人通りの少ない真っ暗な道の一角。
そこにわたし自慢の屋台はある。
店も大きくないし、来る人(妖怪?)も少ないけれど、毎日楽しくやっています。
今日も赤提灯に火をいれて準備完了。
まだ明るい初夏の空に、ふわふわした入道雲が浮かんでいます。
☆☆☆
「ミスティア、ちょっと避難させて!」
夕立が屋台の屋根を叩く中、飛び込んできたのはフランさんだった。吸血鬼にとって夕立、というか雨は天敵で、この時期は雨宿りに立ち寄ることが増える。
最近はなぜかビールの味を覚えてしまったらしく、ちょっとした呑兵衛になってしまっている。
あんまりお酒には強くないけれど。
「フラン、また天気怪しいのに遊んでたの?」
先に来て、ラーメンを啜っていたルーミアが呆れたように言う。
「仕方ないじゃない。急に天気が悪くなったんだから。ミスティア、ビールでお願い。グラス2個つけて」
「ちょっと、わたしはまだ飲まないよ? ラーメン食べてるし」
「少しくらい、いいじゃない。1人でビール飲んでも寂しいし」
「えー、もう少ししたら飲むからさぁ」
「この分は、わたしが出しとくからさ。お願い!」
「もう、本当に強引なんだから」
両手を合わせてフランさんにお願いされて、ルーミアはため息をつく。けれども、ルーミアの顔はそれほど嫌そうなものではなかった。
暑くなってきたのでしっかり冷やしておいた大瓶のビールの栓を抜いて、フランさんの前に置く。うちの屋台は、生をジョッキで飲む人が多いけれども、フランさんはいつも瓶のビールだった。
「「かんぱーい」」
2人分のビールを注いだフランさんが、喉をならしながら一気にビールを飲み干す。
ビールは喉ごし。
まさにそれを体現しているような飲み方だ。
「ふぱぁー。夏はやっぱりビールだよね!」
口の上にほんのり泡をつけたまま、気持ちよさそうに言う。
隣では半分ほど飲んだルーミアが冷たい目で見ているが、フランさんは我関せずと、次のビールを自分で注いでいる。
「そういえば、ルーミアはどうして屋台で?」
丁寧にグラスいっぱいまでビールを注いだところで、フランさんがルーミアに尋ねる。
「本当は博麗神社で食べようと思ってたんだけどね。霊夢、神社にいなかった」
人に食事をたかることが当たり前になっているのか、ルーミアはまったく悪びれるそぶりもなく言う。一応人食いの妖怪なんだから、少しぐらい人間を襲ってみたらどうかと思うが。
もっとも、この店に来るような人間を襲ったところでは、あっという間に満身創痍にされてしまうのがオチだろうけど。
「霊夢なら、紅魔館に来てるけど? なぜかずっとパチュリーの部屋のベッドの上だけど」
「べっど?」
フランさんの言葉にルーミアがきょとんとする。
ルーミアはしばらく箸を止めて考えていたが、ややあってポンと手を打った。
「ずっとベッドにいるって。そういうこと?」
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて、フランさんに遠回しに尋ねる。
「そういうことって?」
「え? そういうことは、そういうことだよ。あの2人、付き合ってるんだから、そんな2人がベッドですることなんて……。それとも、言った方がいい?」
じーっとフランさんを黙って見つめるルーミア。数秒ほど沈黙が続いてから、ようやくルーミアが言わんとしてることに気付いたフランさんの顔が酔ったように赤くなっていく。
フランさん。こういう方向に免疫ないからなぁ。
「ばっ、ばかじゃないの!? ルーミアのスケベ!」
「え? わたしは恋人同士だから、看病してたのかな? って思っただけだよ。むしろそういうことを考えちゃうフランの方がスケベでしょ」
大声で抗議するフランさんに、ルーミアは堂々としらを切る。定番と言えば定番の詭弁だけど、免疫の低いフランさんに対しては効果的だ。
「もう! いくらなんでも、わたしに対する粗相だよ! S・O・S・O・そ・そ・う!」
まだ残っているビール瓶をつかんで、ルーミアの口に突きつける。
ねじ込んで、飲ませる気だ。
まぁ、今回はルーミアが悪い気がするけど。
「わたし、何もしてないよ?」
それでもルーミアはしらを切り続ける。けれども、真っ赤な顔で目を座らせたフランさんには無意味だった。
「スケベな発言した!」
「だから、何も言ってないってば。というより、そんなことをすぐに考えちゃうフラ」
「だまって! どうせルーミアは言うんだから。ルーミアがスケベな発言しないっていうことが証明できない以上、わたしの身を守るための先制攻撃は、自衛だわ!」
「それ、悪魔の証明だっ、もがぁっ」
ついにフランさんがルーミアの口に瓶をねじこんだ。そのまま傾けて、強制的に飲ませる。
「わたし、悪魔だもん、何も問題はないわ! Quod.Erat.Demonstrandum.証明完了よ!」
見事なまでの詭弁をやってのけながらフランさんは嬉々としてルーミアにビールを飲ませていく。
「死ぬかと思ったわ!」
「よく頑張りました。えらいえらい」
「もう、本当は犯罪だから、霊夢に取り締まられちゃうよ?」
「それを言うなら、ルーミアだって、セクハラの現行犯じゃない」
「だからまだ何も言ってないって。そんなことを考え」
「黙ろうか? それとも、まだビール飲む? 今、空になったところだから、次は丸ごと一本だけど? あ、ミスティア新しいビールちょうだい」
フランさんが悪魔の笑顔をつきつけると、ルーミアが顔を引きつらせてだまりこむ。
そのことに満足してフランさんがビールに口をつけると、会話が途切れて、屋台の中は急に静かになった。
会話の代わりに、夕立が屋根を叩く音が聞こえてくる。
夕立独特の大きな雨粒が屋根だけでなく地面も叩いて、土の香りを舞い上げていた。
土の香りは夏の香り。
もちろん他の季節でも感じるときがあるけど、やっぱり夏の印象が強い。
夏は特別な季節で、外の世界から来た人なんかは、特別な思い入れをもっている。
もっとも、このお店に来るお客さんは、目の前のフランさんのように、「夏だ! ビールだ!」でおしまいだけど。
本当にみんな、いろんな理由をつけてビールを飲みたがるのだ。
だからわたしも、「夏だから、ビールを多めに用意しないとなぁ」という感じになってしまう。
「フラン、お酒ばっかりじゃなくて、何か食べないの? お酒だけだと、アルコールが回っちゃうよ?」
「そういえば。ルーミアがラーメン食べてると、ラーメンおいしそうだなぁ」
「これ、ただのチキンラーメンだよ?」
「チキンラーメンあるんだ。普段咲夜の料理ばっかりだけど、たまにこういうの食べると妙に美味しいんだよね。まだあるの?」
「あることはありますけど……」
フランさんに尋ねられて、言葉に詰まる。チキンラーメンは、お客さんに出すものというよりは、まかないみたいなものだ。
ルーミアはお客さんじゃなくて、友達なので構わずだしてしまっているけど、ちゃんとしたメニューではない。
「チキンラーメン、袋のままもらえる? あとお皿も」
「え? 料理しないでですか?」
「うん。美鈴に教わった食べ方なんだけどね」
そういうとフランさんはビールを一口飲んでから、袋ごとチキンラーメンを受け取る。
初めての注文を受けてどうするのかと思っていると、フランさんは袋に入ったチキンラーメンに攻撃(物理)を加えた。次々と攻撃を加えられて、チキンラーメンはあっというまに粉々になっていく。
「あとはこれをお皿にだして、お菓子みたいに食べるだけ」
くしゃくしゃになった袋を開くと、お皿に麺をあけ、欠片になった麺をつまむ。口に運んで数回噛んだあと、ビールを加えると、フランさんはとても幸せそうな顔をしていた。
「なるほどねー。麺に味がついているし、濃いめだからちょうどいいのかぁ」
「普通のお菓子じゃ、こんなに濃くないからね。ビールが油とかは流してくれて、口の中には鳥の美味しさだけが残るんだ」
横から勝手につまみ食いをしたルーミアの感想に、フランさんが嬉しそうに答える。
まぁ、確かに美味しそうだとは思うけど……。
美鈴さんもなんてことを教えてるんだとも思う。豪華なドレスを来たフランさんが、屋台でビール片手にチキンラーメンをパリポリやっているのは、なかなかに違和感のある光景だ。
もっとも、紅魔館の食堂で同じことをやっている美鈴さんの姿が浮かんでしまった時点で、わたしの負けなんだけれど。
フランさんに勧められて食べ始めたルーミアは、「チキンラーメンを食べる」→「ビールを飲む」→「チキンラーメンを食べる」の無限ループに突入している。もちろん言い出したフランさんは言わずもがな。
チキンラーメンの食感と味付け、そして不本意だけど鳥の出汁が、ビールと絶妙のハーモニーを奏でているのだろう。
結局この2人はチキンラーメンを2袋もそのままで食べてしまうのだった。
☆☆☆
店の中には相変わらずチキンラーメンのパリポリとした音が響いている。先ほどまで降っていた雨はすっかり止んで、代わりに蝉の声が聞こえてきていた。
「こんばんはー」
雨が止むのを待って来たのだろうか? そんなタイミングでやってきたのは妖夢さんだった。
「妖夢お姉さまもお酒飲みに来たんだ」
「もう、フランドールさん、その言い方はやめてください」
「本当にお姉さまみたいだとは思うけどなぁ」
店にやってきた妖夢さんを、フランさんが丁重に歓迎する。
妖夢さんが姉になってしまった原因はアリスさんだ。フランさんと妖夢さんのやり取りを見ていて、「妖夢はフランドールのお姉さんみたいね」と言ったのだ。
それ以来、そのキャラクターが微妙に定着してしまっている。
ちなみに、「妖夢お姉さま」と呼んでいるのは、フランさんが実の姉であるレミリアさんのことを「お姉さま」と呼んでいるからで、他意はない。
「妖夢お姉さまも、雨が止んだから来たの?」
「美鈴さんまでからかわないで下さいよ。雨が止んだから来たのは、否定しないですけどね」
先に来ていた美鈴さんが、隣に座った妖夢さんをさっそくからかう。
その美鈴さんを軽くあしらい、妖夢さんは「レモンハイお願いします」と、さっそくお酒を注文した。
実は妖夢さんのこんなところが、わたしは好きだったりする。
妖夢さんはいつも濃いめのレモンハイなので、言わなくても「いつもの」で通じてしまうのだ。
それなのに、わざわざ「レモンハイで」と言ってくれるのは、心憎い。
「雨が降った後って、不思議と飲みにいきたくなりますよねぇ」
チキンラーメンをパリポリしている美鈴さんが、たった今思いついたような素振りで言った。
「美鈴さんは、いつだって飲みたいだけじゃないですか。どうせ今日だって、フランドールさんを迎えに行くって大義名分つくって来てるんですよね?」
「な、なんでそれを……」
「咲夜さんが嘆いてましたよ。正月やら、豆まきやら、ひな祭りやら、花見やらで、なんでも理由つけて酒を飲みに行くから困るって」
「そんなこと言ったら、妖夢だって同じじゃない。今日だって、雨上がりだから酒を飲みにきてるんだし」
「わたしは本当に雨上がりに飲むのが好きだからです。土の香りがするところでレモンハイを飲むなんて、風情があっていいじゃないですか」
「なんでレモンハイに限定したか置いといて……。夏の雨上がりに風情があるっていうのは同意ね。妙に雰囲気あるし」
最初は攻撃的だったトークも、あっという間に呑兵衛トークになって、チキンラーメンやビール、レモンハイがどんどん減っていく。チキンラーメンはレモンハイにも合うらしい。
ちなみに美鈴さんはビールだ。ただしジョッキの生の方。
ルーミアもお酒を切り替えていて、ウィスキーをロックで飲んでいる。ルーミアはお酒の中でウィスキーが好きみたいで、亀甲の瓶に入ったウィスキーを見せにキープしている。
もう呑兵衛たちは放っておくしかないので、わたしは今日のご飯の準備を始めることにした。
丸い皮と、みじん切りの野菜、それにわざわざ肉を包丁でたたいてつくったひき肉。今日のメニューは餃子なのだ。
今となっては、なんで餃子にしちゃったんだろうと思う。これじゃあ。明日ビールを買いにいくことが確定だ。
「ミスティア、餃子包むの上手だね」
「そりゃそうでしょ。ミスティア、お店やってるんだから」
「咲夜みたいだもん」
「あー、咲夜もうまいからねぇ」
フランさんとルーミアに見られながら、餃子を包んでいく。
うちは飲み屋さんだから。餃子の大きさは一口サイズで、皮も薄め。下味も濃いめにつけてあるし、肉汁が多めになるように、肉も少し脂の多いところを作ってある。
「なんか、焼かなくても食べられそうに見えてきた」
「だめだよ。ちゃんと焼いた方が美味しいんだから」
目をキラキラと輝かせて覗き込むルーミアを、フランさんがたしなめる。でも、フランさんの顔にも「早く食べたい!」と書いてあった。さすがに。キラキラと輝いている目に餃子の絵が描いてありそうなルーミアほどじゃないけれども。
生で食べられてはたまらないので、急いで餃子を包んで、油を引いた鉄鍋に餃子をならべる。
軽く焼いてから小麦粉を溶かしたお湯を入れて蓋をすると、蒸気が吹き上がって香ばしい匂いが広がった。
ルーを加える前の香りもお腹を空かせるけど、この餃子もお腹がすく香りだと思う。
「ミスティア、ビールお願い!」
「ちょっと美鈴さん。ピッチ早すぎですよ! あ、わたしもレモンハイを」
香りに誘われたのか、常連の美鈴さんも妖夢さんもお酒の追加。妖夢さんも、美鈴さんのピッチを注意しながら自分も追加するんだから大概だ。
「しょーがないんです! 餃子なんてビールのためにある料理なんですから!」
「それ、あんまりですよ! 餃子というか、中国に謝ってください」
「え、わたしがわたしに謝るんですか?」
「いつもは中国って呼んだら『中国じゃない』って言うくせに」
「妖夢さんがビールと餃子が合うってことをわかってくれないからですよ! 本当にビールと餃子は最高なんですから」
美鈴さんはビールを飲んでから、ピンと指をたてて、いかにビールと餃子が合うかを説明していく。
・餃子とビールには、水という同じ原料が含まれている
・餃子を食べる人の90%が、ビールを飲んだことがある
・餃子は美味しい。ビールも美味しい。なら両方同時に食べれば、もっと美味しい!
・ビール美味しい!
「どうだっ!」
左手にジョッキを持ったままビシッと妖夢さんを指さす美鈴さん。
「それ、説明になってないですから!」
しかし、返ってきたのは妖夢さんの猛速のツッコミだった。
まぁ、言う通りだけど。
「そんな! 完璧な証明なのに!」
「それ、証明になってないですよ! 『死人はみんな水を飲んでる』とか言ってるようなもんです」
「こんなの言ったもん勝ちですよ」
「なら、わたしだって、レモンハイと餃子が合うかを簡単に証明してみせますよ」
アルコールと餃子はよく合う
レモンハイはアルコール
ゆえにレモンハイは餃子とよくあう
「Q.E.D.証明完了です! どうですかこの完結な証明!」
「それただの三段論法じゃないですか! そんなこと言うなら、ビールだってアルコールですよ!」
「あ、なら最初を『アルコール(ビールを除く)は餃子とよく合う』で」
「妖夢さんは、どれだけビールに恨みがあるんですか」
「はーい、そろそろ餃子が焼けますよー」
美鈴さんの声が若干涙声になってきたところで、声をかける。
まったく、この筋金入りの呑兵衛どもは。
酒を飲むためなら、どんな詭弁もしてくるんだから。
けれども、こんなくだらない話をしている2人は楽しそうだし、ま、いいのかなとも思う。
健康だけはちょっと心配だけど……。
「レモンハイ!」
「中生!」
「ハイボール!」
「ビール大瓶!」
ほら、こんな風に餃子が焼き上がる前になると次々注文が来るんだから。
妖夢さんと美鈴さんは、ついさっき注文したばっかりですよね?
γーGTP4桁を達成した、魔理沙さんの二の舞になりますよ?
「あとはごま油をかけて、っと」
みんなにお酒を配ってから、綺麗に羽のついた餃子にごま油をすこしだけかけて、仕上げをする。
「本当に熱いので、気を付けてくださいね」
「では、さっそく! はっ、はっふぃ!」
たぶん熱いといいたかったのだろうけど、美鈴さんの話していることは言葉になっていない。
「あわてて食べるから、そうなるんですよ……」
軽く餃子に息を吹きかけて冷ましている妖夢さんが、呆れかえって言う。
その間フランさんとルーミアといえば「美味しい!」だけを感想に、ひたすら熱々の餃子と格闘している。お酒などそっちのけとなってしまっているあたり、美鈴さんの言葉を借りれば、まだまだお酒の飲み方をわかっていない、という感じだ。
「これ野菜の食感がちょうどいいですね」
「わたしとしては、肉汁が最高にビールと合う感じです! 皮も薄いのにモチモチしてますし」
妖夢さんと美鈴さんが、それぞれに感想を言ってくれる。フランさんやルーミアも含めてみんなに好評だったようで、なにより。やっぱり、美味しいと言ってもらえる瞬間が、料理を作っていて一番うれしい瞬間だ。
「でも、餃子って作るの大変じゃないですか? みじん切りとかかなり面倒ですし」
妖夢さんが餃子の羽を割りながら尋ねてくる。普段料理をやってるんだなぁ、と思う言葉だ。
「正直かなり大変です。野菜多い餃子だと、もう少し細かくしなくちゃいけないんで、どうしても肉の餃子になってしまいます」
「餃子のみじん切りも大変ですけど、わたしとしては、たまねぎのみじん切りの方が大変ですね。やるときは、結構量も多いですし」
たしかに、たまねぎのみじん切りは面倒くさい。そのあと飴色になるまで、丁寧に炒めることもあるからたまねぎはかなり面倒な材料というイメージがある。でも、たまねぎで一番辛いのは……。
「みじん切りはまだマシな方ですよ。わたしがいちばん辛いのは、たまねぎのみじん切りですね」
「あーーぁ。あれはもはや拷問ですよ!」
妖夢さんが即答で同意する。
どうやら、あの悪夢を体験したことがあるらしい。
「幽々子様がたまねぎのドレッシングとか好きなので、たまにやるんですが……。あれは本当にやりたくないです」
「目に直接胡椒をかけられているような苦しみですよね……。醤油と香りのある油をまぜるだけで、結構美味しいんですけどね」
「生の野菜につけるだけで美味しいですよ。きゅうりとか」
「わたしはセロリがおすすめですね」
「あ、たしかにセロリは美味しいです。でも、いろいろ美味しい料理があっても、この時期はなかなか面倒くさくて料理をする気がしないんですよ……」
「もう暑くなってきてますからねぇ。冷たい麺とか美味しいですし」
「本当ですよ。おかげでメニューが、うどん、そうめん、そば、冷や麦、そば、そうめん、みたいな感じで、白玉楼夏の冷やし麺祭り状態です」
「人里の家に行けば、いっぱい参加者がいそうなお祭りですね」
言いながら、わたしは思わず小さく笑ってしまう。
妖夢さんの自虐である、白玉楼夏の冷やし麺祭りが妙におもしろかったのだ。
今年の夏は、うちの店でも冷やし麺祭りをやってもいいかもしれない。
「でもなぁ」
妖夢さんが美鈴さんと話し始めたのを見て、一人つぶやく。
うちでお祭りをやったら、そばやうどんよりも、そば焼酎、麦焼酎、日本酒とかになってしまうかもしれないけど。
「もう、本当にお酒好きな人たちばっかりなんだから……」
来てからかなりの時間が経っているのに、お客さんたちは相変わらずお酒を飲み続けている。
けれども、そこに暗い色はなくて、楽しいとか幸せとか、そういう明るい色だけ。
その様子を見てると、「ま、いいか」と思ってしまうのだ。
たとえ、なんだかんだと詭弁を並べてお店に来てるのだとしても。
☆☆☆
チキンラーメンと餃子による盛大な宴が終わった後の店内。
ルーミアは無事帰宅したけど、ペースを考えずに飲んでいたフランさんは沈没してしまった。いまは薄手の毛布を肩にかけて眠っているが、帰るときには美鈴さんが背負って行ってくれるらしい。
「いやぁ、今日はよく飲みました」
「ほんと、美鈴さん飲み過ぎですよ……」
妖夢さんが冷たい目で美鈴さんを見ているが、実は妖夢さんの方がたくさん飲んでいるのは、ここだけの秘密だ。
「ここに来ると、料理も美味しいし、話も楽しいから、ついついお酒が進んじゃうのよね。というわけで、ミスティア、あと一杯だけ」
美鈴さんが、空になったジョッキをカウンターに置く。ちなみに、これで5回目の「あと一杯だけ」。
「絶賛帰納法理論発動中ですね」
新しいジョッキを置きながらわたしは言った。
「帰納法理論って何ですか?」
聞きなれない言葉に、妖夢さんが不思議そうな顔で尋ねる。わたしが勝手に作った言葉だから、知らなくて当然なのだけれども。
「帰納法理論っていうのは……」
1杯ビールを飲む。この時点ではぜんぜん大丈夫。
そのあと、プラス1杯ビールを飲む。べつにプラス1杯だけなら問題ない。
この時点で、「あと1杯なら大丈夫」という考えが生まれる。
結果として、n+1杯のビールなら飲んでも大丈夫と思う。
「このnには10でも20でも好きな数が入れられるので、帰納法理論が発動した人は潰れるまで飲んでしまうというわけなんです。ちょっとした詭弁ですけどね」
「さすがに潰れる前にはやめますけどね」
わたしの話を聞いた美鈴さんは、ちょっと苦笑いして言う。実際美鈴さんは人に無理矢理飲まされなければ、潰れることはない。
「でも、その理論を使えば、この店がいつ来ても楽しいことも証明できますね」
わたしの話を聞いていた妖夢さんが不意に言った。
まず、今日は餃子もチキンラーメンもレモンハイも美味しくてたのしかったです。
そして、今までも楽しかった次のお店も楽しかったです。
つまりn+1回目にお店に来たときは楽しい。
「これで、nにこのお店に来た回数を入れれば、いつ来ても楽しいことの証明になります」
「それ、妖夢がただこのお店に来たいから言ってるだけじゃないの?」
「実際、否定はできないですけどね。この店はいつでも楽しいですし。ね、ミスティアさん?」
突然小悪魔のような笑みで妖夢さんに見つめられて、わたしはお酒も飲んでないのに赤面してしまう。
さっきの妖夢さんの話は詭弁。
数学的帰納法みたいなものだけど、あれは欠陥がある証明なんだから……。
認めてしまえば、幻想郷のみんなはハゲってことにもなってしまう。
でも、やっぱり嬉しいものは嬉しい。
だってわたしがいつもお店を閉めるときに思っているのは。
「明日も楽しい夜になればいいな、って思って店をやってますからね」
そういうと2人の常連さんは、笑顔で「じゃあ、明日も来ますね」と言ってくれたのだった。
フランがお酒を飲むということが新鮮でした。
ああ、美味そうな場面ばかりで酒が飲みたくなってきた…
誤字報告
>亀甲の瓶に入ったウィスキーを見せにキープしている。
店