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魔理沙という名の少女・幻編 ~ You ain't seen Marisa, never!

2014/07/18 22:02:26
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魔導書編 ~ The Grimoire of Marisa.
記憶編 ~ Marisa's Lifes in Wonderland.
幻編 ~ You ain't seen Marisa, never!
編 ~ Does the Proprium Dream of Genuine Marisa?
魔理沙という名の幻想 ~ And Then There Were No Marisa.
霊夢という名の存在 ~ Marisa Leaving the People's Vision with Reimu.



「めーりーん!」
 フランの部屋に足を踏み入れた美鈴の胸に目掛けて、フランが思いっきり突っ込んできた。凄まじい衝撃を難なく受け止めた美鈴はフランを抱き上げてくるりと回転してから、静かにフランを床に下ろす。
「お早うございます、フラン様」
「お早う!」
 挨拶を済ませたフランは嬉しそうに鏡面台の前に座り、鏡に映った吸血鬼の自分を見つめる。フランは鏡を前にすると時偶不思議に思う。吸血鬼は鏡に映らないというのにどうして自分の姿は映るんだろう。もしかしたら自分は吸血鬼では無いのかもしれない。そうだとしたら自分は一体何者なんだろう。そんな疑問が湧いてくる。けれど最後にはこう考える。でも私だけじゃない。お姉様だって鏡に映る。私はお姉様の妹だ。ただそれだけなんだ。フランは鏡を前にすると、世界が何だか素晴らしい物に思えてくる。
 楽しい気分になったフランが首を動かしていると、美鈴がその頭を押さえつけて、髪を梳かしだした。髪が梳かれていく気持ちの良さと美鈴の温かさが伝わってきて、優しさに包まれた様な気がしてくる。幸せな気分が湧いてくる。
 鏡を前にするだけで、こんなにも幸せになれる。フランは鏡が大好きだった。
 しばらくすると美鈴の手が止まり、いつの間にか自分の頭が整えられている事に気が付く。フランは椅子から降りると、体をくねらせて、美鈴に流し目を送った。
「セクシー?」
 美鈴が苦味の混じった笑顔でセクシーですよと褒める。自分の馬鹿な質問にも美鈴は反応してくれる。それが嬉しくて、フランははしゃぎたくなった。その気持を抑えつつ、美鈴の前で両腕を広げる。それを合図に美鈴が服を脱がそうとしてくるので、フランは優しくしてねと呟いた。美鈴が呆れた様子で溜息を吐く。呆れている美鈴を見るのも楽しくてフランはくすくすと笑った。
 パジャマを脱がし終えると、美鈴がクリームを両手で掬って、フランの全身に塗り始めた。それは特殊な日焼け止めで、日光の下で吸血鬼が動く為には必須の薬品である。最初はくすぐったさの所為で身を捩り笑い声を上げていたフランだが、次第に美鈴の手つきに慣れてくると今度は意識して艶めかしい声を出し始める。美鈴は努めてフランの声を無視しようとするがその顔が赤く染まっているから、フランはおかしくて更に興が乗る。じっとしていられなくなって、終いには楽しさのあまりステップを踏みつつ回転し始めたが、美鈴は決してフランの背後から離れずクリームを塗っていく。負けじとフランは激しく動き回るが、結局美鈴を引き剥がす事は出来ず、気が付くとクリームは塗り終わり、ついでに今日の服が着せられていた。
 また負けたと残念そうに呟いたフランだったが、すぐに顔を上げて走りだし、ベッドの上にダイブした。今日は魔理沙に会いに行こうと声高に宣言し、ベッドの上で一頻り跳ね回ってから、美鈴に魔理沙の家へ行く事を告げて、壁を吹き飛ばし外に出た。
 美鈴が魔理沙の家へと飛んで行くフランを見送っていると、隣に咲夜が立った。
「妹様は随分と嬉しそうに出て行ったみたいね」
「ええ、そうですね」
「壁直しておいてよ」
「勿論」
「最近良く外へ出掛けているみたいね」
「魔理沙に会いに行くみたいで、最近じゃ魔理沙魔理沙と」
「そ。友達が出来たのは良い事だわ」
「いえ、あれは友達というよりもむしろ」
「むしろ?」
「うう、私のフラン様がぁ!」
「いつからあなたの物になったのよ」
「最近じゃ魔理沙に遊んでもらったとか、本を読んでもらったとか、魔法を教わったとか。それ位私だって出来るのに」
「魔法は出来ないでしょう」
「咲夜さん、私どうしたら」
「壁直しておいてよ」
 咲夜がにべもなく部屋から出て行ったので、美鈴は壁を直し始めた。

 魔理沙の家に飛び込むと魔理沙が椅子に座って山菜のサラダを食べていたので、フランはそのまま魔理沙へ突っ込んだ。あれこれと必然的な事が起こり、最終的にサラダを被って床に座り込んだ魔理沙の膝の上でフランは笑った。
「たく、いきなり突っ込んでくるなよ」
 魔理沙がぼやくとフランが嬉しそうに体を起こす。
「じゃあ、次からは突っ込むって言うから!」
「そういう事じゃない」
 魔理沙はフランの頭を撫でてから立ち上がって、自分の体についたり床に散らばったりしているサラダをボウルに集め、ごみ箱に捨てた。
「それで今日は何しに来たんだ?」
「遊びに来た!」
「昨日も遊びに来たじゃんか。他の人の所にも行けよ。フランと遊べなくて寂しがっている人が大勢居るぞ」
 フランが拗ねてそっぽを向く。
「そんな人居ないよ。それに私は魔理沙が好きなの!」
 魔理沙はその言葉に一瞬笑顔を見せたが、悲しそうな顔になって背を向けた。
「魔理沙さんは忙しいんだぜ」
「嘘だぁ。いっつも遊んでるじゃん」
「それはお前が遊びに来るからだ」
「忙しいならちゃんと食べなきゃ駄目だよ。魔理沙、いっつもサラダばっかり。人間てお肉を食べなくちゃ力が出ないんでしょ?」
「魔理沙さんは人間じゃないからお肉を食べなくても良いんだぜ」
「嘘だぁ」
 けたけた笑うフランに、魔理沙もけたけたと笑い返し、隣の部屋に向かう。その後ろについて、フランも魔理沙の実験室に入る。
「今日は魔法の研究?」
「研究っていうか、一つ魔法を教えてやるぜ」
「本当!」
 フランが嬉しそうに魔理沙の周りを回る。魔理沙は笑みを零しながら、早速魔法の準備を進めた。水を入れたフラスコの中に材料を入れていく。黄色に色づいた液体に火をかけ煮詰めていく。煮詰まったところで青い液体を加え、青くなったフラスコの中にマドラーを突っ込み撹拌し再び沸騰するのを待つ。やがて液体の色が青黒くなったところで火を止めた。
「良し。完成だぜ」
「こんなので? もっと呪文を唱えたりしないの」
「まあ、見てなって」
 魔理沙はカーテンを閉め電源を落として、部屋を真っ暗にする。
「何するの?」
 突然環境が変化した事でフランは不安をきたして魔理沙に縋り付く。魔理沙はその背を撫でながら含み笑いを浮かべて呟いた。
「行くぞ。ちゃんと目を見開いとけよ」
 フランが暗闇の中で目を開けると、魔理沙の指が打ち鳴らされた。その瞬間、連続して破裂音が鳴り、部屋中で色取り取りの小さな光が、破裂する様に激しく閃き出した。花火の様に色彩豊かな星空が部屋の中で瞬いて、フランは息を呑む。美しさに驚くフランの顔が、カラフルな光に何度も照らされた。
 やがて瞬く光の数が減り、次第に音も止んで、完全な静寂が訪れようかという時に、突然強烈な光が生まれた。目が眩み倒れそうになったフランを魔理沙が支える。いつの間にかカーテンが開き、辺りが明るくなっていた。
「どうだ? 綺麗だったろ?」
 フランが放心したまま頷くと、魔理沙が快活な笑みを浮かべて両手を広げた。
「この魔法を見せたらきっとみんな羨むぜ。みんな仲良くしてくれる。友達だって沢山出来る」
「だから私は魔理沙とだけ遊ぶから良いの!」
 魔理沙は笑って言った。
「大勢で遊んだ方が楽しいぜ。私だって忙しくて一緒に遊べない時もあるし」
「でも」
「それに私とばっかり遊んでると美鈴が寂しがるんじゃないか?」
 フランは美鈴の顔を思い浮かべ項垂れる。
「それにレミリアだってフランが外にばっかり行ってたら寂しいだろうなぁ。咲夜とかも」
 フランの顔が益益歪む。その頬を優しく撫でながら、魔理沙は微笑みを浮かべた。
「家族や友達、そういう繋がりっていうのは大切にするものだぜ」
 分かったとフランが頷いたのに満足して魔理沙は手を打ち鳴らした。
「さ、それじゃあ、魔法の練習だ。ちゃんと覚えて紅魔館の連中に見せびらかしてやれ」
 魔理沙とフランが掛け声と片手を上げる。
 そうしてその日は一日魔法の練習を行った。魔理沙の説明を聞き、材料を加工し、煮詰めて、魔法へと昇華させていく。初めは上手く行かず、二回目も駄目で、三回目も進展無し。それでもフランは魔理沙の指導の下、根気良く魔法を練習し続けた。
 結局日が暮れる頃になっても、ようやく成功の兆しが見え始めた程度で、魔理沙の行った美しく盛大な魔法を再現する事は出来無かった。魔理沙の家に泊まって魔法の練習をし続けるとフランは訴えたが、魔理沙に滔滔と理路整然に説得されて、結局家に帰って一人練習する事となる。
「材料の下拵えの部分を特に注意深くやらなくちゃ駄目だぜ。同じ名前の材料を同じ文量だけ集めて同じ様に調理すれば大体同じになるなんて事は無いんだ。用意した材料は名前が同じだけで毎回違うものだって考えて、自分の目で調整を見極めなくちゃいけない」
「言ってる事は分かるんだけど」
「後は経験だよ。繰り返しやれば良くなっていく。現に今日練習しただけでも随分上手になっただろ?」
「全然だよ。最初に比べたら少しはだけど」
「大丈夫。フランは魔法の才能があるからきっとすぐに出来る様になるさ」
「本当かなぁ」
「本当だぜ。とりあえず教えられる事は教えたから、後は自分で上手く出来る様になるまでひたすら練習。上手く出来る様になったら見せてくれよ」
「でも」
「おやおや、私の手伝いが無くちゃ駄目なのかな?」
 魔理沙のおどけた様子に、フランはむっとして言い返した。
「そんな事無いよ! 私一人でだって絶対出来る!」
 魔理沙は笑いながらフランの頭を撫でた。
「楽しみにしているぜ」
 魔理沙の笑顔を見た途端、フランも笑顔になって頷いた。
「じゃあ、フラン。またな」
 フランの視界の中、月明かりに照らされた魔理沙は青白く笑っていた。

 次の日、フランが飛び起きた時には既に、時刻が正午を過ぎていた。
 辺りを見回したが、美鈴の姿が見えない。おかしい。フランは朝一人で起きる事が出来無い。だから、幻想郷に来てからは、必ず美鈴が早朝起こしてくれた。幻想郷という狭いコミュニティで暮らしていく以上、人間の行動様式と比べて昼夜逆転した生活は不都合だからだ。どうして美鈴が居ないのか不思議に思いながら、フランは着替えもせずに美鈴を探して屋敷中を歩き回った。屋敷の中を歩いていると、何だか妙に妖精メイド達が騒いでいるのがそこかしこで見られた。ひそひそと噂話をしている者も居る。聞き耳を立てるとどうやら美鈴を苛めている様だった。美鈴は大丈夫だろうかと心配になって早足になる。結局美鈴は屋敷の何処にも居らず、最後に玄関から外を覗くと、門の前で立っている美鈴を見つけた。美鈴の前には正座した妖精メイド達が並んでいる。会いに行きたかったが、既に夕暮れが迫っているとはいえ、日除けのクリームを塗っていないフランは外へ出る事が出来ず、美鈴がこっちに来ないものかとその場でじっと美鈴の事を眺め続けた。そこへ咲夜が通りかかり、美鈴を呼んでくると慌てた様子で外へ駆けて行った。
 咲夜に任せれば安心だと自室に戻ると、程無くして息を切らした美鈴が食事を持ってやって来た。早速食事を摂って、さあ着替えさせてもらおうと両手を広げると、どうしてか美鈴が近寄って来ない。不思議そうに眉根を寄せるフランの前で、美鈴は寂しそうにクリームをフランに手渡し、お一人で着替えられる様になりましょうと言った。
「何で!」
 フランが叫ぶと美鈴は身を退きつつ愛想笑いを浮かべた。
「いつも私が手伝っていたらフラン様は駄目になってしまいます。着替え位お一人で出来る様にならないと困る時が」
「ずっと美鈴にやってもらうから困らないもん!」
「そういう訳には」
「何で? どうしたの、美鈴? 私の事嫌いになっちゃった?」
「まさか! 大好きですよ! でも今日は一人でお着替えを」
 フランはしばらく涙目で美鈴を睨んでいたが、美鈴は言を翻しそうにないので、観念してパジャマを脱ぎだした。そうして自分で自分にクリームを塗り、余所行きの服に着替える。そうやって着替えている間、フランは寂しさを覚えて泣きたくなった。
「今日も魔理沙の所へ?」
 魔理沙に会う気は無い。今日は魔法の練習をするつもりだったのだから。美鈴と一緒に楽しく魔法の練習をしたかったのに、何故か美鈴が意地悪をする。フランは美鈴の問いに無言の抗議で答えた。すると次第に美鈴は落ち着きをなくし、終いには我慢しきれなくなった様子で懐からノートを取り出した。
「フラン様、日記って知ってますか?」
 一瞬前までの事を忘れ、フランの目が好奇心で輝く。
「知らない。何それ。面白いの?」
「ええ、とっても」
 美鈴が苦虫を噛み潰した様な顔をしたが、フランの視線はノートに注がれていた為、それを見る事は無かった。
「夜寝る前に、ノートにその日あった事を書くんです。そうするとその日がどれだけ面白い日だったかっていうのが分かるんです。後から読み返すとこの日こんな事があったって思い出せて」
「何だか面白そう。美鈴もやってるの?」
「ええ。今幻想郷で流行っていますから」
「お姉様や咲夜は?」
「勿論」
「魔理沙もやってるかな?」
「当然」
「じゃあ、私もやってみたいかも」
 フランが羨ましげに美鈴のノートに目をやると、美鈴が懐からもう一冊のノートを差し出してきた。
「はい、フラン様。これが日記です」
 フランは忽ち笑顔を浮かべて差し出されたノートを受け取った。ノートをテーブルの上に広げて座り、そわそわと落ち着かなげに何も書かれていない中身を検める。
「これ、書いて良い? どうやって書くの?」
 まず日付を書いて下さいとフランの背後から美鈴が言った。フランはカレンダーを見ながら日付を書き入れ、次の指示を待つ。しかし美鈴は何も言わない。気になって振り返ると、美鈴がカレンダーを見つめていた。
「どうしたの、美鈴」
「いえ、ただ明日は中元だなと」
「中元?」
「いつもお世話になっている人に贈り物をする日ですよ」
 するとフランが勢い良く立ち上がった。
「じゃあ、私も魔理沙に贈り物する!」
 最早日記の事等忘れてしまった様に、贈り物を渡したいとはしゃぎだしたフランがおかしくて、美鈴は思わず吹き出した。
「それでは何か贈り物を探しましょう。何が良いでしょうね」
 二人は贈り物となる何かを探して屋敷の中を散策しだす。美鈴があれこれと候補を上げる。フランは何でも良いから魔理沙が喜んでくれる物が良いと答える。しばらく歩き回った二人はキッチンで丁度贈り物に良さそうな食器のセットを見つけた。艶やかな光沢に可愛らしい花柄が良く映えていた。
「これにしましょうか。きっと魔理沙も喜んでくれますよ」
 魔理沙が喜んでくれるというのならフランに否やは無い。早速咲夜に頼んで丁寧に包んでもらい、明日魔理沙の下へ持っていく事にした。
 丁度夕飯時であったので、そのままダイニングで夕食をとり、部屋に戻ると、日記に今日の事を書いた。美鈴は日付を書く事しか教えてくれなかったから、自分の書く日記が正しいものなのか分からなかったけれど、書いた満足感は確かにあって、やり遂げた喜びを抱きつつベッドに入った。ベッドに入ると明日の事が頭に浮かんできて、魔理沙が贈り物で喜んでくれるだろう事が嬉しくて、その日は中中寝付けなかった。

 翌日贈り物を持って魔理沙の家に行くと、玄関の前に見知らぬ女性が立っていた。訝しみつつ魔理沙の家に近付くと、見知らぬ女性がフランに気がついて声をかけてきた。
「悪いが魔理沙は居ないよ。病気になって病院に運ばれた」
「あなたは誰?」
「私は上白沢慧音。平たく言えば歴史を守っている」
「そう。どうでも良いわ。魔理沙は何処?」
「だから病院だって」
「病院て何?」
「そこからか? 向こうへずっと行くと竹林がある。その中に立つ永遠亭というのが病院だよ」
 慧音が永遠亭の方角を指さすと、突風が巻き起こった。風の過ぎ去った後に慧音が目を見開くとフランの姿が消えていた。
 空を駆けるフランは眼下の竹林に豪奢な屋敷を見つけて急降下した。勢い余って屋根を突き破って屋敷に入る。もうもうと土埃が立ち込めるので、フランは苦しくなって咳き込んだ。すると傍から声が聞こえた。
「何処の馬鹿者よ、天井を壊したのは」
「あなたは誰?」
「医者。あなた、紅魔館のフランドール・スカーレットね」
「どうして知ってるの?」
 お互い見知らぬ筈なのにどうして自分を知っているのかとフランは訝しむ。
「医者だから」
 その言葉で納得した。良く分からないが、医者というのはそういうものなのだろう。今はどうでも良い事だ。
「魔理沙は何処? ここに居るって聞いた」
「残念ながら面会謝絶。今日のところはお引き取り願います」
「どうして会わせてくれないの? 会いたい」
 腰の傍で握りしめようとした拳を医者が怖い顔で掴む。その所為で破壊が遮られてしまった。
「魔理沙は腹痛で入院しているの。腹痛って分かる? お腹が痛くなるの」
「辛いの?」
「物凄く」
「そんな! 助けないと!」
 もう助けたから大丈夫と医者は安心させる様な笑顔になった。けれどすぐにまた怖い顔をする。
「今は誰にも会わない方が良いの。そうしないと治りが遅くなるの。分かる? あなたが魔理沙に会えば、それだけ魔理沙が苦しむのよ」
「そんなの嫌だよ」
「なら納得なさい。今日は会えないの。分かった?」
 強く言われて、フランは頷いた。魔理沙に会いたいが、それで魔理沙を苦しめてしまうのなら話は別だ。大人しく医者の言う事を聞くしか無い。
「明日は会える?」
「明日は、きっと」
「そう。じゃあ、明日絶対に会う」
 フランはそう言うと医者に背を向けて穴の空いた天井から外へと飛び出した。それを眺めていた医者は兎を呼んで、天井を直す様に指示した。
 消沈したフランが紅魔館へ戻る為に竹林を飛んでいると、パチュリーが歩いていた。近付いてみると、パチュリーが冷めた視線を寄越した。
「魔理沙のお見舞い?」
「そう。パチュリーは?」
「私も同じよ。面会謝絶だったでしょう?」
「うん」
「私は少しだけ話す事が出来た。元気とは言えないけど、無事そうよ」
「魔理沙に会ったんだ。ずるい」
「ずるいって……ほんの少しだけよ」
「ずるい!」
 フランは大声を上げて、紅魔館へと飛び去った。
 パチュリーは呆然とその背を眺めていたが、やがて溜息を吐くと歩き出した。レミィはちゃんと説明しているのかしらと呟いたが、その呟きはすぐさま竹林の静寂に呑まれてしまった。

 フランは人の気配を感じて目を覚ました。身を起こし、近付いて来る足音に耳を澄ましていると、扉が開いて美鈴が現れた。
「めーりーん!」
 フランが跳ね起きて美鈴に突っ込むと、美鈴はフランを抱き上げてくるりと回転してから、静かにフランを床に下ろす。
「こんばんは、フラン様」
「こんばんは!」
 フランは腕を広げて美鈴に着替えさせてもらう事を望んだが、美鈴はまたも一人で着替える様にと言って手伝ってくれなかった。悲しくなって唇を噛みながら着替えを終えると、美鈴が申し訳無さそうな顔をしていた。自分の所為で美鈴が辛そうにしているのを見ると、益益悲しくなった。
「フラン様、魔理沙の病気が治った様ですよ」
 美鈴の言葉でフランの顔が一気に笑顔になる。
「本当? 会える?」
「ええ、早速魔理沙の退院祝いで、宴会を催すそうです」
「今から?」
「はい」
 フランが嬉しそうに辺りを飛び跳ね始める様子を美鈴はしばらく眺めてから、頃合いを見計らって、フランに声を掛けた。
「フラン様」
「何?」
「その」
 そこから先の言葉が続かない。
 フランが不思議そうな顔をして美鈴の言葉を待つ。
 やがて美鈴は屈み込み躊躇いがちに口を開いた。
「この幻想郷に来た時、妖怪の賢者から言われた言葉を覚えていますか?」
「最初? え、うん」
 美鈴に失望されるのが怖くて嘘を言った。正直なところ覚えていなかった。フランが幾ら思い出そうとしても、妖怪の賢者という存在に会った覚えが無い。初めて幻想郷に来た時は、博麗神社で霊夢に出会い、この幻想郷が妖怪の楽園である事と、その為には異変や弾幕ごっこ等の決められたルールを守らなければいけない事を教えられただけだ。それすらも、フランからすればあまり興味の無い内容で、半分も覚えていない。
 そんな事よりも、姉であるレミリアが怖い顔をして、幻想郷に相応しい行いをする様戒めてきた事の方が余程はっきり覚えていた。何よりも強く気高い姉がどうして他人に迎合する様な事を言うのか不思議であったが、姉がそう言うのなら幻想郷に相応しい行いをしようと決意した。肝心の幻想郷に相応しい行いがどんなものか分からなかったので、未だそれは成されていないが。
「では行きましょう」
 美鈴に連れられてフランは玄関へ向かい、そこで待っていた紅魔館の者達と一緒に香霖堂へと向かった。

「フラン様」
 美鈴が心配気に見つめる前で、フランは唇を震わせて魔理沙を見ていた。
「何、あれ」
 魔理沙の周りに多くの人が集まり、口口に魔理沙の退院を祝していた。魔理沙は集まった人人を前にして、三角帽子に隠れた輝く亜麻色の髪を月光に晒し、健気に笑みを浮かべている。
「何でみんな、あれを魔理沙って言ってるの?」
 入院中に練習したという操り人形を披露する魔理沙をフランが指差すと、美鈴が慌ててその指を下ろさせた。
「フラン様、あれは魔理沙ですよ。魔理沙なんです」
「フラン、あまり変な事は言わないで。あれは魔理沙よ」
 フランの目が見開かれ、美鈴とパチュリーに向けられる。
「何言っているの、二人共。あんなの違う。全然顔が違うじゃん」
 美鈴が息を呑み、パチュリーが息を吐いた。
「フラン、幻想郷はそういうものなの。あなたにはあれが魔理沙だと思えなくても、あれは魔理沙なのよ。もっと言えば、あれは今日から魔理沙になったのよ」
「何言ってるの? パチュリー、おかしいよ」
 フランが恐怖に顔を歪めて後ろに下がろうとすると、肩を掴まれ振り向かされた。レミリアが怖い顔をしていた。
「フラン、聞き分けの無い事を言わないで。あれは魔理沙。馬鹿な事を言っていたら幻想郷に居られなくなるわよ」
 信じられなかった。皆が魔理沙と呼んでいる人物は明らかに魔理沙ではない。誰がどう見たって分かるのに、フランにとって絶対的な存在であるレミリアまでもが、魔理沙でない人物を魔理沙だと言う。
 フランは涙を浮かべてレミリアの手を払う。
「馬鹿じゃないの、お姉様! あんなの魔理沙じゃない! 何で分かんないの! 全然違うのに!」
「フラン」
 レミリアは辺りを見回しながら焦った様子でフランの名前を呼ぶ。
 だがフランは止まらない。
「馬鹿だ! お姉様も美鈴も! パチュリーも他も! みんな! 何であれを魔理沙だって言うの! 絶対違うのに!」
「フラン!」
 レミリアに睨まれたフランは居た堪れなくなって、腕を掴んできた咲夜を投げ飛ばし、暗い森へと駆け込んだ。
 しばらく駆けると行く先に白い影を見つけた。フランが驚いて立ち止まると、向こうもフランに気がついて顔を上げた。フランを認めた霊夢はほっとした様子で息を吐く。
「フラン、どうしたの? 宴会の途中なのに」
「私は……分からなくて、みんなが変な事を言うから。霊夢は?」
「……ねえ、フラン。一つ確認したいんだけど」
 霊夢が緊張した面持ちをフランに見せた。その顔は月の青白い光に染まって、まるで死人の様だった。
「あなたには、あの魔理沙が本当に魔理沙に見える?」
 フランは驚きの声を上げて、霊夢に縋り付いた。
「やっぱり! あれ、魔理沙じゃないよね!」
 すると霊夢は虚を突かれた表情の後、泣きそうな顔でフランを抱きしめた。
「良かった。私だけがおかしいんじゃなかったんだ」
「でもみんなあれが魔理沙だって言うの! 絶対に違うのに! 何で? 霊夢は何か知ってるの?」
「私も分からない。何でアリスが魔理沙のふりをして、みんなに魔理沙だって呼ばれているのか」
「魔理沙は? 何処に居るの?」
「それも分からない」
「そっか」
 フランが怒りに燃えた瞳を背後に向けた。
「あいつが悪いの? あいつが魔理沙に何かしたから」
「いえ、きっと違う。もう一度見に行ってみましょう。まだ私達が勘違いしている可能性がある」
「勘違い?」
 霊夢は口篭る。自分でも何を言っているのか分からない様子だ。
「とにかくもう一度確認する必要があるって事」
 フランは頷いて霊夢と一緒に魔理沙を見に戻った。そうして人人の前で人形劇を披露している魔理沙を見つけ、己の疑惑が正しい事を知る。
「やっぱり魔理沙じゃない。よね?」
「ええ」
「どうすれば良い? あいつをやっつければ良いの?」
「いいえ、きっと魔理沙のふりをさせられているだけよ。周りのみんなも操られているんじゃないかしら。多分元凶が居る」
「魔理沙は何処に行ったの?」
「多分その元凶に攫われたのね」
「じゃあ、助けないと!」
「ええ、そうね」
 突然、霊夢が苦しそうに胸を掻いて近くの樹の幹に寄りかかった。フランが慌てて霊夢の体を支える。
「大丈夫?」
「大丈夫。ちょっと気分が悪くなっただけ」
「霊夢は休んでて私が魔理沙を攫った奴を壊してくる」
「駄目!」
 急に霊夢が大声を出した。驚いたフランの頭を霊夢が掴む。
「魔理沙を守るのは私。私が元凶をぶっ倒して魔理沙を助けてくるから、それまで待ってて」
「でも」
「待ってて!」
 霊夢が険しい顔で怒鳴ってくるので、フランは頷いた。本当は何が何でも自分で助けに行きたかったが、霊夢に譲るべきだろうと思った。霊夢は魔理沙の親友だ。そう魔理沙から聞いていた。親友というのは一番大切で特別な存在だとフランは知っている。だから魔理沙の事は親友である霊夢に譲らなければならない。悔しい思いはあるものの、魔理沙がはっきりそう言った以上、譲らなければならない。
「分かった」
「そう」
「でも元凶の場所を知らなくちゃいけないんでしょ? なら私があいつから聞き出すよ」
 霊夢がその意味を計りかねて眉根を寄せた瞬間、フランの姿が消えた。宴会の広場から悲鳴が上がる。霊夢が悲鳴の方角を見ると、倒れた魔理沙の上で、フランが馬乗りになって襟首を掴んでいた。凄まじい形相で、元凶は何処だと叫んでいる。
 辺りに悲鳴が響き渡る中、フランはしばらく尋問していたが、何の答えも返って来ないと分かると、魔理沙を呼びながら何処かへと消えた。
 霊夢の下に人が駆け寄ってきて、口口に心配の言葉を掛けてきた。今の事は忘れる様にと周りが噛んで含める様にお願いしてくるので、霊夢は頷いて近くの酒を気付け薬代わりに飲んだ。再び魔理沙の人形劇が再開するというので、一番前の列に座り、上演された魔理沙の人形劇を楽しんだ。
 しばらくして天狗から、永遠亭を襲ったフランを美鈴が気絶させて連れてきたと報告があったので、錯乱している様だから家に帰せと言った。何処かほっとした顔の天狗が、森の暗がりへ消えた。駆け去る天狗から興味を無くし、再び魔理沙の人形劇に興じ出した。

 翌朝、フランは頭の痛みに顔を顰めながらベッドから抜けだした。昨日の事を思い出し、度し難い怒りに見舞われる。
 苛立ちで部屋の中を歩き回りながら、日記を付けなければと思った。昨日の出来事を後後読み返せる様に記録しておかなければならない。そうしなければ忘れてしまいそうだ。周りがみんな魔理沙じゃない人を魔理沙だと言う。あの優しい美鈴が怖い顔をして殴ってくる。お姉様や咲夜やパチュリーも怖い顔をする。そうしてみんなして魔理沙じゃない人を魔理沙だと信じさせようとしてくる。みんなおかしくされている。自分だっていつおかしくされてしまうか分からない。このまま周りの人達にあれが魔理沙だと言われ続けたら本当にあれを魔理沙だと信じ込んでしまう気がした。それが怖くて、フランは必死で昨日の事を忘れない様に日記を書いた。日記を書いていると気持ちが落ち着いていく。自分が正常に戻っていく事を実感した。
 日記を書き終えたフランは早速自分で着替えをして、美鈴がやって来る前に屋敷を出た。見つかったらまた魔理沙じゃない人を魔理沙だと思わせられてしまう。その前に魔理沙を見つけたかった。
 一先ず博麗神社へと向かった。昨日の今日だが、もしかしたら霊夢なら瞬く間に元凶を倒して事態を解決してしまっているかもしれない。そんな期待を胸に博麗神社に辿り着き、鳥居の傍で掃き掃除をしている霊夢を見つけて突撃した。
「霊夢!」
 霊夢はさっとそれを躱して、地面に突っ伏したフランの頭を箒の柄で軽く叩いた。
「朝から何すんのよ」
 フランは元気に跳ね起きて、霊夢に笑顔を見せる。
「霊夢! 元凶倒した? 魔理沙は見つかった?」
「は?」
 霊夢が不思議そうな顔をするので、フランの心を一気に不安が占めた。
「霊夢、昨日の事覚えているよね? 魔理沙が魔理沙じゃなくて、霊夢が元凶を倒してくれるって約束したでしょ?」
「何言ってんの?」
 心底理解出来無い様子の霊夢にフランは絶句する。
「昨日は魔理沙の退院祝いをしたけど……何? 魔理沙が魔理沙じゃないって?」
「れ、霊夢……昨日、私と約束」
「いや、昨日あんたと話してないし」
 フランの足腰から力が抜けた。思わず霊夢に縋り付くと、鬱陶しい顔をされた。
「フラン、あんた最近まともになったと思ってたけど、レミリアの言う通りやっぱりまだおかしいみたいね。医者へ行ったら?」
「私、おかしくなんか無い」
「でも昨日暴れてたじゃない。あの後、レミリアがあちこちに謝ってたわよ。妹は頭がおかしいから許してくれって」
 その瞬間、フランは何か重たい物で頭を殴られた様な錯覚に襲われた。
 妹は頭がおかしい。姉が自分の居ないところでそんな事を言っていたなんて思わなかった。自分が周りから疎まれていたなんて思わなかった。あの姉が誰かに頭を下げるなんて思わなかった。自分が姉にそんな迷惑をかけてしまっていた何て夢にも思わなかった。
「フラン? 大丈夫? さっきから足元がおぼつかないみたいだけど。本当に医者へ行く?」
 フランは霊夢から離れ、呟く様に聞いた。
「霊夢、本当に魔理沙の事おかしいと思わない?」
「は? あんたじゃなくて? 何で魔理沙が出てくるの? 魔理沙は何処もおかしくないでしょ?」
 フランはそっかと呟いて羽を広げ飛び立った。目指すは魔理沙の家。森を越えるとすぐに魔理沙の家が見えた。留守の様だったので入り口を壊して中に入り込んだ。途端に魔理沙の匂いが漂ってきて安堵感が広がった。家の何処かに魔理沙が隠れている気がする。そんな訳で、魔理沙の家中を探し回ってみたが、何処にも魔理沙は居なかった。
 理由は分かっている。あの偽魔理沙が居る所為だ。偽魔理沙が本物の魔理沙になってしまったから、本物の魔理沙が出て来られない。考えればすぐに分かる事だ。
 フランはその考えを忘れてしまわない様に持ってきた日記を書き始めた。霊夢までたった一晩でおかしくなった。自分だっていつおかしくなるか分からない。だから日記を書いて忘れない様にしようと思った。それに日記を書くと心が落ち着くのだ。大事な時を前に心を落ち着けようと思った。書いている内に本当に心が落ち着いてきて、心が落ち着いてくると自分の考えがやっぱり正しかった事が分かって、自分が正しい事が分かると益益偽魔理沙を何とかしなければならないと思った。
「うわ、何これ」
 声のした玄関へ行くと魔理沙が壊れた玄関に目を丸くしていた。魔理沙が顔を上げフランと目が合う。フランの睨む様な視線と目が合うと、その途端、魔理沙は怯えた目をして、フランドール・スカーレットと呟いた。
 魔理沙が頭を振って、改めてフランと呼びかけてきた。未だ怯えた様子を残したまま、魔理沙の家に上がり込んでくる。
「魔理沙」
 フランがそう呟くと、魔理沙の表情が安堵で一変し、嬉しそうな顔でフランを抱きしめようとした。
「フラン、良かった。今日は元気みたいだな」
「魔理沙」
「フラン?」
 だがフランの声に抑揚が無い事に気が付き、魔理沙の動きが止まる。
「魔理沙、何処に居るの?」
「フラン、おい」
「何でこいつが帰って来るの?」
「魔理沙は私だぜ」
「何でこいつは自分の事を魔理沙って言うの? 何でこいつは魔理沙の口調ばっかり真似するの? 何でみんなこいつの事を魔理沙っていうの? 違うのに! 全然違うのに!」
 フランが拳を振り上げる。危険を覚えて避けようとした魔理沙の胸に拳が叩き込まれる。鈍い音がして玄関の外へと放り出された。血を吐きながら立ち上がろうとした魔理沙を、フランが地面に押さえつける。フランの勝ち誇った笑みが魔理沙に近付いた。
「だぜとか言って魔理沙の真似しようとしてたんでしょ! 私には分かっちゃうから! お前全然魔理沙じゃないよ! みんなは騙せても私は騙せないから! 私は騙されない! 魔理沙は何処? お前が魔理沙を隠したんだろ! 魔理沙は何処? 魔理沙は何処!」
 魔理沙の襟首を掴み上げてそのまま後頭部を地面に叩きつける。魔理沙の口から血が吐出された。口から泡を吹き体を痙攣させる。しばらくして痙攣が収まると、フランは魔理沙の目をこじ開けた。眼球が激しく運動していたので、意識が戻ったと判断したフランは、再び魔理沙を責め立てる。
「何処! 魔理沙! 出せ! 魔理沙は何処! 居るんでしょ! 知ってる! 魔理沙はお前がどっかにやったんだろ! 知ってる! 魔理沙を隠したんでしょ! 何処に隠した! 言え! 早く! 魔理沙を返せ! 騙そうとして! みんなを変にして! 私は変じゃない! 残念だった? 私はおかしくならなかった! だから騙せないからね? 教えてよ、早く! 教えろ! 教えろ! 魔理沙は何処!」
 フランに責められている途中で、魔理沙の意識が戻った。頭を振りつつ目を開けると、叫び続けるフランの凶相が眼前に広がっていた。魔理沙は事態が飲み込めずしばし呆然とする。そんな魔理沙に、フランは顔を近付けて来て、分かったと叫ぶ。叫んだフランの顔は常人では浮かべ得ない狂気じみた笑みで歪んでいた。魔理沙の全身に怖気が走る。
「分かった! やっぱりこいつに聞いたってしょうがないんだ! そうだよ! だってこいつが居る所為で魔理沙が戻って来られないんだもん! そっか! じゃあこいつが居るだけで駄目なんだ!」
「待って」
 魔理沙が掠れた声を出すと、フランは笑う。
「ほらやっぱり魔理沙じゃない!」
 魔理沙は慌てて言い直す。
「待ってくれ! 優しいフランが好きなんだぜ!」
 フランの笑いが高くなる。
「ほらやっぱり! こいつは魔理沙じゃない! 全然魔理沙じゃないよ! 魔理沙は強いから私なんかに壊されないんだから! 魔理沙は命乞いなんてしないもん!」
 命乞いという単語に、魔理沙は思いっきり首を横に振る。
「やめて、お願い」
「良かった。こいつを壊すだけで良いんだ」
「お願い! 待って! 助けて!」
 フランが笑う。笑い続ける。
 涙を流す魔理沙の顔に右手を翳した。
「止めて」
「良かった。これで魔理沙が戻ってくる」
 フランには確信があった。
 目の前の偽物を破壊すれば、魔理沙が戻ってくるという確信が。
「よーし」
「お願い。嫌だ」
 満面の笑みを浮かべて手を翳すフランを前にして、最早魔理沙は声も出せず、体を強張らせる。
 震える魔理沙の視界一杯に、ゆっくりと握られていくフランの手が映る。
 魔理沙がしゃくり上げながら呟きを漏らす。
「魔理沙。ママ。ごめん、アリス。私、魔理沙に」
 その瞬間破裂音が響いて、辺りに赤色が散った。
 フランは嬉しくなって両手を上げた。
 これで魔理沙が帰って来る。
 嬉しさが安堵に変わる。安堵が意識を微睡ませる。

 跳ね起きると、近くから驚きの声が上がった。複数人の声だった。美鈴の声が混じっていた。
「美鈴!」
 笑顔を向けると、美鈴と、それから紅魔館の面面の安心した顔が並んでいた。場所は魔理沙の部屋だった。どうして魔理沙の家にみんなが集まっているのか良く分からなかったが、何にせよ、朝からみんなの顔を見られた事が嬉しくて、元気良く挨拶をした。
「お早う!」
 何故かみんなが戸惑った様な顔になった。レミリアも咲夜もパチュリーも他のみんなも。一人だけ、美鈴だけは自分の腕に爪を食い込ませながら笑みを見せてくれた。
「お早う、魔理沙。大丈夫?」
 魔理沙という言葉を聞いて辺りを見回す。そう言えば偽魔理沙を壊したのだから、本物の魔理沙が戻ってきているに違いない。だが部屋の何処にも魔理沙は居なかった。落胆して項垂れる。
「私ね、あの変なのを壊したの。だから魔理沙が戻ってきてる筈なんだけど、美鈴は知らない?」
 すると美鈴が言った。
「何言ってるの? 魔理沙はあなたでしょ?」
 驚いて魔理沙は顔を上げ、辺りを見回した。傍に姿見があって、それを咲夜が向けてきた。そこには自分が映っていた。
「私、魔理沙じゃないよ? 美鈴、何言ってるの?」
「何言ってるのって、それはこっちの台詞。魔理沙こそ、何言ってるの? まだ寝ぼけてる?」
 魔理沙は不安になって、レミリアに問いかけた。
「お姉様? 私フランだよね?」
 するとレミリアが呆れた様子で溜息を吐いた。
「あなたは魔理沙よ。そんな事も忘れたの?」
「お姉様?」
「あなたは魔理沙よ。聞き分けなさい」
 何を言っているのか分からない。どういう事かと咲夜に視線を移すと、咲夜は小さく、あなたは魔理沙よ、と言った。魔理沙の顔が今度はパチュリーに向く。
 魔理沙の視線を受けたパチュリーは無表情のまま顔を逸らしてレミリアに声をかけた。
「ごめんなさい、レミィ。私気分が」
「うん」
「ごめんなさい」
 パチュリーは立ち上がると、さようなら魔理沙と言って、小悪魔達に連れられて玄関へと去っていった。
 訳が分からなかった。
「みんな、私、フランだよね?」
 魔理沙がその場に居る全員に視線を渡す。ある者は視線を逸らしていた。ある者は泣きそうな顔をしていた。最後にレミリアを見ると、真っ向から魔理沙の視線を受け止めつつ、重苦しい口調で言った。
「みんなも出て行って」
 皆戸惑っていたが、レミリアの無言の圧力に一人また一人と玄関へ消えて、最後には魔理沙とレミリアだけが残った。
「お姉様、どういう事? 冗談だよね?」
「あなたは魔理沙よ」
「違うよ。私は」
「あなたは金色の髪でしょう? それに魔法だって使える。どう見たって魔理沙じゃない」
「そうだけど。魔理沙は私なんかよりずっと凄いもん。いっつも明るくて、みんなの人気者で」
「あなただって、いつも明るくて、周りを元気にしてくれて、無邪気で可愛くて、本当に良い子で」
 そこでレミリアが言葉を途切った。その沈黙に不気味なものを感じていると、レミリアが抑揚の無い声で、再び言った。
「あなたは魔理沙よ」
「お姉様!」
 レミリアが俯いたまま立ち上がり背を向ける。
「人間の生活は楽しいんでしょうね。きっと」
「どうしたの、お姉様? ねえ!」
「さようなら。また会いに来るわ」
「待って! 待ってよ、お姉様!」
 ベッドから立ち上がろうとして、足を引っ掛けつんのめった。床に顔面から落ちて転がり、顔を上げた時にはレミリアの姿が消えていた。
 どういう事だか分からなかった。魔理沙じゃない筈なのに皆が魔理沙だという。まるで昨日の宴会みたいだ。もしかしたらまた元凶の所為でおかしくなっているのかもしれない。
 そう考えた魔理沙は急いで日記を記し始めた。元凶は強力で、みんなを簡単におかしくしてしまえるらしかった。これではいつ自分までおかしくなるか分からない。だからおかしくなる前に日記を付けておかないといけない。そうしないとおかしくなってしまいそうな気がした。現に向かいの姿見には自分の姿が映っているが、金色の髪をしていてまるで魔理沙の様に見えた。姿見を見ているとやっぱり自分が魔理沙である気がしてきた。魔理沙は慌てて頭を振り、もう一度鏡を見る。そこに魔理沙が映っていた。魔理沙がはっとして目を瞬かせると、そこにはやっぱり自分の姿があった。けれど気を抜くと魔理沙の姿に見えた。いつの間にか鏡の中の魔理沙の隣にレミリアが立っていて、あなたは魔理沙よと言い出した。その後ろには美鈴が居て、お早う魔理沙と言った。その他のみんなも口口に鏡の中の魔理沙を魔理沙だと言い出した。怖くて怖くて魔理沙は姿見から視線を逸し、必死になって日記を書き進めた。涙で視界がぼやけていく。最早字が読めなくなって、涙を拭いながら顔を上げると、鏡の中に魔理沙が居て、その後ろに見知った顔が居た。驚いて背後を振り返る。すると背後の存在は、お早う、魔理沙と言った。霊夢という魔理沙の呟きに、訝しげな顔になって、私は霊夢じゃないわ、八雲紫、妖怪の賢者よと言った。妖怪の賢者という言葉に何か聞き覚えがあった。だがそれを思い出す前に、八雲紫は結構結構と手を打ち鳴らして、これからよろしくやりましょう魔理沙と言った。魔理沙は何だか恐ろしくなって八雲紫を壊そうとしたが、手を掴まれて止められた。これであなただけの物になったわよ。良かったわね? その言葉の意味がフランには分からなかった。だが目の前の八雲紫は何か知っているに違いないと思い、霊夢と叫びながら掴みかかろうとした。しかしそれを透かされて転ぶ。美しく残酷な幻へようこそと八雲紫が言った。立ち上がると、いつの間にか消えていて、姿見を見ると、自分だけが映っていた。
 自分を保つ為に再び日記を書き始めた。自分は自分だと思うのだが、日記に自分の名前を書いている内に何だか自分が魔理沙である気がしてきて、終いには何が何だか分からなくなった。日記に自分の名前を書き続けていると頭がぐちゃぐちゃになって気味が悪い。もはや日記すら侵食されてしまった。このままじゃいけないと立ち上がった時、魔理沙は不意に良案を閃いた。
 急いで実験室に駆け込み、実験の準備をしだす。
 準備しているのは魔理沙が見せてくれた魔法だ。その魔法は魔理沙だけが使える。魔理沙だけが、あの美しく盛大な星空を作り出せる。
 もしも魔法が上手くいけば魔理沙。
 そうでなければ自分。
 簡単な事だ。
 これで自分が魔理沙なのか自分なのか確かめられる。
 魔理沙はその名案に縋って実験を進めた。練習していた時の何倍もの注意を払って、必死の思いで準備を行う。
 そうして魔法が煮詰まると、急いでカーテンを閉め切り、電気を消して、部屋を真っ暗にした。
 魔理沙は息を呑んでフラスコを見つめる。青黒い液体が波打っている。緊張で頭痛を覚えつつ歯を食い縛る。
 上手くいけば自分は魔理沙。
 そうでなければ自分は自分。
 合図の指を鳴らした。
 その瞬間、連続して破裂音が鳴り、部屋中で色取り取りの小さな光が破裂する様に激しく閃き出した。花火の様に色彩豊かな星空は、初めに魔理沙が見せてくれた光景と全く同じだった。美しく盛大な光景に、魔理沙は息を呑む。
 泣き出しそうな魔理沙の顔が、カラフルな光に照らされた。



魔導書編 ~ The Grimoire of Marisa.
記憶編 ~ Marisa's Lifes in Wonderland.
幻編 ~ You ain't seen Marisa, never!
編 ~ Does the Proprium Dream of Genuine Marisa?
魔理沙という名の幻想 ~ And Then There Were No Marisa.
霊夢という名の存在 ~ Marisa Leaving the People's Vision with Reimu.
When we are dead, we cry that we are left. From this great stage of FlaAli.
烏口泣鳴
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7.100名前が無い程度の能力削除
社会の本質は洗脳なのかも知れない
意図的に狂い狂わされる狂気こそ社会性なのかも知れない
ならば狂えないものこそ狂ってて、狂える者こそ正常なのかも知れない
かなわない暴力に対して媚びるために狂えるかどうかということかも知れない
ならば皆を狂わせる暴力や脅しこそ正義ということかも知れない
ならば正義とは狂気と暴力であるかも知れない