第一回紅魔館お料理対決
紅魔館の門番である紅美鈴は、この日の日記にただ一言。こう記している。
“ああ、疲れているんだな咲夜さん”
「フゥゥゥゥ!!」
何処で手に入れたかは知らないが、拡声器を使って高らかに。大広間にて十六夜咲夜は、第一回紅魔館お料理対決の開幕を宣言した。
急に集められて、一体なんなのだと思っていた美鈴であったが。この狂いっぷりには、思わず閉口してしまった。
そして同時に、手際と言うか準備の良さにもだ。
咲夜がびゅんびゅんと腕を振り回している後ろ側には、いっぱしの厨房機器が並んでいた。
河童が出入りした様子は無いので、河童の手を借りずに1人で用意したと言う事なのか?
美鈴の横合いにはこの紅魔館の主レミリア・スカーレットの妹である、フランドール・スカーレットがいたが。
何処かねじの外れた咲夜の姿を見てすぐの時に「ははは……」と、力の籠っていない笑い声を出したかと思えば。
すぐに興味を無くしてしまったようで、急に呼び出されたので手に持ったままであろう文庫本のページを、再び開いて意識を本に映した。
「……美鈴?あなたも、急によばれたクチかしら?」
そしてフランドールとは反対側にいた、紅魔館の大図書館の主であるパチュリー・ノーレッジが声をかけてきた。
「ええ……そうなんです。だから、ほんと。何がどうなってこうなったのかは、私にも分からなくて」
「でしょうね……あなたのその反応を見れば、解るわ」
そう言ったきり、パチュリーは美鈴と同じように。頭を小さく抱えてしまった。
フランドールは相変わらず、意識を本の世界に向けていた。むしろ、この場を立ち去らないだけまだ優しかった。
「何だか、面白い事になってきましたねぇ」
しかしパチュリーの使い魔である小悪魔は……妙に生気と言う物を持ってこのような言葉を紡いだ。
「……傍から見ている分にはね。間違いなく巻き込まれるわよ」
「その時はその時です」
小悪魔はむしろ、何らかの騒動を期待しているかのような言葉と顔であった。傍観者故の無責任な発言では無く。巻き込まれる事も含めて、である。
つまりは当事者の1人となる事も厭わないと言う意味しか組みだせない発言である……さすがのフランドールも、本から顔を上げて“正気?”と言う意味の籠った表情を浮かべた。
「うふふ」
しかし小悪魔は、正気を疑いに来たフランを相手に。朗らかに笑って手を振る余裕まであった。
今の咲夜さんとはまた違った意味で、この子悪魔のねじと言う奴。吹き飛んでいるようであった。
付き合いは長い筈なのだが、思わず面食らってしまった。
「……勝てる自信でもあるのかしら」
フランドールも、これ以上は不毛と判断したのか。再び本を視界に収めてしまった。
「ああ……本を持ってくれば良かったわ」
フランドールが本の世界に意識を没入するのを見ながら。パチュリーは恨めしそうに呟いていた。
「……えっと、えーっと?」対して、紅魔館の主レミリア・スカーレットはと言うと。
少し以上におかしくなった咲夜と、それを見ながらも口も手も挟む気が無いと言う美鈴たちの間に挟まれていた。
ああ、これは……私だけで対処しなければならないのだな。
美鈴もパチュリーも、フランドールも。誰も目を合わせてくれなくて……レミリアはガクンと肩の力を抜かした。
笑顔で手を振る小悪魔はまた別問題であるので除外した。
しかしだ。今日この時の十六夜咲夜の姿はあまりにも、らしくない姿である。
そのあまりにも、らしくない姿に。意を決してもう一度向かい合った、紅魔館の主であるレミリア・スカーレットは。手をおろおろと中空に浮かせてまごついていた。
咲夜との距離も中途半端な位置で、中途半端に手を浮かせて……よく見れば背中の羽も小刻みに揺れ動いている。
この姿では、小動物か何かだなと。半分ほど頭を抑えながら美鈴は、半ば逃避の意味もこもったかのように、全く別の事を考えていた。
何にせよ、このような姿では。吸血鬼の威厳も何も、あったものではないな。それだけは確実であった。
「――イエエエエァ!!」
そして丁度、美鈴が今のレミリアを。小動物のようだなと思った辺りであった。咲夜が狂ったようにもんどりうちながら、甲高い奇声を発して喜んでいた。
「うわ……」
さすがの美鈴も、少し以上にはこの咲夜の姿に気圧されてしまった。
「ひぃ!?」
従者がおかしくなり、友人も門番も妹も手を貸してくれない事で心が弱くなっているレミリアは。この咲夜の姿にビクンと体を波打たせて、後ずさった。
それと同時に、友人も門番も妹も。そして乱を望むかのような小悪魔ですら。レミリアが後ずさるのとほぼ同時に、1歩以上後退した。
この場にいてやることはいてやるが、必要以上には関わりたくないと言う決意が見て取れる行動であった。
ああ、やっぱり。この妙に息の合った動きに、美鈴もパチュリーもフランドールも。目を合わせて笑い合った。小悪魔はずっと笑っているので数に含めていいのかは、美鈴は少しばかり判断しかねた。
しかしどうであるにせよ。みんな同じ事を、ねじが外れた感じの小悪魔でさえもやっぱり同じことを考えていたのである。
「ちょっとぉ!?」
ここで最も可哀そうなのは。間違いなく、レミリアであった。1人完全に、蚊帳の外であった。
しかし、すまないとは思ったが。今の咲夜さんとは、出来る限り距離を取りたいのである。
「お嬢様」
「ひぃ!?」
そう思っていたら、咲夜が音も無くレミリアの直近にまで迫っていた。
最も、不思議だとは思わなかった。時を止めれるのだから、音も無く近づくぐらい。児戯よりも容易に、この十六夜咲夜はやってのけるのである。
でも、今はそれよりも。咲夜がレミリアに興味を抱いている間に、咲夜が詰めてきたこの距離を再び開かなくてはならない。
カンッカンッカンッ!と、けたたましく踵(かかと)を鳴らしながら美鈴たちは3歩も4歩も5歩も。距離を開かせた。相変わらず、息の合った後ずさり方であった。
ここまで開いてしまえば、最初の時よりも大きくなっているのは間違いが無かった。
「泣いていいかなぁ!?これ私、見捨てられてるよね!?」
いいか?とは聞いてるが、半分涙目でレミリアは吠えていた。本当に、今日この時のレミリア・スカーレットに、吸血鬼の威厳は無かった。
「お嬢様その涙、舐めても良いですか?ぺろぺろと」
それから十六夜咲夜にも、瀟洒などと言う言葉は何処にも存在していなかった。
「ひいい!?」
「あ、やっぱり可愛い。だから舐めますね、ぺろぺろと」
それからしばらく、逃げ惑うレミリアと追いかける咲夜と。巻き込まれたくなくて距離を一定以上に保ちたがるそれ以外が。室内を駆けずり回っていた。
「と言う訳で、紅魔館お料理対決を開始いたします」
「……本当にやるんですか?咲夜さん」
「ひっく……お嫁に行けない」
「大丈夫です、お嬢様。私が婿になります」
小膝に抱かれてべちゃべちゃのレミリアを尻目に、美鈴達は目を合わせあった。
「やれと言うなら、やれるわよ。丁度お夕飯の時間だし……そもそも咲夜。それ狙いで、今呼んだんでしょう?」
殆ど諦めと言う感情で、フランドールは本をパタンと閉じて口を動かした。
フランドールが、仕方なくと言った感じでもやる気になったのを見て。咲夜の表情が、パァッと輝いた物になった。
「お姉さまの手料理が食べたいだけなんでしょう?」
「はい、もちろん」
そして間違いなく、今の咲夜さんは疲れている。
欲望と言う物を、まるで隠さないし理性で抑えようともしていない。瀟洒と言う2つ名が泣きそうなぐらいに、今の咲夜さんは欲望全開である。
「妹様の手料理は、2番目です」
「はいはい、一応喜んでおくわ……咲夜はお姉さま至上主義者だからね」
「あと、妹様」
「ぺろぺろしたい何て言ったら、その舌キュッとするから」
「はい」
脅しでは無い。妹様は、フランドール・スカーレットならば、脅しでは無くてやれる性格を持っている。
それを十二分に理解している咲夜は、案外おとなしかった。
「なのでお嬢様をぺろぺろし続けます」
「しゃぐやああ!!やべてぇ!フラァァン!たずけてええ!!」
しかしレミリアに対しては、まるでおとなしくは無かった。
「咲夜、卵ある?」
だがフランドールは、冷たかった。今正しく目の前で、姉が助けを求めていたが。まるで目を合わせようとせずに、お料理対決に使う卵を所望していた。
「冷蔵庫の中にあります。中にある物は好きに使って構いませんわ」
「じゃぐやああ!!」
「ちょっと、部屋にチーズを取りに行ってくるけど、良い?」
「はい。持ち込みも構いません、気にせずに使ってください」
「やべでええ!!」
実に器用な物である。フランドールの質問に答えつつも、咲夜は器用にレミリアをぺろぺろしていた。
今はぺろぺろに少し疲れたのか、頭頂部をくんかくんかしていた。
レミリアは当然、涙声で悲鳴を上げるが。特に別に、何とも思っていないと言う態度と表情で。フランドールはチーズを取りに部屋に戻った。
しかし美鈴たちは思った。戻っては来るんだろうけど、一旦逃げたな妹様。
「じゃあ私も……スパイスを取ってくるわ。昨日調合して貰ったばかりだから、後寝かしてある生地も良い具合……」そしてパチュリーがいそいそと。
「では私も、調味料やらを」小悪魔は相変わらず笑いながら。
「なら私も……使い慣れた中華鍋が」美鈴は、少しばかり申し訳無さそうな表情を浮かべていたが。たった一人取り残されるのは、ご免こうむりたかった。
「ちゃっちゃと片づけるわね」
「えぐ、えぐ……」
戻って来たフランドールは、フライパンに油を引いて火を起こして温め始めた。
脇でレミリアが涙を流してぐずっているが、完全に無視していた。ついでに、恍惚で満面の笑みを浮かべている咲夜の事も。
さわらぬ神に、祟り無しと言う奴だ。
「あら、妹様。手際がよろしいですね」
「まぁね、外に出なかったら本を読む以外じゃあ、数少ない娯楽だから」
レミリアを散々弄んだから、咲夜は余り気付いていないが。軽く流すのが難しいぐらいに、目の前のフランドールは手際よく準備をしていた。
「ふん、ふん、ふん♪」
今度は温まったフライパンに、バターを落とした。徐々に室内に、溶かしバターの良い匂いが充満する。
そして鼻歌交じりに、フライパンのバターが溶け切る前に、フランドールは卵を割って行く。
それも、ちゃんとボウルを2つ使って。血合いの卵に当たっても大丈夫なように、緩衝材を1つおいていた。
ついでに部屋から持って来たと思わしきワインも、ラッパ飲みで煽っていた。
全ての手際が良かった……つまりはフランドールは、料理中のラッパ飲みもいつもの事らしかった。
「……まぁ、吸血鬼だから大丈夫か」
感心はしないが、吸血鬼と言う種族の丈夫さを考えれば。大丈夫だから困るのだ。
「そうなのよねぇ……横着して1つのボウルにまとめて割ったら、最後に限って血合い卵だったり」
パチュリーがフランドールの料理風景を見ながら、しみじみとした表情で頷きながらつぶやきながら。良い匂いのするスパイスを鍋に投入して。
「正しく昨日の話でした物ねぇ」
小悪魔が、良い香りのする白い板を……間違いない、酒粕だ。それをお湯で少し溶かしていた。
火に掛かった鍋の中身は、出汁であった。一緒にしいたけや油揚げ、豚肉も入っていた。
「やばい」
フランドールも、小悪魔も、パチュリーも。皆が皆、非常に手際が良かった。
ちゃっちゃと、炒飯を作ればいいやと。軽く考えていた美鈴も、3人が見せる意外なほどの手際の良さに危機感と言う物を覚えた。
炒飯は勿論つくるが。それ以外にも何か作らねば、恥と言う物を晒してしまいそうであった。
よくよく周りを観察すれば、パチュリーも小悪魔も。相手の事を、そして美鈴の事を抜け目なく観察していた。
そこまで必死では無いが、それでも無様に負けたくは無いと言う思いがひしひしと感じられる眼つきであった。
何も気にしていないのは、ワインを瓶ごと煽りながら料理を作っているフランドールぐらいの物であった。
そのフランドールでさえも、2つのフライパンを使って2個の料理を同時に作る手際であった。
「…………うん?」
レミリアを弄びまくって、満足に満足を重ねたはずの咲夜であったが。
徐々に、熱気を帯びていく館の住人達の姿に。咲夜は違和感と言う奴を抱え始めていた。
その違和感は徐々に、咲夜の心中に焦りと言う奴を生み出していき。冷や汗と言う物が垂れていく。
十六夜咲夜と言う人物は……紅魔館のメイド長である。
レミリア・スカーレットに対して“色んな意味で”忠誠を誓っている、従者でもある。
当然、この紅魔館の中では。メイド長と言う肩書も相まって表にこそは積極的には出さないが、紅魔館で最も役に立つ人材であると言う強烈な自負心もある。
それは侵入者の排除や異変に関する事と言った、荒事だけでは無い。平素の紅魔館における日常業務においてもそうである。
当然そこには料理も含まれる。十六夜咲夜は知らず知らずのうちに、料理の腕も紅魔館随一であると思いたがっていた。
「いやいやいや……美鈴は、中華料理は、きっと故郷の――」
自分で自分を慰めるように、そこまで呟いて気付いた。
パチュリーはどう考えても西洋生まれ、使い魔である小悪魔もその文化に馴染んでいるはず。
だがどう考えても、パチュリーが使っているスパイスは。それを鍋にぶち込んでいる姿は、そして匂いも。
明らかにそれは、カレーを作る時のそれである。
今パチュリーは、何かパン生地のような物を懸命にこねて、成形している。
まさかとは思うが「パチュリー様、それって……」
「ナンよ。時間が無いから、プレーンだけどね。ガーリックぐらい使えばよかったかしら……」
何てこったい。想像以上に本格的なインドカレーを、パチュリーは作ろうとして。また成功に近づきつつあった。
視線を変えれば、美鈴が大きな中華鍋を懸命に振り回して。炒飯を作っていた。
無論それだけでは無い。もう1つのコンロも休ませている訳は無く火が掛けられて、そこには中華鍋が鎮座しており。
中からは何かがカラッと揚がるような、香ばしい音が立っていた。
鳥か、それとも豚か?もしかしたら野菜?中身を覗いていないから、肉なのか野菜なのかまでは分からないが。美味しそうな物が出来上がると言うのは、雰囲気で分かった。
「……いい具合ね」
出来上がった炒飯を器に盛り付けながら、脇目で美鈴は揚がりつつある材料を見て微笑んだ。
そして油切りの為の、穴あきの器にガサッと鍋の中身を移したかと思えば。
これまた慣れた手つきで、美鈴は先程まで揚げ物をしていた中華鍋に調味料をいくつも入れ始めた。
その全ての調味料。計って等はいない、全て目分量である。
しかしながら美鈴の手つきには迷いと言う物は一切存在しておらず、顔つきも自信に溢れていた。
また中華鍋から立ち上って、咲夜の方向に向かってくる匂いで。美鈴が失敗を何も犯していないと言うのが、はっきりと知る事が出来た。
インドカレー、そして中華料理。どちらもかなりの本格派が出来上がりつつあるので、咲夜は目を背ける様に小悪魔の方に視線を移したが。
小悪魔に至っては、超が付くほどの正統派の和食を作っていた。
「うーん……やっぱりこの時間じゃ、根菜は煮えませんよね。仕方がない、油揚げと豚肉だけにしましょう」
手に取ったゴボウを、名残惜しそうに仕舞いながら。小悪魔は油揚げを大きな寸胴の中に投入した。
豚肉は?と咲夜は思ったのだが、小悪魔は豚肉は違う小鍋の中で一端茹でていたのだった。
「うひゃあ、凄い灰汁」
そう言いながら小悪魔は、お玉で丹念に灰汁を取り。これぐらいの塩梅だなと行った所で、小鍋の中身を全て大きな寸胴に移した。
……ちゃんと豚肉の茹で汁も、うま味があるから出汁として使ったのである。
茹で汁を全て捨てると言う、ありがちな失敗を犯さなかった。
「これはもう、後は煮るだけ……」
そう言いながら、小悪魔が次に手に取ったのは魚であった。そいつも包丁の背中で、丹念に鱗を削ぐことを忘れなかった。
ここで十六夜咲夜は、小膝に抱えているレミリアにその興味を完全に移した。
出来上がった料理達は、急に作れと言われた物とは思えない鮮やかな物達ばかりであった。
「はい、スパニッシュ風チーズオムレツと菜の花のアラビアータよ」ほろ酔い状態のフランドールは、ワインに非常に合いそうな料理であるし。
「大豆のカレーとプレーンナンよ」パチュリーの作ったカレーとナンは、そのままカレー屋に出しても恥ずかしくは無さそうな代物。スパイスの良い匂いが、唾液の分泌を促してくれた。
「粕汁と魚の照り焼き、菜の花の胡麻和えに。時間があったので厚揚げをあぶった奴を生姜醤油とおネギで……」小悪魔は純和食の定食を用意してきた。ちゃんと汁物、焼き物に小鉢まで付いて、おまけにもう一品ある。
ただの味噌汁では無くて、粕汁であると言うのもにくい部分である。
「炒飯とかきたま汁、それに酢豚です」美鈴が器に盛った中華料理達は、見ているだけでよだれが出てきそうであった。
こうなると、かきたま汁でさえも何か工夫があるのではとすら思ってしまう。
「…………」
机の上で咲夜は、頭を抱えていた。まさか皆が、ここまで料理の腕に確かな物と言う物を持っていたとは思わなかったのだ。
咲夜の横に座っているレミリアは、咲夜に弄ばされすぎて心ここにあらずと言った様子で天井を見ていた。
ちょっと、必死になり過ぎたかな。
4人全てが、見事にこの場を乗り切ったのは良いのだが。少なくはない自負心を持つ咲夜の心情を考えれば、この後と言うのが怖かった。
「ふふ、ふはははは!!!」
やっべ壊れた。
しばらくの間、無言から来る静寂が辺りを包んでいたが。急に咲夜がヤケッパチに笑いだした。横合いにいたレミリアは、ビクンと体を波打たせた。
思わず美鈴は思ってしまった、壊れたと。
壊れたと、そう思った正しく次の瞬間であった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
汗だくになった咲夜が、出来立てのハンバーグが盛られた皿を手に持っていた。
時間を止めて作ったらしいが。その割には、焦燥感に今の咲夜は塗れていた。
「……ハンバーグですね、分かりやすい程に」
美鈴はただ、そうとしか言わなかった。
パチュリーは、美鈴と同じような無表情で出来たてのナンをもしゃもしゃと食べていた。
小悪魔はニコニコと笑っているだけであったが、それが却って怖い。
「ああ、お姉さまが好きそうな物ね」
だがフランドールは違った。酒の力があるせいか、その口調はいつものそれよりもずっと棘があった。
「……何よ」
咲夜に弄ばれまくって、どこかまだ虚ろな精神ではあるが。妹に馬鹿にされたと言うのは理解できたようで、目を向いて答えた。
「はい、お姉さま。アーン」
何か文句があるなら言えと言う様なレミリアの表情を無視して、フランドールはスパニッシュ風チーズオムレツを一口、スプーンですくってレミリアに与えた。
「…………うん」
だがレミリアは、これといった感想を出さずに押し黙った。
「うふふ……はい、皆も」
そのレミリアの表情を見て、フランドールは妙に嬉しそうな顔で他の者にもオムレツを分け与えた。
「あー……ワインかビールですね。ちょっと癖のあるチーズ使ってますね」美鈴はすぐにチーズのクセに気付いたが、嫌そうな顔はしていない。
「私はビール党だけど……これなら、赤ワインが欲しいわね」パチュリーも、同様である。
「日本酒とは合いませんね。パチュリー様の仰る通り、赤ワインに合う食べ物ですね」
唯一、和食党と思わしき小悪魔は感想の質が違ったが。しかし、口に合わないとは言っていなかった。
「はい、咲夜も」
「いただきます……」
最後に、咲夜に件のチーズオムレツを分け与えた。
「ああ……なるほど」
その咲夜の表情の変化。レミリアほどではないが、曇ったそれであった。
「チーズですね」
「最初に言ったじゃない。スパニッシュ風チーズオムレツだって」
「癖がありますね……“私は”嫌いではありませんが」
私はと言う部分を少し以上に強調した咲夜を見ながら、フランドールはレミリアと見比べてニヤニヤとしていた。
「ゴルゴンゾーラよ」
そしてそのニヤ付いた顔と言う奴は。今宵フランドールが使ったチーズの銘柄を明かす時に、最高潮に達した。
ゴルゴンゾーラ。そのチーズの銘柄を聞いて、咲夜は“やっぱり”と言う様な顔を浮かべたが。
レミリアは、きょとんとしていた。
「青かび系のチーズですね。妹様も、通好みのようで」
ゴルゴンゾーラ、この名前を聞いて。咲夜も美鈴もパチュリーも、思う所はあったが黙っていたのに。ここに来て小悪魔が、爆弾を落とし始めた。
「ネギや生姜やワサビと一緒で、嫌いな人は嫌いですよね」
相変わらず小悪魔はニコニコとしていた。その笑顔が、却って怖いのである。
「小悪魔、はっきり言ったらぁ?」
相変わらずワインをラッパ飲みで煽りながら、フランドールは言葉の矛を収めようとしなかった。
酒に酔いながらであるから、また酒の量が増えつつあるのだから。その態度と言う奴は、徐々に無礼なそれに拍車をかけていた。
「あはは」小悪魔は笑うだけであった。レミリアはキョトンとしていた。
フランドールの言わんとする所。実の所、みんな分かっていた。
しかし言わなかった。腹の底ではともかくとして、余程の偏食でも無いから……と思っていたのだが。
最も小悪魔は、火中の栗を拾いたくないだけで。言っても大丈夫な力があれば、きっと言ったであろう。
「もう、はっきり言って良いのに小悪魔」
フランドールのように。
「お姉さまが、子供舌だってこと!」
「お嬢様だから良いんです!!」
レミリアが子供舌である。それをはっきり言った後のフランドールであるが、それに対して咲夜はよく分からない理論で正当化していた。
一応、咲夜と言う味方はいるが。先ほどからのねじの外れた暴走っぷりを考えれば、あまり喜べないと言った感じのレミリアでった。
「……ねぇ、咲夜のハンバーグ。美味しいわよね?」
「ええ、ええ……間違いなく、美味しいですよ」
レミリアが必死に同意を求めるので。美鈴はこのような答えしか出す事しか出来なかった。
実際問題、普通に美味しいのだ。そう、普通の話なら。
「奥深さは無いけどね」
だが酔っ払い状態のフランドールは、折角美鈴が積み上げようとした物を一撃で壊していく。
「フランドール!」パチュリーが思わず、それ以上は止めろと言わんばかりに、フランの名前を叫んだ。
小悪魔は相変わらず、ニコニコとしていた。
「私……驕ってたわ。まさか皆がこんなに、料理が上手かった何て」
「いや、咲夜さんは……炊事や掃除の面倒も見てますから。合計で考えたら、家事の能力は咲夜さんの方が上ですよ」美鈴が必死で咲夜を慰めるが、焼け石に水であった。
自分で作ったハンバーグを“もひもひ”と食べながら。咲夜は完全にしょぼくれていた。
その咲夜の横では、レミリアが同じように落ち込みながら咲夜の作ってくれたハンバーグを食べていた。
ちなみにフランドールは、これ以上同じ空間に置いておくと際限なくレミリアを挑発し続けそうなので。パチュリーが連れて行ってしまった。小悪魔は当然の様に、パチュリーに付いて行った。
ただ、料理と一緒に何処かにってしまったから。きっと戻って来ない。
あーこれ、私1人で収めるのかぁ……美鈴は今から始まる、どんな後片付けよりも面倒くさい作業に、1人で立ち向かわなければならないと知り。
心の中で静かに、溜息を付きながら頭を小さく抱えた。
紅魔館の門番である紅美鈴は、この日の日記にただ一言。こう記している。
“ああ、疲れているんだな咲夜さん”
「フゥゥゥゥ!!」
何処で手に入れたかは知らないが、拡声器を使って高らかに。大広間にて十六夜咲夜は、第一回紅魔館お料理対決の開幕を宣言した。
急に集められて、一体なんなのだと思っていた美鈴であったが。この狂いっぷりには、思わず閉口してしまった。
そして同時に、手際と言うか準備の良さにもだ。
咲夜がびゅんびゅんと腕を振り回している後ろ側には、いっぱしの厨房機器が並んでいた。
河童が出入りした様子は無いので、河童の手を借りずに1人で用意したと言う事なのか?
美鈴の横合いにはこの紅魔館の主レミリア・スカーレットの妹である、フランドール・スカーレットがいたが。
何処かねじの外れた咲夜の姿を見てすぐの時に「ははは……」と、力の籠っていない笑い声を出したかと思えば。
すぐに興味を無くしてしまったようで、急に呼び出されたので手に持ったままであろう文庫本のページを、再び開いて意識を本に映した。
「……美鈴?あなたも、急によばれたクチかしら?」
そしてフランドールとは反対側にいた、紅魔館の大図書館の主であるパチュリー・ノーレッジが声をかけてきた。
「ええ……そうなんです。だから、ほんと。何がどうなってこうなったのかは、私にも分からなくて」
「でしょうね……あなたのその反応を見れば、解るわ」
そう言ったきり、パチュリーは美鈴と同じように。頭を小さく抱えてしまった。
フランドールは相変わらず、意識を本の世界に向けていた。むしろ、この場を立ち去らないだけまだ優しかった。
「何だか、面白い事になってきましたねぇ」
しかしパチュリーの使い魔である小悪魔は……妙に生気と言う物を持ってこのような言葉を紡いだ。
「……傍から見ている分にはね。間違いなく巻き込まれるわよ」
「その時はその時です」
小悪魔はむしろ、何らかの騒動を期待しているかのような言葉と顔であった。傍観者故の無責任な発言では無く。巻き込まれる事も含めて、である。
つまりは当事者の1人となる事も厭わないと言う意味しか組みだせない発言である……さすがのフランドールも、本から顔を上げて“正気?”と言う意味の籠った表情を浮かべた。
「うふふ」
しかし小悪魔は、正気を疑いに来たフランを相手に。朗らかに笑って手を振る余裕まであった。
今の咲夜さんとはまた違った意味で、この子悪魔のねじと言う奴。吹き飛んでいるようであった。
付き合いは長い筈なのだが、思わず面食らってしまった。
「……勝てる自信でもあるのかしら」
フランドールも、これ以上は不毛と判断したのか。再び本を視界に収めてしまった。
「ああ……本を持ってくれば良かったわ」
フランドールが本の世界に意識を没入するのを見ながら。パチュリーは恨めしそうに呟いていた。
「……えっと、えーっと?」対して、紅魔館の主レミリア・スカーレットはと言うと。
少し以上におかしくなった咲夜と、それを見ながらも口も手も挟む気が無いと言う美鈴たちの間に挟まれていた。
ああ、これは……私だけで対処しなければならないのだな。
美鈴もパチュリーも、フランドールも。誰も目を合わせてくれなくて……レミリアはガクンと肩の力を抜かした。
笑顔で手を振る小悪魔はまた別問題であるので除外した。
しかしだ。今日この時の十六夜咲夜の姿はあまりにも、らしくない姿である。
そのあまりにも、らしくない姿に。意を決してもう一度向かい合った、紅魔館の主であるレミリア・スカーレットは。手をおろおろと中空に浮かせてまごついていた。
咲夜との距離も中途半端な位置で、中途半端に手を浮かせて……よく見れば背中の羽も小刻みに揺れ動いている。
この姿では、小動物か何かだなと。半分ほど頭を抑えながら美鈴は、半ば逃避の意味もこもったかのように、全く別の事を考えていた。
何にせよ、このような姿では。吸血鬼の威厳も何も、あったものではないな。それだけは確実であった。
「――イエエエエァ!!」
そして丁度、美鈴が今のレミリアを。小動物のようだなと思った辺りであった。咲夜が狂ったようにもんどりうちながら、甲高い奇声を発して喜んでいた。
「うわ……」
さすがの美鈴も、少し以上にはこの咲夜の姿に気圧されてしまった。
「ひぃ!?」
従者がおかしくなり、友人も門番も妹も手を貸してくれない事で心が弱くなっているレミリアは。この咲夜の姿にビクンと体を波打たせて、後ずさった。
それと同時に、友人も門番も妹も。そして乱を望むかのような小悪魔ですら。レミリアが後ずさるのとほぼ同時に、1歩以上後退した。
この場にいてやることはいてやるが、必要以上には関わりたくないと言う決意が見て取れる行動であった。
ああ、やっぱり。この妙に息の合った動きに、美鈴もパチュリーもフランドールも。目を合わせて笑い合った。小悪魔はずっと笑っているので数に含めていいのかは、美鈴は少しばかり判断しかねた。
しかしどうであるにせよ。みんな同じ事を、ねじが外れた感じの小悪魔でさえもやっぱり同じことを考えていたのである。
「ちょっとぉ!?」
ここで最も可哀そうなのは。間違いなく、レミリアであった。1人完全に、蚊帳の外であった。
しかし、すまないとは思ったが。今の咲夜さんとは、出来る限り距離を取りたいのである。
「お嬢様」
「ひぃ!?」
そう思っていたら、咲夜が音も無くレミリアの直近にまで迫っていた。
最も、不思議だとは思わなかった。時を止めれるのだから、音も無く近づくぐらい。児戯よりも容易に、この十六夜咲夜はやってのけるのである。
でも、今はそれよりも。咲夜がレミリアに興味を抱いている間に、咲夜が詰めてきたこの距離を再び開かなくてはならない。
カンッカンッカンッ!と、けたたましく踵(かかと)を鳴らしながら美鈴たちは3歩も4歩も5歩も。距離を開かせた。相変わらず、息の合った後ずさり方であった。
ここまで開いてしまえば、最初の時よりも大きくなっているのは間違いが無かった。
「泣いていいかなぁ!?これ私、見捨てられてるよね!?」
いいか?とは聞いてるが、半分涙目でレミリアは吠えていた。本当に、今日この時のレミリア・スカーレットに、吸血鬼の威厳は無かった。
「お嬢様その涙、舐めても良いですか?ぺろぺろと」
それから十六夜咲夜にも、瀟洒などと言う言葉は何処にも存在していなかった。
「ひいい!?」
「あ、やっぱり可愛い。だから舐めますね、ぺろぺろと」
それからしばらく、逃げ惑うレミリアと追いかける咲夜と。巻き込まれたくなくて距離を一定以上に保ちたがるそれ以外が。室内を駆けずり回っていた。
「と言う訳で、紅魔館お料理対決を開始いたします」
「……本当にやるんですか?咲夜さん」
「ひっく……お嫁に行けない」
「大丈夫です、お嬢様。私が婿になります」
小膝に抱かれてべちゃべちゃのレミリアを尻目に、美鈴達は目を合わせあった。
「やれと言うなら、やれるわよ。丁度お夕飯の時間だし……そもそも咲夜。それ狙いで、今呼んだんでしょう?」
殆ど諦めと言う感情で、フランドールは本をパタンと閉じて口を動かした。
フランドールが、仕方なくと言った感じでもやる気になったのを見て。咲夜の表情が、パァッと輝いた物になった。
「お姉さまの手料理が食べたいだけなんでしょう?」
「はい、もちろん」
そして間違いなく、今の咲夜さんは疲れている。
欲望と言う物を、まるで隠さないし理性で抑えようともしていない。瀟洒と言う2つ名が泣きそうなぐらいに、今の咲夜さんは欲望全開である。
「妹様の手料理は、2番目です」
「はいはい、一応喜んでおくわ……咲夜はお姉さま至上主義者だからね」
「あと、妹様」
「ぺろぺろしたい何て言ったら、その舌キュッとするから」
「はい」
脅しでは無い。妹様は、フランドール・スカーレットならば、脅しでは無くてやれる性格を持っている。
それを十二分に理解している咲夜は、案外おとなしかった。
「なのでお嬢様をぺろぺろし続けます」
「しゃぐやああ!!やべてぇ!フラァァン!たずけてええ!!」
しかしレミリアに対しては、まるでおとなしくは無かった。
「咲夜、卵ある?」
だがフランドールは、冷たかった。今正しく目の前で、姉が助けを求めていたが。まるで目を合わせようとせずに、お料理対決に使う卵を所望していた。
「冷蔵庫の中にあります。中にある物は好きに使って構いませんわ」
「じゃぐやああ!!」
「ちょっと、部屋にチーズを取りに行ってくるけど、良い?」
「はい。持ち込みも構いません、気にせずに使ってください」
「やべでええ!!」
実に器用な物である。フランドールの質問に答えつつも、咲夜は器用にレミリアをぺろぺろしていた。
今はぺろぺろに少し疲れたのか、頭頂部をくんかくんかしていた。
レミリアは当然、涙声で悲鳴を上げるが。特に別に、何とも思っていないと言う態度と表情で。フランドールはチーズを取りに部屋に戻った。
しかし美鈴たちは思った。戻っては来るんだろうけど、一旦逃げたな妹様。
「じゃあ私も……スパイスを取ってくるわ。昨日調合して貰ったばかりだから、後寝かしてある生地も良い具合……」そしてパチュリーがいそいそと。
「では私も、調味料やらを」小悪魔は相変わらず笑いながら。
「なら私も……使い慣れた中華鍋が」美鈴は、少しばかり申し訳無さそうな表情を浮かべていたが。たった一人取り残されるのは、ご免こうむりたかった。
「ちゃっちゃと片づけるわね」
「えぐ、えぐ……」
戻って来たフランドールは、フライパンに油を引いて火を起こして温め始めた。
脇でレミリアが涙を流してぐずっているが、完全に無視していた。ついでに、恍惚で満面の笑みを浮かべている咲夜の事も。
さわらぬ神に、祟り無しと言う奴だ。
「あら、妹様。手際がよろしいですね」
「まぁね、外に出なかったら本を読む以外じゃあ、数少ない娯楽だから」
レミリアを散々弄んだから、咲夜は余り気付いていないが。軽く流すのが難しいぐらいに、目の前のフランドールは手際よく準備をしていた。
「ふん、ふん、ふん♪」
今度は温まったフライパンに、バターを落とした。徐々に室内に、溶かしバターの良い匂いが充満する。
そして鼻歌交じりに、フライパンのバターが溶け切る前に、フランドールは卵を割って行く。
それも、ちゃんとボウルを2つ使って。血合いの卵に当たっても大丈夫なように、緩衝材を1つおいていた。
ついでに部屋から持って来たと思わしきワインも、ラッパ飲みで煽っていた。
全ての手際が良かった……つまりはフランドールは、料理中のラッパ飲みもいつもの事らしかった。
「……まぁ、吸血鬼だから大丈夫か」
感心はしないが、吸血鬼と言う種族の丈夫さを考えれば。大丈夫だから困るのだ。
「そうなのよねぇ……横着して1つのボウルにまとめて割ったら、最後に限って血合い卵だったり」
パチュリーがフランドールの料理風景を見ながら、しみじみとした表情で頷きながらつぶやきながら。良い匂いのするスパイスを鍋に投入して。
「正しく昨日の話でした物ねぇ」
小悪魔が、良い香りのする白い板を……間違いない、酒粕だ。それをお湯で少し溶かしていた。
火に掛かった鍋の中身は、出汁であった。一緒にしいたけや油揚げ、豚肉も入っていた。
「やばい」
フランドールも、小悪魔も、パチュリーも。皆が皆、非常に手際が良かった。
ちゃっちゃと、炒飯を作ればいいやと。軽く考えていた美鈴も、3人が見せる意外なほどの手際の良さに危機感と言う物を覚えた。
炒飯は勿論つくるが。それ以外にも何か作らねば、恥と言う物を晒してしまいそうであった。
よくよく周りを観察すれば、パチュリーも小悪魔も。相手の事を、そして美鈴の事を抜け目なく観察していた。
そこまで必死では無いが、それでも無様に負けたくは無いと言う思いがひしひしと感じられる眼つきであった。
何も気にしていないのは、ワインを瓶ごと煽りながら料理を作っているフランドールぐらいの物であった。
そのフランドールでさえも、2つのフライパンを使って2個の料理を同時に作る手際であった。
「…………うん?」
レミリアを弄びまくって、満足に満足を重ねたはずの咲夜であったが。
徐々に、熱気を帯びていく館の住人達の姿に。咲夜は違和感と言う奴を抱え始めていた。
その違和感は徐々に、咲夜の心中に焦りと言う奴を生み出していき。冷や汗と言う物が垂れていく。
十六夜咲夜と言う人物は……紅魔館のメイド長である。
レミリア・スカーレットに対して“色んな意味で”忠誠を誓っている、従者でもある。
当然、この紅魔館の中では。メイド長と言う肩書も相まって表にこそは積極的には出さないが、紅魔館で最も役に立つ人材であると言う強烈な自負心もある。
それは侵入者の排除や異変に関する事と言った、荒事だけでは無い。平素の紅魔館における日常業務においてもそうである。
当然そこには料理も含まれる。十六夜咲夜は知らず知らずのうちに、料理の腕も紅魔館随一であると思いたがっていた。
「いやいやいや……美鈴は、中華料理は、きっと故郷の――」
自分で自分を慰めるように、そこまで呟いて気付いた。
パチュリーはどう考えても西洋生まれ、使い魔である小悪魔もその文化に馴染んでいるはず。
だがどう考えても、パチュリーが使っているスパイスは。それを鍋にぶち込んでいる姿は、そして匂いも。
明らかにそれは、カレーを作る時のそれである。
今パチュリーは、何かパン生地のような物を懸命にこねて、成形している。
まさかとは思うが「パチュリー様、それって……」
「ナンよ。時間が無いから、プレーンだけどね。ガーリックぐらい使えばよかったかしら……」
何てこったい。想像以上に本格的なインドカレーを、パチュリーは作ろうとして。また成功に近づきつつあった。
視線を変えれば、美鈴が大きな中華鍋を懸命に振り回して。炒飯を作っていた。
無論それだけでは無い。もう1つのコンロも休ませている訳は無く火が掛けられて、そこには中華鍋が鎮座しており。
中からは何かがカラッと揚がるような、香ばしい音が立っていた。
鳥か、それとも豚か?もしかしたら野菜?中身を覗いていないから、肉なのか野菜なのかまでは分からないが。美味しそうな物が出来上がると言うのは、雰囲気で分かった。
「……いい具合ね」
出来上がった炒飯を器に盛り付けながら、脇目で美鈴は揚がりつつある材料を見て微笑んだ。
そして油切りの為の、穴あきの器にガサッと鍋の中身を移したかと思えば。
これまた慣れた手つきで、美鈴は先程まで揚げ物をしていた中華鍋に調味料をいくつも入れ始めた。
その全ての調味料。計って等はいない、全て目分量である。
しかしながら美鈴の手つきには迷いと言う物は一切存在しておらず、顔つきも自信に溢れていた。
また中華鍋から立ち上って、咲夜の方向に向かってくる匂いで。美鈴が失敗を何も犯していないと言うのが、はっきりと知る事が出来た。
インドカレー、そして中華料理。どちらもかなりの本格派が出来上がりつつあるので、咲夜は目を背ける様に小悪魔の方に視線を移したが。
小悪魔に至っては、超が付くほどの正統派の和食を作っていた。
「うーん……やっぱりこの時間じゃ、根菜は煮えませんよね。仕方がない、油揚げと豚肉だけにしましょう」
手に取ったゴボウを、名残惜しそうに仕舞いながら。小悪魔は油揚げを大きな寸胴の中に投入した。
豚肉は?と咲夜は思ったのだが、小悪魔は豚肉は違う小鍋の中で一端茹でていたのだった。
「うひゃあ、凄い灰汁」
そう言いながら小悪魔は、お玉で丹念に灰汁を取り。これぐらいの塩梅だなと行った所で、小鍋の中身を全て大きな寸胴に移した。
……ちゃんと豚肉の茹で汁も、うま味があるから出汁として使ったのである。
茹で汁を全て捨てると言う、ありがちな失敗を犯さなかった。
「これはもう、後は煮るだけ……」
そう言いながら、小悪魔が次に手に取ったのは魚であった。そいつも包丁の背中で、丹念に鱗を削ぐことを忘れなかった。
ここで十六夜咲夜は、小膝に抱えているレミリアにその興味を完全に移した。
出来上がった料理達は、急に作れと言われた物とは思えない鮮やかな物達ばかりであった。
「はい、スパニッシュ風チーズオムレツと菜の花のアラビアータよ」ほろ酔い状態のフランドールは、ワインに非常に合いそうな料理であるし。
「大豆のカレーとプレーンナンよ」パチュリーの作ったカレーとナンは、そのままカレー屋に出しても恥ずかしくは無さそうな代物。スパイスの良い匂いが、唾液の分泌を促してくれた。
「粕汁と魚の照り焼き、菜の花の胡麻和えに。時間があったので厚揚げをあぶった奴を生姜醤油とおネギで……」小悪魔は純和食の定食を用意してきた。ちゃんと汁物、焼き物に小鉢まで付いて、おまけにもう一品ある。
ただの味噌汁では無くて、粕汁であると言うのもにくい部分である。
「炒飯とかきたま汁、それに酢豚です」美鈴が器に盛った中華料理達は、見ているだけでよだれが出てきそうであった。
こうなると、かきたま汁でさえも何か工夫があるのではとすら思ってしまう。
「…………」
机の上で咲夜は、頭を抱えていた。まさか皆が、ここまで料理の腕に確かな物と言う物を持っていたとは思わなかったのだ。
咲夜の横に座っているレミリアは、咲夜に弄ばされすぎて心ここにあらずと言った様子で天井を見ていた。
ちょっと、必死になり過ぎたかな。
4人全てが、見事にこの場を乗り切ったのは良いのだが。少なくはない自負心を持つ咲夜の心情を考えれば、この後と言うのが怖かった。
「ふふ、ふはははは!!!」
やっべ壊れた。
しばらくの間、無言から来る静寂が辺りを包んでいたが。急に咲夜がヤケッパチに笑いだした。横合いにいたレミリアは、ビクンと体を波打たせた。
思わず美鈴は思ってしまった、壊れたと。
壊れたと、そう思った正しく次の瞬間であった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
汗だくになった咲夜が、出来立てのハンバーグが盛られた皿を手に持っていた。
時間を止めて作ったらしいが。その割には、焦燥感に今の咲夜は塗れていた。
「……ハンバーグですね、分かりやすい程に」
美鈴はただ、そうとしか言わなかった。
パチュリーは、美鈴と同じような無表情で出来たてのナンをもしゃもしゃと食べていた。
小悪魔はニコニコと笑っているだけであったが、それが却って怖い。
「ああ、お姉さまが好きそうな物ね」
だがフランドールは違った。酒の力があるせいか、その口調はいつものそれよりもずっと棘があった。
「……何よ」
咲夜に弄ばれまくって、どこかまだ虚ろな精神ではあるが。妹に馬鹿にされたと言うのは理解できたようで、目を向いて答えた。
「はい、お姉さま。アーン」
何か文句があるなら言えと言う様なレミリアの表情を無視して、フランドールはスパニッシュ風チーズオムレツを一口、スプーンですくってレミリアに与えた。
「…………うん」
だがレミリアは、これといった感想を出さずに押し黙った。
「うふふ……はい、皆も」
そのレミリアの表情を見て、フランドールは妙に嬉しそうな顔で他の者にもオムレツを分け与えた。
「あー……ワインかビールですね。ちょっと癖のあるチーズ使ってますね」美鈴はすぐにチーズのクセに気付いたが、嫌そうな顔はしていない。
「私はビール党だけど……これなら、赤ワインが欲しいわね」パチュリーも、同様である。
「日本酒とは合いませんね。パチュリー様の仰る通り、赤ワインに合う食べ物ですね」
唯一、和食党と思わしき小悪魔は感想の質が違ったが。しかし、口に合わないとは言っていなかった。
「はい、咲夜も」
「いただきます……」
最後に、咲夜に件のチーズオムレツを分け与えた。
「ああ……なるほど」
その咲夜の表情の変化。レミリアほどではないが、曇ったそれであった。
「チーズですね」
「最初に言ったじゃない。スパニッシュ風チーズオムレツだって」
「癖がありますね……“私は”嫌いではありませんが」
私はと言う部分を少し以上に強調した咲夜を見ながら、フランドールはレミリアと見比べてニヤニヤとしていた。
「ゴルゴンゾーラよ」
そしてそのニヤ付いた顔と言う奴は。今宵フランドールが使ったチーズの銘柄を明かす時に、最高潮に達した。
ゴルゴンゾーラ。そのチーズの銘柄を聞いて、咲夜は“やっぱり”と言う様な顔を浮かべたが。
レミリアは、きょとんとしていた。
「青かび系のチーズですね。妹様も、通好みのようで」
ゴルゴンゾーラ、この名前を聞いて。咲夜も美鈴もパチュリーも、思う所はあったが黙っていたのに。ここに来て小悪魔が、爆弾を落とし始めた。
「ネギや生姜やワサビと一緒で、嫌いな人は嫌いですよね」
相変わらず小悪魔はニコニコとしていた。その笑顔が、却って怖いのである。
「小悪魔、はっきり言ったらぁ?」
相変わらずワインをラッパ飲みで煽りながら、フランドールは言葉の矛を収めようとしなかった。
酒に酔いながらであるから、また酒の量が増えつつあるのだから。その態度と言う奴は、徐々に無礼なそれに拍車をかけていた。
「あはは」小悪魔は笑うだけであった。レミリアはキョトンとしていた。
フランドールの言わんとする所。実の所、みんな分かっていた。
しかし言わなかった。腹の底ではともかくとして、余程の偏食でも無いから……と思っていたのだが。
最も小悪魔は、火中の栗を拾いたくないだけで。言っても大丈夫な力があれば、きっと言ったであろう。
「もう、はっきり言って良いのに小悪魔」
フランドールのように。
「お姉さまが、子供舌だってこと!」
「お嬢様だから良いんです!!」
レミリアが子供舌である。それをはっきり言った後のフランドールであるが、それに対して咲夜はよく分からない理論で正当化していた。
一応、咲夜と言う味方はいるが。先ほどからのねじの外れた暴走っぷりを考えれば、あまり喜べないと言った感じのレミリアでった。
「……ねぇ、咲夜のハンバーグ。美味しいわよね?」
「ええ、ええ……間違いなく、美味しいですよ」
レミリアが必死に同意を求めるので。美鈴はこのような答えしか出す事しか出来なかった。
実際問題、普通に美味しいのだ。そう、普通の話なら。
「奥深さは無いけどね」
だが酔っ払い状態のフランドールは、折角美鈴が積み上げようとした物を一撃で壊していく。
「フランドール!」パチュリーが思わず、それ以上は止めろと言わんばかりに、フランの名前を叫んだ。
小悪魔は相変わらず、ニコニコとしていた。
「私……驕ってたわ。まさか皆がこんなに、料理が上手かった何て」
「いや、咲夜さんは……炊事や掃除の面倒も見てますから。合計で考えたら、家事の能力は咲夜さんの方が上ですよ」美鈴が必死で咲夜を慰めるが、焼け石に水であった。
自分で作ったハンバーグを“もひもひ”と食べながら。咲夜は完全にしょぼくれていた。
その咲夜の横では、レミリアが同じように落ち込みながら咲夜の作ってくれたハンバーグを食べていた。
ちなみにフランドールは、これ以上同じ空間に置いておくと際限なくレミリアを挑発し続けそうなので。パチュリーが連れて行ってしまった。小悪魔は当然の様に、パチュリーに付いて行った。
ただ、料理と一緒に何処かにってしまったから。きっと戻って来ない。
あーこれ、私1人で収めるのかぁ……美鈴は今から始まる、どんな後片付けよりも面倒くさい作業に、1人で立ち向かわなければならないと知り。
心の中で静かに、溜息を付きながら頭を小さく抱えた。
他の紅魔館キャラも料理上手ってのは
斬新で面白かったです。