もしあなたが霧雨魔理沙に用があり、自宅でも、博麗神社でも、紅魔館でも見つからなかったとしたら、人里で探す事をお勧めしたい。
彼女は生活必需品の買い出し以外にも、よく人里をぶらりと歩く事が多い。
運が良ければ、あちこちの店先を物色している魔理沙の姿が見つかるかも知れない。
ここで語られるお話は、魔理沙と、彼女が人里であった少女を中心とした、いくらか不思議で、かつちょっと悲しい出来事である。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
春告精が飛んできてから何週間か経ったある日の午後、
魔理沙はその日もいつも通り、里の大通りを適当にぶらぶらしていた。
荷車の音、売り子の掛け声、走り回る子供達、それを叱る母親。
時折吹く風と、魔法の森と正反対の活気も心地よい。
そんな場所で、珍しげなものを探したり、甘味に舌づつみを打ったりしながら過ごす。
魔理沙が初めてその少女と出会ったのは、とある甘味処でお団子を食べて、
そこの店主の孫娘と軽く雑談している最中だった。
少し歩き疲れたので、魔理沙はよく行く団子屋の暖簾をくぐる。
調理場で団子を作っている老夫婦が軽く会釈をし。二十歳ぐらいの女性が老夫婦に代わって明るい声であいさつする。
「魔理沙ちゃんいらっしゃい」
「おう、弥生のおかげですっかりこの店も明るくなったな」
弥生と呼ばれた女性は老夫婦の孫娘だ。
蕎麦屋の向かいにあるこの甘味処は、もとは団子を専門に作る店で、
味はともかくどことなく暗い雰囲気のため、客足はさほど良くなかった。
しかし、それをみかねた弥生が、この店の手伝いに入ってからは状況が一変した。
彼女の笑顔が福の神を呼んだみたいになった。
「それでさ、うちの親父は元気?」
「元気だけど、たまには顔見せてやりなよ」
魔理沙は出されたお茶をすすって、少し困った表情を見せる。
彼女は昔、魔法使いになると言って父親と喧嘩し、家を飛び出したきりなのだ。
「喧嘩して出てきた手前、今さら戻るのもなんかなあ、私は元気だと伝えておいてくれればいいさ」
「あなたのお父さん、ああ見えて結構心配してたわよ」
驚いた魔理沙の顔に、弥生は微笑した。
「本当か、魔法使いなんか我が家にいらーんって言っていたのに?」
「うん、でもね、天狗の新聞にあなたの活躍が載るたびに、ちょっと嬉しそうな顔になるの。
何だかんだで立派にやっているじゃないかって」
「それマジか?」
「魔法使いだけにマジマジ。でも泥棒はよせって」 お茶を吹いた。
「泥棒なんてしてねぇよ。借りているだけだ」
そのうち、店の中にいた男性の視線を軽く魔理沙は感じた。
ふり向くと、男性は恥ずかしそうに視線を魔理沙から逸らす。
金色の髪を持つ事を差し引いても、魔理沙の可憐な風貌と快活な性格は、
妖怪のみならず、少なからぬ人間からも好意を持たれていた。むろん男性も例外ではない。
魔理沙は雑談を装ってそれとなくつぶやいて、
「悪いけど、私の恋人は魔法だからな」
今のところはな、と誰にも聞こえない小声で付け加えた。
誰かが肩を落としたような雰囲気がただよう。
そろそろ店を出ようとした時、周囲の視線が再び魔理沙に向くのを感じた。
私はモテるんだなと思い、いやそれはさすがに思いあがりだろうと自分に言い聞かせながら、
なんとなく周囲を見渡すと、客達の視線の方向が魔理沙自身からわずかにずれている事に気付いた。
魔理沙は視線の方向に顔を向け、ひゅうと息を鳴らした。
(この子は誰だろう?)
1人の少女が入ってきて、魔理沙から離れた位置の椅子に腰かけた。
さらりとした黒髪を背中の中ほどまで垂らし、清潔感のある水色の和洋折衷の衣服をまとったその少女は、
元からの顔立ちに加えて、気品ある雰囲気が周囲の視線をくぎ付けにする。
魔理沙と雑談していた弥生も、彼女の美しさに一瞬仕事を忘れ、それから慌てて注文を取る。
「あ、あのご注文は?」
「このあんみつを下さい、それからお団子も三つ、二つはお持ち帰りで」
「かしこまりました」
魔理沙は少女に興味を持ち、椅子をそれとなく彼女の近くに寄せる。
店主の孫娘が少し呆れたような顔をした。
魔理沙の性格を、『手が早い』と表現する者もいる。
相手も魔理沙に気づいたようだ。
「やあ、私は霧雨魔理沙、魔法使いだけど、この店は初めてかい?」
少女は少し驚いて、それからにっこり笑って魔理沙に応えてくれた。
「最近この店を見つけたんだけど、すごく美味しくって時々通っているの。
ああ、自己紹介を忘れていました。私はあやめ、よろしくね」
「あやめか、いい響きだな」
「ありがとう。魔理沙」
「もし暇だったら、あとで幻想郷の珍しい場所を案内してやるけど、どう?」
「もしかして、魔理沙さんのその箒でですか」
魔理沙は自分の箒をつつき、ウインクして応えた。
「こいつでどこでもひとっ飛びだZE」
あやめの顔がぱあっと笑顔になる。
「うわあ、私空飛ぶの初めてなんです、楽しみだなあ」
魔理沙と、目を輝かせているあやめを見送り、弥生がぼそりと呟いた。
「魔理沙ちゃん、いまにパチュリーさんやアリスさんにバラバラにされちゃうよ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
団子屋の前で魔理沙は箒にまたがり、膝の高さほどまで浮かんで見せた。
「さあ、またがってみろ、いや、初めての場合は横向きに座った方がいいかな」
あやめは魔理沙の後ろに言われたように座り、魔理沙の腰に手を回す。
「このままでいいですか」
「いいぜ、慣れるとあんまり怖くないけどな、じゃあ行くぞ」
あやめは生まれて初めて、浮かぶ感触を味わった。
見る見るうちに地面が遠ざかる。あやめは思わず目をつぶり、魔理沙の腰に回した手に力を入れた。
「見てみな、あやめ」
おそるおそる目を開けると、眼下にミニチュアのような人里と住人たちが見えた。
「すごいなあ、魔理沙さんはいつもこんな光景見てるんですね」
「ああ、いつ飛んでも爽快だぜ」
視線を水平に向けると、晴れ渡った空に妖怪の山がそびえていて、ふもとに魔法の森が広がり
、またそこから東には竹林と和風のお屋敷が見え、西には湖と霧に浮かぶ真っ赤な洋館が存在している。
あれが例の吸血鬼の館だろう。遠くの空で、妖怪や妖精の弾幕ごっこの光がキラキラ光っている。
魔理沙がゆっくり旋回を始めた、あやめは初めて横向きの重力と言うものを体験するが、
以外に悪い感触ではないと思う。
やがて箒が正反対の方を向くと、低めの山のてっぺんに神社が見えた。
「あそこが博麗神社。霊夢にも会って見るか?」
「博麗の巫女さん? うわあ、一度お話してみたいな」
「じゃあ決まったな、しっかりつかまっていて」
魔理沙は今度は箒を急加速させた。一瞬体が前方に引っ張られる感触があり、
鋭い風が魔理沙とあやめに吹きつける。
「うわあ」
あやめは目をつぶるが、魔理沙は慣れきっているようだった。
もう少し経つと、あやめは自分の体の感覚がなんだかおかしくなる気がした。
「あやめ、目を開けてみな」
「うん……ええっ?!」
天と地が逆さまになっている。背面飛行をしているのだ。
「ちょっと刺激が強すぎたかな、もう着いたぜ~」
あれほど遠くにあった博麗神社がもう真下にあり、箒はゆっくりと螺旋を描いて降下していた。
博麗霊夢はいつも通り境内の掃き掃除をしていて、あやめが彼女に会釈をすると、霊夢も笑顔で返すのだった。
「あやめ、あいつの営業スマイルに騙されるなよ」 箒からあやめが降りるのを手伝いながら、魔理沙が軽口を叩いた。
「人聞きの悪い事言わないでよ。そっちの子はお友達?」
「ああ、里の団子屋で知り合ったんだ。あやめ、この巫女は博麗霊夢、
賽銭を強要してくる事以外は良い奴だぜ」
「強要はしないわよ」 ちょっとむくれるが、あまり怒っていない。
「私、柊(ひいらぎ)あやめと言います、霊夢さんと魔理沙さんって、仲良しなんですね」
霊夢はあやめの顔を少しじっと見つめる。
一瞬何か考えているような顔になって、それからすぐ笑顔になった。
「あの、何か?」
「ううん、あなたみたいな普通の子が珍しかったんでつい……。
ほら、ここに来るのは魔理沙みたいな普通じゃない子ばかりなの」
「へえ、その人達とも会ってみたいな」
「いずれ紹介するわ。久しぶりに出がらしじゃないお茶を出すから、縁側で待ってて」
「ありがとう、頂きます」
霊夢はお湯を沸かしに行くついでに魔理沙に声をかけた。
「あの子、なんだか華奢っぽいから、私や早苗みたいなノリで荒事につき合わせちゃだめだよ」
魔理沙も霊夢の声に、軽薄な調子を抑えて応えた。
「そうか、無理させちゃいけないな、気をつけるとするか。いいとこのお嬢様みたいだからな」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
みんなでお茶を飲んで雑談した後、魔理沙は再びあやめを里につれて行った。
団子屋の前に着地しようと思ったのが、なんだか店先の様子がおかしい。
高度を下げてよく見ると、店の前に小さな妖怪がいて、それを人々がひそひそ話しながら遠巻きに見ているのだ。
その妖怪はホフゴブリンだった。
かつて座敷わらしが里から消えた時、八雲紫が変わりに連れてきたのがこのホフゴブリンだった。
しかし、その容姿故に人々に嫌われて里から追い出され、そのため今はみな紅魔館で働いているらしい。
「まだこいつがいたのか」
そのホフゴブリンは魔理沙の後ろに乗ったあやめを見つけると、慌てて両手を振った。
「あやめお嬢様、どうして魔法使いの箒なんかに?」 ホフゴブリンが喋った。
「ごめんねゴブちゃん、魔理沙さんに乗せてもらっていたの、この人は悪い人じゃないわ」
箒から降りて、魔理沙はあやめに尋ねる。
「あやめ、こいつ、お前を知ってるのか?」
こいつとは失敬な、とゴブちゃんと呼ばれたホフゴブリンは抗議した。
「知っているも何も、我が家の家事をしてくれる優しい妖怪さんよ。みんな不気味がるけど、本当はとてもいい子なの」
魔理沙は腰をかがめて、背の低いホフゴブリンを見る。
「へえ、こいつ、いやこの妖怪がねえ。まさに美女と野獣だな」
「外見で差別するのは良くないわ」
「そう言って下さるのは、あやめお嬢様だけだよ」
「じゃあ帰ろうかゴブちゃん。魔理沙さん、今日は本当にありがとうございました」
「魔理沙さんとやら、お嬢様はお身体が少し弱いんだ、あまり負担をかけさせないでくれ」
「そうなのか、済まなかった」 魔理沙は頭を下げ、素直に詫びた。
従者はまだ不満をぶつぶつ口にしていたが、でもまあ、とつぶやいた。
「お嬢様がこんなに楽しそうなのは本当に久しぶりだし、その事には感謝するよ」
「おう、また今度な」
「またね、魔理沙さん」
あやめは魔理沙にお辞儀し、従者を連れて帰っていった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それから何日か経って、魔理沙が魔法道具を売った帰りにいつもの団子屋に寄ると、
あやめはその日もそこであんみつを食べていた。
反対側にも見覚えのある顔が座っていた。確か仙人の霍青娥だ。
魔理沙が声をかけると、あやめは目を輝かせて手を振った。
「よう、あやめ」
「あっ、魔理沙ちゃんこんにちは。この前の空中散歩楽しかったよ」
「こんにちは魔理沙さん」
魔理沙は邪仙とも言われる霍青娥に少し警戒する。
彼女は悪い事をしようとはしないが、ひたすら欲望本位で動く傾向があると誰かから聞いていた。
「お前、なんであやめと一緒にいるんだ」
「そんな怖い目をしないで下さいな。この子は最近知り合ったお友達ですわ」
「そ、青娥さんは素敵なお姉さんなの」
「あやめ、こいつと一緒にいるとキョンシーにされるぞ」
青娥はやや大げさに嘆いた。
「まあ、魔理沙さんったら酷い人。キョンシーなら芳香ちゃんがいれば十分だし、
材料ならその辺のお墓で足りてるし、私があやめさんとつきあう理由、それは単純よ」
「何なんだよ」
青娥は席を立ち、あやめの隣に座りなおして彼女を抱きしめ、そのままの姿勢で魔理沙に目線を向けて言う。
「この子が純粋に綺麗だからですわ」
男性客の1人が鼻血を吹いて倒れた。『きましたわー』という女性の声も聞こえた。
客達が二人を羨望の眼差しでちらちら眺めている。
青娥も相当な美人で、華奢ながらも明るい雰囲気のあやめとは違い、どこか妖しい影を感じさせるような、
そんな空気を漂わせていた。そこに魅力を感じる者もいる。
「すげえ、美少女と美女が二人、同時にこの店に存在している」
誰かのつぶやきを聞いてしまい、魔理沙は少なからず傷ついた。
(私はカウントしないのかよ)
魔理沙は二人の前につかつかと進み出て、強引にあやめの手を引き、店の外へ連れ出した。
「ちょっと、魔理沙さん?」
「あやめ、外行こうぜ。おーい、代金はこいつのツケでたのむ」
「そこそこの子が奪って行ったぞ」
だれがそこそこだ、と心の中で毒づき、残念がる青娥を放っておいて通りへ出ると、
待っていたホフゴブリンがあわてて追いかけてくる。
「どうしました、お嬢様」
「なんでもないの、ごめんね心配させて」
「一体なんなんだ、あいつは」
「青娥さんは悪い人じゃないよ」
「そうか? あいつは自分本位の奴だから気をつけた方がいい、
それはそうと、今日もどこか連れてってやるけど、どう?」
「今日もだって?」
従者が怪訝な目つきになる。魔理沙はその従者の頭をぽんぽんと叩く。
「心配すんなって。あやめに負担にならないように、気をつけて飛ぶからさ、
ほら、転地療法になるかもしれないじゃないか」
「そうよ、ゴブちゃんは気にし過ぎるんだから」
「う~ん、お嬢様、本当によろしいので?」
「大丈夫よ、なんならゴブちゃんも来る?」
「いや、そうしたいのは山々なんですが、その、高いところは苦手でして……」
「お前もこいよ、魔法で落ちないようにしてあるからさ」
彼は少し考えて、条件付きでしぶしぶ認めた。
「魔理沙さん、ついでにお嬢様を永遠亭に送り迎えしてあげてくれ、今日は通院の日なんだ」
「ああ、そうだったっけ、魔理沙さん、お願いできる?」
「魔理沙で良い」
「じゃあ、魔理沙ちゃん」
「……まあいいか」
魔理沙は箒にまたがり、その後ろにあやめが横向きに座り、従者に宙を浮かぶ魔法をかけた。
「こっ、これは、なんとっ」
飛行中、従者は初めての空を飛ぶ感触に戸惑っていた。
まだあやめのように浮遊感を楽しむ余裕もない。
里から竹林へ入ってしばらく飛ぶと、やがて純和風のお屋敷が見えてきた。
かつての異変が起こる前は何もなかったはずの場所である。
屋敷の門に降り立ち、働いていた兎達に要件を知らせて、屋敷内の診療所の待合室に案内された。
「うどんげちゃん、おはよう」 あやめは鈴仙に声をかけた。すでに知り合いらしい。
「おはようございます。今日はいつもより元気そうですね」
「こちらの魔理沙ちゃんと友達になって。連れてきてもらったんだよ。空を飛ぶのって気持ちいいね」
「ああ、それで魔理沙さんと一緒にいるんですか、魔理沙さん、患者を装って侵入する手口かと思いました」
「おいおい、患者を運んで来たんだぜ、今日は正義度の高い用事だ」
「じゃあ、いつもは正義度が低いという自覚はあるのね。まったく頭が痛いわ」
鈴仙は魔理沙のいつもの調子に呆れて、右手を額に当てている。
そのあと気を取り直して、あやめを診察室へ連れて行った。
診察を受けている間、二人は一緒に座って待つ。
患者やその家族の何人かが、ちらちらとホフゴブリンの従者を見る。
彼はふんっ、と鼻を鳴らし、黙って置かれていた天狗の新聞を読む。
それを見ていた魔理沙は、従者の背中をぽんと軽く叩く。
「気にするな、お前はいいヤツだ。私が保障する」
「ふふっ、もう慣れてるよ」
従者は初めて、魔理沙の前で少し笑顔になった。
「お大事に、次の方どうぞ」
診察が終わり、あやめがもどってきた。
「あやめ、大丈夫か」
「うん、良好だった。私が魔理沙ちゃんと友達になったって言ったら、ちょっと心配していたけどね」
「無理はさせないから安心しろ」
「ありがとう。じゃあ、今度はどこ行こっか?」
「そうだな、紅魔館はどうだ」
「あの紅いお屋敷? 行く行く」
薬を受け取って会計を済ました後、一行は紅魔館へ飛ぶ。
同じく虚弱体質のパチュリーと気が合うかも知れない。
今度は派手な飛行はせず、あやめの体に負担をかけないように気を付けた。
一般人のあやめを連れていたので、珍しく紅美鈴に挨拶して入管の許可をもらう。
ホフゴブリンの従者は、すでに大量に就職していた仲間たちと懐かしそうに話している。
「魔理沙さんにしては珍しいですね」
「一般人を連れているからな、1人でならこんな手続きは取らん」
「そう言う所は人間よりなのね」
「私は人間よりだぜ、いつもな」
あやめは紅魔館とその庭にも、今まで案内した場所と変わりなく、目を輝かせてあちこちを見て回っている。
「すごーい、このお花、みんな……ええっと、紅さんがそだてたんですか」
「美鈴でいいですよ」
「美鈴さん、りっぱな庭師なんですね」
「えへへ、まあ、本職は門番なんですが」
「もう庭師って事でいいんじゃないか? お前」
「ちょ、それはどう言う……」
「あやめ、案内するぜ」
「まったくもう!」
むくれる美鈴を無視してあやめを連れて行った。従者があわててついてくる。
図書館の主のパチュリーは、その日もいつも通り、書庫の手前のテーブルで本を読んでいた。
書庫の奥は薄暗く、際限なく本棚が並んでいるかのようだ。
「邪魔するぜ」 魔理沙が慣れた手つきでドアを開け、あやめを招き入れる。
パチュリーは視線をページからドアの方へ向け、魔理沙と見慣れぬ来客に、あら、と呟いた。
「こんにちは、魔理沙さんに連れてきてもらいました、柊あやめといいます」
「魔理沙の友人、魔法使いの子なの?」
「いや、里で知り合ったんだぜ」
「そう、遊び好きねえ」
「遊びは高等生物の嗜みだぜ。じゃ、こいつに何か面白そうな本を見せてやってくれ」
魔理沙は書庫の奥へ歩いていく。紅魔館へ来た理由の半分は魔理沙自身のものだったらしい。
「あやめ、こちらへどうぞ、紅茶は飲める?」
「ありがとうございます、パチュリーさん」
パチュリーはあやめに向かい側の椅子を勧め、小悪魔に紅茶と菓子を持ってこさせた。
あやめの印象は悪くない。ととのった顔立ちと髪、所作は高名な家の令嬢を思わせた。
ただ、こういう場所へ来るには、やや華奢過ぎる感がある。魔理沙ほど魔力の影響に強くはなさそうだ。
「こんな本はどうかしら、難しいところがあれば言ってちょうだい」
魔道書を素人に見せるのも危険なので、近くの本棚にあった図鑑を見せる。
珍しい鉱物や動植物、世界中の都市、そこに住む人々の生活など。
書かれている文字が読めなくても、ページをめくるたびに現われる美しい挿絵や写真にあやめはすっかり心を奪われ、
これは何、これはどこにあるの、と彼女に説明をせがむのだった。
あまり他人と話をしないパチュリーも、自分の知識を熱心に聞いてくれるあやめを気にいり、
魔法の弟子にしようかとまで考えていた。
「すごい、ここは幻想郷の知の集大成ですね」
「うふふ、そう言って頂けると光栄だわ。はあ、一般人にもその価値が分かると言うのに、あいつったら」
魔理沙が何冊かの本を抱えて戻ってくると、あやめと色々話していたパチュリーはハッと我に帰り、魔理沙に詰め寄った。
「そういう手か。この子は囮ね、私がこの子に構っている内に本盗ろうとしたでしょ?」
「してないぜ、いつものように借りるだけだ」
「嘘おっしゃい…………そうか! そうね! あなたこそ囮で、あやめに盗ませようとしたのね
、一般人を使うなんて、なんて外道なの」
「よくそういう悪意に満ちた解釈が出来るもんだぜ、よっぽど人間不信になる壮絶なトラウマでもあったのか?」
「それを植え付けたのは魔理沙よ」
二人の喧嘩を見て、あやめが困った顔をしている。
それに気づくと、なんだかばつが悪い雰囲気になり、とりあえず喧嘩は一時休戦。
「あの、喧嘩はよして下さい」
「ほら、あやめも言っている事だし、な?」
「今日のところはこの子に免じて許してあげる」
「ふふっ、二人ともなんだかんだで仲良しなんですね」
パチュリーはなんとなく椅子に戻り、あやめと魔理沙も同じテーブルに会った椅子に腰かけた。
「だけど……」
「だけど何だぜ?」
「魔理沙ちゃん、そう言う事はあんまりしない方が……ほら、永遠亭でも似たような事言われたじゃない」
「うう、自重するぜ」 うなだれる魔理沙。
「認めちゃった」
「やっぱり他所でも似たような事、やっていたのね」
三人は気を取り直して読書を堪能し、日が暮れる前にあやめを帰す事にした。
「パチュリー、あやめになにか土産になる物をやってくれ、その、本とか」
「魔理沙の考えはお見通しよ。でも記念に……何にしようかしら」
「お構いなく。空を飛んで魔理沙ちゃんに連れてきてもらって、パチュリーさんにもいろいろ教えて頂いて、
ここで見聞きした事全部、素敵なお土産です」
「ありがとう。困った事があったらいつでも魔理沙を使ってここへ来ればいいわ」
「はい、そうします」
「おいおい。私は乗り物じゃないぜ」
朗らかに笑う三人。
「それでは、今日はありがとうございました」
「また来るぜ」
図書館を出て、玄関に通じる廊下を歩いている途中、魔理沙はふと、
あやめがなんだか疲れた顔をしているのに気づいた。
「おい、大丈夫か? 辛くないか?」
「大丈夫。ちょっと慣れない読書で疲れちゃったみたい」
従者がオロオロしている。
「お嬢様、今夜は早めにお休み下さい。今日は夜更かし禁止ですよ」
「ゴブちゃんったら、余計な事を言わないの」
「あら、私とフラン以外にもそう呼ばれる者がここにいたのね」
廊下の反対側からレミリアが咲夜を連れて歩いてきた。
例によって魔理沙はよう、と気さくに、あやめは頭を深々と下げて挨拶した。
「今日パチュリーさんの所にお邪魔させてもらいました。柊あやめです」
レミリアはあやめを見つめて、ああ、とうなずいた。
「柊、ひいらぎ、確か里の名家ね」
「そんな、スカーレット様にはおよびません」
「ふふっ、まあね、図書館はどうだったかしら」
「はい、とても面白い本を見せていただきました」
「良かったわね。この紅魔館に人間が来るのは珍しい。きっとこれも何かの運命でしょう」
レミリアはゆっくり歩いて、あやめの目の前に立った。背丈はレミリアの方がかなり低い。
「あの、何か……?」
「じっとしてて」
それから思いっ切り背伸びして、両手であやめのほほに触れた。
照れながら少し困惑するあやめ。
「柊あやめ、お前の幸運を祈ってやろう、お前が幸せになって終われるように。感謝するのだぞ」
その時のレミリアの言葉は、ぞっとするほど威厳に満ちていて、
その時のレミリアの目は、遠いどこか、深いなにかを見つめていた。
「は、はい、ありがとうございます」
また普段の口調に戻る。
「じゃあね、もう一人のお嬢様」
それから彼女は姿勢を元に戻し、咲夜を連れて歩き去っていく。
「なんとまあ、お嬢様の多い事か」 魔理沙がからかう。
この日は従者の案内で直接家まで送り届けてやった。
人里の中心部からいくらか離れると、田園地帯が広がる中に、いくつかの家が固まった集落が見えてくる。
そこで一番大きい屋敷があやめの家だという。
「ほう、雰囲気だけかと思ったら、お前本当にお嬢様だったんだな」
「そんな事ないわ、何代か前まで普通の家だったのよ」
「オレが教わったところだと、この辺で昔大飢饉が起きて、その時のお嬢様の御先祖が奇跡の力でみんなを救ったそうだ。
それで柊家はみんなに慕われて、代々一族のお方がこの辺の長を務めているそうだ」
まあオレがドヤ顔で言う事じゃないが、とホフゴブリンが付け加えた。
門前であやめがただいまと声をかけると、使用人の女性が出てきてあやめを迎え入れた。
魔理沙は使用人に挨拶すると、彼女は魔理沙を少し怪しむ表情をみせ、見かねたあやめがすかさずかばう。
「この子は霧雨店の人です、怪しくなんかないわ」
「まあ、霧雨様の……」
「そうだぜ、私はこう見えてもお嬢様なんだ」
今は勘当の身だが、と心の中で付け加える。
魔理沙に別れを告げ、あやめはホフゴブリンを連れて屋敷に入る。
まだその妖怪を連れていたのですか、と使用人の声がすると、この子も大切な使用人よ、とあやめが反論するのが聞こえた。
「お前も強く生きろよ」
魔理沙は、今度はアリスにも会わせてみようか、と考える。
どんな反応を見せるか想像して笑みがこぼれた。
だが、その日以来、あやめは魔理沙の前に姿を見せなくなった。
彼女は生活必需品の買い出し以外にも、よく人里をぶらりと歩く事が多い。
運が良ければ、あちこちの店先を物色している魔理沙の姿が見つかるかも知れない。
ここで語られるお話は、魔理沙と、彼女が人里であった少女を中心とした、いくらか不思議で、かつちょっと悲しい出来事である。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
春告精が飛んできてから何週間か経ったある日の午後、
魔理沙はその日もいつも通り、里の大通りを適当にぶらぶらしていた。
荷車の音、売り子の掛け声、走り回る子供達、それを叱る母親。
時折吹く風と、魔法の森と正反対の活気も心地よい。
そんな場所で、珍しげなものを探したり、甘味に舌づつみを打ったりしながら過ごす。
魔理沙が初めてその少女と出会ったのは、とある甘味処でお団子を食べて、
そこの店主の孫娘と軽く雑談している最中だった。
少し歩き疲れたので、魔理沙はよく行く団子屋の暖簾をくぐる。
調理場で団子を作っている老夫婦が軽く会釈をし。二十歳ぐらいの女性が老夫婦に代わって明るい声であいさつする。
「魔理沙ちゃんいらっしゃい」
「おう、弥生のおかげですっかりこの店も明るくなったな」
弥生と呼ばれた女性は老夫婦の孫娘だ。
蕎麦屋の向かいにあるこの甘味処は、もとは団子を専門に作る店で、
味はともかくどことなく暗い雰囲気のため、客足はさほど良くなかった。
しかし、それをみかねた弥生が、この店の手伝いに入ってからは状況が一変した。
彼女の笑顔が福の神を呼んだみたいになった。
「それでさ、うちの親父は元気?」
「元気だけど、たまには顔見せてやりなよ」
魔理沙は出されたお茶をすすって、少し困った表情を見せる。
彼女は昔、魔法使いになると言って父親と喧嘩し、家を飛び出したきりなのだ。
「喧嘩して出てきた手前、今さら戻るのもなんかなあ、私は元気だと伝えておいてくれればいいさ」
「あなたのお父さん、ああ見えて結構心配してたわよ」
驚いた魔理沙の顔に、弥生は微笑した。
「本当か、魔法使いなんか我が家にいらーんって言っていたのに?」
「うん、でもね、天狗の新聞にあなたの活躍が載るたびに、ちょっと嬉しそうな顔になるの。
何だかんだで立派にやっているじゃないかって」
「それマジか?」
「魔法使いだけにマジマジ。でも泥棒はよせって」 お茶を吹いた。
「泥棒なんてしてねぇよ。借りているだけだ」
そのうち、店の中にいた男性の視線を軽く魔理沙は感じた。
ふり向くと、男性は恥ずかしそうに視線を魔理沙から逸らす。
金色の髪を持つ事を差し引いても、魔理沙の可憐な風貌と快活な性格は、
妖怪のみならず、少なからぬ人間からも好意を持たれていた。むろん男性も例外ではない。
魔理沙は雑談を装ってそれとなくつぶやいて、
「悪いけど、私の恋人は魔法だからな」
今のところはな、と誰にも聞こえない小声で付け加えた。
誰かが肩を落としたような雰囲気がただよう。
そろそろ店を出ようとした時、周囲の視線が再び魔理沙に向くのを感じた。
私はモテるんだなと思い、いやそれはさすがに思いあがりだろうと自分に言い聞かせながら、
なんとなく周囲を見渡すと、客達の視線の方向が魔理沙自身からわずかにずれている事に気付いた。
魔理沙は視線の方向に顔を向け、ひゅうと息を鳴らした。
(この子は誰だろう?)
1人の少女が入ってきて、魔理沙から離れた位置の椅子に腰かけた。
さらりとした黒髪を背中の中ほどまで垂らし、清潔感のある水色の和洋折衷の衣服をまとったその少女は、
元からの顔立ちに加えて、気品ある雰囲気が周囲の視線をくぎ付けにする。
魔理沙と雑談していた弥生も、彼女の美しさに一瞬仕事を忘れ、それから慌てて注文を取る。
「あ、あのご注文は?」
「このあんみつを下さい、それからお団子も三つ、二つはお持ち帰りで」
「かしこまりました」
魔理沙は少女に興味を持ち、椅子をそれとなく彼女の近くに寄せる。
店主の孫娘が少し呆れたような顔をした。
魔理沙の性格を、『手が早い』と表現する者もいる。
相手も魔理沙に気づいたようだ。
「やあ、私は霧雨魔理沙、魔法使いだけど、この店は初めてかい?」
少女は少し驚いて、それからにっこり笑って魔理沙に応えてくれた。
「最近この店を見つけたんだけど、すごく美味しくって時々通っているの。
ああ、自己紹介を忘れていました。私はあやめ、よろしくね」
「あやめか、いい響きだな」
「ありがとう。魔理沙」
「もし暇だったら、あとで幻想郷の珍しい場所を案内してやるけど、どう?」
「もしかして、魔理沙さんのその箒でですか」
魔理沙は自分の箒をつつき、ウインクして応えた。
「こいつでどこでもひとっ飛びだZE」
あやめの顔がぱあっと笑顔になる。
「うわあ、私空飛ぶの初めてなんです、楽しみだなあ」
魔理沙と、目を輝かせているあやめを見送り、弥生がぼそりと呟いた。
「魔理沙ちゃん、いまにパチュリーさんやアリスさんにバラバラにされちゃうよ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
団子屋の前で魔理沙は箒にまたがり、膝の高さほどまで浮かんで見せた。
「さあ、またがってみろ、いや、初めての場合は横向きに座った方がいいかな」
あやめは魔理沙の後ろに言われたように座り、魔理沙の腰に手を回す。
「このままでいいですか」
「いいぜ、慣れるとあんまり怖くないけどな、じゃあ行くぞ」
あやめは生まれて初めて、浮かぶ感触を味わった。
見る見るうちに地面が遠ざかる。あやめは思わず目をつぶり、魔理沙の腰に回した手に力を入れた。
「見てみな、あやめ」
おそるおそる目を開けると、眼下にミニチュアのような人里と住人たちが見えた。
「すごいなあ、魔理沙さんはいつもこんな光景見てるんですね」
「ああ、いつ飛んでも爽快だぜ」
視線を水平に向けると、晴れ渡った空に妖怪の山がそびえていて、ふもとに魔法の森が広がり
、またそこから東には竹林と和風のお屋敷が見え、西には湖と霧に浮かぶ真っ赤な洋館が存在している。
あれが例の吸血鬼の館だろう。遠くの空で、妖怪や妖精の弾幕ごっこの光がキラキラ光っている。
魔理沙がゆっくり旋回を始めた、あやめは初めて横向きの重力と言うものを体験するが、
以外に悪い感触ではないと思う。
やがて箒が正反対の方を向くと、低めの山のてっぺんに神社が見えた。
「あそこが博麗神社。霊夢にも会って見るか?」
「博麗の巫女さん? うわあ、一度お話してみたいな」
「じゃあ決まったな、しっかりつかまっていて」
魔理沙は今度は箒を急加速させた。一瞬体が前方に引っ張られる感触があり、
鋭い風が魔理沙とあやめに吹きつける。
「うわあ」
あやめは目をつぶるが、魔理沙は慣れきっているようだった。
もう少し経つと、あやめは自分の体の感覚がなんだかおかしくなる気がした。
「あやめ、目を開けてみな」
「うん……ええっ?!」
天と地が逆さまになっている。背面飛行をしているのだ。
「ちょっと刺激が強すぎたかな、もう着いたぜ~」
あれほど遠くにあった博麗神社がもう真下にあり、箒はゆっくりと螺旋を描いて降下していた。
博麗霊夢はいつも通り境内の掃き掃除をしていて、あやめが彼女に会釈をすると、霊夢も笑顔で返すのだった。
「あやめ、あいつの営業スマイルに騙されるなよ」 箒からあやめが降りるのを手伝いながら、魔理沙が軽口を叩いた。
「人聞きの悪い事言わないでよ。そっちの子はお友達?」
「ああ、里の団子屋で知り合ったんだ。あやめ、この巫女は博麗霊夢、
賽銭を強要してくる事以外は良い奴だぜ」
「強要はしないわよ」 ちょっとむくれるが、あまり怒っていない。
「私、柊(ひいらぎ)あやめと言います、霊夢さんと魔理沙さんって、仲良しなんですね」
霊夢はあやめの顔を少しじっと見つめる。
一瞬何か考えているような顔になって、それからすぐ笑顔になった。
「あの、何か?」
「ううん、あなたみたいな普通の子が珍しかったんでつい……。
ほら、ここに来るのは魔理沙みたいな普通じゃない子ばかりなの」
「へえ、その人達とも会ってみたいな」
「いずれ紹介するわ。久しぶりに出がらしじゃないお茶を出すから、縁側で待ってて」
「ありがとう、頂きます」
霊夢はお湯を沸かしに行くついでに魔理沙に声をかけた。
「あの子、なんだか華奢っぽいから、私や早苗みたいなノリで荒事につき合わせちゃだめだよ」
魔理沙も霊夢の声に、軽薄な調子を抑えて応えた。
「そうか、無理させちゃいけないな、気をつけるとするか。いいとこのお嬢様みたいだからな」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
みんなでお茶を飲んで雑談した後、魔理沙は再びあやめを里につれて行った。
団子屋の前に着地しようと思ったのが、なんだか店先の様子がおかしい。
高度を下げてよく見ると、店の前に小さな妖怪がいて、それを人々がひそひそ話しながら遠巻きに見ているのだ。
その妖怪はホフゴブリンだった。
かつて座敷わらしが里から消えた時、八雲紫が変わりに連れてきたのがこのホフゴブリンだった。
しかし、その容姿故に人々に嫌われて里から追い出され、そのため今はみな紅魔館で働いているらしい。
「まだこいつがいたのか」
そのホフゴブリンは魔理沙の後ろに乗ったあやめを見つけると、慌てて両手を振った。
「あやめお嬢様、どうして魔法使いの箒なんかに?」 ホフゴブリンが喋った。
「ごめんねゴブちゃん、魔理沙さんに乗せてもらっていたの、この人は悪い人じゃないわ」
箒から降りて、魔理沙はあやめに尋ねる。
「あやめ、こいつ、お前を知ってるのか?」
こいつとは失敬な、とゴブちゃんと呼ばれたホフゴブリンは抗議した。
「知っているも何も、我が家の家事をしてくれる優しい妖怪さんよ。みんな不気味がるけど、本当はとてもいい子なの」
魔理沙は腰をかがめて、背の低いホフゴブリンを見る。
「へえ、こいつ、いやこの妖怪がねえ。まさに美女と野獣だな」
「外見で差別するのは良くないわ」
「そう言って下さるのは、あやめお嬢様だけだよ」
「じゃあ帰ろうかゴブちゃん。魔理沙さん、今日は本当にありがとうございました」
「魔理沙さんとやら、お嬢様はお身体が少し弱いんだ、あまり負担をかけさせないでくれ」
「そうなのか、済まなかった」 魔理沙は頭を下げ、素直に詫びた。
従者はまだ不満をぶつぶつ口にしていたが、でもまあ、とつぶやいた。
「お嬢様がこんなに楽しそうなのは本当に久しぶりだし、その事には感謝するよ」
「おう、また今度な」
「またね、魔理沙さん」
あやめは魔理沙にお辞儀し、従者を連れて帰っていった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それから何日か経って、魔理沙が魔法道具を売った帰りにいつもの団子屋に寄ると、
あやめはその日もそこであんみつを食べていた。
反対側にも見覚えのある顔が座っていた。確か仙人の霍青娥だ。
魔理沙が声をかけると、あやめは目を輝かせて手を振った。
「よう、あやめ」
「あっ、魔理沙ちゃんこんにちは。この前の空中散歩楽しかったよ」
「こんにちは魔理沙さん」
魔理沙は邪仙とも言われる霍青娥に少し警戒する。
彼女は悪い事をしようとはしないが、ひたすら欲望本位で動く傾向があると誰かから聞いていた。
「お前、なんであやめと一緒にいるんだ」
「そんな怖い目をしないで下さいな。この子は最近知り合ったお友達ですわ」
「そ、青娥さんは素敵なお姉さんなの」
「あやめ、こいつと一緒にいるとキョンシーにされるぞ」
青娥はやや大げさに嘆いた。
「まあ、魔理沙さんったら酷い人。キョンシーなら芳香ちゃんがいれば十分だし、
材料ならその辺のお墓で足りてるし、私があやめさんとつきあう理由、それは単純よ」
「何なんだよ」
青娥は席を立ち、あやめの隣に座りなおして彼女を抱きしめ、そのままの姿勢で魔理沙に目線を向けて言う。
「この子が純粋に綺麗だからですわ」
男性客の1人が鼻血を吹いて倒れた。『きましたわー』という女性の声も聞こえた。
客達が二人を羨望の眼差しでちらちら眺めている。
青娥も相当な美人で、華奢ながらも明るい雰囲気のあやめとは違い、どこか妖しい影を感じさせるような、
そんな空気を漂わせていた。そこに魅力を感じる者もいる。
「すげえ、美少女と美女が二人、同時にこの店に存在している」
誰かのつぶやきを聞いてしまい、魔理沙は少なからず傷ついた。
(私はカウントしないのかよ)
魔理沙は二人の前につかつかと進み出て、強引にあやめの手を引き、店の外へ連れ出した。
「ちょっと、魔理沙さん?」
「あやめ、外行こうぜ。おーい、代金はこいつのツケでたのむ」
「そこそこの子が奪って行ったぞ」
だれがそこそこだ、と心の中で毒づき、残念がる青娥を放っておいて通りへ出ると、
待っていたホフゴブリンがあわてて追いかけてくる。
「どうしました、お嬢様」
「なんでもないの、ごめんね心配させて」
「一体なんなんだ、あいつは」
「青娥さんは悪い人じゃないよ」
「そうか? あいつは自分本位の奴だから気をつけた方がいい、
それはそうと、今日もどこか連れてってやるけど、どう?」
「今日もだって?」
従者が怪訝な目つきになる。魔理沙はその従者の頭をぽんぽんと叩く。
「心配すんなって。あやめに負担にならないように、気をつけて飛ぶからさ、
ほら、転地療法になるかもしれないじゃないか」
「そうよ、ゴブちゃんは気にし過ぎるんだから」
「う~ん、お嬢様、本当によろしいので?」
「大丈夫よ、なんならゴブちゃんも来る?」
「いや、そうしたいのは山々なんですが、その、高いところは苦手でして……」
「お前もこいよ、魔法で落ちないようにしてあるからさ」
彼は少し考えて、条件付きでしぶしぶ認めた。
「魔理沙さん、ついでにお嬢様を永遠亭に送り迎えしてあげてくれ、今日は通院の日なんだ」
「ああ、そうだったっけ、魔理沙さん、お願いできる?」
「魔理沙で良い」
「じゃあ、魔理沙ちゃん」
「……まあいいか」
魔理沙は箒にまたがり、その後ろにあやめが横向きに座り、従者に宙を浮かぶ魔法をかけた。
「こっ、これは、なんとっ」
飛行中、従者は初めての空を飛ぶ感触に戸惑っていた。
まだあやめのように浮遊感を楽しむ余裕もない。
里から竹林へ入ってしばらく飛ぶと、やがて純和風のお屋敷が見えてきた。
かつての異変が起こる前は何もなかったはずの場所である。
屋敷の門に降り立ち、働いていた兎達に要件を知らせて、屋敷内の診療所の待合室に案内された。
「うどんげちゃん、おはよう」 あやめは鈴仙に声をかけた。すでに知り合いらしい。
「おはようございます。今日はいつもより元気そうですね」
「こちらの魔理沙ちゃんと友達になって。連れてきてもらったんだよ。空を飛ぶのって気持ちいいね」
「ああ、それで魔理沙さんと一緒にいるんですか、魔理沙さん、患者を装って侵入する手口かと思いました」
「おいおい、患者を運んで来たんだぜ、今日は正義度の高い用事だ」
「じゃあ、いつもは正義度が低いという自覚はあるのね。まったく頭が痛いわ」
鈴仙は魔理沙のいつもの調子に呆れて、右手を額に当てている。
そのあと気を取り直して、あやめを診察室へ連れて行った。
診察を受けている間、二人は一緒に座って待つ。
患者やその家族の何人かが、ちらちらとホフゴブリンの従者を見る。
彼はふんっ、と鼻を鳴らし、黙って置かれていた天狗の新聞を読む。
それを見ていた魔理沙は、従者の背中をぽんと軽く叩く。
「気にするな、お前はいいヤツだ。私が保障する」
「ふふっ、もう慣れてるよ」
従者は初めて、魔理沙の前で少し笑顔になった。
「お大事に、次の方どうぞ」
診察が終わり、あやめがもどってきた。
「あやめ、大丈夫か」
「うん、良好だった。私が魔理沙ちゃんと友達になったって言ったら、ちょっと心配していたけどね」
「無理はさせないから安心しろ」
「ありがとう。じゃあ、今度はどこ行こっか?」
「そうだな、紅魔館はどうだ」
「あの紅いお屋敷? 行く行く」
薬を受け取って会計を済ました後、一行は紅魔館へ飛ぶ。
同じく虚弱体質のパチュリーと気が合うかも知れない。
今度は派手な飛行はせず、あやめの体に負担をかけないように気を付けた。
一般人のあやめを連れていたので、珍しく紅美鈴に挨拶して入管の許可をもらう。
ホフゴブリンの従者は、すでに大量に就職していた仲間たちと懐かしそうに話している。
「魔理沙さんにしては珍しいですね」
「一般人を連れているからな、1人でならこんな手続きは取らん」
「そう言う所は人間よりなのね」
「私は人間よりだぜ、いつもな」
あやめは紅魔館とその庭にも、今まで案内した場所と変わりなく、目を輝かせてあちこちを見て回っている。
「すごーい、このお花、みんな……ええっと、紅さんがそだてたんですか」
「美鈴でいいですよ」
「美鈴さん、りっぱな庭師なんですね」
「えへへ、まあ、本職は門番なんですが」
「もう庭師って事でいいんじゃないか? お前」
「ちょ、それはどう言う……」
「あやめ、案内するぜ」
「まったくもう!」
むくれる美鈴を無視してあやめを連れて行った。従者があわててついてくる。
図書館の主のパチュリーは、その日もいつも通り、書庫の手前のテーブルで本を読んでいた。
書庫の奥は薄暗く、際限なく本棚が並んでいるかのようだ。
「邪魔するぜ」 魔理沙が慣れた手つきでドアを開け、あやめを招き入れる。
パチュリーは視線をページからドアの方へ向け、魔理沙と見慣れぬ来客に、あら、と呟いた。
「こんにちは、魔理沙さんに連れてきてもらいました、柊あやめといいます」
「魔理沙の友人、魔法使いの子なの?」
「いや、里で知り合ったんだぜ」
「そう、遊び好きねえ」
「遊びは高等生物の嗜みだぜ。じゃ、こいつに何か面白そうな本を見せてやってくれ」
魔理沙は書庫の奥へ歩いていく。紅魔館へ来た理由の半分は魔理沙自身のものだったらしい。
「あやめ、こちらへどうぞ、紅茶は飲める?」
「ありがとうございます、パチュリーさん」
パチュリーはあやめに向かい側の椅子を勧め、小悪魔に紅茶と菓子を持ってこさせた。
あやめの印象は悪くない。ととのった顔立ちと髪、所作は高名な家の令嬢を思わせた。
ただ、こういう場所へ来るには、やや華奢過ぎる感がある。魔理沙ほど魔力の影響に強くはなさそうだ。
「こんな本はどうかしら、難しいところがあれば言ってちょうだい」
魔道書を素人に見せるのも危険なので、近くの本棚にあった図鑑を見せる。
珍しい鉱物や動植物、世界中の都市、そこに住む人々の生活など。
書かれている文字が読めなくても、ページをめくるたびに現われる美しい挿絵や写真にあやめはすっかり心を奪われ、
これは何、これはどこにあるの、と彼女に説明をせがむのだった。
あまり他人と話をしないパチュリーも、自分の知識を熱心に聞いてくれるあやめを気にいり、
魔法の弟子にしようかとまで考えていた。
「すごい、ここは幻想郷の知の集大成ですね」
「うふふ、そう言って頂けると光栄だわ。はあ、一般人にもその価値が分かると言うのに、あいつったら」
魔理沙が何冊かの本を抱えて戻ってくると、あやめと色々話していたパチュリーはハッと我に帰り、魔理沙に詰め寄った。
「そういう手か。この子は囮ね、私がこの子に構っている内に本盗ろうとしたでしょ?」
「してないぜ、いつものように借りるだけだ」
「嘘おっしゃい…………そうか! そうね! あなたこそ囮で、あやめに盗ませようとしたのね
、一般人を使うなんて、なんて外道なの」
「よくそういう悪意に満ちた解釈が出来るもんだぜ、よっぽど人間不信になる壮絶なトラウマでもあったのか?」
「それを植え付けたのは魔理沙よ」
二人の喧嘩を見て、あやめが困った顔をしている。
それに気づくと、なんだかばつが悪い雰囲気になり、とりあえず喧嘩は一時休戦。
「あの、喧嘩はよして下さい」
「ほら、あやめも言っている事だし、な?」
「今日のところはこの子に免じて許してあげる」
「ふふっ、二人ともなんだかんだで仲良しなんですね」
パチュリーはなんとなく椅子に戻り、あやめと魔理沙も同じテーブルに会った椅子に腰かけた。
「だけど……」
「だけど何だぜ?」
「魔理沙ちゃん、そう言う事はあんまりしない方が……ほら、永遠亭でも似たような事言われたじゃない」
「うう、自重するぜ」 うなだれる魔理沙。
「認めちゃった」
「やっぱり他所でも似たような事、やっていたのね」
三人は気を取り直して読書を堪能し、日が暮れる前にあやめを帰す事にした。
「パチュリー、あやめになにか土産になる物をやってくれ、その、本とか」
「魔理沙の考えはお見通しよ。でも記念に……何にしようかしら」
「お構いなく。空を飛んで魔理沙ちゃんに連れてきてもらって、パチュリーさんにもいろいろ教えて頂いて、
ここで見聞きした事全部、素敵なお土産です」
「ありがとう。困った事があったらいつでも魔理沙を使ってここへ来ればいいわ」
「はい、そうします」
「おいおい。私は乗り物じゃないぜ」
朗らかに笑う三人。
「それでは、今日はありがとうございました」
「また来るぜ」
図書館を出て、玄関に通じる廊下を歩いている途中、魔理沙はふと、
あやめがなんだか疲れた顔をしているのに気づいた。
「おい、大丈夫か? 辛くないか?」
「大丈夫。ちょっと慣れない読書で疲れちゃったみたい」
従者がオロオロしている。
「お嬢様、今夜は早めにお休み下さい。今日は夜更かし禁止ですよ」
「ゴブちゃんったら、余計な事を言わないの」
「あら、私とフラン以外にもそう呼ばれる者がここにいたのね」
廊下の反対側からレミリアが咲夜を連れて歩いてきた。
例によって魔理沙はよう、と気さくに、あやめは頭を深々と下げて挨拶した。
「今日パチュリーさんの所にお邪魔させてもらいました。柊あやめです」
レミリアはあやめを見つめて、ああ、とうなずいた。
「柊、ひいらぎ、確か里の名家ね」
「そんな、スカーレット様にはおよびません」
「ふふっ、まあね、図書館はどうだったかしら」
「はい、とても面白い本を見せていただきました」
「良かったわね。この紅魔館に人間が来るのは珍しい。きっとこれも何かの運命でしょう」
レミリアはゆっくり歩いて、あやめの目の前に立った。背丈はレミリアの方がかなり低い。
「あの、何か……?」
「じっとしてて」
それから思いっ切り背伸びして、両手であやめのほほに触れた。
照れながら少し困惑するあやめ。
「柊あやめ、お前の幸運を祈ってやろう、お前が幸せになって終われるように。感謝するのだぞ」
その時のレミリアの言葉は、ぞっとするほど威厳に満ちていて、
その時のレミリアの目は、遠いどこか、深いなにかを見つめていた。
「は、はい、ありがとうございます」
また普段の口調に戻る。
「じゃあね、もう一人のお嬢様」
それから彼女は姿勢を元に戻し、咲夜を連れて歩き去っていく。
「なんとまあ、お嬢様の多い事か」 魔理沙がからかう。
この日は従者の案内で直接家まで送り届けてやった。
人里の中心部からいくらか離れると、田園地帯が広がる中に、いくつかの家が固まった集落が見えてくる。
そこで一番大きい屋敷があやめの家だという。
「ほう、雰囲気だけかと思ったら、お前本当にお嬢様だったんだな」
「そんな事ないわ、何代か前まで普通の家だったのよ」
「オレが教わったところだと、この辺で昔大飢饉が起きて、その時のお嬢様の御先祖が奇跡の力でみんなを救ったそうだ。
それで柊家はみんなに慕われて、代々一族のお方がこの辺の長を務めているそうだ」
まあオレがドヤ顔で言う事じゃないが、とホフゴブリンが付け加えた。
門前であやめがただいまと声をかけると、使用人の女性が出てきてあやめを迎え入れた。
魔理沙は使用人に挨拶すると、彼女は魔理沙を少し怪しむ表情をみせ、見かねたあやめがすかさずかばう。
「この子は霧雨店の人です、怪しくなんかないわ」
「まあ、霧雨様の……」
「そうだぜ、私はこう見えてもお嬢様なんだ」
今は勘当の身だが、と心の中で付け加える。
魔理沙に別れを告げ、あやめはホフゴブリンを連れて屋敷に入る。
まだその妖怪を連れていたのですか、と使用人の声がすると、この子も大切な使用人よ、とあやめが反論するのが聞こえた。
「お前も強く生きろよ」
魔理沙は、今度はアリスにも会わせてみようか、と考える。
どんな反応を見せるか想像して笑みがこぼれた。
だが、その日以来、あやめは魔理沙の前に姿を見せなくなった。
続きが楽しみなお話ですね。
次はどんな展開が待つのか?期待して次作を読んでみます。