太郎があやすように魔理沙の首を締めて優しく気絶させてくれるとは到底思えない。一週間前に牛太郎は魔理沙の顔面を殴ったのは間違いない事実なのだから。
「よっしゃ、いくぜ」
魔理沙が私が教えた通りにファイティングポーズをとった。一方の牛太郎は何も構えず、悠然と前に出る。のそりのそり近づく牛太郎が拳の射程距離に入ると、魔理沙は思い切って打突を放った。この一週間、何百何千回も空に放った、押すよりも引くことを重視した基本的な正拳だ。わずかな期間とはいえ彼女なりに努力して手に入れた立派な技術である。
しかし当然というべきか、牛太郎はその魔理沙の打突をよけることすらしなかった。全てを顔面で受け止めているが、まるで効いている様子はない。当たり前だ。どれだけ体重差があると思っているのか。
牛太郎は文字通り牛のように鈍い目をしたまま、一転、素早く魔理沙にタックルをして両足を刈った。
彼からすれば魔理沙の体重なんて藁のように感じたに違いない。
牛太郎は魔理沙の股の間に胴体を無理矢理差し入れ、魔理沙を地面に押し倒した。いわゆる馬乗りの状態である。
「くっ、このぉ!」
魔理沙は地面に組み伏せられ、顔を歪めながらも抵抗していたが、自身の体重の倍ある相手に伸し掛られてはどうしようもない。この体勢になってしまえば後は一方的に殴られるだけである。
「参ったと言ってくれるか?」
牛太郎は小さく尋ねた。
「冗談きついぜ」
「そうか……」
挑発を含んだ魔理沙の降参拒否の言葉を聞いて、牛太郎は思い切り右手を振りかぶり、魔理沙の顔に叩き付けようとした瞬間……
「そこまでよ!!」
私は我慢の限界だった。
私は広場に姿を現して、二人のケンカを制した。私の顔をみた牛太郎の子分たち4人は、あからさまにヤバいという顔をした。
「げぇ、博麗の巫女じゃねえかよ!」
「魔理沙の野郎、博麗の巫女を連れてきやがったぞっ!!」
「こ、殺されちまう。俺たちみんな殺されて妖怪のエサにされるんだぁ!」
「死にたくねぇ、俺はまだ死にたくねぇよぉ!」
私はギャーギャー騒ぐ下っ端は無視して、魔理沙を押しつぶしていた牛太郎に声をかける。
「勝負はついたでしょ。魔理沙の上から降りて」
牛太郎は一瞬だけ魔理沙の顔を見てから「ああ」と頷いて、ゆっくりと魔理沙から離れた。
「霊夢、よけいなことしないでくれよ」
「あんたは黙ってなさい!」
勝負を邪魔された魔理沙は怒っていたが、私が一喝するとすぐに口を尖らせたまま黙った。
「そんな怖い顔しないでくれ。どこから見てたか知らないが、このケンカは魔理沙から始めた尋常なものだったんだ」
牛太郎が憮然としたまま私に言った。そんなに私は怖い顔をしていたのだろうか。確かに友人の顔を殴ろうとしていた牛太郎に対する怒りの気持ちはある。しかし、この子の言う通り、このケンカは魔理沙から吹っかけた正々堂々としたものであった。ルールも事前に確認し、その上、牛太郎は馬乗りになった後に魔理沙に降参を勧めている。それを断ったのは魔理沙本人なのだ。私が怒るのはお門違いというのも分かる。
「男が女を殴るなんて」と古典的な説教することも出来るが、流石にそんな野暮なことは出来ない。これ以上私も魔理沙に嫌われたくはない。
「別に……そんな大きな身体を持った貴方が、自分より弱いこの子をどれだけ殴れるクズだろうと私の知った事ではないわよ」
だが、そんな理屈を忘れるほど私の頭も沸騰していたらしい。思わず酷い言葉が飛び出してきて、自分でも驚いてしまう。
しかし牛太郎は私の罵倒にも動じる様子はなかった。
「な、なんだその言い草は! 魔理沙がケンカ売ってきたからこっちはそれを買っただけでやんす!」
ヤンスの言っていることは正しい。だがそれで感情を抑えられる程に私は大人ではなかったようだ。
私は仰向けに倒れていた魔理沙の手を引いて立ち上がらせようとした。
しかし魔理沙は地面に叩き付けられた時に腰を打ったようで、下半身が言う事を聞かないらしい。足が震えて立つ事すらままならないようである。
仕方なく私は魔理沙をおぶって帰る事にした。牛太郎、他4人はそれ以上何かいうこともなく、私たちの背中を見送っていた。
☆ ☆ ☆
「貴女って本当にバカよね」
道中、私は背中のおぶった魔理沙に言った。
「霊夢こそなんだよ、人の跡をこそこそついてきて、しかもケンカを途中で止められた上にこんなおんぶされて退散なんて、かっこわるいったらありゃしないぜ」
「じゃあ貴女、あのままあの子に殴られたかったの?」
「そりゃケンカだからな。こっちだって同じ状況になったら殴る訳だし、お互い様だ」
彼我の差も分からない魔理沙がとんちんかんなことを言っている。魔理沙が仮に馬乗りになったとしても、馬乗りで体重の乗らない魔理沙の打撃で牛太郎にダメージがあるはずがない。そもそも、あの牛太郎の膂力ならば二人がどんな体勢になっても簡単にひっくり返されてしまうだろう。
「大体なんでいきなり男の子と殴り合いなんてしだしてるの? 一応、貴女だって女の子なんだから、そんな野蛮なことしちゃダメじゃない」
「おいおい、霊夢までそんなこといっちゃうのか? 親友なのに私の気持ちを分かってくれないなんて悲しいぜ?」
魔理沙の気持ちは何となく分かる。つまるところ、魔理沙は男の子が羨ましいのだ。彼女が今後どれだけ成長したとしても到底得られない体力、腕力、体躯。その逞しさは、誰にも依らず生きて行きたいと思ってる魔理沙にとってはある意味で究極の魔法よりも得難いものなのだろう。魔法の力で男女の差を失くす事も可能ではあるのだが、魔理沙は魔法に頼らないもっと本質的な力に憧れている。
「私たちってさ、いつも弾幕打ち合って勝負してるじゃないか。それはそれで楽しいし満足してるんだけど、やっぱり私の求めるものとは何か違う気がする時もあるんだ」
私が考案したスペルカードルールは「うつくしさ」を競う戦いである。それは少女同士の間でしか成り立たない。魔理沙の旨とするパワー。それは力強い美しさというよりも、やはり男同士のもっと直接的な力というものに近いのかもしれない。
それは分かるのだけれど。
「でも、いくらなんでも相手が悪すぎるわよ。なんであの子なのよ。ケンカがしたいのなら、もっと適当な相手がいるんじゃないの? あの子相手じゃ100年かかっても殴られ続けるだけよ?」
魔理沙の望んでいる事も分からないではない。しかしどう考えても牛太郎は強すぎる。基本的に魔理沙が相手にするような人種ではない。牛太郎の側にいたヤンスなんかは身長も低かったし、魔理沙の当面の目標としては丁度いいのではないのか。あれなら半年ほど私が鍛えれば勝機も出てくるだろう。
魔理沙はなぜ牛太郎に二回も挑んだのか、それが解せない。まさか幻想郷ケンカチャンピオンを目指している訳でもあるまいし。
私の質問に対して、魔理沙は少し黙ってから答えてくれた。
「……私だってバカじゃないさ。最初はもっといい感じのケンカ相手を探してたんだ。っていうかまず同じ女とやろうと思ってたんだよ」
「いきなり殴り合いのケンカしてくれって言われてOKする女の子はいないわよ」
「そうそう、誰に頼んでも断られてな。あ、そういや早苗とはちょっとやったんだよ。でもアイツ、1回お腹叩いたら泣いちゃってさ」
「早苗……哀れな子ね」
「だから、やっぱり相手は男にしようってなったんだ。でもそうしたら次は別の理由で断られるようになっちまった」
「大体想像はつくわね」
「ああ、『男が女を殴れるか』とか『お前が相手になるわけない』ってな具合だったぜ」
その様子は容易に思い浮かぶ。魔理沙みたいなちんまい子に殴り合いしようと言われて首肯する少年はいるわけがない。
「でも何人かに声をかけてると、やってくれてもいいって言う奴もいたんだけどさ……」
「どうしたの?」
「まぁ、なんだ? そういう奴らはちょっと違ったっていうか……何かイヤらしい感じだったから」
「ああ」
さっきの牛太郎と魔理沙の体勢を見れば分かるように掴み合いのケンカはくんずほずれつ、かなりの肉体的接触が期待できる。おおかたその男らはケンカに乗じて魔理沙の身体でも触ってやろうと下品なことでも考えていたのだろう。それか単純に女を殴るのが好きな下種だったか、いずれにせよ魔理沙がそれを見抜いてケンカを避けたのは得策だ。
「断られて断られて、最終的に頼めそうな奴がいなくなって諦めかけてた時、こうなったらもうどうとでもなれって里一番の力自慢にケンカ売りにいったんだよ」
「それがさっきのあの子だったのね」
「そうそう。半分ヤケだったのにまさかの快諾さ、アイツは私のケンカを買ったんだ。私はまさか受けられてしまうとは思ってもみなかった。でも自分から吹っかけといて逃げる訳にもいかないだろ?」
「だからって、あんな大きい子とケンカなんて……」
「私だってビビったぜ。見た目からしてヤバそうだとは思ってたけど、いざこいつとこれから殴り合うんだって考えたら足が竦みそうだった。でもさ、一方でようやく本気のケンカが出来るって武者震いもしたんだ。ルールは散々もめたけど、私が推した『何でもアリ』になったんだ。やっぱりケンカは何でもアリじゃないとな」
「二回目だけど、貴女って本当にバカよね」
魔理沙は「自覚してる」と自嘲して笑った。
「霊夢はクズって言ったけど、アイツ良い奴だぜ。私の事を女だからって手加減もせず、イヤらしい感じも全くなかった。私のことを純粋なケンカ相手として認めてくれたんだ。そりゃ結果だけ見れば相手にもなってなかったかもしれないけど、私はそれだけで十分満足だった。普通誰かに殴られたりしたら痛くて悔しかったり、苦しいものだけど、アイツとのケンカの後は何だか清々しいくらいだったぜ」
「そうそう、貴女のことは分かったけど、あの子はなんで魔理沙の申し出を受けたの? あの子からしたら魔理沙なんて虫みたいなもんでしょ」
「虫とは酷いな……どうなんだろう、アイツの考えてることは分からんぜ」
「それで、あんた、あの子にまた挑むんでしょ?」
「もちろん! 今度はもうちょっと頑張るから、霊夢も協力してくれよ」
それから私は三度目の「バカ」を魔理沙にぶつけて、それでこの話は終わった。
☆ ☆ ☆
神社についた私たちは、早速、魔理沙のため特訓を開始する。前回は相手の顔も見えず、適当な授業になってしまったが、今回は目標がはっきりしている分、私にもやることは見えてくる。
「打倒、牛太郎!!」
私は大声で魔理沙に叫んだ。しかし魔理沙は私の鯨波の声にポカンとした顔をしている。
「牛太郎って誰だよ」
そういえば牛太郎というのは私が勝手に付けたあだ名だった。
「貴女の倒すべき相手よ。牛に似てるから牛太郎」
「霊夢も酷いあだ名つけるな。けど……確かに牛に似てるかも。いいぜ。打倒牛太郎だ!」
魔理沙はニカっと笑って賛同してくれた。魔理沙も牛太郎の本名は知らないらしい。
「それで、何をすれば私は牛太郎にケンカで勝てるようになるんだ?」
「無理よ。あんたが牛太郎に勝つのは無理」
「さっき打倒とか言っといていきなりそれかよ」
「魔理沙は牛太郎に勝てない。まずそれを認めなさい。そもそもあんたは体重差ってのを分かってなさすぎよ。あんなに体重差があったらどれだけ技術を磨いても絶対に勝てないわよ」
「そんなことないだろ? 『柔能く剛を制す』とか言うじゃないか」
魔理沙は不満げにいうが、それはあまりに素人な考えである。
「それはお互いの剛が均衡してる時しかなりたたないの。仮に魔理沙が柔道の黒帯で牛太郎がズブの素人だとしても体重が倍離れてたら勝つ事はできないわね」
「じゃあどうするんだよ。私はアイツに勝てませんじゃ話が終わってしまうぜ」
「慌てないで。要するに普通のやり方じゃ絶対に勝てないってことよ。多分だけど貴女の理想としては牛太郎と拳や脚をぶつけ合って、ねじり臥せたいって感じでしょう?」
「まぁそれが出来れば最高だけど……私だってそれが無理ってことくらいもうわかるぜ。あれだけ散々ぶちのめされたんだからな」
魔理沙の言葉はどこか寂しそうでもあった。私はただ「そうね」と返す。ただ、それは1回目から気づいて欲しかった。
「つまりだ、霊夢。普通のやり方じゃないやり方ってのがあるんだろ? それを教えてくれよ」
「結論から言うわ。貴女が牛太郎に勝つために狙う場所、それは……」
「それは……」
「金(きん)よ!」
私は堂々とそう宣言したのだが、魔理沙は再びポカンとした顔をしている。
「金? 負けてくれって買収でもするのか?」
「何いってるのよ。ケンカにおける金なんて一つしかないでしょ。金的よ」
魔理沙はしばらく考え込んでから答えにたどり着いたのか、頬を紅潮させた。
「き、金的って……何いってんだよ。わ、私だって一応女なんだから、そんなの……」
この子は散々に殴り合いがしたいとかいって何を言っているんだろう。今更乙女ぶっても仕方ないというのに。
「ケンカにおいて相手の急所を狙うのは基本よ? 相手の弱点を狙うのは卑怯じゃなくてむしろ誠実といえるわ」
「ひ、卑怯とはそういうのじゃなくて……なんて言うか……」
「魔理沙は牛太郎の金を狙うのがイヤなの?」
「イヤだぜ!」
魔理沙はキッパリと断言した。問答無用の魔理沙の拒否に、私は一つ「ふむ」と頷く。
「そっか、ならもう一つの選択肢しかないわね……」
「なんだよ、他にもあるんじゃないか。そっちにしてくれよ」
「もう一つは『目』よ。確か目への攻撃は禁止されてなかったわね? 目つぶしの技を教えるから、牛太郎の眼球を抉り取れるようになるまで特訓をしましょう。基本としては、眼窟に指を引っ掛けて、テコの原理で眼球を外に押し出すように……」
「わ、分かったよ。金的練習するから、グロいこと言わないでくれ」
不承不承ではあるが、ついに魔理沙も折れた。魔理沙にとって眼球抉りはよっぽど嫌なものらしい。役に立つんだけどなぁ、眼球への攻撃は。例えば魔獣系の妖怪相手の時に、こうビシっと……まぁ、それはいいか。
「分かってくれて結構。じゃあ次に進むわね。とりあえず魔理沙。あなたは金的について何を知ってるの?」
「はぁ!? いきなり何いってんだよ!?」
「いいから答えなさい」
魔理沙は顔を真っ赤にしながら、
「し、知ってるっていっても、小さい頃に風呂で見た親父のヤツくらいしか……」
アホなことを言い始めたので、私は思い切り頭をはたいてやった。
「そういうこと聞いてるんじゃないわよ! 攻撃対象としての金的よ」
「そ、それならそうと言って欲しいんだぜ……」
魔理沙は頭を抑えながら涙目になっていた。
「私には分からないけど、やっぱり痛いんじゃないか? よく男が股間を抑えてジャンプしてるのとか見るからなぁ」
「痛いなんてもんじゃないわね。金的攻撃は間抜けな印象があるけど内蔵への打撃ということで非常に有効な攻撃手段なの。更に防御もしづらい。男にしかない急所を狙わない手はないわ。でも一方で金的攻撃はリスクもある」
「リスク?」
「金的攻撃は大きく分けて二種類あるの。ストライキングとグラップリング。要するに叩くか握りつぶすかってことね。握りつぶしは……無理そうね」
魔理沙が「うんうん」と素早く首を縦に振っている。
「だから貴女が狙うのは金への打撃。でもこれはさっきも言ったけどリスクがある。言うよりも実際にやってみましょうか。魔理沙、私に金的攻撃してみて」
「え、でも霊夢に金はついてない……もしかして、ついてるのか? 風呂とか一緒に入ってたのに全く気づかなかったぜ!?」
私はもう一度魔理沙の頭をはたく。
「ついてるって想定するのよ!」
「何回も叩かないで欲しいんだぜ、タンコブが出来ちゃうじゃないか」
「貴女がバカな事言ってるからでしょ」
魔理沙はブツクサ言いながら仕切り直して、私の股間を凝視した。股間を打撃する手段は拳と脚の2パターン。だが、魔理沙の貧弱な拳をいくら鍛え上げても牛太郎の金にダメージを与えられる程にはならないだろう。必然的に選択肢は脚での蹴りに限られる。
魔理沙がそこまで頭を回したのかは分からないが、すこし逡巡してから私の股間に向かって脚を蹴り上げてきた。
体重移動や蹴りの軌道。身体の動かし方も知らない魔理沙の前蹴りはいかにも遅い。私は難なく右手で魔理沙の脚を簡単に受け止める。
「もう一回同じように蹴ってみて」
私の言う通りに同じ軌道でやってきた魔理沙の蹴りを今度は私は右に躱し、そのまま魔理沙の軸足を両手で刈った。
タックルされた魔理沙は背中から後ろに倒れ込んで地面に組臥される。
「こうなったらもう終わりね」
魔理沙を立ち上がらせてもう一度同じことをさせる。今度は避けるだけでなく、魔理沙の蹴りを受け止め、宙に浮いた足首を腋で極めてやる。いわゆるアキレス腱固めだ。
凄まじい激痛だろう。魔理沙が「きゃああああああ」と甲高い悲鳴をあげた。
「い、痛いぜ!」
私が足首を解放してやると、魔理沙が涙目になって足首を摩っていた。ちょっと力を入れすぎたかな?
「要するに、金的攻撃の為に脚をあげると、それを掴まれたり、軸足が無防備になったりしちゃうってことね。まぁ金的だけじゃなくて蹴り全般にいえることだけど」
「じゃ、じゃあどうすればいいんだよ」
魔理沙が心配そうに言う。確かに、このままでは八方ふさがりのように見えてしまうだろう。
「それは、まぁ特訓あるのみね。素早く、それでいて重く掴まれにくい蹴りを習得しなきゃ、貴女に勝ち目はないわ。でもね、逆にいえばそれを習得すれば、貴女にもわずかながら光明が見える。練習は厳しくいくけど、覚悟はいいかしら?」
普段の魔理沙なら、ここで子供のように笑って「よっしゃぁ!」とでも拳をあげていだのだろう。しかし、魔理沙は私の言葉にも反応せず、視線を地面に落としたままであった。
おそらく魔理沙は気づいているのだろう。私の言葉にウソがあるということを。
「なぁ霊夢。私がこれからその、金的蹴りの特訓をしてさ……」
「ええ」
「そもそも、アイツに当たるのか?」
魔理沙のもっともな疑問。思い起こされる牛太郎の巨躯。重心は低く、それでいて腕も長いという、まさに天賦の体格を持っている。魔理沙は想像したのだ。相手を目の前にして、その股間に自分が蹴りを叩き込むためには、気が遠くなるほどの距離をつめなければいけないということを。
魔理沙からすれば如意棒のように長い牛太郎の腕。それをくぐり抜けてもそれから更に洞窟のように深淵な牛太郎の懐に身をいれ股間にまで足を伸ばさなければいけないのだ。
果たしてわずか数ヶ月の特訓で、その距離を縮められるのだろうか? 魔理沙はそう考えたのだろう。
「それにさ……私は金的の痛さを知らないけど、やっぱりアイツが金的一発や二発で倒れてくれるとは、到底思えないんだ……」
魔理沙のもう一つの疑問。これもまた実にもっともな意見である。あの筋肉と耐久力の塊のような牛太郎に、仮にあらゆる困難を乗り越えて金的を最大限の威力で入れたとして、彼は果たして負けを認めてくれるだろうか。普通の少年であれば、その時点で一本取られたということで負けてくれるかもしれない。しかし牛太郎は、理由は分からないが魔理沙に対して本気で向かってきているのである。魔理沙が一撃を喰らわせ悶絶に至っても尚、襲ってきそうでならない。
魔理沙も最初はただ何も考えずに殴り殴られがしたかっただけであったのに、やはり勝ちたいという気持ちが湧いてきているのだろう。高い壁ほど昇りたがる子だ。
どうしたら牛太郎に勝てるかこの子なりに色々頭を巡らせているのだろう。
「魔理沙、貴女の疑問は実に正しいわ。貴女が数ヶ月……いえ数年特訓をした所で、牛太郎の股間には届かないし、万が一届いたとしても勝利にはたどり着けない」
「だ、だったら私はどうすれば……」
「だから……私は貴女にもう二つの技を授けるわ。一つは牛太郎の股間に届かせる技。もう一つは貴女を勝利に導く技。これで、今度こそ本当に貴女は勝てるようになる」
私は指を二本立てて、魔理沙に突きつける。その二本の指は魔理沙へのVサインに他ならない。
魔理沙は私の言葉を聞いて、ようやくいつも通りの彼女の可愛らしい笑顔に戻ってくれた。
☆ ☆ ☆
それからの魔理沙の努力はとてつもないものだった。
彼女のモチベーションは最初は単なる好奇心と、男の子への嫉妬だったのだろうが、今は一つの目標に向かってまっすぐに突き進んでいる。元々難しい課題に挑む時の方が輝く子なのだ。
こうなると牛太郎には「ありがとう」と言わなければいけないかもしれない。あの時は魔理沙を殴ろうとしたひどい悪ガキとしか思えなかったけど、見方を変えれば誰かと思い切り殴りっこしたいという子どもじみた魔理沙の想いを受け止めてくれたのは幻想郷ではあの子だけだったとも言える。
(そういえば、何も考えていなかったけれど、次に牛太郎が魔理沙の挑戦を受けてくれるとは限らないんじゃないのかしら?)
そういう発想に至ったのは特訓が開始されてから2ヶ月は経った後だった。二度にわたって魔理沙とケンカしたから「もういい。飽きた」、「これ以上やっても無駄」と牛太郎が考えてしまう可能性は十分にある。
その時はどうしたもんだろう。
しかし私のそんな心配は杞憂に終わった。
3ヶ月が経ち、これなら勝算があると私が判断し、牛太郎に送った果たし状を、彼はもの言わず受けたのだった。
こうして魔理沙の三度目の挑戦が決まった。
ケンカ場に一人で現れた牛太郎は、気のせいか3ヶ月前よりも一回り大きくなったように見えた。三度目の正直になれるよう魔理沙は頑張っていたが、それにしても牛太郎は大きすぎる。よくよく考えれば、彼はまだまだ成長期真っ盛りの少年なのだった。3ヶ月も経てばますます大きくなっていたとしても不思議ではない。
「言葉は要らない。さっさとやろう。ルールは前回と同じでいいんだろう?」
牛太郎が低い声で呟くように言う。顔には覇気がある。前の時と同じく、魔理沙に対して一切手を抜く気はないようである。だが、それでいい。それこそが私たちが望んでいるものなのだから。
「ああ、いいぜ」
魔理沙が足を軽く開いて、緩く開いた拳を構えた。姿勢としては空手のそれに近い。その構えを見て牛太郎は何ら顔色を変えない。だが、私には分かる。彼が今、何を考えているのか。『前と同じじゃないか、博麗の巫女がついていながら結局は何の策もなしか』。おそらくこういうことだろう。
しかし、それは大きな間違いである。魔理沙は牛太郎を倒すため、この三ヶ月間、寝る間も惜しんで頭を巡らせ、また身体を虐めぬいてきたのだから。
「安心しなさい、魔理沙は強いわよ。なんてたって必殺技があるんだからね」
「必殺技……?」
「そうよ、必ず殺すと書いて必殺技。まぁ秘密にしておくのはフェアじゃないから教えてあげる。魔理沙の必殺技は、いわゆる金的攻撃。股間への蹴りよ」
牛太郎の眉がピクンと動いた。動揺とまではいかないが、私の言葉に何かしらの心の動きがあったようだ。
だが牛太郎はすぐに気を元に戻し臨戦態勢を作った。
「言葉は要らないと言っただろう。そろそろ始めさせてもらっていいか?」
「おう、来いよ! ボコボコにしてやるぜ!」
今度は魔理沙が指をクイクイと曲げて、牛太郎を挑発する。彼は魔理沙の挑発には何ら反応は示さなかったが、それが開戦の合図となった。
牛太郎が腰を落とし、じりじりと魔理沙に距離を詰めてきた。前回と同じ姿勢。前の魔理沙はここで牛太郎の顔に拳を当てたのであるが、彼からすればそれは撫でられているようなもので、すぐに足を刈られて馬乗りにされてしまった。
今回の魔理沙の狙いは金的であるけど、やはりというべきか牛太郎の懐の深さは驚異的であった。
私たちの課題はどうやって牛太郎の股間までの距離を詰めるかにある。換言すれば、どう牛太郎の隙を作るか。
布石はケンカに前に既に置いてある。
なぜ私がわざわざ金的という魔理沙が狙っているものを牛太郎に教えたのか。なぜそのことを魔理沙が何も言わなかったのか。
牛太郎の姿勢は一見前回と変わらないように見える。だが、よくよく見ると少し違う。前回よりも姿勢が低い。いや、というよりこれは、わずかとはいえ腰が引けていると言った方が正確だろう。ここに金的とは別の、牛太郎の弱点があった。
ゆったりと近づく牛太郎に、魔理沙が左足で思い切り踏み込んだ。
彼女の小さな身体全体をバネのように用いた、力強い踏み切り。
それに対して牛太郎は、あからさまにどう対処していいのか分からず一瞬身体を硬直させた。そしてその直後の牛太郎の行動。彼は更に腰を後ろへ下げ、股間を魔理沙から距離を取ったのだ。そんなことをしなくても魔理沙の短い足は彼の股間には到底届かないというのに。むしろ前に前進するだけで魔理沙の蹴りは簡単に潰すことができるのに。
これが一見無敵のように見える牛太郎の弱点。すなわち金的攻撃への不慣れ。
彼の弱点というより、少年一般の弱点といえるかもしれない。牛太郎は股間を攻撃されることははじめてに近いはずだ。
確かにケンカというのは何でもアリだ。だけどケンカは殺し合いではない。眼への攻撃の禁止、金的攻撃の禁止など、お互い暗黙の了解というものがそこには確かに存在するのである。眼への攻撃を許せば、ケンカはたちまち殺し合いになる。金的攻撃は男同士だからこそお互いに攻撃を控える急所。
牛太郎がいくらケンカ自慢とは言っても私のように殺し合いをしたことがないのは致命的だった。彼ももう少しすれば「ケンカ」ではなく、より純粋な闘争に近い争いに身をやつすかもしれない。その戦いでは金的も目も何でもありになるだろう。むしろ積極的に狙っていくべき急所だ。
だけど今の彼はまだまだ不慣れな子供なのだ。
見かけに騙されてはいけない。
弱点はある。
そこをつく。
魔理沙の踏み込みは金的攻撃をするためのものではなかった。牛太郎のように巨大な身体を持っていても、そこまで腰を引かせてしまっては見えてくるものがある。
彼の顔はいまや魔理沙の拳が最も体重を乗せられる高さにまで下がっていた。前回魔理沙は彼の顔を何度も殴ったが、それは彼女が拳に体重を乗せる技術を知らなかったこと。そして、牛太郎の顔の位置が魔理沙の顔より高くあり、全くエネルギーが伝わっていなかったこと。
しかしその二つの問題は今、解決されている。そして牛太郎の視線は魔理沙の足に集中し、彼女の拳は全くのノーマークである。
今度は。
いける。
「はぁああ!」
魔理沙はこの三ヶ月間、幾度となく打ち込んだ掌底を、最も体重が乗った状態で、意識の外から牛太郎の顔面に思い切りぶちこんだ。牛太郎が右目をつむり、苦しそうに顔を歪めた。
単なる掌底ではない。
それなら牛太郎にダメージはない。
それほど体重差があるのだから。
魔理沙が打ち込んだ場所、それは彼の眼球。
牛太郎は魔理沙の足ばかりに視線がいっていて、不意にきた魔理沙の掌底に目をつむることすらできず直撃を喰らった。
眼を攻撃されて無事な生物は存在しない。牛太郎も例外ではない。
魔理沙の小さな手は、人間の眼という小さな的を狙うには逆に適していた。
思い起こせばこの技を教えた時の魔理沙の嫌がりようと言ったらなかった。
『……結局、眼なのかよ……』
私は嫌がる魔理沙に、勝つためだとなだめすかして説得し、どうにかして納得して練習してもらうところまでいきついた。魔理沙からしても眼球抉りよりはマシだったらしい。
逆にいえば、ここで眼球を抉っていればその時点で勝負アリだったのだけれど……
それはともかく、一時的とはいえ右目を失った牛太郎であるが、まだ左目が残っている。
牛太郎はどうにかして体勢を立て直そうと、距離を取ろうとするが、魔理沙は隙を逃さない。逃しては彼女に勝ち目はない。
今度は先ほどのように深く踏み込む時間はない。よって素早い連撃に移るために、掌底を打つ際に前に移動した右足をそのまま軸足にする。
私の目から見ても、魔理沙の動きは機敏だった。身体こそ小さいが彼女の体幹は普段から箒に乗ることで鍛えられている。
小回りは速い。
パチン。
魔理沙の、今度は張り手に似た打撃が、今度は牛太郎の左目を襲う。
うん、当たった。
いい角度だ。
いい音もした。
遠心力で勢いもついている。
これでわずかな時間ではあるけど、牛太郎の視界を完全に奪う。
後は。
どうかしら?
牛太郎は両目の視界を奪われ、後退すら忘れ、身を屈めた。
視力を奪われた生物が身体を丸めるのは本能である。
おそらくは顔や内蔵といった急所を守るためにそうなっているのだろう。
しかし、人間の内蔵の中に、たった一つだけ後方から無防備になる器官が存在する。
最初の掌底から休みなしの3度目の踏みこみ。
牛太郎の身体の横にぎゅっと踏み込んだ魔理沙は足ごと身体全体を回転させ、遠心力で勢いを付けて最終目標に届かせる。
それこそ私と魔理沙が死ぬ程に狙った獲物。
牛太郎の金である。
「くっ、らえええええぇ!」
グシャっとイヤな音がした。
いくら体重の乗った魔理沙の蹴りとはいえ潰れるということはないであろう。
しかしその効果は覿面であった。牛太郎は恐ろしい痛みに、顔を歪め、ついには片膝をついた。
だが私たちの予想した通りだ。
彼はまだ顔に光を残している。
視力を奪われたといっても一度距離ととって、数秒もあれば回復する程度のものだろう。金的への打撃も確かにとてつもない痛みであろうが、気絶するほどではない。それほど彼と魔理沙には体重差がある。
だが、魔理沙にとっては牛太郎が悶絶し、しかも目が見えていない今が最後のチャンスである。
私が魔理沙に教えたもう一つの技。
牛太郎にとどめを刺すための技。
究極にして単純極まりない。しかしそれでいて絶対に逃れることのできない本当の意味での必殺技。
魔理沙は牛太郎に背中から抱きつくように彼の首に手を回して締め上げた。
技の名前は裸締め。
腕全体で首を締める柔術の一手。
この技に体重差なんて関係ない。首を鍛えることは出来ても気管と血管を鍛えることは不可能なのだから。
牛太郎の顔は血と酸素の流れが止まり、真っ赤に充血した。彼の牛のような形相と相まって、ほとんど妖怪のようである。
「ぐぎぎぎぎぎぎいいいい!」
牛太郎は恐ろしい表情で獣のようなうめき声を出した。当然彼も死に物狂いで抵抗する。後ろにおぶさった魔理沙の顔や背中を思い切り拳で叩いた。
だが、背中に負う魔理沙への攻撃は全く体重が乗らない手打ちになる。それでも相当痛いであろうが、魔理沙なら根性で十数秒ほどは耐えられるはずだ。
魔理沙も必死である。
歯を食いしばって、絶対に腕を離すまいとしている。
そりゃ当然よね。私はこの数ヶ月、魔理沙がどれだけ頑張ったのか知っている。もうすぐ手に入る魔理沙がどうしても欲しかったもの。
勝つということ。
弾幕でも魔法でもなく、男の子と拳でぶつかり合って戦うこと。女の子でも男の子に勝てるということの証明。
それが彼女がどうしても欲しかったものなのだから。
かっこいいわよ、魔理沙。
すごくかっこいい。
貴女は私ができないことをいつもやってくれる。
私の目はよく見えすぎる。出来る事もできないこともすぐに分かってしまう。
だけど魔理沙はそうじゃない。自分の行動に蓋をしない。彼女の中にあるのは出来るか出来ないかじゃなくて、やりたいかやりたくないかだけなのだ。
それは。
私にはないものだ。
私には手に入らないものだ。
だから。
頑張って欲しい。
あと少し。
油断しちゃだめよ。
うん、大丈夫かな。優勢と勝利は違うものだとと、魔理沙には何度も教えたんだから。
今の彼女なら骨を折られたって、牛太郎の首から手を離すことはない。
牛太郎はいくら殴っても魔理沙が離れないことを察し、進退窮まり、最後の手段として勢いをつけて軽くジャンプして背中から地面に魔理沙を叩き付けようと宙に飛んだ。体重90キロを超えそうな牛太郎の身体に思い切り押しつぶされたら、気合い十分の魔理沙とてどうなるかわからない。
だけど、これを堪えれば魔理沙の勝ちだ。
ここまで来たらどちらが勝つのか、もう運かもしれない。いえ、意地と言った方がいいわね。神頼みなんて、魔理沙らしくないもの。気に入らないのなら神さまにだってちょっかい出すような子だから。
魔理沙の意地が勝つか、牛太郎の意地が勝つか。
ズドン。
凄まじい音がして地面に二人が倒れ込んだ。
地面に接触した瞬間に牛太郎は気絶したようであった。目が上に向き、身体から力が抜けている。
息が止まったまま体躯を大きく動かせば心臓と肺が不全を起こしやすい。それに加えて、地面に落下した衝撃でより首を締めることになってしまったのだろう。
さて、あとは魔理沙の意識があればあの子の勝ちなのだけれど……
「魔理沙、生きてる?」
「話しかけないでくれ、霊夢! あ、あと少しなんだ……」
生きてた。
私は魔理沙の肩をポンポンと優しく叩いてやる。
「もう終わりよ」
「霊夢、ジャマするなって……え?」
「この子はもう気を失っているわ」
私の言葉に魔理沙が呆けた顔をした。そしてそれから恐る恐る腕を離して、立ち上がった。
ケンカといってもわずか1分にも満たない短い時間。裸締めに至るまでなら、10秒少ししか経っていないだろう。
これも必然である。正攻法の体力の削り合いをしたって魔理沙に万の一つの勝ち目もないのだから。
だから、これもまた正攻法。体力・体格に劣る子が、優れる子を倒すための策。
魔理沙は、はぁ〜はぁ〜と荒い息を整えながら、ようやく状況を理解する。彼女の足下には意識を失った牛太郎の巨体。
魔理沙の完全勝利であった。
「か、勝ったのか?」
「ええそうよ、貴女の勝ち。気分はどう?」
私は魔理沙に勝利の美酒の味を尋ねた。あれだけ欲しかったものを手に入れた気持ちは格別に違いない。
「……あ、そうだな、うん」
「どうしたの?」
しかし魔理沙がなぜか言いよどむ。まだ勝ちの実感が湧いていないのだろうか? 無理もない。あれだけの巨体が自分の目の前に倒れているのが、魔理沙には信じられないのだろう。今にも牛太郎が起き上がってきて、続きを始めようとするかもしれない。つい、それに備えてしまうのも仕方ないことだろう。
しかし、どうやらそうではなさそうであった。
「こいつ」
息を荒げながら、魔理沙は倒れていた牛太郎に視線を向けていた。
「強かったな」
「ええ、そうね。でもそんなことは最初から分かっていたことでしょ?」
魔理沙は今更何を言っているのだろうか。
「いや、そうじゃなくって……なんて言うか、気持ちの強さっていうか。こいつの首を締めるために抱きついてたときさ、こいつが私に対して強い感情をもっているのが凄い伝わってきたんだ。前の2回は私はそこまでいけなかった。こいつを本気にさせることが出来なかったんだ。でも今なら分かる。こいつが本気で私に対して……敵意でもなくて。だから私は……なんて言うんだろう、この、私の、こいつへの気持ち」
魔理沙が牛太郎を見つめながら言った。
その気持ちは分からないでもない。この子がいなければ魔理沙も私もここまで頑張ることは出来なかったのだから。男の子にケンカで勝つ。そんなバカげた夢を魔理沙が抱いた時、勝負を受けてくれたこの牛太郎がいたからこそ、いまこの瞬間があるのだ。
だから、魔理沙の感情の正体、それは。
「感謝ね」
「感謝?」
予想していなかっただろう言葉に、魔理沙がおうむ返しに言い放つ。
「そうよ。貴女はこの子に感謝してるのよ。自分と手合わせしてくれてありがとう。手加減しないでくれてありがとうって。少なくとも、私はこの子に感謝してるわよ? 貴女は違うの?」
「感謝か……うん、そうかもしれないな。私もそれだと思う」
魔理沙と私は目を交わしてから、倒れままの牛太郎の向かって、黙って礼をした。ケンカというより武道の試合が終った時のようである。
「霊夢、こいつを介抱してやってくれないか? 流石に私がするのも変だし」
「そうね……貴女はどうする?」
「そうだな、と、とりあえず私は……お、おっと」
魔理沙が急に足下をふらつかせた。私は倒れそうになる彼女の腰に手をあてて身体を支えてやった。
「あらら、緊張の糸が切れちゃったのね」
短いとはいえケンカの最中は興奮していて多少の痛みなんて身体が無視してしまう。しかし、それが終れば普段と同じように激痛が帰ってくるのである。
考えてみれば、最後ののしかかり。90キロの牛太郎に思い切りのしかかられて、魔理沙にダメージがないはずがない。
下手すればどこか骨や内蔵に傷がついているかもしれない。
「いっ、いたたたたたたたた……な、なんだよこれ」
ケンカ慣れしていない魔理沙は急に身体のあちこちが痛み始めたことに驚いているようであった。弾幕勝負じゃどれだけぼろ負けしようがこうはならないものね。
「貴女は少し休みなさい。ほら肩を貸してあげるから」
「ちぇっ、せっかく勝ったってのに、ちょっと格好わるいぜ?」
ぶつくさ言う魔理沙の肩を抱えながら、私は広場の側にあった木の幹の根元に魔理沙を座らせてやった。
「ここでしばらく休憩ね。私は牛太郎を起こしてくるわ」
「ああ、頼む」
私は頭をフラフラさせている魔理沙に背を向け、牛太郎に足を向けた。それから彼の肩を軽く揺すってやる。
ちょっと触れただけでも牛太郎の身体が筋肉の鎧で覆われているのがよく分かった。
こんな子によく勝てたなぁ、魔理沙は。
もし私がこの子と戦うということになったらどうなるだろう。
私も一応ケンカというか、素手での戦いもそれなりに出来る。魔理沙との特訓だって、模擬戦を幾度と重ねたけれど一度も負けなかったくらいの強さはもっている。
だけど、この牛太郎の大きな身体に対して、生身で向かっていく勇気は私にはない。魔理沙に与えた策だって、次はもう通用しないはずだ。この子があと5年もすればより実戦的なケンカの経験だって積んでいくに違いない。
そうなればますます隙はなくなる。
だけど、それでも私はこの子には負ける気が全くしない。
簡単なことだ。私が牛太郎と戦うことになったら、この子の手の届かない上空から延々と弾幕を張ってやればいいだけなのだから。
仮に牛太郎が空を飛べるようになったとしても、私には捕まらない自信があるし、いざとなれば夢想封印でいなしてしまえばいい。
純粋な闘争ではこの子は絶対に私に敵うことはない。
でも、魔理沙が望んでいたのはそういうことじゃない。彼女から言わせれば私が今言ったやり方は「かっこわるい」のだ。
純粋な闘争となれば手段は選ばないのが一番の真摯というもの。勝つ為に使えるのに使わないなんてのは相手への無礼へあたる。
でもケンカはそうじゃない。卑怯な手を使うのは「かっこわるい」のだ。
ルールは曖昧である。例えば牛太郎は魔理沙が使った金的や目への攻撃を「かっこわるい」とは言わないだろう。なんでもありのルール無用。それが2人の間に交わされた約束だからだ。「目を狙うなんて卑怯だ」なんて牛太郎が言うはずもない。それは別に「かっこわるく」はない。
だけど例えば私の言ったように、魔理沙が箒にのって空からマスタースパークを連射したらどうだろう。魔理沙は確かに勝てるかもしれない。何でもありというのなら、魔法を使う事に文句が言えるはずもない。
でもそれは2人に言わせたら「かっこわるい」ことだと思う。
そう考えればケンカと、私が考えたスペルカードルールよく似ている。スペルカードルールは妖怪や神が人間と戦う為に、ある種の手加減をして戦う闘争だ。
スペルカードルールはどちらが強いかを決める戦いではない。どちらがより「うつくしい」かを決める戦いである。
だから絶対に避けられない弾幕や、破る手段なく永遠に続く弾幕などは「うつくしくない」ものとして忌避される。
「かっこよさ」を競うケンカ。
「うつくしさ」を競うスペルカードルール。
全く違うように見えても、その根幹は似たようなものなのかもしれない。
「そろそろ貴方も起きなさい」
私はなかなか起きない牛太郎の頬を軽くペシペシ張って、意識を取り戻してあげた。
牛太郎は軽く呻きながらようやく重たい瞼を上げて、私の顔を見た。
「大丈夫かしら?」
私は牛太郎のことを心配するフリをした。聞くまでもなくこの子は平気だろう。数秒血を止められただけだから外傷もないし、多少意識が混濁しているかもしれないが、すぐに回復するに違いない。それこそ今すぐにもう一戦できるくらいの体力は存分に残っている。少なくとも、肉体的には全く問題ないはずだ。精神的には……どうかしらね。
「俺は……負けたのか」
牛太郎は上半身を起こして、頭を抱えながらぼそっと呟いた。
「ええ、あの子の勝ちよ。卑怯と言うかしら?」
目突き、首締め、金的。見る人が見れば反則技のオンパレードだ。ケンカならお互いの拳と拳でぶつかり合えという人だっている。
「言う訳ないさ。俺にだって一応プライドはある」
牛太郎はいつも通りの無愛想な顔でそう言った。
予想通りの言葉に、私はおもわずクスっと笑ってしまった。それから私はちょっと彼にいじわるをしてみたくなる。
「どう、負けた気分は?」
「悔しい。もちろんな」
「悔しいの? あんまりそうは見えないけれど?」
牛太郎の顔にあまり負けた悔しさは浮かんでいない。スッキリしている訳ではないが、私の目にはケンカの前と何も変わらないように見える。
「ケンカで負けたのは初めてだからな。どういう反応をしていいか分からないんだ。しかも相手はあの魔理沙っていうんだから、自分でも驚いてるよ。油断はなかったはずなんだがな」
牛太郎は、木に背中を付けていつの間にやらスヤスヤと眠り込んでいる魔理沙を見つけ、じっと視線を送っていた。ケンカに負けたこの子は果たして魔理沙に対して何を思っているのだろうか? まさか今度は牛太郎が魔理沙に復讐戦を挑むでもあるまいし。そうなったら今度はどんな策を使おうが魔理沙に勝ちの目はない。
流石に魔理沙ももう牛太郎とやりたいなんていうはずもないでしょ。
「そういえば今日は貴方の友達はいないのね。前は4人もいたのに」
私は、牛太郎に万が一にも「もう一度魔理沙とやりたい」と言わせないために、ちょっと話題を与えてみた。
それに、そのことは少し気になっていたから。
前のときは牛太郎の側にはヤンスをはじめ4人の友人がいたはずだ。今日はなぜいないのだろう。単に呼ぶまでもなく魔理沙を叩きのめすことが出来るとでも考えたのだろうか。
「ああ、あいつらには絶交されたよ」
「えっ、絶交?」
牛太郎から帰ってきた言葉は、流石の私でも驚くものであった。
「なんで絶交なんてされたのよ? ケンカでもしたの?」
以前彼らを見たときは子分達は牛太郎のことをずいぶん慕っていたように見える。仲違いではなく絶交という強い言葉。お前とは金輪際、縁を切るという意思表示。
彼らの間に一体何があったのだろうか。
「あんたも言ってたじゃないか。女の顔を殴る男のクズと誰が友達でいたいんだ。今回俺がまた魔理沙の果たし会を受けるって聞いて、みんな軽蔑の言葉を残して俺から離れていったよ。一度目も二度目もあいつらには相当反対されてたのに、まただからな。仕方ないさ」
牛太郎の説明は半分私を納得させ、半分させなかった。確かにこの子の言う通りだ。牛太郎がそうであるように、子分達も男らしくあろうとしていたのは分かる。だから、魔理沙のような少女の顔を殴る者を男の風上にも置けないと見限ってもおかしくない。
おそらく牛太郎の子分は最初はもっといたのだろう。何と言っても里一番のケンカ上手なのだ。性格だって悪くなさそうだ。そんな男の子に子分……というか友達が4人というのは少ないと思っていた。
多分、私が見ていない魔理沙との緒戦の時点で牛太郎と絶交した少年たちも多かったんだろう。そして残った4人も3ヶ月前の第二戦で去っていった。そこまでは理解できる。
そうなのだ、理解できないのはただ一つ。
「……前から疑問だったんだけど貴方、なんで魔理沙のケンカなんて受けたの?」
この2ヶ月間、私は牛太郎の情報をそれとなく集めたりもしていた。寺子屋での牛太郎の評判は悪くないどころか、むしろかなり良好なものだった。
「けして弱いものイジメをしない優しい子」「見かけは仰々しいが筋の通った少年」そんなことを言われている牛太郎が魔理沙の顔にその巨大な拳を振り下ろしたというのはいかにも不自然であった。
しかも1度ではない3度にわたってだ。嗜虐趣味ではないはずだ。そんな少年ではない。 何がこの子を突き動かしていたのか。それは誰に聞いても、いくら考えても分からなかった。友達を失ってまでこの子は一体何がしたかったのか。
私の真剣な目をした質問に、牛太郎は私から視線を逸らして、じっと地面を見つめていた。
私はそれでも牛太郎から目を離さなかった。それを見て牛太郎は根負けしたかのようにしぶしぶ口を開いた。
「初めてだったからだ」
「初めてって、……何が?」
言葉足らずの牛太郎の言葉に私は先を急かす。
「アイツに声をかけられるのがだ。いつも下から見上げるだけだったからな。決して届かないと思っていた」
牛太郎は数瞬虚空を見つめてから、もう一度、私に顔を戻す。
「巫女さん、あんた俺の顔をどう思う?」
「え、顔?」
突然の質問に私は言葉を失う。私はこの子に初対面で牛太郎というあだ名をつけた。だから「そうね、牛にそっくりかしら」、それが正直な想いなのだが、本人の前をそんなことを言う訳にもいかない。いくら私でもそれくらいの分別はある。
「ふふ、案外ウソが下手なんだな。巫女さん」
だが、私の沈黙と表情で牛太郎は私の考えを察してしまったようであった。私は思わず口に手を当てた。
「そうなんだ。俺の顔はまるで獣のように醜い。雄々しいと褒めてくれる大人もいるが、けして女に好まれる顔じゃあない」
彼の言葉には重々しい響きがあった。『自分の顔が他人に。異性にどう思われているのか』。牛太郎のほんの10年と少しの短い人生だけれど、この子もその間に色々なことを経験し、覚り、諦めてきたのかもしれない。
彼の台詞からはそんなことが伺えた。
「だから、いつも眺めてるだけだった。箒に乗って自由に空を翔る星のようなアイツを、獣が掴めるはずがない。そう思ってたんだ。一生縁がない。アイツにふさわしいのはもっとツラがよくて、アイツの横に並んで絵になる奴なんだろうって。それが初めて声をかけられた。ほんっとに良い笑顔でな、こんなでかい身体した俺に威勢よくいうんだぜ? 『決闘を申し込む!』ってな…………それだけのことが、俺には死ぬほど嬉しかった」
牛太郎ははじめて年相応の表情を私に見せた。はにかむように照れくさそうに笑ったのだ。その笑みは見かけの仰々しさとはかけ離れた純粋で青々しいもので、見ていた私まで少しドキっとしてしまう。
しかし牛太郎はすぐにまた顔を戻し、今度は少し苦そうにして話を続ける。
「だが、アイツの望むのは、アイツの……俺が長いこと焦がれたその顔に拳を振り下ろす事だった。そりゃ俺だってイヤだった。そもそも俺が身体を鍛えていたのはアイツを守りたかったからなのに、それがまるで逆じゃないか。だが、もし俺があの時、アイツの頼みを断っていたら、俺とアイツは一生関わることが出来ない。そんな予感がしたんだ。有り得ない縁だとしても、それが唯一だとしたら俺は失いたくなかった。だから俺はアイツが望むままに殴ったんだ。それがたった一つ、俺とコイツが交わることの出来る方法だったから……」
牛太郎の口から吐露されたのは、余りにも不器用な牛太郎の想いだった。よく無神経と言われる私でも、牛太郎が魔理沙を殴る時の気持ちを想像するだけで胸が痛くなる。
この子がほんの少しでも気が利いた人に相談できれば彼もそんな惨めな想いをしなくてすんだはずだ。
だけど、多分この子は誰にも相談できなかったんだろう。人生ではじめて経験する思春期の心の動き。どんな少年にとっても他人にその心を打ち明けるのは億劫になりがちになる。牛太郎は、獣のような自分があの子にそんな想いを抱いてるなんて口が裂けても言えないことだったのかもしれない。
牛太郎が漏らす本心を、私は黙って聞いていた。
「だがもう終わりだ。巫女さん、あんたの言う通り、俺はクズだ。アイツと関わる価値もない。だけど俺は満足なんだ。一生触れる事すら出来ないと思っていた星に、一時だけど醜い獣が触る事ができたんだからな。最後にいい思い出になったよ。負けたのは悔しいけどな。安心してくれ。もう俺はアイツとは二度と関わらない」
「諦めるの? 想いも告げずに?」
気づいた時、私は牛太郎にそう告げていた。何か考えが有った訳ではない。この3ヶ月間、あの子が牛太郎に関してそういうことを話した覚えもない。ただ言いたくなっただけだ。
牛太郎は私の言葉に目を丸くさせて、すぐに「ふっ」と鼻で笑った。
「巫女さん、あんたはアイツと仲がいいんだろ? どうだい、俺に見込みはあるのかい?」
牛太郎が自嘲するような薄笑いを浮かべて私に言う。どうせ俺なんか無理に決まっていると信じ込んでいる表情。
だめね、その顔は「かっこわるい」わよ。
「逆に聞くけど、魔理沙は貴方に勝つ見込みはあったのかしら?」
それを聞くと牛太郎は「あっはっは」と大声で笑った。その笑い声はまさに牛のようだった。
そんな大きい声を出したらあの子が起きてしまうわよ。
「そうだよな、巫女さん。あんたの言う通りだ。全部正しい。本当に、俺は……」
「どうするの?」
「そうだな……ああ、巫女さん頼みがある」
「なにかしら?」
「この後、アイツの事は俺に任せてくれないか」
2人きりにしてほしい。そういうこと。
やると決めたら明日に回さず今すぐ実行に移る牛太郎は確かに良い男なのかもしれない。
私は笑って「良いわよ」と立ち上がった。
「私も魔理沙がどう思ってるか知らないけどね。一つだけ事実があるわ」
「なんだ?」
「魔理沙はこの3ヶ月間……いえそれ以上、貴方のことをずっと想い続けてきたってことよ。ご飯を食べてる時も、誰かと話している時も、寝ている時でさえ、貴方の顔を強く思い浮かべてた。それだけは私が保証する」
ほとんど冗談みたいなアドバイスだけど、私はそれだけ言うと牛太郎に背を向けて広場から去っていく。後ろから牛太郎が大声で「ありがとう、巫女さん」と言ってきた。私は顔も向けず、片手だけあげてそれに応じた。
あとは2人の問題だ。私が出る幕ではない。
果たして魔理沙は牛太郎の想いにどう答えるのだろう? 想像もつかない。一応私たちも年頃の女の子というやつなのに、あの子とは浮いた話なんて一度もしたことがない。だから魔理沙の好みとか、趣味とかも全く知らない。
もしかした次に会う時は牛太郎と2人で手を繋いでいるかもしれないし、逆に牛太郎のことなんて最初から知らなかったように振る舞うかもしれない。
魔理沙は普段は男の子のように振る舞っているけれど、時々私でも赤面してしまうくらいに少女になることがある。
だから案外、あっさりと結ばれる可能性もある。
けれど反対に、あっさりと断る可能性もある。
「悪いけど、好みじゃない」、「今は魔法の研究に集中していたい」。魔理沙の断る理由なんていくらでも見つかる。
だけど、どっちに転んでも殴り合いのケンカから産まれたものだと思うと、笑ってしまうくらいに奇妙な縁だった。
私は帰り道、空中に向かって拳を放ってみた。シュッシュと風が切れる音がする。どうやら私も牛太郎と魔理沙に感化されたところがあるらしい。私まで魔理沙みたいに誰かと身体をぶつけたくなってしまった。
考えてみれば、身体一つだけでの本気の争いなんて生まれてこのかた経験したことはない。それは一体どんな気分なんだろうか。
何事も経験だ。もし機会があれば私もやってみようかな、”ケンカ”ってやつを。
そういえばなんで魔理沙はケンカ相手を探してる時に、私に挑んでこなかったんだろう。私に遠慮してるわけじゃあるまいし。私を最後に倒すべきライバルとして取っておいたのか、それとも単に私とケンカしたくなかったのか。
私がそんな他愛もないことを考えていた時、ふと前を見ると20人近い少年の集団がこちらに向かって歩いてきた。
その中には見た事のある顔もあった。3ヶ月前に牛太郎と一緒にいた4人組。先頭近くにはヤンスもいる。
「どうしたの、貴方達?」
「は、博麗の巫女……」
ヤンスは声を震えさせながら精一杯の虚勢を張っている私の顔を見た。他の面々も大同小異である。どうでもいいのだけれど、なんでこの子達は私にそんな怯えているのだろうか。異変の時はそりゃあれだけど、普段の私は怖くなんてないはずなのに。
「お、俺達は……そ、そんなことよりオヤビンはどうした!?」
「あら、貴方達は確かあの子とは絶交したんじゃないの?」
「う、うるさい。質問に答えるでやんす!」
ふむ……どうやらこの子達は今から広場に行くつもりだったらしい。しかし、この子達に今広場に行かれては困るのだ。さてどうしたものだろう。
時間稼ぎをすること自体は簡単だ。適当にウソの場所を教えてもいいだろうし、もうケンカは終って牛太郎は帰ったとでも言ってやってもいい。
しかし、その時、私にある考えが浮かんでしまった。何とも下らない、頭の悪そうな考え。どうやら私も魔理沙のバカが移ってしまったようだ。
「ふふふ、あの子なら負けたわよ?」
「な、なんだと!? オヤビンが魔理沙に負けたっていうでやんすか!?」
ヤンスが血相を変えて私に怒鳴る。
「そうは言ってないでしょ。でも私の親友の顔を叩いた悪い子にお仕置きしてあげただけよ」
「どういうことでやんすか!? ちゃんと説明するでやんす!」
「紅魔の吸血鬼、冥界の亡霊、月の頭脳、地獄の烏、山の祟り神……私にはたくさんの知り合いがいてね。みんなで囲んで少しイジメテあげただけよ。安心なさい。殺してはいないから。一目に付く所に捨てておいたし、今頃お医者さんのベッドの上じゃないかしら? まぁ、何でもアリのルール無用だったわけだしね、文句はないでしょ?」
私の言葉に少年たちは一気に殺気立った。
「な、なんて卑怯な奴だ! ゆ、許せねえ!」
「お、オヤビンの仇!」
「やっちまえ!」
少年たちは興奮したまま、私をアリの這い出る隙間もないほどに取り囲んでしまった。
「私みたいないたいけな女の子相手にその数はひどいわね」
「何言ってやがる。お前が普通の女じゃないことは重々承知だ。こっちこそ卑怯なんて言わせないでやんす!」
「そう? なら私は普通の女の子として相手させてもらおうかしらね」
「な、なんだと!?」
「霊力は使わないわ。お札も弾幕も、空も飛ばない。この身体一つだけで相手してあげる」
「う、ウソをつくなでやんす!」
「本当よ」
ヤンスはそれから私の顔をじっと睨み続けた。私の意図を読み取ろうとしているのだろう。
彼が一体私の瞳から何を読み取ったのかは分からない。しかしヤンスは囲いから一歩前にでて。
「分かったでやんす。なら俺とタイマン張るでやんす」
ヤンスが私に重々しい口調でそう告げた。
「ふ、副親分。こんな奴にタイマン張る事ないですよ。みんなで囲んでやっちまいましょう」
「そうですよ。そもそも力を使わないなんてウソに決まって……」
「お前らは黙ってるでやんす!」
ヤンスが周りの少年達を大声で一喝した。
何と驚くことか、弱そうな見た目に反してヤンスは牛太郎に次ぐ副親分だったらしい。私の人を見る目もまだまだね。
ヤンスは少年の輪の中に入り、私と2人、対峙した。
「貴方、私の顔を殴れるの? 一応私も女の子なんだけど?」
「そ、それは……」
ヤンスたち少年が牛太郎と絶交した理由がまさにそれなのだ。ここで私の顔を何の罪悪感もなく殴れるのなら、最初から絶交なんてしていない。
ヤンスは迷いを振り払うように首をブンブンと横に振って、もう一度私を強く睨みつけた。
「博麗の巫女、お前がウソをついていないことは分かる。お前は力を使わないでやんす。だけど……俺はお前を殴るでやんす。守りたいものを守るためには女も男も関係ない。オヤビンだって、何かを守る為に魔理沙の果たし合いを受けたに違いないでやんす。そうじゃなくてもオヤビンには何か魔理沙を殴る理由があったはずで……何が可笑しいんだ!?」
顔を真っ赤にしながらそんなことをいうヤンスに、私は思わず「くくく」と笑ってしまっていたようだ。
「ご、ごめんなさい。つい可笑しくって」
「こ、このぉ、俺を舐めるなよぉ!」
きっとこの子たちは今から広場に行って牛太郎と仲直りでもしようと思ったに違いない。牛太郎はずいぶん子分に好かれているのね。
でも、済まないけれど広場には行かせる訳にはいかないのだ。広場は今は牛太郎と魔理沙だけの空間にしてあげないといけないのだから。
それにしてもこの子達も、さっき私が吸血鬼や神さまの存在をチラつかせてまで脅したというのに、勇気のあることだ。私の言がウソか分からない以上、ある種の無謀とも言える。勇気と無謀は紙一重。何と言っても私が本気になれば、先に挙げた面々を集めることは実際に可能なのだから。
だけど、今の私にはそんな彼らの無謀さが堪らなく愛おしく思えた。
「まぁいいわ、さっさとやりましょう」
私はそう言ってヤンスに構えた。腋を固め、身体を小さくする隙の少ない徒手空拳の格闘戦用の構え。これもあの人に叩き込まれた私の技術。わざわざ霊力を縛る機会なんて今までなかったから、実戦で使うのは今回が初めてなのだ。
ヤンスもキリと私を睨め付けたまま、臨戦態勢に入る。柔道の構えに近いだろうか。腕に力の入っていない良い構えに見えた。ヤンスの実力は知らないが、こんな大人数の中で牛太郎に次ぐ2番手ということはかなりの強さであろう。体重差はなくとも男女の筋力差は歴然としている。私の手では持て余してしまうかもしれない。
でも私はそれでもいいと思えた。殴り殴られ、拳をぶつけ合う。
魔理沙がしたかったことを私もやってみたいと思う。
とりあえず結果は二の次だ。
「でりゃあああああああああああああああ!」
ヤンスが私に向かって飛びかかってきた。
私の生涯初めてのケンカが今、始まる。
さてさて、がんばって「かっこよく」戦ってみようかしら。
私が「どうしたの?」と聞くと「ケンカしたんだ」と魔理沙は嬉しそうに答えた。
それから魔理沙は、「ケンカの仕方を教えて欲しい」と私に頼んできた。
「その前に貴女は誰とケンカしたのよ?」
と私が尋ねると、魔理沙はバツが悪そうにして「まぁいいじゃないか、ケンカの理由なんて聞くだけ野暮だぜ」と誤摩化した。少なくとも誰かに虐められたとかではなさそうなのだが、幾らなんでも怪我が目に余る。魔理沙の可憐な小さな顔が、腐ったジャガイモみたいに変色膨張している。ということは相手は人間の女の子ではない。人間の女にはそこまで力はないから。あと妖怪でもないと思う。妖怪はこんな形では人間を攻撃してこないはずだ。だから、魔理沙のケンカ相手は人間の男。
そうなると次は別の問題が出てくる。
幻想郷の男で、魔理沙の顔面をこれほど躊躇なく殴れる者がいるだろうか。
魔理沙はたかが10そこそこの、まだ幼すぎる少女である。しかも友達の私がいうのも何だけど、この子はかなり顔貌が優れている。その奇麗な顔をここまで徹底的に拳を振り下ろせる男に、私は覚えがない。
私は魔理沙に頼まれて基本的な打突を教えている間も、彼女のケンカ相手が気になって仕方なかった。魔理沙は私に打突を教えてもらって喜んでいたが、こんな基礎技術で倒せる程の相手でないことは見なくても分かる。
そもそもケンカとはなんなんだろう。
魔理沙が理不尽な理由で殴られたのなら、この子はわざわざ私の所に来ない。強がりでケガの理由にウソついたって私なら必ず見破ってしまうからだ。もし魔理沙が理不尽に叩かれたというのなら私はきっと出張る。この子を助けるために。
だけど魔理沙にとって私に出張られる程に恥ずかしいことはない。「魔理沙を虐めると博麗の巫女にチクられるぞ」なんて揶揄されるくらいなら、この子は死んだ方がマシだと思うだろう。
結局、魔理沙のケンカの詳細は分からないままに1週間が過ぎた。その間、魔理沙はケガの療養をしながら私にケンカ……というより格闘技の初歩的な技術を習っていた。私も徒手空拳の対人間技は習っていたので、それを魔理沙に教えてあげた。魔理沙は合気や間接取りの類いよりは、殴る蹴るの打撃技を好んで教えてもらいたがっていた。私が教授する以前の魔理沙は、本気で力を込めて誰かを叩いても「ペチン」と音がしてしまいそうな程に殴るということが出来ていなかった。とりあえずは一通りの事を教えてもらって魔理沙は喜んでいたが、この程度では一週間前と何も変わらないだろう。そもそも魔理沙は体重が軽すぎるのである。私もそれほど重い方ではないけれど、それでも魔理沙よりは体重が五キロは上だ。40キロあるかないかの魔理沙の打突なんて、紙すら破ることは出来ない。はっきり言って戦力外もいいところだ。魔理沙は体術における体重の重要性をまるで理解していない。
私は魔理沙の後をこっそり付ける事にした。魔理沙は口には出さなかったが、彼女は明らかに復讐としようとしていたからだ。そうでなければわざわざ私にケンカの仕方を教えてくれなんて言ってこない。いや、復讐というよりはリベンジマッチという方がニュアンスが近い。魔理沙がしているのは、あくまでケンカらしいのだから。
果たして私の予想は正しかった。
魔理沙が登場した広場は水をうったようにシーンと静まり返った。魔理沙の姿に多くの視線がさらされる。広場には五人ほどの少年がいたが、魔理沙の対戦相手はすぐに分かった。
五人の中でひときわ大きく太い、牛のような顔をした少年。具体的な根拠はなかったが私はこの子が魔理沙のリベンジ相手に違いないと確信できた。名前が分からないので、仮に「牛太郎」とでもしておこうか。
「やい、魔理沙。またお前は性懲りもなくオヤビンにケンカを売ってきやがって! 一週間前にオヤビンけちょんけちょんにされたのをもう忘れたのか!?」
牛太郎の側にいた、語尾に「やんす」とでも付けそうなくらい腰巾着が板についている少年が魔理沙に向かって吠えた。この子は仮に「ヤンス」と呼んでおこう。
魔理沙は事前に果たし状を牛太郎に送っていたようである。
「おいおい、そりゃ一週間前の話だろ? 『乙女三日会わざれば刮目して見るべし』。今の私は一週間前の100倍強いぜ」
魔理沙はヤンスの恫喝に不敵に笑った。
「なにが100倍だ、オヤビンはお前の1万倍は強いんだ。今回だって無駄に決まってるでやんす!」
ヤンスが魔理沙にそう言い返す(本当に「やんす」って言ったわね)。
ヤンスと同意見なのは悔しいが、彼の言っていることは正しい。牛太郎はどう見ても魔理沙とは比較できないほどの戦力を有している。
牛太郎の身長は明らかに180cmを超えている。腕周りの筋肉は服の上からでも分かるくらい太く、着物の間からチラリと見える胴体は立派なものだ。体重はおそらく90キロを下回らないだろう。牛のような顔に誤摩化されるが、よくよく観察すると顔には幼さが残る。歳の頃は13歳か15歳それくらいではあるが、その目には確かな覚悟があった。ケンカの技術は未知数であるが、その身体の持つ迫力だけでも幻想郷で一番のケンカ自慢と言われても信じてしまう。
私がこの牛太郎と真っ向勝負でケンカしろと言われたら、即座に断るだろう。間違いなく負けるからだ。私が勝てないものが、ましてや魔理沙がどうして勝てるだろう。身長にして40センチ、体重は倍以上の差がある相手に一週間の付け焼き刃でどうにかなるものではない。
しかし一方で不思議に思う事もある。
以前の魔理沙のケガは顔にも及んでいた。この牛太郎は本当に魔理沙の顔面を殴ることが出来るんだろうか?
今の状況をみるに、一週間前も魔理沙からケンカを売ってきたんだろうけど、私が牛太郎の立場ならそんなものは確実に無視する。
魔理沙とケンカしたって100%弱いものイジメにしかならないし、そもそも女を殴るなんて男が廃るというものだ。まだ顔を見ただけであるが、牛太郎が女を殴って愉悦するようにもタイプには思えない。
「御託はいい。やろうか」
そんなこんなしているうちに、牛太郎がのそっと腰をあげて魔理沙に対峙してしまった。牛太郎は思ったより更に低くドスの効いた声をしていた。
いや、それより……またやるの!?
魔理沙の目的は何となく分かる。ケンカっていう男の子だけに許された、最高に熱くなれる遊びに自分も参加してみたくなったとかそんな理由だろう。それ自体は理解できる。
ただ牛太郎のケンカを受ける理由が全く分からない。
一週間前に勝負を受けたこと自体も謎なのだけれど、以前完勝した相手とまたケンカをするのは何故なのか。
私は混乱する一方であった。
「ルールは前と一緒でいいのか、魔理沙?」
「ああ。勝敗は『参ったという』『気絶する』、禁止事項一切なし!」
牛太郎ではなく、私が魔理沙を殴りたくなった。なんで「何でもあり」ルールなのか。いや、確かにケンカというものはそういうものなんだろうけど、せめて倒れた後の攻撃は禁止してもらわないと、魔理沙に勝ち目はない。というより危なすぎる。このルールでは魔理沙はほぼ確実に気絶するまでやることになる。
牛太郎があやすように魔理沙の首を締めて優しく気絶させてくれるとは到底思えない。一週間前に牛太郎は魔理沙の顔面を殴ったのは間違いない事実なのだから。
「よっしゃ、いくぜ」
魔理沙が私が教えた通りにファイティングポーズをとった。一方の牛太郎は何も構えず、悠然と前に出る。のそりのそり近づく牛太郎が拳の射程距離に入ると、魔理沙は思い切って打突を放った。この一週間、何百何千回も空に放った、押すよりも引くことを重視した基本的な正拳だ。わずかな期間とはいえ彼女なりに努力して手に入れた立派な技術である。
しかし当然というべきか、牛太郎はその魔理沙の打突をよけることすらしなかった。全てを顔面で受け止めているが、まるで効いている様子はない。当たり前だ。どれだけ体重差があると思っているのか。
牛太郎は文字通り牛のように鈍い目をしたまま、一転、素早く魔理沙にタックルをして両足を刈った。
彼からすれば魔理沙の体重なんて藁のように感じたに違いない。
牛太郎は魔理沙の股の間に胴体を無理矢理差し入れ、魔理沙を地面に押し倒した。いわゆる馬乗りの状態である。
「くっ、このぉ!」
魔理沙は地面に組み伏せられ、顔を歪めながらも抵抗していたが、自身の体重の倍ある相手に伸し掛られてはどうしようもない。この体勢になってしまえば後は一方的に殴られるだけである。
「参ったと言ってくれるか?」
牛太郎は小さく尋ねた。
「冗談きついぜ」
「そうか……」
挑発を含んだ魔理沙の降参拒否の言葉を聞いて、牛太郎は思い切り右手を振りかぶり、魔理沙の顔に叩き付けようとした瞬間……
「そこまでよ!!」
私は我慢の限界だった。
私は広場に姿を現して、二人のケンカを制した。私の顔をみた牛太郎の子分たち4人は、あからさまにヤバいという顔をした。
「げぇ、博麗の巫女じゃねえかよ!」
「魔理沙の野郎、博麗の巫女を連れてきやがったぞっ!!」
「こ、殺されちまう。俺たちみんな殺されて妖怪のエサにされるんだぁ!」
「死にたくねぇ、俺はまだ死にたくねぇよぉ!」
私はギャーギャー騒ぐ下っ端は無視して、魔理沙を押しつぶしていた牛太郎に声をかける。
「勝負はついたでしょ。魔理沙の上から降りて」
牛太郎は一瞬だけ魔理沙の顔を見てから「ああ」と頷いて、ゆっくりと魔理沙から離れた。
「霊夢、よけいなことしないでくれよ」
「あんたは黙ってなさい!」
勝負を邪魔された魔理沙は怒っていたが、私が一喝するとすぐに口を尖らせたまま黙った。
「そんな怖い顔しないでくれ。どこから見てたか知らないが、このケンカは魔理沙から始めた尋常なものだったんだ」
牛太郎が憮然としたまま私に言った。そんなに私は怖い顔をしていたのだろうか。確かに友人の顔を殴ろうとしていた牛太郎に対する怒りの気持ちはある。しかし、この子の言う通り、このケンカは魔理沙から吹っかけた正々堂々としたものであった。ルールも事前に確認し、その上、牛太郎は馬乗りになった後に魔理沙に降参を勧めている。それを断ったのは魔理沙本人なのだ。私が怒るのはお門違いというのも分かる。
「男が女を殴るなんて」と古典的な説教することも出来るが、流石にそんな野暮なことは出来ない。これ以上私も魔理沙に嫌われたくはない。
「別に……そんな大きな身体を持った貴方が、自分より弱いこの子をどれだけ殴れるクズだろうと私の知った事ではないわよ」
だが、そんな理屈を忘れるほど私の頭も沸騰していたらしい。思わず酷い言葉が飛び出してきて、自分でも驚いてしまう。
しかし牛太郎は私の罵倒にも動じる様子はなかった。
「な、なんだその言い草は! 魔理沙がケンカ売ってきたからこっちはそれを買っただけでやんす!」
ヤンスの言っていることは正しい。だがそれで感情を抑えられる程に私は大人ではなかったようだ。
私は仰向けに倒れていた魔理沙の手を引いて立ち上がらせようとした。
しかし魔理沙は地面に叩き付けられた時に腰を打ったようで、下半身が言う事を聞かないらしい。足が震えて立つ事すらままならないようである。
仕方なく私は魔理沙をおぶって帰る事にした。牛太郎、他4人はそれ以上何かいうこともなく、私たちの背中を見送っていた。
☆ ☆ ☆
「貴女って本当にバカよね」
道中、私は背中のおぶった魔理沙に言った。
「霊夢こそなんだよ、人の跡をこそこそついてきて、しかもケンカを途中で止められた上にこんなおんぶされて退散なんて、かっこわるいったらありゃしないぜ」
「じゃあ貴女、あのままあの子に殴られたかったの?」
「そりゃケンカだからな。こっちだって同じ状況になったら殴る訳だし、お互い様だ」
彼我の差も分からない魔理沙がとんちんかんなことを言っている。魔理沙が仮に馬乗りになったとしても、馬乗りで体重の乗らない魔理沙の打撃で牛太郎にダメージがあるはずがない。そもそも、あの牛太郎の膂力ならば二人がどんな体勢になっても簡単にひっくり返されてしまうだろう。
「大体なんでいきなり男の子と殴り合いなんてしだしてるの? 一応、貴女だって女の子なんだから、そんな野蛮なことしちゃダメじゃない」
「おいおい、霊夢までそんなこといっちゃうのか? 親友なのに私の気持ちを分かってくれないなんて悲しいぜ?」
魔理沙の気持ちは何となく分かる。つまるところ、魔理沙は男の子が羨ましいのだ。彼女が今後どれだけ成長したとしても到底得られない体力、腕力、体躯。その逞しさは、誰にも依らず生きて行きたいと思ってる魔理沙にとってはある意味で究極の魔法よりも得難いものなのだろう。魔法の力で男女の差を失くす事も可能ではあるのだが、魔理沙は魔法に頼らないもっと本質的な力に憧れている。
「私たちってさ、いつも弾幕打ち合って勝負してるじゃないか。それはそれで楽しいし満足してるんだけど、やっぱり私の求めるものとは何か違う気がする時もあるんだ」
私が考案したスペルカードルールは「うつくしさ」を競う戦いである。それは少女同士の間でしか成り立たない。魔理沙の旨とするパワー。それは力強い美しさというよりも、やはり男同士のもっと直接的な力というものに近いのかもしれない。
それは分かるのだけれど。
「でも、いくらなんでも相手が悪すぎるわよ。なんであの子なのよ。ケンカがしたいのなら、もっと適当な相手がいるんじゃないの? あの子相手じゃ100年かかっても殴られ続けるだけよ?」
魔理沙の望んでいる事も分からないではない。しかしどう考えても牛太郎は強すぎる。基本的に魔理沙が相手にするような人種ではない。牛太郎の側にいたヤンスなんかは身長も低かったし、魔理沙の当面の目標としては丁度いいのではないのか。あれなら半年ほど私が鍛えれば勝機も出てくるだろう。
魔理沙はなぜ牛太郎に二回も挑んだのか、それが解せない。まさか幻想郷ケンカチャンピオンを目指している訳でもあるまいし。
私の質問に対して、魔理沙は少し黙ってから答えてくれた。
「……私だってバカじゃないさ。最初はもっといい感じのケンカ相手を探してたんだ。っていうかまず同じ女とやろうと思ってたんだよ」
「いきなり殴り合いのケンカしてくれって言われてOKする女の子はいないわよ」
「そうそう、誰に頼んでも断られてな。あ、そういや早苗とはちょっとやったんだよ。でもアイツ、1回お腹叩いたら泣いちゃってさ」
「早苗……哀れな子ね」
「だから、やっぱり相手は男にしようってなったんだ。でもそうしたら次は別の理由で断られるようになっちまった」
「大体想像はつくわね」
「ああ、『男が女を殴れるか』とか『お前が相手になるわけない』ってな具合だったぜ」
その様子は容易に思い浮かぶ。魔理沙みたいなちんまい子に殴り合いしようと言われて首肯する少年はいるわけがない。
「でも何人かに声をかけてると、やってくれてもいいって言う奴もいたんだけどさ……」
「どうしたの?」
「まぁ、なんだ? そういう奴らはちょっと違ったっていうか……何かイヤらしい感じだったから」
「ああ」
さっきの牛太郎と魔理沙の体勢を見れば分かるように掴み合いのケンカはくんずほずれつ、かなりの肉体的接触が期待できる。おおかたその男らはケンカに乗じて魔理沙の身体でも触ってやろうと下品なことでも考えていたのだろう。それか単純に女を殴るのが好きな下種だったか、いずれにせよ魔理沙がそれを見抜いてケンカを避けたのは得策だ。
「断られて断られて、最終的に頼めそうな奴がいなくなって諦めかけてた時、こうなったらもうどうとでもなれって里一番の力自慢にケンカ売りにいったんだよ」
「それがさっきのあの子だったのね」
「そうそう。半分ヤケだったのにまさかの快諾さ、アイツは私のケンカを買ったんだ。私はまさか受けられてしまうとは思ってもみなかった。でも自分から吹っかけといて逃げる訳にもいかないだろ?」
「だからって、あんな大きい子とケンカなんて……」
「私だってビビったぜ。見た目からしてヤバそうだとは思ってたけど、いざこいつとこれから殴り合うんだって考えたら足が竦みそうだった。でもさ、一方でようやく本気のケンカが出来るって武者震いもしたんだ。ルールは散々もめたけど、私が推した『何でもアリ』になったんだ。やっぱりケンカは何でもアリじゃないとな」
「二回目だけど、貴女って本当にバカよね」
魔理沙は「自覚してる」と自嘲して笑った。
「霊夢はクズって言ったけど、アイツ良い奴だぜ。私の事を女だからって手加減もせず、イヤらしい感じも全くなかった。私のことを純粋なケンカ相手として認めてくれたんだ。そりゃ結果だけ見れば相手にもなってなかったかもしれないけど、私はそれだけで十分満足だった。普通誰かに殴られたりしたら痛くて悔しかったり、苦しいものだけど、アイツとのケンカの後は何だか清々しいくらいだったぜ」
「そうそう、貴女のことは分かったけど、あの子はなんで魔理沙の申し出を受けたの? あの子からしたら魔理沙なんて虫みたいなもんでしょ」
「虫とは酷いな……どうなんだろう、アイツの考えてることは分からんぜ」
「それで、あんた、あの子にまた挑むんでしょ?」
「もちろん! 今度はもうちょっと頑張るから、霊夢も協力してくれよ」
それから私は三度目の「バカ」を魔理沙にぶつけて、それでこの話は終わった。
☆ ☆ ☆
神社についた私たちは、早速、魔理沙のため特訓を開始する。前回は相手の顔も見えず、適当な授業になってしまったが、今回は目標がはっきりしている分、私にもやることは見えてくる。
「打倒、牛太郎!!」
私は大声で魔理沙に叫んだ。しかし魔理沙は私の鯨波の声にポカンとした顔をしている。
「牛太郎って誰だよ」
そういえば牛太郎というのは私が勝手に付けたあだ名だった。
「貴女の倒すべき相手よ。牛に似てるから牛太郎」
「霊夢も酷いあだ名つけるな。けど……確かに牛に似てるかも。いいぜ。打倒牛太郎だ!」
魔理沙はニカっと笑って賛同してくれた。魔理沙も牛太郎の本名は知らないらしい。
「それで、何をすれば私は牛太郎にケンカで勝てるようになるんだ?」
「無理よ。あんたが牛太郎に勝つのは無理」
「さっき打倒とか言っといていきなりそれかよ」
「魔理沙は牛太郎に勝てない。まずそれを認めなさい。そもそもあんたは体重差ってのを分かってなさすぎよ。あんなに体重差があったらどれだけ技術を磨いても絶対に勝てないわよ」
「そんなことないだろ? 『柔能く剛を制す』とか言うじゃないか」
魔理沙は不満げにいうが、それはあまりに素人な考えである。
「それはお互いの剛が均衡してる時しかなりたたないの。仮に魔理沙が柔道の黒帯で牛太郎がズブの素人だとしても体重が倍離れてたら勝つ事はできないわね」
「じゃあどうするんだよ。私はアイツに勝てませんじゃ話が終わってしまうぜ」
「慌てないで。要するに普通のやり方じゃ絶対に勝てないってことよ。多分だけど貴女の理想としては牛太郎と拳や脚をぶつけ合って、ねじり臥せたいって感じでしょう?」
「まぁそれが出来れば最高だけど……私だってそれが無理ってことくらいもうわかるぜ。あれだけ散々ぶちのめされたんだからな」
魔理沙の言葉はどこか寂しそうでもあった。私はただ「そうね」と返す。ただ、それは1回目から気づいて欲しかった。
「つまりだ、霊夢。普通のやり方じゃないやり方ってのがあるんだろ? それを教えてくれよ」
「結論から言うわ。貴女が牛太郎に勝つために狙う場所、それは……」
「それは……」
「金(きん)よ!」
私は堂々とそう宣言したのだが、魔理沙は再びポカンとした顔をしている。
「金? 負けてくれって買収でもするのか?」
「何いってるのよ。ケンカにおける金なんて一つしかないでしょ。金的よ」
魔理沙はしばらく考え込んでから答えにたどり着いたのか、頬を紅潮させた。
「き、金的って……何いってんだよ。わ、私だって一応女なんだから、そんなの……」
この子は散々に殴り合いがしたいとかいって何を言っているんだろう。今更乙女ぶっても仕方ないというのに。
「ケンカにおいて相手の急所を狙うのは基本よ? 相手の弱点を狙うのは卑怯じゃなくてむしろ誠実といえるわ」
「ひ、卑怯とはそういうのじゃなくて……なんて言うか……」
「魔理沙は牛太郎の金を狙うのがイヤなの?」
「イヤだぜ!」
魔理沙はキッパリと断言した。問答無用の魔理沙の拒否に、私は一つ「ふむ」と頷く。
「そっか、ならもう一つの選択肢しかないわね……」
「なんだよ、他にもあるんじゃないか。そっちにしてくれよ」
「もう一つは『目』よ。確か目への攻撃は禁止されてなかったわね? 目つぶしの技を教えるから、牛太郎の眼球を抉り取れるようになるまで特訓をしましょう。基本としては、眼窟に指を引っ掛けて、テコの原理で眼球を外に押し出すように……」
「わ、分かったよ。金的練習するから、グロいこと言わないでくれ」
不承不承ではあるが、ついに魔理沙も折れた。魔理沙にとって眼球抉りはよっぽど嫌なものらしい。役に立つんだけどなぁ、眼球への攻撃は。例えば魔獣系の妖怪相手の時に、こうビシっと……まぁ、それはいいか。
「分かってくれて結構。じゃあ次に進むわね。とりあえず魔理沙。あなたは金的について何を知ってるの?」
「はぁ!? いきなり何いってんだよ!?」
「いいから答えなさい」
魔理沙は顔を真っ赤にしながら、
「し、知ってるっていっても、小さい頃に風呂で見た親父のヤツくらいしか……」
アホなことを言い始めたので、私は思い切り頭をはたいてやった。
「そういうこと聞いてるんじゃないわよ! 攻撃対象としての金的よ」
「そ、それならそうと言って欲しいんだぜ……」
魔理沙は頭を抑えながら涙目になっていた。
「私には分からないけど、やっぱり痛いんじゃないか? よく男が股間を抑えてジャンプしてるのとか見るからなぁ」
「痛いなんてもんじゃないわね。金的攻撃は間抜けな印象があるけど内蔵への打撃ということで非常に有効な攻撃手段なの。更に防御もしづらい。男にしかない急所を狙わない手はないわ。でも一方で金的攻撃はリスクもある」
「リスク?」
「金的攻撃は大きく分けて二種類あるの。ストライキングとグラップリング。要するに叩くか握りつぶすかってことね。握りつぶしは……無理そうね」
魔理沙が「うんうん」と素早く首を縦に振っている。
「だから貴女が狙うのは金への打撃。でもこれはさっきも言ったけどリスクがある。言うよりも実際にやってみましょうか。魔理沙、私に金的攻撃してみて」
「え、でも霊夢に金はついてない……もしかして、ついてるのか? 風呂とか一緒に入ってたのに全く気づかなかったぜ!?」
私はもう一度魔理沙の頭をはたく。
「ついてるって想定するのよ!」
「何回も叩かないで欲しいんだぜ、タンコブが出来ちゃうじゃないか」
「貴女がバカな事言ってるからでしょ」
魔理沙はブツクサ言いながら仕切り直して、私の股間を凝視した。股間を打撃する手段は拳と脚の2パターン。だが、魔理沙の貧弱な拳をいくら鍛え上げても牛太郎の金にダメージを与えられる程にはならないだろう。必然的に選択肢は脚での蹴りに限られる。
魔理沙がそこまで頭を回したのかは分からないが、すこし逡巡してから私の股間に向かって脚を蹴り上げてきた。
体重移動や蹴りの軌道。身体の動かし方も知らない魔理沙の前蹴りはいかにも遅い。私は難なく右手で魔理沙の脚を簡単に受け止める。
「もう一回同じように蹴ってみて」
私の言う通りに同じ軌道でやってきた魔理沙の蹴りを今度は私は右に躱し、そのまま魔理沙の軸足を両手で刈った。
タックルされた魔理沙は背中から後ろに倒れ込んで地面に組臥される。
「こうなったらもう終わりね」
魔理沙を立ち上がらせてもう一度同じことをさせる。今度は避けるだけでなく、魔理沙の蹴りを受け止め、宙に浮いた足首を腋で極めてやる。いわゆるアキレス腱固めだ。
凄まじい激痛だろう。魔理沙が「きゃああああああ」と甲高い悲鳴をあげた。
「い、痛いぜ!」
私が足首を解放してやると、魔理沙が涙目になって足首を摩っていた。ちょっと力を入れすぎたかな?
「要するに、金的攻撃の為に脚をあげると、それを掴まれたり、軸足が無防備になったりしちゃうってことね。まぁ金的だけじゃなくて蹴り全般にいえることだけど」
「じゃ、じゃあどうすればいいんだよ」
魔理沙が心配そうに言う。確かに、このままでは八方ふさがりのように見えてしまうだろう。
「それは、まぁ特訓あるのみね。素早く、それでいて重く掴まれにくい蹴りを習得しなきゃ、貴女に勝ち目はないわ。でもね、逆にいえばそれを習得すれば、貴女にもわずかながら光明が見える。練習は厳しくいくけど、覚悟はいいかしら?」
普段の魔理沙なら、ここで子供のように笑って「よっしゃぁ!」とでも拳をあげていだのだろう。しかし、魔理沙は私の言葉にも反応せず、視線を地面に落としたままであった。
おそらく魔理沙は気づいているのだろう。私の言葉にウソがあるということを。
「なぁ霊夢。私がこれからその、金的蹴りの特訓をしてさ……」
「ええ」
「そもそも、アイツに当たるのか?」
魔理沙のもっともな疑問。思い起こされる牛太郎の巨躯。重心は低く、それでいて腕も長いという、まさに天賦の体格を持っている。魔理沙は想像したのだ。相手を目の前にして、その股間に自分が蹴りを叩き込むためには、気が遠くなるほどの距離をつめなければいけないということを。
魔理沙からすれば如意棒のように長い牛太郎の腕。それをくぐり抜けてもそれから更に洞窟のように深淵な牛太郎の懐に身をいれ股間にまで足を伸ばさなければいけないのだ。
果たしてわずか数ヶ月の特訓で、その距離を縮められるのだろうか? 魔理沙はそう考えたのだろう。
「それにさ……私は金的の痛さを知らないけど、やっぱりアイツが金的一発や二発で倒れてくれるとは、到底思えないんだ……」
魔理沙のもう一つの疑問。これもまた実にもっともな意見である。あの筋肉と耐久力の塊のような牛太郎に、仮にあらゆる困難を乗り越えて金的を最大限の威力で入れたとして、彼は果たして負けを認めてくれるだろうか。普通の少年であれば、その時点で一本取られたということで負けてくれるかもしれない。しかし牛太郎は、理由は分からないが魔理沙に対して本気で向かってきているのである。魔理沙が一撃を喰らわせ悶絶に至っても尚、襲ってきそうでならない。
魔理沙も最初はただ何も考えずに殴り殴られがしたかっただけであったのに、やはり勝ちたいという気持ちが湧いてきているのだろう。高い壁ほど昇りたがる子だ。
どうしたら牛太郎に勝てるかこの子なりに色々頭を巡らせているのだろう。
「魔理沙、貴女の疑問は実に正しいわ。貴女が数ヶ月……いえ数年特訓をした所で、牛太郎の股間には届かないし、万が一届いたとしても勝利にはたどり着けない」
「だ、だったら私はどうすれば……」
「だから……私は貴女にもう二つの技を授けるわ。一つは牛太郎の股間に届かせる技。もう一つは貴女を勝利に導く技。これで、今度こそ本当に貴女は勝てるようになる」
私は指を二本立てて、魔理沙に突きつける。その二本の指は魔理沙へのVサインに他ならない。
魔理沙は私の言葉を聞いて、ようやくいつも通りの彼女の可愛らしい笑顔に戻ってくれた。
☆ ☆ ☆
それからの魔理沙の努力はとてつもないものだった。
彼女のモチベーションは最初は単なる好奇心と、男の子への嫉妬だったのだろうが、今は一つの目標に向かってまっすぐに突き進んでいる。元々難しい課題に挑む時の方が輝く子なのだ。
こうなると牛太郎には「ありがとう」と言わなければいけないかもしれない。あの時は魔理沙を殴ろうとしたひどい悪ガキとしか思えなかったけど、見方を変えれば誰かと思い切り殴りっこしたいという子どもじみた魔理沙の想いを受け止めてくれたのは幻想郷ではあの子だけだったとも言える。
(そういえば、何も考えていなかったけれど、次に牛太郎が魔理沙の挑戦を受けてくれるとは限らないんじゃないのかしら?)
そういう発想に至ったのは特訓が開始されてから2ヶ月は経った後だった。二度にわたって魔理沙とケンカしたから「もういい。飽きた」、「これ以上やっても無駄」と牛太郎が考えてしまう可能性は十分にある。
その時はどうしたもんだろう。
しかし私のそんな心配は杞憂に終わった。
3ヶ月が経ち、これなら勝算があると私が判断し、牛太郎に送った果たし状を、彼はもの言わず受けたのだった。
こうして魔理沙の三度目の挑戦が決まった。
ケンカ場に一人で現れた牛太郎は、気のせいか3ヶ月前よりも一回り大きくなったように見えた。三度目の正直になれるよう魔理沙は頑張っていたが、それにしても牛太郎は大きすぎる。よくよく考えれば、彼はまだまだ成長期真っ盛りの少年なのだった。3ヶ月も経てばますます大きくなっていたとしても不思議ではない。
「言葉は要らない。さっさとやろう。ルールは前回と同じでいいんだろう?」
牛太郎が低い声で呟くように言う。顔には覇気がある。前の時と同じく、魔理沙に対して一切手を抜く気はないようである。だが、それでいい。それこそが私たちが望んでいるものなのだから。
「ああ、いいぜ」
魔理沙が足を軽く開いて、緩く開いた拳を構えた。姿勢としては空手のそれに近い。その構えを見て牛太郎は何ら顔色を変えない。だが、私には分かる。彼が今、何を考えているのか。『前と同じじゃないか、博麗の巫女がついていながら結局は何の策もなしか』。おそらくこういうことだろう。
しかし、それは大きな間違いである。魔理沙は牛太郎を倒すため、この三ヶ月間、寝る間も惜しんで頭を巡らせ、また身体を虐めぬいてきたのだから。
「安心しなさい、魔理沙は強いわよ。なんてたって必殺技があるんだからね」
「必殺技……?」
「そうよ、必ず殺すと書いて必殺技。まぁ秘密にしておくのはフェアじゃないから教えてあげる。魔理沙の必殺技は、いわゆる金的攻撃。股間への蹴りよ」
牛太郎の眉がピクンと動いた。動揺とまではいかないが、私の言葉に何かしらの心の動きがあったようだ。
だが牛太郎はすぐに気を元に戻し臨戦態勢を作った。
「言葉は要らないと言っただろう。そろそろ始めさせてもらっていいか?」
「おう、来いよ! ボコボコにしてやるぜ!」
今度は魔理沙が指をクイクイと曲げて、牛太郎を挑発する。彼は魔理沙の挑発には何ら反応は示さなかったが、それが開戦の合図となった。
牛太郎が腰を落とし、じりじりと魔理沙に距離を詰めてきた。前回と同じ姿勢。前の魔理沙はここで牛太郎の顔に拳を当てたのであるが、彼からすればそれは撫でられているようなもので、すぐに足を刈られて馬乗りにされてしまった。
今回の魔理沙の狙いは金的であるけど、やはりというべきか牛太郎の懐の深さは驚異的であった。
私たちの課題はどうやって牛太郎の股間までの距離を詰めるかにある。換言すれば、どう牛太郎の隙を作るか。
布石はケンカに前に既に置いてある。
なぜ私がわざわざ金的という魔理沙が狙っているものを牛太郎に教えたのか。なぜそのことを魔理沙が何も言わなかったのか。
牛太郎の姿勢は一見前回と変わらないように見える。だが、よくよく見ると少し違う。前回よりも姿勢が低い。いや、というよりこれは、わずかとはいえ腰が引けていると言った方が正確だろう。ここに金的とは別の、牛太郎の弱点があった。
ゆったりと近づく牛太郎に、魔理沙が左足で思い切り踏み込んだ。
彼女の小さな身体全体をバネのように用いた、力強い踏み切り。
それに対して牛太郎は、あからさまにどう対処していいのか分からず一瞬身体を硬直させた。そしてその直後の牛太郎の行動。彼は更に腰を後ろへ下げ、股間を魔理沙から距離を取ったのだ。そんなことをしなくても魔理沙の短い足は彼の股間には到底届かないというのに。むしろ前に前進するだけで魔理沙の蹴りは簡単に潰すことができるのに。
これが一見無敵のように見える牛太郎の弱点。すなわち金的攻撃への不慣れ。
彼の弱点というより、少年一般の弱点といえるかもしれない。牛太郎は股間を攻撃されることははじめてに近いはずだ。
確かにケンカというのは何でもアリだ。だけどケンカは殺し合いではない。眼への攻撃の禁止、金的攻撃の禁止など、お互い暗黙の了解というものがそこには確かに存在するのである。眼への攻撃を許せば、ケンカはたちまち殺し合いになる。金的攻撃は男同士だからこそお互いに攻撃を控える急所。
牛太郎がいくらケンカ自慢とは言っても私のように殺し合いをしたことがないのは致命的だった。彼ももう少しすれば「ケンカ」ではなく、より純粋な闘争に近い争いに身をやつすかもしれない。その戦いでは金的も目も何でもありになるだろう。むしろ積極的に狙っていくべき急所だ。
だけど今の彼はまだまだ不慣れな子供なのだ。
見かけに騙されてはいけない。
弱点はある。
そこをつく。
魔理沙の踏み込みは金的攻撃をするためのものではなかった。牛太郎のように巨大な身体を持っていても、そこまで腰を引かせてしまっては見えてくるものがある。
彼の顔はいまや魔理沙の拳が最も体重を乗せられる高さにまで下がっていた。前回魔理沙は彼の顔を何度も殴ったが、それは彼女が拳に体重を乗せる技術を知らなかったこと。そして、牛太郎の顔の位置が魔理沙の顔より高くあり、全くエネルギーが伝わっていなかったこと。
しかしその二つの問題は今、解決されている。そして牛太郎の視線は魔理沙の足に集中し、彼女の拳は全くのノーマークである。
今度は。
いける。
「はぁああ!」
魔理沙はこの三ヶ月間、幾度となく打ち込んだ掌底を、最も体重が乗った状態で、意識の外から牛太郎の顔面に思い切りぶちこんだ。牛太郎が右目をつむり、苦しそうに顔を歪めた。
単なる掌底ではない。
それなら牛太郎にダメージはない。
それほど体重差があるのだから。
魔理沙が打ち込んだ場所、それは彼の眼球。
牛太郎は魔理沙の足ばかりに視線がいっていて、不意にきた魔理沙の掌底に目をつむることすらできず直撃を喰らった。
眼を攻撃されて無事な生物は存在しない。牛太郎も例外ではない。
魔理沙の小さな手は、人間の眼という小さな的を狙うには逆に適していた。
思い起こせばこの技を教えた時の魔理沙の嫌がりようと言ったらなかった。
『……結局、眼なのかよ……』
私は嫌がる魔理沙に、勝つためだとなだめすかして説得し、どうにかして納得して練習してもらうところまでいきついた。魔理沙からしても眼球抉りよりはマシだったらしい。
逆にいえば、ここで眼球を抉っていればその時点で勝負アリだったのだけれど……
それはともかく、一時的とはいえ右目を失った牛太郎であるが、まだ左目が残っている。
牛太郎はどうにかして体勢を立て直そうと、距離を取ろうとするが、魔理沙は隙を逃さない。逃しては彼女に勝ち目はない。
今度は先ほどのように深く踏み込む時間はない。よって素早い連撃に移るために、掌底を打つ際に前に移動した右足をそのまま軸足にする。
私の目から見ても、魔理沙の動きは機敏だった。身体こそ小さいが彼女の体幹は普段から箒に乗ることで鍛えられている。
小回りは速い。
パチン。
魔理沙の、今度は張り手に似た打撃が、今度は牛太郎の左目を襲う。
うん、当たった。
いい角度だ。
いい音もした。
遠心力で勢いもついている。
これでわずかな時間ではあるけど、牛太郎の視界を完全に奪う。
後は。
どうかしら?
牛太郎は両目の視界を奪われ、後退すら忘れ、身を屈めた。
視力を奪われた生物が身体を丸めるのは本能である。
おそらくは顔や内蔵といった急所を守るためにそうなっているのだろう。
しかし、人間の内蔵の中に、たった一つだけ後方から無防備になる器官が存在する。
最初の掌底から休みなしの3度目の踏みこみ。
牛太郎の身体の横にぎゅっと踏み込んだ魔理沙は足ごと身体全体を回転させ、遠心力で勢いを付けて最終目標に届かせる。
それこそ私と魔理沙が死ぬ程に狙った獲物。
牛太郎の金である。
「くっ、らえええええぇ!」
グシャっとイヤな音がした。
いくら体重の乗った魔理沙の蹴りとはいえ潰れるということはないであろう。
しかしその効果は覿面であった。牛太郎は恐ろしい痛みに、顔を歪め、ついには片膝をついた。
だが私たちの予想した通りだ。
彼はまだ顔に光を残している。
視力を奪われたといっても一度距離ととって、数秒もあれば回復する程度のものだろう。金的への打撃も確かにとてつもない痛みであろうが、気絶するほどではない。それほど彼と魔理沙には体重差がある。
だが、魔理沙にとっては牛太郎が悶絶し、しかも目が見えていない今が最後のチャンスである。
私が魔理沙に教えたもう一つの技。
牛太郎にとどめを刺すための技。
究極にして単純極まりない。しかしそれでいて絶対に逃れることのできない本当の意味での必殺技。
魔理沙は牛太郎に背中から抱きつくように彼の首に手を回して締め上げた。
技の名前は裸締め。
腕全体で首を締める柔術の一手。
この技に体重差なんて関係ない。首を鍛えることは出来ても気管と血管を鍛えることは不可能なのだから。
牛太郎の顔は血と酸素の流れが止まり、真っ赤に充血した。彼の牛のような形相と相まって、ほとんど妖怪のようである。
「ぐぎぎぎぎぎぎいいいい!」
牛太郎は恐ろしい表情で獣のようなうめき声を出した。当然彼も死に物狂いで抵抗する。後ろにおぶさった魔理沙の顔や背中を思い切り拳で叩いた。
だが、背中に負う魔理沙への攻撃は全く体重が乗らない手打ちになる。それでも相当痛いであろうが、魔理沙なら根性で十数秒ほどは耐えられるはずだ。
魔理沙も必死である。
歯を食いしばって、絶対に腕を離すまいとしている。
そりゃ当然よね。私はこの数ヶ月、魔理沙がどれだけ頑張ったのか知っている。もうすぐ手に入る魔理沙がどうしても欲しかったもの。
勝つということ。
弾幕でも魔法でもなく、男の子と拳でぶつかり合って戦うこと。女の子でも男の子に勝てるということの証明。
それが彼女がどうしても欲しかったものなのだから。
かっこいいわよ、魔理沙。
すごくかっこいい。
貴女は私ができないことをいつもやってくれる。
私の目はよく見えすぎる。出来る事もできないこともすぐに分かってしまう。
だけど魔理沙はそうじゃない。自分の行動に蓋をしない。彼女の中にあるのは出来るか出来ないかじゃなくて、やりたいかやりたくないかだけなのだ。
それは。
私にはないものだ。
私には手に入らないものだ。
だから。
頑張って欲しい。
あと少し。
油断しちゃだめよ。
うん、大丈夫かな。優勢と勝利は違うものだとと、魔理沙には何度も教えたんだから。
今の彼女なら骨を折られたって、牛太郎の首から手を離すことはない。
牛太郎はいくら殴っても魔理沙が離れないことを察し、進退窮まり、最後の手段として勢いをつけて軽くジャンプして背中から地面に魔理沙を叩き付けようと宙に飛んだ。体重90キロを超えそうな牛太郎の身体に思い切り押しつぶされたら、気合い十分の魔理沙とてどうなるかわからない。
だけど、これを堪えれば魔理沙の勝ちだ。
ここまで来たらどちらが勝つのか、もう運かもしれない。いえ、意地と言った方がいいわね。神頼みなんて、魔理沙らしくないもの。気に入らないのなら神さまにだってちょっかい出すような子だから。
魔理沙の意地が勝つか、牛太郎の意地が勝つか。
ズドン。
凄まじい音がして地面に二人が倒れ込んだ。
地面に接触した瞬間に牛太郎は気絶したようであった。目が上に向き、身体から力が抜けている。
息が止まったまま体躯を大きく動かせば心臓と肺が不全を起こしやすい。それに加えて、地面に落下した衝撃でより首を締めることになってしまったのだろう。
さて、あとは魔理沙の意識があればあの子の勝ちなのだけれど……
「魔理沙、生きてる?」
「話しかけないでくれ、霊夢! あ、あと少しなんだ……」
生きてた。
私は魔理沙の肩をポンポンと優しく叩いてやる。
「もう終わりよ」
「霊夢、ジャマするなって……え?」
「この子はもう気を失っているわ」
私の言葉に魔理沙が呆けた顔をした。そしてそれから恐る恐る腕を離して、立ち上がった。
ケンカといってもわずか1分にも満たない短い時間。裸締めに至るまでなら、10秒少ししか経っていないだろう。
これも必然である。正攻法の体力の削り合いをしたって魔理沙に万の一つの勝ち目もないのだから。
だから、これもまた正攻法。体力・体格に劣る子が、優れる子を倒すための策。
魔理沙は、はぁ〜はぁ〜と荒い息を整えながら、ようやく状況を理解する。彼女の足下には意識を失った牛太郎の巨体。
魔理沙の完全勝利であった。
「か、勝ったのか?」
「ええそうよ、貴女の勝ち。気分はどう?」
私は魔理沙に勝利の美酒の味を尋ねた。あれだけ欲しかったものを手に入れた気持ちは格別に違いない。
「……あ、そうだな、うん」
「どうしたの?」
しかし魔理沙がなぜか言いよどむ。まだ勝ちの実感が湧いていないのだろうか? 無理もない。あれだけの巨体が自分の目の前に倒れているのが、魔理沙には信じられないのだろう。今にも牛太郎が起き上がってきて、続きを始めようとするかもしれない。つい、それに備えてしまうのも仕方ないことだろう。
しかし、どうやらそうではなさそうであった。
「こいつ」
息を荒げながら、魔理沙は倒れていた牛太郎に視線を向けていた。
「強かったな」
「ええ、そうね。でもそんなことは最初から分かっていたことでしょ?」
魔理沙は今更何を言っているのだろうか。
「いや、そうじゃなくって……なんて言うか、気持ちの強さっていうか。こいつの首を締めるために抱きついてたときさ、こいつが私に対して強い感情をもっているのが凄い伝わってきたんだ。前の2回は私はそこまでいけなかった。こいつを本気にさせることが出来なかったんだ。でも今なら分かる。こいつが本気で私に対して……敵意でもなくて。だから私は……なんて言うんだろう、この、私の、こいつへの気持ち」
魔理沙が牛太郎を見つめながら言った。
その気持ちは分からないでもない。この子がいなければ魔理沙も私もここまで頑張ることは出来なかったのだから。男の子にケンカで勝つ。そんなバカげた夢を魔理沙が抱いた時、勝負を受けてくれたこの牛太郎がいたからこそ、いまこの瞬間があるのだ。
だから、魔理沙の感情の正体、それは。
「感謝ね」
「感謝?」
予想していなかっただろう言葉に、魔理沙がおうむ返しに言い放つ。
「そうよ。貴女はこの子に感謝してるのよ。自分と手合わせしてくれてありがとう。手加減しないでくれてありがとうって。少なくとも、私はこの子に感謝してるわよ? 貴女は違うの?」
「感謝か……うん、そうかもしれないな。私もそれだと思う」
魔理沙と私は目を交わしてから、倒れままの牛太郎の向かって、黙って礼をした。ケンカというより武道の試合が終った時のようである。
「霊夢、こいつを介抱してやってくれないか? 流石に私がするのも変だし」
「そうね……貴女はどうする?」
「そうだな、と、とりあえず私は……お、おっと」
魔理沙が急に足下をふらつかせた。私は倒れそうになる彼女の腰に手をあてて身体を支えてやった。
「あらら、緊張の糸が切れちゃったのね」
短いとはいえケンカの最中は興奮していて多少の痛みなんて身体が無視してしまう。しかし、それが終れば普段と同じように激痛が帰ってくるのである。
考えてみれば、最後ののしかかり。90キロの牛太郎に思い切りのしかかられて、魔理沙にダメージがないはずがない。
下手すればどこか骨や内蔵に傷がついているかもしれない。
「いっ、いたたたたたたたた……な、なんだよこれ」
ケンカ慣れしていない魔理沙は急に身体のあちこちが痛み始めたことに驚いているようであった。弾幕勝負じゃどれだけぼろ負けしようがこうはならないものね。
「貴女は少し休みなさい。ほら肩を貸してあげるから」
「ちぇっ、せっかく勝ったってのに、ちょっと格好わるいぜ?」
ぶつくさ言う魔理沙の肩を抱えながら、私は広場の側にあった木の幹の根元に魔理沙を座らせてやった。
「ここでしばらく休憩ね。私は牛太郎を起こしてくるわ」
「ああ、頼む」
私は頭をフラフラさせている魔理沙に背を向け、牛太郎に足を向けた。それから彼の肩を軽く揺すってやる。
ちょっと触れただけでも牛太郎の身体が筋肉の鎧で覆われているのがよく分かった。
こんな子によく勝てたなぁ、魔理沙は。
もし私がこの子と戦うということになったらどうなるだろう。
私も一応ケンカというか、素手での戦いもそれなりに出来る。魔理沙との特訓だって、模擬戦を幾度と重ねたけれど一度も負けなかったくらいの強さはもっている。
だけど、この牛太郎の大きな身体に対して、生身で向かっていく勇気は私にはない。魔理沙に与えた策だって、次はもう通用しないはずだ。この子があと5年もすればより実戦的なケンカの経験だって積んでいくに違いない。
そうなればますます隙はなくなる。
だけど、それでも私はこの子には負ける気が全くしない。
簡単なことだ。私が牛太郎と戦うことになったら、この子の手の届かない上空から延々と弾幕を張ってやればいいだけなのだから。
仮に牛太郎が空を飛べるようになったとしても、私には捕まらない自信があるし、いざとなれば夢想封印でいなしてしまえばいい。
純粋な闘争ではこの子は絶対に私に敵うことはない。
でも、魔理沙が望んでいたのはそういうことじゃない。彼女から言わせれば私が今言ったやり方は「かっこわるい」のだ。
純粋な闘争となれば手段は選ばないのが一番の真摯というもの。勝つ為に使えるのに使わないなんてのは相手への無礼へあたる。
でもケンカはそうじゃない。卑怯な手を使うのは「かっこわるい」のだ。
ルールは曖昧である。例えば牛太郎は魔理沙が使った金的や目への攻撃を「かっこわるい」とは言わないだろう。なんでもありのルール無用。それが2人の間に交わされた約束だからだ。「目を狙うなんて卑怯だ」なんて牛太郎が言うはずもない。それは別に「かっこわるく」はない。
だけど例えば私の言ったように、魔理沙が箒にのって空からマスタースパークを連射したらどうだろう。魔理沙は確かに勝てるかもしれない。何でもありというのなら、魔法を使う事に文句が言えるはずもない。
でもそれは2人に言わせたら「かっこわるい」ことだと思う。
そう考えればケンカと、私が考えたスペルカードルールよく似ている。スペルカードルールは妖怪や神が人間と戦う為に、ある種の手加減をして戦う闘争だ。
スペルカードルールはどちらが強いかを決める戦いではない。どちらがより「うつくしい」かを決める戦いである。
だから絶対に避けられない弾幕や、破る手段なく永遠に続く弾幕などは「うつくしくない」ものとして忌避される。
「かっこよさ」を競うケンカ。
「うつくしさ」を競うスペルカードルール。
全く違うように見えても、その根幹は似たようなものなのかもしれない。
「そろそろ貴方も起きなさい」
私はなかなか起きない牛太郎の頬を軽くペシペシ張って、意識を取り戻してあげた。
牛太郎は軽く呻きながらようやく重たい瞼を上げて、私の顔を見た。
「大丈夫かしら?」
私は牛太郎のことを心配するフリをした。聞くまでもなくこの子は平気だろう。数秒血を止められただけだから外傷もないし、多少意識が混濁しているかもしれないが、すぐに回復するに違いない。それこそ今すぐにもう一戦できるくらいの体力は存分に残っている。少なくとも、肉体的には全く問題ないはずだ。精神的には……どうかしらね。
「俺は……負けたのか」
牛太郎は上半身を起こして、頭を抱えながらぼそっと呟いた。
「ええ、あの子の勝ちよ。卑怯と言うかしら?」
目突き、首締め、金的。見る人が見れば反則技のオンパレードだ。ケンカならお互いの拳と拳でぶつかり合えという人だっている。
「言う訳ないさ。俺にだって一応プライドはある」
牛太郎はいつも通りの無愛想な顔でそう言った。
予想通りの言葉に、私はおもわずクスっと笑ってしまった。それから私はちょっと彼にいじわるをしてみたくなる。
「どう、負けた気分は?」
「悔しい。もちろんな」
「悔しいの? あんまりそうは見えないけれど?」
牛太郎の顔にあまり負けた悔しさは浮かんでいない。スッキリしている訳ではないが、私の目にはケンカの前と何も変わらないように見える。
「ケンカで負けたのは初めてだからな。どういう反応をしていいか分からないんだ。しかも相手はあの魔理沙っていうんだから、自分でも驚いてるよ。油断はなかったはずなんだがな」
牛太郎は、木に背中を付けていつの間にやらスヤスヤと眠り込んでいる魔理沙を見つけ、じっと視線を送っていた。ケンカに負けたこの子は果たして魔理沙に対して何を思っているのだろうか? まさか今度は牛太郎が魔理沙に復讐戦を挑むでもあるまいし。そうなったら今度はどんな策を使おうが魔理沙に勝ちの目はない。
流石に魔理沙ももう牛太郎とやりたいなんていうはずもないでしょ。
「そういえば今日は貴方の友達はいないのね。前は4人もいたのに」
私は、牛太郎に万が一にも「もう一度魔理沙とやりたい」と言わせないために、ちょっと話題を与えてみた。
それに、そのことは少し気になっていたから。
前のときは牛太郎の側にはヤンスをはじめ4人の友人がいたはずだ。今日はなぜいないのだろう。単に呼ぶまでもなく魔理沙を叩きのめすことが出来るとでも考えたのだろうか。
「ああ、あいつらには絶交されたよ」
「えっ、絶交?」
牛太郎から帰ってきた言葉は、流石の私でも驚くものであった。
「なんで絶交なんてされたのよ? ケンカでもしたの?」
以前彼らを見たときは子分達は牛太郎のことをずいぶん慕っていたように見える。仲違いではなく絶交という強い言葉。お前とは金輪際、縁を切るという意思表示。
彼らの間に一体何があったのだろうか。
「あんたも言ってたじゃないか。女の顔を殴る男のクズと誰が友達でいたいんだ。今回俺がまた魔理沙の果たし会を受けるって聞いて、みんな軽蔑の言葉を残して俺から離れていったよ。一度目も二度目もあいつらには相当反対されてたのに、まただからな。仕方ないさ」
牛太郎の説明は半分私を納得させ、半分させなかった。確かにこの子の言う通りだ。牛太郎がそうであるように、子分達も男らしくあろうとしていたのは分かる。だから、魔理沙のような少女の顔を殴る者を男の風上にも置けないと見限ってもおかしくない。
おそらく牛太郎の子分は最初はもっといたのだろう。何と言っても里一番のケンカ上手なのだ。性格だって悪くなさそうだ。そんな男の子に子分……というか友達が4人というのは少ないと思っていた。
多分、私が見ていない魔理沙との緒戦の時点で牛太郎と絶交した少年たちも多かったんだろう。そして残った4人も3ヶ月前の第二戦で去っていった。そこまでは理解できる。
そうなのだ、理解できないのはただ一つ。
「……前から疑問だったんだけど貴方、なんで魔理沙のケンカなんて受けたの?」
この2ヶ月間、私は牛太郎の情報をそれとなく集めたりもしていた。寺子屋での牛太郎の評判は悪くないどころか、むしろかなり良好なものだった。
「けして弱いものイジメをしない優しい子」「見かけは仰々しいが筋の通った少年」そんなことを言われている牛太郎が魔理沙の顔にその巨大な拳を振り下ろしたというのはいかにも不自然であった。
しかも1度ではない3度にわたってだ。嗜虐趣味ではないはずだ。そんな少年ではない。 何がこの子を突き動かしていたのか。それは誰に聞いても、いくら考えても分からなかった。友達を失ってまでこの子は一体何がしたかったのか。
私の真剣な目をした質問に、牛太郎は私から視線を逸らして、じっと地面を見つめていた。
私はそれでも牛太郎から目を離さなかった。それを見て牛太郎は根負けしたかのようにしぶしぶ口を開いた。
「初めてだったからだ」
「初めてって、……何が?」
言葉足らずの牛太郎の言葉に私は先を急かす。
「アイツに声をかけられるのがだ。いつも下から見上げるだけだったからな。決して届かないと思っていた」
牛太郎は数瞬虚空を見つめてから、もう一度、私に顔を戻す。
「巫女さん、あんた俺の顔をどう思う?」
「え、顔?」
突然の質問に私は言葉を失う。私はこの子に初対面で牛太郎というあだ名をつけた。だから「そうね、牛にそっくりかしら」、それが正直な想いなのだが、本人の前をそんなことを言う訳にもいかない。いくら私でもそれくらいの分別はある。
「ふふ、案外ウソが下手なんだな。巫女さん」
だが、私の沈黙と表情で牛太郎は私の考えを察してしまったようであった。私は思わず口に手を当てた。
「そうなんだ。俺の顔はまるで獣のように醜い。雄々しいと褒めてくれる大人もいるが、けして女に好まれる顔じゃあない」
彼の言葉には重々しい響きがあった。『自分の顔が他人に。異性にどう思われているのか』。牛太郎のほんの10年と少しの短い人生だけれど、この子もその間に色々なことを経験し、覚り、諦めてきたのかもしれない。
彼の台詞からはそんなことが伺えた。
「だから、いつも眺めてるだけだった。箒に乗って自由に空を翔る星のようなアイツを、獣が掴めるはずがない。そう思ってたんだ。一生縁がない。アイツにふさわしいのはもっとツラがよくて、アイツの横に並んで絵になる奴なんだろうって。それが初めて声をかけられた。ほんっとに良い笑顔でな、こんなでかい身体した俺に威勢よくいうんだぜ? 『決闘を申し込む!』ってな…………それだけのことが、俺には死ぬほど嬉しかった」
牛太郎ははじめて年相応の表情を私に見せた。はにかむように照れくさそうに笑ったのだ。その笑みは見かけの仰々しさとはかけ離れた純粋で青々しいもので、見ていた私まで少しドキっとしてしまう。
しかし牛太郎はすぐにまた顔を戻し、今度は少し苦そうにして話を続ける。
「だが、アイツの望むのは、アイツの……俺が長いこと焦がれたその顔に拳を振り下ろす事だった。そりゃ俺だってイヤだった。そもそも俺が身体を鍛えていたのはアイツを守りたかったからなのに、それがまるで逆じゃないか。だが、もし俺があの時、アイツの頼みを断っていたら、俺とアイツは一生関わることが出来ない。そんな予感がしたんだ。有り得ない縁だとしても、それが唯一だとしたら俺は失いたくなかった。だから俺はアイツが望むままに殴ったんだ。それがたった一つ、俺とコイツが交わることの出来る方法だったから……」
牛太郎の口から吐露されたのは、余りにも不器用な牛太郎の想いだった。よく無神経と言われる私でも、牛太郎が魔理沙を殴る時の気持ちを想像するだけで胸が痛くなる。
この子がほんの少しでも気が利いた人に相談できれば彼もそんな惨めな想いをしなくてすんだはずだ。
だけど、多分この子は誰にも相談できなかったんだろう。人生ではじめて経験する思春期の心の動き。どんな少年にとっても他人にその心を打ち明けるのは億劫になりがちになる。牛太郎は、獣のような自分があの子にそんな想いを抱いてるなんて口が裂けても言えないことだったのかもしれない。
牛太郎が漏らす本心を、私は黙って聞いていた。
「だがもう終わりだ。巫女さん、あんたの言う通り、俺はクズだ。アイツと関わる価値もない。だけど俺は満足なんだ。一生触れる事すら出来ないと思っていた星に、一時だけど醜い獣が触る事ができたんだからな。最後にいい思い出になったよ。負けたのは悔しいけどな。安心してくれ。もう俺はアイツとは二度と関わらない」
「諦めるの? 想いも告げずに?」
気づいた時、私は牛太郎にそう告げていた。何か考えが有った訳ではない。この3ヶ月間、あの子が牛太郎に関してそういうことを話した覚えもない。ただ言いたくなっただけだ。
牛太郎は私の言葉に目を丸くさせて、すぐに「ふっ」と鼻で笑った。
「巫女さん、あんたはアイツと仲がいいんだろ? どうだい、俺に見込みはあるのかい?」
牛太郎が自嘲するような薄笑いを浮かべて私に言う。どうせ俺なんか無理に決まっていると信じ込んでいる表情。
だめね、その顔は「かっこわるい」わよ。
「逆に聞くけど、魔理沙は貴方に勝つ見込みはあったのかしら?」
それを聞くと牛太郎は「あっはっは」と大声で笑った。その笑い声はまさに牛のようだった。
そんな大きい声を出したらあの子が起きてしまうわよ。
「そうだよな、巫女さん。あんたの言う通りだ。全部正しい。本当に、俺は……」
「どうするの?」
「そうだな……ああ、巫女さん頼みがある」
「なにかしら?」
「この後、アイツの事は俺に任せてくれないか」
2人きりにしてほしい。そういうこと。
やると決めたら明日に回さず今すぐ実行に移る牛太郎は確かに良い男なのかもしれない。
私は笑って「良いわよ」と立ち上がった。
「私も魔理沙がどう思ってるか知らないけどね。一つだけ事実があるわ」
「なんだ?」
「魔理沙はこの3ヶ月間……いえそれ以上、貴方のことをずっと想い続けてきたってことよ。ご飯を食べてる時も、誰かと話している時も、寝ている時でさえ、貴方の顔を強く思い浮かべてた。それだけは私が保証する」
ほとんど冗談みたいなアドバイスだけど、私はそれだけ言うと牛太郎に背を向けて広場から去っていく。後ろから牛太郎が大声で「ありがとう、巫女さん」と言ってきた。私は顔も向けず、片手だけあげてそれに応じた。
あとは2人の問題だ。私が出る幕ではない。
果たして魔理沙は牛太郎の想いにどう答えるのだろう? 想像もつかない。一応私たちも年頃の女の子というやつなのに、あの子とは浮いた話なんて一度もしたことがない。だから魔理沙の好みとか、趣味とかも全く知らない。
もしかした次に会う時は牛太郎と2人で手を繋いでいるかもしれないし、逆に牛太郎のことなんて最初から知らなかったように振る舞うかもしれない。
魔理沙は普段は男の子のように振る舞っているけれど、時々私でも赤面してしまうくらいに少女になることがある。
だから案外、あっさりと結ばれる可能性もある。
けれど反対に、あっさりと断る可能性もある。
「悪いけど、好みじゃない」、「今は魔法の研究に集中していたい」。魔理沙の断る理由なんていくらでも見つかる。
だけど、どっちに転んでも殴り合いのケンカから産まれたものだと思うと、笑ってしまうくらいに奇妙な縁だった。
私は帰り道、空中に向かって拳を放ってみた。シュッシュと風が切れる音がする。どうやら私も牛太郎と魔理沙に感化されたところがあるらしい。私まで魔理沙みたいに誰かと身体をぶつけたくなってしまった。
考えてみれば、身体一つだけでの本気の争いなんて生まれてこのかた経験したことはない。それは一体どんな気分なんだろうか。
何事も経験だ。もし機会があれば私もやってみようかな、”ケンカ”ってやつを。
そういえばなんで魔理沙はケンカ相手を探してる時に、私に挑んでこなかったんだろう。私に遠慮してるわけじゃあるまいし。私を最後に倒すべきライバルとして取っておいたのか、それとも単に私とケンカしたくなかったのか。
私がそんな他愛もないことを考えていた時、ふと前を見ると20人近い少年の集団がこちらに向かって歩いてきた。
その中には見た事のある顔もあった。3ヶ月前に牛太郎と一緒にいた4人組。先頭近くにはヤンスもいる。
「どうしたの、貴方達?」
「は、博麗の巫女……」
ヤンスは声を震えさせながら精一杯の虚勢を張っている私の顔を見た。他の面々も大同小異である。どうでもいいのだけれど、なんでこの子達は私にそんな怯えているのだろうか。異変の時はそりゃあれだけど、普段の私は怖くなんてないはずなのに。
「お、俺達は……そ、そんなことよりオヤビンはどうした!?」
「あら、貴方達は確かあの子とは絶交したんじゃないの?」
「う、うるさい。質問に答えるでやんす!」
ふむ……どうやらこの子達は今から広場に行くつもりだったらしい。しかし、この子達に今広場に行かれては困るのだ。さてどうしたものだろう。
時間稼ぎをすること自体は簡単だ。適当にウソの場所を教えてもいいだろうし、もうケンカは終って牛太郎は帰ったとでも言ってやってもいい。
しかし、その時、私にある考えが浮かんでしまった。何とも下らない、頭の悪そうな考え。どうやら私も魔理沙のバカが移ってしまったようだ。
「ふふふ、あの子なら負けたわよ?」
「な、なんだと!? オヤビンが魔理沙に負けたっていうでやんすか!?」
ヤンスが血相を変えて私に怒鳴る。
「そうは言ってないでしょ。でも私の親友の顔を叩いた悪い子にお仕置きしてあげただけよ」
「どういうことでやんすか!? ちゃんと説明するでやんす!」
「紅魔の吸血鬼、冥界の亡霊、月の頭脳、地獄の烏、山の祟り神……私にはたくさんの知り合いがいてね。みんなで囲んで少しイジメテあげただけよ。安心なさい。殺してはいないから。一目に付く所に捨てておいたし、今頃お医者さんのベッドの上じゃないかしら? まぁ、何でもアリのルール無用だったわけだしね、文句はないでしょ?」
私の言葉に少年たちは一気に殺気立った。
「な、なんて卑怯な奴だ! ゆ、許せねえ!」
「お、オヤビンの仇!」
「やっちまえ!」
少年たちは興奮したまま、私をアリの這い出る隙間もないほどに取り囲んでしまった。
「私みたいないたいけな女の子相手にその数はひどいわね」
「何言ってやがる。お前が普通の女じゃないことは重々承知だ。こっちこそ卑怯なんて言わせないでやんす!」
「そう? なら私は普通の女の子として相手させてもらおうかしらね」
「な、なんだと!?」
「霊力は使わないわ。お札も弾幕も、空も飛ばない。この身体一つだけで相手してあげる」
「う、ウソをつくなでやんす!」
「本当よ」
ヤンスはそれから私の顔をじっと睨み続けた。私の意図を読み取ろうとしているのだろう。
彼が一体私の瞳から何を読み取ったのかは分からない。しかしヤンスは囲いから一歩前にでて。
「分かったでやんす。なら俺とタイマン張るでやんす」
ヤンスが私に重々しい口調でそう告げた。
「ふ、副親分。こんな奴にタイマン張る事ないですよ。みんなで囲んでやっちまいましょう」
「そうですよ。そもそも力を使わないなんてウソに決まって……」
「お前らは黙ってるでやんす!」
ヤンスが周りの少年達を大声で一喝した。
何と驚くことか、弱そうな見た目に反してヤンスは牛太郎に次ぐ副親分だったらしい。私の人を見る目もまだまだね。
ヤンスは少年の輪の中に入り、私と2人、対峙した。
「貴方、私の顔を殴れるの? 一応私も女の子なんだけど?」
「そ、それは……」
ヤンスたち少年が牛太郎と絶交した理由がまさにそれなのだ。ここで私の顔を何の罪悪感もなく殴れるのなら、最初から絶交なんてしていない。
ヤンスは迷いを振り払うように首をブンブンと横に振って、もう一度私を強く睨みつけた。
「博麗の巫女、お前がウソをついていないことは分かる。お前は力を使わないでやんす。だけど……俺はお前を殴るでやんす。守りたいものを守るためには女も男も関係ない。オヤビンだって、何かを守る為に魔理沙の果たし合いを受けたに違いないでやんす。そうじゃなくてもオヤビンには何か魔理沙を殴る理由があったはずで……何が可笑しいんだ!?」
顔を真っ赤にしながらそんなことをいうヤンスに、私は思わず「くくく」と笑ってしまっていたようだ。
「ご、ごめんなさい。つい可笑しくって」
「こ、このぉ、俺を舐めるなよぉ!」
きっとこの子たちは今から広場に行って牛太郎と仲直りでもしようと思ったに違いない。牛太郎はずいぶん子分に好かれているのね。
でも、済まないけれど広場には行かせる訳にはいかないのだ。広場は今は牛太郎と魔理沙だけの空間にしてあげないといけないのだから。
それにしてもこの子達も、さっき私が吸血鬼や神さまの存在をチラつかせてまで脅したというのに、勇気のあることだ。私の言がウソか分からない以上、ある種の無謀とも言える。勇気と無謀は紙一重。何と言っても私が本気になれば、先に挙げた面々を集めることは実際に可能なのだから。
だけど、今の私にはそんな彼らの無謀さが堪らなく愛おしく思えた。
「まぁいいわ、さっさとやりましょう」
私はそう言ってヤンスに構えた。腋を固め、身体を小さくする隙の少ない徒手空拳の格闘戦用の構え。これもあの人に叩き込まれた私の技術。わざわざ霊力を縛る機会なんて今までなかったから、実戦で使うのは今回が初めてなのだ。
ヤンスもキリと私を睨め付けたまま、臨戦態勢に入る。柔道の構えに近いだろうか。腕に力の入っていない良い構えに見えた。ヤンスの実力は知らないが、こんな大人数の中で牛太郎に次ぐ2番手ということはかなりの強さであろう。体重差はなくとも男女の筋力差は歴然としている。私の手では持て余してしまうかもしれない。
でも私はそれでもいいと思えた。殴り殴られ、拳をぶつけ合う。
魔理沙がしたかったことを私もやってみたいと思う。
とりあえず結果は二の次だ。
「でりゃあああああああああああああああ!」
ヤンスが私に向かって飛びかかってきた。
私の生涯初めてのケンカが今、始まる。
さてさて、がんばって「かっこよく」戦ってみようかしら。
もし友達からと返事したとして、身長差40cm以上体重差50kg以上はもの凄い犯罪臭がしますねw
でも魔理沙としては白蓮に教わっていた身体強化とかも卑怯なのかな、技術と言えば技術な気もしますが。
しかしこれも一種の弾幕ごっこかというか弾幕ごっこに収束したのかな
ヤンスにらしたら真剣なんだろうけど
霊夢の冷静な純粋なんだか病んでいるかわからない狂気?がなんとも言えない
個人的に弾幕ごっこが現実の格闘技や武道含めて決闘の完成形だと思っている
真の人道っていうのは決闘を戦いではなく決闘で済ますことにある気がする
決闘は相手への尊厳や人間愛を保ったままするものでやりすぎ無いことが大切
逆に戦いは相手への尊厳や人間愛を徹底的になくすものでやりすぎるという認識が大切
人道と非人道は決闘にするか戦いにするかであると思う
まあ決闘は甘えか尊厳かは人次第
でも、金的はいかんよ。金的は。
※欄みたらなお皆ギアがおかしくて狂ってるのは我か世界か状態
しかし牛太郎もヘタれて去るより結局殴るのを選んだんだからなんかなあ…って感じ
指で弾かれるだけでも痛いのに蹴られたりしたら小さい女の子の一撃でも悶絶しますって
下手すりゃショック死でんがな
殴り合いに憧れるってのはわからんでも無いけどルール無しは阿呆の所業ですよ顔面、つまり頭部への攻撃だって、命の危険があるから防具つけたりとか、禁止にされてるわけですし