1
――自分が毎日のように博麗神社に足を運ぶようになったのは、一体いつ頃からだったろうか。
ふと、射命丸文の胸の中にそんな疑問が浮かんだ。
いつ頃からか、という質問の答えを明らかにするのはとても容易い。通い始めた時からの記憶を逆算すればいいのだから、答えは自ずと見えてくる。
しかし、胸に湧いた疑問の本質はそうではない。本当に自分が知りたいのは、“いつ”ではなく“なぜ”なのだ。
一体なぜ、自分は毎日神社に通うようになったのだろうか?
この疑問に、文はずっと答えを見出せずにいた。どうして行くようになったのか。なぜ今も彼女が待つ神社へと足を運んでいるのか、具体的な答えは何一つ分からないのである。
ただ、彼女の所へ行きたい。彼女の姿を見ていたい。
霞のようなぼんやりとしたそんな感情が、いつの間にか文の心と体を完全に支配していた。
黙々と考えながら空を飛ぶこと数十分。果たして眼下に目的の地があることを認めると、文はゆっくりと自分の高度を下げていった。
風を使って飛行速度を落としながら、いつもの様に石畳の上へと難なく着地する。風が撫ぜても塵一つ立たない石畳は、毎日きちんと行われている清掃の賜物だ。
石畳を通って鳥居を潜ると、今もせっせと境内の掃除に勤しむ少女――博麗霊夢の姿がそこにあった。
独特の形をした緋色の巫女装束と、同じ色合いの頭のリボン。面倒そうに箒を左右に振る仕草からその表情まで、どう見ても普段から見慣れている彼女の姿そのものだ。
それを遠くから一目見ただけだというのに、自然と文の胸の鼓動は高鳴り、肌は緊張で粟立つ。
――またこの感じだ。
文は再び自分の中にある「何か」を感じた。
最近、霊夢の姿を見る度に文の身に同じことが起こる。胸が締め付けられるように苦しくなり、どうしようもなくなってしまう。
これはいったい何なのか。自分はどうなってしまったのか。
ずっと自分の中に潜む「何か」の正体を必死に考えたが、結局答えは見つからなかった。
――しかし、それも今日で終わりだ。
と、文は心の中で呟いた。
今日こそは、胸中に渦巻くその謎を解決する。文はそう心に決めてここに来ていた。
考えてばかりいても仕方がないと思い直し、文は霊夢へと近づきながら声をかけた。
「こんにちは霊夢さん」
霊夢は左右に揺らしていた箒を止めて面倒そうに文の方を振り返った。
「また来たの? アンタも毎日毎日、飽きないわね」
「ええ。今日もまたお邪魔しに来ちゃいました」
微笑みながらそう返す文とは裏腹に、霊夢は軽くため息をつく。
「あたしの所なんか毎日来たって、別におもしろい事なんかありゃしないわよ。おもしろい事が見たかったら、他にもアテはあるでしょうに」
「そうでもないですよ。霊夢さんとのお喋りはいつも面白いですから。――それに今日はちょっと霊夢さんにご相談したいことがあって」
「相談?」
彼女が怪訝な表情を浮かべる。
「ええ……お恥ずかしながら、一人ではどうも手に負えなくてですね……」
文がそう言うと霊夢はもう一度ため息をついた。しかしこれが不快の類でないことを文は知っている。
「しょうがないわね。とりあえず上がって行きなさいよ。お茶くらいは出したげるから」
そう言って霊夢は箒を片づけ、塵取りに集めたゴミを処理すると、母屋の方へと踵を返した。
彼女が歩く度に、後ろでまとめた黒髪が尻尾のように揺れ動く。彼女の歩みと連動して規則正しく動くそれは、美しいと同時に小動物的な愛くるしさを醸し出していた。
見惚れたように文がそれを見つめていると、文が付いて来ない事に気づいたのか、霊夢が彼女の方を振り返った。
「なにしてるの? 早く来なさいよ」
「え、ええ。すみません。今行きます」
少し慌てた様に文は駆け出すと、霊夢の後に付いていった。
2
「はい。お茶」
霊夢はそう言って冷えた麦茶の入った湯呑みを文に差し出した。
「ありがとうございます」
湯呑みを受け取って一口含むと、口の中に麦茶の香ばしい味がじわりと広がっていく。
霊夢は文が来る時だけ、必ず冷えた麦茶を出してくれる。それは文が熱い茶が苦手なのを気遣ってくれているからであって、文にとってその気遣いはありがたかったし、何よりもそういう彼女の気持ちが文にはとても嬉しかった。
「で、相談ってのは一体なんなのよ?」
と、さっそく霊夢が本題を切り出した。
「アンタの相談なんて大方、面白い記事が書けない、とかそう言った事でしょ」
「いや、まあ、それもそうなんですけど……今日はちょっと違うと言いますか……」
なんと言い出したらいいものか、と文は困ったように頬をかいた。正直なところ、今の自分の気持ちを霊夢にうまく説明できる自信が文には無かった。
頭の中で言葉をいくつか考えるものの、それを上手く表現できる言葉が見当たらない。
やがて観念したように文はいま思いつく言葉の限りを吐き出した。
「実はですね……なぜ私が毎日のように霊夢さんの所にお邪魔してしまうのかを知りたくてここに来たんです……」
霊夢はキョトンとした顔をした後、その細い眉を思い切り顰めた。
「……アンタ、もしかしてバカ?」
容赦のない霊夢の言葉が文の心に突き刺さる。しかし、それを言い返すどころか弁解するための言葉すら、今の文は持っていない。
「……霊夢さんにそう思われるのはとても傷つきますけど、そう思われても仕方ありません……何せここ数日の間、ずっと考え続けても分からなかったんですから」
真剣にそう言う文の表情を見てふざけている訳ではないと悟ったのか、霊夢も表情を正した。
「ふうん。とりあえず聞くだけ聞いてあげるから、どういう事なのか話してみなさいよ」
「はい……」
文はうなずくと己の中にある悩みを打ち明けた。
3
「――最近、霊夢さんの事が頭から離れないんです。仕事をしていても、記事を書いていても、頭の中はずっと霊夢さんの事ばかり考えているんです。そうなるともう何も手がつけられなくて……こんな事、少し前までは全然無かったのに……それで霊夢さんに聞けば、もしかしたら何か分かるんじゃないかって思って……霊夢さん、これっていったい何なんでしょうか?」
「…………」
文がひとしきり説明し終えたかと思うと、霊夢は呆気に取られた様にあんぐりと口を開けていた。
「ど、どうしました? 霊夢さん?」
再び文が声をかけ、ようやく我に返った霊夢だったが、その声は心なしか動揺しているようにも聞こえた。
「……つまりアンタはその気持ちが何だか分からないからあたしの所に直接相談に来た。そういう事なのね?」
「はい……お恥ずかしながら……」
困った文は再び頬をかいた。
「ご迷惑で……したか……?」
文にそう言われ、なぜか霊夢も困ったような表情を浮かべる。
「べ、別に、迷惑って訳じゃないけど……その、アンタの気持ちはアンタのものなんだから、あたしに意見を聞かれても……こ、困るというか、あたしが分かるとは限らないんじゃないの? それにアンタ自身もその正体が分からないんじゃ、あたしにも助言のしようが無いわよ」
至極当然な意見に文は拍子抜けすると同時に納得せざるを得なかった。
彼女なら何か判るかもしれない――藁にもすがるような思いで彼女を尋ねてはみたものの、自分にすら判らない感情の正体など結局他人である彼女が判るわけもないのだ。
「そう……ですよね。やっぱり私自身が分からない物を霊夢さんがご存じな訳、無いですよね……」
目の前が真っ暗になった様に感じた文は、力なく立ち上がると、母屋の玄関まで歩いていく。
「今日はこれで失礼させていただきます……麦茶、ご馳走様でした。それでは」
玄関の扉を開けると、文はそのまま飛んで行ってしまった。
その様子をしばらく見送っていた霊夢だったが、その姿が完全に見えなくなった後、小さく呟いた。
「……バカじゃないの。そんな気持ち、一つしか思い浮かばないわよ……」
しかしそのつぶやきは誰に聞かれる事もなく、虚空へと溶けてしまうのだった。
4
それから数日経っても文は自分の中にあるものの正体が分からず、悶々とした日々を過ごしていた。
あれから霊夢の神社へは一度も訪れていない。彼女に再び相談したところで、何も解決できずに終わるに決まっているからだ。
それに、こんな気持ちのままで霊夢と会ったとしても、お互いに気まずくなるだけだった。
だというのに、
「霊夢さん……逢いたい……」
自然と口がそう呟いていた。
どうして。どうしてそう思うのか。文には訳が分からなかった。ただ言葉には表わせない大きな感情がそう彼女に言わせていた。
逢いたい――霊夢と一緒に居たい。
自分の中から溢れる感情を止めることも理解する事もできず、いつしか文は泣き出していた。
「霊夢さん……れいむさん……れいむ、さん……」
判らない感情を口に出すことで少しでも理解しようと、少しでも紛らわせようと、文は何度も彼女の名前を唱える。
その時だった、
「先輩? 文先輩? 居ますか?」
不意に外から少女の声が聞こえたかと思うと、突然、部屋の扉が開いた。
扉の前に立って居たのは立派な銀髪と犬のような耳を持った少女――白狼天狗の犬走椛だった。
「文先輩。どうしちゃったんですか? 最近閉じこもりっきりでちっとも出てこないから心配しましたよ」
「ああ、椛……」
涙を流す文の顔を見て、椛はぎょっとなる。
「ど、どうしたんですか!? 何で先輩、泣いてるんですか!?」
「椛、この気持ちはいったい何なの?」
「は、はい!?」
突然、訳の分からない質問を投げかけられ、ますます椛は面食らった。
「先輩、一体どうしたんですか!? 何があったんですか!?」
「この胸の苦しさ、この苦い思い。一体何なの? 私には分からない。もう何も、分からない……」
訳も分からず泣き続ける文をどうしていいか分からず、椛も混乱するばかりだ。
「ちょ、ちょっと待ってください先輩。落ち着いて話してくださいよ。それだけじゃ私にもサッパリです」
「いいんです。どうせこの気持ちは誰にも分かりっこない。私にすら分からないものが、一体誰に分かるものですか」
「そんな事言われたら余計に分からないですよ! ほら、いいから話してみてくださいって!」
投げやりに自虐する彼女に業を煮やした椛はついに文の肩を思い切りつかみ、強く揺する。
不意の衝撃にやや戸惑いながらも落ち着きを取り戻した文は心の内にある悩みを少しずつ椛に話し始めた。
「実は……」
5
「あー……なるほど。そう言うことですか……」
文から全ての事情を聞き、ようやく合点がいったと言うように椛は頷いた。
その顔は以前の霊夢と同じように、小恥ずかしさが混じったような、それでいて困ったような表情をしている。
「それは流石に博麗の巫女も答え辛いでしょうね……というか先輩、鈍すぎです」
「……椛には分かったの?」
一人納得のいかない文が苛立ち混じりにそう言った。
「ええ。簡単ですよ。というか、分からない先輩の方がよっぽど女として問題ですよ?」
「なによ。何だって言うのよ?」
「恋、ですよ」
「…………は? …………恋?」
突拍子の無い答えに、文は頭を思い切り殴られたような衝撃を感じた。
一方、さも当然だと言わんばかりに椛は首肯する。
「そうですよ。だって先輩は博麗の巫女を毎日想ってしまうほどに逢いたくて、でも見る度に愛おしさで胸が苦しくなったりするんでしょ? なら、それは恋しかないじゃないですか」
「私が……霊夢さんに恋……」
唐突に突きつけられた回答に、文の頭は理解が追いつけていない。頭の上をいくつもの言葉がかけ巡るが、それは頭の中を右から左へ素通りするだけで一向に頭の中に入ってこない。
そんな彼女に、椛はただただ呆れ顔をするばかりだ。
「先輩が頭でどう思っていても、先輩の心はもう博麗の巫女に恋焦れているんですよ。まずはそれをきちんと認識べきです」
「で、でも……」
「まあ、びっくりするのは分かりますけど……それで、どうするんですか?」
「な、なにを?」
これ以上何かあるのか、と驚いたように文がそう訊ねる。
「決まってるじゃないですか。告白ですよ。告白」
「こ……!?」
その一言で完全に文の頭と体は固まってしまった。
愛の告白といえば、恋物語には欠かせない大事な要素。
そんなことは人であれば、女であれば誰もが知っている。
だがそれを自分が、それも同じ女である霊夢へとするというのだ。
数分前に初めて自分の恋心を自覚したばかりの文にとって、これ以上高いハードルはないだろう。
「それ以外に何があるんですか? 好きな人へ自分の気持ちを告白する。それが普通じゃないですか。それで、するんですか?」
「そ、それは……」
理解が追い付かないまま次々と進んでいく事態に、文はどうすればいいのかわからない。
「まさか、ここまで来て怖気づいたんですか?」
「いやそうじゃなくて……」
まずは自分の心を整理する時間をくれ、と続けようとしたが、生憎と椛はそんな言葉は一切聞いてない。
「だったら行きましょう。今すぐに!」
彼女はそういうと、文の手を強引に取り、そのまま博霊神社を目指してその体を宙に踊らせていた。
「ちょ、ちょっと待ってってばぁぁぁぁ!!!?」
文の必死の懇願も虚しく、ただその声だけが山彦となって空に響き渡るだけだった。
6
「はぁ……アイツ、今日も来なかったな……」
母屋の戸締りをしながら霊夢はそう静かに呟いた。
あれから数日、霊夢は文の事をずっと気にかけていた。
何度か訪ねに行こうとも考えはしたのだが、その度にあの時の事を思い出してしまい、行くに行けなかった。
「あんなコト一方的に言っておいて……なによ」
やり場のない苛立ちだけが霊夢の中に募っていく。
「もう……ここには来ないつもりなのかな……」
誰にともなくそう呟いた時、
「あらあら、愛しの鴉天狗に早く来てほしいのかしら? 霊夢」
「うわ!?」
突然、どこにもいないはずの第三者から声をかけられた。
「紫! アンタいつからそこに居たの!?」
慌てて霊夢が振り返る。するとそこには、上半身だけを宙に空いた裂け目から出す若い女がいた。
八雲紫――幻想郷に住む大賢者の一人であり、同時に幻想郷随一のイタズラ好きの妖怪である。
「勿論たった今よ。といっても、ここしばらく貴女の様子は見させてもらってはいたけどね」
そう言いながら紫はクスクスと楽しそうに笑う。妖しい色気を振りまきながらも、その仕草はあどけなさが残る少女そのものだ。
「何よ。覗きなんて趣味が悪いわね」
霊夢は彼女がここ数日の間、ずっと自分を監視していた事を知ると、その眉をつり上げた。
「まあまあ、そう怒らないで。それよりも霊夢、貴女なかなか面白い事になってるじゃない。初心な鴉天狗に恋心を抱かれた気分はどう?」
「やっぱり知ってるのね……」
呆れたと言わんばかりに霊夢は大きなため息をついた。
「偶々よ。あの日は久しぶりに私も貴女に会いに行こうと思っていたんだけど、思い詰めた表情の天狗を見つけたものだから、つい……ね」
「何がつい、よ。こっちの身にもなりなさいって」
「そんなこと言って霊夢ったら、あの天狗の事ずっと考えてるじゃない。別に意識する程の相手でもなければ、放って置けば良いんじゃないの?」
図星を突かれ、思わず唸る霊夢。
「う、煩いわね……あんなこと言われて気にならない方がどうかしてるわよ」
「それで、仮にあの天狗がもう一度ここに来たとして、貴女はどう答えるつもりなの?」
「それは……」
霊夢はそこで口ごもった。どうやら本人も決めかねているらしい。
「そこで悩んでしまっているのね――理由は妖怪と人間だから? それとも女同士だから?」
「それももちろんあるけど……まさかアイツが、あたしにそんな感情を持ってるだなんて思いもよらなかったから、どうしていいか分らないのよ。仮にいま逢ったって、顔なんかまともに見れる訳ないし……こ、告白なんかされたら……その、どう返していいか……」
「別にいいんじゃないかしら? ありのままを受け入れれば。愛している者と愛されている者、この両者に特に問題がなければ、付き合っても何ら不自然じゃないと思うけど?」
「アンタね! 他人事だからって適当なコト言って!」
「だって他人事ですもの。でも今のところは恋煩いな鴉天狗さんの味方かしらね」
そう言うと、紫は霊夢に向けて軽いウィンクを一つ飛ばす。
「夜も遅いし、もう戻るわ。ああそれと――今夜は誰かが訪ねて来るかも知れないから、今のうちに服を着て外で待っていると良い事があるかもね――それじゃあ。またね」
そう言うだけ言うと紫の体を吸い込んだ裂け目は揺らぐように空中から掻き消え、最初から存在しなかったかのように居なくなった。
「何よ……気楽に言ってくれちゃってさ……」
好き勝手に言うだけ云って居なくなった紫に、思わずそう独りごちる霊夢だったが、
「受け入れて、いいのかな……?」
やがて寝間着を脱ぐと、いつもの巫女服に袖を通し始めた。
7
空に浮かぶ月明かりを道しるべにして、椛と文は博麗神社へと目指していた。
「いいですか。絶対になにが何でも、自分の気持ちだけは伝えてくださいね」
「え、ええ……」
椛の勢いに押される様に文は力無く頷いた。
「今更なにを迷ってるんですか。ここまで来て何を迷うことがあるんです?」
「私、やっぱり怖い……霊夢さんにこの気持ちを打ち明けたら、自分がどうなるのか……」
「少なくとも今まで通りには行かないでしょうね。受け入れられるにしても断られるにしても」
びくりと文の体が震える。
「でもそのまま怯えて部屋で悩んでるままよりは、よっぽどいいと思いますよ?」
「そう……かしらね」
「はい。――では、ここから先は先輩一人で行ってください。私が一緒にいられるのはここまでです」
文の背を軽く押すと、そのまま椛は彼女に背を向けた。
「え、ちょっと! 椛!?」
「先輩の恋が実るようにお祈りしていますよ。では幸運を!」
そのままぐんぐんと速度を上げて飛び去り、椛の姿はあっという間に見えなくなってしまった。
「行っちゃった……」
呆然とその様子を見送った文だったが、
「行くしか……ないのよね」
やがて意を決したように神社の方を見つめると、迷うことなく真っ直ぐに飛んで行った。
8
青白い月明りが大地を照らす中、霊夢は神社の境内で文が来るのをずっと待っていた。
本当に紫が言った通り、文がここに来るのだろうか。
もしそうだとしたら、自分はその気持ちを受け止めなければならない。
だが、自分には果たしてその気持ちを受け止めきれるのか。受け止めていいのか。霊夢にはその自信がなかった。
純粋に自分に好意を持ってくれるのは嬉しい。が、それはあくまで友情などに類するものに限っての話だ。こと好いた惚れたでは訳が違う。
やっぱりやめておこう。
そう思った時、一つの影が月光を切り裂いた。
続いて石畳に響く靴の音。
霊夢の目の前に射命丸文が降り立っていた。
9
数日ぶりに目にした霊夢の姿は相変わらずだったが、文にはもう何年も逢っていない様な気がした。
なぜ図ったかのように目の前に彼女が居るのか、なぜその顔に困惑したような表情を浮かべているのか――様々な思いが脳裏に上ったが、そんなことはどうでもよかった。
ただ今は、この気持ちを彼女に打ち明けることだけ全てだった。
「文、あたしは――」
絞り出す様に喋る霊夢を文は首を振って止めた。
「いえ、いいんです。何も仰らなくて。ただ今は、私の気持ちを聞いてくださるだけで、いいんです」
さあ勇気を出せ。自分の気持ちを真っ直ぐに正直な気持ちを彼女に伝えよう。
「やっと分かったんです。自分の気持ちが」
緊張と心細さに飲み込まれそうになるのをぐっと堪える。
さあ、もう少しだ。あと一息。
「――私は、私は霊夢さんが好きです。友達として以上に、一人の女性として、貴女に好意を抱いています。愛しています」
言った。伝えた。告白した。
短い言葉ながらも文は彼女に自分の心のすべてを明かした。
心臓が今更のように早鐘を打ち、そのまま破裂してしまのでは無いかと心のどこかで思いながらも、その気持ちを迷うこと無く告げ、伝えることができた。
もう何の後悔もない。この先にどんな結果が待っていても。
「そう……アンタの気持ちは分かったわ」
霊夢の声。その音色。静かな口調の中に含まれるすべての意味を感じ取る。
「でも今のあたしには、アンタの気持ちの全てに答えることはできないわ」
瞬間、時が止まったような気がした。
いや始めから分かっていた事だ。自分と彼女は同性同士、いくら自分がそうだと思っていても、向こうがそうであるとは限らないのだ。
「そう、ですか。――残念です」
あらゆる気持ちを心の奥底に押し込めながら、努めて冷静に文はそう答える。
「私の気持ち、聞いていただいてありがとうございました――失礼します」
そういって文が踵を返そうとした時、
「待って」
霊夢が文の肩を掴み、ぐいと自身へ引き寄せた。
「え――」
気がついた時には、霊夢の顔はすでに文の目の前にまで迫まっていた。
「れいむさ――」
文が何か言うよりも早く、霊夢が自分の唇を文のそれを重ねていた。
突然のことに理解が追いつかない文を余所に、霊夢は恥ずかしげにさっと唇を離すと言った。
「アンタの気持ち、今すぐ全部は受け止めきれない……だから、あたしがその気持ちを全部受け入れられる様になるまで、待っててくれる?」
それは彼女なりの精一杯の答えだった。
それだけでも文によって十分すぎる答えだった。
「はい――いつまでも、お待ちしています」
震える唇で文はそう答え、霊夢のそれを今度は自分から塞いだ。
10
月下の下で重なる二つの影を神社の屋根の上から静かに眺める者がいた。
瞳の奥に不安を湛えていた双眸は二人が口づけを交わすと共にその色合いを安堵へと変え、彼女たちの様子をただ静かに見守り続けている。
他でもない。犬走椛だ。
彼女は文を霊夢の元へ行かせた後、気づかれない様に後を付けていたのだ。
「全く……本当に世話の焼ける先輩ですね」
「本当にね」
「えぇ!?」
突然入れられた合いの手に驚いた椛がそんな素っ頓狂な声を上げた。
見れば、いつの間にか金髪の女性が隣に座り込んで居た。優雅に屋根瓦に腰掛け、脚を伸ばす姿は可憐な花を思わせる。
「こんばんわ白狼天狗さん。今夜はとっても月が綺麗ね」
咲いた様な笑顔で挨拶を交わすと、女は二人を羨ましそうに見つめる。
「失礼ですが……あなた様は?」
「通りすがりのお節介さん……じゃいけないかしら?」
はぐらかす様に微笑む彼女こそ、この恋路のもう一人の仕掛け人、八雲紫に他ならない。
「成る程。――所で、何やら自分以外にもこの恋路のお膳立てをして下さった方が居るように思うのですが、それはあなた様ですか?」
椛の質問に、紫は何でもないと言わんばかりに首を振る。
「別に大したことはしていないわ、ただ鴉天狗さんが動きやすいようにちょっとお手伝いをしてあげただけ。ただそれだけよ」
「そうでしたか。それはありがとうございます」
「お礼なんかいらないわよ――それより良ければ、私のお酒の相手をしてくださらない?」
そう言うと、彼女はどこからともなく大きな徳利と盃を二つ取り出した。
椛にもそれを断る理由はない。
「ええ――自分で良ければ、喜んで」
盃を受け取ると紫は徳利の栓を抜き、中の酒を小気味よく注いでいく。
二つの盃が澄んだ液体で満たされると、二人は申し合わせたようにそれを鳴らした。
「じゃあ……二人の恋路の第一歩に」
「乾杯」
11
文の告白から一月後、博麗神社は騒々しさを増していた。
理由は至極単純で、文が霊夢と同棲するようになったからだ。
「文!……もう起きなさいってば!」
霊夢が文の布団を強引に引っぺがし、惰眠を貪っていた文の背中に強烈な蹴りを食らわせた。
「ふぇ!?」
突然の暴力に成す術もなく、ごろごろと寝室の床を転がっていく文。
「もお! 起こすならもっと優しく起こしてくださいよ霊夢さん!」
眠い目を擦りながら文が不満をたれるが、霊夢はそんなことは関係ないと言わんばかりに奪った掛け布団をテキパキと畳む。
「いつまでも寝てるからでしょ。ほらあんたも布団しまって。朝ご飯出来たわよ」
「分かりましたよ。いま起きます」
霊夢の体からは味噌の良い匂いがしていた。朝食には味噌汁があるに違いない。
その匂いに期待を寄せながらも文は渋々自分の布団をしまう。
しかしふと思い出したように、
「ああ霊夢さんちょっと」
そう言って文は霊夢の唇を奪った。
一瞬驚きの表情を浮かべながらも、霊夢はそれに抵抗することなく口づけを受け入れる。
時間にして見れば、ほんの一瞬の出来事だったろう。しかし、彼女たちにとっては濃厚な刹那であったに違いない。
「えへへ……」
唇を離した文が照れ隠しのように笑う。その顔は嬉しさと恥ずかしさで朱に染まっていた。
「……霊夢さんを好きになって、私幸せです」
満面の笑みを浮かべる文。それは彼女の心からの言葉だ。
それを見た霊夢は、
「そう……あたしもよ」
と言った。
「れ、霊夢さん!?」
うろたえる文を尻目に霊夢はすでに布団を仕舞っている。
「さあ、早くご飯食べましょう」
先ほどの雰囲気はどこへやら。さっぱりとした表情で霊夢は寝室を出ていく。
「今のもう一回言ってくださいよ。ねえ、霊夢さんってば!ねえ!」
霊夢の背中を追いかける文、その表情はきっと幸せに満ち溢れていたに違いない。
自分の気持ちが何なのか分からないあややに、悶えそうになった
シンプルかつストレートなあやれいむで良かったです