人里を歩いていた魔理沙は、通りがなにやら騒がしいことに気付いた。
見れば、里の子どもたちがヤジウマの輪を作っている。
ちょうど暇をしていたので、「面白そうだ」と騒ぎに首を突っ込んだ。
「騒がしいね。いったいなにをやっているんだ? ……って」
輪の中心を見るなり、顔を青くしてしまう。
年端もいかない少年ふたりが、取っ組み合いのケンカをしていたのだ。
お互いに引っかき合い、至るところ血をにじませながら、だ。
「おいおい……なにやってんだお前ら」
慌てて仲裁に入る。
ふたりを引きはがしながら「お前らも手伝え!」と子どもの輪に叫んだ。
10人近くの子どもたちは、渋々といった様子で仲裁に加わった。
おおよそ、ちょっとした見世物程度の感覚だったのだろう。
「お前らなあ……」
やっとの思いでふたりを離すと、小さくため息をついた。
「ケンカするにしたって、もうちょっと上品なケンカをしろよ」
暇をつぶすには、いささか過激すぎるのではなかろうか。
ふたりはどちらも体格が良くて、未だに獣のような唸り声を上げている。
「よう、お前からだ。なんでこんな派手をやらかしたんだ?」
どちらかといったらこっちの方が冷静。
適当な選び方をして、坊主頭に問いかける。
「俺は悪くない。アイツがいきなり変なことを訊いてきたから」
「変なこと?」
坊主頭のいう『アイツ』をちらりと見る。
男にしては長髪で、どことなく、軽薄そうな顔つきだ。
もっとも、今は顔を真っ赤っかにして、みっともないことこのうえない。
「変なことって、なんだい」
改めて、問いかける。
坊主頭は、すでに赤い顔を恥ずかしそうに俯かせると、ぼそりと呟いた。
「俺が、その、――――こと、あるかって」
◆
本日も、博麗神社は閑古鳥が鳴いていた。
境内への着地を滑らかにこなすと、ホウキを片手に、魔理沙は拝殿へと歩いていく。
博麗霊夢もまた、いつも通り、縁側でのほほんと太陽を浴びていた。
見上げれば、そろそろ南中が近い。
「巫女さまは光合成の途中かな?」
にわかに、声をかける魔理沙。
霊夢は縁側に両手をついたまま、首をだらしなく傾ける。
魔理沙の姿を確認すると、いかにも面倒くさそうに息をついて、笑った。
「ガリ勉の魔理沙とは違って、わたしはムズカシイ言葉が分からないの」
「そうかい。簡単に説明すると、二酸化炭素を吸い込んで酸素を吐き出す行為のことだぜ」
「やだ。死ぬじゃない」
「その代わり腹がいっぱいになる」
「……一考の余地があるわ」
霊夢が切羽詰っているのはいつものことである。
挨拶を省略した会話を交わしながら、霊夢の横に腰をかけた。
「そんな博識の魔理沙さんでも、なんだか不可解なはなしを聞いたんだ」
霊夢と同じように、両手をついて、体重を後ろに預ける。
視線が同じ高さになって、霊夢の薄ら笑いがよく見えた。
子供がワケの分からないことを言って、母親が「はいはいそうねー」と適当にあしらうときのような。
「……なんだよ、その胡散臭そうな笑いは」
「魔理沙のはなしは全部胡散臭いものとして聴いてるからね」
「あのなあ」
母性に満ち溢れた笑顔が気に喰わない。
文句を言っていても時間のムダなので、小さく咳払いして、本題へ入ることにした。
「ついさっきのはなしなんだが」
魔理沙は、先ほどのケンカ騒ぎについて霊夢に話した。
いつの間にか、霊夢の母性は苦笑に変わっている。
「血の気の多い子どもたちだなあ」
「なにをやらかすか分からないのが恐ろしいところだぜ」
で、その原因なんだが。魔理沙は続ける。
「……霊夢、『オナる』って知ってるか?」
「オナる?」
すぐに怪訝な顔をして、小首を傾げた。
答えがなくとも、霊夢が知らないことは明白だ。
やっぱり、と魔理沙は肩を落とす。
「その様子じゃ、魔理沙も知らないと」
「だから訊いたんだよ。霊夢なら知っているかもって、思って」
結果は今の通りである。歯痒い思いで唸り声を上げた。
「ざっと文献で調べてみたけど、どこにも載ってないし」
「造語なんじゃないの? 子どもたちの」
「うーん」
子どもたちの造語、という可能性は魔理沙も考えたものだ。
だから魔理沙は、くだんの坊主頭に意味を訊いたのだが。口を真一文字に結んで、黙りこくってしまった。
他の子どもたちにも問いかけてみたが、同様に。
「だーれも答えてくれないからさ。迷宮入りだよ」
「なにかの略語なんじゃない? 短くまとまってて、語呂もいいし」
霊夢の言葉に、なるほどと得心する。
子どもはしばしば、身内の間でしか通じないような略語を創るものだ。
そういう言葉遊びをしながら、里の子どもたちは言葉を学んでいく。
「にしても、略語ねえ。そうなるとオナがなにかの略なのか」
「オナ、オナ。うーん」
「オナ……お、おな、オナ・グローアー」
「誰よそれ」
自由な発想が重要なのだ。
路傍の石ころから宇宙のかなたまで、広い視野でものごとを見ろ。
魔理沙がいつも、心の片隅に留めている言葉である。
「月……キノコ……すっぽん……カメックス……うーん……うーん……」
混迷している。
「……子どもたちが知ってる言葉なんだからさ、もっと身近なものなんじゃない?」
「うう……そうかな」
「わたし、ひとつ思いついたのがあるんだけど」
人差し指を立てて、笑顔で言う霊夢。
お、魔理沙は口を三角にして、耳を霊夢に近づける。
誰も聞いていないというのに、霊夢は口に手を当てると、ひそひそ声で魔理沙に伝えた。
ぱちんと、大きく手をたたいた。
「それだ」
「でしょ?」
魔理沙と霊夢は、嬉々満面だ。
ノリノリのハイタッチまでして、謎が解けた喜びを分かち合う。
「なるほど。だから坊主頭は、あんなに怒ってたんだな」
「そんな、大したことじゃないと思うんだけどなあ」
「確かに。誰でもやることだぜ」
「というか、やらずにはいられないって感じ?」
「間違いない」
楽しい気持ちになりながら、ふたり並んで、ぼんやりと日向ぼっこをする。
いつだって、知識欲が満たされる瞬間はカイカンだ。
本を読んだり、実験をしたり。魔理沙にとっては日常的な瞬間だが、なんとなく、いつもより心が弾む。
きっと、誰かとカイカンを共有できたからなのかもしれない。
魔理沙がしみじみ思っていると、不意に、一陣の風が吹いた。
庭の草木が、ざわざわと音を立てている。
「風つよいな」
「中、入る? 久しぶりに」
「お、それ、いいな」
「紫が残してった高そうなお酒があるの。一緒に呑もうよ」
「……この真昼間からか?」
冗談、と霊夢は笑った。
呼応するように、風は更に強く吹きすさぶ。
庭の草木どころか、遠くに見える背の高い木までもが、風に身体を煽られていた。
「……強すぎだな」
「……強すぎね」
「さっきまで平和だったのに、いきなりなんだっていうんだ」
「ていうか、さ。なんか声が聞こえない?」
「ん……」
耳を澄ます。突風の轟音に埋め尽くされているが、確かに、霊夢の言う通りだ。
なにか、声が聞こえる。
雑音とかじゃなくて、言葉。だんだんと大きくなってきた。
いったいなんだこれは。魔理沙は首を傾げて、声がハッキリと聞こえるようになるまで、待つことにする。
数秒もしないうちに、声はハッキリ聞きとれるようになった。
同時に、声の主が物凄いスピードで神社に近づいていることにも気がついたのだが。
手遅れである。
「遊びに来ました―――――――――――ッッッ!! っほう!!」
流星のごとく接近してきた、山の神社の現人神。
東風谷早苗は、物凄いエネルギーの為すがままに、境内の地面へ、頭から突っ込んだのである。
◆
上半身が土に埋まった早苗を掘り返すのに小一時間かかった。
救出された早苗の第一声は、
「遊びに来ました!!」
霊夢の無慈悲なゲンコツがクリーンヒット。
「痛い!」
「痛いじゃないでしょ! 境内こんなにして、人んち遊びに行くなら迷惑かけちゃいけないってママに習わなかったの!?」
「ふええ……ごめんなさい……」
しょぼんと縮まって、反省する早苗。
なにかおかしいと魔理沙は思ったが、あえて口には出すまい。
説教もひと通りすんで、早苗もまた、ふたりに並んで縁側へ座った。
あれだけ大目玉を喰らってもなお、「あの状況で生きてたのはまさに奇跡ですね」などと、明るく笑っているあたり、図太いなあと魔理沙は思う。
「……ていうか、早苗」
「んー。……ぷは。なんですか?」
お茶を呑んでいる早苗に、魔理沙は頭をかきながら、言う。
「……その。お前が真ん中なんだな」
「? まんなかとは」
「並び順だよ。いきなり現れたと思ったら、わたしと霊夢の真ん中にちょこんと」
早苗はキョトンと魔理沙を見る。ああ、と内心面倒くさかった。
だからさ。分かるだろ? そういうメッセージを込めて、早苗をじっと見つめた。
早苗が何かを察して、口角をつり上げたのは、数秒後のことである。
「ははーん。なるほど」
「分かったか? 分かったら……判るな?」
霊夢は「なんのはなしをしているんだコイツら」といった顔をしている。
笑ったまま、早苗は「もちろんですとも」と口を開いた。
「このままみんなで横になれば、川の字になるね! ということでしょう!」
は?
「わたし、いつも守矢神社では川の字の真ん中なんですよー! この状況でそれを察するなんて、魔理沙さんはやっぱり洞察力に長けてますねっ」
「いや、あの、どうでもいいよ」
「でもでも、想像してみてください。わたしと諏訪子さまだと、わたしの方が身長高いんです。だから川の字になるはずなのに、なんかWifiのアンテナみたいな形になっちゃってー!!」
その後5分ほど早苗が延々と話していたものの、魔理沙がゲンナリした様子で聞き流していると、ふと早苗は暗い表情になった。
「……霊夢さんはうたた寝してるし、魔理沙さんは顔死んでるし、わたしのはなしはそんなにつまらないですか」
メンドクセー!!!!!!!!!!! と思う心を、ムリヤリ胸の奥に押し込む。
「い、いやなに。そんなことないぜ。なあ霊夢」
はなしを振った先には鼻提灯があった。
「……」
「霊夢は寝不足なんだよ。なあ霊夢! 起きろや!」
落ち込む早苗と寝ている霊夢。だんだんイヤになってきた。
取りあえず、やたら落ち込んでいる早苗を励ますところから始めることにする。
早苗も幻想郷に溶けこもうと、何かと努力しているのだろう。
結果、なんか変な方向に病んでしまった。そうに違いない。
ふと、魔理沙は、先ほどまでのはなしを思い出す。
そうだ、そのはなしで空気を元に戻そう。
霊夢を起こして、魔理沙は再び口を開いた。
「なあ、霊夢。さっきのはなし、面白かったよな」
「……さっきのはなし?」
「例の、人里の子どもたちの、アレだよ」
「ん……ああ。あれは、面白かったね」
霊夢が笑顔になる。きっと、知識欲の満たされたあの瞬間を思い出しているのだろう。
魔理沙も楽しくなって、ニコニコ笑っていると、早苗は不満げな顔をしていた。
「なんですか、それ。わたしにも教えてくださいよっ!」
しかし、さっきのような死んだ顔ではない。魔理沙は安心する。
「どうする、霊夢? 早苗に教えるか?」
「どうしようかしら、ね?」
「ふたりともイジワルしないでくださいよーっ」
「分かった分かった、冗談だよ」
「ねえ魔理沙、それなら早苗にも、あの質問すればいいんじゃない?」
名案だ。霊夢に笑い返して、タイミングを合わせる。
なんだなんだとキョロキョロする早苗へ、肩で呼吸を合わせて、同時に問いかけた。
「オナるって、どういう意味だと思う?」
◆
昼下がりの博麗神社には、魔法使いと巫女だけがいる。
先ほどまでいたはずの緑色は、文字通り、飛んで帰ってしまった。
その理由が、霊夢にも魔理沙にも分からない。
「……なんだ、早苗のヤツ。いきなり帰っちゃって」
「顔真っ赤っかになってたし。なんなのかしら」
「あの質問、した瞬間だったな」
早苗の狼狽え方は尋常ではなかった。
訊いた瞬間から、くっと血が昇るように顔が赤くなり、「わたしにはノーアイデア」と大声で叫びながら飛んで行ってしまったのだ。
霊夢とふたり、首を傾げる他ない。
「もしかしたら、坊主頭と同じなのかもしれないな」
「なにが?」
「早苗が真っ赤っかになった理由がさ」
「あー」
納得げに霊夢が頷いている。
今度改めて、早苗に訊いてみることにしよう。結局、理由はさっぱり分からないし。
「……本当、なんであんなになるんだろうな」
「ね。別に恥ずかしがることじゃないのに」
「外の世界では違うのかも。幻想郷じゃあみんなブーブーやってるし」
「でも、里の子どもも恥ずかしがってるんでしょ?」
「そうなんだよなあ。わからん」
そりゃあ、葬式とかでやったら怒られるけどさ。魔理沙は思う。
幻想郷では、その生理現象は一般的だ。
男も女も、恥ずかしがることはなく、「くせえなあ」とか、そういった具合にネタにするものなのだ。
「でも……」
霊夢が、吹き出しそうになりながら。
「さっきの早苗の慌て方は」
「ケッサクだったな」
続きを代弁すると、ふたりしてケタケタと笑った。
理由は分からずとも、まあどうでもいいか。笑っている瞬間は幸せだ。特に、霊夢と一緒ならば。
どちらにしろ早苗さん!そこは逃げるところで無いよ。
「霊夢さんと魔理沙さんにはまだ早いかも知れませんけど、寡聞ながら私早苗が・・・」
とか訳知り顔で講釈しつつ二人が羞恥に顔を染めていくのをニヨニヨしながら楽しむチャンスでしょ!
いいゾ〜これ
アルファベットの七文字目に行為を付けて読めb(ファイナルムソーテンセー
略して
厳粛な場なのに急にもよおしてきたり、音を出さないようにしたつもりなのにプゥとやってしまったり
…え、違う?
もし霖之助さんが二人から言葉の意味を聞かれたらどんな反応をするのか、ちょっと気になります(笑)
しかし、子供が知っていて霊夢たちが知らんと言うのもなんだか妙な話だ。
二人が勘違いを正すのは一体いつになるだろうね。