§ 聖人たちの場合
ぬくい布団から跳ね起き0.3秒で半纏を羽織り底冷えする廊下を全力ダッシュして神霊廟の居間に五秒でたどり着いた私を待っていたのは、
「すみません太子様。この炬燵四人用なんですよ」
非情な現実である。
ありえない、こんなことがあっていいのか?
全知全能を司るこの宇宙全能道士が、部下たちに炬燵を占拠されてこんなクッソ寒い廊下で立ち往生しているなどと!!
「……そうだね。炬燵は四人用だ。だが待って欲しい。つまるところ一人誰かがそこから抜ければいいだけの話だ。さあそこを退きたまえ!」
「嫌です」
「嫌よ」
「イヤだ」
「……太子様、申し訳ありませぬ」
な、なんだって?
「……すまない、もう一度言ってくれないか君たち? よく聞き取れなかった」
「現実を認められないだけでしょう? 太子様が聞き取れないなんてありえないんだから私たちに同じことを二度も言わせないでください。無駄ですから」
申し訳なさげの片鱗も見せずにテレビのチャンネルをリモコンでつらつら変えながらそうのたまう屠自古。
馬鹿な、こんなことがあっていいのか?
全員がそろいもそろってこの聖徳王に対し反旗を翻すなどと。
いや、まあ屠自古は認めよう。あの子はそういう子だ。それに屠自古は私の妻でもあるわけだし? 私と一緒に炬燵にあたる権利があるだろう。
青娥は……まあ、許そう。一応は私の師でもあるし? それに邪仙があっさり人の良さを発揮したらその、なんだ、はっきり言って気持ち悪い。
だが芳香に布都、お前たちは駄目だ!
「いいかい芳香、いい子だから私に炬燵を譲りなさい」
「駄目だ」
かっちーん。
「……何故だい? 死体である君が炬燵で温まる必要はないはずだ」
「青娥にどくなと言われている。それにどいたらミカンに手が届かなくなる」
私<蜜柑か。
堪えきれず、クスクスと笑みを零す青娥。なるほどなるほど邪仙君。そんなに私がうろたえるのが可笑しいかね?
だが甘いぞ青娥、まだ手はあるのだ。
「布都。君は私の部下だ。ならば君はここは大人しく私に炬燵を譲るべきではないかね?」
「申し訳ありませぬ太子様、しかし屠自古に決して退くなと言い含められておりまして……」
「ほう。君はこの聖徳王の命令よりも屠自古の――」「太子様」
横合いから被せられる、屠自古の険のある言葉。
「太子様、この拾い物である外界の炬燵がどうして暖かいのだと思います?」
「そりゃあ、電気の力でヒーターが発熱しているからだろうね?」
「博識で結構。ではその電気はだれが発しているのでしょうね?」
「そりゃあ勿論屠自古だろう?」
「その通り。テレビが映るのも私のおかげです。で、太子様」
「なんだい?」
「パワハラで布都をどかしたらこの炬燵の電源切ります」
「Na・Ze・Da!?」
酷いや屠自古。君はそんなにもこの私を凍えさせたいというのかい!?
「太子様はこの炬燵にあたる必要はないからです」
蔑むように私を下から見下す屠自古の視線は、ああ――ゾクゾクしちゃう。本当に屠自古はこういう表情がよく似合う。
歓喜にうち震える私を前に屠自古は指であらぬ方を指差して、
「太子様、今日が何月何日かご存知ですか?」
「何日って……はっ!?」
屠自古の指の先、日めくりカレンダーが指し示すは12月25日!
ああくそ、嫌な思い出が走馬灯のように脳内を駆け巡る。
一年前、屠自古にそそのかされて極寒の中を走り回らされたあの日のことが!
「そう、聖人が働く日。一年のうちで『唯一』、太子様が労働に従事する日ですね」
「酷いや屠自古、私はいつだって勤勉に「だまらっしゃい」ハイ」
沈黙する私を前に、屠自古は炬燵の上の籠から悠然と蜜柑を一つ手に取った。
ヘタの裏っかわにズブリと親指を突きこんで、
「いいから我が夫を自称するなら黙って働け。家庭を養うのが夫の義務だろうに」
「屠自古。今はライフスタイルが変化しているんだ。夫が外で働き、妻が内を支えるっていう考えはもう古いんだよ」
「屠自古ですから。古くて当然です」
くっ、減らず口を!
だ、だがだよ?
「だったら布都と青娥も必要だろう? 誰がそり(磐舟)を操るんだい? 壁抜けなくして子供たちの眠りを妨げずにプレゼントは配れまいに!?」
勝った、勝ったね。完璧な攻め手だ。
これならば青娥と布都も炬燵から這い出さねばならなくなるはずだし、それを厭う二人は屠自古より私の味方となるを選ぶはずだ!
だっていうのに、
「今回トナカイは別途用意しておきました。青娥にやる気は期待できないし、布都だと太子様に逆らえぬようなので」
屠自古の言葉と同時に外から背後の御簾がめくり上げられて――なんだと?
「呉越同舟ではあるけど……仕方ないわね」
「まったく、何でこの私がこんなことを……」
トナカイの着ぐるみを纏った怨敵、雲居一輪と――確か……ナズーリン? どっちも仏教徒じゃないか!?
「クリスマスの理念を伝えたら聖白蓮は喜んで協力を申し出てくれました」
――貧富の分け隔てなく子供たちにプレゼントを配るとは素晴らしいことだと思います!!
ああ、そんなあの善人気取りの心からの声が聞こえてくるようである。
「雲山が雲そりとなり、ナズーリン配下のネズミたちが子供の枕元にプレゼントを運んでくれます。……今年はサボれると思うなよ、神子……!」
そう低く呟く屠自古の声は一年前、寒さのあまりサンタさんを中断して子供たちへのプレゼントの1/3をハクタクに預けて帰った私たちを非難するかのようで、ひぃ。
だから私には頷く以外の選択肢など残されていないと、今はっきり悟ったのである。
「今年も良い子用のプレゼントは既に私が用意して雲山に積載済みだ。とっとと行ってこい」
顔面にぺしりと投げ打たれた白いファー付きの赤い衣装。
それに慌てて袖を通し帽子をかぶり庭へ飛び出し、雲入道が変形したそりに腰を下ろすと、
「太子様」
「な、なんだい……?」
「ちゃんと配り終えて帰ってきたならば、今年はブッシュドノエルです」
プイ、と。そっぽを向いた屠自古が、僅かに頬を染めて。
――そうだ。
帰ってきたらケーキだ。
屠自古の手作りケーキだ。
「本物の丸太みたいに大きいのを、頼むよ?」
「ええ、思わずハァハァしてしまいそうなものを用意しておきます」
ふわりと、一輪とナズーリンの後に続いて、雲山そりが浮かび上がる。
「行ってくる」
「行ってらっしゃいませ、皇子」
うん、まあ。一年に一度屠自古の手作りケーキが食べられる。
そう思えばクリスマスもそう悪いもんじゃないかもしれないな。
「なぁ一輪、私たちが仕事を終えて帰った暁には何か報酬があるのかい?」
「こら鼠、善意に見返りを求めるな。見返りを期待してしまったらそれは善でも偽善ですらもない、ただの取引だわ」
善人どもがうっさいなぁ。妻からの報酬目当てでもいいじゃないか水を差すなよもぉ。
はいはい、私は未だ欲を捨てきれず天人にもなれない俗物ですよーだ、ふん!
§ 博麗霊夢の場合
寒風に乗って湖面を滑るように流れてきた鈴を転がすような歌声に、首を傾げる。
「誰が歌っているのかしら」
「わかさぎ聖歌隊ですね。姫に歌を捧げているのでしょう」
お尻の下から響いてきた回答に、「ふぅん」と頷く。
人魚たちか。人魚たちもクリスマスを祝うのね。
「でも人魚の歌って聞いても大丈夫なんだっけ? 海難事故にあったりとかするんじゃないの?」
「ご心配なく。クジラに海難事故はありません。事故に遭うのは船だけですゆえ」
お尻の下から響いてきた回答に、「なるほど」と頷く。
確かに海難事故に遭うのは船であればこそ、クジラには転覆も沈没も関係ないか。
「末席ながら私もただいま唱歌に加わらせて頂いております」
「メロンで?」
「ええ、メロンで」
このクジラ――最近霧の湖に幻想入りしてきたクジラ曰く、「クジラはメロンで歌うんだよ」ということらしい。
なんでクジラがメロンを持っているのかは、まぁ、考えたら負けなのだろうとは思う。
「霊夢様は」
「なに?」
「クリスマスを祝ったりはしないのですか?」
「祝う気があるならこんなところで釣りなんかしてないわよ」
水上に頭部を突き出して漂泊するクジラの頭に腰を下ろし、釣り糸をたらすクリスマスがどこにあるっていうのだろう?
それぐらい見れば分かるだろうに。
「お友達に誘われなかったのですね」
グギリ、とドリルのように鋭い言葉が私の心臓に突き刺さる。
まあ、その通り、では、あるんだけど。
「紫は冬眠中だし。アリスは魔界に帰ったし、萃香は地底だし。魔理沙は人里で理香子や阿求たちとクリスマスパーティーだって」
「霊夢様は、本当に誘われなかったのですか」
……早苗曰く、イルカと一緒に過ごすのは癒し効果があるらしいのだけど。
テレパシーのような超能力で心を読むとか読まないとかで気遣ってくれるとか。まぁ、眉唾だけど。
「……断ったの」
「何故に?」
「あいつは元々、里の子なんだし。里で楽しくやればいいの」
あの年で森で一人暮らしなんて、ホント、馬鹿じゃないの。
子供なんだから子供らしく里の庇護に納まって楽しい人生を満喫すればいいのよ。
「それに、私は仕事もあるし」
「仕事ですか」
「新入りが問題起こしてないか見回りするのも巫女の仕事だしね。もう幻想郷には慣れた?」
「それなりには」
ふぅん、と頷く。
前の万歳楽やこのお尻の下のクジラも含め、最近海の生き物がわりと幻想郷に流れ着くことが多い、のは、偶然なのか意図的なのか。
私としては紫が海を幻想郷へ移植する計画でも始めたのではないかと、ちょっと疑ってもいるのだけど。
なんて考えていると、湖に垂れていた釣り糸にグイと反応。
しなる釣竿をしかと握り締めて、エイヤと力を込めればさて、
「イカか」
「アオリイカですね」
びちびちと踊る、と言うか空中を這うかのようにうねる釣果は、またしても海の獲物。
もっとも霧の湖は紅魔館なんて混沌とした連中の領地だから、何が釣れてもおかしくないのだけど。
「食べる?」
「よろしいのですか?」
「釣りたてのイカは寄生虫がいるって、早苗が言っていたし」
「ありがたく頂きます」
身を乗り出して、ガバリと開いた巨大な口にイカをひょいと放り込む。
50cm近い大きなイカも、10mを超えるクジラの口に納まるとどうにも小さく見えて仕方が無い。
やはりクジラも同じことを実体験として感じたようで、
「大王イカ、とか、好敵手にて好物なのですが」
「へぇ」
「この湖にはいないようなのです。幻想入りしてはくれませんか?」
「多分無理じゃない?」
「何故です?」
「巨大な触手は少女の天敵だから危険なんだって。紫が言ってた」
まあ、正直言えば大王イカとか蜃気楼とか。
そんな巨大な軟体動物に出くわすのは私としても少女的に避けたいし。だから紫の判断は多分、正しいんじゃないかな。
「残念です。襲われる美少女を颯爽と救えたならばハーレムも夢ではないというに」
なにやらクジラも苦労しているようだけど、私にはどうでもいいことだし。
重要なのは、今日の夕食が釣れるか釣れないか、それだけ。
再度釣竿を操って、疑似餌をポチャンと水面に投下する。
「ハーレム、作れてないの?」
「姫に、アプローチはかけたのですが」
「それで?」
「大きさがあわないそうで」
「あっそう」
返答がなおざりになってしまったが、こればっかりは仕方が無い。
再び竿が引いているのだから。
しなる竿をむんずと握り締めて再度、竿越しの取っ組み合い。
「『アッ! アナタの大きくて太くて逞しくてステキ!』とはならないものでしょうかねぇ」
「私は無垢な少女で巫女だから、そういうのはよく分からないわ」
「残念です」
私との力勝負に根負けし、ザパンとしぶきを上げて水面に顔を覗かせたのは……キンメダイか。
ふむ、こいつが今日のお昼ご飯ね。中々の大きさだし、二匹目は必要ないか。
クジラが一言「ホエール」と呟くと、私が釣りを終えたのを確認したのだろう。
尾びれで水を蹴って霧の湖に漕ぎ出し始める。
七輪に火をつけて、うろこを落としたキンメダイを網の上に乗せる。
後は半ばで裏返すまで基本的にやることが無いから、脱力してゴロンとクジラの頭の上に寝っ転がる。
ざぁ、と遊弋するクジラが頭で水面を掻き分ける音が聖歌と重なって、耳に心地いい。
「クリスマスのサンタクロースか」
「興味があるのですか?」
「まぁね」
これがクジラの癒し効果なのだろうか?
普段は人に話さないようなことも、何か言いたいような気分になってくる。
って、そういえばなぜ海生生物で何故クジラだけがこうも人語を解しているのだろう?
「クジラは知性が高いのです。それと、」
「それと?」
「メロンのおかげです」
なるほど。
万能なのね、メロンって。
「サンタって、良い子のところにしか来ないんでしょ?」
「そのようです」
「ならサンタが来ればさ、それは聖人が私を良い子って認めたってことじゃない」
「良い子で、いたいのですか?」
「私だってそのくらいは気にするわ。世のため人のため、妖怪を退治する巫女は果たして良い子なるや?」
昼下がりの曇天を見上げて溜息をつく。
物心ついたときから妖怪退治。
説得を無視して暴れる妖怪はどいつもこいつも私より弱いから、辛いと思ったことなんてないし。
気付けば馬鹿だけど相棒みたいな友達もいて、なんだかんだで幸せだけど。
キンメダイを、網の上で裏返す。
「幸せだけど、幸せでいていいのか分からなくなる。何かを傷つけるのが仕事の私は、悪い子として幸せになっているんじゃないか」
そう、魔理沙まで巻き込んで。
だから私は答えが欲しい。
私は良い子であるから幸せなのか。
それとも私は他者の傷口から幸せを啜り取っている悪い子なのか。
紫は答えをくれない。紫にとって、巫女は守るべき存在だから。
里人も私に答えをくれない。多くの力なき里人にとって、妖怪を退治する私は絶対正義の存在だから。
魔理沙も私に答えをくれない。「人生は楽しくやればいいんだぜ!」としか言ってくれない。
唯一答えをくれた四季映姫は、『仕事だからとて妖怪を退治しすぎるは悪』と言ったけど。
この妖怪溢れる郷ではひっきょう妖怪をひっきりなしに退治せざるを得ないし、それが悪というならば巫女という存在自体がそも悪じゃないの。
それに私はただ一人の忠言を絶対と信じることもできない。
例えそれを口にした相手が、神だったとしても。
それでも、答えを出してくれたのは今のところ一人だから、今の私はつまるところ「悪い子」の分類。
「クジラには狩りを良し悪しとする区別ができませぬ。敵味方の区別はできるのですが……たぶんそれはより高位の意識がなせる業なのでしょう」
「そう、なのかもね」
クジラには、分からないかもしれない。
野生の生き物は、動植物を殺して喰わねば生きていけないのだし。
殺すことをやめた瞬間に、弱肉強食の世界では敗者の地位に零落れるんだから。
「なので、殺さねば生きられぬ私は霊夢様を悪い子とは言えませぬ。良い子とも、言えないのですが」
「そう、ありがと」
「何故お礼を言われるのでしょう? 私は答えを出していないのですが」
「高位の意識がなせる業よ」
「ホエール」
気がつけば、キンメダイは良い具合に焼き上がっていた。
七輪の上からキンメダイを掻っ攫って軽く醤油を垂らし、がぶりと腹に齧り付く。
口の中にどこか生臭く塩臭い、魚介の味が脂と共に広がっていく。
結局のところ、悩み、惑ったとて私は今の生き方を続けるのだろう。たとえ、悪しと定められたとしても。
だが、それでも私は追い求めざるを得ないのだ。
良いとか悪いとかが、たとえ自然の摂理ではなく社会の中でしか意味を持たない概念だとしても。それでも私は、答えが欲しい。
そうでなくては私という存在は、どうにも宙に浮いたままになってしまうから。
「聖人」
「ん?」
「来るといいですね」
「去年は来なかったわね。何故か代わりに慧音がプレゼントくれたけど」
去年はサンタが来た、って里では騒ぎになっていたし。
そういう意味では私はもう、悪い子確定なのかもしれないけど。
「慧音さんとやらは聖人ではないのですか」
「あれは善人よ。悪い子でも見捨てない、ね」
「ホエール」
しばらく御互い無言で湖をゆらゆら行き交っていると、ふいにけたたましいラッパの音が薄霧の向こうから聞こえてくる。
「何かしら?」
「お嬢様のご出立のようです。見に行かれますか?」
「ん」
たん、とクジラの頭を叩くとクジラがざざあと加速して、みるみるうちに私たちは赤い館へと近づいていく。
見れば紅魔館の正門が開門され、頭を下げる美鈴を脇にレミリアが威風堂々、水牛――馬じゃないのね――に引かれた荷車と共に出かけていくところだった。
流石は妖怪というべきか。近づいてくる私たちに、荷車を操るレミリアは気がついたみたいだった。
こちらを振り向いて「おうい」と声をかけられれば仕方が無い、無視するわけにもいかないのでクジラの上で身を起こす。
「どこ行くの?」
「今日のパーティーのメインディッシュを狩りに、な」
ちょっと忌々しげに顔を歪めたレミリアは、ふと気がついたかのようにうんうんと頷いて、
「霊夢も暇なら参加していけ。無礼講だ。楽しい夜になるぞ?」
「悪魔が聖人の誕生日を祝うわけ?」
「When in Roma, do as Romans do、さ。この国ではただのお祭りだろうに?」
「違いない」
苦笑を返し、しかしパーティーのお誘いか。
ちら、とお尻の下に視線を向けると、
「私は、夜はわかさぎびとたちとのダンスパーティーがありますので。ゲストに永江衣玖さんをお呼びしているのです」
「そっか」
こいつが一人だったら、当てこすりみたいで気分が悪かったけど。なら、別に問題はないか。
釣具と七輪を抱え、ふわりとクジラの頭から浮かび上がって、湖畔。紅魔館の正門近く、レミリアが操る荷車の傍へと着地する。
「じゃ、がんばってらっしゃい」
「うむ。成果を期待しているがいい」
結局、なんだかんだでクリスマスの予定はできちゃったわね。
片手を挙げて威風堂々と、レミリアがガタゴト。湖畔の道を山目指して進軍していく。
その後ろ姿が豆粒ぐらいになるまで見守ってから、クジラと顔を見合わせて、
「「それでは、楽しい夜を」」
「メリークリスマス」
「I wish you a merry Christmas!」
妙に流暢なクジラの発音は、まぁどうせメロンのおかげに違いない。
さて、パーティーか。でもまあ遅くなる前に切り上げないと。
サンタさんが、家に来るかもしれないしね。
§ レミリア・スカーレットの場合
「おのれ、サンタなんぞクソ喰らえだ!!」
枝を掻き分け、ともすれば脛まで埋まってしまう雪を踏み分けつつ走る。
後ろを振り返っている余裕はない。そんな暇はない。
急峻な斜面を一足で飛び降りて即座に木の洞に身を隠し、ホッと一息。
震える手でボルトハンドルを起こして引き、排莢。
かじかんだ手が、腰の弾帯からつまみ出した弾丸を雪の上へ「クソッ!」取り落としてしまう。
ままならぬ手を叱咤しつつ弾を拾い上げ、銃に詰め込んで再度ボルトを押し込み、ハンドルを倒して薬室を閉鎖する。
「まったく、勝手が違う……」
聖人の加護というやつなのだろう。
幻想郷全体が今日というこの日は聖なる空気に満ち満ちていて、悪魔たるこの身を容赦なく蚕食してくる。
故に今日の私は無限の再生力や怪力はおろか、魔弾の一つも放つことがままならない小娘に過ぎない。
故に頼るのは銃。ただし外界の銃は吸血鬼異変で武装解除した際に全て破棄してしまったから、使えるのは里人と同じ程度のものしかない。
「奴は、どこへ行った」
木の洞からそっと這い出し、村田銃の銃口をこれまで辿ってきた道なき道へと向けるが、敵の姿はどこにも見当たらない。
一直線に敵を追う暗愚とは違うということか。流石、とだけ言っておこう。
狙撃銃の引き金から指を離し、目と耳に意識を集中しながら左右を見回すが、視界いっぱいの深雪である。
雪は今も降り続いていて視界は悪く、僅かな物音すらも雪に吸着されているかのごとくに世界に溶けて消えていく。
「だから、白は嫌いなんだ。紅こそが世界を染めるにふさわしいというに」
樹木によりかかかって、痛む脇腹に手をやる。
先刻自分の今の力を迂闊にも忘れ、獲物に近づいた際に蹄の一撃を喰らった箇所。そこがズキズキと激しく痛む。
肋骨は、折れているだろう。臓器に刺さっていないのが唯一の救いか。
やはり、咲夜に任せるべきであったか。
そんな頭に浮かんだ弱音を首を左右に振って振りはらう。
咲夜は今パーティーの準備で忙しいのだ。これ以上仕事を増やしてどうする?
「ネズミめ、ネズミめ、ネズミめ、畜生、駆逐してやる!」
元はといえば、サンタさんと称してうちを訪れた阿呆どもを招き入れてしまったのが悪かったのだ。
何がサンタさんだ。クリスマスプレゼントと引き換えにパーティー用の七面鳥を喰らい尽くしていく奴があるか!!
畜生、ナズ何とか、愚か者め! 頭の悪いネズミの群れなんぞを部下として使役しているからこんなことになるのだ!
クリスマスパーティー、クリスマスパーティーだぞ!?
当日にいきなりメインディッシュが全滅とか、ありえないだろうに!!
貴様がいくら配下の不始末に頭を下げて謝罪しようと、喰われてしまった物は元には戻らぬのだぞ!
などと、狩場で考えている私こそが真の愚か者だったのだろう。
「……ぁ」
横っ腹に深々と突き刺さる、禍いなす枝の如き角。
それを引き抜くよりも早く、相手の首のバネだけで私は軽々と空に投げ出され、そして――ああ、下が雪で実に良かった。
ざく、と積雪の上に落下する。
――ィイイィイイイイ!!
木霊する、獣の咆哮。
深雪に蹄を突きたて、口から白い湯気を吐いて血濡れの角を武器にこちらを威嚇する牡鹿が、
「舐めるなぁッ!!」
炸裂音。
とっさに引き金を引いた村田の銃口から吐き出された11mm弾が唸りをあげて鹿の――
「なんだと!?」
この足場の悪い雪に覆われた急峻で奴は放たれた弾丸を、否。
弾丸が放たれる前、銃口と銃身が示す射軸を把握して、弾丸の射線から見事身をかわしてのける。
「化け物め」そう毒づきながら背負っていた予備の村田を引き抜くと、奴は即座に身を捻り乱立する木々の向こうへと姿を消してしまう。
「クソッ!」
毒づきながら予備を背中に戻し、再度薬莢を排出。
やはり、手ごわい。
500kgを超えるだろうまでに成長したその角鹿は、恐らく幾多の狩人を蹂躙して生き延びてきた猛獣。
銃を相手どるににいささかの躊躇いも見せないその振る舞いは、一体どれだけの人間を血祭りに上げてきたのか。
だが、その大きさ、その肉の量は今晩のパーティーのメインディッシュとなるに足りて余りある!
貴様は今日、ここで私の手によって狩られて、紅魔館の宴を彩る肉となるのだ!!
「グレービー、グレービーソースだ……」
やることは唯一つ。
銃に弾を込めてハンドルを押し込み、再度の射撃準備。
やることは唯一つ。
狩るのだ。
やることは唯一つ。
狩って帰るのだ。
弾を込めろ。
狙いを定めろ。
引き金を引け。
銃口から弾丸を吐き出して、獣を物言わぬ躯へと変えろ。肉へと変えろ。
それが貴族。
それが吸血鬼。
それこそがこの私。
「レミリア・スカーレットである!!」
背後に振り向きざまの発砲。
秒速600mの弾丸が狙い過たず、螺旋を描いて牡鹿の胴体へと吸い込まれて紅い孔を穿つ。
命中、しかし、
――ィイイィイァアアァアア!!
衝撃。
振り下ろされる二つの蹄から顔を庇った腕の骨が、悲鳴を挙げる。
折れなかったのは幸運か運命か。
背中の村田を引き抜く余裕も無く退がる私に、追いすがる巨体。
振るわれる角が、容赦なく私の柔肌を食い破って腹を、腕を真っ赤に染めあげていく。
だが、
「紅い悪魔を、舐めるなと言った筈だ!」
腰から弾丸を一つ引き抜いて奴の腹に潜り、弾丸を腹に突きたてて僅かな魔炎を帯びた一本拳で――殴りつける。
現在の我が細炎にも点火薬は辛うじて反応してくれたようで、薬莢から飛び出した弾丸がゼロ距離で牡鹿の腹を掻き回す。
これはかなり効いた筈、だろうが次に迫った後ろ足に蹴りつけられた私のほうが、よっぽど効いたかもしれぬ。
「っく、今度は、刺さった、な」
折れた肋骨が痛む。聖性のせいで再生もままならぬ内臓が。
銃はどこへ行った?
手元にはない。
バキリ、と鈍い音に眼をやれば、牡鹿の蹄の下で村田の木被が真っ二つに圧し折られている。
「強い……上に、賢しい」
知恵。
銃を無効化する知恵。銃を敵と看做す知恵。
それはこの牡鹿が生き延びるために身につけた知恵に他ならない。
生きる為に?
生きる為に。
そうやって生き延びてきた、生き抜いてきた牡鹿を私は殺すのだ。
パーティーの為に殺すのだ。
ただ一夜の喜びの為だけに殺すのだ。
何という傲岸不遜。厚顔無恥。
貴様にそんな権利があるのかレミリア・スカーレット?
思い上がりも甚だしい。
小娘が。
己が享楽にふける為に歴戦の勇者を屠り、辱めて宴の肴と成すか!?
「否」
雪に塗れた頭を振る。
断じて否である。
己が楽しむためではない。
宴会はこれまで共に館を支えてきた家族を、部下をもてなすために開くのだ。
彼らに感謝を伝えんが為にこそ私は今戦場に立ち、血を流しているのだ。
宴には、それに見合った華が必要だ!
「肉となれ……」
極寒の吹雪の山に、二人。にらみ合って口から熱い命の熱を吐く。
勝つのだ。
勝って、狩るのだ。
奴は死にたくはないだろう。
されど私とて緩やかな衰退の果てに死にたくはない。
説教は不要。聖者も善人も神も道徳も沈黙を以って我らの前に頭を垂れるがよい!
我らは戦の果てにただ生を望むが故に、血を流すのだ。
「死ね、ただ死ね。私たちのために死ね。貴様の未来は牡鹿のグレービーソースがけだ!!」
――死ぬのは貴様だ、小娘。
牡鹿が唸りをあげる。
角を振りかざし此方を睨む。
予備の村田を抜き放つ。
同時に牡鹿が雪を蹴る。
雪崩のような突進、突撃。
ふと思い出す、里人が口にしていた山の主たる牡鹿の名前。
――このスノゥスライドが、貴様を屠る!!
「Snowslide……雪崩とはよく言ったものだ。心にこの銘を刻むがよい、貴様を打ち倒す鬼の名を! レミリア・スカーレットである!!」
足元の積雪をものともしない速度。故に雪崩と。
迫る巨体へ向けて引き金を引く。
発砲。
その負傷で、この距離でこれを躱すかよ!?
だが!
「甘いのだよ!!」
左手で腰からエンフィールドを引き抜いて、撃鉄を起こす。
虎の子たる中折れ式拳銃の銃口を向けられたとて、敵の歩みは乱れもしない。
一発、火を噴く。
二発、三発。
牡鹿の突撃は止まらない。
四発、五発、六発。当然だ。雪崩が弾丸で止まるものか。
素早く銃を折って排莢。右手に掴んだクイックローダーで再装填。
「撃ち抜くッ!」
クイックローダーを投げ捨て一発。
両手で銃を構えて二発。
これで、三発。
これで……四発。
これで――五発。
これで、
「死ねぇえ!」
至近の眉間めがけて放った六発目。
角が折れる。弾丸が右角に当たって、いや、当てられて逸らされる。眉間狙いが、外される。
ニィィと牡鹿が、口元を歪め、
――死ぬのは貴様だったな!!
「いいや、死の運命は変わらないッ!!」
太腿のホルスターから引き抜いた、咲夜愛用の大振りの銀のダガー。
スノゥスライドの瞳が驚愕に揺れる。
「愚か者が!!」
角を欠いては、戦鬼で居れぬわ!
迎撃すべき武器を失った相手の左正面から、
「オオオオォオオオオオッ!!」
ダガーを掴んで、突撃。
横一線に切り払う。
一瞬の、交錯の後。
背後で、ドウと巨体が倒れる。
勝利を確信した途端、握ったダガーが妙に重たく感じられて、だらんと手を下げる。
肉が裂け骨も見えているこの腕と腹の出血は、帰るまでに手当てをしておかないと咲夜が泣くだろう。
重い腕でダガーを戻し、投げうった村田を拾い上げ、再度。
単発式の猟銃に再度、一発だけの弾丸を仕込む。
倒れ伏し、首から血を流すスノゥスライドのもとに歩み寄って、
「言い残すことはあるか」
スノゥスライドの遺言は簡潔だった。
――いつか、貴様も狩られるがよい。
「本懐である。鬼が死するは戦場以外無き也」
――ならばその日まで壮健なれ。先にあの世で待っているぞ。
「ああ。さらばだ」
引き金を引く。
「生きるというのは、大変だ……な」
牡鹿を引きずって麓まで下り、荷車の荷台にドンと、それを横たえる。
御者台に腰を下ろすと、牽引の水牛がこちらを心配するように「まぁーう」と鳴いた。
「心配は不要だ、さぁ、帰ろう」
ペシと水牛の背中を叩くと、荷車がゴトゴトと動き出す。
帰ろう、紅魔館へ。
これから始まるは、盛大なクリスマスパーティーだ。
「メリークリスマス。楽しまないとな。生きてるんだから」
あけましておめでとう御座います
三者三様、楽しいクリスマスでした。
個人的には2つ目の霊夢と3つ目のレミリアのお話が好みですw
吸血鬼vs牡鹿の、ここまで激しい戦闘描写が見れるのはこの作品くらいなものですよ……!
いいキャラですね
漁の次は狩りとか何してんだこの人w