● 棒
いきなりの自分語りで恐縮だが、僕の能力は『道具の名前と用途が判る程度の能力』ということに、一応はなっている。というのはつまり幻想郷縁起という書物の記述ではそうなっているという意味だ。
実のところは少し違う。いや、どうだろう。本当は大きく違うかもしれない。
思考という本来全てから独立しているはずのものが、実際はほとんどの場合で言葉に縛られるように、幻想もまたある意味で言葉の奴隷だ。僕の能力も人間によって言語化された結果『道具の名前と用途が判る程度の能力』と言う事になっているのだが、果たして人間は自らの能力を言語化した事はあるのだろうか。例えば大工は技能職で、誰でも出来るというものでもないだろう。つまり一種の異能である。ではその能力を言語化するとどうだろう。『家を建てる事ができる程度の能力』だろうか。しかし、この言葉は実際は何の意味もなさない。掘っ立て小屋も家だというのなら、殆どの人間がその能力を持っている。例えが重なって申し訳ないが、仮にその大工が竃を作ることが出来ないとしたらどうだろう。竃は家の象徴だし、竃が無いならこれは家ではないと言う人だっているだろう。ならばこの大工の能力はどうなるのか。そもそも異能とは何に対して『異』なのか。ああ、違うんだ。個性を承認してほしい癖に異質を嫌うという人間の我侭さであるとか、常識という奴の胡散臭さであるとか、そういう話がしたいんじゃないんだ。
つまりだ、言語化に意味など無いと、僕はこう言いたいのだ。よく湖の館の吸血鬼の能力が謎めいていると人は言うけれども、何者かの能力を言語化するなんて、どだい無理な話なんだ。さっきの大工に限らず能力の正しい説明なんて誰にも出来ない。僕も自分の能力を言葉で説明することが出来ない。これは人間妖怪関係ない。言葉というものの限界なのだ。
だから、僕が『何か』を視て、その名前や用途が不正確だったり、誤っていたりしたとしても、僕が嘘をついているという訳ではないし、僕が無能だという訳でもない。僕にはこの棚の隅にある金属の箱は『パーソナルコンピュータ』で『情報を収集し、処理する物だ』というのが判る。それと同じように、木の棒を一本手にした人に「これはなんという名で、何に使うものだろう」と訊かれても、僕には「さぁ。わかりませんね」と答えるしかないのだ。その尋ねた人が許してくれるならば、僕は言葉を継いで言うだろう。
「これは僕には何の能も無い木の棒にしか見えません。しかし、ある人にとってこれは孫の手のように背中のかゆい所を掻く物でしょうし、ある人にとっては戸のつっかえ棒でしょうし、又ある人にとってこれは杖になるでしょう。もしかすればある人の幸運のお守りかもしれませんし、又ある人の怨念を込めた呪物かもしれません。燃やせば汁物を温めるのにだって使えるでしょう」
僕の『道具の名前と用途が判る程度の能力』というのは、こういうものなんだ。
◇◇◇
その日、香霖堂のドアが開かれた時、店主はため息を一つついて読んでいた外界の雑誌から目を上げた。ドアに取り付けられた鈴の音の調子はドアが酷く乱暴に開かれたことを訴えていたし、その拍子に外から吹き込んできた桜の花びらが店主のカウンターのすぐ傍まで届くほどだったから、誰が来店したのかもう判りきっていた。
「よう香霖。相変わらずだな」
「相変わらず、何だというんだね」
魔法使いの第一声はあまり礼儀正しいものではなかったが、店主の方は渋い顔をしつつも雑誌を閉じて客ともいえない来客の方に向きを変えた。動作の端々に退屈な読書から開放された喜びが滲んでいると言えば、きっと店主は否定するだろうが。
齢若い魔法使いが店主のいるカウンターの傍まで来たとき、それまで薄暗かった店内がいっぺんに明るくなったかのようだったが、慣れている店主はそれが店のドアが開きっぱなしであるせいだと承知している。
この魔法使いは月に一度ほどの割合で箒にズタ袋を結びつけて彼の店にやってくる。中には彼女の秘宝殿、つまり自宅の一階だが、そこから選び抜かれた(つまり不要と判断された)品々が詰っている。店主はそれに値をつけ買い取ってやる。今もまた魔法使いはカウンターに袋の中身を広げ、あれこれと並べている。不要と断じてなお愛着でもあるのか、彼女はいつもバカ丁寧に大きさや材質で分類して綺麗にカウンターを飾るのだ。無論、より良い値がつくことも期待しての事だろう。今回の不用品はだいぶ多いようだった。
「今回は随分と多いね。今月は苦しいのかい?」
「ああ? 余計なお世話だぜ。気になるなら買値に反映してくれ」
「しかし……ゴミも多い」
「だろうな」
「承知の上かい。だったら拾うときに判断したらどうだね。ゴミを貯めるのも運ぶのも君なのだから、君はゴミ相手にだいぶ労力を使っている。おまけにだ、ココに運び込まれたゴミを捨てるのは僕なんだよ」
「お前な、物拾うときに『アレに使えそうだ』とか『こう使ってやろう』とか考えて拾うのかよ」
「そうだよ。普通はそうするんだ。物を拾ったり買ったりする時常人はそう考えるのだよ」
はぁーっと大きく溜息をついて、魔法使いは肩をすくめた。まるで「わかってないなぁお前も」とでも言いたげなふうだ。片手に持った箒が揺れて、それに紐で結び付けられたソレも揺れた。
「ところで、ソレは何だい?」
「ああ? コレは売らんぞ」
「売ると言われたって買わないよ。ただの棒じゃないか」
箒の先で揺れているのは一尺半ほどの木の棒だ。太さは一握りほどで、綺麗に皮で覆われているから、棒というより枝と言うほうがいいかもしれない。
「ただの棒って、お前な」
そこでまた魔法使いはわざとらしい溜息をついて「見る目ねぇなぁ」と今度は声に出した。
「僕の見る目は確かだよ。ただの棒だよそれは。枝と言ってもいい。桜の枝だね」
「バカだな香霖。見ろこの感じ。いいだろう?」
そう言って魔法使いは箒からそれを外して両手で剣のように構えた。
「そう言われてもね」
「木の枝にしては真っ直ぐだろう。でも人工物のそっけなさは無い。微妙に曲がってるんだ。良い感じだろう? 長さもちょうど良い、長過ぎず短過ぎず。それにこの太さ、吸い付くみたいに私の手にぴったりなんだ」
「……そうかね。君が何を気に入ろうが君の勝手だから、まぁいいんだが……」
「売らんぞ」
「買わないよ。そう言っただろう」
呆れ顔の店主がカウンターの上のガラクタに値をつける間、ご機嫌な魔法使いは棒を撫でたり、眺めてニヤニヤしたりしていた。店主もガラクタを拾うことに掛けては他人の事は言えないという自覚はあったからそれ以上何も言わなかったが、それにしてもこれは重症だと思わないでもなかった。
◇◇◇
森の魔法使い、霧雨魔理沙は里にいる。懐に余裕ができたからだ。それも思っていたより随分多い余裕だった。哀れんだ道具屋の店主が値に色を付けてくれたのかもしれないが、そんなことはどうでもよい。魔理沙はまず貸し本屋に面白そうな本はないかと立ち寄り、甘味処で紅魔館で味わうのとはまた違った、餡の甘みに舌鼓を打ち、実験に必要な道具やら、日用品やらを買い、ただ目を惹いただけの雑貨も買い込んだ。
幻想郷の名物魔法使いが機嫌よくあれもこれもと買ってゆくものだから、店の者もつい口が軽くなって世辞を言ったり立ち話になったりする。そうなると、皆気になるのだ。棒切れを持ち歩く魔法使いが。
「箒のうえにそんな棒まで持って、どうしたんだ」会う人会う人が尋ねる。
魔法使いは「いや、この棒は、ホラ、何かいいだろ。実にいい。逸品だぜ」などとよくわからない事を言って棒を振ったりする。
「ははぁ、逸品かい」
「おう。いいだろ?」
何の役に立つんだ、どこが逸品なんだと重ねて訊かれれば、大した答えは無い。実際のところ、それはただの木の棒で、他の木の棒ができるようなことしかできないし、木の棒ができないことは何一つだってできない。その事は持ち主だって良く判ってるのだ。
しかし、魔理沙はそうは答えない。
魔理沙はもうここ数日、その棒を肌身離さず持ち歩いてるくらいなのだ。気に入ってる品を腐すのは誰だって嫌だし、なにより魔理沙は見栄っ張りだ。幻想郷に知らぬ者はない魔法使い、霧雨魔理沙が肌身離さず持ち歩くようになった新たな逸品は、実はただの棒切れであるなんて格好がつかないのだ。
それで魔理沙は「へへへ。それはまぁ秘密だな」などと勿体つけたりしていた。
◇◇◇
それから何日か経った暮れの頃、魔理沙は森の上を飛んでいた。箒の下には例の木の棒が風に揺れている。
昼間一日あれこれとやって、さて晩飯でも食うかという時にはたと気が付いたのだ。せっかく懐に余裕があるのに、それを人間の最も大事に、つまり食事に使っていないと。勿論、干物やら米味噌やらは買ったのだが、そういうものではなく、現金がないと食えない物というのもある。懐の余裕はもう然程も無いが、それでも魔理沙は珍しい物を食おうと里に向かっていた。と言ってもせいぜい蕎麦かうどんかといった所である。幻想郷で珍しい食い物といえば洋食と言う事になるが、そちらは飽きるほど食べているのだ、自宅でではないが。
花の季節とは言え、上に行くとまだ寒い。風もあった。魔理沙は木々をかすめる様な飛び方は好きではないが、進んで寒さに身を晒そうという気もない。急いでいるわけでもないから、ゆったりと飛んだ。後から考えれば、呆けていたとも言えなくもない。迫ってくる妖気に直前まで気付いていなかったのだから。
妖気の弾丸が箒の先をかすめ、魔理沙はもんどりうって危うくそれを回避した。驚いたのと慌てたので妙な声がでた。体勢を立て直して見ると鹿の皮と蓑をまとったいかつい体躯の妖怪が、森の木の上に蹲っている。闇に紛れて顔までは見えないが瞳の光で隻眼なのがわかった。
「いきなりご挨拶だな、おい。名乗れよ、待ってやるから」
「そうだな、癸の坊とでも言っておこう」
しわがれ声が返って来て、どうやらただの弾幕決闘では済まないかもしれないと、魔理沙は考えていた。
「ああ? そんだけか? いきなりぶっ放しといて格好付けやがる」
「はッ! お前等のやる決闘ごっこなど知ったことか。さっさと――」
相手の跳躍の瞬間、魔理沙は魔力を噴出させて上方へかわす。
「それをよこせ!」
癸の坊は魔理沙がいた場所を寸分たがわず爪で切り裂いていた。言葉通りにその攻撃は弾幕ですらない。
「寄越せだぁ? なんだ? 肝か?」
また樹上からの跳躍。魔理沙は舌打ちして更に上空に距離をとった。相手は『ごっこ』がしたいのではないらしい。となれば危険は怪我では済まないかもしれない。とは言え、魔理沙の舌打ちは上空の寒さへのもので、癸の坊に対してではない。右手の炉には十分に魔力が充填され、火傷しそうなほどだ。いきなり斬りかかってくる様なヤツに遠慮も要らない。
魔理沙が上空に距離を取ったせいで、次の癸の坊の跳躍は魔理沙の真正面から突っ込むことになった。幾ら瞬間速度が速かろうがもう関係ない。正対した魔理沙が八卦炉を構え、癸の坊は光の大砲に突っ込んだ。
下向きに放たれたマスタースパークが森の木々をなぎ倒し、巻き起こった土埃が収まるまで、しばらく待った。上空から目を凝らしても深くなりつつある夕闇と木々の陰のために、魔理沙の眼では癸の坊を見つけられなかった。魔理沙の優位が飛行による機動力にあるのは明白だったから、地上に降りるのは論外である。癸の坊の攻撃は大した脅威では無かったが、しかし妖怪に『本気で』襲われたという事実は重大だった。魔理沙はちらと遠くの里の灯に目をやり、それから箒を魔法の森の自宅に向けた。蕎麦はお預けかとまた舌打ちをした。
『本気』の相手に里の掟の有効度を計るような真似はしたくない。自分が蕎麦を食いにいったせいで巫女が引っ張り出されるなどというのは願い下げだった。引っ張り出された巫女は仕事を完遂しなければならないのだ。まったく冗談じゃない。
魔法使いは遥か上空をいく。寒さに身を縮ませながら。
「それで、アイツは何が欲しかったんだ?」
◇◇◇
「備えを完了した魔法使いは最強だ」というのは知り合いの書痴の台詞である。魔理沙の魔法は弾幕戦での火力と派手さに著しく偏重しているから、他の魔女達のような便利も融通も利かない。なにせ家事をやるにも火をおこす位にしか魔理沙の魔法は役に立たないのだ。その自宅は魔女の城というには罠も仕掛けもない。慌てて帰って魔法鍵と妖気に対する警報装置くらいは設置したが「備えを完了した」とは言いがたかった。
槍を手に敵を待つ侍のように箒片手に仁王立ちしてしばらく過ごしてみたが、警報装置は音沙汰も無い。しばらくすると魔理沙も「アレは何かの間違いだったのかも知らん」と馬鹿らしくなって二階の寝室に移った。それでもなおしばらくの間、ベッドの上で胡坐をかいてまんじりもせずにいたが、眠い目を擦っているうちにいつの間にか横になって、気付けば昼まで眠っていた。
身支度をして、すぐ森に入った。あれこれ考えながら、足りない触媒やら追加の探知罠の材料など収集して過ごした。瘴気立ちこめる魔法の森に妖怪は殆どいないし、ましてや太陽輝く真昼間だからなおさらである。陽の出ているうちに夜への備えをしなければならない。
昨日襲ってきた妖怪癸の坊はどうも魔理沙の持ち物を、もしかすれば肝やら脳みそやらかもしれないが、狙っているらしい。どういう経緯でそうなったかはまるでわからなかったが、向こうからやって来るというなら難しい話ではない。来たヤツをとっちめて話を聞けばいい。睡眠時間は短くなかったが服を着たまま変な姿勢で寝たものだから、疲れは全然取れてない。そんな状態でも魔理沙の気力は充実していた。日常が吹き飛び待望の非日常というヤツがやって来たのだ。「へまなど踏むものか」「とっちめるのは問題ない。問題は逃がさず捕らえる事だ」ぶつぶつ言いながら森をうろついた。
宵闇の時間が来て、魔理沙は臨戦態勢を整えた。台所で飯を食う際も箒を放さず、周辺に仕掛けた探知罠のチャートを睨み、たまには目視で外を確認した。そうしている内に殆ど満ちた月は南中し、更に少し経ったとき、探知罠が反応した。
正直に言えばその時魔理沙は涎をたらして船を漕いでいたのだが、鈴の音とチャートに点った赤い光に飛び起きた。箒を取って八卦炉の触媒を確かめる。帽子を被って準備ができたら、後はやるだけだ。まだ外には飛び出さない。慎重に、相手をひきつけ一発で決める。ことは弾幕決闘ではないのだ。
チャートを睨んで相手の出方を探っていると、取り付けられた鈴がまたチリリと鳴る。赤い光がもう一つ増える。そうしてまたチリリ。またチリリ。
魔理沙は口の中の唾を飲んで、起こっている事を分析しようとしていた。チャートの上の光はもう十ほどにもなり、なおも鈴が鳴って光は増えてゆく。一体の敵があちこちの罠を踏んでいるとは考えられない。殆ど全周の罠が反応しているのだ。何かとんでもない事になってるぞと気付くと、もはや作戦は放棄されるべきだった。
相手は複数、それも二人や三人ではない。捕まえて話を聞くなどとても出来そうにない。ならば――。ともかく身を守ることだ。篭城は救援が来ることが確実だからこそ意味があるのだ。この数が相手では魔理沙の城は持ちこたえられないだろうし、なにせ一階は魔理沙の命にも代えがたい秘宝殿である。
慌てて寝室の窓を開くと箒に乗って外に飛び出した。相手が妖精程度なら突っ込むところだが、あいにく探知罠は妖怪用だ。策は無い。陽が出るまで逃げ回るしかない。
飛び出したその瞬間に弾幕が着弾して魔理沙の後ろで窓ガラスが砕けた音がする。舌打ちする余裕も無く全力で高度をとった。距離が命だ。か弱い人間の自分が妖怪相手に戦えるのは、相手の身体能力を無効化できる遠距離戦だからこそだ。
牽制の弾幕をめくら撃ちして魔理沙は逃げ回った。あちこちから飛来する弾幕をかわし、後ろで聞こえる着弾音を聞きながら、どうか我が家が、秘宝殿が無事でありますようにと願った。
◇◇◇
ようやく陽が出て、一晩中飛び回っていた魔理沙が向かったのは、同じ森の人形使いの住処だった。自宅の無事を確認しておきたかったが、待ち伏せを考えればそれさえも危険だった。挨拶もそこそこに椅子に座ると、魔理沙がまだ何も言っていないのに人形使いは食事を出してくれる。「残り物だけど」と言って彼女が出したシチューのいい匂いで一気に腹が減った。
「一晩中随分と騒がしかったわねぇ」
「聞こえてたんなら助けに来てくれてもいいだろ。えらい目にあった」
「行ったら行ったで『余計なことしやがって』とか言うでしょ、魔理沙は」
「昨日はホントにやばかったんだ。ったく、何人来たと思う?」
「知らないわよ。でもだいぶ噂になってるから、大勢来たんでしょうね」
「噂? 何の?」
「それよそれ」と人形使いはドアの方に立て掛けられた箒を指差した。
「箒か?」
「違うわよ。あなたほんとに知らないの? その箒にぶら下がってるヤツよ」
箒には紐で括られて例の木の棒が下がっている。魔理沙のお気に入りの、しかしただの木の棒だ。
「アレが? なんの話だよ」
「あらまぁ、やっぱりデマだったのね」
「だから何の話だって」
人形使いが言うには今人妖の間では魔理沙の木の棒の話で持ちきりだという。曰く、魔法使いが手に入れたのは魔法の木の棒。その棒は願えば叶い、求めれば答え、霊験あらたかご利益一等、古代カバラの密儀と失われた錬金術の秘技の結晶であるという。
「んな馬鹿な話があるか」
「知らないわよ。聞いただけだもの」
聞くところによると、里で魔理沙が景気良く金を使ったのも棒のおかげで金を手に入れたからで、マスパ一閃で『本気』の妖怪を吹き飛ばせたのも棒によって魔理沙が新たな力を手に入れたから、という事らしかった。
「ふざっけんな! 私は欲深なことでは人語に落ちないつもりだけどな、そんな神頼みで強くなっても面白くもなんとも無いだろ!」
「ああ、やっぱりそうよね。変な話だとは思っていたんだけど」
しかし、そうなると昨夜襲ってきた多数の妖怪から逃げ切ったのも、きっと棒のおかげと言う事になって、更に噂は真実味を増すことだろう。
「羨ましいわ、魔理沙。ついにあなたの収集癖も実を結んで、妙なる神宝をその手にしたということね」
「黙れよ。黙れって。しかし、こんな森で暮らしてて良くそんな事情知ってるな」
「だから、すごい噂だって言ったでしょ。皆知ってるわよ」
皿の底に残ったシチューをパンで掃除しながら、魔理沙はいっそあの木の棒など誰かにくれてやっちまうか、とも考える。
「あんまり意味無いんじゃないかしら?」
「あるだろ。少なくとも私は襲われなくなる」
「ただの棒なんでしょ、それ。不思議な力が無いとわかったら、『贋物を掴まされた』ってなるんじゃないかしら」
「んなこと言われてもな……」
実際ただの棒だから仕方が無いのだが、しかし信用されなければ意味がない。妖怪退散に絶大な威力を発揮する博麗神社のお札だって、信用があるから力があるのだ。誰かに譲ったとしても贋物と言う事になってしまうのだったらやり損である。騒ぎの前から持ち歩いている程だから、相当に気に入った品でもある。
振舞われた食事を食べきって、腹は膨れたが妙案はない。自宅に帰れないとなると、魔理沙が落ち着ける場所はそう多くない。
「まぁ今晩はここで何とか凌いで、その後だな問題は」
「は? ふざけないでよ。駄目ようちは駄目」
「駄目って。お前、窮地の私を追い出す気か」
「当たり前でしょう? そこらの妖怪皆に狙われてるようなの匿えるわけないでしょ」
「お、おいアリス。本気じゃないよな」
「本気よ。あなたも魔法使いなんだからわかるでしょ? ここには貴重品が山とあるのよ。厄介ごとは他でやって」
とたんに棚にあった人形達が糸をつながれ、魔理沙を取り囲むとその背を一斉に押してくる。
「おい、アリス待て。話を聞け、いや聞いてくれ。おい――」
わらわらと寄せてくる人形達に押し出され、振り返った魔理沙の目の前でドアはバタンと音を立てて閉じられた。
「お前なぁ、コレはないだろ幾らなんでも」
取り付くしまもない。つい情けない声を閉じられたドアにかけると、薄くドアが開いてすきまから箒がぽいと放り出された。
「おいアリス!」
ドアはまた閉まって、一瞬紫の光で包まれた。
――こいつ、魔法錠までかけやがった。
「くそが! この薄情者!」
叫んだところでドアは閉まったまま、何も返ってこない。しばらく茫然としていたが、どうしようもなくなって箒に跨った。よくよく考えれば、一晩凌ぐだけなら兎も角、事態の解決にはアリスがいてもどうしようもないだろうことは判る。どうすれば解決できるのか全く見当も付かないが。しかしせめて、日暮れまでベッドを貸してもらいたかった。魔理沙は昨日一晩飛び回ってた上、だいぶ魔力も使っていた。このままでは消耗しきって多勢に無勢で押し込まれて――
良くない想像を頭を振って打ち消して、方策を考えねばならない。危急の問題は安心して寝れる場所を確保することだった。魔理沙の脳裏にはすでにその場所が思い浮かんでいる。正確に言えばアリスの所に行く前から頭にはあった。絶対安全な場所。妖怪共がどれだけ本気だろうと絶対手を出してこないアジール。博麗神社に行けばいいのだ。なぜか不思議な懐かしさとともに鳥居やら賽銭箱やら、それから、巫女の仏頂面が思い出された。
長い長い溜息をついて魔理沙は箒をめぐらせた。向きは神社と別方向。霧の湖の方に向けて。
◇◇◇
人は皆、道具というものが持つ精神性に余りに無自覚だ、と僕は思う。
例えばここに差し渡し五寸ほどの石が転がっているとしよう。ごく普通の自然石で人が手を加えた跡は全く無い。人が運んできたものでもない。何十年だか何百年だか、ずっとそこにあったものだ。もしかすればついさっき虚空から産まれた物かもしれないがね。誰もそれを知らないのだから、そういうこともあるかもしれない。
ともかく、ただの石、自然物だ。そういう以上に何も無いだろう。ところがそこに人間が現れ、これは丁度良いとその石を持ち帰って漬物石として使ったら、それはもう漬物石という道具なのだ。正確に言えば使う必要さえない。人が、意思ある者が道具だと思えば、それは道具になるんだ。さっきまで地べたに転がっていた自然物と道具とを隔てる境界は、人がそれを道具と見なしたか否か、ただそれだけにかかっている。人の精神こそが道具を創っているのだ。
つまり、道具とは『意味』なんだ。世界はただそこにあるだけでどんなものにも平等さ。石は石でしかないし、枝は枝でしかない。厳密に言えば石や枝と言った言葉も意味を含んでいるから、ソレはソレ、アレはアレでしかないと言ったほうがいいんだが。そういった、ただ在るがままの世界に人間は『意味』を見出してしてモノを区別差別をするのだね。人間は『意味』を見出すという点で特別なのだよ。まぁ、元人間の妖怪で人の心をまだ持っているようなのも、その内だがね。
『意味』を見出すという人間の行為は実に深遠だ。それは幻想郷の成り立ちそのものにも深く関わっている。なにせ、妖怪とは『意味そのもの』とも言えるのだからね。ある夜道誰もいないのに人が喋るような音がする。音はそこにあった目立つ岩に結び付けられて「こそこそ岩」になり、さかのぼってそこで死んだ人の霊と意味づけられる。天気雨は狐の嫁入りになり、消えた子供は神隠しが攫ったことになる。『意味』が見出されなかったら全部そのまま、天気雨は天気雨さ。
そう考えると、幻想郷縁起のあの安易で浅薄な『○○する程度の能力』という記述の意味が見えてくるようだ。あれはもしかすれば『意味付ける』事で逆に妖怪を規定し縛っているのかもしれない。縁起の形式を人々にわかり易く改変し、人々に伝播しやすくした著者の意図は案外そんなところに在るかも知れないね。先ほど縁起の記述に対して言語化など意味は無いと言ったけど、こう考えれば――意味はあるね。
いや、全て僕のくだらない妄想さ、笑って忘れてくれたまえ。話がそれたね。
そう、『意味』の話だ。見出された『意味』は『価値』を生む。地べたの石ころが漬物石と『意味付け』られ、他の石ころより人に有益だと見なされる。『価値』がうまれるんだね。価値とは何も金銭的な物に限った話ではない。例えば両親の形見という『意味』があれば、その漬物石はその人にってはさらに『価値』を増すだろう。まぁ、漬物石を形見と意味付ける人はそうはいないだろうが。
うん? 例の木の棒か。アレは例外さ。なんせ拾った人間が例外だからね。魔理沙は『意味』などお構い無しに物を愛でるんだ。『意味』など関係無しに『価値』を見出しているんだね。こういうのはなんと言えばいいのかな。
数寄者? なるほど。確かに彼女は数寄者かもしれないね。古びた茶碗に万金の価値を見出した茶人のように、と言ってはいいすぎなのだろうが、行為としては似ているね。ただ気に入っただけの棒に『何でも願いを叶える』なんて『意味』がついて、妖怪が殺到するほどの『価値』が生まれたのだからね。
◇◇◇
神社に行くのは、駄目だ。いくら窮地だろうが巫女を頼っては魔法使い霧雨魔理沙の立つ瀬が無い。ただの見栄だろうと言われればその通りだが、それが自分の行動原理なのだから仕方が無い。どんなに心細かろうと見栄を切り通さなければいけない相手もいるのだ。
そうなると、もう残った場所はここしかない。霧の湖のほとり、悪魔の居城紅魔館。ココのヤツ等に借りはできるだけ作りたくないが、事態はそこまで切迫している。
門番に努めて軽い調子で「よう」と声をかけた。ここを追い出されたら本当に行く先が無い。
「うあぁ! 魔理沙さんウチに来るんですか!?」
と、なぜか慌てる門番を素通りして中に進んだ。
「来るんですかって、私がココに来るのはいつもの事だろ。ちょっと厄介になるぜ」
「ああ、ちょっと待ってください! 魔理沙さーん」
後ろで門番が呼んでいたが魔理沙は気にもしなかった。呼び止められても押し通るのはいつもの事である。
いつものように図書館に行き、強いていつものように過ごした。内心ではさっさとここの家政を取り仕切るメイドに話を通したかったが、弱みを見せるのもよろしくない。じりじりとした時間を過ごしていると、やっと茶と茶菓子を載せたカートを押してメイドが現れた。
「なぁ咲夜、悪いんだがしばらく泊めてくれないか?」
「あら、どうかしたの?」
「どうも妖怪共に狙われててな。家だと危ないんだ」
「まぁ大変じゃない。紅魔館(うち)は空き部屋なんて幾らでもあるから、ゆっくりしていきなさいな」
耳を疑った、と言うほどではないが、驚いたのは確かだ。今までの魔理沙の所業を考えるならば、この窮地にかさに懸かってあれこれ要求されてもしょうがないのだ。今まで壊したものを弁償しろだとか、図書館の本を返せとか。
ところが、メイドのほうは二つ返事で了解し、それどころか、優しい微笑みまで返してくれたのだ。
「おお、いいのか?」
「いいのかって、いいに決まってるじゃない」
「いやそれでな、奴ら弾幕決闘じゃなくて『本気』なんだよ。寝込みを襲ってきやがった。だから、もしかしたらココにも来るかもしれないんだ」
「あなたここを何処だと思ってるの? 悪魔の居城よ? 安心なさい」
肩の荷が下りて安心すると、どっと疲れが押し寄せてきた。ことが事だからと一応レミリアにも話を通そうと彼女のところへ行くと、館の当主は胸をそらして「頼ってきた者を無碍になど出来るわけなかろう」と実に心強いことを言う。
紅魔館の豪華な晩餐にありつき、二階の客室に通された。広々とした風呂に入って気合を入れなおして夜に備えていると、メイドが夜具を持ってやってきた。
「何してるのよ、もう寝なさいな」
狙われてるのは自分だというのに、一人で寝てるわけには行くまいと答えると「何言ってるのよ」とメイドは微笑みで返す。
「あなた昨日も寝てないんでしょう。それとも、うちの戦力じゃ安心できない?」
「いや、しかしな」
「安心なさい。今日は満月なのよ? お嬢様も退屈しているからちょうどいいわ。それにね、言うなと言われたけどパチュリー様だってやる気なのよ。いくつも魔方陣を書き換えて臨戦態勢なの」
そこまで言われて、魔理沙は不覚にも目が潤むのを感じて、慌てて下を向いて帽子を目深に直した。ついさっきまでは世界中が敵に回ったようなもので、おまけに頼りに行った人形使いにはすげなく追い返されたのだ。シチューは大変美味かったが。
しかし――、しかし紅魔館だけは暖かく迎え入れてくれた。これこそが高貴なる者が高貴なる者である所以なのだ。ノブリス・オブリージュの気高い精神は遠くこの東辺の地にまで届いていた。寝床があるだけでも有り難いのに、その寝床は堅固な石の壁でがっちりと囲まれ、さらには信義に厚い当主はじめ皆が守ってさえくれるというのだ。
実際のところ、もう魔理沙は泣きそうで、帽子でそれを隠しながら「そうか。なら甘えさせてもらうぜ」とボソボソ言って寝床に潜り込んだ。明日からは絶対に自分も起きてよう。ただ今日だけはアイツ等に甘えさせてもらおう。それから、これからはココの物をあまり壊さないようにしよう。読み終わって不要になった本もちゃんと返そうと、そんなことを思った。
一応と念を入れて服は着たまま、箒もすぐそばに置いて寝た。疲れてはいてもやはり緊張もあって眠りは深くならなかった。
それで、気が付いた。何か物音がした。
半覚醒のままベッドの中で聞き耳を立てていると、そのうちガシャリと鍵の開く音がして、ドアが開いた。そこで魔理沙はとっさに箒を取った。
「あら、魔理沙。起きてたの? 寝ないと駄目じゃない」
「あ、ああ。いや、何か用か」
入ってきたのはメイド長だった。真っ暗な部屋に開け放たれたドアから廊下の光が射している。逆光で彼女の姿はシルエットでしか見えなかったが、そこに紅く光る瞳が浮いていた。
――手に持っているのは、なんだ? 縄かロープか。
「そうね。用事といえば、そうなんだけど……」
一歩。
「まさか起きてたとはね」
また一歩。
「薬を使ったほうが――」
もう一歩メイドは歩を進める。もう魔理沙のベッドまでは二間無い。
「――確実だったわね」
その言葉と共に突っ込んできた咲夜を魔理沙はベッドから転がり落ちて回避した。
「大人しくお縄に付きなさい!」
「う、うるせえ! 騙しやがったな!」
室内だろうが構ってられない。魔理沙は目一杯に弾幕をばら撒き、よろけながら部屋を飛び出した。一瞬遅れて粉砕された家具の破片やら埃やらがドアから吹き出してくる。廊下を駆けて箒に飛び乗ると、長い廊下の向こう、当主の妹が何かを握り潰そうと開いた右手を突き出しているのが見えた。足を踏ん張り急ブレーキをかけ、窓を突き破って外に出た。
空は魔方陣に魔力が充填される耳障りな音がうるさいほどだった。。
見上げると満月をバックに小さな吸血鬼が紅槍を構えていた。
◇◇◇
魔女の弾幕と吸血鬼の追跡を振り切って、もはや魔理沙はぼろぼろだった。いくつもいくつも悪態をつき、終いには紅魔館の方向に「この人でなし!」と幾度か叫んだ。弱りきって悪魔に助けを求めるなど考えてみればどうかしてたとしか思えないのだが、それはそれである。襲撃を避けて高度をとってしばらくうろうろした後、ついに疲れ果てて神社の庭に降りた。さすがにもう他には当ても伝手も無い。
もう真夜中と言っていい時間なのに神社には灯りが点いていた。半分開いた障子から独りで銚子を傾ける巫女が見えた。魔法使いは、結局ここに来ちまったかと庭で溜息をついている。障子が開いた。
「あら魔理沙じゃない」
「よう……」
「ボロボロね」
「……うむ。色々あってな」
しばらく魔法使いの様子を縁側から眺めて、巫女は「お布団敷くから上がんなさいよ」と、そう言った。
それから、特に話もなく魔理沙は布団の中で寝息を立て始めた。箒は縁側に投げ出し、服もちゃんと脱いで寝た。明かりは点いたまま、巫女はちゃぶ台で晩酌中だったが、しばらくぶりに魔理沙は眠りの底まで行き着いた。
巫女はちびちびと杯をやりながら縁側の方に目を向けていた。投げ出された箒、そこに括られた棒、雑草の生えた庭、その向こうの夜桜。
◇◇◇
その晩、香霖堂のドアが開かれた時、店主はため息を一つついて読んでいた外界の雑誌から目を上げた。ちょうど読んでいた雑誌が面白くなって来たところだった。しかし、顔を上げて来客の姿を確認すると、雑誌を隅に追いやり咳払いを一つしてあるべき道具屋の姿に直った。その必要があったのだ。
「今晩は、霖之助さん」
「霊夢か。なんだいこんな夜更けに。いや夜更けどころじゃない、もう夜明けが近い」
「コレ。いくらで買ってくれるかしら」
「ああ、それか」
巫女の手には一尺半ほどの木の棒が握られている。皮の様子を見る限りそれは桜の枝で、太さは一握りほど。自然の枝としては真っ直ぐだが、微妙に曲がってもいる。
「幾らで、と言われてもね。それはただの――」
「あら、霖之助さん。コレをただの木の棒だとでも言うつもり?」
「ふむ…………。君は、判っているのか。さすがだな」
「判ってる? 知らないわよコレが何かなんて。でも霖之助さん、これ欲しいんでしょ?」
「参ったな」
「巫女には隠し事ができないの」
「どうやらそうらしい」
得意げな巫女にあっさり降参して、店主は台帳をめくりながらソロバンを弾いた。巫女は何のつもりか木の棒を振り回している。まさか威嚇ではないだろうなと店主の指が幾度か止まった。
「どうだろう、これまでのツケをチャラというのは。だいぶ溜まってるからね。詳細はというと――」
「ええッ! いいの?」
「いいのって何だい」
「いえ、いいの。それでいいわ。チャラ、なのよね?」
「そう。チャラ、だ」
ほくほく顔の巫女が帰って、店主はカウンターに置かれた木の棒を手に取った。
たしかに、よい感じだ。そう思った。出来ることなら、もうしばらく手にしていたいところだ、とも思った。魔法使いが言っていたように、その棒はなんと言うか実によい感じなのだ。風情があるとさえ言っていい。さらに言えば、この棒に寄り付く数奇な来歴がまた良い。
「ふむ。実に良い品だ」
と、独り言まで言った。
棒を眺める店主の目には『名称:魔法使いの棒 用途:願いを叶え、使用者に力を授く』と視えている。
「実に、いい」
と、また声に出した。それから、棒の太いほうから細いほうへ撫でるように手を滑らし――、
僅かな違和感を覚えた。棒の中ほどに小さく節のようなものがある。魔理沙の棒にこんな節があったろうか。そうして見てみると、至るところが違うような気がしてくる。そんな筈はない。現に自分の目には『視えて』いるのだ。これは魔法使いの棒のはずだ。
――何か、願って確かめるか。
しばらく、棒を見詰めて固まっていた。それからふっと息をついて、それをカウンターに投げ出した。道具屋が自分の目利きを信用できずに実際使ってみて確かめるなぞ無様のきわみである。それに、じっくりと確かめようにも時間が無い。買い手が来るのだ。
窓から外を視ればもう夜は明ける寸前だ。空には色がつき、星は失せ、そうして夜でもなく昼でもない、境目の時間がやって来る。『こういう品』が店に入ると、必ず時を置かずに
今回だって、来るはずだ。なにせ自分の目には『視えて』いる。しかし、この棒は、本当に魔理沙が持っていたあの棒だろうか。
視界の端の窓を品の良い白い日傘が横切った。商談が上手くいかなければ、今冬の燃料はどうなるだろう。今ある外界の雑誌は殆ど読んでしまったし、この先どうやって時間を潰そうか。そんな事を店主は考えていた。
◇◇◇
昼も近くになって、ようやく魔法使いは目を開けた。正確には起こされた。巫女がわき腹を足蹴にしてくるのだ。
「さっさと起きなさいよ。邪魔なんだけど」
「……おはよう」
「はい、おはよう。お布団干したいの。さっさとどいて」
「おう」
大欠伸と伸びをして服を着た。部屋は春の陽で一杯で、庭ではスズメ達が忙しなく地面を突いている。ちゃぶ台の上には遅い朝食が乗っている。
「平和だなぁ」
思わず呟いて、自分がなぜ神社で起きたのだか一瞬わからなくなった。思い出して縁側に投げ出された箒を見ると紐だけがそこにぶら下がっている。
「おい、霊夢。棒どこやった?」
「棒?」
「箒にぶら下がってただろ? 木の棒だよ」
手つきでこれ位の、と示す魔法使いに巫女は一言
「それ」
としか答えない。布団を抱えた巫女が目で示す先は、ちゃぶ台の上の湯気だった味噌汁である。
「それ?」
「お味噌汁、温めるのに使ったわよ」
「お前ッ……なぁッ!」
「何よ。一宿一飯の恩に棒切れ一本差し出せないっての?」
はぁと溜息をついて縁側の箒を見る。やはりそこには紐がぶら下がっているだけで、魔理沙がここ数日のあいだ愛で、同時に苦難も呼び込んだ不思議な木の棒はもう無い。その向こうで巫女が布団を干している。桜の花びらが二つ三つ巫女に降った。その上の桜には、真新しい枝を落とした跡があった。
――まッ、巫女に処分されたとなれば収まりはいいわな。
噂によれば、何でも叶える魔法の棒なのだ。それが巫女に取られて燃やされたと言うのは、いかにも信用されそうだ。
「さっさと食べなさいよ。冷めるわよ」
「おう」
お櫃を引き寄せて飯を盛るとまだほんのり温かい。味噌汁の椀を手に取るとずずずと啜った。熱い。誰かの問いが思い出された。
――何の役にたつんだ?
へへッ、味噌汁が温まるぜ。
◇◇◇
ここから先は、話す必要は無いだろう? 賢者は危険なマジックアイテムを回収し、世は事もなし。君が今抱えるようにしているストーブが赤々と燃えているのは僕の商才のおかげという訳だ。
何? 本物だって? 知らないよ。知らないしもう判りようがない。僕の能力が僕の考えている通りならば、あれは両方本物なのさ。なんだいその目は。
あり得る話というか、多分これはそういう話なんだ。
仮に、仮にだよ。『本質』でしかモノを計れない人間がいたとしよう。その人間は馬鹿ではないから人の世に『意味』と『価値』がある事は知っている。知ってはいるが『意味』も『価値』も理解していない。その人にとっては『魔法使いの棒』だってただの棒でしかない。その棒の事で妖怪たちが騒ぎ、持ち主がボロボロになっているのは判っていても、ただの棒でしかない。ただの棒だが周囲の人妖はなにやらの途方も無い『価値』を感じているらしいのは判る。
その人はどうするだろうね。新たに似た棒を折って、ツケの溜まった道具屋に持ってきたりするかもしれない。彼女にとって本物の『魔法使いの棒』も『新たに折った棒』も『同じ棒』だと認識されていれば、幾ら僕の目でも――。
この場合『魔法使いの棒』と『新たに折った棒』の差は何かと言えば、人口に介したか否か、と言う事になるね。巫女がわざわざ別に棒を折り、元あった方を燃してしまったのは、そこらへんに幻想の境目があるからかも知れない。
ああそうさ、僕は道具屋としてはへまをやった。その通りだ。彼女の世界ではともかく、僕等の世界の言葉で言えばそれは贋物だ。僕は巫女の聡明さをよく理解しているつもりだったが、それでも軽んじていたのかもしれない。何せ見た目がああだからね。全くしくじったよ。彼女をきちんと理解できていればただ同然に値切る事だって出来たはずなんだ。まぁ、それでも買い手が高く買ってくれたから文句は無いがね。
それはともかくだ。前年までそこに可憐な花を咲かせていたに違いない桜の枝は、何かのひょうしに折れて地に落ち、木の棒になった。棒は魔法使いが持ち歩くことで途方も無い意味を持ち価値を生み、一時この幻想郷を騒がせたのだ。『本質』は『意味』を呼び、『意味』は『価値』を生み出す。言語化という作業は意味を付けるという作業に他ならないんだ。そしてそれが文字になれば噂話などとは桁違いの強度と影響を持つ。
君には釈迦に説法だろうが、言語化には常に危険が付きまとう。君が安易に『○○する程度の能力』と書くたびに、どこかで誰かが幻想と現実の狭間に自己の存在を揺らしているかもしれないよ。
なんだねそのお座なりな返事は。真面目に聞きたまえ、重要な話なんだ。
そんなことより、だって?
あの時?
願いか……。いや、僕は願ってないよ。
さっきも言っただろう。店主は店の商品を使ったりはしないんだ。
僕は道具屋だからね。安く買って高く売る、それが望みだよ。
(了)
魔法使いは最後に安全に味噌汁をすすり、唯一本質を見抜いた巫女が最も上手く棒を使うことが出来た。
そんな結末に至ることが、すごく東方らしさを感じます。
トボケと真面目の心地よい混ざり具合
inuatamaさんの咲夜をはじめとする紅魔館勢と魔理沙、霊夢の関係がすごい好みです
モノの価値は不変じゃないと分かっていてもノセられてしまう。
ラストの霖之助のセリフもナイスでした。
でも霖之助の語りは少し長いかも
もうちょっと魔理沙が報われてもいいような気もするけど、それもまた「らしい」かなと。
そういう意味じゃ人間社会自体が宗教なのかも
科学の分野でもそういうただ間違って信じられていただけっていう話は沢山あるし、宗教が科学や技術の発展に貢献(マイナスになったイメージが強いけど)したことを考えたら
信じることでそこから知性が発達するのかも
知るということも要は新しく何かを信じるということだと思うし
そう考えると知性や社会性というものは本質としては馬鹿なものかも
本質などどうでも良く認識が相対的な意味が価値が大切というなら要は馬を指して鹿というのが人間だと思うのです
社会とは実力行使が前提だと思うので刃物を持った馬鹿がそれの本質なんじゃないかと思います 我ながら馬鹿な考えだと思いますが
まあこの話も皆唯の棒をなんか凄いものだと信じて魔理沙に襲いかかっているので正に刃物を持った馬鹿ってことですかね 仮に本当に凄い棒だとしてもそれは馬鹿が信じたものが偶々あっていたというだけのことかも
この話のミソは魔理沙が試練と戦い勝ち抜いたこと特に冷淡さという現実に対して屈せず逞しく生き残ったことにあると思います
皆冷淡であれですね いざという時や重大な自体に繋がりそうな時に冷酷というかなんというか
小さい親切はしても大きな親切はしないみたいな
アリスも冷酷だし紅魔館なんかは助けるとみせて寝首掻いてくるし霊夢は助けてくれても精神的なフォローはしないし
でも命の関わる事態にあってこんな冷淡な扱いをされながらなんだかんだで平然としていられる魔理沙は凄いと思います
まさか唯の棒の相対的な価値やそこまで冷淡でないと信じていた友人らの冷淡さが牙を剥くとは思いもよらなかったと思います 魔理沙にしてみれば今迄の認識を裏切って火を吹いたんですから今回のことはかなりのホラーだったと思います
この魔理沙の逞しさや皆のハードボイド?さこそこの話の肝なのかも
冷酷な上に馬鹿で刃物まで持っているというならそりゃものの価値も相対的な意味でしか決まらないという感じですね 真実なんかより振り回される刃物が気になって仕方ない
逆に考えると物事の真実の価値を考えれる状況というのは、寛容さに溢れ馬を鹿になんて相対主義的な考えが蔓延しておらず、誰も刃物を振り回さない平和な状況ということかも知れません
長文すみません
でも、そうなのかもと思わせる説得力があってとても霖之助さんらしくて面白かったです。お話しの流れも作りも綺麗で、とても良かったです。
咲夜は本気だったなら時間を止めればどうとでもなったので、そこが気になりました。
紅魔館の面子が冗談で動いてる様には見えませんでしたし。
ごちそうさまでした。
聖あたりも助けてくれそうな感じだが・・・
頭良くなった気分になれる
ありがとうございます