私、犬走椛は誇り高き白狼天狗である。
私は天狗の武家に生まれ、読み書きを学ぶと同時に剣を習って育ってきた。
だから同年代の鴉天狗なんかが私をいじめに来ることなんてほぼ無かったし、いじめられている同輩を助けてあげたりもしてきた。
ほどなく成人して山の警備にあたるようになって環境が変わり、そういった話も段々と無くなってゆく……
はずだった、が。
「また塩むすびだけですか?肉体労働なのにご苦労なことです。」
「……これはこれは射命丸文殿、何か御用ですかね?」
こいつだけは例外だ。なぜか私にいつまでも付きまとってくる。鬱陶しいことこの上ない。てか仕事中に来るな。
これで私に好意でも持っていてくれればまだ許せるだろうが、此奴の目的はただ一点、
「いえ、からかいに来ただけです。相変わらず犬っころに相応しいものを食べてるようで何よりですね。」
私への挑発である。救えない。むしろ罰してやりたい。
というか子供か。暇だからからかいに来たとか、ガキ大将レベルかよ。しかも煽り文句が子供の時に聞いたのと一字一句同じなのはどうにかしろよ。仮にも新聞記者なんだから語彙増やせ。
「帰れ。」
できれば土に。
「あやぁ~、先輩に向かってそんな口きいていいとおもってんの?ねえ。」
「誕生日が一か月早いだけでしょう。それに、尊敬すべきひとにはちゃあんと敬意を払います。さようなら。」
「じゃあ見せてくださいよ、敬意。ほら這いつくばって。」
「話聞いてました?」
「ちょっと、話聞いてんの?」
ぶち。
「質問しているのはこっちだ!毎度毎度馬鹿にしやがって、頭に中身入ってんのかバカラス天狗!」
「あんたよりは入ってるわよ能無し下っ端天狗!おとなしく上に尻尾振ってなさい!」
「侮辱するな!」
「してやるとも!」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
――妖怪の山・某所の川べり
「ああ、またやってるよ椛のやつ。こりゃ今日は将棋は無理だな。」
「定期的に何かやってると思ったら、にとりの友達だったのね、あれ。」
「そうそう、お相手は上司で幼馴染なんだってさ。誰かわかる?」
「誰?」
「文だよ。……新聞屋さんの。」
「あら、いつかの。」
「幻想郷って狭いよねぃ。」
よっ、とにとりは腰を上げて、川を小さく切り取るように並べた石の内側からきゅうりを二本取り出し、また雛の隣に腰かけた。
「食べる?」
「うん」
「はい。」
「ありがと。」
「しかし……ああ聞いてよ雛。今日の夜は空いてるかい?八目鰻は好きだろう。」
「いいけど、急にどうしたの?」
「酔った椛を帰すには、一人じゃきついんだよ。」
「あら」
それは大変ね、と言いながら、雛はからからと笑った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ひとしきり弾幕と罵声と拳とを交えた後、「二度と来てやるもんですか!」と捨て台詞を吐いてヤツは飛び去った。その台詞はもう聞き飽きた。
と言ってもこっちが勝ったのはいつも通りほとんど罵声の応酬のみなので後味は悪い。悔しいが弾幕ではあちらが上手だ。
そういえば、本格的に剣を習おうと思ったきっかけはあいつとの喧嘩に勝ちたいと思ったからだったっけ。
白羽取りしてやるわ!などと息巻いていた文に竹刀で一撃食らわせたことは今思い出してもすがすがしい。あ、でもその後に妖術合戦でぼこぼこにされたな。やっぱり忌々しい。
今は、とふと思う。剣の訓練を怠ったことはないが、それが発揮されたのは巫女と魔法使いと戦ったときと、あのパパラッチに『新聞のネタが無いからネタになれ!』とふっかけられた時ぐらいか。哨戒という仕事柄、トラブルには巻き込まれやすいが真剣の使用許可は滅多に下りない。定期的に来る三流記者にも発揮してやりたいが、身内に剣を向けるというのは御法度中の御法度なのでそれは叶わない。
「ああ、この鬱憤を晴らせる適度なトラブルでもないかなあ。」
独り言のつもりで放たれた言葉だったが、意外にも受け取る相手がいた。
「荒れてるね、椛。」
「にとり。……ごめん今日は、」
「『将棋したい気分じゃない』だろ?見てたよさっきの。」
「うう……。」
「よくやるよねえ。見てる分には華やかでいいんだけどさ。」
「見世物じゃないよ。」
「まあまあ、愚痴は呑むまで飲み込んでおきなよ。」
「今すぐ呑もう。」
「気が早いって。」
結局にとりの反対を押し切る形で飲み会が決定したものの、まだ夕方で夜雀の屋台が開いていないので、にとり宅近くの河原で涼みながら時間をつぶすことになった。
「いい場所だね。」
「だろ?川は澄んでて流れも穏やか。滝壺があるのにうるさくないし、見晴らしも良い。何より人気が無い。ここほど道具のテストに適した場所はそうそう……。」
「今日は先客がいるみたいだけどね。」
「ありゃ?ほんとだ。」
二人がいる場所から少し川上、滝壺にいるというより今まさに滝に打たれている人影があった。白い袈裟を着ていて、しぶきで顔が見えない。
「滝行だよ。人間かな……椛、ちょっと話しかけてよ。」
「なんで私が……こんにちはー!」
「……。」
反応が無い。
「もっとおっきい声で!」
「こんにちはー!?」
「えっ!?うわ、わっぷ!」
今度は聞こえたようだったが、盛大にずっこけた。慌てて駆け寄ると、よく見れば守矢神社の巫女、東風谷早苗であった。
「風祝です。」
守矢神社の風祝、東風谷早苗であった。
「み……風祝さん、禊ですか?」
「いえ、修行です。」
「は?」
「まだまだ私は未熟者ですから、まずは精神を鍛えようと。朝から滝に打たれてるんですよ。」
「はあ……。」
「どうかお気になさらず。」
妙に目が据わっているし、肌も青白い。やめさせたほうがいいかなあなどと考えていると
ばきっ、と
滝の上から木が折れる音が聞こえた。見れば古く、重そうな木の幹がちょうど落ちようとするところだった。
「早苗さん、上!」
にとりも気づいたらしい。対して早苗は何の事か判然としない様子で首をかしげていた。
古木が落下を始めた。
弾幕では勢いを殺しきれない。どうする。
「危ない!」
にとりが叫ぶと同時に、私は飛び出していた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
結果として巫女さんは助かった。古木が落ちる直前に私が突き飛ばして衝突を免れたのだ。しかし突き飛ばしたのはにとりも同じなようで、私のタックルとにとりの水流弾、そして滝行の疲れが巫女さんの意識を吹っ飛ばし、仕方が無いので天狗のしかるべき組織に保護させた。
のだが。
「なんであなたがここにいるんです?文。」
「私が保護して『しかるべき組織』だからですよ。あと呼び捨てやめなさい。」
なぜ居る。わりと本気で。
「どうせ新聞のネタにしたいってのが本音でしょうがね。」
「そんなことはないです。ところで、報告書に書くので、事故当時の状況を詳しく教えてください。」
ちなみにさっきまでにとりは居たのだが、文を見た途端「邪魔しちゃ悪いから」と言って逃げた。どういう意味だ。
「今言ったことで全部ですよ。他には何もないです。」
「なぜ現場に居合わせたのか、とか。」
「友人と川で涼みに……ってこれ言う必要無いですよね?」
「誰と?誰と?」
「……にとりですよ、知ってるでしょう。うざいから反復横跳びしないでください。」
ぴた、と動きが止まった。珍しく言う事を聞いたと思ったが、ペンの動きも止まってしまっていて、止まったというより固まったという感じが近かった。
「にとりとは、」
「はい?」
「仲が良いんですか」
「え?まあ、あなたと私よりは。」
「……!!おっと早苗さんの身柄を神社に引き渡す時間になってしまいました。これにて失礼。」
あんちきしょうはそそくさと化粧室へ去っていった。やっと解放された、さあ今日はにとりと飲むぞ。と期待を膨らませていると、またしても不幸な色のヤツが戻ってきて
「あ、証人としてまだ残っていてくださいね。」
とか嬉々とした顔で言いやがるからもう私はため息で応えるしかできなかった。
鬱々とした気分で温くなった茶を飲み干す。
……
私とにとりの仲を聞いた時の、あの怯えたような表情は一体なんだったのだろう、か。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
椛とにとりの仲を聞いた時の、あの怯えるような感情は一体なんだったのだろうか。
一瞬そんな考えが頭をよぎったが、今はそんな事を考えている場合では無い。
守矢の神の一柱に、東風谷早苗の身柄を引き渡すという端役なのか大役なのか微妙な仕事を任されてしまったのはなぜか。
分かりきっている。守矢神社の者と面識があって、さっさと寄越せるだけの身の軽さがあるのが私だけだからだ。
後は、生憎私が政治がらみの記事を書くことはないが、私が記事にすれば守矢神社は天狗に恩があるということを知らしめられる、というカードになるとでも考えているのだろう、上は。
その予想はまあまあ当たっていたようで、やや予定よりも早めにきた”引き取り人”も事務連絡が終わるや否や
「この事を記事にする、とか考えてない?」
と質問、もとい釘を刺しにきた。
「今のところ書くつもりは無いですねぇ。」
当たり障り無く。ここでごたごたを起こすのは得策ではない。
「へえ……?そうなんだ。」
「ええ。」
「ところでさ、さっきの話で気になる事があったんだけど。」
「何ですか?」
「河童とそこの天狗が早苗を突き飛ばしたんだよね。」
「ええ。あくまでも古木にぶつからないように、ですが。」
「それ、本当かい?」
怖気が走った。決してこの神に恐れをなしたわけではない。この神の言わんとしている事は、古木など初めから無く、椛が純粋に暴力で早苗の気を失わせたのではないか、ということだ。
「それは」
「河童が一緒にやったかも怪しいね。」
恐ろしいのは、そうではないと私が証明出来ない事と、何よりもそれが真実かもしれないという事だ。
「私がさっき述べた事は」
「うん?」
「全て事実です。……証言によれば。」
「……埒があかないよ。本人に聞いてみるしかないみたいだね。」
「!」
これはまずい。真実が如何に関わらず、椛が尋問されてやっぱり嘘でした、なんて言えば最悪ここが血の海になる。
いや、でもここは椛を信じるべきなんじゃないのか?
そんなことを考えているうちに。
「じゃあ質問するよ……正直に答えろ。」
巨大な蛇が、椛の体に食いつかんと口を開けていた。しかし誰も動けない。当然だ。力の差がありすぎるし、今椛を助けに行けば椛が嘘を吐いていたことを認めると捉えられかねないからだ。冷静に考えれば動くべきではない。
なのに。
「あややや、独り言ですから聞き流してくれると有難いのですけど、」
「……。」
「私最近ネタに困っていてですねぇ、身内の事でも記事になるならしてみたいと思うんですよ。そこでこういう事件に遭ったわけですけれど、いかんせんインパクトに欠けるんですよ。写真が無いと辛いものです。」
「何が言いたい。」
勝手に口が。
「いえね?『守矢の神 風祝を救った天狗を尋問』とか、とってもスキャンダラスな見出しだと思いません?」
要らない事をべらべらと。
「……。」
「……。」
絶対的不利な睨み合い。折れたのは、意外にもあちら側だった。
「……いいよ、そっちの言い分を信じる。この白狼天狗の目を見る限り、嘘はついてないみたいだしね。」
安心したせいかどっと汗が噴き出た。
「それでは。」
「ああ、早苗は?」
「こちらの部屋に。」
「ご苦労。」
本当に苦労でしたよ、と内心ため息をつく。そこへ、すっかり回復して元気になった早苗がひょっこり現れて、お礼を言いに来た。
「あ、椛さん、文さん!この度は本当にご迷惑をお掛けしました!」
「いえいえ、ご無事で何よりです。」
「帰り道で倒れたりしないでくださいね~。」
「ありがとうございました!」
「うちの早苗が世話になったね。感謝する。」
あの神たち、疑惑が晴れたら晴れたでさっさと帰ってしまった。
「まったく現金な神様ですねえ。」
「どこの神も現金なものでしょう。それより文さん。」
「はい?」
まともに呼ばれたのが信じられずに、思わず二度見してしまう。本物か?
「何ですかその珍獣を見るような目は。」
「いえ何でも。それで、何ですか?」
「私のこと、疑っていたんですか?」
「へ?」
「まさか本気で守矢の巫女を私が倒したと思ってたんですか?」
「え、椛ってそういう娘じゃないですか。」
「心外ですね。……この際だから言っておきますけど。」
「うん。」
そうして椛は、いつものように図々しく、
「私がああいうことするの、あなただけですからね?」
私の期待通りの事を言ってくれるのだ。
「……ふふ。そうですか。」
「なに、なんで嬉しそうなんですか、納得いきません。というかあなたは曲がりなりにも私の上司なんですから、もっと尊敬できるような振る舞いをですね……。聞いてます?」
だったら私も、椛の期待に応えよう。
「大丈夫。私もああいうことするの、椛だけですから。」
「そういう問題じゃ……。」
「あ!置手紙ですよ、なになに……『椛さん、文さんへ。いろいろと世話をかけて頂きありがとうございました。つきましては今週末、守矢神社で宴会を開こうと思いますので是非お越しになってください。東風谷早苗より PS椛さん巫女じゃなくて風祝です』だって。椛まだ区別つかないんですね~かわいい。」
「なっ、あえてつけてないんですよ。大体新聞に『巫女のようなものだ』って書いたのはどこの誰ですか。」
「あーあー聞こえない。椛、宴会で飲み比べしますからね。今度も勝つわよ。」
「私お酒飲めないんで遠慮します。それじゃあ私は呑み系の用事があるのでこれで。」
「待ちなさい、私も行く!」
「嫌です。」
「おごるから。」
「……え?」
「何よその鳩鉄砲を食らったような顔は。」
「まさかそんな理想の上司みたいな……はっ、偽物?」
「鳩鉄砲はつっこまないのね。」
「じゃ、じゃあおごってくれるんなら来ていいですよ。金づる。」
「じゃあ行くわよ。」
「え?……え?」
「さあ、早くしなさい!それとも本当にお酒が飲めなくなったのかしら?」
ああ、楽しい。
「ちょ、引っ張らないでください、引っ張るな!」
私の、私だけの、可愛い後輩。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今日のあいつは変だ。にとりの事を聞いて怯えたり、守矢の神と張り合ったり、私をからかうと思ったら急におごるとか言い出したり。
あいつらしくない。調子が狂ってしまう。
でもまあ……かばってくれたときは、嬉しかっ……ないっ。
「なにぶつぶつ言ってんのよ、早く案内して。」
「……本当におごってくれるんですか?」
「何よ、おごって欲しくなくても勝手におごるわよ。」
まあ、おごってくれることに異存は無い。普段から不当な労働をさせられているのだ。
「……ありがとうございます。」
今日ぐらいはおごられてやってもいい。
「え?何か言った?」
「何でもないです。」
私の、私だけの、大嫌いな先輩に。
私は天狗の武家に生まれ、読み書きを学ぶと同時に剣を習って育ってきた。
だから同年代の鴉天狗なんかが私をいじめに来ることなんてほぼ無かったし、いじめられている同輩を助けてあげたりもしてきた。
ほどなく成人して山の警備にあたるようになって環境が変わり、そういった話も段々と無くなってゆく……
はずだった、が。
「また塩むすびだけですか?肉体労働なのにご苦労なことです。」
「……これはこれは射命丸文殿、何か御用ですかね?」
こいつだけは例外だ。なぜか私にいつまでも付きまとってくる。鬱陶しいことこの上ない。てか仕事中に来るな。
これで私に好意でも持っていてくれればまだ許せるだろうが、此奴の目的はただ一点、
「いえ、からかいに来ただけです。相変わらず犬っころに相応しいものを食べてるようで何よりですね。」
私への挑発である。救えない。むしろ罰してやりたい。
というか子供か。暇だからからかいに来たとか、ガキ大将レベルかよ。しかも煽り文句が子供の時に聞いたのと一字一句同じなのはどうにかしろよ。仮にも新聞記者なんだから語彙増やせ。
「帰れ。」
できれば土に。
「あやぁ~、先輩に向かってそんな口きいていいとおもってんの?ねえ。」
「誕生日が一か月早いだけでしょう。それに、尊敬すべきひとにはちゃあんと敬意を払います。さようなら。」
「じゃあ見せてくださいよ、敬意。ほら這いつくばって。」
「話聞いてました?」
「ちょっと、話聞いてんの?」
ぶち。
「質問しているのはこっちだ!毎度毎度馬鹿にしやがって、頭に中身入ってんのかバカラス天狗!」
「あんたよりは入ってるわよ能無し下っ端天狗!おとなしく上に尻尾振ってなさい!」
「侮辱するな!」
「してやるとも!」
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――妖怪の山・某所の川べり
「ああ、またやってるよ椛のやつ。こりゃ今日は将棋は無理だな。」
「定期的に何かやってると思ったら、にとりの友達だったのね、あれ。」
「そうそう、お相手は上司で幼馴染なんだってさ。誰かわかる?」
「誰?」
「文だよ。……新聞屋さんの。」
「あら、いつかの。」
「幻想郷って狭いよねぃ。」
よっ、とにとりは腰を上げて、川を小さく切り取るように並べた石の内側からきゅうりを二本取り出し、また雛の隣に腰かけた。
「食べる?」
「うん」
「はい。」
「ありがと。」
「しかし……ああ聞いてよ雛。今日の夜は空いてるかい?八目鰻は好きだろう。」
「いいけど、急にどうしたの?」
「酔った椛を帰すには、一人じゃきついんだよ。」
「あら」
それは大変ね、と言いながら、雛はからからと笑った。
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ひとしきり弾幕と罵声と拳とを交えた後、「二度と来てやるもんですか!」と捨て台詞を吐いてヤツは飛び去った。その台詞はもう聞き飽きた。
と言ってもこっちが勝ったのはいつも通りほとんど罵声の応酬のみなので後味は悪い。悔しいが弾幕ではあちらが上手だ。
そういえば、本格的に剣を習おうと思ったきっかけはあいつとの喧嘩に勝ちたいと思ったからだったっけ。
白羽取りしてやるわ!などと息巻いていた文に竹刀で一撃食らわせたことは今思い出してもすがすがしい。あ、でもその後に妖術合戦でぼこぼこにされたな。やっぱり忌々しい。
今は、とふと思う。剣の訓練を怠ったことはないが、それが発揮されたのは巫女と魔法使いと戦ったときと、あのパパラッチに『新聞のネタが無いからネタになれ!』とふっかけられた時ぐらいか。哨戒という仕事柄、トラブルには巻き込まれやすいが真剣の使用許可は滅多に下りない。定期的に来る三流記者にも発揮してやりたいが、身内に剣を向けるというのは御法度中の御法度なのでそれは叶わない。
「ああ、この鬱憤を晴らせる適度なトラブルでもないかなあ。」
独り言のつもりで放たれた言葉だったが、意外にも受け取る相手がいた。
「荒れてるね、椛。」
「にとり。……ごめん今日は、」
「『将棋したい気分じゃない』だろ?見てたよさっきの。」
「うう……。」
「よくやるよねえ。見てる分には華やかでいいんだけどさ。」
「見世物じゃないよ。」
「まあまあ、愚痴は呑むまで飲み込んでおきなよ。」
「今すぐ呑もう。」
「気が早いって。」
結局にとりの反対を押し切る形で飲み会が決定したものの、まだ夕方で夜雀の屋台が開いていないので、にとり宅近くの河原で涼みながら時間をつぶすことになった。
「いい場所だね。」
「だろ?川は澄んでて流れも穏やか。滝壺があるのにうるさくないし、見晴らしも良い。何より人気が無い。ここほど道具のテストに適した場所はそうそう……。」
「今日は先客がいるみたいだけどね。」
「ありゃ?ほんとだ。」
二人がいる場所から少し川上、滝壺にいるというより今まさに滝に打たれている人影があった。白い袈裟を着ていて、しぶきで顔が見えない。
「滝行だよ。人間かな……椛、ちょっと話しかけてよ。」
「なんで私が……こんにちはー!」
「……。」
反応が無い。
「もっとおっきい声で!」
「こんにちはー!?」
「えっ!?うわ、わっぷ!」
今度は聞こえたようだったが、盛大にずっこけた。慌てて駆け寄ると、よく見れば守矢神社の巫女、東風谷早苗であった。
「風祝です。」
守矢神社の風祝、東風谷早苗であった。
「み……風祝さん、禊ですか?」
「いえ、修行です。」
「は?」
「まだまだ私は未熟者ですから、まずは精神を鍛えようと。朝から滝に打たれてるんですよ。」
「はあ……。」
「どうかお気になさらず。」
妙に目が据わっているし、肌も青白い。やめさせたほうがいいかなあなどと考えていると
ばきっ、と
滝の上から木が折れる音が聞こえた。見れば古く、重そうな木の幹がちょうど落ちようとするところだった。
「早苗さん、上!」
にとりも気づいたらしい。対して早苗は何の事か判然としない様子で首をかしげていた。
古木が落下を始めた。
弾幕では勢いを殺しきれない。どうする。
「危ない!」
にとりが叫ぶと同時に、私は飛び出していた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
結果として巫女さんは助かった。古木が落ちる直前に私が突き飛ばして衝突を免れたのだ。しかし突き飛ばしたのはにとりも同じなようで、私のタックルとにとりの水流弾、そして滝行の疲れが巫女さんの意識を吹っ飛ばし、仕方が無いので天狗のしかるべき組織に保護させた。
のだが。
「なんであなたがここにいるんです?文。」
「私が保護して『しかるべき組織』だからですよ。あと呼び捨てやめなさい。」
なぜ居る。わりと本気で。
「どうせ新聞のネタにしたいってのが本音でしょうがね。」
「そんなことはないです。ところで、報告書に書くので、事故当時の状況を詳しく教えてください。」
ちなみにさっきまでにとりは居たのだが、文を見た途端「邪魔しちゃ悪いから」と言って逃げた。どういう意味だ。
「今言ったことで全部ですよ。他には何もないです。」
「なぜ現場に居合わせたのか、とか。」
「友人と川で涼みに……ってこれ言う必要無いですよね?」
「誰と?誰と?」
「……にとりですよ、知ってるでしょう。うざいから反復横跳びしないでください。」
ぴた、と動きが止まった。珍しく言う事を聞いたと思ったが、ペンの動きも止まってしまっていて、止まったというより固まったという感じが近かった。
「にとりとは、」
「はい?」
「仲が良いんですか」
「え?まあ、あなたと私よりは。」
「……!!おっと早苗さんの身柄を神社に引き渡す時間になってしまいました。これにて失礼。」
あんちきしょうはそそくさと化粧室へ去っていった。やっと解放された、さあ今日はにとりと飲むぞ。と期待を膨らませていると、またしても不幸な色のヤツが戻ってきて
「あ、証人としてまだ残っていてくださいね。」
とか嬉々とした顔で言いやがるからもう私はため息で応えるしかできなかった。
鬱々とした気分で温くなった茶を飲み干す。
……
私とにとりの仲を聞いた時の、あの怯えたような表情は一体なんだったのだろう、か。
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椛とにとりの仲を聞いた時の、あの怯えるような感情は一体なんだったのだろうか。
一瞬そんな考えが頭をよぎったが、今はそんな事を考えている場合では無い。
守矢の神の一柱に、東風谷早苗の身柄を引き渡すという端役なのか大役なのか微妙な仕事を任されてしまったのはなぜか。
分かりきっている。守矢神社の者と面識があって、さっさと寄越せるだけの身の軽さがあるのが私だけだからだ。
後は、生憎私が政治がらみの記事を書くことはないが、私が記事にすれば守矢神社は天狗に恩があるということを知らしめられる、というカードになるとでも考えているのだろう、上は。
その予想はまあまあ当たっていたようで、やや予定よりも早めにきた”引き取り人”も事務連絡が終わるや否や
「この事を記事にする、とか考えてない?」
と質問、もとい釘を刺しにきた。
「今のところ書くつもりは無いですねぇ。」
当たり障り無く。ここでごたごたを起こすのは得策ではない。
「へえ……?そうなんだ。」
「ええ。」
「ところでさ、さっきの話で気になる事があったんだけど。」
「何ですか?」
「河童とそこの天狗が早苗を突き飛ばしたんだよね。」
「ええ。あくまでも古木にぶつからないように、ですが。」
「それ、本当かい?」
怖気が走った。決してこの神に恐れをなしたわけではない。この神の言わんとしている事は、古木など初めから無く、椛が純粋に暴力で早苗の気を失わせたのではないか、ということだ。
「それは」
「河童が一緒にやったかも怪しいね。」
恐ろしいのは、そうではないと私が証明出来ない事と、何よりもそれが真実かもしれないという事だ。
「私がさっき述べた事は」
「うん?」
「全て事実です。……証言によれば。」
「……埒があかないよ。本人に聞いてみるしかないみたいだね。」
「!」
これはまずい。真実が如何に関わらず、椛が尋問されてやっぱり嘘でした、なんて言えば最悪ここが血の海になる。
いや、でもここは椛を信じるべきなんじゃないのか?
そんなことを考えているうちに。
「じゃあ質問するよ……正直に答えろ。」
巨大な蛇が、椛の体に食いつかんと口を開けていた。しかし誰も動けない。当然だ。力の差がありすぎるし、今椛を助けに行けば椛が嘘を吐いていたことを認めると捉えられかねないからだ。冷静に考えれば動くべきではない。
なのに。
「あややや、独り言ですから聞き流してくれると有難いのですけど、」
「……。」
「私最近ネタに困っていてですねぇ、身内の事でも記事になるならしてみたいと思うんですよ。そこでこういう事件に遭ったわけですけれど、いかんせんインパクトに欠けるんですよ。写真が無いと辛いものです。」
「何が言いたい。」
勝手に口が。
「いえね?『守矢の神 風祝を救った天狗を尋問』とか、とってもスキャンダラスな見出しだと思いません?」
要らない事をべらべらと。
「……。」
「……。」
絶対的不利な睨み合い。折れたのは、意外にもあちら側だった。
「……いいよ、そっちの言い分を信じる。この白狼天狗の目を見る限り、嘘はついてないみたいだしね。」
安心したせいかどっと汗が噴き出た。
「それでは。」
「ああ、早苗は?」
「こちらの部屋に。」
「ご苦労。」
本当に苦労でしたよ、と内心ため息をつく。そこへ、すっかり回復して元気になった早苗がひょっこり現れて、お礼を言いに来た。
「あ、椛さん、文さん!この度は本当にご迷惑をお掛けしました!」
「いえいえ、ご無事で何よりです。」
「帰り道で倒れたりしないでくださいね~。」
「ありがとうございました!」
「うちの早苗が世話になったね。感謝する。」
あの神たち、疑惑が晴れたら晴れたでさっさと帰ってしまった。
「まったく現金な神様ですねえ。」
「どこの神も現金なものでしょう。それより文さん。」
「はい?」
まともに呼ばれたのが信じられずに、思わず二度見してしまう。本物か?
「何ですかその珍獣を見るような目は。」
「いえ何でも。それで、何ですか?」
「私のこと、疑っていたんですか?」
「へ?」
「まさか本気で守矢の巫女を私が倒したと思ってたんですか?」
「え、椛ってそういう娘じゃないですか。」
「心外ですね。……この際だから言っておきますけど。」
「うん。」
そうして椛は、いつものように図々しく、
「私がああいうことするの、あなただけですからね?」
私の期待通りの事を言ってくれるのだ。
「……ふふ。そうですか。」
「なに、なんで嬉しそうなんですか、納得いきません。というかあなたは曲がりなりにも私の上司なんですから、もっと尊敬できるような振る舞いをですね……。聞いてます?」
だったら私も、椛の期待に応えよう。
「大丈夫。私もああいうことするの、椛だけですから。」
「そういう問題じゃ……。」
「あ!置手紙ですよ、なになに……『椛さん、文さんへ。いろいろと世話をかけて頂きありがとうございました。つきましては今週末、守矢神社で宴会を開こうと思いますので是非お越しになってください。東風谷早苗より PS椛さん巫女じゃなくて風祝です』だって。椛まだ区別つかないんですね~かわいい。」
「なっ、あえてつけてないんですよ。大体新聞に『巫女のようなものだ』って書いたのはどこの誰ですか。」
「あーあー聞こえない。椛、宴会で飲み比べしますからね。今度も勝つわよ。」
「私お酒飲めないんで遠慮します。それじゃあ私は呑み系の用事があるのでこれで。」
「待ちなさい、私も行く!」
「嫌です。」
「おごるから。」
「……え?」
「何よその鳩鉄砲を食らったような顔は。」
「まさかそんな理想の上司みたいな……はっ、偽物?」
「鳩鉄砲はつっこまないのね。」
「じゃ、じゃあおごってくれるんなら来ていいですよ。金づる。」
「じゃあ行くわよ。」
「え?……え?」
「さあ、早くしなさい!それとも本当にお酒が飲めなくなったのかしら?」
ああ、楽しい。
「ちょ、引っ張らないでください、引っ張るな!」
私の、私だけの、可愛い後輩。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今日のあいつは変だ。にとりの事を聞いて怯えたり、守矢の神と張り合ったり、私をからかうと思ったら急におごるとか言い出したり。
あいつらしくない。調子が狂ってしまう。
でもまあ……かばってくれたときは、嬉しかっ……ないっ。
「なにぶつぶつ言ってんのよ、早く案内して。」
「……本当におごってくれるんですか?」
「何よ、おごって欲しくなくても勝手におごるわよ。」
まあ、おごってくれることに異存は無い。普段から不当な労働をさせられているのだ。
「……ありがとうございます。」
今日ぐらいはおごられてやってもいい。
「え?何か言った?」
「何でもないです。」
私の、私だけの、大嫌いな先輩に。