このお話は独自設定を含みます。
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目の調子が悪くなってきた。
最近そう感じることが多くなってきた。
遠くのものは見えるのに近くのものはぼやけて見えたり、近くのものを見続けていたらしばらく遠くのものが見え難くなったり。
特に気にするほどの事でもないかと思っていたのだが、どうにも私に対して過剰に心配しすぎる娘に半ば担がれるようにして診療所へと連れて行かれた。
「老眼ね」
一通り診察を終えた竹林の薬師は、対面に座る私にそう結論を出した。
「私の方から河童の技術士に連絡して老眼鏡を作ってくれるように伝えておくけれど、どうする?」
「お願いするわ。でも老眼ね、なるのはもっと先のことだと思っていたんだけど。というか、薬で解決したりするわけじゃないのね」
「あら、人間の視力の衰えは二十代前後から既に始まっているのよ。自覚症状が出始めるのは早くて三十代半ば頃からだから、あなたは少し早めと言えるけれど、そう珍しくもないわよ。それに病気や怪我ならともかく、老いから来るものに手を出すことは頼まれない限りする気は無いわ。どうしてもと言うのであれば薬ではなくても、中身を別のものに置き換えれば老眼どころか老化そのものを大幅に遅延させることも出来るけれど。どう、試してみる?」
「いいえ、遠慮しておくわ。中身をそっくり取り替えるだなんて、私に別人になれって言っているようなものじゃない。そんなのごめんよ」
永琳の言葉を鼻で笑ってやれば、彼女は見透かしていたように微笑んでみせた。
「あなたならそう言うと思っていたわ。それじゃ二、三日したら出来るだろうから神社まで届けるように手配しておくわ。フレームのデザインは帰り際にカタログの中から選んでウドンゲに伝えておいてちょうだい」
「はいはい、わかったわよ」
と、そこで喧しく廊下を駆ける音が耳に届いてきた。
「霊夢、大丈夫!? 急に倒れてここに担ぎ込まれたって聞いたんだけ……ど?」
「見ての通り、私はピンピンしているわよ。何処情報よそれ」
軽く手を挙げた私の姿に、ノックも無しに無遠慮に開かれた扉の先で少女は安堵したように息を吐き出した。それからポロポロと大粒の涙がその頬を伝い落ちていく。
「よかった……よかったよぉ。霊夢が死ぬんじゃないかって、気が気じゃなくて」
「ばか、私はまだまだ死ぬ気なんて更々無いわよ」
彼女に歩み寄り指先で涙を拭って、頭を撫でる。
「でも、霊夢もう歳だし」
「それでもまだぽっくり逝くような歳じゃないわよ!?」
「ちょっと、おふたりさん。何時までもそんな所でイチャついてないでさっさと退出してちょうだい。次の診察の方もいるのだから」
背後から掛かる言葉に底冷えする空気が上乗せされる。
「あ、悪かったわね。ほら、邪魔になるからさっさと出るわよフランドール」
永琳の視線に押されるようにフランドールを促して部屋を出た。
「如何でしたか、母さん?」
「ただの老眼よ。だからあんたは心配しすぎなのよ」
待合室で心配気な表情で待っていた娘の頭を撫でる。
私の言葉に、彼女はホッとした様子で胸をなで下ろす。
「母さんは気にしなさ過ぎなんです」
「そんなことより、フランドールはあんたが呼んだわけ?」
「そうよ、前に霊夢から貰った陰陽玉の通信機能で連絡を受けて文字通り飛んできたわ」
「お知らせしておいた方が良いかと思って」
「霊夢の為なら地の果てからでも全力で駆けつけるわ」
「はいはい、それはありがとね。さて、さっさと決めて帰るわよ」
最近微妙な成長の兆しを見せ始めた胸を張って宣言する吸血娘の頭を一つ撫でてから、私はカウンターで鈴仙から差し出されたカタログを開いたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「母さん達は部屋で休んでいてください。今日は夕飯の準備は私がしますから」
博麗神社へ帰り着くなりそう言って娘は台所へと向かう。
その姿を見送って、私は自室へと足を踏み入れた。
「本当に母親思いの良い娘に育ったものね、あの子。霊夢が拾って来て、自分で育てるって言い出した時はとても心配していたんだけど。ねえ、私が貰っていってもいい?」
「駄目よ」
「ふふ、冗談よ。次代の博麗の巫女に手を出そうなんて気は無いわ。そんな事したらこの幻想郷の各派閥が大挙して紅魔館に殴り込みに来そうだもの」
さもいる事が当然といった様子で私の部屋へと足を踏み入れたフランドールは笑う。
「私は当代の博麗の巫女なのだけれど?」
「あら、これでも私は霊夢の意志を尊重しているのよ。だから、あなたが人間として天寿を全うするまで一緒にいるし、最後まで寄り添うと約束したのよ」
ちゃぶ台を挟んで向かいに座るフランドールの瞳が、真っ直ぐに私を捉える。
「本当に、あんたは変わらないわね」
「霊夢も変わってないわよ」
「私は随分変わったと思うけど」
「変わってないわよ、どこもね」
「そうかしら」
「そうよ」
隣までやってきたフランドールが私に頭を預け、体を寄せる。
その頭を撫でながら、身体を擦り寄せてくる彼女の好きなようにさせた。
「端から見ればきっと親子の様にしか見えないわね」
「そうね、そこが問題なのよ。こうなったら一時的に大人になれる魔法でも研究しようかしら」
「そんなことしてどうするのよ?」
「霊夢と一緒に出掛ける時に使うのよ。そうすれば釣り合いが取れるでしょう。いろいろと」
くっくと笑うと彼女は私に顔を近づける。
「立ってこうしてキスする時とか、いちいち屈まなくてもよくなるわよ」
頬から唇を離してドヤ顔で私に視線を送ってくる。
「あんたは小さいからねえ」
「むう、霊夢が大きいのが悪いのよ」
「私の背丈は平均値よ」
確かに子供と同等の背丈しかないフランドールからしてみれば大きいかもしれないけれど。
「それに、霊夢を下に見る眺めも悪く無いじゃない」
「私はあんたのつむじを眺めるのも嫌いじゃないんだけどね」
ぱっと頭を手で押さえるフランドールは、赤く染め上げた顔で私を見上げると涙目で口を開いたのだった。
「うー、霊夢の変態!」
◆◇◆◇◆◇◆◇
フランドール・スカーレット。
彼女と付き合い始めてからもう随分と経つ。
彼女が私に執着するようになったのは紅霧異変の後、紅魔館の地下室で弾幕勝負で打ち倒した時からになる。それからは幾度も紅魔館を抜け出して神社にやってきては、私と会って帰って行く様になっていた。
その当時から私に好意を向けていたのは知っていたし、彼女もそれを隠すようなこともしなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「フランドールさん、寝ているんですか?」
「ええ、起こすのも何だし今日はこのまま泊まっていかせるわ」
「そしたら、お布団の用意してきますね」
夕食を終えて早々に私の膝を枕にして眠りに付いたフランドールの姿に、娘は寝室へと向かう。
それから少しして戻ってきた彼女が頷いたのを確認してから、フランドールを抱え上げて寝室に敷かれた布団に寝かせた。
「ああして寝顔を見ると、私より遙かに年上だなんてとても信じられなくなりそうです」
「あれでも気にしている様だから、本人前にして言っちゃ駄目よ」
「それはもちろん」
湯飲みを片手に娘と二人で縁側に腰掛けて空を眺める。
金色に輝く三日月が黒く染まった夜空を彩っていた。
「こうして母さんとお茶を飲むのも久しぶりです」
「そうだったかしら?」
「そうですよ。ここ暫く修行修行でこうしてのんびり出来なかったですから」
そう言って、娘は湯飲みを傾ける。
「それに、二人きりでいられるのって結構珍しいんですよ。母さんの近くって誰かがいる事が多いですから。一番いる事が多いのはフランドールさんですけど」
「まああいつは押し掛け女房というか通い妻というか、そんなことを自称しているからねえ」
「私が、フランドールさんをお母さんと呼ぶ日が来るんでしょうか」
思わず飲んでいた茶を吹き出した。それを見て娘は台所まで音も発てずに小走りで向かい、直ぐに雑巾を持って戻ってきた。
「別に不思議なことでも無いじゃないですか。寧ろ、私にはふたりが長い付き合いなのに結婚していない事の方が不思議です」
縁側に溢れた茶を拭きつつ、口を開く。
「結婚ねえ……」
「もし私が結婚することになったら、母さんはどうする?」
「え? そうねえ、まずは相手をしばき倒して埋めてから祝福するわね」
「祝福はしてくれるんですね。しばき倒すけど」
「埋めるを忘れてるわよ。大事な娘を引っ浚おうってんだもの、当然でしょう。それでも、あんたが自分で選んだ相手なら祝福するわよ」
「そっか」
娘は嬉しそうに小さく笑う。
「まさかあんた、もう誰か相手がいるわけ?」
「え、いやいないです! まだお付き合いしている方すらいないんですから! 今のは例え話です!」
勢い良く首を横に振る娘に一つ疑わしげな視線を送ってから、私は溢れてすっかり容量の減った茶を飲み干した。
「……あんたがそうしたいのなら、無理に博麗の名を継ぐ必要なんて無いのよ」
空になった湯飲みに視線を落としながら、言葉を紡ぐ。
「母さん」
何処か怒った様子の娘に、私は顔を上げる。
「私は拾ってもらって、とても感謝しているんです。産みの親に捨てられ、その場で死ぬしかない乳呑み児だった私を拾ってここまで育ててくれたんです。そのまま捨て置くことも出来たはずなのに、それでもここまで育ててくれたんです。どれだけ感謝してもし足りない。誰が何と言おうと、私は母さんの娘です。博麗霊夢の娘です。博麗は私がしっかりと継いでみせます。だから、そんなこと言わないでください」
娘の言葉が嬉しかった。
娘を拾ったことを後悔したことは一度だって無い。それだけは胸を張って言える。
ただ、博麗の名が重荷になってしまわないかと心に陰を落としていた。
「ありがとう」
口を吐いて出たのは感謝だった。
それに娘は満足気に頷く。
「でも母さんこそ、そろそろ隣を一緒に歩く相手を定めてもいいんじゃないですか?」
「……小娘が生意気言ってるんじゃないわよ」
ニヤニヤと笑う彼女の頭を誤魔化すようにワシャワシャと乱暴に撫でてやると、嬉しそうに悲鳴を上げたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
彼女と付き合い始めて、どれだけの時を過ごしただろうか。
フランドールから好きと伝えられたのは何年も前のこと。
けれど、私から彼女に好きだと言ったことは両手の指で足るほどしか無い。
それでも、彼女から不満等といった言葉が出たことは無かった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
紅魔館から一通の招待状が届いたのはフランドールが泊まっていってから三日後のこと。
コウモリの翼をイメージしたデザインの蝋印で封がされた仰々しい手紙を開く。先日届いた老眼鏡を使って書かれた文字を追ってみれば、要約すると紅魔館へ泊まっていけという旨の内容だった。
「いらっしゃいませ、ようこそいらっしゃいました。レミリアお嬢様がお待ちです」
「別にレミリアに呼ばれたわけじゃないんだけど、一体何の用よ」
紅魔館に着くなり、メイド長補佐が最近すっかり板に付いてきた大妖精が出迎えた。
「いえ、私もただ霊夢さんをお連れするように仰せつかっただけですので、詳しいことは何も」
「そう、まあいいわ。案内して頂戴」
真意のほどは分からないが訪れておいて館の主に挨拶の一つもしないわけにもいかないだろう。
一つ頭を下げてから大妖精は先を歩き始め、私もその後を付いて館内へと足を踏み入れた。
「よく来たわね、霊夢。歓迎するわ」
「お邪魔するわよ、レミリア」
私室で椅子に腰掛け優雅に紅茶を飲んでいたレミリアに言葉を返す。
「まだお姉様とは呼んでくれないのかしら?」
「せめて後二十センチは身長を伸ばせば考えてあげるわ。それで、私に何か用かしら?」
「全く、せっかちは嫌われるわよ。……まずは座って頂戴。少し霊夢と話をしようと思ったのよ。大妖精、紅茶の用意を」
肩を竦めてから椅子を勧められ、そこに腰掛ける。
そうして大妖精に指示を出し、予め用意していたのか彼女がテーブルから少し離れた位置に置かれたカートに向かい準備を始めるのを認めて、レミリアは椅子に座り直した。
「最近はフランとはどうかしら?」
「どう、って何よ」
「喧嘩とか特にしていないかしら」
「別にしてないわよ」
探るような視線が私に突き刺さる。それから暫く私を見ていた彼女はやがて短く息を吐き出した。
「一体何なのよ?」
レミリアの様子に私は首を捻る。
「私、そろそろ結婚しようかと思っているの」
「はあ!?」
余りにも突然な告白に思わず素っ頓狂な声が漏れた。
「羨ましくなったのよ。あなた達を見ていてね」
小さく笑う。
そして紅茶に一つ口付けながら、彼女は言葉を続ける。
「私達妖怪は恒久的な寿命を持っているわ。それ故に物事に焦る必要が無いから、気が長いの。性格がという意味ではなくて、時間という概念に鈍感なのよ。だから、何時までも待ててしまうの。それに慣れれば慣れるほど、ね」
館の主は何かを見透かすように眼を細めた。
それに抵抗するつもりで私は口を開く。
「ーーあんたはどうなのよ」
「私はーー」
私の質問に、考えるように一つ紅茶に口付けてから彼女は言葉を続けた。
「私は、気が長くなり過ぎたわ。既に確定している未来。愛した者に置いていかれる痛みを、これ以上負いたくはないの。もう咲夜だけでいっぱいなのよ。それ以上は耐え切れなくなってしまうから。だから私は、私と同じ気の長い者を愛したのよ。まあ、結果論だけどね」
レミリアの伸ばした手を静かに側に控えていた大妖精が取る。
その姿を愛おしげに眼を細めて、レミリアは微笑んだ。
「羨ましいわね」
ふたりが眩しく見えて、私は細く息を吐き出す。
そして目の前の館の主は、ぽんと手を打ち合わせた。
「私の話はこれでおしまい。引き留めて悪かったわね。フランに用があったのでしょう?」
「あ、ええ、そうね。行ってくるわ」
椅子から立ち上がって、扉へと向かった。
それから扉の手前でドアノブを握り、一度振り返って首を傾げるレミリアに笑みを一つ。
「……ありがとう、義姉さん」
赤い顔をした吸血鬼が椅子から転げ落ちる様を視界に映してから、私は扉を静かに閉めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「いらっしゃい、霊夢!」
部屋の扉を開けた途端、私の胸に飛び込んできた小さな人影を受け止める。
私の胸元に頭を寄せて、フランドールは嬉しそうに、幸せそうに笑った。
「それで、今日は何の用事で私を呼んだわけ?」
部屋の中央にあるベッドに腰掛けたフランドールの隣に座り質問する。
「霊夢、今度デートしましょう!」
「えらく唐突ね。そんなのあなたに預けている陰陽玉の通信機能でも使った方が早かったじゃない」
「それじゃあ味気無いじゃない。やっぱりこういうものは面と向かって話して決めるのが一番だわ」
「そういうものかしら。予定なんて適当に決めて、当日どきどきしながら待ち合わせ場所で待つというのがデートの醍醐味なんじゃない?」
「むう、そこは意見の相違ね。何れ、じっくりと話し合いましょう」
それからフランドールは更に言葉を続ける。
「あ、そういえば、頼んでいた老眼鏡は出来たの?」
「ええ、昨日届いたわ」
袖に手を入れて簡素な筒上のケースを引っ張り出して、中から赤いフレームのシンプルな作りの眼鏡を取り出す。
「へえ、これがそうなんだ。ねえ掛けてみても良い?」
そう言って彼女は老眼鏡を自身に掛けた。
「うえ、景色が歪んでる」
「当たり前じゃない、あんたの目は老化とは無縁なんだから」
老眼鏡を受け取り袖の中に戻しつつ、私は答える。
「霊夢、本当に歳取ったんだね」
「あんたと付き合い始めてどんだけ経ったと思ってるのよ。私も老いるわよ」
「霊夢も後どれだけ生きられるんだろうね」
「やめてよ、縁起でもない。私は長生きするわよ。少なくとも、孫が出来るくらいは生きるつもりだから」
「そうして聞くと本当に長生きしそうだよね」
「嬉しそうね」
笑うフランドールの横顔を視界に収めて、私の口から言葉が出る。
「当然だよ。どんなに頑張っても霊夢は人間だもの。私よりも生きられるはずが無いでしょう。でも、少しでも長く生きてくれればその分一緒にいられる時間が多くなるんだもの」
その笑みを見つめて、頭を撫でる。
私の顔を見て不思議そうに首を傾げるフランドール。
瞳を見据えて、私は考えていた質問を投げかける。
「フランドールは私と一緒にいて後悔したことはない?」
「あるわけ無いよ」
即答だった。
「そう」
ふ、と笑みが漏れる。
「それがどうかしたの?」
「ねえフランドール、もし私があんたを紅魔館を出るように誘ったらどうする?」
「え?」
「人里の近くに家を建てて、そこで一緒に暮らすの」
「待って、それって」
フランドールの制止の言葉に耳を貸すこと無く、話を続ける。
「私に死ぬまで付き添って、私の最期を看取るのよ」
果たして私は意地の悪い笑みを向けられただろうか。
頭の中では今の言葉の意味を反芻しているであろうフランドールの様子を眺める。
「霊夢……?」
小首を傾げた彼女に、小さく笑みを見せる。
「結婚しましょう、フランドール」
「……何だか今、不思議な気分」
ぽつりと呟くような言葉が私の耳に届いた。
「これが本当に、幸せって事なのかな。とても気持ちがふわふわして、まともに考えられないわ」
「フランドール」
ゆるゆると見上げる視線とぶつかる。
「返事、聞いても良いかしら?」
「……決まってるじゃない。死がふたりを分かつまでずっと一緒だよ、霊夢」
大粒の涙を流しながら私に抱き付き、フランドールは正に幸せを体現したような表情で笑って見せた。
その顔は、きっと生涯忘れることは無いだろう。
彼女の唇に口付けを落としつつ、私はそう確信していた。
END
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遠くのものは見えるのに近くのものはぼやけて見えたり、近くのものを見続けていたらしばらく遠くのものが見え難くなったり。
特に気にするほどの事でもないかと思っていたのだが、どうにも私に対して過剰に心配しすぎる娘に半ば担がれるようにして診療所へと連れて行かれた。
「老眼ね」
一通り診察を終えた竹林の薬師は、対面に座る私にそう結論を出した。
「私の方から河童の技術士に連絡して老眼鏡を作ってくれるように伝えておくけれど、どうする?」
「お願いするわ。でも老眼ね、なるのはもっと先のことだと思っていたんだけど。というか、薬で解決したりするわけじゃないのね」
「あら、人間の視力の衰えは二十代前後から既に始まっているのよ。自覚症状が出始めるのは早くて三十代半ば頃からだから、あなたは少し早めと言えるけれど、そう珍しくもないわよ。それに病気や怪我ならともかく、老いから来るものに手を出すことは頼まれない限りする気は無いわ。どうしてもと言うのであれば薬ではなくても、中身を別のものに置き換えれば老眼どころか老化そのものを大幅に遅延させることも出来るけれど。どう、試してみる?」
「いいえ、遠慮しておくわ。中身をそっくり取り替えるだなんて、私に別人になれって言っているようなものじゃない。そんなのごめんよ」
永琳の言葉を鼻で笑ってやれば、彼女は見透かしていたように微笑んでみせた。
「あなたならそう言うと思っていたわ。それじゃ二、三日したら出来るだろうから神社まで届けるように手配しておくわ。フレームのデザインは帰り際にカタログの中から選んでウドンゲに伝えておいてちょうだい」
「はいはい、わかったわよ」
と、そこで喧しく廊下を駆ける音が耳に届いてきた。
「霊夢、大丈夫!? 急に倒れてここに担ぎ込まれたって聞いたんだけ……ど?」
「見ての通り、私はピンピンしているわよ。何処情報よそれ」
軽く手を挙げた私の姿に、ノックも無しに無遠慮に開かれた扉の先で少女は安堵したように息を吐き出した。それからポロポロと大粒の涙がその頬を伝い落ちていく。
「よかった……よかったよぉ。霊夢が死ぬんじゃないかって、気が気じゃなくて」
「ばか、私はまだまだ死ぬ気なんて更々無いわよ」
彼女に歩み寄り指先で涙を拭って、頭を撫でる。
「でも、霊夢もう歳だし」
「それでもまだぽっくり逝くような歳じゃないわよ!?」
「ちょっと、おふたりさん。何時までもそんな所でイチャついてないでさっさと退出してちょうだい。次の診察の方もいるのだから」
背後から掛かる言葉に底冷えする空気が上乗せされる。
「あ、悪かったわね。ほら、邪魔になるからさっさと出るわよフランドール」
永琳の視線に押されるようにフランドールを促して部屋を出た。
「如何でしたか、母さん?」
「ただの老眼よ。だからあんたは心配しすぎなのよ」
待合室で心配気な表情で待っていた娘の頭を撫でる。
私の言葉に、彼女はホッとした様子で胸をなで下ろす。
「母さんは気にしなさ過ぎなんです」
「そんなことより、フランドールはあんたが呼んだわけ?」
「そうよ、前に霊夢から貰った陰陽玉の通信機能で連絡を受けて文字通り飛んできたわ」
「お知らせしておいた方が良いかと思って」
「霊夢の為なら地の果てからでも全力で駆けつけるわ」
「はいはい、それはありがとね。さて、さっさと決めて帰るわよ」
最近微妙な成長の兆しを見せ始めた胸を張って宣言する吸血娘の頭を一つ撫でてから、私はカウンターで鈴仙から差し出されたカタログを開いたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「母さん達は部屋で休んでいてください。今日は夕飯の準備は私がしますから」
博麗神社へ帰り着くなりそう言って娘は台所へと向かう。
その姿を見送って、私は自室へと足を踏み入れた。
「本当に母親思いの良い娘に育ったものね、あの子。霊夢が拾って来て、自分で育てるって言い出した時はとても心配していたんだけど。ねえ、私が貰っていってもいい?」
「駄目よ」
「ふふ、冗談よ。次代の博麗の巫女に手を出そうなんて気は無いわ。そんな事したらこの幻想郷の各派閥が大挙して紅魔館に殴り込みに来そうだもの」
さもいる事が当然といった様子で私の部屋へと足を踏み入れたフランドールは笑う。
「私は当代の博麗の巫女なのだけれど?」
「あら、これでも私は霊夢の意志を尊重しているのよ。だから、あなたが人間として天寿を全うするまで一緒にいるし、最後まで寄り添うと約束したのよ」
ちゃぶ台を挟んで向かいに座るフランドールの瞳が、真っ直ぐに私を捉える。
「本当に、あんたは変わらないわね」
「霊夢も変わってないわよ」
「私は随分変わったと思うけど」
「変わってないわよ、どこもね」
「そうかしら」
「そうよ」
隣までやってきたフランドールが私に頭を預け、体を寄せる。
その頭を撫でながら、身体を擦り寄せてくる彼女の好きなようにさせた。
「端から見ればきっと親子の様にしか見えないわね」
「そうね、そこが問題なのよ。こうなったら一時的に大人になれる魔法でも研究しようかしら」
「そんなことしてどうするのよ?」
「霊夢と一緒に出掛ける時に使うのよ。そうすれば釣り合いが取れるでしょう。いろいろと」
くっくと笑うと彼女は私に顔を近づける。
「立ってこうしてキスする時とか、いちいち屈まなくてもよくなるわよ」
頬から唇を離してドヤ顔で私に視線を送ってくる。
「あんたは小さいからねえ」
「むう、霊夢が大きいのが悪いのよ」
「私の背丈は平均値よ」
確かに子供と同等の背丈しかないフランドールからしてみれば大きいかもしれないけれど。
「それに、霊夢を下に見る眺めも悪く無いじゃない」
「私はあんたのつむじを眺めるのも嫌いじゃないんだけどね」
ぱっと頭を手で押さえるフランドールは、赤く染め上げた顔で私を見上げると涙目で口を開いたのだった。
「うー、霊夢の変態!」
◆◇◆◇◆◇◆◇
フランドール・スカーレット。
彼女と付き合い始めてからもう随分と経つ。
彼女が私に執着するようになったのは紅霧異変の後、紅魔館の地下室で弾幕勝負で打ち倒した時からになる。それからは幾度も紅魔館を抜け出して神社にやってきては、私と会って帰って行く様になっていた。
その当時から私に好意を向けていたのは知っていたし、彼女もそれを隠すようなこともしなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「フランドールさん、寝ているんですか?」
「ええ、起こすのも何だし今日はこのまま泊まっていかせるわ」
「そしたら、お布団の用意してきますね」
夕食を終えて早々に私の膝を枕にして眠りに付いたフランドールの姿に、娘は寝室へと向かう。
それから少しして戻ってきた彼女が頷いたのを確認してから、フランドールを抱え上げて寝室に敷かれた布団に寝かせた。
「ああして寝顔を見ると、私より遙かに年上だなんてとても信じられなくなりそうです」
「あれでも気にしている様だから、本人前にして言っちゃ駄目よ」
「それはもちろん」
湯飲みを片手に娘と二人で縁側に腰掛けて空を眺める。
金色に輝く三日月が黒く染まった夜空を彩っていた。
「こうして母さんとお茶を飲むのも久しぶりです」
「そうだったかしら?」
「そうですよ。ここ暫く修行修行でこうしてのんびり出来なかったですから」
そう言って、娘は湯飲みを傾ける。
「それに、二人きりでいられるのって結構珍しいんですよ。母さんの近くって誰かがいる事が多いですから。一番いる事が多いのはフランドールさんですけど」
「まああいつは押し掛け女房というか通い妻というか、そんなことを自称しているからねえ」
「私が、フランドールさんをお母さんと呼ぶ日が来るんでしょうか」
思わず飲んでいた茶を吹き出した。それを見て娘は台所まで音も発てずに小走りで向かい、直ぐに雑巾を持って戻ってきた。
「別に不思議なことでも無いじゃないですか。寧ろ、私にはふたりが長い付き合いなのに結婚していない事の方が不思議です」
縁側に溢れた茶を拭きつつ、口を開く。
「結婚ねえ……」
「もし私が結婚することになったら、母さんはどうする?」
「え? そうねえ、まずは相手をしばき倒して埋めてから祝福するわね」
「祝福はしてくれるんですね。しばき倒すけど」
「埋めるを忘れてるわよ。大事な娘を引っ浚おうってんだもの、当然でしょう。それでも、あんたが自分で選んだ相手なら祝福するわよ」
「そっか」
娘は嬉しそうに小さく笑う。
「まさかあんた、もう誰か相手がいるわけ?」
「え、いやいないです! まだお付き合いしている方すらいないんですから! 今のは例え話です!」
勢い良く首を横に振る娘に一つ疑わしげな視線を送ってから、私は溢れてすっかり容量の減った茶を飲み干した。
「……あんたがそうしたいのなら、無理に博麗の名を継ぐ必要なんて無いのよ」
空になった湯飲みに視線を落としながら、言葉を紡ぐ。
「母さん」
何処か怒った様子の娘に、私は顔を上げる。
「私は拾ってもらって、とても感謝しているんです。産みの親に捨てられ、その場で死ぬしかない乳呑み児だった私を拾ってここまで育ててくれたんです。そのまま捨て置くことも出来たはずなのに、それでもここまで育ててくれたんです。どれだけ感謝してもし足りない。誰が何と言おうと、私は母さんの娘です。博麗霊夢の娘です。博麗は私がしっかりと継いでみせます。だから、そんなこと言わないでください」
娘の言葉が嬉しかった。
娘を拾ったことを後悔したことは一度だって無い。それだけは胸を張って言える。
ただ、博麗の名が重荷になってしまわないかと心に陰を落としていた。
「ありがとう」
口を吐いて出たのは感謝だった。
それに娘は満足気に頷く。
「でも母さんこそ、そろそろ隣を一緒に歩く相手を定めてもいいんじゃないですか?」
「……小娘が生意気言ってるんじゃないわよ」
ニヤニヤと笑う彼女の頭を誤魔化すようにワシャワシャと乱暴に撫でてやると、嬉しそうに悲鳴を上げたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
彼女と付き合い始めて、どれだけの時を過ごしただろうか。
フランドールから好きと伝えられたのは何年も前のこと。
けれど、私から彼女に好きだと言ったことは両手の指で足るほどしか無い。
それでも、彼女から不満等といった言葉が出たことは無かった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
紅魔館から一通の招待状が届いたのはフランドールが泊まっていってから三日後のこと。
コウモリの翼をイメージしたデザインの蝋印で封がされた仰々しい手紙を開く。先日届いた老眼鏡を使って書かれた文字を追ってみれば、要約すると紅魔館へ泊まっていけという旨の内容だった。
「いらっしゃいませ、ようこそいらっしゃいました。レミリアお嬢様がお待ちです」
「別にレミリアに呼ばれたわけじゃないんだけど、一体何の用よ」
紅魔館に着くなり、メイド長補佐が最近すっかり板に付いてきた大妖精が出迎えた。
「いえ、私もただ霊夢さんをお連れするように仰せつかっただけですので、詳しいことは何も」
「そう、まあいいわ。案内して頂戴」
真意のほどは分からないが訪れておいて館の主に挨拶の一つもしないわけにもいかないだろう。
一つ頭を下げてから大妖精は先を歩き始め、私もその後を付いて館内へと足を踏み入れた。
「よく来たわね、霊夢。歓迎するわ」
「お邪魔するわよ、レミリア」
私室で椅子に腰掛け優雅に紅茶を飲んでいたレミリアに言葉を返す。
「まだお姉様とは呼んでくれないのかしら?」
「せめて後二十センチは身長を伸ばせば考えてあげるわ。それで、私に何か用かしら?」
「全く、せっかちは嫌われるわよ。……まずは座って頂戴。少し霊夢と話をしようと思ったのよ。大妖精、紅茶の用意を」
肩を竦めてから椅子を勧められ、そこに腰掛ける。
そうして大妖精に指示を出し、予め用意していたのか彼女がテーブルから少し離れた位置に置かれたカートに向かい準備を始めるのを認めて、レミリアは椅子に座り直した。
「最近はフランとはどうかしら?」
「どう、って何よ」
「喧嘩とか特にしていないかしら」
「別にしてないわよ」
探るような視線が私に突き刺さる。それから暫く私を見ていた彼女はやがて短く息を吐き出した。
「一体何なのよ?」
レミリアの様子に私は首を捻る。
「私、そろそろ結婚しようかと思っているの」
「はあ!?」
余りにも突然な告白に思わず素っ頓狂な声が漏れた。
「羨ましくなったのよ。あなた達を見ていてね」
小さく笑う。
そして紅茶に一つ口付けながら、彼女は言葉を続ける。
「私達妖怪は恒久的な寿命を持っているわ。それ故に物事に焦る必要が無いから、気が長いの。性格がという意味ではなくて、時間という概念に鈍感なのよ。だから、何時までも待ててしまうの。それに慣れれば慣れるほど、ね」
館の主は何かを見透かすように眼を細めた。
それに抵抗するつもりで私は口を開く。
「ーーあんたはどうなのよ」
「私はーー」
私の質問に、考えるように一つ紅茶に口付けてから彼女は言葉を続けた。
「私は、気が長くなり過ぎたわ。既に確定している未来。愛した者に置いていかれる痛みを、これ以上負いたくはないの。もう咲夜だけでいっぱいなのよ。それ以上は耐え切れなくなってしまうから。だから私は、私と同じ気の長い者を愛したのよ。まあ、結果論だけどね」
レミリアの伸ばした手を静かに側に控えていた大妖精が取る。
その姿を愛おしげに眼を細めて、レミリアは微笑んだ。
「羨ましいわね」
ふたりが眩しく見えて、私は細く息を吐き出す。
そして目の前の館の主は、ぽんと手を打ち合わせた。
「私の話はこれでおしまい。引き留めて悪かったわね。フランに用があったのでしょう?」
「あ、ええ、そうね。行ってくるわ」
椅子から立ち上がって、扉へと向かった。
それから扉の手前でドアノブを握り、一度振り返って首を傾げるレミリアに笑みを一つ。
「……ありがとう、義姉さん」
赤い顔をした吸血鬼が椅子から転げ落ちる様を視界に映してから、私は扉を静かに閉めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「いらっしゃい、霊夢!」
部屋の扉を開けた途端、私の胸に飛び込んできた小さな人影を受け止める。
私の胸元に頭を寄せて、フランドールは嬉しそうに、幸せそうに笑った。
「それで、今日は何の用事で私を呼んだわけ?」
部屋の中央にあるベッドに腰掛けたフランドールの隣に座り質問する。
「霊夢、今度デートしましょう!」
「えらく唐突ね。そんなのあなたに預けている陰陽玉の通信機能でも使った方が早かったじゃない」
「それじゃあ味気無いじゃない。やっぱりこういうものは面と向かって話して決めるのが一番だわ」
「そういうものかしら。予定なんて適当に決めて、当日どきどきしながら待ち合わせ場所で待つというのがデートの醍醐味なんじゃない?」
「むう、そこは意見の相違ね。何れ、じっくりと話し合いましょう」
それからフランドールは更に言葉を続ける。
「あ、そういえば、頼んでいた老眼鏡は出来たの?」
「ええ、昨日届いたわ」
袖に手を入れて簡素な筒上のケースを引っ張り出して、中から赤いフレームのシンプルな作りの眼鏡を取り出す。
「へえ、これがそうなんだ。ねえ掛けてみても良い?」
そう言って彼女は老眼鏡を自身に掛けた。
「うえ、景色が歪んでる」
「当たり前じゃない、あんたの目は老化とは無縁なんだから」
老眼鏡を受け取り袖の中に戻しつつ、私は答える。
「霊夢、本当に歳取ったんだね」
「あんたと付き合い始めてどんだけ経ったと思ってるのよ。私も老いるわよ」
「霊夢も後どれだけ生きられるんだろうね」
「やめてよ、縁起でもない。私は長生きするわよ。少なくとも、孫が出来るくらいは生きるつもりだから」
「そうして聞くと本当に長生きしそうだよね」
「嬉しそうね」
笑うフランドールの横顔を視界に収めて、私の口から言葉が出る。
「当然だよ。どんなに頑張っても霊夢は人間だもの。私よりも生きられるはずが無いでしょう。でも、少しでも長く生きてくれればその分一緒にいられる時間が多くなるんだもの」
その笑みを見つめて、頭を撫でる。
私の顔を見て不思議そうに首を傾げるフランドール。
瞳を見据えて、私は考えていた質問を投げかける。
「フランドールは私と一緒にいて後悔したことはない?」
「あるわけ無いよ」
即答だった。
「そう」
ふ、と笑みが漏れる。
「それがどうかしたの?」
「ねえフランドール、もし私があんたを紅魔館を出るように誘ったらどうする?」
「え?」
「人里の近くに家を建てて、そこで一緒に暮らすの」
「待って、それって」
フランドールの制止の言葉に耳を貸すこと無く、話を続ける。
「私に死ぬまで付き添って、私の最期を看取るのよ」
果たして私は意地の悪い笑みを向けられただろうか。
頭の中では今の言葉の意味を反芻しているであろうフランドールの様子を眺める。
「霊夢……?」
小首を傾げた彼女に、小さく笑みを見せる。
「結婚しましょう、フランドール」
「……何だか今、不思議な気分」
ぽつりと呟くような言葉が私の耳に届いた。
「これが本当に、幸せって事なのかな。とても気持ちがふわふわして、まともに考えられないわ」
「フランドール」
ゆるゆると見上げる視線とぶつかる。
「返事、聞いても良いかしら?」
「……決まってるじゃない。死がふたりを分かつまでずっと一緒だよ、霊夢」
大粒の涙を流しながら私に抱き付き、フランドールは正に幸せを体現したような表情で笑って見せた。
その顔は、きっと生涯忘れることは無いだろう。
彼女の唇に口付けを落としつつ、私はそう確信していた。
END
嫌いじゃないわ‼︎
霊夢の拾ってきた子供が舞台装置としての意味が薄かったのが残念。もっと長くして掘り下げても面白いと思います
だが、それが良い
霊夢35才だった。。。
なにはともあれお幸せにw