何故だ何故だ何故だ何故だ何で何で何でどうしてどうして!
何故あいつがこの時間に、この方向へ歩いているのだ。
あやめの家を発ってからすぐ、魔理沙は足元に霍青娥の姿を認めた。
見た瞬間、魔理沙の心臓は跳ねあがった。彼女は1人であやめの家の方を目指していた。
魔理沙は上空でそっと見張りながら後を追うと、案の定、柊家の壁に立ち、不思議な鑿を使って壁をすり抜け、屋敷に侵入していった。
(どうみても侵入だ)
即座に屋敷に向かい、門前に降り立ち、あやめの部屋へ急行しようとした。
人里では妖怪は人を襲う事を禁じられている。もし霍青娥があやめをキョンシーにでもするつもりなら、人間を襲ったという事になる。
「堂々と退治してやるぜ!」
でも、それが禁じられている場所で、明確な意志と力をもって人を殺す、またはそれに準じる行為をしようとする者がいて、それを止めさせるというのはつまり……
(ガチの殺し合い……)
思考がそこに至った途端、魔理沙の足が震え、その場に固まってしまった。
ここは大人達、慧音や自警団の力を借りるべきだ。でなければ悔しいが自分以上の実力を持った霊夢でもいい。
でも助けが来るまでに、あやめが無事でいられるのか……。
(情けないぜ、心どころか体まで『怖い』と言ってやがる)
だが、あやめの笑顔、回復を願う両親の顔を思い出す。自分も友人を守りたいという心を必死に保とうとした。
(がんばれ私、またあやめと遊びに行きたいんだろ、紹介したい友人もいるんだろ、ここが私の正念場だ)
呼吸を整え、無理やり足を一歩踏み出す。
(私は出来る、私だっていくつもの異変を解決してきたんだぜ)
奇跡が起きたのか、なぜか一歩踏み出した後は足が軽やかになった。
(行け行け魔理沙、あやめを救うのはお前しかいない)
玄関に飛びあがり、驚く使用人を無視してあやめの部屋のふすまを強引に開けた。
まさに青娥があやめに仙丹を飲ませようとするところだった。
「魔理沙ちゃん、どうしたの」 驚くあやめ。
「あら、こんばんは魔理沙さん」 幾分驚いたものの、余裕の表情の青娥。
魔理沙は精一杯の啖呵を切った。
「おい、邪仙。その子に何を飲ませようとした!」
「何って、病気に聞く仙丹ですわ」
「嘘つけ! 前々からその子をキョンシーにするため毒を盛ってたんだろ」
「まあ人聞きの悪い。この子に薬を差し上げるのはこれが最初ですわ」
「何だと、本当か?」
魔理沙があやめの方を見ると、彼女は声を振り絞って言う。
「本当よ、青娥さんは親切な人で、私に毒なんて盛る人じゃない」
あやめは必死に魔理沙を説得しようとする。
青娥はいくらか困惑しているものの、見られてはいけない場面を見られた、という雰囲気ではなかった。
それで青娥を追及する気持ちが削がれてしまった。
「本当にそうなのか?」
「そうですわ」
青娥は改めて、あやめに仙丹を飲むよう勧めた。
魔理沙は固唾を飲んで見守っていたが、あやめは別に変化はなかった。
だからしょうがなく、青娥に謝る事にした。
「悪かったよ、でもならどうして、壁を通り抜けて侵入したんだ」
「ご家族には秘密にしておきたかったのですわ。そんな事よりも今日は一緒に帰りませんか」
魔理沙と青娥はあやめに挨拶して、それからしばらく歩きながら、あやめの健康に関する情報交換をした。
青娥は独自の知識と経験で、永遠亭同様の結論にたどり着いていた。
つまり、あやめの病状は厳しいと……。
「なるほど、今まであやめに会ってなかったのは、その丹を精製するためだったのか」
「ええ、本気であの子の病を治すために作ったのですけど、正直、かなり進行していましたし、一時的に体力をつけるぐらいしかできないでしょう」
青娥は心底残念そうな顔をする。演技には思えない。
「そうか、疑って済まなかった。あんたは本当にあやめを心配してくれていたんだな」
「魔理沙さんこそ、あそこまであの子に必死になれるなんて、そこまで人を思えるなんて、とても素晴らしいですわ」
「友人は大切にしなきゃならないしな」
「お互い、希望を失わずに頑張りましょう」
魔理沙は少し安心した。
どうやら青娥は純粋にあやめを気にかけているらしい。
強力な助っ人ができた、これで病魔に勝てる、魔理沙はそう確信した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
次の日、あやめの屋敷の屋根にキラキラした光が灯っていた。
気分がよくなったら、屋根にでも投げるようにと言った星の魔法だ。
魔理沙はそれを確認して、やったぜ、とガッツポーズを決めた。
あの仙丹が効を奏したのだ。
嬉しくなり、家の人に適当に挨拶して上がり込み、軽やかな足取りであやめの部屋に向かう。
「来てやったぜ」
「おはよう、魔理沙ちゃん。今日は何だか調子がいいの」
痩せてはいたが、昨日とは見違えるほど、彼女の顔と手足はみずみずしく、生気に満ちていた。
「とりあえず適当に里をぶらつこうぜ、私も久々に例の団子屋行きたいしな。そうそう、ホフゴブも来てるぞ」
「それホント、良かった」
ゆっくりと布団から起き上がるあやめを見守り、着替えを手伝い、外に連れ出そうとしたところで、あらいけない、とあやめが急に部屋に引き返した。
「どうしたんだ?」
「ここの神様に挨拶しなきゃ」
あやめは中庭に出て、魔理沙が慰霊碑らしいと思った岩の前にしゃがみ、元気になれた事へのお礼を言った。
「神様、ありがとうございます、これからも見守っていて下さい」
「そこに祭られているのはどんな神様なんだ?」
「昔、この辺で酷い飢饉があって、亡くなった人々をここにお祀りしてるんだって。今ではこの辺を守護して下さる神様になったの」
「そうか、なら大事にしなきゃな」
お祈りをすませ、玄関から外へ出ると、あのホフゴブリンの従者が待っていた。
あやめを見た従者は目を輝かせて駆け寄ってくる。
「おおお、お嬢様、お久しゅうございます」
「心配させてごめんね、ゴブちゃん」
あやめに頭を撫でられると、従者は泣いて喜んだ。
「オロロロ、お嬢様、オレはもう駄目かと思っていたんです。もう一度こうして会えるなんて、オレは幸せ者だああ」
「さ、行こうぜ。今日はちょっとした臨時収入が入ったんだ」
「魔理沙ちゃん、ダメよ。うどんげちゃん辺りからなんか騙し取ったのでしょう?」
「なわけ無いだろ」
「冗談よ、冗談」
従者が小声で、これでトリオ復活だな、と感慨深げにつぶやいた。
「えっ、お前今何て?」魔理沙が聞く。
「いや、すまんすまん、ついオレごときが生意気な口を聞いてしまった。お嬢様、お許しを」
「生意気だなんて思ってないよ。またこうして三人で遊びに行けるのが嘘みたい」
「そうだぜ、最初ホフゴブリンを見た時、なんだこいつはって思ったが、お前はいいヤツだし、もう友達だ」
「友達……か。いい響きだ。ちょっと照れ臭いけどな」
久々に三人で里の団子屋へ行った。
店はいつもと変わりなく繁盛している。
魔理沙とあやめはホフゴブリンにも店に入るよう勧めたが、彼は固辞した。
「じゃあ、本当にいいんだな」
「ああ、お二人でゆっくり楽しんでくれ。オレはこういう場所は性に合わんからな」
「お土産あげるから、ゴブちゃん待っててね」
二人はのれんをくぐった。
あやめは長患いで痩せていたため、客が目を見張るほどの美貌は失われていたが、やはり気品のある顔立ちはいささかも衰えてはいない。
「久しぶり、弥生ちゃん」
「いらっしゃ……ああ、あやめさん? もう大丈夫なの?」
「うん、心配かけてごめんね、なんとか持ち直したみたい」
「うん、じゃあ腕によりをかけてスペシャルメニュー……は病み上がりにはまずいか? だから量より質でいくわね」
店の奥では、霍青娥が桃色の髪をした女性と相席でアイスクリームを賞味していた。
あやめは青娥に駆け寄り、笑顔で礼を言った。
「青娥さん、ありがとうございます、おかげで持ち直したようです」
「うふふ、元気になったようで何よりですわ。でもこれからですよ、元の美しい姿に戻っていただかないと」
「そんな、元の顔だって大した事ないですよ。元気になれただけで幸せです。本当に感謝しています」
「それと、紹介しますわ。この方は茨木華扇様、修行より甘い物好きな先輩の仙人様です」
「そ、それじゃ修行していないみたいじゃない!」
華扇が怒るが、青娥は軽く受け流す。
「別に良いじゃありませんか。そこがあなたの良い所なんだから」
「茶化さないで~」
「茨木様、私は柊あやめと言います。霍青娥様と魔理沙ちゃんには本っ当にお世話になっています。そのうえもう一人の仙人様とお知り合いになれるなんて光栄です」
「コホン、あやめさん、この青い邪仙の言う事を真に受けてはいけませんよ」
やがてあやめの前に特製のアイスクリームが出された、チョコレートパフェというやつらしい。アイスは少なめだが、その分チョコレートソースがたっぷりかけられ、フルーツやウエハースが豊富に乗っている。
「うわあ、美味しそう」
「あやめさんのために、たった今作った新作だよ」
「おいおい、あやめを実験台にするのかよ」
「ぎく、まあ、味は保証するわ」
華扇があやめに出されたアイスを横眼でじっと見つめている。
魔理沙はそれが可笑しくてたまらず、青娥も同様らしかった。
「欲しいなら欲しいっていえよ」
自分のもの欲しそうな視線を見抜かれて、華扇は目を白黒させた。
「いえ、決してそんな事は……」
「欲はただ抑えれば良いというものではありませんよ」
「ううむ」
華扇はしばらく己と戦っていたが、店の入口に見え隠れする影を見て、うん、とうなずき、弥生に注文を出す。
「それじゃあ……」
「いよいよ仙人様が己の欲に忠実になる貴重なシーンが」 魔理沙が茶化す。
「……入口の美しい方に、串団子をみっつ、作ってあげて下さい」
青娥が入口や窓をきょろきょろと見まわす。
「美しい方? 華扇様とあやめさん以外にそのような方がいますの?」
「徹底的に私は除外するんだな」
「あら、魔理沙さんはどっちかって言うと、可愛いの方ですわ」
華扇は話を続ける。
「あやめさんをいつも気にかけ、付き添っている、あのホフゴブリンです」
「まあ! あやめさんにまとわりついている、あの生き物が?」
「実は……あのホフゴブリン達が里に現れた時、追い払ってしまおうと言ったのは私なのです。ただ外見が怖くて、里の人々が怯えているからという理由で。彼らが本当はどんな存在か、確かめようともしないで追い払った私は未熟でした。こんな事で罪滅ぼしになるとも思いませんが」
ホフゴブリン達は、八雲紫がある目的のために連れてきた(東方茨歌仙3巻参照)のだが、ここで言う必要はないと華扇は判断した。
いつもの説教モードと違い、若干トーンをおとして話を続けた。
自分にも言い聞かせるように。
「美しさとは外見だけで決まるとは限りません。時々里であやめさんとあの子を見かけましたが、あの子は外見で差別されながらも、仕えている人間に尽くしています。青娥、あなたの趣味嗜好をここで断罪するつもりはありません。でも、たまには外面以外にも目を向けてみた方が良いと思います。お互いに」
青娥はしばらく考えて、降参するように目を伏せてうなずく。
「ううむ、たしかに華扇さまのおっしゃる通りですわ。私もまだまだ修行が足りないかも」
「と言う訳であやめさん、お団子をあの子に持っていってください、私のおごりです」
「ありがとうございます、ゴブちゃんも喜ぶでしょう」
甘味を楽しんだ後、青娥はあやめの前に進み出て、丹の入った紙袋を差し出した。
「これを一日一粒、必ず飲んで下さいね」
「ありがとうございます。でも、お代は本当にいいんですか」
「構いませんわ。そして、あなたに謝る事があります」
青娥は姿勢を正し、頭を下げる。
「正直この丹は一縷の望みをかけて作った試作品、つまり貴方で人体実験をした格好になります」
「それでもいいんです。どの道、あのままだと死んでましたから」
最後に舌をぺろっと出して笑う。
「でも予想以上に効果あったようなので、結果オーライで帳消しにして下さいね」
「ほらな、こいつはこういう奴だ」 魔理沙が苦笑する。
二人と土産に泣いて喜ぶ従者を見送った後、二人の仙人は店内にとどまって小さな声で話を続けた。一方は真剣な顔、他方は楽観的な顔で。
「やっぱり、あやめさんには本当の事を告げるべきでは?」
「最終的には幸せになれるんですから、いいじゃないですか」
「それにしても、どうせ彼女をあのようにするなら、なぜあの薬を?」
「あら華扇様、私の趣味嗜好をお忘れで」
「まったく、貴方と言う方は…………」
「少々の役得はあっても良いでしょ?」
気がかりな会話が終わると、店の雰囲気はいつもの日常に戻った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それから半月ほど、あやめは見る見るうちに回復し、容姿も元どおりになった。
ホフゴブリンの従者もまた彼女の家で働いている。
魔理沙にも、神社で霊夢とのんべんだらりと会話を楽しむ余裕が戻る。
「いやあ、霊夢にも聞かせてやりたかったな、あやめのシャウト。鳥獣伎楽のライブに連れて行ったら、あやめの奴、すっごく気に入ったのなんの、飛び入りで歌ったんだぜ。今まで病気がちで自由に動けなかった苦しみや不満を即興の歌詞で歌いまくってさ、ミスティアも荒削りながらソウルのこもった歌だと褒めていたんだ。あやめももうすっかり元気だ。確かに霊夢の勘は外れたな」
「彼女、本当にもう大丈夫なの?」
「ああ、青娥が飲ませた丹、あれは一時的に体力をつける物でしかなかったはずなんだが、予想以上に効いたんだ」
「本当に?」 霊夢が少し顔を曇らせる。
「本当だぜ。でもあん時の衰弱ぶりを考えれば疑うのも当然だがな、あるいはお前の祈祷が良かったのかもな、そのうち神社にも連れてくるぜ」
「そうなると良いわね」
魔理沙が神社を出たのは、正午をかなり過ぎてからだった。
あやめの家に遊びに行こうとして腹がぐうと鳴り、昼食がまだだったのを思い出した。
「たまには団子屋の向かいの蕎麦屋にでも行くか」
並盛のざるそばを食べた後、向かいの団子屋に1人のホフゴブリンが入って行くのが見えた。ごめんなさいと言いながら人々を押しのけ、かなり慌てているようだ。
「おや、一緒にいるあやめは……」
勘定を済ませて団子屋に行くと、彼は魔理沙の顔を見るなり、駆け寄って顔をくしゃくしゃにして、そしてある事象を伝えた。
「あやめお嬢様が、あやめお嬢様が、死にそうなんだ」
魔理沙は何の事だか分からず、頭がぐらぐら揺れるか煮立つのを感じた。
「はは、な、何を言ってるんだ、本当か?」
「今朝、気分が悪いとおっしゃって、そのまま布団に入ったまま、しばらくたってご家族が様子を見に行ったら、また高熱が出て意識が朦朧としていて……」
気が動転して、箒をどこかへ落としてしまった。
ホフゴブリンに案内させ、走ってあやめの屋敷を目指す。
走っても走っても、屋敷との距離が縮まないような気がして、もどかしい。
帽子もどこかへ消えていた。
半ばもう大丈夫と思い込んでいただけ余計に、あやめの危機は魔理沙の心を打ちのめしていた。
(何でだ? 元気になったはずじゃなかったのかよ)
ようやくたどり着き、門に駆け込み、玄関の戸を強引に開け、驚く使用人を無視してあやめの部屋に入った。
「あやめ!」
彼女は両親と永琳、鈴仙に見守られ、布団の中で眠りについていた。
顔は白い布に覆われている。
永琳が残念さと事務的な口調をミックスしたような声で告げた
「つい先ほど、亡くなりました」
鈴仙も人の死は慣れているはずだが、彼女はハンカチで目元をぬぐい続けていた。
(こうなっているのも知らず、私はアホ面で蕎麦を食っていたわけか)
後悔しても遅いが、そのままじっとしていられなくて、両親に懇願して布をめくる。
眠っているのと変わりなく見える、安らかな死に顔だった。
「なあ、遊びに行く約束してたじゃないか、おい。午後の予定どうするんだよ、仕事キャンセルしたんだぞ」
あやめに語りかける。もちろんあやめは何も言わない。
すすり泣く母親が語る。
「あなたのような友達が出来て、この子はとても喜んでいました。きっと神様が最後に、今までの分の人生を楽しませてくれたんでしょう。それだけでも救いと思わないと」
父親が頭を下げた。
「八意先生、優曇華院さん、それと霧雨さん、いままでありがとうございました。娘に変わって感謝します」
葬儀の準備が始まる中、魔理沙は気晴らしに屋敷の外をホフゴブリンとぶらつくが、やはりまだ、心の整理はつかない。
梅雨入りが近いらしく、午後の空は薄暗かった。
「死ぬ時はあっけないものなんだな」
「ああ、オレはもうお嬢様は治ると思ったんだけどな、天命ってヤツだったのかな?」
「どうかな、死ぬのが天命なら、あがくのも天命、私はそう思うぜ」
「オレは、結局何にも出来なかった。ただまとわりついていただけだ。お団子の恩返しも出来やしなかった」
「いや、お前がそばにいてやれて、あやめも心の支えになったと思うぜ、私なんかより、ずっと一緒に居ただろ」
「同年代で同性の友達は貴重さ、それはオレには務まらない」
二人は時にはしみじみ、時には笑顔で、あやめとの思い出を語り合った。
「あやめってさ、面白い時、結構声を出して笑うんだぜ、うふふ、じゃなくてあははははって」
「それは本当か。控えめなお方だと思っていたんだがな。それだけあんたに心を許していたって事だな。ああそういえば、とっておきの話があったぞ」
「教えてもらえる?」
「オレが来て間もないころ、近所で幽霊騒ぎがあったんだが、お嬢様は夜その幽霊と会ったそうだ」
「マジか? それでそれで?」
「で、私はもう半分幽霊みたいなものだから、お前なんか怖くない、と言うような事をお嬢様が言ったら、その幽霊、はっきり聞き取れなかったそうだが、なんだか判例がどうの、検死がどうのと言って消えちまって、以後現われなくなったらしいんだ。だからそいつは法律家の幽霊だったんじゃないかって言われてる」
「くくく、法律家の幽霊ねえ」
「病気の事もあったからとは言え、大した度胸だよ」
「弾幕少女の才能あるな。今度パチュリー辺りに稽…………あっ、もうあやめは居ないんだっけ」
魔理沙は目を伏せた。
「うん、でも光芒に包まれたような人生だったと思うよ、あやめお嬢様」
「だな」
その後、あやめの葬儀はちょうど雨の日に、近親者と他の親しかった人々のみで営まれた。
ホフゴブリンは家人に来るなと言われたが、人外が葬儀に参列してはいけないのか? ならば私たちも帰る、という仙人達や妖怪の抗議により、参列をしぶしぶ認めさせたが、彼はいずこかへ消えていた。
やがて出棺の時が来て、優しげな雨に打たれながら、あやめの棺は墓地へ運ばれてゆく。
その来世への船出を、参列者たちと、紫陽花と、遠くから見つめるホフゴブリンの従者が見守っていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
もうすっかり暑くなった、新調した帽子をかぶり、同じく新調した箒で飛ぶ。青空と白い雲が鮮やかだ。
今日はあやめの四十九日。花束を持って彼女の墓のある命蓮寺の墓地に来た時、魔理沙は墓石の影に見覚えのある、しかしあるはずのない人影を見た。
背中まで伸びた黒髪、和洋折衷の水色のワンピース。
「あやめ? んなわけ無いか、いや待てよ」
それでも魔理沙は、とりあえず何者か確かめようと人影を追いかける。
だんだん輪郭がはっきりしてきて、魔理沙と同い年ほどの少女の後姿が見えた。
霊体のようなものではなく、はっきりとした物質の肉体を持っている。
(あの雰囲気、間違いない)
「あやめ!」 呼ばれた後姿がぴくっと動いた。
魔理沙は嬉しくなった。何故あやめが生きてここにいるのか? そんな事なんてどうでもいい。そもそも幻想郷には幽霊の住人だっているのだ。今さら何を不気味がる必要がある? 魔理沙は後姿の少女の肩を叩く。
「あやめ! 驚かせやがって、何だよ生きてんじゃん」
少女が振り向くと、垂直に伸ばした少女の両手が魔理沙にぶつかった。
その顔は確かに柊あやめその人だった。ただ、額には護符が貼られ、目は死んだ魚のように濁っていた。
「あや……め?」
「あなただーれ? よしかーせいがーへんなひときたー」
魔理沙は持っていた花束を落とし『あやめ』から一歩後ずさり、肩を落とし、へらへらと笑う。
「へへへ……冗談にしても限度があるぜ、ははは勘弁しろよ、なんだこんな産廃もののラストは。女の子をグロい目に合わせれば名作になるってかこの野郎」
声に怒気が添加されてゆく。
加えて、『あやめ』から離れた所に、一匹の小柄な人型妖怪が傷だらけで倒れていた。
「魔理……さん、おじょう……さ……を」
「ホフゴブ!!」
また人の気配がした。足音と、何かが跳ねる音。霍青娥がキョンシーを伴って現れた。
何の悪びれた様子も無い。
「あら、魔理沙さん、ごきげんよう」
「ごきげんよう、死ね!」
魔理沙は張り付いた笑顔のままお辞儀をし、帽子から出した八卦炉から、あらん限りの魔力でマスタースパークをぶちかました。スペルカードの宣言も前口上も無視して。
しかし、キョンシーの宮古芳香の両手から不思議な魔法陣が浮かび出て、閃光が防がれてしまう。
「魔理沙さん、落ちついてくださいな。この子が怖がってしまいますよ」
「ふざけるな、信じて損した。やっぱりあやめの病気はお前が仕組んだんだな」
さらに宣言無しで星型の弾幕を、キョンシー化したあやめに当たらないように二人にぶつける。
「吐き気を催す邪悪そのものだなお前は」
青娥はそれを、空中で舞うようにかわそうとするが、魔理沙の渾身の攻撃により被弾が目立ち、芳香が盾になる。
「お前はあやめと私とみんなの心を裏切った!」
墓場のあちこちに魔法陣を設置し、そこから発射されたレーザーが背後から青娥を襲う。
「卑怯とは言うなよ」
「こんなにお強いのですね。このままでは本当に不覚を取るかも知れません、芳香」
「あい」
芳香が大きく跳ねて、空中で何回転かしながら魔理沙の背後に降り立ち、伸ばしたままの両手で魔理沙の両肩を掴んだ。
「そのくらいにしておけ」
見た目とは裏腹な力で、魔理沙をその場に拘束した。
身をよじっても、芳香の冷たい手は放してはくれない。
「おい、離せ、離せよ。お前もこんな奴に使われて悔しくないのかよ」
「こんなやつというな。ちょうげどうだけど、よきひとだ」
青娥は優雅に魔理沙の元に歩み寄り、その頬をなでた。
「誤解しないで下さい。あの子の病気は本物でしたわ。私の仙丹で完治させるのも不可能ではなかったのですけれどもね」
「不可能じゃなかっただって? じゃあ何故そうしなかった!」
青娥はあやめを抱き寄せ、彼女を見つめながら陶酔した口調で語る。
「それは、彼女が元の美少女に戻ったのを見て、なんかこう、なんかこう……ああ、独り占めしたくてたまらなくなったのですわ」
青娥は身もだえしながら、目を閉じてあやめの唇にキスした。
「せいがーだいすきー」
「ああ、いつ見ても美しい子、こんどカラコンをつけてあげましょう」
「せいがーよしかもー」
歪んだ愛、そういう言葉が魔理沙の心に浮かんだ。
「……それで殺してキョンシーにしたのか」
「永遠の存在にして差し上げた、と言って下さいな」 そのままの姿勢で青娥が応える。
「何て奴だよ……、殺さなくたっていいじゃないか?」
「あら、ではこう考えてはどうですか。繰り返しますが、あの子が以前から病気だったのは本当でした。私が丹を飲ませなければ、もっと早くに亡くなられていたのです」
「でもお前もこの子の事が好きだったんだろ? こんな生き人形にして何が楽しい?」
「いずれこの子も老いていった事でしょう。それにご家族もこの子を不死の存在にする事に同意して下さいましたわ、私は美しい存在が好きなのです」
「家族も同意している、だと?」
娘の遺体が動く人形にされる事に、本当に遺族は同意したのか?
同意したとして、こんな姿にショックを受けなかったのか?
お前は、あやめの人柄や、あやめとの関係性じゃなく、ただ綺麗な上っ面しか見ていないのか?
ぶつけたい質問が沢山あったが、芳香による拘束が解かれた途端、1人の邪仙と2人のキョンシーはどこかへ消えてしまった。
青娥の声だけが聞こえた。
「これもこの子が望んだ事ですよ。彼女は生きたいという欲望を持っていました。死にたくないと泣いていました。だから彼女の欲望をかなえてあげる条件で、私の欲望もかなえさせて頂いたのです」
「嘘をつくな! キョンシーにされるとまでは言わなかったんだろう」
「もう良いじゃありませんか、キョンシーに苦痛は存在しません」
「でも、家族が悲しむだろ」
「ですから、ご家族も同意しています。本当はもう娘さんに会えない所を会えるようにしたんです」
「でも、でも、こんな事、許されるのかよ。割り切れと言うのかよ」
「そういう態度も、魅力的ですわ」
それっきり青娥の声も聞こえなくなった。
後に残ったのは、茫然とする魔理沙と、倒れたホフゴブリンだけ。
魔理沙は我に返り、今はまずこいつを助けなければと、彼を背負って永遠亭の診療所まで飛んでいった。お前まで死ぬなよ、と念じながら。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
魔理沙は諦めきれず、せめてあやめを普通の死者として眠らせてやるべく、里の守護者の上白沢慧音、華扇、霊夢、そして一命を取り留めたホフゴブリンらを連れて神霊廟に何度も抗議に行った。
しかし、青娥がいないか、いてもはぐらかされてしまう。
決定的なのは、遺族もこの事に同意していたという事だった。
結局、あやめはまだ生きているとも言えるので、里の秩序を乱そうとしない限り、監視するのみにとどめておこう、という魔理沙の願いとはかけ離れた結論に落ち着いた。
神霊廟の面々も、青娥のやった事を肯定する言葉こそないものの、『またいつもの青娥か』と諦めるような雰囲気が目立ち、霊夢も、『ま、家族も了承しているんじゃ仕方ないわね』と積極的に関わる気がなさそうだった。
華扇も彼女を批判しつつ、どこかで同じ仙人をかばうようなそぶりすら、魔理沙には感じられ、失望せずに居られなかった。
(そうか、こいつらにとっては、『面倒なよくある事案』でしかないんだ)
何度目かの折衝の後、魔理沙は自宅でひとり、キノコ鍋が煮えるのを眺めながら考える。
理不尽であるとばかり思っていたが、キョンシー化したあやめが遺族とも仲良く言葉をかわし、芳香や山彦、化け傘といった妖怪たちとも仲良くしているのを見ていると、これもこれで幸せなのかもしれない。
自分もこれから、世の理不尽を『そういうもの』と割り切る度合いが増えて行くんだろう、それは心の成長なのか? それとも、劣化なのか?
そんな思索にふけっていたが、それでもどこか割り切れない、青くても熱い部分があって、誰かにこの思いをぶちまけたい衝動があった。
魔理沙は煮詰まった鍋の火を消し、アリスの家に行って、その感情を出来るだけセーブしつつ打ち明けたが、だんだん早口で支離滅裂になって行くのを止められなかった。
「だって酷過ぎるだろ、こんな話があるかよ、そうそうクールに受け止められるかよ。お前からすれば未熟者に見えるかも知れんがそれでもな……」
アリスは黙って話を聞いてやり、その後、気持ちが治まるまで、いつまでも魔理沙を抱きしめるのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
不思議な仙界にある青娥の家にて。
霍青娥は芳香と、新たにキョンシーになったあやめに柔軟体操をさせていた。
「よしよし、無理しなくて、最初は出来る範囲で良いのよ」
「わかったーやってみるー」
体をほぐす二人のキョンシーを優しく見守りながら、青娥は誰にともなく呟いている。
「うふふ、魔理沙さんにとっては、私が相当悪者に見えたでしょうねえ。まあ、否定はしません、どうせ私は道の外を歩く者。自分でそう決めたのですからね」
青娥は改めて、怒りをぶちまける魔理沙を思い起こす。
自分にこういう感情を向け、戦いを挑んできた者たちは数知れない。
かつてはそのような復讐者たちの激情を、青娥は見下していた。
「それにしても、老若男女問わず、人の純粋な怒りというのは、なんと生き生きしているのでしょう。この子たちとはまた違った美しさ、可愛らしさがあります」
しかし、とうの昔に捨て去ったそうした感情が、いまではいとおしく思う。
青娥は今までの自らの人生に、後悔を抱いているのかも知れなかった。
「生きる人間だけがもつ、可能性の光、と言ったところでしょうか。もはや私達にはない光、老いる事も無い代わり、伸びて行く事も無い魂、でも……」
いつもの自分らしくないと感じたのか、首を左右に振った。
「その代り、手に入れた物も多いんだしね」
傍らではあやめが芳香に励まされながら、柔軟体操に打ち込んでいた。
「このたいそうむずかしい」
「あやめ、がんばって」
青娥は、あやめには芳香より多くの体操をさせている。
「うふふ、『私の手元に居るうち』はいろいろなポーズで飾ってあげるから」
彼女の横顔をながめ、青娥が歪んだ微笑みを浮かべた。
運動させられるあやめの口から息が漏れて、なにか言葉のように聞こえた気がした。
「ま……理……さ……」
何故あいつがこの時間に、この方向へ歩いているのだ。
あやめの家を発ってからすぐ、魔理沙は足元に霍青娥の姿を認めた。
見た瞬間、魔理沙の心臓は跳ねあがった。彼女は1人であやめの家の方を目指していた。
魔理沙は上空でそっと見張りながら後を追うと、案の定、柊家の壁に立ち、不思議な鑿を使って壁をすり抜け、屋敷に侵入していった。
(どうみても侵入だ)
即座に屋敷に向かい、門前に降り立ち、あやめの部屋へ急行しようとした。
人里では妖怪は人を襲う事を禁じられている。もし霍青娥があやめをキョンシーにでもするつもりなら、人間を襲ったという事になる。
「堂々と退治してやるぜ!」
でも、それが禁じられている場所で、明確な意志と力をもって人を殺す、またはそれに準じる行為をしようとする者がいて、それを止めさせるというのはつまり……
(ガチの殺し合い……)
思考がそこに至った途端、魔理沙の足が震え、その場に固まってしまった。
ここは大人達、慧音や自警団の力を借りるべきだ。でなければ悔しいが自分以上の実力を持った霊夢でもいい。
でも助けが来るまでに、あやめが無事でいられるのか……。
(情けないぜ、心どころか体まで『怖い』と言ってやがる)
だが、あやめの笑顔、回復を願う両親の顔を思い出す。自分も友人を守りたいという心を必死に保とうとした。
(がんばれ私、またあやめと遊びに行きたいんだろ、紹介したい友人もいるんだろ、ここが私の正念場だ)
呼吸を整え、無理やり足を一歩踏み出す。
(私は出来る、私だっていくつもの異変を解決してきたんだぜ)
奇跡が起きたのか、なぜか一歩踏み出した後は足が軽やかになった。
(行け行け魔理沙、あやめを救うのはお前しかいない)
玄関に飛びあがり、驚く使用人を無視してあやめの部屋のふすまを強引に開けた。
まさに青娥があやめに仙丹を飲ませようとするところだった。
「魔理沙ちゃん、どうしたの」 驚くあやめ。
「あら、こんばんは魔理沙さん」 幾分驚いたものの、余裕の表情の青娥。
魔理沙は精一杯の啖呵を切った。
「おい、邪仙。その子に何を飲ませようとした!」
「何って、病気に聞く仙丹ですわ」
「嘘つけ! 前々からその子をキョンシーにするため毒を盛ってたんだろ」
「まあ人聞きの悪い。この子に薬を差し上げるのはこれが最初ですわ」
「何だと、本当か?」
魔理沙があやめの方を見ると、彼女は声を振り絞って言う。
「本当よ、青娥さんは親切な人で、私に毒なんて盛る人じゃない」
あやめは必死に魔理沙を説得しようとする。
青娥はいくらか困惑しているものの、見られてはいけない場面を見られた、という雰囲気ではなかった。
それで青娥を追及する気持ちが削がれてしまった。
「本当にそうなのか?」
「そうですわ」
青娥は改めて、あやめに仙丹を飲むよう勧めた。
魔理沙は固唾を飲んで見守っていたが、あやめは別に変化はなかった。
だからしょうがなく、青娥に謝る事にした。
「悪かったよ、でもならどうして、壁を通り抜けて侵入したんだ」
「ご家族には秘密にしておきたかったのですわ。そんな事よりも今日は一緒に帰りませんか」
魔理沙と青娥はあやめに挨拶して、それからしばらく歩きながら、あやめの健康に関する情報交換をした。
青娥は独自の知識と経験で、永遠亭同様の結論にたどり着いていた。
つまり、あやめの病状は厳しいと……。
「なるほど、今まであやめに会ってなかったのは、その丹を精製するためだったのか」
「ええ、本気であの子の病を治すために作ったのですけど、正直、かなり進行していましたし、一時的に体力をつけるぐらいしかできないでしょう」
青娥は心底残念そうな顔をする。演技には思えない。
「そうか、疑って済まなかった。あんたは本当にあやめを心配してくれていたんだな」
「魔理沙さんこそ、あそこまであの子に必死になれるなんて、そこまで人を思えるなんて、とても素晴らしいですわ」
「友人は大切にしなきゃならないしな」
「お互い、希望を失わずに頑張りましょう」
魔理沙は少し安心した。
どうやら青娥は純粋にあやめを気にかけているらしい。
強力な助っ人ができた、これで病魔に勝てる、魔理沙はそう確信した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
次の日、あやめの屋敷の屋根にキラキラした光が灯っていた。
気分がよくなったら、屋根にでも投げるようにと言った星の魔法だ。
魔理沙はそれを確認して、やったぜ、とガッツポーズを決めた。
あの仙丹が効を奏したのだ。
嬉しくなり、家の人に適当に挨拶して上がり込み、軽やかな足取りであやめの部屋に向かう。
「来てやったぜ」
「おはよう、魔理沙ちゃん。今日は何だか調子がいいの」
痩せてはいたが、昨日とは見違えるほど、彼女の顔と手足はみずみずしく、生気に満ちていた。
「とりあえず適当に里をぶらつこうぜ、私も久々に例の団子屋行きたいしな。そうそう、ホフゴブも来てるぞ」
「それホント、良かった」
ゆっくりと布団から起き上がるあやめを見守り、着替えを手伝い、外に連れ出そうとしたところで、あらいけない、とあやめが急に部屋に引き返した。
「どうしたんだ?」
「ここの神様に挨拶しなきゃ」
あやめは中庭に出て、魔理沙が慰霊碑らしいと思った岩の前にしゃがみ、元気になれた事へのお礼を言った。
「神様、ありがとうございます、これからも見守っていて下さい」
「そこに祭られているのはどんな神様なんだ?」
「昔、この辺で酷い飢饉があって、亡くなった人々をここにお祀りしてるんだって。今ではこの辺を守護して下さる神様になったの」
「そうか、なら大事にしなきゃな」
お祈りをすませ、玄関から外へ出ると、あのホフゴブリンの従者が待っていた。
あやめを見た従者は目を輝かせて駆け寄ってくる。
「おおお、お嬢様、お久しゅうございます」
「心配させてごめんね、ゴブちゃん」
あやめに頭を撫でられると、従者は泣いて喜んだ。
「オロロロ、お嬢様、オレはもう駄目かと思っていたんです。もう一度こうして会えるなんて、オレは幸せ者だああ」
「さ、行こうぜ。今日はちょっとした臨時収入が入ったんだ」
「魔理沙ちゃん、ダメよ。うどんげちゃん辺りからなんか騙し取ったのでしょう?」
「なわけ無いだろ」
「冗談よ、冗談」
従者が小声で、これでトリオ復活だな、と感慨深げにつぶやいた。
「えっ、お前今何て?」魔理沙が聞く。
「いや、すまんすまん、ついオレごときが生意気な口を聞いてしまった。お嬢様、お許しを」
「生意気だなんて思ってないよ。またこうして三人で遊びに行けるのが嘘みたい」
「そうだぜ、最初ホフゴブリンを見た時、なんだこいつはって思ったが、お前はいいヤツだし、もう友達だ」
「友達……か。いい響きだ。ちょっと照れ臭いけどな」
久々に三人で里の団子屋へ行った。
店はいつもと変わりなく繁盛している。
魔理沙とあやめはホフゴブリンにも店に入るよう勧めたが、彼は固辞した。
「じゃあ、本当にいいんだな」
「ああ、お二人でゆっくり楽しんでくれ。オレはこういう場所は性に合わんからな」
「お土産あげるから、ゴブちゃん待っててね」
二人はのれんをくぐった。
あやめは長患いで痩せていたため、客が目を見張るほどの美貌は失われていたが、やはり気品のある顔立ちはいささかも衰えてはいない。
「久しぶり、弥生ちゃん」
「いらっしゃ……ああ、あやめさん? もう大丈夫なの?」
「うん、心配かけてごめんね、なんとか持ち直したみたい」
「うん、じゃあ腕によりをかけてスペシャルメニュー……は病み上がりにはまずいか? だから量より質でいくわね」
店の奥では、霍青娥が桃色の髪をした女性と相席でアイスクリームを賞味していた。
あやめは青娥に駆け寄り、笑顔で礼を言った。
「青娥さん、ありがとうございます、おかげで持ち直したようです」
「うふふ、元気になったようで何よりですわ。でもこれからですよ、元の美しい姿に戻っていただかないと」
「そんな、元の顔だって大した事ないですよ。元気になれただけで幸せです。本当に感謝しています」
「それと、紹介しますわ。この方は茨木華扇様、修行より甘い物好きな先輩の仙人様です」
「そ、それじゃ修行していないみたいじゃない!」
華扇が怒るが、青娥は軽く受け流す。
「別に良いじゃありませんか。そこがあなたの良い所なんだから」
「茶化さないで~」
「茨木様、私は柊あやめと言います。霍青娥様と魔理沙ちゃんには本っ当にお世話になっています。そのうえもう一人の仙人様とお知り合いになれるなんて光栄です」
「コホン、あやめさん、この青い邪仙の言う事を真に受けてはいけませんよ」
やがてあやめの前に特製のアイスクリームが出された、チョコレートパフェというやつらしい。アイスは少なめだが、その分チョコレートソースがたっぷりかけられ、フルーツやウエハースが豊富に乗っている。
「うわあ、美味しそう」
「あやめさんのために、たった今作った新作だよ」
「おいおい、あやめを実験台にするのかよ」
「ぎく、まあ、味は保証するわ」
華扇があやめに出されたアイスを横眼でじっと見つめている。
魔理沙はそれが可笑しくてたまらず、青娥も同様らしかった。
「欲しいなら欲しいっていえよ」
自分のもの欲しそうな視線を見抜かれて、華扇は目を白黒させた。
「いえ、決してそんな事は……」
「欲はただ抑えれば良いというものではありませんよ」
「ううむ」
華扇はしばらく己と戦っていたが、店の入口に見え隠れする影を見て、うん、とうなずき、弥生に注文を出す。
「それじゃあ……」
「いよいよ仙人様が己の欲に忠実になる貴重なシーンが」 魔理沙が茶化す。
「……入口の美しい方に、串団子をみっつ、作ってあげて下さい」
青娥が入口や窓をきょろきょろと見まわす。
「美しい方? 華扇様とあやめさん以外にそのような方がいますの?」
「徹底的に私は除外するんだな」
「あら、魔理沙さんはどっちかって言うと、可愛いの方ですわ」
華扇は話を続ける。
「あやめさんをいつも気にかけ、付き添っている、あのホフゴブリンです」
「まあ! あやめさんにまとわりついている、あの生き物が?」
「実は……あのホフゴブリン達が里に現れた時、追い払ってしまおうと言ったのは私なのです。ただ外見が怖くて、里の人々が怯えているからという理由で。彼らが本当はどんな存在か、確かめようともしないで追い払った私は未熟でした。こんな事で罪滅ぼしになるとも思いませんが」
ホフゴブリン達は、八雲紫がある目的のために連れてきた(東方茨歌仙3巻参照)のだが、ここで言う必要はないと華扇は判断した。
いつもの説教モードと違い、若干トーンをおとして話を続けた。
自分にも言い聞かせるように。
「美しさとは外見だけで決まるとは限りません。時々里であやめさんとあの子を見かけましたが、あの子は外見で差別されながらも、仕えている人間に尽くしています。青娥、あなたの趣味嗜好をここで断罪するつもりはありません。でも、たまには外面以外にも目を向けてみた方が良いと思います。お互いに」
青娥はしばらく考えて、降参するように目を伏せてうなずく。
「ううむ、たしかに華扇さまのおっしゃる通りですわ。私もまだまだ修行が足りないかも」
「と言う訳であやめさん、お団子をあの子に持っていってください、私のおごりです」
「ありがとうございます、ゴブちゃんも喜ぶでしょう」
甘味を楽しんだ後、青娥はあやめの前に進み出て、丹の入った紙袋を差し出した。
「これを一日一粒、必ず飲んで下さいね」
「ありがとうございます。でも、お代は本当にいいんですか」
「構いませんわ。そして、あなたに謝る事があります」
青娥は姿勢を正し、頭を下げる。
「正直この丹は一縷の望みをかけて作った試作品、つまり貴方で人体実験をした格好になります」
「それでもいいんです。どの道、あのままだと死んでましたから」
最後に舌をぺろっと出して笑う。
「でも予想以上に効果あったようなので、結果オーライで帳消しにして下さいね」
「ほらな、こいつはこういう奴だ」 魔理沙が苦笑する。
二人と土産に泣いて喜ぶ従者を見送った後、二人の仙人は店内にとどまって小さな声で話を続けた。一方は真剣な顔、他方は楽観的な顔で。
「やっぱり、あやめさんには本当の事を告げるべきでは?」
「最終的には幸せになれるんですから、いいじゃないですか」
「それにしても、どうせ彼女をあのようにするなら、なぜあの薬を?」
「あら華扇様、私の趣味嗜好をお忘れで」
「まったく、貴方と言う方は…………」
「少々の役得はあっても良いでしょ?」
気がかりな会話が終わると、店の雰囲気はいつもの日常に戻った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それから半月ほど、あやめは見る見るうちに回復し、容姿も元どおりになった。
ホフゴブリンの従者もまた彼女の家で働いている。
魔理沙にも、神社で霊夢とのんべんだらりと会話を楽しむ余裕が戻る。
「いやあ、霊夢にも聞かせてやりたかったな、あやめのシャウト。鳥獣伎楽のライブに連れて行ったら、あやめの奴、すっごく気に入ったのなんの、飛び入りで歌ったんだぜ。今まで病気がちで自由に動けなかった苦しみや不満を即興の歌詞で歌いまくってさ、ミスティアも荒削りながらソウルのこもった歌だと褒めていたんだ。あやめももうすっかり元気だ。確かに霊夢の勘は外れたな」
「彼女、本当にもう大丈夫なの?」
「ああ、青娥が飲ませた丹、あれは一時的に体力をつける物でしかなかったはずなんだが、予想以上に効いたんだ」
「本当に?」 霊夢が少し顔を曇らせる。
「本当だぜ。でもあん時の衰弱ぶりを考えれば疑うのも当然だがな、あるいはお前の祈祷が良かったのかもな、そのうち神社にも連れてくるぜ」
「そうなると良いわね」
魔理沙が神社を出たのは、正午をかなり過ぎてからだった。
あやめの家に遊びに行こうとして腹がぐうと鳴り、昼食がまだだったのを思い出した。
「たまには団子屋の向かいの蕎麦屋にでも行くか」
並盛のざるそばを食べた後、向かいの団子屋に1人のホフゴブリンが入って行くのが見えた。ごめんなさいと言いながら人々を押しのけ、かなり慌てているようだ。
「おや、一緒にいるあやめは……」
勘定を済ませて団子屋に行くと、彼は魔理沙の顔を見るなり、駆け寄って顔をくしゃくしゃにして、そしてある事象を伝えた。
「あやめお嬢様が、あやめお嬢様が、死にそうなんだ」
魔理沙は何の事だか分からず、頭がぐらぐら揺れるか煮立つのを感じた。
「はは、な、何を言ってるんだ、本当か?」
「今朝、気分が悪いとおっしゃって、そのまま布団に入ったまま、しばらくたってご家族が様子を見に行ったら、また高熱が出て意識が朦朧としていて……」
気が動転して、箒をどこかへ落としてしまった。
ホフゴブリンに案内させ、走ってあやめの屋敷を目指す。
走っても走っても、屋敷との距離が縮まないような気がして、もどかしい。
帽子もどこかへ消えていた。
半ばもう大丈夫と思い込んでいただけ余計に、あやめの危機は魔理沙の心を打ちのめしていた。
(何でだ? 元気になったはずじゃなかったのかよ)
ようやくたどり着き、門に駆け込み、玄関の戸を強引に開け、驚く使用人を無視してあやめの部屋に入った。
「あやめ!」
彼女は両親と永琳、鈴仙に見守られ、布団の中で眠りについていた。
顔は白い布に覆われている。
永琳が残念さと事務的な口調をミックスしたような声で告げた
「つい先ほど、亡くなりました」
鈴仙も人の死は慣れているはずだが、彼女はハンカチで目元をぬぐい続けていた。
(こうなっているのも知らず、私はアホ面で蕎麦を食っていたわけか)
後悔しても遅いが、そのままじっとしていられなくて、両親に懇願して布をめくる。
眠っているのと変わりなく見える、安らかな死に顔だった。
「なあ、遊びに行く約束してたじゃないか、おい。午後の予定どうするんだよ、仕事キャンセルしたんだぞ」
あやめに語りかける。もちろんあやめは何も言わない。
すすり泣く母親が語る。
「あなたのような友達が出来て、この子はとても喜んでいました。きっと神様が最後に、今までの分の人生を楽しませてくれたんでしょう。それだけでも救いと思わないと」
父親が頭を下げた。
「八意先生、優曇華院さん、それと霧雨さん、いままでありがとうございました。娘に変わって感謝します」
葬儀の準備が始まる中、魔理沙は気晴らしに屋敷の外をホフゴブリンとぶらつくが、やはりまだ、心の整理はつかない。
梅雨入りが近いらしく、午後の空は薄暗かった。
「死ぬ時はあっけないものなんだな」
「ああ、オレはもうお嬢様は治ると思ったんだけどな、天命ってヤツだったのかな?」
「どうかな、死ぬのが天命なら、あがくのも天命、私はそう思うぜ」
「オレは、結局何にも出来なかった。ただまとわりついていただけだ。お団子の恩返しも出来やしなかった」
「いや、お前がそばにいてやれて、あやめも心の支えになったと思うぜ、私なんかより、ずっと一緒に居ただろ」
「同年代で同性の友達は貴重さ、それはオレには務まらない」
二人は時にはしみじみ、時には笑顔で、あやめとの思い出を語り合った。
「あやめってさ、面白い時、結構声を出して笑うんだぜ、うふふ、じゃなくてあははははって」
「それは本当か。控えめなお方だと思っていたんだがな。それだけあんたに心を許していたって事だな。ああそういえば、とっておきの話があったぞ」
「教えてもらえる?」
「オレが来て間もないころ、近所で幽霊騒ぎがあったんだが、お嬢様は夜その幽霊と会ったそうだ」
「マジか? それでそれで?」
「で、私はもう半分幽霊みたいなものだから、お前なんか怖くない、と言うような事をお嬢様が言ったら、その幽霊、はっきり聞き取れなかったそうだが、なんだか判例がどうの、検死がどうのと言って消えちまって、以後現われなくなったらしいんだ。だからそいつは法律家の幽霊だったんじゃないかって言われてる」
「くくく、法律家の幽霊ねえ」
「病気の事もあったからとは言え、大した度胸だよ」
「弾幕少女の才能あるな。今度パチュリー辺りに稽…………あっ、もうあやめは居ないんだっけ」
魔理沙は目を伏せた。
「うん、でも光芒に包まれたような人生だったと思うよ、あやめお嬢様」
「だな」
その後、あやめの葬儀はちょうど雨の日に、近親者と他の親しかった人々のみで営まれた。
ホフゴブリンは家人に来るなと言われたが、人外が葬儀に参列してはいけないのか? ならば私たちも帰る、という仙人達や妖怪の抗議により、参列をしぶしぶ認めさせたが、彼はいずこかへ消えていた。
やがて出棺の時が来て、優しげな雨に打たれながら、あやめの棺は墓地へ運ばれてゆく。
その来世への船出を、参列者たちと、紫陽花と、遠くから見つめるホフゴブリンの従者が見守っていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
もうすっかり暑くなった、新調した帽子をかぶり、同じく新調した箒で飛ぶ。青空と白い雲が鮮やかだ。
今日はあやめの四十九日。花束を持って彼女の墓のある命蓮寺の墓地に来た時、魔理沙は墓石の影に見覚えのある、しかしあるはずのない人影を見た。
背中まで伸びた黒髪、和洋折衷の水色のワンピース。
「あやめ? んなわけ無いか、いや待てよ」
それでも魔理沙は、とりあえず何者か確かめようと人影を追いかける。
だんだん輪郭がはっきりしてきて、魔理沙と同い年ほどの少女の後姿が見えた。
霊体のようなものではなく、はっきりとした物質の肉体を持っている。
(あの雰囲気、間違いない)
「あやめ!」 呼ばれた後姿がぴくっと動いた。
魔理沙は嬉しくなった。何故あやめが生きてここにいるのか? そんな事なんてどうでもいい。そもそも幻想郷には幽霊の住人だっているのだ。今さら何を不気味がる必要がある? 魔理沙は後姿の少女の肩を叩く。
「あやめ! 驚かせやがって、何だよ生きてんじゃん」
少女が振り向くと、垂直に伸ばした少女の両手が魔理沙にぶつかった。
その顔は確かに柊あやめその人だった。ただ、額には護符が貼られ、目は死んだ魚のように濁っていた。
「あや……め?」
「あなただーれ? よしかーせいがーへんなひときたー」
魔理沙は持っていた花束を落とし『あやめ』から一歩後ずさり、肩を落とし、へらへらと笑う。
「へへへ……冗談にしても限度があるぜ、ははは勘弁しろよ、なんだこんな産廃もののラストは。女の子をグロい目に合わせれば名作になるってかこの野郎」
声に怒気が添加されてゆく。
加えて、『あやめ』から離れた所に、一匹の小柄な人型妖怪が傷だらけで倒れていた。
「魔理……さん、おじょう……さ……を」
「ホフゴブ!!」
また人の気配がした。足音と、何かが跳ねる音。霍青娥がキョンシーを伴って現れた。
何の悪びれた様子も無い。
「あら、魔理沙さん、ごきげんよう」
「ごきげんよう、死ね!」
魔理沙は張り付いた笑顔のままお辞儀をし、帽子から出した八卦炉から、あらん限りの魔力でマスタースパークをぶちかました。スペルカードの宣言も前口上も無視して。
しかし、キョンシーの宮古芳香の両手から不思議な魔法陣が浮かび出て、閃光が防がれてしまう。
「魔理沙さん、落ちついてくださいな。この子が怖がってしまいますよ」
「ふざけるな、信じて損した。やっぱりあやめの病気はお前が仕組んだんだな」
さらに宣言無しで星型の弾幕を、キョンシー化したあやめに当たらないように二人にぶつける。
「吐き気を催す邪悪そのものだなお前は」
青娥はそれを、空中で舞うようにかわそうとするが、魔理沙の渾身の攻撃により被弾が目立ち、芳香が盾になる。
「お前はあやめと私とみんなの心を裏切った!」
墓場のあちこちに魔法陣を設置し、そこから発射されたレーザーが背後から青娥を襲う。
「卑怯とは言うなよ」
「こんなにお強いのですね。このままでは本当に不覚を取るかも知れません、芳香」
「あい」
芳香が大きく跳ねて、空中で何回転かしながら魔理沙の背後に降り立ち、伸ばしたままの両手で魔理沙の両肩を掴んだ。
「そのくらいにしておけ」
見た目とは裏腹な力で、魔理沙をその場に拘束した。
身をよじっても、芳香の冷たい手は放してはくれない。
「おい、離せ、離せよ。お前もこんな奴に使われて悔しくないのかよ」
「こんなやつというな。ちょうげどうだけど、よきひとだ」
青娥は優雅に魔理沙の元に歩み寄り、その頬をなでた。
「誤解しないで下さい。あの子の病気は本物でしたわ。私の仙丹で完治させるのも不可能ではなかったのですけれどもね」
「不可能じゃなかっただって? じゃあ何故そうしなかった!」
青娥はあやめを抱き寄せ、彼女を見つめながら陶酔した口調で語る。
「それは、彼女が元の美少女に戻ったのを見て、なんかこう、なんかこう……ああ、独り占めしたくてたまらなくなったのですわ」
青娥は身もだえしながら、目を閉じてあやめの唇にキスした。
「せいがーだいすきー」
「ああ、いつ見ても美しい子、こんどカラコンをつけてあげましょう」
「せいがーよしかもー」
歪んだ愛、そういう言葉が魔理沙の心に浮かんだ。
「……それで殺してキョンシーにしたのか」
「永遠の存在にして差し上げた、と言って下さいな」 そのままの姿勢で青娥が応える。
「何て奴だよ……、殺さなくたっていいじゃないか?」
「あら、ではこう考えてはどうですか。繰り返しますが、あの子が以前から病気だったのは本当でした。私が丹を飲ませなければ、もっと早くに亡くなられていたのです」
「でもお前もこの子の事が好きだったんだろ? こんな生き人形にして何が楽しい?」
「いずれこの子も老いていった事でしょう。それにご家族もこの子を不死の存在にする事に同意して下さいましたわ、私は美しい存在が好きなのです」
「家族も同意している、だと?」
娘の遺体が動く人形にされる事に、本当に遺族は同意したのか?
同意したとして、こんな姿にショックを受けなかったのか?
お前は、あやめの人柄や、あやめとの関係性じゃなく、ただ綺麗な上っ面しか見ていないのか?
ぶつけたい質問が沢山あったが、芳香による拘束が解かれた途端、1人の邪仙と2人のキョンシーはどこかへ消えてしまった。
青娥の声だけが聞こえた。
「これもこの子が望んだ事ですよ。彼女は生きたいという欲望を持っていました。死にたくないと泣いていました。だから彼女の欲望をかなえてあげる条件で、私の欲望もかなえさせて頂いたのです」
「嘘をつくな! キョンシーにされるとまでは言わなかったんだろう」
「もう良いじゃありませんか、キョンシーに苦痛は存在しません」
「でも、家族が悲しむだろ」
「ですから、ご家族も同意しています。本当はもう娘さんに会えない所を会えるようにしたんです」
「でも、でも、こんな事、許されるのかよ。割り切れと言うのかよ」
「そういう態度も、魅力的ですわ」
それっきり青娥の声も聞こえなくなった。
後に残ったのは、茫然とする魔理沙と、倒れたホフゴブリンだけ。
魔理沙は我に返り、今はまずこいつを助けなければと、彼を背負って永遠亭の診療所まで飛んでいった。お前まで死ぬなよ、と念じながら。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
魔理沙は諦めきれず、せめてあやめを普通の死者として眠らせてやるべく、里の守護者の上白沢慧音、華扇、霊夢、そして一命を取り留めたホフゴブリンらを連れて神霊廟に何度も抗議に行った。
しかし、青娥がいないか、いてもはぐらかされてしまう。
決定的なのは、遺族もこの事に同意していたという事だった。
結局、あやめはまだ生きているとも言えるので、里の秩序を乱そうとしない限り、監視するのみにとどめておこう、という魔理沙の願いとはかけ離れた結論に落ち着いた。
神霊廟の面々も、青娥のやった事を肯定する言葉こそないものの、『またいつもの青娥か』と諦めるような雰囲気が目立ち、霊夢も、『ま、家族も了承しているんじゃ仕方ないわね』と積極的に関わる気がなさそうだった。
華扇も彼女を批判しつつ、どこかで同じ仙人をかばうようなそぶりすら、魔理沙には感じられ、失望せずに居られなかった。
(そうか、こいつらにとっては、『面倒なよくある事案』でしかないんだ)
何度目かの折衝の後、魔理沙は自宅でひとり、キノコ鍋が煮えるのを眺めながら考える。
理不尽であるとばかり思っていたが、キョンシー化したあやめが遺族とも仲良く言葉をかわし、芳香や山彦、化け傘といった妖怪たちとも仲良くしているのを見ていると、これもこれで幸せなのかもしれない。
自分もこれから、世の理不尽を『そういうもの』と割り切る度合いが増えて行くんだろう、それは心の成長なのか? それとも、劣化なのか?
そんな思索にふけっていたが、それでもどこか割り切れない、青くても熱い部分があって、誰かにこの思いをぶちまけたい衝動があった。
魔理沙は煮詰まった鍋の火を消し、アリスの家に行って、その感情を出来るだけセーブしつつ打ち明けたが、だんだん早口で支離滅裂になって行くのを止められなかった。
「だって酷過ぎるだろ、こんな話があるかよ、そうそうクールに受け止められるかよ。お前からすれば未熟者に見えるかも知れんがそれでもな……」
アリスは黙って話を聞いてやり、その後、気持ちが治まるまで、いつまでも魔理沙を抱きしめるのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
不思議な仙界にある青娥の家にて。
霍青娥は芳香と、新たにキョンシーになったあやめに柔軟体操をさせていた。
「よしよし、無理しなくて、最初は出来る範囲で良いのよ」
「わかったーやってみるー」
体をほぐす二人のキョンシーを優しく見守りながら、青娥は誰にともなく呟いている。
「うふふ、魔理沙さんにとっては、私が相当悪者に見えたでしょうねえ。まあ、否定はしません、どうせ私は道の外を歩く者。自分でそう決めたのですからね」
青娥は改めて、怒りをぶちまける魔理沙を思い起こす。
自分にこういう感情を向け、戦いを挑んできた者たちは数知れない。
かつてはそのような復讐者たちの激情を、青娥は見下していた。
「それにしても、老若男女問わず、人の純粋な怒りというのは、なんと生き生きしているのでしょう。この子たちとはまた違った美しさ、可愛らしさがあります」
しかし、とうの昔に捨て去ったそうした感情が、いまではいとおしく思う。
青娥は今までの自らの人生に、後悔を抱いているのかも知れなかった。
「生きる人間だけがもつ、可能性の光、と言ったところでしょうか。もはや私達にはない光、老いる事も無い代わり、伸びて行く事も無い魂、でも……」
いつもの自分らしくないと感じたのか、首を左右に振った。
「その代り、手に入れた物も多いんだしね」
傍らではあやめが芳香に励まされながら、柔軟体操に打ち込んでいた。
「このたいそうむずかしい」
「あやめ、がんばって」
青娥は、あやめには芳香より多くの体操をさせている。
「うふふ、『私の手元に居るうち』はいろいろなポーズで飾ってあげるから」
彼女の横顔をながめ、青娥が歪んだ微笑みを浮かべた。
運動させられるあやめの口から息が漏れて、なにか言葉のように聞こえた気がした。
「ま……理……さ……」
ところでこの幸せはホントの幸せなんでしょうかねぇ……。
楽しみにしてます。
初期の頃から知っている者としては感慨深い物があり、また途中で書く事を降りた自分としては羨ましい気持ちがあります。
今回の話では、まだ皆幸せには魔理沙とゴブちゃんは納得してない様な気がするので、続きの解決編が楽しみですね。
百と一作品目が来るのを楽しみに待ってます。