Coolier - 新生・東方創想話

彼女が生まれた日

2015/04/18 03:23:56
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 その日に「私」は生まれ、「十六夜咲夜」と為った。


 晩夏の風が、熱を吹いて流してゆく。新月の夜空を眺めながら、薄着で過ごせる時間はあとどれくらい残っているのだろうか。そんなことに思いを馳せる。

「もうすぐ秋が来ますねぇ……」
 
 対面で寛いでいた美鈴がそう呟いて、ブランデーの入ったグラスコップを傾ける。すっかり昼夜の逆転してしまった主たちは夜に眠り、残されたささやかな時間を従者たちは楽しんでいた。
 振舞う酒は趣味で寝かせていた物だが、彼女が美味いと言って笑う度に、咲夜は嬉しくなって笑う。自身も口にし、出来の良さを再度確認してから返答を考える。

「秋神の目覚めね。味覚が待ち遠しいわ」
「栗に秋刀魚、松茸に茄子に芋……いやぁ目白押しですね~。お酒のつまみだったら銀杏もよいかと」
「昼間に湿気に悩まされなくてもいいし、ホント、良い事尽くめね」

 幻想郷はいい。春夏秋冬、尽きる事のない楽しみが溢れている。ふと眼をやれば、そこらじゅうに娯楽がある。特にこの紅魔館は最高だ。美しい主に仕え、愉快な者たちが集い、こうして夜に、穏やかな時間を過ごす事もできる。そこまで考えて、咲夜はあることを思い出して苦笑した。

「そういえば今日、魔理沙を追い返したでしょう。里で会って愚痴に付き合わされたわ」
「天気が良かったので、調子も良かったです」
「ふふ、何それ。変なの」
「大事なことですよ? 天候は」

 戦において五事は基本。そして詭道を心得て、研鑽を積むべし。兵法はあらゆる物事に通じる概念だ。スペルカードにおいても例外はなく、美鈴はそれを忠実に守ったに過ぎない。

「それに、最近はパチュリー様の研究が煮詰まっていますから。下手に邪魔されて、怒ってまた庭に怪模様を作られても困ります」
「道理はあったのね」
「アドバイスも上げました。分かってなかったみたいですけど」
「あぁ、迂直の話? まぁあの子の頭脳は魔法理論に偏重してるから……」

 妖怪退治屋を自称する魔法使いとて、まだまだ人間の子である。これから星の数ほどの知識と経験を得て、彼女は何処までも飛び続けてゆくのだろう。

「でも、いいじゃない。そういう不器用だけど器用で、真面目で不真面目な努力。好きよ、私は」
「私も好きですよ。特に努力は。あれは命に意味を与える物です」

 そう言って、美鈴は湖を遠い目で眺める。

「妖怪の貴女が努力を語るなんてね」
「通称、人間以上に人間くさい妖怪ですから」
「そもそも、貴女はなんの妖怪なのよ」
「さぁ? 呼び鈴じゃないですか? それっぽいですし」
「またはぐらかすんだから……」
「分からない物は分からないんですよ。そんな昔のことは忘れてしまいました」

 地底の悟り妖怪に頼んで、記憶を掘り起こしてもらおうか。そんなことも考えるが、果たしてこの妖怪にトラウマがあるのかどうかすらも怪しい所だ。妖怪だけに。
 
「いいじゃないですか。そこらの木端妖怪ということで。誰も気にしませんて」
「私が気にするわ」

 思わず真摯に返してしまい、咲夜は下手を打ったと内心で舌打ちしてしまう。そんな態度に意表を突かれ、美鈴は驚いて咲夜の顔を呆然とした表情で見返した。
 少々の沈黙。咲夜は考えたが、持っていたグラスを傾けて、酒の所為ということにして言葉を紡ぐ。

「……妖怪に由来は必要よ。それが無ければ存在は曖昧になる。ふとした瞬間に貴女がいなくなるのは――貴女の幻想が解けてしまうのは、嫌だわ」
「いやそんな事はありえませんけど……ふーん、そうですねぇ。じゃあ武術の化身ということでどうですか?」
「特技でしょ、特性じゃないわ」
「気を使えます。これって特性ですよ?」
「もう……」

 真面目に返してしまった自分が馬鹿らしくなって、咲夜はブランデーを呷る。
 この〝正体不明の妖怪〟以上に正体不明の妖怪は、まるで凧のようにふらふらだ。糸を掴んでいなければ、それこそ風に攫われる――。

「自分がどうやって生まれて、何をするのかは忘れちゃいましたし。それを考えるより先に、お嬢様がここに住めって言うものだから、考える必要もなくなっちゃいましたし」
 
 庭を手入れして、主とそれを見ながら楽しんで。

「妹様とも遊べて、尽きる事なく本も読めるし、やってくる妖怪や人間と戦えて、こうして美人な咲夜さんと晩酌できる。いやぁ素晴らしきかな、紅魔館」

 能天気で、楽天家。それでいて物事の芯は捉えつつ、なおもふらりと定まらず。
 この幻想郷においてそんな性格は珍しくもないが、咲夜はそんな美鈴が好きだった。美鈴だから好きなのだろうと言うことは、完結している論理である。
 思えば彼女は、いつも笑顔を浮かべていたように思う。困ったときも笑っていた。彼女が怒っているのを、咲夜は全く見たことがなかった。
 一度だけ、怒られた事はある。しかしあれは、いわゆるお叱りという奴だ。ここで言う怒りは、もっと激情的な、憤りのような物である。普段から美鈴は、そういった物を余り見せない。

 だから彼女は、怒ったらすごく怖いのだと、咲夜は思う。
 
 彼女は妖怪であり、自身よりも何十倍も生きてきた存在であり、その歴史を理解するには自身は小さすぎる。時を止めたとて器を大きくするわけではないのだから、無理なのだろう。いや、時を速めればあるいは出来るかもしれないが、自分に使えるほど咲夜は自身の能力を把握していないし、信用もしていなかった。
 それに、戻せないのでは意味がない。今はまだ、このサイズが心地よいのだから。
 
「……そう言えば」

 このサイズになるまで相応の時間を経てきたが、咲夜はふと、この歴史の始まりについてを振りかえりたくなった。時を止めて、机に肘を突いて、瞼を瞑り始原の情報を思い浮かべる。誰も動かなくなった世界で、咲夜は少しだけ、過去を振り返ることにした。



   ―――◇―――



 「貴女に名前をあげるわ」



   ―――◆―――



 初めてこの館の天井を見たのは、凍てついた気温と土砂降りの雨の音が響く、そんな夜のこと。
 綺麗な白いシーツに、自身の体温が乗り移って、その中でもぞもぞと悶えてしまう。
 しばらく、灯りのない部屋でじーっとしていると、扉の向こうから鈴の音が聞こえてきた。
 その音は、何故だかとても安心させるような響きで、恐怖はなかった。
 鈴の音が段々と大きくなって、ついに扉の前に立ったようだ。がちゃりと音を立てて開かれると、廊下から不思議な明りが差し込み、そして一人の人間が入ってくる。
 人間と目があった。清澄な青い瞳と、鮮明な紅い髪の人。

「あ、目が覚めたんですね。こんばんわ」

 柔らかな声と、優しげな笑み。
 ゆっくりと身を起こしてもらう。別に身体に異常はなかったのに、何故こんなにも丁寧にされているのか分からなかった。

「では遅めの夜食と洒落こみましょうか」

 彼女が廊下に備えていたワゴンを入室させる。上には白磁器のお鍋があって、蓋を取ると、とても良い匂いがして、思わずお腹が鳴った。
 小鉢に注がれたのは粥。それだけではない食欲をそそる匂いがしたが、幼い者にそれがわかるはずもなかった。渡された小鉢と匙を使って、温かい粥にありつく。
 それだけなのに、何故か涙が出た。
 分からないけど、泣きながらお粥を食べた。
 渡してくれた人は、優しげに微笑みながら、わたしの頭を撫でてくれていた。



   ―――◆―――



 そんなわたしの第一遭遇者こそ、何を隠そうあの紅美鈴である。
 この館、赤い赤い館のメイド長をしていたらしく、普段は掃除や洗濯に料理やお嬢様の相手と忙しそうだが、時間を作って必ず会いに来てくれた。
 わたしが目覚めて、まず最初に美鈴に連れられてこられた場所は、館の一室。のちに迎賓室と知るその部屋で、豪華な飾りと長いテーブルの先に、主が待っていた。
 これが、私が記憶するお嬢様との初めての面会。

「あぁ、その子が例の?」
「はい。見てくださいよ、すっごく可愛いでしょう?」
「確かに」

 可愛いと言われて、恥ずかしくて目を伏せる。美鈴に着飾って貰った服は、なんとお嬢様のお古であり、今思えばなんということと驚嘆してしまう。しかし同時に、彼女たちの反応は「何を言ってるんだこいつらは」という擦れた感想が出てきてしまう。それだけ色々知ってきた。

「じゃあ、とりあえず修行編ね。美鈴、任せたわよ」
「畏まりました、お嬢様」

 その部屋を出て、美鈴から色々聞かされる。わたしが雨の中、館の前で倒れていた事。それ以前のことは覚えていない。どうやら記憶喪失らしく、行く当てもないだろう。ならばこの館で働けばいい。そういったのはお嬢様で、賛同してくれたのは美鈴。何故かパチュリー様は反対なされたけど、激しい説得の末諦めてしまわれた。

 そういえば、わたしには名前がなかった。

「貴女」 

 お嬢様は決まってそう呼ばれていた。

「名無しさん」

 パチュリー様にはそう呼ばれていた。

「お嬢さん」

 小悪魔はそう呼んでいた。

「おチビさん」

 美鈴にそう呼ばれて、背の低い自分がちょっと悔しかった。

 名前を貰えたのは、私がメイドとしてこの館に籍を置いて、四、五年ほど経ったころのことである。
 名前を貰う前までは、メイド長の後ろで習うだけの半人前。
 今もまだ、半人前かもしれない。
 やはりまだ、いろいろと時間が足りない。
 止めるだけでは、追いつけない。



   ―――◆―――



 わたしが能力に気付いたのは、野良の妖獣に襲われた時だった。 
 美鈴に一方的に怒鳴って、館を飛び出した。
 いつまでも小さい自分に嫌気がさして、勝手に癇癪を起こして、泣いて喚いて飛び出したのだ。思い出すだけで恥ずかしい、幼い自分にむっとする。
 一人で生きていけると思った。
 食うに困らない技術と知識を得て、出来る気がしていた。
 自信だけが膨らんで、盲目のままに暴れ回る。
 そして報いを受けた。
 
 人里に降りて知ったのは、自身が他人よりも奇妙な外見を持ち、気持ち悪がられる事。

 森の中で知ったのは、吸血鬼の館の回りが危険な事。妖怪や妖獣は火を恐れない事。そして子供の肉が好きなこと。
 
 そしてわたしは、わたしだけの世界を手に入れる――。

 わたしは走った。全力で。
 怖かった。後ろを振り返りはしなかった。死ぬことへの恐怖を知った。
 走って、走って、苦しくても走って、転んでも走って。
 その先に、彼女が立っていた。
 門の外、はるか遠方を睨む美鈴。彼女が門前に立つ所を見たのは、それが初めてだったろう。
 わたしは彼女の足にしがみついて泣きじゃくった。
  
 気付けば、わたしは彼女に抱きしめられていた。

 いつの間に能力を使い、それを終わらせていたのかは分からない。
 でも抱きしめられたことに安堵し、そんな事を気にする余裕はなかった。 



   ―――◆―――



 落ち着いた頃に平手で叩かれた痛みで、もっと泣き喚いた。



   ―――◆―――


 生きる術を身につけよう、この館にいる皆に並び立つ為に――私は一念発起した。

 能力を知っていく中で、パチュリー様には多大な迷惑をかけてしまったと思う。

 彼女自身、私の能力について分析できたのは嬉しいとおっしゃられたが、しかしお手を煩わせてしまったのだと考えるとどうにも心苦しい。
 しかしその甲斐あって、時空間干渉の特性を発見できたのは嬉しかった。
 結果として紅魔館は空間的に複雑に歪曲したサプライズボックスになってしまい、妖精メイドを雇うハメになったが、まぁ些細なことだろう。
 
 戦闘技術においては美鈴に師事した。最初は彼女と同じく中国武術を教わろうとしたが、美鈴が軍隊式の格闘術の方が便利と言うことでそれを教わった。
 実際の所、私にはこちらのが合っていた。対人への制圧力と受けの柔軟さは強い。自衛手段としては持って来いだ。
 ただし、対怪異用としては心許ない物が合った。美鈴は飛び道具を奨めたので、弓や銃器、投擲系の武具は一通り試行してみた結果、ナイフをチョイスした。お嬢様は「吸血鬼の従者がナイフ使いなんて二人とも洒落てるわね。銀のナイフをあげるわ」なんて言って笑っていた。その時いただいた銀のナイフは、いつも懐に忍ばせている。
 武術は習わなかったが、人体における急所、ツボの知識は学んだ。これは実は妖怪にも使えることであり、死にはしないが行動を押さえるのには便利だった。

 飛び道具に格闘術、急所の知識。私は世界を知り、武器を手に入れた。

 そういえば美鈴に、何故中国武術ではダメなのかと聞いた時のことを思い出す。
 
「確かに咲夜さんが武術を使うのはいいですけれど、あれって必要以上に型を覚えなくちゃいけないし、もう古くなるでしょうし、だったら新しい格闘術のほうがいいと思うんですよ」
 
 それに、と美鈴は付け加えた。

「試合するとき、同じ技じゃ、ちょっとつまんないですし」

 完全に私情を挟みやがってこのやろう。
 私は後で美鈴に厭味を言ってやろうと決めた。



 ―――◆―――



 修行編で思い出したが、美鈴はわりかし武芸百般であった。
 
「無駄に長生きしてたんで、色々知ってますよ」

 格闘術もそうだが、武具を使うものが出来たのは意外だった。なんでも中国武術は道具を使う物も多くあり、そう言ったものの延長線上らしい。

「と言っても薄くて広いので、達人相手では肉薄出来るかどうかも怪しいですけど」

 一度、お嬢様と槍で稽古しているのを見たことがある。お嬢様が片手で豪快に振るうのに対し、両手で構えてそれを受け流し、面や石突きなど多彩な反撃を生み出しているのが印象的だった。発端はお嬢様の読んでいた漫画であり、気のまぐれを起こしたお嬢様が美鈴に教わっていただけのことである。最終的には飽きて辞めていたが、お嬢様も槍が持ついくつもの戦法には感心していたようだ。

 そして美鈴についての能力――気を使う程度の能力。
 
 気――正確には氣――については様々な解釈があり、活用方法があるという。活性化や治癒、力の流動的運用など、方法によってその有様は変わり、結果として多様な解釈が生まれた。
 美鈴は、この気を霊力だと説明した。
 事実として、彼女は他者の霊力を感じ取り、その変化を顕著に知り分けていた。
 それは魔力などにも同様の様で、おそらく源流が同じなのではというのが美鈴の見解だ。

 そんな『気』であるが、彼女はそれを自身に纏うことで身体のあらゆる性能の向上が可能な上、その活用法を熟知していた。それこそ経絡論理から気功術まで幅広い。

 武術に関して言う『気』というものは、正確には霊力は関係がない。生み出した物理的な力を気と表現し、それを相手に伝える。それが武術における『気』の運用方法だ。しかし美鈴は、これを『霊気』を使ってアレンジしている。

 そして元々妖怪である性質上、彼女の防御力は0であり∞だ。物理的な損傷に対しての治癒能力は、吸血鬼ほどではないにしろ相当高い。彼女ら妖怪への攻撃手段は、もっと論理的な面での攻撃が適している。そうすれば幻想は解かれ、彼女たちは妖怪としての縛りを失うのだ。

 逆に言えば通常の物理攻撃に憂慮することはない。思う存分、攻撃力にその霊力を回す事が出来る。その霊力を纏った攻撃は人間は言わずもがな妖怪に対しても有用であり、彼女は近接戦においてその力を発揮する。

 弱点が少ない、しかし決め手に欠けると評された美鈴であるが、それは彼女の近接戦闘に目が行きがちなことであるためではなかろうか。気の運用は、妖怪にとっても決め手になりうると私は考える。

 霊力を放出し、飛び道具とする彼女の能力であるが、彼女自身は飛び道具についてはあまり思い入れはないらしい。拳と拳で語り合うという方法が、彼女にとっては心地よいと言う。勝つことよりも、戦うことに意義を見出してしまうタイプ。

 そんな性格のためか、彼女が積極的に人間を襲うという状態を、私は想像できない。

 そしてそれらが畏怖の一因にもなっている。きっと過去にはあったのだろう、そういう状態が。
 今でこそのんびりとした彼女の、妖怪としての在り方。
 それともこれは私だけの幻想なのだろうか。
 暴こうとは思わない。
 ただ、教えてくれるなら、教えてほしかった。

 好きな人の事を知りたいと言うのは、人間にとってごく当たり前の感情じゃないか。



 ―――◆―――



 美鈴に対する感情を、私は未だ説明できない。
 それは愛のようであるが、単なる親愛ではないのかもしれない。
 幼い頃に抱いた感情は、尊敬であり、確かに親愛であったろう。
 年月が立ち、私の中のそれは変化していた。

 お嬢様への感情は、忠誠であり、尊敬であり、畏怖であり、崇拝である。

 それは人格を別とした、私が十六夜咲夜という存在である為の物。
 それを抜けば、お嬢様は親であり、手のかかる娘のようでもあり、愛らしく愛おしい。
 
 妹様も、お嬢様と同じくして仕えるべき、愛らしく愛おしい主。
 パチュリー様もそう。お嬢様の友人にして、良き理解者。我らが紅魔館の頭脳。尊敬する。
 使役する多くの妖精たち。気紛れで使えない事も多く、替えは利くが、それでも愛着はある。

 これだけ多くの対象があって、何故私は、外勤の彼女に最も心を惹かれているのだろう。

 長く共に過ごしたからか。
 それはそれで簡素な結論である。むしろそれで納得してしまう様な答えだ。
 それを是とする気持ちと、非とする気持ちもある。
 人間ゆえの、複雑さを求めてしまうという無駄なものから来る、無駄な心理だ。

 しかし結局、これに対して明確な答えを出したことは、実は一度もなかった。
 最後は『美鈴だから』という曖昧な結論に帰着するのだ。
 
 同僚として信頼し、友人として親しく思い、親として敬い、師として仰ぎ、個人として惹かれている。

 複雑だ。認められたい、もっと知ってほしい、その為にもっと一緒にいたい、話したい。
 それを統括して言葉にできるほど、私は経験も知識も多くはない。



 ―――◆―――



 メイドを始めて、五年ほど。
 ついに私はお嬢様付きを許された。それまでは美鈴が勤めていた地位だ。

「おめでとうござます」

 そう言われて美鈴に頭を撫でられた時のことは、今でも思い出せる。
 もう背も彼女に近くなっていたので、ちょっと恥ずかしかった。
 
「いやぁようやくこの時が来ましたねぇ。ゆくゆくは内勤を全て任せて、私は隠居ですか」
「ふん、そうなったらクビだ」
「そんなっ! やっと妹様のお部屋で入り浸れる時間が出来ると思ったのにー!」
「はっはっは。人の妹に手を出すつもりか表出ろ!?」

 美鈴は妹様への給仕、遊び相手などもやっていた。私も謁見を申し出たことはあったが、ダメだと言われた。

「妹様は最近長い眠りから目覚められて、いまいち力加減を覚えられてないんですよね。私なんかは別にいいんですけど、咲夜さんは人間ですし、もしもの事があったら困りますから」

 人間は物理的に脆弱だ。簡単に死ぬ。

「まったく困った妹ね」
「まぁお嬢様ほど手は掛かりませんけどね」
「あら、この子の昇格祝いは口煩い木端妖怪のステーキかしら?」
「美味いんですかね?」
「自分で齧ってみろ」
「不味そうだなぁ……」
「自分で言うな」

 軽口を叩いて三人で笑っていると、パチュリー様がやってくる。

「そろそろその子にも名前が必要なんじゃない? レミィのお世話付きなら、もう一介のメイドではなくなるでしょう」
「そうですねぇ。もうおチビさんと言うほど小さくもないですし」
「結局記憶も戻らなかったしなぁ」

 その頃にはもうすっかり忘れていたが、私は記憶喪失だったのだ。

「戻るかどうかは置いておいて、やっぱりここはお嬢様が決めた方が良いのでは?」

 美鈴の言葉にパチュリー様も同意する。

「そうね。レミィもそろそろ主たる所以をこの子にも見せなくちゃね」
「今までにいくらでも見せてきたでしょ!」
「え? 美鈴、見たことある?」
「うーん……」
「ちょっと!」

 これは彼女たちなりの冗談である。彼女が主たる所以は、いつでもこの目に焼き付けてきた。多分。

「ふん! 揃いも揃って好き放題ね。いいわ、吸血鬼の女王である私がパーフェクトでエレガントな名前を授けてあげるわよ!」
「わー」
「期待しておくわ」

 乾いた拍手を送る二人に、お嬢様は脱力する。

「全く、つくづく怖れを知らない奴らだなぁ……」

 それから、お嬢様は図書館に籠った。名前辞典を引っ張りだして、真剣に名前を考えてくれているらしい。
 しかし中々決まらず、パチュリー様や美鈴も交えて悩む姿がそこにはあった。
 最初こそアドバイザー的な立場の二人であったが、議論に熱が入り、提案し、誰もが譲らなくなっていた。

「だから『タイムストッパー』でいいじゃん!」
「いや、そんな能力を一発で明かしちゃう名前はダメでしょうよ……」
「名前は大切なのよ、レミィ。名前を付けるということは、相手を縛るということ。どのように縛るかは、この名前に懸っているわ」
「うー……」
「やっぱりここは『メアリー』が良いと思うんですよね~」
「姓はブラッディかしら? 良い趣味ね美鈴。そりゃ悪魔の館にはお似合いでしょうけど、そんなのダメよ。あの子に血塗れは似合わないわ」
「いやだなぁパチュリー様、さすがにそこまで直接的な名前にはしませんよ。姓は花の名前が良いなぁ。白い奴で」
「花の名前ぇ? 少女趣味だなぁ。もっとこうババァーン! てなる格好良い名前にしなさいよ」
「レミィはそっちに傾き過ぎ。でもそうね、悪魔の館の侍従に恥じない、人の印象に残るような名前がいいわ。そんなわけでこれが良いと思うのよ」

 『朔夜』

「夜の字はどうかとも思ったけどね。ま、吸血鬼の従者ならいいんじゃないかなって。朔は言うまでもなく新月よ。満月に羽ばたく吸血鬼がいるなら、その従者は対極の新月を表すのがいいじゃない」
「ほへー、漢字とは盲点でした」
「やるわね、パチェ」
「ふふん。七曜の魔女に死角はないわ」

 何故漢字なのかと思ったが、それは紅魔館が幻想郷へと移るかららしい。

「だとしたら名字も必要じゃない?」
「そうね……」
「うーん、『朔』はちょっと固いなぁ。だったら『咲』のほうが良くないですか?」
「そうかしら」
「こっちの方が美人さも出てイイと思うんですけど」
「ふーむ、まぁ、一理あるわね」
「で、名字はどうしましょう。やっぱり『紅』ですか?」
「それじゃ貴女の子みたいじゃない」
「ま、そうですよね。別のにしましょう」
「「「うーん……」」」

 思いのほか、名字で難航したらしい。数日は図書館で辞書と睨み合っていた。

「あ、そういえば」
「お、何か妙案ですかお嬢様」
「いやさ。吸血鬼の従者を名乗るなら、やっぱり名字も月関連がいいかなぁって」
「月齢とかですかねぇ、望月とか?」
「朔は被るし……晦はちょっと……あ、十六夜は?」
「いいわね。語呂もぴったしじゃない?」
「満月の次にくる月ってことで、夜の王に付き従う従者としてはほぼ完璧じゃないですか」
「計らずも意味が含まれたな。よし、決まりだ!」



 ―――◆―――



 その後、開かれた会食で、私は名前を頂いた。

「貴女に名前をあげるわ」

 運命の瞬間。

「『十六夜咲夜』――貴女の名前は十六夜咲夜よ。いい? これを魂に刻みなさい」

 はい、と小さく答えて、私は頭を垂れる。

「これで貴女は私の眷属。私の従者。その命が尽き果てるまで、悪魔の狗として仕えるの。その覚悟は出来ていて?」

 はいと答えた時、私はお嬢様の目を強く、そして静かに見据えていた。

「ふふ。良い瞳だわ。美鈴、上手く仕上げたわね」
「元が良かったので、私は何も」
「やがてはメイド長の地位に就かせるわ。きっと貴女よりも優秀なメイド長になるわよ」
「私はクビですか」
「クビよ」
「お役御免になったら妹様に面倒見てもらいますから平気ですぅ~」
「だからお前は人の妹を誑し込むのをやめろ」

 それから私はささやかな祝賀会に招かれた。
 『十六夜咲夜』の出生を祝うバースデイパーティ。
 吸血鬼と魔女と、謎の妖怪から掛けられる言葉に私は惑う。
 
 吸血鬼の館に住まう従者の、これが始まり。

 『十六夜咲夜』という人間が生まれた、記念すべき満月の夜の話だ。



 ―――◇―――



「…………」

 さぁ、という風の音が耳について、咲夜は目を開く。
 気付けばベッドに横たわっていた。丁寧に敷かれたシーツ。起き上がると、寝ていた部分が温かくなっていた。どうやらいつの間にか能力が解かれ、眠っていたらしい。ベッドに寝かせてくれたのは美鈴だろう。部屋を見渡すが、その姿はない。
 
「嫌だわ、リラックスしすぎたのかしら」

 普段ならそんなこともないのだが、酒が入っていたせいか、それとも昔の気分に浸ってしまったからか。
 まぁなんでもいい。とりあえず起き上がる。鏡台で身だしなみをチェック。上手く寝かせてくれたものだ。乱れはほとんどない。
 時間は先ほど止めてから一刻ほど。止めている時間を考えていると、それ以上は眠っていたのかもしれない。
 部屋を出る。とりあえず館内を散策。相方を探しに行くと、厨房で誰かが料理をしていることに気付く。覗くと、コンロの前に美鈴が立っていた。

「何作ってるの、美鈴」
「夜食になるおつまみを少々。もうちょっと呑みたいんですけど、お腹も減っちゃって。咲夜さんもどうですか?」
「ふふ、いいのかしら、ご相伴に預かっても」
「ええ、もちろん」

 辛味の効いたタレを絡めた野菜炒め。バターで炒めて塩を振ったピーナッツに、餅には醤油をつけて海苔で巻く磯部焼き。
 塩気が多い。匂いを嗅ぐだけで、ご飯が食べたくなる。

「夜にこんなものを食べるなんて、太っちゃうわよ?」
「お腹が空いては戦は出来ません。いついかなる時も、戦には備えるべきですよ」

 咲夜の自室にそれらを運び、再び席を設けた。

「いただきます」
「召し上がれ」

 咲夜が野菜炒めを食べる。辛味の効いたタレが、刺激となって突き抜ける。
 美鈴も次いで野菜炒めにありつき、グラスに注いだ酒を呷る。美鈴と共に咲夜が手掛けた紹興酒だ。呑み干して、新しい酒を注ぐ。

「あんまり呑み過ぎると明日に響くわよ」
「は~い」

 咲夜も野菜炒めをつついて酒を呷った。
 相変わらず、この妖怪の作る料理は美味しい。懐かしい気分だ。

「昔はお酒も呑まなかったけどねぇ……」
「いいことですよ。お酒は生きる気力になりますから」
「嫌なことを忘れているだけじゃない?」
「それでも良いのです。負の気を祓うのもまた、生きる為の術。いやはや酒はまさしく百薬の長ですよ」
「呑み過ぎれば毒ともなる劇薬よ。それを忘れてはならないわ」
「人間に強すぎると言うだけで、妖怪にはそれほどでも」

 そう言って笑って、美鈴は酒を呑み干して、新たな酒を注ぐ。
 
「ホント不思議よね、見てくれは全然変わらないのに」
「そういう仕組みの上で成り立っていますからね。咲夜さんだって同じ穴の貉ですよ」
「生憎私はそんなにお酒は飲まないわ」

 そういう話ではありません、というふうに美鈴は呆れ顔。咲夜は意地悪く含み笑う。分かっている顔だ。分かってるならいいと考えて、美鈴はピーナッツを口に放り込む。
 
「貴女は変わらないわね」
「貴女は変わりました」
「もう、拗ねないでよ」
「……いつか」

 美鈴は湖の方を見てぼやく。

「いつか貴女が、ふとこの場から消えてしまうような、そんなことを考えます。ある朝目覚めると、館から貴女の気配が消えている。幻想郷から貴女の存在が消える。まるで、貴女一人が夜の時間に取り残されてしまったみたいに。永遠に辿りつけない夜の世界へ消えてしまうのではないかと」

 それは私の死を恐れているのか? 聞こうと思ったが、無粋だから咲夜は聞かない。
 しかし咲夜は嬉しくなった。彼女もまた、私を同じように思っているのだと分かったから。勿論、その嬉しさを素直に伝えられるほど、咲夜は幼くないが。

「……どうでしょうね」
「ま、吸血鬼の従者が夜の世界に囚われるってのも、あり得ない話ではないですけれどね」

 冗談めかして、美鈴は皮肉気に笑って肩を竦める。
 だから咲夜も苦言を呈した。

「だから昼寝をするの? ダメよ、あんまり仕事をさぼっちゃ」
「幻想郷に人の話を聞く人がいないので、あんまり変わらないと思いますけど」
「貴女もその一人だって事、忘れてないでしょうね」
「忘れてないですよ~。今日だってお仕事しましたよ~」
「あら、そういえばそうだったわね」

 咲夜は頬を緩ませた。
 たまに見る。彼女がああして、いつになく真面目に心配してくれる姿を。
 普段はのんびりとしている彼女とのギャップが、ちょっと面白い。

 平穏なこの場所では、危機もない。誰も彼もが穏やかに生きていく。死すらも受け入れ、なだらかに歴史が流れてゆく。
 
 全てを受け入れる、天外魔境にして理想郷。
 
 そしてその危機の無さが歪みを生んでいる。『異変』こそあれど、あれは遊びであるし。
 何かに必死に打ち込み、研鑽を積む者。
 流れに身を任せ、安穏と暮らす者。
 幻想郷の住人の様相はそれぞれだ。

「心配しなくても、ここでそんな事は起こらないわよ」
「起こったとして、それを忘れてしまうことが心配なのですよ」
「…………」

 人妖の差。悲しい隔たり。生きる時間の長さ。
 妖怪は過去に拘らない。何故なら拘った所で意味がない事を知っているからだ。
 そう考えると、忘れ去られてしまうのはとても悲しい。

「……まぁ、起きたら、必死で探してちょうだいね」
「は~い」

 ではどうするのか。
 今を鮮明に生きていくのだ。様々な物に焼き付けて、後悔をしないように。



  ―――◇―――



 つまみが一通り無くなったのは、草木も眠る丑の刻、その終わりであった。
 
「もう三時ですか。いい時間になっちゃいましたね」
「ちょっと呑み過ぎたかしら……眠いわ」

 咲夜はらしくなく顔を赤らめていた。対して美鈴は素面のよう。呑んだ量は美鈴が多かったが、やはり酒への耐性は比べるべくもない。

「やはり酒の一番の肴は他人の話ですかね~。さ、良い子はとっくに寝る時間ですよ」
「良い子じゃないわ。悪い子よ」
「じゃ、悪い子も寝る時間ですね。おやすみなさい」
「んもう」

 ふてくされたように頬を膨らませる。その動作から次いで、咲夜の体内で莫大な気が流動し、膨張する。瞬きを一つすると、咲夜は寝間着に着換えていた。相変わらず素早い。

「貴女はどうするの?」
「お皿を洗って寝ます。明日も早いですからね」

 朝のトレーニングは欠かさない。どれだけ遅く寝ようとも、鍛錬前に目は醒める。

「ふぅん……」

 また、気が膨らんだ。

「お皿なんてあったかしら?」
「…………」

 駄目で元々、机の上を見遣れば、なるほど汚れた皿の存在は消えていた。
 さぁ何故でしょう? 考えるまでもない。

「……どうしました?」
「今日は夜風が騒がしいし、囚われちゃうかも」

 美鈴のベッドに腰かけて、意地悪そうに彼女は笑う。
 誘っているのだ。大胆なことで。

「子守唄が必要な歳でもないでしょうに」
「今はそんな気分かも」
「……咲夜さん、酔っぱらってます?」
「じゃあ、お酒の所為って事で、どう?」
「どうって、……もう」

 もうダメだ。これは完全に酔っぱらっている。そう言うことにしよう。

「変な所で変わってないんだから……」
「当たり前でしょう。貴女の歳の一割にも満たないのよ、私は。そう易々と変われるものではないわ」
「不便ですね、人間って」
「そうなの。でもどうする事も出来ないわ。……それとも、貴女が変えてくれるのかしら?」
「……アホなこと言ってないで寝なさい」
「夜は永いわ。楽しみましょう」
「……もう、まったくもう」

 説得を諦めた美鈴は、服を脱いでいく。
 脱いだ服はソファにかけて、ベッドへ。

 従者たちの夜は、まだ明けない――。



 了
初めて投稿させていだきました。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

東方に触れ、このサイトを訪れ、筆を執られたという方も多いかと思います。今まで読むだけだった自分も、我慢できずにこうして投稿してしまいました。つたない文ですが、少しでもお楽しみいただけたならば幸いです。

時系列、設定の把握ミスや誤字脱字等あれば、ご指摘の方をお願いいたします。
泥船ウサギ
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コメント



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1.80名前が無い程度の能力削除
よかったです。
4.100名前が無い程度の能力削除
nice
7.90奇声を発する程度の能力削除
雰囲気も良く面白かったです
10.90名前が無い程度の能力削除
作品の売りが丁寧なめーさくなのはわかるのですが、個人的には名前決めの時に図書館に通うおぜうさまが可愛いと思いました、まる
13.90ななっしー削除
初めてでこれってかなりすごいんじゃ… キャラクターがイキイキしてて見てて楽しかったっす めーさくすこ
また作品を書いてくれたら100点入れますw
17.90名前が無い程度の能力削除
なんて可愛らしいめーさくか…!
19.100名前が無い程度の能力削除
このめーさくはよい
22.100名前が無い程度の能力削除
咲夜を手込めにしつつ、フランのヒモになるとはやりおる。