最初
第一章 夢見る理由を探すなら
一つ前
第十一章 他人の思いを語るなら
第十二章 遥かなる宙へ飛ぶのなら
依姫を睨みながら岡崎が嘲笑う様に言った。
「これはこれはもしや月の使者様ではございませんか? 月のお姫様を取り戻しに来ましたか? 千年前と同じ様に」
依姫が怒気を孕んだ目を細め、岡崎と睨み合う。
「お前は?」
「しがない地球の科学者です。岡崎夢美と申します」
「そうか。綿月依姫だ」
依姫が刀に手を掛けて腰を落とす。問答無用で切ろうという様子だった。相手が明らかに攻撃の意思を見せているにも関わらず、岡崎は無邪気な子供の様に喜びの声を上げる。
「おお! 凄いな。局所的に電位差が広がった。私のマントを展開した空間にも関わらず、たったのそれだけで場を変化出来るのか。指向性も見えるが、狙いが分からない。ふーむふむ」
楽しそうに笑う岡崎の視界の中で、依姫は瞬きする間に姿を消した。かと思うと、甲高い金属音が鳴って、膨らんだ岡崎のマントに依姫が刀を当てていた。力を込めて押し込もうとしてがりがりと表面を削っていくが、マントと拮抗して切り裂けない。
「ふむ、せっかちと言うか、無粋と言うか、素直と言うか」
岡崎がぼやきながらマントで払うと、依姫が吹き飛ばされて壁に激突する。壁に手を付いた依姫は岡崎を睨みながら、刀を上段に振りかぶった。
それを見た岡崎は口の端を吊り上げて笑う。
「見せてみろ、魔法の力を」
不敵に笑う岡崎と依姫の距離は数メートル離れている。本来であればそのまま振り下ろしても刀は届かない。だが依姫は無造作にも見える動きで刀を振りおろした。
その瞬間、岡崎のマントの表皮が弾け飛ぶ。
呻いた岡崎へ向けて、依姫が更にもう一度刀を振るう。
岡崎のマントが更に弾け、岡崎本人も壁際まで弾き飛ばされた。壁にぶつかって崩れ落ち、苦しげに息を吐く。
「解析……できない」
苦悶の表情を浮かべながらマントの中のメリーが無事な事を確認し、安堵の息を吐いてから、血を吐き捨てて立ち上がる。岡崎がマントを翻すと、マントは瞬く間に修復された。よろめきながら壁に手を付いて依姫を睨みつける。だがその様子は今にも倒れそうな程、衰弱している。
その弱り切った岡崎を前にしても、依姫は警戒を緩めない。刀を構えながらじりじりと距離を詰めていく。
それを睨みながら岡崎が弱弱しい笑みを浮かべた。
「ベクトルの変化……例えば確率操作の類? 法則の中に収まっているという事は刀から何らかのエネルギーを? だが媒介が観測出来ていない。計測器の異常か。同じ現象の結果か? あるいは複数の現象を同時に」
岡崎が掠れる様な声で呟き続けるのを前に、依姫は刀を握り直して居住まいを正した。
攻撃の予兆を察した岡崎は迎撃の態勢を取る為に、手を払ってマントをたなびかせる。
だが、マントは作動しなかった。
岡崎が驚愕して目を見開いた瞬間、依姫の姿が消えた。
そして、風切り音が鳴ったかと思うと、岡崎の首が飛ぶ。岡崎の頭部は目を見開いたまま、天井にぶつかり、落下中に依姫の刀で切り裂かれて血を撒き散らしながら床に落ちた。
依姫がそれに刀を突き刺してから振り返ると、岡崎が薄っすらと笑みを浮かべて立っていた。撒き散らされた筈の頭部は床の上から消えていた。
「だが科学の枠に収まっている」
岡崎の言葉が終わる前に、依姫は目にも留まらぬ速さで岡崎の肩口に刀を振り下ろす。反応して刀を包もうとするマントを切り裂いて、刀は岡崎に届き、鮮血が舞った。
マントが小さな爆発を起こし、岡崎の体が吹き飛ばされる。壁に直撃するあわやというところで、マントが地面に突き刺さり岡崎が急停止する。
血の溢れる肩を押さえながら岡崎がくつくつと笑う。
「ふむ、マントの防御機構を貫いてくるとは恐れいった」
そうしてマントの中からメリーを出し、その両肩に手を載せる。
「それにありがとう。手加減してくれていただろう? この子を傷付けない為に」
「当たり前だ」
依姫が間髪入れずに肯定する。
それを聞いた岡崎がまたくつくつと笑う。
「いや、実に興味深い。その魔法、もっと研究したい。が、残念ながら今の私の目的はそれではなく、そして私もこれ以上手加減しては居られなくなった」
依姫の眉が釣り上がる。
岡崎が懐から掌大の苺を取り出した。
ますます依姫の眉が釣り上がる。
訝しむ依姫に一つ微笑むと、岡崎はあっさりとそれを依姫に放った。そして自分とメリーを修復したマントで覆う。
「救援が来る前に終わらせよう。さようなら」
岡崎がそう言ったのと、依姫が苺を受け取ったのが同時だった。依姫が苺を受け取った瞬間、辺りの景色がぐにゃりと歪む。依姫が膝を折って地面に這いつくばる。その肌が炎で炙られた様に焼け焦げていく。
依姫が呻き声を上げた途端に、苺から閃光が溢れだし、轟音と共に火焔が膨れ上がった。爆発はその部屋の全てを吹き飛ばす。依姫も岡崎も吹き飛ばされて、部屋の外へ投げ出された。
外へ投げ出された依姫は、意識を取り戻して自分が高空に投げ出された事に気が付くと、焼け焦げた体を震わせてから、空中で停止した。鋭い目付きでケネディ宇宙センターを一望してから、そっと息を吐いた。
「失敗か。いや、成功だけど」
刀を納めて金属音を鳴らす。その金属音がケネディ宇宙センター一帯に響き渡ると、侵攻していた兎達はその音を聞いて姿を消した。全ての兎が消えたのと同時に、依姫もその姿を消す。
一方で爆発で廊下に投げ出された岡崎は、端末を操作して理事長に一コール入れてから、やって来た救援隊に顔を向けた。
「被害は?」
岡崎が無事な事を確認した救援隊は急いで何処かへと通信し出した。
負傷者多数、ロケットの四分の一が全壊、施設の一部が損傷、死者は無し。明らかにロケットの破壊を狙った襲撃だった。
その報告をした者も他の救援隊も驚き戸惑っている。その様子を眺めて、岡崎はそっと息を吐いた。
分かっていた事だ。
もしも大大的に行われる地球からの侵略を月の人間が見つけたとしたらどうする? もしも地球の文明よりも月の人間達の技術力が劣っていたらどうする? もしも攻めこまれたらその時点で敗北が決定していたとしたらどうする?
既に月の人間達は一週間前にその答えを実行している。月へ向かう為の軌道エレベータを爆破し、大惨事を起こしてみせたのだから。今や地球の誰もが知っている。月は地球より技術力が劣る代わりに、形振り構わず爆破テロを行う危険な存在であると。
現にその予測はメディアの中でも時偶報じられていた。ただ、数多の前向きな報道達に隠されて誰もが気が付いていなかっただけだ。地球から月への平和的な月面侵攻を月の人間達がテロで妨害するのではないかという予測は、多くの者が楽観的な報道を前に、努めて忘れようとしていただけで、確かに予見され、人人の心の奥底で不安視されていたのだ。
けれど幾ら不安がっても、現にそれが起こると予測し、対策を立てていなければ、人人は驚き戸惑う。岡崎の下にやってきた救援部隊達も岡崎を助けるという当面の目的を果たした今、混乱した様子で本部と連絡を取り合っている。
岡崎はそれを見ながら、きっと後数刻すれば、世界中が同じ様な反応を見せるだろうと考えた。月の者が起こしたこのテロもまた加工されて世界中の人人へ伝えられ、利用されるだろう。
傍の救援隊の一人が絶望的な表情で煙が立ち上る敷地を眺めている。
「これじゃあ、ロケットが飛べない……作戦が」
落胆している彼等に冷たい視線を向けてから、岡崎はマントの中からメリーを出して、理事長達が居るであろう会議室へと向かった。岡崎に手を引かれたメリーは心配そうな目を岡崎の背に向ける。
「作戦は中止ですか?」
泣き出しそうな声で尋ねてくる。
「もしかして、今日はもうロケット、飛ばないんですか?」
岡崎は首を横に降る。
「まさか」
そう、まさか。
中止になんかなる訳が無い。
作戦は続行だ。
今日飛ばすと言った以上、ロケット達は必ず今日飛ぶ。その為に準備をしてきたのだから。
二人は車両に乗って中央塔まで辿り着くと、最上階にある会議室へ向かう為にエレベータに乗り込んだ。音も無く昇るエレベータはガラス張りで敷地の中を一望出来る。壊れたロケットがちらほらと見えた。
平和を願う子供達の描いた絵が塗りたくられているロケットや地球が如何に平和で愛に満ち溢れているかをスクリーンに映し出しながら飛ぶ筈だったロケット等等、世界中からアイディアを募って作られた奇抜で馬鹿げたロケット達が皆壊れている。しかし武装を組み込んだ制圧用のロケットはほんの僅かしか壊れていなかった。
けれどそれに気が付くものは殆ど居ないだろう。こうして高みから辺りを見渡せる者は極極少数だ。
エレベータで最上階に辿り着くと、お偉方らしき関係者達がぞろぞろと会議室のドアの前に集っていた。手近な者に何があったのか尋ねると、既に理事長が今回の事件に関する記者会見を行っているのだという。
岡崎とメリーは爪先立ちをして人混みの向こう側で繰り広げられているという記者会見の様子を覗こうとしたが背が足りなくて見る事が出来なかった。仕方無しに、人だかりの後ろの者達がそうしている様に、端末で中継映像を見る事にする。
映像には理事長が一人映り、涙を流していた。
ケネディ宇宙センターで再びテロがあった事、死者は出なかったものの怪我人が出た事、そして何より世界中の人人が協力してくれたロケットが壊れてしまった事を伝えていた。
これは裏切りだ、平和を愛する我我への挑戦だと憤る理事長に向かって、記者の質問が飛んだ。
「ロケットが壊れてしまったという事は、今回の作戦は中止ですか?」
理事長が首を横に振ると、画面の中の記者達も、メリーの周りに居るお偉方もざわめきの声を上げた。
「幸いロケットはまだ半分残っています。それを使って我我は月面へ行く。今回の一連のテロを二度と起こさせない様に」
記者の一人が困惑気味に質問を差し挟むと、理事長がハンカチで涙を拭い、鋭い目付きで画面を睨んだ。決意に満ちた眼差しから、理事長の自信が窺い知れた。
「私は夢見ています」
理事長の言葉が凛と響く。さっきまでの涙混じりの声とは違う、強く確固とした声音。その変化に困惑する者達へ、理事長は更に話を続ける。
「平和という名の夢を私は見ています。武器の要らない世界を夢見ています。それはきっと世界中の皆さんがそうであると信じています。そして月も、いえ宇宙もまた私にとっての夢です。無限に広がる宇宙は私達に無限の発展を約束してくれる。だから私は武器を捨て、宇宙開発に乗り出しました。それは皆さんにとっても同じでしょう。人は宇宙を夢見て発展してきたのです」
そうして言葉を区切り、理事長は柔らかく微笑んだ。見る者を安心させ、信頼させる為の笑顔。メリーはそれを見ながら奇妙な違和感を覚えた。理事長の移り変わる感情の変遷が妙にぎこちないものに見えた。演技に失敗しているかの様な、そんなもどかしさを覚えた。しばらく考えてから、焦っているのかも知れないとメリーは思う。理事長は怒っているのではないだろうか。万端にした準備を台無しにされた事に対して、あるいはその損失に対して。
「ですから、その夢を易易と諦める訳にはいきません。そして、皆さん、考えてもみて下さい。月の者達がどうしてロケットを爆破したのか。それは恐ろしいからです。私達のロケットが辿り着いてしまえば、たちまちの内に負けてしまうから、だからこうして妨害工作に走ったのでしょう。戦において本来敵地に侵入するという事は不利な事。普通であれば、月側は罠を張って我我を待ち構えれば良い。それなのに地球という敵地に赴くという危険を冒して来たという事は、つまり月側に自陣での迎撃準備が整っていないという事です」
メリーはその穴だらけの理想論を聞いて、やはり理事長は焦っているのだろうと確信した。綺麗事と楽観で覆い隠そうとしているが、なんとしても月面に侵攻したいという思いが透けて見える様だった。
「私達は夢見る事を止めてはいけません、私達は文明を築いた者の責務として、平和を愛し、発展を願わなければなければならない。そして今回こそが、地球から離れた別の天体に平和をもたらし、我我が宇宙スケールの先進的文明として歩み出す最初の一歩なのです。私達は今日を以って、宇宙へと本格的進出を果たし、そして平和を愛する使者としてテロリズムが支配する月を解放する、宇宙に遍く平和を伝える最初の一歩なのです」
理事長がそう言い切って口を閉じた。場が森閑と静まり返る。理事長の勢いある言葉に誰も言葉を継げなくなっていた。
その時、カメラの外から一人の男が乱入してきた。
「マダム! 無茶だ! 作戦を監督する身として進言させてもらう!」
今回の月面侵攻作戦に同行すると言っていたクリフォードだった。厳しい軍服を着たクリフォードは理事長の傍によると、心持ちカメラを向きながら言った。
「ただでさえ、何の手立ても使わずに、敵地に侵入しようなんていうのが無茶だったんだ! それをロケットの数が半数になったというのに、まだ無理矢理続行しようなんて! 敵に見つかれば大惨事になる」
理事長が薄っすらと笑みを浮かべてクリフォードの事を見上げる。
「手立てがあればよろしいのでしょう? 身を隠して月へと接近出来る手が」
「手立てって、今回は軍事的な装備は一切、そんなステルス性能は」
「結界を暴きます」
理事長の宣言に場がざわめいた。
「結界を? マダム、それは禁止されて」
「国連に申請を出しました。承認され次第、月と地球の間にある結界を暴き、裏側の世界を通って月へ侵攻します」
「馬鹿な! 結界暴きなんて世論が黙っちゃいないぞ!」
「私はこれが平和を導く為の最善であると信じております。複数の専門家を召集して、結界を暴いた場合の影響も試算し、問題が無い事をデータとして提出しました」
「幾ら問題が無いからって、そんな性急に」
「事は急を要します。今立ち止まっている暇は無いのです。私はこの作戦が発展と平和を約束してくれる正義の作戦であると確信しています」
頑として譲らない理事長を前に、クリフォードが口を閉ざした。
そのやり取りを見ていたメリーはそのあまりの杜撰なやり取りに何だかはらはらとした。理事長の物言いがあまりにも淡淡と、そして有無を言わせぬものなので、今回の作戦の攻撃的な面が浮き彫りになってしまっている。だから理事長が平和という単語を使う毎に、その単語の意味が嘘臭くなっていく。見ていて、本当にそれは地球にとっても月にとっても平和なのだろうかと疑わしくなっていく。もしかしたら自分達は、旧世代が起こした過ちの様に、月へ戦争を仕掛けるだけなんじゃないかと思ってしまう。理事長はそれに気が付いているのだろうか。この記者会見を続ければ続ける程、作戦に対する批判が生まれてしまう事に。
その時、ふと理事長がクリフォードから目を逸らして、手元を見つめた。そうして柔らかな笑みを浮かべた。
「結界暴きが承認されました。クリフォード、本作戦の全面的指揮を執る隊長として十分活躍して下さい。我我人類の平和と発展の為に、我我が信望する正義の為に、成功を願います」
クリフォードはしばらく沈黙していたが、やがて無表情で敬礼してカメラの外へと足早に退いた。画面で起こったその出来事と同時に、メリーの周りの人混みが割れ、軍服を纏ったクリフォードが現れる。そのまま何も言わずに、エレベータへと乗り込み、去っていった。
それを見送ってから、メリーが再び映像の中の理事長に目を戻すと、会見を終えようとしていた。記者達がそれを止めようとしないのは、理事長とクリフォードのやり取りで呆気に取られたのか、あるいはまた別の理由があるのか。理事長の挨拶だけが響き、そして記者会見はつつがなく終わった。
そうして画面から理事長の姿が消え、会議室の扉が開いて理事長が現れた。全員が緊張で固唾を呑んでいる中、理事長の朗らかな声が良く通る。
「皆さん、今発表した通りです。計画は続行します。さあ、皆で我我の正義を示しましょう。すぐに出発の準備をして」
静まりかえっていたお偉方が慌ててエレベータへと殺到しだした。全てのエレベータに瞬く間に押し込められてぎゅうぎゅう詰めになる。お偉方を詰め込んだエレベータの扉が閉まり、下の階へと出荷されていく。扉が閉まるのと同時に、一瞬前の慌ただしい喧騒が嘘の様に消えて、また静寂が訪れる。
それを呆然と見送っていたメリーの背後から理事長が声を掛けてきた。
「メリーさん、安心して。私達の正義は必ずや蓮子さんを救い出してみせるわ」
振り返ると理事長が笑っている。
「あの、大丈夫なんですか?」
メリーがそう聞くと、理事長はきょとんとした顔をしてから困った様な顔をした。
「あら、心配させちゃったかしら。まあ、クリフォードはね、色々と……でも大丈夫よ、きっと上手くいく。さあ、管制室に行きましょう」
理事長に促されて戻ってきたエレベータに乗る。妙に蒸して少し曇ったガラス張りの向こうにケネディ宇宙センターの敷地が一望出来て、そこかしこを車両が行き交っている。それを見つめていると、不意に景色が真っ黒になり、かと思うと別の映像が現れた。宇宙服を来た人達が居並んでいる。どうやらロケットの出発前会見らしい。クリフォードの姿も見える。
「うん、時間通りね。あ、そうそう、夢美、大丈夫?」
一緒にエレベータに乗っていた岡崎は下らなそうに答えた。
「天候良しで、太陽の状態も変な動きは無いから、宇宙に飛び立つのは問題無いし、結界も安定してる。問題無し。作戦以外はね」
「そうじゃなくて、あなたの事よ。襲われたんでしょう」
「……それも問題無い。ちなみにこちらのメリー君も一緒に襲われたから」
すると理事長が驚いた顔をした。
「あら、そうなの! ごめんなさい、てっきり夢美だけかと」
エレベータが開いて、降り立つと、コンピュータが居並び、そこに多くの者が向かい、前方には巨大なスクリーンが五つ、データや宇宙船の外観が映しだされている。ある者は必死でコンピュータと格闘し、ある者は必死の様子で何処かへと連絡を掛け、ある者は必死の顔で偉そうな人に駆け寄って、ある者はあまりにも必死すぎてすっ転び、間もなくロケットの飛び立つ管制室はまるで戦場の様な忙しさだった。
理事長はそれを満足気に一望してから、メリーへと視線を移す。
「あなたは、そうね、そこに居て。夢美、ここでこの子についていてあげて。後でカメラに映るから笑顔でね」
そうして手を叩いて注目を集めながら、理事長は管制室の中央を進んでいった。急いで立ち上がった職員を座らせて、今回の作戦の意義を話し始めている。
「後五分」
傍の岡崎が呟いたので、メリーは顔を上げた。
「ロケットが打ち上げられる予定時刻。この調子なら当初の予定通りに打ち上がるだろう」
「あんなアクシデントがあったのにですか? クリフォードさんはこの作戦が失敗するって。それにさっきの理事長さんの会見だって、ああいう言われ方をされると、何だか私達が悪い事をしている様な」
岡崎は小さく首を横に振る。
「余計な事は考えなくて良い。とにかく今は当初の予定通りロケットが飛び立つ事を喜ぼう。君にしたって、それは良い事だろう?」
メリーは頷いたが、納得はいかなかった。何故、岡崎はこうも落ち着いているのだろう。
はっとメリーが思い出したのは、岡崎が理事長を嫌っている様な態度をとっていたという事で、もしかしたら岡崎は理事長が失敗する事を望んでいるのかもしれないと思った。
そんな事を考えていたメリーだが、岡崎の言葉で思考が中断された。
「メリー君、君は既に私の非統一魔法世界論は理解しただろう?」
メリーは少し考え首を横に振った。すると岡崎はくつくつと笑う。
「謙遜するな。君はその本質を理解している。そしてだからこそ分かる筈だ。この世界には人人の満たされない欲求が必要だという事が」
「それが宇宙や平和で、それを目指しているから、理事長の基盤は崩れないという事ですか?」
「ある意味ではそうで、恐らく君の考えは間違っている。目指すべきは夢を叶える事であって、欲求を満たす事ではない。本当の願望は隠し、分かりやすい夢を見せる事が肝要だ」
「良く、分かりません」
「じゃあ、政治において一番大事な事は何だと思う?」
メリーは少し考えて答えた。
「まず与え、それから奪う事」
「違う。既に人人は他から与えられる事に何とも思わず、奪われる事に敏感だ。そうでなく、まず夢を与え、そして演じさせる事が大事なんだ。自分達が当事者だと勘違いさせなければならない。即時性と直接性のマジックについては前に説明しただろう? ああいうのが必要なんだ。当事者になったと勘違いした人人はその事件を更に煽っていく。今回の事件の発端は月や宇宙開発振興財団であるし、火種を煽ったのは宇宙開発振興財団だが、実際に火勢が手を付けられない程燃え上がったのは、結局世界中の人人がこの祭りに乗ったからに他ならない。その結果、本来であれば誰も望んでいなかった月への侵攻作戦が現実となり、平時なら誰もが反対する大量のロケットを開発出来た」
「でも、このままだと批判が」
「夢というのは叶えた時点で価値が無くなる。月に対する興味も平和に対する興味もこの事件が終結すれば、まるで掌を返した様に誰もが忘れ去るだろう。夢っていうのはそれだけ儚いものなんだ」
「だからその夢を終わらせない為に敢えて失敗を?」
「そうじゃない。夢っていうのは儚い。誰もがそれに熱狂していた事を忘れてしまう。けれどね、儚いからって淡い訳じゃない。忘れてしまうけれど、その濃密な願望は、夢見ている間は凄まじい熱を発しているんだ。祭りに暴動は付き物だ。それをコントロールするには暴動の向け先を良く考えなくちゃいけない。人に夢を与えるのであれば、その発奮先も含めて立案しなくちゃいけないんだ」
メリーはじっと岡崎の言葉を噛み砕き、結局分からずに首を横に振った。
「結局、理事長は、教授は、結局今回の月へ行く作戦を成功させたいんですか? 失敗させたいんですか?」
岡崎は笑って言った。
「前に言っただろう。私は興味無いよ。いの一番はまず、君の病気を解決する事だ」
「ありがとう、ございます」
メリーが疑わしそうにお礼を言う。
それを気にせず、岡崎は遠くで精力的に指示を出している理事長を見つめた。
「ただ、あっちは、正直分からないね、何考えているのか」
その時、画面に移るロケットの遠景に変化があった。ズームインして、ロケットに乗り込む宇宙飛行士達の姿が映る。管制室が一段と慌ただしくなり、最終確認が行われる。今回出発する三十基のロケットと、それに乗り込む三百人の人間、それが扱う数多の機器をスキャンして、一つ一つ問題が無い事が確認されていく。最後に呼吸用の気体に問題無い事が確認されて、準備が整った。
地上車両が退避を終え、全ての制御が各ロケットへと移される。
ふとメリーは視線を感じて目を凝らした。映像の影に隠れる様にしてカメラが浮いている。メリーが理事長に言われた事を思い出して笑顔を作ると、同時に各ロケットのカウントダウンが始まった。
ただそれぞれのロケットが各各のタイミングでカウントダウンをしている為に、幾つものカウントが重なって、今誰がどの数字を読み上げているのか分からなかった。
それをメリーや岡崎、その他半分の職員が聞き分ける必要なんて無い。彼等は発射準備を整える事が役割であり、後はカメラに良い映像を提供する事が仕事だ。残りの職員は雑音を遮断して、担当するロケットからのカウントだけを聞いているので問題無い。そして中継を見ている全世界の人間達は予め録音された音声を聞く事になるから分からなくなる事は無い。だから全貌を見ようとするとぐちゃぐちゃになるカウントダウンを気にする者は誰もいなかった。
こうしてカウントダウンがしっちゃかめっちゃかに行われている中、不意に映像の中の一基が虚空へと打ち上げられた。
衝撃波を撒き散らしながら透明の噴射を行うロケットは瞬く間に駆け上り映像の外へと消える。それに続いて、他のロケット達も打ち上がり、全てが映像から消え去った。たちまち映像が切り替わり、大気圏外の人工衛星がロケット達を追う。まずは三十基のロケット全てが航空している事が確認され、次にスキャンを開始、動的な目標物を探査するのに時間が掛かったものの、ロケットも人間も機器類も気体も食料も何もかもの問題が無い事を確認。映像が更に遠景へと切り替わり、三十基のロケットとその先に浮いた巨大な四つの人工衛星が映し出される。管制室の一角が何処かへと連絡を取って、秒読みを開始した。零になったところで人工衛星が発光し、四角い膜を作り上げる。ロケットはその膜へと突っ込み、そして境界の向こう側へと消失した。
まだ管制室は静まっている。
映像が再び切り替わり、最後尾に居るロケットから前方のロケット達が映し出される。三十基のロケット達は境界の裏側に入って、月へと向かっている。それが再びスキャンされ、誰かが全て問題無しと叫んだ。
瞬間、管制室が歓喜の雄叫びを上げた。
誰もが立ち上がって、喜び抱き合う。それが全世界に配信されて、作戦の成功を知った全世界もまた熱狂で湧いた。見るだけで笑みが溢れる様な喜びにあふれた空間を見つめながら、メリーが呟いた。
「無事打ち上がったんですね」
「ええ、勿論」
岡崎が微笑みを向ける。
「だからメリーさん、こっちの事は気にしないで。行きなさい」
メリーが岡崎の事を見上げる。
「行くんでしょう? 月に。もうこっちは大丈夫だから、行きなさい」
「教授?」
「あなたは蓮子さんの事が上手くいく事だけを考えていなさい」
有無を言わさぬ岡崎の言葉に、メリーはしばらく岡崎の事を見つめていたが、やがて頷いてエレベータへと歩き出した。それを岡崎が呼び止める。
「あ、待って。忘れてた」
メリーが振り返ると、岡崎が何かの機器を渡してきた。
「これ、通信機。持ってなさい。何か連絡する事があるかもしれないし、そっちから要請があれば、出来る限り答えるわ」
メリーは無言で頷くと、再びエレベータへと歩き出した。
「連絡するのは何でも良いのよ。例えば蓮子さんと話し合って、戻ってきた時に真っ先に食べたい食事でも良いわ。準備しておくから」
メリーはエレベータに乗り込むと頭を下げて言った。
「また会いましょう、教授」
「ええ、勿論」
そうしてエレベータが締まり、締まった瞬間、搭乗者が境界の向こうへ消えて、そして誰も居なくなった。
境界を抜けると背後から聞いた事の無い声が掛けられた。
「あら、どちら様?」
振り返ると、美しい女性が座っていた。長い黒髪の中の整った顔は、見ているだけで何だか吸い込まれそうになる。
私には蓮子という人が、と己を戒めながら、メリーは女性へ頭を下げた。
「勝手に上がってしまってすみません」
「ああ、良いのよ、別に。丁度暇していたから、話し相手になって頂戴」
女性に促されて畳の上に座る。
「私は蓬莱山輝夜、月のお姫様」
輝夜という名には聞き覚えがあった。大好きでいつも大切にしていた絵本にも出て来た。そして何より故郷の月で、輝夜という名を知らない者は居ない。蓬莱の薬を飲み地上に堕された裏切り者の輝夜姫。
「かぐや姫」
メリーの呟きに、輝夜が嬉しそうな笑顔を見せる。
「そうそう。その元になったのが私」
それであなたのお名前はと聞かれて、メリーは自分の名前を月の名前と一緒に答えた。それを聞いた途端に、輝夜の目が細まる。
「あなた、月の」
「はい」
「残念だけど、私は帰るつもりは無いわよ。ここは居心地が良いもの。一度地上に堕ちた者が月に帰ったって嫌な思いをするだけだわ」
輝夜の射すくめる様な視線に、メリーは思わず体を震わせた。向こうの勘違いを正さなくてはと、言葉を探していると、輝夜が急に表情を緩めて笑顔になった。
「冗談よ。あなたの事は知っているわ」
「え? 私の事をですか?」
「ええ、話は聞いているから。私はこれでも月のお姫様なんだから月の事は何でも知っているわよ」
誰から聞いたのだろうと何だか怖い気持ちになったが、真っ正直に聞くのも恐ろしくて、メリーは何も言えずに輝夜の瞳を見つめ続けた。
「あなたの一族が地上に隠れた私を探すという穢れた任務を負っていた事も、その任務の所為で迫害されていたあなたとあなたのお母様が一緒に月から逃げてきた事も、あなたが月の友達を助けようとしている事も、月があなたの存在に気が付いて連れ戻そうとしている事も、それにあなたのご先祖様が私の為にこの幻想郷を作ってくれた事も、何でも知っている。だから私はあなたに少なからず感謝をしているし、似た境遇としてお話をしてみたいと思っていたの」
蕩かす様な輝夜の笑顔に、メリーは必死首を横に振り、自分の中に生まれる欲情を否定する。気を抜くと誑かされてしまいそうだった。自分の中の蓮子への思いを信じて、じっと耐え忍んでいると、背後から声が聞こえた。
「その辺にしておいて下さいな」
振り返ると紫が立っていた。
「こんな小さな子を誘惑して。いけませんわ、お姫様」
輝夜がつまらなそうにそっぽを向く。
「別に誘惑してなんかないわよ。ただちょっとお話しようとしていただけじゃない」
「子供には悪影響です」
「これでも、イナバや林の妖怪や人里、そこ等中の子供達に好かれるみんなのお姉ちゃんで通ってるのよ」
「普通の子供ならばそうでしょう。ですが、この子には悪影響です。あなたの様な扇動者にして反逆者と居ると性格が曲がります。月人を誘惑し、月の戒律を破るだけでなく、落とされた先のこの地上でもまた多くの者を誑かし、地上を混乱に貶めた。その上、今度はこの子まで。成程、うちの式にも見習わせたいものですわ」
「私はただみんなが望む事を示しただけよ。ルールや寿命、そういう窮屈なものを取っ払う事が出来るってね」
「そういった真の願望を民衆に突き付けるのは、為政者にとって脅威なのです。勿論私も、あなたが大っぴらに歩く事を望みません。まあ、八意様が居られるので、ここに押し込めている間は心配していませんが」
「随分失礼ね」
「私はあなたを隠すのが仕事で、あなたに仕えてはおりません。まして隠す事だって、数多ある仕事の一つ」
「そうですか。まあ、何でも良いわ。あなた達が何を企んでもね。ただ」
「ただ?」
「あまり月の評判を落とさないでよ。暮らしにくくなるんだから」
「承服しかねます」
紫のにべもない否定に、輝夜が笑い出す。
紫も笑みを浮かべて、メリーを立ち上がらせた。
「紫さん?」
「さあ、行きましょう。湖へ」
そうして、メリーは紫に引かれて隙間の中に飛び込んだ。
隙間を抜けると夜の湖が広がっていた。湖の水面には大きな満月が映っている。満月の端に真黒な影があって、見上げると月へ向かって飛び立つ巨大な建造物が見えた。
「あれは?」
「住吉ロケット。血吸い蝙蝠と魔女の夢が詰まった月へと飛び立つ玩具」
まあ今回は私の夢も詰まっているのだけど、と独り言ちながら、紫は頭上の月とは別の方角を指さした。
「あそこに、見えるかしら、ちらちらと星が瞬いている。あそこにも人間の欲望が詰まった三十基の玩具が星を隠しながら飛んでいる」
メリーは目を凝らしてみたがそんな風には見えなかった。
そしてと言いながら、紫は湖を背に大きく手を広げた。
「ここにはあなたの夢に繋がる扉がある。さあ、覚悟は良いかしら?」
熱に浮かされた様な紫の言葉に、メリーは面食らった様子で目を見開いたが、すぐに表情を締めて紫の横に立った。
「覚悟なんて要りません。私は蓮子と会うだけだから。覚悟なんて特別な物は要らない。いつまでも当たり前の様に、私と蓮子は一緒に居る。それこそが私の夢。それこそが私の願い。それこそが私の現実。それこそが私という存在そのもの」
メリーが湖へと足を踏み出した。水面の上に降り立ち、そのまま水面に映った月へ向かって歩いていく。その背に向かって紫が声を掛ける。
「迷いが無いのは良い事よ。夢が叶えられる様に頑張ってね」
「ありがとうございます」
「ついでに私の夢もよろしく」
「他の人の夢までは持ちきれません」
良く似た顔立ちの紫がくすりと笑う。
良く似た顔立ちのメリーもくすりと笑う。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
そうしてメリーは月へと足を踏み出し、そのまま月へと落ちていった。
メリーが消えるのを見届けた紫は振り返って幽々子へ笑いかけた。
「さ、みんな飛び立ったわ。地上に残った私達はどうしようかしら」
「折角の十五夜なんだからお団子でも食べましょう」
すると紫が不思議そうな顔をした。
「あら、妖忌の看病は良いの?」
「別に良いのよ。ただ」
幽々子が紫の元まで歩み寄って両頬をつねった。
「仕向けたあなたがそんな事を言うのはおかしいんじゃない? あなたの所の霊夢も魔理沙もやりすぎなのよ」
紫が痛い痛いと声をあげながら笑う。
「お蔭でみんなの仇をやっつけたヒーローとして、霊夢と魔理沙の人気がうなぎ登りよ。ありがとう」
「そうね、二人は今や大注目。今日の視聴率も高そうで何よりよ。明日は誰と会っても話が合いそう」
幽々子が空を見上げると、河童達の作った機械によって夜空に映像が映し出されていた。ロケットの中、自信に満ち溢れた表情で月へと向かう霊夢と魔理沙、と見切れたレミリアと咲夜。勇敢な巫女と魔法使い見習いは幻想郷の平和の為に月へと物申しに飛び立った。
それを見上げて、幽々子は溜息を吐く。
「結局幻想郷は妖怪を見捨てるのね」
「だってもうどうしようも無いもの」
「そう、なら良いわ。あの時と同じ様に潔く死を受け入れましょう。永遠の停滞が約束された隙間の時間へ引っ越しますわ」
それを聞いて紫は微笑んだまま幽々子と見つめ合った。
「結局、あなたは何処まで分かっているの?」
「さあ? あなたが何を考えているのかと同じ位の難問ね」
何処からか白い花弁が振ってきて幽々子の掌に乗った。幽々子はそれをふっと吹き飛ばす。
「多分、もうそうなっているのよね。私達は花咲き乱れる毎にまた初めに戻る永遠の停滞の中を生きている」
「そうなんじゃないかしら? そうでなくては説明のつかない事が沢山あるもの」
「未来で妖夢は元気にやっているかしら」
「閉じた輪の中の私達が気にしたって仕方の無い事よ」
「つまり妖夢のお団子を食べろと?」
「ええ……まあ、そういう事になるのかしら? 脈絡が無くて良く分からないけど」
幽々子が鼻で笑う。
「悩んだ時は妖夢のご飯を食べるのが一番よ。そんな事も知らないの?」
紫はしばらく黙り込んでから肩を竦めて息を吐いた。
「まあ、悩んで居るよりは良いかもね」
「お腹一杯になれば悩みなんて吹き飛ぶわ。特に究極のお団子を食べている時なんかね」
「そうまで言うなら、味わってあげましょう。藍と橙を連れて、その至高のお団子とやらを」
きっと既に何度も食べた筈だけど。
そう呟きながら、紫は藍と橙を拾って白玉楼へと向かった。
隙間を抜けると、そのまま畳の上に落ちて腰をうった。
メリーが痛みに腰をさすりながら辺りを見回すと、何処かの寝殿造の屋敷の様で、窓から見える空は真っ暗で星も無いのに、外も部屋の中も奇妙な程明るかった。
月に到着したのだろうかと息を詰めながら辺りを窺っていると、隣の部屋から何事か話し合う様な声が聞こえてきた。その瞬間、メリーは急いで立ち上がり、区切りである衝立を突き破って隣の部屋へと侵入した。
「蓮子!」
部屋の中を見渡すと、壁際に蓮子とちゆりが居た。
座っていた蓮子は目を見開いたまま、突然侵入してきたメリーの事を見つめ、呆然とした声音で呟いた。
「メリー?」
「蓮子!」
メリーは蓮子の声を聞いた瞬間、駆けていた。両の目から滂沱の如く流れ出る涙も拭わずに、追い求めてきた何よりも大切な存在へとひた走る。そして蓮子の目前で足をつっかけすっころび、そのまま蓮子の股間に突っ込んだ。蓮子が呻きをあげる。
「蓮子! 蓮子!」
メリーはそんな事等気にせずに、ただ蓮子に再び出会えた喜びを胸に、ひたすらにその名を呼ぶ。そして蓮子もまた相手の名を呼ぶ。
「メリー!」
「蓮子! 蓮子!」
「メリー! ちょっと! 止めて! メリー!」
蓮子は自分の股間に顔を埋めて荒い息を吐いているメリーを何とか引きはがそうとするが、完全に引っ付いていてちょっとやそっとじゃ離せない。
「蓮子! 蓮子!」
「ちょっと! 止め! 止めろ!」
蓮子は勢いに任せて、メリーの肩を両足で抑え、そのまま思いっきり蹴り押した。
メリーは満足げな顔をして吹っ飛び、満足げな顔をして衝立に頭から突っ込み、満足げな顔のまま動かなくなった。
「メリー! メリー!」
駆け寄ってきた蓮子にゆすられるメリーは実に満足げな顔で眠っている。その光景を見ていたちゆりは訳も無く白雪姫を思い出していた。魔女である母親と結託して仮死薬入り林檎を食べ、見事王子と結ばれた、そんな素敵な物語を。
ちゆりの見立てはともかくとして、とにもかくにもこうして再び、秘封倶楽部は月に於いて相見えたのであった。
続き
第十三章 戦の火蓋を切るのなら
第一章 夢見る理由を探すなら
一つ前
第十一章 他人の思いを語るなら
第十二章 遥かなる宙へ飛ぶのなら
依姫を睨みながら岡崎が嘲笑う様に言った。
「これはこれはもしや月の使者様ではございませんか? 月のお姫様を取り戻しに来ましたか? 千年前と同じ様に」
依姫が怒気を孕んだ目を細め、岡崎と睨み合う。
「お前は?」
「しがない地球の科学者です。岡崎夢美と申します」
「そうか。綿月依姫だ」
依姫が刀に手を掛けて腰を落とす。問答無用で切ろうという様子だった。相手が明らかに攻撃の意思を見せているにも関わらず、岡崎は無邪気な子供の様に喜びの声を上げる。
「おお! 凄いな。局所的に電位差が広がった。私のマントを展開した空間にも関わらず、たったのそれだけで場を変化出来るのか。指向性も見えるが、狙いが分からない。ふーむふむ」
楽しそうに笑う岡崎の視界の中で、依姫は瞬きする間に姿を消した。かと思うと、甲高い金属音が鳴って、膨らんだ岡崎のマントに依姫が刀を当てていた。力を込めて押し込もうとしてがりがりと表面を削っていくが、マントと拮抗して切り裂けない。
「ふむ、せっかちと言うか、無粋と言うか、素直と言うか」
岡崎がぼやきながらマントで払うと、依姫が吹き飛ばされて壁に激突する。壁に手を付いた依姫は岡崎を睨みながら、刀を上段に振りかぶった。
それを見た岡崎は口の端を吊り上げて笑う。
「見せてみろ、魔法の力を」
不敵に笑う岡崎と依姫の距離は数メートル離れている。本来であればそのまま振り下ろしても刀は届かない。だが依姫は無造作にも見える動きで刀を振りおろした。
その瞬間、岡崎のマントの表皮が弾け飛ぶ。
呻いた岡崎へ向けて、依姫が更にもう一度刀を振るう。
岡崎のマントが更に弾け、岡崎本人も壁際まで弾き飛ばされた。壁にぶつかって崩れ落ち、苦しげに息を吐く。
「解析……できない」
苦悶の表情を浮かべながらマントの中のメリーが無事な事を確認し、安堵の息を吐いてから、血を吐き捨てて立ち上がる。岡崎がマントを翻すと、マントは瞬く間に修復された。よろめきながら壁に手を付いて依姫を睨みつける。だがその様子は今にも倒れそうな程、衰弱している。
その弱り切った岡崎を前にしても、依姫は警戒を緩めない。刀を構えながらじりじりと距離を詰めていく。
それを睨みながら岡崎が弱弱しい笑みを浮かべた。
「ベクトルの変化……例えば確率操作の類? 法則の中に収まっているという事は刀から何らかのエネルギーを? だが媒介が観測出来ていない。計測器の異常か。同じ現象の結果か? あるいは複数の現象を同時に」
岡崎が掠れる様な声で呟き続けるのを前に、依姫は刀を握り直して居住まいを正した。
攻撃の予兆を察した岡崎は迎撃の態勢を取る為に、手を払ってマントをたなびかせる。
だが、マントは作動しなかった。
岡崎が驚愕して目を見開いた瞬間、依姫の姿が消えた。
そして、風切り音が鳴ったかと思うと、岡崎の首が飛ぶ。岡崎の頭部は目を見開いたまま、天井にぶつかり、落下中に依姫の刀で切り裂かれて血を撒き散らしながら床に落ちた。
依姫がそれに刀を突き刺してから振り返ると、岡崎が薄っすらと笑みを浮かべて立っていた。撒き散らされた筈の頭部は床の上から消えていた。
「だが科学の枠に収まっている」
岡崎の言葉が終わる前に、依姫は目にも留まらぬ速さで岡崎の肩口に刀を振り下ろす。反応して刀を包もうとするマントを切り裂いて、刀は岡崎に届き、鮮血が舞った。
マントが小さな爆発を起こし、岡崎の体が吹き飛ばされる。壁に直撃するあわやというところで、マントが地面に突き刺さり岡崎が急停止する。
血の溢れる肩を押さえながら岡崎がくつくつと笑う。
「ふむ、マントの防御機構を貫いてくるとは恐れいった」
そうしてマントの中からメリーを出し、その両肩に手を載せる。
「それにありがとう。手加減してくれていただろう? この子を傷付けない為に」
「当たり前だ」
依姫が間髪入れずに肯定する。
それを聞いた岡崎がまたくつくつと笑う。
「いや、実に興味深い。その魔法、もっと研究したい。が、残念ながら今の私の目的はそれではなく、そして私もこれ以上手加減しては居られなくなった」
依姫の眉が釣り上がる。
岡崎が懐から掌大の苺を取り出した。
ますます依姫の眉が釣り上がる。
訝しむ依姫に一つ微笑むと、岡崎はあっさりとそれを依姫に放った。そして自分とメリーを修復したマントで覆う。
「救援が来る前に終わらせよう。さようなら」
岡崎がそう言ったのと、依姫が苺を受け取ったのが同時だった。依姫が苺を受け取った瞬間、辺りの景色がぐにゃりと歪む。依姫が膝を折って地面に這いつくばる。その肌が炎で炙られた様に焼け焦げていく。
依姫が呻き声を上げた途端に、苺から閃光が溢れだし、轟音と共に火焔が膨れ上がった。爆発はその部屋の全てを吹き飛ばす。依姫も岡崎も吹き飛ばされて、部屋の外へ投げ出された。
外へ投げ出された依姫は、意識を取り戻して自分が高空に投げ出された事に気が付くと、焼け焦げた体を震わせてから、空中で停止した。鋭い目付きでケネディ宇宙センターを一望してから、そっと息を吐いた。
「失敗か。いや、成功だけど」
刀を納めて金属音を鳴らす。その金属音がケネディ宇宙センター一帯に響き渡ると、侵攻していた兎達はその音を聞いて姿を消した。全ての兎が消えたのと同時に、依姫もその姿を消す。
一方で爆発で廊下に投げ出された岡崎は、端末を操作して理事長に一コール入れてから、やって来た救援隊に顔を向けた。
「被害は?」
岡崎が無事な事を確認した救援隊は急いで何処かへと通信し出した。
負傷者多数、ロケットの四分の一が全壊、施設の一部が損傷、死者は無し。明らかにロケットの破壊を狙った襲撃だった。
その報告をした者も他の救援隊も驚き戸惑っている。その様子を眺めて、岡崎はそっと息を吐いた。
分かっていた事だ。
もしも大大的に行われる地球からの侵略を月の人間が見つけたとしたらどうする? もしも地球の文明よりも月の人間達の技術力が劣っていたらどうする? もしも攻めこまれたらその時点で敗北が決定していたとしたらどうする?
既に月の人間達は一週間前にその答えを実行している。月へ向かう為の軌道エレベータを爆破し、大惨事を起こしてみせたのだから。今や地球の誰もが知っている。月は地球より技術力が劣る代わりに、形振り構わず爆破テロを行う危険な存在であると。
現にその予測はメディアの中でも時偶報じられていた。ただ、数多の前向きな報道達に隠されて誰もが気が付いていなかっただけだ。地球から月への平和的な月面侵攻を月の人間達がテロで妨害するのではないかという予測は、多くの者が楽観的な報道を前に、努めて忘れようとしていただけで、確かに予見され、人人の心の奥底で不安視されていたのだ。
けれど幾ら不安がっても、現にそれが起こると予測し、対策を立てていなければ、人人は驚き戸惑う。岡崎の下にやってきた救援部隊達も岡崎を助けるという当面の目的を果たした今、混乱した様子で本部と連絡を取り合っている。
岡崎はそれを見ながら、きっと後数刻すれば、世界中が同じ様な反応を見せるだろうと考えた。月の者が起こしたこのテロもまた加工されて世界中の人人へ伝えられ、利用されるだろう。
傍の救援隊の一人が絶望的な表情で煙が立ち上る敷地を眺めている。
「これじゃあ、ロケットが飛べない……作戦が」
落胆している彼等に冷たい視線を向けてから、岡崎はマントの中からメリーを出して、理事長達が居るであろう会議室へと向かった。岡崎に手を引かれたメリーは心配そうな目を岡崎の背に向ける。
「作戦は中止ですか?」
泣き出しそうな声で尋ねてくる。
「もしかして、今日はもうロケット、飛ばないんですか?」
岡崎は首を横に降る。
「まさか」
そう、まさか。
中止になんかなる訳が無い。
作戦は続行だ。
今日飛ばすと言った以上、ロケット達は必ず今日飛ぶ。その為に準備をしてきたのだから。
二人は車両に乗って中央塔まで辿り着くと、最上階にある会議室へ向かう為にエレベータに乗り込んだ。音も無く昇るエレベータはガラス張りで敷地の中を一望出来る。壊れたロケットがちらほらと見えた。
平和を願う子供達の描いた絵が塗りたくられているロケットや地球が如何に平和で愛に満ち溢れているかをスクリーンに映し出しながら飛ぶ筈だったロケット等等、世界中からアイディアを募って作られた奇抜で馬鹿げたロケット達が皆壊れている。しかし武装を組み込んだ制圧用のロケットはほんの僅かしか壊れていなかった。
けれどそれに気が付くものは殆ど居ないだろう。こうして高みから辺りを見渡せる者は極極少数だ。
エレベータで最上階に辿り着くと、お偉方らしき関係者達がぞろぞろと会議室のドアの前に集っていた。手近な者に何があったのか尋ねると、既に理事長が今回の事件に関する記者会見を行っているのだという。
岡崎とメリーは爪先立ちをして人混みの向こう側で繰り広げられているという記者会見の様子を覗こうとしたが背が足りなくて見る事が出来なかった。仕方無しに、人だかりの後ろの者達がそうしている様に、端末で中継映像を見る事にする。
映像には理事長が一人映り、涙を流していた。
ケネディ宇宙センターで再びテロがあった事、死者は出なかったものの怪我人が出た事、そして何より世界中の人人が協力してくれたロケットが壊れてしまった事を伝えていた。
これは裏切りだ、平和を愛する我我への挑戦だと憤る理事長に向かって、記者の質問が飛んだ。
「ロケットが壊れてしまったという事は、今回の作戦は中止ですか?」
理事長が首を横に振ると、画面の中の記者達も、メリーの周りに居るお偉方もざわめきの声を上げた。
「幸いロケットはまだ半分残っています。それを使って我我は月面へ行く。今回の一連のテロを二度と起こさせない様に」
記者の一人が困惑気味に質問を差し挟むと、理事長がハンカチで涙を拭い、鋭い目付きで画面を睨んだ。決意に満ちた眼差しから、理事長の自信が窺い知れた。
「私は夢見ています」
理事長の言葉が凛と響く。さっきまでの涙混じりの声とは違う、強く確固とした声音。その変化に困惑する者達へ、理事長は更に話を続ける。
「平和という名の夢を私は見ています。武器の要らない世界を夢見ています。それはきっと世界中の皆さんがそうであると信じています。そして月も、いえ宇宙もまた私にとっての夢です。無限に広がる宇宙は私達に無限の発展を約束してくれる。だから私は武器を捨て、宇宙開発に乗り出しました。それは皆さんにとっても同じでしょう。人は宇宙を夢見て発展してきたのです」
そうして言葉を区切り、理事長は柔らかく微笑んだ。見る者を安心させ、信頼させる為の笑顔。メリーはそれを見ながら奇妙な違和感を覚えた。理事長の移り変わる感情の変遷が妙にぎこちないものに見えた。演技に失敗しているかの様な、そんなもどかしさを覚えた。しばらく考えてから、焦っているのかも知れないとメリーは思う。理事長は怒っているのではないだろうか。万端にした準備を台無しにされた事に対して、あるいはその損失に対して。
「ですから、その夢を易易と諦める訳にはいきません。そして、皆さん、考えてもみて下さい。月の者達がどうしてロケットを爆破したのか。それは恐ろしいからです。私達のロケットが辿り着いてしまえば、たちまちの内に負けてしまうから、だからこうして妨害工作に走ったのでしょう。戦において本来敵地に侵入するという事は不利な事。普通であれば、月側は罠を張って我我を待ち構えれば良い。それなのに地球という敵地に赴くという危険を冒して来たという事は、つまり月側に自陣での迎撃準備が整っていないという事です」
メリーはその穴だらけの理想論を聞いて、やはり理事長は焦っているのだろうと確信した。綺麗事と楽観で覆い隠そうとしているが、なんとしても月面に侵攻したいという思いが透けて見える様だった。
「私達は夢見る事を止めてはいけません、私達は文明を築いた者の責務として、平和を愛し、発展を願わなければなければならない。そして今回こそが、地球から離れた別の天体に平和をもたらし、我我が宇宙スケールの先進的文明として歩み出す最初の一歩なのです。私達は今日を以って、宇宙へと本格的進出を果たし、そして平和を愛する使者としてテロリズムが支配する月を解放する、宇宙に遍く平和を伝える最初の一歩なのです」
理事長がそう言い切って口を閉じた。場が森閑と静まり返る。理事長の勢いある言葉に誰も言葉を継げなくなっていた。
その時、カメラの外から一人の男が乱入してきた。
「マダム! 無茶だ! 作戦を監督する身として進言させてもらう!」
今回の月面侵攻作戦に同行すると言っていたクリフォードだった。厳しい軍服を着たクリフォードは理事長の傍によると、心持ちカメラを向きながら言った。
「ただでさえ、何の手立ても使わずに、敵地に侵入しようなんていうのが無茶だったんだ! それをロケットの数が半数になったというのに、まだ無理矢理続行しようなんて! 敵に見つかれば大惨事になる」
理事長が薄っすらと笑みを浮かべてクリフォードの事を見上げる。
「手立てがあればよろしいのでしょう? 身を隠して月へと接近出来る手が」
「手立てって、今回は軍事的な装備は一切、そんなステルス性能は」
「結界を暴きます」
理事長の宣言に場がざわめいた。
「結界を? マダム、それは禁止されて」
「国連に申請を出しました。承認され次第、月と地球の間にある結界を暴き、裏側の世界を通って月へ侵攻します」
「馬鹿な! 結界暴きなんて世論が黙っちゃいないぞ!」
「私はこれが平和を導く為の最善であると信じております。複数の専門家を召集して、結界を暴いた場合の影響も試算し、問題が無い事をデータとして提出しました」
「幾ら問題が無いからって、そんな性急に」
「事は急を要します。今立ち止まっている暇は無いのです。私はこの作戦が発展と平和を約束してくれる正義の作戦であると確信しています」
頑として譲らない理事長を前に、クリフォードが口を閉ざした。
そのやり取りを見ていたメリーはそのあまりの杜撰なやり取りに何だかはらはらとした。理事長の物言いがあまりにも淡淡と、そして有無を言わせぬものなので、今回の作戦の攻撃的な面が浮き彫りになってしまっている。だから理事長が平和という単語を使う毎に、その単語の意味が嘘臭くなっていく。見ていて、本当にそれは地球にとっても月にとっても平和なのだろうかと疑わしくなっていく。もしかしたら自分達は、旧世代が起こした過ちの様に、月へ戦争を仕掛けるだけなんじゃないかと思ってしまう。理事長はそれに気が付いているのだろうか。この記者会見を続ければ続ける程、作戦に対する批判が生まれてしまう事に。
その時、ふと理事長がクリフォードから目を逸らして、手元を見つめた。そうして柔らかな笑みを浮かべた。
「結界暴きが承認されました。クリフォード、本作戦の全面的指揮を執る隊長として十分活躍して下さい。我我人類の平和と発展の為に、我我が信望する正義の為に、成功を願います」
クリフォードはしばらく沈黙していたが、やがて無表情で敬礼してカメラの外へと足早に退いた。画面で起こったその出来事と同時に、メリーの周りの人混みが割れ、軍服を纏ったクリフォードが現れる。そのまま何も言わずに、エレベータへと乗り込み、去っていった。
それを見送ってから、メリーが再び映像の中の理事長に目を戻すと、会見を終えようとしていた。記者達がそれを止めようとしないのは、理事長とクリフォードのやり取りで呆気に取られたのか、あるいはまた別の理由があるのか。理事長の挨拶だけが響き、そして記者会見はつつがなく終わった。
そうして画面から理事長の姿が消え、会議室の扉が開いて理事長が現れた。全員が緊張で固唾を呑んでいる中、理事長の朗らかな声が良く通る。
「皆さん、今発表した通りです。計画は続行します。さあ、皆で我我の正義を示しましょう。すぐに出発の準備をして」
静まりかえっていたお偉方が慌ててエレベータへと殺到しだした。全てのエレベータに瞬く間に押し込められてぎゅうぎゅう詰めになる。お偉方を詰め込んだエレベータの扉が閉まり、下の階へと出荷されていく。扉が閉まるのと同時に、一瞬前の慌ただしい喧騒が嘘の様に消えて、また静寂が訪れる。
それを呆然と見送っていたメリーの背後から理事長が声を掛けてきた。
「メリーさん、安心して。私達の正義は必ずや蓮子さんを救い出してみせるわ」
振り返ると理事長が笑っている。
「あの、大丈夫なんですか?」
メリーがそう聞くと、理事長はきょとんとした顔をしてから困った様な顔をした。
「あら、心配させちゃったかしら。まあ、クリフォードはね、色々と……でも大丈夫よ、きっと上手くいく。さあ、管制室に行きましょう」
理事長に促されて戻ってきたエレベータに乗る。妙に蒸して少し曇ったガラス張りの向こうにケネディ宇宙センターの敷地が一望出来て、そこかしこを車両が行き交っている。それを見つめていると、不意に景色が真っ黒になり、かと思うと別の映像が現れた。宇宙服を来た人達が居並んでいる。どうやらロケットの出発前会見らしい。クリフォードの姿も見える。
「うん、時間通りね。あ、そうそう、夢美、大丈夫?」
一緒にエレベータに乗っていた岡崎は下らなそうに答えた。
「天候良しで、太陽の状態も変な動きは無いから、宇宙に飛び立つのは問題無いし、結界も安定してる。問題無し。作戦以外はね」
「そうじゃなくて、あなたの事よ。襲われたんでしょう」
「……それも問題無い。ちなみにこちらのメリー君も一緒に襲われたから」
すると理事長が驚いた顔をした。
「あら、そうなの! ごめんなさい、てっきり夢美だけかと」
エレベータが開いて、降り立つと、コンピュータが居並び、そこに多くの者が向かい、前方には巨大なスクリーンが五つ、データや宇宙船の外観が映しだされている。ある者は必死でコンピュータと格闘し、ある者は必死の様子で何処かへと連絡を掛け、ある者は必死の顔で偉そうな人に駆け寄って、ある者はあまりにも必死すぎてすっ転び、間もなくロケットの飛び立つ管制室はまるで戦場の様な忙しさだった。
理事長はそれを満足気に一望してから、メリーへと視線を移す。
「あなたは、そうね、そこに居て。夢美、ここでこの子についていてあげて。後でカメラに映るから笑顔でね」
そうして手を叩いて注目を集めながら、理事長は管制室の中央を進んでいった。急いで立ち上がった職員を座らせて、今回の作戦の意義を話し始めている。
「後五分」
傍の岡崎が呟いたので、メリーは顔を上げた。
「ロケットが打ち上げられる予定時刻。この調子なら当初の予定通りに打ち上がるだろう」
「あんなアクシデントがあったのにですか? クリフォードさんはこの作戦が失敗するって。それにさっきの理事長さんの会見だって、ああいう言われ方をされると、何だか私達が悪い事をしている様な」
岡崎は小さく首を横に振る。
「余計な事は考えなくて良い。とにかく今は当初の予定通りロケットが飛び立つ事を喜ぼう。君にしたって、それは良い事だろう?」
メリーは頷いたが、納得はいかなかった。何故、岡崎はこうも落ち着いているのだろう。
はっとメリーが思い出したのは、岡崎が理事長を嫌っている様な態度をとっていたという事で、もしかしたら岡崎は理事長が失敗する事を望んでいるのかもしれないと思った。
そんな事を考えていたメリーだが、岡崎の言葉で思考が中断された。
「メリー君、君は既に私の非統一魔法世界論は理解しただろう?」
メリーは少し考え首を横に振った。すると岡崎はくつくつと笑う。
「謙遜するな。君はその本質を理解している。そしてだからこそ分かる筈だ。この世界には人人の満たされない欲求が必要だという事が」
「それが宇宙や平和で、それを目指しているから、理事長の基盤は崩れないという事ですか?」
「ある意味ではそうで、恐らく君の考えは間違っている。目指すべきは夢を叶える事であって、欲求を満たす事ではない。本当の願望は隠し、分かりやすい夢を見せる事が肝要だ」
「良く、分かりません」
「じゃあ、政治において一番大事な事は何だと思う?」
メリーは少し考えて答えた。
「まず与え、それから奪う事」
「違う。既に人人は他から与えられる事に何とも思わず、奪われる事に敏感だ。そうでなく、まず夢を与え、そして演じさせる事が大事なんだ。自分達が当事者だと勘違いさせなければならない。即時性と直接性のマジックについては前に説明しただろう? ああいうのが必要なんだ。当事者になったと勘違いした人人はその事件を更に煽っていく。今回の事件の発端は月や宇宙開発振興財団であるし、火種を煽ったのは宇宙開発振興財団だが、実際に火勢が手を付けられない程燃え上がったのは、結局世界中の人人がこの祭りに乗ったからに他ならない。その結果、本来であれば誰も望んでいなかった月への侵攻作戦が現実となり、平時なら誰もが反対する大量のロケットを開発出来た」
「でも、このままだと批判が」
「夢というのは叶えた時点で価値が無くなる。月に対する興味も平和に対する興味もこの事件が終結すれば、まるで掌を返した様に誰もが忘れ去るだろう。夢っていうのはそれだけ儚いものなんだ」
「だからその夢を終わらせない為に敢えて失敗を?」
「そうじゃない。夢っていうのは儚い。誰もがそれに熱狂していた事を忘れてしまう。けれどね、儚いからって淡い訳じゃない。忘れてしまうけれど、その濃密な願望は、夢見ている間は凄まじい熱を発しているんだ。祭りに暴動は付き物だ。それをコントロールするには暴動の向け先を良く考えなくちゃいけない。人に夢を与えるのであれば、その発奮先も含めて立案しなくちゃいけないんだ」
メリーはじっと岡崎の言葉を噛み砕き、結局分からずに首を横に振った。
「結局、理事長は、教授は、結局今回の月へ行く作戦を成功させたいんですか? 失敗させたいんですか?」
岡崎は笑って言った。
「前に言っただろう。私は興味無いよ。いの一番はまず、君の病気を解決する事だ」
「ありがとう、ございます」
メリーが疑わしそうにお礼を言う。
それを気にせず、岡崎は遠くで精力的に指示を出している理事長を見つめた。
「ただ、あっちは、正直分からないね、何考えているのか」
その時、画面に移るロケットの遠景に変化があった。ズームインして、ロケットに乗り込む宇宙飛行士達の姿が映る。管制室が一段と慌ただしくなり、最終確認が行われる。今回出発する三十基のロケットと、それに乗り込む三百人の人間、それが扱う数多の機器をスキャンして、一つ一つ問題が無い事が確認されていく。最後に呼吸用の気体に問題無い事が確認されて、準備が整った。
地上車両が退避を終え、全ての制御が各ロケットへと移される。
ふとメリーは視線を感じて目を凝らした。映像の影に隠れる様にしてカメラが浮いている。メリーが理事長に言われた事を思い出して笑顔を作ると、同時に各ロケットのカウントダウンが始まった。
ただそれぞれのロケットが各各のタイミングでカウントダウンをしている為に、幾つものカウントが重なって、今誰がどの数字を読み上げているのか分からなかった。
それをメリーや岡崎、その他半分の職員が聞き分ける必要なんて無い。彼等は発射準備を整える事が役割であり、後はカメラに良い映像を提供する事が仕事だ。残りの職員は雑音を遮断して、担当するロケットからのカウントだけを聞いているので問題無い。そして中継を見ている全世界の人間達は予め録音された音声を聞く事になるから分からなくなる事は無い。だから全貌を見ようとするとぐちゃぐちゃになるカウントダウンを気にする者は誰もいなかった。
こうしてカウントダウンがしっちゃかめっちゃかに行われている中、不意に映像の中の一基が虚空へと打ち上げられた。
衝撃波を撒き散らしながら透明の噴射を行うロケットは瞬く間に駆け上り映像の外へと消える。それに続いて、他のロケット達も打ち上がり、全てが映像から消え去った。たちまち映像が切り替わり、大気圏外の人工衛星がロケット達を追う。まずは三十基のロケット全てが航空している事が確認され、次にスキャンを開始、動的な目標物を探査するのに時間が掛かったものの、ロケットも人間も機器類も気体も食料も何もかもの問題が無い事を確認。映像が更に遠景へと切り替わり、三十基のロケットとその先に浮いた巨大な四つの人工衛星が映し出される。管制室の一角が何処かへと連絡を取って、秒読みを開始した。零になったところで人工衛星が発光し、四角い膜を作り上げる。ロケットはその膜へと突っ込み、そして境界の向こう側へと消失した。
まだ管制室は静まっている。
映像が再び切り替わり、最後尾に居るロケットから前方のロケット達が映し出される。三十基のロケット達は境界の裏側に入って、月へと向かっている。それが再びスキャンされ、誰かが全て問題無しと叫んだ。
瞬間、管制室が歓喜の雄叫びを上げた。
誰もが立ち上がって、喜び抱き合う。それが全世界に配信されて、作戦の成功を知った全世界もまた熱狂で湧いた。見るだけで笑みが溢れる様な喜びにあふれた空間を見つめながら、メリーが呟いた。
「無事打ち上がったんですね」
「ええ、勿論」
岡崎が微笑みを向ける。
「だからメリーさん、こっちの事は気にしないで。行きなさい」
メリーが岡崎の事を見上げる。
「行くんでしょう? 月に。もうこっちは大丈夫だから、行きなさい」
「教授?」
「あなたは蓮子さんの事が上手くいく事だけを考えていなさい」
有無を言わさぬ岡崎の言葉に、メリーはしばらく岡崎の事を見つめていたが、やがて頷いてエレベータへと歩き出した。それを岡崎が呼び止める。
「あ、待って。忘れてた」
メリーが振り返ると、岡崎が何かの機器を渡してきた。
「これ、通信機。持ってなさい。何か連絡する事があるかもしれないし、そっちから要請があれば、出来る限り答えるわ」
メリーは無言で頷くと、再びエレベータへと歩き出した。
「連絡するのは何でも良いのよ。例えば蓮子さんと話し合って、戻ってきた時に真っ先に食べたい食事でも良いわ。準備しておくから」
メリーはエレベータに乗り込むと頭を下げて言った。
「また会いましょう、教授」
「ええ、勿論」
そうしてエレベータが締まり、締まった瞬間、搭乗者が境界の向こうへ消えて、そして誰も居なくなった。
境界を抜けると背後から聞いた事の無い声が掛けられた。
「あら、どちら様?」
振り返ると、美しい女性が座っていた。長い黒髪の中の整った顔は、見ているだけで何だか吸い込まれそうになる。
私には蓮子という人が、と己を戒めながら、メリーは女性へ頭を下げた。
「勝手に上がってしまってすみません」
「ああ、良いのよ、別に。丁度暇していたから、話し相手になって頂戴」
女性に促されて畳の上に座る。
「私は蓬莱山輝夜、月のお姫様」
輝夜という名には聞き覚えがあった。大好きでいつも大切にしていた絵本にも出て来た。そして何より故郷の月で、輝夜という名を知らない者は居ない。蓬莱の薬を飲み地上に堕された裏切り者の輝夜姫。
「かぐや姫」
メリーの呟きに、輝夜が嬉しそうな笑顔を見せる。
「そうそう。その元になったのが私」
それであなたのお名前はと聞かれて、メリーは自分の名前を月の名前と一緒に答えた。それを聞いた途端に、輝夜の目が細まる。
「あなた、月の」
「はい」
「残念だけど、私は帰るつもりは無いわよ。ここは居心地が良いもの。一度地上に堕ちた者が月に帰ったって嫌な思いをするだけだわ」
輝夜の射すくめる様な視線に、メリーは思わず体を震わせた。向こうの勘違いを正さなくてはと、言葉を探していると、輝夜が急に表情を緩めて笑顔になった。
「冗談よ。あなたの事は知っているわ」
「え? 私の事をですか?」
「ええ、話は聞いているから。私はこれでも月のお姫様なんだから月の事は何でも知っているわよ」
誰から聞いたのだろうと何だか怖い気持ちになったが、真っ正直に聞くのも恐ろしくて、メリーは何も言えずに輝夜の瞳を見つめ続けた。
「あなたの一族が地上に隠れた私を探すという穢れた任務を負っていた事も、その任務の所為で迫害されていたあなたとあなたのお母様が一緒に月から逃げてきた事も、あなたが月の友達を助けようとしている事も、月があなたの存在に気が付いて連れ戻そうとしている事も、それにあなたのご先祖様が私の為にこの幻想郷を作ってくれた事も、何でも知っている。だから私はあなたに少なからず感謝をしているし、似た境遇としてお話をしてみたいと思っていたの」
蕩かす様な輝夜の笑顔に、メリーは必死首を横に振り、自分の中に生まれる欲情を否定する。気を抜くと誑かされてしまいそうだった。自分の中の蓮子への思いを信じて、じっと耐え忍んでいると、背後から声が聞こえた。
「その辺にしておいて下さいな」
振り返ると紫が立っていた。
「こんな小さな子を誘惑して。いけませんわ、お姫様」
輝夜がつまらなそうにそっぽを向く。
「別に誘惑してなんかないわよ。ただちょっとお話しようとしていただけじゃない」
「子供には悪影響です」
「これでも、イナバや林の妖怪や人里、そこ等中の子供達に好かれるみんなのお姉ちゃんで通ってるのよ」
「普通の子供ならばそうでしょう。ですが、この子には悪影響です。あなたの様な扇動者にして反逆者と居ると性格が曲がります。月人を誘惑し、月の戒律を破るだけでなく、落とされた先のこの地上でもまた多くの者を誑かし、地上を混乱に貶めた。その上、今度はこの子まで。成程、うちの式にも見習わせたいものですわ」
「私はただみんなが望む事を示しただけよ。ルールや寿命、そういう窮屈なものを取っ払う事が出来るってね」
「そういった真の願望を民衆に突き付けるのは、為政者にとって脅威なのです。勿論私も、あなたが大っぴらに歩く事を望みません。まあ、八意様が居られるので、ここに押し込めている間は心配していませんが」
「随分失礼ね」
「私はあなたを隠すのが仕事で、あなたに仕えてはおりません。まして隠す事だって、数多ある仕事の一つ」
「そうですか。まあ、何でも良いわ。あなた達が何を企んでもね。ただ」
「ただ?」
「あまり月の評判を落とさないでよ。暮らしにくくなるんだから」
「承服しかねます」
紫のにべもない否定に、輝夜が笑い出す。
紫も笑みを浮かべて、メリーを立ち上がらせた。
「紫さん?」
「さあ、行きましょう。湖へ」
そうして、メリーは紫に引かれて隙間の中に飛び込んだ。
隙間を抜けると夜の湖が広がっていた。湖の水面には大きな満月が映っている。満月の端に真黒な影があって、見上げると月へ向かって飛び立つ巨大な建造物が見えた。
「あれは?」
「住吉ロケット。血吸い蝙蝠と魔女の夢が詰まった月へと飛び立つ玩具」
まあ今回は私の夢も詰まっているのだけど、と独り言ちながら、紫は頭上の月とは別の方角を指さした。
「あそこに、見えるかしら、ちらちらと星が瞬いている。あそこにも人間の欲望が詰まった三十基の玩具が星を隠しながら飛んでいる」
メリーは目を凝らしてみたがそんな風には見えなかった。
そしてと言いながら、紫は湖を背に大きく手を広げた。
「ここにはあなたの夢に繋がる扉がある。さあ、覚悟は良いかしら?」
熱に浮かされた様な紫の言葉に、メリーは面食らった様子で目を見開いたが、すぐに表情を締めて紫の横に立った。
「覚悟なんて要りません。私は蓮子と会うだけだから。覚悟なんて特別な物は要らない。いつまでも当たり前の様に、私と蓮子は一緒に居る。それこそが私の夢。それこそが私の願い。それこそが私の現実。それこそが私という存在そのもの」
メリーが湖へと足を踏み出した。水面の上に降り立ち、そのまま水面に映った月へ向かって歩いていく。その背に向かって紫が声を掛ける。
「迷いが無いのは良い事よ。夢が叶えられる様に頑張ってね」
「ありがとうございます」
「ついでに私の夢もよろしく」
「他の人の夢までは持ちきれません」
良く似た顔立ちの紫がくすりと笑う。
良く似た顔立ちのメリーもくすりと笑う。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
そうしてメリーは月へと足を踏み出し、そのまま月へと落ちていった。
メリーが消えるのを見届けた紫は振り返って幽々子へ笑いかけた。
「さ、みんな飛び立ったわ。地上に残った私達はどうしようかしら」
「折角の十五夜なんだからお団子でも食べましょう」
すると紫が不思議そうな顔をした。
「あら、妖忌の看病は良いの?」
「別に良いのよ。ただ」
幽々子が紫の元まで歩み寄って両頬をつねった。
「仕向けたあなたがそんな事を言うのはおかしいんじゃない? あなたの所の霊夢も魔理沙もやりすぎなのよ」
紫が痛い痛いと声をあげながら笑う。
「お蔭でみんなの仇をやっつけたヒーローとして、霊夢と魔理沙の人気がうなぎ登りよ。ありがとう」
「そうね、二人は今や大注目。今日の視聴率も高そうで何よりよ。明日は誰と会っても話が合いそう」
幽々子が空を見上げると、河童達の作った機械によって夜空に映像が映し出されていた。ロケットの中、自信に満ち溢れた表情で月へと向かう霊夢と魔理沙、と見切れたレミリアと咲夜。勇敢な巫女と魔法使い見習いは幻想郷の平和の為に月へと物申しに飛び立った。
それを見上げて、幽々子は溜息を吐く。
「結局幻想郷は妖怪を見捨てるのね」
「だってもうどうしようも無いもの」
「そう、なら良いわ。あの時と同じ様に潔く死を受け入れましょう。永遠の停滞が約束された隙間の時間へ引っ越しますわ」
それを聞いて紫は微笑んだまま幽々子と見つめ合った。
「結局、あなたは何処まで分かっているの?」
「さあ? あなたが何を考えているのかと同じ位の難問ね」
何処からか白い花弁が振ってきて幽々子の掌に乗った。幽々子はそれをふっと吹き飛ばす。
「多分、もうそうなっているのよね。私達は花咲き乱れる毎にまた初めに戻る永遠の停滞の中を生きている」
「そうなんじゃないかしら? そうでなくては説明のつかない事が沢山あるもの」
「未来で妖夢は元気にやっているかしら」
「閉じた輪の中の私達が気にしたって仕方の無い事よ」
「つまり妖夢のお団子を食べろと?」
「ええ……まあ、そういう事になるのかしら? 脈絡が無くて良く分からないけど」
幽々子が鼻で笑う。
「悩んだ時は妖夢のご飯を食べるのが一番よ。そんな事も知らないの?」
紫はしばらく黙り込んでから肩を竦めて息を吐いた。
「まあ、悩んで居るよりは良いかもね」
「お腹一杯になれば悩みなんて吹き飛ぶわ。特に究極のお団子を食べている時なんかね」
「そうまで言うなら、味わってあげましょう。藍と橙を連れて、その至高のお団子とやらを」
きっと既に何度も食べた筈だけど。
そう呟きながら、紫は藍と橙を拾って白玉楼へと向かった。
隙間を抜けると、そのまま畳の上に落ちて腰をうった。
メリーが痛みに腰をさすりながら辺りを見回すと、何処かの寝殿造の屋敷の様で、窓から見える空は真っ暗で星も無いのに、外も部屋の中も奇妙な程明るかった。
月に到着したのだろうかと息を詰めながら辺りを窺っていると、隣の部屋から何事か話し合う様な声が聞こえてきた。その瞬間、メリーは急いで立ち上がり、区切りである衝立を突き破って隣の部屋へと侵入した。
「蓮子!」
部屋の中を見渡すと、壁際に蓮子とちゆりが居た。
座っていた蓮子は目を見開いたまま、突然侵入してきたメリーの事を見つめ、呆然とした声音で呟いた。
「メリー?」
「蓮子!」
メリーは蓮子の声を聞いた瞬間、駆けていた。両の目から滂沱の如く流れ出る涙も拭わずに、追い求めてきた何よりも大切な存在へとひた走る。そして蓮子の目前で足をつっかけすっころび、そのまま蓮子の股間に突っ込んだ。蓮子が呻きをあげる。
「蓮子! 蓮子!」
メリーはそんな事等気にせずに、ただ蓮子に再び出会えた喜びを胸に、ひたすらにその名を呼ぶ。そして蓮子もまた相手の名を呼ぶ。
「メリー!」
「蓮子! 蓮子!」
「メリー! ちょっと! 止めて! メリー!」
蓮子は自分の股間に顔を埋めて荒い息を吐いているメリーを何とか引きはがそうとするが、完全に引っ付いていてちょっとやそっとじゃ離せない。
「蓮子! 蓮子!」
「ちょっと! 止め! 止めろ!」
蓮子は勢いに任せて、メリーの肩を両足で抑え、そのまま思いっきり蹴り押した。
メリーは満足げな顔をして吹っ飛び、満足げな顔をして衝立に頭から突っ込み、満足げな顔のまま動かなくなった。
「メリー! メリー!」
駆け寄ってきた蓮子にゆすられるメリーは実に満足げな顔で眠っている。その光景を見ていたちゆりは訳も無く白雪姫を思い出していた。魔女である母親と結託して仮死薬入り林檎を食べ、見事王子と結ばれた、そんな素敵な物語を。
ちゆりの見立てはともかくとして、とにもかくにもこうして再び、秘封倶楽部は月に於いて相見えたのであった。
続き
第十三章 戦の火蓋を切るのなら
ここからが境目。天秤は釣り合うままなのかそれとも・・・
なにはともあれ二人が再会できて良かったと思います。
敵を失った人類のために悲劇的な敗北を演出する理事長。
ブレないメリー。
さあ、物語が佳境にさしかかってまいりました。
メリーwww
へ、変態だー!