「阿求。あんたってさ。座敷童子っぽいよね」
「はあ?」
鈴奈庵に本を返しに行った折、店番をしていた小鈴から胡乱なことを言われた。
「おかっぱ頭、和服、猫かぶり。そっくりじゃない」
「人を妖怪と一緒にしないでよ」
そんな戯言をいつものように交わした帰り路、夕闇が里を覆い始める時間、私は歩きながら深く考え込んだ。小鈴は何も考えず思いついたことを言っただけであろう。しかし、私、稗田阿求が座敷童子に似ているという考えには案外真理を突いた部分がある。
あらかじめことわっておくが、外見のことではない。私はあんな妖怪よりはよっぽど外見に気を使っている。頭に付けてる髪飾りだって花屋で一番高いものを買ってる。和服だって意匠を凝らした特注品だ。親しい相手以外に丁寧なのは猫かぶりじゃなくて名家の社交術だ。庶民の小鈴には分からないだろうけれど。
さておき。
座敷童子は居ついた家に幸福と繁栄をもたらす。だから、妖怪でありながら福の神のように扱われることもある。この幻想郷でも大きなお屋敷はみな座敷童子を飼って、食事を共にし、大事にしている。
一方、御阿礼の子も、いささか自画自賛していえば、人間の里という大きな家の守り神のような役割を担っている。
妖怪の脅威を記録し、対処法を記し、この箱庭のような世界で生きる術を人々に啓蒙するのだ。現在の人間の里が妖怪の脅威を避けてこれほどまでに大きく発展したのも幻想郷縁起のおかげ。美味しい甘味処が軒を連ね商売にしのぎを削っているのもひとえに縁起のおかげである。だから、稗田家は大事にされなければならないし、稗田阿求は尊敬すべき人物だ。
ということになっている。
寺子屋でもそう教えるし、大人たちも子どもにそう教える。疑う人間はそうそういない。
真実を言えば、座敷童子は人間の無垢な味方などではない。あれは、本当は妖怪が人間の動向を監視するために配置したスパイなのだ。このことは代々の御阿礼の子が縁起執筆の為に残している幻想郷縁起草稿の中に書かれたれっきとした事実だ。
また、御阿礼の子と幻想郷縁起も、ある見方をすれば、妖怪のためにあるともいえる。幻想郷縁起の内容は事前に妖怪の賢者に改められており、人妖の力の均衡を崩しかねない部分は修正されている。特に今の幻想郷縁起は能力は自己申告制だし、正確な描写よりも噂や推測をあえて交えて事実をぼかしたところも多数ある。対妖怪のマニュアルとしては極めて心もとない。妖怪のための広告塔だという謗りを免れない部分もある。
少し前に、神道・仏教・道教の宗教家をうちの屋敷に呼んで対談してもらったが、そこでの神子は核心を突いていた。
幻想郷の人間は妖怪に動物園のように飼われている、と。
あの指摘には、正直ぎくりとさせられた。もっとも、私はそれを気取られるほど初心ではない。神子の能力を考えると見破られてる気もするが……。まあ、きっと大丈夫だろう。たぶん。
なるほど、あえて自虐的に言えば、私はある意味で人間の味方の顔をした妖怪側のスパイとも言えるかもしれない。
なんといっても、幻想郷の人間の生活が今から大きく外れないように管理する役割の一翼を担っていることは否定しがたい。里の妖怪排斥派や人妖化研究の秘密結社がこのことを知れば、私も稗田家もただでは済まないだろう。
人間を裏切っているつもりはない。
むしろ、私は御阿礼の子、稗田家当主としての矜持をもって、人間を守るためにこの仕事をやっている。
ただ、神子や秘密結社のような人間とは、人の尊厳を守る方法論が違っているだけだ。里の人間が妖怪を畏れなくなったら、人間が妖怪を滅ぼすほど強くなってしまったら、里の人間がつぎつぎと人妖になってしまったら。
即、幻想郷は崩壊だ。
即、である。
薄氷の上の平和なのだ。
そのことを、歴史を知らない若者と、新参者はまるで理解していない。事柄の性質上、正しい知識を知らせること自体に危険が伴うため、不用意に真実を流布することも控えざるを得ない。責任ある立場とは孤独でもある。
それに、お役目は辛いことばかりでもない。なんにせよ、検閲さえ受けていれば、縁起が今ののほほんとした体裁でよく、自由闊達に気楽に筆を走らせることができるのは楽しい。今代の縁起には著者自筆の可愛い妖怪のイラストが載っていると知ったら、先代までの御阿礼の子はどういう反応をするだろうか(私は、ときどき歴代の御阿礼の子に夢枕に総立ちしてもらって、自分の縁起を読んでもらう想像をする。彼らの人格は全て残された書物からの想像に過ぎず、実際のことは分からない。これは私なりの、自分に対する慰めである)。
人と妖怪の関係が大きく変わっていく時代を目にする幸福感、興奮、知的好奇心を一番感じている人間は、間違いなく私だろう。私は今の幻想郷を好ましく思っている。
だからこそ、うっかり壊してしまいたくない。
と、往来の反対方向から豆腐を売り歩いていた背の高い青年が人波の中から私を見つけると大きく手を振った。
「おーい、阿求様、うちの新作豆腐もまた買っていってくれよー!」
「はーい!考えておきますね」
私も愛想笑いで手を振って、中断された思考を再開する。
洋介さん。いつも懇意にしている豆腐屋の跡取り息子だ。好青年である。
だが、私も覚りではない以上、彼の頭の中を知ることはできない。もしも彼が強固な妖怪排斥派だったり、人妖化結社のメンバーだったと分かったら、私はこうも平然と接することができるだろうか。
私の足は自然と寺子屋の方へ向く。
ここの半妖の教師とは、里の秘密結社についてときどき情報共有をさせてもらっている。彼女は自らも半妖であるという立場を利用して、いろいろ探っているようだ。あまり危ないことはしてほしくはないのだが……。
それに、この間の狐騒ぎの顛末も話しておかなければならない。
里に忍び込みあまつさえ子どもたちの学び舎に手を出した妖怪は、稗田家が紹介した博麗の巫女によって無事退治された。
本当はそんなに危険はなかったし、解決したのは小鈴が頑張ったからだ。だが、この件は危機的な事件であり稗田と博麗の手で解決したというストーリーにしておく必要がある。こういったイメージアップによって、妖怪と対決する稗田家の印象を強くするのだ。
ガンガン宣伝しなきゃね。
小鈴はその分褒めておいた。自分でいうのもなんだが、人里の子どもが稗田阿求に手放しで褒められるなんて稀有な体験はなかなかできない。小鈴もまんざらでもなさそうな顔をしていた。ちょろいもんである。
「阿求ちゃん、今日は慧音先生はもう帰っちゃったよ」
寺子屋につくとお目当ての人物を探そうとする前に、花屋の娘が尋ね人の不在を教えてくれた。
彼女は少し前に寺子屋を卒業したが、弟の送り迎えで結局毎日寺子屋を訪れている。私は礼を述べ、この間の狐騒ぎの話題を振った。
「あれ、大分大きな騒ぎになってたみたいね。巫女様も手こずってたけど最後は狐は出なくなったって聞いてるわ。流石ね。おかげで弟も安心したみたい」
「狐なんか最初っから怖くなんかないやい!」
「これだからうちの弟は。巫女様に頭を撫でられて赤くなってたくせに」
弟君は真っ赤になって違う違うと言いながら、姉の着物の裾をぐいぐい引っ張って抗議する。明らかに照れている様子が微笑ましい。こういう光景を見ると、お役目のことを誇らしく思う気持ちが湧いてくる。この平和をつくるのに、過去の自分も間違いなく一角の貢献をしたはずなのだ。
「ねえ、阿求ちゃん。たまには鈴奈庵だけじゃなくて私たちとも遊んでくれないかなー」
「ごめんね。今は取材で忙しくって。それに鈴奈庵は資料を借りるとか、印刷の用事で通ってるだけだからさ」
私の答えに、花屋の娘は一瞬寂しそうな眼をしたが、すぐに笑顔に戻った。
彼女のいう「鈴奈庵」は小鈴のことで、私のいう「鈴奈庵」は貸本屋のことだ。だから嘘は言っていない。……罪悪感は流石に感じる。
「お勤めご苦労様ね。じゃあまたね」
私もまたねと明るく言って寺子屋を後にする。彼女には狐の件の真実は伝えていない。知る必要もないし、知られては不味い。
御阿礼の子という座敷童子は、皆に尊敬され愛される稗田家当主を演じなくてはならない。辛いという感覚はあまりない。皆を騙しているという背徳感は、遠い過去においてきた。大人が子どもを守るため、子どもに都合の悪いことを教えなかったり、ときにはちょっとした嘘を教えたりということはどこの家でもやっている。それと同じだ。
里の人間としてもっとも年長の私の義務は、大人としての嘘を付き、建前を立てることにある。花屋の娘も、豆腐屋の洋介さんも、呉服屋の善吉さんも、米問屋の良蔵翁も、私にとってはある意味子どものようなものなのだ。
座敷童子がどうなのかは知らないが、私は私なりに自分の家を、幻想郷を愛している。この人間の里という座敷牢を自分から出ていくことは、何度転生してもあり得ない。
日が落ちて、漸く自分の屋敷にたどり着く。門には使用人二人が待っていて、帰りが日没を過ぎたことについて毎回おなじみのお小言をもらう。
自分の部屋の障子戸を開け、文机を前にして硯を取り出す。机の上には私が帰ってくるのを見計らって、小間使いがあらかじめ熱いお茶を用意してくれていた(彼女は先日のチュパカブラ騒ぎ以来、紅魔館のメイド長に妙な対抗意識を燃やしている)。用意がいいともいえるが、これのせいで最近私の部屋にはいっそうプライバシーがなくなってしまった。
そうでなくともお役目や当主としての付き合いで毎日へとへとの私にとって、ますます逃げ場がなくなってきている格好だ。
私は自分の境遇に軽くため息を吐きながら墨を擦る。
それに比べて座敷童子は気楽ね、なんて愚痴が思わず口をつく。
妖怪のスパイだなんだと言ったって、家の人間が悪だくみをしていたら妖怪の賢者に連絡を入れるだけの楽な仕事ではないか。それさえやっていれば、後は花よ蝶よと大切に扱ってもらえる。家が気に入らなくなれば無情にもお世話になった人間を捨てて別の家に浮気する。あまつさえ、最近は外の世界に出張に行ってきたと聞く。私は里からでさえほとんど出られないというのに、ずるいものだ。
そう考えると無性に腹が立ってきた。今度縁起を更新するときの座敷童子の脚注に「※1 いわゆるNEETである。※2 穀潰しともいう」と書き込んでやろう。
今日は少し疲れた。
今晩は書き物はそこそこにして、食事と湯あみを済ませて早く寝てしまおう。
明日はまた鈴奈庵に行こう。
今日伝え損なった、新刊の注文を出す必要がある。
私は湯船の中で、小鈴との別れ際の会話を思い出す。
「小鈴の家にも座敷童子がいればちょっとはマシな暮らしができただろうにねえ」
「そうそう……って、どういう意味!?」
「そのままの意味。ほら、一家に一匹座敷童子って言うでしょ。どっかから捕まえてこれば?」
そうすると小鈴はふふんと何か思いついた顔をして胡乱なことを言った。
「阿求。あんたってさ。座敷童子っぽいよね」
「はあ?」
「おかっぱ頭、和服、猫かぶり。そっくりじゃない」
「人を妖怪と一緒にしないでよ。で、なにが言いたいわけ」
私が問い詰めると、彼女は鬼の首を取ったようにさらりと続ける。
「鈴奈庵には、いつもそこのソファーが定位置の、阿求っていう座敷童子がいるわ。だからうちは繁盛する!」
「……呆れた脳みそね。私が座敷童子なら、こんな小さな家さっさと見限って出て行くことにするわ」
「出て行かないでー」
そうやって小鈴がよよよとウソ泣きをしながらふざけて抱き付いてくるのを振り払い、鈴奈庵を後にしたのだった。
稗田家当主を引っ張ってきて自分の家の座敷童子だと主張するなんて、里の重鎮がその場を見てたら全員卒倒しそうだわ。
ずいぶん安く見られたものねえ。
あんなやり取りをした手前、一日と置かずに鈴奈庵を訪ねれば、絶対に茶化されるに決まっている。いや、案外そんな些細なことを覚えているのは記憶力が良すぎる自分だけであって、忘れっぽい小鈴は何事もなかったかのようにいつも通りの第一声をかけてくるかもしれない。
「いらっしゃい……ってあんたか」
うん。間違いない。
人里の座敷童子・御阿礼の子としてではない。軽口を言って忘れるくらいに打ち解けた”うちの座敷童子”。小鈴にとって私はその程度の認識なのだろう。そう考えると、この小さな友人の気安さが好ましく思えてくる。自然と口元に笑みが零れる。誰も見ていない場所で良かった。
明日は朝には鈴奈庵に行こう。
「はあ?」
鈴奈庵に本を返しに行った折、店番をしていた小鈴から胡乱なことを言われた。
「おかっぱ頭、和服、猫かぶり。そっくりじゃない」
「人を妖怪と一緒にしないでよ」
そんな戯言をいつものように交わした帰り路、夕闇が里を覆い始める時間、私は歩きながら深く考え込んだ。小鈴は何も考えず思いついたことを言っただけであろう。しかし、私、稗田阿求が座敷童子に似ているという考えには案外真理を突いた部分がある。
あらかじめことわっておくが、外見のことではない。私はあんな妖怪よりはよっぽど外見に気を使っている。頭に付けてる髪飾りだって花屋で一番高いものを買ってる。和服だって意匠を凝らした特注品だ。親しい相手以外に丁寧なのは猫かぶりじゃなくて名家の社交術だ。庶民の小鈴には分からないだろうけれど。
さておき。
座敷童子は居ついた家に幸福と繁栄をもたらす。だから、妖怪でありながら福の神のように扱われることもある。この幻想郷でも大きなお屋敷はみな座敷童子を飼って、食事を共にし、大事にしている。
一方、御阿礼の子も、いささか自画自賛していえば、人間の里という大きな家の守り神のような役割を担っている。
妖怪の脅威を記録し、対処法を記し、この箱庭のような世界で生きる術を人々に啓蒙するのだ。現在の人間の里が妖怪の脅威を避けてこれほどまでに大きく発展したのも幻想郷縁起のおかげ。美味しい甘味処が軒を連ね商売にしのぎを削っているのもひとえに縁起のおかげである。だから、稗田家は大事にされなければならないし、稗田阿求は尊敬すべき人物だ。
ということになっている。
寺子屋でもそう教えるし、大人たちも子どもにそう教える。疑う人間はそうそういない。
真実を言えば、座敷童子は人間の無垢な味方などではない。あれは、本当は妖怪が人間の動向を監視するために配置したスパイなのだ。このことは代々の御阿礼の子が縁起執筆の為に残している幻想郷縁起草稿の中に書かれたれっきとした事実だ。
また、御阿礼の子と幻想郷縁起も、ある見方をすれば、妖怪のためにあるともいえる。幻想郷縁起の内容は事前に妖怪の賢者に改められており、人妖の力の均衡を崩しかねない部分は修正されている。特に今の幻想郷縁起は能力は自己申告制だし、正確な描写よりも噂や推測をあえて交えて事実をぼかしたところも多数ある。対妖怪のマニュアルとしては極めて心もとない。妖怪のための広告塔だという謗りを免れない部分もある。
少し前に、神道・仏教・道教の宗教家をうちの屋敷に呼んで対談してもらったが、そこでの神子は核心を突いていた。
幻想郷の人間は妖怪に動物園のように飼われている、と。
あの指摘には、正直ぎくりとさせられた。もっとも、私はそれを気取られるほど初心ではない。神子の能力を考えると見破られてる気もするが……。まあ、きっと大丈夫だろう。たぶん。
なるほど、あえて自虐的に言えば、私はある意味で人間の味方の顔をした妖怪側のスパイとも言えるかもしれない。
なんといっても、幻想郷の人間の生活が今から大きく外れないように管理する役割の一翼を担っていることは否定しがたい。里の妖怪排斥派や人妖化研究の秘密結社がこのことを知れば、私も稗田家もただでは済まないだろう。
人間を裏切っているつもりはない。
むしろ、私は御阿礼の子、稗田家当主としての矜持をもって、人間を守るためにこの仕事をやっている。
ただ、神子や秘密結社のような人間とは、人の尊厳を守る方法論が違っているだけだ。里の人間が妖怪を畏れなくなったら、人間が妖怪を滅ぼすほど強くなってしまったら、里の人間がつぎつぎと人妖になってしまったら。
即、幻想郷は崩壊だ。
即、である。
薄氷の上の平和なのだ。
そのことを、歴史を知らない若者と、新参者はまるで理解していない。事柄の性質上、正しい知識を知らせること自体に危険が伴うため、不用意に真実を流布することも控えざるを得ない。責任ある立場とは孤独でもある。
それに、お役目は辛いことばかりでもない。なんにせよ、検閲さえ受けていれば、縁起が今ののほほんとした体裁でよく、自由闊達に気楽に筆を走らせることができるのは楽しい。今代の縁起には著者自筆の可愛い妖怪のイラストが載っていると知ったら、先代までの御阿礼の子はどういう反応をするだろうか(私は、ときどき歴代の御阿礼の子に夢枕に総立ちしてもらって、自分の縁起を読んでもらう想像をする。彼らの人格は全て残された書物からの想像に過ぎず、実際のことは分からない。これは私なりの、自分に対する慰めである)。
人と妖怪の関係が大きく変わっていく時代を目にする幸福感、興奮、知的好奇心を一番感じている人間は、間違いなく私だろう。私は今の幻想郷を好ましく思っている。
だからこそ、うっかり壊してしまいたくない。
と、往来の反対方向から豆腐を売り歩いていた背の高い青年が人波の中から私を見つけると大きく手を振った。
「おーい、阿求様、うちの新作豆腐もまた買っていってくれよー!」
「はーい!考えておきますね」
私も愛想笑いで手を振って、中断された思考を再開する。
洋介さん。いつも懇意にしている豆腐屋の跡取り息子だ。好青年である。
だが、私も覚りではない以上、彼の頭の中を知ることはできない。もしも彼が強固な妖怪排斥派だったり、人妖化結社のメンバーだったと分かったら、私はこうも平然と接することができるだろうか。
私の足は自然と寺子屋の方へ向く。
ここの半妖の教師とは、里の秘密結社についてときどき情報共有をさせてもらっている。彼女は自らも半妖であるという立場を利用して、いろいろ探っているようだ。あまり危ないことはしてほしくはないのだが……。
それに、この間の狐騒ぎの顛末も話しておかなければならない。
里に忍び込みあまつさえ子どもたちの学び舎に手を出した妖怪は、稗田家が紹介した博麗の巫女によって無事退治された。
本当はそんなに危険はなかったし、解決したのは小鈴が頑張ったからだ。だが、この件は危機的な事件であり稗田と博麗の手で解決したというストーリーにしておく必要がある。こういったイメージアップによって、妖怪と対決する稗田家の印象を強くするのだ。
ガンガン宣伝しなきゃね。
小鈴はその分褒めておいた。自分でいうのもなんだが、人里の子どもが稗田阿求に手放しで褒められるなんて稀有な体験はなかなかできない。小鈴もまんざらでもなさそうな顔をしていた。ちょろいもんである。
「阿求ちゃん、今日は慧音先生はもう帰っちゃったよ」
寺子屋につくとお目当ての人物を探そうとする前に、花屋の娘が尋ね人の不在を教えてくれた。
彼女は少し前に寺子屋を卒業したが、弟の送り迎えで結局毎日寺子屋を訪れている。私は礼を述べ、この間の狐騒ぎの話題を振った。
「あれ、大分大きな騒ぎになってたみたいね。巫女様も手こずってたけど最後は狐は出なくなったって聞いてるわ。流石ね。おかげで弟も安心したみたい」
「狐なんか最初っから怖くなんかないやい!」
「これだからうちの弟は。巫女様に頭を撫でられて赤くなってたくせに」
弟君は真っ赤になって違う違うと言いながら、姉の着物の裾をぐいぐい引っ張って抗議する。明らかに照れている様子が微笑ましい。こういう光景を見ると、お役目のことを誇らしく思う気持ちが湧いてくる。この平和をつくるのに、過去の自分も間違いなく一角の貢献をしたはずなのだ。
「ねえ、阿求ちゃん。たまには鈴奈庵だけじゃなくて私たちとも遊んでくれないかなー」
「ごめんね。今は取材で忙しくって。それに鈴奈庵は資料を借りるとか、印刷の用事で通ってるだけだからさ」
私の答えに、花屋の娘は一瞬寂しそうな眼をしたが、すぐに笑顔に戻った。
彼女のいう「鈴奈庵」は小鈴のことで、私のいう「鈴奈庵」は貸本屋のことだ。だから嘘は言っていない。……罪悪感は流石に感じる。
「お勤めご苦労様ね。じゃあまたね」
私もまたねと明るく言って寺子屋を後にする。彼女には狐の件の真実は伝えていない。知る必要もないし、知られては不味い。
御阿礼の子という座敷童子は、皆に尊敬され愛される稗田家当主を演じなくてはならない。辛いという感覚はあまりない。皆を騙しているという背徳感は、遠い過去においてきた。大人が子どもを守るため、子どもに都合の悪いことを教えなかったり、ときにはちょっとした嘘を教えたりということはどこの家でもやっている。それと同じだ。
里の人間としてもっとも年長の私の義務は、大人としての嘘を付き、建前を立てることにある。花屋の娘も、豆腐屋の洋介さんも、呉服屋の善吉さんも、米問屋の良蔵翁も、私にとってはある意味子どものようなものなのだ。
座敷童子がどうなのかは知らないが、私は私なりに自分の家を、幻想郷を愛している。この人間の里という座敷牢を自分から出ていくことは、何度転生してもあり得ない。
日が落ちて、漸く自分の屋敷にたどり着く。門には使用人二人が待っていて、帰りが日没を過ぎたことについて毎回おなじみのお小言をもらう。
自分の部屋の障子戸を開け、文机を前にして硯を取り出す。机の上には私が帰ってくるのを見計らって、小間使いがあらかじめ熱いお茶を用意してくれていた(彼女は先日のチュパカブラ騒ぎ以来、紅魔館のメイド長に妙な対抗意識を燃やしている)。用意がいいともいえるが、これのせいで最近私の部屋にはいっそうプライバシーがなくなってしまった。
そうでなくともお役目や当主としての付き合いで毎日へとへとの私にとって、ますます逃げ場がなくなってきている格好だ。
私は自分の境遇に軽くため息を吐きながら墨を擦る。
それに比べて座敷童子は気楽ね、なんて愚痴が思わず口をつく。
妖怪のスパイだなんだと言ったって、家の人間が悪だくみをしていたら妖怪の賢者に連絡を入れるだけの楽な仕事ではないか。それさえやっていれば、後は花よ蝶よと大切に扱ってもらえる。家が気に入らなくなれば無情にもお世話になった人間を捨てて別の家に浮気する。あまつさえ、最近は外の世界に出張に行ってきたと聞く。私は里からでさえほとんど出られないというのに、ずるいものだ。
そう考えると無性に腹が立ってきた。今度縁起を更新するときの座敷童子の脚注に「※1 いわゆるNEETである。※2 穀潰しともいう」と書き込んでやろう。
今日は少し疲れた。
今晩は書き物はそこそこにして、食事と湯あみを済ませて早く寝てしまおう。
明日はまた鈴奈庵に行こう。
今日伝え損なった、新刊の注文を出す必要がある。
私は湯船の中で、小鈴との別れ際の会話を思い出す。
「小鈴の家にも座敷童子がいればちょっとはマシな暮らしができただろうにねえ」
「そうそう……って、どういう意味!?」
「そのままの意味。ほら、一家に一匹座敷童子って言うでしょ。どっかから捕まえてこれば?」
そうすると小鈴はふふんと何か思いついた顔をして胡乱なことを言った。
「阿求。あんたってさ。座敷童子っぽいよね」
「はあ?」
「おかっぱ頭、和服、猫かぶり。そっくりじゃない」
「人を妖怪と一緒にしないでよ。で、なにが言いたいわけ」
私が問い詰めると、彼女は鬼の首を取ったようにさらりと続ける。
「鈴奈庵には、いつもそこのソファーが定位置の、阿求っていう座敷童子がいるわ。だからうちは繁盛する!」
「……呆れた脳みそね。私が座敷童子なら、こんな小さな家さっさと見限って出て行くことにするわ」
「出て行かないでー」
そうやって小鈴がよよよとウソ泣きをしながらふざけて抱き付いてくるのを振り払い、鈴奈庵を後にしたのだった。
稗田家当主を引っ張ってきて自分の家の座敷童子だと主張するなんて、里の重鎮がその場を見てたら全員卒倒しそうだわ。
ずいぶん安く見られたものねえ。
あんなやり取りをした手前、一日と置かずに鈴奈庵を訪ねれば、絶対に茶化されるに決まっている。いや、案外そんな些細なことを覚えているのは記憶力が良すぎる自分だけであって、忘れっぽい小鈴は何事もなかったかのようにいつも通りの第一声をかけてくるかもしれない。
「いらっしゃい……ってあんたか」
うん。間違いない。
人里の座敷童子・御阿礼の子としてではない。軽口を言って忘れるくらいに打ち解けた”うちの座敷童子”。小鈴にとって私はその程度の認識なのだろう。そう考えると、この小さな友人の気安さが好ましく思えてくる。自然と口元に笑みが零れる。誰も見ていない場所で良かった。
明日は朝には鈴奈庵に行こう。
それにしても初投稿にしてそんなヘビーな主題を気負わずにさらっと書いて、読者にさわやかな読後感を覚えさせたのはお見事だと思いました(そうするために小鈴を使ったのなら大成功です)。
自分の部屋でも稗田を演じねばならなくなりつつある阿求の未来は…。
まぁ、小鈴ちゃんが何とかしてくれるでしょうか(適当)
もっと増えるべき
鈴奈庵阿求の外見ってはマジで座敷童なんだよなぁ
これからも頑張ってください。
というか最早阿求は通い妻では?
煩悶する阿求の苦労が伝わってきてよかったです。
とても優秀な部類かもしれませんね、座敷童子。
阿求にとって小鈴とは、座敷童子以上に得がたい幸福の源なのかも。
大変においしゅうございました。御馳走さまでした
おいしかったです
13作品、全て読ませていただきました。
どれもこれも面白かったです!素敵な作品達をありがとうございました。