「雑巾にでもしちゃおうかしら」
霊夢は一人呟く。掃除で箪笥の奥を探っていたら、古い着物が出てきたのである。
小さな虫食いが有るし、今はもう小さい。誰か上げる宛が有るはずもなく、このまま箪笥の肥やしにしていては虫が喜ぶだけ。
思い立ったが吉日。裁縫道具を準備すると、座卓で作業を始めた。
「今日は針を投げないで使ってるのか」
作業して幾ばくもしないうちに陽気な声が飛び込んで来た。襖の陰から魔理沙が顔を覗かせる。
いつもの事だ。霊夢が昼間から一人静かに作業できる吉日などあまりない。
霊夢は怪訝な顔になりつつ応対する。
「裁縫用の針なんだから、当たり前じゃない」
「そもそも投げる用の針が有る方がおかしいけどな」
「飛ぶ用の箒持ってる奴には言われたか無いわね」
「殴ったりも出来るぞ。ついでに、掃除も」
「はいはい。それで、今日は何か用?」
霊夢は指ぬきで針の頭を力を込め押しこんだ。
「そうだった、これ読んだか?」
魔理沙はもったいぶった笑みで新聞紙を差し出した。霊夢はどこと無く嫌な感じを覚えたが新聞を手に取る。
「えー、何々。お宅のお宝コーナー。稗田家には怪僧から貰った減らない味噌樽が……」
「おい、そっちじゃない」
「残念ながら先代御阿礼の時に失損。盗めないわね」
「違うって言ってるだろうに。こっちだこっち」
頭を押さえられ、強引に見出しの記事に目を向けさせられる。
「玄武の沢で新しい横穴見つかる……?」
霊夢は頭を固定されたまま記事を読んだ。
要約すると、玄武の沢で新しい洞穴が見つかったらしい。
崩れた無数の岩に塞がれていたのが、妖精の悪戯か地震かで入り口が出来た。そこを偶然通りかかった阿求が見つけたのだ。
玄武の沢の地形を知り尽くしていた阿求は、その穴が今までになかった事を瞬時に見抜き、新聞への情報提供をした。
ただの穴ならなんて事はないのだが、簡易的な物では有るものの結界が張ってあり、妖怪の類は近寄らない方が良いとの事。
さらにその穴の入り口には古い立て札が立っていて、それがまた奇妙らしい。
「“生まれ変わりを望む者入るべし”って、何これ?」
「私の最新情報によると、文字通り。入った奴は本当に生まれ変わってるらしい」
魔理沙は霊夢の頭を離すと、新聞をひょいと取り上げた。
「ふーん、生まれ変わるってどうなるのよ。まさか一度殺されるとか言わないでしょうね」
「仕事に身が入ったり、やる気が起きたり、朝早く起きれると聞いた。里では密かにブームらしいんだ、面白いだろ?」
「ああ、そういう意味だったのね」
「死んだ後の生まれ変わりが実現するかどうかは残念ながら未確認」
「どっちにしろそんな気がするだけって話じゃないの。もしかしてあんたも行くつもり?」
「おまじない程度でも効き目がありゃ良いなと思ってな。自分の変えたい所は誰だってあるだろう? 話の種に霊夢も誘おうかと思って来たんだ」
話題のスポットだから誘ってくれたのだろうか。霊夢は誘い自体は嬉しいと思ったが、生まれ変わりに興味はないし、共感はできなかった。
「悪いけど私はパス。雑巾作りもまだ始めたばかりだし、部屋の空気入れ替えた方が効き目ありそうよ」
今日は雑巾の吉日なのだ。霊夢は視線を落とし、再び針を手にする。
「じゃあ着物のリサイクルに飽きたら様子見に来いよ、何かあるかもしれないし」
残念そうにした魔理沙だが、はやや乱暴に襖を開けると玄武の沢へと向かって飛んでいった。
霊夢は慌ただしい魔法使いにため息を一つして、針を布にくぐらせる。春までは少しあるからか、吹き込む風はまだ冷たい。
そつなく針を操っていたが、霊夢は記事の内容に少しひっかかっていた。
立て札があったということは、誰かしら人妖の手が加わっている筈だ。
それなのに阿求の持つ史書等に記録されていないのは、転生の合間だけ存在した穴なのか、或いは記録することが許されなかったのか。
どちらにせよ誰かが記録していそうな物だが……。
とは言え新しい何かではなく、ただ洞穴が出てきただけなら急いて動く事はない。妖怪避けが有るということは人が入るための場所でも有るからだ。
そして塞がれたままだったとということは、塞がれても困らなかったのだ。
魔理沙が興味を示したのも、本当は変な苔とかあったら嬉しいな、とかだろう。
それにしても“生まれ変わりを望む”か。魔理沙は変わりたい所は誰でもあると言ったけど、言われるまで考えた事なかったな。
もし私が生まれ変わるなら──。
霊夢は手を動かしつつ、のんびり考えた。その後は雑巾作りに没頭し、四枚ほど仕上げ結局洞穴には行かなかった。
翌日も魔理沙が箒に乗ってやって来た。
降り立つと帽子を脱ぎ、悠然と歩く。
「霊夢、今まで済まなかったな……私はようやく気付いたよ」
魔理沙らしからぬ挨拶で、縁側でまどろんでいた霊夢は目が覚めた。
「なにに? 謝られる覚えは沢山ある気がするけど」
「私は今までお前に少なからず嫉妬していたんだ。お前の持っている奇跡とも言える天性の才というやつにな」
「は?」
「でもな、嫉妬している場合ではないということに気が付いた。そういう人物が居るので有れば、それに追従し奇跡であるお前を解明するべきだったんだ。何故なら私は奇跡を再現できる魔法使いなのだから!」
魔理沙は拳を握りしめ 明後日の方を見つめている。
びっくり、というよりは意味がわからず霊夢はしばらく言葉が出なかった。
「ついに変なキノコ食べちゃったのかしら」
「変なキノコなら常食だ、ただ霊夢の事もっと知りたくなっただけ」
「あんた自分が変なこと言ってるの分かってないの」
「変なことじゃない。謙遜しなくていいさ」
魔理沙はただ不思議そうな顔をした。霊夢は自分がおかしいのかと軽く頬を抓ってみるが、夢という事は無い。
目の前に居るのは間違いなく魔理沙だ。
「よく分からないけど……何しに来たのよ?」
「さっき言ったとおりだ。是非ともお前と話がしたい」
「いつも話してるような、取り敢えず上がっていけば……」
混乱しつつも茶くらいは出すかと霊夢が台所に向かうと、魔理沙も手帳片手に何食わぬ顔で付いてきた。
「もてなしてやろうってんだから、待ってなさいよ」
「いやいや、博麗霊夢はどのような台所にしているのか気になるからな。味噌はその樽で、野菜はそこか。調理器具はそっちの棚と……あ、茶淹れてくれるならこれ貸すぞ」
魔理沙は帽子からミニ八卦炉を取り出して振ってみせる。
「人の台所に勝手に入るのは関心しないわね」
「ん、確かにな。霊夢は意外と常識人かも……と」
神妙な顔でさらりと手帳に書き込むと、座敷に戻った。調子が狂うどころか気が狂いそうだ。霊夢は湯を沸かしつつ、気持ちを沈める。
明らかに魔理沙がおかしい。言動もらしくないし、纏う雰囲気も何処かいつもと違う。狸か狐が化けているのだろうかと疑ってみるも、八卦炉は本物の様だし箒で飛んできたのも確かに見ている。
ということは魔理沙本人ではあるが、操られているのかもしれない。
鎌でもかけてみようか考え、霊夢が戻ると驚くことに座卓の上は魔導書と紙片が散乱していた。
「お待たせ、って何してんの」
「いやな、お茶が来るまで新しい魔法でも考えようと思って」
和室の中、座卓の上だけ横書きの紙片が散らばって、拒絶反応を起こしそうな景色だ。茶の置き場所すらも無い。
「あんたね、もてなす方の身にも成って欲しいんだけど」
「いやぁ、私はそういう機会に恵まれないからな」
魔理沙は眉を垂れつつ笑った。それっぽい事を言う時は、仕草も魔理沙に他ならない。でもやっていることが普段と違って奇妙だ。
霊夢の知る限り、魔理沙は人前で魔導書を広げる事は少ない。この魔理沙の言うとおり、本人が出回ってるのが原因だろうが……。
あまり努力してる感じを見せないのが、魔理沙の凄い所でもある。やはりこの魔理沙はおかしい。
「あんた本当に魔理沙?」
仕方ないので膝立ちで魔導書の上に湯飲みを置き、霊夢は魔理沙の目を覗いた。
どことなく魔理沙は緊張している様に見える。
「なに沙に見えるってんだ?」
「そりゃ魔理沙だけど……」
「凄いな、大正解だよ」
鎌どころか単刀直入になったが、気にしない。
「じゃあ、何か憑いてるとか」
「ははは、まさか」
少し目を泳がせたのを霊夢は見逃さなかった。
「御幣があるから祓って上げるわよ、憑いてたら祓えるし憑いてなかったら何もない、しかもタダでやってあげる」
「今日は止めとくよ。タダより高い物はないって言うし」
「あんたが言って良い言葉じゃないわね」
御幣を出して訝しげに見れば、魔理沙は冷や汗浮かべ苦々しく笑う。
どうやら当たりだ。霊夢は確信し、憑き物を落とすべく、膝立ちのままずりずりと近づいた。
魔理沙はそれを見て一度ぐっと目を閉じると、湯呑みを掴み、霊夢の顔めがけ振りかざした。
「あっつ!!」
顔に茶を浴びて霊夢は堪らず飛び退いた。
「な、何すんのよ!」
「それは勘弁してくれ!」
ドタドタとした足音が響く。霊夢が袖で目を拭い辺りを見回した頃には、魔導書もお茶が染みた紙片も置き去りで、魔理沙の影も形も無い。
仕方なく前髪に滴る茶の雫を虚しく見つめた。
「もう……なんなのよ」
頭を軽く左右に振る。
魔理沙は間違いなく憑かれている。憑いた奴が何をしたかったのか良く分からないが、原因には心当たりがある。
先日発見されたという胡散臭い玄武の沢の洞穴だ。昨日行くと行っていたし、間違いない。
霊夢は思案し、逃げ足の早い魔理沙は後回しで、まず洞穴を見に行く事にした。洞穴が原因なら元を絶たねば繰り返すという事もある。
それなら順々に片づけて行くべきだろう。霊夢は予定が決まると手始めに目の前の座卓の上を片し始めた。
玄武の沢と言っても普段行かないので、洞穴の場所が分からない。
霊夢は新聞の内容を思い出し、一先ず当事者の阿求に聞こうと、阿求邸に行ってみた。
しかし生憎と阿求は留守だった。庭先で祠を掃除している侍女が居たので尋ねると、件の洞穴の調査に行っているらしい。
やる気十分らしいが、阿求まで変になったら堪らない。霊夢は直接玄武の沢に向かった。
沢までは難なく着いた霊夢だが、やはり場所が分からず悩んだ。里ではブームらしいのだから聞いておくべきだった、と後から思ったがもう遅い。
仕方なく持ち前の勘を頼りに穴をちょくちょく覗きながら沢のほとりを歩き周って居ると、銀髪を揺らして歩く珍しい姿と出くわした。
「あれ、いつぞや肝試しに居た幽霊の……」
「妹紅だよ、幽霊じゃないけどね。巫女も生まれ変わりの洞穴に来たの?」
も、ということは妹紅も同じ目的地らしい。願ってもない助けだ。
「そうなんだけど、場所分からなくて困ってるのよ、知ってるなら教えてくれない」
「いやあ私は分からないよ、知ってるのはあっち」
妹紅はやるせなく後ろを向いた。
「ひぃひぃ、もうちょっとゆっくり行きましょうよ……」
頭を左右に振りつつ、たどたどしい足取りで追いついてきたのは、阿求だった。
「まだ阿求も着いてなかったの。良かったけど、なんか古くさい組み合わせね」
「たまたま里の近くに行ったら護衛して欲しいって頼まれてね。まさかこんな所に連れてこられるとは私も思わなんだ」
「ぜぇ、藤原さんだって、興味有るって……そ、それよりちょっと休憩しません?」
肩で息をしながら、阿求は先に行かせまいと妹紅の服を摘んだ。
頭には蜘蛛の巣を引っかけ、袴のような赤いスカートも足袋も、土やら葉っぱやらで汚れている。魔法の森を突っ切ってきたことは想像に難くない。
「休んであげたら? ここなら見通しも良いし」
「そうだなぁ、変な胞子も飛んでないし。休憩にしようか」
「やったぁー」
阿求は萎れるように腰を落として喜び、妹紅は涼しい顔で適当な石に腰掛けた。
でこぼこコンビだなと思いつつ、霊夢は阿求の息が整うのを待って洞穴の事を聞いた。
「新しい洞穴見つけたのって阿求なのよね」
「はい、フィールドワークを怠っては記録はできませんから。今日は奥の方まで調べる為に来たんですよ」
「新聞で見たけど、本当に阿求でも全く分からない洞穴なの?」
「実は入り口の看板には立てられた時の日付が入ってまして……どうやら百十年程前に出来たようです。阿弥の存命した時期ですが記録には見当たらなくて。一応その年の略式日誌を持ってきたのですが……」
阿求は背負っていた風呂敷から古い和綴じの本を取り出した。霊夢はそれを受け取るとぱらぱらと中を流し見る。
「外道売りが里を訪れる。塩売りが里を訪れる。収穫祭で小御輿転倒三人負傷……大した出来事無いわね……」
「そういや昔は塩売りとか行商が偶に来てたなぁ。竹林にも外道売り来てたよ、そうかあの時かー」
妹紅も日誌を興味深そうに覗くと、思い起こすように頷いた。非常に胡散臭い。
日誌は平凡な年だったのか何か出来たという様な記述は確かに無い。
今の異変のような物も見えないのは、平和なのか、日常茶飯事だったのか。結界が出来るまで幻想郷は淡白だったのかもしれない。
「一応それは里や人に関する出来事を纏めた物なんです、だから妖怪が勝手に作ったとも考えられますが……」
「妖怪避けがあったのよね。普通はそんなことしないし……奥まで行けば何か分かるかもって事かしら」
「そういうことです。霊夢さんは何しに来たんですか?」
「噂を聞いて来たって事は、巫女も生まれ変わりたいってことじゃないのか。ちょっと意外だけど」
「ああ、違う違う。私が来たのは――」
霊夢は魔理沙の様子がおかしく、それに件の洞穴が関係有るかもしれないことを説明した。
二人は怪訝そうに聞いていたが、聞き終わると顔を見合わせた。
「うーん、どうでしょうね」
「そりゃ案外、心境が変わっただけじゃないの」
「お茶掛けられたのよ、普通じゃないわ」
「あの年頃の娘は複雑と言いますし」
「家出少女だとも聞いたぞ、全く最近の子は何を考えてるか分かったもんじゃない……」
「魔法使いになるなんて有る意味、究極の非行ですよね……」
息を漏らす阿求と妹紅に、霊夢も別の意味でため息が出そうだ。
「二人しておばさん臭いわよ」
散々な言われ様に、魔理沙に少し同情した。
「じゃあそろそろ行こうか」
伝わったか分からない話が一通り済むと、妹紅が立ち上がり服をはたいた。
「そうですね、もうすぐそこですから」
「とにかく私もその洞穴を確かめたいから、一緒に行かせてよ」
「是非。何かあったとき心強いです」
阿求は楽しそうに笑うと、風呂敷から今度は地図を出し洞穴の場所を示した。
「地図なんて有るんだ」
「作りました。記憶は文書にしか出来ない訳じゃありませんからね。流石に測量しないとちゃんとした物は作れませんけど」
阿求は地図片手に岩場を誘導して行くと、直ぐに三人の前に散らばった岩々と、裂けて出来た様な縦長の洞穴が姿を現す。穴の見た目はそこらの洞穴とさして変わらぬ無骨な物だ。
霊夢が軽く中を覗いてみると、天井までは体二つ分はありそうで横幅も大人が悠々と通れるは有りそうだ。
頭上には勧請縄の様な物がある、妖怪避けとはこれらしい。奥はかなり深そうで霊夢の「誰か居る?」の言葉は深々と闇に溶けていった。
「思ったより深そうね、真っ暗だし……」
「それ、そこにあるのが看板です」
「このボロボロの板ね……生まれ……変わ、り……を……良く読めたわねこんなの」
草書の上にぼろぼろ過ぎて霊夢には途中までしか読むことが出来なかった。
「確かに百年くらい経ってそうだな、奥は真っ暗だろうけど本当に中まで行くのか?」
「藤原さんが火を出せるという噂を聞いたので、照らしてくれると良いな、なんて」
「おいおい今度は提灯扱い? 意外と人使いが荒い……」
「良いじゃないの、昼行灯が役立つのだから」
「もう少し人に頼む態度、というのがあると思うんだが」
不本意そうな声色で言いながらも、妹紅は歩を進め手のひらに火を灯した。
辺りの輪郭が揺らぐ炎に浮かび上がる。妹紅の渋々とした顔もゆらりと浮かび上がった。
「ありがとうございます、じゃあ行きましょうか」
阿求は見えなかったのか見てあえてなのか、小気味良さそうにと笑った。
奥は若干じめじめしているのと暗いのを除けば、道も整っていて歩きやすい。
石柱の様な物の跡もあるが、折れていた。意図的に誰かが折ったらしい。狭くなりすぎる所や、天井に頭をぶつけるような所も無い。
「思ったより深いな、何の穴なんだか」
妹紅は足下に注意しながら、火の明かりも自分の体で遮らないように進んでいく。後続する二人を気遣ってくれているようだ。
「自然の穴にしてはちょっと整いすぎてるし、手が加わってるのは確かだと思う」
「そうですね、生まれ変わりと銘打っているなら考えられるのは……胎内巡りじゃないでしょうか」
「胎内巡りねぇ……」
霊夢は揺らめく炎をぼんやり見た。
胎内巡りは修験道の修行であり、信仰だ。洞窟等の真っ暗な通路をただひたすらに奥まで行ってまた出てきたり、岩の間を潜ったりする。
暗闇を胎内に見立てる事で、闇に溶けこんだ己がもう一度世界に生まれるのだ。
生きる事で溜まってしまった穢れや罪を祓う為の物だが、通常の禊や幣での祓えと違い、流したり移すのではなく生まれ変わることで決別しようとする考え方だ。
浄土には穢れが無く、人は生まれた時には汚れを持っていない。一度死に生まれ変わることは完璧な祓えでもある。
「胎内巡りなら、奥に何かありそうだ」
「無いところもあるけど、大概仏像とか置いてあるのよね」
「仏教の胎内巡りでは、闇の中仏に会うまでを再体験できる、という考えも有るらしい」
「へぇ……それは知らなかったかも」
「拝める対象がある方が説得力がありますしね、何かしら置いてある所が多いと聞きます」
「お、噂をすれば、立派な仏像が出てきたぞ」
妹紅が指さし、二人が目を向けると思わず感嘆が漏れた。
「これは……凄いですね」
仏像は木造で霊夢と同じくらいの高さの座像だった。存在感は有るが威圧感は感じさせず、静かに佇んでいる。
厳密には地蔵菩薩像だろうか。その頭に螺髪は無く、坊主頭で錫杖を見に抱えている。
穏やかな表情、滑らかで優しい木のライン。暗ければ見えないにも関わらず、この木像は一目であらたかさと慈悲深さが伝わる。
霊夢ですらそんな風に思う。その位見事な仏像だ。
「確かに……こんな所に置いとくのは勿体ないわね」
「由緒有る物には見えないが、良い仏像だ」
妹紅も確かめるように頷いた。
「生まれ変わるというのは心が洗われるという意味なのかもしれませんね。そういう意味ではこの仏像には十分な霊験があるかと」
阿求は目を閉じて深呼吸をした。霊夢も何とはなしに軽く深呼吸してみる。流石に心が洗われるとは思わなかった。
仏像は見目美しく厳かだ。心洗われるかはともかく、悪さするような物では無い。
魔理沙が変になった原因は別にありそうだ。
「他には何か無いのかしら」
霊夢は仏像の周りをうろついてみる。しかし灯りは妹紅の手にあるので中々上手く探れない。
もうちょっと像の周りを照らしてくれと妹紅に頼むも、仏像に燃え移りそうだからと断られてしまった。
「下手に燃やして罰が当たるのはごめんだよ。此処には何も無さそうだし」
「私も十分と目に焼き付けました。洞穴の全体像も掴めましたしね。そろそろ戻りたいところですが」
「うーん、確かにこれ以上奥は無いけど……」
魔理沙がおかしくなった原因がまだ分かっていない。霊夢が首を傾げていると、妹紅が若干ぎこちなく挙手した。
「その、なんだ……ちょっと手合わせても良いかな」
「勝手にすれば――って、火出してるのあんただっけ。戻る時にまた点けてくれれば良いわよ」
阿求も頷いた。妹紅は照れくさそうに短く「ありがと」と言うと炎を消した。
奥まった洞穴の中なので、当然真っ暗だ。見事な仏像も全く見えないが、元々胎内巡りは明かりを持たずにやる事も多い。
この仏像も見られることは想定されて無いかもしれない。そんな神秘的な状況に人は信仰を寄せる。
妹紅も生まれ変わりたいと思っているのだろうか?
生まれ変わって新しい命を真当に生きたいのか。それとも魔理沙の様に自分を変えたいと考えているのか。
死ななければ幾らでもやり直せるような気もする。
暗くなり考え事を捗らせる霊夢だったが、視界を奪われたせいかふと気付くことがあった。
「何か良い匂いがしない?」
「楠ではありませんか? 木仏にとって香りは一つのステータスですし、この仏像は香りの長続きする楠で出来ているようです」
「いや、もっと美味しそうな……」
楠の香りは確かにするが、霊夢の感じた物はそういった香りではない。
「巫女は仏像を食べたくなる程困窮してるのか」
ぱっと辺りが明るくなる。妹紅が再び炎を灯した。
「私もお腹がすきました、もう帰りましょう」
「阿求までそんな……本当だって」
「雰囲気が壊れる事言うな、置いてくぞ」
出口に向かって歩き出した阿求と妹紅に霊夢も渋々ついて行く。真っ暗な洞穴を手探りで出るのはごめんだ。
取りあえず妙な物は無かった。となると魔理沙は一体どうしてあんな風になってしまったのだろうか。
外に出ると眩しさに三人は軽くひるんだ。炎の光と陽の光ではやはり格が違う。
「太陽の光が洞穴の入り口を照らすのですね。これもまた生まれ変わりを感じさせる一因かもしれません」
ふふ、と笑いながら、阿求は手で陽を遮った。
洞穴はハズレ、魔理沙が憑かれたのは別の場所だったのか。
或いは阿求たちの言うように、本当にただの心境の変化? 霊夢は考えながら妹紅と共に阿求を安全な魔法の森の外まで送った。
阿求は家で詳細を書き留めるが、時間で変化が無いかと、洞穴の保存についての検討事項の確認にまた来るらしい。こういう事も御阿礼の勤めなのだろう。
洞穴については阿求に任せるとして、問題は魔理沙の方だ。
頭を悩ませているのが伝わったのか、阿求と分かれた後、妹紅が聞いてきた。
「あいつはそんなに様子が変だったの?」
「そりゃもう。幣を嫌がっていたし、仮に心境の変化だとしてもどんな心境か心配になるぐらいには」
「ふーん、もしかして洞穴じゃなくて神社に原因があるんじゃないのか?」
「そんなわけ無い……と思うけど」
馬鹿なこと言うなと言いたかったが、手がかりがない以上霊夢も否定はできない。
「面白そうだから私も見に行こうかな」
「冷やかしで神社に来る気なの」
「私はこう見えて人生経験ある方だし、何か分かるかもよ」
「とか言って、何か企んでたら承知しないわよ?」
「おおこわい、良い肝試しになりそうだ」
妹紅は舌を出して見せた。
神社は相も変わらず。かと思いきや、誰もいないはずの台所から煙が上がっていた。
「誰か居る……?」
「さっそく怪奇現象とは羽振りが良いなぁ」
妹紅の発言を無視し、霊夢は縁側の方から炊事場へと向かった。外からでも行けるが外から入ると鉢合わせする可能性がある。
「泥棒かしら」
「私の長い人生経験から言うと、泥棒が調理はしないかな」
「そりゃそうよね」
何で神社でこそこそしなくちゃいけないのかとぼやきつつ、霊夢は足音を立てないように近づき、戸の陰から炊事場を覗いた。
「霊夢は何処に行ったのかな、折角味噌汁作ったのに。しかしこんなに直ぐ入れるなんて不用心だなー」
黒い姿がお玉片手に鍋を見下ろし呟く。間違いなく魔理沙だ。
何故か機嫌が良さそうで、鍋の味噌汁を小皿に入れ味見すると鼻歌すら口ずさむ。その姿はやはり異常としか形容できない。
「あいつ何やってんのかしら……」
「通い妻の風格を感じるな」
「~♪」
魔理沙は無邪気な笑みで、ずっと見てると背筋がぞわりと来そうな不気味さを醸し出している。
「変でしょ?」
「なるほど、あれは変かもしれないな……」
妹紅も理解したようで、不思議だという表情を見せる。
あまり交友がなくとも、一度会っていれば今の魔理沙がおかしいことは分かるだろう。
やっぱり、人はここまで急に変わらない。
「とにかく何か憑いてるなら御幣で払えるとは思うんだけど、さっきはお茶掛けられたのよね……」
「なら私が裏から回ってあいつを取り押さえるよ。私なら祓われるって警戒もしないだろうから」
妹紅は忍者のように足音を殺し外に出て行った。
霊夢はじっと魔理沙の後ろ姿を見て待つ。
いつもの魔理沙だって頼めば味噌汁位作ってくれるのだろうか。
「よう、こんにちはー」
妹紅が裏の戸を開け、軽快に登場した。ものの数秒くらいの早業に驚く。
「やあ、妹紅じゃないか、味噌汁の匂いに釣られてきたか」
「そんなとこかな。そっちは何で霊夢も居ないのに味噌汁作ってるのかなー」
妙な語調で妹紅が首を傾ける。人生経験豊富な割に、演技が若干酷いのは気のせいだろうか。
「さっき霊夢に酷いことしちまってな、茸沢山とってきて何か詫びの一品と思ったんだ。まぁ味噌はここのなんだけど」
魔理沙は申し訳なさそうに頭を掻いた。
「私には遠いけど近くに居られる貴重な奴だ。出来れば関係を壊したくはないし……」
「なんだからしくないねぇ。あいつは仏像食べそうなくらいお腹空いてるみたいだから、味噌汁で胃袋を掴めばこっちのものさ」
妹紅は霊夢に目で合図すると、魔理沙の後ろから鍋をのぞき込んだ。
「こりゃ美味しそう、何入ってるの?」
魔理沙がよくぞ聞いてくれたと説明を始めた。
「シメジの歯切れ良い食感と、細切りのキクラゲがコリコリ感が楽し――っておお?」
妹紅は魔理沙の脇下に腕を滑らせ、そのまま羽交い締めにした。
「おい妹紅、火の周りでふざけるのは良くないぞ」
「せいぜい神社が燃えるだけだ、ちょっと遷宮が早まる位だし、いいよね?」
「さっきから勝手なこと言うんじゃないわ」
霊夢も戸の陰からゆっくりと炊事場に入った。
「なんだお前等、グルだったのか!」
魔理沙は御幣を持った霊夢を見ると、状況に感づいたのか手足を振って暴れた。
「何か憑いてるんなら早く落としてくれよ、蹴られて痛い」
「というわけで観念ね」
「ええい、もう知らん!」
魔理沙が叫んぶと同時に急に力が抜けたのか頭をがっくりと落とし、手足がぶらんと垂れ下がった。
「気失ったぞ?」
「え、なんで」
妹紅と霊夢が顔を合わせて疑問符を浮かべると、今度は魔理沙の服がもぞもぞと動き、何かが飛び出した。
「あ、まて! この!」
霊夢は咄嗟に踏み潰そうとしたが、避けられた。二寸ほどの細長い動物だ。霊夢の足をかいくぐったそれは目にも留まらぬ早さで裏戸の隙間から外に出て行った。
出て行った戸口を数秒眺め、静まり返ったその場で妹紅と霊夢は再び顔を見合わせた。
ひとまず魔理沙を横にしようとすると、丁度目を覚ました。魔理沙は状況をある程度察したらしく、苦笑いで頭を掻く。
「すまん、何か憑いてたんだな」
「みたいね」
魔理沙は特に後遺症も無く、数分で元の調子に戻った。呆れたことに味噌汁持って帰っていいかと聞くくらいだ。
味噌汁は一先ず置いておき、魔理沙にどうして憑かれたのか真相を聞いた。
「例の洞窟あるだろ? あそこに明かり持って入ってみたんだよ。そしたら凄い仏像があってさ」
「私達も見たよ、地蔵菩薩像」
「おう、あれを拝んでたら……なんか体を乗っ取られたというか、憑かれてた……としか言い様がない」
「偶々あの洞穴に隠れてたのかしら……」
「あの憑いてたのは何だかわかる? あのイモリみたいな動物、なんか見覚えはあるんだよなぁ」
妹紅が何か思い出そうと頭を叩いている。
「さあ、私には見えなかったからな。でも何か味噌を食べたくなったような気がする」
それを聞いて妹紅は手のひらを合わせた。
「そうだ! あれは外道だよ! 管狐だ」
「ああ、それであの細い見た目……管狐だったのね」
「私は見てないが管狐ってもっとでかいんじゃないのか?」
「小さいのは小さいのよ、修験道だと竹筒に入れて持ち運んでたらしいし」
「竹林に来た時も竹持っていってたよ、うん」
妹紅は思い出して合点がいった様子だ。例の胡散臭い記憶か。
「ふーん、味噌が好物ってわけか」
「狐の類に憑かれると味噌が食べたくなるのは良くある事だわ──?」
霊夢は自分の言葉に何かを思い出しかけ、首を傾げる。
「味噌……味噌……何か引っかかるわね」
「こうやると思い出せるよ」
素知らぬ顔で妹紅は霊夢の頭を拳でごつりと叩く。
「あっ、そうだ! 洞窟で感じた美味しい匂い、あれ味噌の香りだったのよ!」
妹紅と魔理沙は唖然とした。
香りの正体は味噌に違いない。糸口を掴んだ霊夢は再び洞穴に戻ることにした。
一人で行こうとしたが、魔理沙と妹紅も明かり役ということで同行することに。
「魔理沙は来なくても良かったのに。病み──憑き上がりだし」
「妹紅の炎は自然を害するからな、時代はクリーンな魔法光だよ」
「じゃあ妹紅が要らなかったわね」
「人生経験豊富だから、役に立つよ」
下らない話をしながら、三人は洞穴に辿り着き早速中に入った。
魔理沙が魔法のランタンを持ち先導して歩く。三人とも一度は来ているだけあって、スムーズに進むことが出来た。
「管狐って死なないのか? 餌なんかとっくに尽きてるだろ。それとも洞穴が出てきてから誰かが仕組んだのかな」
「穴が出てからでは無いだろう。私が思うに生まれ変わり自体が管狐の仕業だ。それで古い看板は本物だった」
「餌は謎だけど……とりあえず見てみれば分かるんじゃないの」
三人は仏像の前に着くと、取りあえず辺りの香りを嗅いでみた。
「おお、味噌の匂いが……するような」
「しないような……巫女は嗅覚も凄いのかね」
魔理沙と妹紅は感覚を研ぎ澄ませるように目を閉じて香りを探る。
「いやまぁ、私もそんな気がしただけだから」
「でも味噌なんて何処にもないぞ、まさか埋まっているわけではないよな」
「岩ばっかだし、埋めるも何も無い。ということは考えたくないが……これは胎内仏がミソってわけだ」
どうするかなぁ、と妹紅が顔をしかめる。
「胎内仏?」
「仏像には中がくり抜いてあって、その中に小さい仏像や経典を入れてたりするのよ、それが胎内仏」
「へぇ、見えない所も拘ってるということだな。でもそこに管狐なんかいたら仏像として成立するのか」
「死んだ子供の好きな絵本を入れたって話もあるし。何入れても平気みたいよ」
「まして地蔵菩薩は結構寛容だしね。ただ、確認の仕様が無いな」
妹紅が諦めたように言う。だが霊夢はそうは思わない。
「何言ってんのよ、叩き割って確かめるしかないでしょ。私は中に絶対何かあると思う」
「おいおい、廃仏に目覚めたか。罰が当たりそうで怖いぜ」
「そんな気持ちはちょっとしかない……けど、管狐が居るならこんな物無い方が良い。咎められるならこんな物作った奴。違う?」
「そうかもしれないけど、ノコギリでも無いと開かないだろう」
「胎内仏があるなら、寄せ木か一度割って合わせてるかでしょ。だったら衝撃だけでも上手く割れるはず。こうやって助走つけて……」
霊夢洞穴を少し戻り、つま先で地面を軽く叩いてから駆け出した。
妹紅が咄嗟に制止の言葉をかけたが霊夢は止まらない。そのまま地面を踏みしめ仏像を思い切り、蹴り上げた。
重さからか上には飛ばず真横に飛び、岩の壁に痛々しく叩きつけられた。
木の割れる音が洞穴に大きく響く。
「こりゃむごい、女子供には見せられんな……」
魔理沙がわざとらしく顔を背ける。霊夢は得意げだ。
仏像は無惨にも首がもげて、体は前面と背面が二つに分かれていた。接合部分が前から見えない様にするやり方だ。
製作者の配慮が見受けられるが、蹴りの直撃した場所の辺りは粉々で最早修復は不可能だろう。
魔理沙と妹紅が後ろで「やっちゃったな」と溜息を吐く中、霊夢が木片と化した仏像を漁ると、下から小樽が出てきた。
「これ、味噌樽っぽくない?」
霊夢が横になっていた樽を起こして二人を呼ぶ。
「それにしちゃ小さいね、幅は一尺もないんじゃないの」
「でも味噌の香りはするぞ。漬物ではなさそうだな」
「まあ、開けみれば分かるでしょう」
霊夢は早速開けやすいように樽を平らなところに置く。
「妹紅、長い人生経験から言ったら私達はどうするべきかな」
「ここはちょっと下がって見るべきだろうね」
「なんでよ」
後ろに下がる二人に内心不満を覚えつつ、霊夢は側面のタガを軽く叩き蓋を取った。
「ひゃあ!」
中から先程と同じ管狐が大量に飛び出してきた。霊夢は思わず尻餅を付いて目を瞑った。
肩やら頭を踏み台にぴょんぴょんと跳ねていく小さな重みに、どうやら攻撃しているというわけでは無いのは分かったが、目は開けられなかった。
ややあって恐る恐る目を開けると、もう管狐は全部通り過ぎていて樽だけ目に入る。
「外に向かっていったみたいだな」
「ほらね、下がってて正解だった」
一通り過ぎるまで、たかが十秒ほどだ。霊夢は体勢を立て直して恨めしそうに後ろを向く。
魔理沙と妹紅はほんのり笑った。
「期待を裏切らないな、そういうところ嫌いじゃないぜ」
魔理沙の励ましなのか分からない言葉に、霊夢はがっくりとうなだれた。
霊夢の冷やした肝が暖まった頃。
改めて味噌樽の中を確認する。茶色で塩味のありそうな独特の香り、そして粘度の高い物がそこにはあった。
「まあ、味噌よね」
「食べてみれば確実さ、味見してみようか」
妹紅が手を伸ばし少し掬う。魔理沙が不安そうな顔をした。
「食べるのか? 味噌っぽいとはいえ年代物みたいだぞ」
「なに、死にはしないさ」
「あんたが言うと説得力あるわね」
「小粋な蓬莱ジョークを挟んだところで実食」
妹紅はふふんと笑うとを指ごと口に含むと、軽く咳き込んだ。
「なんだこれ、塩辛っ。味噌だけど塩がやたら入ってんな……」
「万が一にも腐らないようにしてあったのかも」
「じゃあやっぱりずっと中に入ってたんだな」
「見たところあんなに数が居た割には味噌が減ってないし。食べてないのかしら。管狐は実体が有るけど憑くときは外出られるみたいだし」
味噌樽は持って帰るのも大変だからという事で洞穴の隅に寄せた。
仏像の破片も一カ所に集めておこうと、手分けして運ぶことにする。
「生まれ変わるって噂は、妹紅の言うとおり管狐が憑くだけだったということか……」
「それは間違いないわね。神懸かりを望むから、その分異質な物を受け入れやすくなって憑かれるってところかしら。狐が聞いてるとも知らずに願ったが最後、誑かされると」
「詐欺狐め……」
地団駄を踏む魔理沙に、いつも通りだなと和みつつ霊夢は聞いた。
「あんた生まれ変わりたいって、何願ったのよ」
「それは……なんというか」
「まあ言いたくないだろうさ、そんな事」
妹紅はくすくすと笑った。言いたくないのなら霊夢も無理にとは思わない。
「いいけどね」
「おほん。でも犯人が管狐って訳でもないんだろ」
「管狐は飼い主の言うことを聞いて憑くこともあるから、そう言われてたんだろうね。胎内巡りの胎内仏の中に管狐入ってるなんて、どう考えても人為的だし」
「犯人は人間だろうし、もう死んでるわね。逃げた管狐は放っておいても大丈夫そうだけど。里の人も憑いてる筈だからなんとかしないといけないわ」
「大変だね、こっちは私達が片すから、里の方行ったら?」
妹紅が仏像の大きな欠片を脇に抱える。すると蛇腹に折られた本がぱさりと地面に落ちた。
「なんだこりゃ、経典みたいなのが出てきたぞ。中身は……ほう」
「犯人の自白か?」
「ちょっと見せて」
霊夢は妹紅の腕を引き本を奪った。
どこか見たこと有る古い紙質は、味噌と独特の乾いた香りが鼻をついた。
独白
この文が見つかっているならば、私の思いは達せられたのであろう。感謝したい。同時に陳謝せねばならぬ事も心得ている。ただ、間違って居るとも思わぬ。
そもそも私がこんな物を作ったのは他でも無い、生まれ変わるというのを履き違える者が見るに耐えず、少しばかり灸を据えたかったのだ。
ついては管狐には仏像に念じた者に憑き、その者が望む生まれ変わりを体現する様に任せた。
恐らく、不審に思う者が出るはずだ。もしそうなっていたのなら私も管使いとして一人前だろうか。
管狐は危機迫るか仏像の中を暴かれたなら逃げ、後は自由にせよと命じてある。一度憑いた狐も十日したら自然と抜ける。
役目を終えた彼らこそ、生まれ変わったように過ごす筈。管狐に罪は有らず。どうか見逃して欲しい。
これは私一人が起こした稚拙な怪異だ。
後述は私が常々思っていた事である。
生まれ変わると言い表し、過去の己を無かったことにしようとする者がこの所増えてきたのだ。やれあの時の事は忘れたいだの、振り出しに戻ったつもりでだの。
この先も増え続けるだろう。それが許せぬ。
罪や穢れなら良い。後悔や不名誉を罪穢れと称し、忘れようなど愚か甚だしい。いたずらに過去を無き事とする事に何の意味がある。
生まれ変わりは過去を残す為こそに必要なのだ。
罪や穢れを祓う事はそう容易くはない、一度その身身に宿してしまえば永続的に付きまとう。
禊ぎや祓えですらそれを完全に祓うことは易くない。たとえ身から消えても、感覚の型の様なものが残ってしまうのだ。
いくら祓えど、罪の意識や穢れた苦悩を忘却できる人間は居ないだろう。もしそれが出来るなら、人間では無い。
だが生まれ変わりは違う、身も心も別物だ。殆ど赤の他人であれば、どうして罪の意識が持てよう。どうして苦悩できよう。そしてまた新しい罪も汚れも受け入れられる。
生まれ変わるとは、そういうことだ。
本来、人は世代が変わることで過去を落ち着いて処理することが出来る。胎内巡りは一人でそれが出来る高度な修行だ。どうか履き違えないで欲しい。
転生による生まれ変わりは、基本身も心も記憶をも新しくする。誰も気付かないし、気付いたとしてもあまり意味はない。
その点私は特殊な魂の持ち主らしい。自賛は見苦しいが天才であり、言い方を変えれば呪われた魂だ。生まれ変わっても特別な力を持っていた。
そして私は珍しくも前世の記憶を多少持っていた。初めは驚愕して止まなかった、前世と今の違いを楽しんでいた。
それも時がたてば他愛も無い記憶であると気にしなくなる。
しかし今の時代を見て、前世でも人並みの罪や穢れのある人生を歩んできたことも理解した。なのにそれを悪いとも私は思えなかった。罪の意識など微塵も持てない。
そもそも罪汚れだけ消えるわけが無かった。楽しさが、達成感が、悲しみが、そんな大切な筈の感情達を何も思い出せない。感情は記憶だけではない、罪や穢れに近い物なのかもしれない。
思い出も何もかも無機質な記録になってしまう。
過去よりも遠く手の届かない場所に行ってしまう。
記憶があって初めて分かった。
生まれ変わる事は恐ろしいことだ。そして辛いことだ。
楽観的に望む事は馬鹿げている。
少なくとも私は望まない。
でも私はまた生まれ変わるだろう。いや、生まれ変わらねば成らない、それは分かっている。自分の力はきっとその価値がある。
願わくば私の生まれ変わりには、これを見られたくないものだ。
頭では理解しているのに、心の弱音ですら書き留めることしか出来ない私は、愚かで罪深い。
「これって……」
読み終えた霊夢は静かに本を畳んだ。
「やっぱり自白じゃないか」
「生まれ変わりに悩む者か……こんな人間も居るんだな」
妹紅は遠くを見つめるような瞳で本を眺める。
「そういえばあんたも拝んでたけど、憑かなかったわね」
「あの時は巫女も居たし、危ないと思ったんだろ。別に具体的に何かを願ったわけでも無かったしな」
「ふーん……」
どうにもばつが悪くなったが、妹紅が仏像の破片を放り投げるとそんな空気も崩れた。
犯人はともかく、悪さしていた管狐はもう居ないのだから変な事が起こる心配もない。結果としてはそれで十分だ。霊夢は納得すると作業に戻る。
三人は適当に残りの木片を端に纏め、来た道を戻り始めた。本の処分に悩んだが、誰かに見られると厄介そうなので霊夢が引き取った。
「独白を書いたのは誰だと思う?」
魔理沙がランタンを揺らしながら聞いた。後ろの妹紅と霊夢は少し考えたが、答えはぼんやりと浮かんでいる。
「幻想郷で生まれ変わってる、なんて言ったら……阿求、の先代じゃないの。書いてることもそれっぽいし」
「竹林住みであんまり詳しくないけど……あいつと同一人物ってことでもあるのか」
「この穴が阿弥の時代の物なのに稗田家の記述に無いのは、最後の文からすると頷けるもの。外道売りも来てたらしいし、多分その時管狐を買ったんでしょう。竹筒作ってたのならきちんとした修験道の人。胎内巡りもその時知った可能性もある」
「私の記憶をあてにしないでおくれ」
妹紅は頭を掻いた。
「人生経験あるって言ったのあんたじゃないの」
「ははは……まあ自分の代で事件にならない前提だったのは、入り口崩したのも独白書いたやつなんだろうな。こんだけ大掛かりな事を隠し通せるのは稗田家かもしれん」
「全部状況証拠って奴だけどな……お、出口だ」
魔理沙が一人外に向かって駆けだした。もう入り口からの日光がやんわりと洞窟を照らしているから、ランタンは必要ない。
「あんたは死ねるように生まれ変わりたかったの?」
言いたくない事だろうと言われたが、独白を見て余計気になった。
「生まれ変わったら死にたい、って斬新すぎるな」
「長生きし過ぎると色々嫌になるのかと思って」
霊夢は控えめなトーンで聞く。
「ばーか。私は生きることを楽しんでるよ」
対して妹紅はぶっきらぼうに言うと、小石を蹴飛ばす。
「多分あの魔法使いと同じ様なことだ。自分を変えたいとは思っているからさ」
「へぇ、意外ね」
「人生経験豊富だと、どうにも堅くなってしまうからね。魔理沙は人生経験が無いから、変わりたいと思っているんだろうけど」
「そんなに皆変わりたいものかしら」
「それが普通の人だよ」
今の話の何処に普通の人がいたのか、疑問だ。
「死ぬんじゃなければ罪穢れを祓うのかと思ってたわ」
「私は罪を感じたくないとは初めから思って無い。むしろ罪を重ねる覚悟が足りないと思ってたんだ」
「なんか犯罪依存症の格言みたいね」
「ははは、生きるってそういう事じゃないかな。私はただこれからも生きていたいよ」
飄々と妹紅は言う。生きるのは罪、というのを実感するのは難しいが、体感しているのかもしれない。
今まで散々生きているのに、生きるための覚悟が欲しくて拝んでいたということか。
生きてるのに、ただ生きる為に生まれ変わりたいと願われても、そりゃ管狐は憑けないだろう。
「ちょっと! 仏像壊したって本当なんですか?」
外に出るとおかっぱ頭を揺らして怒る阿求に詰め寄られた。
「中に管狐が居たから仕方なかったのよ」
「それならそれで、もっとやり方が有りますよ!」
「私は止めたから……」
魔理沙によると外に出たら阿求が再び調査に来ていて、本人曰く時間は掛かるが安全なルートを通ったそうだ。それで中の様子を尋ねられ、起こったことを述べたら阿求は怒ってしまった。
どうして呼んでくれなかったのかと阿求はむくれた。
「結局何故この穴ができたかとかは、分かったんですか?」
聞かれて三人は焦る。独白の最後には出来れば生まれ変わりには見られたくないと書いてあった。
生まれ変わりは阿求かもしれないのだから、言うべきではない。
「なんというか、昔の人の出来心みたいな……」
魔理沙が適当な言葉をひねり出す。
「そうそう、もう時効ね。過ぎたことは良いじゃないの」
苦笑いする霊夢に阿求は不満げだ。腕を組んであからさまに悩んで見せる。
「……しょうがない、中は後々里の者と協力して片づけておきます。まだ何かあるかもしれませんし、仏像の復元もできたらしたいですし」
あれは絶対直せないだろうな、と霊夢は思ったが口にはしなかった。
魔理沙と妹紅は折角なので茸を取ってから帰ると言い一足先に去った。毒味させたい茸が有るだとか、恐ろしい言葉を聞いた霊夢はとても行く気には成らなかった。
なので真っ直ぐ帰りたかったが、責任を持って中の様子を教え、家まで送るように阿求に言われ、拒否する事も出来ずそちらに付き添うことになった。
「大体聞いた通りですね」
「魔理沙は少し離れてみてたから、私より状況を把握してたんじゃないの」
本以外で聞かれた事は説明した。お節介かもしれないと思いつつやはり本のことは言わずにおいた。
「管狐を仕掛けたのが本当に誰だか知らないんですか?」
「知らない」
「口止めされたとか」
「誰に口止めされるってのよ」
阿求邸に戻る頃には夕方から夜に変わろうという時間だった。薄暗さが包む中、庭先に着くと祠が再び目に入る。
阿求はふっと笑うと小走りでその祠の前に行き、手を合わせた。霊夢は不思議に思ったが、横でしゃがみ込み祠を見た。
「この祠って屋敷神か何か? 何にも居る気がしないけど、ちゃんと祀ってあげなきゃ駄目よ」
「それより、霊夢さんは生まれ変わりたいと思わなかったんですか?」
急に何の話かと思い阿求を見たが、まだ手を合わせていた。霊夢も視線を戻しつつ答える。
「思わないわよ。六道転生にしろ胎内巡りにしろ、迷い有るからこその修行みたいな物じゃないの」
「正しい認識ですね。でも過去を悔いて、自分を変えたいと思うこともありませんか」
「そりゃあ失敗すれば悔いもするけど……生まれ変わるとか、おおげさな物じゃないでしょ。何かにすがる事じゃないわ」
「霊夢さんは強いですね、時々本当に人間なのか疑わしいくらいです」
「誉めてるのそれ」
「勿論です。だって私にはきっと出来ないから……。くよくよしても、きっと書き留めておく位しかできません」
阿求は口元を静かに緩めると、念じるのを止めた。
直感的にその言葉がただの予想ではないと霊夢は感じた。
「あんた……もしかしてあの本読んだ?」
「ふふふ、なんの事でしょう」
「胎内仏の本」
「そんな話聞いてませんよ」
阿求はくすりと怪しげに笑った。一見無邪気だが、霊夢は何だか言わされた気がして腑に落ちない。
「考えてみたら引っかかるところは有ったのよ。最初に玄武の沢に態々行った理由も分から無いし」
「記録を司る者はフィールドワークが常ですから」
「それにしたって、編纂時期でもないのに行く? 新聞に情報売るのもらしくないじゃない」
「そういう事もあります」
阿求はのらりくらりとした受け答えだ。霊夢はふむぅと唸ると祠を見た。
「わかった……この祠は外道封じだったのね。いくら命令しても外道はそう簡単に離れてくれるか分からない。祠に祀って縁を切るのは一つの手だわ」
「どうでしょう、少なくとも此処には何も居ないんじゃないですか?」
「たかりに来ないって事は、先代はよほど良い管狐を買ったのね」
「その本とやらは胎内仏だったんですよね。読んでませんよ、読めません」
それは確かにそうだ。蹴り飛ばす前に確認したが、中が一度開いているとは思えなかった。
しかしあの本を読んだ人は三人では無い。少なくとも後一人は確実に居た。
「もしかして、あんた……阿弥の記憶が残ってるんじゃ?」
「どうでしょうね、」
「とぼけるのもいい加減にしたら」
「まさか、ど忘れしちゃっただけですよ」
「下手な嘘ね」
「ふふふ、稗田ジョークです」
「はぁ。今回は大目に見るけどさ」
全ては終わった後だ、今更阿求を咎めた所で、何かが変わるわけではない。再び同じ事をする訳でもないだろう。
「折角だから紅茶飲んでいきます?」
阿求はいつもの幼げな笑顔を見せる。
「もう暗くなるから遠慮しとく」
誘いは嬉しく、まだ話したい気持ちもあるが、霊夢としては帰って緑茶で一息したかった。
翌日、霊夢は里に行って管狐が憑いた人を探した。何人か見つけたのは良いが、払うことができなかった。
周りの人にこのままで良いと言われて断られたのだ。霊夢は理解できなかったが、その内自然と抜けるので放って様子を見た。
それから独白にあった十日を過ぎると、管狐が離れたらしく急にやる気が起きなくなったとか、怠け者になってしまったとかいう話が霊夢の耳にも入った。狢に憑かれたのではという噂すら聞こえる。逆に憑き物が落ちたというのに、それに気づく人は少ない。
良く変わったら生まれ変わりで、悪くなったら憑かれたと呼ばれてしまう、不思議なものだ。
本人は兎も角、他人に生まれ変わって欲しいと思っていたのだろうか、それはそれで間違ってるんじゃと思いつつ。
更に五日もすればそんな話題は薄れていった。皆気づいたのだろう、狐にでもつままれたのだと。
「おーい、霊夢!」
「今日は何?」
魔理沙が新聞片手に神社に降りてきた。
「これを見てくれ!」
「何々、生まれ変わったら何になりたいかランキング。一位、一回でもう十分……」
「そっちじゃない」
見るからにやきもきしているので素直に指さす方に目を向ける。
「えーと、あなたのお宝なんですか。先日紹介した稗田家の減らない味噌樽が発見された。現代に蘇る変わらぬ味……」
写真に写っているのは紛れもなく仏像の中に入っていた味噌樽だった。中身が減っていないのは、こういうタネがあったのだ。
「ちくしょう! こんな凄い物だったら持って帰るべきだった!」
魔理沙が座卓を叩いて悔しがる。
「有ったところに戻っただけじゃないの。怪僧が味噌樽を減らないようにしてくれるって話は時々聞くから、自分で貰えば」
「本当か。今度、白蓮に頼んでみようかな」
霊夢はあきれつつ、お茶を淹れに座卓を離れた。ふと後ろを見たが魔理沙は着いてこない。
湯呑みを持って戻ると退屈そうに新聞で何かを折っていた、実にいつもの魔理沙だ。座卓を雑巾で軽く拭いてから湯呑みを静かに置いた。
「そういえばその雑巾も生まれ変わったのかな」
「雑巾? ああ、確かに古着から雑巾にしちゃったけどね」
「本当の生まれ変わりってその雑巾みたいな物なんだろうなぁ」
魔理沙は紙の形を整え雑巾を注視した。
「これは古着の生地以外の何物でもないし、ちょっと違うんじゃない」
「その雑巾に古着の記憶があっても意味ない、と思ってさ。そしたらちょっとかわいそうだろ」
「まぁ、そう考えたらあの独白と通じる所もあるけど……」
魔理沙はそう言いつつも新聞紙で作った紙風船をポンポンと宙を踊らせる。
「あんたはあの独白の言ってることは正しいと思う?」
「生まれ変わってる奴が言うんだから、正しいんじゃないのか」
「そうかしらね……あの味噌樽だって、味噌としてだけど普通では無い使われ方していたし。あのあと魔理沙が持って帰ってたらもっと数奇な事態になっていたでしょ、生まれ変わるとか関係無いんじゃない」
「そういう意味では元の場所に戻って良かったな」
どの口が言うか。でも
「阿求も最初から味噌樽を回収するつもりだったのかもしれないしね」
「最初から?」
「ああ、話してなかったっけ。この間の洞穴から帰った後に――」
霊夢は阿求邸で話した事を魔理沙にも伝えた。
「阿求に変なもの憑けられてたのか」
「まんまと騙されたわね、あの新聞も興味を持つ人が来るように流布したんでしょう」
「新聞が無くても私はその内行ったかもしれないけどな」
「そういえば望む生まれ変わりを狐が再現してるってあったけど……」
だとしたら魔理沙は進んで私にあんな事言いたかったのだろうか? そう思うと照れくさいような、やっぱり不気味な様な。
「変な想像するなよ。私はあの独白の通りちょっと過去を忘れようとしていただけだ」
「忘れたい事なんてあるの?」
「忘れたいというか、今こうしているのは私が我が儘で、素直じゃない選択の末と思うしな。これからはもうちょっと上手く誰かを認めたかったというか……」
魔理沙はどんどんと言葉を曖昧にしていく。
「とにかく、あんな押し掛け女房したかったわけじゃない! 管狐が憑いてた時のことは忘れてくれ」
魔理沙がこれこそ忘れたいんだと手を振って否定した。
何を望んだのか、本当のことは霊夢には分からない。
でも望んだ通りに成っても、それは不満が残る物なのだろう。阿弥はそれを教えてくれたのかもしれない。
「生まれ変わりたい、なんて思うからそういうことになるのよ。生まれつきの部分が変わったらそりゃ不気味だわ」
「生まれつきって言ってもなあ、諦めたくない事もあるだろう」
「生まれ変わりたい、だなんて諦めないでよ。今から変われる様にすればいいじゃない。変わられる側だっているんだから、人騒がせな」
「それが一番だけどな……変えたいけど変わらない事も沢山あるもんさ。今思えば阿求の先代もそうだったんじゃないかな」
「何がよ」
「最後にあったじゃないか、弱い自分は罪だって……。そう思ってるのに変わりたいと思わない奴なんて居ないだろ? きっと本当は誰よりも生まれ変わりたかったんだよ」
魔理沙は共謀者を庇うような微妙な表情を見せる。
自分を変えたいという気持ちを、人は生まれ変わりたいと言うらしい。でも先代にとって生まれ変わりは経験したことのある苦痛でしかなかったのだ。
だから自分を変えようと信仰する人々が、本当は羨ましかったのかもしれない。
「でもやっぱり、あの独白は間違っているわ。あれには当人のことしか書いてなかったもの、周りの事も考えないと」
「そりゃ、あいつは転生の意味で生まれ変わってたからだろ」
「転生だって同じよ。大切な事は記録以外でだって子々孫々と受け継がれて行くってもんでしょう。
経験した事は無意識にそれを活かして生きているだろうし……記録出来ない事はそうやって残るのよ。
本人が生まれ変わらなくても、周りの人も少しずつ変わっていくのだから……」
皆で少しずつ変わっていく、それが本来の有るべき姿だ。一人で考え込んで、生まれ変わるなんて周りにしたら大異変。
そもそも罪穢れは、型が残ろうが残なかろうが、落としただけでは駄目なのだ。リセットした所で問題解決した事には成らない。
「ああ、だから阿求はこんなことしたのか」
「うん?」
「阿求もそういう物だって、気づいたんじゃないか。だから私達に生まれ変わりが良いとは限らないって、知っていて欲しかったのかもしれん」
魔理沙はお茶を一口すすって付け加えた。
「生まれ変わる前にな」
「……皆ややこしいのよ。こんなやり方しなくても、直接伝えてくれたら分かるのに」
「それが一番難しいってこった」
魔理沙は、ぐしゃりと紙風船を潰した。
生まれ変わりたいという気持ちは、複雑だ。
時に死なない人ですら生まれ変わりたい。かと思えば望まないでも生まれ変わる者も居る。
死んで生まれ変わるのか。生きて生まれ変わるのか。
何の為に生まれ変わるのか、生まれ変わって何が出来るのか。
考え始めたら切りがない。
でも今回で言えば生まれ変わりの信仰が、身の不浄を消すことから、ただ過去を切り捨てる事になりつつあるのは事実なのだろう。現に里の人もちょこちょこ引っかかっていた。
生まれ変わりの信仰自体、変わり始めたのだ。
その事自体は悪くない、信仰だって皆と一緒に変わっていく、そういう物だ。
そもそも阿弥は過去に囚われ過ぎだ。未来の為に生まれ変わるという意味では、魔理沙達も同じなのだから。あざけるのはお門違い。
「私なんて、生まれ変わったら……」
「お、霊夢は興味無かったんじゃないのか」
「無いけど。いや……やっぱりそうね。無いわ」
「おいおい、なんだそりゃ」
魔理沙は詰まらなさそうに目を細める。
そんな顔をされると、つい頬がゆるむ。
これまでを重んじる御阿礼、これからに熱心な妹紅や魔理沙、そういう人達を見ていたら、この事は墓まで持って行くしかない気がした。
生まれ変わっても今みたいに過ごせたらと思っていた、なんて。
霊夢は一人呟く。掃除で箪笥の奥を探っていたら、古い着物が出てきたのである。
小さな虫食いが有るし、今はもう小さい。誰か上げる宛が有るはずもなく、このまま箪笥の肥やしにしていては虫が喜ぶだけ。
思い立ったが吉日。裁縫道具を準備すると、座卓で作業を始めた。
「今日は針を投げないで使ってるのか」
作業して幾ばくもしないうちに陽気な声が飛び込んで来た。襖の陰から魔理沙が顔を覗かせる。
いつもの事だ。霊夢が昼間から一人静かに作業できる吉日などあまりない。
霊夢は怪訝な顔になりつつ応対する。
「裁縫用の針なんだから、当たり前じゃない」
「そもそも投げる用の針が有る方がおかしいけどな」
「飛ぶ用の箒持ってる奴には言われたか無いわね」
「殴ったりも出来るぞ。ついでに、掃除も」
「はいはい。それで、今日は何か用?」
霊夢は指ぬきで針の頭を力を込め押しこんだ。
「そうだった、これ読んだか?」
魔理沙はもったいぶった笑みで新聞紙を差し出した。霊夢はどこと無く嫌な感じを覚えたが新聞を手に取る。
「えー、何々。お宅のお宝コーナー。稗田家には怪僧から貰った減らない味噌樽が……」
「おい、そっちじゃない」
「残念ながら先代御阿礼の時に失損。盗めないわね」
「違うって言ってるだろうに。こっちだこっち」
頭を押さえられ、強引に見出しの記事に目を向けさせられる。
「玄武の沢で新しい横穴見つかる……?」
霊夢は頭を固定されたまま記事を読んだ。
要約すると、玄武の沢で新しい洞穴が見つかったらしい。
崩れた無数の岩に塞がれていたのが、妖精の悪戯か地震かで入り口が出来た。そこを偶然通りかかった阿求が見つけたのだ。
玄武の沢の地形を知り尽くしていた阿求は、その穴が今までになかった事を瞬時に見抜き、新聞への情報提供をした。
ただの穴ならなんて事はないのだが、簡易的な物では有るものの結界が張ってあり、妖怪の類は近寄らない方が良いとの事。
さらにその穴の入り口には古い立て札が立っていて、それがまた奇妙らしい。
「“生まれ変わりを望む者入るべし”って、何これ?」
「私の最新情報によると、文字通り。入った奴は本当に生まれ変わってるらしい」
魔理沙は霊夢の頭を離すと、新聞をひょいと取り上げた。
「ふーん、生まれ変わるってどうなるのよ。まさか一度殺されるとか言わないでしょうね」
「仕事に身が入ったり、やる気が起きたり、朝早く起きれると聞いた。里では密かにブームらしいんだ、面白いだろ?」
「ああ、そういう意味だったのね」
「死んだ後の生まれ変わりが実現するかどうかは残念ながら未確認」
「どっちにしろそんな気がするだけって話じゃないの。もしかしてあんたも行くつもり?」
「おまじない程度でも効き目がありゃ良いなと思ってな。自分の変えたい所は誰だってあるだろう? 話の種に霊夢も誘おうかと思って来たんだ」
話題のスポットだから誘ってくれたのだろうか。霊夢は誘い自体は嬉しいと思ったが、生まれ変わりに興味はないし、共感はできなかった。
「悪いけど私はパス。雑巾作りもまだ始めたばかりだし、部屋の空気入れ替えた方が効き目ありそうよ」
今日は雑巾の吉日なのだ。霊夢は視線を落とし、再び針を手にする。
「じゃあ着物のリサイクルに飽きたら様子見に来いよ、何かあるかもしれないし」
残念そうにした魔理沙だが、はやや乱暴に襖を開けると玄武の沢へと向かって飛んでいった。
霊夢は慌ただしい魔法使いにため息を一つして、針を布にくぐらせる。春までは少しあるからか、吹き込む風はまだ冷たい。
そつなく針を操っていたが、霊夢は記事の内容に少しひっかかっていた。
立て札があったということは、誰かしら人妖の手が加わっている筈だ。
それなのに阿求の持つ史書等に記録されていないのは、転生の合間だけ存在した穴なのか、或いは記録することが許されなかったのか。
どちらにせよ誰かが記録していそうな物だが……。
とは言え新しい何かではなく、ただ洞穴が出てきただけなら急いて動く事はない。妖怪避けが有るということは人が入るための場所でも有るからだ。
そして塞がれたままだったとということは、塞がれても困らなかったのだ。
魔理沙が興味を示したのも、本当は変な苔とかあったら嬉しいな、とかだろう。
それにしても“生まれ変わりを望む”か。魔理沙は変わりたい所は誰でもあると言ったけど、言われるまで考えた事なかったな。
もし私が生まれ変わるなら──。
霊夢は手を動かしつつ、のんびり考えた。その後は雑巾作りに没頭し、四枚ほど仕上げ結局洞穴には行かなかった。
翌日も魔理沙が箒に乗ってやって来た。
降り立つと帽子を脱ぎ、悠然と歩く。
「霊夢、今まで済まなかったな……私はようやく気付いたよ」
魔理沙らしからぬ挨拶で、縁側でまどろんでいた霊夢は目が覚めた。
「なにに? 謝られる覚えは沢山ある気がするけど」
「私は今までお前に少なからず嫉妬していたんだ。お前の持っている奇跡とも言える天性の才というやつにな」
「は?」
「でもな、嫉妬している場合ではないということに気が付いた。そういう人物が居るので有れば、それに追従し奇跡であるお前を解明するべきだったんだ。何故なら私は奇跡を再現できる魔法使いなのだから!」
魔理沙は拳を握りしめ 明後日の方を見つめている。
びっくり、というよりは意味がわからず霊夢はしばらく言葉が出なかった。
「ついに変なキノコ食べちゃったのかしら」
「変なキノコなら常食だ、ただ霊夢の事もっと知りたくなっただけ」
「あんた自分が変なこと言ってるの分かってないの」
「変なことじゃない。謙遜しなくていいさ」
魔理沙はただ不思議そうな顔をした。霊夢は自分がおかしいのかと軽く頬を抓ってみるが、夢という事は無い。
目の前に居るのは間違いなく魔理沙だ。
「よく分からないけど……何しに来たのよ?」
「さっき言ったとおりだ。是非ともお前と話がしたい」
「いつも話してるような、取り敢えず上がっていけば……」
混乱しつつも茶くらいは出すかと霊夢が台所に向かうと、魔理沙も手帳片手に何食わぬ顔で付いてきた。
「もてなしてやろうってんだから、待ってなさいよ」
「いやいや、博麗霊夢はどのような台所にしているのか気になるからな。味噌はその樽で、野菜はそこか。調理器具はそっちの棚と……あ、茶淹れてくれるならこれ貸すぞ」
魔理沙は帽子からミニ八卦炉を取り出して振ってみせる。
「人の台所に勝手に入るのは関心しないわね」
「ん、確かにな。霊夢は意外と常識人かも……と」
神妙な顔でさらりと手帳に書き込むと、座敷に戻った。調子が狂うどころか気が狂いそうだ。霊夢は湯を沸かしつつ、気持ちを沈める。
明らかに魔理沙がおかしい。言動もらしくないし、纏う雰囲気も何処かいつもと違う。狸か狐が化けているのだろうかと疑ってみるも、八卦炉は本物の様だし箒で飛んできたのも確かに見ている。
ということは魔理沙本人ではあるが、操られているのかもしれない。
鎌でもかけてみようか考え、霊夢が戻ると驚くことに座卓の上は魔導書と紙片が散乱していた。
「お待たせ、って何してんの」
「いやな、お茶が来るまで新しい魔法でも考えようと思って」
和室の中、座卓の上だけ横書きの紙片が散らばって、拒絶反応を起こしそうな景色だ。茶の置き場所すらも無い。
「あんたね、もてなす方の身にも成って欲しいんだけど」
「いやぁ、私はそういう機会に恵まれないからな」
魔理沙は眉を垂れつつ笑った。それっぽい事を言う時は、仕草も魔理沙に他ならない。でもやっていることが普段と違って奇妙だ。
霊夢の知る限り、魔理沙は人前で魔導書を広げる事は少ない。この魔理沙の言うとおり、本人が出回ってるのが原因だろうが……。
あまり努力してる感じを見せないのが、魔理沙の凄い所でもある。やはりこの魔理沙はおかしい。
「あんた本当に魔理沙?」
仕方ないので膝立ちで魔導書の上に湯飲みを置き、霊夢は魔理沙の目を覗いた。
どことなく魔理沙は緊張している様に見える。
「なに沙に見えるってんだ?」
「そりゃ魔理沙だけど……」
「凄いな、大正解だよ」
鎌どころか単刀直入になったが、気にしない。
「じゃあ、何か憑いてるとか」
「ははは、まさか」
少し目を泳がせたのを霊夢は見逃さなかった。
「御幣があるから祓って上げるわよ、憑いてたら祓えるし憑いてなかったら何もない、しかもタダでやってあげる」
「今日は止めとくよ。タダより高い物はないって言うし」
「あんたが言って良い言葉じゃないわね」
御幣を出して訝しげに見れば、魔理沙は冷や汗浮かべ苦々しく笑う。
どうやら当たりだ。霊夢は確信し、憑き物を落とすべく、膝立ちのままずりずりと近づいた。
魔理沙はそれを見て一度ぐっと目を閉じると、湯呑みを掴み、霊夢の顔めがけ振りかざした。
「あっつ!!」
顔に茶を浴びて霊夢は堪らず飛び退いた。
「な、何すんのよ!」
「それは勘弁してくれ!」
ドタドタとした足音が響く。霊夢が袖で目を拭い辺りを見回した頃には、魔導書もお茶が染みた紙片も置き去りで、魔理沙の影も形も無い。
仕方なく前髪に滴る茶の雫を虚しく見つめた。
「もう……なんなのよ」
頭を軽く左右に振る。
魔理沙は間違いなく憑かれている。憑いた奴が何をしたかったのか良く分からないが、原因には心当たりがある。
先日発見されたという胡散臭い玄武の沢の洞穴だ。昨日行くと行っていたし、間違いない。
霊夢は思案し、逃げ足の早い魔理沙は後回しで、まず洞穴を見に行く事にした。洞穴が原因なら元を絶たねば繰り返すという事もある。
それなら順々に片づけて行くべきだろう。霊夢は予定が決まると手始めに目の前の座卓の上を片し始めた。
玄武の沢と言っても普段行かないので、洞穴の場所が分からない。
霊夢は新聞の内容を思い出し、一先ず当事者の阿求に聞こうと、阿求邸に行ってみた。
しかし生憎と阿求は留守だった。庭先で祠を掃除している侍女が居たので尋ねると、件の洞穴の調査に行っているらしい。
やる気十分らしいが、阿求まで変になったら堪らない。霊夢は直接玄武の沢に向かった。
沢までは難なく着いた霊夢だが、やはり場所が分からず悩んだ。里ではブームらしいのだから聞いておくべきだった、と後から思ったがもう遅い。
仕方なく持ち前の勘を頼りに穴をちょくちょく覗きながら沢のほとりを歩き周って居ると、銀髪を揺らして歩く珍しい姿と出くわした。
「あれ、いつぞや肝試しに居た幽霊の……」
「妹紅だよ、幽霊じゃないけどね。巫女も生まれ変わりの洞穴に来たの?」
も、ということは妹紅も同じ目的地らしい。願ってもない助けだ。
「そうなんだけど、場所分からなくて困ってるのよ、知ってるなら教えてくれない」
「いやあ私は分からないよ、知ってるのはあっち」
妹紅はやるせなく後ろを向いた。
「ひぃひぃ、もうちょっとゆっくり行きましょうよ……」
頭を左右に振りつつ、たどたどしい足取りで追いついてきたのは、阿求だった。
「まだ阿求も着いてなかったの。良かったけど、なんか古くさい組み合わせね」
「たまたま里の近くに行ったら護衛して欲しいって頼まれてね。まさかこんな所に連れてこられるとは私も思わなんだ」
「ぜぇ、藤原さんだって、興味有るって……そ、それよりちょっと休憩しません?」
肩で息をしながら、阿求は先に行かせまいと妹紅の服を摘んだ。
頭には蜘蛛の巣を引っかけ、袴のような赤いスカートも足袋も、土やら葉っぱやらで汚れている。魔法の森を突っ切ってきたことは想像に難くない。
「休んであげたら? ここなら見通しも良いし」
「そうだなぁ、変な胞子も飛んでないし。休憩にしようか」
「やったぁー」
阿求は萎れるように腰を落として喜び、妹紅は涼しい顔で適当な石に腰掛けた。
でこぼこコンビだなと思いつつ、霊夢は阿求の息が整うのを待って洞穴の事を聞いた。
「新しい洞穴見つけたのって阿求なのよね」
「はい、フィールドワークを怠っては記録はできませんから。今日は奥の方まで調べる為に来たんですよ」
「新聞で見たけど、本当に阿求でも全く分からない洞穴なの?」
「実は入り口の看板には立てられた時の日付が入ってまして……どうやら百十年程前に出来たようです。阿弥の存命した時期ですが記録には見当たらなくて。一応その年の略式日誌を持ってきたのですが……」
阿求は背負っていた風呂敷から古い和綴じの本を取り出した。霊夢はそれを受け取るとぱらぱらと中を流し見る。
「外道売りが里を訪れる。塩売りが里を訪れる。収穫祭で小御輿転倒三人負傷……大した出来事無いわね……」
「そういや昔は塩売りとか行商が偶に来てたなぁ。竹林にも外道売り来てたよ、そうかあの時かー」
妹紅も日誌を興味深そうに覗くと、思い起こすように頷いた。非常に胡散臭い。
日誌は平凡な年だったのか何か出来たという様な記述は確かに無い。
今の異変のような物も見えないのは、平和なのか、日常茶飯事だったのか。結界が出来るまで幻想郷は淡白だったのかもしれない。
「一応それは里や人に関する出来事を纏めた物なんです、だから妖怪が勝手に作ったとも考えられますが……」
「妖怪避けがあったのよね。普通はそんなことしないし……奥まで行けば何か分かるかもって事かしら」
「そういうことです。霊夢さんは何しに来たんですか?」
「噂を聞いて来たって事は、巫女も生まれ変わりたいってことじゃないのか。ちょっと意外だけど」
「ああ、違う違う。私が来たのは――」
霊夢は魔理沙の様子がおかしく、それに件の洞穴が関係有るかもしれないことを説明した。
二人は怪訝そうに聞いていたが、聞き終わると顔を見合わせた。
「うーん、どうでしょうね」
「そりゃ案外、心境が変わっただけじゃないの」
「お茶掛けられたのよ、普通じゃないわ」
「あの年頃の娘は複雑と言いますし」
「家出少女だとも聞いたぞ、全く最近の子は何を考えてるか分かったもんじゃない……」
「魔法使いになるなんて有る意味、究極の非行ですよね……」
息を漏らす阿求と妹紅に、霊夢も別の意味でため息が出そうだ。
「二人しておばさん臭いわよ」
散々な言われ様に、魔理沙に少し同情した。
「じゃあそろそろ行こうか」
伝わったか分からない話が一通り済むと、妹紅が立ち上がり服をはたいた。
「そうですね、もうすぐそこですから」
「とにかく私もその洞穴を確かめたいから、一緒に行かせてよ」
「是非。何かあったとき心強いです」
阿求は楽しそうに笑うと、風呂敷から今度は地図を出し洞穴の場所を示した。
「地図なんて有るんだ」
「作りました。記憶は文書にしか出来ない訳じゃありませんからね。流石に測量しないとちゃんとした物は作れませんけど」
阿求は地図片手に岩場を誘導して行くと、直ぐに三人の前に散らばった岩々と、裂けて出来た様な縦長の洞穴が姿を現す。穴の見た目はそこらの洞穴とさして変わらぬ無骨な物だ。
霊夢が軽く中を覗いてみると、天井までは体二つ分はありそうで横幅も大人が悠々と通れるは有りそうだ。
頭上には勧請縄の様な物がある、妖怪避けとはこれらしい。奥はかなり深そうで霊夢の「誰か居る?」の言葉は深々と闇に溶けていった。
「思ったより深そうね、真っ暗だし……」
「それ、そこにあるのが看板です」
「このボロボロの板ね……生まれ……変わ、り……を……良く読めたわねこんなの」
草書の上にぼろぼろ過ぎて霊夢には途中までしか読むことが出来なかった。
「確かに百年くらい経ってそうだな、奥は真っ暗だろうけど本当に中まで行くのか?」
「藤原さんが火を出せるという噂を聞いたので、照らしてくれると良いな、なんて」
「おいおい今度は提灯扱い? 意外と人使いが荒い……」
「良いじゃないの、昼行灯が役立つのだから」
「もう少し人に頼む態度、というのがあると思うんだが」
不本意そうな声色で言いながらも、妹紅は歩を進め手のひらに火を灯した。
辺りの輪郭が揺らぐ炎に浮かび上がる。妹紅の渋々とした顔もゆらりと浮かび上がった。
「ありがとうございます、じゃあ行きましょうか」
阿求は見えなかったのか見てあえてなのか、小気味良さそうにと笑った。
奥は若干じめじめしているのと暗いのを除けば、道も整っていて歩きやすい。
石柱の様な物の跡もあるが、折れていた。意図的に誰かが折ったらしい。狭くなりすぎる所や、天井に頭をぶつけるような所も無い。
「思ったより深いな、何の穴なんだか」
妹紅は足下に注意しながら、火の明かりも自分の体で遮らないように進んでいく。後続する二人を気遣ってくれているようだ。
「自然の穴にしてはちょっと整いすぎてるし、手が加わってるのは確かだと思う」
「そうですね、生まれ変わりと銘打っているなら考えられるのは……胎内巡りじゃないでしょうか」
「胎内巡りねぇ……」
霊夢は揺らめく炎をぼんやり見た。
胎内巡りは修験道の修行であり、信仰だ。洞窟等の真っ暗な通路をただひたすらに奥まで行ってまた出てきたり、岩の間を潜ったりする。
暗闇を胎内に見立てる事で、闇に溶けこんだ己がもう一度世界に生まれるのだ。
生きる事で溜まってしまった穢れや罪を祓う為の物だが、通常の禊や幣での祓えと違い、流したり移すのではなく生まれ変わることで決別しようとする考え方だ。
浄土には穢れが無く、人は生まれた時には汚れを持っていない。一度死に生まれ変わることは完璧な祓えでもある。
「胎内巡りなら、奥に何かありそうだ」
「無いところもあるけど、大概仏像とか置いてあるのよね」
「仏教の胎内巡りでは、闇の中仏に会うまでを再体験できる、という考えも有るらしい」
「へぇ……それは知らなかったかも」
「拝める対象がある方が説得力がありますしね、何かしら置いてある所が多いと聞きます」
「お、噂をすれば、立派な仏像が出てきたぞ」
妹紅が指さし、二人が目を向けると思わず感嘆が漏れた。
「これは……凄いですね」
仏像は木造で霊夢と同じくらいの高さの座像だった。存在感は有るが威圧感は感じさせず、静かに佇んでいる。
厳密には地蔵菩薩像だろうか。その頭に螺髪は無く、坊主頭で錫杖を見に抱えている。
穏やかな表情、滑らかで優しい木のライン。暗ければ見えないにも関わらず、この木像は一目であらたかさと慈悲深さが伝わる。
霊夢ですらそんな風に思う。その位見事な仏像だ。
「確かに……こんな所に置いとくのは勿体ないわね」
「由緒有る物には見えないが、良い仏像だ」
妹紅も確かめるように頷いた。
「生まれ変わるというのは心が洗われるという意味なのかもしれませんね。そういう意味ではこの仏像には十分な霊験があるかと」
阿求は目を閉じて深呼吸をした。霊夢も何とはなしに軽く深呼吸してみる。流石に心が洗われるとは思わなかった。
仏像は見目美しく厳かだ。心洗われるかはともかく、悪さするような物では無い。
魔理沙が変になった原因は別にありそうだ。
「他には何か無いのかしら」
霊夢は仏像の周りをうろついてみる。しかし灯りは妹紅の手にあるので中々上手く探れない。
もうちょっと像の周りを照らしてくれと妹紅に頼むも、仏像に燃え移りそうだからと断られてしまった。
「下手に燃やして罰が当たるのはごめんだよ。此処には何も無さそうだし」
「私も十分と目に焼き付けました。洞穴の全体像も掴めましたしね。そろそろ戻りたいところですが」
「うーん、確かにこれ以上奥は無いけど……」
魔理沙がおかしくなった原因がまだ分かっていない。霊夢が首を傾げていると、妹紅が若干ぎこちなく挙手した。
「その、なんだ……ちょっと手合わせても良いかな」
「勝手にすれば――って、火出してるのあんただっけ。戻る時にまた点けてくれれば良いわよ」
阿求も頷いた。妹紅は照れくさそうに短く「ありがと」と言うと炎を消した。
奥まった洞穴の中なので、当然真っ暗だ。見事な仏像も全く見えないが、元々胎内巡りは明かりを持たずにやる事も多い。
この仏像も見られることは想定されて無いかもしれない。そんな神秘的な状況に人は信仰を寄せる。
妹紅も生まれ変わりたいと思っているのだろうか?
生まれ変わって新しい命を真当に生きたいのか。それとも魔理沙の様に自分を変えたいと考えているのか。
死ななければ幾らでもやり直せるような気もする。
暗くなり考え事を捗らせる霊夢だったが、視界を奪われたせいかふと気付くことがあった。
「何か良い匂いがしない?」
「楠ではありませんか? 木仏にとって香りは一つのステータスですし、この仏像は香りの長続きする楠で出来ているようです」
「いや、もっと美味しそうな……」
楠の香りは確かにするが、霊夢の感じた物はそういった香りではない。
「巫女は仏像を食べたくなる程困窮してるのか」
ぱっと辺りが明るくなる。妹紅が再び炎を灯した。
「私もお腹がすきました、もう帰りましょう」
「阿求までそんな……本当だって」
「雰囲気が壊れる事言うな、置いてくぞ」
出口に向かって歩き出した阿求と妹紅に霊夢も渋々ついて行く。真っ暗な洞穴を手探りで出るのはごめんだ。
取りあえず妙な物は無かった。となると魔理沙は一体どうしてあんな風になってしまったのだろうか。
外に出ると眩しさに三人は軽くひるんだ。炎の光と陽の光ではやはり格が違う。
「太陽の光が洞穴の入り口を照らすのですね。これもまた生まれ変わりを感じさせる一因かもしれません」
ふふ、と笑いながら、阿求は手で陽を遮った。
洞穴はハズレ、魔理沙が憑かれたのは別の場所だったのか。
或いは阿求たちの言うように、本当にただの心境の変化? 霊夢は考えながら妹紅と共に阿求を安全な魔法の森の外まで送った。
阿求は家で詳細を書き留めるが、時間で変化が無いかと、洞穴の保存についての検討事項の確認にまた来るらしい。こういう事も御阿礼の勤めなのだろう。
洞穴については阿求に任せるとして、問題は魔理沙の方だ。
頭を悩ませているのが伝わったのか、阿求と分かれた後、妹紅が聞いてきた。
「あいつはそんなに様子が変だったの?」
「そりゃもう。幣を嫌がっていたし、仮に心境の変化だとしてもどんな心境か心配になるぐらいには」
「ふーん、もしかして洞穴じゃなくて神社に原因があるんじゃないのか?」
「そんなわけ無い……と思うけど」
馬鹿なこと言うなと言いたかったが、手がかりがない以上霊夢も否定はできない。
「面白そうだから私も見に行こうかな」
「冷やかしで神社に来る気なの」
「私はこう見えて人生経験ある方だし、何か分かるかもよ」
「とか言って、何か企んでたら承知しないわよ?」
「おおこわい、良い肝試しになりそうだ」
妹紅は舌を出して見せた。
神社は相も変わらず。かと思いきや、誰もいないはずの台所から煙が上がっていた。
「誰か居る……?」
「さっそく怪奇現象とは羽振りが良いなぁ」
妹紅の発言を無視し、霊夢は縁側の方から炊事場へと向かった。外からでも行けるが外から入ると鉢合わせする可能性がある。
「泥棒かしら」
「私の長い人生経験から言うと、泥棒が調理はしないかな」
「そりゃそうよね」
何で神社でこそこそしなくちゃいけないのかとぼやきつつ、霊夢は足音を立てないように近づき、戸の陰から炊事場を覗いた。
「霊夢は何処に行ったのかな、折角味噌汁作ったのに。しかしこんなに直ぐ入れるなんて不用心だなー」
黒い姿がお玉片手に鍋を見下ろし呟く。間違いなく魔理沙だ。
何故か機嫌が良さそうで、鍋の味噌汁を小皿に入れ味見すると鼻歌すら口ずさむ。その姿はやはり異常としか形容できない。
「あいつ何やってんのかしら……」
「通い妻の風格を感じるな」
「~♪」
魔理沙は無邪気な笑みで、ずっと見てると背筋がぞわりと来そうな不気味さを醸し出している。
「変でしょ?」
「なるほど、あれは変かもしれないな……」
妹紅も理解したようで、不思議だという表情を見せる。
あまり交友がなくとも、一度会っていれば今の魔理沙がおかしいことは分かるだろう。
やっぱり、人はここまで急に変わらない。
「とにかく何か憑いてるなら御幣で払えるとは思うんだけど、さっきはお茶掛けられたのよね……」
「なら私が裏から回ってあいつを取り押さえるよ。私なら祓われるって警戒もしないだろうから」
妹紅は忍者のように足音を殺し外に出て行った。
霊夢はじっと魔理沙の後ろ姿を見て待つ。
いつもの魔理沙だって頼めば味噌汁位作ってくれるのだろうか。
「よう、こんにちはー」
妹紅が裏の戸を開け、軽快に登場した。ものの数秒くらいの早業に驚く。
「やあ、妹紅じゃないか、味噌汁の匂いに釣られてきたか」
「そんなとこかな。そっちは何で霊夢も居ないのに味噌汁作ってるのかなー」
妙な語調で妹紅が首を傾ける。人生経験豊富な割に、演技が若干酷いのは気のせいだろうか。
「さっき霊夢に酷いことしちまってな、茸沢山とってきて何か詫びの一品と思ったんだ。まぁ味噌はここのなんだけど」
魔理沙は申し訳なさそうに頭を掻いた。
「私には遠いけど近くに居られる貴重な奴だ。出来れば関係を壊したくはないし……」
「なんだからしくないねぇ。あいつは仏像食べそうなくらいお腹空いてるみたいだから、味噌汁で胃袋を掴めばこっちのものさ」
妹紅は霊夢に目で合図すると、魔理沙の後ろから鍋をのぞき込んだ。
「こりゃ美味しそう、何入ってるの?」
魔理沙がよくぞ聞いてくれたと説明を始めた。
「シメジの歯切れ良い食感と、細切りのキクラゲがコリコリ感が楽し――っておお?」
妹紅は魔理沙の脇下に腕を滑らせ、そのまま羽交い締めにした。
「おい妹紅、火の周りでふざけるのは良くないぞ」
「せいぜい神社が燃えるだけだ、ちょっと遷宮が早まる位だし、いいよね?」
「さっきから勝手なこと言うんじゃないわ」
霊夢も戸の陰からゆっくりと炊事場に入った。
「なんだお前等、グルだったのか!」
魔理沙は御幣を持った霊夢を見ると、状況に感づいたのか手足を振って暴れた。
「何か憑いてるんなら早く落としてくれよ、蹴られて痛い」
「というわけで観念ね」
「ええい、もう知らん!」
魔理沙が叫んぶと同時に急に力が抜けたのか頭をがっくりと落とし、手足がぶらんと垂れ下がった。
「気失ったぞ?」
「え、なんで」
妹紅と霊夢が顔を合わせて疑問符を浮かべると、今度は魔理沙の服がもぞもぞと動き、何かが飛び出した。
「あ、まて! この!」
霊夢は咄嗟に踏み潰そうとしたが、避けられた。二寸ほどの細長い動物だ。霊夢の足をかいくぐったそれは目にも留まらぬ早さで裏戸の隙間から外に出て行った。
出て行った戸口を数秒眺め、静まり返ったその場で妹紅と霊夢は再び顔を見合わせた。
ひとまず魔理沙を横にしようとすると、丁度目を覚ました。魔理沙は状況をある程度察したらしく、苦笑いで頭を掻く。
「すまん、何か憑いてたんだな」
「みたいね」
魔理沙は特に後遺症も無く、数分で元の調子に戻った。呆れたことに味噌汁持って帰っていいかと聞くくらいだ。
味噌汁は一先ず置いておき、魔理沙にどうして憑かれたのか真相を聞いた。
「例の洞窟あるだろ? あそこに明かり持って入ってみたんだよ。そしたら凄い仏像があってさ」
「私達も見たよ、地蔵菩薩像」
「おう、あれを拝んでたら……なんか体を乗っ取られたというか、憑かれてた……としか言い様がない」
「偶々あの洞穴に隠れてたのかしら……」
「あの憑いてたのは何だかわかる? あのイモリみたいな動物、なんか見覚えはあるんだよなぁ」
妹紅が何か思い出そうと頭を叩いている。
「さあ、私には見えなかったからな。でも何か味噌を食べたくなったような気がする」
それを聞いて妹紅は手のひらを合わせた。
「そうだ! あれは外道だよ! 管狐だ」
「ああ、それであの細い見た目……管狐だったのね」
「私は見てないが管狐ってもっとでかいんじゃないのか?」
「小さいのは小さいのよ、修験道だと竹筒に入れて持ち運んでたらしいし」
「竹林に来た時も竹持っていってたよ、うん」
妹紅は思い出して合点がいった様子だ。例の胡散臭い記憶か。
「ふーん、味噌が好物ってわけか」
「狐の類に憑かれると味噌が食べたくなるのは良くある事だわ──?」
霊夢は自分の言葉に何かを思い出しかけ、首を傾げる。
「味噌……味噌……何か引っかかるわね」
「こうやると思い出せるよ」
素知らぬ顔で妹紅は霊夢の頭を拳でごつりと叩く。
「あっ、そうだ! 洞窟で感じた美味しい匂い、あれ味噌の香りだったのよ!」
妹紅と魔理沙は唖然とした。
香りの正体は味噌に違いない。糸口を掴んだ霊夢は再び洞穴に戻ることにした。
一人で行こうとしたが、魔理沙と妹紅も明かり役ということで同行することに。
「魔理沙は来なくても良かったのに。病み──憑き上がりだし」
「妹紅の炎は自然を害するからな、時代はクリーンな魔法光だよ」
「じゃあ妹紅が要らなかったわね」
「人生経験豊富だから、役に立つよ」
下らない話をしながら、三人は洞穴に辿り着き早速中に入った。
魔理沙が魔法のランタンを持ち先導して歩く。三人とも一度は来ているだけあって、スムーズに進むことが出来た。
「管狐って死なないのか? 餌なんかとっくに尽きてるだろ。それとも洞穴が出てきてから誰かが仕組んだのかな」
「穴が出てからでは無いだろう。私が思うに生まれ変わり自体が管狐の仕業だ。それで古い看板は本物だった」
「餌は謎だけど……とりあえず見てみれば分かるんじゃないの」
三人は仏像の前に着くと、取りあえず辺りの香りを嗅いでみた。
「おお、味噌の匂いが……するような」
「しないような……巫女は嗅覚も凄いのかね」
魔理沙と妹紅は感覚を研ぎ澄ませるように目を閉じて香りを探る。
「いやまぁ、私もそんな気がしただけだから」
「でも味噌なんて何処にもないぞ、まさか埋まっているわけではないよな」
「岩ばっかだし、埋めるも何も無い。ということは考えたくないが……これは胎内仏がミソってわけだ」
どうするかなぁ、と妹紅が顔をしかめる。
「胎内仏?」
「仏像には中がくり抜いてあって、その中に小さい仏像や経典を入れてたりするのよ、それが胎内仏」
「へぇ、見えない所も拘ってるということだな。でもそこに管狐なんかいたら仏像として成立するのか」
「死んだ子供の好きな絵本を入れたって話もあるし。何入れても平気みたいよ」
「まして地蔵菩薩は結構寛容だしね。ただ、確認の仕様が無いな」
妹紅が諦めたように言う。だが霊夢はそうは思わない。
「何言ってんのよ、叩き割って確かめるしかないでしょ。私は中に絶対何かあると思う」
「おいおい、廃仏に目覚めたか。罰が当たりそうで怖いぜ」
「そんな気持ちはちょっとしかない……けど、管狐が居るならこんな物無い方が良い。咎められるならこんな物作った奴。違う?」
「そうかもしれないけど、ノコギリでも無いと開かないだろう」
「胎内仏があるなら、寄せ木か一度割って合わせてるかでしょ。だったら衝撃だけでも上手く割れるはず。こうやって助走つけて……」
霊夢洞穴を少し戻り、つま先で地面を軽く叩いてから駆け出した。
妹紅が咄嗟に制止の言葉をかけたが霊夢は止まらない。そのまま地面を踏みしめ仏像を思い切り、蹴り上げた。
重さからか上には飛ばず真横に飛び、岩の壁に痛々しく叩きつけられた。
木の割れる音が洞穴に大きく響く。
「こりゃむごい、女子供には見せられんな……」
魔理沙がわざとらしく顔を背ける。霊夢は得意げだ。
仏像は無惨にも首がもげて、体は前面と背面が二つに分かれていた。接合部分が前から見えない様にするやり方だ。
製作者の配慮が見受けられるが、蹴りの直撃した場所の辺りは粉々で最早修復は不可能だろう。
魔理沙と妹紅が後ろで「やっちゃったな」と溜息を吐く中、霊夢が木片と化した仏像を漁ると、下から小樽が出てきた。
「これ、味噌樽っぽくない?」
霊夢が横になっていた樽を起こして二人を呼ぶ。
「それにしちゃ小さいね、幅は一尺もないんじゃないの」
「でも味噌の香りはするぞ。漬物ではなさそうだな」
「まあ、開けみれば分かるでしょう」
霊夢は早速開けやすいように樽を平らなところに置く。
「妹紅、長い人生経験から言ったら私達はどうするべきかな」
「ここはちょっと下がって見るべきだろうね」
「なんでよ」
後ろに下がる二人に内心不満を覚えつつ、霊夢は側面のタガを軽く叩き蓋を取った。
「ひゃあ!」
中から先程と同じ管狐が大量に飛び出してきた。霊夢は思わず尻餅を付いて目を瞑った。
肩やら頭を踏み台にぴょんぴょんと跳ねていく小さな重みに、どうやら攻撃しているというわけでは無いのは分かったが、目は開けられなかった。
ややあって恐る恐る目を開けると、もう管狐は全部通り過ぎていて樽だけ目に入る。
「外に向かっていったみたいだな」
「ほらね、下がってて正解だった」
一通り過ぎるまで、たかが十秒ほどだ。霊夢は体勢を立て直して恨めしそうに後ろを向く。
魔理沙と妹紅はほんのり笑った。
「期待を裏切らないな、そういうところ嫌いじゃないぜ」
魔理沙の励ましなのか分からない言葉に、霊夢はがっくりとうなだれた。
霊夢の冷やした肝が暖まった頃。
改めて味噌樽の中を確認する。茶色で塩味のありそうな独特の香り、そして粘度の高い物がそこにはあった。
「まあ、味噌よね」
「食べてみれば確実さ、味見してみようか」
妹紅が手を伸ばし少し掬う。魔理沙が不安そうな顔をした。
「食べるのか? 味噌っぽいとはいえ年代物みたいだぞ」
「なに、死にはしないさ」
「あんたが言うと説得力あるわね」
「小粋な蓬莱ジョークを挟んだところで実食」
妹紅はふふんと笑うとを指ごと口に含むと、軽く咳き込んだ。
「なんだこれ、塩辛っ。味噌だけど塩がやたら入ってんな……」
「万が一にも腐らないようにしてあったのかも」
「じゃあやっぱりずっと中に入ってたんだな」
「見たところあんなに数が居た割には味噌が減ってないし。食べてないのかしら。管狐は実体が有るけど憑くときは外出られるみたいだし」
味噌樽は持って帰るのも大変だからという事で洞穴の隅に寄せた。
仏像の破片も一カ所に集めておこうと、手分けして運ぶことにする。
「生まれ変わるって噂は、妹紅の言うとおり管狐が憑くだけだったということか……」
「それは間違いないわね。神懸かりを望むから、その分異質な物を受け入れやすくなって憑かれるってところかしら。狐が聞いてるとも知らずに願ったが最後、誑かされると」
「詐欺狐め……」
地団駄を踏む魔理沙に、いつも通りだなと和みつつ霊夢は聞いた。
「あんた生まれ変わりたいって、何願ったのよ」
「それは……なんというか」
「まあ言いたくないだろうさ、そんな事」
妹紅はくすくすと笑った。言いたくないのなら霊夢も無理にとは思わない。
「いいけどね」
「おほん。でも犯人が管狐って訳でもないんだろ」
「管狐は飼い主の言うことを聞いて憑くこともあるから、そう言われてたんだろうね。胎内巡りの胎内仏の中に管狐入ってるなんて、どう考えても人為的だし」
「犯人は人間だろうし、もう死んでるわね。逃げた管狐は放っておいても大丈夫そうだけど。里の人も憑いてる筈だからなんとかしないといけないわ」
「大変だね、こっちは私達が片すから、里の方行ったら?」
妹紅が仏像の大きな欠片を脇に抱える。すると蛇腹に折られた本がぱさりと地面に落ちた。
「なんだこりゃ、経典みたいなのが出てきたぞ。中身は……ほう」
「犯人の自白か?」
「ちょっと見せて」
霊夢は妹紅の腕を引き本を奪った。
どこか見たこと有る古い紙質は、味噌と独特の乾いた香りが鼻をついた。
独白
この文が見つかっているならば、私の思いは達せられたのであろう。感謝したい。同時に陳謝せねばならぬ事も心得ている。ただ、間違って居るとも思わぬ。
そもそも私がこんな物を作ったのは他でも無い、生まれ変わるというのを履き違える者が見るに耐えず、少しばかり灸を据えたかったのだ。
ついては管狐には仏像に念じた者に憑き、その者が望む生まれ変わりを体現する様に任せた。
恐らく、不審に思う者が出るはずだ。もしそうなっていたのなら私も管使いとして一人前だろうか。
管狐は危機迫るか仏像の中を暴かれたなら逃げ、後は自由にせよと命じてある。一度憑いた狐も十日したら自然と抜ける。
役目を終えた彼らこそ、生まれ変わったように過ごす筈。管狐に罪は有らず。どうか見逃して欲しい。
これは私一人が起こした稚拙な怪異だ。
後述は私が常々思っていた事である。
生まれ変わると言い表し、過去の己を無かったことにしようとする者がこの所増えてきたのだ。やれあの時の事は忘れたいだの、振り出しに戻ったつもりでだの。
この先も増え続けるだろう。それが許せぬ。
罪や穢れなら良い。後悔や不名誉を罪穢れと称し、忘れようなど愚か甚だしい。いたずらに過去を無き事とする事に何の意味がある。
生まれ変わりは過去を残す為こそに必要なのだ。
罪や穢れを祓う事はそう容易くはない、一度その身身に宿してしまえば永続的に付きまとう。
禊ぎや祓えですらそれを完全に祓うことは易くない。たとえ身から消えても、感覚の型の様なものが残ってしまうのだ。
いくら祓えど、罪の意識や穢れた苦悩を忘却できる人間は居ないだろう。もしそれが出来るなら、人間では無い。
だが生まれ変わりは違う、身も心も別物だ。殆ど赤の他人であれば、どうして罪の意識が持てよう。どうして苦悩できよう。そしてまた新しい罪も汚れも受け入れられる。
生まれ変わるとは、そういうことだ。
本来、人は世代が変わることで過去を落ち着いて処理することが出来る。胎内巡りは一人でそれが出来る高度な修行だ。どうか履き違えないで欲しい。
転生による生まれ変わりは、基本身も心も記憶をも新しくする。誰も気付かないし、気付いたとしてもあまり意味はない。
その点私は特殊な魂の持ち主らしい。自賛は見苦しいが天才であり、言い方を変えれば呪われた魂だ。生まれ変わっても特別な力を持っていた。
そして私は珍しくも前世の記憶を多少持っていた。初めは驚愕して止まなかった、前世と今の違いを楽しんでいた。
それも時がたてば他愛も無い記憶であると気にしなくなる。
しかし今の時代を見て、前世でも人並みの罪や穢れのある人生を歩んできたことも理解した。なのにそれを悪いとも私は思えなかった。罪の意識など微塵も持てない。
そもそも罪汚れだけ消えるわけが無かった。楽しさが、達成感が、悲しみが、そんな大切な筈の感情達を何も思い出せない。感情は記憶だけではない、罪や穢れに近い物なのかもしれない。
思い出も何もかも無機質な記録になってしまう。
過去よりも遠く手の届かない場所に行ってしまう。
記憶があって初めて分かった。
生まれ変わる事は恐ろしいことだ。そして辛いことだ。
楽観的に望む事は馬鹿げている。
少なくとも私は望まない。
でも私はまた生まれ変わるだろう。いや、生まれ変わらねば成らない、それは分かっている。自分の力はきっとその価値がある。
願わくば私の生まれ変わりには、これを見られたくないものだ。
頭では理解しているのに、心の弱音ですら書き留めることしか出来ない私は、愚かで罪深い。
「これって……」
読み終えた霊夢は静かに本を畳んだ。
「やっぱり自白じゃないか」
「生まれ変わりに悩む者か……こんな人間も居るんだな」
妹紅は遠くを見つめるような瞳で本を眺める。
「そういえばあんたも拝んでたけど、憑かなかったわね」
「あの時は巫女も居たし、危ないと思ったんだろ。別に具体的に何かを願ったわけでも無かったしな」
「ふーん……」
どうにもばつが悪くなったが、妹紅が仏像の破片を放り投げるとそんな空気も崩れた。
犯人はともかく、悪さしていた管狐はもう居ないのだから変な事が起こる心配もない。結果としてはそれで十分だ。霊夢は納得すると作業に戻る。
三人は適当に残りの木片を端に纏め、来た道を戻り始めた。本の処分に悩んだが、誰かに見られると厄介そうなので霊夢が引き取った。
「独白を書いたのは誰だと思う?」
魔理沙がランタンを揺らしながら聞いた。後ろの妹紅と霊夢は少し考えたが、答えはぼんやりと浮かんでいる。
「幻想郷で生まれ変わってる、なんて言ったら……阿求、の先代じゃないの。書いてることもそれっぽいし」
「竹林住みであんまり詳しくないけど……あいつと同一人物ってことでもあるのか」
「この穴が阿弥の時代の物なのに稗田家の記述に無いのは、最後の文からすると頷けるもの。外道売りも来てたらしいし、多分その時管狐を買ったんでしょう。竹筒作ってたのならきちんとした修験道の人。胎内巡りもその時知った可能性もある」
「私の記憶をあてにしないでおくれ」
妹紅は頭を掻いた。
「人生経験あるって言ったのあんたじゃないの」
「ははは……まあ自分の代で事件にならない前提だったのは、入り口崩したのも独白書いたやつなんだろうな。こんだけ大掛かりな事を隠し通せるのは稗田家かもしれん」
「全部状況証拠って奴だけどな……お、出口だ」
魔理沙が一人外に向かって駆けだした。もう入り口からの日光がやんわりと洞窟を照らしているから、ランタンは必要ない。
「あんたは死ねるように生まれ変わりたかったの?」
言いたくない事だろうと言われたが、独白を見て余計気になった。
「生まれ変わったら死にたい、って斬新すぎるな」
「長生きし過ぎると色々嫌になるのかと思って」
霊夢は控えめなトーンで聞く。
「ばーか。私は生きることを楽しんでるよ」
対して妹紅はぶっきらぼうに言うと、小石を蹴飛ばす。
「多分あの魔法使いと同じ様なことだ。自分を変えたいとは思っているからさ」
「へぇ、意外ね」
「人生経験豊富だと、どうにも堅くなってしまうからね。魔理沙は人生経験が無いから、変わりたいと思っているんだろうけど」
「そんなに皆変わりたいものかしら」
「それが普通の人だよ」
今の話の何処に普通の人がいたのか、疑問だ。
「死ぬんじゃなければ罪穢れを祓うのかと思ってたわ」
「私は罪を感じたくないとは初めから思って無い。むしろ罪を重ねる覚悟が足りないと思ってたんだ」
「なんか犯罪依存症の格言みたいね」
「ははは、生きるってそういう事じゃないかな。私はただこれからも生きていたいよ」
飄々と妹紅は言う。生きるのは罪、というのを実感するのは難しいが、体感しているのかもしれない。
今まで散々生きているのに、生きるための覚悟が欲しくて拝んでいたということか。
生きてるのに、ただ生きる為に生まれ変わりたいと願われても、そりゃ管狐は憑けないだろう。
「ちょっと! 仏像壊したって本当なんですか?」
外に出るとおかっぱ頭を揺らして怒る阿求に詰め寄られた。
「中に管狐が居たから仕方なかったのよ」
「それならそれで、もっとやり方が有りますよ!」
「私は止めたから……」
魔理沙によると外に出たら阿求が再び調査に来ていて、本人曰く時間は掛かるが安全なルートを通ったそうだ。それで中の様子を尋ねられ、起こったことを述べたら阿求は怒ってしまった。
どうして呼んでくれなかったのかと阿求はむくれた。
「結局何故この穴ができたかとかは、分かったんですか?」
聞かれて三人は焦る。独白の最後には出来れば生まれ変わりには見られたくないと書いてあった。
生まれ変わりは阿求かもしれないのだから、言うべきではない。
「なんというか、昔の人の出来心みたいな……」
魔理沙が適当な言葉をひねり出す。
「そうそう、もう時効ね。過ぎたことは良いじゃないの」
苦笑いする霊夢に阿求は不満げだ。腕を組んであからさまに悩んで見せる。
「……しょうがない、中は後々里の者と協力して片づけておきます。まだ何かあるかもしれませんし、仏像の復元もできたらしたいですし」
あれは絶対直せないだろうな、と霊夢は思ったが口にはしなかった。
魔理沙と妹紅は折角なので茸を取ってから帰ると言い一足先に去った。毒味させたい茸が有るだとか、恐ろしい言葉を聞いた霊夢はとても行く気には成らなかった。
なので真っ直ぐ帰りたかったが、責任を持って中の様子を教え、家まで送るように阿求に言われ、拒否する事も出来ずそちらに付き添うことになった。
「大体聞いた通りですね」
「魔理沙は少し離れてみてたから、私より状況を把握してたんじゃないの」
本以外で聞かれた事は説明した。お節介かもしれないと思いつつやはり本のことは言わずにおいた。
「管狐を仕掛けたのが本当に誰だか知らないんですか?」
「知らない」
「口止めされたとか」
「誰に口止めされるってのよ」
阿求邸に戻る頃には夕方から夜に変わろうという時間だった。薄暗さが包む中、庭先に着くと祠が再び目に入る。
阿求はふっと笑うと小走りでその祠の前に行き、手を合わせた。霊夢は不思議に思ったが、横でしゃがみ込み祠を見た。
「この祠って屋敷神か何か? 何にも居る気がしないけど、ちゃんと祀ってあげなきゃ駄目よ」
「それより、霊夢さんは生まれ変わりたいと思わなかったんですか?」
急に何の話かと思い阿求を見たが、まだ手を合わせていた。霊夢も視線を戻しつつ答える。
「思わないわよ。六道転生にしろ胎内巡りにしろ、迷い有るからこその修行みたいな物じゃないの」
「正しい認識ですね。でも過去を悔いて、自分を変えたいと思うこともありませんか」
「そりゃあ失敗すれば悔いもするけど……生まれ変わるとか、おおげさな物じゃないでしょ。何かにすがる事じゃないわ」
「霊夢さんは強いですね、時々本当に人間なのか疑わしいくらいです」
「誉めてるのそれ」
「勿論です。だって私にはきっと出来ないから……。くよくよしても、きっと書き留めておく位しかできません」
阿求は口元を静かに緩めると、念じるのを止めた。
直感的にその言葉がただの予想ではないと霊夢は感じた。
「あんた……もしかしてあの本読んだ?」
「ふふふ、なんの事でしょう」
「胎内仏の本」
「そんな話聞いてませんよ」
阿求はくすりと怪しげに笑った。一見無邪気だが、霊夢は何だか言わされた気がして腑に落ちない。
「考えてみたら引っかかるところは有ったのよ。最初に玄武の沢に態々行った理由も分から無いし」
「記録を司る者はフィールドワークが常ですから」
「それにしたって、編纂時期でもないのに行く? 新聞に情報売るのもらしくないじゃない」
「そういう事もあります」
阿求はのらりくらりとした受け答えだ。霊夢はふむぅと唸ると祠を見た。
「わかった……この祠は外道封じだったのね。いくら命令しても外道はそう簡単に離れてくれるか分からない。祠に祀って縁を切るのは一つの手だわ」
「どうでしょう、少なくとも此処には何も居ないんじゃないですか?」
「たかりに来ないって事は、先代はよほど良い管狐を買ったのね」
「その本とやらは胎内仏だったんですよね。読んでませんよ、読めません」
それは確かにそうだ。蹴り飛ばす前に確認したが、中が一度開いているとは思えなかった。
しかしあの本を読んだ人は三人では無い。少なくとも後一人は確実に居た。
「もしかして、あんた……阿弥の記憶が残ってるんじゃ?」
「どうでしょうね、」
「とぼけるのもいい加減にしたら」
「まさか、ど忘れしちゃっただけですよ」
「下手な嘘ね」
「ふふふ、稗田ジョークです」
「はぁ。今回は大目に見るけどさ」
全ては終わった後だ、今更阿求を咎めた所で、何かが変わるわけではない。再び同じ事をする訳でもないだろう。
「折角だから紅茶飲んでいきます?」
阿求はいつもの幼げな笑顔を見せる。
「もう暗くなるから遠慮しとく」
誘いは嬉しく、まだ話したい気持ちもあるが、霊夢としては帰って緑茶で一息したかった。
翌日、霊夢は里に行って管狐が憑いた人を探した。何人か見つけたのは良いが、払うことができなかった。
周りの人にこのままで良いと言われて断られたのだ。霊夢は理解できなかったが、その内自然と抜けるので放って様子を見た。
それから独白にあった十日を過ぎると、管狐が離れたらしく急にやる気が起きなくなったとか、怠け者になってしまったとかいう話が霊夢の耳にも入った。狢に憑かれたのではという噂すら聞こえる。逆に憑き物が落ちたというのに、それに気づく人は少ない。
良く変わったら生まれ変わりで、悪くなったら憑かれたと呼ばれてしまう、不思議なものだ。
本人は兎も角、他人に生まれ変わって欲しいと思っていたのだろうか、それはそれで間違ってるんじゃと思いつつ。
更に五日もすればそんな話題は薄れていった。皆気づいたのだろう、狐にでもつままれたのだと。
「おーい、霊夢!」
「今日は何?」
魔理沙が新聞片手に神社に降りてきた。
「これを見てくれ!」
「何々、生まれ変わったら何になりたいかランキング。一位、一回でもう十分……」
「そっちじゃない」
見るからにやきもきしているので素直に指さす方に目を向ける。
「えーと、あなたのお宝なんですか。先日紹介した稗田家の減らない味噌樽が発見された。現代に蘇る変わらぬ味……」
写真に写っているのは紛れもなく仏像の中に入っていた味噌樽だった。中身が減っていないのは、こういうタネがあったのだ。
「ちくしょう! こんな凄い物だったら持って帰るべきだった!」
魔理沙が座卓を叩いて悔しがる。
「有ったところに戻っただけじゃないの。怪僧が味噌樽を減らないようにしてくれるって話は時々聞くから、自分で貰えば」
「本当か。今度、白蓮に頼んでみようかな」
霊夢はあきれつつ、お茶を淹れに座卓を離れた。ふと後ろを見たが魔理沙は着いてこない。
湯呑みを持って戻ると退屈そうに新聞で何かを折っていた、実にいつもの魔理沙だ。座卓を雑巾で軽く拭いてから湯呑みを静かに置いた。
「そういえばその雑巾も生まれ変わったのかな」
「雑巾? ああ、確かに古着から雑巾にしちゃったけどね」
「本当の生まれ変わりってその雑巾みたいな物なんだろうなぁ」
魔理沙は紙の形を整え雑巾を注視した。
「これは古着の生地以外の何物でもないし、ちょっと違うんじゃない」
「その雑巾に古着の記憶があっても意味ない、と思ってさ。そしたらちょっとかわいそうだろ」
「まぁ、そう考えたらあの独白と通じる所もあるけど……」
魔理沙はそう言いつつも新聞紙で作った紙風船をポンポンと宙を踊らせる。
「あんたはあの独白の言ってることは正しいと思う?」
「生まれ変わってる奴が言うんだから、正しいんじゃないのか」
「そうかしらね……あの味噌樽だって、味噌としてだけど普通では無い使われ方していたし。あのあと魔理沙が持って帰ってたらもっと数奇な事態になっていたでしょ、生まれ変わるとか関係無いんじゃない」
「そういう意味では元の場所に戻って良かったな」
どの口が言うか。でも
「阿求も最初から味噌樽を回収するつもりだったのかもしれないしね」
「最初から?」
「ああ、話してなかったっけ。この間の洞穴から帰った後に――」
霊夢は阿求邸で話した事を魔理沙にも伝えた。
「阿求に変なもの憑けられてたのか」
「まんまと騙されたわね、あの新聞も興味を持つ人が来るように流布したんでしょう」
「新聞が無くても私はその内行ったかもしれないけどな」
「そういえば望む生まれ変わりを狐が再現してるってあったけど……」
だとしたら魔理沙は進んで私にあんな事言いたかったのだろうか? そう思うと照れくさいような、やっぱり不気味な様な。
「変な想像するなよ。私はあの独白の通りちょっと過去を忘れようとしていただけだ」
「忘れたい事なんてあるの?」
「忘れたいというか、今こうしているのは私が我が儘で、素直じゃない選択の末と思うしな。これからはもうちょっと上手く誰かを認めたかったというか……」
魔理沙はどんどんと言葉を曖昧にしていく。
「とにかく、あんな押し掛け女房したかったわけじゃない! 管狐が憑いてた時のことは忘れてくれ」
魔理沙がこれこそ忘れたいんだと手を振って否定した。
何を望んだのか、本当のことは霊夢には分からない。
でも望んだ通りに成っても、それは不満が残る物なのだろう。阿弥はそれを教えてくれたのかもしれない。
「生まれ変わりたい、なんて思うからそういうことになるのよ。生まれつきの部分が変わったらそりゃ不気味だわ」
「生まれつきって言ってもなあ、諦めたくない事もあるだろう」
「生まれ変わりたい、だなんて諦めないでよ。今から変われる様にすればいいじゃない。変わられる側だっているんだから、人騒がせな」
「それが一番だけどな……変えたいけど変わらない事も沢山あるもんさ。今思えば阿求の先代もそうだったんじゃないかな」
「何がよ」
「最後にあったじゃないか、弱い自分は罪だって……。そう思ってるのに変わりたいと思わない奴なんて居ないだろ? きっと本当は誰よりも生まれ変わりたかったんだよ」
魔理沙は共謀者を庇うような微妙な表情を見せる。
自分を変えたいという気持ちを、人は生まれ変わりたいと言うらしい。でも先代にとって生まれ変わりは経験したことのある苦痛でしかなかったのだ。
だから自分を変えようと信仰する人々が、本当は羨ましかったのかもしれない。
「でもやっぱり、あの独白は間違っているわ。あれには当人のことしか書いてなかったもの、周りの事も考えないと」
「そりゃ、あいつは転生の意味で生まれ変わってたからだろ」
「転生だって同じよ。大切な事は記録以外でだって子々孫々と受け継がれて行くってもんでしょう。
経験した事は無意識にそれを活かして生きているだろうし……記録出来ない事はそうやって残るのよ。
本人が生まれ変わらなくても、周りの人も少しずつ変わっていくのだから……」
皆で少しずつ変わっていく、それが本来の有るべき姿だ。一人で考え込んで、生まれ変わるなんて周りにしたら大異変。
そもそも罪穢れは、型が残ろうが残なかろうが、落としただけでは駄目なのだ。リセットした所で問題解決した事には成らない。
「ああ、だから阿求はこんなことしたのか」
「うん?」
「阿求もそういう物だって、気づいたんじゃないか。だから私達に生まれ変わりが良いとは限らないって、知っていて欲しかったのかもしれん」
魔理沙はお茶を一口すすって付け加えた。
「生まれ変わる前にな」
「……皆ややこしいのよ。こんなやり方しなくても、直接伝えてくれたら分かるのに」
「それが一番難しいってこった」
魔理沙は、ぐしゃりと紙風船を潰した。
生まれ変わりたいという気持ちは、複雑だ。
時に死なない人ですら生まれ変わりたい。かと思えば望まないでも生まれ変わる者も居る。
死んで生まれ変わるのか。生きて生まれ変わるのか。
何の為に生まれ変わるのか、生まれ変わって何が出来るのか。
考え始めたら切りがない。
でも今回で言えば生まれ変わりの信仰が、身の不浄を消すことから、ただ過去を切り捨てる事になりつつあるのは事実なのだろう。現に里の人もちょこちょこ引っかかっていた。
生まれ変わりの信仰自体、変わり始めたのだ。
その事自体は悪くない、信仰だって皆と一緒に変わっていく、そういう物だ。
そもそも阿弥は過去に囚われ過ぎだ。未来の為に生まれ変わるという意味では、魔理沙達も同じなのだから。あざけるのはお門違い。
「私なんて、生まれ変わったら……」
「お、霊夢は興味無かったんじゃないのか」
「無いけど。いや……やっぱりそうね。無いわ」
「おいおい、なんだそりゃ」
魔理沙は詰まらなさそうに目を細める。
そんな顔をされると、つい頬がゆるむ。
これまでを重んじる御阿礼、これからに熱心な妹紅や魔理沙、そういう人達を見ていたら、この事は墓まで持って行くしかない気がした。
生まれ変わっても今みたいに過ごせたらと思っていた、なんて。
>通い妻の風格を感じるな
ガタッ! こ、これはまさかのレイマリか...!
と期待した私がいた。
すいません、忘れてくたさい。
ああ、墓場まで持っていきたい。
かけあいが非常にらしく感じました。
みんなかわいい。
誤字がいくつかあったかな。
生まれ変わりねぇ……ま、人間なら一度は考える事ですな
しかし仏像にケリくれた霊夢の心臓は凄い
例えタダの像ですよってわかってても仏の姿したもんにケリはいれらんねーw
命蓮寺関係者がいたら激おこですよ
新聞記事がうまいこと伏線になっているところが良いですね。実に巧みに構成された物語でした。
相変わらずよい雰囲気のお話でした。
生まれ変わりに纏わる話に生まれ変われない妹紅が少し絡むのもなんかこう、いいですね
転生が約束されているからこその阿弥の考えもなるほどなぁと思いました。
良い話でした。
の精神は大事だと思う
生まれ変われないから
管狐がとれても惰性でそのまま変化なさそう
もしかしたら、現状に満足しているからこそ魔理沙を変化させたことに対する怒りが込められてたんじゃないだろうかと超絶に飛躍した盲想をしてみたり。
それ以外はとても読みやすかったです。
阿求には詳しくないのですが、それぞれの個性が出ていて面白かったです。
悪と断ずれば仏像にも蹴りいれる霊夢さんが好きです。
もうちょっと浮いている霊夢さんも好きです。
そう、霊夢以外は
やっぱ霊夢って何か超越してるよね
自然体で楽しめました。