Coolier - 新生・東方創想話

夢が偽りだというのならこの世界は嘘吐き達の住む箱庭 第十五章

2014/04/29 15:24:51
最終更新
サイズ
33.55KB
ページ数
1
閲覧数
1606
評価数
3/8
POINT
440
Rate
10.33

分類タグ

最初
第一章 夢見る理由を探すなら

一つ前
第十四章 そこに異常を見たのなら



   第十五章 妙なる血を流すなら

 蓮子の悲鳴に、メリー達が部屋へ雪崩れ込む。
 布団の上で自分のパンツをずらした状態で顔を青ざめさせている蓮子と微かに漂ってくる血の匂い。蓮子がゆっくりと顔を上げてメリー達と目を合わせ、顔を赤くしたのを見て、メリーは理解する。
「持ってます?」
 メリーが振り返って三人に問うと三人揃って首を横に振った。一人は影で一人は化け物なので仕方が無いと言えば仕方が無い。生憎とメリーも持っていなかったのでポケットティッシュで代用する事にした。ちゆりが部屋の箪笥から下着の替えを持って来る。
「蓮子、汚れた下着脱いでくれる?」
 メリーが優しい笑みを浮かべる。
「メリー」
 蓮子が呟きと共に涙を零した。
「蓮子?」
 蓮子の涙が瞬く間にその量を増す。
「大丈夫よ、蓮子。みんなに来るものだから、恥ずかしい事じゃないし。それに前にも言ったでしょ? こんなの股から血が出るだけよ」
 何とか蓮子を慰めようと言葉をかけるが、涙は止まらない。終いには顔を伏せて「ごめん」と呟いた。ぎゅっとシーツを握りしめ、涙を零しながら、ごめんと繰り返す。
「蓮子、気にしないでよ」
「ごめん、こんな時なのに」
「だから」
「今だけじゃない。今までもずっと、私、いつだってメリーの役に立ってなかった」
「そんな事無いわ」
「メリーの傍に居る事が私に出来る事だと思ってた。でも私はメリーから離れてしまって。メリーの病気を治そうとしたけど、まだ治せてなくて。ようやくその方法が分かったのにこんな事で足止めして」
「こんな事だなんて言わないで。大切な事でしょ?」
 蓮子はもう何も答えずに、黙って替えの下着とポケットティッシュを受け取ると、うつむいたまま言った。
「後は自分で何とかするから」
「大丈夫?」
「うん、これ位は」
「ティッシュは二つあるから、一つはパンツを履く時に当てるんだよ?」
「分かった」
 かなり真剣に落ち込んでいるらしく、メリーの言葉が届かない。ここで時間ばかりかけるのも不味いだろうと、メリー達は部屋の外へ出た。蓮子が出てくるのをメリーは心配そうに待つ。それを気遣う様に文乃がメリーへ話しかけ、そこから少し離れた場所で、岡崎とちゆりがこそこそと内緒話をしていた。
「蓮子ちゃん大丈夫っすかね?」
「良い兆候だ」
「ええ? どうしてだぜ?」
「メリー君の目が安定しているからだ。病気の原因はこの前話しただろう?」
「穢れがどうの」
「そっちじゃない。もっと前に言っただろう?」
「恋心ですか?」
 それが岡崎の結論付けたメリーの病気の原因だった。一番最初の実験の最中、メリーの意識が向こうの世界へ飛んだ時、脳のパラメータが恋をしている時のそれに酷似していたのがその根拠だ。恋心であるとの確信を得た岡崎はそれからもメリーを観察し続け、やはりメリーの病気は恋心、あるいはそれに酷似した感情であると結論付けた。
 メリーは蓮子に恋をしている。いつまでも一緒に居る事を夢見ている。だがメリーは蓮子と一緒に居る事を願っていながら、そんな明るい未来を疑っている。一緒に居ると約束し合ってもいつかは別れる時が来るんじゃないかと。蓮子がずっと一緒に居ると告げても尚、信じ切れていない。メリー位の年齢であれば、好きな者の言葉であれば無条件に信じてしまえそうなのに。どうしてそこまで頑なに希望を持とうとしないのかは岡崎も分からない。人は自分の信じたい事を信ずる。それは決して自分の幸福を信じるという事じゃない。自分の中の世界と齟齬がない世界を信じるという事だ。もしもその齟齬がその人間の芯になる部分だとすれば、覆すのは困難だ。
 メリーは蓮子と離れ離れになるという事を恐れ、無意識ながらそれを信じている。それでもどうにかしてずっと一緒に居たいと考えている。そしてきっとメリーにとって蓮子との繋がりは、お喋りをしたりとか、一緒に遊びに行ったりとか、そう言った一般的な営みによって形作られるものではない。秘封倶楽部という活動を通してのみはっきりと感じ取れるものだったのだろう。境界を見つけそれに飛び込む事、もっと言えば境界を見るという特別な目を持っている事だけが、メリーが信じられる自分の価値なのだ。
 そうして蓮子と離れ離れになる事を極度に恐れた結果、メリーは無意識に自身の能力を使い出し、ついには向こうの世界に入り浸る様になって、それが結局蓮子と離れてしまう事になっても、引き下がれずに能力が暴走していったと推測出来る。
「固定観念は理屈じゃない。どれだけ詳細に原因を説明しても無駄だ。時が解決する事もあるがメリー君の容体とそれに罪悪感を覚える蓮子君の精神状態は急を要している。ずっと一緒に居て醸成された固定観念を一朝一夕で打破するには、彼等の根底を揺さぶる位の強い衝撃が必要だ」
「だから月旅行」
「そう、人類は誰もが月に憧れる。実際に月へ行くという事はその人間の根幹に影響を与えるだけの衝撃がある、筈だった」
「けれどメリーちゃんは月の人間だし、その上蓮子ちゃんがテロにも巻き込まれて誘拐され、計画は失敗」
「だがそれが功を奏し始めた。テロに巻き込まれた事自体が大きな衝撃、その上月まで迎えに来たメリー君と月に攫われてまでメリー君の病気を治そうとする蓮子君、二人の絆の強さを示す良いデモンストレーションだ。現に今、メリー君の容体を見るに、明らかに改善の兆しが見える。後はもう一歩、何か大きな衝撃を与えられれば。ただその前に蓮子君の精神が持つだろうか」
「大丈夫だぜ。二人共教授の認める天才なんだから」
「メリー君は、主に蓮子君への思いに関してだが、確固とした信念が見える。あの年にしては珍しい程ぶれない。だが蓮子君は、反対にあまりにも揺らぎすぎる。メリー君の事となると特に。月から地球にやってきて孤独を感じていたメリー君が蓮子君に依存するのはわかるが、蓮子君がメリー君に依存するというのが良く分からない。何かを見落としている気がする」
 考え込む岡崎に、ちゆりは肩を竦めて見せた。
「惚れた相手だからって事でしょ。教授はその辺りの機微が分からないかなぁ」
「ふん、どうせ恋愛なぞした事が無いよ。そういうちゆりには何か良い案があるのかな?」
「まだるっこしいんだぜ。誰も居ない二人だけの空間に閉じ込めておけば、恋なんて嫌でも成就するのに」
「それじゃあロマンが無いだろう。私達は恋のキューピッドだぞ」
「どうせ夢がありませんよ」とちゆりが不貞腐れるので岡崎が笑う。
 そんな二人の目が蓮子の居る部屋の扉に注がれた。そっと扉を開けて出てきた蓮子の顔にまだ生気は戻っていない。羞恥と嫌悪と罪悪感が色濃く見えた。
 岡崎が大丈夫かと問い尋ねると、蓮子は行きましょうと呟いた。明らかに大丈夫には見えなかったが、それを言っても始まらない。予定通り文乃の背に乗って目的地へと向かう事にした。文乃の上でメリーが蓮子の傍に寄ってしきりに励ましているが、蓮子は生返事ばかりでまるで言葉が届いていない。
 文乃が動き出す。初めは背に乗った人人に気を使ってゆっくりと、簡単には落とさないと分かると次第にスピードを上げていく。門を潜り、外へ出て、蓮子の指示する方角へ行こうとして、文乃の歩みが止まった。
「どちらへ行かれるおつもりですか?」
 思わずちゆりは舌打ちした。
 道の先には綿月豊姫と依姫、そして玉兎達が待ち構えていた。最初からこちらの動きは読まれていたのだろうかと、ちゆりは歯噛みする。
「今は戦時下。そんな無防備に出歩いていたら危険ですわ」
 玉兎達は道幅一杯に広がっていて通してくれそうにない。ならば逆からと振り返ると、いつの間にか反対側も玉兎達に囲まれていた。
 どうすればとちゆりが悩んでいると、メリーが文乃から飛び降りて豊姫達に向かっていく。
「おい、メリーちゃん!」
 ちゆりの言葉も無視して、メリーは何の気負いもない様子で豊姫の前に立つ。豊姫が嬉しそうな笑顔を見せて身を屈めた。
「こんにちは。地球での名前はマエリベリー・ハーンよね。私は綿月豊姫。実際に会ったのは初めてかしら?」
「すみません、ナプキンかタンポンありません?」
「え?」
 予想外の言葉に豊姫が混乱する。
「ナプキンかタンポン持ってませんか?」
 後ろを向いて玉兎達に誰か生理用品を持っていないか聞くと、人型の何人かが手を上げた。前の玉兎達を押しのけながら豊姫の下に辿り着くと恭しくナプキンを差し出してくる。受け取った豊姫が未だにメリーの意図が読めないまま、ナプキンをメリーに渡す。
「これで、良い?」
「ありがとうございます!」
 メリーはナプキンを受け取ると、文乃の下まで戻って、蓮子を連れて屋敷の中へ戻っていった。門一枚を隔てた向こうから、ナプキンの付け方を教えるメリーの言葉とそれに戸惑う蓮子の声が聞こえる。しばらくして落ち着いた表情のメリーと顔を赤くした蓮子が戻ってきて、文乃の上に乗った。
「私達はこの先に用があるんです。通してください」
 今のやりとりは何だったのかと思わせる様な、メリーの何食わぬ言葉に、豊姫は面食らった顔になる。
「今のは?」
「気にしないで下さい」
「そう」
 豊姫は自身を落ち着ける為に一度咳払いをして、それから言った。
「とにかく今、外は危険なのです」
「でも地球の人達は蓮子を助けに来る為に来たんです。私達に危害を加える筈がありません」
「流れ弾に当たるという事もあるわ。それだけじゃない。実は地球側の攻撃があまりにも激しくて、上層部が穢れた部隊を使う事を決めてしまったの」
「穢れた部隊?」
「そう、穢れに浸りすぎて変質してしまった化け物達。その文乃さんみたいにね」
 豊姫に指摘されて、文乃が体を震わせる。豊姫の心無い言葉に蓮子の目が険しくなる。
「文乃は文乃です。化け物なんかじゃない」
「ええ、その文乃さんは中途半端な変質で理性が残っているから確かにそうよ。でも穢れた部隊は完全に穢れきって理性が無い。私達の言葉が届かず制御も叶わない。無差別に辺りを襲う存在に成り下がってしまっている。それが都に侵入した部隊を倒す為に放たれてしまった」
「無差別? そんなのが放たれたら普通の人達だって襲われて大変な事になると思うんだぜ。その上層部は正気なのか?」
 訝しむちゆりに、豊姫が頷いて見せる。
「勿論狂っているわ」
「おいおい、自分のとこの上層部だろうに」
「だって本当の事だもの。己の治める土地に侵入者がやって来たからと言って、町に狂犬を放つ為政者が何処に居るの?」
「地球には結構居た気がするぜ」
「とにかくそんな事になったから、今、皆に事情を伝えて避難する様に言っている。勿論あなた方も例外では無いわ。一緒に来て頂戴。非常事態だから駄目というのなら無理矢理にでも」
 豊姫が脅す様に扇子を突き出した。
 驚いて身を震わせた蓮子だが、それでも勇気を振り絞って立ち上がる。
「私達は、それでも行かなくちゃいけないんです。お願いです。通してください」
「この先へ?」
「そうです」
「目的はメリーちゃんに羽衣を使う為かしら?」
 蓮子が言葉を喉に詰まらせた。豊姫達は完全に蓮子達の動向を見抜いている。
 止められてしまうと蓮子は恐れたが、予想に反して豊姫が迷いだした。
「確かに、それは悪くない。地球から来たばかりで穢れが残っているもの」
「お姉様、如何でしょう。私が羽衣の下まで護衛致しますわ」
 二人が迷っているのを見た岡崎は、蓮子の肩に手を載せて口を閉ざさせると、怒鳴る様に言った。
「さあ、どうするんだい? 大人しく私達を通すか、それともそれを阻むのか。尤も阻むというのであれば、無理矢理にでも押し通るがね」
 その真っ黒な姿に依姫が一歩踏み出した。
「あんた、岡崎夢美か? 何か真っ黒だけど」
「無論。他に何に見える」
「それは、いや、うん、何でも無いです」
「そうか、なら良い。さあ、どうする?」
 自信有り気な岡崎に豊姫が不思議そうに問うた。
「無理矢理押し通ると仰りましたが、まさか勝てるとお思いで?」
「勝てる勝てないでは無い。阻まれるか阻まれぬかだ」
 岡崎の挑発する様な口振りに、豊姫は眉を吊り上げる。
「ならば阻みます。何か危険な匂いがする」
「そうかならば無理矢理押し通ろう」
 岡崎がくつくつと笑う。その襟首をちゆりが思いっきり掴みあげた。
「何やってんだぜ、教授! 今、普通に通れそうだったのに」
「ちゆりこそ何を聞いていた。阻むと言っているんだから普通に通れる訳が無いだろう」
「いや、だからその前に教授が挑発しなければ。いや、過ぎた事は。それよりどうやって押し通るつもりですか? 私達は今、まともに戦える武器なんて無いでしょう。あなただってただの影なんですから」
 そこで岡崎がにっと笑い、メリーを見た。
「メリー君! 既に言った通り、この月は願望のエネルギーに溢れている。確固たる願いさえあれば魔法が使えるんだ!」
 それを聞いて、ちゆりが頬をひくつかせた。
「教授、まさか」
「さあ、メリー君、強く確かにこの場を押し通る事を望み給え! さすれば必ずその願望は結実し、君の目の能力とは違う、願望の結晶である魔法がこの世界に影響を与えるだろう!」
「この魔法狂が! やっぱり魔法が見たいだけだろ!」
 ちゆりに思いっきり揺さぶられながら岡崎は笑っている。その笑いの矛先であるメリーはぼんやりと岡崎を見つめ、蓮子に目を移し、立ち上がって月人達を見下ろした。
「魔法」
「そうだ! 願え!」
「私の願い」
「願うんだ! 君の魔法を見せてくれ!」
「蓮子の思いを叶えたい」
 そしてメリーが目を閉じた。
 まさか本当に魔法を使うのかと、誰かが息を飲んだ。
 もはや誰も声を発さず、メリーの起こす魔法の成り行きを見つめている。
 本当にそれが出来るのか。
 メリーが何を望むのか。
 それがどんな結末を生むのか。
 皆が息を詰めて見守っている。
 皆に見つめられている中、メリーは静かに息を吸い込んだ。
「蓮子が自信を無くしているから、少しでも元気になってもらいたい。私の魔法でそれが出来るのならその後押しがしたい。蓮子がこの場を通りたいと思うのなら、私はそれを願う」
 メリーがかっと目を見開き、力強く宣言した。
「だから私はそれを願う! 蓮子の為に!」
 その瞬間、魔法が起こり、蓮子のストッキングが踝までずり下がった。ロングスカートの所為で、ほとんど肌は見えず、裾の端から団子になったストッキングだけが見える。
 メリーははっと自分の行為が引き起こした結果を見て慌てて魅入る。他の者達は蓮子に起こった変化に気が付かず、不思議そうな顔で辺りを見回している。
 そして蓮子もまた他の者達と同じ様に一瞬何が起こったのか分からず、辺りを見渡したが、すぐに下半身の違和感に気が付き、思いっきり悲鳴を上げた。
 その悲鳴に他の者達もようやく異変に気がつく。
「メリ、メリー? メリー!」
「ごめんなさい、蓮子。まさか本当に使えるとは思えなくて。ちょっと間違えたみたい」
「間違えたって何を!」
「もう一回やってみるわ!」
 メリーが元気に言って、再び目を閉じ何事が呟きだした。
 蓮子は何だか嫌な予感がしてスカートを掴んだ瞬間、あろう事が風も無くスカートが捲れ上がる。再び蓮子の悲鳴が響き渡った。
「何すんの、メリー!」
「ごめんなさい、蓮子。まだ慣れないから。願望が勝手に」
「あんたの願望でしょ!」
 蓮子に叩かれたメリーは真面目な顔になって、呆然としている月人達を見下ろした。
「次は真剣にやるわ」
「最初から真剣にやってよ」
 そしてメリーが目を瞑った。
 ただ押し通ると言っても何を願えば良いのか分からない。じっと目を瞑って考えていると、闇の中、不意に紫の声が聞こえてきた。
「あの、湖での事を思い出して」
「え?」
「私の夢を叶えてくれない?」
 夢。
 メリーははっと思い出して、それを願った。
 頭に思い浮かんだのは二人の人物。月に話を付けに行くと言った幻想郷の巫女と魔女。
 不意に風が巻き起こって、メリーが目を開けると、その二人が居た。
「おい、何だ急に、何処だここ」
「月、みたいだけど」
 霊夢と魔理沙がメリーの前に立っていた。
 耳の傍で、霊夢と魔理沙を応援する嬌声が上がり、あまりの声量に耳が痛くなる。横を見ると、紫が隙間から顔を覗かせていた。
「紫さん?」
「ああ、私の事は無視して頂戴。この時間軸の登場人物じゃないんだから」
「はあ」
「それより、私の子供達の活躍を目に焼き付けてよ」
 メリーが二人に顔を戻すと、魔理沙が言った。
「良く分からんけど、綿月姉妹が目の前に居るぜ?」
「そうね、なら当初の目的を果たしましょうか」
 そう言って文乃から降り立ち綿月姉妹の前に立つ。一方で綿月姉妹や玉兎達は驚きに目を見開き、中には恐ろしげな顔をしている者も居た。
「何故、ここに居る?」
 依姫が震える声で問いかけてくる。それを聞いて、魔理沙が小さく吹き出した。
「さあな、ま、成り行きって奴だよ。半年ぶり位か?」
「ふざけるな! 半年どころじゃない。どんな絡繰りだ! 人間じゃ無くなったのか?」
 霊夢が眉を顰めて首をかしげた。
「どう見ても人間でしょう? 何言ってるの?」
「何故……何故百年も前の地上人が」
 依姫の意味不明な言葉に、霊夢と魔理沙が揃って肩を竦める。
 その時、隙間から顔を出した紫が楽しむ様に言った。
「簡単な事よ。幾億の経験を繰り返してあなたを倒しに来た。それだけじゃない!」
 依姫以上に訳の分からない言葉に、霊夢と魔理沙が振り返ったが、その時には既に、紫は首を引っ込めて消えていた。霊夢と魔理沙が同時に溜息を吐き、依姫へと向き直る。
「良く分からないけど、多分スキマ妖怪に誑かされたのよ、あなた」
 依姫が歯噛みする。
「目的は何だ?」
「まあ、話し合い? だったけど、ここまで来たら戦うしか無いでしょう?」
「なあ、何かそんな雰囲気だぜ」
「良いだろう。ただしスペルカードルールは無しだ。あれはあなた方に有利過ぎる」
「その割に私達歯が立たなかった気がするけど」
 魔理沙が頭を掻いて、それから笑みを浮かべた。
「良いぜ。あれから修行したんだ。今更退けるかよ」
 霊夢も御幣を握りしめて笑い、姿が消えた。
 すぐさま豊姫の背後に現れて御幣を振り下ろす。だがあっさりと豊姫の扇子に防がれた。
「もう始めるの?」
「戦う事を承諾したでしょ? それが始まりの合図」
 霊夢が飛び退ると、豊姫の背後の地面から刀剣が突き出した。
 地面に剣山を生やした依姫が冷たく答える。
「なら行かせてもらうぞ」
「良いのか、それで」
 空を飛ぶ魔理沙が嘲笑う。その手に握られたミニ八卦炉には凄まじい魔力が込められて、甲高い音を立てている。それを見上げて依姫が問う。
「どういう事だ」
 霊夢が御幣を担ぎながら依姫の後ろを歩く。
「ここで戦う訳? 魔理沙があれをぶっ放したらここら辺一帯が吹っ飛ぶと思うけど。この都住み心地良かったからあまり壊したくないんだけど」
「……お姉様、お願い致します」
 依姫が豊姫を見ると、頷いて宙に手を翳した。
「いつもの通り、この空間で戦いましょう。二対二で」
「いつもの通りって言われても初めてだが良いだろう。な、霊夢」
「良いけどさ……まあ、良いや。なる様になるでしょう」
 そんな事を話し合いながら四人が消え、はらはらとして見守っていた玉兎達がはっとして蓮子達の事を思いだした時には既にその姿が消えていた。

 理事長はじっとニュースを眺め続けていた。岡崎はその隣でヘッドマウントディスプレイを付けて月へ行っている。ニュースはずっと月面へ軍隊が送られた事を放映している。発射し、月面に着陸し、そこに基地を作って、月人と戦い、今は戦っていた相手と協力して月の都に潜入したと報じられている。そして今注目されているのは、悪者についてだ。
 月面基地で軍隊が戦っていたのは妖怪と言って元元地球に居た者達だった。それが月人に捕まって月面に監禁されていた。そして久しぶりに外に出られたと思ったら、無理矢理地球の軍隊の前に連れて行かれて戦争を強要された。その悲劇を語る妖怪は天狗を名乗る人物。あどけなく美しい少女の姿で、語る言葉は流麗であり、簡潔だが要点を得た説明に、人の情を突くのも上手いと、まさに完璧な役割だった。彼女の語る言葉には力があり、そしてその力は世界中に放たれる事で世界を変える。
 理事長は口の端を釣り上げると立ち上がった。もう天狗の彼女によって動く世界の方向性は分かっているから見ている必要は無いし、何より時間が無い。理事長は近くから岡崎の者よりも一回り大きなヘッドマウントディスプレイを取り付けると目を瞑って月へ転移するのを待った。

 文乃に乗りながら羽衣のある建物まで向かう途中で、突然メリーが「あ」と声を出した。その時蓮子はメリーに抗議していた。ストッキングを下ろされスカートをめくられた事に対して。メリーはそれを神妙な顔で聞いていたのだが、角を曲がる時に振り回される振りをして蓮子にのしかかってきた。のしかかられた蓮子が顔を真赤にしてメリーを振りほどこうとしする。正にその時、伸し掛かっているメリーが急に「あ」等と声を出すので、蓮子は自分の体に何か異常──例えば血が付いているとか──があったのでは無いかと心配になって自分の体を見回し、不安そうにメリーを見上げたのだが、声を上げた当のメリーは全く別の方角を見ていた。
 メリーの見つめる先に目をやると、鉄筋コンクリートで出来た古いタイプの集合住宅があった。どうしたのだろうと不思議に思っていると、メリーの顔が懐かしそうな笑顔に変わる。
「ここに私の家があったんだ」
「メリーの家?」
「そう。私とお母さんが住んでいた家。私はいつも家の中に引き篭もって物語に浸っていた」
 メリーがふと寂しそうな声になる。
「そう言えば、あのかぐや姫の絵本は何処に行ったんだろう」
「かぐや姫?」
「そう、私の親友の在り処」
 メリーの声があんまりにも寂しそうなので蓮子が心配になると、メリーが突然ぱっと顔を明るくして蓮子を見た。
「ま、蓮子がここに居るから良いんだけどね」
 そう言って顔を埋めてくるので、またぎゃーぎゃー騒いでいると、やがて目的の建物に付いた。
 石造りのバロック調建築を見つけて蓮子が声を上げる。
「あった! そこです! すぐそこの」
 文乃の速度が緩まり蓮子達は羽衣のある建物に着いた。

「いやぁ、当たらんなぁ、霊夢」
 箒で空を飛ぶ魔理沙がそう言うと、箒の上に転移した霊夢が息を荒げながら言った。
「当ててよ。あんたがアタッカーなんだから」
「いや、だってとにかく速いんだよ、依姫の奴」
 魔理沙が下を見ると、依姫が余裕のある表情で仁王立ちしている。
「どうした? まだ軽口を言い合う余裕があったのか?」
「うっせー」
 魔理沙が気怠げに呟いて依姫に箒の先を向けた。箒に跨っていた霊夢はいつの間にか消えている。魔理沙が魔力で弾を生み出して射出する。それと同時に魔理沙自身も依姫に突っ込んだ。途中で方向転換して依姫の周りと飛び回りながら次次に魔力で出来た弾を撃ちこんでいく。
「遅すぎて当たらないぞ」
 魔理沙の撃ち込む幾多の魔弾を依姫は苦も無く避け続けている。魔理沙が口惜しげに唇を引き結び、魔弾を撃ち出しながら依姫の背後に回って、ミニ八卦炉からマスタースパークを打った。だが至近距離から撃ったにも関わらず、依姫はあっさりとそれを避け、カウンターで抜刀し魔理沙の胸を切り裂いてくる。
 魔理沙は冷や汗を流しながら慌てて逃げ出し、自分の胸に手を当てる。痛みは無く、幸い服が切れただけだった。それでも悔しくて魔理沙はミニ八卦炉を握りしめた。
 力の差は歴然だった。攻撃が当たらない。どれだけ密度を増やしてもあっさりと避けられる。依姫は余裕の表情を崩さず、その上、以前は使った神降ろしを今回は一度も使っていない。手加減をされているという事実が魔理沙の自尊心を傷付ける。
 あまりの力の差に笑い出したくなる程だった。それでも諦めないのは霊夢が戦っているからだ。ちらりと霊夢と豊姫の戦いを見ると、霊夢が扇子の起こす風を避けながら必死で豊姫の攻撃の隙を探っていた。霊夢が諦めた後ならまだしも霊夢より先に諦めるなんて、後で絶対馬鹿にされるに決まっている。
 勝算はある。当たれば勝てる。例えどれだけ力の差があっても、マスタースパークを当てれば勝てると信じている。弾幕はパワーという魔理沙の心情が自分の火力に絶対の信頼を寄せている。だからこそ諦められない。当てて駄目だったらもう無理だが、当てない内に勝利を諦めるなんて出来ない。
 依姫に視線を戻すと、依姫もまた霊夢達の戦いに目を向けていた。
「おい! 良いのかよ、余所見してて! 足元掬われるぜ」
 依姫は魔理沙を見上げ、一言。
「掬えるだけの実力をつけてから言え」
 魔理沙のミニ八卦炉を握り締める力が強くなる。怒りのあまり、危うく血管が切れそうになった。
 良いぜ。そこまで言うなら絶対一泡吹かせてそのまま勝ってやる。

 一方、霊夢の方は豊姫の攻撃を全て避けきっているものの攻めあぐねていた。相手の底が分からない。扇の事は紫から聞いている。物質を一瞬で素粒子レベルに分解する恐るべき兵器。実際は扇にそんな力は無く、あくまで豊姫の力を増幅する物らしいのだが、豊姫が振っている以上全てをばらばらにする事には変わりない。
 豊姫の起こす風を避けながら、隙を伺う。単なる勘であったが、霊夢は豊姫が本気を出していない事を見抜いていた。本気になれば辺り一帯を本当に素粒子へと分解出来るのに、今は前方だけ、しかも分解する程の威力を持たせていない。例え直撃しても精精が結合の緩みで全身が爛れるだけだろう。明らかに豊姫は霊夢を侮り油断している。とは言え、攻撃は避けやすいのだが、全力を出していない分、神経を防御に回していて、攻める事が出来ない。攻撃は緩いが、防御は固い。霊夢にとってやりにくい相手だった。
 豊姫の起こす風を避け、避け、避けていると隙を見つける。霊夢はそれをつこうとしてやっぱり止めて逃げ回る。豊姫は時たま隙を晒す。だがそれを攻めようとすると嫌な予感がする。恐らくそれ等は全てフェイク。愚か者を誘い出す為の罠。豊姫が扇一辺倒の攻撃をしてくるのも、全く別の攻撃を喰らわせる布石の様にも見える。とにかく何もかもが疑わしく攻め切れない。
 強大な相手だがそれでも本物の隙が出来れば勝てると霊夢は確信していた。隙を突き封印してしまえばどんな強者にでも勝てる。それは博麗の巫女である己自身への信仰。封印出来ぬもの等無いという自負。
 風を避ける内、ついにその瞬間がやって来る。豊姫が扇を振り切り、敢えて晒した偽の隙と、そこから次の攻撃へ移るまでのほんの僅か小数点以下の本物の隙に、霊夢は豊姫の斜め後ろへと周り込む。触れれば勝てる。体勢からして絶対に扇の届かない位置から強襲を掛ける。豊姫が振り切った体勢のまま扇を戻せないのを確認して、勝利が目の前に迫る。
 その瞬間、にたりと豊姫が笑った。同時に逆の手が虚空からもう一本の扇を取り出し、無造作に後ろへ振るう。直前で霊夢は違和感を覚え飛び退っていた為に直撃こそ避けたものの、左手が風に煽られて爛れ落ちた。
 距離を取った霊夢は片腕を失った痛みに脂汗を流しながらも笑みを浮かべる。
「やられた」
「大丈夫よ。戦闘が終わったらすぐに治してあげるわ。もう降参する?」
「馬鹿言いなさい。右手があれば戦えるわ。それにしてもまさか、そんな簡単な手にやられるとは」
「そうね。緊張しているんじゃない? 私が一体どんな手を隠しているのか読めなくて、不安に思っているでしょう?」
「あら、あなたさとりだったっけ?」
「いいえ、まさか。それに私は隠し手なんて持ってない。私は戦闘が役割じゃないのだから、この二本の扇で打ち止めよ」
「うーん、あんたはどうにも信用ならないんだけど」
「あら、本当なのに」
「ええ、そうでしょうね。紫と一緒に居るからか、あんたみたいな奴の本当と嘘を見抜く事が出来る様になってきたわ」
 笑みのまま口を閉ざした豊姫に、霊夢はにっと笑ってみせると、再び姿を消した。

 豊姫は微かな苛立ちを覚えていた。幾ら扇を振るっても霊夢が捉えられない。あまりにもすばしっこく、その上敢えて隙を晒して罠に嵌めようとしても、こちらの意図を読んでいるかの様に悉く引っかかってこないので益益苛苛してくる。どうにか捉えようと扇の出力を上げて範囲を広げる。出力が増えた分威力も増すが、多分まだ死なない威力だ。尤も、さっき霊夢に本物の虚を突かれた時には慌てて普段以上に力を込めてしまって、霊夢の片腕を落としてしまったが。
 普段であればこんな失敗しない筈なのに。やはり百年前に何度も攻めてきた、旧知の仲が再び攻めてきた事に心が沸き立っているのだろう。自分の心に久方ぶりの前向きな感情を覚えて困惑する。それすらも苛立ちに感じながら、豊姫は扇を振るう。
 既に大分時間が経った。お互いが消耗してきている。それだけじゃなく、時間の猶予がどんどんと失われていく。今月面で起こっている事態を考えれば、早く元の世界に戻らなくちゃいけないのに。
 焦りながら霊夢を攻撃するがどうしても捉まらない。それでも扇を振るう事しか出来ずに繰り返し繰り返し風を巻き起こしていると、不意に霊夢が痛みに顔をしかめて固まるのが見えた。動きが止まり、無くなった片腕を抑えている。
 好機到来。豊姫は苛立ちのままに、出力を軽く上げて霊夢へと風を巻き起こした。
 風に当たれば霊夢は落ちる。
 痛みに顔をしかめている霊夢は動かない。
 豊姫は勝利を確信したが、風が届く直前で霊夢が夢想天生を発動した。この世から浮き上がった霊夢の体を風が通りぬける。それを見た豊姫の目が驚きと恐怖に固まった。

 依姫はひたすらに驚嘆していた。魔理沙の攻撃が苛烈さを増し、捉えようとするも速度が底無しに上がって捉えられない。数瞬前と比べても動きに歴然の差がある。その数瞬毎の成長が積み重なっていく。あまりにも急速な進化はもはや成長と呼べるものではない。元からそれだけの地力が無ければ、こんな短時間で辿りつけない。だが元からの力とはいえ、勘を取り戻したとか、慣れてきたというのも違う。それは言うなれば思い出したといったところ。かつて同じ戦いをした事がありその時の動きを再現している様に見えた。
 初めの内は圧倒的な差があったので、依姫は魔理沙を教練しようと手を抜いて戦っていたのだが、それももう出来なくなっている。既に気を抜けば本当に倒されてしまう程魔理沙が強くなっていた。相手の攻撃は難なく躱せているものの、依姫の攻撃も八百万の神神を降ろして尚、魔理沙の飛び回る速度を追い切れない。
 完全な泥沼に陥った依姫は逃げ回る魔理沙を追って半ば本気で空中を駆けまわっていた。
 だからそれに気がつけなかった。
「依姫!」
 その声に反応して地上を見ると、豊姫が扇を振るいきり、風が生み出されていた。
 二本の扇から放たれ、重なって強力になった、全ての物をばらばらにする風が依姫を襲う。本来だったら避けられたかもしれないが、姉に名前を呼ばれた所為で一瞬硬直してしまったのが運の尽きだった。依姫は為す術も無く風に包まれて全身に激痛が走る。
「ごめんなさい、依姫」
 お姉様、何やってんの。
 戦闘時に味方を攻撃しない様に気をつけるなんて初歩の初歩だ。
 それを。
 こんな阿呆らしい事をしでかすなんて。何というドジっ子だお姉様、何て可愛らしいんだお姉様。
 畜生、可愛らしい。
 豊姫に見惚れて硬直する依姫の頭上から声が聞こえた。
「だから言ったろ、余所見すんなって」
 その声が聞こえた時にはもう遅かった。伸し掛かられる。依姫の首に足を絡みつかせ、ミニ八卦炉を依姫の目の前に差し出した魔理沙が笑っていた。
「くっ」
 逃げようとしたが体が動かない。風の所為で全身がずたぼろになっていた。
「くそぉ!」
「じゃあな」
 マスタースパークに頭部が包まれ、依姫の体から力が抜けて地面へと落下した。

 自分が扇の風を当てた所為で依姫が魔理沙の攻撃を喰らい落ちていくのを豊姫は恐怖の表情で見つめていた。気を失っているだけなのか、それとも死んでしまったのか。嫌な予感が去来する。
「やっと隙を見せた」
 その声を聞いて、豊姫がぞっとして振り返ると、霊夢の持つ札が額に貼り付けられた。
 意識が闇の中に封印される。
 その戦いの様子はとある幻想郷で大大的に放映されていた。

 綿月姉妹が起きるとそこは路地だった。霊夢達と戦う前に居た路地だ。豊姫が辺りを見回すと玉兎達が駆け寄ってくるのが見えた。
「負けたのか?」
 夢でも見ている様な依姫の言葉に豊姫は頷いた。
「そうなんじゃないかしら」
「そうですか。何か実感が湧かないけど」
 悔しいのかなと豊姫は依姫の表情を窺ったが、何故だか妙に晴れ晴れとしていた。
「随分強くなっておりましたね」
「そうね。結局一度も負けなかったのに。今回ばかりは負けちゃったわ。負けて悔しい?」
「いえ……まあ悔しい事は悔しいのですが、私達が負けるのは、これからの事を考えると、何か仕方の無い様な。変な言い方ですが」
「そうかもしれないわね」
 きっと依姫は自分の立場に罪悪感を覚えているのだろう。本来では負けない筈の相手に負けるというのを、己の罪に対価を払い罪が贖われた様な気になっているのだ。
 それを豊姫は指摘しないし、また非難する気も無い。依姫が精神の安定を図りたいのであれば、そう考えて良いと思う。ただ豊姫自身はそういう考えを持てないだけで。
 一瞬沈みそうになった気持ちを切り替え笑顔になって、駆け寄ってきた玉兎達を抱きしめる。長い時間異世界に居た為、司令塔を失った玉兎達はずっと不安だったのだろう、誰も彼も豊姫と依姫を見て安堵しきっていた。
 この子達を導かねばならない。
 豊姫は立ち上がって依姫に手を差し伸べた。
「さあ、行きましょう」
「はい」
 掴んできた依姫の手を思いっきり引っ張って立たせた時、突然背後から聞き覚えの無い破裂音が聞こえた。
 何だろうと豊姫が振り返ると、そこに真っ黒なローブを着て顔の見えない何者かが立っていた。頭にはうさ耳を生やし、手には小型の銃を持っている。呆然としている豊姫のお腹に、黒ローブは銃を押し当て再び引き金を引いた。何度も何度も引いて、その度に破裂音が鳴る。
 やがて黒ローブは突然に姿を消した。誰もそれを追えなかった。
 後には呆然とした依姫と玉兎達、そして倒れ伏し、赤い液体に浸った豊姫が残された。

 蓮子達が文乃から降りて、羽衣のある建物に入ると中は真っ暗だった。
「あれ、前に来た時はもっと明るかったのに」
 受付があり、待合室があり、そこは地球流の病院の様な場所だった。前に蓮子が来た時はもっと人や兎で賑わっていたし、受付には何人もの事務員が並んでいたのに、今は誰も居ない。もしかしたら地球の軍隊が攻め込んできたから、みんな逃げてしまったのかもしれない。
「羽衣は何処にあるんだい?」
「えっと、四階の部屋にあって」
「よし」
 蓮子達は上へ向かおうとしたが昇降機が全て止まっていた為、仕方無く階段で登った。蓮子に先導されて羽衣のあるという部屋に辿り着く。
 そこで蓮子は息を飲んだ。機械類が滅茶苦茶に壊れていた。壁にかけられて飾られていた羽衣もずたずたに切り裂かれていた。何か恨みでもあるかの様に、その部屋の中が全部壊されている。
 ふと岡崎が鼻を啜って天井を見上げた。
「君達はここに居て」
「え?」
 どういう事が聞き返す前に、岡崎が病室の外に走って姿を消した。慌てて後を追うと既に廊下から姿が消えていて、階段を駆け登る音が聞こえてくる。蓮子達が更にそれを追うと、階段に辿り着いたところで、上の階から降りてきた岡崎と鉢あった。
 岡崎は首を横に振って、両腕を大きく広げる。
「この先は行かない方が良い」
「何があったんですか?」
「月人が死んでいる」
 息を飲んだ蓮子とメリーの背をちゆりが押した。
「なら、まだこの建物にその殺人犯が居るかもしれない。早く逃げるんだぜ」
 蓮子とメリーは顔を見合わせ、その背をちゆりがまた押したので、階段を駆け降りだした。文乃もその後に続き、更に後ろに岡崎とちゆりが続く。
「教授、大丈夫なんですか?」
「いや」
「え?」
 岡崎が昏く笑った。
「勿体無いね。実に勿体無い。貴重なサンプルがあるというのにそれを置いていかねばならないなんて」
「教授、今あんた最高に危ない人だぜ」
「何を言う。恋のキューピッドを前にして」
 呆れるちゆりの鼻が、ふと強烈な血の臭いを嗅いだ。岡崎の服にこびりついた臭いだ。不安に思って、ちゆりが尋ねる。
「一応聞きますけど、教授がやった訳じゃないんですよね」
「当たり前だろう。私は科学者だよ。人を殺すのは仕事じゃない」
「なら良いんです」
 外へ出た蓮子達は文乃に乗ると、岡崎の提案で、豊姫達の下へ戻る事にした。羽衣は破れていたが、月人達であれば治す為の方法を他にも持っているかもしれないというのが岡崎の意見だった。他にどうする方法も無い為、岡崎の意見はあっさりと通り、文乃は蓮子達を乗せて来た道を戻った。
 しかし先程豊姫達と出会った場所に戻っても、月人達の姿が見えなかった。ただ道端に血溜まりがあり、それが酷く不吉な予感を暗示していた。何か大変な事態になっている。
 岡崎は次に地球の軍隊と合流する事を提案する。この何が起こっているのか分からない中を無闇に進むのは危険だ、メリーの病気に関しては遠回りになるかもしれないが、今は皆の安全を優先しよう、と。蓮子としてはメリーの病気を治したかったけれど、羽衣が無くなった今、新しい希望は見えず、だったらメリーを危険に曝してはいけないと自分を納得させた。
 そうして文乃が慎重になって、ロケットが着陸したと思しき方角へと進んでいく。都には奇妙な程人が居なかった。幾ら進んでも人っ子一人見えない。益益警戒しながら進んでいると、大通りを進んでいく途中で、メリーがあっと声を上げた。何かあったのかと文乃が急停止すると、メリーが文乃から飛び降りて地面に屈みこんだ。
「メリー? どうしたの?」
「うん、何だか落ちてたから。落し物かな?」
 そう言って、メリーが心配そうに落し物を掲げた。それは大木を模したぬいぐるみだった。地面に落ちていた所為で汚れている。
「メリー? 今の状況分かってる?」
「うん、周りに落とした人も居ないし、警察に届けないとね」
 メリーが文乃によじ登りながら笑顔を見せた。
「違ーう! 今はそんなのに気を取られている場合じゃないでしょ!」
「でも失くした人は探していると思うし」
「そうだとしても今は……もう良い!」
 たしなめるのが面倒になって、蓮子は黙った。メリーはにこにこと蓮子の隣に座り、文乃が再び走りだす。
 しばらく走ると、再びメリーがあっと声を上げた。
「今度は何!」
 蓮子が苛立ち混じりに問いかけると、メリーが真剣な顔をして言った。
「泣き声が聞こえる」
「え? あ、本当だ」
 確かに耳を澄ますと泣き声が聞こえた。
「きっとこのぬいぐるみを失くした子よ! 行きましょう!」
「いや、違うでしょ! でも今の状況の手がかりにはなるかも」
 文乃が方向転換をして泣き声の方へと進むと、蓮子達よりも更に小さな子供が涙を流しながら歩いていた。そうして走ってくる文乃の音に気がついて顔を上げ、毛の無い男の顔に百足の体をくっつけた化け物を見て、物凄い形相で絶叫し始めた。
 文乃が慌てて物陰に隠れるが、子供の絶叫は止まらない。蓮子とメリーが文乃から降りて子供へと向かう。なるべく警戒されない様に笑顔でゆっくりと近寄ると、子供は絶叫を収めたものの、顔には明らかに恐怖が浮かんでいた。
「大丈夫。私達はあなたにぬいぐるみを返しに来ただけよ」
 そう言って、メリーがぬいぐるみを掲げて左右に揺すった。そうじゃないだろうと蓮子はメリーを叩こうとしたが、子供の顔が俄に驚きの表情へ変わったので手を止める。
「これ、探してたの?」
 蓮子の問いに、子供は怯えた様子のまましばらく黙っていたが、やがて頷いた。メリーがゆっくりと近づいて子供にぬいぐるみを渡すと、子供はぎゅっとそれを抱き締める。
「良かった」とメリーが笑みを見せると、子供は無表情でそれを見つめていたが、やがて小さく頭を下げた。
 少しは信用されたかなと、蓮子が思い切って質問する。
「それで、他の月の人達は何処に行ったの? 何処にも見えないけど」
 子供ははっとして顔を上げ、それから恐れる様な顔になった。
「お化けが出た! みんな隠れなくちゃ行けなくて! 早く戻ろう! 今のもきっとそうだ!」
 そう言って、子供に手を引かれた。
 お化け?
 蓮子とメリーは不思議に思いながらも、手がかりを求めて子供の後をついていく事にした。
 ふと物陰を見ると、岡崎とちゆりが隠れたまま頷いてみせた。どうやら行って来いという事らしい。後、文乃が落ち込んだ様子で項垂れていた。



続き
第十六章 演じる事が偽りだというのなら
演出の都合で蓮子はガーターレスのストッキングを履いています。
大変申し訳ございません。

次回堂々完結的なノリに出来たら良いなぁ。
烏口泣鳴
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.150簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
まったくブレないメリーさん。セクハラされるに流される蓮子さん。
謎が謎を呼び闇が闇を呼ぶこの展開、ループし続けてきた幻想郷。誰と誰が裏で繋がっているのか。
そんなことはおかまいなしの蓮メリに注目です。
2.100非現実世界に棲む者削除
終結が近い、かな?
あのうさ耳が何故月の都に、しかも豊姫だけを狙ったのは何故だ?
なんだか次回が凄く楽しみになってきましたよ。
あとレイマリかっこよかった。
5.90ナルスフ削除
今回は謎だらけだったなあ。
謎のうさ耳とか、理事長とか、魔理沙のパワーアップとか。
次回以降にどう関わってくるのか。