―ヒヨヒヨ―
世の中まったりと過ごした方が良い物だ。朝適当な時間に目が覚めて、一日必要な場所に行き、いつものように過ごし、時計も見ずに同じように過ごせたら幸せななのではないか。
ぼんやりとした睡眠の中で、霊夢がそう考えたのは、なにやらいつもと違う喧噪が聞こえてきたからである。
その日霊夢は普段より早く、小鳥のさえずりで目が覚めた。
寝ぼけ眼をこすり、何の変哲も無い庭を覗いてまず耳を塞いだ。庭の優雅な朝の情景とは相反し、さえずりは弾けない打ち上げ花火を乱射したのかと疑うほどの、けたたましさだった。
「あー! うるさい! 朝くらい静かに寝させなさいよ!」
堪らず外に出てみれば耳をつんざくような鳴き声の嵐。音源は裏手のジャノヒゲが生えている辺りらしかった。音に立ち向かうようにじりじりと近づいていくと、微かに人の声の様な物も混じっていた。霊夢が人差し指を耳に詰めて音源にたどり着くと、針妙丸が輝針剣を振り回し大量の小鳥と戦っていた。その数、数十はある。
「朝から騒々しい」という霊夢の言葉はさえずりにかき消されてしまった。
それでも針妙丸は気配には気づいたのか、必死に鳥と耳を指差し、その後に手でバッテンしてゆっくりと口を動かす。
き・こ・え・な・い。と言いたいのだろう、そんなことは分かっている。霊夢は手ごろな棒を拾うと縦横無尽に振り回しながら群れに突っ込んだ。
流石に霊夢相手に分があるとは思わなかったか、小鳥は棒をすり抜けるように躱し飛び出した。しぶとく桜や榊の枝に止まって居座る奴が居たが、それもひと思いに棒を振って追い払う。
やがて全員空の彼方へ去り安堵した。
「ひえー、まだ耳がぐわんぐわんしてるよ」
「朝っぱらから何襲われてるのよ、あんたを保護するのは起きてる間しか無理よ」
「奴らが……」針妙丸はがさがさとジャノヒゲに首を突っ込んだ。「実を食べてたんだよねー」
「そんな時期だっけ、鳥と争うくらい好きなの? 私も食べてみようかしら」
「私は食べないよ……宝石みたいで綺麗だし、見てると心安らぐじゃん。初めて見たときに世界にはこんな美しい物があるのかって感動したぐらいだよ」
「たかが草の実でしょうに」
針妙丸は気の抜けた返事をすると上半身が見えない状態で探し続けた。
ジャノヒゲの実は澄んだ瑠璃色をした綺麗な玉だ。鬱蒼とした葉の中に隠れているが、小鳥が啄ばむこともある。霊夢は足でジャノヒゲの根元を漁ってみたが、確かに見つからなかった。 あれだけ鳥が居たのだ、全て食べられてしまっていても、おかしくはない。
霊夢は欠伸を一つして針妙丸をむんずと引き抜いた。
「残念だけど全部食べられちゃったみたいね。ジャノヒゲなんて何処でもあるし、別のところで探しなさい」
どうどうとなだめる様に言うと、針妙丸は恨めしげに空を睨んでいた。
まあ何処かで実を見つけたら取ってきてやろうか。霊夢は密かに思いつつ、冴えてきた頭で予定を反芻する。今日は諸々に使う紙や食糧が足りてないので、買いに行くのだ。こんな所で雑草の実を探している暇では無い。
手早に境内の雑務を済ませると、里に向かった。
護符用の和紙や、割と良く破れてしまう障子紙を買い、その後八百屋等を物色する。まだこの時間だと新鮮な野菜を選べるのだ。遅く行くときに比べて品揃えも豊富だし、見たことが無い野菜や果物があると新世界を見たような気分で面白い。今日はアイスプラントとかいう見慣れぬ野菜があった。
霊夢は彩り鮮やかな野菜を嘗め回すように見ていたが、どうにも購入にまでは踏み出せなかった。
「最近野菜とか高いのよね、ちょっと負けてくれたら助かるんだけどな」
店主に聞こえるように独り言を言うと店主は突然イビキをかき始めた、まごう事なき狸寝入りである。
しかし最近高いのは本当だ。霊夢が勉強して貰うまで居座ろうかと考えていると、肩を叩かれた。
「お買い物ですか? 奇遇ですね」
「あれ、小鈴ちゃんじゃない」
声を掛けてきたのは貸本屋の小鈴だったが、不自然に体を傾けていて辛そうにしている。よく見ると掛けているバッグに大量のみかんがありオレンジ色の山が見える。
「重たそうね? 貸本屋まで持つの手伝うわ」
「お買い物はいいんですか?」
「いいのよ、寝てるから」
手ごろな風呂敷で半分程を霊夢が持ち、貸本屋に向かう。店主は最後まで狸寝入りのままだった。
「こんなに沢山、蜜柑好きだっけ?」
「好きですよ。でもこれは読み聞かせの時にでも配ろうと思ってるんです、今からやるのでオマケ」
ミカンを一つ取り出して小鈴は笑顔を見せる。
「へえ、身を削って配るなんて優しいじゃない、きっと皆喜ぶわね」
「いえいえ、貸本屋が好きになってくれれば大人になっても来てくれます。いずれはそのお子さんにも使ってもらえば、十分回収できますから」
「夢があるんだか無いんだか……」
「これが世の常というものです、とはいえ値が上がってるのにちょっと無理したかも」
小鈴ががま口を覗いてため息を吐いた。
「困ったことがあったら言ってね。力になる。お金以外なら。」
最後は頼られるといけないので、一際強く言っておく。
「はい。あ、早速ですがちょっとした妖怪騒ぎがあるようなんです」
「妖怪退治なら任せなさい」
「まあ気にしている人もそんなに多くないみたいなんですが――」
霊夢が一つ頷いた所で、貸本屋に到着した。暖簾をくぐると小さい子供達が待ちわびていたのか、小鈴に群がり始めた。霊夢はぶつからないよう慎重に店に入った。
「終わってからゆっくり話してくれたらいいから」
「はい、すいません」
霊夢も手伝って列を作り、蜜柑を配る事にした。純真無垢なだけあって、蜜柑程度でも喜んでいる。口々にお姉ちゃんありがとうなどと呼ばれ霊夢が口元を緩めていると、明らかに背丈の違う奴が目に入った。
とんがり帽子で白黒の奴、即ち魔理沙が素知らぬ顔で並んでいるのだった。
列が回って目の前に来ると、眩い笑顔で手を出した。
「お姉ちゃん、ありがとう」
「やめてよ気色悪い。あんたは対象外よ」
「年齢制限あるなんて聞いてないぞ」
「拳骨なら上げても良いけどね、年の数だけ大盤振る舞い」
「大丈夫ですよ、余りますから」
魔理沙はそれを聞いて小鈴の列に並び直し蜜柑を受け取っていた。呆れたが結局霊夢も一つ貰い、子供たちの後ろに陣取って読み聞かせが終わるのを待つことにした。
小鈴が手にしたのは絵本で、表紙には小さな黒い魚がぽつんといる。題はスイミー。
「で、あんたは本当に話を聞きに来たの?」
「そうだ。ただしあんな小魚の話じゃなくて、妖怪のだがな」
「魔理沙の方が耳は早かったみたいね」
霊夢が悔しげに少し眉をひそめる。それをみて魔理沙はふふんと鼻を鳴らした。
「まあな。だが最近出るってのは大入道らしいぞ」
「大入道かぁ、あんまりパッとしない奴ね……」
「霊夢さんたち、ちょっと静かにしてください」
「すまんすまん」
小鈴にむっとした顔で言われて二人は苦笑いで調子を合わせた。
スイミーは兄弟をマグロに食べられて失い、旅に出た。海の生物達を見て行き、岩陰に隠れた兄弟似の魚群に出会う。なぜ隠れてるのかと問えば、魚群は外にマグロが居て泳げないと打ち明けた。そこでスイミーは一計を案じる、ぼくが目になるよ。
結局ミカンを食べながら絵本を聞くはめになり、ぼんやりと話を聞く。小鈴は時々感想を求めるので知らない話は流すわけにもいかないのだ。
「つまりマグロってのは世にも恐ろしい凶悪な魚なんだな」
「そういうわけでは無いですよ、外の世界では食べられすぎて、数が減っているそうですし」
「誰が食べるんだよ」
「人間です」
「外の世界じゃスイミーも安心して暮らせてるってわけね。これで真のめでたしめでたしと」
「そういう問題でもないような……」
話が終わり、一息ついている小鈴に霊夢達は早速話を聞くことにした。
「それで本題だけど、妖怪ってのは大入道なの?」
小鈴は頷いて、読み聞かせ中にかけていたメガネを外した。
「脅かしてくるだけで、あんまり危険視されてないんですが……里で場所を問わず現れるんです。昔から偶に出るそうですが怖い人はきっと怖い筈ですし、退治できるならして貰った方がいいかなと」
「私が聞いた所でもひっくり返って頭打ったとか、腰を捻って仕事にならないとかあったな。退治した方が良いと思う」
霊夢も考えてみる。大入道は基本的に脅かすことしか能がない類の妖怪だ。里でもこの位なら問題とまで行かないこともある。妖精に毛が生えたようなものだからだ。しかし手加減しないやつだと二次的被害が出てしまい魔理沙の言ったように怪我が続くこともあり得る。
どこまでを本人の不注意とするか否かは判断が難しい。だが小鈴の話では、里の人は危険視しきれて居ないようだ。それならば多少大入道の方に喝を入れた方が良いだろう。
「私も賛成ね、見つけたら懲らしめてやんないと。具体的にはどういう奴なの?」
「見た目は黒い入道です、私も一度見ましたがとにかく大きくてびっくりしました。大きさは三間とか十間とか噂は絶えずですね。後は……食べ物を奪っていくとかいう話もあります」
「食べ物を? ただ出てくるって訳でも無いのね……」
それなら実害があると言っても良い気もするが、妖精もつまみ食いはするし認識としてはそんなものなのか。
「噛みついてこないだけ、ましでは有るがな」
「とにかく放っては置けないわね、ちょっと調べたりしてみる」
霊夢達は一先ず解散し、里の中を捜索した。霊夢は取りあえず大入道本体を探しつつ、聞き込みもしてみたが大きくて驚いた位しか情報が出てこないので、今ひとつ不明瞭だった。
霊夢は今の所一番怪しいと感じた命蓮寺の門をくぐった。軽く門前の山彦を蹴散らし進む。お目当ては小鳥に餌をやっている法衣風の衣装に身をまとった尼、の横にいる入道である。
「雲山が里の人を驚かし回る犯人だって言うの?」
「だって見るからに怪しいじゃない。どうみても入道だし、あと髭面だし」
霊夢が睨むと雲山は眉根を落として困り顔になった。
「短絡だなぁ。いつも私と一緒に居たけど、そんなそぶり一度も見せてないよ」
「妖怪の本能で、夜な夜な里に繰り出してるとか」
「そんなチンピラと一緒にしないで。その前に雲山だったら驚かすよりブン殴ってる」
「うーん、一理有るかも」
雲山は面食らった様に首を振ったが、霊夢は今回と関係ないのならどっちでも良かった。何かしたら容赦はしないと釘を打つように言って命蓮寺を出ると、魔理沙が門の前で待っていた。
「芳しくないようだな」
「まあ、あいつピンク色だしね。あまり期待はしてなかったわ」
もう夕暮れも近い、残念ながら一日収穫は無かった。
「だよな。さて今回は被害もあるんだ、早期解決のためにも一つ共同戦線の談合といこうぜ」
「談合?」
うむと大降りにに頷きつつ、魔理沙は手招きをした。
民家の横や小路地を抜けて、里の外れまで連れて行かれると屋台が一つあった。そこから甘いタレのにおいが香ってくる。思わずお腹を擦ってしまいそうになる美味しそうな香りだ。
「って夜雀がやってる屋台じゃない。談合って呑みながらやる気なの?」
「こんな時に何だが、話ついでに用があってな」
魔理沙は暖簾をひょいとくぐった。
「いいけどさ、なんか準備中っぽいわよ」
霊夢が追って暖簾をくぐると店主であるミスティアが小忙しそうに炊具を操っている。やはり仕込み中だ。
しかし霊夢達に気付くと待ってましたと手を布巾で拭いておしぼりやら箸やらをカウンター越しに置いた。
「いらっしゃい、巫女も一緒に来てくれるなんて嬉しいね」
「どういう事?」
「新作メニューの検討中だから味見を頼まれてたんだ。折角だしここで話そうぜ、お題は要らないだろ?」
ミスティアはこくこくと頷く。少々面倒くさいとも思ったが、ただ飯はそれなりに魅力的だ。
霊夢は逡巡し、無言で席に着くとミスティアは火も使わずに何かごそごそと調理を始めた。
その様子を眺めつつ、魔理沙は解せないという調子で口を開いた。
「大入道の件なんだが、ただの坊さんではないんだよな」
「でしょうね、食べたりするのは珍しい」
「そうか? 私は聞いたことあるけどな、人の家で飯を沢山食べてったとか、やたら喰う大入道の話」
「確かにそういう話もあるけど……弁慶だって大食いだったし、鬼だって体が大きくて大食いは定番でしょ。大食いが怪異に成るときはそこから猟奇性や武勇を取った存在なわけ、今回はそもそも人間味が薄いわ」
「なるほどな、驚かせるのも今回は高入道や見越し入道に近いか。それに私の聞いた話だと畑の野菜とかも持ってっちまうらしいから、よく考えたら大食いとはちょっと違うかもしれん」
「今の謎はそんなとこかしらね、せめて出てきてくれれば分かりそうなんだけど」
「黒い坊主って方が私は珍しく思うけどな、日焼けしてるってことなのか」
「そんなやんちゃ坊主いないでしょ……妖怪の坊主や入道には時々黒いのがいるのよ。詳しくは知らないけど海坊主は黒いって言うし、見越し入道も黒いと黒入道と言われてたりするし……。まあ法衣が黒いから、黒いのは変でもないでしょう」
「なんだ、取りあえず黒くて怪しい奴を見つけろって事だな。そう考えると居そうな気はするな」
「丁度隣に一人いるけどね」
霊夢がいつの間にか出ていたお冷に口をつけていると、目の前に皿が出された。かば焼きでは無く、ぶつ切りされたウナギが粘質な物体に包まれているという異質な物だった。
調理途中かと霊夢は思わずウナギとミスティアを交互に見たが、召し上がれと返された。
「ヤツメウナギのゼリー寄せだよ、食べてみて!」
魔理沙もぎょっとしているようだ。見ているわけにも行かず、取りあえず二人で一かけら口に放り込む。
仄かに香るレモンの香り、普段は取り除かれているウナギの骨の歯ごたえ、鼻に抜ける生臭さ。幸い胡椒が効いて臭みは多少抑えられているが、喉に通すのに苦労した。
「くは、うん、食えなくはないが」
「正直これは……美味しくはないわね、見た目もひどいし」
「そうかな? ぷるぷるして美味しそうと思ったのに」
「ぷるぷるとかゼリーったってこれ煮こごりみたいなもんでしょ。やたら生臭い……」
霊夢は目をつぶって咀嚼するが、味は殆ど無い。生臭さが全てに勝っている、そしてレモンと胡椒がそれを押さえるのに必死。これは料理なのだろうか。
「今からでも蒲焼にできんのか」
「料理を素材に戻すなんてできるわけないじゃない」
ミスティアは口をへの字にして言う。新メニューの試食で普段のを出せと言われれば怒るのも無理無いが、霊夢も食べる身としては戻して欲しいと思わざるを得ない。
「まあ、折角作ってもらったんだから食べるけどさ」
「食べてくれたら蒲焼もごちそうするよ」
「なら私も食べるぞ」
試食なのか罰ゲームなのか分からない状態になった頃、急に屋台が暗くなった。影は確かに伸び始めていたが、まだこんなに暗くは無いはず。三人で顔を見合わせた。
「あんた私を鳥目にしたの?」
「流石に鳥目じゃ夕方は暗く見えないよ、屋台が陰ってるみたい」
「つーことは、なんか居るってこったな」
魔理沙が屋台から飛び出し、霊夢も外に出てみれば夕日を隠すように黒い物体が天に届きそうな勢いで立っているのが見えた。ぱっと見視界に入りきらない程の高さだ。
「おおー、これが大入道か!」
魔理沙は口を開けて驚き、上を向き過ぎて落ちそうになった帽子を押さえた。二十間ほど先に立つそれに霊夢も唾を飲む。ミスティアだけは屋台の影からひっそりと見ていた。
「あんまり見上げない方が良いわよ。でも噂をすればなんとやら、ここで成敗してくれるわ!」
言いながら霊夢は懐の札を大入道の胴目がけて投げつけた。
ところが、大入道を吹き飛ばすでもなく貼りつくでもなく、ただすり抜ける様に何処かに行ってしまった。大入道は無傷で立っている。
「んん?」
「効いて無いみたいだな、なら私の番だな。大きい奴は大きい攻撃に限るってもんだ」
やや嬉々として言うと、魔理沙は八卦炉を構え早々に火を噴かせた。
「とういうわけで、マスタースパークだ!」
轟轟とした音と共に速射される虹色の光。大入道の胴を直撃するかと思いきや、大きな体を着弾しそうな場所だけぐにゃりと曲げて避けた。
トリッキーな動きに霊夢と魔理沙は呆然とした。
「意外とグニャグニャしてるというか、フットワークあるというか、足は動いてないけど」
「そんなのありかよ」
悔しそうにする魔理沙をよそに、大入道は手だか触手だかを屋台の方に突き出し、屋台を掴む様にぐっと包みこんだ。
ミスティアの「ひえー!」という悲鳴を残し屋台全体が見えなくなってしまう。霊夢達は追い払おうとも思うがさっきの様子から、直接攻撃をぶつけると屋台がどうなるか分かったもんじゃないと構えを解いた。
まあ、腐っても妖怪だ、あいつなら大丈夫そう。という楽観的観点も加わり手をこまねいていると、少しして屋台は解放された。魔理沙が形だけ心配そうに駆け寄っていく。
「おい大丈夫か?」
「けふけふ、なんとか」
若干せき込みつつも、ミスティアはぴんぴんしている。霊夢が大入道を睨み直すと、大きな体は突如紫がかる夕暮れに散開し始めた。
「あ、こら! 逃げるな!」
霊夢が制止するも聞く耳持たぬ大入道は細切れに霧散した。居なくなったことで夕日の逆光に目がくらんだこともあり、完全に姿を見失った。
それでも辺りを見回した後、どうしようも無いのを悟った霊夢は再び屋台の席に着いた。
「まだ食べる気あったのか」
「ごめん、私は何もなかったんだけど……」
ミスティアが申し訳なさそうに見てくる。ウナギのゼリー寄せは姿を消していた。
それどころか屋台の食べられそうなものは全部消えてしまったらしい。
「これは一杯食わされたな」
「ぐ、一杯も食べられなかったわね」
あまり美味しくは無かったが、人に食べられたと思うとほんのりとした怒りが込み上げてくる霊夢だった。
大入道は直ぐに消えてしまうらしく、出るのも不定期。時間は大体同じというのが分かったが、捕まえるのは困難を極める。被害が食べ物を奪われる程度で済んでいるのはむしろ幸いだ。霊夢も外に出たついでに探したりしているのだが、一向に出会えていない。警戒されているのかも知れない。これは策を練る必要があるだろうか。
「それにしても……本当見つからないのよね」
しゃがんで思わずつぶやいたのは、ジャノヒゲの実の事である。
あれから数日探しているのだが、大入道と同じで一向に見つからない。ジャノヒゲ自体はそう珍しい植物ではない。育てやすいし手はかからない、見た目も良好。庭さえあれば取りあえず生やしている家も多いのだ。にも身かかわらず一向に実が見当たらない。たまたま神社が早く実っていただけらしい。
いつでも見つかると思っていたものほど、探すと案外見つからないというのは良くあることである。大入道も、ジャノヒゲも。仕方なく神社に戻り、掃除したり札を作ったりと庶務を片づけた。
「霊夢、何だか元気がないね。行き詰ったって顔をしているよ」
「針妙丸こそ、城が全然進んでないじゃない」
城というのは最近針妙丸が入れ込んでいる、大きな城の模型のことだ。
「私はちょっとずつでも進んでるんだい。一人で作るんだからこんなものだよ」
「いつできるか分かりゃしないってのに……」
とは言っても、自分の方は全く進みが無いのだから強くも言い難い。
「やっぱり暗いね。そういう時は友達の所にでも行ってまったりするのが良いよ」
「友達ねえ、何だかまったり出来そうな奴はあんまり居ないのよね」
「居ないなら私が付き合ってあげても良いよ!」
嬉しそうに言われると反抗したくなるのは、アマノジャクだろうか。霊夢は一つため息をついて立ち上がった。
「あんたじゃ一緒に飲むには小さすぎるのよ。霖之助さんとこでも行ってくるわ」
「そう? じゃあまた今度ね」
針妙丸は屈託の無い笑顔でそう言った。
大入道とジャノヒゲを探しつつ香霖堂に着くと、店主の霖之助が店の前で何やら縄を弄っていた。
「そんな所でどうしたの霖之助さん」
「ああ、霊夢か……引き板をつけてるんだが、中々上手く行かなくてね」
「なんだ、そんなの簡単じゃない。ちょっと貸してみて」
霊夢は半ばひったくるように板を仕掛け縄に付けた。捜し物が見つからない手持ち無沙汰を解消するためにも何か手を動かしたかった。
引き板は鳴子の事で、引いて音が鳴る様にしたものだ。あっという間に仕上がり、紐の先を霖之助に渡した。
「流石だね、修理は得意だが大ざっぱな仕掛けを作るのは苦手だから助かる」
「こんなの朝飯前よ、でも鳴子なんてどうするの、泥棒避け?」
「それもあるが、もっと重要だ。まあ少し中に入ってお茶でもしていれば分かるよ」
「ふーん?」
もったいぶられた事に少し機嫌を損ねつつ、霊夢は香霖堂に入った。中は相変わらず奇抜な道具ばかりだ。季節を問わず羽子板からクリスマスツリーがあったりもするし、そもそも何に使うのかすら不明なものも多い。
霊夢は茶が出るまで棚をみる。勝手に缶を開けてくれる機械(電池無)、音楽を聴く道具(イヤホン)と一応説明書きがあるものもある。音楽を聴くのにそんな物付けてたら邪魔だろう等と考えていると、並んでいた箱の一つが気になって手に取った。ホコリを被った城の模型だ。針妙丸の物よりはだいぶ小さい。
「城に興味があるなんて意外だな」
「神社に居る奴が似たのを作ってるんだけどさ、こんなのに時間かけるなんて馬鹿みたいと思ってね」
「娯楽品なんてのは言ってしまえば時間を浪費させるための物だからね」
「しかもこれより大きくて何時できるんだか。どっかに落ちてたらしいけど」
軽く振ると中の部品が音を立てた。
「大きくなればなるほど、難しくなれば成る程、浪費する時間は増える。外の世界だと娯楽にかける時間も減っているらしいから、小さい物ばかりのようだけどね。神社にある物は度が過ぎていて幻想郷に流れ着いたんだろう」
「少ない時間を態々浪費させるなんて何考えてるのかしらね、外の奴らは」
「それが人というもんさ、人間は時間を浪費するために生きている。視点を変えれば仕事だろうが睡眠時間だろうが時間の浪費と言えるのさ」
「詭弁でしょう」
「そうかもね。けど人の趣味にとやかく言うもんじゃない、もっと広い視野を持つべきだ。世の中思っているよりずっとずっと広い」
霖之助は見もしない針妙丸や外の人の味方をしているのだ。
霊夢は詰まらないので口をとがらせつつ店内を見回した。すると外から羽ばたきの音が聞こえ、やがてさえずりを始めた。針妙丸が襲われていた奴らと同じだ。
「そうら来たな」
すかさず霖之助が窓に挟んでいた縄を引き、鳴子を鳴らした。からんからんと木の音が響き、鳥たちは何事かと飛び立ちやがて静寂に戻る。「よし」と霖之助は珍しくガッツポーズして見せた。
「わざわざ鳴子で追い払うほどの事?」
「何度も来るし、鳴き声がうるさくて読書も出来やしなかったんだ。折角植えていた白菜も食べるし、家の周りの物やたら啄むから、懲りて貰った」
霖之助が畑をやっていたという事に驚きながらも、ふと霊夢は気になった。
「ふーん、もしかしてジャノヒゲの実とかも食べちゃう?」
「ん、ああ……店の周りに少しあっただろうけど今回も漏れず全滅だ。あれは果実に見えるが皮以外は消化が難しい種そのものなんだよ、栄養もろくに無いはずなのに食欲旺盛なことだまったく」
無駄知識を聞きつつ、霊夢は脳裏に引っかかる物を感じた。
「ちょっと待って、今回もって、前にもこういう事有ったの?」
「ああ、知らなかったかい? 偶にあるかな、やたら鳥が沸く時期というか年というか」
それから数日、霊夢はジャノヒゲを探し回った。時には妖怪の山に入って聞いたりもした。
針妙丸のお土産というのもあるが、その辺りで一つ聞くことにしたのだ。
前にも似たような事があったかどうか。すると前にも有ったという噂がちらほら聞こえてきた、大入道と共に。
やはり関連性は否めないだろう。霊夢は確信するとまず風呂敷片手に香霖堂に向かい乱暴にドアを開けた。
「今日はどうしたんだい」
「霖之助さん、これ貸してよ。この間のお駄賃代わりにして良いから」
「貸しの方が多いと思うけど、そんなので良ければ上げるよ。どうせ時期が過ぎれば売れないしね」
「こんなの態々買いに来る奴居ないでしょう」
霖之助は黙って眼鏡をかけ直し、聞こえないと言わんばかりに本に目を落とした。
今度は鈴奈庵に向かう、そろそろ店じまいの準備らしく小鈴は山積みの本を整理していたが、霊夢は入るなりその手を取った。
「小鈴ちゃんちょっと手伝って。大入道退治するから」
「え、私がですか!? ちょ、ちょっと待って下さい正体も分からないのに」
「小鈴ちゃんの方が里には詳しいし、正体に関してはあの本と一緒だったのよ」
「あの本というのは一体……」
霊夢は児童書の棚を流すように見て本を抜き取って見せた。小さな魚がぽつんとある表紙。
「これこれ」
「スイミーですか?」
目を丸くする小鈴を前に霊夢は頁を捲った。
「ほら、この話って小さな魚が集って大きな魚に見せかける話でしょう? それとおんなじなのよ」
「確かにスイミーが目になって大きな魚のありをしますが……まさか大入道の正体が何かの群れだって言うんですか?」
「鳥よ。食べ物を持っていく大入道なんて変だと思ったのわ。最近野菜の値段が高かったのは鳥が食べていたんだと思う、むしろそっちの方が被害は多かった筈だから、大入道の姿の方がむしろ仮の姿だったんでしょう。ウナギまで食べる雑食性からして犯人はヒヨドリって所かしら」
「隊列を作ったり群を作る鳥はいますけど……入道に間違えるなんて有るでしょうか?」
「みんな見た様な気になってたけど、黒い固まりくらいにしか思ってなかったに違いないわ。大きくてもやもやしてたら入道と表現するには十分でしょう」
「確かに入道と入道雲等は意味の混同がありますが……でもそうなると退治というのも一筋縄では行かないですよね。私が手伝うのは良いですが、毒を撒くのは可哀想だし、霞網でも使うくらいしか……」
「それよりもっと楽な方法があるわ」
霊夢は風呂敷から羽子板を二枚取り出してにやりとした。小鈴は一度首を傾げたが、ああ、と掌を打って合点する。
「なるほど鳥追いでしょうか、それなら私にもできるかも」
「小鈴ちゃんは子供達にも顔が利くだろうから、出来るだけ皆でやって欲しいの」
「でも、もし抵抗されたら危険じゃ無いですか」
「大丈夫よ、普段の奴らは里に散らばって隠れてるだろうし、そいつらをその場から追い出してくれたら、後は私が結界の外まで責任もって追い出すから」
霊夢は鼓舞するように羽子板を振るった。
「鳥追いというのは歌を歌い、鳴子や羽子板などで音を出しながら練り歩く、お囃子の様な年中行事・祭・あるいは神事です。鳥害を防ぐ為の物で基本は小正月にやる物なんだけど、今日は特別必要なので皆協力してね」
小鈴に子供を集めて説明して貰った。こういうのは得意では無いので霊夢は読み聞かせの時と同じ様に後ろで聞き、進むルートだけ簡単に指示するに留める。それも大体大回りして欲しいという位だ。
適当に羽子板と叩くための小槌を配布し、小鈴が子供達の先頭に立つ。やや緊張している様だが、小鈴がいないと始まらない。
「じゃあ小鈴ちゃん、お願いね」
小鈴は一呼吸して、羽子板を打ち鳴らした。カーンという木の拍子が里に染み響き、歩き出す。
――西の方から来る鳥も――
童歌のような耳に馴染む調子で小鈴が歌い出し、子供達もそれに続いた。
――東の方から来る鳥も――
何事かと皆が見ているが、やっている事自体は分かったらしく暖かい目で見ていてくれた。霊夢は付いていかず里が見渡せる場所へと飛んだ。
――あの鳥どこから追ってった――
鳥追い唄と羽子板を叩く音は、小鈴達が角を曲がり見えなくなっても随分と聞こえた。この音が耳に入る鳥はきっと反応するはずだ。
霊夢は背の高い二階建ての屋根を拝借し、鳥の動きを眺めた。睨んでいたとおり、鳥追いの辺りからちらほらと鳥が飛び立つのが見えた。里の外へと漏れなく出て行き、野に降り立っていく。
小鈴は鳥害と言ったが鳥追いは鳥を益獣として歌で敬い役目の終わりを告げると同時に、害獣として音で追い払うという二つの意味を持っている。どうやら機嫌は損ねず素直に追われてくれている。
小鈴達の通り道から鳥が飛び続け、里の外に集まりが出来始めた。やがて黒い垣根ができ始め一片の雲が降りてきたように大きな塊と化した。鳥も飛び立たなくなるのを見て霊夢は鳥追いは終わりにして良いと伝えに行った。
しかし見物人に菓子など貰って子供達も思ったより楽しんでいて、まだしばらく里を練り歩きたいと返ってきた
。楽しんでいるならそれは結構だ。その場は小鈴に任せ、霊夢は羽子板と槌を一式受け取って鳥の元に向かった。
日も暮れ始めた今、鳥の群れは近くに寄ると蠢く原っぱのようで、見ていて気持ちの良い物では無かった。
神社に居たときは恨むほどうるさかったが、ここまでの大群になると声を出さないらしい、その辺りも存在を悟らせない小細工だろう。しかし所詮は少し頭の利く羽虫共だ。
霊夢は群れを前にして羽子板を構えた。
「大所帯で食べ物にでも困ってたんでしょうけど。いい加減出て行って貰うわよ」
霊夢が羽子板を打ち鳴らすと、一斉に羽ばたいて舞い上がった。地面ごと飛び上がったのかと感じる程の光景に一瞬たじろぐが、霊夢も後を追って飛び出した。
最早追い出すだけ、霊夢は暮れていく空の中、羽子板を思い切り叩き群れを外へ導いていく。
ところが真っ直ぐ追う筈だったが、いかんせん暗くなりすぎた。視界が悪く、縦横無尽に飛ぶ鳥を追うのは羊追いの比では無い。霊夢は変に逃げようとする群に進行方向に回り込みつつ、ひと塊にするのが精一杯だった。
どうしたもんか、悩めば悩むほど夜の帳が降りて来て状況は悪化していく。札を放っても大して効果が薄いのは屋台の時に知れていた、打撃とか針とかを使って数羽数十羽倒した所で怒りを買うだけ。いや、怒りすら感じないかも知れないが、長く居られるとそれだけで食料が狙われ迷惑極まりない。
幾ら無力な鳥だろうが、一の個で立ち向かうのは厳しいと痛感した。ガリバー然り、スイミー然り、数は力だ。
打つ手が無くなった霊夢はヤケになり、これでもかと羽子板を連打した。
「あー! うるさい! 夜は読書に耽りたいんだよ!」
と、怒鳴り声と共に巨大な光の筋が霊夢めがけて飛んできた。見慣れたそれを間一髪身を翻して横にかわすと、そこが魔法の森の上空であり、今のは魔理沙が撃った物だという察しが付いた。
鳥たちも不意打ちを食らって混乱気味だ、同時に霊夢は喜々として魔理沙の元に急降下した。
「良いところに! ちょっと手伝って!」
「なんだ霊夢だったのか、私の家だから良いところに決まってるだろう」
「そこはどうでも良いところだけど、あんたの魔法は役立ちそうだから急いで来てよ」
「何がなんだか分からんぞ、行ってやってもいいが……」
魔理沙が名残惜しげに本を見ているので、霊夢は強引に本を閉じ箒に乗せて飛び上がった。
大入道の正体は鳥の群であり、マスタースパークは屋台の時に大振りに避けていた事からも誘導にはもってこいだろうと羽子板を鳴らしながら説明した。
「談合したのに抜け駆けしようとするから、困るんだよ」
「近くに居なかったんだもん。とにかく、私が羽子板で前に押し出すから、魔理沙は上下左右に散るのを魔法で防ぐのよ」
「私の方が大変な気がするぞ」
「今まで私が頑張ってたもの、今こそ共同戦線を見せつけるのよ」
「調子良いなぁ」
魔理沙は冷めた笑いを浮かべつつ、八卦炉を構えた。
円を描くようにレーザーを放ち、群れを抑制することで全体が少しずつ前に進み始めた。おまけに辺りが少し明るくなるおまけで誘導もやりやすくなり、山辺から外に追い出すことにした。
「しかし大入道の正体が小鳥とは、たまげたもんだぜ」
「まったく小さい雑魚共が群がって、形ばっか大きく見せようなんて気に入らないわ。小さくたって一人で向き合えるくらい力付けて見ろってのよ」
「スイミー全否定だな、ファンが聞いたら怒るぞ」
軽口を交わしつつ幻想郷の端まで追い詰めると、霊夢は最後に思い切り羽子板を打ち鳴らした。鳥たちは誘導されているのを悟ったのか、もうわき目も振らずやがて見えなくなった。
「意外とあっけないもんだったな」
「所詮は羽虫だからね」
去りゆく鳥を見ながら、霊夢は夜闇に一人ふんぞり返った。
後日、霊夢は気になることがあったのと、お礼もかねてミスティアの屋台に小鈴を連れて来た。
霊夢はまず小鈴から羽子板を渡された。霊夢が必死に鳥を追い回していた頃、本元の鳥追いは更なる好況を得て、翌日の新聞にも載るほどだった。
一方で大入道の事件は一切触れられておらず、霊夢も少し歯がゆい思いをした。
「大入道退治お疲れさまでした」
「小鈴ちゃんも鳥追いお疲れさまね、なんか途中から主旨を逸してたみたいだけど」
「行列とか皆好きだったりしますから、なんか目立ってしまってすみません」
「謝る事じゃないわ、スイミーもどきより里の話で盛り上がってる方が健全だしね」
「退治できたんだ。じゃあ今日は呑むんだろう? お通しだよー」
ミスティアが枝豆の載った皿を置いたが、霊夢は素早く箸をとってミスティアの腕を挟んだ。
「いやいや、私はお通しじゃないんだけど」
「あんたにもちょっと事情聴取よ」
「この鰻屋さんも何か関係があったんですか?」
「直接はないだろうけど、直接襲われてるのに夜雀が鳥が正体だって気づいてなかったのは、ちょっと間抜けすぎるかしら。あいつらもあの時はうまく化けてたみたいだけどね」
ミスティアは少し渋ったが、箸でギリギリと締められ長い溜め息を吐いた。
「私だけじゃないよ、あいつらたまーにくるから妖怪とか里の人間でも知ってる奴は知ってるんだ、本当は正体が鳥だって」
「あ、そう言えばヒヨドリは渡りをする鳥でしたね」
「渡り鳥だったら毎年来るでしょう。その前に知ってたんなら教えてくれたら良いじゃないの」
霊夢は睨みを利かせてから、手を解放す。ミスティアは箸の跡に心配そうに息を吹きかけた。
「うーん、そこは暗黙の了解だよ。あいつらも餌に困ってきてるらしいけど、加減はしてくれてるんだ。十年単位で来るし、あの数ならもっと食い荒らしたっておかしくないのに、他の奴が口にしないものから食べていくし、それで人里が飢饉になったことは一度もないよ」
「それだけで見過ごしてたのかしら、とにかく今からでも次の対策を練るべきね……」
「あとは、巫女も言ってたけどスイミーみたいに見えたからかもね、憧れって言うか、それだけ」
「集まってでかくなってたのが関係有るわけ?」
「スイミーってそういう話じゃないよ」
霊夢は少し考えて、そうだったかなと小鈴の方を向いた。小鈴は枝豆を一人でちまちま食べている手を慌てて止めた。
「確かにスイミーを魚が集まって大きくなった話、と言うとちょっと語弊があります。あれは手段であって目的じゃないですから」
「目的はマグロを追い払う為じゃないの」
「えーと、そこまでが手段なんですよ」
「下克上の話とおもってたなら、異変に犯されすぎだ。スイミーは旅したって所が一番大切。そこで色々出会ってたんだよ、鰻とかね」
ミスティアは焼き途中の鰻をそっとと返した。
「そういえば最初は旅してたわね、兄弟を食べられて傷心旅行」
「そこで釣られそうな魚、ドロップのような岩、大きな鰻等に会って世界の新鮮さや素晴らしさに気づいたんです。世界には素敵な物が沢山あるんだって」
「色んな物を見たから、兄弟を失った状態から立ち直れたんだよね、スイミーは」
「そう! だから彼は皆に言うことができたんです。僕が目になるよ、と」
二人が盛り上がるので、霊夢は勝手に身を乗り出して勝手に鍋から熱燗を取り出した。
「だからって憧れる意味が分からないわ、誰も死んで無いじゃないし、今回は鳥だし」
ミスティアがだした猪口に小鈴がまあまあと酌をしてくれた。
「まあ自虐にもなるけど、幻想郷に居る奴らって殆ど外に出られない奴らの集まりじゃん。皆ああやって飛んで来て飛んで行く奴らにどこか感じることはあるんじゃない」
「確かに里の人は新しい物が好きですし、そういう気持ちを持っている人は案外多いかもしれませんね」
霊夢は思い返す。そういえば八百屋も新しい野菜を売っていた。新聞に大入道が載らなかったのも、単に新しくない事だった証拠だ。それはつまり、皆知ってて敢えて捨て置いている存在と言うことだ。
「全く、大入道を知らない奴らだけが騒いでたならお笑い草ね。誰も教えてくれやしないなんて……」
「知らない奴がなにするかも一興って事だよ。巫女もスイミーを見習って、一人で飛ぶんじゃなくて皆で新しい世界を見る方法を考えれば信仰も集まるってもんだね」
「そんなの、できるわけ無いじゃないの」
「私は霊夢さんを見てるだけでも何か新鮮な気になれますけどね」
「それはそれで変な奴みたいで嫌ね……もういいわ、今日は呑んでやる」
霊夢は目を細めつつ酒を飲み始めた。それから先はお疲れさま会と称し魔理沙なども乱入し、平常通りただの飲み会と発展していくのだった。
新聞にも取り上げられなかった大入道の話はいつしか忘れ去られ、知らない奴らに語られることも無くなった。きっとまた出てくる時までは誰も思い出しはしないだろう。
でも霊夢はスイミーの話と併せて密かに胸に留めておくことにした。
巫女の役目は妖怪退治と考えているが、或いは知らない世界を見せるというのも、巫女に求められる役目なのかもしれない。できるわけがない、だから胸に秘めつつ意識だけはしていたいのだ。
それになにより自分と同じ様に皆が飛んでくれたら、どうなるのか興味もあった。談合とかではなく、ただ皆と飛び同じ物を見て聞いてもらえたら、何か変わるだろうか。
さらに数日後、新聞の見出しを目にして霊夢は驚いた。
――大行列、八目鰻のゼリー寄せ! 人気の秘訣は怖い物見たさ!?――
こういうことでは、ないよなぁ。
頭を掻きつつ見上げた空にはヒヨドリが数羽仲良く飛んでいて、なんだか羨ましく思えたのだった。
世の中まったりと過ごした方が良い物だ。朝適当な時間に目が覚めて、一日必要な場所に行き、いつものように過ごし、時計も見ずに同じように過ごせたら幸せななのではないか。
ぼんやりとした睡眠の中で、霊夢がそう考えたのは、なにやらいつもと違う喧噪が聞こえてきたからである。
その日霊夢は普段より早く、小鳥のさえずりで目が覚めた。
寝ぼけ眼をこすり、何の変哲も無い庭を覗いてまず耳を塞いだ。庭の優雅な朝の情景とは相反し、さえずりは弾けない打ち上げ花火を乱射したのかと疑うほどの、けたたましさだった。
「あー! うるさい! 朝くらい静かに寝させなさいよ!」
堪らず外に出てみれば耳をつんざくような鳴き声の嵐。音源は裏手のジャノヒゲが生えている辺りらしかった。音に立ち向かうようにじりじりと近づいていくと、微かに人の声の様な物も混じっていた。霊夢が人差し指を耳に詰めて音源にたどり着くと、針妙丸が輝針剣を振り回し大量の小鳥と戦っていた。その数、数十はある。
「朝から騒々しい」という霊夢の言葉はさえずりにかき消されてしまった。
それでも針妙丸は気配には気づいたのか、必死に鳥と耳を指差し、その後に手でバッテンしてゆっくりと口を動かす。
き・こ・え・な・い。と言いたいのだろう、そんなことは分かっている。霊夢は手ごろな棒を拾うと縦横無尽に振り回しながら群れに突っ込んだ。
流石に霊夢相手に分があるとは思わなかったか、小鳥は棒をすり抜けるように躱し飛び出した。しぶとく桜や榊の枝に止まって居座る奴が居たが、それもひと思いに棒を振って追い払う。
やがて全員空の彼方へ去り安堵した。
「ひえー、まだ耳がぐわんぐわんしてるよ」
「朝っぱらから何襲われてるのよ、あんたを保護するのは起きてる間しか無理よ」
「奴らが……」針妙丸はがさがさとジャノヒゲに首を突っ込んだ。「実を食べてたんだよねー」
「そんな時期だっけ、鳥と争うくらい好きなの? 私も食べてみようかしら」
「私は食べないよ……宝石みたいで綺麗だし、見てると心安らぐじゃん。初めて見たときに世界にはこんな美しい物があるのかって感動したぐらいだよ」
「たかが草の実でしょうに」
針妙丸は気の抜けた返事をすると上半身が見えない状態で探し続けた。
ジャノヒゲの実は澄んだ瑠璃色をした綺麗な玉だ。鬱蒼とした葉の中に隠れているが、小鳥が啄ばむこともある。霊夢は足でジャノヒゲの根元を漁ってみたが、確かに見つからなかった。 あれだけ鳥が居たのだ、全て食べられてしまっていても、おかしくはない。
霊夢は欠伸を一つして針妙丸をむんずと引き抜いた。
「残念だけど全部食べられちゃったみたいね。ジャノヒゲなんて何処でもあるし、別のところで探しなさい」
どうどうとなだめる様に言うと、針妙丸は恨めしげに空を睨んでいた。
まあ何処かで実を見つけたら取ってきてやろうか。霊夢は密かに思いつつ、冴えてきた頭で予定を反芻する。今日は諸々に使う紙や食糧が足りてないので、買いに行くのだ。こんな所で雑草の実を探している暇では無い。
手早に境内の雑務を済ませると、里に向かった。
護符用の和紙や、割と良く破れてしまう障子紙を買い、その後八百屋等を物色する。まだこの時間だと新鮮な野菜を選べるのだ。遅く行くときに比べて品揃えも豊富だし、見たことが無い野菜や果物があると新世界を見たような気分で面白い。今日はアイスプラントとかいう見慣れぬ野菜があった。
霊夢は彩り鮮やかな野菜を嘗め回すように見ていたが、どうにも購入にまでは踏み出せなかった。
「最近野菜とか高いのよね、ちょっと負けてくれたら助かるんだけどな」
店主に聞こえるように独り言を言うと店主は突然イビキをかき始めた、まごう事なき狸寝入りである。
しかし最近高いのは本当だ。霊夢が勉強して貰うまで居座ろうかと考えていると、肩を叩かれた。
「お買い物ですか? 奇遇ですね」
「あれ、小鈴ちゃんじゃない」
声を掛けてきたのは貸本屋の小鈴だったが、不自然に体を傾けていて辛そうにしている。よく見ると掛けているバッグに大量のみかんがありオレンジ色の山が見える。
「重たそうね? 貸本屋まで持つの手伝うわ」
「お買い物はいいんですか?」
「いいのよ、寝てるから」
手ごろな風呂敷で半分程を霊夢が持ち、貸本屋に向かう。店主は最後まで狸寝入りのままだった。
「こんなに沢山、蜜柑好きだっけ?」
「好きですよ。でもこれは読み聞かせの時にでも配ろうと思ってるんです、今からやるのでオマケ」
ミカンを一つ取り出して小鈴は笑顔を見せる。
「へえ、身を削って配るなんて優しいじゃない、きっと皆喜ぶわね」
「いえいえ、貸本屋が好きになってくれれば大人になっても来てくれます。いずれはそのお子さんにも使ってもらえば、十分回収できますから」
「夢があるんだか無いんだか……」
「これが世の常というものです、とはいえ値が上がってるのにちょっと無理したかも」
小鈴ががま口を覗いてため息を吐いた。
「困ったことがあったら言ってね。力になる。お金以外なら。」
最後は頼られるといけないので、一際強く言っておく。
「はい。あ、早速ですがちょっとした妖怪騒ぎがあるようなんです」
「妖怪退治なら任せなさい」
「まあ気にしている人もそんなに多くないみたいなんですが――」
霊夢が一つ頷いた所で、貸本屋に到着した。暖簾をくぐると小さい子供達が待ちわびていたのか、小鈴に群がり始めた。霊夢はぶつからないよう慎重に店に入った。
「終わってからゆっくり話してくれたらいいから」
「はい、すいません」
霊夢も手伝って列を作り、蜜柑を配る事にした。純真無垢なだけあって、蜜柑程度でも喜んでいる。口々にお姉ちゃんありがとうなどと呼ばれ霊夢が口元を緩めていると、明らかに背丈の違う奴が目に入った。
とんがり帽子で白黒の奴、即ち魔理沙が素知らぬ顔で並んでいるのだった。
列が回って目の前に来ると、眩い笑顔で手を出した。
「お姉ちゃん、ありがとう」
「やめてよ気色悪い。あんたは対象外よ」
「年齢制限あるなんて聞いてないぞ」
「拳骨なら上げても良いけどね、年の数だけ大盤振る舞い」
「大丈夫ですよ、余りますから」
魔理沙はそれを聞いて小鈴の列に並び直し蜜柑を受け取っていた。呆れたが結局霊夢も一つ貰い、子供たちの後ろに陣取って読み聞かせが終わるのを待つことにした。
小鈴が手にしたのは絵本で、表紙には小さな黒い魚がぽつんといる。題はスイミー。
「で、あんたは本当に話を聞きに来たの?」
「そうだ。ただしあんな小魚の話じゃなくて、妖怪のだがな」
「魔理沙の方が耳は早かったみたいね」
霊夢が悔しげに少し眉をひそめる。それをみて魔理沙はふふんと鼻を鳴らした。
「まあな。だが最近出るってのは大入道らしいぞ」
「大入道かぁ、あんまりパッとしない奴ね……」
「霊夢さんたち、ちょっと静かにしてください」
「すまんすまん」
小鈴にむっとした顔で言われて二人は苦笑いで調子を合わせた。
スイミーは兄弟をマグロに食べられて失い、旅に出た。海の生物達を見て行き、岩陰に隠れた兄弟似の魚群に出会う。なぜ隠れてるのかと問えば、魚群は外にマグロが居て泳げないと打ち明けた。そこでスイミーは一計を案じる、ぼくが目になるよ。
結局ミカンを食べながら絵本を聞くはめになり、ぼんやりと話を聞く。小鈴は時々感想を求めるので知らない話は流すわけにもいかないのだ。
「つまりマグロってのは世にも恐ろしい凶悪な魚なんだな」
「そういうわけでは無いですよ、外の世界では食べられすぎて、数が減っているそうですし」
「誰が食べるんだよ」
「人間です」
「外の世界じゃスイミーも安心して暮らせてるってわけね。これで真のめでたしめでたしと」
「そういう問題でもないような……」
話が終わり、一息ついている小鈴に霊夢達は早速話を聞くことにした。
「それで本題だけど、妖怪ってのは大入道なの?」
小鈴は頷いて、読み聞かせ中にかけていたメガネを外した。
「脅かしてくるだけで、あんまり危険視されてないんですが……里で場所を問わず現れるんです。昔から偶に出るそうですが怖い人はきっと怖い筈ですし、退治できるならして貰った方がいいかなと」
「私が聞いた所でもひっくり返って頭打ったとか、腰を捻って仕事にならないとかあったな。退治した方が良いと思う」
霊夢も考えてみる。大入道は基本的に脅かすことしか能がない類の妖怪だ。里でもこの位なら問題とまで行かないこともある。妖精に毛が生えたようなものだからだ。しかし手加減しないやつだと二次的被害が出てしまい魔理沙の言ったように怪我が続くこともあり得る。
どこまでを本人の不注意とするか否かは判断が難しい。だが小鈴の話では、里の人は危険視しきれて居ないようだ。それならば多少大入道の方に喝を入れた方が良いだろう。
「私も賛成ね、見つけたら懲らしめてやんないと。具体的にはどういう奴なの?」
「見た目は黒い入道です、私も一度見ましたがとにかく大きくてびっくりしました。大きさは三間とか十間とか噂は絶えずですね。後は……食べ物を奪っていくとかいう話もあります」
「食べ物を? ただ出てくるって訳でも無いのね……」
それなら実害があると言っても良い気もするが、妖精もつまみ食いはするし認識としてはそんなものなのか。
「噛みついてこないだけ、ましでは有るがな」
「とにかく放っては置けないわね、ちょっと調べたりしてみる」
霊夢達は一先ず解散し、里の中を捜索した。霊夢は取りあえず大入道本体を探しつつ、聞き込みもしてみたが大きくて驚いた位しか情報が出てこないので、今ひとつ不明瞭だった。
霊夢は今の所一番怪しいと感じた命蓮寺の門をくぐった。軽く門前の山彦を蹴散らし進む。お目当ては小鳥に餌をやっている法衣風の衣装に身をまとった尼、の横にいる入道である。
「雲山が里の人を驚かし回る犯人だって言うの?」
「だって見るからに怪しいじゃない。どうみても入道だし、あと髭面だし」
霊夢が睨むと雲山は眉根を落として困り顔になった。
「短絡だなぁ。いつも私と一緒に居たけど、そんなそぶり一度も見せてないよ」
「妖怪の本能で、夜な夜な里に繰り出してるとか」
「そんなチンピラと一緒にしないで。その前に雲山だったら驚かすよりブン殴ってる」
「うーん、一理有るかも」
雲山は面食らった様に首を振ったが、霊夢は今回と関係ないのならどっちでも良かった。何かしたら容赦はしないと釘を打つように言って命蓮寺を出ると、魔理沙が門の前で待っていた。
「芳しくないようだな」
「まあ、あいつピンク色だしね。あまり期待はしてなかったわ」
もう夕暮れも近い、残念ながら一日収穫は無かった。
「だよな。さて今回は被害もあるんだ、早期解決のためにも一つ共同戦線の談合といこうぜ」
「談合?」
うむと大降りにに頷きつつ、魔理沙は手招きをした。
民家の横や小路地を抜けて、里の外れまで連れて行かれると屋台が一つあった。そこから甘いタレのにおいが香ってくる。思わずお腹を擦ってしまいそうになる美味しそうな香りだ。
「って夜雀がやってる屋台じゃない。談合って呑みながらやる気なの?」
「こんな時に何だが、話ついでに用があってな」
魔理沙は暖簾をひょいとくぐった。
「いいけどさ、なんか準備中っぽいわよ」
霊夢が追って暖簾をくぐると店主であるミスティアが小忙しそうに炊具を操っている。やはり仕込み中だ。
しかし霊夢達に気付くと待ってましたと手を布巾で拭いておしぼりやら箸やらをカウンター越しに置いた。
「いらっしゃい、巫女も一緒に来てくれるなんて嬉しいね」
「どういう事?」
「新作メニューの検討中だから味見を頼まれてたんだ。折角だしここで話そうぜ、お題は要らないだろ?」
ミスティアはこくこくと頷く。少々面倒くさいとも思ったが、ただ飯はそれなりに魅力的だ。
霊夢は逡巡し、無言で席に着くとミスティアは火も使わずに何かごそごそと調理を始めた。
その様子を眺めつつ、魔理沙は解せないという調子で口を開いた。
「大入道の件なんだが、ただの坊さんではないんだよな」
「でしょうね、食べたりするのは珍しい」
「そうか? 私は聞いたことあるけどな、人の家で飯を沢山食べてったとか、やたら喰う大入道の話」
「確かにそういう話もあるけど……弁慶だって大食いだったし、鬼だって体が大きくて大食いは定番でしょ。大食いが怪異に成るときはそこから猟奇性や武勇を取った存在なわけ、今回はそもそも人間味が薄いわ」
「なるほどな、驚かせるのも今回は高入道や見越し入道に近いか。それに私の聞いた話だと畑の野菜とかも持ってっちまうらしいから、よく考えたら大食いとはちょっと違うかもしれん」
「今の謎はそんなとこかしらね、せめて出てきてくれれば分かりそうなんだけど」
「黒い坊主って方が私は珍しく思うけどな、日焼けしてるってことなのか」
「そんなやんちゃ坊主いないでしょ……妖怪の坊主や入道には時々黒いのがいるのよ。詳しくは知らないけど海坊主は黒いって言うし、見越し入道も黒いと黒入道と言われてたりするし……。まあ法衣が黒いから、黒いのは変でもないでしょう」
「なんだ、取りあえず黒くて怪しい奴を見つけろって事だな。そう考えると居そうな気はするな」
「丁度隣に一人いるけどね」
霊夢がいつの間にか出ていたお冷に口をつけていると、目の前に皿が出された。かば焼きでは無く、ぶつ切りされたウナギが粘質な物体に包まれているという異質な物だった。
調理途中かと霊夢は思わずウナギとミスティアを交互に見たが、召し上がれと返された。
「ヤツメウナギのゼリー寄せだよ、食べてみて!」
魔理沙もぎょっとしているようだ。見ているわけにも行かず、取りあえず二人で一かけら口に放り込む。
仄かに香るレモンの香り、普段は取り除かれているウナギの骨の歯ごたえ、鼻に抜ける生臭さ。幸い胡椒が効いて臭みは多少抑えられているが、喉に通すのに苦労した。
「くは、うん、食えなくはないが」
「正直これは……美味しくはないわね、見た目もひどいし」
「そうかな? ぷるぷるして美味しそうと思ったのに」
「ぷるぷるとかゼリーったってこれ煮こごりみたいなもんでしょ。やたら生臭い……」
霊夢は目をつぶって咀嚼するが、味は殆ど無い。生臭さが全てに勝っている、そしてレモンと胡椒がそれを押さえるのに必死。これは料理なのだろうか。
「今からでも蒲焼にできんのか」
「料理を素材に戻すなんてできるわけないじゃない」
ミスティアは口をへの字にして言う。新メニューの試食で普段のを出せと言われれば怒るのも無理無いが、霊夢も食べる身としては戻して欲しいと思わざるを得ない。
「まあ、折角作ってもらったんだから食べるけどさ」
「食べてくれたら蒲焼もごちそうするよ」
「なら私も食べるぞ」
試食なのか罰ゲームなのか分からない状態になった頃、急に屋台が暗くなった。影は確かに伸び始めていたが、まだこんなに暗くは無いはず。三人で顔を見合わせた。
「あんた私を鳥目にしたの?」
「流石に鳥目じゃ夕方は暗く見えないよ、屋台が陰ってるみたい」
「つーことは、なんか居るってこったな」
魔理沙が屋台から飛び出し、霊夢も外に出てみれば夕日を隠すように黒い物体が天に届きそうな勢いで立っているのが見えた。ぱっと見視界に入りきらない程の高さだ。
「おおー、これが大入道か!」
魔理沙は口を開けて驚き、上を向き過ぎて落ちそうになった帽子を押さえた。二十間ほど先に立つそれに霊夢も唾を飲む。ミスティアだけは屋台の影からひっそりと見ていた。
「あんまり見上げない方が良いわよ。でも噂をすればなんとやら、ここで成敗してくれるわ!」
言いながら霊夢は懐の札を大入道の胴目がけて投げつけた。
ところが、大入道を吹き飛ばすでもなく貼りつくでもなく、ただすり抜ける様に何処かに行ってしまった。大入道は無傷で立っている。
「んん?」
「効いて無いみたいだな、なら私の番だな。大きい奴は大きい攻撃に限るってもんだ」
やや嬉々として言うと、魔理沙は八卦炉を構え早々に火を噴かせた。
「とういうわけで、マスタースパークだ!」
轟轟とした音と共に速射される虹色の光。大入道の胴を直撃するかと思いきや、大きな体を着弾しそうな場所だけぐにゃりと曲げて避けた。
トリッキーな動きに霊夢と魔理沙は呆然とした。
「意外とグニャグニャしてるというか、フットワークあるというか、足は動いてないけど」
「そんなのありかよ」
悔しそうにする魔理沙をよそに、大入道は手だか触手だかを屋台の方に突き出し、屋台を掴む様にぐっと包みこんだ。
ミスティアの「ひえー!」という悲鳴を残し屋台全体が見えなくなってしまう。霊夢達は追い払おうとも思うがさっきの様子から、直接攻撃をぶつけると屋台がどうなるか分かったもんじゃないと構えを解いた。
まあ、腐っても妖怪だ、あいつなら大丈夫そう。という楽観的観点も加わり手をこまねいていると、少しして屋台は解放された。魔理沙が形だけ心配そうに駆け寄っていく。
「おい大丈夫か?」
「けふけふ、なんとか」
若干せき込みつつも、ミスティアはぴんぴんしている。霊夢が大入道を睨み直すと、大きな体は突如紫がかる夕暮れに散開し始めた。
「あ、こら! 逃げるな!」
霊夢が制止するも聞く耳持たぬ大入道は細切れに霧散した。居なくなったことで夕日の逆光に目がくらんだこともあり、完全に姿を見失った。
それでも辺りを見回した後、どうしようも無いのを悟った霊夢は再び屋台の席に着いた。
「まだ食べる気あったのか」
「ごめん、私は何もなかったんだけど……」
ミスティアが申し訳なさそうに見てくる。ウナギのゼリー寄せは姿を消していた。
それどころか屋台の食べられそうなものは全部消えてしまったらしい。
「これは一杯食わされたな」
「ぐ、一杯も食べられなかったわね」
あまり美味しくは無かったが、人に食べられたと思うとほんのりとした怒りが込み上げてくる霊夢だった。
大入道は直ぐに消えてしまうらしく、出るのも不定期。時間は大体同じというのが分かったが、捕まえるのは困難を極める。被害が食べ物を奪われる程度で済んでいるのはむしろ幸いだ。霊夢も外に出たついでに探したりしているのだが、一向に出会えていない。警戒されているのかも知れない。これは策を練る必要があるだろうか。
「それにしても……本当見つからないのよね」
しゃがんで思わずつぶやいたのは、ジャノヒゲの実の事である。
あれから数日探しているのだが、大入道と同じで一向に見つからない。ジャノヒゲ自体はそう珍しい植物ではない。育てやすいし手はかからない、見た目も良好。庭さえあれば取りあえず生やしている家も多いのだ。にも身かかわらず一向に実が見当たらない。たまたま神社が早く実っていただけらしい。
いつでも見つかると思っていたものほど、探すと案外見つからないというのは良くあることである。大入道も、ジャノヒゲも。仕方なく神社に戻り、掃除したり札を作ったりと庶務を片づけた。
「霊夢、何だか元気がないね。行き詰ったって顔をしているよ」
「針妙丸こそ、城が全然進んでないじゃない」
城というのは最近針妙丸が入れ込んでいる、大きな城の模型のことだ。
「私はちょっとずつでも進んでるんだい。一人で作るんだからこんなものだよ」
「いつできるか分かりゃしないってのに……」
とは言っても、自分の方は全く進みが無いのだから強くも言い難い。
「やっぱり暗いね。そういう時は友達の所にでも行ってまったりするのが良いよ」
「友達ねえ、何だかまったり出来そうな奴はあんまり居ないのよね」
「居ないなら私が付き合ってあげても良いよ!」
嬉しそうに言われると反抗したくなるのは、アマノジャクだろうか。霊夢は一つため息をついて立ち上がった。
「あんたじゃ一緒に飲むには小さすぎるのよ。霖之助さんとこでも行ってくるわ」
「そう? じゃあまた今度ね」
針妙丸は屈託の無い笑顔でそう言った。
大入道とジャノヒゲを探しつつ香霖堂に着くと、店主の霖之助が店の前で何やら縄を弄っていた。
「そんな所でどうしたの霖之助さん」
「ああ、霊夢か……引き板をつけてるんだが、中々上手く行かなくてね」
「なんだ、そんなの簡単じゃない。ちょっと貸してみて」
霊夢は半ばひったくるように板を仕掛け縄に付けた。捜し物が見つからない手持ち無沙汰を解消するためにも何か手を動かしたかった。
引き板は鳴子の事で、引いて音が鳴る様にしたものだ。あっという間に仕上がり、紐の先を霖之助に渡した。
「流石だね、修理は得意だが大ざっぱな仕掛けを作るのは苦手だから助かる」
「こんなの朝飯前よ、でも鳴子なんてどうするの、泥棒避け?」
「それもあるが、もっと重要だ。まあ少し中に入ってお茶でもしていれば分かるよ」
「ふーん?」
もったいぶられた事に少し機嫌を損ねつつ、霊夢は香霖堂に入った。中は相変わらず奇抜な道具ばかりだ。季節を問わず羽子板からクリスマスツリーがあったりもするし、そもそも何に使うのかすら不明なものも多い。
霊夢は茶が出るまで棚をみる。勝手に缶を開けてくれる機械(電池無)、音楽を聴く道具(イヤホン)と一応説明書きがあるものもある。音楽を聴くのにそんな物付けてたら邪魔だろう等と考えていると、並んでいた箱の一つが気になって手に取った。ホコリを被った城の模型だ。針妙丸の物よりはだいぶ小さい。
「城に興味があるなんて意外だな」
「神社に居る奴が似たのを作ってるんだけどさ、こんなのに時間かけるなんて馬鹿みたいと思ってね」
「娯楽品なんてのは言ってしまえば時間を浪費させるための物だからね」
「しかもこれより大きくて何時できるんだか。どっかに落ちてたらしいけど」
軽く振ると中の部品が音を立てた。
「大きくなればなるほど、難しくなれば成る程、浪費する時間は増える。外の世界だと娯楽にかける時間も減っているらしいから、小さい物ばかりのようだけどね。神社にある物は度が過ぎていて幻想郷に流れ着いたんだろう」
「少ない時間を態々浪費させるなんて何考えてるのかしらね、外の奴らは」
「それが人というもんさ、人間は時間を浪費するために生きている。視点を変えれば仕事だろうが睡眠時間だろうが時間の浪費と言えるのさ」
「詭弁でしょう」
「そうかもね。けど人の趣味にとやかく言うもんじゃない、もっと広い視野を持つべきだ。世の中思っているよりずっとずっと広い」
霖之助は見もしない針妙丸や外の人の味方をしているのだ。
霊夢は詰まらないので口をとがらせつつ店内を見回した。すると外から羽ばたきの音が聞こえ、やがてさえずりを始めた。針妙丸が襲われていた奴らと同じだ。
「そうら来たな」
すかさず霖之助が窓に挟んでいた縄を引き、鳴子を鳴らした。からんからんと木の音が響き、鳥たちは何事かと飛び立ちやがて静寂に戻る。「よし」と霖之助は珍しくガッツポーズして見せた。
「わざわざ鳴子で追い払うほどの事?」
「何度も来るし、鳴き声がうるさくて読書も出来やしなかったんだ。折角植えていた白菜も食べるし、家の周りの物やたら啄むから、懲りて貰った」
霖之助が畑をやっていたという事に驚きながらも、ふと霊夢は気になった。
「ふーん、もしかしてジャノヒゲの実とかも食べちゃう?」
「ん、ああ……店の周りに少しあっただろうけど今回も漏れず全滅だ。あれは果実に見えるが皮以外は消化が難しい種そのものなんだよ、栄養もろくに無いはずなのに食欲旺盛なことだまったく」
無駄知識を聞きつつ、霊夢は脳裏に引っかかる物を感じた。
「ちょっと待って、今回もって、前にもこういう事有ったの?」
「ああ、知らなかったかい? 偶にあるかな、やたら鳥が沸く時期というか年というか」
それから数日、霊夢はジャノヒゲを探し回った。時には妖怪の山に入って聞いたりもした。
針妙丸のお土産というのもあるが、その辺りで一つ聞くことにしたのだ。
前にも似たような事があったかどうか。すると前にも有ったという噂がちらほら聞こえてきた、大入道と共に。
やはり関連性は否めないだろう。霊夢は確信するとまず風呂敷片手に香霖堂に向かい乱暴にドアを開けた。
「今日はどうしたんだい」
「霖之助さん、これ貸してよ。この間のお駄賃代わりにして良いから」
「貸しの方が多いと思うけど、そんなので良ければ上げるよ。どうせ時期が過ぎれば売れないしね」
「こんなの態々買いに来る奴居ないでしょう」
霖之助は黙って眼鏡をかけ直し、聞こえないと言わんばかりに本に目を落とした。
今度は鈴奈庵に向かう、そろそろ店じまいの準備らしく小鈴は山積みの本を整理していたが、霊夢は入るなりその手を取った。
「小鈴ちゃんちょっと手伝って。大入道退治するから」
「え、私がですか!? ちょ、ちょっと待って下さい正体も分からないのに」
「小鈴ちゃんの方が里には詳しいし、正体に関してはあの本と一緒だったのよ」
「あの本というのは一体……」
霊夢は児童書の棚を流すように見て本を抜き取って見せた。小さな魚がぽつんとある表紙。
「これこれ」
「スイミーですか?」
目を丸くする小鈴を前に霊夢は頁を捲った。
「ほら、この話って小さな魚が集って大きな魚に見せかける話でしょう? それとおんなじなのよ」
「確かにスイミーが目になって大きな魚のありをしますが……まさか大入道の正体が何かの群れだって言うんですか?」
「鳥よ。食べ物を持っていく大入道なんて変だと思ったのわ。最近野菜の値段が高かったのは鳥が食べていたんだと思う、むしろそっちの方が被害は多かった筈だから、大入道の姿の方がむしろ仮の姿だったんでしょう。ウナギまで食べる雑食性からして犯人はヒヨドリって所かしら」
「隊列を作ったり群を作る鳥はいますけど……入道に間違えるなんて有るでしょうか?」
「みんな見た様な気になってたけど、黒い固まりくらいにしか思ってなかったに違いないわ。大きくてもやもやしてたら入道と表現するには十分でしょう」
「確かに入道と入道雲等は意味の混同がありますが……でもそうなると退治というのも一筋縄では行かないですよね。私が手伝うのは良いですが、毒を撒くのは可哀想だし、霞網でも使うくらいしか……」
「それよりもっと楽な方法があるわ」
霊夢は風呂敷から羽子板を二枚取り出してにやりとした。小鈴は一度首を傾げたが、ああ、と掌を打って合点する。
「なるほど鳥追いでしょうか、それなら私にもできるかも」
「小鈴ちゃんは子供達にも顔が利くだろうから、出来るだけ皆でやって欲しいの」
「でも、もし抵抗されたら危険じゃ無いですか」
「大丈夫よ、普段の奴らは里に散らばって隠れてるだろうし、そいつらをその場から追い出してくれたら、後は私が結界の外まで責任もって追い出すから」
霊夢は鼓舞するように羽子板を振るった。
「鳥追いというのは歌を歌い、鳴子や羽子板などで音を出しながら練り歩く、お囃子の様な年中行事・祭・あるいは神事です。鳥害を防ぐ為の物で基本は小正月にやる物なんだけど、今日は特別必要なので皆協力してね」
小鈴に子供を集めて説明して貰った。こういうのは得意では無いので霊夢は読み聞かせの時と同じ様に後ろで聞き、進むルートだけ簡単に指示するに留める。それも大体大回りして欲しいという位だ。
適当に羽子板と叩くための小槌を配布し、小鈴が子供達の先頭に立つ。やや緊張している様だが、小鈴がいないと始まらない。
「じゃあ小鈴ちゃん、お願いね」
小鈴は一呼吸して、羽子板を打ち鳴らした。カーンという木の拍子が里に染み響き、歩き出す。
――西の方から来る鳥も――
童歌のような耳に馴染む調子で小鈴が歌い出し、子供達もそれに続いた。
――東の方から来る鳥も――
何事かと皆が見ているが、やっている事自体は分かったらしく暖かい目で見ていてくれた。霊夢は付いていかず里が見渡せる場所へと飛んだ。
――あの鳥どこから追ってった――
鳥追い唄と羽子板を叩く音は、小鈴達が角を曲がり見えなくなっても随分と聞こえた。この音が耳に入る鳥はきっと反応するはずだ。
霊夢は背の高い二階建ての屋根を拝借し、鳥の動きを眺めた。睨んでいたとおり、鳥追いの辺りからちらほらと鳥が飛び立つのが見えた。里の外へと漏れなく出て行き、野に降り立っていく。
小鈴は鳥害と言ったが鳥追いは鳥を益獣として歌で敬い役目の終わりを告げると同時に、害獣として音で追い払うという二つの意味を持っている。どうやら機嫌は損ねず素直に追われてくれている。
小鈴達の通り道から鳥が飛び続け、里の外に集まりが出来始めた。やがて黒い垣根ができ始め一片の雲が降りてきたように大きな塊と化した。鳥も飛び立たなくなるのを見て霊夢は鳥追いは終わりにして良いと伝えに行った。
しかし見物人に菓子など貰って子供達も思ったより楽しんでいて、まだしばらく里を練り歩きたいと返ってきた
。楽しんでいるならそれは結構だ。その場は小鈴に任せ、霊夢は羽子板と槌を一式受け取って鳥の元に向かった。
日も暮れ始めた今、鳥の群れは近くに寄ると蠢く原っぱのようで、見ていて気持ちの良い物では無かった。
神社に居たときは恨むほどうるさかったが、ここまでの大群になると声を出さないらしい、その辺りも存在を悟らせない小細工だろう。しかし所詮は少し頭の利く羽虫共だ。
霊夢は群れを前にして羽子板を構えた。
「大所帯で食べ物にでも困ってたんでしょうけど。いい加減出て行って貰うわよ」
霊夢が羽子板を打ち鳴らすと、一斉に羽ばたいて舞い上がった。地面ごと飛び上がったのかと感じる程の光景に一瞬たじろぐが、霊夢も後を追って飛び出した。
最早追い出すだけ、霊夢は暮れていく空の中、羽子板を思い切り叩き群れを外へ導いていく。
ところが真っ直ぐ追う筈だったが、いかんせん暗くなりすぎた。視界が悪く、縦横無尽に飛ぶ鳥を追うのは羊追いの比では無い。霊夢は変に逃げようとする群に進行方向に回り込みつつ、ひと塊にするのが精一杯だった。
どうしたもんか、悩めば悩むほど夜の帳が降りて来て状況は悪化していく。札を放っても大して効果が薄いのは屋台の時に知れていた、打撃とか針とかを使って数羽数十羽倒した所で怒りを買うだけ。いや、怒りすら感じないかも知れないが、長く居られるとそれだけで食料が狙われ迷惑極まりない。
幾ら無力な鳥だろうが、一の個で立ち向かうのは厳しいと痛感した。ガリバー然り、スイミー然り、数は力だ。
打つ手が無くなった霊夢はヤケになり、これでもかと羽子板を連打した。
「あー! うるさい! 夜は読書に耽りたいんだよ!」
と、怒鳴り声と共に巨大な光の筋が霊夢めがけて飛んできた。見慣れたそれを間一髪身を翻して横にかわすと、そこが魔法の森の上空であり、今のは魔理沙が撃った物だという察しが付いた。
鳥たちも不意打ちを食らって混乱気味だ、同時に霊夢は喜々として魔理沙の元に急降下した。
「良いところに! ちょっと手伝って!」
「なんだ霊夢だったのか、私の家だから良いところに決まってるだろう」
「そこはどうでも良いところだけど、あんたの魔法は役立ちそうだから急いで来てよ」
「何がなんだか分からんぞ、行ってやってもいいが……」
魔理沙が名残惜しげに本を見ているので、霊夢は強引に本を閉じ箒に乗せて飛び上がった。
大入道の正体は鳥の群であり、マスタースパークは屋台の時に大振りに避けていた事からも誘導にはもってこいだろうと羽子板を鳴らしながら説明した。
「談合したのに抜け駆けしようとするから、困るんだよ」
「近くに居なかったんだもん。とにかく、私が羽子板で前に押し出すから、魔理沙は上下左右に散るのを魔法で防ぐのよ」
「私の方が大変な気がするぞ」
「今まで私が頑張ってたもの、今こそ共同戦線を見せつけるのよ」
「調子良いなぁ」
魔理沙は冷めた笑いを浮かべつつ、八卦炉を構えた。
円を描くようにレーザーを放ち、群れを抑制することで全体が少しずつ前に進み始めた。おまけに辺りが少し明るくなるおまけで誘導もやりやすくなり、山辺から外に追い出すことにした。
「しかし大入道の正体が小鳥とは、たまげたもんだぜ」
「まったく小さい雑魚共が群がって、形ばっか大きく見せようなんて気に入らないわ。小さくたって一人で向き合えるくらい力付けて見ろってのよ」
「スイミー全否定だな、ファンが聞いたら怒るぞ」
軽口を交わしつつ幻想郷の端まで追い詰めると、霊夢は最後に思い切り羽子板を打ち鳴らした。鳥たちは誘導されているのを悟ったのか、もうわき目も振らずやがて見えなくなった。
「意外とあっけないもんだったな」
「所詮は羽虫だからね」
去りゆく鳥を見ながら、霊夢は夜闇に一人ふんぞり返った。
後日、霊夢は気になることがあったのと、お礼もかねてミスティアの屋台に小鈴を連れて来た。
霊夢はまず小鈴から羽子板を渡された。霊夢が必死に鳥を追い回していた頃、本元の鳥追いは更なる好況を得て、翌日の新聞にも載るほどだった。
一方で大入道の事件は一切触れられておらず、霊夢も少し歯がゆい思いをした。
「大入道退治お疲れさまでした」
「小鈴ちゃんも鳥追いお疲れさまね、なんか途中から主旨を逸してたみたいだけど」
「行列とか皆好きだったりしますから、なんか目立ってしまってすみません」
「謝る事じゃないわ、スイミーもどきより里の話で盛り上がってる方が健全だしね」
「退治できたんだ。じゃあ今日は呑むんだろう? お通しだよー」
ミスティアが枝豆の載った皿を置いたが、霊夢は素早く箸をとってミスティアの腕を挟んだ。
「いやいや、私はお通しじゃないんだけど」
「あんたにもちょっと事情聴取よ」
「この鰻屋さんも何か関係があったんですか?」
「直接はないだろうけど、直接襲われてるのに夜雀が鳥が正体だって気づいてなかったのは、ちょっと間抜けすぎるかしら。あいつらもあの時はうまく化けてたみたいだけどね」
ミスティアは少し渋ったが、箸でギリギリと締められ長い溜め息を吐いた。
「私だけじゃないよ、あいつらたまーにくるから妖怪とか里の人間でも知ってる奴は知ってるんだ、本当は正体が鳥だって」
「あ、そう言えばヒヨドリは渡りをする鳥でしたね」
「渡り鳥だったら毎年来るでしょう。その前に知ってたんなら教えてくれたら良いじゃないの」
霊夢は睨みを利かせてから、手を解放す。ミスティアは箸の跡に心配そうに息を吹きかけた。
「うーん、そこは暗黙の了解だよ。あいつらも餌に困ってきてるらしいけど、加減はしてくれてるんだ。十年単位で来るし、あの数ならもっと食い荒らしたっておかしくないのに、他の奴が口にしないものから食べていくし、それで人里が飢饉になったことは一度もないよ」
「それだけで見過ごしてたのかしら、とにかく今からでも次の対策を練るべきね……」
「あとは、巫女も言ってたけどスイミーみたいに見えたからかもね、憧れって言うか、それだけ」
「集まってでかくなってたのが関係有るわけ?」
「スイミーってそういう話じゃないよ」
霊夢は少し考えて、そうだったかなと小鈴の方を向いた。小鈴は枝豆を一人でちまちま食べている手を慌てて止めた。
「確かにスイミーを魚が集まって大きくなった話、と言うとちょっと語弊があります。あれは手段であって目的じゃないですから」
「目的はマグロを追い払う為じゃないの」
「えーと、そこまでが手段なんですよ」
「下克上の話とおもってたなら、異変に犯されすぎだ。スイミーは旅したって所が一番大切。そこで色々出会ってたんだよ、鰻とかね」
ミスティアは焼き途中の鰻をそっとと返した。
「そういえば最初は旅してたわね、兄弟を食べられて傷心旅行」
「そこで釣られそうな魚、ドロップのような岩、大きな鰻等に会って世界の新鮮さや素晴らしさに気づいたんです。世界には素敵な物が沢山あるんだって」
「色んな物を見たから、兄弟を失った状態から立ち直れたんだよね、スイミーは」
「そう! だから彼は皆に言うことができたんです。僕が目になるよ、と」
二人が盛り上がるので、霊夢は勝手に身を乗り出して勝手に鍋から熱燗を取り出した。
「だからって憧れる意味が分からないわ、誰も死んで無いじゃないし、今回は鳥だし」
ミスティアがだした猪口に小鈴がまあまあと酌をしてくれた。
「まあ自虐にもなるけど、幻想郷に居る奴らって殆ど外に出られない奴らの集まりじゃん。皆ああやって飛んで来て飛んで行く奴らにどこか感じることはあるんじゃない」
「確かに里の人は新しい物が好きですし、そういう気持ちを持っている人は案外多いかもしれませんね」
霊夢は思い返す。そういえば八百屋も新しい野菜を売っていた。新聞に大入道が載らなかったのも、単に新しくない事だった証拠だ。それはつまり、皆知ってて敢えて捨て置いている存在と言うことだ。
「全く、大入道を知らない奴らだけが騒いでたならお笑い草ね。誰も教えてくれやしないなんて……」
「知らない奴がなにするかも一興って事だよ。巫女もスイミーを見習って、一人で飛ぶんじゃなくて皆で新しい世界を見る方法を考えれば信仰も集まるってもんだね」
「そんなの、できるわけ無いじゃないの」
「私は霊夢さんを見てるだけでも何か新鮮な気になれますけどね」
「それはそれで変な奴みたいで嫌ね……もういいわ、今日は呑んでやる」
霊夢は目を細めつつ酒を飲み始めた。それから先はお疲れさま会と称し魔理沙なども乱入し、平常通りただの飲み会と発展していくのだった。
新聞にも取り上げられなかった大入道の話はいつしか忘れ去られ、知らない奴らに語られることも無くなった。きっとまた出てくる時までは誰も思い出しはしないだろう。
でも霊夢はスイミーの話と併せて密かに胸に留めておくことにした。
巫女の役目は妖怪退治と考えているが、或いは知らない世界を見せるというのも、巫女に求められる役目なのかもしれない。できるわけがない、だから胸に秘めつつ意識だけはしていたいのだ。
それになにより自分と同じ様に皆が飛んでくれたら、どうなるのか興味もあった。談合とかではなく、ただ皆と飛び同じ物を見て聞いてもらえたら、何か変わるだろうか。
さらに数日後、新聞の見出しを目にして霊夢は驚いた。
――大行列、八目鰻のゼリー寄せ! 人気の秘訣は怖い物見たさ!?――
こういうことでは、ないよなぁ。
頭を掻きつつ見上げた空にはヒヨドリが数羽仲良く飛んでいて、なんだか羨ましく思えたのだった。
面白かったです
ああ成る程って思ってしまう作品でした。
どこかの国では鳥の大群をドラゴンに例えて表現していましたから、ここでは入道というのがしっくりくると思います。
次回も期待しております。
昔通ってたスイミングスクールのマスコットだったっけ。