序
それはある日突然、幻想郷に誕生した。
今日もまた、それは轟音を伴って大空へと飛び立っていく。
一
「困りましたね……」
ある日の午後、幻想郷の伝統ブン屋、射命丸文は白紙の原稿を前に頭を抱えていた。大規模な物はおろか、妖精の悪戯程度の異変すら耳に入る事のない平凡な日が続き、彼女は新聞の話題に困り果てていた。
「嘘八百を並べるなんて、『清く正しい射命丸』のすることではありませんから」
大きく息を吐いて、彼女は立ち上がる。
「さて、少しネタ探しに出掛けましょうか」
取材用の荷物を手に取り、勢いよく自宅を飛び出した。
「……で、一体今日は何の用なの?」
突然やって来た文に対し、霊夢は手慣れた様子でお茶の用意をした。
「いえ、ちょっとした取材ですよ」
「残念だけど、変わった事は何も起きてないわ」
記事に困ったときは、文はたいてい博麗神社を訪れる。人妖様々な参拝客が集まるこの神社には、事件の知らせもよく集まってくるからだ。
「本当に平和なようで……何か異変の一つや二つ、起こってくれませんかね」
「だったらあんたが起こせばいいんじゃないの?いつもみたいに」
皮肉めいた笑いを浮かべる霊夢を見て、文はやれやれと首を振った。
「いつもみたいに、とは失礼ですね!そんな気分でもないですし――」
「文、あれ何かしら?」
霊夢は話を遮ると、驚いた様子で空を指さした。目を凝らすと、何かが神社の上空を高速で飛んでいるのが文にも見えた。
「人……じゃないみたいね」
「確かめる価値は大いにありますね、ありがとうございました、失礼します!」
彼女は地面を蹴って飛び出し、それを追い始めた。
「見たところ、鳥のようでもありますが……五月蝿いですね。しかし、あの速さは!?」
文が、全速力で飛んでいた。数割程度の力で飛んでいてさえ、急降下する隼をも追い越す速度を誇る彼女が、持ちうる力を全て使ってもなお追いつけない。凄まじい速さで、それは飛び去っていく。冷たい風を感じながら、なおも必死に追っていると、それは体をゆったりと傾けて旋回の姿勢を取った。
「こちらへ戻ってくるのでしょうか……?だとすれば、これはチャンスです!」
勢いを緩めることなくそれに追いつこうとする文だが、やはりその速度には敵わなかった。驚くほど軽やかに旋回を終えたそれは、彼女を嘲笑うように飛び去って行く。
「……仕方ありません、この距離でもいいですから撮っておきましょう」
鞄からカメラを取り出すと、それをファインダーに収めて最大限に拡大し、シャッターを切った。現像された写真を確認せずに手帖に挟み、それの方へ向き直る。もはや、それを視界に捉えることは不可能だった。
「今日は、もう戻りましょう」
彼女は、ゆっくりと地上へ向けて降下していく。その背中は、小刻みに震えていた。
二
「まさか、私自身がネタにされようとは……!」
翌朝。文は同僚の鴉天狗から届けられた新聞を握りしめ、わなわなと震えていた。彼女が自宅前で力尽きて眠りこけてしまった所が、見事に写真に収められて、滅茶苦茶な記事と共にばらまかれる事態になっていた。
「まあ、彼らをこき下ろしてしまうのも出来なくはありませんが」
彼女は手帖から昨日の写真を取出して、まじまじと眺める。はっきりとは解らないが、明らかに鳥のそれとは思えない、不思議な形の翼を持ったものが写っている。
「やはりここは、ブン屋らしく記事で勝負です。卑怯な手段には屈しません」
取材用の荷物を持って、文は今日も家を出た。
「へぇ~……これが昨日のあれ?」
霊夢に先日の写真を見せると、彼女は写っているそれを不思議そうに見つめた。
「あんたでも追いつけないなんてね……一体何なのかしら」
「つまり、霊夢さんは何も知らないということで?」
この巫女なら何か知っているのでは、という文の目論見は外れた。手帖に何かを走り書きすると、写真を挟んで鞄にしまう。
「とりあえず魔理沙にでも聞いてみたら?あいつなら興味本位で追いかけてみたりしてそうだし」
「そうですね……ありがとうございます、それでは私はこれで」
ふわりと宙へ浮かび、文は魔理沙の家がある魔法の森へ向けて飛んでいく。
「いつ来ても、この森は陰湿ですね……」
木が生い茂って日の光を遮っているおかげで、時たま他では無い珍しい動植物が見つかる不思議な森。魔力の影響もあるのかもしれない。文自身、そのような内容で号外を何回か出している。
「よしよし、今日も収穫は上々……お、あんたは確か」
文の前に姿を現したのは、背負った籠に様々な収穫物を詰め込んだ魔理沙だ。
「魔理沙さん、少し伺いたいことがあるのですが」
「いいぜ。ただ、少し手伝ってほしいことがあるから、まずそっちをお願いしたいんだが?」
にやりとした笑いを浮かべる魔理沙の後について、文は彼女の家を目指す。
「……これで完成なんですか?」
文と魔理沙がかき混ぜている鍋の中には、得体の知れない色の液体が並々と入っていた。
「私の考えが間違っていなければな。試してみるか?」
「あ、いえ、結構です……」
流石の文も、顔を引き攣らせていた。
「まあ、万が一が起こって最初の犠牲者になってもらう気も無いしな」
「それはともかく、そろそろこちらの話を聞いていただいてもよろしいでしょうか?」
長々と話し出しそうになる魔理沙を遮り、文は尋ねる。
「ああ、すまなかった。で、今日は一体何の用事だったんだ?」
写真を取り出して、魔理沙に見せる。
「このような物を見た覚えはありませんか?」
彼女は暫く考え込む素振りを見せると、思い出したように顔を上げた。
「いや、そんなものは見た事も無いな……ただ……」
文は魔理沙の話に一層深く耳を傾ける。
「関係があるかは知らないが、ここの所森の上を何かが飛んでる時があるみたいなんだ……あまりに速すぎて、確かめられた試しは無いが」
「ここの上空ですか?」
文は手帖に筆を走らせる。興奮の色が覆い隠せない様子だ。
「ああ、毎日ではないんだがな。時間は大体、昼頃が多いか――」
魔理沙の話を、強い風の音、そして表現しがたい轟音が遮った。窓の外では、森の木々が大きく揺さぶられている。
「……この風は、一体?」
「来たみたいだぜ。さあ、今日こそはその正体を確かめてやる!」
文が立ち上がるより早く、魔理沙は箒を手に戸を開けて飛び出していた。耳を劈く音と共に、強い風が家の中に吹き込み、元々きれいではない部屋の中を余計に荒らす。
「私も座っている場合ではありませんね、行きましょう!」
立ち上がった文も、魔理沙に続いて外へ出た。
「……ほんとにあれの正体は何なんだよ?」
「私も解ったら苦労しませんよ……」
風で荒れた部屋の中、二人は机に突っ伏していた。飛び出した魔理沙は突風に煽られ飛び立つことすら出来ず、それの姿を見ることも無かった。一方の文は何とか森を飛び出したまでは良かったが、やはり異常なまでの速さで飛んでいくそれを追いかけることは叶わなかった。
「お前でさえ追えない速さ……それって生き物なのか?」
「そうでないと嬉しいんですけどね…………」
文はがっくりと肩を落とす。思いついたように時計を取り出すと、それは既に夕方を示していた。
「いけませんね、もうこんな時間ですか。それでは、失礼します」
「帰るのか、だったら気を付けてな。今の時間は変なのが多いぞ」
文は戸を開けて、依然薄暗い外へと出ていった。
「もしかしたら、この薬があいつの役に立つかもな……」
一人になった魔理沙は、鍋に湛えられた薬を横目に呟いた。
三
「今日で一週間になりますが……」
魔理沙の家を訪れてから、魔法の森上空を中心に飛び回ってはみたが、未だにそれを見つけることは出来ていなかった。
「幸い他の天狗達にはまだ見つかってはいないようですが、時間の問題でしょうね」
彼女の顔には、焦りが浮かんでいた。今日もまた捜索に出ようと玄関へ出ると、見覚えの無い封筒が落ちていた。
「まあ、まずはこれを確認しておきましょうか」
一度家の中へ戻って、封筒を開けた。中身は便箋と、それから液体の入った小瓶だ。文は、素早く便箋に目を通す。
「全く、対して重要でないことを延々と綴られるのは好きではないのですが……」
流し読んでいくと、最後の数行に目が留まった。
『良ければ使ってみるといい。あれを追う時には、役に立つはずだ』
「出来れば、人の手は借りたくないのですけど……まあ、折角ですから使わせていただきましょう」
鞄に小瓶を滑り込ませると、文は再び家を出た。
人間の多く暮らす集落。文は、一度情報を集めなおすことにした。行き交う人に声をかけ、聞き出せる限りの情報を集める。やはり目ぼしい情報が得られることはなかったが、その最中、
「あれは……河童でしょうか?」
一匹の河童が、人混みに紛れていた。どういう原理か、数個のドラム缶を軽々と背負って歩いている。
「……一体何に使うのでしょう、これは調べてみる価値がありそうです」
文は呟いて、こっそりとその後をつけていく。
「彼らの発明を侮っていましたね……見事に撒かれてしまうとは」
河童達の暮らす里へはどうにかたどり着けたが、情報なしに先程の河童を見つけるのは恐らく不可能だろうと文は判断した。
「とりあえず、適当に数人捕まえて聞いてみましょう」
彼女は辺りの河童に対し、先程同様に取材を行う。しかし、
「自分のしている事以外に興味はないのでしょうか、全く。私達には考えもつきません」
誰一人として、それの存在を知っている河童は見つからなかった。失意の中、文はこの日の捜索を切り上げた。
四
雨の音が、途絶えることなく文の耳を突く。更に数日が経ってなお、それの正体を記事には出来ていなかった。
「今日こそはと思っていたのですが……」
諦めきれず、傘を片手に取材へ出掛ける。
「雨のせいか、嫌に静かです。まるで何かの前触れのような……」
魔法の森の上空で待機している文の耳には、傘が雨を弾く音以外には何も入らない。普段から静かな森ではあるが、そのざわめきさえも聞こえなかったことは、大きな異変の前後くらいでしかない。と、その時。
「この音は…………!?」
遠くから、雀蜂の大群が押し寄せてくるような音が聞こえてきた。瞬く間に音は大きくなり、その正体が姿を現す。同時に、激しい風と轟音が文を襲う。傘は吹き飛び、彼女が耳を塞いで蹲っていると、それはたちまちのうちに飛び去っていく。
「今日こそは逃がしません!」
降りしきる雨の中、彼女はそれを追いかけて飛び始めた。
「やはり、どう足掻いても追いつけないのでしょうか……?」
既に見失いそうな程に小さく見えているそれを、もう逃がすまいと全力を出し続ける文。ふと、何かを思い出したような顔をすると、鞄から薬の小瓶を取り出した。
「魔理沙さん、いただきます」
彼女はその蓋を開け、中身を一息に飲み下す。そして、すぐにそれを追いかけていく。
「ようやく、追いつけそうです……」
やはり、文は全力で飛び続けていた。しかし、はるか遠くに見えていたそれはいつの間にか彼女の目の前にあった。魔理沙の薬の効果なのか、いつもより更に速さを増した文は、信じられない勢いでそれに接近していく。
「さあ、その正体、暴いて見せます!」
彼女は一瞬力を溜めて、一気にそれの前方へと躍り出る。振り返ってそれの正体を見た文は、自分の眼を疑わざるを得なかった。
「何で、こんな金属の塊が空を飛べているのでしょうか……?」
それは、鳥よりも遥かに大きな飛行機械だった。人間なら五、六人は乗れそうな大きさだ。操縦席には、河童が一頭。あの時、村で見つけた河童だろうか。
「やはり、あの河童でしたか……だとしても」
文は並んで飛びながら、飛行機械をまじまじと見つめる。左右に広げた金属製の翼と、それから後ろにも幾つかのさな翼を持ち、先頭には高速で回るプロペラがくっついている、不思議な形状だ。驚きで零した呟きも、風を切る音とプロペラの駆動音でたちまちかき消される。
「鳥の様に羽搏くわけでもなく、なぜあのような速さで飛べるのでしょうか?よくよく調べておきたいところですね」
置いて行かれない程度のスピードを保ったまま、文はカメラを構えて何度もシャッターを切る。大量の写真を鞄に収めようと手を伸ばしたとき、駆動音に混ざって甲高い金属音が響き渡った。彼女が振り返ると、目の前には外れたプロペラが飛んで来ていた。回避をする間もなく、その直撃を受けた文は、気を失って地上へと落下していく。
五
「うーん……あれ、ここは?」
「私の神社よ」
霊夢の家で寝かされていた文は目覚め、ゆっくり体を起こす。霊夢が、横で茶を啜っていた。
「早速で悪いけど、あれは何なの?」
霊夢は外を大幣で指し示す。その先には、破損した大きな翼が横たわっている。
「あんたが落ちてるのを見つけて、どうにかしようとしたら上からあれが落ちてきたんだけど……何か関係あるのかしら?」
文は、すぐ横に転がっていた鞄から手帳を取り出すと、挟んであった写真を取り出した。写真と神社の参道近くに横たわるそれを交互に眺める。
「霊夢さん、間違いなくこの間のあれですよ。この通り、写真も……あややや?」
力が抜けたのか布団に倒れ込む彼女を見て、霊夢は呆れた顔をした。
「雨の中をずっと飛んでたら、そうなって当然よね……全く。」
暫くの沈黙。雨が降る音だけが、静かに部屋に染みわたっていく。茫然とする文に、霊夢は言った。
「今日は、うちで休んでけば?新聞くらい、明日でも何とかなるでしょうし」
「迷惑ではありませんかね……?」
疲れの滲み出る声で返した文に対し、霊夢は独り言の様に続けた。
「迷惑なんかじゃないわよ……ただあんたが心配なだけ」
「おやおや、どうなさいました?」
紅潮した顔の霊夢を見て、文はおどけて返す。
「五月蠅い、病人はいいから寝てなさい」
霊夢は踵を返し、足早に部屋を出ていった。
「……全く、霊夢さんは。まあいいでしょう、今夜は休ませて頂きましょう」
文は布団の上で、身体の力を抜いて目を閉じた。雨の音は、次第に小さくなっていった。
六
「これがあの音の正体か!?で、こいつは一体どこにいるんだ?」
「残念ながら、写真を撮ってからすぐに壊れてしまったようです」
刷りたての新聞を持って、文は魔理沙の家を訪ねていた。代金を支払った魔理沙は、記事に目を通しながら言葉を続けた。
「そいつは残念だ、また誰か作ってくれないかな」
「あなたが作るという手もありますが?」
魔理沙は朗らかに笑うと、玄関に大切そうに立てかけてある箒を横目で眺めて言った。
「それでもいいんだが、私はあくまで魔法使いだ。私にはあれがあるしな、魔法使いがこんなもので飛んでたら失笑ものだぜ」
文は何か考え込んでいるようだったが、ふと何かを思い出したように口を開いた。
「魔理沙さん」
「ん、どうかしたか?」
にこやかな顔で、彼女は言う。
「この間は、ありがとうございました。あの薬、役立たせて頂きました」
「……まあ、褒められたもんでもないけどな」
「それでは、私はまだ配達がありますので」
照れる魔理沙を残して、文は大空へ飛んで行った。
「ほんとに褒められたもんじゃないぜ……あいつの本気、一度見てみたかったがなあ」
魔理沙は残念そうに呟いて家へ戻り、一滴たりとも減っていない鍋の薬に対面した。
「さて、私も本気で取り掛かるとするか。さっさと仕上げよう」
彼女の家の中からは、今日も何かを煮る音が聞こえてくる。
終
幻想郷最速の新聞記者、射命丸文。
彼女は今日も、記事を求めて幻想郷を飛び回っている。
それはある日突然、幻想郷に誕生した。
今日もまた、それは轟音を伴って大空へと飛び立っていく。
一
「困りましたね……」
ある日の午後、幻想郷の伝統ブン屋、射命丸文は白紙の原稿を前に頭を抱えていた。大規模な物はおろか、妖精の悪戯程度の異変すら耳に入る事のない平凡な日が続き、彼女は新聞の話題に困り果てていた。
「嘘八百を並べるなんて、『清く正しい射命丸』のすることではありませんから」
大きく息を吐いて、彼女は立ち上がる。
「さて、少しネタ探しに出掛けましょうか」
取材用の荷物を手に取り、勢いよく自宅を飛び出した。
「……で、一体今日は何の用なの?」
突然やって来た文に対し、霊夢は手慣れた様子でお茶の用意をした。
「いえ、ちょっとした取材ですよ」
「残念だけど、変わった事は何も起きてないわ」
記事に困ったときは、文はたいてい博麗神社を訪れる。人妖様々な参拝客が集まるこの神社には、事件の知らせもよく集まってくるからだ。
「本当に平和なようで……何か異変の一つや二つ、起こってくれませんかね」
「だったらあんたが起こせばいいんじゃないの?いつもみたいに」
皮肉めいた笑いを浮かべる霊夢を見て、文はやれやれと首を振った。
「いつもみたいに、とは失礼ですね!そんな気分でもないですし――」
「文、あれ何かしら?」
霊夢は話を遮ると、驚いた様子で空を指さした。目を凝らすと、何かが神社の上空を高速で飛んでいるのが文にも見えた。
「人……じゃないみたいね」
「確かめる価値は大いにありますね、ありがとうございました、失礼します!」
彼女は地面を蹴って飛び出し、それを追い始めた。
「見たところ、鳥のようでもありますが……五月蝿いですね。しかし、あの速さは!?」
文が、全速力で飛んでいた。数割程度の力で飛んでいてさえ、急降下する隼をも追い越す速度を誇る彼女が、持ちうる力を全て使ってもなお追いつけない。凄まじい速さで、それは飛び去っていく。冷たい風を感じながら、なおも必死に追っていると、それは体をゆったりと傾けて旋回の姿勢を取った。
「こちらへ戻ってくるのでしょうか……?だとすれば、これはチャンスです!」
勢いを緩めることなくそれに追いつこうとする文だが、やはりその速度には敵わなかった。驚くほど軽やかに旋回を終えたそれは、彼女を嘲笑うように飛び去って行く。
「……仕方ありません、この距離でもいいですから撮っておきましょう」
鞄からカメラを取り出すと、それをファインダーに収めて最大限に拡大し、シャッターを切った。現像された写真を確認せずに手帖に挟み、それの方へ向き直る。もはや、それを視界に捉えることは不可能だった。
「今日は、もう戻りましょう」
彼女は、ゆっくりと地上へ向けて降下していく。その背中は、小刻みに震えていた。
二
「まさか、私自身がネタにされようとは……!」
翌朝。文は同僚の鴉天狗から届けられた新聞を握りしめ、わなわなと震えていた。彼女が自宅前で力尽きて眠りこけてしまった所が、見事に写真に収められて、滅茶苦茶な記事と共にばらまかれる事態になっていた。
「まあ、彼らをこき下ろしてしまうのも出来なくはありませんが」
彼女は手帖から昨日の写真を取出して、まじまじと眺める。はっきりとは解らないが、明らかに鳥のそれとは思えない、不思議な形の翼を持ったものが写っている。
「やはりここは、ブン屋らしく記事で勝負です。卑怯な手段には屈しません」
取材用の荷物を持って、文は今日も家を出た。
「へぇ~……これが昨日のあれ?」
霊夢に先日の写真を見せると、彼女は写っているそれを不思議そうに見つめた。
「あんたでも追いつけないなんてね……一体何なのかしら」
「つまり、霊夢さんは何も知らないということで?」
この巫女なら何か知っているのでは、という文の目論見は外れた。手帖に何かを走り書きすると、写真を挟んで鞄にしまう。
「とりあえず魔理沙にでも聞いてみたら?あいつなら興味本位で追いかけてみたりしてそうだし」
「そうですね……ありがとうございます、それでは私はこれで」
ふわりと宙へ浮かび、文は魔理沙の家がある魔法の森へ向けて飛んでいく。
「いつ来ても、この森は陰湿ですね……」
木が生い茂って日の光を遮っているおかげで、時たま他では無い珍しい動植物が見つかる不思議な森。魔力の影響もあるのかもしれない。文自身、そのような内容で号外を何回か出している。
「よしよし、今日も収穫は上々……お、あんたは確か」
文の前に姿を現したのは、背負った籠に様々な収穫物を詰め込んだ魔理沙だ。
「魔理沙さん、少し伺いたいことがあるのですが」
「いいぜ。ただ、少し手伝ってほしいことがあるから、まずそっちをお願いしたいんだが?」
にやりとした笑いを浮かべる魔理沙の後について、文は彼女の家を目指す。
「……これで完成なんですか?」
文と魔理沙がかき混ぜている鍋の中には、得体の知れない色の液体が並々と入っていた。
「私の考えが間違っていなければな。試してみるか?」
「あ、いえ、結構です……」
流石の文も、顔を引き攣らせていた。
「まあ、万が一が起こって最初の犠牲者になってもらう気も無いしな」
「それはともかく、そろそろこちらの話を聞いていただいてもよろしいでしょうか?」
長々と話し出しそうになる魔理沙を遮り、文は尋ねる。
「ああ、すまなかった。で、今日は一体何の用事だったんだ?」
写真を取り出して、魔理沙に見せる。
「このような物を見た覚えはありませんか?」
彼女は暫く考え込む素振りを見せると、思い出したように顔を上げた。
「いや、そんなものは見た事も無いな……ただ……」
文は魔理沙の話に一層深く耳を傾ける。
「関係があるかは知らないが、ここの所森の上を何かが飛んでる時があるみたいなんだ……あまりに速すぎて、確かめられた試しは無いが」
「ここの上空ですか?」
文は手帖に筆を走らせる。興奮の色が覆い隠せない様子だ。
「ああ、毎日ではないんだがな。時間は大体、昼頃が多いか――」
魔理沙の話を、強い風の音、そして表現しがたい轟音が遮った。窓の外では、森の木々が大きく揺さぶられている。
「……この風は、一体?」
「来たみたいだぜ。さあ、今日こそはその正体を確かめてやる!」
文が立ち上がるより早く、魔理沙は箒を手に戸を開けて飛び出していた。耳を劈く音と共に、強い風が家の中に吹き込み、元々きれいではない部屋の中を余計に荒らす。
「私も座っている場合ではありませんね、行きましょう!」
立ち上がった文も、魔理沙に続いて外へ出た。
「……ほんとにあれの正体は何なんだよ?」
「私も解ったら苦労しませんよ……」
風で荒れた部屋の中、二人は机に突っ伏していた。飛び出した魔理沙は突風に煽られ飛び立つことすら出来ず、それの姿を見ることも無かった。一方の文は何とか森を飛び出したまでは良かったが、やはり異常なまでの速さで飛んでいくそれを追いかけることは叶わなかった。
「お前でさえ追えない速さ……それって生き物なのか?」
「そうでないと嬉しいんですけどね…………」
文はがっくりと肩を落とす。思いついたように時計を取り出すと、それは既に夕方を示していた。
「いけませんね、もうこんな時間ですか。それでは、失礼します」
「帰るのか、だったら気を付けてな。今の時間は変なのが多いぞ」
文は戸を開けて、依然薄暗い外へと出ていった。
「もしかしたら、この薬があいつの役に立つかもな……」
一人になった魔理沙は、鍋に湛えられた薬を横目に呟いた。
三
「今日で一週間になりますが……」
魔理沙の家を訪れてから、魔法の森上空を中心に飛び回ってはみたが、未だにそれを見つけることは出来ていなかった。
「幸い他の天狗達にはまだ見つかってはいないようですが、時間の問題でしょうね」
彼女の顔には、焦りが浮かんでいた。今日もまた捜索に出ようと玄関へ出ると、見覚えの無い封筒が落ちていた。
「まあ、まずはこれを確認しておきましょうか」
一度家の中へ戻って、封筒を開けた。中身は便箋と、それから液体の入った小瓶だ。文は、素早く便箋に目を通す。
「全く、対して重要でないことを延々と綴られるのは好きではないのですが……」
流し読んでいくと、最後の数行に目が留まった。
『良ければ使ってみるといい。あれを追う時には、役に立つはずだ』
「出来れば、人の手は借りたくないのですけど……まあ、折角ですから使わせていただきましょう」
鞄に小瓶を滑り込ませると、文は再び家を出た。
人間の多く暮らす集落。文は、一度情報を集めなおすことにした。行き交う人に声をかけ、聞き出せる限りの情報を集める。やはり目ぼしい情報が得られることはなかったが、その最中、
「あれは……河童でしょうか?」
一匹の河童が、人混みに紛れていた。どういう原理か、数個のドラム缶を軽々と背負って歩いている。
「……一体何に使うのでしょう、これは調べてみる価値がありそうです」
文は呟いて、こっそりとその後をつけていく。
「彼らの発明を侮っていましたね……見事に撒かれてしまうとは」
河童達の暮らす里へはどうにかたどり着けたが、情報なしに先程の河童を見つけるのは恐らく不可能だろうと文は判断した。
「とりあえず、適当に数人捕まえて聞いてみましょう」
彼女は辺りの河童に対し、先程同様に取材を行う。しかし、
「自分のしている事以外に興味はないのでしょうか、全く。私達には考えもつきません」
誰一人として、それの存在を知っている河童は見つからなかった。失意の中、文はこの日の捜索を切り上げた。
四
雨の音が、途絶えることなく文の耳を突く。更に数日が経ってなお、それの正体を記事には出来ていなかった。
「今日こそはと思っていたのですが……」
諦めきれず、傘を片手に取材へ出掛ける。
「雨のせいか、嫌に静かです。まるで何かの前触れのような……」
魔法の森の上空で待機している文の耳には、傘が雨を弾く音以外には何も入らない。普段から静かな森ではあるが、そのざわめきさえも聞こえなかったことは、大きな異変の前後くらいでしかない。と、その時。
「この音は…………!?」
遠くから、雀蜂の大群が押し寄せてくるような音が聞こえてきた。瞬く間に音は大きくなり、その正体が姿を現す。同時に、激しい風と轟音が文を襲う。傘は吹き飛び、彼女が耳を塞いで蹲っていると、それはたちまちのうちに飛び去っていく。
「今日こそは逃がしません!」
降りしきる雨の中、彼女はそれを追いかけて飛び始めた。
「やはり、どう足掻いても追いつけないのでしょうか……?」
既に見失いそうな程に小さく見えているそれを、もう逃がすまいと全力を出し続ける文。ふと、何かを思い出したような顔をすると、鞄から薬の小瓶を取り出した。
「魔理沙さん、いただきます」
彼女はその蓋を開け、中身を一息に飲み下す。そして、すぐにそれを追いかけていく。
「ようやく、追いつけそうです……」
やはり、文は全力で飛び続けていた。しかし、はるか遠くに見えていたそれはいつの間にか彼女の目の前にあった。魔理沙の薬の効果なのか、いつもより更に速さを増した文は、信じられない勢いでそれに接近していく。
「さあ、その正体、暴いて見せます!」
彼女は一瞬力を溜めて、一気にそれの前方へと躍り出る。振り返ってそれの正体を見た文は、自分の眼を疑わざるを得なかった。
「何で、こんな金属の塊が空を飛べているのでしょうか……?」
それは、鳥よりも遥かに大きな飛行機械だった。人間なら五、六人は乗れそうな大きさだ。操縦席には、河童が一頭。あの時、村で見つけた河童だろうか。
「やはり、あの河童でしたか……だとしても」
文は並んで飛びながら、飛行機械をまじまじと見つめる。左右に広げた金属製の翼と、それから後ろにも幾つかのさな翼を持ち、先頭には高速で回るプロペラがくっついている、不思議な形状だ。驚きで零した呟きも、風を切る音とプロペラの駆動音でたちまちかき消される。
「鳥の様に羽搏くわけでもなく、なぜあのような速さで飛べるのでしょうか?よくよく調べておきたいところですね」
置いて行かれない程度のスピードを保ったまま、文はカメラを構えて何度もシャッターを切る。大量の写真を鞄に収めようと手を伸ばしたとき、駆動音に混ざって甲高い金属音が響き渡った。彼女が振り返ると、目の前には外れたプロペラが飛んで来ていた。回避をする間もなく、その直撃を受けた文は、気を失って地上へと落下していく。
五
「うーん……あれ、ここは?」
「私の神社よ」
霊夢の家で寝かされていた文は目覚め、ゆっくり体を起こす。霊夢が、横で茶を啜っていた。
「早速で悪いけど、あれは何なの?」
霊夢は外を大幣で指し示す。その先には、破損した大きな翼が横たわっている。
「あんたが落ちてるのを見つけて、どうにかしようとしたら上からあれが落ちてきたんだけど……何か関係あるのかしら?」
文は、すぐ横に転がっていた鞄から手帳を取り出すと、挟んであった写真を取り出した。写真と神社の参道近くに横たわるそれを交互に眺める。
「霊夢さん、間違いなくこの間のあれですよ。この通り、写真も……あややや?」
力が抜けたのか布団に倒れ込む彼女を見て、霊夢は呆れた顔をした。
「雨の中をずっと飛んでたら、そうなって当然よね……全く。」
暫くの沈黙。雨が降る音だけが、静かに部屋に染みわたっていく。茫然とする文に、霊夢は言った。
「今日は、うちで休んでけば?新聞くらい、明日でも何とかなるでしょうし」
「迷惑ではありませんかね……?」
疲れの滲み出る声で返した文に対し、霊夢は独り言の様に続けた。
「迷惑なんかじゃないわよ……ただあんたが心配なだけ」
「おやおや、どうなさいました?」
紅潮した顔の霊夢を見て、文はおどけて返す。
「五月蠅い、病人はいいから寝てなさい」
霊夢は踵を返し、足早に部屋を出ていった。
「……全く、霊夢さんは。まあいいでしょう、今夜は休ませて頂きましょう」
文は布団の上で、身体の力を抜いて目を閉じた。雨の音は、次第に小さくなっていった。
六
「これがあの音の正体か!?で、こいつは一体どこにいるんだ?」
「残念ながら、写真を撮ってからすぐに壊れてしまったようです」
刷りたての新聞を持って、文は魔理沙の家を訪ねていた。代金を支払った魔理沙は、記事に目を通しながら言葉を続けた。
「そいつは残念だ、また誰か作ってくれないかな」
「あなたが作るという手もありますが?」
魔理沙は朗らかに笑うと、玄関に大切そうに立てかけてある箒を横目で眺めて言った。
「それでもいいんだが、私はあくまで魔法使いだ。私にはあれがあるしな、魔法使いがこんなもので飛んでたら失笑ものだぜ」
文は何か考え込んでいるようだったが、ふと何かを思い出したように口を開いた。
「魔理沙さん」
「ん、どうかしたか?」
にこやかな顔で、彼女は言う。
「この間は、ありがとうございました。あの薬、役立たせて頂きました」
「……まあ、褒められたもんでもないけどな」
「それでは、私はまだ配達がありますので」
照れる魔理沙を残して、文は大空へ飛んで行った。
「ほんとに褒められたもんじゃないぜ……あいつの本気、一度見てみたかったがなあ」
魔理沙は残念そうに呟いて家へ戻り、一滴たりとも減っていない鍋の薬に対面した。
「さて、私も本気で取り掛かるとするか。さっさと仕上げよう」
彼女の家の中からは、今日も何かを煮る音が聞こえてくる。
終
幻想郷最速の新聞記者、射命丸文。
彼女は今日も、記事を求めて幻想郷を飛び回っている。
やたらに謎が多くすっきりしない物語でしたが、記者視点とはそういうものなのかもしれません。
すこしダレてしまうかも