河城にとりは夢の発明家であった。
今日もまた大発明を見せびらかそうと、友人であり助手でもある犬走椛をいつもの対局場へ呼び出した。
「にとり、今日の発明はどんなもの?」
「椛、よく聞いてくれたね。今回こそは夢の発明だ。これは浄水器というやつさ」
彼女は背中の大きなサックからおもむろに、これまた大きな、両手で抱えられるほどの大きさの筒を取り出した。
円柱型で、上の半分ほどが透明だ。上には丸い穴が、下にはそれより数段小さな穴があいている。
正面には小さなパネルが付いており、その上に「ここを見てろ」と走り書きで書いてある。
ここんとこ、見てくれろとにとりは透明なフード部分を指さした。
内部は暗くて、不思議なことに椛の目をもってしてもはっきりとは見えない。
にとりがニヤリと片ほおを上げて笑った。
「咲夜の能力をさ、ちょっと組み込ませてもらってるんだ」
「良くあのメイドの協力を得られたね。よほど良質の紅茶でも仕入れていったのかい」
「んにゃ、白黒ネズミが貯めこんでた財宝を気付かれないようちょいと拝借してやっただけさ」
「相変わらずだな」
どこまでも無害そうな顔して、油断ならないやつなんだこいつは、と椛は思った。
「でもさ、こんなものどこで使うの。この妖怪の山の水はいつでも綺麗なのに」
「分かってないね。今幻想郷には外の世界からの有害な物質がどんどん流れ込んでいる。
この山がいつ染まってしまってもおかしくない状態なのさ。だから準備は早めにしておいたほうがいい」
「そんなものかね」
にとりは懐からガラス瓶を取り出した。黒々とした液体が入っているフタを取ると腐った油の匂いがした。
「ひどい臭いだ。なんだい、これ」
「これは私のラボから出た廃液なんだけどね。ともかく早速使ってみようじゃないか」
にとりは台の上の浄水器の中に、廃液を注ぎはじめた。つま先立ちである。
浄水器が淡く光り、何やら術式が発動し始めた。器具内部に取り付けられた賢者の石のレプリカの力である。
このレプリカ一つで、水内部の異物の分離や、有機ディスプレイに出力する文字のエネルギー源までこなす。
レプリカは一つしか手に入らなかったし、小さいのでこのサイズの浄水器にしかならなかった。
今度また魔理沙に交渉して持ってきてもらうように頼んでみるか。にとりは精一杯背伸びをしながら考えた。
しばらく経って、
『重油を検出しました。これは人体に毒です。拡張空間に排出します』
ピーという音と共にメッセージが表示された。黒い液体の黒い部分が大分薄まったようだ。
「なるほど。これはいい。少し水かさが減ったな。これだけ重油が入っていたのか。この調子で私が飲めるくらいに浄化して欲しいな」
「あとはこいつに任せておけば自動的に飲めるようになるって寸法さね。少し時間がかかるかもしれないが、幸い時間ならたっぷりある。一局いこうか」
「全部終わるまではどれくらいかかるんだい」
「さあ、そいつは皆目見当がつかないね。なにせ今回が記念すべきこいつの初始動だ、喜んでおくれ」
「はいはい」
そうして二人が将棋に興じていると、
『鉛を検出しました。鉛中毒を引き起こす可能性があります。拡張空間に排出します』
再びメッセージが表示され、さらに水の量が減ったように見えた。
「鉛か。一時期盾が鉛製だったことがあったな。
外から入ってくる遊具によく使われていたから、それをバラして加工しなおしていた、おかげでまるで鈍器を持っているようだった。
盾で殴ったほうが強いんじゃないか、なんて言葉も聞こえたよ」
「妖怪にはもしかしたら関係ないのかもしれないけど、よく平気だったね。
鉛は毒だ。人体にはね。さあ、そちらの番だよ」
将棋の盤面から駒が取り除かれていくように、浄水器に注いだ廃液からも次々と有害物質が除かれていった。
ほとんどは椛にとって聞き馴染みのない言葉であったが、にとりが逐一解説を入れてくれるので、それは大した問題ではなかった。
もしかしたらにとりも、ただ知ったふりをしているかもしれないが、それこそ椛にとって大した問題ではなかった。
王がまた、盤面から除かれた。
何度決着がついたか、十から先はどちらも数えておらぬ。
果たして廃液は、当初の体積の三分の一ほどになり、様子は、それこそ純水と見紛うほど透明になっていた。
「おーい、にとり。もう良いだろう。私の目と鼻をもってしても、これは完璧なる水だよ」
「まあ、待っておくれ。こいつは動作中だ。ということは、まだ有害なやつが潜んでるってことだ」
「そこまで判別してくれるのか。けれど、そろそろ日も暮れてきているぞ」
「しっ、ディスプレイが光り始めた。何かまたメッセージが出てくる」
「次で終わりになればいいが」
『水を検出しました。水は水中毒を引き起こす可能性があります』
ごっ、という音とともに、水はすべて虚空の彼方に消え去った。
「本当に終わりになったね、椛」
「私のせいか」
「私としたことが大失敗だったよ」
「これは一体、どういうことだか説明してもらえるか」
「水ってのは、飲み過ぎると中毒になる。まあ、何リットルも飲めばの話だけど。それが水中毒。
最悪の場合は死に至る。だから、こいつは水を有害な物質と検出してしまったんだろうね」
「それを言い出したら、世の中に安全な物質なんて無いだろう」
「そうなんだよ。薬も量を間違えれば毒になる。水も空気も食べ物も、厳密な意味で安全ではなかったんだ。
これの区別をどうするか、それがこれからの課題だね。解決法があるのかさえ分からないけど。
夢の発明への道は厳しいね。今日からまた眠れない日々が始まるな、まいったまいった」
「根っからの技術者だよ、にとりは。さあ、こいつを運ぼうか」
二人はこの発明品を抱え、にとりのラボへと向かった。
にとりは、椛が、自分の発明品の披露にいつでも付き合ってくれる、この時間が好きだった。
椛も、にとりと他愛無い会話をして、彼女の発明品に目を奪われる、この時間が好きだった。
夢の発明品とは、どのようなものだろう。
もちろん答えは一つでは無いだろうし、人それぞれでもある。
ただ言える事は、それはおそらく、幸せを感じさせてくれるものだろう、ということ。
であるからして、二人が運んでいる浄水器の、ディスプレイがこう光るのは、必然であったのかもしれない。
『時間を検出しました』
河城にとりは、夢の発明家である。
今日もまた大発明を見せびらかそうと、友人であり助手でもある犬走椛をいつもの対局場へ呼び出した。
「にとり、今日の発明はどんなもの?」
「椛、よく聞いてくれたね。今回こそは夢の発明だ。これは浄水器というやつさ」
彼女は背中の大きなサックからおもむろに、これまた大きな、両手で抱えられるほどの大きさの筒を取り出した。
円柱型で、上の半分ほどが透明だ。上には丸い穴が、下にはそれより数段小さな穴があいている。
正面には小さなパネルが付いており、その上に「ここを見てろ」と走り書きで書いてある。
ここんとこ、見てくれろとにとりは透明なフード部分を指さした。
内部は暗くて、不思議なことに椛の目をもってしてもはっきりとは見えない。
にとりがニヤリと片ほおを上げて笑った。
「咲夜の能力をさ、ちょっと組み込ませてもらってるんだ」
「良くあのメイドの協力を得られたね。よほど良質の紅茶でも仕入れていったのかい」
「んにゃ、白黒ネズミが貯めこんでた財宝を気付かれないようちょいと拝借してやっただけさ」
「相変わらずだな」
どこまでも無害そうな顔して、油断ならないやつなんだこいつは、と椛は思った。
「でもさ、こんなものどこで使うの。この妖怪の山の水はいつでも綺麗なのに」
「分かってないね。今幻想郷には外の世界からの有害な物質がどんどん流れ込んでいる。
この山がいつ染まってしまってもおかしくない状態なのさ。だから準備は早めにしておいたほうがいい」
「そんなものかね」
にとりは懐からガラス瓶を取り出した。黒々とした液体が入っているフタを取ると腐った油の匂いがした。
「ひどい臭いだ。なんだい、これ」
「これは私のラボから出た廃液なんだけどね。ともかく早速使ってみようじゃないか」
にとりは台の上の浄水器の中に、廃液を注ぎはじめた。つま先立ちである。
浄水器が淡く光り、何やら術式が発動し始めた。器具内部に取り付けられた賢者の石のレプリカの力である。
このレプリカ一つで、水内部の異物の分離や、有機ディスプレイに出力する文字のエネルギー源までこなす。
レプリカは一つしか手に入らなかったし、小さいのでこのサイズの浄水器にしかならなかった。
今度また魔理沙に交渉して持ってきてもらうように頼んでみるか。にとりは精一杯背伸びをしながら考えた。
しばらく経って、
『重油を検出しました。これは人体に毒です。拡張空間に排出します』
ピーという音と共にメッセージが表示された。黒い液体の黒い部分が大分薄まったようだ。
「なるほど。これはいい。少し水かさが減ったな。これだけ重油が入っていたのか。この調子で私が飲めるくらいに浄化して欲しいな」
「あとはこいつに任せておけば自動的に飲めるようになるって寸法さね。少し時間がかかるかもしれないが、幸い時間ならたっぷりある。一局いこうか」
「全部終わるまではどれくらいかかるんだい」
「さあ、そいつは皆目見当がつかないね。なにせ今回が記念すべきこいつの初始動だ、喜んでおくれ」
「はいはい」
そうして二人が将棋に興じていると、
『鉛を検出しました。鉛中毒を引き起こす可能性があります。拡張空間に排出します』
再びメッセージが表示され、さらに水の量が減ったように見えた。
「鉛か。一時期盾が鉛製だったことがあったな。
外から入ってくる遊具によく使われていたから、それをバラして加工しなおしていた、おかげでまるで鈍器を持っているようだった。
盾で殴ったほうが強いんじゃないか、なんて言葉も聞こえたよ」
「妖怪にはもしかしたら関係ないのかもしれないけど、よく平気だったね。
鉛は毒だ。人体にはね。さあ、そちらの番だよ」
将棋の盤面から駒が取り除かれていくように、浄水器に注いだ廃液からも次々と有害物質が除かれていった。
ほとんどは椛にとって聞き馴染みのない言葉であったが、にとりが逐一解説を入れてくれるので、それは大した問題ではなかった。
もしかしたらにとりも、ただ知ったふりをしているかもしれないが、それこそ椛にとって大した問題ではなかった。
王がまた、盤面から除かれた。
何度決着がついたか、十から先はどちらも数えておらぬ。
果たして廃液は、当初の体積の三分の一ほどになり、様子は、それこそ純水と見紛うほど透明になっていた。
「おーい、にとり。もう良いだろう。私の目と鼻をもってしても、これは完璧なる水だよ」
「まあ、待っておくれ。こいつは動作中だ。ということは、まだ有害なやつが潜んでるってことだ」
「そこまで判別してくれるのか。けれど、そろそろ日も暮れてきているぞ」
「しっ、ディスプレイが光り始めた。何かまたメッセージが出てくる」
「次で終わりになればいいが」
『水を検出しました。水は水中毒を引き起こす可能性があります』
ごっ、という音とともに、水はすべて虚空の彼方に消え去った。
「本当に終わりになったね、椛」
「私のせいか」
「私としたことが大失敗だったよ」
「これは一体、どういうことだか説明してもらえるか」
「水ってのは、飲み過ぎると中毒になる。まあ、何リットルも飲めばの話だけど。それが水中毒。
最悪の場合は死に至る。だから、こいつは水を有害な物質と検出してしまったんだろうね」
「それを言い出したら、世の中に安全な物質なんて無いだろう」
「そうなんだよ。薬も量を間違えれば毒になる。水も空気も食べ物も、厳密な意味で安全ではなかったんだ。
これの区別をどうするか、それがこれからの課題だね。解決法があるのかさえ分からないけど。
夢の発明への道は厳しいね。今日からまた眠れない日々が始まるな、まいったまいった」
「根っからの技術者だよ、にとりは。さあ、こいつを運ぼうか」
二人はこの発明品を抱え、にとりのラボへと向かった。
にとりは、椛が、自分の発明品の披露にいつでも付き合ってくれる、この時間が好きだった。
椛も、にとりと他愛無い会話をして、彼女の発明品に目を奪われる、この時間が好きだった。
夢の発明品とは、どのようなものだろう。
もちろん答えは一つでは無いだろうし、人それぞれでもある。
ただ言える事は、それはおそらく、幸せを感じさせてくれるものだろう、ということ。
であるからして、二人が運んでいる浄水器の、ディスプレイがこう光るのは、必然であったのかもしれない。
『時間を検出しました』
河城にとりは、夢の発明家である。
無駄が一切排除された話
これこそが「良い短編」と評されるものなのではないかなと思います
オチににやりとさせられる素晴らしい作品です
思わずクスリときました。
個人的には、最初の一文が ~あった。 → ~ある。 であればより良かったと思いました。
短いお話の中の、深い考えオチがお見事です。
毒物の量の議論の話はすごく好きなのですが、そこにとどまらずもう一段落ちがあるとは!
しかしこれも一つの幸せの形と信じたいですね・・・
ごちそうさまでした。これからもがんばってください。