コソコソ……
とある少女は扉を抜けてただひたすら気配を隠して廊下を歩く。
フラフラ……
だけどどっちへ行けばいいかわからなくなってしまった。
ソワソワ……
少女に不安が降りかかり。
……シトシト。
窓から見えた焼ける酸に、またかと諦めた。
そしていつもならここであの声が聞こえて、またいつもの場所からコンティニュー。
「お部屋にお戻り下さい」
遠く、遠く、この声が変わったのはいつの日だっただろうか。
「ああ、つまんないなぁ」
遠くに晴れ間は見えているのに、ここのところ、ここら辺りだけ雨が続いている。そのおかげで私は今の住処から出ることができなかった。最近みんなと顔すら合わすことができていない。とにかく退屈で仕方がなかった。せっかく新しい遊びを考え付いたって、一緒にしてくれるみんながいなければ頭の隅っこにさようなら。そしてまたつまらなくなる。もうどうしようもなく暇で暇で仕方がない。早く雨が止んで自由にしてくれないかなぁ。そうすれば、チルノ達に会えるんだけどなぁ。あ、湿気で髪先が丸まってきた。もうなんだろう鬱陶しい。金髪って丸まりやすいのかなぁ……そんなことないか。
……
…………
………………
「あああああああああああああああああ!!」
もういい! もう我慢できない! 大体何よ一体いつまで降ってれば気が済むのよこの雨は! もう三日よ三日! ずっと降り続けるとかあり得ないでしょ! だったらこっちから出てってやる!
そう思い、目の前に広がっている雨模様など気にせずに飛び出した。でも、雨の中に混じるカビ臭さや肌に染み込む雨水に私のやる気は彼方へと飛んで行ってしまった。殴りつけるような雨でも、突き刺すような雨でもない。むしろそっちの方が冒険心が湧いたのかもしれない。でも、あまりに弱々しく湿らせるような雨では、やっぱり自分の心さえも湿らせてしまうだけだった。
三日、この雨は勢いが増すことも減ることもなく降り続いている。コソコソっと住処に戻ろうかと思ったが、また憂鬱な時間を過ごすのも癪に障った。
どうしようもなくなってしまった私はとりあえずフラフラと歩いてみることにした。でも、薄暗い中では目の前がよく見えない。真っ暗なのは慣れているが、にわかに見える視界は目の前を歪ませて、普段と違う空気に私をソワソワさせた。
「……なんだ」
普段見えない道のりを歩いてきたつもりだったけれども、たどり着いたのは見慣れた紅い館だった。湖畔の小島に浮かぶ見た目は普通の館。私の住処とは目と鼻の先じゃない。そういえばこの近くだったっけ、今の住処。私の住処は気分次第でコロコロ変わるから。ちなみに今回は小島のとある木の上。あの葉っぱのがさがさした感じが気に入った。でも今はこの退屈な気分を解消させるのが何よりも先決。さっきまでのソワソワフィールを返してよコノヤロウ。
というわけで何か憂さ晴らしになればいいと思い、私はその館に足を踏み入れることにした。
門の前まで来てみたが、案の定そこには門番が傘を差しながら退屈そうに立っていた。雨関係なくこの門番はいつも退屈そうだけど。
「こんばんわー」
「まだ少し早いんじゃない? ルーミア」
うーん、正直もう何時なのかも分からなくなっているんだけど。お腹時計に頼ってみたけど少し早かったみたい。……食いしん坊か私は。
……食いしん坊だった、私。
「暇」
「ええ」
「入っていい?」
「どうぞ」
「そう残念、それじゃ――えっ?」
「暇なんですよ」
ええぇ……門番しっかりしてない。あの時はものすごい勢いで巫女とか魔法使いとかと戦って門守ってたのに。
「ほ、ホントに入るよ?」
「ええ、暇なので」
よくわからない返しに戸惑いつつも、私は門を潜り目の前の大きな扉に手をかけた。少し錆びついた銅のざらざらした感触を味わいながら扉を開け、中に入った。
「ああ、そうだ」
すぐ後ろから声がして振り返ってみたら、門番がそこに立っていた。
「私の仕事はもう終わりなのでこの傘を渡しておいて下さい」
そう言って、私に少し濡れた傘を差し出した。渡してと言われても、一体誰に渡せばいいのだろう。というか、もう仕事が終わりなら自分で渡しに行けばいいのに。
「それでは……よろしくお願いしますね」
そう言い残して赤い髪がたなびく後姿を見せながら館の奥へと消えて行ってしまった。そこに取り残されてしまった私は、誰に渡せばいいのかも聞きそびれて、雨が降る音だけが聞こえる静かな館のエントランスに取り残されてしまった。傘から垂れる小さな滴が地面に穴を空けようとせんばかりに必死に落ちていく様をしばらく見つめ、外の空気とはまるで違う澄んだ空気を味わいながら、散策ついでに返し主を探す旅に私は出た。
しばらく自分の歩く音とふわふわの絨毯を踏みしめる感触を楽しみながら歩いていた。さっきから誰とも会わない。雨の音さえも聞こえてこなくなっていた。窓が少なすぎて音を通す物がなくなっていたからかもしれない。そうじゃなくてもやっと聞こえてくるくらいの弱い雨だったから、なおさらなのかもしれない。などと、割りとどうでもいいことを考えながら私は歩いていく。傘から垂れていた滴も諦めてしまったかのように床に対する襲撃をやめて、姿を消していた。
ふと、私は歩くのをやめた。遠くから自分とは違う足音が聞こえたような気がしたから。
目の前に、真っ直ぐに進む道と左に逸れる道がある。聞こえた気がしたのはその逸れる道からだった。その道は遠くに行けば行くほど暗い。吸い込む程でもなく、飲み込む程でもないが、そこには音も物もない。何もない。そう思わせる程真っ暗な道だった。
――なんだか急にワクワクしてきた。不意に笑みがこぼれるくらいに。ただなんともない道を歩いてきただけだったから尚更だ。私がそこに進まない理由なんてどこにもなかった。
ほのかに暗い道をただただ進んでいく。目の前は未だに闇が包んでいて明かりもないままに進んでいく。さっきまで澄んでいた空気がずしりと重くなって、埃っぽくてカビ臭くなった。ところどころにある花瓶の赤や黄の花も項垂れていて……すごくワクワクする。気分が滅入ってしまいそうな雰囲気なのに。全然退屈なんてしなかった。
――足音がはっきりと聞こえてきた。もう、すぐそこにいる。静かな分だけ余計にはっきりと。そして、真っ暗な道の中に明かりが一つ浮かんでいた。それが一つ一つどんどん浮かんでくる。それは、色とりどりの綺麗な水晶だった。その水晶は一人の少女の姿を映し出した。私と同じ金髪の小さな女の子だった。どこかソワソワとしていて、不安げに辺りを見回している。すぐ近くにあった小さな窓に目を向けると、とても悲しそうに表情を曇らせてこちらの方へと歩みを進めてきた。
「ねぇ」
「分かった、戻るよ……えっ?」
私が一声かけただけなのに言い馴れたかのように一言呟いてその子は目を大きく見開いて驚いていた。
「あなた、誰?」
「ルーミア」
満面の笑みで名前を言う。
「君は?」
「わ、私? フ、フランドール・スカー――」
「ねぇフラン」
「最後まで言わせてよ」
「何してるの?」
言わせてもらえずがっくりしていた様子から、急にまた表情を曇らせてフランは窓の方を向いた。
「外にね……出ようとしてたんだ」
「雨だよ?」
「うん……雨、だね……」
「濡れるよ?」
「濡れるだけなら別にいいんだけどね……焼けちゃうから」
焼ける?
「肌が焼けるのは日差しだよ?」
「そういう意味じゃないんだけど……そうだね、日差しはもっとダメ」
「何よ? なぞなぞ?」
フランはまたがっくりと肩を落とした。そして、あきれたような顔で私の顔を覗いていた。やめて、そんな悲しい子を見るような顔はやめて。
「……そうだね、なぞなぞしよっか」
「うん、する」
フランは私と向き合うように体を向けて、柔らかい笑みを向けながら呟いた。
「濡れたら焼けて、日差しはダメなものなーんだ」
「濡れたら焼けて日差しに当たるとダメなものかー……難しいなコレ」
腕を組んで唸る私にフランはふふっと小さく笑って目を細めてきた。うーわ腹立つ。そんな顔をするのなら意地でも答えてやる。えーっと、濡れたらダメで日差しに当たってもダメなんでしょ? ダメってどういうこと? 壊れるの? なくなるの? 濡れたら壊れたりなくなったりダメになったりして、日差しに当たると壊れたりなくなったりダメになったりするもの…………あっ。
「わかった」
「簡単……過ぎたかな?」
ちょっと苦笑いを浮かべたフランが困ったように頭を掻きながら私に背を向けて歩き出そうとしていた。
――飴玉!
「えっ?」
驚いた表情を浮かべながら、フランはまたくるっとこっちを向いて私と目を合わせた。
「だって、舐めてたら唾液で濡れて消えちゃうでしょ? それに、日差しに当たってたら……なんかネチャネチャになってダメになる。どう? フラ……ん?」
私が自信満々に答えている目の前で今度は膝からがっくり落ちて両手で地面に突っ伏していた。
「どうしたの?」
「う、ううん、なんでもない……でも、ネチャネチャって……確かに私引きこもりみたいだし舐められるのは分かるけど、ネチャネチャって、私がネチャネチャって……ちょっとヒド過ぎると思うんだけど……」
本当にどうしたんだろうフラン。なんかすごくショックを受けてぶつぶつと言ってるんだけど。当たってるかどうかも言ってこないし。
「ねぇ、合ってる?」
「答えてほしくなかったよ、合ってる以前に」
「やった合ってた」
「合ってない! それになくなるじゃなくて焼ける!」
フランが真っ赤になって私に怒ってきた。なんだかなぁ。さっきまで落ち込んでたり、笑ったり、がっくりしたり、怒ったり。表情とか仕草とかコロコロ変わるなぁ。
でも、なんか面白い。
「ねえ、フラン。外行くんでしょ? 一緒に行かない?」
「えっ?」
「私も、暇で退屈で死にそうだったんだ。フランもでしょ?」
「えっ? えっ?」
「違うの?」
「……確かに暇で退屈だったけれど、私はここから出られないよ。私は、吸血鬼だから……」
そう言ってまた曇った表情を浮かべて俯いてしまった。ふーん、吸血鬼なのかフランは。確かに八重歯もよく見れば少し伸びているし、瞳もほんのりと紅い。言われるまで気づかなかったよ。
「ごめん、怖いよね、吸血鬼なんて……」
「ぜんぜん」
私が答えたらフランがまた驚いた表情をして私の目を見た。なんでそんなに驚いているんだろう。
「……怖く、ないの?」
むしろなんで怖がらなきゃけないんだろう。私だって妖怪だし。妖怪がうようよと出歩いてるのが幻想郷だし。今さら吸血鬼がいるからって驚くことなんて全くない。むしろあくびが出そうなほど『あ、そう』な感想しか出てこない。というか本当にあくびが出た。ずっと歩いてきたしここ暗いし、眠気を誘われるには十分すぎる。
あくびをして瞳に涙を溜めているそんな私を見てフランがキョトンとしてる。
「あ、もしかして怖がってほしかった?」
「あ、う、ううん、そんなことない……」
「だったら早く外行こうよ。私寝そう」
そう言ったらまたあくびが出てきた。ああ、ずっと住処でゴロゴロしてたから、変ななまけ癖でもついちゃったかな。やっぱり退屈なのはよくないね。
――ああ、でもなんでだろ。ワクワクしてる、ずっと。
「あっでもそうか、外雨だったっけ」
音が消えてたから忘れてた。吸血鬼を雨に当てるわけにもいかないし……ああ、フランがまた悲しそうな顔しちゃったよ。あんまりそんな顔ばかりされるとこっちも気が滅入る。
仕方がない。本当は渡さなきゃいけないものなんだけど……美鈴、ごめんね。
「傘の中なら大丈夫だよね」
そう言って右手に握っていた傘をフランに差し出すように突き出して、私はにこっと笑って見せた。誰の物か知らないけれどちょっと借りて行こう。後で渡せば大丈夫だよね、多分。
「ほら、早く」
そう言う私をただじっと見ていただけのフランも、少し柔らかくなった笑みを浮かべながら右手を差し出して傘の柄を手に取り、掴んだ。
――ひひ、掴んだ掴んだ。
「よし出発!」
「おわっ!」
フランが傘を掴んだ瞬間に、私はフランの左手を掴んで今まで来た道に踵を返し走り出した。来た時の憂鬱さなど彼方に飛んで行ってしまっていた。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「待たない!」
「み、見つかったら戻されちゃう!」
「分かった! じゃあスピード上げるね!」
そう言って私はもっともっと速く走った。だったら見つかる前にさっさと出ちゃった方がいいよね。
「そういうことじゃなくてーー!」
「ほら、速く早く!」
フランは辺りを不安そうにきょろきょろしながらもちゃんと私に付いてきた。私は前だけを見て一目散に玄関に向かって走っていく。柔らかいふわふわの絨毯も私たちの足跡をしっかりと残していた。
静かな空間に私とフラン、二人の会話と足音以外何も聞こえなかった。ううん、聞く気なんてさらさら無かった。ただ真っ直ぐに道を戻って扉を開けて外に出る。それだけしか頭の中になかった。
ただ、この時、しっかりと目だけは見るべきだったと思う。見るべき場所へ。私は、私だけがこの時何も見ていなかったのだと思う。あたたかいフランの手が離れないようにしっかりと握ってただ走る私には、気づくことなんて到底出来なかった。
「フラン、傘開いて!」
フランは何も言わずに握っていた傘を思いっきり開いた。私は目の前まで来ていた錆びついた扉を開けて外に飛び出して黒く淀んだ空に思いっきり飛びこんだ。
――この日、私に友達が増えた。
外の雨はやっぱり弱々しかった。飛んでいる最中にも頬に当たる雨に濡らされてもそれはやっぱり弱々しい。それでもフランには大きな障害になっていたのかな。こんな雨でも外に出られないなんて。
「フラン、焼けてない?」
「うん、大丈夫!」
雨の中でどんよりしている空気とは比べ物にならない明るい声が聞こえてきた。ふと隣を見てみれば、ウキウキした表情で明るく笑うフランがそこにいた。さっきまでこんな表情してくれなかったのに。不意に私にも笑みが零れた。
フランの笑顔を覗きこんでいたら急に顔を濡らしていた雨が止んだ。本当に狭い範囲で雨が降っていたんだと実感した。そういや遠くに晴れ間が見えてたっけ。
――あ、やばい。
「フラン陽の光ってダメなんでしょ?」
「うん」
「……あっち晴れてる」
そう言って私が指差した先には少しオレンジがかった太陽が見えた。夕暮れに近くなっているとはいっても日差しには違いない。吸血鬼って日に当たるとどうなるんだっけ。
「えっ!? どうしよう私灰になっちゃう!」
「はい?」
ああ、燃えるのかフラン……燃える!?
「日に当たらなければ大丈夫?」
「多分……」
「まかせて!」
そう言うと私は自分の周りに影のような大きな暗い闇を出した。これが自分の能力で本当に良かったと思った。これがなければきっと今頃はフランは丸焦げになっていただろう……本当に丸焦げになるのかはしらないけれど。
もう傘は必要ない。雨は完全に止んでいる。私はフランを自分の体にくっつけるように引き寄せた。
「うわっ! 真っ暗!」
「私の闇だからねぇ、光も通さないよ」
そう言いながら飛びぬけて行き、完全に雲がなくなった。日差しが私たちを照らし出そうとしたけれども、それは到底無理なことだよお日様さん。フランを引き寄せたまま私たちは飛べている。その光は私たちには届かなかった。
へへっ、せっかく外に出られたんだ。こんなことでやめるわけにはいかないからね。
「大丈夫? フラン」
「……うん! 平気!」
そっかよかった。じゃあ大切なことを伝えよう。
「でもねフラン」
「ん?」
「私、前見えない」
「……」
「……」
「……どこ飛んでるの?」
「わかんない」
「どこ行く気なの?」
「決めてない」
「……」
「……」
「……しばらくは二人で空を飛んでいるしかなさそうだね」
「うへー」
しばらく私たちは景色も色も何もない空をただただふんわりと飛ぶことになった。ああ、遊びたい。自分の能力がちょっとだけ嫌いになった。あ、でもこのままだといつ日が沈んだのかもわかんないや。どうにかして下に降りないと……あ、下、湖だった。まぁいいや適当に飛んでいよう。もう少ししたら完全に日も沈んでしまうだろうし。また退屈な時間を過ごさなきゃいけないのか。
「ねぇ、フラン」
「うん?」
少しでも退屈しのぎになればいいと思って私はフランに話しかけた。実はほんのちょっとだけ気になっていたことがある。
「フランは本当に外に出られなかったの?」
「……」
「だって傘を差せば雨は大丈夫だし、日差しがダメなら日傘があるし」
「……そうだね」
妙に落ち着いた声でフランは言った。気になる言い方だった。今まで聞いた声の、落ち込んでいるわけでも、怒っている声でもない、なんというか……空っぽな声だった。
しばらく私たちは真っ暗な闇の中でお互い黙ったまま空を飛んだ。私の闇がもっと嫌いになった。
「ふぎゅ!」
前が見えないからわからなかったけどどうやら段々と下に向かって落ちて行っていたらしく途中の何でもない木に頭から突っ込んでしまった。というか痛い。すごく痛い。ゴンッじゃなくてガリッていった。
「大丈夫?」
「大丈夫だと思いたい」
もはや願望。幸いスピード出してなかったからよかったけれどもいつもの調子なら今頃のた打ち回ってる。額に当てていた手の指先に微かに濡れた感触があった。ああ、血が出ちゃってる。頭から血って重症じゃないか、私。
「……もう夜だね」
フランがそう言ったから手をのけて辺りを見回してみた。微かに先が見える程度で辺りはもう何も見えなくなっていた。感じるのは、そよぐ風と草場で鳴く小さな虫の合唱だけ。ここがどこなのかなんてもちろん分からなかった。
ということは、日の光を気にしなくてもよくなったってことだよね。
「もう夜かぁ」
「私……自由だ」
フランの表情がみるみるうちに明るくなっていった。そして何を思ったか急に辺りを走り始めた。
「あっ」
「風!」
フランが両手を広げる。
「虫の声」
急に立ち止まって耳に手を当てる。
「柔らかい草」
しゃがんで地面の草を撫でるように触れる。
「ずっと、見てるだけのものだった……」
そう言ってフランは私の方へと向いた。その顔は、とても満ち足りた笑顔をしていた。
「ルーミア!」
その笑顔が更に弾けて、私の目を奪った。
「遊ぼう!」
フランが走って私に近づいてくる。風を感じながら、草を踏みしめながら。そして、今度はフランが私の手を取った。私は何も返せないまま、ただフランのあたたかい手が触れているのを感じた。
――フランは、この手で一体何を触れてきたのだろうか。その耳で何を聞いてきたのだろうか。その目で見たものにどんな気持ちを思い浮かべたのだろうか。私は初めて、フランドールという存在について考え始めていた。ただ、外に出たかった女の子という風にしか思っていなかったから。自分の退屈を彼方に消してくれるだろう。そんな風にしか思っていなかったから。思えば、結構冷たいことをフランに対して考えていたのかもしれない。だから、私は、
「朝まで寝かさないよ」
「……うん」
フランと並んでその場所から一緒に走り出した。
「あ、ルーミア! 血が!」
「平気平気!」
「平気じゃないって!」
いいんだって。フランが喜んでるならこれくらい。
走り回って、時に躓いて、二人で笑って、もうどれくらい経っただろうか。気が付くと私たちは、とある一つの大きな光の塊を見つけていた。遠くに微かに滲むように映るその姿に、心を弾ませながら、期待に胸を膨らませて駆けて行った。ためらう理由なんてない。自由な二人。笑みは絶えない。むしろ大きくなる。辺りはそう……闇ばかりなのに。目先の光にただただ吸い込まれていく。
光に辿り着いた。そこは人里だった。けど、雰囲気に華やかさを添えていた。
――祭りだ。滲んだ光の正体は人の心が大きく踊る華やかさだった。もちろん妖怪だってその華やかさに心踊らされることだってある。特に自由を噛みしめている真っ只中の私たちにとってそれはとても魅力的な光だ。
「……明るい」
「うん」
二人そろって目の前の光の虜になった。私も祭りの中に入り込むことはそうそうなかった。私たちは溶け込めるような存在ではなかったから。でも、今日は二人にとって特別な日だから、友達と一緒に入り込むぐらい、きっと許してくれるだろう。
私たちは少し躊躇いがちにその祭りの中へと足を踏み入れた。踏み入れたら、嬉々とした人々の喧騒が私たちを迎え入れた。手をつないで歩く親子。出店の遊戯でカラカラと笑う子供たち。酒を片手に談笑する大人。矢倉を囲い、踊る小さな童。そこに垂れさがる提灯がゆらゆらと揺れて共に踊る。まさに花火が咲いたような光景だった。
故に、私はその場に踏みとどまってしまった。
気圧されてしまっていた。今の光景を見た自分の心がひどく霞んでいっているのが分かった。
……とても美味しそうだった。
「どうしたの? 早く行こうよ!」
フランが私を誘う。躊躇わなくていいはずなのに。私の足はそこから進むことができない。暗く、深く、沈んでいっている。
不意に、腕を掴まれた。見上げたら、フランが私の手を掴んでいた。
そうだった。私は自分の声で答えていたじゃない。遊ぼうと言ったフランに、目を見合わせて。
私は笑顔で返して喧騒の中に手を繋いだまま入っていった。フランが私の手を引いてどんどん進んでいく。さっきとは全く逆。私が連れ出したはずなんだけど。今ではすっかりフランの方がご機嫌だった。
ふと、フランが立ち止まり私に目配せして一つの屋台を見た。
「ねぇルーミア、アレなに?」
そう言うフランの目の前に雲が写っていた。真っ白で光に当てられて雪のように輝く駄菓子。わたあめだった。
「気になる?」
「うん」
輝くそれに二人で近づいていく。大きなそれをフランはまじまじと見つめている。瞳はキラキラと輝いていて虜になっていた。
「あら、これが珍しい?」
あまりにまじまじと見ていたものだから、お店の人がフランに声をかけてきた。急に声をかけられたからフランも少し困惑している。
「どう? 一つ買っていかない?」
店の人がそう言うけど、私達はお金なんか持っていない。それに、それは人に売るものでしょ、おばさん。
「買う? 買うって何?」
「買うっていうのはね――」
妖怪の価値観と人間の価値観は違う。おんなじにすることは出来るけれども、それをしようとはお互いに思ったりはあんまりしない。今の状況だってそれを再現しているのだろう。
「きれいな羽ね、どこのお店で買ったの?」
「えっ? これは……」
「行こう、フラン」
戸惑うフランの手を握って私はその場から離れようとした。フランは分からないかもしれないけれども、私達は招かれざる客なのだ。本当は入り込むことさえできないはずの……ね。フランにはごめんとしか言えないけれど、私にこの空間の奥まで入るには少し勇気が足りなかった。
「ああ、ちょっと待ちなさい二人とも!」
駈け出した二人におばさんは大声で私達を呼び止めた。私は足を止めてしまった。
「……これ、持って行きなさい」
そう言うと並んである内の一つを両手に持って私達に差し出してきた。真っ白でふわふわの雲を。
「いいの!?」
「いいのよ、もうすぐお店も閉めて混じりに行こうと思ってたところ。あっても捨てるしかできないからね」
二人で目を合わせて、差し出されたそれを受け取った。
「楽しんできてね。今日は『誰だって』楽しんでいい日だから」
おばさんは柔らかい笑顔でそう言った。おばさん、もしかして気づいているの?
隣を見てみれば、渡されたそれを見つめているフランがいた。
「……ありがとう」
おばさんはただ頷いて、着ていた着物の袖を翻しながらそそくさと自分の店に戻っていった。
楽しんでいい日か。遊びに連れ出した私が沈んでいたら楽しいことも楽しくなくなるよね。おばさんの言葉に少し救われた。
「ねぇ、ルーミア」
「うん?」
「これ何?」
そういえば教えてなかった。フランはこれをなんだと思っているんだろう。
「食べ物だよ」
「食べ物!?」
驚いたフランがまたそれをまじまじと見つめた。今度は見回すように上から下からと。その様子がなんだか可笑しくて、不意に笑ってしまった。
「あ、やっと笑った」
「えっ?」
「だって、ルーミアここに来て全然笑わなかったんだもん」
ごめんフラン、笑わなかったんじゃなくて、笑えなかったんだ。でももう大丈夫だから。
そう、自分に言い聞かせた。
「そうかな?」
「うん」
「ごめんごめん、じゃあ行こっか。次どこ行く?」
「あそこ!」
そう言うとフランはよく目立つ矢倉を指差した。と言うより矢倉の周りで踊る子供達を。ただ見たいだけじゃないんだろうきっと。
「混ざる?」
「うん!」
私はフランの手を取って、二人でわたがしを啄みながら矢倉の方へと歩き出す。二人で食べるわたがしは見た目以上にふわふわしていてとても甘かった。フランは夢中になってそれを食べている。甘いと驚き私に笑みを向けながら。
通り過ぎる人々の奇異な視線など気にせずに。
母親と手をつなぐ子供がフランの背中の羽根を指さして母親に咎められる時にも、すれ違う大人がわざと大きく私達を避けた時にも、フランは満面の笑みでわたがしに夢中になって私の歩幅に合わせて歩いている。
もういいや、フランがいれば。私はフランに笑みで返した。
わたがしが消えてなくなる頃に私達は矢倉へと着いた。子供たちの喧騒に混じって私達は堂々と踊った。見よう見まねで手足もバラバラの下手くそな踊りを。フランなんか3回も躓いてコケた。その度に私は止まってフランを起こした。ごめんねと笑うフランに、私はただただ笑うことしかできなくて、言葉を出すことができなくなっていた。
フランは気づいただろうか。子供が一人、また一人と輪の中から抜けていくのを。矢倉から聞こえてくる太鼓の音がどんどんどんどん薄くなっていくのを。それでも私は笑みだけは消さないようにと必死だということを。
フランは躓く度にまた下手な踊りを踊り続けた。
おばさんの言葉の意味を奪うのは、やっぱり私達なのだろうか。誰でも笑えなくしているのは、私達なのだろうか。それでも私はフランと笑顔で笑い続ける。
そう、今日は特別な日なのだから。
ついに、太鼓の音が消えた。踊る子供は誰もいなくなっていた。
「あれ?」
フランが周りの様子に気づいた。私はそっとフランを庇うように右腕で視線を塞いだ。
――なんでここに
おい、子供を早く中へ――
――お母さんあの羽根ほしい
あんな趣味悪いのがほしいの?――
――こんな時にも仕事か
自警団も暇じゃねぇよな――
私達は何もしない。
嘘つき、本当は綺麗だと思っているくせに。
いいからそのまま酒でも飲んでてよ。
――放っておいていいのか?
お前喰われたいのか?――
――あいつ知ってるぞ
ああ、あいつに何人喰われたか――
――早く逃げよう
バカ、下手に動いたら標的にされるだろうが――
そっか。美味しそうなんて思った時点で、私はフランを連れ出して二人で遊んでいればよかったんだね。そしたら、フランにこんな視線を浴びせることも、売れ残りなんて食べさせることも、踊ってコケて膝を擦りむくこともなかったんだね。だったらもうここから――
「そっか、やっぱりダメなんだね」
声を聞いた。今まで聞いたどの声よりも悲しそうで、辛そうな、それでいて明るい声を。
「私、知ってるんだ。この人達の視線」
「フラン?」
「永く生きてるとこういう視線にも慣れてきちゃうんだよね。引きこもってたからすっかり忘れちゃってたよ」
「やめて、フラン」
「ルーミア、なぞなぞの答え、実は少し当たってたんだ」
「え?」
――私は時々、ネチャネチャになるんだ。
フランが右手を握る。隣にあった矢倉が軋み、砕け、粉々に消え去った。人々の視線がそちらに写って恐怖に顔を歪ませていく。そして聞こえてくる、太鼓より大きい阿鼻叫喚の汚い音色。私達より下手くそな踊りを踊って走る人々。
そこには、私達と木屑だけが、取り残された。
「……おばさんみたいな人ばっかりならよかったのに」
私は、何も言えなかった。何かを答えれば答えるほど、深みに沈んでいくような気がして。
「あーあ、素直に部屋にいればよかったなぁ」
そう言ってフランは私の方へと向き直った。私は、不意に目を逸らしてしまった。
私は、また間違えた。逸らしてはいけなかったのに。気づいてすぐに合わせても、もう遅かった。
「ありがとうルーミア。お陰で幻想郷の外の世界を知ることができたよ」
やめて。
「ルーミアも大変だったでしょ? 何も知らない私を連れ回すの」
やめて、やめてよ。
「私、明るく振る舞うのって苦手でさ」
「やめて!!」
やっと出てきた言葉はやっぱり深みに沈んでいく。
「もう、いいや。私帰るね」
「待って!」
――『貴女』といなかったら、こうはならなかったのかなぁ。
私の心に言葉を突き刺して、フランは高く高く飛び去ってしまった。
フランが飛び立っても、追いかけることも、ましてや、一歩踏み出すことも私にはできなかった。何もないと思っていた一日を特別な日に変えてくれた一人の女の子が、遠く離れていくのをそれでいいと思ってしまったから。
「フラン……」
「あらら、どうしたのかしらねこれは」
一つの声が聞こえてきた。目を向けてみれば、わたあめのおばさんがそこに立っていた。
「矢倉が倒れちゃったのね。怪我はなかった?」
「うるさい」
伸ばされた手を私は思いっきり拒絶した。何も知らないならさっさとここから離れて欲しかった。知っても離れるなら余計に。
「……さっきの女の子は?」
「うるさいって言ってるでしょ!」
私はおばさんを睨みつけた。その人は――なんでもないかのように微笑んでいた。私を恐れているわけでも、探るでもなく、ただそこで、ありのままに微笑んでいた。
「はぐれちゃったの? それとも喧嘩でもしたのかしら?」
私は何も言えなくなって、その人から目をそらした。
「どうしたの?」
「……困らせたの」
「どうして?」
「私が、あの子より大人ぶったから」
フランの方が私よりもたくさん知っていた。向けられる視線の意味も、纏わり付く気持ち悪さも。
対等だって思っていたのは自分だけだった。いや、それどころかフランを下に見ていた。本当は月と湖ほど離れていたというのに。私は映った月をフランそのものだと思っていた。
「だから……愛想つかして帰っちゃった」
虚しく笑う私に、私自身がそれを見下していた。
「……そうかしら」
その言葉に、私は、ぬるく潤まった瞳で向き直った。
「あの時のあの子、とても楽しそうに見えたわ」
だったらなんであんな言葉を残して去っていったの?
「でも、『貴女といなかったら』って言われて……」
「それって、『貴女といなかったら、貴女をこんなに辛くさせることはなかった』ってことじゃないかしら」
そんなこと……そんなことあるわけないよ……
「貴女はあの子のこと嫌い?」
「そんなことあるわけない!」
私だってフランと一緒にいて楽しかった。色んな表情を見て、フランに会って、フランと一緒にわたがし食べて、踊って、楽しくなかったわけがない。今日が終わっても、また一緒に遊んでいたかった。そうじゃなかったら、こんなに悲しくはならない。
「なら、早く追いかけなさい。早くしないと、月の光が消えてしまうわ」
そう言われても、私の足はまだ飛び立てない。次に会って、本当に拒絶されてしまったら、今度こそ、もう、フランとは友達ではいられなくなってしまう。私はそれが何より怖くて仕方がなかった。
「――時間は止まっても、戻ってはくれないわよ」
そうだ。こうしている間にもフランは遠くへ離れてしまっている。今追いかけなかったら、私達はなんでもない二人になってしまう。
「間に合うかな」
「月は、まだ綺麗よ?」
私は、軽くなった足をおもいっきり踏み込んで月夜の中に飛び込み、見えなくなった少女の姿を追いかけ始めた。
まだ沈むな。私が掴むまで。
「少し、大きくなったかしら。そうは思わない?」
「いつも側にいる私にもわかりません」
ルーミアが追いかけた時、女性の後ろに赤髪の少女が木陰から現れた。
「もうどれくらい経ったのかしら」
「須臾ほどもないですよ。私とあの人たちにとっては」
赤髪の少女はコツコツと靴音を鳴らして女性に近づいていく。
「また、戻ってきてはくれませんか?」
「それは、もうないわね」
女性はゆったりとした微笑みを少女へ向けて澄んだ声で少女の期待を切り崩した。
「私は少し寂しいです。毎日も暇になりました」
「あら、いいことじゃない」
少女は少し呆れた様な顔をして、傍にあった段差に腰を掛け頬を付き、女性を見上げた。
「どうして、離れてしまったのですか。あの場所から」
女性は月を見上げて遠く昇っていく姿を見つめた。
「幼かったのよ、私。ずっと側にいられるなんて幻想を抱いていたんだから」
「いられたでしょう? 貴女なら」
女性は遠く登っていく月をまだ、遠く見つめていた。
「私の未来の姿も、『ずっと』の意味も何も知らなかったの。看取られるまで一緒だと」
「私は、そのつもりでした」
「……あなただけよ」
昇る月が、雲に遮られ微かに陰り、その姿を消していく。
「私は、あの人が分からなくなってしまった」
陰った月は雲の隙間から顔を覗かせてはまた隠れる。それを繰り返しながら月は時間を過ごしていく。
「……そうですか」
「ええ、それだけよ」
少女は立ち上がり、女性に背を向けて歩き出す。期待の篭もらない声など届くはずも無かったと、甘噛で襲いかかっても何かが動くでもないことを悟って。
「傘は、返せなかったか」
「いいえ」
女性が『何も無かったはずの』右手に握っていた雫濡れ伝う傘を少女に見せつける。
「あの子たちが、持ってきてくれたわ」
少女は驚きに目を見開かせ、傘を見つめる。
「離れようと必死だったのね、落としたことにも気付かずに」
「……アナタに、あの人は気づきませんでしたか」
「ええ、脇目もふらず、あの子と行ってしまったわ。夢中でね」
白く霞がかったようなその『日傘』は、月の光が照らしていてそれだけは光輝いていた。
「……アナタに、報告があります」
「なにかしら」
「――妹様に、友達ができました」
コソコソ……
少女は繋いだ手を振り払ってただひたすら気配を隠して空を飛ぶ。
フラフラ……
だけど心はどちらに向いているのかわからなくなってしまった。
ソワソワ……
少女に初めての気持ちが降りかかり。
……シトシト
少女の瞳に、焼けるよりも辛い淡い雨が降った。
ただのなんでもない一日を特別な日に変えてくれた子を、その手を、心ない一言と一緒に振りほどいてしまった。誰でもない自分の手で。
このまま帰れば、いつもの時間をあの場所で過ごすだけ。
ここで何もなかったことにしてしまえば、簡単に、いとも簡単に過去の繰り返しが始まる。誰とも顔を合わすこともなく、ただ窓に映る雫を目で追って、諦めていればもう何事にも憂うこともなく、破壊することもなく、縛られることもなくいられる。
こんな思いをすることも、させることもなくなる。
湖に映る月を見下ろしながら、私は夜を進む。もうどうしようもない程に、いつもの私だった。
……傘なんか、なければよかったんだ。
それでも、私の瞳に写っている姿は、自分と同じ色の髪を揺らして笑っていて、躓く私に手を伸ばすあの子だった。
飛ぶ速度は気持ちとは裏腹に勢いをなくし、立ち止まる。
ここは湖上、水の大きな円が一つと、月の光の突き刺す帯が一つと風になびく金髪――
――それが、ふわりと二つ、浮かんでいた。
「どうして来ちゃったの……」
「友達だからだよ」
「嘘つき。私を見る目、変えた癖に」
こんなことが言いたいんじゃない。
「うん変わった」
私が本当に言いたいことだけが壊れていく。
「そう、ならもう会う必要はないじゃない」
壊れてなくなってしまうならいっそ隠してしまいたい。そうやってずっと隠してきたから、私はわたしでいられたんだ。
「でも」
「早くいなくなれ!」
……これ以上は隠し切れない。
「それでも、謝りたいんだ」
……隠す必要はあるの?
「ごめん、フラン。辛い思いさせて」
ルーミアの表情が、声が、私に本当の心を暴かせる。
もう、いいのかな。壊してしまっても。
壊しても、新しい何かがあるのかな。初めてだから、分からない。
「私が勝手に大人びようとしたから、勝手にお姉さんっぽく振る舞ったから。フランを困らせた。悪いのは私だよ」
壊れたものでも、ルーミアは受け取ってくれるかな?
「本当に、ごめん……」
……うれし……かったの。
「え……」
「本当に、う、うれしかった……の……。うれしくて、たの……しくて、ずっと、ずっと続けばいいのにって思っ……てて」
ボロボロと崩れていくのが分かった。
「でも、わ、私。どう言葉にしたらいいか……わ、分からなくて!」
初めてで、今の自分にどう触れたらいいかわからない。
「ずっと続くと思いたくて……でも、終わりそうになって……私……自分で壊しちゃったの!」
壊れていく中に、少し柔らかいところがあった。
「壊して、もう何もなかったコトにしてルーミアのこともほっといて今日の思い出もそこにおいて行って何もかも私から剥がして壊して潰して自分だけ安心して楽になろうとしたの!!」
壊れたものが、新しいカタチを作っていく。
「ルーミアだけだったの……ずっと生きてきて、遊ぼうって言って遊んでくれたのは、ルーミアだけだったの!」
――寂しかったの、ずっと……ずっと。
カタチができて、初めて分かった。私が窓を眺めていた訳も、溜め息ばかり吐いていた意味も。ただ、一言。この一言が言える相手を探していただけなんだということが。
ルーミアといるときに望んでいたものは、『ずっと』じゃなくて、この『一瞬』をただ求めていただけ。
自由を喜んだのは、『開放』ではなくて訪れた『機会』のことだった。
――それだけの、たったそれだけの事だったんだ。
「ルーミア……ごめんなさい」
私が作ったカタチを、ルーミアは優しく私の手に添えて、自分の両手で包んでくれた。
「……よかった。私をキライになったんじゃないんだね」
「なれないよ、キライになんて」
「私もフランをキライになんてなれない」
――いてもいいんだよね、一緒に。
――もちろん。
私とルーミアは、一緒に私の家に帰ってきた。月の光を浴びるそれは今まで私がいたとは思えないほど赤く綺麗に輝いて見えた。
「ルーミア、少し待っててほしいんだ」
私にはもう一人、このカタチを見せて、話さなくちゃいけない人がいる。
「終わったらきっと、会えるから。そうしたら、今度は私から会いにいくよ」
ルーミアはただ笑って頷いてくれた。
「その時まで。またね、ルーミア」
「待ってるよずっと。またね、フラン」
初めて交わした友達との約束を守るために、私は錆びついたドアに手を掛けて、開いた。いつも「ただいま」といえる日々を手に入れるために。
私は進む。逸れた道に見える地下への扉に「さよなら」を言えるように、脇目もふらず。私が作ったカタチをお姉様に見せられるように、今の私のままで。
扉が見えた。響かせていた靴音を鳴り止ませ、私は扉を開く。
ただいま。
おかえり。
お姉様、話したいことがあるの。
――紅茶を淹れてくるわ。座ってなさい。
待って。
――わ、私も……手伝う。
――火傷、しないようにね。
――うん。
とある少女は扉を抜けてただひたすら気配を隠して廊下を歩く。
フラフラ……
だけどどっちへ行けばいいかわからなくなってしまった。
ソワソワ……
少女に不安が降りかかり。
……シトシト。
窓から見えた焼ける酸に、またかと諦めた。
そしていつもならここであの声が聞こえて、またいつもの場所からコンティニュー。
「お部屋にお戻り下さい」
遠く、遠く、この声が変わったのはいつの日だっただろうか。
「ああ、つまんないなぁ」
遠くに晴れ間は見えているのに、ここのところ、ここら辺りだけ雨が続いている。そのおかげで私は今の住処から出ることができなかった。最近みんなと顔すら合わすことができていない。とにかく退屈で仕方がなかった。せっかく新しい遊びを考え付いたって、一緒にしてくれるみんながいなければ頭の隅っこにさようなら。そしてまたつまらなくなる。もうどうしようもなく暇で暇で仕方がない。早く雨が止んで自由にしてくれないかなぁ。そうすれば、チルノ達に会えるんだけどなぁ。あ、湿気で髪先が丸まってきた。もうなんだろう鬱陶しい。金髪って丸まりやすいのかなぁ……そんなことないか。
……
…………
………………
「あああああああああああああああああ!!」
もういい! もう我慢できない! 大体何よ一体いつまで降ってれば気が済むのよこの雨は! もう三日よ三日! ずっと降り続けるとかあり得ないでしょ! だったらこっちから出てってやる!
そう思い、目の前に広がっている雨模様など気にせずに飛び出した。でも、雨の中に混じるカビ臭さや肌に染み込む雨水に私のやる気は彼方へと飛んで行ってしまった。殴りつけるような雨でも、突き刺すような雨でもない。むしろそっちの方が冒険心が湧いたのかもしれない。でも、あまりに弱々しく湿らせるような雨では、やっぱり自分の心さえも湿らせてしまうだけだった。
三日、この雨は勢いが増すことも減ることもなく降り続いている。コソコソっと住処に戻ろうかと思ったが、また憂鬱な時間を過ごすのも癪に障った。
どうしようもなくなってしまった私はとりあえずフラフラと歩いてみることにした。でも、薄暗い中では目の前がよく見えない。真っ暗なのは慣れているが、にわかに見える視界は目の前を歪ませて、普段と違う空気に私をソワソワさせた。
「……なんだ」
普段見えない道のりを歩いてきたつもりだったけれども、たどり着いたのは見慣れた紅い館だった。湖畔の小島に浮かぶ見た目は普通の館。私の住処とは目と鼻の先じゃない。そういえばこの近くだったっけ、今の住処。私の住処は気分次第でコロコロ変わるから。ちなみに今回は小島のとある木の上。あの葉っぱのがさがさした感じが気に入った。でも今はこの退屈な気分を解消させるのが何よりも先決。さっきまでのソワソワフィールを返してよコノヤロウ。
というわけで何か憂さ晴らしになればいいと思い、私はその館に足を踏み入れることにした。
門の前まで来てみたが、案の定そこには門番が傘を差しながら退屈そうに立っていた。雨関係なくこの門番はいつも退屈そうだけど。
「こんばんわー」
「まだ少し早いんじゃない? ルーミア」
うーん、正直もう何時なのかも分からなくなっているんだけど。お腹時計に頼ってみたけど少し早かったみたい。……食いしん坊か私は。
……食いしん坊だった、私。
「暇」
「ええ」
「入っていい?」
「どうぞ」
「そう残念、それじゃ――えっ?」
「暇なんですよ」
ええぇ……門番しっかりしてない。あの時はものすごい勢いで巫女とか魔法使いとかと戦って門守ってたのに。
「ほ、ホントに入るよ?」
「ええ、暇なので」
よくわからない返しに戸惑いつつも、私は門を潜り目の前の大きな扉に手をかけた。少し錆びついた銅のざらざらした感触を味わいながら扉を開け、中に入った。
「ああ、そうだ」
すぐ後ろから声がして振り返ってみたら、門番がそこに立っていた。
「私の仕事はもう終わりなのでこの傘を渡しておいて下さい」
そう言って、私に少し濡れた傘を差し出した。渡してと言われても、一体誰に渡せばいいのだろう。というか、もう仕事が終わりなら自分で渡しに行けばいいのに。
「それでは……よろしくお願いしますね」
そう言い残して赤い髪がたなびく後姿を見せながら館の奥へと消えて行ってしまった。そこに取り残されてしまった私は、誰に渡せばいいのかも聞きそびれて、雨が降る音だけが聞こえる静かな館のエントランスに取り残されてしまった。傘から垂れる小さな滴が地面に穴を空けようとせんばかりに必死に落ちていく様をしばらく見つめ、外の空気とはまるで違う澄んだ空気を味わいながら、散策ついでに返し主を探す旅に私は出た。
しばらく自分の歩く音とふわふわの絨毯を踏みしめる感触を楽しみながら歩いていた。さっきから誰とも会わない。雨の音さえも聞こえてこなくなっていた。窓が少なすぎて音を通す物がなくなっていたからかもしれない。そうじゃなくてもやっと聞こえてくるくらいの弱い雨だったから、なおさらなのかもしれない。などと、割りとどうでもいいことを考えながら私は歩いていく。傘から垂れていた滴も諦めてしまったかのように床に対する襲撃をやめて、姿を消していた。
ふと、私は歩くのをやめた。遠くから自分とは違う足音が聞こえたような気がしたから。
目の前に、真っ直ぐに進む道と左に逸れる道がある。聞こえた気がしたのはその逸れる道からだった。その道は遠くに行けば行くほど暗い。吸い込む程でもなく、飲み込む程でもないが、そこには音も物もない。何もない。そう思わせる程真っ暗な道だった。
――なんだか急にワクワクしてきた。不意に笑みがこぼれるくらいに。ただなんともない道を歩いてきただけだったから尚更だ。私がそこに進まない理由なんてどこにもなかった。
ほのかに暗い道をただただ進んでいく。目の前は未だに闇が包んでいて明かりもないままに進んでいく。さっきまで澄んでいた空気がずしりと重くなって、埃っぽくてカビ臭くなった。ところどころにある花瓶の赤や黄の花も項垂れていて……すごくワクワクする。気分が滅入ってしまいそうな雰囲気なのに。全然退屈なんてしなかった。
――足音がはっきりと聞こえてきた。もう、すぐそこにいる。静かな分だけ余計にはっきりと。そして、真っ暗な道の中に明かりが一つ浮かんでいた。それが一つ一つどんどん浮かんでくる。それは、色とりどりの綺麗な水晶だった。その水晶は一人の少女の姿を映し出した。私と同じ金髪の小さな女の子だった。どこかソワソワとしていて、不安げに辺りを見回している。すぐ近くにあった小さな窓に目を向けると、とても悲しそうに表情を曇らせてこちらの方へと歩みを進めてきた。
「ねぇ」
「分かった、戻るよ……えっ?」
私が一声かけただけなのに言い馴れたかのように一言呟いてその子は目を大きく見開いて驚いていた。
「あなた、誰?」
「ルーミア」
満面の笑みで名前を言う。
「君は?」
「わ、私? フ、フランドール・スカー――」
「ねぇフラン」
「最後まで言わせてよ」
「何してるの?」
言わせてもらえずがっくりしていた様子から、急にまた表情を曇らせてフランは窓の方を向いた。
「外にね……出ようとしてたんだ」
「雨だよ?」
「うん……雨、だね……」
「濡れるよ?」
「濡れるだけなら別にいいんだけどね……焼けちゃうから」
焼ける?
「肌が焼けるのは日差しだよ?」
「そういう意味じゃないんだけど……そうだね、日差しはもっとダメ」
「何よ? なぞなぞ?」
フランはまたがっくりと肩を落とした。そして、あきれたような顔で私の顔を覗いていた。やめて、そんな悲しい子を見るような顔はやめて。
「……そうだね、なぞなぞしよっか」
「うん、する」
フランは私と向き合うように体を向けて、柔らかい笑みを向けながら呟いた。
「濡れたら焼けて、日差しはダメなものなーんだ」
「濡れたら焼けて日差しに当たるとダメなものかー……難しいなコレ」
腕を組んで唸る私にフランはふふっと小さく笑って目を細めてきた。うーわ腹立つ。そんな顔をするのなら意地でも答えてやる。えーっと、濡れたらダメで日差しに当たってもダメなんでしょ? ダメってどういうこと? 壊れるの? なくなるの? 濡れたら壊れたりなくなったりダメになったりして、日差しに当たると壊れたりなくなったりダメになったりするもの…………あっ。
「わかった」
「簡単……過ぎたかな?」
ちょっと苦笑いを浮かべたフランが困ったように頭を掻きながら私に背を向けて歩き出そうとしていた。
――飴玉!
「えっ?」
驚いた表情を浮かべながら、フランはまたくるっとこっちを向いて私と目を合わせた。
「だって、舐めてたら唾液で濡れて消えちゃうでしょ? それに、日差しに当たってたら……なんかネチャネチャになってダメになる。どう? フラ……ん?」
私が自信満々に答えている目の前で今度は膝からがっくり落ちて両手で地面に突っ伏していた。
「どうしたの?」
「う、ううん、なんでもない……でも、ネチャネチャって……確かに私引きこもりみたいだし舐められるのは分かるけど、ネチャネチャって、私がネチャネチャって……ちょっとヒド過ぎると思うんだけど……」
本当にどうしたんだろうフラン。なんかすごくショックを受けてぶつぶつと言ってるんだけど。当たってるかどうかも言ってこないし。
「ねぇ、合ってる?」
「答えてほしくなかったよ、合ってる以前に」
「やった合ってた」
「合ってない! それになくなるじゃなくて焼ける!」
フランが真っ赤になって私に怒ってきた。なんだかなぁ。さっきまで落ち込んでたり、笑ったり、がっくりしたり、怒ったり。表情とか仕草とかコロコロ変わるなぁ。
でも、なんか面白い。
「ねえ、フラン。外行くんでしょ? 一緒に行かない?」
「えっ?」
「私も、暇で退屈で死にそうだったんだ。フランもでしょ?」
「えっ? えっ?」
「違うの?」
「……確かに暇で退屈だったけれど、私はここから出られないよ。私は、吸血鬼だから……」
そう言ってまた曇った表情を浮かべて俯いてしまった。ふーん、吸血鬼なのかフランは。確かに八重歯もよく見れば少し伸びているし、瞳もほんのりと紅い。言われるまで気づかなかったよ。
「ごめん、怖いよね、吸血鬼なんて……」
「ぜんぜん」
私が答えたらフランがまた驚いた表情をして私の目を見た。なんでそんなに驚いているんだろう。
「……怖く、ないの?」
むしろなんで怖がらなきゃけないんだろう。私だって妖怪だし。妖怪がうようよと出歩いてるのが幻想郷だし。今さら吸血鬼がいるからって驚くことなんて全くない。むしろあくびが出そうなほど『あ、そう』な感想しか出てこない。というか本当にあくびが出た。ずっと歩いてきたしここ暗いし、眠気を誘われるには十分すぎる。
あくびをして瞳に涙を溜めているそんな私を見てフランがキョトンとしてる。
「あ、もしかして怖がってほしかった?」
「あ、う、ううん、そんなことない……」
「だったら早く外行こうよ。私寝そう」
そう言ったらまたあくびが出てきた。ああ、ずっと住処でゴロゴロしてたから、変ななまけ癖でもついちゃったかな。やっぱり退屈なのはよくないね。
――ああ、でもなんでだろ。ワクワクしてる、ずっと。
「あっでもそうか、外雨だったっけ」
音が消えてたから忘れてた。吸血鬼を雨に当てるわけにもいかないし……ああ、フランがまた悲しそうな顔しちゃったよ。あんまりそんな顔ばかりされるとこっちも気が滅入る。
仕方がない。本当は渡さなきゃいけないものなんだけど……美鈴、ごめんね。
「傘の中なら大丈夫だよね」
そう言って右手に握っていた傘をフランに差し出すように突き出して、私はにこっと笑って見せた。誰の物か知らないけれどちょっと借りて行こう。後で渡せば大丈夫だよね、多分。
「ほら、早く」
そう言う私をただじっと見ていただけのフランも、少し柔らかくなった笑みを浮かべながら右手を差し出して傘の柄を手に取り、掴んだ。
――ひひ、掴んだ掴んだ。
「よし出発!」
「おわっ!」
フランが傘を掴んだ瞬間に、私はフランの左手を掴んで今まで来た道に踵を返し走り出した。来た時の憂鬱さなど彼方に飛んで行ってしまっていた。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「待たない!」
「み、見つかったら戻されちゃう!」
「分かった! じゃあスピード上げるね!」
そう言って私はもっともっと速く走った。だったら見つかる前にさっさと出ちゃった方がいいよね。
「そういうことじゃなくてーー!」
「ほら、速く早く!」
フランは辺りを不安そうにきょろきょろしながらもちゃんと私に付いてきた。私は前だけを見て一目散に玄関に向かって走っていく。柔らかいふわふわの絨毯も私たちの足跡をしっかりと残していた。
静かな空間に私とフラン、二人の会話と足音以外何も聞こえなかった。ううん、聞く気なんてさらさら無かった。ただ真っ直ぐに道を戻って扉を開けて外に出る。それだけしか頭の中になかった。
ただ、この時、しっかりと目だけは見るべきだったと思う。見るべき場所へ。私は、私だけがこの時何も見ていなかったのだと思う。あたたかいフランの手が離れないようにしっかりと握ってただ走る私には、気づくことなんて到底出来なかった。
「フラン、傘開いて!」
フランは何も言わずに握っていた傘を思いっきり開いた。私は目の前まで来ていた錆びついた扉を開けて外に飛び出して黒く淀んだ空に思いっきり飛びこんだ。
――この日、私に友達が増えた。
外の雨はやっぱり弱々しかった。飛んでいる最中にも頬に当たる雨に濡らされてもそれはやっぱり弱々しい。それでもフランには大きな障害になっていたのかな。こんな雨でも外に出られないなんて。
「フラン、焼けてない?」
「うん、大丈夫!」
雨の中でどんよりしている空気とは比べ物にならない明るい声が聞こえてきた。ふと隣を見てみれば、ウキウキした表情で明るく笑うフランがそこにいた。さっきまでこんな表情してくれなかったのに。不意に私にも笑みが零れた。
フランの笑顔を覗きこんでいたら急に顔を濡らしていた雨が止んだ。本当に狭い範囲で雨が降っていたんだと実感した。そういや遠くに晴れ間が見えてたっけ。
――あ、やばい。
「フラン陽の光ってダメなんでしょ?」
「うん」
「……あっち晴れてる」
そう言って私が指差した先には少しオレンジがかった太陽が見えた。夕暮れに近くなっているとはいっても日差しには違いない。吸血鬼って日に当たるとどうなるんだっけ。
「えっ!? どうしよう私灰になっちゃう!」
「はい?」
ああ、燃えるのかフラン……燃える!?
「日に当たらなければ大丈夫?」
「多分……」
「まかせて!」
そう言うと私は自分の周りに影のような大きな暗い闇を出した。これが自分の能力で本当に良かったと思った。これがなければきっと今頃はフランは丸焦げになっていただろう……本当に丸焦げになるのかはしらないけれど。
もう傘は必要ない。雨は完全に止んでいる。私はフランを自分の体にくっつけるように引き寄せた。
「うわっ! 真っ暗!」
「私の闇だからねぇ、光も通さないよ」
そう言いながら飛びぬけて行き、完全に雲がなくなった。日差しが私たちを照らし出そうとしたけれども、それは到底無理なことだよお日様さん。フランを引き寄せたまま私たちは飛べている。その光は私たちには届かなかった。
へへっ、せっかく外に出られたんだ。こんなことでやめるわけにはいかないからね。
「大丈夫? フラン」
「……うん! 平気!」
そっかよかった。じゃあ大切なことを伝えよう。
「でもねフラン」
「ん?」
「私、前見えない」
「……」
「……」
「……どこ飛んでるの?」
「わかんない」
「どこ行く気なの?」
「決めてない」
「……」
「……」
「……しばらくは二人で空を飛んでいるしかなさそうだね」
「うへー」
しばらく私たちは景色も色も何もない空をただただふんわりと飛ぶことになった。ああ、遊びたい。自分の能力がちょっとだけ嫌いになった。あ、でもこのままだといつ日が沈んだのかもわかんないや。どうにかして下に降りないと……あ、下、湖だった。まぁいいや適当に飛んでいよう。もう少ししたら完全に日も沈んでしまうだろうし。また退屈な時間を過ごさなきゃいけないのか。
「ねぇ、フラン」
「うん?」
少しでも退屈しのぎになればいいと思って私はフランに話しかけた。実はほんのちょっとだけ気になっていたことがある。
「フランは本当に外に出られなかったの?」
「……」
「だって傘を差せば雨は大丈夫だし、日差しがダメなら日傘があるし」
「……そうだね」
妙に落ち着いた声でフランは言った。気になる言い方だった。今まで聞いた声の、落ち込んでいるわけでも、怒っている声でもない、なんというか……空っぽな声だった。
しばらく私たちは真っ暗な闇の中でお互い黙ったまま空を飛んだ。私の闇がもっと嫌いになった。
「ふぎゅ!」
前が見えないからわからなかったけどどうやら段々と下に向かって落ちて行っていたらしく途中の何でもない木に頭から突っ込んでしまった。というか痛い。すごく痛い。ゴンッじゃなくてガリッていった。
「大丈夫?」
「大丈夫だと思いたい」
もはや願望。幸いスピード出してなかったからよかったけれどもいつもの調子なら今頃のた打ち回ってる。額に当てていた手の指先に微かに濡れた感触があった。ああ、血が出ちゃってる。頭から血って重症じゃないか、私。
「……もう夜だね」
フランがそう言ったから手をのけて辺りを見回してみた。微かに先が見える程度で辺りはもう何も見えなくなっていた。感じるのは、そよぐ風と草場で鳴く小さな虫の合唱だけ。ここがどこなのかなんてもちろん分からなかった。
ということは、日の光を気にしなくてもよくなったってことだよね。
「もう夜かぁ」
「私……自由だ」
フランの表情がみるみるうちに明るくなっていった。そして何を思ったか急に辺りを走り始めた。
「あっ」
「風!」
フランが両手を広げる。
「虫の声」
急に立ち止まって耳に手を当てる。
「柔らかい草」
しゃがんで地面の草を撫でるように触れる。
「ずっと、見てるだけのものだった……」
そう言ってフランは私の方へと向いた。その顔は、とても満ち足りた笑顔をしていた。
「ルーミア!」
その笑顔が更に弾けて、私の目を奪った。
「遊ぼう!」
フランが走って私に近づいてくる。風を感じながら、草を踏みしめながら。そして、今度はフランが私の手を取った。私は何も返せないまま、ただフランのあたたかい手が触れているのを感じた。
――フランは、この手で一体何を触れてきたのだろうか。その耳で何を聞いてきたのだろうか。その目で見たものにどんな気持ちを思い浮かべたのだろうか。私は初めて、フランドールという存在について考え始めていた。ただ、外に出たかった女の子という風にしか思っていなかったから。自分の退屈を彼方に消してくれるだろう。そんな風にしか思っていなかったから。思えば、結構冷たいことをフランに対して考えていたのかもしれない。だから、私は、
「朝まで寝かさないよ」
「……うん」
フランと並んでその場所から一緒に走り出した。
「あ、ルーミア! 血が!」
「平気平気!」
「平気じゃないって!」
いいんだって。フランが喜んでるならこれくらい。
走り回って、時に躓いて、二人で笑って、もうどれくらい経っただろうか。気が付くと私たちは、とある一つの大きな光の塊を見つけていた。遠くに微かに滲むように映るその姿に、心を弾ませながら、期待に胸を膨らませて駆けて行った。ためらう理由なんてない。自由な二人。笑みは絶えない。むしろ大きくなる。辺りはそう……闇ばかりなのに。目先の光にただただ吸い込まれていく。
光に辿り着いた。そこは人里だった。けど、雰囲気に華やかさを添えていた。
――祭りだ。滲んだ光の正体は人の心が大きく踊る華やかさだった。もちろん妖怪だってその華やかさに心踊らされることだってある。特に自由を噛みしめている真っ只中の私たちにとってそれはとても魅力的な光だ。
「……明るい」
「うん」
二人そろって目の前の光の虜になった。私も祭りの中に入り込むことはそうそうなかった。私たちは溶け込めるような存在ではなかったから。でも、今日は二人にとって特別な日だから、友達と一緒に入り込むぐらい、きっと許してくれるだろう。
私たちは少し躊躇いがちにその祭りの中へと足を踏み入れた。踏み入れたら、嬉々とした人々の喧騒が私たちを迎え入れた。手をつないで歩く親子。出店の遊戯でカラカラと笑う子供たち。酒を片手に談笑する大人。矢倉を囲い、踊る小さな童。そこに垂れさがる提灯がゆらゆらと揺れて共に踊る。まさに花火が咲いたような光景だった。
故に、私はその場に踏みとどまってしまった。
気圧されてしまっていた。今の光景を見た自分の心がひどく霞んでいっているのが分かった。
……とても美味しそうだった。
「どうしたの? 早く行こうよ!」
フランが私を誘う。躊躇わなくていいはずなのに。私の足はそこから進むことができない。暗く、深く、沈んでいっている。
不意に、腕を掴まれた。見上げたら、フランが私の手を掴んでいた。
そうだった。私は自分の声で答えていたじゃない。遊ぼうと言ったフランに、目を見合わせて。
私は笑顔で返して喧騒の中に手を繋いだまま入っていった。フランが私の手を引いてどんどん進んでいく。さっきとは全く逆。私が連れ出したはずなんだけど。今ではすっかりフランの方がご機嫌だった。
ふと、フランが立ち止まり私に目配せして一つの屋台を見た。
「ねぇルーミア、アレなに?」
そう言うフランの目の前に雲が写っていた。真っ白で光に当てられて雪のように輝く駄菓子。わたあめだった。
「気になる?」
「うん」
輝くそれに二人で近づいていく。大きなそれをフランはまじまじと見つめている。瞳はキラキラと輝いていて虜になっていた。
「あら、これが珍しい?」
あまりにまじまじと見ていたものだから、お店の人がフランに声をかけてきた。急に声をかけられたからフランも少し困惑している。
「どう? 一つ買っていかない?」
店の人がそう言うけど、私達はお金なんか持っていない。それに、それは人に売るものでしょ、おばさん。
「買う? 買うって何?」
「買うっていうのはね――」
妖怪の価値観と人間の価値観は違う。おんなじにすることは出来るけれども、それをしようとはお互いに思ったりはあんまりしない。今の状況だってそれを再現しているのだろう。
「きれいな羽ね、どこのお店で買ったの?」
「えっ? これは……」
「行こう、フラン」
戸惑うフランの手を握って私はその場から離れようとした。フランは分からないかもしれないけれども、私達は招かれざる客なのだ。本当は入り込むことさえできないはずの……ね。フランにはごめんとしか言えないけれど、私にこの空間の奥まで入るには少し勇気が足りなかった。
「ああ、ちょっと待ちなさい二人とも!」
駈け出した二人におばさんは大声で私達を呼び止めた。私は足を止めてしまった。
「……これ、持って行きなさい」
そう言うと並んである内の一つを両手に持って私達に差し出してきた。真っ白でふわふわの雲を。
「いいの!?」
「いいのよ、もうすぐお店も閉めて混じりに行こうと思ってたところ。あっても捨てるしかできないからね」
二人で目を合わせて、差し出されたそれを受け取った。
「楽しんできてね。今日は『誰だって』楽しんでいい日だから」
おばさんは柔らかい笑顔でそう言った。おばさん、もしかして気づいているの?
隣を見てみれば、渡されたそれを見つめているフランがいた。
「……ありがとう」
おばさんはただ頷いて、着ていた着物の袖を翻しながらそそくさと自分の店に戻っていった。
楽しんでいい日か。遊びに連れ出した私が沈んでいたら楽しいことも楽しくなくなるよね。おばさんの言葉に少し救われた。
「ねぇ、ルーミア」
「うん?」
「これ何?」
そういえば教えてなかった。フランはこれをなんだと思っているんだろう。
「食べ物だよ」
「食べ物!?」
驚いたフランがまたそれをまじまじと見つめた。今度は見回すように上から下からと。その様子がなんだか可笑しくて、不意に笑ってしまった。
「あ、やっと笑った」
「えっ?」
「だって、ルーミアここに来て全然笑わなかったんだもん」
ごめんフラン、笑わなかったんじゃなくて、笑えなかったんだ。でももう大丈夫だから。
そう、自分に言い聞かせた。
「そうかな?」
「うん」
「ごめんごめん、じゃあ行こっか。次どこ行く?」
「あそこ!」
そう言うとフランはよく目立つ矢倉を指差した。と言うより矢倉の周りで踊る子供達を。ただ見たいだけじゃないんだろうきっと。
「混ざる?」
「うん!」
私はフランの手を取って、二人でわたがしを啄みながら矢倉の方へと歩き出す。二人で食べるわたがしは見た目以上にふわふわしていてとても甘かった。フランは夢中になってそれを食べている。甘いと驚き私に笑みを向けながら。
通り過ぎる人々の奇異な視線など気にせずに。
母親と手をつなぐ子供がフランの背中の羽根を指さして母親に咎められる時にも、すれ違う大人がわざと大きく私達を避けた時にも、フランは満面の笑みでわたがしに夢中になって私の歩幅に合わせて歩いている。
もういいや、フランがいれば。私はフランに笑みで返した。
わたがしが消えてなくなる頃に私達は矢倉へと着いた。子供たちの喧騒に混じって私達は堂々と踊った。見よう見まねで手足もバラバラの下手くそな踊りを。フランなんか3回も躓いてコケた。その度に私は止まってフランを起こした。ごめんねと笑うフランに、私はただただ笑うことしかできなくて、言葉を出すことができなくなっていた。
フランは気づいただろうか。子供が一人、また一人と輪の中から抜けていくのを。矢倉から聞こえてくる太鼓の音がどんどんどんどん薄くなっていくのを。それでも私は笑みだけは消さないようにと必死だということを。
フランは躓く度にまた下手な踊りを踊り続けた。
おばさんの言葉の意味を奪うのは、やっぱり私達なのだろうか。誰でも笑えなくしているのは、私達なのだろうか。それでも私はフランと笑顔で笑い続ける。
そう、今日は特別な日なのだから。
ついに、太鼓の音が消えた。踊る子供は誰もいなくなっていた。
「あれ?」
フランが周りの様子に気づいた。私はそっとフランを庇うように右腕で視線を塞いだ。
――なんでここに
おい、子供を早く中へ――
――お母さんあの羽根ほしい
あんな趣味悪いのがほしいの?――
――こんな時にも仕事か
自警団も暇じゃねぇよな――
私達は何もしない。
嘘つき、本当は綺麗だと思っているくせに。
いいからそのまま酒でも飲んでてよ。
――放っておいていいのか?
お前喰われたいのか?――
――あいつ知ってるぞ
ああ、あいつに何人喰われたか――
――早く逃げよう
バカ、下手に動いたら標的にされるだろうが――
そっか。美味しそうなんて思った時点で、私はフランを連れ出して二人で遊んでいればよかったんだね。そしたら、フランにこんな視線を浴びせることも、売れ残りなんて食べさせることも、踊ってコケて膝を擦りむくこともなかったんだね。だったらもうここから――
「そっか、やっぱりダメなんだね」
声を聞いた。今まで聞いたどの声よりも悲しそうで、辛そうな、それでいて明るい声を。
「私、知ってるんだ。この人達の視線」
「フラン?」
「永く生きてるとこういう視線にも慣れてきちゃうんだよね。引きこもってたからすっかり忘れちゃってたよ」
「やめて、フラン」
「ルーミア、なぞなぞの答え、実は少し当たってたんだ」
「え?」
――私は時々、ネチャネチャになるんだ。
フランが右手を握る。隣にあった矢倉が軋み、砕け、粉々に消え去った。人々の視線がそちらに写って恐怖に顔を歪ませていく。そして聞こえてくる、太鼓より大きい阿鼻叫喚の汚い音色。私達より下手くそな踊りを踊って走る人々。
そこには、私達と木屑だけが、取り残された。
「……おばさんみたいな人ばっかりならよかったのに」
私は、何も言えなかった。何かを答えれば答えるほど、深みに沈んでいくような気がして。
「あーあ、素直に部屋にいればよかったなぁ」
そう言ってフランは私の方へと向き直った。私は、不意に目を逸らしてしまった。
私は、また間違えた。逸らしてはいけなかったのに。気づいてすぐに合わせても、もう遅かった。
「ありがとうルーミア。お陰で幻想郷の外の世界を知ることができたよ」
やめて。
「ルーミアも大変だったでしょ? 何も知らない私を連れ回すの」
やめて、やめてよ。
「私、明るく振る舞うのって苦手でさ」
「やめて!!」
やっと出てきた言葉はやっぱり深みに沈んでいく。
「もう、いいや。私帰るね」
「待って!」
――『貴女』といなかったら、こうはならなかったのかなぁ。
私の心に言葉を突き刺して、フランは高く高く飛び去ってしまった。
フランが飛び立っても、追いかけることも、ましてや、一歩踏み出すことも私にはできなかった。何もないと思っていた一日を特別な日に変えてくれた一人の女の子が、遠く離れていくのをそれでいいと思ってしまったから。
「フラン……」
「あらら、どうしたのかしらねこれは」
一つの声が聞こえてきた。目を向けてみれば、わたあめのおばさんがそこに立っていた。
「矢倉が倒れちゃったのね。怪我はなかった?」
「うるさい」
伸ばされた手を私は思いっきり拒絶した。何も知らないならさっさとここから離れて欲しかった。知っても離れるなら余計に。
「……さっきの女の子は?」
「うるさいって言ってるでしょ!」
私はおばさんを睨みつけた。その人は――なんでもないかのように微笑んでいた。私を恐れているわけでも、探るでもなく、ただそこで、ありのままに微笑んでいた。
「はぐれちゃったの? それとも喧嘩でもしたのかしら?」
私は何も言えなくなって、その人から目をそらした。
「どうしたの?」
「……困らせたの」
「どうして?」
「私が、あの子より大人ぶったから」
フランの方が私よりもたくさん知っていた。向けられる視線の意味も、纏わり付く気持ち悪さも。
対等だって思っていたのは自分だけだった。いや、それどころかフランを下に見ていた。本当は月と湖ほど離れていたというのに。私は映った月をフランそのものだと思っていた。
「だから……愛想つかして帰っちゃった」
虚しく笑う私に、私自身がそれを見下していた。
「……そうかしら」
その言葉に、私は、ぬるく潤まった瞳で向き直った。
「あの時のあの子、とても楽しそうに見えたわ」
だったらなんであんな言葉を残して去っていったの?
「でも、『貴女といなかったら』って言われて……」
「それって、『貴女といなかったら、貴女をこんなに辛くさせることはなかった』ってことじゃないかしら」
そんなこと……そんなことあるわけないよ……
「貴女はあの子のこと嫌い?」
「そんなことあるわけない!」
私だってフランと一緒にいて楽しかった。色んな表情を見て、フランに会って、フランと一緒にわたがし食べて、踊って、楽しくなかったわけがない。今日が終わっても、また一緒に遊んでいたかった。そうじゃなかったら、こんなに悲しくはならない。
「なら、早く追いかけなさい。早くしないと、月の光が消えてしまうわ」
そう言われても、私の足はまだ飛び立てない。次に会って、本当に拒絶されてしまったら、今度こそ、もう、フランとは友達ではいられなくなってしまう。私はそれが何より怖くて仕方がなかった。
「――時間は止まっても、戻ってはくれないわよ」
そうだ。こうしている間にもフランは遠くへ離れてしまっている。今追いかけなかったら、私達はなんでもない二人になってしまう。
「間に合うかな」
「月は、まだ綺麗よ?」
私は、軽くなった足をおもいっきり踏み込んで月夜の中に飛び込み、見えなくなった少女の姿を追いかけ始めた。
まだ沈むな。私が掴むまで。
「少し、大きくなったかしら。そうは思わない?」
「いつも側にいる私にもわかりません」
ルーミアが追いかけた時、女性の後ろに赤髪の少女が木陰から現れた。
「もうどれくらい経ったのかしら」
「須臾ほどもないですよ。私とあの人たちにとっては」
赤髪の少女はコツコツと靴音を鳴らして女性に近づいていく。
「また、戻ってきてはくれませんか?」
「それは、もうないわね」
女性はゆったりとした微笑みを少女へ向けて澄んだ声で少女の期待を切り崩した。
「私は少し寂しいです。毎日も暇になりました」
「あら、いいことじゃない」
少女は少し呆れた様な顔をして、傍にあった段差に腰を掛け頬を付き、女性を見上げた。
「どうして、離れてしまったのですか。あの場所から」
女性は月を見上げて遠く昇っていく姿を見つめた。
「幼かったのよ、私。ずっと側にいられるなんて幻想を抱いていたんだから」
「いられたでしょう? 貴女なら」
女性は遠く登っていく月をまだ、遠く見つめていた。
「私の未来の姿も、『ずっと』の意味も何も知らなかったの。看取られるまで一緒だと」
「私は、そのつもりでした」
「……あなただけよ」
昇る月が、雲に遮られ微かに陰り、その姿を消していく。
「私は、あの人が分からなくなってしまった」
陰った月は雲の隙間から顔を覗かせてはまた隠れる。それを繰り返しながら月は時間を過ごしていく。
「……そうですか」
「ええ、それだけよ」
少女は立ち上がり、女性に背を向けて歩き出す。期待の篭もらない声など届くはずも無かったと、甘噛で襲いかかっても何かが動くでもないことを悟って。
「傘は、返せなかったか」
「いいえ」
女性が『何も無かったはずの』右手に握っていた雫濡れ伝う傘を少女に見せつける。
「あの子たちが、持ってきてくれたわ」
少女は驚きに目を見開かせ、傘を見つめる。
「離れようと必死だったのね、落としたことにも気付かずに」
「……アナタに、あの人は気づきませんでしたか」
「ええ、脇目もふらず、あの子と行ってしまったわ。夢中でね」
白く霞がかったようなその『日傘』は、月の光が照らしていてそれだけは光輝いていた。
「……アナタに、報告があります」
「なにかしら」
「――妹様に、友達ができました」
コソコソ……
少女は繋いだ手を振り払ってただひたすら気配を隠して空を飛ぶ。
フラフラ……
だけど心はどちらに向いているのかわからなくなってしまった。
ソワソワ……
少女に初めての気持ちが降りかかり。
……シトシト
少女の瞳に、焼けるよりも辛い淡い雨が降った。
ただのなんでもない一日を特別な日に変えてくれた子を、その手を、心ない一言と一緒に振りほどいてしまった。誰でもない自分の手で。
このまま帰れば、いつもの時間をあの場所で過ごすだけ。
ここで何もなかったことにしてしまえば、簡単に、いとも簡単に過去の繰り返しが始まる。誰とも顔を合わすこともなく、ただ窓に映る雫を目で追って、諦めていればもう何事にも憂うこともなく、破壊することもなく、縛られることもなくいられる。
こんな思いをすることも、させることもなくなる。
湖に映る月を見下ろしながら、私は夜を進む。もうどうしようもない程に、いつもの私だった。
……傘なんか、なければよかったんだ。
それでも、私の瞳に写っている姿は、自分と同じ色の髪を揺らして笑っていて、躓く私に手を伸ばすあの子だった。
飛ぶ速度は気持ちとは裏腹に勢いをなくし、立ち止まる。
ここは湖上、水の大きな円が一つと、月の光の突き刺す帯が一つと風になびく金髪――
――それが、ふわりと二つ、浮かんでいた。
「どうして来ちゃったの……」
「友達だからだよ」
「嘘つき。私を見る目、変えた癖に」
こんなことが言いたいんじゃない。
「うん変わった」
私が本当に言いたいことだけが壊れていく。
「そう、ならもう会う必要はないじゃない」
壊れてなくなってしまうならいっそ隠してしまいたい。そうやってずっと隠してきたから、私はわたしでいられたんだ。
「でも」
「早くいなくなれ!」
……これ以上は隠し切れない。
「それでも、謝りたいんだ」
……隠す必要はあるの?
「ごめん、フラン。辛い思いさせて」
ルーミアの表情が、声が、私に本当の心を暴かせる。
もう、いいのかな。壊してしまっても。
壊しても、新しい何かがあるのかな。初めてだから、分からない。
「私が勝手に大人びようとしたから、勝手にお姉さんっぽく振る舞ったから。フランを困らせた。悪いのは私だよ」
壊れたものでも、ルーミアは受け取ってくれるかな?
「本当に、ごめん……」
……うれし……かったの。
「え……」
「本当に、う、うれしかった……の……。うれしくて、たの……しくて、ずっと、ずっと続けばいいのにって思っ……てて」
ボロボロと崩れていくのが分かった。
「でも、わ、私。どう言葉にしたらいいか……わ、分からなくて!」
初めてで、今の自分にどう触れたらいいかわからない。
「ずっと続くと思いたくて……でも、終わりそうになって……私……自分で壊しちゃったの!」
壊れていく中に、少し柔らかいところがあった。
「壊して、もう何もなかったコトにしてルーミアのこともほっといて今日の思い出もそこにおいて行って何もかも私から剥がして壊して潰して自分だけ安心して楽になろうとしたの!!」
壊れたものが、新しいカタチを作っていく。
「ルーミアだけだったの……ずっと生きてきて、遊ぼうって言って遊んでくれたのは、ルーミアだけだったの!」
――寂しかったの、ずっと……ずっと。
カタチができて、初めて分かった。私が窓を眺めていた訳も、溜め息ばかり吐いていた意味も。ただ、一言。この一言が言える相手を探していただけなんだということが。
ルーミアといるときに望んでいたものは、『ずっと』じゃなくて、この『一瞬』をただ求めていただけ。
自由を喜んだのは、『開放』ではなくて訪れた『機会』のことだった。
――それだけの、たったそれだけの事だったんだ。
「ルーミア……ごめんなさい」
私が作ったカタチを、ルーミアは優しく私の手に添えて、自分の両手で包んでくれた。
「……よかった。私をキライになったんじゃないんだね」
「なれないよ、キライになんて」
「私もフランをキライになんてなれない」
――いてもいいんだよね、一緒に。
――もちろん。
私とルーミアは、一緒に私の家に帰ってきた。月の光を浴びるそれは今まで私がいたとは思えないほど赤く綺麗に輝いて見えた。
「ルーミア、少し待っててほしいんだ」
私にはもう一人、このカタチを見せて、話さなくちゃいけない人がいる。
「終わったらきっと、会えるから。そうしたら、今度は私から会いにいくよ」
ルーミアはただ笑って頷いてくれた。
「その時まで。またね、ルーミア」
「待ってるよずっと。またね、フラン」
初めて交わした友達との約束を守るために、私は錆びついたドアに手を掛けて、開いた。いつも「ただいま」といえる日々を手に入れるために。
私は進む。逸れた道に見える地下への扉に「さよなら」を言えるように、脇目もふらず。私が作ったカタチをお姉様に見せられるように、今の私のままで。
扉が見えた。響かせていた靴音を鳴り止ませ、私は扉を開く。
ただいま。
おかえり。
お姉様、話したいことがあるの。
――紅茶を淹れてくるわ。座ってなさい。
待って。
――わ、私も……手伝う。
――火傷、しないようにね。
――うん。
咲夜さんに何があったんですかね
1さん
そうですね。大体そのぐらいで考えてました。
フランとルーミアに焦点が行くように咲夜さんにはあまり触れませんでした。
3さん
レミリアがどう答えるかにかかっていると思います。
5さん
そう言ってもらえたら、頑張ったかいがありました。
この直後に正統派とはかけはなれたものを書いちゃいました。
ですが、よくわからない部分が多くありました。風景描写の言葉選びが少々不足している、または過多になってごちゃごちゃしているように感じます。
紅魔館を進むルーミアが何もないと思えるくらい真っ暗な道と言った直後に、ほのかに暗いと言ってたり、
"駆け出した二人におばさんは大声で私たちを呼び止めた。私は足を止めてしまった"
こういうおかしな文章が数多く、気になってしまいます。
ええ、ほんと細かいことですいません。
でもせっかく良い雰囲気の作品だったもので、もう少し推敲して欲しかったなぁと思ったのです。
上からの物言い失礼しました。
もしかして前にもアドバイスくださいましたか?
分かりました。気をつけてみます。ありがとうございます。