1
私はいつも通り、縁側で冷たいお茶を飲み、煎餅を齧っていた。境内の掃除はもう済ませてしまったし、洗濯物も溜まっていないため特にやることがなく、ただただ暇をもてあましていた。
――あの日から。
魔理沙と出会ってから、2ヶ月ほどが過ぎた。
最初こそどう接していいかわからず困っていたが、今ではもうすっかり慣れてしまった。
夏。
あれから2ヶ月が経ち、季節は夏になっていた。蒸し暑く、雨が多くて憂鬱になる。けれど、こんな季節でもあいつは――魔理沙は神社にやってくる。
そして、今日も――。
「霊夢。遊びに来たぞー?」
いつも通り、魔理沙はやってきた。体中が汗でぐっしょりと濡れており、服が体に張り付いている。そのため、体のラインがクッキリとよく見えた。
「まったく。暑さ対策ぐらいしてきなさいよ」
そう言って私は冷たいお茶を注いだ湯呑を魔理沙へと渡す。ありがとな、と言って、魔理沙は中に注がれたお茶を一息で飲み干した。
「ふぅ。暑いぜ。まったく、これだから夏は嫌なんだよ」
団扇のかわりに手でパタパタと顔を扇ぎながら魔理沙はそう言った。
「仕方ないわ、夏なんだから」
私はそう言って、お茶を一口口に含みその場に寝転がる。魔理沙は、寝転がった私の隣に腰掛けた。
「まったく。今日はひどいな。夏だというのに雲一つない快晴だぜ?」
言われて、空を見上げてみる。確かに、雲が一つもなかった。そこには綺麗な青があるだけで、それ以上のものはない。
「本当ね。雨が降っても憂鬱になるけれど、これはこれで嫌になるわね」
そういって、私は寝転がった姿勢から起き上がり、再びお茶を一口飲んだ。喉が潤ったところで煎餅をかじり、再び寝転がった。
「あっ、そうだ。この暑さを凌ぐための兵器を持ってきたんだ」
口元に笑みを浮かべながらそう言って、魔理沙は自分のポケットの中へと手を入れた。ごそごそと、5秒ほどだろうか。ポケットの中を掻き回し、なにかを取り出した。
「ほらっ、風鈴!これで少しはマシになるだろう」
そういって、勝手に柱に風鈴を取り付け、満足げに息を吐いた。
しかし。
「・・・音、鳴らないな」
「そりゃそうよ。風が吹いてないんだから」
数秒の沈黙がその場に満ちた。普通の人間からすれば、この程度の沈黙どうってことないのだろうが、人とあまり関わったことがない私には少し辛いものだった。
どうにかこの沈黙をなくそうと、私は立ち上がり、
「暑さを凌ぎたいなら、いい方法があるわ」
言って、私はそそくさと井戸まで歩いていき冷たい水を汲む。そして、再び縁側まで戻り、
「ほら、打ち水。これで少しはマシになるでしょう」
「おっ、そうだな!」
魔理沙はそう言うと、私が持つ水の入った桶を強引に奪い、
「ちょ、ちょっと魔理沙!」
「私に任せとけ!」
桶の中に入った水を全てその場にぶちまけた。
「ば、馬鹿!一度にそんな撒いたら――」
むわぁ、と。嫌な熱気が、地面からのぼってきた。
「ぎゃ、逆に暑いな」
「あれだけの量一度に撒けばこうなるわよ・・・」
地面に撒かれた水が蒸発し、水蒸気が上へとのぼってくる。そして、その水蒸気により辺りの湿度が上昇した。ただでさえじめじめしていたというのに――まぁようするに、更に暑くなったのだ。
全身に汗が滲み、言いようのない不快感が私を襲った。水を持ってきて打ち水しようと提案したのは私だが・・・まさかあんなことになるとは思わなかった。まったく、油断していた。魔理沙はどこかネジが抜けているところがあるのを忘れていた。
「ねぇ、魔理沙」
「ん。なんだ?」
私は魔理沙の目をしっかりと見つめ、全身を襲う不快感から抜け出すための最善策と思われる提案をした。
「一緒に、お風呂に入らない?・・・汗が気持ち悪いわ」
「う~ん?別に一緒に入る必要ないと思うが・・・。まぁそのほうが時間掛からないか」
「そ。それじゃ、お風呂沸かしましょ」
言って私は立ち上がり、すぐ近くに置いてある買い溜めされた薪を持って風呂を沸かす準備をした。風呂釜に薪を入れて、火をつける。お湯が沸くまでの間、私と魔理沙はどうでもいいような事を話していた。
最近の人里での出来事や、今の流行等・・・。簡単に言えば、世間話だ。けれど、そんな世間話に私が口を出せるわけもなく――人と関わらないようにしているのだから人里になんて行くわけがないので情報がない――私がただ魔理沙の話を一方的に聞くかたちになる。
「それでな。その爺さんが言ったんだよ。ワシの大切な大福食べたの誰だぁぁって!もう面白くて面白くて・・・ははは。今自分で食べてたじゃねぇかって大笑いしちまったよ」
魔理沙の話が一通り終わったところで、風呂が沸いたようだ。
「さ。入りましょうか」
「おう。そうだな」
服を脱ぎ、湯船に浸かる。火を強くしすぎたのか、夏に入るには適さないぐらい熱かったけれど、今回の目的はとりあえず汗を流すというものなので、お湯に入れただけで十分だろう。
「熱いな・・・」
「そうね」
湯船に浸かりながら、私と魔理沙は30分程会話した後に湯船から出て、体を拭き、服を着て風呂場を後にした。
「いやぁ・・・気持ちよかった」
魔理沙は笑顔でそう言った。
「そうね。気持ちよかったわ」
「いやまぁ・・・でも・・・風呂上がって着るのはやっぱり汗でビショビショの服なんだよな・・・」
2
あの後。
風呂から出た後、風呂に入る前に着ていた汗でびしょびしょの服を着ると、魔理沙は直ぐに帰っていった。そして一人取り残された私は、再びお茶を飲み、煎餅を齧り始めた。
「博麗の巫女――いえ、霊夢。いいのかしら?あんな娘と一緒になって遊んでいて」
不意に、声が聞こえた。
この胡散臭い声。恐らく――いや、間違いなくあいつだろう。
「なによ、紫。私がどうしようと、勝手でしょう?」
「いや、まぁそうだけれど。一つだけ、忠告しておくわ」
紫は、暗い声音で。人の不安を駆り立てるような声音で、言った。
「貴女が〝博麗の巫女〟であることを、忘れないようにね」
――うるさい。そんなの、私が一番解ってるわよ
その言葉を口に出すことはせず、私はただ、真っ直ぐに紫を睨みつける。
「そんな顔しないの。かわいい顔が台無しよ?・・・それじゃ、私はこれで」
言って、紫は現れた時と同じくらいの唐突さで、私の視界から消えた。
再び一人になった私はとりあえずお茶を飲んだ。
紫が放った言葉が、どうしても頭に残る――その言葉から逃げるように、私は箒を持って今日はもう終えたはずの境内の掃除を始める。一心不乱に、今まで頭に浮かんでいた全てを振り払うように箒を持つ手を動かす。
「本当。そんな、こと――私が一番、解ってるわよ・・・」
紫が言いたいことは、理解できている。
――魔理沙とも。あまり深く関わるべきではない・・・と。
そう、言いたいのだろう。
「いやだから、深く考えるな私」
頭を二~三回ほど振って、思考をクリアにしようと試みる。けれど、やはり離れてくれそうにはない。
――なんて、迷惑な。
心の中でそう愚痴り、このまま掃除をしていてもなんら意味をなさないと気づき、手に持っていた箒を地面に置いた。再び縁側に戻り、湯呑に口をつける。
味がしない――いや、それはただの錯覚。考え事に集中しすぎて、味覚がまともに働いていないのだろう。
「・・・気にしすぎよ・・・・・全く」
口ではそう言うが、腹の中には言いようのない不安が高く積もっていく。どうしようもない、不安が。
――この関係が、いつまでもつか・・・。
その答えは簡単。私が博麗の巫女として妖怪を退治しているところを見たら――魔理沙は私のことを軽蔑し、突き放し――。
今の関係は、崩壊するのだろう。
「まぁ。せいぜいがんばって隠し通しましょう・・・」
――果たして。いつまで、隠していられるのか。
そんな負の思考が、頭の中をただただ駆け回った。
ふと空を見ると、太陽は半分以上沈み始めていた。追いかけるように浮かんできた月が、もう直ぐ人間の時間が終わり妖怪の時間が始まるということをうるさく主張している。
「そろそろ、晩御飯でも作ろうかな・・・」
暑さで半分ほど飛びかけた意識を無理やり呼び戻し、のろのろと台所まで移動する。なにがあったかと食材を探すと、全くと言っていいほど使える食材がない。そういえば、ここ2ヶ月の間一度も買出しに行っていなかったか。
「・・・まったく。面倒くさい」
言って、私は台所を出て寝室へ向かう。台所と寝室はそれほど離れれいないため、10秒もあれば移動できる距離。けれど、それが暑さによって生じた気だるさのせいか、やけに長く感じられた。
寝室の襖を開けて中に入ると、すぐソコにお金を入れた袋があった。私はそれを取りスカートに付いているポケットの中へ入れ、簡単な身支度を済ませ空を飛んで人里へ急ぐ。
博麗神社から人里は大分離れており、今のように空を飛んで30分、ゆっくり歩いていたら50分位掛かってしまう。今はもう夜になる直前なので、早く用事を済まして早く帰らなければならない。そうしないと変な野良妖怪に絡まれる可能性があるからだ――まぁ、それは仕方がないことだけれど。
そんなことを考えていると、人里が見えてきた。ゆっくりと地面へと降りて、用のある店のみを回り必要なものを揃える。あらかじめ買うものを決めていたため、数分で買い物は終わった。
買い物を済ませてしまえば後はもう人里に用はないので、さっさと帰ろうと踵を返した――
その時。
「おう、お前博麗の巫女だな?」
声を、かけられた。人間の声と獣の声が混じったようなこの不安定な声音――声がしたほうを見るまでもなく分かる――妖怪だ。3人ほどだろうか。
一人は、尻尾が。
一人は、牙が。
そして、今話しかけてきた妖怪であろうそれは、狼の耳のようなものが頭に生えていた――その3人はどれも、歪な笑みを浮かべている。
「私に、なにか用かしら?」
「いや、別に大した用じゃないが・・・・・・。ちょっと来てくれねぇか?」
そう言って妖怪は私の手を掴み人里のすぐ近くの森へと強引に引っ張っていく。私は抵抗することなく、引っ張られるがままについていく。別にこれは抵抗できないからではないし、面倒くさいからでもない。こいつらが――この妖怪が。私が博麗の巫女であることを知っているにも関わらず、こうして挑発してくるような妖怪が、一般人に手をださないわけがない。そうしたものを倒し、人間への被害を減らすために。退治するために、ついていくのだ。
程なくして森の奥深くの開けた場所にたどり着いた。ここなら、人里の人間に妖怪を退治する姿を見られる心配はないだろう。こんなところまで私を引っ張ってきたのは、妖怪なりの私への気遣いなのか。それとも、ただの気まぐれなのか。それとも。自分が無様に破れる姿を、人里の人間に見られたくないというくだらないプライド故か。
いや、そんなことはどうでもいいか。
「まぁ、分かってるよな?博麗の巫女さん・・・・・よっ!!」
言って、頭に狼の耳が生えた妖怪が、唐突に拳を私めがけてたたきつけた。私はそれを予測し、余裕を持って回避する。たった数秒前まで私がいた地面に、その妖怪の拳の形をした大きな穴が出現した。
回避した方向にも、妖怪。大きな牙が生えた妖怪が、口を開き、私に噛み付こうと動く。それを地面に伏せるような形で避けて懐へと潜り込み、ポケットからお祓い棒をとりだし妖怪の顎を上へと突き上げる。
「ァ、がっ・・・・・・」
苦しそうな声を上げながら仰向けに倒れた妖怪の頭を強く踏みつけ、お祓い棒で喉元を突く。
「カ、あゥ」
口から息と血を吐き出し、大きな牙の生えた妖怪は意識を失った。
――残り、二人。
「てめぇっ!」
言いながら襲ってきたのは、先ほど同様、狼の耳を生やした妖怪。私を掴もうと手を伸ばす。そしてそれと同時に、今までなんの動きも見せていなかった尻尾の生えた妖怪が、私のすぐ近くまで接近していた――いや、それどころか、私に向かって拳を突き出していた。
通常の人間なら絶対に避けられないであろうその攻撃を、私は短距離空間跳躍を使って避けた。私にそんな力があったことを知らなかったのか、妖怪二人は困惑する。
「な、んだよ。今の」
「あいつ、本当に人間か――?」
「えぇ。人間よ」
言って、私はお祓い棒で妖怪の尻尾を切り落とした。いや、切り落とすというよりは、強烈な打撃で千切った、といったほうが良いかもしれない。
尻尾をなくした妖怪は、その痛みによるショックでその場に倒れた。
「クソがァ!てめぇよくも――」
『よくも』などといわれても、挑発した挙句ここにつれて来たのはお前らのほうだろう、とツッコミたい衝動に駆られるが、ギリギリのところでこらえる。最後に残った狼の耳が生えた妖怪は、隠し持っていたのであろうナイフを懐から取り出した。
「二度と、立ち上がれねぇようにしてやるよ」
言って、歪な笑いを浮かべる。気持ちの悪い笑い。直視を避けたいくらいに、気色の悪い笑い。それを浮かべると同時に、ナイフを持つ手を私めがけて突き出す。けれど、それは空気を裂いただけだった。
私は地面を蹴って妖怪の背後へ跳躍し、霊力を込めたお祓い棒で妖怪の頭に横殴りの一撃を加える。
「あ、がァ?」
そんな声を上げて、妖怪は倒れた。3人の妖怪がその場に倒れている光景を、人里の人間が見たらどんな顔をして、どんなことを私に言うのだろうか。――『化け物』とでも言うのだろうか。
「さて、帰りましょう」
言って、私は振り返った――そこに。
人が、居た。
見覚えのある、少女。
少女。
金髪に、金の瞳の、美しい少女。
霧雨魔理沙が、そこに居た。
困ったような表情をして、呆然と、ただただ私と、その周りに倒れる妖怪3人を見ていた。
「―――――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!!」
私は、声にならない悲鳴を上げた。
見られた。
彼女に――魔理沙に。
妖怪を退治している姿を。
見られた。見られてしまった――あぁ。
――やっぱり、駄目なんだな。
私はこの場から逃げるため、空へと飛び上がり、全てを振り払うように全力で博麗神社へと帰った。
「れ、霊夢!?」
魔理沙が私の名前を呼んだ気がしたが、振り向くことなく博麗神社を目指す。
魔理沙の表情が、頭から離れない。
私は博麗神社に着くと、せっかく買った食材を床に放り投げて、何も食べずに眠りについた。
3
赤。
一面の、赤――血液。
妖怪の血液でできた、血の海。私は、その中央に立っていた。
私の体も、同じく赤い。元々着ている巫女服が赤いが、その赤とは別の――妖怪の血の赤が付いていた。妖怪の血液に濡れた服は、私の体にピッタリと張り付き気持ちが悪い。
私はただ、その赤い光景を見つめていた。
そして、その光景を見つめるもう一人の少女。金髪に、金の瞳の綺麗な少女が居た。
霧雨魔理沙。
それが、その少女の名前――博麗の巫女が、博麗の巫女として行動していたところを、不幸なことに目撃してしまった少女の名前。
彼女はただ呆然と立ち尽くし、その光景を見つめていた。ボーッ、と。なにもすることはなく、なにをできるでもなく。血の海の中央に立っている私に言葉すら掛けず。彼女は、目の前に広がる光景を見つめていた。
赤い地面の上に立つ、赤よりも赤く染まった巫女を。
私を、見つめていた。
私もまた、彼女を見つめ返した。目をしっかりと見つめ、何か言おうと口を開くが、言うべき言葉が見つからない。いや、この場合、何かを言うべきではないのかもしれない。私もまた、見つめることしかできなかった。
私を見つめる少女を。
霧雨魔理沙を、見つめることしかできなかった。
音がない世界。
鳥の声、虫の声さえ聞こえない。ここがドコなのか、わからない。
わからない。
わからない。
どうして――どうして私はこんなところにいるのだろう。どうして――どうして?
なぜ、私の足元に妖怪の死体が転がっているのだろう?
なぜ、彼女は――霧雨魔理沙は。赤く染まった私を見つめているのだろう?
どうして――どうして。
「なぁ――どうして?」
不意に、魔理沙が口を開いた。暗い声音。音がなかった世界に突然生まれたその声は、暗く、暗く響き、ゆっくりと空気の中へと溶けていった。私は、その言葉にピクりとも反応することなく、次の言葉を待つ。
「どうして――その妖怪を・・・?なにか、悪いことをしたのか?」
私は、何も言わない、言い返せない、言いたくない――何もできない。
「なぁ、お前は――霊夢は。こいつらを、どうして殺したんだ?」
何も言い返さない私に、魔理沙は言葉を投げる。それは本当に、私にしっかりと届いているのかもわからないはずなのに。魔理沙は私の瞳を見つめ、言葉を投げる。
「なぁ、どうして?どうして――こんな、ひどいことをするんだ?どうして、こんなことができるんだ――どうして、妖怪を退治できるんだ?お前は、本当に――」
魔理沙は。
私の心を抉る言葉を、吐いた。
「お前は本当に、人間なのか?・・・・・・ただの化け物。妖怪と同類じゃないのか?」
私は地面を蹴り、魔理沙の首に手を回し、押し倒す。地面に体を打ちつけた衝撃で、魔理沙が口から空気をけはりと吐き出した。
私は首を掴んだ手に、ゆっくりと力を込め、締めていく。喉を圧迫され息ができず、魔理沙は「ケェ、・・・か、ハァ」と吐息を漏らし、唾液を口から零す。魔理沙の口から流れ出たその唾液が私の手を濡らすが、一切気にならない。むしろ、それで今彼女が苦しんでいると理解できるため、暗い喜びが浮かんでくる。
きっと、今私の口元には、酷く歪な微笑みが浮かんでいることだろう。
「レ、、、ぃ、む」
魔理沙が、私の名前を呼んだ。けれど、私は聞かなかったことにし、手に込める力をより強くした――その時。
魔理沙の、細い首が。
折れた。
ポキり、と。
軽い音が体に響いた。
気持ちがいい音だと思った。
霧雨魔理沙は死んだ。
私に殺された。
私が殺した。
霧雨魔理沙を。
彼女を。
綺麗な金髪に、意志の強そうな金の瞳を持った少女を。
私が――・・・・・・
そこで私は、夢から覚める――。
4
「あああああああああああああああああああああああああああ?!」
叫びながら上半身を起こすと同時に、掛け布団を蹴り飛ばす。蹴り飛ばされた掛け布団は、力の働く方向に飛び、柔らかく地面に落ちた――文字通り跳ね起きる形で、私は目を覚ました。
「はぁ、はぁ・・・最悪っ」
息が荒く、心臓の鼓動が早くなっているのがよく分かる。全身から冷や汗が流れ、服がぐしょぐしょに濡れていて気持ち悪い。風呂に入って汗を流したいと思うけれど、今風呂に入ったら嘔吐してしまいそうだ。
――とりあえず、今は水分が欲しいわ・・・。
ゆっくりと立ち上がり、気だるさの残る足で井戸へと進む。なんどか転びかけたけれど、それでも無事井戸まで辿り着いた。
桶に水を汲み、台所へ持っていく。そしてその水を火にかける。数分も掛からずにお湯が沸き、そのお湯を予め茶葉を入れておいた急須に入れて、お茶を作る。朝で涼しくはあるが、春ほどの過ごし易さを感じることはできない。さすが夏といったところだろうか。
お茶を湯呑に入れて、口をつける。全身から汗を流していて気持ちが悪い感覚が、暖かい液体が喉を通っていく感覚に打ち消されていくような気がした。まぁ、やはりそれは気がしただけであり、気持ち悪いには変わりない。急須と湯呑を持って縁側まで移動し、座る。
――静かね。
辺りは時間が止まってしまったのではないかと疑うほど静かだった。虫の声、鳥の声どころか、草が揺れる音さえ聞こえない。紫が今日ここに来ることはないだろうし。それに――
「魔理沙がここに来ることは、もうないでしょうね」
そう。
霧雨魔理沙が博麗神社に来ることは、もうないだろう。
見てしまったから。
博麗の巫女が博麗の巫女として動いているところを、見てしまったから。
きっと、恐れただろう。
きっと、軽蔑しただろう。
彼女は私を化け物だと思っただろう。
しかし、それで彼女が――魔理沙が。博麗神社に来なくなったとしても。それは私が元通り静かな生活を送ることができるようになるというだけの話だ。
そう、元通り。
全て、元通りに。
魔理沙が来る前の、静かで、孤独な生活に戻るだけ――。
「おーい!霊夢~」
声が、した。
人がシリアスで重い今の状況について静かに考えている時に誰――と。少しの苛立ちを覚えつつ、声のしたほうへと顔を向ける――そこに、居たのは。
魔理沙だった。
「まったく。昨日は何も言わず帰りやがって・・・・・・」
軽い調子で、魔理沙はそんなことを言った。いつもと、同じように。いつもと、変わらない調子で。あんなことがあったのに――。
私は、そんな魔理沙に。微かな苛立ちを覚えた。顔を伏せ、表情を見られないようにする。
「なんで・・・・・・来るのよ」
小さな声で。それは声なのかと疑問に思うほど小さな声で、私はそう呟いた。勿論、私のその声が魔理沙に届くわけがない――しかし、魔理沙は私の口が動くのを見たのか、
「なんだ?なんて言ったんだ?」
「なんで来たのよ!」
気がつけば、叫んでいた。喉が裂けるほどの勢いで、叫んでいた。空気がビリビリと震え、私が叫ぶと同時に少し強い風が吹いた。木々ががさがさと揺れて、それらの木に止まっていたのであろう鳥達がバサバサと一斉に飛び立っていく。風で、私の髪が、巫女服が揺れる。魔理沙の金髪も、同じように。魔理沙の服も、同じように、揺れていた――けれど。
少し、違ったことがあった。いや、決定的に違ったことがあった。
私が怒りを露にしているのとは対照的に、魔理沙は動揺を表に出していた。目を見開いて、私が何を言ったのか理解ができていないようにも見える。
魔理沙は左足を一歩分後ろへと動かし、
「なっ――え?」
訳が分からないと言いたげな声で、訳が分からない声を上げた。誰だって、突然こんなことを言われればそうなるだろう。
「なんで、来たの?あんな私見て、なんで来れるの?」
あっ――なに言っているの?
「どうせあんただって、今どうせ平静を取り繕っているだけで・・・・・・」
やめてよ。
止まって――
「私のこと、どうせ――・・・・・・化け物みたいに・・・・・・思ってるんでしょ――」
「霊夢!!」
「っ!!」
そこで、私の口は――余計なことを十分すぎる位にぶちまけたその口は、魔理沙のその声で、漸く止まった。
――どうしても。
魔理沙のあの態度が。
いつもと変わらない、あの態度が。
気に食わなかった――ウケツケられなかったのだ。
何か、裏があるんじゃないか。何か、隠しているんじゃないか――そんな、人間不信になっていたのだ。
「な、・・・・・・なによ」
「霊夢。私はお前のことを化け物だなんて思ってない」
――嘘。
きっと、嘘だ――嘘に違いない・・・・・・
「お前は、人里の人間に危害を加えそうな妖怪を退治しただけだろう?お前に非はないじゃないか」
「――そうよ。危害を加えそうな妖怪を退治しただけ。だけど・・・」
――だけど。
そうだとしても。
あんたは私のことを、軽蔑したでしょう?
あんたは私のことを、恐れたでしょう?――。
言おうとしても、口が開かない。
もう、今すぐここから逃げ出したい――けれど、体が思うように動いてくれない。眠りから覚めた直後のように、思考が凍り付いている。暑いからなのか、それともこの状況故にか。汗が体を濡らしていく。
私はこれ以上自分が何も言えないであろうと理解し、顔を伏せた。せめて、表情だけでも見られないように。
「なんでそんなに卑屈になるんだ。お前は私達人間の為に動いてるんだろ?だったら化け物だなんて呼ばれても気にする必要はないハズだろ!」
魔理沙が口を止めたところで、私は顔を上げた。頬に暖かな感触。と同時に、なにかが頬を伝い地面に落ちていくのを感じた。
あぁ、私は今、泣いているのか――?
「あなたに・・・・・なにが、分かるって言うのよ・・・・・・」
聞き取れるギリギリの大きさで、私はなんとかそう呟いた。
その言葉に。
その、私の言葉に――魔理沙は。
「分からないよ!」
叫んだ。
目から大粒の涙を流しながら、叫んでいた。
――なんで、あんたが泣くのよ。
私は口を開いてそう言葉を放とうとしても、空気を吐き出すだけでどうしても声を出せなかった。
「分からない。お前がどうしてそんなに悩むのか――。全く、分からない」
「・・・・・・」
長い沈黙――いや、きっとそれは一瞬だったのだろう。
わずかに、魔理沙の口が動くのを感じた。けれど、なんと言ったかは聞こえなかった――聞こえなかっただけに、頭の中で負の思考がグルグルと回る。魔理沙の呟いた言葉が、私を傷つける言葉なのではないかと、考えてしまう。
――そんなの、本当かどうかわからいのに。
だけど、それは聞こえていたとしても同じだろう。覚妖怪でもない限り、相手の心を覗き見ることはできないのだから。
人の口から放たれる言葉が、必ずしも真実――本心だとは限らない。
「――あんたは」
私の声で、わずかに空気が震える。
一つだけ、聞きたいことがあった。どうしても、知りたいことがあった。嘘でも良いから、魔理沙の声で、魔理沙の口から聞きたいことがあった。
――あんたは・・・・・・・
「どうして、また来たの?」
さっき、なぜ来たんだ、と怒鳴った人間が問うべきことではないだろうけれど、どうしても知りたかった。
私が、巫女として動いている時の姿を見たというのに。どうして、彼女は――魔理沙は・・・・・・・
「お前が――心配だったんだ」
「――――・・・・・・ッ」
言葉がつまり、何もいえなくなった。目を見開き、驚きを隠すことさえできず、右足を一歩後ろに動かした。
――本当に、逃げようか・・・・・・?
一瞬、そんな思考が頭を過ぎった。けれどそれは思考だけで、体は右足を一歩後ろへと動かしただけで、それ以上動くことはできない。
「私が?――心配だった?なによそれ。訳分からない」
「お前が、抱えきれなくなるんじゃないかって――心配で」
言って、魔理沙は帽子を深く被り、表情を隠した。
――何度目かの、沈黙。けれど、それは一瞬だった。すぐに私が言葉を発したのだ。
「・・・・・・なんであんたがそんなこと心配するのよ。そもそも、そんな心配あんたにされる筋合いないわ――」
「あるよ!」
私の言葉に被せるように、私の言葉を否定して魔理沙はそう叫んだ。叫びながら勢い良く顔を上げたため、ついさっき深く被りなおした帽子が地面に柔らかく、ゆっくりと落ちる。
「なぁ、あるよな・・・?私がお前を心配する筋合いはあるよな・・・?だって、私とお前は――友達だろう?」
「なっ・・・・・・・!?」
友達!?
魔理沙の言葉に私は驚き、何も言えなくなる。頭の中が真っ白になり、指先さえ動かすことができずその場で棒立ちの状態になってしまう。
今、あいつは友達といったか?
私と?
魔理沙が?
――・・・・・・は?
思考がある程度固まって、真っ白になった頭が元の状態に戻ってきた。ようやくしっかりと考えられるようになった頭を限界まで使い、言葉を捻り出す。
「と、友達!?友達のワケないでしょう!?そもそも、私は博麗の巫女よ?私なんかとこうして付き合ってたら、あんたまで変な目で見られるわよ?」
「かまわないさ」
私が必死に考えた言葉を、魔理沙はかまわないと言って切り捨てた。そして、顔に笑顔を浮かべて、
「私は、それでもかまわない。お前の隣に入れるなら、かまわないさ」
言って、魔理沙は大きく頷いた。なにを一人で納得してるんだ、と言いたくなったけれど、ギリギリのところで堪える。
「なんで、私なの?」
私はそう、素直に疑問に思ったことを聞いた。すると、魔理沙は顔に浮かべた笑顔を崩すことなく、先程下に落ちた帽子をひょいと拾い上げ、頭に被りなおし、
「私、お前のことが好きなんだ」
言って、照れたように帽子を深く被りなおした。隠しきれてなく、わずかに見える頬が赤く染まっている――きっと、私の頬も今、同じように赤く染まっているのだろう。
――恥ずかしい。
穴があったら、入りたい――いや、穴を作ってでも入りたい。
「それで?」
魔理沙は言って、私に一歩近寄る。私は驚きと動揺で、一歩後ろに下がった。
「言わせたからには、答えてもらおうか。返事は?」
ニヤニヤと。意地の悪い笑顔を浮かべながら私にそう問いを投げた。私は赤くなった頬を隠すこともできず、だからと言って言い訳をすることもできず、再び頭の中が真っ白になった。
え?
コレは――?
告白?
なぜ?
「えっ、ちょっと。なんでそんなこと・・・・・・。そもそも、なんであんたが私に?」
私にそういわれて魔理沙は、「うぐっ?!」と、なにか問われたくないことを問われたといった声をだした。
「そ、それは・・・だな。言わなきゃ駄目か?」
――これはチャンス。
心の中でそう呟いて、私は口元に意地の悪い笑みを浮かべた。
今まで何度も驚かされ、頭の中を真っ白にされた仕返しだ。
「言わなきゃ駄目よ。じゃないと答えられないわ」
もう、最初に抱いた魔理沙への怒りは頭の中からすっかり抜け落ちていた。
魔理沙はゆっくりと帽子を頭から取り、表情を隠さずに私に言った。
「お前のその、何者にも縛られず、自由で、マイペースなところが好きなんだ」
正直、聞かなければ良かったと思った。
――なによその理由。聞いたこっちが恥ずかしいじゃない・・・・・・。
魔理沙は言い切った達成感のためか、頬の赤みが少し薄れていた。それに対して私は、魔理沙のその言葉でさっきよりも頬の赤さが増していた。
そんな私に気づいたのか、魔理沙は悪戯な笑みを浮かべて。
「それで?返事は?」
ニヤニヤと。私の反応を楽しみながら、再びそういった。
「あっ、えとっ、あぁ・・・・・・んっ、わ・・・・・・私も、その――あんたのことが・・・・・・」
「なになに?全然聞こえないぞ?」
――こいつ・・・。
このまま恥ずかしがって、魔理沙の想像通りの反応を見せるのが嫌な私は。
「私も、魔理沙のことが好きよ」
しっかりと魔理沙の目を見つめて、そう言い放った。
どこか照れたように魔理沙は顔を俯かせ、表情を見られないようにしていた。その魔理沙の反応を見て、「してやったり!」と思うけれど、やっぱり恥ずかしい。思わず、私も顔を俯かせそうになってしまう。
「そ、そう・・・・・・か。それは、なんというか・・・・・・よかった、ぜ」
一瞬の沈黙。その沈黙の間に、少し強めの風が吹いた。ガサガサと、神社の周りの木が音を立てる。
魔理沙は俯かせていた顔をゆっくりと上げて、私の目を見る。私も、口元に笑みを浮かべ魔理沙の目をしっかりと見つめ返し、
「お茶でも、飲む?」
魔理沙も、私と同じように口元に笑みを浮かべて。
「あぁ。一杯、いただくぜ」
5
私と魔理沙は、縁側でお茶を飲んでいた。
一杯いただくと言っていたのに、魔理沙は既に3杯ほどお茶を飲んでいた。
「まったく、一杯だけってなんだったのかしら?」
「悪いな。一杯飲んだらもっと欲しくなっちまった」
「まぁこうなるとは思ってたけどねぇ・・・・・・食べる?」
呆れたように笑いながらそう言い、私は魔理沙に煎餅を差し出した。魔理沙は、「おう、いただくぜ」と言って差し出された煎餅を手に取り、齧った。
私は湯呑に口をつけ、一度大きく息を吐いた。
「魔理沙・・・・・・ありがとね」
言って、照れたように一度、頬を掻いた。けれどそれで紛らわせることはできるわけがなく、少し頬が赤くなってしまう。
――まったく、らしくないわね。
心の中で苦笑し、魔理沙の目を見つめる。魔理沙も、優しく微笑みながら、同じように私の目を見つめ返してくれた。
「私を、心配してくれて――・・・・・・また、来てくれて。本当に――・・・・・・本当に、嬉しかった。私のあんな姿を見たのに、また来てくれたのが・・・・・・」
言って、私は僅かに顔を下へ向ける。泣きそうになっている表情を、魔理沙に見られたくなかった。別に、悲しくて泣きそうなわけではない。その、逆――嬉しくて、泣きそうなのだ。魔理沙は悪戯な笑みを浮かべながら、なにかを察したように目を閉じて小さな声で呟いた。
「私こそ、ありがとな。告白に応えてくれて」
「ひゃぁっ?!」
突然変なことを言われ、驚きのあまりおかしな声が出てしまう。魔理沙は私の反応に満足したように笑い、すぐそばに置いてあった帽子を取って頭に被り、静かに立ち上がった。
「それじゃぁ、今日はそろそろ帰るぜ」
言って、魔理沙はゆっくりと階段のほうへと歩き出した。私は、魔理沙の後姿を見つめながら、
「魔理沙」
と。名前を呼んだ。魔理沙は足を止め、ゆっくりと振り返った。
「なんだ?」
笑いながらそう言った魔理沙に、
「また、いらっしゃい」
そう言って、笑い返した。
「おう。また、来るぜ」
魔理沙はそういうと、再び階段のほうを向いて、ゆっくりと歩き始めた。私はお茶を飲みながら、その後姿を見えなくなるまで見続けた。
ふぅ・・・・・・と長く息を吐き出し、目をつぶり、その場に寝転がった。
『また、来るぜ』
魔理沙のその言葉が、頭から離れない。思い出すたび、自然と口元に笑みが浮かぶ。
魔理沙は、また来てくれる。
私の場所へ、来てくれる。
それが嬉しかった。
私はいつも通り、縁側で冷たいお茶を飲み、煎餅を齧っていた。境内の掃除はもう済ませてしまったし、洗濯物も溜まっていないため特にやることがなく、ただただ暇をもてあましていた。
――あの日から。
魔理沙と出会ってから、2ヶ月ほどが過ぎた。
最初こそどう接していいかわからず困っていたが、今ではもうすっかり慣れてしまった。
夏。
あれから2ヶ月が経ち、季節は夏になっていた。蒸し暑く、雨が多くて憂鬱になる。けれど、こんな季節でもあいつは――魔理沙は神社にやってくる。
そして、今日も――。
「霊夢。遊びに来たぞー?」
いつも通り、魔理沙はやってきた。体中が汗でぐっしょりと濡れており、服が体に張り付いている。そのため、体のラインがクッキリとよく見えた。
「まったく。暑さ対策ぐらいしてきなさいよ」
そう言って私は冷たいお茶を注いだ湯呑を魔理沙へと渡す。ありがとな、と言って、魔理沙は中に注がれたお茶を一息で飲み干した。
「ふぅ。暑いぜ。まったく、これだから夏は嫌なんだよ」
団扇のかわりに手でパタパタと顔を扇ぎながら魔理沙はそう言った。
「仕方ないわ、夏なんだから」
私はそう言って、お茶を一口口に含みその場に寝転がる。魔理沙は、寝転がった私の隣に腰掛けた。
「まったく。今日はひどいな。夏だというのに雲一つない快晴だぜ?」
言われて、空を見上げてみる。確かに、雲が一つもなかった。そこには綺麗な青があるだけで、それ以上のものはない。
「本当ね。雨が降っても憂鬱になるけれど、これはこれで嫌になるわね」
そういって、私は寝転がった姿勢から起き上がり、再びお茶を一口飲んだ。喉が潤ったところで煎餅をかじり、再び寝転がった。
「あっ、そうだ。この暑さを凌ぐための兵器を持ってきたんだ」
口元に笑みを浮かべながらそう言って、魔理沙は自分のポケットの中へと手を入れた。ごそごそと、5秒ほどだろうか。ポケットの中を掻き回し、なにかを取り出した。
「ほらっ、風鈴!これで少しはマシになるだろう」
そういって、勝手に柱に風鈴を取り付け、満足げに息を吐いた。
しかし。
「・・・音、鳴らないな」
「そりゃそうよ。風が吹いてないんだから」
数秒の沈黙がその場に満ちた。普通の人間からすれば、この程度の沈黙どうってことないのだろうが、人とあまり関わったことがない私には少し辛いものだった。
どうにかこの沈黙をなくそうと、私は立ち上がり、
「暑さを凌ぎたいなら、いい方法があるわ」
言って、私はそそくさと井戸まで歩いていき冷たい水を汲む。そして、再び縁側まで戻り、
「ほら、打ち水。これで少しはマシになるでしょう」
「おっ、そうだな!」
魔理沙はそう言うと、私が持つ水の入った桶を強引に奪い、
「ちょ、ちょっと魔理沙!」
「私に任せとけ!」
桶の中に入った水を全てその場にぶちまけた。
「ば、馬鹿!一度にそんな撒いたら――」
むわぁ、と。嫌な熱気が、地面からのぼってきた。
「ぎゃ、逆に暑いな」
「あれだけの量一度に撒けばこうなるわよ・・・」
地面に撒かれた水が蒸発し、水蒸気が上へとのぼってくる。そして、その水蒸気により辺りの湿度が上昇した。ただでさえじめじめしていたというのに――まぁようするに、更に暑くなったのだ。
全身に汗が滲み、言いようのない不快感が私を襲った。水を持ってきて打ち水しようと提案したのは私だが・・・まさかあんなことになるとは思わなかった。まったく、油断していた。魔理沙はどこかネジが抜けているところがあるのを忘れていた。
「ねぇ、魔理沙」
「ん。なんだ?」
私は魔理沙の目をしっかりと見つめ、全身を襲う不快感から抜け出すための最善策と思われる提案をした。
「一緒に、お風呂に入らない?・・・汗が気持ち悪いわ」
「う~ん?別に一緒に入る必要ないと思うが・・・。まぁそのほうが時間掛からないか」
「そ。それじゃ、お風呂沸かしましょ」
言って私は立ち上がり、すぐ近くに置いてある買い溜めされた薪を持って風呂を沸かす準備をした。風呂釜に薪を入れて、火をつける。お湯が沸くまでの間、私と魔理沙はどうでもいいような事を話していた。
最近の人里での出来事や、今の流行等・・・。簡単に言えば、世間話だ。けれど、そんな世間話に私が口を出せるわけもなく――人と関わらないようにしているのだから人里になんて行くわけがないので情報がない――私がただ魔理沙の話を一方的に聞くかたちになる。
「それでな。その爺さんが言ったんだよ。ワシの大切な大福食べたの誰だぁぁって!もう面白くて面白くて・・・ははは。今自分で食べてたじゃねぇかって大笑いしちまったよ」
魔理沙の話が一通り終わったところで、風呂が沸いたようだ。
「さ。入りましょうか」
「おう。そうだな」
服を脱ぎ、湯船に浸かる。火を強くしすぎたのか、夏に入るには適さないぐらい熱かったけれど、今回の目的はとりあえず汗を流すというものなので、お湯に入れただけで十分だろう。
「熱いな・・・」
「そうね」
湯船に浸かりながら、私と魔理沙は30分程会話した後に湯船から出て、体を拭き、服を着て風呂場を後にした。
「いやぁ・・・気持ちよかった」
魔理沙は笑顔でそう言った。
「そうね。気持ちよかったわ」
「いやまぁ・・・でも・・・風呂上がって着るのはやっぱり汗でビショビショの服なんだよな・・・」
2
あの後。
風呂から出た後、風呂に入る前に着ていた汗でびしょびしょの服を着ると、魔理沙は直ぐに帰っていった。そして一人取り残された私は、再びお茶を飲み、煎餅を齧り始めた。
「博麗の巫女――いえ、霊夢。いいのかしら?あんな娘と一緒になって遊んでいて」
不意に、声が聞こえた。
この胡散臭い声。恐らく――いや、間違いなくあいつだろう。
「なによ、紫。私がどうしようと、勝手でしょう?」
「いや、まぁそうだけれど。一つだけ、忠告しておくわ」
紫は、暗い声音で。人の不安を駆り立てるような声音で、言った。
「貴女が〝博麗の巫女〟であることを、忘れないようにね」
――うるさい。そんなの、私が一番解ってるわよ
その言葉を口に出すことはせず、私はただ、真っ直ぐに紫を睨みつける。
「そんな顔しないの。かわいい顔が台無しよ?・・・それじゃ、私はこれで」
言って、紫は現れた時と同じくらいの唐突さで、私の視界から消えた。
再び一人になった私はとりあえずお茶を飲んだ。
紫が放った言葉が、どうしても頭に残る――その言葉から逃げるように、私は箒を持って今日はもう終えたはずの境内の掃除を始める。一心不乱に、今まで頭に浮かんでいた全てを振り払うように箒を持つ手を動かす。
「本当。そんな、こと――私が一番、解ってるわよ・・・」
紫が言いたいことは、理解できている。
――魔理沙とも。あまり深く関わるべきではない・・・と。
そう、言いたいのだろう。
「いやだから、深く考えるな私」
頭を二~三回ほど振って、思考をクリアにしようと試みる。けれど、やはり離れてくれそうにはない。
――なんて、迷惑な。
心の中でそう愚痴り、このまま掃除をしていてもなんら意味をなさないと気づき、手に持っていた箒を地面に置いた。再び縁側に戻り、湯呑に口をつける。
味がしない――いや、それはただの錯覚。考え事に集中しすぎて、味覚がまともに働いていないのだろう。
「・・・気にしすぎよ・・・・・全く」
口ではそう言うが、腹の中には言いようのない不安が高く積もっていく。どうしようもない、不安が。
――この関係が、いつまでもつか・・・。
その答えは簡単。私が博麗の巫女として妖怪を退治しているところを見たら――魔理沙は私のことを軽蔑し、突き放し――。
今の関係は、崩壊するのだろう。
「まぁ。せいぜいがんばって隠し通しましょう・・・」
――果たして。いつまで、隠していられるのか。
そんな負の思考が、頭の中をただただ駆け回った。
ふと空を見ると、太陽は半分以上沈み始めていた。追いかけるように浮かんできた月が、もう直ぐ人間の時間が終わり妖怪の時間が始まるということをうるさく主張している。
「そろそろ、晩御飯でも作ろうかな・・・」
暑さで半分ほど飛びかけた意識を無理やり呼び戻し、のろのろと台所まで移動する。なにがあったかと食材を探すと、全くと言っていいほど使える食材がない。そういえば、ここ2ヶ月の間一度も買出しに行っていなかったか。
「・・・まったく。面倒くさい」
言って、私は台所を出て寝室へ向かう。台所と寝室はそれほど離れれいないため、10秒もあれば移動できる距離。けれど、それが暑さによって生じた気だるさのせいか、やけに長く感じられた。
寝室の襖を開けて中に入ると、すぐソコにお金を入れた袋があった。私はそれを取りスカートに付いているポケットの中へ入れ、簡単な身支度を済ませ空を飛んで人里へ急ぐ。
博麗神社から人里は大分離れており、今のように空を飛んで30分、ゆっくり歩いていたら50分位掛かってしまう。今はもう夜になる直前なので、早く用事を済まして早く帰らなければならない。そうしないと変な野良妖怪に絡まれる可能性があるからだ――まぁ、それは仕方がないことだけれど。
そんなことを考えていると、人里が見えてきた。ゆっくりと地面へと降りて、用のある店のみを回り必要なものを揃える。あらかじめ買うものを決めていたため、数分で買い物は終わった。
買い物を済ませてしまえば後はもう人里に用はないので、さっさと帰ろうと踵を返した――
その時。
「おう、お前博麗の巫女だな?」
声を、かけられた。人間の声と獣の声が混じったようなこの不安定な声音――声がしたほうを見るまでもなく分かる――妖怪だ。3人ほどだろうか。
一人は、尻尾が。
一人は、牙が。
そして、今話しかけてきた妖怪であろうそれは、狼の耳のようなものが頭に生えていた――その3人はどれも、歪な笑みを浮かべている。
「私に、なにか用かしら?」
「いや、別に大した用じゃないが・・・・・・。ちょっと来てくれねぇか?」
そう言って妖怪は私の手を掴み人里のすぐ近くの森へと強引に引っ張っていく。私は抵抗することなく、引っ張られるがままについていく。別にこれは抵抗できないからではないし、面倒くさいからでもない。こいつらが――この妖怪が。私が博麗の巫女であることを知っているにも関わらず、こうして挑発してくるような妖怪が、一般人に手をださないわけがない。そうしたものを倒し、人間への被害を減らすために。退治するために、ついていくのだ。
程なくして森の奥深くの開けた場所にたどり着いた。ここなら、人里の人間に妖怪を退治する姿を見られる心配はないだろう。こんなところまで私を引っ張ってきたのは、妖怪なりの私への気遣いなのか。それとも、ただの気まぐれなのか。それとも。自分が無様に破れる姿を、人里の人間に見られたくないというくだらないプライド故か。
いや、そんなことはどうでもいいか。
「まぁ、分かってるよな?博麗の巫女さん・・・・・よっ!!」
言って、頭に狼の耳が生えた妖怪が、唐突に拳を私めがけてたたきつけた。私はそれを予測し、余裕を持って回避する。たった数秒前まで私がいた地面に、その妖怪の拳の形をした大きな穴が出現した。
回避した方向にも、妖怪。大きな牙が生えた妖怪が、口を開き、私に噛み付こうと動く。それを地面に伏せるような形で避けて懐へと潜り込み、ポケットからお祓い棒をとりだし妖怪の顎を上へと突き上げる。
「ァ、がっ・・・・・・」
苦しそうな声を上げながら仰向けに倒れた妖怪の頭を強く踏みつけ、お祓い棒で喉元を突く。
「カ、あゥ」
口から息と血を吐き出し、大きな牙の生えた妖怪は意識を失った。
――残り、二人。
「てめぇっ!」
言いながら襲ってきたのは、先ほど同様、狼の耳を生やした妖怪。私を掴もうと手を伸ばす。そしてそれと同時に、今までなんの動きも見せていなかった尻尾の生えた妖怪が、私のすぐ近くまで接近していた――いや、それどころか、私に向かって拳を突き出していた。
通常の人間なら絶対に避けられないであろうその攻撃を、私は短距離空間跳躍を使って避けた。私にそんな力があったことを知らなかったのか、妖怪二人は困惑する。
「な、んだよ。今の」
「あいつ、本当に人間か――?」
「えぇ。人間よ」
言って、私はお祓い棒で妖怪の尻尾を切り落とした。いや、切り落とすというよりは、強烈な打撃で千切った、といったほうが良いかもしれない。
尻尾をなくした妖怪は、その痛みによるショックでその場に倒れた。
「クソがァ!てめぇよくも――」
『よくも』などといわれても、挑発した挙句ここにつれて来たのはお前らのほうだろう、とツッコミたい衝動に駆られるが、ギリギリのところでこらえる。最後に残った狼の耳が生えた妖怪は、隠し持っていたのであろうナイフを懐から取り出した。
「二度と、立ち上がれねぇようにしてやるよ」
言って、歪な笑いを浮かべる。気持ちの悪い笑い。直視を避けたいくらいに、気色の悪い笑い。それを浮かべると同時に、ナイフを持つ手を私めがけて突き出す。けれど、それは空気を裂いただけだった。
私は地面を蹴って妖怪の背後へ跳躍し、霊力を込めたお祓い棒で妖怪の頭に横殴りの一撃を加える。
「あ、がァ?」
そんな声を上げて、妖怪は倒れた。3人の妖怪がその場に倒れている光景を、人里の人間が見たらどんな顔をして、どんなことを私に言うのだろうか。――『化け物』とでも言うのだろうか。
「さて、帰りましょう」
言って、私は振り返った――そこに。
人が、居た。
見覚えのある、少女。
少女。
金髪に、金の瞳の、美しい少女。
霧雨魔理沙が、そこに居た。
困ったような表情をして、呆然と、ただただ私と、その周りに倒れる妖怪3人を見ていた。
「―――――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!!」
私は、声にならない悲鳴を上げた。
見られた。
彼女に――魔理沙に。
妖怪を退治している姿を。
見られた。見られてしまった――あぁ。
――やっぱり、駄目なんだな。
私はこの場から逃げるため、空へと飛び上がり、全てを振り払うように全力で博麗神社へと帰った。
「れ、霊夢!?」
魔理沙が私の名前を呼んだ気がしたが、振り向くことなく博麗神社を目指す。
魔理沙の表情が、頭から離れない。
私は博麗神社に着くと、せっかく買った食材を床に放り投げて、何も食べずに眠りについた。
3
赤。
一面の、赤――血液。
妖怪の血液でできた、血の海。私は、その中央に立っていた。
私の体も、同じく赤い。元々着ている巫女服が赤いが、その赤とは別の――妖怪の血の赤が付いていた。妖怪の血液に濡れた服は、私の体にピッタリと張り付き気持ちが悪い。
私はただ、その赤い光景を見つめていた。
そして、その光景を見つめるもう一人の少女。金髪に、金の瞳の綺麗な少女が居た。
霧雨魔理沙。
それが、その少女の名前――博麗の巫女が、博麗の巫女として行動していたところを、不幸なことに目撃してしまった少女の名前。
彼女はただ呆然と立ち尽くし、その光景を見つめていた。ボーッ、と。なにもすることはなく、なにをできるでもなく。血の海の中央に立っている私に言葉すら掛けず。彼女は、目の前に広がる光景を見つめていた。
赤い地面の上に立つ、赤よりも赤く染まった巫女を。
私を、見つめていた。
私もまた、彼女を見つめ返した。目をしっかりと見つめ、何か言おうと口を開くが、言うべき言葉が見つからない。いや、この場合、何かを言うべきではないのかもしれない。私もまた、見つめることしかできなかった。
私を見つめる少女を。
霧雨魔理沙を、見つめることしかできなかった。
音がない世界。
鳥の声、虫の声さえ聞こえない。ここがドコなのか、わからない。
わからない。
わからない。
どうして――どうして私はこんなところにいるのだろう。どうして――どうして?
なぜ、私の足元に妖怪の死体が転がっているのだろう?
なぜ、彼女は――霧雨魔理沙は。赤く染まった私を見つめているのだろう?
どうして――どうして。
「なぁ――どうして?」
不意に、魔理沙が口を開いた。暗い声音。音がなかった世界に突然生まれたその声は、暗く、暗く響き、ゆっくりと空気の中へと溶けていった。私は、その言葉にピクりとも反応することなく、次の言葉を待つ。
「どうして――その妖怪を・・・?なにか、悪いことをしたのか?」
私は、何も言わない、言い返せない、言いたくない――何もできない。
「なぁ、お前は――霊夢は。こいつらを、どうして殺したんだ?」
何も言い返さない私に、魔理沙は言葉を投げる。それは本当に、私にしっかりと届いているのかもわからないはずなのに。魔理沙は私の瞳を見つめ、言葉を投げる。
「なぁ、どうして?どうして――こんな、ひどいことをするんだ?どうして、こんなことができるんだ――どうして、妖怪を退治できるんだ?お前は、本当に――」
魔理沙は。
私の心を抉る言葉を、吐いた。
「お前は本当に、人間なのか?・・・・・・ただの化け物。妖怪と同類じゃないのか?」
私は地面を蹴り、魔理沙の首に手を回し、押し倒す。地面に体を打ちつけた衝撃で、魔理沙が口から空気をけはりと吐き出した。
私は首を掴んだ手に、ゆっくりと力を込め、締めていく。喉を圧迫され息ができず、魔理沙は「ケェ、・・・か、ハァ」と吐息を漏らし、唾液を口から零す。魔理沙の口から流れ出たその唾液が私の手を濡らすが、一切気にならない。むしろ、それで今彼女が苦しんでいると理解できるため、暗い喜びが浮かんでくる。
きっと、今私の口元には、酷く歪な微笑みが浮かんでいることだろう。
「レ、、、ぃ、む」
魔理沙が、私の名前を呼んだ。けれど、私は聞かなかったことにし、手に込める力をより強くした――その時。
魔理沙の、細い首が。
折れた。
ポキり、と。
軽い音が体に響いた。
気持ちがいい音だと思った。
霧雨魔理沙は死んだ。
私に殺された。
私が殺した。
霧雨魔理沙を。
彼女を。
綺麗な金髪に、意志の強そうな金の瞳を持った少女を。
私が――・・・・・・
そこで私は、夢から覚める――。
4
「あああああああああああああああああああああああああああ?!」
叫びながら上半身を起こすと同時に、掛け布団を蹴り飛ばす。蹴り飛ばされた掛け布団は、力の働く方向に飛び、柔らかく地面に落ちた――文字通り跳ね起きる形で、私は目を覚ました。
「はぁ、はぁ・・・最悪っ」
息が荒く、心臓の鼓動が早くなっているのがよく分かる。全身から冷や汗が流れ、服がぐしょぐしょに濡れていて気持ち悪い。風呂に入って汗を流したいと思うけれど、今風呂に入ったら嘔吐してしまいそうだ。
――とりあえず、今は水分が欲しいわ・・・。
ゆっくりと立ち上がり、気だるさの残る足で井戸へと進む。なんどか転びかけたけれど、それでも無事井戸まで辿り着いた。
桶に水を汲み、台所へ持っていく。そしてその水を火にかける。数分も掛からずにお湯が沸き、そのお湯を予め茶葉を入れておいた急須に入れて、お茶を作る。朝で涼しくはあるが、春ほどの過ごし易さを感じることはできない。さすが夏といったところだろうか。
お茶を湯呑に入れて、口をつける。全身から汗を流していて気持ちが悪い感覚が、暖かい液体が喉を通っていく感覚に打ち消されていくような気がした。まぁ、やはりそれは気がしただけであり、気持ち悪いには変わりない。急須と湯呑を持って縁側まで移動し、座る。
――静かね。
辺りは時間が止まってしまったのではないかと疑うほど静かだった。虫の声、鳥の声どころか、草が揺れる音さえ聞こえない。紫が今日ここに来ることはないだろうし。それに――
「魔理沙がここに来ることは、もうないでしょうね」
そう。
霧雨魔理沙が博麗神社に来ることは、もうないだろう。
見てしまったから。
博麗の巫女が博麗の巫女として動いているところを、見てしまったから。
きっと、恐れただろう。
きっと、軽蔑しただろう。
彼女は私を化け物だと思っただろう。
しかし、それで彼女が――魔理沙が。博麗神社に来なくなったとしても。それは私が元通り静かな生活を送ることができるようになるというだけの話だ。
そう、元通り。
全て、元通りに。
魔理沙が来る前の、静かで、孤独な生活に戻るだけ――。
「おーい!霊夢~」
声が、した。
人がシリアスで重い今の状況について静かに考えている時に誰――と。少しの苛立ちを覚えつつ、声のしたほうへと顔を向ける――そこに、居たのは。
魔理沙だった。
「まったく。昨日は何も言わず帰りやがって・・・・・・」
軽い調子で、魔理沙はそんなことを言った。いつもと、同じように。いつもと、変わらない調子で。あんなことがあったのに――。
私は、そんな魔理沙に。微かな苛立ちを覚えた。顔を伏せ、表情を見られないようにする。
「なんで・・・・・・来るのよ」
小さな声で。それは声なのかと疑問に思うほど小さな声で、私はそう呟いた。勿論、私のその声が魔理沙に届くわけがない――しかし、魔理沙は私の口が動くのを見たのか、
「なんだ?なんて言ったんだ?」
「なんで来たのよ!」
気がつけば、叫んでいた。喉が裂けるほどの勢いで、叫んでいた。空気がビリビリと震え、私が叫ぶと同時に少し強い風が吹いた。木々ががさがさと揺れて、それらの木に止まっていたのであろう鳥達がバサバサと一斉に飛び立っていく。風で、私の髪が、巫女服が揺れる。魔理沙の金髪も、同じように。魔理沙の服も、同じように、揺れていた――けれど。
少し、違ったことがあった。いや、決定的に違ったことがあった。
私が怒りを露にしているのとは対照的に、魔理沙は動揺を表に出していた。目を見開いて、私が何を言ったのか理解ができていないようにも見える。
魔理沙は左足を一歩分後ろへと動かし、
「なっ――え?」
訳が分からないと言いたげな声で、訳が分からない声を上げた。誰だって、突然こんなことを言われればそうなるだろう。
「なんで、来たの?あんな私見て、なんで来れるの?」
あっ――なに言っているの?
「どうせあんただって、今どうせ平静を取り繕っているだけで・・・・・・」
やめてよ。
止まって――
「私のこと、どうせ――・・・・・・化け物みたいに・・・・・・思ってるんでしょ――」
「霊夢!!」
「っ!!」
そこで、私の口は――余計なことを十分すぎる位にぶちまけたその口は、魔理沙のその声で、漸く止まった。
――どうしても。
魔理沙のあの態度が。
いつもと変わらない、あの態度が。
気に食わなかった――ウケツケられなかったのだ。
何か、裏があるんじゃないか。何か、隠しているんじゃないか――そんな、人間不信になっていたのだ。
「な、・・・・・・なによ」
「霊夢。私はお前のことを化け物だなんて思ってない」
――嘘。
きっと、嘘だ――嘘に違いない・・・・・・
「お前は、人里の人間に危害を加えそうな妖怪を退治しただけだろう?お前に非はないじゃないか」
「――そうよ。危害を加えそうな妖怪を退治しただけ。だけど・・・」
――だけど。
そうだとしても。
あんたは私のことを、軽蔑したでしょう?
あんたは私のことを、恐れたでしょう?――。
言おうとしても、口が開かない。
もう、今すぐここから逃げ出したい――けれど、体が思うように動いてくれない。眠りから覚めた直後のように、思考が凍り付いている。暑いからなのか、それともこの状況故にか。汗が体を濡らしていく。
私はこれ以上自分が何も言えないであろうと理解し、顔を伏せた。せめて、表情だけでも見られないように。
「なんでそんなに卑屈になるんだ。お前は私達人間の為に動いてるんだろ?だったら化け物だなんて呼ばれても気にする必要はないハズだろ!」
魔理沙が口を止めたところで、私は顔を上げた。頬に暖かな感触。と同時に、なにかが頬を伝い地面に落ちていくのを感じた。
あぁ、私は今、泣いているのか――?
「あなたに・・・・・なにが、分かるって言うのよ・・・・・・」
聞き取れるギリギリの大きさで、私はなんとかそう呟いた。
その言葉に。
その、私の言葉に――魔理沙は。
「分からないよ!」
叫んだ。
目から大粒の涙を流しながら、叫んでいた。
――なんで、あんたが泣くのよ。
私は口を開いてそう言葉を放とうとしても、空気を吐き出すだけでどうしても声を出せなかった。
「分からない。お前がどうしてそんなに悩むのか――。全く、分からない」
「・・・・・・」
長い沈黙――いや、きっとそれは一瞬だったのだろう。
わずかに、魔理沙の口が動くのを感じた。けれど、なんと言ったかは聞こえなかった――聞こえなかっただけに、頭の中で負の思考がグルグルと回る。魔理沙の呟いた言葉が、私を傷つける言葉なのではないかと、考えてしまう。
――そんなの、本当かどうかわからいのに。
だけど、それは聞こえていたとしても同じだろう。覚妖怪でもない限り、相手の心を覗き見ることはできないのだから。
人の口から放たれる言葉が、必ずしも真実――本心だとは限らない。
「――あんたは」
私の声で、わずかに空気が震える。
一つだけ、聞きたいことがあった。どうしても、知りたいことがあった。嘘でも良いから、魔理沙の声で、魔理沙の口から聞きたいことがあった。
――あんたは・・・・・・・
「どうして、また来たの?」
さっき、なぜ来たんだ、と怒鳴った人間が問うべきことではないだろうけれど、どうしても知りたかった。
私が、巫女として動いている時の姿を見たというのに。どうして、彼女は――魔理沙は・・・・・・・
「お前が――心配だったんだ」
「――――・・・・・・ッ」
言葉がつまり、何もいえなくなった。目を見開き、驚きを隠すことさえできず、右足を一歩後ろに動かした。
――本当に、逃げようか・・・・・・?
一瞬、そんな思考が頭を過ぎった。けれどそれは思考だけで、体は右足を一歩後ろへと動かしただけで、それ以上動くことはできない。
「私が?――心配だった?なによそれ。訳分からない」
「お前が、抱えきれなくなるんじゃないかって――心配で」
言って、魔理沙は帽子を深く被り、表情を隠した。
――何度目かの、沈黙。けれど、それは一瞬だった。すぐに私が言葉を発したのだ。
「・・・・・・なんであんたがそんなこと心配するのよ。そもそも、そんな心配あんたにされる筋合いないわ――」
「あるよ!」
私の言葉に被せるように、私の言葉を否定して魔理沙はそう叫んだ。叫びながら勢い良く顔を上げたため、ついさっき深く被りなおした帽子が地面に柔らかく、ゆっくりと落ちる。
「なぁ、あるよな・・・?私がお前を心配する筋合いはあるよな・・・?だって、私とお前は――友達だろう?」
「なっ・・・・・・・!?」
友達!?
魔理沙の言葉に私は驚き、何も言えなくなる。頭の中が真っ白になり、指先さえ動かすことができずその場で棒立ちの状態になってしまう。
今、あいつは友達といったか?
私と?
魔理沙が?
――・・・・・・は?
思考がある程度固まって、真っ白になった頭が元の状態に戻ってきた。ようやくしっかりと考えられるようになった頭を限界まで使い、言葉を捻り出す。
「と、友達!?友達のワケないでしょう!?そもそも、私は博麗の巫女よ?私なんかとこうして付き合ってたら、あんたまで変な目で見られるわよ?」
「かまわないさ」
私が必死に考えた言葉を、魔理沙はかまわないと言って切り捨てた。そして、顔に笑顔を浮かべて、
「私は、それでもかまわない。お前の隣に入れるなら、かまわないさ」
言って、魔理沙は大きく頷いた。なにを一人で納得してるんだ、と言いたくなったけれど、ギリギリのところで堪える。
「なんで、私なの?」
私はそう、素直に疑問に思ったことを聞いた。すると、魔理沙は顔に浮かべた笑顔を崩すことなく、先程下に落ちた帽子をひょいと拾い上げ、頭に被りなおし、
「私、お前のことが好きなんだ」
言って、照れたように帽子を深く被りなおした。隠しきれてなく、わずかに見える頬が赤く染まっている――きっと、私の頬も今、同じように赤く染まっているのだろう。
――恥ずかしい。
穴があったら、入りたい――いや、穴を作ってでも入りたい。
「それで?」
魔理沙は言って、私に一歩近寄る。私は驚きと動揺で、一歩後ろに下がった。
「言わせたからには、答えてもらおうか。返事は?」
ニヤニヤと。意地の悪い笑顔を浮かべながら私にそう問いを投げた。私は赤くなった頬を隠すこともできず、だからと言って言い訳をすることもできず、再び頭の中が真っ白になった。
え?
コレは――?
告白?
なぜ?
「えっ、ちょっと。なんでそんなこと・・・・・・。そもそも、なんであんたが私に?」
私にそういわれて魔理沙は、「うぐっ?!」と、なにか問われたくないことを問われたといった声をだした。
「そ、それは・・・だな。言わなきゃ駄目か?」
――これはチャンス。
心の中でそう呟いて、私は口元に意地の悪い笑みを浮かべた。
今まで何度も驚かされ、頭の中を真っ白にされた仕返しだ。
「言わなきゃ駄目よ。じゃないと答えられないわ」
もう、最初に抱いた魔理沙への怒りは頭の中からすっかり抜け落ちていた。
魔理沙はゆっくりと帽子を頭から取り、表情を隠さずに私に言った。
「お前のその、何者にも縛られず、自由で、マイペースなところが好きなんだ」
正直、聞かなければ良かったと思った。
――なによその理由。聞いたこっちが恥ずかしいじゃない・・・・・・。
魔理沙は言い切った達成感のためか、頬の赤みが少し薄れていた。それに対して私は、魔理沙のその言葉でさっきよりも頬の赤さが増していた。
そんな私に気づいたのか、魔理沙は悪戯な笑みを浮かべて。
「それで?返事は?」
ニヤニヤと。私の反応を楽しみながら、再びそういった。
「あっ、えとっ、あぁ・・・・・・んっ、わ・・・・・・私も、その――あんたのことが・・・・・・」
「なになに?全然聞こえないぞ?」
――こいつ・・・。
このまま恥ずかしがって、魔理沙の想像通りの反応を見せるのが嫌な私は。
「私も、魔理沙のことが好きよ」
しっかりと魔理沙の目を見つめて、そう言い放った。
どこか照れたように魔理沙は顔を俯かせ、表情を見られないようにしていた。その魔理沙の反応を見て、「してやったり!」と思うけれど、やっぱり恥ずかしい。思わず、私も顔を俯かせそうになってしまう。
「そ、そう・・・・・・か。それは、なんというか・・・・・・よかった、ぜ」
一瞬の沈黙。その沈黙の間に、少し強めの風が吹いた。ガサガサと、神社の周りの木が音を立てる。
魔理沙は俯かせていた顔をゆっくりと上げて、私の目を見る。私も、口元に笑みを浮かべ魔理沙の目をしっかりと見つめ返し、
「お茶でも、飲む?」
魔理沙も、私と同じように口元に笑みを浮かべて。
「あぁ。一杯、いただくぜ」
5
私と魔理沙は、縁側でお茶を飲んでいた。
一杯いただくと言っていたのに、魔理沙は既に3杯ほどお茶を飲んでいた。
「まったく、一杯だけってなんだったのかしら?」
「悪いな。一杯飲んだらもっと欲しくなっちまった」
「まぁこうなるとは思ってたけどねぇ・・・・・・食べる?」
呆れたように笑いながらそう言い、私は魔理沙に煎餅を差し出した。魔理沙は、「おう、いただくぜ」と言って差し出された煎餅を手に取り、齧った。
私は湯呑に口をつけ、一度大きく息を吐いた。
「魔理沙・・・・・・ありがとね」
言って、照れたように一度、頬を掻いた。けれどそれで紛らわせることはできるわけがなく、少し頬が赤くなってしまう。
――まったく、らしくないわね。
心の中で苦笑し、魔理沙の目を見つめる。魔理沙も、優しく微笑みながら、同じように私の目を見つめ返してくれた。
「私を、心配してくれて――・・・・・・また、来てくれて。本当に――・・・・・・本当に、嬉しかった。私のあんな姿を見たのに、また来てくれたのが・・・・・・」
言って、私は僅かに顔を下へ向ける。泣きそうになっている表情を、魔理沙に見られたくなかった。別に、悲しくて泣きそうなわけではない。その、逆――嬉しくて、泣きそうなのだ。魔理沙は悪戯な笑みを浮かべながら、なにかを察したように目を閉じて小さな声で呟いた。
「私こそ、ありがとな。告白に応えてくれて」
「ひゃぁっ?!」
突然変なことを言われ、驚きのあまりおかしな声が出てしまう。魔理沙は私の反応に満足したように笑い、すぐそばに置いてあった帽子を取って頭に被り、静かに立ち上がった。
「それじゃぁ、今日はそろそろ帰るぜ」
言って、魔理沙はゆっくりと階段のほうへと歩き出した。私は、魔理沙の後姿を見つめながら、
「魔理沙」
と。名前を呼んだ。魔理沙は足を止め、ゆっくりと振り返った。
「なんだ?」
笑いながらそう言った魔理沙に、
「また、いらっしゃい」
そう言って、笑い返した。
「おう。また、来るぜ」
魔理沙はそういうと、再び階段のほうを向いて、ゆっくりと歩き始めた。私はお茶を飲みながら、その後姿を見えなくなるまで見続けた。
ふぅ・・・・・・と長く息を吐き出し、目をつぶり、その場に寝転がった。
『また、来るぜ』
魔理沙のその言葉が、頭から離れない。思い出すたび、自然と口元に笑みが浮かぶ。
魔理沙は、また来てくれる。
私の場所へ、来てくれる。
それが嬉しかった。
レイマリ結婚すべし。ありがとうございました。