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前回までのあらすじ
三十路手前、縁起の纏めも転生の準備も終わってあとは死ぬだけの稗田阿求。その余生を過ごすため、代々の阿礼乙女が住んできたという『棘の庵』に一人住まいを始めました。一年間の猶予でなにが変わるのかと、訝しげに想いつつも楽しげに暮らしています。
霜月
稗田の屋敷の、言わば雛飾りを広げたような風情の庭を、縁側からずっと眺めていた。桃の節句前になると蔵から揺り起こした雛人形達を飾る為に、畳の上にひと通り広げてみるものだが、そのときの景色とよく似た感慨を庭の雑多な賑わいにも抱くものだ。無秩序にただ根を下ろしているように見えるがその実、どことなく分かりきったふうな顔をして住み分けというか分相応というか、草木それぞれが自らの役割を踏み外さずに栄枯を謳歌しているから、まるで雛人形の、などと形容してしまうのかもしれない。
例えばあちらの松などは背丈は低いものの、荒々しく曲がりくねった枝の姿は独特の風格があるし、庭の景観にある種の影を落としているようで全体の引き締め役としても大いに力添えをしてくれている。池の傍に生えているので、水面に映る逆さ姿も美しく、それでいて隣の楓への柔順ぶりには目を見張るものがあり、なかなかに出来る奴である。その楓から左に転ずると塀際まで群生するこれまた低い卯の花があり、花期はとうに過ぎているものの枝ぶりが良く、自己主張に一年中余念がない。年頃の娘さんのように可憐な花びらとは印象の違う性格を時折垣間見せるので、庭を眺めた際の良い着地点ともなる。いざ花の時期ともなると些か小賢しい気がするのは愛嬌というものであろう。そして忘れてはならないのが草木の下に敷き詰めた玉砂利やじっと佇む小岩などだ。これらは生き物ではないので清涼感や親しみやすさとは無縁であるが、それ故の裏方役としての仕事ぶりは正しく利用すれば縁の下の力持ちとして発揮されるし、こういったところに拘りを持つと庭を持つ者としての位が向上されるかと想われる。これは特に説得力はないが、庭を弄ること自体が自己満足の類に則っているのだから、勝手気ままであるし、大目に見て貰いたい。
まだまだ多くの草木が生い茂る庭はその生命力の滾りを露見させて久しいがしかし、それは人の手を加えてこその景観であって、ひと月、いや半月も放っておいたらたちまちに荒れ果てては根を腐らせてしまう。悲しいかな余計な仕事をしてしまう蔦やその他の雑草などは枯らさねばならない。草木を愛でると言いつつ同じく草木を間引きせねばならぬというのもまた、雛壇に別種の人形を飾ることを良しとしない事柄に似ている。雛飾り、という枠組みだからこそ美しいのであって、そこから外れたものは景観の妨げとなるのである。そのふたつは不両立となるは言わずもがな、庭を弄る者はそれを知らぬふりをしているきらいがあるのも、少しだけで宜しいので、許していただきたいところ。
この庭を眺めていると忘れない記憶の様々が浮かんできては、まるで花が開いて萎むまでの間のように、私に人生の余韻を楽しませてくれる。走馬燈というと縁起が悪い。それに、生えている草木の大体半分は私が生まれるずっと以前からこの庭で根を張らせているものばかりだ。謂わば人生の先輩である。それは老人たちの昔話に耳を傾けることに似ている。いや、まだまだ花盛りの草木に老人などと、失礼かもしれんが。
目を転じた庭の片隅、塀沿いに咲いた蝋梅から大分離れたところに、ぽっかりとなにも植えられていない部分があった。そこに老熟たる昔話は埋められてはいない。ずっと前にヤマボウシがそこに植えてあった。おばばが選び、私が初めて世話をして、そして枯らしたものだ。あまり想い出したくない事柄である。
そうやってもの想いに耽っていると、後ろから声をかけられた。振り返ると女中のオケラが肩掛けを持ってきている。霜月の日光は最初から影を降らせているようになんだか暗く、オケラはその中で雨待ちをしているかの如く、佇んでいた。
「お身体に障りますから、暖かくしてくださいまし」
私はそれに声も出さず、ただ目配せだけをした。そこに置いといてくれ、というのである。再び庭へと視線を戻し暫く、後ろのオケラが去る気配が無かったのでさらにもう一度座敷を伺うに、肩掛けを持ったまま未だそこ居た。なにか物言いたげな眼差しで、しかし口元は錠前を付けられたかのように固く、閉じている。
私が黙ったままだったのがいけなかったのかと想い、悪い気がして改めて返事をした。
「肩掛けならそこに置いといてくれていいよ」
そう言ってもオケラの眼差しは変わらず、却ってなにか言いたげに瞬きさせていた。それでも少し間を置いてから、あの、とひねり出すようにして声にした。なんとももどかしくていけない。いつもだったらよっぽどうるさいほどにお尻を叩いてくるくせに。私がどうしたとせっつくと、やっとオケラはまともに喋る。
「庵の方には、お戻りになられないのですか」
なんだそんなことか。私は庭へと目を移した。
「ひとり暮らしの件は、あれはおばばが言い出したことだ。もうそれも反故でよかろう」
先月の終わりにおばばが亡くなり、葬儀やその他諸々の用事を済ませて数週間、喪主としての勤めと稗田当主としての仕事が重なって、私はもはやひとり暮らしに戻るのが億劫になっていた。言ってもただひとりあの庵で寝食して物を書くだけなのだが、それでもやはり誰かが常に世話をしてくれる屋敷は大変に楽であり、枕は高々、余程健やかなのだ。一声かければお茶も出るし、お餅だって運ばれてくる。失って久しい気のかけられ方であった。なので、おばばが亡くなってからずっと稗田の屋敷に居座り続けている。居座り続ける、というのは正確ではない。私が当主の私の実家なのであるからして。
楽だから、というのも理由ではあるが、それだけではない。あの庵のことはおばばから言い出し、それも一興だと私が話に乗っただけのことだった。しかしそのおばばが無くなったのだから、もう庵での生活はやめた。
「短い間でもそれなりに楽しかったがな。色んなことが起こったし、愛着も抱きつつあるが、ひとまず、ね。おばばとて無理にとは言ってなかったのだよ」
庭の草木の様子に目を配りながら、私はつらつらと言う。
「せめてひとりだけでも女中を付けておけば良かったかな。様々大変であるな、ひとり暮らしは。特に毎日のお布団の上げ下げが辛い。あの庵は穴倉のように狭くて寂しい。さしずめ私はもぐらのようであった」
「大奥様がお亡くなりになられたからって、庵に戻らないのは違うと想います」
オケラの一等真面目な声がしたが、私は振り向かない。
「違うことはないだろう。約束した本人が鬼籍に入られたんだ、むしろこちらは先を越された気がするよ」
「先を越されたなんて、そんな言い方、ないです」
鼻をすする音がするが、私は振り向かない。
「先を越されただろう。私になにも言わず、身体が弱っていることも知らせず、聞けば私には知らせるなということだったそうじゃないか。庵に住まわせたのだとて、それが目的だったのではないかな。最初から蚊帳の外ならば、果たして本当に約束だったかさえ怪しいものだ」
「違います、違います」
私の後ろで風の舞う気配がした。きっと、オケラが手に持っていた肩掛けを取り落としたのであろう。また泣いているのだ。幼い頃からずっと変わらず、そういうところはまったく治らない。私はやはり振り向かず、庭の片隅を見遣った。
すると私の態度が気に入らなかったのか、オケラは途端に声を荒らげた。
「阿求様はそんなだから、大奥様のご心情にもお気づきになられないんです。大奥様がどんなに阿求様に腐心なされていたか、たった一度でも考えたことはありますか。今際の際に、孫娘に逢いたくないひとなんておりませんよ」
オケラの怒声に少々驚きはしたが、妙に静々とした気持ちで私はそれを聞いた。
「庵で阿求様がお暮らしになられて、お顔には出ていませんでしたが一番寂しがっておられたのは大奥様です。だからご自分で作られたお料理を、私に運ばせていたのですよ、お気づきでしたか」
「いや、お気づきではない」
「お屋敷に戻ったおからを、最初に出迎えるのが大奥様でした。いつも聞かれるのですよ、阿求様のご様子はどうだったって。変わりないかって。それで最後には明日も頼むって。そんなこと、おっしゃられるまでもないのに」
どんどんオケラの声は大きくなって、涙が交じる気配も濃くなってゆく。
「お身体を壊して、寝こむようになってからはおからが味付けを教わって、大奥様の代わりにおからが作っていたのですよ。まだまだ至らなくて阿求様に文句を言われましたが、それでも、すごくうれしかったのに」
オケラの声はもはや屋敷中に声を届かせんばかりの勢いで、ほとんど泣いているようなものだった。ざわざわとした騒がしさからして他の女中達が聞きつけて集まってきているらしい。私は平静を装い、はて困ったな、と、知らんぷりを続けるのにも限界があることを悟りつつあった。よもやこのようなことになろうとは。
「お前はあの子の妹のようなものなのだから、よく助け、よく寄り添い、私の代わりに阿求を支えてやってほしいって」
あまりにも涙と鼻水で聞き取りづらかったが、そんなことだったと想う。
「病に臥した床からそう言われたおからの気持ち、分かりますか。血の繋がりもない、家族も居ない小さかったおからを、大奥様は引き取ってくださって、そのうえ阿求様の、妹のようだって。おからの気持ちが分かりますか」
泣きじゃくって、終いには落とした肩掛けを私に投げつけようとして、他の女中にオケラは止められていた。それでもなお、があがあと喚いた。まるで子供のようである。小さい頃にもこれほどの喧嘩をしたが、こうなったオケラは手に負えなかったので、そのときは私が渋々謝り、詫びた。
しかしいまはなにも言わなかった。私はなにも言えなかった。
集まった女中皆の視線にいたたまれず、私はそそくさと屋敷を出た。
庵に戻ってくださいましこのばかぁ、とは、逃げる私が玄関を出てから戸に投げつけられた、最後のオケラの言葉であった。
稗田の屋敷から出奔、逐電。このままでは近い将来、稗田家当主たる者の面目は強かに丸潰れである。あまつさえ奉公させるはずの女中ひとりに追い出されるなど、これまでの阿礼乙女史上にあり得たであろうか。ふむ。
外に出て、一路鈴奈庵へと足を向けた。あすこは時間を潰すには持ってこいの場所だ。屋敷の騒ぎ、ほとぼりが冷めるまでは暫く鈴奈庵に避難していようと想う。店主である小鈴はいい顔はしないであろうが、客は客である。例え実家を追い出されて行くあてのない稗田家当主でも、いつも本を借りてきっちり返しているのだから、客だ。さらに言えばお得意様である。きっと大丈夫、さすがに追い返されるようなことはない、と想う。
人里の通りはいつもと同じ賑わい、いや、些か人が少ないだろうか。冬に向かう季節柄の風が冷たい装束を纏うようになってからこっち、誰もがその風に負けじと厚着をしたり自分の店や家に篭ったり、なるべく外に出ないようにしているふしがある。着物の懐を閉め切り、するとお財布の紐も締めることにも繋がるのか、いまいちお金を使いたがらなくなるらしく、故に通りへ人が流れることも少なくなるのであろう。
私にも覚えがある。なにかとつまらぬことがあると、途端に物事への欲がなくなって、だらしなくしているうちに一日を終えてしまう。動かないのだから、なにも買わんし売りもしない。小鈴なんぞは客に本を汚されて返却されたときには、その嫌な気持ちをそそぐために目に入る本すべてを買い、振り乱すかのような散財に走る。あれはあれで気分が回復するだろうが、散財した事実にあとですぐに気が滅入りそうである。悪循環である。
いまも、甘味処の前を通っても、私はなにも買う気がしない。よくよく考えてみればお財布も持たずして屋敷を出てきてしまっていた。これではやはり、なにも買えぬ。いや、お財布がたとえあったとしても、私は買わぬだろう。
「オケラにしても、おばばにしても、誠に勝手なものだ」
からっ風のようなひとりごとが私の唇を乾かしてゆく。かさかさとした言葉尻が、想いのほか私の心根をささくれ立たせる。嫌な気持ちに荒れ地と化す。
オケラの非難はもっともであると私自身も至極納得する。なるほど確かに私はおばばの腐心ぶりを蔑ろにしていたのかもしれない。知らなかったとはいえ、おばばの心を痛めた悩みどころを軽い素振りで一蹴していたのかもしれない。もしもそれを私が知っていれば、それなりの感謝も、謝罪もしよう。いまからでも遅くはないとして心を改めるのもやぶさかでない。
しかし、私は知らなかった。否、知られることを拒まれていたのだ。私だけ蚊帳の外でなにも知らされなかったというのは、つまりはそういうことであろう。
「本当に勝手なのだ。私になにをどうしろと言うのか。本当に知りたいことを教えてくれないのだから」
人の少ない通りは、歩きやすいようでいて一抹の寂しさを感じさせる。歩いているはずの人々が居らず、その静かさが余計に自らの記憶を呼び覚ます引鉄となっているようだった。私はゆっくり歩きながら、屋敷の庭に植えられていたはずのあのヤマボウシのことを想った。私が枯らした、である。
あのヤマボウシをおばばが選び、庭の片隅に植えたのは、私が六つのとき。その前日にやっと三つになるくらいのオケラが引き取られてきた頃。そのときは逆に私がオケラの相手を任されていて、その出自とも相まっておっかなびっくり、私の背中にべったりであった。余程背負っているのかと想うくらいに、オケラは私の後ろにくっついてきていたのを憶えている。それについても、やはりおばばがそうしろと薦めてきたのだ。私は私で妹が出来たようで張り切ったものだ。まだまだ文字書きの覚束ぬ幼子なりに、精一杯息巻いていた。
その折にさらにおばばからあのヤマボウシの世話も任された。最初こそ手厚く水やりし、毎朝虫が付いてやしないかなどと一所懸命に見つめていたものだったが、樹木とオケラの世話は六つの私には荷が勝ち過ぎていて、早晩どちらかが疎かになることは目に見えていた。私自身、文字書きの習い事とも重なってどれを優先して良いものか、果たして八方塞がりとなり結局、ヤマボウシを枯らした。背丈はまだ私と同じ程度、花を咲かすこともなく、根腐れを起こして枯れてしまった。後で考えてみればまったくなんの予兆も無かったのだから、幼子にはどうせどうにも出来なかったであろう。それでも私は非道く叱られたものであった。特におばばからは大いに叱責された。理由は分かっているのだ。私はヤマボウシを枯らした理由にオケラの世話を持ち上げた。オケラがぐずるから、ヤマボウシに手が回らなかったと。これは勿論嘘で、すぐにおばばには看破された。
あまりにも叱られたので、私は避難と称してそのときもやはり屋敷を逃げ出した。否、私は叱られたことにへそを曲げていたのである。謂わば家出、ついでにオケラも付いて来ていた。生まれて初めての家出は、屋敷傍の畦道行楽。オケラ付きであった。
「オケラの泣き癖はあの頃から稀代であったな」
ひとりごちて、私は来た道を引き返した。誰も居ない通りは面白くない。いまこの時も家出なのだし、オケラと歩いたその畦道へ行こうと想う。このまま悶々としているくらいならとことん昔の記憶に付き合ってやろうではないか、という気概からである。
綿雲がまばらな中をお天道様は煩わしそうに照っている。雨が降る様子はないし、晴れ渡っているわけでもない。風は少し着物の裾を撫でる程度、所謂、私にとっての散歩日和なのである。遠くから届く鳶の鳴き声を聞きながら、私は角をひとつ曲がって野道へと足を踏み入れた。鬼が出るか蛇が出るか、は分からぬ。
未だ脇に緑が残る畦は、昔ここを通ったときの景色ほとんどそのままで、私の細い歩みを迎えてくれた。草虫があちこちで奏で、それを面白がるかのようにところ構わず芒がつんつんと飛び出し、その上を滑るようにして蜻蛉が横切ってゆく。私が芒を一本引き抜くと、刹那の間だけ草虫は静かになるが、やがてまた輪唱が広がるようにして鈴の音を奏で出す。記憶の中の畦道といまの畦道が静かに重なる。泥を乾かした田んぼ、小さい流れを作る水路、その水が行き詰まる先は雑草まみれになって別の田んぼへと溢れてしまっている。疑いようもなくここは昔オケラと歩いた畦道。変わりないのも、忘れぬ記憶を持つ私には明白なことであった。変わったものがあるとするなら、それは私自身かもしれない。
「こういう隠れやすいところにいるんだよな」
水路の行き詰まりを芒で突っつくと、まるでそこから生まれ出たかのように様々な虫などが散り散りに逃げてゆく。これは幾度となくやっても飽きぬ遊びだ。そうして芒を引き上げてみると、雨蛙が一匹、穂の部分に引っかかったのか、釣れた。こやつらはひとを恐れることもなく、まるで達観したかのような面構えで目の前に現れる。若しくはなにも考えていないようでもあるので、その心中や凡俗が察するには難儀であるが、故に子供の遊び相手としてはこれ以上のものはない。あのときも、私が蛙を捕まえて、怖がるオケラの顔に押し付けてやったのだったっけ。
そうやって想い想い、畦道に残る草の匂いのような記憶を辿っているうちに、田んぼを挟んだ向こう側に人影が見えた。少し進んでは立ち止まり、また進んでは立ち止まりを繰り返しているようで、すわ妖怪か妖精かと私は目を凝らす。見つめたままで暫く、人影があまりにもゆっくり進んでいるので焦れったくなり、私は畦道をずんずん、近づいた。するとその人影が急に、しゃがみ込む。
畦を進みきると、果たして人影は正真正銘の人間で、私の知らぬおばあさんであった。おばあさんはしゃがんでもぞもぞと何事かしている。私がそろそろ近づきなら注視していると、どうやら水路で手を洗っているらしい。しかし袖もまくらず、褪せた色の着物が水面に触れて、色味を取り戻していくかのようにどんどんと濡れていく。おばあさんは、それにはお構いなしで手で水面をかき回している。
どこか様子がおかしい、そう想ったら声をかけたくなった。「おばあさん、なにをしてらっしゃるんですか」
「灯篭流しをね、してるんだよ」
こちらに顔を向けずにおばあさんは想ったよりも子供っぽい声を出す。手元は水を跳ね回して、もはや腰帯にまでも水滴で斑点を作っている。それに灯篭流しと言いつつも、その灯籠を持っているふうでもなし、すでに流した後なのかと水路を左右に見遣るもやはり影も形もない。そして自分は子供のように水面を弄っている。ふむ。
この、会話が明後日の方向に逸れて途方に暮れるような感覚、おばあさんもしかして、ぼけてらっしゃるのではなかろうか。
いや、そう安易に帰着したのでは大いなる誤解と齟齬を生みかねない。大変失礼なことになるかもしれない。私はしげしげとおばあさんを見遣り、真実ぼけているのかどうか暫く観察した。が、こんなふうな色眼鏡こそ失礼千万なことであると気付き、自省。ひとつ深呼吸をしたのちに私は、おばあさん、と声をかけた。
「おひとりなのですか。ご家族の誰かと一緒では」
ぼけている、ぼけていないかは関係なし。ひとまずお歳を召した方がこんな人気のない場所に居るのは危ないと判断、稗田の屋敷まで急ぎ戻りそこからご家族の元へと送り届けようと想う。これならば屋敷に帰る道理が付くというもの。オケラや他の女中からの批難も避けられる傘を拾ったような気持ちである。あいや、これもまた失礼に値するので、猛省。
私のかけた声におばあさんは暫く無反応であったが、水に濡れた手を着物の袖で拭いながら立ち上がった。そして鼬のように辺りを見て、おじいさんと一緒だったのだけど、と呟いたが最後ぐっと押し黙ってしまう。私も畦道の向こうや人里の方を同じく探すが、それらしき姿は見られない。うむ、そのおじいさんとやらが真実いらっしゃるのかどうかはこの際気にしないことにしよう。
なにはともあれ帰るべし。人里まで行ければきっとおばあさんを探しているご家族とも逢えるであろうし、こんなところに居るよりもずっと寂しくはないのである。
もじもじとしているおばあさんの手をとって、私は軽く握った。
「私も迷子なのです。ご一緒に帰りましょう、おじいさんも探してますよ」
そう子供をなだめるようにして私が言うと、おばあさんは、
「わかりました」
と、至極丁寧で秋風のように軽く淑やかな声色の返事をなされた。少々驚きつつも私はおばあさんの手を引いて畦道を人里へと戻る。もちろん、歩きやすい道を選びながら。
結んでいるおばあさんの手の感触は、まるで岩を握っているかのようにごつごつとして固かった。指の節々に出来上がった豆は化石のような時間の強張りを感じさせる。骨太で、それでいて疲れきった枯れ葉のような肌。きっと一所懸命に日々の生活を営んでいらっしゃったのであろう、仕事を大いに務めた働き者の手であった。それに触れていると、箱庭で育ったお饅頭のような私の手のひらはなんだか恐縮して肩身が狭い。使った年数は違えども、同じ人の手でこうも違ってくるのは些か不思議で、なんだか腑に落ちない。
おばあさんはなんのお仕事をしてらっしゃったのですか、と、私は尋ねてみた。歩きながら遠くの方をぼんやりと見つめていたおばあさんであったが、私の聞いたことにはしっかりと応えてくれた。
「小さいころは棒手振り、通い店子。畑仕事も長いことやったねぇ。蚕様の世話もしたし、機織りはちょっとだけ」
「すごい、たくさんお仕事をなされていたのですね」
なるほどこの手を持つに値する歴々たるお仕事の連なりである。お仕事という金槌に叩き上げられた結果、鋼のように立派な手になるのであろう。ただ筆をうろちょろと動かしている私の手とは訳が違う。人生の厚みが違うのだ。
きっと酸いも甘いも味わって、苦心に腐心を重ねた上に七転八倒の人生模様を巡ってこられたのであろう。それはもう、息をつかせぬほどに。
「ご苦労されたのですね、おばあさんは」
私が感心してそう言うと、おばあさんは少しばかり考えたふうにまた遠くを見ていた。そして軽く首を振ると「そうでもなかった」と、小雨のようにもの静かに語った。
「夫や息子のためを想えばそれほど苦じゃなかったわ。そりゃあ子供の頃は辛かったけれどね。でも結婚してからは夫と一緒で楽しかったし、息子が生まれてからは辛いことも辛くなくなった。そうね、不思議だわね」
「ご家族の支えが、おばあさんに力を恵んでくれたのでしょうか」
「ううん、違う気がするわ」
おばあさんは確固たる意思を持っているかのような仕草で否定した。
「たぶん元から持っていたんじゃないかしら。夫や息子は、それを想い出させてくれたのよ。だから私はいままで頑張ってこれた」
そう言った途端におばあさんは首を傾げて、ところであなた誰だったかしら、と私に尋ねてくる。私は一先ず、斜向かいの後ろの家にある納屋の地下に潜ったもぐらの遠い親戚ですよ、と、言っておいた。おばあさんはそれで納得してくれたようで、人里までの畦道を歩いてくれる。ふむ。
おばあさんのおっしゃるとおり、自らの底力というものはなかなか自在に発揮出来るものではないし、それに気づかず生涯を過ごすということも少なくはないであろう。普段は隠れているからこその底力であって、なまじいつでも披露出来るのであればひとは疲れ、それこそ寿命を縮ませることになるように想う。故に無意識のうちに自らを守るために底力は隠れているのだろうが、こと誰かのためともなると躍起になってその鉄腕を惜しみなく振るうらしい。おばあさんのこの手は、底力に裏打ちされたお墨付きだ。私の手の方と言えばさらに恐縮して震えそう。
しかし震えていても私の手はしっかりとおばあさんの手を握って離そうとはしない。このおばあさんを探しているであろう息子さんの存在を知り得たからである。果たして私の責任は大きくなる。進む畦道が途端に頼りなげに見えてくる。
息子さんはどちらにいらっしゃるのですか、と私はおばあさんに尋ねた。
「私も探してる」
呟いたおばあさんは少しだけしょぼくれてしまう。どうやら、先ほどから遠くを見ていたのはその息子さんを探していたかららしい。
聞けば畑仕事に出かけた息子さんが戻ってこないから、居ても立ってもいられずに家を出てきてしまったのだそうだ。おばあさんは歩き回っているうちに帰り道が分からなくなって、ここで立ち往生していたようだ。そこで、同じくうろうろしていた私に見つかった、と。なにげに灯篭流しの件が抜けているが、気にしないことにしよう。
おばあさんのおっしゃられたことをそのまま鵜呑みにするならば、その息子さんを探して、おばあさんをそこまで連れて行くのが最良のようである。人里まで戻って例えお家まで連れて行けたとしても、またおひとりで出かけてしまいかねない。ならば息子さんを探した方がおばあさんの心配も無くせるし、おばあさんは迷子ではなくなる。一石二鳥である。
これは良いことを聞き出せた、として、私はおばあさんの手を握り直した。指に引っかかる豆だとて、いまやなかなかに可愛らしい感触と想える。
「ではおばあさん、私も息子さんを探しましょう。ご一緒します」
それを聞いた途端におばあさんはまるで花が綻ぶかのように笑った。期待と嬉しさが綯い交ぜになった、満開の笑顔であった。その表情が稗田の屋敷庭にある卯の花に似ていたので想わず私も嬉しくなった。こんなところで、あのかしましい花びらの風情に逢えるとは想いもよらなかったからである。
おばあさんの息子さんが畑仕事に出ているということは、人里から西の農耕地に居るかと想われる。つまりこことはまったく違う方向、もう暫く歩かなければならない。黙ったままでは気まずいのでなにか話すことはないかと少し周囲に目を泳がせた。
七つ刻前、未だ陽射しは元気ではあるものの、大きめの雲が田んぼの所々に傘のように影を落としていた。田んぼでは、刈り取り待ちの稲穂が風に靡いてまるでひとつの生き物のようにさざめいていた。稲穂の揺れる乾いた音は、畦道を取り囲んで雲の流れと一緒に私達の周りを泳いでゆく。それは実りの音が目に見える形を取ったよう。畦道は、実りの音をかき分けるようにして人里へ、他の田んぼへ、そして私達の足元へと縦横無尽に張り巡らされていた。
畦道を歩く度に草が足首に触れ、傍の野菊が遊び疲れたかのようにゆっくりと揺れた。するとおばあさんはその野菊を見て、立ち止まってしまう。手を繋ぐ私もつられて歩を緩めるも、すぐにおばあさんはまた歩き出し、私に尋ねてきた。
「あなただれでしたっけ」
うん。私は、田んぼの底からあぶれた奇妙な湯気に明星の光があたって生まれた幻のもぐらの生き残り、と、言っておいた。もちろんおばあさんは信じてくださったようで、頷いていらっしゃった。
適当にあしらっていたわけではないが、ちょっといい加減過ぎるかなと私が想っていると、おばあさんがまたなにかをじいっと見つめていらっしゃる。その視線の先は繋いでいる私の手で、なんであろう、物珍しそうに幾度も瞬きをしていた。
「なにか気になりますか」
出来るだけ柔らかく喋る私の言に、おばあさんは少しの間だけもじもじとし、一度こくりと頷いた。
「爪が黒いわ、あなたもぐらなのに字が書けるのね」
ふむ、なるほど。
「もぐらなりに字を書いております。指先に墨が染み付く程度には、精を出してきたつもりですが」
墨を磨るのが下手なだけである。
「なかなかどうして、それでも身体に染み付くほどの器量には未だ至ってないようです」
やや謙遜、有り体に言えば自虐を込めた言葉が歯の隙間をすり抜けて出てきた。実際、私の書く字は言うほど綺麗ではない。おばばにも劣るし、先代の残した縁起を見るに、以前の私の方がずっと美しく流麗な字を書いていた。これは幼い頃に文字書きの練習を少しばかり、ほんの少しだけ疎かにした故の成り行きであった。しかし特段汚いわけでもないし、読みやすい字だというのは小鈴からの褒め言葉であるし、私の綴る縁起には適していると自負している。なにごとも適材適所。庭の草木と同じく、である。
ふと、首筋に触れる風が強くなっている気がした。空を見上げれば雲の数も多くなっており、まるで薄墨をこぼしたかのように薄く灰色の幕を広げている。
おばあさんも私と同様に空を見上げた。そして再び私の指先を見つめた。今度は手をご自分の目の前まで持ち上げて、食い入るようにだ。
「あなたもしっかり働いたのね」
などと、目を細めたままで、おっしゃる。
「はあ」
「手はそのひとの生きてきた末の姿形になるの。どこでなにをして、どんな怪我や傷を負って、なにを残してきたのか。大抵は手を見れば分かる。ほら、この指に出来た小さな豆だって」
「それは、余計な力が入るから、なんですよね。本当に上手なひとは腕全体で動かすのでこんな豆は出来上がらないのです」
上手か下手かなんて関係ないわ、と、おばあさんは私の指を弄んでいる。
「この豆はあなたを見て、あなたが見てきたものそのものよ。これまで生きてきた分だけの時間が、人柄が、この手なの。それは、あなたの人生の物語。余計な力が入っていることもね」
言いながら、私の手を小指から順におばあさんは触れてゆく。そうしてまた遠く山の方を見遣ってぼうっとして歩いている。なんだか正気なのか虚ろなのか、いや、それらさえも超越した状態なのかもしれない。
そのようなことを言われたら、否が応でも自然と意識してしまう。おばあさんのしっかりと大成した手のひらと、私のやわっこい、小成に甘んじた手のひらとの姿形の違いを。やはり大人と子供、それほどの差がある気がする。
こうして手を繋いで歩いているにしても、私がおばあさんを人里へ連れてっているのか、それともおばあさんが私に教授しているのか。疑う心がひとり歩きしてしまって、もしかしたら、からかわれているのではないかと邪推さえしてしまう。
私が、おばあさんは一体何者なんです、と尋ねると、
「あなただれでしたっけ」
と素早く返される始末。その百人一首の名人のような早技に、私はもはや薄く笑うしか手段がない。このおばあさんは意識せずとも生来の辣腕なのである。私は、もぐらです、と短く答えた。
「文字が書けるもぐらですよ」
私の言葉を聞いて満足したのか、おばあさんは水を飲む小鳥のように幾度も頭を上下させていた。さながら私の言葉を啄んでいるかのようで、より面白い気分になる。もぐらはもぐらでも字が書けるもぐら、それもこれまでの時間のほとんどを費やしてきたもぐらである。そんじょそこらのもぐらではないのだ。
なんだかおばあさんとご一緒にいると元気が出てくる。こうなればもはや我が屋敷に大手を振って凱旋するのもやぶさかでない。そのくらい気が大きくなれるのである。おばあさんは不思議だ。
ついつい手を大きく振って歩んでいると、またぞろ昔のことを想い出した。私がヤマボウシを枯らしたこと。おばばに怒られて、オケラと一緒に逃げ出したあの畦道を、今は名も知らぬおばあさんの手を引きながら逆に人里へと戻っていく。ふむ。なんとも遠くまで来たものだ。そう考えると、おばあさんのおっしゃるとおりこれまでの人生はやはり無駄ではなかったのだと真に想える。面白みのあることだ。
「おばあさん、人生とは勝手で、面白いものですね」
感慨を込めて言った私の言葉は赤蜻蛉のように宙を舞う。おばあさんは聞こえていないかのようで、自らの指に息を吹きかけるのに忙しそうであった。
蛙の鳴き声が田んぼのいたるところから湧き出ている。水生の、水を住処にしている生き物特有のくぐもった声や性質は、聴いたり見たりしている者に多大な穏やかさを与えてくれると想う。蛙などはその暢気さが、タガメやゲンゴロウはそのすいすいとした泳ぎから流暢さが、諸々の長閑な気配を感じさせてくれる。おばばに叱られてオケラと逃げたときも、同じように心を落ち着かせたものだった。
生前のおばばに叱られた多くのことで、あれほど勝手だと想えたことはなかった。悪いのは私である。そこは閻魔様に誓って相違ないし、反省もしている。オケラを盾にして自らを妥当さの影に隠すようなことは断じて間違っている。人間の屑である。あの頃私は子供であり人間の屑であったが、おばばのやり方に多少は不審の念を抱かざるをえない。
時折大人が勝手なことを言うというのは、まるで世界の不文律のようにして知られていることだと想われる。私自身が大人になって、近所の子供らになにごとかを教えているときとてそれを感じる。勝手なことを言っているな、と、説教を言葉にしつつそう心で想っているのだ。自身の経験を担保にした押し付けがましい忠告は、子供の耳には身勝手なこととしか入っていかないであろう。大人が大人たる所以。大人の特権である。
おばばの勝手は、幼い私の両腕に重すぎる責任を持たせたことであった。生来から御阿礼としての役目を背負いつつも、さらにヤマボウシと幼いオケラの世話を私に任せるなんて、火中の石を拾うことよりもずっと危ういと自明なもの。勝手なことを息を吐くようにに言える大人だとてそれはあんまりだと断じられよう。
何故そのような無理をおばばは私に任せたのか。なるほど死人に口なし、聞いてやろうにも喋れる口が無いし、身振りする手足も無い。ないない尽くしである。それでは、仕方がないから許してやることも出来ぬ。呆れた顔さえ出来たものではない。
いや、もとより私はそのことについておばばを許すことは出来ないであろう。もし許したとするならば、私の中で溜め込んでいたものが堰を切ったように溢れてしまいそうで、そんなこと、きっと耐えられたものではない。いまよりもっと嫌な気分になる、と想う。
「嫌な気分は、嫌なものだ。誰だってそうであろう」
知らずこぼれた独り言に、隣のおばあさんはこちらを見遣る素振りをしたが、またすぐに遠くの方を眺めていたようだった。私は、想わずほっとしてしまった。
日暮れがそろそろ匂い立ちそうなころになって、芒の並ぶ畦道が終わると、蛙の声も鳴りを潜め、朱い土が畝を連ねる畑一帯へと私とおばあさんは入った。良く肥えた土の匂いがまるで香を焚いたかのように充満し、土地が持つ寛容さが心根を落ち着かせてくれる。ふと私の庵に耕した畑を想い起こす。やはり土いじりは良いものだと考えていると、おばあさんがしたり、まるで雨が降り始めたのに気づいて立ち止まるときのように、声に出さない小さな気づきを覚えたようで、私の手を引いた。
示す指の先に、果たして人影が居た。やはり畑仕事に勤しんでらっしゃるのか、鍬を振りかざしては勢いよく下ろしていた。それはみっつほど行った畑の区画向こうのことで、こちらからは左手に回り込めば、他の畑を踏まずにたどり着けそうであった。私が頷いておばあさんに了解の意を伝えると、握られた手に力がこもる。
「よかったですね、おばあさん」
おばあさんは懐かしい物事を想い出したかのように、優しげな眼差しでその人影を見つめている。どうやら本当に息子さんが居たようで、よかった。これが実はおばあさんの可愛らしげな想い込みで、現実にはいらっしゃらない幻の息子さんを探していたなんてことだったら、私はもしかしたらずっと幻想郷中の畑を巡り続けていたかもしれない。もしそうなっていたら、実家の者たちは私を探しに出でてくれていたであろうか。先ずは兎にも角にも、本当によかった。
では参りましょう、と、私はおばあさんの手を改めて引いて歩き出した。左からぐるりと畑を避けて息子さんのところまで近づいていく。どんどんと近くなってくる息子さんの姿に、なんだか不思議と愛着が湧いてくる。これもおばあさんのお話を聞いていたせいであろうか。親近感というか、初めてお目にかかるのに何故かすでに知っているふうな感覚。自分で想っているよりもおばあさんのお話に入り込んでいたようである。息子さんは、まだこちらに気づいてはいない。これは、と、ふいに詮無き想いにかられる。このまま後ろから近づいて驚かすことが出来そう、などと考え始めたのだ。
想いついてしまったものは仕方がない。そうとなれば、おばあさんに指で静かにしていただくよう伝え、ふたりしてそろそろと息子さんの背後から近づいた。息子さんが鍬を振り下ろした。今である。
「こんにちは、精が出ますね」
少しばかり大きい声、挨拶としたらうるさいと想えるほどの声量で、私は息子さんに話しかけた。すると案の定、ぎくり、一瞬腰を痛めたかのように動きを止めたと想うと、すぐにこちらに振り向いた。案外と驚かれなかった。心持ち無念。
それはそれとして、迷子になっていたおばあさんを連れてきたのである。きっと喜んでくれるに違いない。
私は、ことの成り行きを説明しようと、意識して微笑みを造る。しかし。
「なにやってんだよ母ちゃん」
その荒げた声に、隣のおばあさんは肩を震えさせながら驚いていた。それは私も同じだった。いや、私の方がもっと驚いたかもしれない。造った微笑みが、顔に漆で塗ったかのように張り付いて、かぶれてしまいそうだった。
息子さんは私には目もくれず、さらにまくし立てるようにおばあさんをなじった。
「うちで待ってろって言っただろう。どうしてこんなところにいるんだよ、すぐに帰るんだからさ。めんどうくさい」
その勢いにおばあさんはすっかり萎縮してしまって、私の後ろに隠れる始末。お逢いしたときから少し曲がっていた腰をより一層丸くし、息子さんに怒られて申し訳ないというよりも、心底怖がっているかのように身体が震えていた。普段から、こうして怒られているのであろうか。なにか粗相をしたら、こんなに大声を上げられているのであろうか。
私はと言えば、驚愕の波は去ったものの、そのまま固まってしまって、どうしたらよいのか分からなかった。なんとか説明して場を和まそうとする意思はあるが、これはよそ様のことだからと、気後れしてしまい話しづらいところもある。それに、なにか言おうとするたびに息子さんの声が遮るように投げつけられて、想うように喋れない。
「しずかに寝てればいいのに歩き出すんだから、勘弁しろよ。昔みたいに動けないくせに。楽が出来るのに動きたがって、そんなの誰も言ってないだろ。こっちは動くなって言ってるのに、言うこときかないのやめろよ。それでこんな迷子になるの何回目だって」
息子さんはまだまだおばあさんをなじる。なじり足りない、そんな様子であった。
それにしたって。
「迷惑するこっちの身にもなれよ。ひとの世話になるようなことするなよ」
「そんな言い方しなくたっていいのではありませんか」
言ってから、それが自分の声だと気づくような経験は、このときが初めてであった。
「おばあさんは息子のあなたを心配されて出てきたのですよ。たとえそれがおばあさんの勘違いだったとしても、怒るようなことではない、決して。先ほどまで私はおばあさんとお話ししながらあなたを探していたのです。様々聞かせていただけた。おばあさんはご家族のために働いていたのですよ、あなたのために、立派な手になりながら。いまだとてそのお気持ちに変わりがないし、むしろ大きくなっているけれども、お身体がついてこないだけなのです。それは誰のせいでもない。なのにそれを迷惑だとおっしゃるのは、大いに悲しいことだと想いませんか」
私はなんだか止まらなくなって、それこそ息子さんの勢いを遮るように喋り続けた。なにか堰を切ったように言いたいことが溢れてしまい、言わずにはいられなかった。
「あなたはおばあさんのお気持ちに気づいているはずなのです。それに気づいていない、分からないようなふりをしているのです。認めてしまったら、どこか悔しいから、そんな簡単で小さな言い訳でご自分を偽って、おばあさんに辛くあたるのはおよしなさい。そんなこと、あなたが知らないだけで、おばあさんにはお見通しなのです。おばあさんのお気持ちにお変わりがないのだから。いまでもあなたを見てらっしゃるのですよ。これまでと同じように、これからもずっと変わらないように。あなたが知らなくったって、分からなくったって、そういうふりをしているだけだとしても、おばあさんには些細なことなのです。あなたは、愛されているのですよ」
「あ、阿求様、その」
そこで息子さんは堰を止めようとしているかのようにつぶやくものだから、私はつい声を荒げてしまって、なんですか、と。まだ言い足りないのである。まだ溢れてくるのである。
「そんな、阿求様が、そんなお泣きになるほどのことだったんで」
あれ。
言われて気づけた。私は、涙を流していた。久しく忘れていた目頭の熱さ、頬に染みこむ強かな湿り気、溢れるなにかが涙の形をして、流れるたびに睫毛が震える。
途端に視界がさらにずっとぼやけてしまう。戸惑うような息子さんの顔も、心配そうなおばあさんの顔も、これまで歩いてきた畦道や宙を滑る蜻蛉も、オケラの泣き声もこれまでの忘れられぬ様々な記憶も、すべてが一緒くたになって瞼の裏でぐるぐるとしている。
私は泣いている。
恥ずかしいのか情けないのか、自分でも訳が分からずに私はそこからぴたりと喋れなくなった。喋ればきっと言葉にならぬ声が出てきそうだったからである。そんなこと、出来たことではない。これ以上、私の私であるところを、この優しいおばあさんにお見せするわけにはいかなかったのだ。ぎゅっと握ってくるおばあさんの強ばった手を緩やかに振り解き、私は俯いたままその場から畦道を引き返した。耳まで熱くなっているのを感じながら、霜月の風が全部を涼しく乾かしてくれまいかと願っていた。
そこからどうしてか分からないが、私は稗田の屋敷へと帰ろうと想った。先ほど息子さんに言っていたことを想い出すに恥ずかしいし、またなにかが溢れてしまいそうで、その溢れたなにかの隙間を埋めるために、屋敷へ帰ろうと想えたのである。つまりは寂しいのだ。それだけは偽れないし、偽ったところで、誰の為にもならない。
果たして私はこれで良かったのであろうかと想う。ちょっとした縁で出逢ったおばあさんに、気まぐれな親切でその息子さんに送り届けはしたものの、ひょっとしたら門前払いになりそうな険悪さで対応されたのだから、もしかしてしちゃいけなかったのではないかと考えてしまう。誰もがそうであろうが、後々に自らの行いを想い返し、反芻したり反省したりするだろう。あの時分にああすれば良かったなどと想い、後悔することも多いはずである。私なども、その類いに甚だ漏れない。誰でもそういうものだと想わなければ、たまらなくなる。
「おばばは、どうだったのであろうか」
おばばも、同じくそう想うことがあったのであろうか。私に対して行った様々なことに、おばばも何事か考えたことがあるのだろうか。私にそれを慮ることは出来ない。許すことも、許さないことも出来ない。私はずっと、この胸に支えるもやもやと付き合っていかなければならない。これほど辛いことがあろうか。しかし、それが私の生きるところ。
畦道は夕焼けを吸い込みすぎて、もはや暗い佇まいさえ見せている。所々で蛙と草虫が鳴き、私の歩く足音に合わせて一緒についてきてくれているようだった。星が瞬き出すまでのほんの少し、どうか家路から私を外さないようにしておくれと、囁いた。
私は、稗田の屋敷に戻ってオケラと仲直りしなければならない。
私は棘の庵に戻らなければ、ならない。
前回までのあらすじ
三十路手前、縁起の纏めも転生の準備も終わってあとは死ぬだけの稗田阿求。その余生を過ごすため、代々の阿礼乙女が住んできたという『棘の庵』に一人住まいを始めました。一年間の猶予でなにが変わるのかと、訝しげに想いつつも楽しげに暮らしています。
霜月
稗田の屋敷の、言わば雛飾りを広げたような風情の庭を、縁側からずっと眺めていた。桃の節句前になると蔵から揺り起こした雛人形達を飾る為に、畳の上にひと通り広げてみるものだが、そのときの景色とよく似た感慨を庭の雑多な賑わいにも抱くものだ。無秩序にただ根を下ろしているように見えるがその実、どことなく分かりきったふうな顔をして住み分けというか分相応というか、草木それぞれが自らの役割を踏み外さずに栄枯を謳歌しているから、まるで雛人形の、などと形容してしまうのかもしれない。
例えばあちらの松などは背丈は低いものの、荒々しく曲がりくねった枝の姿は独特の風格があるし、庭の景観にある種の影を落としているようで全体の引き締め役としても大いに力添えをしてくれている。池の傍に生えているので、水面に映る逆さ姿も美しく、それでいて隣の楓への柔順ぶりには目を見張るものがあり、なかなかに出来る奴である。その楓から左に転ずると塀際まで群生するこれまた低い卯の花があり、花期はとうに過ぎているものの枝ぶりが良く、自己主張に一年中余念がない。年頃の娘さんのように可憐な花びらとは印象の違う性格を時折垣間見せるので、庭を眺めた際の良い着地点ともなる。いざ花の時期ともなると些か小賢しい気がするのは愛嬌というものであろう。そして忘れてはならないのが草木の下に敷き詰めた玉砂利やじっと佇む小岩などだ。これらは生き物ではないので清涼感や親しみやすさとは無縁であるが、それ故の裏方役としての仕事ぶりは正しく利用すれば縁の下の力持ちとして発揮されるし、こういったところに拘りを持つと庭を持つ者としての位が向上されるかと想われる。これは特に説得力はないが、庭を弄ること自体が自己満足の類に則っているのだから、勝手気ままであるし、大目に見て貰いたい。
まだまだ多くの草木が生い茂る庭はその生命力の滾りを露見させて久しいがしかし、それは人の手を加えてこその景観であって、ひと月、いや半月も放っておいたらたちまちに荒れ果てては根を腐らせてしまう。悲しいかな余計な仕事をしてしまう蔦やその他の雑草などは枯らさねばならない。草木を愛でると言いつつ同じく草木を間引きせねばならぬというのもまた、雛壇に別種の人形を飾ることを良しとしない事柄に似ている。雛飾り、という枠組みだからこそ美しいのであって、そこから外れたものは景観の妨げとなるのである。そのふたつは不両立となるは言わずもがな、庭を弄る者はそれを知らぬふりをしているきらいがあるのも、少しだけで宜しいので、許していただきたいところ。
この庭を眺めていると忘れない記憶の様々が浮かんできては、まるで花が開いて萎むまでの間のように、私に人生の余韻を楽しませてくれる。走馬燈というと縁起が悪い。それに、生えている草木の大体半分は私が生まれるずっと以前からこの庭で根を張らせているものばかりだ。謂わば人生の先輩である。それは老人たちの昔話に耳を傾けることに似ている。いや、まだまだ花盛りの草木に老人などと、失礼かもしれんが。
目を転じた庭の片隅、塀沿いに咲いた蝋梅から大分離れたところに、ぽっかりとなにも植えられていない部分があった。そこに老熟たる昔話は埋められてはいない。ずっと前にヤマボウシがそこに植えてあった。おばばが選び、私が初めて世話をして、そして枯らしたものだ。あまり想い出したくない事柄である。
そうやってもの想いに耽っていると、後ろから声をかけられた。振り返ると女中のオケラが肩掛けを持ってきている。霜月の日光は最初から影を降らせているようになんだか暗く、オケラはその中で雨待ちをしているかの如く、佇んでいた。
「お身体に障りますから、暖かくしてくださいまし」
私はそれに声も出さず、ただ目配せだけをした。そこに置いといてくれ、というのである。再び庭へと視線を戻し暫く、後ろのオケラが去る気配が無かったのでさらにもう一度座敷を伺うに、肩掛けを持ったまま未だそこ居た。なにか物言いたげな眼差しで、しかし口元は錠前を付けられたかのように固く、閉じている。
私が黙ったままだったのがいけなかったのかと想い、悪い気がして改めて返事をした。
「肩掛けならそこに置いといてくれていいよ」
そう言ってもオケラの眼差しは変わらず、却ってなにか言いたげに瞬きさせていた。それでも少し間を置いてから、あの、とひねり出すようにして声にした。なんとももどかしくていけない。いつもだったらよっぽどうるさいほどにお尻を叩いてくるくせに。私がどうしたとせっつくと、やっとオケラはまともに喋る。
「庵の方には、お戻りになられないのですか」
なんだそんなことか。私は庭へと目を移した。
「ひとり暮らしの件は、あれはおばばが言い出したことだ。もうそれも反故でよかろう」
先月の終わりにおばばが亡くなり、葬儀やその他諸々の用事を済ませて数週間、喪主としての勤めと稗田当主としての仕事が重なって、私はもはやひとり暮らしに戻るのが億劫になっていた。言ってもただひとりあの庵で寝食して物を書くだけなのだが、それでもやはり誰かが常に世話をしてくれる屋敷は大変に楽であり、枕は高々、余程健やかなのだ。一声かければお茶も出るし、お餅だって運ばれてくる。失って久しい気のかけられ方であった。なので、おばばが亡くなってからずっと稗田の屋敷に居座り続けている。居座り続ける、というのは正確ではない。私が当主の私の実家なのであるからして。
楽だから、というのも理由ではあるが、それだけではない。あの庵のことはおばばから言い出し、それも一興だと私が話に乗っただけのことだった。しかしそのおばばが無くなったのだから、もう庵での生活はやめた。
「短い間でもそれなりに楽しかったがな。色んなことが起こったし、愛着も抱きつつあるが、ひとまず、ね。おばばとて無理にとは言ってなかったのだよ」
庭の草木の様子に目を配りながら、私はつらつらと言う。
「せめてひとりだけでも女中を付けておけば良かったかな。様々大変であるな、ひとり暮らしは。特に毎日のお布団の上げ下げが辛い。あの庵は穴倉のように狭くて寂しい。さしずめ私はもぐらのようであった」
「大奥様がお亡くなりになられたからって、庵に戻らないのは違うと想います」
オケラの一等真面目な声がしたが、私は振り向かない。
「違うことはないだろう。約束した本人が鬼籍に入られたんだ、むしろこちらは先を越された気がするよ」
「先を越されたなんて、そんな言い方、ないです」
鼻をすする音がするが、私は振り向かない。
「先を越されただろう。私になにも言わず、身体が弱っていることも知らせず、聞けば私には知らせるなということだったそうじゃないか。庵に住まわせたのだとて、それが目的だったのではないかな。最初から蚊帳の外ならば、果たして本当に約束だったかさえ怪しいものだ」
「違います、違います」
私の後ろで風の舞う気配がした。きっと、オケラが手に持っていた肩掛けを取り落としたのであろう。また泣いているのだ。幼い頃からずっと変わらず、そういうところはまったく治らない。私はやはり振り向かず、庭の片隅を見遣った。
すると私の態度が気に入らなかったのか、オケラは途端に声を荒らげた。
「阿求様はそんなだから、大奥様のご心情にもお気づきになられないんです。大奥様がどんなに阿求様に腐心なされていたか、たった一度でも考えたことはありますか。今際の際に、孫娘に逢いたくないひとなんておりませんよ」
オケラの怒声に少々驚きはしたが、妙に静々とした気持ちで私はそれを聞いた。
「庵で阿求様がお暮らしになられて、お顔には出ていませんでしたが一番寂しがっておられたのは大奥様です。だからご自分で作られたお料理を、私に運ばせていたのですよ、お気づきでしたか」
「いや、お気づきではない」
「お屋敷に戻ったおからを、最初に出迎えるのが大奥様でした。いつも聞かれるのですよ、阿求様のご様子はどうだったって。変わりないかって。それで最後には明日も頼むって。そんなこと、おっしゃられるまでもないのに」
どんどんオケラの声は大きくなって、涙が交じる気配も濃くなってゆく。
「お身体を壊して、寝こむようになってからはおからが味付けを教わって、大奥様の代わりにおからが作っていたのですよ。まだまだ至らなくて阿求様に文句を言われましたが、それでも、すごくうれしかったのに」
オケラの声はもはや屋敷中に声を届かせんばかりの勢いで、ほとんど泣いているようなものだった。ざわざわとした騒がしさからして他の女中達が聞きつけて集まってきているらしい。私は平静を装い、はて困ったな、と、知らんぷりを続けるのにも限界があることを悟りつつあった。よもやこのようなことになろうとは。
「お前はあの子の妹のようなものなのだから、よく助け、よく寄り添い、私の代わりに阿求を支えてやってほしいって」
あまりにも涙と鼻水で聞き取りづらかったが、そんなことだったと想う。
「病に臥した床からそう言われたおからの気持ち、分かりますか。血の繋がりもない、家族も居ない小さかったおからを、大奥様は引き取ってくださって、そのうえ阿求様の、妹のようだって。おからの気持ちが分かりますか」
泣きじゃくって、終いには落とした肩掛けを私に投げつけようとして、他の女中にオケラは止められていた。それでもなお、があがあと喚いた。まるで子供のようである。小さい頃にもこれほどの喧嘩をしたが、こうなったオケラは手に負えなかったので、そのときは私が渋々謝り、詫びた。
しかしいまはなにも言わなかった。私はなにも言えなかった。
集まった女中皆の視線にいたたまれず、私はそそくさと屋敷を出た。
庵に戻ってくださいましこのばかぁ、とは、逃げる私が玄関を出てから戸に投げつけられた、最後のオケラの言葉であった。
稗田の屋敷から出奔、逐電。このままでは近い将来、稗田家当主たる者の面目は強かに丸潰れである。あまつさえ奉公させるはずの女中ひとりに追い出されるなど、これまでの阿礼乙女史上にあり得たであろうか。ふむ。
外に出て、一路鈴奈庵へと足を向けた。あすこは時間を潰すには持ってこいの場所だ。屋敷の騒ぎ、ほとぼりが冷めるまでは暫く鈴奈庵に避難していようと想う。店主である小鈴はいい顔はしないであろうが、客は客である。例え実家を追い出されて行くあてのない稗田家当主でも、いつも本を借りてきっちり返しているのだから、客だ。さらに言えばお得意様である。きっと大丈夫、さすがに追い返されるようなことはない、と想う。
人里の通りはいつもと同じ賑わい、いや、些か人が少ないだろうか。冬に向かう季節柄の風が冷たい装束を纏うようになってからこっち、誰もがその風に負けじと厚着をしたり自分の店や家に篭ったり、なるべく外に出ないようにしているふしがある。着物の懐を閉め切り、するとお財布の紐も締めることにも繋がるのか、いまいちお金を使いたがらなくなるらしく、故に通りへ人が流れることも少なくなるのであろう。
私にも覚えがある。なにかとつまらぬことがあると、途端に物事への欲がなくなって、だらしなくしているうちに一日を終えてしまう。動かないのだから、なにも買わんし売りもしない。小鈴なんぞは客に本を汚されて返却されたときには、その嫌な気持ちをそそぐために目に入る本すべてを買い、振り乱すかのような散財に走る。あれはあれで気分が回復するだろうが、散財した事実にあとですぐに気が滅入りそうである。悪循環である。
いまも、甘味処の前を通っても、私はなにも買う気がしない。よくよく考えてみればお財布も持たずして屋敷を出てきてしまっていた。これではやはり、なにも買えぬ。いや、お財布がたとえあったとしても、私は買わぬだろう。
「オケラにしても、おばばにしても、誠に勝手なものだ」
からっ風のようなひとりごとが私の唇を乾かしてゆく。かさかさとした言葉尻が、想いのほか私の心根をささくれ立たせる。嫌な気持ちに荒れ地と化す。
オケラの非難はもっともであると私自身も至極納得する。なるほど確かに私はおばばの腐心ぶりを蔑ろにしていたのかもしれない。知らなかったとはいえ、おばばの心を痛めた悩みどころを軽い素振りで一蹴していたのかもしれない。もしもそれを私が知っていれば、それなりの感謝も、謝罪もしよう。いまからでも遅くはないとして心を改めるのもやぶさかでない。
しかし、私は知らなかった。否、知られることを拒まれていたのだ。私だけ蚊帳の外でなにも知らされなかったというのは、つまりはそういうことであろう。
「本当に勝手なのだ。私になにをどうしろと言うのか。本当に知りたいことを教えてくれないのだから」
人の少ない通りは、歩きやすいようでいて一抹の寂しさを感じさせる。歩いているはずの人々が居らず、その静かさが余計に自らの記憶を呼び覚ます引鉄となっているようだった。私はゆっくり歩きながら、屋敷の庭に植えられていたはずのあのヤマボウシのことを想った。私が枯らした、である。
あのヤマボウシをおばばが選び、庭の片隅に植えたのは、私が六つのとき。その前日にやっと三つになるくらいのオケラが引き取られてきた頃。そのときは逆に私がオケラの相手を任されていて、その出自とも相まっておっかなびっくり、私の背中にべったりであった。余程背負っているのかと想うくらいに、オケラは私の後ろにくっついてきていたのを憶えている。それについても、やはりおばばがそうしろと薦めてきたのだ。私は私で妹が出来たようで張り切ったものだ。まだまだ文字書きの覚束ぬ幼子なりに、精一杯息巻いていた。
その折にさらにおばばからあのヤマボウシの世話も任された。最初こそ手厚く水やりし、毎朝虫が付いてやしないかなどと一所懸命に見つめていたものだったが、樹木とオケラの世話は六つの私には荷が勝ち過ぎていて、早晩どちらかが疎かになることは目に見えていた。私自身、文字書きの習い事とも重なってどれを優先して良いものか、果たして八方塞がりとなり結局、ヤマボウシを枯らした。背丈はまだ私と同じ程度、花を咲かすこともなく、根腐れを起こして枯れてしまった。後で考えてみればまったくなんの予兆も無かったのだから、幼子にはどうせどうにも出来なかったであろう。それでも私は非道く叱られたものであった。特におばばからは大いに叱責された。理由は分かっているのだ。私はヤマボウシを枯らした理由にオケラの世話を持ち上げた。オケラがぐずるから、ヤマボウシに手が回らなかったと。これは勿論嘘で、すぐにおばばには看破された。
あまりにも叱られたので、私は避難と称してそのときもやはり屋敷を逃げ出した。否、私は叱られたことにへそを曲げていたのである。謂わば家出、ついでにオケラも付いて来ていた。生まれて初めての家出は、屋敷傍の畦道行楽。オケラ付きであった。
「オケラの泣き癖はあの頃から稀代であったな」
ひとりごちて、私は来た道を引き返した。誰も居ない通りは面白くない。いまこの時も家出なのだし、オケラと歩いたその畦道へ行こうと想う。このまま悶々としているくらいならとことん昔の記憶に付き合ってやろうではないか、という気概からである。
綿雲がまばらな中をお天道様は煩わしそうに照っている。雨が降る様子はないし、晴れ渡っているわけでもない。風は少し着物の裾を撫でる程度、所謂、私にとっての散歩日和なのである。遠くから届く鳶の鳴き声を聞きながら、私は角をひとつ曲がって野道へと足を踏み入れた。鬼が出るか蛇が出るか、は分からぬ。
未だ脇に緑が残る畦は、昔ここを通ったときの景色ほとんどそのままで、私の細い歩みを迎えてくれた。草虫があちこちで奏で、それを面白がるかのようにところ構わず芒がつんつんと飛び出し、その上を滑るようにして蜻蛉が横切ってゆく。私が芒を一本引き抜くと、刹那の間だけ草虫は静かになるが、やがてまた輪唱が広がるようにして鈴の音を奏で出す。記憶の中の畦道といまの畦道が静かに重なる。泥を乾かした田んぼ、小さい流れを作る水路、その水が行き詰まる先は雑草まみれになって別の田んぼへと溢れてしまっている。疑いようもなくここは昔オケラと歩いた畦道。変わりないのも、忘れぬ記憶を持つ私には明白なことであった。変わったものがあるとするなら、それは私自身かもしれない。
「こういう隠れやすいところにいるんだよな」
水路の行き詰まりを芒で突っつくと、まるでそこから生まれ出たかのように様々な虫などが散り散りに逃げてゆく。これは幾度となくやっても飽きぬ遊びだ。そうして芒を引き上げてみると、雨蛙が一匹、穂の部分に引っかかったのか、釣れた。こやつらはひとを恐れることもなく、まるで達観したかのような面構えで目の前に現れる。若しくはなにも考えていないようでもあるので、その心中や凡俗が察するには難儀であるが、故に子供の遊び相手としてはこれ以上のものはない。あのときも、私が蛙を捕まえて、怖がるオケラの顔に押し付けてやったのだったっけ。
そうやって想い想い、畦道に残る草の匂いのような記憶を辿っているうちに、田んぼを挟んだ向こう側に人影が見えた。少し進んでは立ち止まり、また進んでは立ち止まりを繰り返しているようで、すわ妖怪か妖精かと私は目を凝らす。見つめたままで暫く、人影があまりにもゆっくり進んでいるので焦れったくなり、私は畦道をずんずん、近づいた。するとその人影が急に、しゃがみ込む。
畦を進みきると、果たして人影は正真正銘の人間で、私の知らぬおばあさんであった。おばあさんはしゃがんでもぞもぞと何事かしている。私がそろそろ近づきなら注視していると、どうやら水路で手を洗っているらしい。しかし袖もまくらず、褪せた色の着物が水面に触れて、色味を取り戻していくかのようにどんどんと濡れていく。おばあさんは、それにはお構いなしで手で水面をかき回している。
どこか様子がおかしい、そう想ったら声をかけたくなった。「おばあさん、なにをしてらっしゃるんですか」
「灯篭流しをね、してるんだよ」
こちらに顔を向けずにおばあさんは想ったよりも子供っぽい声を出す。手元は水を跳ね回して、もはや腰帯にまでも水滴で斑点を作っている。それに灯篭流しと言いつつも、その灯籠を持っているふうでもなし、すでに流した後なのかと水路を左右に見遣るもやはり影も形もない。そして自分は子供のように水面を弄っている。ふむ。
この、会話が明後日の方向に逸れて途方に暮れるような感覚、おばあさんもしかして、ぼけてらっしゃるのではなかろうか。
いや、そう安易に帰着したのでは大いなる誤解と齟齬を生みかねない。大変失礼なことになるかもしれない。私はしげしげとおばあさんを見遣り、真実ぼけているのかどうか暫く観察した。が、こんなふうな色眼鏡こそ失礼千万なことであると気付き、自省。ひとつ深呼吸をしたのちに私は、おばあさん、と声をかけた。
「おひとりなのですか。ご家族の誰かと一緒では」
ぼけている、ぼけていないかは関係なし。ひとまずお歳を召した方がこんな人気のない場所に居るのは危ないと判断、稗田の屋敷まで急ぎ戻りそこからご家族の元へと送り届けようと想う。これならば屋敷に帰る道理が付くというもの。オケラや他の女中からの批難も避けられる傘を拾ったような気持ちである。あいや、これもまた失礼に値するので、猛省。
私のかけた声におばあさんは暫く無反応であったが、水に濡れた手を着物の袖で拭いながら立ち上がった。そして鼬のように辺りを見て、おじいさんと一緒だったのだけど、と呟いたが最後ぐっと押し黙ってしまう。私も畦道の向こうや人里の方を同じく探すが、それらしき姿は見られない。うむ、そのおじいさんとやらが真実いらっしゃるのかどうかはこの際気にしないことにしよう。
なにはともあれ帰るべし。人里まで行ければきっとおばあさんを探しているご家族とも逢えるであろうし、こんなところに居るよりもずっと寂しくはないのである。
もじもじとしているおばあさんの手をとって、私は軽く握った。
「私も迷子なのです。ご一緒に帰りましょう、おじいさんも探してますよ」
そう子供をなだめるようにして私が言うと、おばあさんは、
「わかりました」
と、至極丁寧で秋風のように軽く淑やかな声色の返事をなされた。少々驚きつつも私はおばあさんの手を引いて畦道を人里へと戻る。もちろん、歩きやすい道を選びながら。
結んでいるおばあさんの手の感触は、まるで岩を握っているかのようにごつごつとして固かった。指の節々に出来上がった豆は化石のような時間の強張りを感じさせる。骨太で、それでいて疲れきった枯れ葉のような肌。きっと一所懸命に日々の生活を営んでいらっしゃったのであろう、仕事を大いに務めた働き者の手であった。それに触れていると、箱庭で育ったお饅頭のような私の手のひらはなんだか恐縮して肩身が狭い。使った年数は違えども、同じ人の手でこうも違ってくるのは些か不思議で、なんだか腑に落ちない。
おばあさんはなんのお仕事をしてらっしゃったのですか、と、私は尋ねてみた。歩きながら遠くの方をぼんやりと見つめていたおばあさんであったが、私の聞いたことにはしっかりと応えてくれた。
「小さいころは棒手振り、通い店子。畑仕事も長いことやったねぇ。蚕様の世話もしたし、機織りはちょっとだけ」
「すごい、たくさんお仕事をなされていたのですね」
なるほどこの手を持つに値する歴々たるお仕事の連なりである。お仕事という金槌に叩き上げられた結果、鋼のように立派な手になるのであろう。ただ筆をうろちょろと動かしている私の手とは訳が違う。人生の厚みが違うのだ。
きっと酸いも甘いも味わって、苦心に腐心を重ねた上に七転八倒の人生模様を巡ってこられたのであろう。それはもう、息をつかせぬほどに。
「ご苦労されたのですね、おばあさんは」
私が感心してそう言うと、おばあさんは少しばかり考えたふうにまた遠くを見ていた。そして軽く首を振ると「そうでもなかった」と、小雨のようにもの静かに語った。
「夫や息子のためを想えばそれほど苦じゃなかったわ。そりゃあ子供の頃は辛かったけれどね。でも結婚してからは夫と一緒で楽しかったし、息子が生まれてからは辛いことも辛くなくなった。そうね、不思議だわね」
「ご家族の支えが、おばあさんに力を恵んでくれたのでしょうか」
「ううん、違う気がするわ」
おばあさんは確固たる意思を持っているかのような仕草で否定した。
「たぶん元から持っていたんじゃないかしら。夫や息子は、それを想い出させてくれたのよ。だから私はいままで頑張ってこれた」
そう言った途端におばあさんは首を傾げて、ところであなた誰だったかしら、と私に尋ねてくる。私は一先ず、斜向かいの後ろの家にある納屋の地下に潜ったもぐらの遠い親戚ですよ、と、言っておいた。おばあさんはそれで納得してくれたようで、人里までの畦道を歩いてくれる。ふむ。
おばあさんのおっしゃるとおり、自らの底力というものはなかなか自在に発揮出来るものではないし、それに気づかず生涯を過ごすということも少なくはないであろう。普段は隠れているからこその底力であって、なまじいつでも披露出来るのであればひとは疲れ、それこそ寿命を縮ませることになるように想う。故に無意識のうちに自らを守るために底力は隠れているのだろうが、こと誰かのためともなると躍起になってその鉄腕を惜しみなく振るうらしい。おばあさんのこの手は、底力に裏打ちされたお墨付きだ。私の手の方と言えばさらに恐縮して震えそう。
しかし震えていても私の手はしっかりとおばあさんの手を握って離そうとはしない。このおばあさんを探しているであろう息子さんの存在を知り得たからである。果たして私の責任は大きくなる。進む畦道が途端に頼りなげに見えてくる。
息子さんはどちらにいらっしゃるのですか、と私はおばあさんに尋ねた。
「私も探してる」
呟いたおばあさんは少しだけしょぼくれてしまう。どうやら、先ほどから遠くを見ていたのはその息子さんを探していたかららしい。
聞けば畑仕事に出かけた息子さんが戻ってこないから、居ても立ってもいられずに家を出てきてしまったのだそうだ。おばあさんは歩き回っているうちに帰り道が分からなくなって、ここで立ち往生していたようだ。そこで、同じくうろうろしていた私に見つかった、と。なにげに灯篭流しの件が抜けているが、気にしないことにしよう。
おばあさんのおっしゃられたことをそのまま鵜呑みにするならば、その息子さんを探して、おばあさんをそこまで連れて行くのが最良のようである。人里まで戻って例えお家まで連れて行けたとしても、またおひとりで出かけてしまいかねない。ならば息子さんを探した方がおばあさんの心配も無くせるし、おばあさんは迷子ではなくなる。一石二鳥である。
これは良いことを聞き出せた、として、私はおばあさんの手を握り直した。指に引っかかる豆だとて、いまやなかなかに可愛らしい感触と想える。
「ではおばあさん、私も息子さんを探しましょう。ご一緒します」
それを聞いた途端におばあさんはまるで花が綻ぶかのように笑った。期待と嬉しさが綯い交ぜになった、満開の笑顔であった。その表情が稗田の屋敷庭にある卯の花に似ていたので想わず私も嬉しくなった。こんなところで、あのかしましい花びらの風情に逢えるとは想いもよらなかったからである。
おばあさんの息子さんが畑仕事に出ているということは、人里から西の農耕地に居るかと想われる。つまりこことはまったく違う方向、もう暫く歩かなければならない。黙ったままでは気まずいのでなにか話すことはないかと少し周囲に目を泳がせた。
七つ刻前、未だ陽射しは元気ではあるものの、大きめの雲が田んぼの所々に傘のように影を落としていた。田んぼでは、刈り取り待ちの稲穂が風に靡いてまるでひとつの生き物のようにさざめいていた。稲穂の揺れる乾いた音は、畦道を取り囲んで雲の流れと一緒に私達の周りを泳いでゆく。それは実りの音が目に見える形を取ったよう。畦道は、実りの音をかき分けるようにして人里へ、他の田んぼへ、そして私達の足元へと縦横無尽に張り巡らされていた。
畦道を歩く度に草が足首に触れ、傍の野菊が遊び疲れたかのようにゆっくりと揺れた。するとおばあさんはその野菊を見て、立ち止まってしまう。手を繋ぐ私もつられて歩を緩めるも、すぐにおばあさんはまた歩き出し、私に尋ねてきた。
「あなただれでしたっけ」
うん。私は、田んぼの底からあぶれた奇妙な湯気に明星の光があたって生まれた幻のもぐらの生き残り、と、言っておいた。もちろんおばあさんは信じてくださったようで、頷いていらっしゃった。
適当にあしらっていたわけではないが、ちょっといい加減過ぎるかなと私が想っていると、おばあさんがまたなにかをじいっと見つめていらっしゃる。その視線の先は繋いでいる私の手で、なんであろう、物珍しそうに幾度も瞬きをしていた。
「なにか気になりますか」
出来るだけ柔らかく喋る私の言に、おばあさんは少しの間だけもじもじとし、一度こくりと頷いた。
「爪が黒いわ、あなたもぐらなのに字が書けるのね」
ふむ、なるほど。
「もぐらなりに字を書いております。指先に墨が染み付く程度には、精を出してきたつもりですが」
墨を磨るのが下手なだけである。
「なかなかどうして、それでも身体に染み付くほどの器量には未だ至ってないようです」
やや謙遜、有り体に言えば自虐を込めた言葉が歯の隙間をすり抜けて出てきた。実際、私の書く字は言うほど綺麗ではない。おばばにも劣るし、先代の残した縁起を見るに、以前の私の方がずっと美しく流麗な字を書いていた。これは幼い頃に文字書きの練習を少しばかり、ほんの少しだけ疎かにした故の成り行きであった。しかし特段汚いわけでもないし、読みやすい字だというのは小鈴からの褒め言葉であるし、私の綴る縁起には適していると自負している。なにごとも適材適所。庭の草木と同じく、である。
ふと、首筋に触れる風が強くなっている気がした。空を見上げれば雲の数も多くなっており、まるで薄墨をこぼしたかのように薄く灰色の幕を広げている。
おばあさんも私と同様に空を見上げた。そして再び私の指先を見つめた。今度は手をご自分の目の前まで持ち上げて、食い入るようにだ。
「あなたもしっかり働いたのね」
などと、目を細めたままで、おっしゃる。
「はあ」
「手はそのひとの生きてきた末の姿形になるの。どこでなにをして、どんな怪我や傷を負って、なにを残してきたのか。大抵は手を見れば分かる。ほら、この指に出来た小さな豆だって」
「それは、余計な力が入るから、なんですよね。本当に上手なひとは腕全体で動かすのでこんな豆は出来上がらないのです」
上手か下手かなんて関係ないわ、と、おばあさんは私の指を弄んでいる。
「この豆はあなたを見て、あなたが見てきたものそのものよ。これまで生きてきた分だけの時間が、人柄が、この手なの。それは、あなたの人生の物語。余計な力が入っていることもね」
言いながら、私の手を小指から順におばあさんは触れてゆく。そうしてまた遠く山の方を見遣ってぼうっとして歩いている。なんだか正気なのか虚ろなのか、いや、それらさえも超越した状態なのかもしれない。
そのようなことを言われたら、否が応でも自然と意識してしまう。おばあさんのしっかりと大成した手のひらと、私のやわっこい、小成に甘んじた手のひらとの姿形の違いを。やはり大人と子供、それほどの差がある気がする。
こうして手を繋いで歩いているにしても、私がおばあさんを人里へ連れてっているのか、それともおばあさんが私に教授しているのか。疑う心がひとり歩きしてしまって、もしかしたら、からかわれているのではないかと邪推さえしてしまう。
私が、おばあさんは一体何者なんです、と尋ねると、
「あなただれでしたっけ」
と素早く返される始末。その百人一首の名人のような早技に、私はもはや薄く笑うしか手段がない。このおばあさんは意識せずとも生来の辣腕なのである。私は、もぐらです、と短く答えた。
「文字が書けるもぐらですよ」
私の言葉を聞いて満足したのか、おばあさんは水を飲む小鳥のように幾度も頭を上下させていた。さながら私の言葉を啄んでいるかのようで、より面白い気分になる。もぐらはもぐらでも字が書けるもぐら、それもこれまでの時間のほとんどを費やしてきたもぐらである。そんじょそこらのもぐらではないのだ。
なんだかおばあさんとご一緒にいると元気が出てくる。こうなればもはや我が屋敷に大手を振って凱旋するのもやぶさかでない。そのくらい気が大きくなれるのである。おばあさんは不思議だ。
ついつい手を大きく振って歩んでいると、またぞろ昔のことを想い出した。私がヤマボウシを枯らしたこと。おばばに怒られて、オケラと一緒に逃げ出したあの畦道を、今は名も知らぬおばあさんの手を引きながら逆に人里へと戻っていく。ふむ。なんとも遠くまで来たものだ。そう考えると、おばあさんのおっしゃるとおりこれまでの人生はやはり無駄ではなかったのだと真に想える。面白みのあることだ。
「おばあさん、人生とは勝手で、面白いものですね」
感慨を込めて言った私の言葉は赤蜻蛉のように宙を舞う。おばあさんは聞こえていないかのようで、自らの指に息を吹きかけるのに忙しそうであった。
蛙の鳴き声が田んぼのいたるところから湧き出ている。水生の、水を住処にしている生き物特有のくぐもった声や性質は、聴いたり見たりしている者に多大な穏やかさを与えてくれると想う。蛙などはその暢気さが、タガメやゲンゴロウはそのすいすいとした泳ぎから流暢さが、諸々の長閑な気配を感じさせてくれる。おばばに叱られてオケラと逃げたときも、同じように心を落ち着かせたものだった。
生前のおばばに叱られた多くのことで、あれほど勝手だと想えたことはなかった。悪いのは私である。そこは閻魔様に誓って相違ないし、反省もしている。オケラを盾にして自らを妥当さの影に隠すようなことは断じて間違っている。人間の屑である。あの頃私は子供であり人間の屑であったが、おばばのやり方に多少は不審の念を抱かざるをえない。
時折大人が勝手なことを言うというのは、まるで世界の不文律のようにして知られていることだと想われる。私自身が大人になって、近所の子供らになにごとかを教えているときとてそれを感じる。勝手なことを言っているな、と、説教を言葉にしつつそう心で想っているのだ。自身の経験を担保にした押し付けがましい忠告は、子供の耳には身勝手なこととしか入っていかないであろう。大人が大人たる所以。大人の特権である。
おばばの勝手は、幼い私の両腕に重すぎる責任を持たせたことであった。生来から御阿礼としての役目を背負いつつも、さらにヤマボウシと幼いオケラの世話を私に任せるなんて、火中の石を拾うことよりもずっと危ういと自明なもの。勝手なことを息を吐くようにに言える大人だとてそれはあんまりだと断じられよう。
何故そのような無理をおばばは私に任せたのか。なるほど死人に口なし、聞いてやろうにも喋れる口が無いし、身振りする手足も無い。ないない尽くしである。それでは、仕方がないから許してやることも出来ぬ。呆れた顔さえ出来たものではない。
いや、もとより私はそのことについておばばを許すことは出来ないであろう。もし許したとするならば、私の中で溜め込んでいたものが堰を切ったように溢れてしまいそうで、そんなこと、きっと耐えられたものではない。いまよりもっと嫌な気分になる、と想う。
「嫌な気分は、嫌なものだ。誰だってそうであろう」
知らずこぼれた独り言に、隣のおばあさんはこちらを見遣る素振りをしたが、またすぐに遠くの方を眺めていたようだった。私は、想わずほっとしてしまった。
日暮れがそろそろ匂い立ちそうなころになって、芒の並ぶ畦道が終わると、蛙の声も鳴りを潜め、朱い土が畝を連ねる畑一帯へと私とおばあさんは入った。良く肥えた土の匂いがまるで香を焚いたかのように充満し、土地が持つ寛容さが心根を落ち着かせてくれる。ふと私の庵に耕した畑を想い起こす。やはり土いじりは良いものだと考えていると、おばあさんがしたり、まるで雨が降り始めたのに気づいて立ち止まるときのように、声に出さない小さな気づきを覚えたようで、私の手を引いた。
示す指の先に、果たして人影が居た。やはり畑仕事に勤しんでらっしゃるのか、鍬を振りかざしては勢いよく下ろしていた。それはみっつほど行った畑の区画向こうのことで、こちらからは左手に回り込めば、他の畑を踏まずにたどり着けそうであった。私が頷いておばあさんに了解の意を伝えると、握られた手に力がこもる。
「よかったですね、おばあさん」
おばあさんは懐かしい物事を想い出したかのように、優しげな眼差しでその人影を見つめている。どうやら本当に息子さんが居たようで、よかった。これが実はおばあさんの可愛らしげな想い込みで、現実にはいらっしゃらない幻の息子さんを探していたなんてことだったら、私はもしかしたらずっと幻想郷中の畑を巡り続けていたかもしれない。もしそうなっていたら、実家の者たちは私を探しに出でてくれていたであろうか。先ずは兎にも角にも、本当によかった。
では参りましょう、と、私はおばあさんの手を改めて引いて歩き出した。左からぐるりと畑を避けて息子さんのところまで近づいていく。どんどんと近くなってくる息子さんの姿に、なんだか不思議と愛着が湧いてくる。これもおばあさんのお話を聞いていたせいであろうか。親近感というか、初めてお目にかかるのに何故かすでに知っているふうな感覚。自分で想っているよりもおばあさんのお話に入り込んでいたようである。息子さんは、まだこちらに気づいてはいない。これは、と、ふいに詮無き想いにかられる。このまま後ろから近づいて驚かすことが出来そう、などと考え始めたのだ。
想いついてしまったものは仕方がない。そうとなれば、おばあさんに指で静かにしていただくよう伝え、ふたりしてそろそろと息子さんの背後から近づいた。息子さんが鍬を振り下ろした。今である。
「こんにちは、精が出ますね」
少しばかり大きい声、挨拶としたらうるさいと想えるほどの声量で、私は息子さんに話しかけた。すると案の定、ぎくり、一瞬腰を痛めたかのように動きを止めたと想うと、すぐにこちらに振り向いた。案外と驚かれなかった。心持ち無念。
それはそれとして、迷子になっていたおばあさんを連れてきたのである。きっと喜んでくれるに違いない。
私は、ことの成り行きを説明しようと、意識して微笑みを造る。しかし。
「なにやってんだよ母ちゃん」
その荒げた声に、隣のおばあさんは肩を震えさせながら驚いていた。それは私も同じだった。いや、私の方がもっと驚いたかもしれない。造った微笑みが、顔に漆で塗ったかのように張り付いて、かぶれてしまいそうだった。
息子さんは私には目もくれず、さらにまくし立てるようにおばあさんをなじった。
「うちで待ってろって言っただろう。どうしてこんなところにいるんだよ、すぐに帰るんだからさ。めんどうくさい」
その勢いにおばあさんはすっかり萎縮してしまって、私の後ろに隠れる始末。お逢いしたときから少し曲がっていた腰をより一層丸くし、息子さんに怒られて申し訳ないというよりも、心底怖がっているかのように身体が震えていた。普段から、こうして怒られているのであろうか。なにか粗相をしたら、こんなに大声を上げられているのであろうか。
私はと言えば、驚愕の波は去ったものの、そのまま固まってしまって、どうしたらよいのか分からなかった。なんとか説明して場を和まそうとする意思はあるが、これはよそ様のことだからと、気後れしてしまい話しづらいところもある。それに、なにか言おうとするたびに息子さんの声が遮るように投げつけられて、想うように喋れない。
「しずかに寝てればいいのに歩き出すんだから、勘弁しろよ。昔みたいに動けないくせに。楽が出来るのに動きたがって、そんなの誰も言ってないだろ。こっちは動くなって言ってるのに、言うこときかないのやめろよ。それでこんな迷子になるの何回目だって」
息子さんはまだまだおばあさんをなじる。なじり足りない、そんな様子であった。
それにしたって。
「迷惑するこっちの身にもなれよ。ひとの世話になるようなことするなよ」
「そんな言い方しなくたっていいのではありませんか」
言ってから、それが自分の声だと気づくような経験は、このときが初めてであった。
「おばあさんは息子のあなたを心配されて出てきたのですよ。たとえそれがおばあさんの勘違いだったとしても、怒るようなことではない、決して。先ほどまで私はおばあさんとお話ししながらあなたを探していたのです。様々聞かせていただけた。おばあさんはご家族のために働いていたのですよ、あなたのために、立派な手になりながら。いまだとてそのお気持ちに変わりがないし、むしろ大きくなっているけれども、お身体がついてこないだけなのです。それは誰のせいでもない。なのにそれを迷惑だとおっしゃるのは、大いに悲しいことだと想いませんか」
私はなんだか止まらなくなって、それこそ息子さんの勢いを遮るように喋り続けた。なにか堰を切ったように言いたいことが溢れてしまい、言わずにはいられなかった。
「あなたはおばあさんのお気持ちに気づいているはずなのです。それに気づいていない、分からないようなふりをしているのです。認めてしまったら、どこか悔しいから、そんな簡単で小さな言い訳でご自分を偽って、おばあさんに辛くあたるのはおよしなさい。そんなこと、あなたが知らないだけで、おばあさんにはお見通しなのです。おばあさんのお気持ちにお変わりがないのだから。いまでもあなたを見てらっしゃるのですよ。これまでと同じように、これからもずっと変わらないように。あなたが知らなくったって、分からなくったって、そういうふりをしているだけだとしても、おばあさんには些細なことなのです。あなたは、愛されているのですよ」
「あ、阿求様、その」
そこで息子さんは堰を止めようとしているかのようにつぶやくものだから、私はつい声を荒げてしまって、なんですか、と。まだ言い足りないのである。まだ溢れてくるのである。
「そんな、阿求様が、そんなお泣きになるほどのことだったんで」
あれ。
言われて気づけた。私は、涙を流していた。久しく忘れていた目頭の熱さ、頬に染みこむ強かな湿り気、溢れるなにかが涙の形をして、流れるたびに睫毛が震える。
途端に視界がさらにずっとぼやけてしまう。戸惑うような息子さんの顔も、心配そうなおばあさんの顔も、これまで歩いてきた畦道や宙を滑る蜻蛉も、オケラの泣き声もこれまでの忘れられぬ様々な記憶も、すべてが一緒くたになって瞼の裏でぐるぐるとしている。
私は泣いている。
恥ずかしいのか情けないのか、自分でも訳が分からずに私はそこからぴたりと喋れなくなった。喋ればきっと言葉にならぬ声が出てきそうだったからである。そんなこと、出来たことではない。これ以上、私の私であるところを、この優しいおばあさんにお見せするわけにはいかなかったのだ。ぎゅっと握ってくるおばあさんの強ばった手を緩やかに振り解き、私は俯いたままその場から畦道を引き返した。耳まで熱くなっているのを感じながら、霜月の風が全部を涼しく乾かしてくれまいかと願っていた。
そこからどうしてか分からないが、私は稗田の屋敷へと帰ろうと想った。先ほど息子さんに言っていたことを想い出すに恥ずかしいし、またなにかが溢れてしまいそうで、その溢れたなにかの隙間を埋めるために、屋敷へ帰ろうと想えたのである。つまりは寂しいのだ。それだけは偽れないし、偽ったところで、誰の為にもならない。
果たして私はこれで良かったのであろうかと想う。ちょっとした縁で出逢ったおばあさんに、気まぐれな親切でその息子さんに送り届けはしたものの、ひょっとしたら門前払いになりそうな険悪さで対応されたのだから、もしかしてしちゃいけなかったのではないかと考えてしまう。誰もがそうであろうが、後々に自らの行いを想い返し、反芻したり反省したりするだろう。あの時分にああすれば良かったなどと想い、後悔することも多いはずである。私なども、その類いに甚だ漏れない。誰でもそういうものだと想わなければ、たまらなくなる。
「おばばは、どうだったのであろうか」
おばばも、同じくそう想うことがあったのであろうか。私に対して行った様々なことに、おばばも何事か考えたことがあるのだろうか。私にそれを慮ることは出来ない。許すことも、許さないことも出来ない。私はずっと、この胸に支えるもやもやと付き合っていかなければならない。これほど辛いことがあろうか。しかし、それが私の生きるところ。
畦道は夕焼けを吸い込みすぎて、もはや暗い佇まいさえ見せている。所々で蛙と草虫が鳴き、私の歩く足音に合わせて一緒についてきてくれているようだった。星が瞬き出すまでのほんの少し、どうか家路から私を外さないようにしておくれと、囁いた。
私は、稗田の屋敷に戻ってオケラと仲直りしなければならない。
私は棘の庵に戻らなければ、ならない。
なんともいえない困ったお姉さんな感じ
一年の間に何を見つけてどういう結末を得るのか楽しみでしかたありません
客観的に幻想郷を見ることが多い阿求は自分のことを見るのはあまり特異ではないのかもしれないですね