外──夜の博麗神社は森閑と静まり返っていた。
冬の夜気に、生物たちは息を潜め、幻想たちは各々の塒(ねぐら)で静かに杯を傾けている。
妖怪神社などと呼ばれるそこも、この夜ばかりは耳が痛い程の静寂を湛えていた。
戦(そよ)ぐ寒風に、鎮守の森の木々たちが影を揺らす。
張り詰めた空気を、淡い月光が解きほぐしている。
境内には、師走らしい凛とした静謐さが漂っていた。
それを、ドタドタと足音を立て、障子を勢いよく開いては静寂をぶち壊しにする。そんな彼女をきっと、人は無粋者と言うのだろう。
「霊夢、雪狩りの時間だぜ!」
挨拶の言葉もそこそこに、少女――霧雨魔理沙が声も高らかに告げる。小柄な身体を動かす度に積もっていた雪が落ちて、神社の畳を濡らした。
それに眉を顰める少女――博麗霊夢は、炬燵の中に身を縮めながら来訪者を見上げる。
「ちょっと、ちゃんと外で掃ってから上がってきなさいよ」
「細かい事は気にするな。それより雪狩りに行こうぜ、雪狩り」
苦言など何処吹く風と受け流し、魔理沙は霊夢の腕を掴んで立たせようとする。
しかし、炬燵に根でも生やしてるんじゃないかと錯覚するくらい、霊夢は頑として動こうとはしない。
「ちょっと、引っ張らないで」
「抵抗するからだろ。お前が素直に立てば万事完結だぜ」
「雪狩りって言うけど、そもそも雪なんて降ってるの?」
「降ってるから私はご覧の有り様なんだが?」
「偉そうに言ってんじゃないわよ。いいからそれ、ちゃんと掃ってきて。話はそれから」
そうしなければ話が進まないと気付いたのか、魔理沙は「ちぇっ」と口を尖らせて部屋を出ていった。
暫し玄関の方から服を叩く音が聞こえたかと思えば、憮然とした表情で魔理沙が戻ってきた。
どうやら文句を言われない程度には落としてきたらしい。及第点と判断した霊夢は炬燵を勧めた。
何だかんだで寒かったのであろう、魔理沙も特に文句を言うこともなく素直に炬燵に身を沈めた。
「で、雪なんていつ降ってたのよ。昨日の夜は晴れてたじゃない」
「おいおい、何時の話をしてるんだ。今日は一日中降ってただろ」
「そうだっけ?」
「……もしかしてお前、今日一日、外に出てないな?」
「まぁ、起きたら真っ暗だったしね」
夜明け前に寝たから日中はグッスリだったわほほほのほー、と宣う霊夢に魔理沙は呆れた視線を送る。当然、受け流された。
「はぁ、呆れた巫女だぜ。放っちゃ置けん」
「いらん。放っておけ」
「まぁ、そんな訳で今日一日だけで外は一面の銀世界に様変わりしてるぜ」
「ふーん。まるで何とか太郎にでもなった気分だわ」
「浦島効果を実感するにしては、お前は動かなさ過ぎだけどな」
「やかましい。で、雪が積もったから、雪狩りに行こうって?」
「おう」
「子どもか、あんたは」
「子どもだぜ。身も心もな」
屈託のない笑顔を向けられては、それ以上は何も言えない霊夢であった。
「だからさ、行こうぜ? 雪狩り」
媚びるような魔理沙の視線に、しかし、霊夢は渋る。
「いや、行ってやらないことはないんだけど……」
「何だ、私の誘いよりも大事なことでもあるって言うのか?」
若干膨れながら言う魔理沙に、バツの悪そうな顔で霊夢は答えた。
「だって、熱燗を用意してるのに、飲まずに出て行くなんて非常識じゃない?」
「あぁ、それは非常識だな。大問題だ。――だから、飲んでから行くことにしよう、そうしよう」
「はぁ、ほんと厚かましいんだから」
二人が雪狩りに外へ出たのは、すっかり酔いが回った一刻も後のことだった。
# # #
「寒いわ……」
「そうか? 温まった身体にゃちょうど良いくらいだと思うんだが」
「あんたは子ども体温だもんねぇ。平熱が高くて羨ましいわー」
「はっ、冷血巫女のお前には低体温がお似合いだぜ」
何よ、何だよ、と宙に居ながら、霊夢と魔理沙は器用に相手を蹴り合っている。
ぬくぬくと熱を与える炬燵の魔力を振り切った少女二人は、冬の空を飛んでいた。幸い、雪は勢いを弱めたらしく、障害になるようなことはない。
それでも、凍るような冬の夜気は加減なく熱を奪っていく。魔理沙はともかく、霊夢には堪えるらしい。
「ちょうど良い酔い冷ましと前向きに捉えようぜ」
「私はすぐにでも回れ右して炬燵に戻りたい気分だけどね。……まだなの?」
「あぁ、もうちょっとだ。近場だと妖精やらがいて鬱陶しいからな」
この大雪に気分を高揚させているのは魔理沙だけではなかったらしい。
根が子どもな妖精などは大はしゃぎして、狙いも定めずに弾幕を撒き散らしては勝手に被弾し、それを見てケラケラ笑っているのだとか。
あいつらは情緒ってものを理解してないからな、などと隣で魔理沙がボヤくも、霊夢からすれば五十歩百歩である。
「っと、ここなんてどうだ? 妖精一匹いやしないし、何より誰の足跡も付いてない」
「そうね。おあつらえ向きに満月だし、雲もない。絶好の雪狩り日和だわ」
そこは神社からそれなりに離れた場所にある広場だった。
妙にだだっ広いそこは、何故か四季を通じて草の一本も生えてこない、不毛の土地である。
試しに樹を植えてみてもすぐさま枯れ果てる。花の妖怪が種を蒔いても芽すら出てこない、そんな場所なのだ。
平時であれば遮蔽物もなく、柔らかな黒土の広がるそこは里の子どもたちの格好の遊び場であるが、雪に覆われた今では球技も困難。
おまけに、妖怪の跋扈する幻想郷で夜中に出歩くことは自殺行為だ。対抗する術を持つ二人だからこそ出来る、貸し切りという名の贅沢である。
「へへ、一番乗り、っと」
箒を消し、誰も汚した跡の無い雪原に降り立った魔理沙が得意気に一言。
「はしゃいじゃってまぁ……」
声は呆れ気味に、表情はどこか羨ましげな霊夢も遅れて降り立った。
「……」
「……」
遮蔽物の無い雪原を風が撫でると、固まり切っていない淡雪が煙る。雲一つ見当たらない空からは月光がこれでもかと降り注ぎ、周囲を思いの外明るく照らしていた。
これなら灯りは必要ないと判断したのだろう、魔理沙がゴソゴソと自身のスカートを漁るが、その手を止めると二人の周囲から音は無くなった。
あるのはただ静寂のみ。時々、思い出したように風が撫でていくが、それだけ。霊夢と魔理沙は無言である。
別に空気が気まずいなんてことはなく、幻想的な光景に見蕩れているなんてことは全くない。
むしろ、これでいい。こうでなくてはいけないのだ。
「……霊夢」
「……聞こえた」
囁くような声で言葉を交わす。短いやり取りの中で互いの意思疎通は完了していた。
「……どっちだ?」
「……坤の方角。足音は小さく、おそらくは四足」
「……ちっ、小物か」
魔理沙がつまらなそうに呟くのを聞きながら、霊夢は自分の位置から左斜めに振り返ったかと思えば、懐から御札を取り出し、放った。
それは矢のような勢いで直進し、狙い違わず標的を射抜いた。的先を見て、魔理沙はこれ見よがしに溜め息を吐いた。
「ほら、やっぱり小物じゃないか」
「小物だとか大物だとか関係ないって、いつも言ってんでしょ」
「馬っ鹿、お前……仮にも狩りと呼ぶんだから、獲物の評価基準は重要だろうが」
「そう言ってるのはあんただけよね」
二人の視線の先にいたのは一羽の兎だった。それも、ふわふわでもこもことした、雪で形作られた兎である。
雪兎は兎らしく跳ね回っていたようだが、霊夢の御札が当たった瞬間、動きを止めた。そして暫くすると、ポロリポロリと雪が剥がれ落ち、中から薄ぼんやりとした兎がまた出てきた。
半透明な兎は呆けていたかと思えば、思い出したように動きを再開し、二、三度跳ねたところで姿を消した。
本当に、まるで地に落ちた雪が溶けるように。
「あーあ、霊夢に先を越されちまったなぁ。ま、兎一匹程度、すぐに追い付くけど――な!」
魔理沙が腕を横に振り切ったかと思うと、そこから星屑が一閃走った。
星屑は雪原を一瞬明るくしたかと思えば、これまた何処から現れたのか分からない、雪で姿を模した犬に当たっては砕け散った。
当たった部分から連鎖するように雪が溶け落ちる。その下には先程の兎と同様、色素を薄くした中型犬の姿があった。
耳を立て、鼻をピスピス鳴らした後、一声吠えると同時に明後日の方向に駆け出し、また溶けるように消えた。
魔理沙は自慢気な態度を隠そうともせず、霊夢に振り返って言う。
「どうだ」
「どうだ、って言われても……お見事、とか言えばいいの?」
「お前に言われても嫌味にしか聞こえないからやめろ」
「じゃあ何て言えばいいのよ」
「普通に悔しがってくれればいいんだよ。『見てなさいよ、魔理沙! 私だってそれくらいやってみせるんだから! ムキーッ!』みたいにさ」
「見てなさいよ魔理沙私だってそれくらいやってみせるんだからムキーッ」
「ははは、こやつめ」
これっぽっちも感情の籠っていない言葉に、思わず魔理沙の手から星屑が零れ落ちる。向かってくるそれを、霊夢はヒョイと避けてみせた。
雪狩りとはつまり、前の兎や犬のような形をした雪像たちが現れては、崩して回る行いの事である。
何故そのようなことをするのか。それは、雪像たちの素となっているのが、この郷で死んでいったものたちの霊であるからだ。
幻想郷は穏やかな土地であるが、未だに弱肉強食が適応される世界でもある。中でも、妖怪にたぶらかされた人や動物の死は郡を抜いて高い。
恨みを積もらせるものもいれば、自分の死に気づかないものもいる。それらは総じて地縛霊へと身を変え、この冬の時期になると雪を纏って仮初めの肉体とするのである。
それらは生前の行動を繰り返すだけの存在ではあるが、仮にも霊体であるので、接触した場合、生身の人間への影響は少なからず考えられる。
何より、自分が死んだ身であることを自覚していない存在ほど厄介な存在はない、というのが霊夢の言だ。万が一を想定して手を打っておくに越したことはない。
ちなみに、雪狩りという名称を考えたのは魔理沙である。罰当たり極まりないのが実に彼女らしい。
「しっかし、何だって花だの雪だのに霊って奴は集まるんだろうなー」
「雪も花も生まれては散って、消えてを繰り返すものでしょ? だから、生まれ変わりってのを無意識に望んでるのかもしれないわね」
「なるほど。だけど霊夢、巫女が生まれ変わりだの輪廻だとか、寺の思想に染まって大丈夫か?」
「いいのよ。乗っかる時には乗っかって、それ以外では自分の所の思想を売り付ければ」
「とんでもない奴だな、お前……」
言いながら御札を投げつけては、今度は人型の雪像を崩しに掛かる霊夢。それに半目を向けながら、魔理沙も負けじと星屑を散らす。
気づけば、二人の周りには大小様々な雪像たちが揺れていた。声に寄せられてきたのだろう。霊は人の声に集まるものだ。
尤も、霊夢と魔理沙にとっては探し回る手間が省けて好都合ではあるのだが。
「さぁ、成仏の時間だ」
「まぁ、私は勝負とかどうでもいいんでね。こいつがやる気だからって私を恨まないでよね」
瞬間、空気が静から動に切り替わった。
不意を突かれて絶命したのか、首が危うい角度に曲がった朱鷺の雪像がヒョコヒョコと動き回っていた。星屑が弾けた。
飢えか、病か。何れにしても身体を痩せ細らせた子どもの姿をした雪像は、無心で地面を掘り返しては口元に手をやって貪る仕草を繰り返していた。御札がその手を止めさせた。
外来人であろう、リュックサックとバンダナを身に付けた小太りの男をした雪像は、霊夢と魔理沙を見るなり(霊にしては珍しく)興奮したように駆け出した。そして、星屑と御札の両方をその顔面で炸裂させた。
星屑が舞い、御札が飛ぶ。それらは霊の未練を断ち、縛りの無くなった魂は現世を発つ。
別に誰に頼まれたことでもない。だけど、誰かがやらなくてはいけないことだから、やる。
霊夢は、博麗の巫女の役割としてか弱い人々を守る為に。
魔理沙は、理由は無いから楽しむという自分の欲の為に。
だから、湧いて出てくる無数の雪像たちを淡々と壊していく。
そうすると、中の霊たちは勝手に自覚していくのだ。あぁ、自分は死んだのか、と。
それを成し遂げる少女たちに情は無く、だからこその狩りなのだ。
霊夢と魔理沙は休みなく動き回る。
壊しても壊しても、雪像たちは湧いて出てくる。湧いて出てきた分、壊して回った。
割って、砕いて、止めて、溶かして、薙いで、祓って……浮かばれない彼等を成仏させた。
数えることなどとっくに放棄していた。そもそもが一々数字を数えることに向かない少女たちである。
『最後に壊した方が勝ち』――勝ち負けは分かり易い方が良い。
それでも、何となくで気づくこともある。この場合の魔理沙がそうだった。
「それにしてもまた沢山の有象無象が死んだもんだな」
「あんた、それ毎年言ってるわよね」
「そうかぁ? でも不思議なもんだ。これだけ死んでも郷は一向に静かになりやしない」
「そりゃあ、死ぬものもいれば新しく生まれるものもいるからねぇ」
「まぁ、ここに棲む連中の大半が人外ってのもあるけどな。あいつら簡単に死にそうないし」
「一人二人くらい消えてくれても構わないんだけどね」
霊夢の冷たい言葉に、魔理沙は苦笑いを浮かべる。
「そう言ってやるな。枯れ木も山の賑わい……老いぼれたちだって置いてやらないと可哀想だぜ」
「あいつ等は一向に年をとる様子もないけどね」
「そう。何時だって、老いるのは私たち人間の方だ」
魔理沙の声の調子が変わったことに霊夢が気づく。
「人間は老いる。人間の私も当然老いる。老いるということは死に近づくってことだ」
魔理沙の星屑がまた一つ雪像を砕いた。
砕かれたのは妙齢の女性だった。女性は宙に目を迷わせた後、正面に立つ魔理沙に向かって頭を下げ、消えた。
それを見ながら、霊夢は問う。
「死ぬのが怖い?」
「まぁな。この美貌を老いで失うのは余りに惜しい」
「ちんちくりんの癖によく言うわ」
「こら、頭を撫でるな……ふん、後になって私の魅力に気づいたって遅いぜ」
「はいはい、その時は袖にされてやるわよ」
あとそれも何度目よ、と霊夢は言うが、魔理沙は素知らぬ振りといった表情で佇んでいた。
一体どれだけの雪像を壊したのか。雪原は来た時と同じく、霊夢と魔理沙の二人だけとなっていた。
「死ぬのは怖いな、霊夢」
「そうかしら」
「そうだよ。だって、もうご飯を食べることも、お風呂に浸かることも、暖かい布団の中で眠ることもできないんだぜ?」
「それは、怖いわね」
「だろ? だから、私はあいつ等みたいに死ぬなんてのは真っ平御免だ」
魔理沙の言うあいつら等とは、彼女たちが壊して成仏させてきた者たちを指すのだろう。
「化生どもに食われて死ぬなんて嫌だ。病に臥せて床の上で死ぬなんて嫌だ。誰の記憶にも残らずに死ぬなんて嫌だ。一人で死ぬなんて――絶対に嫌だ」
霊夢は静かに語り掛ける。
「じゃあ、どんな死に方をお望みで?」
「私が望むのは、魑魅魍魎を蹴散らし、その手で人々の病を癒し、誰の記憶にも居残り続ける――そんな英雄みたいな、栄光ある死が良い」
「うん。あんたには似合わない」
「だろうな」
くすくすと小さな笑い声が雪原に零れた。
すると突然、地面が大きく揺れる。すわ地震かと思われたが違った。
揺れの原因は、二人の足元から勢いよく飛び出してきた。
「おおっ!」
「あらら」
雪を撒き散らし、柔らかく月光を跳ね返すそれは龍だった。
正確には龍の姿をした雪像だったが、元の大きさが大きさだけに、月下に照らされるその威容は凄まじい。
霊夢と魔理沙はポカンと阿呆のように口を開けて、その様を仰ぎ見ていた。
「こいつはまた、最後の最後で大物が出てきたもんだな」
「そうね。龍が死ぬなんてそうそうないから、相当な御老体だったんでしょうね」
「死因は何だろうな」
「老衰かもね」
「寝てたらある日ポックリってか。きっとそうに違いないぜ」
勝手な事を宣う人間の少女二人など気にもせず、龍は生前の動きをなぞるように冬の空を飛んでいた。
ただ、飛んでいるだけで離れようとしないのは、その身を地縛霊に堕としているからか。
随分と神格の高い地縛霊も居たもんだ、という魔理沙のボヤキも聞こえたかは定かではない。
「はぁー。龍だって死からは免れないんだ。足掻くだけ無駄なのかもな」
「不老だったり、不死だったりの奴らもいるじゃない」
「あいつらは立派な人外だろ。私は死ぬのは怖いが、人間として死にはしたいんだ」
「それはどうして?」
「さぁ、どうしてだろうな」
問いに魔理沙は答えず、代わりに顔を上に向けた。
その先にあるのは冷たい光を放つ月と数多の星を散りばめた夜空。そして、そこを悠々と泳ぐ闖入者の姿。
元が龍だとか、神格があるとか、そんな事は魔理沙には関係ない。
彼女にとって、今この場で動くものは等しく的である。
八卦路の射線と龍の巨体とが重なる。
夜の雪原に、魔砲の音が鳴り響いた。
# # #
「私の勝ちだな、霊夢」
「そうみたいね」
ドサドサと上から降り落ちる雪の塊など気にもせず、霊夢と魔理沙は暢気に言葉を交わす。まるで自分たちの上に降ってくるなんて、これっぽちも思ってない風だ。
そして霊夢の吐く言葉にも、勝負に負けた悔しさのようなものは欠片も含まれておらず、ただ結果を受け入れていた。
「もうちょっと悔しがったらどうだ?」
「だって――」
「悔しくないんだもん、だろ? 何度も聞いた」
「あんたのその言葉も何回目かしらね」
「そうかな?」
「そうよ」
「でも、こんな会話もいずれは出来なくなるんだよな」
「私たちには死が待ってるからね」
やっぱり死にたくないな、と魔理沙の口からぽそりと言葉が零れ落ちた。
それを拾うのは、やはり霊夢だった。
「例えばの話だけど、死ぬその瞬間、私が側に居たとしても怖い?」
「それなら怖くないさ」
「じゃあ問題解決ね」
「でも……」
「でも?」
「霊夢が私より先に逝くかもしれない」
「それは、あるかもね」
「その逆もあり得るだろ?」
「その可能性も十分あり得るわね」
「だから、怖いんだぜ」
魔理沙の言葉に、霊夢は「んー……」と芝居がかった様子で顎に手を当てた。
そして、少し悩んだ素振りの後、あっけらかんとこんな事を口走る。
「じゃあ、その時は一緒に死ぬ?」
そんな、晩御飯の献立への不満の有無を問うかのような調子で放られた言葉に、
「あぁ、それなら何も怖くないな」
魔理沙は似たような感じで頷いた。
「一人は怖いが、二人なら平気。当たり前のことだぜ」
「その当たり前のことに気づけないお馬鹿さんがいたみたいね」
「人間、恐怖を覚えると視野が狭くなるらしい」
「鳥目かしら? 夜雀の姿も見えないのに不思議ね」
「不安の芽は摘んでおかないとな。あと、冷えた身体には熱燗が必要だぜ」
「つまみには八目鰻を添えましょう」
「となるともう一羽ほど狩る必要があるな」
「今日は雪も降ってるから」
「店仕舞いを始める前に向かうとしようか」
「まったく、今宵は大忙しだぁね」
少女たちの笑い声が辺りに木霊する。
空の上で身を崩壊させつつある龍が非難するように唸るも、二人の耳にはもう届かない。
だだっ広い雪原に、二つの足跡が並び、ある所を境に途絶えた。
暫くすると、また雪がちらつき始めた。残された足跡も瞬く間に覆い隠される。
そこに少し前まで二人の少女がいたなんて事実はまるで無かったように。
少女たちは構わない。他人の目など知ったことではない。
隣にあるその人が見つめてくれさえいれば、それでいい。
自分本位でいい。自分勝手が許される。
ここは少女たちの幻想郷なのだから。
その夜、月光の照らす明るい空に、白黒と紅白の流れ星を見た。
冬の夜気に、生物たちは息を潜め、幻想たちは各々の塒(ねぐら)で静かに杯を傾けている。
妖怪神社などと呼ばれるそこも、この夜ばかりは耳が痛い程の静寂を湛えていた。
戦(そよ)ぐ寒風に、鎮守の森の木々たちが影を揺らす。
張り詰めた空気を、淡い月光が解きほぐしている。
境内には、師走らしい凛とした静謐さが漂っていた。
それを、ドタドタと足音を立て、障子を勢いよく開いては静寂をぶち壊しにする。そんな彼女をきっと、人は無粋者と言うのだろう。
「霊夢、雪狩りの時間だぜ!」
挨拶の言葉もそこそこに、少女――霧雨魔理沙が声も高らかに告げる。小柄な身体を動かす度に積もっていた雪が落ちて、神社の畳を濡らした。
それに眉を顰める少女――博麗霊夢は、炬燵の中に身を縮めながら来訪者を見上げる。
「ちょっと、ちゃんと外で掃ってから上がってきなさいよ」
「細かい事は気にするな。それより雪狩りに行こうぜ、雪狩り」
苦言など何処吹く風と受け流し、魔理沙は霊夢の腕を掴んで立たせようとする。
しかし、炬燵に根でも生やしてるんじゃないかと錯覚するくらい、霊夢は頑として動こうとはしない。
「ちょっと、引っ張らないで」
「抵抗するからだろ。お前が素直に立てば万事完結だぜ」
「雪狩りって言うけど、そもそも雪なんて降ってるの?」
「降ってるから私はご覧の有り様なんだが?」
「偉そうに言ってんじゃないわよ。いいからそれ、ちゃんと掃ってきて。話はそれから」
そうしなければ話が進まないと気付いたのか、魔理沙は「ちぇっ」と口を尖らせて部屋を出ていった。
暫し玄関の方から服を叩く音が聞こえたかと思えば、憮然とした表情で魔理沙が戻ってきた。
どうやら文句を言われない程度には落としてきたらしい。及第点と判断した霊夢は炬燵を勧めた。
何だかんだで寒かったのであろう、魔理沙も特に文句を言うこともなく素直に炬燵に身を沈めた。
「で、雪なんていつ降ってたのよ。昨日の夜は晴れてたじゃない」
「おいおい、何時の話をしてるんだ。今日は一日中降ってただろ」
「そうだっけ?」
「……もしかしてお前、今日一日、外に出てないな?」
「まぁ、起きたら真っ暗だったしね」
夜明け前に寝たから日中はグッスリだったわほほほのほー、と宣う霊夢に魔理沙は呆れた視線を送る。当然、受け流された。
「はぁ、呆れた巫女だぜ。放っちゃ置けん」
「いらん。放っておけ」
「まぁ、そんな訳で今日一日だけで外は一面の銀世界に様変わりしてるぜ」
「ふーん。まるで何とか太郎にでもなった気分だわ」
「浦島効果を実感するにしては、お前は動かなさ過ぎだけどな」
「やかましい。で、雪が積もったから、雪狩りに行こうって?」
「おう」
「子どもか、あんたは」
「子どもだぜ。身も心もな」
屈託のない笑顔を向けられては、それ以上は何も言えない霊夢であった。
「だからさ、行こうぜ? 雪狩り」
媚びるような魔理沙の視線に、しかし、霊夢は渋る。
「いや、行ってやらないことはないんだけど……」
「何だ、私の誘いよりも大事なことでもあるって言うのか?」
若干膨れながら言う魔理沙に、バツの悪そうな顔で霊夢は答えた。
「だって、熱燗を用意してるのに、飲まずに出て行くなんて非常識じゃない?」
「あぁ、それは非常識だな。大問題だ。――だから、飲んでから行くことにしよう、そうしよう」
「はぁ、ほんと厚かましいんだから」
二人が雪狩りに外へ出たのは、すっかり酔いが回った一刻も後のことだった。
# # #
「寒いわ……」
「そうか? 温まった身体にゃちょうど良いくらいだと思うんだが」
「あんたは子ども体温だもんねぇ。平熱が高くて羨ましいわー」
「はっ、冷血巫女のお前には低体温がお似合いだぜ」
何よ、何だよ、と宙に居ながら、霊夢と魔理沙は器用に相手を蹴り合っている。
ぬくぬくと熱を与える炬燵の魔力を振り切った少女二人は、冬の空を飛んでいた。幸い、雪は勢いを弱めたらしく、障害になるようなことはない。
それでも、凍るような冬の夜気は加減なく熱を奪っていく。魔理沙はともかく、霊夢には堪えるらしい。
「ちょうど良い酔い冷ましと前向きに捉えようぜ」
「私はすぐにでも回れ右して炬燵に戻りたい気分だけどね。……まだなの?」
「あぁ、もうちょっとだ。近場だと妖精やらがいて鬱陶しいからな」
この大雪に気分を高揚させているのは魔理沙だけではなかったらしい。
根が子どもな妖精などは大はしゃぎして、狙いも定めずに弾幕を撒き散らしては勝手に被弾し、それを見てケラケラ笑っているのだとか。
あいつらは情緒ってものを理解してないからな、などと隣で魔理沙がボヤくも、霊夢からすれば五十歩百歩である。
「っと、ここなんてどうだ? 妖精一匹いやしないし、何より誰の足跡も付いてない」
「そうね。おあつらえ向きに満月だし、雲もない。絶好の雪狩り日和だわ」
そこは神社からそれなりに離れた場所にある広場だった。
妙にだだっ広いそこは、何故か四季を通じて草の一本も生えてこない、不毛の土地である。
試しに樹を植えてみてもすぐさま枯れ果てる。花の妖怪が種を蒔いても芽すら出てこない、そんな場所なのだ。
平時であれば遮蔽物もなく、柔らかな黒土の広がるそこは里の子どもたちの格好の遊び場であるが、雪に覆われた今では球技も困難。
おまけに、妖怪の跋扈する幻想郷で夜中に出歩くことは自殺行為だ。対抗する術を持つ二人だからこそ出来る、貸し切りという名の贅沢である。
「へへ、一番乗り、っと」
箒を消し、誰も汚した跡の無い雪原に降り立った魔理沙が得意気に一言。
「はしゃいじゃってまぁ……」
声は呆れ気味に、表情はどこか羨ましげな霊夢も遅れて降り立った。
「……」
「……」
遮蔽物の無い雪原を風が撫でると、固まり切っていない淡雪が煙る。雲一つ見当たらない空からは月光がこれでもかと降り注ぎ、周囲を思いの外明るく照らしていた。
これなら灯りは必要ないと判断したのだろう、魔理沙がゴソゴソと自身のスカートを漁るが、その手を止めると二人の周囲から音は無くなった。
あるのはただ静寂のみ。時々、思い出したように風が撫でていくが、それだけ。霊夢と魔理沙は無言である。
別に空気が気まずいなんてことはなく、幻想的な光景に見蕩れているなんてことは全くない。
むしろ、これでいい。こうでなくてはいけないのだ。
「……霊夢」
「……聞こえた」
囁くような声で言葉を交わす。短いやり取りの中で互いの意思疎通は完了していた。
「……どっちだ?」
「……坤の方角。足音は小さく、おそらくは四足」
「……ちっ、小物か」
魔理沙がつまらなそうに呟くのを聞きながら、霊夢は自分の位置から左斜めに振り返ったかと思えば、懐から御札を取り出し、放った。
それは矢のような勢いで直進し、狙い違わず標的を射抜いた。的先を見て、魔理沙はこれ見よがしに溜め息を吐いた。
「ほら、やっぱり小物じゃないか」
「小物だとか大物だとか関係ないって、いつも言ってんでしょ」
「馬っ鹿、お前……仮にも狩りと呼ぶんだから、獲物の評価基準は重要だろうが」
「そう言ってるのはあんただけよね」
二人の視線の先にいたのは一羽の兎だった。それも、ふわふわでもこもことした、雪で形作られた兎である。
雪兎は兎らしく跳ね回っていたようだが、霊夢の御札が当たった瞬間、動きを止めた。そして暫くすると、ポロリポロリと雪が剥がれ落ち、中から薄ぼんやりとした兎がまた出てきた。
半透明な兎は呆けていたかと思えば、思い出したように動きを再開し、二、三度跳ねたところで姿を消した。
本当に、まるで地に落ちた雪が溶けるように。
「あーあ、霊夢に先を越されちまったなぁ。ま、兎一匹程度、すぐに追い付くけど――な!」
魔理沙が腕を横に振り切ったかと思うと、そこから星屑が一閃走った。
星屑は雪原を一瞬明るくしたかと思えば、これまた何処から現れたのか分からない、雪で姿を模した犬に当たっては砕け散った。
当たった部分から連鎖するように雪が溶け落ちる。その下には先程の兎と同様、色素を薄くした中型犬の姿があった。
耳を立て、鼻をピスピス鳴らした後、一声吠えると同時に明後日の方向に駆け出し、また溶けるように消えた。
魔理沙は自慢気な態度を隠そうともせず、霊夢に振り返って言う。
「どうだ」
「どうだ、って言われても……お見事、とか言えばいいの?」
「お前に言われても嫌味にしか聞こえないからやめろ」
「じゃあ何て言えばいいのよ」
「普通に悔しがってくれればいいんだよ。『見てなさいよ、魔理沙! 私だってそれくらいやってみせるんだから! ムキーッ!』みたいにさ」
「見てなさいよ魔理沙私だってそれくらいやってみせるんだからムキーッ」
「ははは、こやつめ」
これっぽっちも感情の籠っていない言葉に、思わず魔理沙の手から星屑が零れ落ちる。向かってくるそれを、霊夢はヒョイと避けてみせた。
雪狩りとはつまり、前の兎や犬のような形をした雪像たちが現れては、崩して回る行いの事である。
何故そのようなことをするのか。それは、雪像たちの素となっているのが、この郷で死んでいったものたちの霊であるからだ。
幻想郷は穏やかな土地であるが、未だに弱肉強食が適応される世界でもある。中でも、妖怪にたぶらかされた人や動物の死は郡を抜いて高い。
恨みを積もらせるものもいれば、自分の死に気づかないものもいる。それらは総じて地縛霊へと身を変え、この冬の時期になると雪を纏って仮初めの肉体とするのである。
それらは生前の行動を繰り返すだけの存在ではあるが、仮にも霊体であるので、接触した場合、生身の人間への影響は少なからず考えられる。
何より、自分が死んだ身であることを自覚していない存在ほど厄介な存在はない、というのが霊夢の言だ。万が一を想定して手を打っておくに越したことはない。
ちなみに、雪狩りという名称を考えたのは魔理沙である。罰当たり極まりないのが実に彼女らしい。
「しっかし、何だって花だの雪だのに霊って奴は集まるんだろうなー」
「雪も花も生まれては散って、消えてを繰り返すものでしょ? だから、生まれ変わりってのを無意識に望んでるのかもしれないわね」
「なるほど。だけど霊夢、巫女が生まれ変わりだの輪廻だとか、寺の思想に染まって大丈夫か?」
「いいのよ。乗っかる時には乗っかって、それ以外では自分の所の思想を売り付ければ」
「とんでもない奴だな、お前……」
言いながら御札を投げつけては、今度は人型の雪像を崩しに掛かる霊夢。それに半目を向けながら、魔理沙も負けじと星屑を散らす。
気づけば、二人の周りには大小様々な雪像たちが揺れていた。声に寄せられてきたのだろう。霊は人の声に集まるものだ。
尤も、霊夢と魔理沙にとっては探し回る手間が省けて好都合ではあるのだが。
「さぁ、成仏の時間だ」
「まぁ、私は勝負とかどうでもいいんでね。こいつがやる気だからって私を恨まないでよね」
瞬間、空気が静から動に切り替わった。
不意を突かれて絶命したのか、首が危うい角度に曲がった朱鷺の雪像がヒョコヒョコと動き回っていた。星屑が弾けた。
飢えか、病か。何れにしても身体を痩せ細らせた子どもの姿をした雪像は、無心で地面を掘り返しては口元に手をやって貪る仕草を繰り返していた。御札がその手を止めさせた。
外来人であろう、リュックサックとバンダナを身に付けた小太りの男をした雪像は、霊夢と魔理沙を見るなり(霊にしては珍しく)興奮したように駆け出した。そして、星屑と御札の両方をその顔面で炸裂させた。
星屑が舞い、御札が飛ぶ。それらは霊の未練を断ち、縛りの無くなった魂は現世を発つ。
別に誰に頼まれたことでもない。だけど、誰かがやらなくてはいけないことだから、やる。
霊夢は、博麗の巫女の役割としてか弱い人々を守る為に。
魔理沙は、理由は無いから楽しむという自分の欲の為に。
だから、湧いて出てくる無数の雪像たちを淡々と壊していく。
そうすると、中の霊たちは勝手に自覚していくのだ。あぁ、自分は死んだのか、と。
それを成し遂げる少女たちに情は無く、だからこその狩りなのだ。
霊夢と魔理沙は休みなく動き回る。
壊しても壊しても、雪像たちは湧いて出てくる。湧いて出てきた分、壊して回った。
割って、砕いて、止めて、溶かして、薙いで、祓って……浮かばれない彼等を成仏させた。
数えることなどとっくに放棄していた。そもそもが一々数字を数えることに向かない少女たちである。
『最後に壊した方が勝ち』――勝ち負けは分かり易い方が良い。
それでも、何となくで気づくこともある。この場合の魔理沙がそうだった。
「それにしてもまた沢山の有象無象が死んだもんだな」
「あんた、それ毎年言ってるわよね」
「そうかぁ? でも不思議なもんだ。これだけ死んでも郷は一向に静かになりやしない」
「そりゃあ、死ぬものもいれば新しく生まれるものもいるからねぇ」
「まぁ、ここに棲む連中の大半が人外ってのもあるけどな。あいつら簡単に死にそうないし」
「一人二人くらい消えてくれても構わないんだけどね」
霊夢の冷たい言葉に、魔理沙は苦笑いを浮かべる。
「そう言ってやるな。枯れ木も山の賑わい……老いぼれたちだって置いてやらないと可哀想だぜ」
「あいつ等は一向に年をとる様子もないけどね」
「そう。何時だって、老いるのは私たち人間の方だ」
魔理沙の声の調子が変わったことに霊夢が気づく。
「人間は老いる。人間の私も当然老いる。老いるということは死に近づくってことだ」
魔理沙の星屑がまた一つ雪像を砕いた。
砕かれたのは妙齢の女性だった。女性は宙に目を迷わせた後、正面に立つ魔理沙に向かって頭を下げ、消えた。
それを見ながら、霊夢は問う。
「死ぬのが怖い?」
「まぁな。この美貌を老いで失うのは余りに惜しい」
「ちんちくりんの癖によく言うわ」
「こら、頭を撫でるな……ふん、後になって私の魅力に気づいたって遅いぜ」
「はいはい、その時は袖にされてやるわよ」
あとそれも何度目よ、と霊夢は言うが、魔理沙は素知らぬ振りといった表情で佇んでいた。
一体どれだけの雪像を壊したのか。雪原は来た時と同じく、霊夢と魔理沙の二人だけとなっていた。
「死ぬのは怖いな、霊夢」
「そうかしら」
「そうだよ。だって、もうご飯を食べることも、お風呂に浸かることも、暖かい布団の中で眠ることもできないんだぜ?」
「それは、怖いわね」
「だろ? だから、私はあいつ等みたいに死ぬなんてのは真っ平御免だ」
魔理沙の言うあいつら等とは、彼女たちが壊して成仏させてきた者たちを指すのだろう。
「化生どもに食われて死ぬなんて嫌だ。病に臥せて床の上で死ぬなんて嫌だ。誰の記憶にも残らずに死ぬなんて嫌だ。一人で死ぬなんて――絶対に嫌だ」
霊夢は静かに語り掛ける。
「じゃあ、どんな死に方をお望みで?」
「私が望むのは、魑魅魍魎を蹴散らし、その手で人々の病を癒し、誰の記憶にも居残り続ける――そんな英雄みたいな、栄光ある死が良い」
「うん。あんたには似合わない」
「だろうな」
くすくすと小さな笑い声が雪原に零れた。
すると突然、地面が大きく揺れる。すわ地震かと思われたが違った。
揺れの原因は、二人の足元から勢いよく飛び出してきた。
「おおっ!」
「あらら」
雪を撒き散らし、柔らかく月光を跳ね返すそれは龍だった。
正確には龍の姿をした雪像だったが、元の大きさが大きさだけに、月下に照らされるその威容は凄まじい。
霊夢と魔理沙はポカンと阿呆のように口を開けて、その様を仰ぎ見ていた。
「こいつはまた、最後の最後で大物が出てきたもんだな」
「そうね。龍が死ぬなんてそうそうないから、相当な御老体だったんでしょうね」
「死因は何だろうな」
「老衰かもね」
「寝てたらある日ポックリってか。きっとそうに違いないぜ」
勝手な事を宣う人間の少女二人など気にもせず、龍は生前の動きをなぞるように冬の空を飛んでいた。
ただ、飛んでいるだけで離れようとしないのは、その身を地縛霊に堕としているからか。
随分と神格の高い地縛霊も居たもんだ、という魔理沙のボヤキも聞こえたかは定かではない。
「はぁー。龍だって死からは免れないんだ。足掻くだけ無駄なのかもな」
「不老だったり、不死だったりの奴らもいるじゃない」
「あいつらは立派な人外だろ。私は死ぬのは怖いが、人間として死にはしたいんだ」
「それはどうして?」
「さぁ、どうしてだろうな」
問いに魔理沙は答えず、代わりに顔を上に向けた。
その先にあるのは冷たい光を放つ月と数多の星を散りばめた夜空。そして、そこを悠々と泳ぐ闖入者の姿。
元が龍だとか、神格があるとか、そんな事は魔理沙には関係ない。
彼女にとって、今この場で動くものは等しく的である。
八卦路の射線と龍の巨体とが重なる。
夜の雪原に、魔砲の音が鳴り響いた。
# # #
「私の勝ちだな、霊夢」
「そうみたいね」
ドサドサと上から降り落ちる雪の塊など気にもせず、霊夢と魔理沙は暢気に言葉を交わす。まるで自分たちの上に降ってくるなんて、これっぽちも思ってない風だ。
そして霊夢の吐く言葉にも、勝負に負けた悔しさのようなものは欠片も含まれておらず、ただ結果を受け入れていた。
「もうちょっと悔しがったらどうだ?」
「だって――」
「悔しくないんだもん、だろ? 何度も聞いた」
「あんたのその言葉も何回目かしらね」
「そうかな?」
「そうよ」
「でも、こんな会話もいずれは出来なくなるんだよな」
「私たちには死が待ってるからね」
やっぱり死にたくないな、と魔理沙の口からぽそりと言葉が零れ落ちた。
それを拾うのは、やはり霊夢だった。
「例えばの話だけど、死ぬその瞬間、私が側に居たとしても怖い?」
「それなら怖くないさ」
「じゃあ問題解決ね」
「でも……」
「でも?」
「霊夢が私より先に逝くかもしれない」
「それは、あるかもね」
「その逆もあり得るだろ?」
「その可能性も十分あり得るわね」
「だから、怖いんだぜ」
魔理沙の言葉に、霊夢は「んー……」と芝居がかった様子で顎に手を当てた。
そして、少し悩んだ素振りの後、あっけらかんとこんな事を口走る。
「じゃあ、その時は一緒に死ぬ?」
そんな、晩御飯の献立への不満の有無を問うかのような調子で放られた言葉に、
「あぁ、それなら何も怖くないな」
魔理沙は似たような感じで頷いた。
「一人は怖いが、二人なら平気。当たり前のことだぜ」
「その当たり前のことに気づけないお馬鹿さんがいたみたいね」
「人間、恐怖を覚えると視野が狭くなるらしい」
「鳥目かしら? 夜雀の姿も見えないのに不思議ね」
「不安の芽は摘んでおかないとな。あと、冷えた身体には熱燗が必要だぜ」
「つまみには八目鰻を添えましょう」
「となるともう一羽ほど狩る必要があるな」
「今日は雪も降ってるから」
「店仕舞いを始める前に向かうとしようか」
「まったく、今宵は大忙しだぁね」
少女たちの笑い声が辺りに木霊する。
空の上で身を崩壊させつつある龍が非難するように唸るも、二人の耳にはもう届かない。
だだっ広い雪原に、二つの足跡が並び、ある所を境に途絶えた。
暫くすると、また雪がちらつき始めた。残された足跡も瞬く間に覆い隠される。
そこに少し前まで二人の少女がいたなんて事実はまるで無かったように。
少女たちは構わない。他人の目など知ったことではない。
隣にあるその人が見つめてくれさえいれば、それでいい。
自分本位でいい。自分勝手が許される。
ここは少女たちの幻想郷なのだから。
その夜、月光の照らす明るい空に、白黒と紅白の流れ星を見た。
セリフがちょっとカッコつけすぎかな、と思いました。面白かったです。
このなんとも言えない距離感がたまらないです
何の感慨もなく淡々と雪像を狩って回っていた彼女らは、少女の身にして既にその境地に至っているのかもしれず。そういう意味で、二人のことがちょっとだけ恐ろしくも見えました。
それはそうと、独りだけ異彩というか異臭を放って消えていったあのオタクはいったい誰だったんでしょうね……?
外来人は二人に会えただけで成仏できそうだなと思いました。
しかもこんなやりとりを何回も続けて来たんですね…!
酒で始まって酒で終わるのも幻想郷らしい
何が言いたいかというと「レイマリ結婚しろ」ということです。
良い作品でした。
こんな彼女たちと、それを色づける表現があるのだと。
雪狩りとは面白いことを考えましたね。だだっ広い雪原で少女がふたり雪像を叩き壊して回るというのも、なかなか立ち回りが楽しい構図です。まさしくシューティング。
背中を任せられる相棒はいいものですよね……
>2
ホラー色を出したつもりはなかったのですが……w ただ、そういった捉え方もあるのかと感心しました。
>3
ちょっとカッコつけな台詞を意識して書いているので褒め言葉ですわすわ。
>5
いつもありがとうございます。
>6
霊夢と魔理沙はこのくらいの距離感がちょうど良いのだと思うのです。
>8
そうですね。この二人は二人で完結している、みたいな話にしてみたかったので、そういった感想を抱いて頂けたのは嬉しい限りです。
>10
ありますあります。死って何でしょうね(哲学
>12
そら(霊夢と魔理沙に会えたら)そう(昇天もする)よ
>15
何度目のやり取りだったのかは二人だけの秘密です、きっと。
>16
龍とか雪狩りのアイデアは自分でも面白いなと思っています。お題をくださった白衣さんに感謝。
>17
ですよね。ありきたりと言えばありきたりですが、実に「らしい」締めだと思います。
>18
個人的に二人の絆は綿飴状だと思うのです。
>20
嬉しいお言葉ですが、私のはあんまり参考にならないかと思われw
>21
まぁ、そんな感じですね。
>22
ありがとうございます。
>24
また妙なツボをお持ちなことで。
>25
雪というものを滅多に見れない地方の人間なもので、雪原などを想像して書くのは楽しかったです。
>26
ありがとうございます。
とても美しかったです
二人ならば平気、互いがあればそれでいい、その天衣無縫な二人の世界観が素敵でした。
死ぬのは怖い、それでも二人なら怖くない。
とても良かったです。