霧雨魔理沙にとって、博麗霊夢は特別な存在であった。
昔馴染みで、弾幕や妖怪退治を含めた、強さのライバル。
霊夢との関係は、単純な友達以上の関係だと思っている。
ただし、恋愛感情ではない。
不思議に思われることもあるが、魔理沙は霊夢に対して恋愛感情は持っていなかった。
恋愛ではないが、友達以上の関係。
その関係を表現する言葉は存在しないが、そのような関係が全く存在しないわけではない。
例えば、姉妹愛などは魔理沙の霊夢に対する感情に近い気持ちだ。
そんな魔理沙にとって、現在目の前で本を読んでいる少女、パチュリー・ノーレッジは少々癪に障る存在だった。
パチュリーと霊夢の関係は恋人。
そのこと自体に不満はない。むしろ、二人には幸せになって欲しいと思っている。
けれども、どうしても受け入れられないところも存在している。
それは、パチュリーだけが知っている霊夢が増えていくこと。
霊夢を誰よりも知っているのは自分だという自負がある魔理沙にとって、そのことを受け入れきることは困難であった。
「お前、また霊夢に苛められたのか?」
だから、魔理沙はときどき、パチュリーに対して攻撃的になってしまう。
博麗神社で、パチュリーと出会ってしまったこの日も、例外ではなかった。
見た目に似合わないちゃぶ台で魔導書を読んでいるパチュリー。その手首に残る傷跡を目ざとく見つけ、先制攻撃を仕掛ける。ちなみに霊夢は、おやつ代わりのキャラメルミルクを作りに台所に行っている。
「別に苛められたわけじゃないもん」
パチュリーは慌ててカーディガンの袖を引っ張って隠そうとするが、すでに見てしまった魔理沙の前では無駄な抵抗だ。
「嘘言うなって。どうせ霊夢の癪に障ることでもやって、縛り上げられて散々泣かされたんじゃないのか?」
「違うもん。可愛がってもらったんだもん」
「足とか胸とかにも縄の跡がついてるんじゃないか?」と追撃をしようとして、思わぬ開き直りを受けて、魔理沙は硬直してしまう。
「魔理沙は霊夢に縛られたことなんかないでしょ? 本当は羨ましいんじゃない?」
固まっている魔理沙に対して、パチュリーがさらに攻撃を重ねてくる。
畳に座っているのにどこか誇らしげに胸を張っているが、その頬はほんのり赤く染まっていた。
逆にまったく恥ずかしがらなかったら、それはそれで問題でもあるのだが。
堂々と言いはるパチュリーに対して一瞬たじろいでしまったが、魔理沙の方も負けるつもりは毛頭ない。たとえそれが、「霊夢に縛られる」という恥ずかしいエピソードであったとしても。
「わたしだって霊夢に縛られたことくらいあるぜ?」
「どうせ嘘でしょ? 魔理沙、嘘つきだし」
「残念ながら、今回は本当だぜ。もっとも、霊夢の逆鱗に触れて、柱に縛りつけられたんだがな」
「柱に縛り付けられたって、なにしたのよ?」
「霊夢が揚げてた天ぷらつまみ食いしたらやられたぜ。今ならさっさと逃げるが」
「逃げ切れるの?」
「天ぷらくらいなら逃げ切れるだろうな。煎餅だったら、ブレイジングスター使っても逃げ切れないと思うが……」
魔理沙は目の前に残された煎餅に目をやりめながら、しみじみとつぶやいた。
パチュリーも同様に霊夢が自分用に出してきた煎餅を見つめて「うんうん」とうなずいている。
霊夢のことを知っている者同士。奇妙な合意をした瞬間だ。
食べ物の恨みは怖いというが、もし、霊夢の煎餅をつまみ食いしたら、天狗が全力を出しても逃げ切れないだろう。
それくらい、霊夢の煎餅に対する愛情は、常軌を逸している。
「ほんと、霊夢の煎餅に対する情熱は異常よねぇ」
「怖いのは煎餅だが、それ以外の料理でも、結構執着があったりするけどな。とくにお酒に合うものとかは」
「食い意地が張ってるだけじゃないかしら?」
「そうとも言えるな。結局、喰う、寝るしか興味がなかったんだろうな」
昔から霊夢は料理が上手かった。作ったことがない料理でも美味しく作ることができたし、得意料理なら言わずもがな。子供のくせになんでこんなに料理が上手いのかと思ったが、よくよく考えてみれば無理もないことだった。
霊夢はずっと博麗神社で1人で住んでいた。
だから、料理は自分でするしかない。それに、手の込んだ料理を作れば、いい暇つぶしにもなる。
本当のところは、上手くなってしまったのだ。
魔理沙の中に昔の霊夢の表情が思い浮かぶ。
「残り物で作っただけよ」と言いながら、妙に豪華だった食事。「美味しい」とか「この料理、好物なんだ」とか言った料理は、繰り返しでてきた。
料理を持ってきたり、一緒に食べるときの霊夢の表情は、いつも通りちょっと不機嫌に見えるのだけど、ほんの少し泣きだしそうに見えた。
本当は、自分だって泣きそうだったのだけど。
早々に家を追い出された自分も、魔法の森に1人で暮らしてきた。
誰かに料理を作ってもらった記憶なんて、ほとんどない。
孤独な霊夢と、孤独な自分。
博麗の巫女の役割を背負っている霊夢と、野良魔法使いである自分がつり合うとは思わなかったけど、それから長い日々を積み重ねて霊夢とは特別な関係を築いてきたと思っている。
だから、目の前にいるパチュリーは、ちょっと癪に障る。
霊夢とパチュリーが近づいていくのは、自分から霊夢が離れていくみたいだ。
霊夢のことを一番知っているのは自分。
たとえパチュリーが霊夢の恋人であったとしても、霊夢のことを一番知っているのが自分でなくなるのは嫌だった。
屈折した思いは、台所から漂ってくるキャラメルミルクの甘い香りとは対照的に、魔理沙の中に苦々しい気持ちを作り出していく。
そういえば、キャラメルミルクなんて霊夢が作るようになったのは、霊夢がパチュリーとつき合い始めてからだ。
甘いものが大好きなパチュリーの好みに合わせてわざわざ作るなんて、いかにも霊夢らしい気遣いだけど、やっぱり気に喰わないとも思ってしまう。
「なぁ、霊夢って、普段からキャラメルミルクばっか作ってるのか?」
だから魔理沙は、ちょっとした八つ当たりをすることにした。
「キャラメルミルクが多いわね。他のものを作ってくれることもあるけど」
「なら、霊夢のカフェラテって飲んだことあるか?」
「カフェラテ? そんなの、霊夢が作るの?」
「霊夢、カフェラテ作るの上手いんだぜ」
「パチュリーに作るはずはないがな」と、魔理沙は心の中で付け加えておく。
気遣いのできる霊夢が、コーヒーのような苦いものが嫌いなパチュリーに対して、カフェラテを出すなんてことはあり得ない。
「わたしは見た目がこんなんだからな。日本茶好きな霊夢が、わざわざ作ってくれてたんだ。霊夢がつくるものだから、美味しかったぜ?」
わざと「わざわざ」の部分をゆっくり話して、パチュリーに聞かせる。
ちなみに嘘はまったくついていない。
霊夢が自分のためにカフェラテを作ってくれていたというのは、本当の話だ。
魔理沙も日本茶好きだということが判明した今となっては、滅多に作ってもらう機会もなくなってしまったが。
「カフェラテかぁ」
パチュリーがペタンとちゃぶ台に突っ伏しながらつぶやく。
その様子を見て、魔理沙は自分の八つ当たりが成功したことを確信した。
パチュリーの心の中では、様々な葛藤が渦巻いていることだろう。そして、その後には物理的にも苦い思いをすることになる。
いい気味だ。
パチュリーに苦い思いをさせることに成功した魔理沙は、誰にも聞かれることなく、心の中で思うのだった。
☆☆☆
夜の博麗神社。先にお風呂を済ませたパチュリーは、誰もいない居間で霊夢を待っていた。
昼間は霊夢や魔理沙と一緒に過ごした居間。
すでに帰ってしまった後でも、魔理沙との会話を思い起こしてしまう。
魔理沙のことは嫌いではない。むしろ、好きな部類だ。
本を勝手に持っていくのはやめて欲しいし、なにかと荒っぽい。でも、魔法使いとしては一途に努力を続けているし、魔理沙がいるところはいつでもにぎやか。
そしてなにより、霊夢の大切な友人だ。
もし、魔理沙が霊夢と出会っていなかったら、今の霊夢はいなかったかもしれない。
そんなことを考えると、魔理沙を嫌いになることはできない。
わたしにだって、レミィという大切な親友がいるし。
けれども、やっぱり受け入れきれないところもある。
魔理沙は、自分よりも遙かに霊夢のことを知っている。
一緒に過ごした時間が違いすぎるのだから仕方ないのかもしれないが、どうしてもその事実が受け入れ切れなかった。
恋人である自分が霊夢のことを一番知っていたいし、霊夢には自分のことをもっと知ってもらいたい。
単純な、子供みたいな感情。
でも、単純なだけに制御することが難しい感情。
今日の昼間、魔理沙と会話している間も、パチュリーの感情は揺れ動いていた。
魔理沙と話していると、霊夢の知らない顔が次々と出てくる。
今の霊夢が、天ぷらをつまみ食いをした程度で魔理沙を縛り付けるなんてあり得ないし、昔の表情も想像することしかできない。
ずっと博麗神社に住んでいるため、霊夢の昔の写真は残っていない。もし、多少は残っていても、魔理沙を柱に縛り付けているときの表情はないだろう。
大事に揚げていた天ぷらを食べられて、頬を膨らませて怒っていたのだろうか?
それとも、泣きそうになっていたのだろうか?
そのときのことを知っているのは、魔理沙だけだ。
今となっては、昔の霊夢を知る方法はない。
自分にできることは、今の、そしてこれからの霊夢を、魔理沙以上に知っていくしかない。多少の苦労があったとしても。
「霊夢って、カフェラテなんか作れるの?」
パチュリーは、お風呂からあがったばかりの霊夢に尋ねた。白い寝間着に濡れた黒髪姿はどことなく艶っぽくて、何度見てもドキリとしてしまう。
「カフェラテ? 作れないことはないけど……。あんた、コーヒー苦手じゃない」
「たまにはいいかなぁって。カフェラテなら、そこまで苦くないし、いけるかもしれないから」
「たぶんダメだと思うけど。ほんと大人の味みたいなのに弱いんだから。無理しないほうがいいんじゃない?」
タオルで髪を拭きながら、霊夢はあきれたように言う。
そんなの自分だってわかってる。
パチュリーは座ったまま手をギュッと握りしめる。
辛いのや酸っぱいのも嫌いだけど、苦いのはもっと嫌いだ。
コーヒーやビールなんて苦いだけ。なにが美味しいかなんて、理解できない。
それでも、魔理沙が霊夢のカフェラテを飲んだことがあるなら、自分だって飲んでないと気が済まない。
「試しに飲んでみるくらい、いいじゃない。一杯くらいなら、飲み干せるし」
「ま、別にかまわないけどね。飲みきれなかったら、代わりに飲むし。それにしてもカフェラテかぁ」
霊夢がどこか遠い目をする。
その瞬間パチュリーは嫌な予感がした。
「カフェラテは、勘違いして魔理沙につくっちゃったのよねぇ」
果たして、その予感は当たってしまう。
こっちは一生懸命霊夢のことを思っているのに、一番のライバルである魔理沙の話をするなんて。
今までの霊夢と魔理沙の関係を考えれば無理もないのかもしれないが、ちょっと腹が立った。
「魔理沙、フリフリのエプロンドレスを昔から着てたから、日本茶は苦手かと思って、わざわざカフェラテ出すようにしてたんだけど、本当は和食党でね」
そんなパチュリーの内心など気にせず、霊夢は魔理沙の話を続ける。
こうなったら、霊夢には泣いてもらうしかない。
なんだか、八つ当たりのような気もするけれど。
「ねぇ、霊夢? 昼間も魔理沙といたのに、夜も魔理沙の話ばっかりするの?」
パチュリーは声のトーンを少し下げて霊夢に話しかける。
「え? カフェラテの話を出したのって、パチュリーじゃない」
「わたしは魔理沙なんて名前、だしてないわよ? 霊夢はカフェラテだけで魔理沙になっちゃうのね。わたしがいるのに」
パチュリーは立ち上がると、霊夢の後ろに回り込んで、そっと背中から抱きしめる。
「パチュリー、怒ってる?」
霊夢がパチュリーの手首をつかんで逃れようとするが、人間相手に単純な力比べでは負けない。
「別に怒ってはいないわよ? わたしも魔理沙のことは好きだし。けれども……」
パチュリーの圧力にすっかり怯えきっている霊夢の耳元に口を近づけてそっと息を吹きかける。「ひゃんっ」とくすぐったがるような声を出してくれたことに満足して、パチュリーは今夜の立場を確定させにいった。
「この前、わたしがレミィとの昔話をしただけで、『わたしといるのに、レミリアの話ばっかりするパチュリーにはおしおき』って、縛り上げて、散々可愛がってくれたのは、どこの誰かしら?」
「やっぱりパチュリー、怒ってるわよね?」
これからの自分の運命を想像して、パチュリーの腕の中で怯える霊夢。ここまで怯える霊夢は、魔理沙でも知らないだろう。
あ、魔理沙がやられたように、霊夢を柱に縛り付けて可愛がってもいいかもしれない。そうすれば、わたしだけの知っている霊夢の表情を、増やすことができる。
「別に怒ってないわよ? もし霊夢が自分からお願いしてくれれば、縛って、いっぱい泣かせて、可愛がるだけで許してあげる。嫌なら、無理矢理縛って、目隠しもして、そのあとのことは知らない」
「どっちにしても、縛られるんじゃない」
霊夢がため息をつきながら言う。
「先にやったのは、霊夢でしょ」
「そうだけど。今謝ったら、許してくれないかしら?」
「もう手遅れね。それで、お願いしておしおきされるのと、無理矢理おしおきされるのは、どっちにする?」
腕の中で霊夢の向きを変えて、こちらに向かせる。
その瞬間、パチュリーの体は固まってしまった。
霊夢の顔は紅く染まり、目にはほんのりと涙が浮かんだ目からは「お願いだから許して」というオーラがでていた。
パチュリーの沈黙を催促と勘違いしたのか、霊夢が微かな声でつぶやく。
「優しく……可愛がって……」
じっと目を見据えて霊夢に言われ、体の力が抜けてしまった。そのスキに霊夢は腕から抜けだし、早足で寝室に歩いていく。
一人残されたパチュリーは、呆然としていた。
また新しい霊夢を見ることができて。
確実に、その霊夢は自分しか知らなくて。
だけれども。
「これ、寝室に行ってどうすればいいのよ……」
寝室に行けば、可愛がられることを覚悟した霊夢が待っている。
あそこまで苛めてしまった以上、今更引き下がることもできない。
しばらくの間、パチュリーは悶々と悩み続け、その間霊夢は、パチュリーがなにを企んでいるのかとさらに怯えるのだった。
昔馴染みで、弾幕や妖怪退治を含めた、強さのライバル。
霊夢との関係は、単純な友達以上の関係だと思っている。
ただし、恋愛感情ではない。
不思議に思われることもあるが、魔理沙は霊夢に対して恋愛感情は持っていなかった。
恋愛ではないが、友達以上の関係。
その関係を表現する言葉は存在しないが、そのような関係が全く存在しないわけではない。
例えば、姉妹愛などは魔理沙の霊夢に対する感情に近い気持ちだ。
そんな魔理沙にとって、現在目の前で本を読んでいる少女、パチュリー・ノーレッジは少々癪に障る存在だった。
パチュリーと霊夢の関係は恋人。
そのこと自体に不満はない。むしろ、二人には幸せになって欲しいと思っている。
けれども、どうしても受け入れられないところも存在している。
それは、パチュリーだけが知っている霊夢が増えていくこと。
霊夢を誰よりも知っているのは自分だという自負がある魔理沙にとって、そのことを受け入れきることは困難であった。
「お前、また霊夢に苛められたのか?」
だから、魔理沙はときどき、パチュリーに対して攻撃的になってしまう。
博麗神社で、パチュリーと出会ってしまったこの日も、例外ではなかった。
見た目に似合わないちゃぶ台で魔導書を読んでいるパチュリー。その手首に残る傷跡を目ざとく見つけ、先制攻撃を仕掛ける。ちなみに霊夢は、おやつ代わりのキャラメルミルクを作りに台所に行っている。
「別に苛められたわけじゃないもん」
パチュリーは慌ててカーディガンの袖を引っ張って隠そうとするが、すでに見てしまった魔理沙の前では無駄な抵抗だ。
「嘘言うなって。どうせ霊夢の癪に障ることでもやって、縛り上げられて散々泣かされたんじゃないのか?」
「違うもん。可愛がってもらったんだもん」
「足とか胸とかにも縄の跡がついてるんじゃないか?」と追撃をしようとして、思わぬ開き直りを受けて、魔理沙は硬直してしまう。
「魔理沙は霊夢に縛られたことなんかないでしょ? 本当は羨ましいんじゃない?」
固まっている魔理沙に対して、パチュリーがさらに攻撃を重ねてくる。
畳に座っているのにどこか誇らしげに胸を張っているが、その頬はほんのり赤く染まっていた。
逆にまったく恥ずかしがらなかったら、それはそれで問題でもあるのだが。
堂々と言いはるパチュリーに対して一瞬たじろいでしまったが、魔理沙の方も負けるつもりは毛頭ない。たとえそれが、「霊夢に縛られる」という恥ずかしいエピソードであったとしても。
「わたしだって霊夢に縛られたことくらいあるぜ?」
「どうせ嘘でしょ? 魔理沙、嘘つきだし」
「残念ながら、今回は本当だぜ。もっとも、霊夢の逆鱗に触れて、柱に縛りつけられたんだがな」
「柱に縛り付けられたって、なにしたのよ?」
「霊夢が揚げてた天ぷらつまみ食いしたらやられたぜ。今ならさっさと逃げるが」
「逃げ切れるの?」
「天ぷらくらいなら逃げ切れるだろうな。煎餅だったら、ブレイジングスター使っても逃げ切れないと思うが……」
魔理沙は目の前に残された煎餅に目をやりめながら、しみじみとつぶやいた。
パチュリーも同様に霊夢が自分用に出してきた煎餅を見つめて「うんうん」とうなずいている。
霊夢のことを知っている者同士。奇妙な合意をした瞬間だ。
食べ物の恨みは怖いというが、もし、霊夢の煎餅をつまみ食いしたら、天狗が全力を出しても逃げ切れないだろう。
それくらい、霊夢の煎餅に対する愛情は、常軌を逸している。
「ほんと、霊夢の煎餅に対する情熱は異常よねぇ」
「怖いのは煎餅だが、それ以外の料理でも、結構執着があったりするけどな。とくにお酒に合うものとかは」
「食い意地が張ってるだけじゃないかしら?」
「そうとも言えるな。結局、喰う、寝るしか興味がなかったんだろうな」
昔から霊夢は料理が上手かった。作ったことがない料理でも美味しく作ることができたし、得意料理なら言わずもがな。子供のくせになんでこんなに料理が上手いのかと思ったが、よくよく考えてみれば無理もないことだった。
霊夢はずっと博麗神社で1人で住んでいた。
だから、料理は自分でするしかない。それに、手の込んだ料理を作れば、いい暇つぶしにもなる。
本当のところは、上手くなってしまったのだ。
魔理沙の中に昔の霊夢の表情が思い浮かぶ。
「残り物で作っただけよ」と言いながら、妙に豪華だった食事。「美味しい」とか「この料理、好物なんだ」とか言った料理は、繰り返しでてきた。
料理を持ってきたり、一緒に食べるときの霊夢の表情は、いつも通りちょっと不機嫌に見えるのだけど、ほんの少し泣きだしそうに見えた。
本当は、自分だって泣きそうだったのだけど。
早々に家を追い出された自分も、魔法の森に1人で暮らしてきた。
誰かに料理を作ってもらった記憶なんて、ほとんどない。
孤独な霊夢と、孤独な自分。
博麗の巫女の役割を背負っている霊夢と、野良魔法使いである自分がつり合うとは思わなかったけど、それから長い日々を積み重ねて霊夢とは特別な関係を築いてきたと思っている。
だから、目の前にいるパチュリーは、ちょっと癪に障る。
霊夢とパチュリーが近づいていくのは、自分から霊夢が離れていくみたいだ。
霊夢のことを一番知っているのは自分。
たとえパチュリーが霊夢の恋人であったとしても、霊夢のことを一番知っているのが自分でなくなるのは嫌だった。
屈折した思いは、台所から漂ってくるキャラメルミルクの甘い香りとは対照的に、魔理沙の中に苦々しい気持ちを作り出していく。
そういえば、キャラメルミルクなんて霊夢が作るようになったのは、霊夢がパチュリーとつき合い始めてからだ。
甘いものが大好きなパチュリーの好みに合わせてわざわざ作るなんて、いかにも霊夢らしい気遣いだけど、やっぱり気に喰わないとも思ってしまう。
「なぁ、霊夢って、普段からキャラメルミルクばっか作ってるのか?」
だから魔理沙は、ちょっとした八つ当たりをすることにした。
「キャラメルミルクが多いわね。他のものを作ってくれることもあるけど」
「なら、霊夢のカフェラテって飲んだことあるか?」
「カフェラテ? そんなの、霊夢が作るの?」
「霊夢、カフェラテ作るの上手いんだぜ」
「パチュリーに作るはずはないがな」と、魔理沙は心の中で付け加えておく。
気遣いのできる霊夢が、コーヒーのような苦いものが嫌いなパチュリーに対して、カフェラテを出すなんてことはあり得ない。
「わたしは見た目がこんなんだからな。日本茶好きな霊夢が、わざわざ作ってくれてたんだ。霊夢がつくるものだから、美味しかったぜ?」
わざと「わざわざ」の部分をゆっくり話して、パチュリーに聞かせる。
ちなみに嘘はまったくついていない。
霊夢が自分のためにカフェラテを作ってくれていたというのは、本当の話だ。
魔理沙も日本茶好きだということが判明した今となっては、滅多に作ってもらう機会もなくなってしまったが。
「カフェラテかぁ」
パチュリーがペタンとちゃぶ台に突っ伏しながらつぶやく。
その様子を見て、魔理沙は自分の八つ当たりが成功したことを確信した。
パチュリーの心の中では、様々な葛藤が渦巻いていることだろう。そして、その後には物理的にも苦い思いをすることになる。
いい気味だ。
パチュリーに苦い思いをさせることに成功した魔理沙は、誰にも聞かれることなく、心の中で思うのだった。
☆☆☆
夜の博麗神社。先にお風呂を済ませたパチュリーは、誰もいない居間で霊夢を待っていた。
昼間は霊夢や魔理沙と一緒に過ごした居間。
すでに帰ってしまった後でも、魔理沙との会話を思い起こしてしまう。
魔理沙のことは嫌いではない。むしろ、好きな部類だ。
本を勝手に持っていくのはやめて欲しいし、なにかと荒っぽい。でも、魔法使いとしては一途に努力を続けているし、魔理沙がいるところはいつでもにぎやか。
そしてなにより、霊夢の大切な友人だ。
もし、魔理沙が霊夢と出会っていなかったら、今の霊夢はいなかったかもしれない。
そんなことを考えると、魔理沙を嫌いになることはできない。
わたしにだって、レミィという大切な親友がいるし。
けれども、やっぱり受け入れきれないところもある。
魔理沙は、自分よりも遙かに霊夢のことを知っている。
一緒に過ごした時間が違いすぎるのだから仕方ないのかもしれないが、どうしてもその事実が受け入れ切れなかった。
恋人である自分が霊夢のことを一番知っていたいし、霊夢には自分のことをもっと知ってもらいたい。
単純な、子供みたいな感情。
でも、単純なだけに制御することが難しい感情。
今日の昼間、魔理沙と会話している間も、パチュリーの感情は揺れ動いていた。
魔理沙と話していると、霊夢の知らない顔が次々と出てくる。
今の霊夢が、天ぷらをつまみ食いをした程度で魔理沙を縛り付けるなんてあり得ないし、昔の表情も想像することしかできない。
ずっと博麗神社に住んでいるため、霊夢の昔の写真は残っていない。もし、多少は残っていても、魔理沙を柱に縛り付けているときの表情はないだろう。
大事に揚げていた天ぷらを食べられて、頬を膨らませて怒っていたのだろうか?
それとも、泣きそうになっていたのだろうか?
そのときのことを知っているのは、魔理沙だけだ。
今となっては、昔の霊夢を知る方法はない。
自分にできることは、今の、そしてこれからの霊夢を、魔理沙以上に知っていくしかない。多少の苦労があったとしても。
「霊夢って、カフェラテなんか作れるの?」
パチュリーは、お風呂からあがったばかりの霊夢に尋ねた。白い寝間着に濡れた黒髪姿はどことなく艶っぽくて、何度見てもドキリとしてしまう。
「カフェラテ? 作れないことはないけど……。あんた、コーヒー苦手じゃない」
「たまにはいいかなぁって。カフェラテなら、そこまで苦くないし、いけるかもしれないから」
「たぶんダメだと思うけど。ほんと大人の味みたいなのに弱いんだから。無理しないほうがいいんじゃない?」
タオルで髪を拭きながら、霊夢はあきれたように言う。
そんなの自分だってわかってる。
パチュリーは座ったまま手をギュッと握りしめる。
辛いのや酸っぱいのも嫌いだけど、苦いのはもっと嫌いだ。
コーヒーやビールなんて苦いだけ。なにが美味しいかなんて、理解できない。
それでも、魔理沙が霊夢のカフェラテを飲んだことがあるなら、自分だって飲んでないと気が済まない。
「試しに飲んでみるくらい、いいじゃない。一杯くらいなら、飲み干せるし」
「ま、別にかまわないけどね。飲みきれなかったら、代わりに飲むし。それにしてもカフェラテかぁ」
霊夢がどこか遠い目をする。
その瞬間パチュリーは嫌な予感がした。
「カフェラテは、勘違いして魔理沙につくっちゃったのよねぇ」
果たして、その予感は当たってしまう。
こっちは一生懸命霊夢のことを思っているのに、一番のライバルである魔理沙の話をするなんて。
今までの霊夢と魔理沙の関係を考えれば無理もないのかもしれないが、ちょっと腹が立った。
「魔理沙、フリフリのエプロンドレスを昔から着てたから、日本茶は苦手かと思って、わざわざカフェラテ出すようにしてたんだけど、本当は和食党でね」
そんなパチュリーの内心など気にせず、霊夢は魔理沙の話を続ける。
こうなったら、霊夢には泣いてもらうしかない。
なんだか、八つ当たりのような気もするけれど。
「ねぇ、霊夢? 昼間も魔理沙といたのに、夜も魔理沙の話ばっかりするの?」
パチュリーは声のトーンを少し下げて霊夢に話しかける。
「え? カフェラテの話を出したのって、パチュリーじゃない」
「わたしは魔理沙なんて名前、だしてないわよ? 霊夢はカフェラテだけで魔理沙になっちゃうのね。わたしがいるのに」
パチュリーは立ち上がると、霊夢の後ろに回り込んで、そっと背中から抱きしめる。
「パチュリー、怒ってる?」
霊夢がパチュリーの手首をつかんで逃れようとするが、人間相手に単純な力比べでは負けない。
「別に怒ってはいないわよ? わたしも魔理沙のことは好きだし。けれども……」
パチュリーの圧力にすっかり怯えきっている霊夢の耳元に口を近づけてそっと息を吹きかける。「ひゃんっ」とくすぐったがるような声を出してくれたことに満足して、パチュリーは今夜の立場を確定させにいった。
「この前、わたしがレミィとの昔話をしただけで、『わたしといるのに、レミリアの話ばっかりするパチュリーにはおしおき』って、縛り上げて、散々可愛がってくれたのは、どこの誰かしら?」
「やっぱりパチュリー、怒ってるわよね?」
これからの自分の運命を想像して、パチュリーの腕の中で怯える霊夢。ここまで怯える霊夢は、魔理沙でも知らないだろう。
あ、魔理沙がやられたように、霊夢を柱に縛り付けて可愛がってもいいかもしれない。そうすれば、わたしだけの知っている霊夢の表情を、増やすことができる。
「別に怒ってないわよ? もし霊夢が自分からお願いしてくれれば、縛って、いっぱい泣かせて、可愛がるだけで許してあげる。嫌なら、無理矢理縛って、目隠しもして、そのあとのことは知らない」
「どっちにしても、縛られるんじゃない」
霊夢がため息をつきながら言う。
「先にやったのは、霊夢でしょ」
「そうだけど。今謝ったら、許してくれないかしら?」
「もう手遅れね。それで、お願いしておしおきされるのと、無理矢理おしおきされるのは、どっちにする?」
腕の中で霊夢の向きを変えて、こちらに向かせる。
その瞬間、パチュリーの体は固まってしまった。
霊夢の顔は紅く染まり、目にはほんのりと涙が浮かんだ目からは「お願いだから許して」というオーラがでていた。
パチュリーの沈黙を催促と勘違いしたのか、霊夢が微かな声でつぶやく。
「優しく……可愛がって……」
じっと目を見据えて霊夢に言われ、体の力が抜けてしまった。そのスキに霊夢は腕から抜けだし、早足で寝室に歩いていく。
一人残されたパチュリーは、呆然としていた。
また新しい霊夢を見ることができて。
確実に、その霊夢は自分しか知らなくて。
だけれども。
「これ、寝室に行ってどうすればいいのよ……」
寝室に行けば、可愛がられることを覚悟した霊夢が待っている。
あそこまで苛めてしまった以上、今更引き下がることもできない。
しばらくの間、パチュリーは悶々と悩み続け、その間霊夢は、パチュリーがなにを企んでいるのかとさらに怯えるのだった。
苦いカフェラテも激甘に変貌する甘い作品でした
ところでパチュリーで縛るというと触手g(このコメントはロイヤルフレアされました
とてもよかったです。パチェはどう可愛いがるのでしょうか…(悶絶
恋人と親友の微妙な駆け引きが素敵でした