「おめでとう、優曇華」
「おめでとう」
「おめでとう、鈴仙」
永琳も輝夜もてゐも兎達も、皆が鈴仙を褒め称えて手を打ち鳴らす。
既に杯を重ねて酩酊した鈴仙は、涙を零しながら、微笑んだ。
「ありがとうございます! 頑張って来ます!」
その笑みは晴れやかで美しく、本人が幸せを感じている事は間違い無かったが、何処かぎこちなく危なっかしく見えた。
鈴仙は永遠亭の皆に送り出される所だった。永琳も輝夜もてゐも兎達も揃って庭に立ち、後簾の上がった牛車を背にする鈴仙を見つめている。
「優曇華、気をつけて行きなさい」
永琳の言葉は一般に使われる挨拶だが、心の内はその言葉通りの不安で満ちていた。
大丈夫だろうか。
鈴仙は言われた事はしっかりこなし、努力家で着実に成長し、永遠亭の平和を常日頃から願い、己の過去とも向き合いつつ、日日懸命に生きている。
それは永遠亭の中の共通認識だ。
しかし、調子づきやすく、少し褒められると周りが見えなくなり、良かれと思った事が裏目に出たり、何かと詰めが甘い。一度失敗すると後を引き、ちょっとの失敗で塞ぎこむ。
それもまた永遠亭の中の鈴仙に対する共通認識だ。
それは一緒に暮らす上では、親近感の湧く可愛げだが、一人で異変を解決しようとする今回に限っては、何かしでかしてしまうんじゃないかと皆が心配している。
「大丈夫ですよ、師匠! そんな大した用事じゃありませんし! ちょちょいっと済ませてきますから」
不安だ。
鈴仙を見つめる全員が、同時にそう思った。
明らかにやる気に溢れている。悪く言えば気負い過ぎだ。肩に力が入っている。今にも何か失敗しそうだ。
だがまだ何の失敗もしていない今、不安だからやめておけと言ったら、鈴仙が落ち込むのは目に見えているから誰も何も言えない。鈴仙の事を信じて待つ事しか出来ない。
「じゃあ、行ってきます!」
そう言って、鈴仙が牛車に乗り込もうと段差に足を掛けた。
途端にスカートが木枠に引っかかり、それを外そうと、鈴仙がスカートに手を掛けた瞬間、態勢を崩して、そのまま地面に倒れた。
周りが驚きの声を上げ、誰かが「優曇華!」と悲鳴を上げた。
鈴仙は慌てて起き上がり、大丈夫ですと気恥ずかし気に笑ったが、誰もそれを大丈夫とは思えなかった。
「待ちなさい、優曇華」
永琳は厳しい顔になり、鈴仙に近寄る。
「師匠、嫌だな。怖い顔して。大丈夫ですよ」
「これを持って行きなさい」
そう言って永琳が優曇華に錠剤を渡した。
「これは?」
「気分を落ち着ける薬。あなたは焦ると碌な事をしない」
大丈夫ですと言いかけた鈴仙の方を、永琳が強く掴む。
「変な失敗をして永遠亭の名を傷つけてもらっては困るの」
永琳の冷たい言葉に鈴仙が身を震わせ、慌てて首肯した。
「それからこれも持って行きなさい」
「これは?」
「ルナティックガン。D─ブレーンを粉砕し、対象を物理量を無視して消滅させる兵器よ。最大出力で太陽系まで吹っ飛ばせるわ」
「ちょ! 何てもの持たせるんですか!」
「持って行きなさい」
「こんな危ない物を使わなくたって」
「どうやら自分の力を過大評価している様ね。あなた如きが己を過信しても良い事なんて何も無い」
また強い調子で言われて、鈴仙は落ち込み、項垂れた。確かに師匠の言う事は尤もで何も言い返せない。でも手に持った兵器については最小出力で使おうと思った。
鈴仙は何だか浮かれていたのが申し訳無くなった。今回、異変解決という晴れ舞台を任された事が嬉しかった。大勢の人前に出る事になるのは嫌だったが、自分が人前に出る事で永遠亭の良さも知ってもらえる。永遠亭の評判をあげられる。永遠亭に貢献出来ると思うと胸が高鳴った。みんなの役に立つんだと意気込んでいた。けれど、永琳に自分の実力の無さを叱責された所為で、自信が完全に砕かれてしまった。
自信が無くなると浮かれていた所為で見えなかった事が見えてきた。大勢の人前に出るという慣れない事に緊張し、嫌いな戦いに参加しなければいけないという恐ろしさも湧いて、心臓が早鐘の様に鳴りだした。
鈴仙は首を振って嫌な思考を打ち払う。
今更後になんか引き返せない。
とにかく頑張って、永遠亭に泥を塗らない様にしないと。
「師匠、それじゃあ、行ってきます」
「待ちなさい。これも持って行きなさい」
まだあるのかとうんざりしつつ、次は何を言われるんだろうと怖くなった。
永琳が差し出してきたのは、呼子笛だった。
「駄目だと思ったり、危なくなった時は、これを吹きなさい。助けに行くから」
鈴仙はそれを恐縮して受け取り、溢れそうになった涙を拭う。全く信用されていない。全く一人前と見做されていない。鈴仙はずっと永琳と輝夜に認められたくて頑張ってきた。永遠亭の家事も薬の販売も頑張った。最近では薬の調合も一人で任せてもらえる様になり、ようやく一人前になれて月の頭脳の片腕になれたと誇らしく思っていたのに。
「気をつけて行きなさい、優曇華」
念を押す様な永琳の言葉に、鈴仙はただただ頷いて、見送ってくれる皆に弱弱しい笑顔で手を振り、牛車に乗った。
床に座ると、屋形が持ち上がり、牛車が動き出す。
牛車に揺られながら永琳に言われた事を思い出して溜息を吐いた。
自分の手に持つ錠剤と銃と笛に目を落とす。
それは鈴仙にとっての弱さの証だ。
ここまで信用されていないとは思わなかった。
自分を過大評価しようだなんて思っていないが、それでも少し位、認めてもらえていると思っていた。
けれど手の中には永琳から渡された証がある。
否定のしようがない己の未熟さに、鈴仙は唇を噛み締め、涙を拭った。
その時、突然簾が持ち上がり、輝夜が入ってきた。
「鈴仙! 元気出して!」
突然抱きつかれた事にパニックを起こす鈴仙を、輝夜は無理矢理押し倒し、鈴仙の頭を自分の腿の上に載せる。
「輝夜様! どうして!」
混乱している鈴仙を膝枕に載せて、輝夜は満面の笑みで覗きこむ。
「永琳に色色言われて落ち込んでいそうだったから励ましに」
「そんな態態。でも大丈夫です」
「そんな悲しそうな顔で? この後、困るんじゃない?」
輝夜の指摘に、鈴仙の顔が歪む。覗きこんでくる輝夜の目から逃れる様に、己の顔を両腕で覆い、喉の奥から込み上がってくる涙を必死でこらえる。
「別に私は」
こらえようとしたが無駄だった。涙が喉の奥にわだかまり言葉が湿り気を帯びる。
気が付くと、涙に似た弱音が口から漏れてきた。
「だって、私、今まで頑張って」
「うん」
輝夜が鈴仙の頭を撫でる。それが切っ掛けとなって、一気に涙が溢れてきて、鈴仙は言葉にならなくなった。
啜り上げる鈴仙の頭を撫でながら、輝夜は優しく語りかける。
「知っているわ。あなたがずっと頑張ってきた事。私達はとても助かっている」
鈴仙が泣き声を上げる。
「でも、師匠」
「認めてくれない?」
鈴仙が顔を覆いながら頷いた。
「頑張、たのに。全然、認めて、なくて。怒って」
「それはきっと心配しているからよ。怒った様に見えたかもしれないけど、心配しすぎてただけ」
「でも、駄目って! 碌でもないって! 過大評価だって!」
永琳の言葉をはっきりと思い出し、鈴仙は一際大きく泣いた。
輝夜はそれをゆっくりと撫でてから、鈴仙の顔を覆う腕に手を掛け、どかそうとする。鈴仙は首を横に振って、輝夜の手に抗おうとするが、結局輝夜の力に負けて、泣き顔を晒した。視線を合わせられなくて慌てて顔を背ける。
「鈴仙」
輝夜に呼ばれた。
それでも顔を背けていると、輝夜が再び「鈴仙」と呼ぶ。
輝夜の言葉には抗えず、鈴仙は輝夜と顔を合わせる。
輝夜の優しい笑顔が視界一杯に映る。その綺麗な笑みに見惚れて、涙が止まる。
「鈴仙、私も永琳もみんなもあなたの事を信用している。これは間違い無いわ。だからいつも鈴仙に頼りきりで」
輝夜が小さく笑いを漏らした。
「いつも忙しくしてしまって、申し訳無いわね」
「私はみんなの役に立てるのが嬉しくて」
鈴仙は慌てて否定しようとしたが、輝夜が鈴仙の顎を両手で包むので、鈴仙の口が止まった。
「ただ心配よ。今回は。異変を解決するなんて」
鈴仙の体が強張った。
輝夜にまで自分の力を否定されたと、再び泣きそうになる。
だが輝夜が両手を鈴仙の顎から頬に移し優しく撫でると、鈴仙は気持ち良さにまどろんで悲しみが霧散するのを感じる。
「でもそれはあなたを信用していないからじゃない。私も永琳もあなたがちゃんと異変を解決してくれるって知っている」
輝夜の手に撫でられる気持ち良さで鈴仙は言葉を発せないが、目では輝夜の言葉に疑問を呈した。その疑念を払拭する様に、輝夜が笑う。
「ようく思い出して、鈴仙。永琳があなたに何を渡したか」
不安を取り除く薬。強力過ぎる兵器。助けを呼ぶ為の笛。
「私達が心配しているのはあなたの力じゃない。あなたの心。永琳が渡したのはあなたに戦いを感じさせない為の物。薬は戦いのトラウマを消す為の物。銃は戦いを感じる間もなく終わらせる為の物。笛はあなたの代わりに戦いを肩代わりする為の物。ねえ、鈴仙。あなたは本当に戦いたいと思っているの?」
鈴仙の瞳が動揺する。戦争の光景が頭に浮かび、じわりと瞳を恐怖が浸し始めた。
「勿論幻想郷の異変なんてパフォーマンス。本当に命の取り合いになる訳じゃない。でも戦いは戦い。そう思うと怖いでしょう? 私達はね、鈴仙、あなたに戦いを押し付ける事に罪悪感を抱いているの」
鈴仙が動揺する瞳を抑え、しっかりと輝夜を見据えて、声を絞り出す。
「私は、みんなの、輝夜様と師匠のお役に立てるなら」
「その為に、あなたの手を汚して欲しくない。私達はあなたの事を掛け替えの無い大切な存在だと思っている。だから、あなたを傷つけたくないの」
「私は」
その瞬間、輝夜が鈴仙の額を軽く叩いた。
今までの重苦しい空気がそれで吹き飛んだ。
「今のはもしもの話」
輝夜が笑顔になって、明るい声をだす。
「え?」
「もしも本当に戦いになった時の話。でも今回は違う」
どういう事だろうと訝しむ鈴仙の頬を、輝夜はぎゅっと挟み込んだ。
「異変なんてパフォーマンス。単なる遊びで、気楽にやるものよ。ただね、あなたはあまりに真剣だった。そんな緊張していたら、単なる遊びも戦いに思えてしまう」
輝夜が腕を伸ばし、鈴仙の脇腹を突く。鈴仙の頭が跳ね上がり、覆い被さっていた輝夜のお腹にぶつかり、慌てて輝夜の膝から転げ落ちて、そのまま立板にぶつかった。
鈴仙は痛みに鼻を押さえながら身を起こし、輝夜が笑い声を上げているのを恨めしげに振り返る。
「輝夜様」
「そうそう。そうやって肩の力を抜きなさい」
そう言って笑う輝夜の笑顔が美しくて、鈴仙は思わず鼻に当てていた手を下ろした。
「さっきまでのあなたは私達の役に立とうたとうって体に物凄く力が入っていた。鈴仙、そんな緊張する事じゃないのよ。異変は遊び。緊張してやるものじゃない。あなたが兎の子達と遊んであげている時の様に、肩の力を抜いて笑顔でやりなさい」
輝夜の言葉で、異変解決の任を受けた昨日から、昨夜の宴の間も、さっきの見送りの間も、酷く緊張していた事に気が付いた。
けれど今は、すっかり心が落ち着いている。
永琳の言葉で落ち込んでいた心も無くなっていた。
輝夜に励まされた事にお礼を言おうと顔を上げると、輝夜は既に前の簾をあげて降りようとしていた。慌てて鈴仙が口を開く。
「輝夜様、ありがとうございます!」
「良いのよ、鈴仙。落ち着いてのんびりどっしり構えなさい。私みたいになりたいんでしょう?」
普段から抱いていた憧憬をはっきりと当てられて鈴仙は顔を赤らめる。
「ならどんな時だって、笑ってなさい。そして少しでも困ったら周りに頼りなさい。私の様にね」
そう言って、輝夜が牛車から飛び降りた。引き役の兎達の驚いた声が上がる。輝夜は気にせず目的地に向かう様に言って、駆け去って行った。
残された鈴仙はぼんやりと天井を見上げ、輝夜に言われた事を思い出して、自分の口の端を引っ張ってみた。そうすると輝夜や永琳、てゐやみんなの笑顔が思い出されて、無理矢理作った笑みはすぐに自然な笑みに変わった。
「おめでとう」
「おめでとう、鈴仙」
永琳も輝夜もてゐも兎達も、皆が鈴仙を褒め称えて手を打ち鳴らす。
既に杯を重ねて酩酊した鈴仙は、涙を零しながら、微笑んだ。
「ありがとうございます! 頑張って来ます!」
その笑みは晴れやかで美しく、本人が幸せを感じている事は間違い無かったが、何処かぎこちなく危なっかしく見えた。
鈴仙は永遠亭の皆に送り出される所だった。永琳も輝夜もてゐも兎達も揃って庭に立ち、後簾の上がった牛車を背にする鈴仙を見つめている。
「優曇華、気をつけて行きなさい」
永琳の言葉は一般に使われる挨拶だが、心の内はその言葉通りの不安で満ちていた。
大丈夫だろうか。
鈴仙は言われた事はしっかりこなし、努力家で着実に成長し、永遠亭の平和を常日頃から願い、己の過去とも向き合いつつ、日日懸命に生きている。
それは永遠亭の中の共通認識だ。
しかし、調子づきやすく、少し褒められると周りが見えなくなり、良かれと思った事が裏目に出たり、何かと詰めが甘い。一度失敗すると後を引き、ちょっとの失敗で塞ぎこむ。
それもまた永遠亭の中の鈴仙に対する共通認識だ。
それは一緒に暮らす上では、親近感の湧く可愛げだが、一人で異変を解決しようとする今回に限っては、何かしでかしてしまうんじゃないかと皆が心配している。
「大丈夫ですよ、師匠! そんな大した用事じゃありませんし! ちょちょいっと済ませてきますから」
不安だ。
鈴仙を見つめる全員が、同時にそう思った。
明らかにやる気に溢れている。悪く言えば気負い過ぎだ。肩に力が入っている。今にも何か失敗しそうだ。
だがまだ何の失敗もしていない今、不安だからやめておけと言ったら、鈴仙が落ち込むのは目に見えているから誰も何も言えない。鈴仙の事を信じて待つ事しか出来ない。
「じゃあ、行ってきます!」
そう言って、鈴仙が牛車に乗り込もうと段差に足を掛けた。
途端にスカートが木枠に引っかかり、それを外そうと、鈴仙がスカートに手を掛けた瞬間、態勢を崩して、そのまま地面に倒れた。
周りが驚きの声を上げ、誰かが「優曇華!」と悲鳴を上げた。
鈴仙は慌てて起き上がり、大丈夫ですと気恥ずかし気に笑ったが、誰もそれを大丈夫とは思えなかった。
「待ちなさい、優曇華」
永琳は厳しい顔になり、鈴仙に近寄る。
「師匠、嫌だな。怖い顔して。大丈夫ですよ」
「これを持って行きなさい」
そう言って永琳が優曇華に錠剤を渡した。
「これは?」
「気分を落ち着ける薬。あなたは焦ると碌な事をしない」
大丈夫ですと言いかけた鈴仙の方を、永琳が強く掴む。
「変な失敗をして永遠亭の名を傷つけてもらっては困るの」
永琳の冷たい言葉に鈴仙が身を震わせ、慌てて首肯した。
「それからこれも持って行きなさい」
「これは?」
「ルナティックガン。D─ブレーンを粉砕し、対象を物理量を無視して消滅させる兵器よ。最大出力で太陽系まで吹っ飛ばせるわ」
「ちょ! 何てもの持たせるんですか!」
「持って行きなさい」
「こんな危ない物を使わなくたって」
「どうやら自分の力を過大評価している様ね。あなた如きが己を過信しても良い事なんて何も無い」
また強い調子で言われて、鈴仙は落ち込み、項垂れた。確かに師匠の言う事は尤もで何も言い返せない。でも手に持った兵器については最小出力で使おうと思った。
鈴仙は何だか浮かれていたのが申し訳無くなった。今回、異変解決という晴れ舞台を任された事が嬉しかった。大勢の人前に出る事になるのは嫌だったが、自分が人前に出る事で永遠亭の良さも知ってもらえる。永遠亭の評判をあげられる。永遠亭に貢献出来ると思うと胸が高鳴った。みんなの役に立つんだと意気込んでいた。けれど、永琳に自分の実力の無さを叱責された所為で、自信が完全に砕かれてしまった。
自信が無くなると浮かれていた所為で見えなかった事が見えてきた。大勢の人前に出るという慣れない事に緊張し、嫌いな戦いに参加しなければいけないという恐ろしさも湧いて、心臓が早鐘の様に鳴りだした。
鈴仙は首を振って嫌な思考を打ち払う。
今更後になんか引き返せない。
とにかく頑張って、永遠亭に泥を塗らない様にしないと。
「師匠、それじゃあ、行ってきます」
「待ちなさい。これも持って行きなさい」
まだあるのかとうんざりしつつ、次は何を言われるんだろうと怖くなった。
永琳が差し出してきたのは、呼子笛だった。
「駄目だと思ったり、危なくなった時は、これを吹きなさい。助けに行くから」
鈴仙はそれを恐縮して受け取り、溢れそうになった涙を拭う。全く信用されていない。全く一人前と見做されていない。鈴仙はずっと永琳と輝夜に認められたくて頑張ってきた。永遠亭の家事も薬の販売も頑張った。最近では薬の調合も一人で任せてもらえる様になり、ようやく一人前になれて月の頭脳の片腕になれたと誇らしく思っていたのに。
「気をつけて行きなさい、優曇華」
念を押す様な永琳の言葉に、鈴仙はただただ頷いて、見送ってくれる皆に弱弱しい笑顔で手を振り、牛車に乗った。
床に座ると、屋形が持ち上がり、牛車が動き出す。
牛車に揺られながら永琳に言われた事を思い出して溜息を吐いた。
自分の手に持つ錠剤と銃と笛に目を落とす。
それは鈴仙にとっての弱さの証だ。
ここまで信用されていないとは思わなかった。
自分を過大評価しようだなんて思っていないが、それでも少し位、認めてもらえていると思っていた。
けれど手の中には永琳から渡された証がある。
否定のしようがない己の未熟さに、鈴仙は唇を噛み締め、涙を拭った。
その時、突然簾が持ち上がり、輝夜が入ってきた。
「鈴仙! 元気出して!」
突然抱きつかれた事にパニックを起こす鈴仙を、輝夜は無理矢理押し倒し、鈴仙の頭を自分の腿の上に載せる。
「輝夜様! どうして!」
混乱している鈴仙を膝枕に載せて、輝夜は満面の笑みで覗きこむ。
「永琳に色色言われて落ち込んでいそうだったから励ましに」
「そんな態態。でも大丈夫です」
「そんな悲しそうな顔で? この後、困るんじゃない?」
輝夜の指摘に、鈴仙の顔が歪む。覗きこんでくる輝夜の目から逃れる様に、己の顔を両腕で覆い、喉の奥から込み上がってくる涙を必死でこらえる。
「別に私は」
こらえようとしたが無駄だった。涙が喉の奥にわだかまり言葉が湿り気を帯びる。
気が付くと、涙に似た弱音が口から漏れてきた。
「だって、私、今まで頑張って」
「うん」
輝夜が鈴仙の頭を撫でる。それが切っ掛けとなって、一気に涙が溢れてきて、鈴仙は言葉にならなくなった。
啜り上げる鈴仙の頭を撫でながら、輝夜は優しく語りかける。
「知っているわ。あなたがずっと頑張ってきた事。私達はとても助かっている」
鈴仙が泣き声を上げる。
「でも、師匠」
「認めてくれない?」
鈴仙が顔を覆いながら頷いた。
「頑張、たのに。全然、認めて、なくて。怒って」
「それはきっと心配しているからよ。怒った様に見えたかもしれないけど、心配しすぎてただけ」
「でも、駄目って! 碌でもないって! 過大評価だって!」
永琳の言葉をはっきりと思い出し、鈴仙は一際大きく泣いた。
輝夜はそれをゆっくりと撫でてから、鈴仙の顔を覆う腕に手を掛け、どかそうとする。鈴仙は首を横に振って、輝夜の手に抗おうとするが、結局輝夜の力に負けて、泣き顔を晒した。視線を合わせられなくて慌てて顔を背ける。
「鈴仙」
輝夜に呼ばれた。
それでも顔を背けていると、輝夜が再び「鈴仙」と呼ぶ。
輝夜の言葉には抗えず、鈴仙は輝夜と顔を合わせる。
輝夜の優しい笑顔が視界一杯に映る。その綺麗な笑みに見惚れて、涙が止まる。
「鈴仙、私も永琳もみんなもあなたの事を信用している。これは間違い無いわ。だからいつも鈴仙に頼りきりで」
輝夜が小さく笑いを漏らした。
「いつも忙しくしてしまって、申し訳無いわね」
「私はみんなの役に立てるのが嬉しくて」
鈴仙は慌てて否定しようとしたが、輝夜が鈴仙の顎を両手で包むので、鈴仙の口が止まった。
「ただ心配よ。今回は。異変を解決するなんて」
鈴仙の体が強張った。
輝夜にまで自分の力を否定されたと、再び泣きそうになる。
だが輝夜が両手を鈴仙の顎から頬に移し優しく撫でると、鈴仙は気持ち良さにまどろんで悲しみが霧散するのを感じる。
「でもそれはあなたを信用していないからじゃない。私も永琳もあなたがちゃんと異変を解決してくれるって知っている」
輝夜の手に撫でられる気持ち良さで鈴仙は言葉を発せないが、目では輝夜の言葉に疑問を呈した。その疑念を払拭する様に、輝夜が笑う。
「ようく思い出して、鈴仙。永琳があなたに何を渡したか」
不安を取り除く薬。強力過ぎる兵器。助けを呼ぶ為の笛。
「私達が心配しているのはあなたの力じゃない。あなたの心。永琳が渡したのはあなたに戦いを感じさせない為の物。薬は戦いのトラウマを消す為の物。銃は戦いを感じる間もなく終わらせる為の物。笛はあなたの代わりに戦いを肩代わりする為の物。ねえ、鈴仙。あなたは本当に戦いたいと思っているの?」
鈴仙の瞳が動揺する。戦争の光景が頭に浮かび、じわりと瞳を恐怖が浸し始めた。
「勿論幻想郷の異変なんてパフォーマンス。本当に命の取り合いになる訳じゃない。でも戦いは戦い。そう思うと怖いでしょう? 私達はね、鈴仙、あなたに戦いを押し付ける事に罪悪感を抱いているの」
鈴仙が動揺する瞳を抑え、しっかりと輝夜を見据えて、声を絞り出す。
「私は、みんなの、輝夜様と師匠のお役に立てるなら」
「その為に、あなたの手を汚して欲しくない。私達はあなたの事を掛け替えの無い大切な存在だと思っている。だから、あなたを傷つけたくないの」
「私は」
その瞬間、輝夜が鈴仙の額を軽く叩いた。
今までの重苦しい空気がそれで吹き飛んだ。
「今のはもしもの話」
輝夜が笑顔になって、明るい声をだす。
「え?」
「もしも本当に戦いになった時の話。でも今回は違う」
どういう事だろうと訝しむ鈴仙の頬を、輝夜はぎゅっと挟み込んだ。
「異変なんてパフォーマンス。単なる遊びで、気楽にやるものよ。ただね、あなたはあまりに真剣だった。そんな緊張していたら、単なる遊びも戦いに思えてしまう」
輝夜が腕を伸ばし、鈴仙の脇腹を突く。鈴仙の頭が跳ね上がり、覆い被さっていた輝夜のお腹にぶつかり、慌てて輝夜の膝から転げ落ちて、そのまま立板にぶつかった。
鈴仙は痛みに鼻を押さえながら身を起こし、輝夜が笑い声を上げているのを恨めしげに振り返る。
「輝夜様」
「そうそう。そうやって肩の力を抜きなさい」
そう言って笑う輝夜の笑顔が美しくて、鈴仙は思わず鼻に当てていた手を下ろした。
「さっきまでのあなたは私達の役に立とうたとうって体に物凄く力が入っていた。鈴仙、そんな緊張する事じゃないのよ。異変は遊び。緊張してやるものじゃない。あなたが兎の子達と遊んであげている時の様に、肩の力を抜いて笑顔でやりなさい」
輝夜の言葉で、異変解決の任を受けた昨日から、昨夜の宴の間も、さっきの見送りの間も、酷く緊張していた事に気が付いた。
けれど今は、すっかり心が落ち着いている。
永琳の言葉で落ち込んでいた心も無くなっていた。
輝夜に励まされた事にお礼を言おうと顔を上げると、輝夜は既に前の簾をあげて降りようとしていた。慌てて鈴仙が口を開く。
「輝夜様、ありがとうございます!」
「良いのよ、鈴仙。落ち着いてのんびりどっしり構えなさい。私みたいになりたいんでしょう?」
普段から抱いていた憧憬をはっきりと当てられて鈴仙は顔を赤らめる。
「ならどんな時だって、笑ってなさい。そして少しでも困ったら周りに頼りなさい。私の様にね」
そう言って、輝夜が牛車から飛び降りた。引き役の兎達の驚いた声が上がる。輝夜は気にせず目的地に向かう様に言って、駆け去って行った。
残された鈴仙はぼんやりと天井を見上げ、輝夜に言われた事を思い出して、自分の口の端を引っ張ってみた。そうすると輝夜や永琳、てゐやみんなの笑顔が思い出されて、無理矢理作った笑みはすぐに自然な笑みに変わった。