Coolier - 新生・東方創想話

夢で化けたら

2014/10/26 22:05:28
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「しっかりせんか、お主はこのマミゾウの夫なのじゃぞ?」

 私の妻の名前はどうやら『マミゾウ』というらしい。
 妻なのに「~らしい」という言い方は妻に対して失礼だとはわかっている。だが、頭がぼんやりしたままで本当に確信が持てなかった。
 理解できたことといえば、自分が仰向けに横たわっていることと、その周囲に木々が生えそろっていること。
 それと、

「いつまで寝ておるつもりか、このうつけが!」

 私を叱りつけながらも、心配そうに覗き込む女性の顔がそこにあるということ。妻らしき女性にそんな顔をさせるのは忍びなく、私はまだはっきりしない頭を右手で押さえながら上半身だけを起こした。
 すると、どうだろうか。
 頭の中に漂っていた霧のようなものがすっと晴れて、やっと今の状況を『思い出す』ことができた。

「うむ、それでよい。寝ておるわけにはいかんのじゃからな」

 私が起き上がったことが嬉しいのか、さっきの厳しい口調から柔和な口調へと変わる。それに合わせて、表情もどこか人懐っこい……いや、妖怪懐っこそうな微笑みへと。尻尾もゆっくりと揺れ、安堵を全身で表現していた。
 ただ、私の視界の中で変わったのは、それだけではなかった。

『うぅ、ぅぅぅ……』

 闇が降りきった夜の森の中、いくつもの呻き声が周囲から聞こえてくるのだ。思わず声の主へと目をやれば、そこには傷だらけの妖怪狸が伏していた。それがいくつも、いくつも。
 まるで私とマミゾウを守るように、円状に広がっている。

(何だこれは!)

 私は思わず立ち上がっていた。闇に瞳が慣れていくにつれ、その悲惨な光景が浮かびあがり続け、心の奥底のどす黒い感情が燃え上がっていく。誰がこんな残酷なことを――

「そう、でしたね。人間たちとやり合ったのでしたか」
「うむ、やっといつもの主様に戻ってくれたようじゃな。そのとおりじゃ、儂らは住処を守るために人間たちと闘い……」
「負けた……」
「うむ、清々しいほどにな……」

 過去の私たちならまだしも、『今』の私たちにはもう人間たちに抗う力などない。それでも最後の意地で人間の偵察部隊へ打撃を与えることに成功したのだが、その後に待っていたのは、森を覆い尽くすほどの人間の大軍勢であった。
 それでも果敢に立ち向かった結果が、この地獄。
 多くの同胞を失い、今もなお絶望的な状況にある。
 
「マ、マミゾウ様! 西より人間の大軍勢が! 数は、数はっ! 木々よりも人間が多いほどで!」
「……そうか、わかった」

 そして今なお、状況は悪化し続けているらしい。私に付き添うように立ち上がったマミゾウが見張りの妖怪狸を下がらせ、どこか悟った……いや、悟ってしまった瞳で頭一つ大きい私を見上げる。

「主様、手をつないではくれまいか?」

 次第に聞こえ始める人間の軍勢の声。大勢が決しすべてを終わらせるために向かってくる者達。
 しかし、だ。

「伝令の方、人間の軍勢が手薄な方角は?」
「は、はい! さすがに人間なので渓谷側には回り込んでいない様子でした!」
「そうですか」
「なっ! まさか主様は仲間たちを見捨てるつもりか! こやつらは命を掛けて山のために戦ってくれた仲間じゃぞ!」

 私の言葉で察したマミゾウが声を荒げる。それはそうだろう。私たちが戦うと決めなければ傷つかなくてよかった。命を失わなくてよかったのだ。それを見捨てて逃げることは、マミゾウには許せなかったのだ。
 だから、私はマミゾウを突き放すようにトンっと正面から肩を押した。

「そう、この結末を招いた者が逃げ出すのはあり得ない。それに、今のまま逃げても逃げられるものはほんの一握りにしかすぎません」
「そうじゃろう! ならば!」
「ですから、私が残ります。この地獄の幕引きと、少しばかりの足止めならば私だけで十分でしょう」
「……なにを、いうておる?」

 聡明なはずのマミゾウが、瞳を震わせながら首を傾げていた。
 わかってくれてはいるのだろう。
 それでも、理解したくはないのだろう。
 それでも私は言わなければいけなかった。

「徹底交戦を選んだのは私です。しかし、あなたは人間と共に歩む道もあると言っていた。最初に私がわがままを通したのですから、次はあなたがやってみるべきだと思います」
「ならば、主様も一緒に!」
「それは無理ですよ。誰かが残らなければ、逃げるだけの時間も稼げない。それに私は意地っ張りなもので……自分の意見を簡単に変えられるほど器用じゃないんですよ」

 真っすぐ見つめてくるマミゾウに向け、微笑んで見せた。
 笑みの形になっていたかは自信がないが、それを見たマミゾウは一度瞳を閉じてからくるりと私に背を向けた。
 そして、周囲を警戒しながら小さく言葉を紡ぐ。

「この惨状を、この屈辱を味わって尚、儂と共に人間との友好の道を探りたいものは共に来い……」

 その声に応じたのは、妖怪狸たちの3割にも満たない数だったが、マミゾウを支えてくれる妖怪狸たちが居たことが正直嬉しかった。
 これだけの狸たちがマミゾウと共に居てくれるのなら――

「では、達者で」

 後は最期の仕事を果たすだけ。
 そんな私に、

「……この大うつけがっ」

 マミゾウから絞り出されたような、震える声が届く。
 後ろを向いているからどんな表情かを確認することはできなかった。そしてその台詞を置いて、マミゾウは渓谷の方へと駆けていく。

「さて、と」

 愛しいもの見送る余韻。
 哀愁漂う場面を十分味わう余裕すらなく、耳に届き始めたのは大勢の人間の足音。
 確かに、伝令が伝えてくれた通りまともに数えるのが馬鹿らしくなるほどの、圧倒的な戦力差だ。
 それでも、そんな絶望的な中にありながら。
 ほんの少しの希望を守りながら戦えるのだ。
 これほどやりがいのある仕事はあるまい。

「――――!!」

 私は森全体を震わせるほどの叫び声を上げ、ただ一心に人間の群れへと――







「――!?」

 ――『彼』は自分の声に驚き、布団から飛び起きた。
 直後に、大慌てで周囲を確認する。
 葉っぱや土の上ではなく、寝心地の良い敷き布団の上であることを。
 木々の枝葉や幹ではなく、木造の天井、柱や見覚えのある壁に覆われていることを。
 廊下の方を障子を見ればまだ暗く、視界もはっきりとはしないが、ここはまぎれもなく自分の部屋、自分の屋敷であった。
 その証拠に――

「主様、大丈夫ですか!」

 心配で駆けつけたのだろう。使用人の女性の声が彼の後ろ、ちょうど背中の方から聞こえてきた。

「あ、ああ、問題ありません。少々馬鹿げた夢をみてしまったものでして」

 幻想郷の周囲で定期的の行われる大規模な妖怪退治、昼間にそれを行った影響であんな夢を見てしまったに違いない。良くない妖気にあてられてしまったのだと男は結論付け、心を落ち着かせる。そうやって胸の鼓動を押さえこんでから、使用人へとねぎらいの言葉を贈る、が、

「こんな夜分まで御苦労様です」

 違和感はあった。
 声を聞いてからやってきたのなら障子が開く音がするはずだ、とか。この時間帯なら男の使用人が見回りをしているはずだ、とか。
 しかしそんな疑問よりも駆けつけてくれたという喜びのほうが大きかった。ようやく闇に目が慣れ、はっきりと見えるようになって来た部屋の中で、男は使用人へと振り返り、

「できれば水をいただければ――」
「ふむ、庭の井戸水でよろしいかのぅ? あ・る・じ・さ・ま?」

 ……固まった。
 そして、パクパクと何度か口を開いては閉じたりを繰り返し。

「――っ!?」

 再び言葉にならない大声を上げ、大慌てで布団から離れた。足をもつれさせ、何度も畳の上で転がりながら。

「む、なんじゃその化物を見るような反応は。儂のようにぷりちーな妖獣はそうそうおらんぞ?」
「な、なななななっ!」

 最後は腰を抜かして畳の上にへたり込み、大袈裟に震える右手でその使用人を、

「それと、いきなり指を向けるのは失礼な行為じゃからな? 覚えておくように」

 いや、使用人用の割烹着を着こんだマミゾウを指差したのだった。
 その男の驚きようは仕方ない。ここはこの男の屋敷であると同時に、この区画の妖怪対策協議会。すなわち、里付近で悪さをする妖怪を定期的に懲らしめる部署の一つであった。そのため妖怪から反撃があってはいけないと屋敷の塀から庭から廊下から、屋敷の部屋に至るすべてのところに対妖怪用の施術が行われているはずだった。
 それなのにこのマミゾウは何事もなかったかのように部屋に侵入していた。最も厳重であるこの部屋に、使用人の服まで拝借する余裕さえ見せて、だ。
 男が黙っていると、マミゾウは『思い出した』というように、顔の横で右手の人差し指を一本立てる。

「おう、そうじゃそうじゃ。一応この部屋に結界のようなものを張らせてもらったからのう。化かしの応用、といったところじゃな。部屋の外から見ても何の異常も感じんようになっておる。もちろん防音も完璧じゃ。人里では妖怪は肩身が狭いからのぅ、無礼ながら処置をさせてもらったぞぃ」

 対妖怪防御をあっさり抜けたどころか、すでに縄張りさえ作っている。その手際を見せつけられた男は、悔しさや怒りを通り越して感心すら覚えた。
 だからだろうか男の身体から震えが消えて、

「私に、何の用ですか?」

 男は落ち着きを取り戻し、一言尋ねた。その反応に今度はマミゾウが目をぱちぱちさせる。眼鏡の位置を右手で直してから、満足そうな笑みを浮かべた。

「うむ、さすがは若いながらに妖怪退治の地区担当をまかされておる男。頭の回る男は好印象じゃな」
 
 普通であれば『私をどうするつもりだ』とか『どうやってここに』などと続けるものが多い。

「世間話は結構、明日の仕事に疲れを残したくないので手短にお願いしたい」

 だが、この若い男は短時間で思考を整理した。
 すなわち、目の前の妖怪が屋敷の結界をものともしない大妖怪であること。
 加えて、命を奪うつもりなら簡単にできるということ。
 しかし、里での決まり事を知っている以上命を奪いに来たとも考えられないこと。
 つまりは、男に何かをさせるために来た。

「私の予想ですと、先日から行っている妖怪退治の件ですね。その活動の停止の要望といったところでしょうか? しかしながら人里の安全のためには必要な行為であり中止は受け入れられな――」

 また、マミゾウが命蓮寺に出入りしていることくらい、この屋敷にいる者なら誰でも知っている。ならば活動の妨害だろうとヤマを張る男であったが、

「ん? 儂が何故そのようなことせねばならん?」
「――は?」
「しかしまあ、誤解するのも仕方のないことか」

 強がりでも、誤魔化しでもなく、マミゾウはただ不思議そうに男を見据える。そして、酒瓶を背中の方から取り出して、くぃっと一口。

「ぷはぁ、良い酒じゃ。このような酒を御馳走してもらったからには、そのあたりの話からしっかり語ってやらねばな。のう、主殿?」

 その口ぶりからして、屋敷から盗み出したものなのだろう。男はにんまりと笑うマミゾウへため息をぶつけることしかできなかった。
 そんな反応さえ楽しそうに眺めて、マミゾウは一旦酒を畳の上に置く。

「この幻想郷とやらは、絶妙なバランスで奇跡的に守られている場所、儂はそんな風に思っておる。じゃから崩さぬように人間と妖怪で調整する。ゆえに、人間が定期的に妖怪を狩るのも仕方のないことじゃ」
「……は、はい」

 マミゾウは脚を開き胡坐をかいた。使用人の服装を大いに着崩すこととなってしまったが、語るのが楽しいのかまるで気にした様子がない。ただ、マミゾウ脚の付け根を隠す布が扇情的に動き、男が話に集中するにはなかなか努力が必要であった。

「お主のように若い頭がいる群れというのも素晴らしいとは思う。幻想郷を支えていく世代にも受け継いでいかねばならん行為じゃからな。いくら人間と妖怪が近づいたとは言っても、限度があるからのぅ」
「は、はぁ……」

 まさか褒められるとは思っていなかった男は、反応に困り視線を廊下の方に動かした。と、そのときだった。視線を追うようにすっと、畳の上をすべるようにマミゾウが動く。男との間合いを一気に縮め、右手の人差し指を男の顔へと突きつけた。

「しかしなぁ、やり方がいかん。妖怪にも住処があり、力関係もある。そういったところに何の伺いも立てずに攻め込むのは利口とは言えん」
「い、いや、しかし不意を打たねば妖怪に逃げられてしまうではないですか」
「逃げても良いのじゃよ。その妖怪が逃げられるほどの力の持ち主であるならなおさらじゃ」
「……わけがわかりません」

 男が困ったように眉をひそめると、マミゾウはふむっと軽く唸ってから。

「野生動物と一緒じゃよ。弱い妖怪はそうそう簡単に縄張りを変えることはできん。外に空いた場所があれば可能かもしれんが、人間が討伐隊を組むときは妖怪が幻想郷にあふれ始める頃じゃ。移動もできず、ただ自分の縄張りを維持するのに精一杯であろうな」
「つまり、妖怪側に情報を流しても問題ないと?」
「うむ、そうじゃ。逆にそれなりに力のある妖怪であれば、幻想郷の性質上、下手に人間とぶつかるのは避けるはずじゃ。他の妖怪の縄張りを奪ってでもな。そこで妖怪たちの淘汰が始るわけじゃ」

 ただ、マミゾウはそこである一つのことについて語らなかった。もし、人間を待ち構えているような凶暴な妖怪がいた場合、である。何故語らなかったかと言えば、そう言った妖怪は本性を現す前にとある管理者によって隙間送りにされたり、その管理者の知り合いによって命を吸われることとなるから。

「妖怪のとっぷすりぃ辺りが化け物揃いというのも幸いしておるのかもしれんが……」
「何か?」
「いやいや、こっちの話じゃ。話を戻すが、不意を打つような真似を今後繰り返していくようであれば、妖怪側の思わぬ反発をうけるかもしれんからのぅ。窮鼠猫を噛む。お主の夢の中でも追い詰められた妖怪狸たちが人間の命をいくつ奪ったか。その記憶の中に残っておるのではないかな? 何せ自らの手で体験した事じゃからのぅ」

 夢というキーワードで、さきほどの妖怪狸の夢が男の中に浮かび上がった。確かにあの夢の中で住処を追われた妖怪狸たちが必死に人間と戦った結果。己の命と引き換えにかなりの人間を道連れにしたのは間違いない。
 それを妖怪側で体験させられたのだから。

「しかし! あれはあなたの幻術で、よくあるお涙頂戴の作り話でしょう!」
「はっはっは、作り話だけで深く印象を与えるものは作れやせんわい。あれはのぅ、儂の『知り合い』の体験談じゃよ。最後まで人間を信じようとした馬鹿な狸とそのお仲間の話じゃ」
「……」

 男が無言でいると、マミゾウは男から離れ、また布団の枕元へと下がる。

「それと、じゃ。あの夢から妖怪の一種。妖獣の仲間意識の強さも学べたじゃろう? 妖怪は基本的に個人で行動するものが多いが、幻想郷では同種族以外の群れも確認されておる。そういったところに知らせなしで飛び込み、その群れの誰かの命を奪ったとすれば。報復行動など簡単に想像できよう?」
「……しかし」

 男はそれでも何かを言いたそうにする。

「報復で仲間や最愛の家族を失ったとき、お主は後悔せずにいられるか?」
「っ!」

 けれど、続けてマミゾウが放った強い一言は男の口を止めるのには十分であった。
 マミゾウはバツが悪そうに酒を煽り、悲しげに目を閉じる。

「儂は、無理じゃったよ」
「……」
「後悔して、懺悔して、一人だけこの楽園に辿り着いてしもうた。ほんの千年ほど生きただけでもこれじゃからな」

 照れ隠しのように苦笑するマミゾウ。その表情の奥に触れてはいけないものを見た気がして、男は思わず息を呑んでいた。
 それと同時に、理解する。
 責任あるものとして判断を間違えば、マミゾウの奥で蠢く同じものに触れなければいけない。その言い知れない恐怖を。

「ま、そういうわけじゃからな。今後は討伐の計画を立てた後は、博麗の巫女や天狗の新聞記者等を通じて妖怪たちに知らせればよい。それで討伐されれば自業自得。恨みっこなしじゃからのぅ。もしそれで弓を引かれようものならば、命蓮寺の者が助けてくれるじゃろうて」
「……しかし、私は方針を変えないかもしれませんよ?」
「ふむ、それもよかろう。それがお主の心からの判断ならじゃが?」

 マミゾウは肩をすくめて左目を瞑った。
 ただ、開いたままのもう一方の目が男の心を見透かしているようで、

「厭らしい妖怪ですね、あなたは」

 男は、そう返すので精一杯だった。

「ふむ、儂は小話が好きな妖怪狸なだけじゃよ。ではな、未来ある青年よ」

 そう言うが早いか。マミゾウの姿が霧のように闇に溶けていく。
 男は慌てて声をかけようと、布団に近づくが――

「……様? 旦那様?」
「……ん?」

 次の瞬間、視界が急に明るくなり。暖かな感触に包まれる。
 そう、確かに男は布団で寝ていた。
 朝日が差し込む廊下側の障子には、使用人らしき人影も見え、朝食の時間であることが伺い知れた。
 まるで、何事もなかったかのような。まるであのひと時が夢であったかのような。
 幻のような感覚。
 けれど、あの一夜は夢ではない。
 男は枕元でその証拠を見つけていたのだから。

「……厄介な妖怪もいたものですね、本当に」

 障子越しの朝日を浴びて、酒瓶が薄く輝く姿を。



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