フランドール・スカーレットはその存在を誇示する吸血鬼という概念以前の問題で納豆という食べ物を否定していた。
理由を挙げれば尽きないがあえて言うのならばまず見た目。腐った豆がペースト直前の状態でひしめきあい糸を引いているビジュアルは、もはや虫の卵と言っていいほどのインパクトがあり生理的嫌悪感を催させる。
次に臭い。吸血鬼の体質は全てが人間の数倍以上であり嗅覚も当然優れている。故に漂う悪臭は数部屋離れていても鼻につく。下品ながら率直に表現すれば、納豆が放っているのはバッファローの下痢便にしもつかれを混ぜてミキサーにかけたような、ようするに脳神経を腐らすレベルで臭い匂い。
そして最後に味。フランドールは495年以上の生涯の中で唯一、興味本位で納豆を口にした事を骨髄まで後悔していた。悪臭の風味、舌にまとわるねばり、虫唾が走るシャリシャリと豆が砕ける食感。唯一幸いなことがあるならば、飲み込む前に吐き出せたことだろうか。
以上をもってフランドールは納豆という存在をこの世から「かつて日本人は納豆を好んで食べていた」という歴史すら残さず消し去りたいと願い生きてきた。
しかしいくらそう願っても納豆は相変わらず藁の中で納豆菌をブイブイいわせ幻想郷の食卓を支配している。
ここまで読んだ読者諸君はとりあえず思うだろう。「なんで壊さないの?」と。私もそう思う。
彼女の能力はきゅっとしてドカーン。みんな知ってるね。
めんどくさくなってきたからてきとーに書くけどまぁとにかく何でも破壊できるのよ。
でもフランドールは憎んでも憎んでも納豆を破壊できない。別に納豆の一粒ずつに「目」があるからってわけじゃない。まとめてきゅってできる。
ではなぜしないのか、いやできないのか。
それは彼女が納豆大好き吸血鬼。レミリア・スカーレットの妹だからだった。
その日の夜は、まさに幻想という言葉が相応しい彩りに満ちていた。
霧の満ちた庭を一望できるテラスは、雲ひとつない夜空に浮かぶ満月の光によって照らされ、湿気を含んだ空気は乾燥しがちなお肌を常に潤わせている。
夜風は温く心地が良い。このような夜は決まって目覚めがいい。最高の気分で一日がはじまる。起床したのは十分ほど前だが、眠気は欠片も残っていなかった。
そんな素敵な夜を――紅魔館の主と居候が、完膚なきまでに破壊していた。
にちゃにちゃにちゃと。
「目覚めの納豆は小粒に限る。この可愛らしい子供たちを時間をかけて育む瞬間がたまらなく愛しいんだ」
にちゃにちゃにっちゃにっちゃにちゃにちゃにちゃとリズムに乗って。
「同感ね……豆を砕いてしまわないよう、上品に混ぜるのがレディの嗜み」
あそれにちゃにちゃにちゃにちゃ以っ下略。
「ねぇパチェ。あなたは小粒の納豆は何回混ぜているのかしら?」
「50回。ポリアミンは納豆を混ぜることで納豆菌の量を増しこの場合は約4000億。これがベストよ。
混ぜれば混ぜるほど良いなんて言って何百回も混ぜる魔法使いを知ってるけど私から言わせれば時間の無駄ね。
なぜなら1000回混ぜても納豆菌は50回に比べてたった250億しか増えないもの。
でも納豆菌はとればとるほど身体に良いわ。一度の食事で多く摂取したいのも当然。
ねぇレミリア? そのためには何をすればいいかご存知かしら?」
「納豆の量を増やせばいいのさ」
「正解よ……頃合ね。今日も我々の健康を支える納豆に乾杯」
「乾杯、そしていただきます」
ずるずるずるずるずる。
「…………」
山盛りに盛った納豆オンリーの丼で乾杯し、口元どころか顔中を納豆の糸だらけにして微笑みあう2人をフランドールは苦虫をこれでもかと噛み潰したような顔で眺めていた。
いやこれでもかってくらいじゃ足りない。苦虫を穴という穴に詰め込まれなければならないとできない表情だ。鼻に蝋燭を詰めてるせいもあってか女の子がしちゃいけない絵面になっているが気にもしていないする余裕がない。
本当はこの場に一秒でもいたくなかったが、ご飯はみんなで食べるべきという姉の方針の元、背後に佇む十六夜咲夜に監視され退席ができない。
2人が納豆の山で納豆女になってる間、彼女は食事に手がつけられなかった。唯一の情けで美味しい和食が並べられているのだが、納豆タイムが終わらないと箸がつけられなかった。
レミリアが納豆に出会って以来、毎夜こんな光景がずっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっと続いていた。
健やかなる時も病める時も雨の日だろうが槍の日だろうが猫が降ろうが犬が飛ぼうが。
ここでフランドール・スカーレット少し語りき。お耳を拝借。
毎夜毎晩よくもまぁこんな納豆食べて飽きないわよね。あんた信じられる? こいつら納豆しか食べないのよ?
ご飯の代わりに納豆、味噌汁の代わりに納豆、漬物の代わりに納豆、焼き魚の代わりに納豆、
豆腐の代わりに納豆パンの代わりに納豆オムレツの代わりに納豆水の代わりに納豆ワインの代わりに納豆
納豆、納豆納豆納豆納豆!!!!
嫌悪感が一周して礼を言いたいくらいだわ!ありがとうお姉様、ありがとうパチュリーって。納豆にもありがとう。最悪の気分だわ。
何が楽しくて人が良い夢見た後にゲロぶちまけるような事を続けられるのかしらね!? 脳みそのシワまで納豆なんじゃないのかしら!?
なにがポリアミンだよ意味わかんねぇわよ私たちの身体を作るのは乙女心とヘモグロビン!
私はね?何も私の嫌いな物を目の前で食べ続けるなって言いたいわけじゃないの?わかるわよね?
好きな食べ物はどんなに食べても美味しいもの。私もパンセポンセならいくらでも食べたいし。
なぁに?パンセポンセ知らないの?田舎者ね。
まぁ私も最近ハマったんだけどね。パンセポンセっていうのはこうまぁるい形してて中の餡が……回転焼き?なにそれ?
パンセポンセはパンセポンセよ。それってニセモノかなんかじゃない?
あらなに咲夜? どっちも一緒?地域によって名前が違うの?
イマガワ……オーサカ……?ここは幻想郷よ?
というかそんなたくさん名前あるとややこしくない?パンセポンセでいいじゃない。でしょ?決まりね。きゅ。
何の話してたんだっけ?ああそう食べ物。
繰り返すけど別に私はこいつらが私の嫌いな物を私の前で食べるのはいいのよ。
例えばお姉様が昆虫食マニアだったとしても私は微笑んで見守るわ。
パチュリーがプロテインをふりかけにご飯食べてても許す。
でも納豆はダメよ!あれはダメ!周りの迷惑はんっぱない!
視覚と嗅覚がレ○プされてるようなもんなのよ?なんで私がわざわざ鼻に蝋燭突っ込んで納豆食ってるバカを眺めないといけないのよ!
あんもうイライラしてきた。ちょっとあんた人里までパンセポンセ買って来て。五分で。
その頃には納豆も食べ終わってるだろ……うっわおかわりしてる……。
はぁ……もういいわ。咲夜お茶。納豆抜きでね。
長い長い日課の拷問を耐え。フランドールは地下室に戻っていた。気力を回復するため一眠りし、十時間後に目を覚ました。
時刻はもう昼頃か。外は明るくなっていることだろう。
まぁ窓がないから館は暗いので問題はないが。
しかし起きたところでさっぱりうろつく気にはなれない。
最近、レミリアに触発されてメイド妖精達までもが納豆にハマりだしたからだ。
どこもかしかも納豆納豆。歩けば蜘蛛の巣に飛び込んだ蝶のように納豆糸まみれになる。
歯ぁくらい磨けこのバカちん共がと怒鳴る気力も最早ない。納豆、納豆という単語が無い世界へ行きたい。
ああしかし、恐ろしいことにこの幻想郷。どこに行っても納豆があるのだ。
実はフランドールはレミリアが納豆にハマりだしてからは幾度となく家出をしていた。
博麗神社、守矢神社、魔法の森や地底にも行った。行った先から納豆を出され泣き帰った。もはや我慢の限界である。
なぜ日本人はこんな怪食物を産み出してしまったのか。考えてもわからない。調べたくも無い。
納豆について考える自分さえ嫌になった。その度に右手に納豆の「目」を握るが、潰すことまではできない。
運命を操る納豆吸血鬼が一線を越えさせてくれないのだ。運命。運命。納豆の運命ってなんだよ。
もしやフランドール・スカーレットという吸血鬼の運命が操られ納豆世界の中に閉じ込められているのではないのか。
そうならばああ彼女はいったいどうすればこの苦痛しかない幻想郷に救いを見出せるのか。
空飛ぶスパゲッティモンスター教は何も教えてくれない。最近ミートボールの部分を納豆玉にしてたから。
暗い部屋の中で壁を背にうずくまり、フランドールはただただ、静かに呼吸を繰り返し、埃の匂いで鼻に残る納豆の匂いを消すことに勤めていた。
「フランお嬢様」
その折、地下室の扉が開くと共に咲夜の静かな声が入ってきた。
「お嬢様から言付けです。食事中に蝋燭を鼻にさすプレイは控えなさい、と」
「好きでやってんじゃないわよ!」
「冗談ですわ」
と言ってるわりにはにこりともしない咲夜に、フランドールはため息をつかずにいられなかった。
「それで、何の用なの?」
「……なぜレミリアお嬢様が納豆キ○ガイになられたか、考えた事はありますか?」
「はぁ? なんでって……」
……そういやなんでだ?フランドールは訝しんだ。
レミリア・スカーレットは当たり前だが自分と同じ吸血鬼である。
嗅覚も食の好みもある程度は似通っていたはず。なのになぜあいつは納豆キ○ガイになってしまったんだろう。
パチュリー・ノーレッジの入れ知恵か。はたまた博麗の巫女に何かされたか。
いやあのアホの事だから間違いなく好き好んで自分から納豆食ってんだろう。そう結論付けてから、フランドールは眉をひそめて咲夜を見上げた。
「で、なんなの」
「実はお嬢様に見せたいものがあります」
そう言って咲夜は踵を返し地下室を出て行った。ついて来い、ということなのだろうか。
何がなんだかさっぱりだが、見といた方がいいなら見るべきだろうか。怪訝な顔をしたまま、フランドールは咲夜の後をついていく。
辿りついたのはあのテラスだった。今は誰もおらず、唯一開け放たれた場所だけあって、燦燦と陽光が差し込んでいる。
メイド達の掃除によって床やテーブルにこびりついたままの納豆の粘り気が、陽の光でキラキラと光っていたのが無駄に美しかった。
「ここに何があるっていうの? 臭いから近寄りたくないんだけど……」
「正確にはこのテラスから見える先に……この紅魔館の秘密があるのです、フランお嬢様」
「秘密……」
「これはフランお嬢様にだけ秘密にされていることです。レミリアお嬢様に決して見せるな、と言いつけられたお嬢様の真実の姿」
「お姉様が私に隠し事を……? 気に食わないわね。さっさと見せなさいよ」
「かしこまりました。ただこれだけは心に留めておいてください」
いつの間にか取り出したのか、フランドール愛用の日傘を開き、十六夜咲夜は厳かに言った。
「今から見る光景は、レミリアお嬢様の、いえ、吸血鬼のアイデンティティを崩壊させるものだと」
日傘を受け取り、フランドールはテラスに出た。柔らかな風が身体を撫でる、暖かな、新鮮な空気が肺に入り込み、これが夜にもあれば、と思いながら景色を眺める。
門の方で紅美鈴が逆立ち睡眠をしている以外はいつもの光景が広がっている。ここのどこに、レミリアの真実の姿があるのだろう。
フランは目を凝らし注意深く紅魔館の敷地を見渡し――そして見つけてしまった。
「~~~ッ!」
紅魔館の庭の中で、星条旗柄のビキニ姿でグラサンかけた銀髪少女がビニールシートの上で日光浴を楽しんでいたのを。
それはまごうことなきレミリア・スカーレットだった。コカ・コーラが満ちたグラスをストローでちゅーちゅーやりながら。隣のラジカセでラッツ&スターを聴いていた。
あまりの衝撃に、日傘が手から零れる。後ろから咲夜が寄り添い日傘を持ち直す。
尋常ならない眩暈がフランドールを襲う。身体から力が抜け、咲夜にもたれかかる。
ポタポタと額に何かが垂れた。鼻血だ、どうでもいい。
いなせだね夏が連れてきた人。渚にも噂走るよ
『めっ!』
レミリアの合いの手が青空に消えていく。なにやってんのこいつ。なにやってんだこいつ。
なんで星条旗柄なんだお前ルーマニア出身だろ。ラッツ&スター世代じゃないだろ。
色々な言葉が浮かんだが、色々すぎてフランドールは口に出せなかった。
そんなフランドールの髪をなぜかこのタイミングで梳きはじめながら、咲夜は目を細めて言った。
「レミリアお嬢様がフランお嬢様に隠していたこと、それは――」
吸血鬼と納豆は、相性が良い。
ふと気がつくとフランドールは十六夜咲夜の私室の椅子に亀甲縛りで座らされていた。
読者サービスではない、趣味である。カメラをスカートのポケットに隠しながら、目覚めたフランドールに咲夜が微笑む。
「おはようございます。お嬢様」
「……今日これやるって聞いてないんだけど」
「今日はお嬢様のために、特訓をしようと思いますの」
なんのこっちゃと小首を傾げた瞬間、フランドールの鋭い嗅覚がその臭いを捉えた。もはや身体で覚えてしまってるといってもいいあの臭い。
咲夜の部屋は紅魔館で唯一、納豆の臭いを感じさせない部屋だった。
何時いかなるときもここだけは質素ながらも気品に満ち、コロンの香りで満ちていた。ふかふかのベッドもある。視認したくない本とかもある。
だからこそフランドールは変態性欲の犠牲になるとわかっていても納豆で発狂して悶死するよかマシとたまのたまに連れ込まれていたのだが。
なぜ、どうしてこの部屋に、納豆の臭いが。
「先ほどもおっしゃいましたが。吸血鬼と納豆は相性が良いのです」
いつの間にか咲夜の手には納豆の入った器。すでによく混ぜられていた。
「吸血鬼が一度、納豆を口にすればたちまち太陽アレルギーは治癒し流れ水とも和解ができるのです。
レミリアお嬢様も今や犬かきの達人なのです」
「……で?」
「もしこれをフランお嬢様が知ってしまえば、きっとお嬢様は納豆を口にしお外を飛び回る喜びを知るでしょう。
それを危惧したレミリアお嬢様は、自分だけが良い思いをしておりました」
「いや食べたくないんだけど」
「ですがフランお嬢様は納豆が死ぬほど嫌なご様子」
「今言ったしね」
「な・の・で。いっそ慣れてもらうことにしました。だから特訓です」
そう言って、咲夜は器を持っていない方の手の人差し指と中指をピンと立てると、躊躇い無く納豆に突っ込んだ。
にちゃあ……という音が聞こえてきそうな動作で、咲夜の細くしなやかな指の上に、一塊の納豆が乗せられる。
「ねぇ、なんでお箸を使わないの?」
「なぜお箸を使う必要があるんですか?」
きょとんとした顔で言い返されてフランドールは閉口した。
咲夜がフランドールの前に立つ。ゆっくりとした動きで、眼前に納豆を差し出される。
じっと見つめられ、顔をそむけることができなかった。視界と嗅覚を陵辱する納豆の存在に、全身から嫌悪感がこみあげる。
「やっ、やだっ納豆やだっ」
「これもお嬢様のためなんです」
「何してもいいから、納豆だけはやめてっさく、やっ」
咲夜の指が近づく、すなわち納豆が近づいてくる。指先が閉じたフランドールの唇に差し込まれ、押し開かれる。納豆の風味が、流れ込んでくる。
「ん……!」
「お嬢様……私にされるがままに、さぁ、お口を……」
「あっ……あっ」
耳元で咲夜が囁くと、意思とは関係なく口が開く。それでもなお抗う舌の上に、納豆の塊が転がり落ちる。
納豆を口にするのは人生でこれで二度目だ、一度目の時の強烈なあの味が蘇る、ネバネバしていて、シャリシャリした食感で――
「あー……あぇ?」
口を開けたままフランドールは首を傾げた。なんか記憶と味が違う。
今口の中にある納豆は、眼前に突きつけられていた時と違ってそれほど嫌な臭いが鼻に昇ってこないのだ。
それ以上に、舌腹に感じるピリっとした刺激。辛味だ。何かの辛さが、納豆の風味を抑えている。
見ただけではわからなかったが、口にして理解した。この納豆は、自分が知っている納豆とはどこか違う。
おそるおそる口を閉じ、納豆を噛む。フランドールは目を見開いた。辛さの中に、どことない酸っぱさ、酸味を感じたのだ。
豆の食感はあるが、その酸っぱさと辛味が、あれほど嫌だったはずのねばねばに染みていて、広がっていく。味わえている。
2度、3度、豆をかみ締める。そしてフランドールは喉を鳴らし――納豆を飲み込んだ。
「いかがでしたか?」
「……美味しい」
美味しい。今自分は、納豆を食べて美味しいと言った。その事実にフランドールは静かに驚いていた。
あれほど嫌っていたはずの納豆を、咲夜の手から食べされられただけで、食べられた。
「どんな魔法を使ったの?」
「魔法ではありませんわフランお嬢様。薬味とタレです」
「やくみと、たれ?」
咲夜が頷き、器の納豆をフランドールに見せる。これまでレミリア達が混ぜに混ぜていたあの納豆の白いネバリ具合と違い、咲夜の納豆は若干、黄色い。
「実を言いますと……レミリアお嬢様達は、納豆を愛する余り、納豆そのものしか食べる事ができなくなっているのです。
ですが本来、納豆という物は……薬味とタレがあってこそその美味しさの真価を発揮する食べ物。つまり味付けですね」
「じゃあ、私が今まで嫌だと思ってた納豆は……」
「納豆を何の味付けも無しに食べれば豆の感触と苦味しかありませんわ。
ちなみにこの納豆には甘めに味付けした醤油ダレに、多めのからしを混ぜています。ここからさらに……」
咲夜が器の上に手をかざす。すると手のひらから、みじん切りにされたネギがパラパラと納豆の上に降りかかった。
「この刻みネギを足すことによって食感すらカバーできるのです」
咲夜の指がネギと納豆を混ぜる。そしてまた塊を乗せてフランドールに差し出す。
フランドールは躊躇うことなく己の意思で口を開き、納豆を口にした。
咀嚼してわかる。
ネギの食感が。
あの豆の食感を打ち消していることに。
食べやすくなっている。
納豆が。
もっと納豆を。
食べたくなっている!
気がつけばフランドールは器の納豆を完食していた。咲夜の指についている豆の一粒も残さず美味しくいただいた。
「いいですかフランお嬢様。あなたが納豆を受け入れるのではないのです。生卵、砂糖。玉ねぎその他もろもろ……」
感動するフランドールに、唾液まみれになった指をしゃぶりながら恍惚の表情を浮かべた咲夜が言う。
「納豆が、お嬢様の好みを受け入れるのですよ」
そう、フランドールが納豆を受け入れるのではない。
納豆がフランドールの味覚を受け入れるのだ。
多種多様の味付けによって!思うがままに!
タレッ!
薬味ッ!
辛子ッ!
納豆ッ!
全てが混ざり合うことで完成された食品がフランドールの食欲を刺激した!
たちまちフランドールは紅魔館のあらゆる納豆を味付けし!納豆が大好物になった!
それだけではない!十六夜咲夜が言った通り!レミリア・スカーレットが秘密にしたように!
フランドールは太陽と友達にもなった!今や彼女の背から広がる七色の翼は陽光に照らされ輝きを放っている!
ポリアミンによるアンチエイジングパワーが活力をフランドールに漲らせる!
陽に弱かった肌はポリグルタミン酸とレシチンによって保護されその美しさを損なわない!
納豆キナーゼの効果によってフランドールはもはや血液さえも必要無い身体に産まれ変わっていた!
ヘモグロビンはもういらない!
納豆!それさえあれば乙女の身体は作られるのだ!
フランドールは知った!咲夜の手作り紐水着で流れる川の中で泳ぐ心地よさを!
咲夜の持つカメラのファインダーに写るフランドールの溢れる笑顔がその幸せを語っていた!
そして
フランドールを納豆が受け入れてから一ヶ月。夜の食卓には3人の笑顔が咲いている。
和やかに繰り広げられているのは団欒の会話。小粒の納豆は50回混ぜがベストという言いつけに、鼻歌で答える少女の姿がそこにある。
口元だけでなく、顔中を納豆まみれにさせながらフランドールは姉と友人と納豆について語り合った。
この喜びをもっと分かち合いたい、納豆風呂に漬かりながらそう思った彼女は幻想郷中に招待状を送り、納豆パーティーを開いた。
大勢の人妖が新たに納豆に魅入られた彼女を祝福した。
納豆を受け入れ、納豆に受け入れられ、愛し愛される納豆との関係。
みんなで笑いあい、弾幕を納豆にする事が決まり、納豆スペルカードを編み出し納豆弾幕ごっこをする。
納豆――それは吸血鬼だけでなく、全ての人間を幸せにする食べ物である。
~Fin~
理由を挙げれば尽きないがあえて言うのならばまず見た目。腐った豆がペースト直前の状態でひしめきあい糸を引いているビジュアルは、もはや虫の卵と言っていいほどのインパクトがあり生理的嫌悪感を催させる。
次に臭い。吸血鬼の体質は全てが人間の数倍以上であり嗅覚も当然優れている。故に漂う悪臭は数部屋離れていても鼻につく。下品ながら率直に表現すれば、納豆が放っているのはバッファローの下痢便にしもつかれを混ぜてミキサーにかけたような、ようするに脳神経を腐らすレベルで臭い匂い。
そして最後に味。フランドールは495年以上の生涯の中で唯一、興味本位で納豆を口にした事を骨髄まで後悔していた。悪臭の風味、舌にまとわるねばり、虫唾が走るシャリシャリと豆が砕ける食感。唯一幸いなことがあるならば、飲み込む前に吐き出せたことだろうか。
以上をもってフランドールは納豆という存在をこの世から「かつて日本人は納豆を好んで食べていた」という歴史すら残さず消し去りたいと願い生きてきた。
しかしいくらそう願っても納豆は相変わらず藁の中で納豆菌をブイブイいわせ幻想郷の食卓を支配している。
ここまで読んだ読者諸君はとりあえず思うだろう。「なんで壊さないの?」と。私もそう思う。
彼女の能力はきゅっとしてドカーン。みんな知ってるね。
めんどくさくなってきたからてきとーに書くけどまぁとにかく何でも破壊できるのよ。
でもフランドールは憎んでも憎んでも納豆を破壊できない。別に納豆の一粒ずつに「目」があるからってわけじゃない。まとめてきゅってできる。
ではなぜしないのか、いやできないのか。
それは彼女が納豆大好き吸血鬼。レミリア・スカーレットの妹だからだった。
その日の夜は、まさに幻想という言葉が相応しい彩りに満ちていた。
霧の満ちた庭を一望できるテラスは、雲ひとつない夜空に浮かぶ満月の光によって照らされ、湿気を含んだ空気は乾燥しがちなお肌を常に潤わせている。
夜風は温く心地が良い。このような夜は決まって目覚めがいい。最高の気分で一日がはじまる。起床したのは十分ほど前だが、眠気は欠片も残っていなかった。
そんな素敵な夜を――紅魔館の主と居候が、完膚なきまでに破壊していた。
にちゃにちゃにちゃと。
「目覚めの納豆は小粒に限る。この可愛らしい子供たちを時間をかけて育む瞬間がたまらなく愛しいんだ」
にちゃにちゃにっちゃにっちゃにちゃにちゃにちゃとリズムに乗って。
「同感ね……豆を砕いてしまわないよう、上品に混ぜるのがレディの嗜み」
あそれにちゃにちゃにちゃにちゃ以っ下略。
「ねぇパチェ。あなたは小粒の納豆は何回混ぜているのかしら?」
「50回。ポリアミンは納豆を混ぜることで納豆菌の量を増しこの場合は約4000億。これがベストよ。
混ぜれば混ぜるほど良いなんて言って何百回も混ぜる魔法使いを知ってるけど私から言わせれば時間の無駄ね。
なぜなら1000回混ぜても納豆菌は50回に比べてたった250億しか増えないもの。
でも納豆菌はとればとるほど身体に良いわ。一度の食事で多く摂取したいのも当然。
ねぇレミリア? そのためには何をすればいいかご存知かしら?」
「納豆の量を増やせばいいのさ」
「正解よ……頃合ね。今日も我々の健康を支える納豆に乾杯」
「乾杯、そしていただきます」
ずるずるずるずるずる。
「…………」
山盛りに盛った納豆オンリーの丼で乾杯し、口元どころか顔中を納豆の糸だらけにして微笑みあう2人をフランドールは苦虫をこれでもかと噛み潰したような顔で眺めていた。
いやこれでもかってくらいじゃ足りない。苦虫を穴という穴に詰め込まれなければならないとできない表情だ。鼻に蝋燭を詰めてるせいもあってか女の子がしちゃいけない絵面になっているが気にもしていないする余裕がない。
本当はこの場に一秒でもいたくなかったが、ご飯はみんなで食べるべきという姉の方針の元、背後に佇む十六夜咲夜に監視され退席ができない。
2人が納豆の山で納豆女になってる間、彼女は食事に手がつけられなかった。唯一の情けで美味しい和食が並べられているのだが、納豆タイムが終わらないと箸がつけられなかった。
レミリアが納豆に出会って以来、毎夜こんな光景がずっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっと続いていた。
健やかなる時も病める時も雨の日だろうが槍の日だろうが猫が降ろうが犬が飛ぼうが。
ここでフランドール・スカーレット少し語りき。お耳を拝借。
毎夜毎晩よくもまぁこんな納豆食べて飽きないわよね。あんた信じられる? こいつら納豆しか食べないのよ?
ご飯の代わりに納豆、味噌汁の代わりに納豆、漬物の代わりに納豆、焼き魚の代わりに納豆、
豆腐の代わりに納豆パンの代わりに納豆オムレツの代わりに納豆水の代わりに納豆ワインの代わりに納豆
納豆、納豆納豆納豆納豆!!!!
嫌悪感が一周して礼を言いたいくらいだわ!ありがとうお姉様、ありがとうパチュリーって。納豆にもありがとう。最悪の気分だわ。
何が楽しくて人が良い夢見た後にゲロぶちまけるような事を続けられるのかしらね!? 脳みそのシワまで納豆なんじゃないのかしら!?
なにがポリアミンだよ意味わかんねぇわよ私たちの身体を作るのは乙女心とヘモグロビン!
私はね?何も私の嫌いな物を目の前で食べ続けるなって言いたいわけじゃないの?わかるわよね?
好きな食べ物はどんなに食べても美味しいもの。私もパンセポンセならいくらでも食べたいし。
なぁに?パンセポンセ知らないの?田舎者ね。
まぁ私も最近ハマったんだけどね。パンセポンセっていうのはこうまぁるい形してて中の餡が……回転焼き?なにそれ?
パンセポンセはパンセポンセよ。それってニセモノかなんかじゃない?
あらなに咲夜? どっちも一緒?地域によって名前が違うの?
イマガワ……オーサカ……?ここは幻想郷よ?
というかそんなたくさん名前あるとややこしくない?パンセポンセでいいじゃない。でしょ?決まりね。きゅ。
何の話してたんだっけ?ああそう食べ物。
繰り返すけど別に私はこいつらが私の嫌いな物を私の前で食べるのはいいのよ。
例えばお姉様が昆虫食マニアだったとしても私は微笑んで見守るわ。
パチュリーがプロテインをふりかけにご飯食べてても許す。
でも納豆はダメよ!あれはダメ!周りの迷惑はんっぱない!
視覚と嗅覚がレ○プされてるようなもんなのよ?なんで私がわざわざ鼻に蝋燭突っ込んで納豆食ってるバカを眺めないといけないのよ!
あんもうイライラしてきた。ちょっとあんた人里までパンセポンセ買って来て。五分で。
その頃には納豆も食べ終わってるだろ……うっわおかわりしてる……。
はぁ……もういいわ。咲夜お茶。納豆抜きでね。
長い長い日課の拷問を耐え。フランドールは地下室に戻っていた。気力を回復するため一眠りし、十時間後に目を覚ました。
時刻はもう昼頃か。外は明るくなっていることだろう。
まぁ窓がないから館は暗いので問題はないが。
しかし起きたところでさっぱりうろつく気にはなれない。
最近、レミリアに触発されてメイド妖精達までもが納豆にハマりだしたからだ。
どこもかしかも納豆納豆。歩けば蜘蛛の巣に飛び込んだ蝶のように納豆糸まみれになる。
歯ぁくらい磨けこのバカちん共がと怒鳴る気力も最早ない。納豆、納豆という単語が無い世界へ行きたい。
ああしかし、恐ろしいことにこの幻想郷。どこに行っても納豆があるのだ。
実はフランドールはレミリアが納豆にハマりだしてからは幾度となく家出をしていた。
博麗神社、守矢神社、魔法の森や地底にも行った。行った先から納豆を出され泣き帰った。もはや我慢の限界である。
なぜ日本人はこんな怪食物を産み出してしまったのか。考えてもわからない。調べたくも無い。
納豆について考える自分さえ嫌になった。その度に右手に納豆の「目」を握るが、潰すことまではできない。
運命を操る納豆吸血鬼が一線を越えさせてくれないのだ。運命。運命。納豆の運命ってなんだよ。
もしやフランドール・スカーレットという吸血鬼の運命が操られ納豆世界の中に閉じ込められているのではないのか。
そうならばああ彼女はいったいどうすればこの苦痛しかない幻想郷に救いを見出せるのか。
空飛ぶスパゲッティモンスター教は何も教えてくれない。最近ミートボールの部分を納豆玉にしてたから。
暗い部屋の中で壁を背にうずくまり、フランドールはただただ、静かに呼吸を繰り返し、埃の匂いで鼻に残る納豆の匂いを消すことに勤めていた。
「フランお嬢様」
その折、地下室の扉が開くと共に咲夜の静かな声が入ってきた。
「お嬢様から言付けです。食事中に蝋燭を鼻にさすプレイは控えなさい、と」
「好きでやってんじゃないわよ!」
「冗談ですわ」
と言ってるわりにはにこりともしない咲夜に、フランドールはため息をつかずにいられなかった。
「それで、何の用なの?」
「……なぜレミリアお嬢様が納豆キ○ガイになられたか、考えた事はありますか?」
「はぁ? なんでって……」
……そういやなんでだ?フランドールは訝しんだ。
レミリア・スカーレットは当たり前だが自分と同じ吸血鬼である。
嗅覚も食の好みもある程度は似通っていたはず。なのになぜあいつは納豆キ○ガイになってしまったんだろう。
パチュリー・ノーレッジの入れ知恵か。はたまた博麗の巫女に何かされたか。
いやあのアホの事だから間違いなく好き好んで自分から納豆食ってんだろう。そう結論付けてから、フランドールは眉をひそめて咲夜を見上げた。
「で、なんなの」
「実はお嬢様に見せたいものがあります」
そう言って咲夜は踵を返し地下室を出て行った。ついて来い、ということなのだろうか。
何がなんだかさっぱりだが、見といた方がいいなら見るべきだろうか。怪訝な顔をしたまま、フランドールは咲夜の後をついていく。
辿りついたのはあのテラスだった。今は誰もおらず、唯一開け放たれた場所だけあって、燦燦と陽光が差し込んでいる。
メイド達の掃除によって床やテーブルにこびりついたままの納豆の粘り気が、陽の光でキラキラと光っていたのが無駄に美しかった。
「ここに何があるっていうの? 臭いから近寄りたくないんだけど……」
「正確にはこのテラスから見える先に……この紅魔館の秘密があるのです、フランお嬢様」
「秘密……」
「これはフランお嬢様にだけ秘密にされていることです。レミリアお嬢様に決して見せるな、と言いつけられたお嬢様の真実の姿」
「お姉様が私に隠し事を……? 気に食わないわね。さっさと見せなさいよ」
「かしこまりました。ただこれだけは心に留めておいてください」
いつの間にか取り出したのか、フランドール愛用の日傘を開き、十六夜咲夜は厳かに言った。
「今から見る光景は、レミリアお嬢様の、いえ、吸血鬼のアイデンティティを崩壊させるものだと」
日傘を受け取り、フランドールはテラスに出た。柔らかな風が身体を撫でる、暖かな、新鮮な空気が肺に入り込み、これが夜にもあれば、と思いながら景色を眺める。
門の方で紅美鈴が逆立ち睡眠をしている以外はいつもの光景が広がっている。ここのどこに、レミリアの真実の姿があるのだろう。
フランは目を凝らし注意深く紅魔館の敷地を見渡し――そして見つけてしまった。
「~~~ッ!」
紅魔館の庭の中で、星条旗柄のビキニ姿でグラサンかけた銀髪少女がビニールシートの上で日光浴を楽しんでいたのを。
それはまごうことなきレミリア・スカーレットだった。コカ・コーラが満ちたグラスをストローでちゅーちゅーやりながら。隣のラジカセでラッツ&スターを聴いていた。
あまりの衝撃に、日傘が手から零れる。後ろから咲夜が寄り添い日傘を持ち直す。
尋常ならない眩暈がフランドールを襲う。身体から力が抜け、咲夜にもたれかかる。
ポタポタと額に何かが垂れた。鼻血だ、どうでもいい。
いなせだね夏が連れてきた人。渚にも噂走るよ
『めっ!』
レミリアの合いの手が青空に消えていく。なにやってんのこいつ。なにやってんだこいつ。
なんで星条旗柄なんだお前ルーマニア出身だろ。ラッツ&スター世代じゃないだろ。
色々な言葉が浮かんだが、色々すぎてフランドールは口に出せなかった。
そんなフランドールの髪をなぜかこのタイミングで梳きはじめながら、咲夜は目を細めて言った。
「レミリアお嬢様がフランお嬢様に隠していたこと、それは――」
吸血鬼と納豆は、相性が良い。
ふと気がつくとフランドールは十六夜咲夜の私室の椅子に亀甲縛りで座らされていた。
読者サービスではない、趣味である。カメラをスカートのポケットに隠しながら、目覚めたフランドールに咲夜が微笑む。
「おはようございます。お嬢様」
「……今日これやるって聞いてないんだけど」
「今日はお嬢様のために、特訓をしようと思いますの」
なんのこっちゃと小首を傾げた瞬間、フランドールの鋭い嗅覚がその臭いを捉えた。もはや身体で覚えてしまってるといってもいいあの臭い。
咲夜の部屋は紅魔館で唯一、納豆の臭いを感じさせない部屋だった。
何時いかなるときもここだけは質素ながらも気品に満ち、コロンの香りで満ちていた。ふかふかのベッドもある。視認したくない本とかもある。
だからこそフランドールは変態性欲の犠牲になるとわかっていても納豆で発狂して悶死するよかマシとたまのたまに連れ込まれていたのだが。
なぜ、どうしてこの部屋に、納豆の臭いが。
「先ほどもおっしゃいましたが。吸血鬼と納豆は相性が良いのです」
いつの間にか咲夜の手には納豆の入った器。すでによく混ぜられていた。
「吸血鬼が一度、納豆を口にすればたちまち太陽アレルギーは治癒し流れ水とも和解ができるのです。
レミリアお嬢様も今や犬かきの達人なのです」
「……で?」
「もしこれをフランお嬢様が知ってしまえば、きっとお嬢様は納豆を口にしお外を飛び回る喜びを知るでしょう。
それを危惧したレミリアお嬢様は、自分だけが良い思いをしておりました」
「いや食べたくないんだけど」
「ですがフランお嬢様は納豆が死ぬほど嫌なご様子」
「今言ったしね」
「な・の・で。いっそ慣れてもらうことにしました。だから特訓です」
そう言って、咲夜は器を持っていない方の手の人差し指と中指をピンと立てると、躊躇い無く納豆に突っ込んだ。
にちゃあ……という音が聞こえてきそうな動作で、咲夜の細くしなやかな指の上に、一塊の納豆が乗せられる。
「ねぇ、なんでお箸を使わないの?」
「なぜお箸を使う必要があるんですか?」
きょとんとした顔で言い返されてフランドールは閉口した。
咲夜がフランドールの前に立つ。ゆっくりとした動きで、眼前に納豆を差し出される。
じっと見つめられ、顔をそむけることができなかった。視界と嗅覚を陵辱する納豆の存在に、全身から嫌悪感がこみあげる。
「やっ、やだっ納豆やだっ」
「これもお嬢様のためなんです」
「何してもいいから、納豆だけはやめてっさく、やっ」
咲夜の指が近づく、すなわち納豆が近づいてくる。指先が閉じたフランドールの唇に差し込まれ、押し開かれる。納豆の風味が、流れ込んでくる。
「ん……!」
「お嬢様……私にされるがままに、さぁ、お口を……」
「あっ……あっ」
耳元で咲夜が囁くと、意思とは関係なく口が開く。それでもなお抗う舌の上に、納豆の塊が転がり落ちる。
納豆を口にするのは人生でこれで二度目だ、一度目の時の強烈なあの味が蘇る、ネバネバしていて、シャリシャリした食感で――
「あー……あぇ?」
口を開けたままフランドールは首を傾げた。なんか記憶と味が違う。
今口の中にある納豆は、眼前に突きつけられていた時と違ってそれほど嫌な臭いが鼻に昇ってこないのだ。
それ以上に、舌腹に感じるピリっとした刺激。辛味だ。何かの辛さが、納豆の風味を抑えている。
見ただけではわからなかったが、口にして理解した。この納豆は、自分が知っている納豆とはどこか違う。
おそるおそる口を閉じ、納豆を噛む。フランドールは目を見開いた。辛さの中に、どことない酸っぱさ、酸味を感じたのだ。
豆の食感はあるが、その酸っぱさと辛味が、あれほど嫌だったはずのねばねばに染みていて、広がっていく。味わえている。
2度、3度、豆をかみ締める。そしてフランドールは喉を鳴らし――納豆を飲み込んだ。
「いかがでしたか?」
「……美味しい」
美味しい。今自分は、納豆を食べて美味しいと言った。その事実にフランドールは静かに驚いていた。
あれほど嫌っていたはずの納豆を、咲夜の手から食べされられただけで、食べられた。
「どんな魔法を使ったの?」
「魔法ではありませんわフランお嬢様。薬味とタレです」
「やくみと、たれ?」
咲夜が頷き、器の納豆をフランドールに見せる。これまでレミリア達が混ぜに混ぜていたあの納豆の白いネバリ具合と違い、咲夜の納豆は若干、黄色い。
「実を言いますと……レミリアお嬢様達は、納豆を愛する余り、納豆そのものしか食べる事ができなくなっているのです。
ですが本来、納豆という物は……薬味とタレがあってこそその美味しさの真価を発揮する食べ物。つまり味付けですね」
「じゃあ、私が今まで嫌だと思ってた納豆は……」
「納豆を何の味付けも無しに食べれば豆の感触と苦味しかありませんわ。
ちなみにこの納豆には甘めに味付けした醤油ダレに、多めのからしを混ぜています。ここからさらに……」
咲夜が器の上に手をかざす。すると手のひらから、みじん切りにされたネギがパラパラと納豆の上に降りかかった。
「この刻みネギを足すことによって食感すらカバーできるのです」
咲夜の指がネギと納豆を混ぜる。そしてまた塊を乗せてフランドールに差し出す。
フランドールは躊躇うことなく己の意思で口を開き、納豆を口にした。
咀嚼してわかる。
ネギの食感が。
あの豆の食感を打ち消していることに。
食べやすくなっている。
納豆が。
もっと納豆を。
食べたくなっている!
気がつけばフランドールは器の納豆を完食していた。咲夜の指についている豆の一粒も残さず美味しくいただいた。
「いいですかフランお嬢様。あなたが納豆を受け入れるのではないのです。生卵、砂糖。玉ねぎその他もろもろ……」
感動するフランドールに、唾液まみれになった指をしゃぶりながら恍惚の表情を浮かべた咲夜が言う。
「納豆が、お嬢様の好みを受け入れるのですよ」
そう、フランドールが納豆を受け入れるのではない。
納豆がフランドールの味覚を受け入れるのだ。
多種多様の味付けによって!思うがままに!
タレッ!
薬味ッ!
辛子ッ!
納豆ッ!
全てが混ざり合うことで完成された食品がフランドールの食欲を刺激した!
たちまちフランドールは紅魔館のあらゆる納豆を味付けし!納豆が大好物になった!
それだけではない!十六夜咲夜が言った通り!レミリア・スカーレットが秘密にしたように!
フランドールは太陽と友達にもなった!今や彼女の背から広がる七色の翼は陽光に照らされ輝きを放っている!
ポリアミンによるアンチエイジングパワーが活力をフランドールに漲らせる!
陽に弱かった肌はポリグルタミン酸とレシチンによって保護されその美しさを損なわない!
納豆キナーゼの効果によってフランドールはもはや血液さえも必要無い身体に産まれ変わっていた!
ヘモグロビンはもういらない!
納豆!それさえあれば乙女の身体は作られるのだ!
フランドールは知った!咲夜の手作り紐水着で流れる川の中で泳ぐ心地よさを!
咲夜の持つカメラのファインダーに写るフランドールの溢れる笑顔がその幸せを語っていた!
そして
フランドールを納豆が受け入れてから一ヶ月。夜の食卓には3人の笑顔が咲いている。
和やかに繰り広げられているのは団欒の会話。小粒の納豆は50回混ぜがベストという言いつけに、鼻歌で答える少女の姿がそこにある。
口元だけでなく、顔中を納豆まみれにさせながらフランドールは姉と友人と納豆について語り合った。
この喜びをもっと分かち合いたい、納豆風呂に漬かりながらそう思った彼女は幻想郷中に招待状を送り、納豆パーティーを開いた。
大勢の人妖が新たに納豆に魅入られた彼女を祝福した。
納豆を受け入れ、納豆に受け入れられ、愛し愛される納豆との関係。
みんなで笑いあい、弾幕を納豆にする事が決まり、納豆スペルカードを編み出し納豆弾幕ごっこをする。
納豆――それは吸血鬼だけでなく、全ての人間を幸せにする食べ物である。
~Fin~
でも実際食うとやっぱり納豆ダメだってなるんだよなー
匂いは割りと好きよ?
しかも伊達じゃなく半端に手を抜かない作品だったりするから、なおさら性質が悪い。主に腹筋的に。
とりあえず納豆万歳!!!
あと、咲夜さんがフランに納豆を食べさせる描写は想像するだけでエロいです。エロいですッ
明日の朝ごはんに納豆食べるかな~
ですが、後半になったらもう全ての思考が納豆になっていました
納豆大好きでも納豆風呂はキ○○イ
以前に見た某画像が軽いトラウマになっているせいかそのキーワードはあかん。
ハッピーエンド……なのか?お話は面白かったです。