第百二十五季師走の四日は朝からみぞれがまばらに降っていた。私は火鉢の炭で温もりすぎた書斎に一人でじっと勉強しているのが鬱陶しくなり、しばらく寒い回廊へ出て縁側から荒れ庭を眺めていた。向こうの山の頂は霧で白くかすんでいた。日に掛かる雲は薄くもやのようで、縁側はむしろ明るかった。
ふと視線を落として見ると、たたきに揃えた下駄の上に、何やら白い紙包が置かれてあるのに気が付いた。表に大きく『試供品』と印字されていた。縁側に取り上げて湿った包を解いてみると、中からは畳まれた新聞が出てきた。発行の日時は今朝である。天狗の新聞屋が勝手に庭に入って置いていったものだろう。同梱の名刺には『記者・姫海棠はたて』とあった。新聞を濡れないように白紙で包むという配慮が、その時の私には微かな滑稽を感じさせた。私が初めて花果子念報を読んだのはこの時である。
一面記事は、先日から人里で噂になっている十尺の宇宙人の目撃情報について書いていた。読んでみると、噂の真相は全て命蓮寺に居る鵺の仕業であったと書いて写真を載せている。何でも鵺の仕業にしておけば記事になるものだと思った。面白かったのでこの記事は切り抜いて縁起の編纂資料と一緒に取って置くことにしたが、後日読み返してみるとそれは大して可笑しくもないようだった。
可笑しかったのはそれから一週間後のことであった。私はまた寒い回廊を手すり合わせながら歩いていた朝だったが、庭の前まで来て足が止まった。見覚えのある白い紙包の「試供品」が、廊下の真ん中で待ち構えるようにこちらを向いて置かれていた。書斎へ持ち帰って解いてみると、果たして今朝発行の花果子念報が出てきた。
私はこれに、いかにも妖怪らしい強引さと少しの稚気を感じて思わず微笑した。そも人が頼んでもいない商品を先方から勝手に試供するという話は聞いたことがないが、花果子念報はまるで頓着しない。しかも名刺にあった姫海棠という名前の天狗からすればそれは一回でお終いにする必要すらないのだろう。
私はまた前回は縁側のたたきの上に置かれていたものが一週間のうちに廊下の真ん中にまで侵入してきた事実を思うと、花果子念報が自分に対して取る態度の今後は一層大胆になるであろうことを、この時既に予測していた。
花果子念報は私の予測を外れず翌週もまた届けられた。先週縁側から屋敷内へ攀じ登った試供品は、今度は廊下を這って私の書斎の戸の前までやってきていた。その翌週は同梱の名刺の裏に『いつもありがとうございます』と丸い字で書かれていた。年が明けてからは例の包をせず新聞を身のまま届けるようになった。こうなっては試供品だかなんだか分からない。私はまた笑った。
第百二十六季睦月の二十日は雪が大いに降っていた。平生から殺風景な荒れ庭は一面に白くなってしまい、見ていてもいよいよ下らない気分になるばかりなので、私は朝から自室に立て篭もって火鉢を抱き込んでいた。するとそこへ家の者が来て、「お客様です」と言う。誰かと訪ねると、「花果子念報だそうです」と言う。花果子念報もとうとう表玄関から届いたかと思うと私はまた可笑しくなった。
支度を整えて客間へ上がると、若い娘の姿をした天狗が既に座に着きお茶をすすっていた。大きな目をしきりにぱちつかせて、細かな挙動にもどこかせわしないところがあった。髪は左右後ろ目に結ってやや長く伸ばしていた。私が対面に来て名乗ると、相手も立ち上がって「花果子念報の姫海棠です」と一礼した。その声は私のより倍も大きかった。なるほどこの人は花果子念報だと思った。
花果子念報は私が先に着席するのを待つと、「いつもお世話になってます」と言いにこにこした。これには私も苦笑で返すしかなかった。花果子念報はまた「立派なお屋敷で」とか「お茶までご馳走になってしまい」とか色々に喋った。私はそれを聞きながら、早口に話すその口調が待つうちにだんだんと気安いものに変わっていくのを感じ、やはり花果子念報らしいと思っていた。
世話話を受け流しつつようやくのことで本題の用を聞いてみると、どうも私について詳しく取り上げた記事をそのうち四五週にわたらせて書きたいから、それに合わせて当人からも短い文章を寄せて欲しいということであった。
私はすぐに「仕事があります」と話した。自分には既に書くべき仕事が十分あるので、依頼を受けても片手間に書いた原稿しかあげられないと、いかにも苦しそうな話し方をした。しかし花果子念報の方では一向構わなかった。一瞬も置かず「それで全然オーケーです」と言った。文章の内容について渋ってみても、「ご自分に関することなら何でも好きなように書いて下さい」と随分いい加減である。いい加減だけに断るにも爪の掛け所が無い。短くても、下手でも、退屈でも良いと押してくる。
私が懐手をして何だか面倒だなと考えていると、花果子念報はそのうちに懐っこい声を出して私のことを「先生」と呼び始めた。この呼び方が面白かったので、私はつい聞き返して笑ってしまった。花果子念報は私の笑ったのにどうやら「先生」が成功したようだと見ると、それから一気呵成に喋りまくって、むやみに先生先生と繰り返した。
結局相談は終始そのような調子で、気がつくと私は「まあ試しに何か書いてみましょう」と言わされていた。帰り際に花果子念報は「では先生、どうぞよろしく」と一礼して雪の中を飛び去っていった。私は試供品の「先生」をまた知らぬ間に受け取らされていることに気がついて思わずよろめきそうになっていた。
それからの私は、週ごとに屋敷を訪ねてくる花果子念報に、頼まれたとおりの「短い文章」を封に入れて手渡した。その内容は全く個人的なことに尽きていた。始めの稿では、自分は手が小さくて非常に困るという話を書いて、私は好きに読めばいいという態度であった。
手が小さいので食事の時に箸が上手く扱えない、力も弱いので里芋をこれまでに十回も落っことしている、里芋の他にも団子は五回、大根は六回、――といった風で、記憶の良い私は何でもあったことを際限なく書いて少ない字数を簡単に埋めた。花果子念報はこれに不思議と満足して、毎週「先生、ありがとう」と言い帰っていった。そうして席を立つ時にはさりげなくその週の新聞を席に残していくのが常であった。
私について書かれたその記事を読んでみると、初回こそ御阿礼の子について当たり前の説明を並べただけの退屈なものであったが、三回続くとだんだん私個人を離れて、里に住む人間一般の生活について書くことが多くなっていった。それにともなって私の寄せた「短い文章」、手が小さくて嫌になるとか、もっと歌が上手ければいいのにとか、綺麗な花を見ると時々無性に食べたくなるとかいう下らない話が、果たして花果子念報の意図したものなのか、妖怪からすればどこか新鮮で面白かろう話に思えてくるのだった。
記事は五週続いて弥生の入りに結ばれたが、花果子念報の方から「先生あともう三週だけ」と言われ「短い文章」の寄稿だけは延長されることになった。そのときの私は少しも渋らないで請合った。
私は書斎へ入って、山積みされた資料の中から師走の日に切り取った鵺の記事を取り出して机の上に置いて見た。
そうして花果子念報の天狗のことを思い出し考えながら、その態度に対して「今どきの物言い」という名を与えたくなった。
相手を区別せず思うままの素直さで接近してくる彼女の爛漫なことや、変わりやすく落ち着きのない挙動、そうしてそれら全体のまことに罪無いことに、私ははじめて新鮮という言葉の意味を見たような気がした。
私はまたそこに「若さ」という二字をも見ていた。
人間の私が妖怪の人格に若さを認めて、しかも実のところ胸のうちの深い場所でそれを羨ましく思っているということは、考えてみれば妙なことかもしれなかったが、ともかくも確信に近い自覚であった。
思い出して考えてみると、寄稿掲載の期間を延長して欲しいと彼女の方から例の「先生」をつけて頼まれたとき、私がすぐさま承諾の返事をしたのは、確かに二つの理由による。一つには、妖怪らしい強引さと稚気でもって人間の私に接近してくれた花果子念報の「今どきの物言い」を痛快に思ったから、そうして二つには、是非続けるのが良かろうという推奨を無理に断ち切って暗い書斎に身を引き取ってしまっては、彼女の「若さ」に対して恥をかくと思ったからである。
それからは、毎週封を受け取りに来る花果子念報に私の方からも話題を持ち出して、二人で長く色々のことを話すようになっていった。約束の三週を過ぎても花果子念報は寄稿の終わりを切り出さないので、見送りに出る門の外はいつしか春になっていた。
あるとき私は彼女の腰にぶら下がった機械を指差して、それは何かと訪ねたことがあった。花果子念報はそれを私の方に向けて「写真機ですよ先生」と得意げに言った。渡されて持ってみると、あまりに小さく軽く薄いので、どうもこれでは撮れそうもないようだと私が言うと、彼女はやや憤慨して「こういうものは小さくて軽くて薄い方が便利なんですよ」と説明した。
私はその説明を聞いて、何だかそれが彼女の使う「今どきの物言い」を貫いて通る至言のような気がしてならなかった。
私はふと、その「小さく、軽く、薄い」という説明を自分に引き比べて考えてみた。すると、私の頭の中には生まれ持った使命とか宿命とかいうものが数多くぶら下がり、私の手足を遠い過去と遠い未来に堅く繋いでいる想像が瞬間に通り過ぎていくのだった。同時に、私の彼女に対する羨望の意味も、ほぼ分かった。どうあっても自分の中に今どきの便利は見出すことが出来なかった私は、「私にはよく分かりません」とだけ言って写真機を返した。
第百二十六季卯月の十日は暖かに晴れて、稗田屋敷の門前の梅が満開になっていた。私はその花の下に立って、花果子念報の来るのを待ち受けていた。青い天を切って飛び込んできた花果子念報は私の姿を見ると驚いたらしかったが、すぐに平生の様子に戻って一礼した。
私はあえてそれに取り合わず、手に持った紙包を無造作に突き出した。表には大きく『試供品』と印字されている。いよいよ困惑した表情の花果子念報が包を解いて中のものを取り出すと、今度はにやりと笑って私の顔を見た。それは私の書いた幻想郷縁起のうち、烏天狗に関する箇所の原稿であった。
私はいつか彼女が自分を説得しようとしたときの口調を真似て、次巻の幻想郷縁起に『姫海棠はたて』の項を作るから、参考までに本人からも情報を寄せて欲しいと言い、しかし、この文章は簡単ではいけない、自身の能力、天狗の社会での仕事についても詳細かつ正確に書かなければいけないと付け加えた。
それは私にとっては「今どきの物言い」に逆襲する思いつきであり、また、不自由の多い自分の心に対する誇気のためであった。
姫海棠はたては、真面目な顔で依頼を受けてくれた。私の行動の意図について問い返すことさえしなかった。ただ去り際になって脇に抱えていた新聞のうちから一部をさりげなく門前に落として飛び立っていった。
私はまっすぐ向こうの山へと遠ざかっていく影を一人門前で見送りながら、自分と彼女との間に確かにある慎ましく軽やかで繊細なものを、何か気高い心持ちと共に胸に抱いていた。
ふと視線を落として見ると、たたきに揃えた下駄の上に、何やら白い紙包が置かれてあるのに気が付いた。表に大きく『試供品』と印字されていた。縁側に取り上げて湿った包を解いてみると、中からは畳まれた新聞が出てきた。発行の日時は今朝である。天狗の新聞屋が勝手に庭に入って置いていったものだろう。同梱の名刺には『記者・姫海棠はたて』とあった。新聞を濡れないように白紙で包むという配慮が、その時の私には微かな滑稽を感じさせた。私が初めて花果子念報を読んだのはこの時である。
一面記事は、先日から人里で噂になっている十尺の宇宙人の目撃情報について書いていた。読んでみると、噂の真相は全て命蓮寺に居る鵺の仕業であったと書いて写真を載せている。何でも鵺の仕業にしておけば記事になるものだと思った。面白かったのでこの記事は切り抜いて縁起の編纂資料と一緒に取って置くことにしたが、後日読み返してみるとそれは大して可笑しくもないようだった。
可笑しかったのはそれから一週間後のことであった。私はまた寒い回廊を手すり合わせながら歩いていた朝だったが、庭の前まで来て足が止まった。見覚えのある白い紙包の「試供品」が、廊下の真ん中で待ち構えるようにこちらを向いて置かれていた。書斎へ持ち帰って解いてみると、果たして今朝発行の花果子念報が出てきた。
私はこれに、いかにも妖怪らしい強引さと少しの稚気を感じて思わず微笑した。そも人が頼んでもいない商品を先方から勝手に試供するという話は聞いたことがないが、花果子念報はまるで頓着しない。しかも名刺にあった姫海棠という名前の天狗からすればそれは一回でお終いにする必要すらないのだろう。
私はまた前回は縁側のたたきの上に置かれていたものが一週間のうちに廊下の真ん中にまで侵入してきた事実を思うと、花果子念報が自分に対して取る態度の今後は一層大胆になるであろうことを、この時既に予測していた。
花果子念報は私の予測を外れず翌週もまた届けられた。先週縁側から屋敷内へ攀じ登った試供品は、今度は廊下を這って私の書斎の戸の前までやってきていた。その翌週は同梱の名刺の裏に『いつもありがとうございます』と丸い字で書かれていた。年が明けてからは例の包をせず新聞を身のまま届けるようになった。こうなっては試供品だかなんだか分からない。私はまた笑った。
第百二十六季睦月の二十日は雪が大いに降っていた。平生から殺風景な荒れ庭は一面に白くなってしまい、見ていてもいよいよ下らない気分になるばかりなので、私は朝から自室に立て篭もって火鉢を抱き込んでいた。するとそこへ家の者が来て、「お客様です」と言う。誰かと訪ねると、「花果子念報だそうです」と言う。花果子念報もとうとう表玄関から届いたかと思うと私はまた可笑しくなった。
支度を整えて客間へ上がると、若い娘の姿をした天狗が既に座に着きお茶をすすっていた。大きな目をしきりにぱちつかせて、細かな挙動にもどこかせわしないところがあった。髪は左右後ろ目に結ってやや長く伸ばしていた。私が対面に来て名乗ると、相手も立ち上がって「花果子念報の姫海棠です」と一礼した。その声は私のより倍も大きかった。なるほどこの人は花果子念報だと思った。
花果子念報は私が先に着席するのを待つと、「いつもお世話になってます」と言いにこにこした。これには私も苦笑で返すしかなかった。花果子念報はまた「立派なお屋敷で」とか「お茶までご馳走になってしまい」とか色々に喋った。私はそれを聞きながら、早口に話すその口調が待つうちにだんだんと気安いものに変わっていくのを感じ、やはり花果子念報らしいと思っていた。
世話話を受け流しつつようやくのことで本題の用を聞いてみると、どうも私について詳しく取り上げた記事をそのうち四五週にわたらせて書きたいから、それに合わせて当人からも短い文章を寄せて欲しいということであった。
私はすぐに「仕事があります」と話した。自分には既に書くべき仕事が十分あるので、依頼を受けても片手間に書いた原稿しかあげられないと、いかにも苦しそうな話し方をした。しかし花果子念報の方では一向構わなかった。一瞬も置かず「それで全然オーケーです」と言った。文章の内容について渋ってみても、「ご自分に関することなら何でも好きなように書いて下さい」と随分いい加減である。いい加減だけに断るにも爪の掛け所が無い。短くても、下手でも、退屈でも良いと押してくる。
私が懐手をして何だか面倒だなと考えていると、花果子念報はそのうちに懐っこい声を出して私のことを「先生」と呼び始めた。この呼び方が面白かったので、私はつい聞き返して笑ってしまった。花果子念報は私の笑ったのにどうやら「先生」が成功したようだと見ると、それから一気呵成に喋りまくって、むやみに先生先生と繰り返した。
結局相談は終始そのような調子で、気がつくと私は「まあ試しに何か書いてみましょう」と言わされていた。帰り際に花果子念報は「では先生、どうぞよろしく」と一礼して雪の中を飛び去っていった。私は試供品の「先生」をまた知らぬ間に受け取らされていることに気がついて思わずよろめきそうになっていた。
それからの私は、週ごとに屋敷を訪ねてくる花果子念報に、頼まれたとおりの「短い文章」を封に入れて手渡した。その内容は全く個人的なことに尽きていた。始めの稿では、自分は手が小さくて非常に困るという話を書いて、私は好きに読めばいいという態度であった。
手が小さいので食事の時に箸が上手く扱えない、力も弱いので里芋をこれまでに十回も落っことしている、里芋の他にも団子は五回、大根は六回、――といった風で、記憶の良い私は何でもあったことを際限なく書いて少ない字数を簡単に埋めた。花果子念報はこれに不思議と満足して、毎週「先生、ありがとう」と言い帰っていった。そうして席を立つ時にはさりげなくその週の新聞を席に残していくのが常であった。
私について書かれたその記事を読んでみると、初回こそ御阿礼の子について当たり前の説明を並べただけの退屈なものであったが、三回続くとだんだん私個人を離れて、里に住む人間一般の生活について書くことが多くなっていった。それにともなって私の寄せた「短い文章」、手が小さくて嫌になるとか、もっと歌が上手ければいいのにとか、綺麗な花を見ると時々無性に食べたくなるとかいう下らない話が、果たして花果子念報の意図したものなのか、妖怪からすればどこか新鮮で面白かろう話に思えてくるのだった。
記事は五週続いて弥生の入りに結ばれたが、花果子念報の方から「先生あともう三週だけ」と言われ「短い文章」の寄稿だけは延長されることになった。そのときの私は少しも渋らないで請合った。
私は書斎へ入って、山積みされた資料の中から師走の日に切り取った鵺の記事を取り出して机の上に置いて見た。
そうして花果子念報の天狗のことを思い出し考えながら、その態度に対して「今どきの物言い」という名を与えたくなった。
相手を区別せず思うままの素直さで接近してくる彼女の爛漫なことや、変わりやすく落ち着きのない挙動、そうしてそれら全体のまことに罪無いことに、私ははじめて新鮮という言葉の意味を見たような気がした。
私はまたそこに「若さ」という二字をも見ていた。
人間の私が妖怪の人格に若さを認めて、しかも実のところ胸のうちの深い場所でそれを羨ましく思っているということは、考えてみれば妙なことかもしれなかったが、ともかくも確信に近い自覚であった。
思い出して考えてみると、寄稿掲載の期間を延長して欲しいと彼女の方から例の「先生」をつけて頼まれたとき、私がすぐさま承諾の返事をしたのは、確かに二つの理由による。一つには、妖怪らしい強引さと稚気でもって人間の私に接近してくれた花果子念報の「今どきの物言い」を痛快に思ったから、そうして二つには、是非続けるのが良かろうという推奨を無理に断ち切って暗い書斎に身を引き取ってしまっては、彼女の「若さ」に対して恥をかくと思ったからである。
それからは、毎週封を受け取りに来る花果子念報に私の方からも話題を持ち出して、二人で長く色々のことを話すようになっていった。約束の三週を過ぎても花果子念報は寄稿の終わりを切り出さないので、見送りに出る門の外はいつしか春になっていた。
あるとき私は彼女の腰にぶら下がった機械を指差して、それは何かと訪ねたことがあった。花果子念報はそれを私の方に向けて「写真機ですよ先生」と得意げに言った。渡されて持ってみると、あまりに小さく軽く薄いので、どうもこれでは撮れそうもないようだと私が言うと、彼女はやや憤慨して「こういうものは小さくて軽くて薄い方が便利なんですよ」と説明した。
私はその説明を聞いて、何だかそれが彼女の使う「今どきの物言い」を貫いて通る至言のような気がしてならなかった。
私はふと、その「小さく、軽く、薄い」という説明を自分に引き比べて考えてみた。すると、私の頭の中には生まれ持った使命とか宿命とかいうものが数多くぶら下がり、私の手足を遠い過去と遠い未来に堅く繋いでいる想像が瞬間に通り過ぎていくのだった。同時に、私の彼女に対する羨望の意味も、ほぼ分かった。どうあっても自分の中に今どきの便利は見出すことが出来なかった私は、「私にはよく分かりません」とだけ言って写真機を返した。
第百二十六季卯月の十日は暖かに晴れて、稗田屋敷の門前の梅が満開になっていた。私はその花の下に立って、花果子念報の来るのを待ち受けていた。青い天を切って飛び込んできた花果子念報は私の姿を見ると驚いたらしかったが、すぐに平生の様子に戻って一礼した。
私はあえてそれに取り合わず、手に持った紙包を無造作に突き出した。表には大きく『試供品』と印字されている。いよいよ困惑した表情の花果子念報が包を解いて中のものを取り出すと、今度はにやりと笑って私の顔を見た。それは私の書いた幻想郷縁起のうち、烏天狗に関する箇所の原稿であった。
私はいつか彼女が自分を説得しようとしたときの口調を真似て、次巻の幻想郷縁起に『姫海棠はたて』の項を作るから、参考までに本人からも情報を寄せて欲しいと言い、しかし、この文章は簡単ではいけない、自身の能力、天狗の社会での仕事についても詳細かつ正確に書かなければいけないと付け加えた。
それは私にとっては「今どきの物言い」に逆襲する思いつきであり、また、不自由の多い自分の心に対する誇気のためであった。
姫海棠はたては、真面目な顔で依頼を受けてくれた。私の行動の意図について問い返すことさえしなかった。ただ去り際になって脇に抱えていた新聞のうちから一部をさりげなく門前に落として飛び立っていった。
私はまっすぐ向こうの山へと遠ざかっていく影を一人門前で見送りながら、自分と彼女との間に確かにある慎ましく軽やかで繊細なものを、何か気高い心持ちと共に胸に抱いていた。
彼女から見たら所謂「今時の」と言う感じになるんだろうけど、他にも掘れば色々出て来そう
>案山子念報
花果子念報でぃす
二人の対照が丁寧に作り上げられています。
はたての天狗にしては若者然とした軽やかなイメージと、阿求が抱える記憶・世代の重みとが対比させられていて、両者の交流のなかで、より阿求のキャラクターが、深く、くっきりとした輪郭をもってくるようです。
殆どの東方のキャラが若い少女の姿であるからこそ、より広い意味での掴みどころのない「若さ」というものに(老人のように距離をおいて)言及している阿求の内面が、とても新鮮に感じられました。
実際はたてって若いんだっけか?
良い意味で若いはたてと、若いのにどこか老成している阿求の組み合わせは珠玉かと
ほんの少しの出来事なのにここまで読むのに夢中になるのは文章力の高さ故か
素直にセンスいいなぁと思いました
阿求は老成したキャラとして描かれることが多い反面、はたては若く捉えられ勝ちですね。はたては海を知っているのでそれほど若くもないはずなんですが、文も千年生きてる割に年寄り染みたところがないので、天狗ってのは若く見られるものなんでしょうかね。
新聞を介して関係を築くのは文通に通ずるものがあるなと思いました。最後の一文、二人の間には一体どんな縁が結ばれたのやら。
良質なはたて作品が増えて嬉しい限りです。
阿求は鈴奈庵を読むと、もっと若そうな印象を受けていたのですが、これはこれで、彼女の別の側面を見た気がして楽しかったです。
阿求が縁起にはたてをどんな風に書くのか、楽しみです。
いいですねこういう受け答えは
会話もなんかいいですし
ハチャメチャな東方も悪くないですがこういう東方のが好きです
稗田邸を訪れる天狗はもう片方の鴉天狗である作品が多いと見受けられるのですが、自紙に包をして「試供品」とするのは、なるほど、花果子念報ですね。にじみ出る”らしさ”が素晴らしいです。
「小さく、薄く、軽い」から、阿求はその小さな手を伸ばしたのでしょうか。
特に感心した描写は、便利というものについて。阿求の中では「便利」とは流れるままに享受するものではなく、自身の中にその観念を見出だし、有る無し如何で受け入れないこともありえると。自己を見つめ続ける精神性は人間ながらも妖怪的で、またインテリぽくて良かったです。
面白かったです
DS後の話なので、彼女がどう変わったかという側面が出ていると、よりおいしくいただけたように思えます。
記事の内容で勝負したいというはたてのスタンスが変わらないところを見ると、
文と自分のいいところどりをして昇華したのかなとも思いました。が、ここまでいくと私の妄想です。
一人称でキャラクターを描く技術は圧巻の一言。
日常を切り取ったほのぼの作品としてもお手本のようなSSでした。
文体も丁寧でちょっと古風で、実に品位を感じさせるものでした。面白かった。
はたて視点でもこの作品を見てみたいです。
この心情を宿した阿求が外からどう見えるのか。気になりますね。
とても素敵な作品を読ませていただきました
畳の和室で文机に向かう、明治の文豪のような姿が
ありありと思い浮かぶ作品でした
はたての態度に徐々に引き込まれる阿求の様子、惹かれる理由、そして写真機と阿求の使命の対比と最後の寄稿の依頼、うまい作りです。