幻想郷を見下ろせる場所にある博麗神社に、今日も風が通る。
神社の経営の面でも妖怪の溜まり場になりやすいという点でも、この立地は何かとわりを食っている気がしてならないのだが、巷の喧噪に身を任せたいわけでもない。
物干し竿には予備のパンツとドロワーズが引っ掛けられ、春風に当てられていた。
そういえば早苗に言わせると、あれはドロワーズではなくズロースと呼ぶのが外では普通らしい。そうはいっても、そこらのお婆ちゃんは単に「股引」と呼ぶときまであるので、こだわるだけ無駄である。
早苗もそれは理解していて、彼女にとって問題なのは「あんなふわっふわしたの穿いたら落ち着かないですよね?」ということなのだった。霊夢からするとドロワ無しでスカートを穿く方が落ち着かない。それを伝えると今度は、じゃあスパッツとかどうか、と繰り出してきた。
そんなどうでもいい話題で盛り上がったのは、いつだったろうか。
座布団を枕に縁側で横になっていた霊夢はうつらうつらとしながら頭のリボンを外すと、やがて意識を手放したのだった。
で、次に目を開けたらパンツとドロワが褌になっていた。
真っ白な長細い帯がはたはたと午後の風に吹かれているのを見て、霊夢は「帯に短し襷に長し、褌にはちょうど良い」という言葉を思い出した。
「あれって『俺に良し君に良し、皆に良し』とノリが似てるわよねえ」
「よくもまあ、そんな歌を知っとるのう」
霊夢に影を被せたのは、二ッ岩マミゾウだった。今日は人間に化けておらず、体の半分ぐらいもある大きな尻尾が出ていた。
「久々にその格好を見ると、それはそれで化かされてる気がするわ」
「失敬な話じゃのう。洗濯物を畳んでやったというに」
マミゾウが霊夢の顔を指差す。人を洗濯物呼ばわりとは何だと思ったが、起き上がってみると意味がわかった。枕にしていたはずの座布団が、下着類を畳んだものに変わっていた。
「手の込んだ悪戯だわねえ……」
暇潰しにかける情熱に呆れながらリボンで髪の毛を整えていると、マミゾウが横に座った。
気付くと熱いお茶が入れられていて、乾いた口には嬉しかった。レミリアが咲夜を召使いにしている理由が少し理解できた気がする。
二人して褌を眺めながら茶を啜っていると、霊夢はようやく、訊くべきことを訊いた。
「あれ何?」
「褌じゃよ。もっことか、股塞ぎとか、色々と言い方はある」
「へえ……」
知りたい内容ではなかったが、特に危険な様子も見られないので、霊夢は呑気であった。
むしろじれてきたのはマミゾウの方だ。彼女はこそばゆそうに首筋を掻いた。
「実はお前さんに」
と言ったか言わないかの段階で、霊夢がマミゾウの尻尾に湯のみの中の茶をぶっかけた。
「おわっちゃー!」
「帰れ! 茶がまずくなる!」
マミゾウが大慌てで尻尾の湯を切る。動作こそ大振りだったが、痛がっている様子は無い。彼女はハンカチを取り出すと、湿った毛を拭い始めた。
「茶を入れてもらっておいて横暴な奴じゃのう……葉っぱに気を遣ってぬるめに入れてなかったら、火傷しとったわい」
「出されたから飲んだだけだもんねー」
してやったとばかりに調子に乗る霊夢だったが、マミゾウがあることを耳打ちした途端、額に冷や汗を浮かべ始めた。
「まじでそんなにするの? このお茶……」
「騙しはするが嘘は言わん」
しばらく無言の時間があってから、マミゾウは仕切り直した。
「実はお前さんに、頼みがあってのう」
霊夢も今度ばかりは大人しく聞いていた。
******
褌が物干し竿で風に棚引いている。その横では紫のレースの下着が、ジャージが、ブラが、シーツが……とにかく大量に干されていた。
洗濯物だけではなく物干し竿からして数が多い。十メートルはあるものが十本、洗濯物の重さで真ん中の辺りを弛ませている。
命蓮寺の裏庭では当たり前の風景だったが、ここに褌が加わったのはわりと最近だった。
「あれ? これ誰の褌?」
ある日、村沙と一緒に川っぺりで洗濯をしていた一輪が一丁の褌を見付けた。
「あんたも昔、こういうの穿いてたよねー。また穿き始めたの?」
「昔はお互い様でしょうが」
「まあねー」
とすると、誰だろうか。箪笥の整理中に見付けて「うふふ、久々に穿いてみようかな」なんて乙女ちっくなことを考えるような代物ではない。では新入りの誰かの物だろうか。
一応、雲山にも訊ねてみたが「これは女物」らしい。どうしてわかるのか問い質してみれば「こんな風に皺の寄らない締め方をするのは女性」と詳しい情報を教えてもらえた。
「いやはや、流石は雲山だわー。よく見てるわー」
「それで済ませられるあんたも相当だよ」
そう言う村沙も手は休めない。自家製の石鹸で丹念に、ものによってはちゃちゃっと洗っていく。それから後に雲山が雪ぎと脱水をやってくれて、裏庭の物干しで乾かすことになる。
褌を物干しに引っ掛けてみれば、やはりよく目立った。見る人が見れば、褌よりも妙に派手な下着類の方が気になるのだろうけれども。
「って言ってもさあ、下着ぐらいはねー?」
「だよねえ」
誰に見せる予定があるわけでも無いが、自分の肌を包むものだ。選べるものなら選びたいのである。
口にこそ出さないが村沙からすれば一輪なんかはよく我慢していると思う。本人に我慢のつもりは無いだろうが、派手な格好は絶対にしない。というより、元々が質素なのを好むのだろう。
そこいくと白蓮はやや派手好きに思えるのだが、それ以上に戒律には厳しい。
「もしかして、聖の趣味って魔界に合わせてんのかね?」
「急にどうしたのさ」
「いやあ、ほら、こっちで寺をやり始めてからも、結構ひらひらしたの着てるじゃん? あれも魔界で培った趣味なのかなーっと思って」
「うーん、姐さんってば魔界のことは話さないからねえ……」
誰よりも白蓮を近くで見てきたと自負する一輪の分析では、聖白蓮という女性は、要するに凝り性なのである。
弟に会うために旅をしたのも、不死を望んだのも、妖怪を救い始めたのも、封印されたのも、こうして熱心に仏教を広めようとしているのも……全てそうした性分のせいだ。
だからこそ一輪は側仕えをしていて飽きないし、離れれば恋しい。失礼な物言いになるが、妹や子供のように思えることさえある。
「ま、私は姐さんに似合ってればそれでいいし」
「あっはっは、まあねー。でもそういえば、聖ってどんな下着だったっけ?」
「ああ、あれねえ、えーっと……」
いつも見かける下着を探すが、どこにも見付からない。雲山に目を合わせると、ふるふると首を振られてしまった。
「あれ? もしかして姐さんってば洗濯物を出し忘れてる?」
「いえいえ、そんなことはありませんよ」
噂をしていると、本人が現れた。今日は外出の用事が無いため、丈の長い紺色のワンピースを着ている。その下にはブラウスを着込んでいるのが襟元から見えた。
「そのもっこ、私のです」
「えっ、これ!?」
一輪だけでなく、村沙も褌を指差してしまう。雲山だけが驚きよりも「ほら、儂の言った通りだろう?」と笑みを浮かべていた。
「ここの所、ついつい幻想郷の風俗に溶け込んでしまいましたからね。下着だけでも気合いを入れ直そうと思いましてー」
「なーんだ、そうだったんですか」
「それなら先に言ってくれれば良いのにねえ」
一輪と村沙があははと笑い合う。そこに白蓮が続けた。
「これからしばらく、褌を広めようと思います」
「ははは、姐さんったら」
「風呂敷ならぬ褌を広げちゃってねー」
「まったくねー」
しばらく笑うだけ笑って、やめた。
白蓮の目が、笑っていなかった。
******
「で、何? 命蓮寺じゃなくて褌寺にでもなったの?」
「そうなる前にやめさせたいんじゃよ」
霊夢は今の今まで冗談の一種かと思っていたのだが、その疑いを捨てた。マミゾウの顔が真剣なものだったからだ。まさか褌の話題でこんな表情を見ることになるとは。
「……あのさ、そもそもなんで褌にはまっちゃったわけ?」
「密教的なわかりにくさを取っ払って、褌スタイルでわかりやすく修行を、ということらしい。あの住職、天竺で火を吐く修行でもした方が性分に合ってる気がしてならん」
「ああ、わかる」
大道芸で身を立てた方が今よりも受けが良いのではなかろうか。
「そっか、なるほど。そこに自分で気が付いたわけか」
「本人はもっとくそ真面目に考えてのことじゃろうが、やろうとしてることは変わらん」
「それで、私にどうしろっての?」
「いや、正直な所、儂にもわからんでな。お手上げなんじゃ。お前さんなら儂には出来んことをやってくれそうだという期待でもって、こうして高級茶葉を持ってやってきたと、まあそういうわけじゃな」
湯飲みにちょろちょろとお茶を足してくれるマミゾウである。尻尾はすっかり乾いたようだ。
「でもさあ、本人に合ってることなら別にほっといても良いんじゃないの?」
「冷静に考えてみろ。あの住職が褌を広めようと本格的に動き出したとするじゃろ。そしたらあの太子が黙っておらんじゃろ」
「あー、赤パン健康法でも広め始めそうだわ」
「そうなったらあまりにもしょうもない戦いじゃろうが」
途中は何だかんだで里の連中も楽しむだろうが、最終的には誰も幸せにならなさそうである。この間のお祭り騒ぎのときの危機と同じである。
「上手くいったらいったで、魔理沙が褌穿くようになっちゃいそうだしねえ……しかもあの子のことだから、褌だけで箒に股がったりするわよ、きっと」
「やりそうじゃのう」
他の人間にしろ妖怪にしろ、イメージが崩れるというのはそれはそれで厄介なものである。
ふむ、存外に大事なのかもしれない。霊夢が納得しかかって、もう一つマミゾウに訊ねた。
「成功報酬は?」
「定期的に茶葉を譲ろう」
「よし」
霊夢のイメージは、どうあっても崩れなさそうだった。
「帰れ。話をややこしくするな」
にべもないとはこのことで、一輪の態度に霊夢は口をへの字に曲げた。
命蓮寺の住居部の出入り口には今、二人が醸し出す剣呑さが充満していた。
「今のところは実害は出てないんだから、ほっといてよ」
「確かに……私はてっきり、あんたたち全員、褌一丁で過ごしてるのかと思ってたわ」
「痴女か! 姐さんもそこまでゆるゆるじゃないわよ」
そうか? 本当にそうか? 霊夢が目を細めると、一輪は目を逸らした。
「はあ……確かに一時はそうなりかけたんだけど、『ただ広めようとしても飽きられる』って言ったら、今度は褌の改良に没頭し始めたのよ」
「っていうと?」
「便秘対策褌とか、体幹矯正褌とか、フリル褌とか」
一つ一つを想像してみる霊夢であったが、褌は褌でしかなかった。シンプルさと褌とはイコールらしい。流石は全世界ほぼ共通の下着の形である。そのどうでもいい情報はマミゾウに聞いた。
「とにかく、今は部屋に籠って唸ってるのよ。じきに普段の修行や法事に頭がいくようになるから、刺激しないでちょうだい」
「母親並に慣れてるわねえ」
「褒め言葉と受け取っておくわ」
しかし、マミゾウが頼み事に来たことと一輪のこの態度とでは、どうもちぐはぐだ。マミゾウは外連味の強い妖怪だが、的外れなことはしない。
ここは少しカマをかけてみることにした。
「あんた、何か重要なことを隠してるでしょ?」
「えっ!? いやいや、なんにも!?」
すっごくわかりやすかった。ナメクジに塩をかけたに等しい。
すると騒ぎを聞き付けて、白蓮が奥から出てきた。
「こんにちは、霊夢さん。一輪が何か粗相をしましたか?」
「こんちは。ううん、こいつは丁寧なもんよ。それより……」
霊夢は唾を飲んだ。白蓮の体から発せられる霊力が、尋常ではなかったからだ。瞬間的な強化であるならわかるが、霊夢の表情が強張るほどのものを常時出していたら、いくら人外でも体が持たない。
だから大物の妖怪ほど、怪しさを上手く使う方法を身に付けている。必要以上に力を行使せず、人の恐怖や警戒心、噂によって、思い通りに事を動かす。
往々にして妖怪退治というものが地味なのも、こうした怪しさを解きほぐすのが仕事だからだ。これを面倒臭がるせいで、霊夢は実力行使が多くなる。
ところが今の白蓮ときたら、力自体が馬鹿強い。もしもこの力を自由自在に、いつでも使えるのだとしたら、とてつもなく危険だった。
「いったい、どうやってそんな力を? まさかあんた、人を生け贄にしてるとかじゃないでしょうね?」
今でこそ住職だが、本来は魔女と言ってしまった方が良い相手だ。褌の事件だと思って、油断してしまったかもしれない。
霊夢の視線に、白蓮は口端を緩めた。
「そこまでの外法をせずとも、自らを戒めるという修行の基本……それだけで良かったのです」
「姐さん、あの」
「一輪は黙っていなさい。霊夢さんはいずれ相手にしなければならないのですから」
「いやあ、でもなあ……やめておいた方がいいなー、って、私はね……」
「破ぁっ!」
中学生の好きそうな掛け声と同時に、白蓮の霊力が爆発した。
具体的に書くと、出入り口ごと周囲が吹き飛んだ。直前に外に飛び出て伏せった霊夢は、何とか無事で済んだ。
白蓮のすぐ横にいた一輪は爆発に巻き込まれてしまったようで、雲山におんぶされて、気絶していた。
埃が段々と止んでくると、霊夢は服に付いた埃を払って、立ち上がった。
「ふうん、なるほどね。マミゾウが心配するわけだわ」
埃が止んだ先で、白蓮の肌のほとんどが露出していた。乳房にはサラシが巻かれていたが、陰部はそうではない。
そこにはエアな巻物・魔人経巻が褌状に締められていた。
「……隠せてなくない!?」
微妙に透けているせいで、なんかあれそれっぽいのがちらちら見える。この文章作品でさえも言葉を濁さないといけない程度には際どい。
「ふふふ、霊夢さん。あまり今の私をみくびらない方がいいですよ。経巻を褌に使うことで魔法のほぼ全てが使えなくなっていますが、それを補ってあまりあるほどの力が湧いてくるのです」
「くっ」
マミゾウが恐れていたのはこれだ。白蓮のことだから凝りに凝った挙げ句、徹夜明けのテンションで『もしこれを褌にしたらどうなっちゃうんだろう?』とか思っちゃって、魔に見入られたのだ。
幻想郷の少女としての羞恥心を捨ててもいいという覚悟が無ければ引き出せない力……!
そんな力に頼ってしまうほどの信念に感服した霊夢は、自分も本気を出すことにした。
「ふん!」
霊夢は自分のスカートとドロワーズを脱ぎ散らした。その下から現れたものに、白蓮は失笑した。
「あら、霊夢さんも褌派だったのですか? なら戦う理由がありませんね」
霊夢の股間には、マミゾウが勝手に干したあの褌が巻かれていた。しかし霊夢の本気とは、その程度ではなかった。
「本気で少女を捨てる覚悟ってやつががどんなものか見せてやるわ」
霊夢は褌の締めた部分を、しゅるりと緩めた。
「!? 霊夢さん、何を!」
白蓮が止める間も無く、褌が解けて地面に落ちる。
霊夢の小振りな尻は完全に空気に曝された。しかし前はそうではなかった。恥部は封魔の札によってぎりぎり隠されていたのだ。
その全容を白蓮が目にしたのと同時に、霊夢の全身から霊力が立ち上った。この霊力は天狗の山にいた白狼が視認できたほどで、このときの揺れはもし震度計があれば三を記録していただろう。
守矢神社では早苗が「風が……止んだ?」と一度は言ってみたい台詞をちゃっかりと言っていたし、魔理沙も魔理沙で「靴紐が切れた!」とか自作自演でやっていたが、紫は春なのにまだ寝ていた。
「ふふふ……早い所、決着を付けようじゃないの」
「望む所です」
もはや二人の目的は、どちらの覚悟が上かを確かめることになっていた。
どちらか一人でも冷静な判断力が残っていたなら、この後の悲劇は回避できたかもしれない。
二人が正に正面からぶつかり合おうとした、そのときである。
「へっぷち」
尻の寒さに、霊夢がくしゃみをした。
その勢いで、札が破れた。
霊夢が先程のものを上回る爆発を起こしたのは、そのときである。白蓮もそれに巻き込まれた。このときの爆発で地面に直径二十メートルもの大穴が開き、命蓮寺も半壊した。
「どんな修行も無理はいけない」と白蓮は冷静さを取り戻し、マミゾウが裏で手を回して当事者以外は「門徒の悪戯に白蓮が怒ったための爆発」と思い込んだことで、この騒動は終焉を迎えたのである。
さて、霊夢はどうなったのだろうか。
彼女の神社の物干し竿ではしばらくの間、下着類が干されることは無かった。爆発の後遺症で霊力が恥部から放出されるようになってしまい、穿いた先から破れてしまうようになったのだった。風呂に入っていても、泡が浮かぶ有様である。
おかげでノーパンのまま過ごすはめになり、マミゾウには茶葉の他に菓子も要求した。
「そういえばあんたって、どんな下着使ってるの?」
「葉っぱじゃが?」
霊夢はもう二度と、こいつの頼み事を聞きたくないと思った。
神社の経営の面でも妖怪の溜まり場になりやすいという点でも、この立地は何かとわりを食っている気がしてならないのだが、巷の喧噪に身を任せたいわけでもない。
物干し竿には予備のパンツとドロワーズが引っ掛けられ、春風に当てられていた。
そういえば早苗に言わせると、あれはドロワーズではなくズロースと呼ぶのが外では普通らしい。そうはいっても、そこらのお婆ちゃんは単に「股引」と呼ぶときまであるので、こだわるだけ無駄である。
早苗もそれは理解していて、彼女にとって問題なのは「あんなふわっふわしたの穿いたら落ち着かないですよね?」ということなのだった。霊夢からするとドロワ無しでスカートを穿く方が落ち着かない。それを伝えると今度は、じゃあスパッツとかどうか、と繰り出してきた。
そんなどうでもいい話題で盛り上がったのは、いつだったろうか。
座布団を枕に縁側で横になっていた霊夢はうつらうつらとしながら頭のリボンを外すと、やがて意識を手放したのだった。
で、次に目を開けたらパンツとドロワが褌になっていた。
真っ白な長細い帯がはたはたと午後の風に吹かれているのを見て、霊夢は「帯に短し襷に長し、褌にはちょうど良い」という言葉を思い出した。
「あれって『俺に良し君に良し、皆に良し』とノリが似てるわよねえ」
「よくもまあ、そんな歌を知っとるのう」
霊夢に影を被せたのは、二ッ岩マミゾウだった。今日は人間に化けておらず、体の半分ぐらいもある大きな尻尾が出ていた。
「久々にその格好を見ると、それはそれで化かされてる気がするわ」
「失敬な話じゃのう。洗濯物を畳んでやったというに」
マミゾウが霊夢の顔を指差す。人を洗濯物呼ばわりとは何だと思ったが、起き上がってみると意味がわかった。枕にしていたはずの座布団が、下着類を畳んだものに変わっていた。
「手の込んだ悪戯だわねえ……」
暇潰しにかける情熱に呆れながらリボンで髪の毛を整えていると、マミゾウが横に座った。
気付くと熱いお茶が入れられていて、乾いた口には嬉しかった。レミリアが咲夜を召使いにしている理由が少し理解できた気がする。
二人して褌を眺めながら茶を啜っていると、霊夢はようやく、訊くべきことを訊いた。
「あれ何?」
「褌じゃよ。もっことか、股塞ぎとか、色々と言い方はある」
「へえ……」
知りたい内容ではなかったが、特に危険な様子も見られないので、霊夢は呑気であった。
むしろじれてきたのはマミゾウの方だ。彼女はこそばゆそうに首筋を掻いた。
「実はお前さんに」
と言ったか言わないかの段階で、霊夢がマミゾウの尻尾に湯のみの中の茶をぶっかけた。
「おわっちゃー!」
「帰れ! 茶がまずくなる!」
マミゾウが大慌てで尻尾の湯を切る。動作こそ大振りだったが、痛がっている様子は無い。彼女はハンカチを取り出すと、湿った毛を拭い始めた。
「茶を入れてもらっておいて横暴な奴じゃのう……葉っぱに気を遣ってぬるめに入れてなかったら、火傷しとったわい」
「出されたから飲んだだけだもんねー」
してやったとばかりに調子に乗る霊夢だったが、マミゾウがあることを耳打ちした途端、額に冷や汗を浮かべ始めた。
「まじでそんなにするの? このお茶……」
「騙しはするが嘘は言わん」
しばらく無言の時間があってから、マミゾウは仕切り直した。
「実はお前さんに、頼みがあってのう」
霊夢も今度ばかりは大人しく聞いていた。
******
褌が物干し竿で風に棚引いている。その横では紫のレースの下着が、ジャージが、ブラが、シーツが……とにかく大量に干されていた。
洗濯物だけではなく物干し竿からして数が多い。十メートルはあるものが十本、洗濯物の重さで真ん中の辺りを弛ませている。
命蓮寺の裏庭では当たり前の風景だったが、ここに褌が加わったのはわりと最近だった。
「あれ? これ誰の褌?」
ある日、村沙と一緒に川っぺりで洗濯をしていた一輪が一丁の褌を見付けた。
「あんたも昔、こういうの穿いてたよねー。また穿き始めたの?」
「昔はお互い様でしょうが」
「まあねー」
とすると、誰だろうか。箪笥の整理中に見付けて「うふふ、久々に穿いてみようかな」なんて乙女ちっくなことを考えるような代物ではない。では新入りの誰かの物だろうか。
一応、雲山にも訊ねてみたが「これは女物」らしい。どうしてわかるのか問い質してみれば「こんな風に皺の寄らない締め方をするのは女性」と詳しい情報を教えてもらえた。
「いやはや、流石は雲山だわー。よく見てるわー」
「それで済ませられるあんたも相当だよ」
そう言う村沙も手は休めない。自家製の石鹸で丹念に、ものによってはちゃちゃっと洗っていく。それから後に雲山が雪ぎと脱水をやってくれて、裏庭の物干しで乾かすことになる。
褌を物干しに引っ掛けてみれば、やはりよく目立った。見る人が見れば、褌よりも妙に派手な下着類の方が気になるのだろうけれども。
「って言ってもさあ、下着ぐらいはねー?」
「だよねえ」
誰に見せる予定があるわけでも無いが、自分の肌を包むものだ。選べるものなら選びたいのである。
口にこそ出さないが村沙からすれば一輪なんかはよく我慢していると思う。本人に我慢のつもりは無いだろうが、派手な格好は絶対にしない。というより、元々が質素なのを好むのだろう。
そこいくと白蓮はやや派手好きに思えるのだが、それ以上に戒律には厳しい。
「もしかして、聖の趣味って魔界に合わせてんのかね?」
「急にどうしたのさ」
「いやあ、ほら、こっちで寺をやり始めてからも、結構ひらひらしたの着てるじゃん? あれも魔界で培った趣味なのかなーっと思って」
「うーん、姐さんってば魔界のことは話さないからねえ……」
誰よりも白蓮を近くで見てきたと自負する一輪の分析では、聖白蓮という女性は、要するに凝り性なのである。
弟に会うために旅をしたのも、不死を望んだのも、妖怪を救い始めたのも、封印されたのも、こうして熱心に仏教を広めようとしているのも……全てそうした性分のせいだ。
だからこそ一輪は側仕えをしていて飽きないし、離れれば恋しい。失礼な物言いになるが、妹や子供のように思えることさえある。
「ま、私は姐さんに似合ってればそれでいいし」
「あっはっは、まあねー。でもそういえば、聖ってどんな下着だったっけ?」
「ああ、あれねえ、えーっと……」
いつも見かける下着を探すが、どこにも見付からない。雲山に目を合わせると、ふるふると首を振られてしまった。
「あれ? もしかして姐さんってば洗濯物を出し忘れてる?」
「いえいえ、そんなことはありませんよ」
噂をしていると、本人が現れた。今日は外出の用事が無いため、丈の長い紺色のワンピースを着ている。その下にはブラウスを着込んでいるのが襟元から見えた。
「そのもっこ、私のです」
「えっ、これ!?」
一輪だけでなく、村沙も褌を指差してしまう。雲山だけが驚きよりも「ほら、儂の言った通りだろう?」と笑みを浮かべていた。
「ここの所、ついつい幻想郷の風俗に溶け込んでしまいましたからね。下着だけでも気合いを入れ直そうと思いましてー」
「なーんだ、そうだったんですか」
「それなら先に言ってくれれば良いのにねえ」
一輪と村沙があははと笑い合う。そこに白蓮が続けた。
「これからしばらく、褌を広めようと思います」
「ははは、姐さんったら」
「風呂敷ならぬ褌を広げちゃってねー」
「まったくねー」
しばらく笑うだけ笑って、やめた。
白蓮の目が、笑っていなかった。
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「で、何? 命蓮寺じゃなくて褌寺にでもなったの?」
「そうなる前にやめさせたいんじゃよ」
霊夢は今の今まで冗談の一種かと思っていたのだが、その疑いを捨てた。マミゾウの顔が真剣なものだったからだ。まさか褌の話題でこんな表情を見ることになるとは。
「……あのさ、そもそもなんで褌にはまっちゃったわけ?」
「密教的なわかりにくさを取っ払って、褌スタイルでわかりやすく修行を、ということらしい。あの住職、天竺で火を吐く修行でもした方が性分に合ってる気がしてならん」
「ああ、わかる」
大道芸で身を立てた方が今よりも受けが良いのではなかろうか。
「そっか、なるほど。そこに自分で気が付いたわけか」
「本人はもっとくそ真面目に考えてのことじゃろうが、やろうとしてることは変わらん」
「それで、私にどうしろっての?」
「いや、正直な所、儂にもわからんでな。お手上げなんじゃ。お前さんなら儂には出来んことをやってくれそうだという期待でもって、こうして高級茶葉を持ってやってきたと、まあそういうわけじゃな」
湯飲みにちょろちょろとお茶を足してくれるマミゾウである。尻尾はすっかり乾いたようだ。
「でもさあ、本人に合ってることなら別にほっといても良いんじゃないの?」
「冷静に考えてみろ。あの住職が褌を広めようと本格的に動き出したとするじゃろ。そしたらあの太子が黙っておらんじゃろ」
「あー、赤パン健康法でも広め始めそうだわ」
「そうなったらあまりにもしょうもない戦いじゃろうが」
途中は何だかんだで里の連中も楽しむだろうが、最終的には誰も幸せにならなさそうである。この間のお祭り騒ぎのときの危機と同じである。
「上手くいったらいったで、魔理沙が褌穿くようになっちゃいそうだしねえ……しかもあの子のことだから、褌だけで箒に股がったりするわよ、きっと」
「やりそうじゃのう」
他の人間にしろ妖怪にしろ、イメージが崩れるというのはそれはそれで厄介なものである。
ふむ、存外に大事なのかもしれない。霊夢が納得しかかって、もう一つマミゾウに訊ねた。
「成功報酬は?」
「定期的に茶葉を譲ろう」
「よし」
霊夢のイメージは、どうあっても崩れなさそうだった。
「帰れ。話をややこしくするな」
にべもないとはこのことで、一輪の態度に霊夢は口をへの字に曲げた。
命蓮寺の住居部の出入り口には今、二人が醸し出す剣呑さが充満していた。
「今のところは実害は出てないんだから、ほっといてよ」
「確かに……私はてっきり、あんたたち全員、褌一丁で過ごしてるのかと思ってたわ」
「痴女か! 姐さんもそこまでゆるゆるじゃないわよ」
そうか? 本当にそうか? 霊夢が目を細めると、一輪は目を逸らした。
「はあ……確かに一時はそうなりかけたんだけど、『ただ広めようとしても飽きられる』って言ったら、今度は褌の改良に没頭し始めたのよ」
「っていうと?」
「便秘対策褌とか、体幹矯正褌とか、フリル褌とか」
一つ一つを想像してみる霊夢であったが、褌は褌でしかなかった。シンプルさと褌とはイコールらしい。流石は全世界ほぼ共通の下着の形である。そのどうでもいい情報はマミゾウに聞いた。
「とにかく、今は部屋に籠って唸ってるのよ。じきに普段の修行や法事に頭がいくようになるから、刺激しないでちょうだい」
「母親並に慣れてるわねえ」
「褒め言葉と受け取っておくわ」
しかし、マミゾウが頼み事に来たことと一輪のこの態度とでは、どうもちぐはぐだ。マミゾウは外連味の強い妖怪だが、的外れなことはしない。
ここは少しカマをかけてみることにした。
「あんた、何か重要なことを隠してるでしょ?」
「えっ!? いやいや、なんにも!?」
すっごくわかりやすかった。ナメクジに塩をかけたに等しい。
すると騒ぎを聞き付けて、白蓮が奥から出てきた。
「こんにちは、霊夢さん。一輪が何か粗相をしましたか?」
「こんちは。ううん、こいつは丁寧なもんよ。それより……」
霊夢は唾を飲んだ。白蓮の体から発せられる霊力が、尋常ではなかったからだ。瞬間的な強化であるならわかるが、霊夢の表情が強張るほどのものを常時出していたら、いくら人外でも体が持たない。
だから大物の妖怪ほど、怪しさを上手く使う方法を身に付けている。必要以上に力を行使せず、人の恐怖や警戒心、噂によって、思い通りに事を動かす。
往々にして妖怪退治というものが地味なのも、こうした怪しさを解きほぐすのが仕事だからだ。これを面倒臭がるせいで、霊夢は実力行使が多くなる。
ところが今の白蓮ときたら、力自体が馬鹿強い。もしもこの力を自由自在に、いつでも使えるのだとしたら、とてつもなく危険だった。
「いったい、どうやってそんな力を? まさかあんた、人を生け贄にしてるとかじゃないでしょうね?」
今でこそ住職だが、本来は魔女と言ってしまった方が良い相手だ。褌の事件だと思って、油断してしまったかもしれない。
霊夢の視線に、白蓮は口端を緩めた。
「そこまでの外法をせずとも、自らを戒めるという修行の基本……それだけで良かったのです」
「姐さん、あの」
「一輪は黙っていなさい。霊夢さんはいずれ相手にしなければならないのですから」
「いやあ、でもなあ……やめておいた方がいいなー、って、私はね……」
「破ぁっ!」
中学生の好きそうな掛け声と同時に、白蓮の霊力が爆発した。
具体的に書くと、出入り口ごと周囲が吹き飛んだ。直前に外に飛び出て伏せった霊夢は、何とか無事で済んだ。
白蓮のすぐ横にいた一輪は爆発に巻き込まれてしまったようで、雲山におんぶされて、気絶していた。
埃が段々と止んでくると、霊夢は服に付いた埃を払って、立ち上がった。
「ふうん、なるほどね。マミゾウが心配するわけだわ」
埃が止んだ先で、白蓮の肌のほとんどが露出していた。乳房にはサラシが巻かれていたが、陰部はそうではない。
そこにはエアな巻物・魔人経巻が褌状に締められていた。
「……隠せてなくない!?」
微妙に透けているせいで、なんかあれそれっぽいのがちらちら見える。この文章作品でさえも言葉を濁さないといけない程度には際どい。
「ふふふ、霊夢さん。あまり今の私をみくびらない方がいいですよ。経巻を褌に使うことで魔法のほぼ全てが使えなくなっていますが、それを補ってあまりあるほどの力が湧いてくるのです」
「くっ」
マミゾウが恐れていたのはこれだ。白蓮のことだから凝りに凝った挙げ句、徹夜明けのテンションで『もしこれを褌にしたらどうなっちゃうんだろう?』とか思っちゃって、魔に見入られたのだ。
幻想郷の少女としての羞恥心を捨ててもいいという覚悟が無ければ引き出せない力……!
そんな力に頼ってしまうほどの信念に感服した霊夢は、自分も本気を出すことにした。
「ふん!」
霊夢は自分のスカートとドロワーズを脱ぎ散らした。その下から現れたものに、白蓮は失笑した。
「あら、霊夢さんも褌派だったのですか? なら戦う理由がありませんね」
霊夢の股間には、マミゾウが勝手に干したあの褌が巻かれていた。しかし霊夢の本気とは、その程度ではなかった。
「本気で少女を捨てる覚悟ってやつががどんなものか見せてやるわ」
霊夢は褌の締めた部分を、しゅるりと緩めた。
「!? 霊夢さん、何を!」
白蓮が止める間も無く、褌が解けて地面に落ちる。
霊夢の小振りな尻は完全に空気に曝された。しかし前はそうではなかった。恥部は封魔の札によってぎりぎり隠されていたのだ。
その全容を白蓮が目にしたのと同時に、霊夢の全身から霊力が立ち上った。この霊力は天狗の山にいた白狼が視認できたほどで、このときの揺れはもし震度計があれば三を記録していただろう。
守矢神社では早苗が「風が……止んだ?」と一度は言ってみたい台詞をちゃっかりと言っていたし、魔理沙も魔理沙で「靴紐が切れた!」とか自作自演でやっていたが、紫は春なのにまだ寝ていた。
「ふふふ……早い所、決着を付けようじゃないの」
「望む所です」
もはや二人の目的は、どちらの覚悟が上かを確かめることになっていた。
どちらか一人でも冷静な判断力が残っていたなら、この後の悲劇は回避できたかもしれない。
二人が正に正面からぶつかり合おうとした、そのときである。
「へっぷち」
尻の寒さに、霊夢がくしゃみをした。
その勢いで、札が破れた。
霊夢が先程のものを上回る爆発を起こしたのは、そのときである。白蓮もそれに巻き込まれた。このときの爆発で地面に直径二十メートルもの大穴が開き、命蓮寺も半壊した。
「どんな修行も無理はいけない」と白蓮は冷静さを取り戻し、マミゾウが裏で手を回して当事者以外は「門徒の悪戯に白蓮が怒ったための爆発」と思い込んだことで、この騒動は終焉を迎えたのである。
さて、霊夢はどうなったのだろうか。
彼女の神社の物干し竿ではしばらくの間、下着類が干されることは無かった。爆発の後遺症で霊力が恥部から放出されるようになってしまい、穿いた先から破れてしまうようになったのだった。風呂に入っていても、泡が浮かぶ有様である。
おかげでノーパンのまま過ごすはめになり、マミゾウには茶葉の他に菓子も要求した。
「そういえばあんたって、どんな下着使ってるの?」
「葉っぱじゃが?」
霊夢はもう二度と、こいつの頼み事を聞きたくないと思った。
あの時代下着なかったような?
早苗さんの台詞とか、描写する必要無いのに唐突に寝坊を読者にバラされる紫とか、細かいとこまで面白かったです
心配せんでも充分に下品じゃwww そのまま不安がるが良いwww
しかし、よくこんなものを思いつくのうwww
相変わらず司馬漬けワールドはおもしろいなー。
聖☆おねえさんとか下品じゃないですよ!大好きな作品です
とりあえず、雲山を尋問する必要があるかと
面白いという意味ですよ
こーりん降臨不可避
何事も自然体が一番なんですね。でも究極にまで自然になると爆発するようなので気を付けなくては。
いやほんとにこんなじっくり読んで笑ったのは久々です。最高。
ところで読んでて何か違和感が、と思ったら、村紗が村沙になってた