※この話は『茨歌仙脇道』というシリーズの六作目です。
単独でも問題なく読めますが、今話は作品集188『茨歌仙脇道 -川の真実-』、作品集190『茨歌仙脇道 -猫を噛む鼠-』と直接話が繋がっているので、そちらを読んでいますと楽しみが八割七部四厘増すかもしれません。
では、本編をお楽しみください。
◆
「――で? うちに忍び込んだってことは、何か目的があるんでしょう? その目的とやらを教えてもらいましょうか」
「…………」
「……ふうん、答える気はないのね」
夜の守矢神社。
二人の人影が相対していた。一方の影は微動だに動かない。
窓から、いまは痩せ細っているが、これから丸くなろうとするだろう三日月の光が差し込んできて、その場をある程度、照らし出した。
一方は、守矢神社の土着神、洩矢諏訪子だった。
もう一方は、月明かりが当たる場所におらず、影に覆われている。
「どうも貴方は『心此処に非ず』って感じだけど……もしかして何か別の事を気にしてるのかしら?」
「…………」
意地悪そうに笑う諏訪子。対して“彼女”は沈黙を貫いている。
「もしかして……“あれ”、貴方の仕業だったりするの?」
「いえ」“彼女”はようやく口を開いて言う。「私は決して悪事など……今だって別に金品目的ではありません」
「答えになって無いんだけど……」諏訪子は“彼女”に背を向けて月を見つめる。「白々しいなぁ。あくまでもシラを切るつもりね」
“彼女”は手を床につき俯いている。先ほどから――忍び込んでいるのが諏訪子に露見した時から、ずっとそうしている。
「まあ私としては、これから徹底的に殲滅的に貴方を祟るのも、吝かじゃないんだけど?」
「……そう」“彼女”は未だに俯いている。「痛いのはいいけれど、痛ましいのは勘弁して欲しいところです」
「ふん、守矢神社(うち)に侵入した時点で、その希望は絶たれている。ここをどこだと思っている?」
「……ふふ」“彼女”は笑う。「祟り神の独壇場か」
「よく判ってるじゃない。貴方、案外浅はかなのね」
「……まあ、それとも」“彼女”は一言こう続けた。「貴方の遊び場、か」
諏訪子は振り返る――
「ああ……逃がしたか」諏訪子は溜め息を吐いた。「……まあ、盗られなかっただけ良しとするか。……私も甘くなったなぁ。でも、どうやって天狗の目をかいくぐって来たのかしら――どうやってかいくぐるつもりなのかしら」
諏訪子の視界には、その姿は、既に一寸もなかった。
「うーん……ちょっと探ったほうがいいのかなぁ……」
諏訪子は帽子を取り、面倒くさそうに頭を掻いた。
◇
「諏訪子様の様子がおかしかったんです」
東風谷早苗は博麗神社に来るなり、そんなことを私たち三人に言ってきた。
早苗が来るまで、私は博麗霊夢と霧雨魔理沙と茶を啜りながら、話をしていた。
それは言ってしまえば談笑の部類に入るので、特に回想するまでもないけれど、何の話をしていたかと言えば、『最近山で、妖怪化する動物が増えている』ということだった。自然に成るならば、別に問題は無いのだけれど……その現象は、どうやら禁忌のモノ――人間の血によって引き起こされているらしいのだ。先日の『伸上り』、昨日の『旧鼠』などもその例の一つ。
私にとっては一大事だし、山の妖怪にとっても守矢神社にとっても大きな問題である。ゆえにそれぞれの勢力で、目下その原因を捜索中だが――あまり芳しい結果を得られていない。
とまあ、私のような『妖怪の山に住まう者』にとっては、大問題かつ大事件かつ大騒動であるのだけれど――今ここで話をしていた二人の異変解決屋にとっては、せいぜい話のタネ、もしくはネタ程度にしかならなかったようで、だから『談笑』になってしまっていた。
もうちょっと、こう……興味を持ってくれないかしら……いや、興味はあるのだろうけれど、如何せん、なんだか真剣味が無いと言うか……。まあ、いつもの事だし、この二人にそんなものを求めた私が悪いのかもしれない。二人は山の住人ではないし。
「いつもおかしいだろ」魔理沙の声。「それとも何か? あれが更にヘンテコになったってのか?」
「な、なんてこと言うんですか!」早苗は少し声を荒げる。「諏訪子様はいつも平常運航ですよ!」
「それ聞くと、『いつも変』って言っているみたいね」
霊夢はそう言って、中に入って行った。早苗にお茶を出すのだろう。なんと驚くべきことに、今日の霊夢は誰に言われるでもなくお茶を差し出しているのだ。昨日はあんなことを言っていたのに、今日は気分が良いらしい。
しかし、早苗に話を出されて、すぐに喰らい付くとは……どうやらさっきまでの話には実は興味の欠片もなかったらしい。自分たちも少しは関わっているのに。口惜しい――
「って、洩矢諏訪子!?」思わず大声を出してしまう私。
「え……、ええ。そうですが」私の驚嘆に、早苗は引き気味になる。
「どうしたんだ、そんな大きな声で……仙人らしくない」魔理沙が茶々を入れる。「また何か里で良いもんでも食ってきたのか?」
「あ……いえ、取り乱してしまって」片手で口を押さえつつ。
人里ね――訪れなくなって久しい。それは主に、この魔理沙と、あの小さな百鬼夜行に原因があるのだけれど……。ああ、あのお団子が懐かしい……。何とかして、再び里に安全に這入れるようにならないかしら……。
って、違う、違う。今は早苗の話に集中しなければ。いけないいけない。
あの諏訪の土着神が、今、このタイミングで『おかしい』とあれば。
「……それって、やっぱり『例の件』かしら? 動物妖怪化の」
「えっと……」早苗は少し戸惑っている様子だ。「よく分からないんです」
「……というと?」
「いえ、確かに守矢神社(うち)は最近、その件で忙しいですけど、実際指揮を執っているのは神奈子様なんです。ですから、その件と諏訪子様はあまり関係ないと思います。むしろ、関係ない筈なのに『おかしい』のが、この上なくおかしい」
「…………」
……確かに、そうかもしれない。
私が彼女――洩矢諏訪子と初めて顔を合わせたのは、例の『河童ダム湖計画』の時だった。その時の彼女は、まさに飄々を絵に描いたように、のらりくらりと私の詰問をかわしていた。はぐらかしていた。誤魔化していた。本人にその意思があったのか、それとも無意識の行動だったのかは判らないけれど……。
早苗の言う『おかしい』がどんなものなのかは分からない。が、納得の出来ない話でもなかった。
と、ここで霊夢が湯呑を持って戻って来た。
「諏訪子がどんなふうに『おかしい』って言うの? ――はい、お茶」
「あ、ありがとうございます――至極簡単に、簡潔に言いますと、何かを警戒しているようなのです」
「え? あの呑気を体現したような奴が?」
「…………」
霊夢はもう少し神を敬ったらどうだろう。
それとも、敬っていてこうなのかしら?
「……それも、常識であり得る程度ではありません。尋常ではないのです。――今日、私が後ろからお声を掛けようとしたら、あわや首を刈られるところでした」
「人間版ろくろ首の完成だな」
「…………」
……魔理沙は人としての倫理観が少しずれている気がする。
「それで、今日も出かけられてしまいました。諏訪子様は普段インドア派なのに、です」
「散歩じゃないの?」霊夢がお茶を啜る。
「インドア派なんですって。散歩すら滅多にしないほどの」
……確かに、『おかしい』。
首を刈ろうとするとは、さすがは祟り神……まあ、日本の神様は基本祟ると言うけれど。基本神仏のあれこれには疎い私だが、それくらいは知っている。
後ろから声を掛けられるということは、イコールで背後に誰かがいるということだから……。つまり、早苗が言っている『おかしい』というのは『神経質になりすぎている』ということだろう。『何かを警戒している』とは、言い得て妙。
ふむ……。
「で、だから何だって言うんだ? 私達にどうしろと?」
「あ、いえ、その……」早苗は目を泳がせる。
「ん、何? 何か疾しいことでもあるの?」霊夢はこういうことに関しても目敏い。
「その、何と言いますか……」早苗は言葉を選ぶようにして言った。「誰かに聞いて欲しかっただけです……はい」
「つまり、愚痴りたかっただけね?」
霊夢は目を妖しく光らせ、立ち上がって早苗に詰め寄る。
「まあ、端的に言えば……」
「ふうん。じゃあ、相談料……頂こうかしら。――ああ、お賽銭じゃなくても良いのよ。それなりの献身を――」
ごん、と。
ここで鈍い音と共に霊夢の言葉が切れた。
私が一発活を入れたのだ。ガツンと。
「痛い……何するのよ!」キッ、と私を睨む霊夢。
「やりすぎよ」
「こういうときばっかり仙人ぶらないでよ!」
む、いつもは仙人らしく見えていないのかしら……?
だとすれば気をつけなければ……。
「ま、まあ」魔理沙が仲介に入る。「話のネタくらいにはなりそうだから、別に良いんじゃないか? な?」
「むう……しょうがないわね」
霊夢は諦めたように座りなおし、鳥居の方、すなわち早苗のいる場所の向こう側に目を向けた。
「ん? ……何かこっちに来るわ」
「参拝客ですか!?」早苗がこの世の終わりみたいな勢いで言って振り返った。
「何よ、その言い草は」霊夢は少し早苗を見て、また視線を戻す。「……多分、違うわ。だって、飛んでくるんだもん。里の人間は、空を飛べないでしょ」
霊夢がそう言うと、魔理沙もそちらを向く。
「あれ、本当だな。鳥居側から誰かが飛んで来るなんて珍しいぜ」
「そうだったかしら?」と霊夢。
「そうだぜ。だって大体の奴は……律儀にも歩いてくるか、失礼にもいつの間にかいるじゃないか」
紫も、文も、萃香も、そこにいる仙人もな、と魔理沙は言った。
私はただ単に気付かれないように来ているだけなのだけれど……。
……というか、魔理沙自身、飛んでくるのが普通ではなかったかしら?
「あれ、あれって……」早苗がきょとんとする。
「ああ、何だ、あいつらか」魔理沙は面白くもなさそうに言った。「一緒に居るのを見るのは珍しいな」
「そうだっけ?」霊夢が言う。「まあ、確かに見ない組み合わせね」
私も、そちらの方に目を凝らしてみる。
するともう、すぐそこには。
「はぁい、ごきげんよう」
「こんにちは、みなさん」
仙人、霍青娥と豊聡耳神子が飛来してきていた。
◇
「で? うちに何の用があるわけ?」
「ご挨拶ねぇ。……用事が無いと来ちゃいけないのかしら?」
「……そもそも神社ってそういう場所なのでは?」
「いや、ここに来たのはただの寄り道さ。深い意味は無いよ」
青娥と神子はのんびりまったりした雰囲気で、既にメンツの中に馴染んでいた。私達同様にお茶をちゃっかり頂いていることからも、それが判る。まあ、霊夢がまるで強制するかのように渡した結果だが……。
駄目だ、適応力が高すぎる。さすがは……あれ、そういえばこの二人は一体どれくらい寿命を伸ばしているのかしら?
神子は最近復活したばかりだから、まだそんなに寿命を伸ばしているわけではないだろう――青娥は、失念していたが、小町が言うところの『恐ろしい者』である“水鬼鬼神長”から逃げて果せているのだから、相当の年数を、場数を踏んで来ているであろうことは容易に想像できる。
「はぁー、疲れたわ」青娥が大きな溜め息を吐く。
「何だ、仙人(おまえ)でも疲れは溜まるのか」魔理沙がどうでも良さそうに言う。「てっきり無尽蔵かと思ってたぜ」
「やあねぇ」青娥は片目を閉じて言う。「別に溜まりはしないわよ――ただ、すぐに回復しないだけでね」
「それを『疲れが溜まる』って言うんじゃないのか?」
「そうとも言うわね」
「そうとしか言わねえよ」
「そうかしら」
そう言って軽くウィンクする彼女の様子は、まるっきり『厄介』とか『邪悪』といった言葉からは縁遠いように感じる。
「何の寄り道なの?」霊夢が神子にやるせなく訊く。
「いやね、最近里で空き巣が起こっていると聞いてね――直接的にではないにせよ、私も『そういうもの』を解き放ってしまったことがあったし、事情聴取の真似事をしていた。が、時既に遅し。というか、間に合っている、と言った方が正しいか。もう事件は解決されていた」
「それって」私が口を挟む。「猫がどうたらって話ですか?」
「そうそう――解決には、魔理沙が一枚噛んでいるとは聞きました。あと、山の化猫」
「私か?」魔理沙がこっちへ振り向く。
「そうそう」
そんな風に頷く神子の顔に、偽りの色は無い――どうやら、私もその件に噛んでいることはバレていないようだ。
まあバレたから特に困るということではないけれど……一応、一応の用心だ。
と、ここで神子がこちらを見る。
「で、その人里からこっちに来る途中で聞いたのけれど……山が凄い事になっているらしいね」
「は、はあ。まあ」
「そうなんですよー。お陰でうちも大変で――」
と、早苗が話し始めたのだが、ここで青娥もこっちに振り向き、今日初めて私と目を合わせる。
「――おっと、あらあら、同業の方じゃない」
え、今まで気付かなかったの……?
そんなに存在感を出していなかったかしら。
「お久しぶりね」
「……お久しぶりです」少し警戒しながら、私は慎重に、しかし冗談っぽく言う。「また誰かに追われていたのですか?」
「え?」しかしこの質問は予想していなかったようで、青娥は途端にきょとんとした顔になったが、すぐ元の表情に戻る。「……ああ――そうよ。全く、“少しだけ”困ったわ」
青娥は『少しだけ』を強調して言った。
なんとまあ、また危険な目に遭っていたのか。
まあ、恐らくは地獄の使者だろう。本来はそんなに軽いものではないはずだが。
「――ああ、貴方を見て思い出したわ」
「……?」
青娥が唐突に言った。
隣の神子は首を傾げている。
「何、どうかしたの?」霊夢が気だるそうに訊く。
「ちょっと皆さん方に、訊いてみたいことがあって――ちょっとした心理テストよ、時間は取らないわ」
「時間なら腐るほどあるから別に良いんだがな」
「時間は腐りませんよ、魔理沙さん」
「違うぜ早苗、腐るのは時間じゃない。食べ物が腐るくらいの時間が有り余ってるってことだよ」
「……だからたまに、うちに食べ物をたかりに来るんですね……」
「いやあ、魔法の研究に没頭すると、いけないぜ。時間なんか多すぎて忘れちまう」
「うちにたかりに来るのは、お門違いよ」
「だから、茶しか飲んでないだろう?」
「もう既に茶をたかってるじゃない!」
バレたか、と魔理沙は茶目っ気満載に笑う。
なんという天性の泥棒癖か。こういうのを“魔性”と人は呼ぶのだろうか。さすがは職業、魔法使い。
……というか、霊夢は自分からお茶を出したんじゃなかったっけ?
「腐る……腐るねぇ――」
青娥が小さく呟く。他の三人には聞こえなかっただろう程の小さな声で。
さすがに耳の良い神子には聞こえただろうが、特に反応はない。
「まあ、腐るほどの時間があるにせよ、時間は取らせないわ」
「この問答が長すぎよ」霊夢がぴしゃりと言う。「早くその質問とやらをして頂戴」
「そうねぇ……」
青娥は順番に霊夢、魔理沙、早苗を見て、そして私を見てから言った。
「とても危ないところに、自分の宝物を落としてしまったら、貴方はそれを拾いに行く?」
「…………」
……?
どういう意味だろう。
「あ、もしかして青娥――」神子が何か言いかけるが。
「太子様――ご心配は無用ですわ」と青娥が即座に遮った。「ここでバラしてしまっては、心理ゲームになりませんわ――この三人の性格はよく分かっておいででしょう?」
「……そうだね。まあ良いでしょう」
何かを納得したのか、神子はそれ以上は言わなかった。
「私だったらな」魔理沙は何の躊躇いもなく、口を開いた。「もちろん、何が何でも拾いに、奪還しに行くぜ。そこがどんなに危険でも、その宝物は、宝物なわけだろう? だったら、無論だ。理屈がどうこうの話じゃないぜ」
「……ほうほう」青娥はうんうんと頷いている。
「まあ、私は宝物を滅多に外に出したりしない――というか出せないから、起こり得ない喩え話だけどな」
魔理沙らしい、と言えば魔理沙らしいだろうか。
理屈を無視して力押しのゴリ押し、みたいな。
「……私なら、一人では心細いですので、誰かについて来てもらうかもしれません」と早苗。「自分の腕に自信が無いわけではないですが、まだまだ未熟だと思っています。そして、信用に足る――とは言い難いですが、少なくとも頼りになるような人を知っているので」
そう言いながら、霊夢と魔理沙をちらりと見遣る早苗。
「私達が信用ならないとは、薄情な奴だな」
「いや、神奈子とか諏訪子の事かもしれないじゃない」
「あ、そうか。なるほどな」言いながらポン、と手槌を打つ魔理沙。
「掛け値なく貴方達お二人の事ですよ! 頼りにはしているんですからね!」
……早苗もなかなか矛盾したことを言うのね……。
「信用に足らない癖に頼るって――」
私が言おうとすると、
「はい、参考になるわ。では、霊夢はどうかしら?」
と、青娥が遮った。
この人、わざとやっているのだろうか。
神子も黙ってないで何か言ってはくれないのか。
「そうねえ」霊夢は少し考えるポーズをとってから、言う。「多分、取りに行かないわ。自らの危険を冒してまで取りに行くような物が、私には――わからないから」
「成程」頷く青娥。
「まあ、私にとって危険な場所なんて、障害にもならないけど。むしろハンデみたいなものね」
……さすが博麗の巫女。と言うよりかは、さすが博麗霊夢、か。
博麗霊夢、此処に在り。向かう処敵なし、といった感じ。
「って言うかさ」霊夢が続けざまに言う。「これ、心理テストでも何でもないでしょ?」
「…………」
青娥は何も言わない。ただ霊夢を見つめている。
「まあ、私の予測だけど、多分、あんた自身が『危険な場所に宝物を落としてしまった』んじゃないの?」
「…………」
「ん? そうなのか?」魔理沙も口を出す。「そうならそうと言ってくれよな」
「え、何ですか、どういうことですか?」早苗は話について行けていないらしい。
「そ、それって――」
しかし、霊夢の言葉が真実なら、この同業者は『危ないところに宝物を落とした』ことになる。仙人に物質的な“宝物”があるのもなかなかおかしな話だけれど、水鬼鬼神長から逃げ遂せ、かつ余裕の表情まで見せた彼女に“危険な場所”があるというのは、それを越える意外さだ。
……一体、どこに、何を落としたというのだろうか。
と、突然。
「……ふ、ふふ……」
笑い出したのは――神子だった。私を含めた四人は、それに少しぎょっとする。
隣の青娥はすまし顔。
「いや、失礼。はは――こうも簡単に見破られてしまうとはね。いやはや、気づかないだろうと、私は踏んでいたのだが――さすがは霊夢、か」
神子は片手で腹を抱えながら言う。何がそんなに面白かったのだろう。
「え? いやいや華扇殿。私が十の欲に作用し、過去現在未来が手に取るように分かることをお忘れでしょうか?」
「……心の内を読まれるのはあまり好みませんが」
それにしたって大層な物言いだろう。
「失敬。いえ、なので予想外の結果に吹き出してしまったという次第ですよ」
「はあ……成程」私はその懇切丁寧な説明に納得する。「それで、見破られた、というのは……?」
「ああ、それでしたね――青娥、もういいだろう?」
神子は青娥に向きそう言うと。
「ええ、そうですわね――」青娥が返答し、私たち四人の方へこう言い放った。「そう、そうよ。霊夢の言う通り。ちょっと危ないところに、私の大事な――そう、“宝物”を置いてきちゃったの」
「…………」
なんと、本当だったのか。
意外や意外。
「でも、なんでこんな回りくどいことしたんだ? さっきも言ったが、だったらだったで早くそう言えばいいじゃないか。助けを求めてるんだろ?」
「まあ実は、私たちが里を訪ねたのはそれ関連の目的もあってね……」神子が言う。「粗相をしたのは青娥だが――十分に反省しているようだし、協力はしてやろうと」
「…………?」
粗相……?
話が見えない。
「詰まる所、言い出しづらいところがあり、それに――」
「ああ、成程」早苗がぽん、と手槌を打つ。「直接言ったら皆さん面倒臭がって答えないと考えたわけですね」
「ご明察」
神子はそう言って首肯する。
成程、なかなかこの二人の扱いを心得ているようだ。魔理沙や早苗はともかく、霊夢は「協力してやってもいいけど参拝していけ」とか言いそうだし。……いえ、ただ単にこの二人が『人間の扱い方』に長けているということかしら……。
神子にしても、青娥にしても。
「そこで、なんだけど」青娥が急に私の方を向く。「みんなの意見を聞いて、妙案を思い付きましたわ」
「……へえ、何ですか?」
恐る恐る問うてみる。
嫌な予感がする……。
「同業のよしみで、一つ頼まれて頂けないかしら?」
◇
というわけで、妖怪の山。
彼女が危険と見なしているのが、此処だとは……全くの予想外。
考えてみれば“妖怪の山”、しかしこの名称は“すべての妖怪”に当てはまるわけではない。自分のよく知る土地だということに加え、霊夢や魔理沙やその他一部の人間が此処に入ることに全く躊躇しないから忘れがちだけれど、幻想郷でこの場所以上に人為(妖怪だが)で排他的な地域は無い。
天狗や河童の自治区のようなものなのだ。換言すれば、砦。
だからこそ古い文化が残留していたり、特殊な技術が発達していたりするのだが。
例外的に――外から来た守矢神社は何とか受け入れられたけれど、それにしたって結構な騒ぎがあったもの。
そんなわけで、ここは幻想郷でも有数の危険地帯なのだった。
「だからって、他力本願なんて……」
酷過ぎる。
まあしかし、人の頼みを無下にするわけにもいかない。
あの場の者では、山の住人は私と早苗くらいしかいなかったし、しかも早苗は本人が言っていた通り、少し心細い。つまり、私くらいしかこの依頼は受けられなかったわけだ。
それにこれは、青娥だけでなく、神子からの依頼でもある――。
「いや、どうやらどうも、山で盗みを働いたようなんだ」神子は呆れたように言った。「昔からのこの人の『癖』ではあるけれど、山の河童に手を出してしまうのは良くない」
粗相とは、例の『水鬼鬼神長』のときの、青娥の泥棒稼業を指していたらしかった。
「まあお陰で、厄介なのに目をつけられるわ、『あの子』を置いてきてしまうわで――そう、良くなかったわね」
青娥は含みのある言い方をした。わざとらしくも。
「あれ、河童たちが以前愚痴っていたのって、貴方の仕業だったんですか」早苗が言う。「成程――では、諏訪子様はそれを警戒していたのでしょうか……?」
「…………」
……つまり諏訪子は河童の被害の噂を何かしらで耳にして、それを警戒しているのではないかということか、と私は考えた。
早苗の言い分はもっともだったが、それだけであからさまにあの洩矢諏訪子が警戒するとも思えなかったが……。
「ともあれ、私たちは出来るだけあの近辺には近寄りたくはない――だから霊夢か魔理沙でも探していたのだが、それが山在住の貴方であるならば心強い。……どうか、引き受けてくれないだろうか?」
青娥はともかく、神子にあそこまで頼られてしまっては――受けないわけにはいかなかった。
それに、私の性分がそういう傾向にあるのだから仕方がない。……仙人が仙人に頼みごとなんて、なかなか珍妙だったし。
と、回想しつつ、道なき妖怪の山の道の歩みを進めること数十分。
目的地に着いた。
「…………」
玄武の沢から、少し離れた場所。
そこに――方術で隠されたそこに、“それ”は横たわっていた。
「……“貴方”が彼女の宝物なのね」
そこには一つの『死体』が、眠っていた。
キョンシー。
大陸の怪異。僵尸(きょうし)とも言う。正しく埋葬されなかった死体や、怨みを残して死んだ者の死体が動きだして、成る。死体であるのに腐敗せず、生前と姿が変わらないという。性格は凶暴で、血に飢えた人食い妖怪である。
しかしこのキョンシー――宮古芳香は、霍青娥本人によりその死体をキョンシー化させられて、使役されている。それ故なのかどうなのか、彼女に食われたところで、『一時的に』キョンシー化するだけらしい。
これが、霍青娥の『宝物』か。
仙人の――宝物、か。
「さて、と――」
要するに私はこの娘を拾い上げて、青娥の元へ届ければいいらしい。というか、三人の意見を一つも反映していない案だった。他人に行かせるなんて……。『悪』とまで言わないけれど、なかなか強(したた)かなお人だ。
はあ……。
さあ、早いところ用を済ませよう。
私は彼女の顔を覗き見てみた。おや、割と血色が良いのね……。
額には何やら見たことの無い文字が書かれた符が貼り付けられており、その表情は死んでいるかのように穏やかだ。って、本当に死んでいるのか。
というか――ずっとさっきから気になっていたけれど、『ミヤコヨシカ』って名前、どこかで聞いたような……。ううん、気の所為かしら?
まあそれは置いておいて――試しに少し芳香の腕を上げてみるか。
と思ったが、肩の関節しか曲がらず、肘の関節は伸びっぱなしだ。しかもその肩の関節も一定の角度までしか曲がらない。どうやら曲がる関節と曲がらない関節があり、その曲がり具合も様々らしい。……背負うか。この死体を運ぶにはそれしかなさそうだ。
私は芳香の両手首を両手でそれぞれ持って、一本背負いのようにして背負い込んだ。
すると途端に、何か胸のあたりに冷たい感触が。
「ん……」
見ようとすると――
「あらら、奇遇ね」
その時背後から、声が聞こえた。その声は、すぐ後ろから聞こえるというわけではないから、芳香の物ではないと判断できる。それより、もう少し背後からの声。
私は咄嗟に振り向く。
「あ、貴方は――」
「お久しぶり、とでも言った方が良いかしら? 仙人さん」
飄々とした、その態度。目玉をギョロつかせた、独特の帽子。
間違いなく、洩矢諏訪子だった。
「ど、どうして、ここに?」
「いやいや、私はこの山住まいなんだから、当たり前でしょう? それともまだ憶えられていないのかしら? そりゃ割と新参者だけどさ」
「いえ、そうではなくて――」
「それよりね、訊きたいことがあるのよ」
諏訪子が接近してくる。
そして、私の顔を至近から覗きこんできた。近すぎると言っていいほどに。
「その、背中に背負ってるの、一体何かしら?」
「……え」
背負っているものと言えば――芳香だけれど。
「キョンシー、ですけど」
「へえ……。そりゃ珍しい物を見たわ」
……まただ、話を、はぐらかしてくる。
「……はっきり言ったらどうです?」
「……何の話?」
「早苗から話は聞きました……何だか今日の貴方、挙動が奇妙なようですね。普段は外を出歩かないのに、今みたいに外出していたり」
「……ああ、そっか早苗、今日は麓の神社に行くって言ってたんだっけ」諏訪子が独り言つ。「とはいえまあ、部外者に話して損する話でもないし……いえ、貴方はそこまで部外者では無かったわね」
「…………」
一体何だって言うのか。全然読めない。
そう、喩えるなら。
八雲紫や霍青娥を相手にしているときと、似た感覚。得体の知れない感じだ。でもそれは、あくまで似ているだけであって、同じではない。
日本の神全般がこうなのかは判らないが……内に宿した『何か』をひしひしと感じる。
「じゃあ、単刀直入に訊きましょう。貴方、“あの仙人”に加担してるんじゃないの?」
「…………!」
どうやら、早苗の推測は正しかったらしい――。
しかし、『加担』……? 何のことだろうか。
「えっと」私は問うてみる。「どういうことですか?」
「いや、そのキョンシーとやらから、“あの仙人”の力を感じるのよ。そして、貴方は今、それを背負っている。……当然の帰結じゃないかしら?」
「…………」
まあ、青娥の事だろう。芳香は神子のものではないし。そして早苗の推測では、諏訪子は明らかに青娥に対して敵意を持っている。で、青娥が何かを企んでいるらしく、私はその仲間と見なされたわけだ。……いやいや。
「あの、すみませんが、何なのですか……?」
「何が違うって言うの? 現に貴方は、“あの仙人”の部下を担いでいるじゃない」
それはその通りなのだけれど。
「その“仙人”って、霍青娥さんの事ですよね?」
「ふうん……あいつ、そういう名前なのね。しかし仙人同士で共謀とは、世も末になったもんね」
全く話が見えない。今日はこんなことばっかりか。
知らないところで勝手に話が進んでいて、過程をすっ飛ばされて結果を見ているような。
「青娥さんが何か企んでいるって仰るんですか?」
「あれえ? あんた、本当に何も知らないの?」
諏訪子が意外そうに目を見開く。
「いやあ、貴方だって、例の『妖怪化』の件、知っているでしょう? 私達はそれで困っているものね。そしてそれは、人間の血による物」
「……何が言いたいんですか?」
「それが、霍青娥の仕業だってことよ。故意なのか、そうじゃないのかは判らないけど」
「そんな、どうやって」
「どうやってって……今まさに、貴方が背負っているもので、よ」
そう言われて、私は芳香の顔を見遣る。
非常に安らかな顔で、吐血していた。
先ほど私の胸元に掛かったのは、どうやら血のようだった。
◇
私は諏訪子から彼女の推察を聞き、その上で山の動物の為の適切な策を練った。
そして、その“原因”であるところの芳香を山から出すことも、その一環となった。
舞い戻って、博麗神社。すでに日が傾き、空が赤に染まっていた。
早苗はもう帰ったらしい、すれ違ったか。霊夢と魔理沙と神子、それと青娥がいた。
……それにしても、重い。芳香が。
「まあ!」
私の姿――ではなく、多分芳香の姿を見て、青娥はぱあっと顔を輝かせた。
「……頼み通り、拾ってきました、『宝物』」
「ありがとうございます~」
「何だ、律儀な奴だな」
「全くね。私は仙人にはなれそうにないわ。なる気なんて無いけど」
私は、芳香を青娥に手渡した(とてもそんな大きさではないけれど)。
「ああ、芳香。無事でよかった!」
こんな彼女の姿を、今までは『無邪気』と感じていたけれど――諏訪子の話が真実なら、もうそんな風に思えない。
少なくとも、『宝物』を道具として使う彼女は――『無邪気』を通り越して『邪悪』に思えた。
「……青娥さん。盛りあがっているところ悪いのですが、少しよろしいですか?」
「ええと、太子様。よろしいでしょうか?」青娥は神子に振り向き、確認を取る。
「ん……まあ、少しなら良いだろう。ただ――」
「時間が迫っているから手早く、ですわね」
「ああ」
「…………」
「では、行きましょう」
私は青娥と二人で、他の三人に話が聞こえないような場所に連れ出した。
まあ聞き耳を立てるようなことはまずしないだろうが、念の為、ということだ。これだけ離れれば神子も察して『能力』を制御してくれるだろうし。
「さ、何でもおっしゃって?」
青娥は無邪気に微笑んで、芳香を横たわらせた。
芳香は……まあ、いいか。
「では……
守矢神社に窃盗に入った、というのは本当ですか?」
一瞬で一瞬、場の空気が固まる。
そして次の一瞬で、青娥は答えた。
「ええ、そうよ」
「…………」
諏訪子から聞いたのは、青娥が昨夜、守矢神社にある何かを狙い、忍び込んだ、ということだった。
つまり――ここから先は、未知の領域。
私が――問い詰めなければならない。
「まさか――金目の物目当てでは、ないでしょうね」
「……もちろん。いやだわ、仙人が俗物に手を出す事など、あり得ません」
それに関しては全面的に同意するが。
「――さて、どこから話したものやら」青娥は少し思案するようにした。「まず、貴方からの質問、これはイエスです」
「……一体、何の為に?」
「芳香の為に」
「…………どういうこと? それじゃ、おかしい。だって、貴方は彼女を“囮”に使って――」
「何か勘違いしているようね――
以前、私が厄介な“地獄の使者”に襲われた事があったでしょう?
私がその時何をしていたか、憶えてる?
河童の家を漁っていたの。
その時――知ったわ。
守矢神社には、“翡翠”があると。それもかの有名な厭い川の翡翠。
翡翠については、ご存知かしら?」
「…………」
……翡翠とは、不老不死や生命の再生をもたらすと言われている宝玉、だったか。
魔理沙が聞いたら興味を持ちそうな一品だ。
「端的に言って、不老不死、ですね」
「ええ不老不死――正確には、私が欲しいのは『生命の再生』だったんだけど」
「……それって」
「そう、芳香の為よ」
儚げに微笑む青娥。
判らない。本当の事を言っているのか、出まかせを言っているのか、判らない。
神子は黙っている。
「でも」私は言う。「貴方ならば、そんな事をする必要は、わざわざ翡翠を使わずとも――」
「いやねぇ、私にそんな力は無いわ」
青娥はそう言って妖しく笑う。
――それは流石に、信じ難い。
「話を元に戻しましょうか――
そう、私は芳香を囮に使ったわ。
でも、こんな大事になるとは、思ってもみなかった」
芳香の血。それが『妖怪化』の要因だった。いや、キョンシーは本来血を抜かれている筈なので、青娥が何かの血を詰め込んだに違いない。となると、「芳香の血」と言うのは語弊があるけれど。
何かの血――人間の血。
要するに青娥は、人間の血を芳香に入れ、それにより引きつけた――惹きつけた。なるほど人間の血、あの妖怪ばかりの山では、さぞ目立つ事だろう。が、とはいえ、天狗や河童のような上級、中級の妖怪にとっては、人間大の、しかも死体に入った血は、あまりに小さすぎた。だから気付けなかったのだろう。
逆に、先のニホンカワウソやネズミなどの、“動物たち”は野生に近い分――と言うより、“野生その物”だから、少量の血にすら惹かれていったのだろう。
つまり、青娥は芳香自身を囮にするのではなく、芳香に入っていた血をなめてしまった動物たちを、囮にしたわけだ。
山の動物を――カモにしたわけだ。
しかし……しかし、だ。
何年も何年も生き、挙句真の“地獄の使者”に狙われて、それでもなお余裕綽々にして意気揚々と生き永らえているこの仙人が、この結果を予期できない筈がない――。
「貴方は本当に――翡翠“だけ”を狙っていたのですか?」
「……どういう意味かしら?」
青娥は変わらず笑顔だ。
「用意が周到すぎるのです。……いえ、もっと有体に言えば、『囮』が大きすぎるのです」
「……と言うと?」青娥が問う。
「今回の騒動、貴方が『囮』としたのは、『山の動物すべて』と言っても過言ではありません。囮の種として人間の血液を使うというのは、それほど無差別で、無作為な手段」
そう――それこそ、危険な行為。
大々的なレッドヘリングは、時に逆効果となる。
「囮は大きいに越したことはないでしょう? 気付かれなければ、囮にならないじゃない」変わらず青娥が問うてくる。
「それは少し違います――分かっていることでしょう?」
「へえ?」
首を傾げてとぼけたふりをする青娥。
この仙人、どこまで本気で言っているのか――。
この遣り取りが戯れ言以下のお遊びだということは、明白だが。
「確かに囮は気付かれなければ意味がないけど……しかし囮が大きくなるということは、それだけ多くの者を関係させてしまうということ。つまり、囮が看破されやすくなるということ――三人寄れば何とやら、言うけど。今回で言えば、“妖怪の山全体”を巻き込んでしまう結果になった」
「ふむ……」
そう、これぐらいの被害が出ると、予想できない訳がないのだ。
神子は――知らなかったのだろうか? それとも、知っていて?
どちらにせよ――
私は改めて青娥に向き直る。
「――本当に、何が目的なんですか?」
「……いえ」しばらく無言だった青娥だが、ようやく口を開いた。「さっき話した通りで、他意は無いのよ」
「そ、そんな――」
そんな筈は、無い――
「さあて」青娥は、横たわっていた芳香をつまみ上げた。「そろそろ、時間ねぇ」
「ちょ、ちょっと待って――」
私がそう言って青娥を止めようとした刹那。
青娥が私の耳元に顔を近づけて来た。
「!?」
動作が急過ぎて、私は不覚をとられてしまった。
そして、青娥はこう囁いた。
「――『気霽(は)れて、風は新柳の髪を梳(けず)る』、だったかしら――」
「――――!!」
それは、聞き覚えのある詩(うた)だった。
青娥は言った後、芳香を抱きかかえて私の横を通り過ぎていった。
「…………」
私は、動けなかった。
「お、済んだか」
「ええ。お茶、ありがとうね、美味しかったわ。じゃあ、私たちはそろそろ帰りましょう、太子様」
「ああ――じゃあ、二人共」
「……あーあ、行っちゃったぜ。一体なんだったんだ?」
「さあね。しかし、お茶をタダ飲みしていったわね、あいつら」
「は? タダだろ?」
「何言ってるの。問答無用で飲ませて、最後に取り立てる作戦なのよ」
「は、はあ。お前もなかなかエグいことするなぁ」
「他人事じゃないわよ、魔理沙。こうなったらあんたにだけでも払ってもらうわ!」
「わ、私もか!? おい、聞いてないぞ!」
「言ってないからね。でも、正当な要求でしょ?」
「ぐぐ……お前いま思いついただろ……」
「別に。ただ早苗が帰ったときに、『これ使えるかも』って思っただけよ」
「図星じゃないか! せ、仙人、お前もそんなところに突っ立てないで、何か言ってくれよ!」
…………。
「おい! おいってば!」魔理沙が私の顔を覗いてくる。
「…………」
「お~い! 聞こえないのか!?」
「…………」
「おいってば……よし、これならどうだ!」
次の瞬間、私の顔に衝撃が走った。
「……まりふぁ」
「お、気が付いたか?」
「いたいふぁ」
「お、すまん」
魔理沙は私の頬を両手で抓っていた。
◇
その後、私は何とか荒ぶる霊夢を諌め、その場を去った。二人はしばらく言い争いをしていたが、まあ大丈夫だろう。
いつもならば積極的に干渉するような出来事だったが、私はそんな気分ではなかった。
「ふむ。あんたにしては珍しく災難だったねぇ。いや、別に珍しくもないかな?」
小野塚小町は面白そうに言ってきた。割かし失礼だと思う。
「……どこから見てたの? 良い趣味ね……」
「まあ、一応仕事なもんで」
「それこそ貴方にしては珍しいわね……“ある者”って、霍青娥の事だったのね」
「まあね――あの方が仕留め損ねたってさ、結構特例なんだよ」
あの方――水鬼鬼神長のことか。
「だから、しばらくは様子見を決め込むらしい。それで、偵察仕事の御鉢が巡り巡ってあたいのところまで回って来たってわけさ」
「ふうん……災難ね」
「ああ。遣り甲斐のある船頭の仕事に早く戻りたいよ」
「よく言うわ」
普段は散々サボっている癖に……。
「で、あんた、大丈夫なのかい?」
「ん……。大丈夫、だと思うわ」
「そんなに適当で良いのかね。でもまあ、何の不思議も無いさ。いつ『露見』しても」
「……重ね重ね、意地悪な死神ね」
霍青娥。
小町曰く『邪悪な仙人』。
――いつ、気付いたのだろう?
「いやさ、あんたは色々と迂闊だよ。こんなんじゃあ、いつ霊夢や魔理沙にバレてもおかしくない」
「解ってるわ。でも、そんなドジは踏まない」
「今回のような事が、いつ起こるか――いや、いつ起こされるか、判らないよ」
「……解ってるわ」
でも、確かに私は油断していた。迂闊だった。
恐らく、青娥は今回(カワウソの事件からだ)最初から私に対して何か――そう、『牽制』をする為に囮を立てたのだろう。
山の妖怪や守矢神社に対してではなく、私に対する囮。
そういう意味では、守矢神社に押し入ったのも、立派に陽動だったと考えられる。
私を油断させる為の。
あの一瞬に、私が油断するように仕向けた。
私に、私のみを目的として、そうした。しかし、『あそこまで』したのに、『あそこまで』しかしてこないなんて――やはり『牽制』か。否、牽制ですらなく、ただちょっかいを掛けた、程度の事なのかもしれない。
「仕事としては上々の結果だよ。何せ、事件を起こしてくれたんだから。ないよりは報告に華が出る」
「私には、脅威しか残らないけどね」
「まあまあ、その時は地獄の仲間が待っているよ」
「……意地悪」
しゃあしゃあと笑う小町。
気楽だなぁ。
「はは――ま、これに懲りたら精々油断しないこったね」
じゃあ、と右手を挙げてから小町は消えた。
「…………」
仙人、霍青娥。
間違いなく彼女は『私』を察している。
――八雲紫と同様に。
正体不明に対する恐怖は、なにも人間の専売特許ではないと、私は思い知った。
単独でも問題なく読めますが、今話は作品集188『茨歌仙脇道 -川の真実-』、作品集190『茨歌仙脇道 -猫を噛む鼠-』と直接話が繋がっているので、そちらを読んでいますと楽しみが八割七部四厘増すかもしれません。
では、本編をお楽しみください。
◆
「――で? うちに忍び込んだってことは、何か目的があるんでしょう? その目的とやらを教えてもらいましょうか」
「…………」
「……ふうん、答える気はないのね」
夜の守矢神社。
二人の人影が相対していた。一方の影は微動だに動かない。
窓から、いまは痩せ細っているが、これから丸くなろうとするだろう三日月の光が差し込んできて、その場をある程度、照らし出した。
一方は、守矢神社の土着神、洩矢諏訪子だった。
もう一方は、月明かりが当たる場所におらず、影に覆われている。
「どうも貴方は『心此処に非ず』って感じだけど……もしかして何か別の事を気にしてるのかしら?」
「…………」
意地悪そうに笑う諏訪子。対して“彼女”は沈黙を貫いている。
「もしかして……“あれ”、貴方の仕業だったりするの?」
「いえ」“彼女”はようやく口を開いて言う。「私は決して悪事など……今だって別に金品目的ではありません」
「答えになって無いんだけど……」諏訪子は“彼女”に背を向けて月を見つめる。「白々しいなぁ。あくまでもシラを切るつもりね」
“彼女”は手を床につき俯いている。先ほどから――忍び込んでいるのが諏訪子に露見した時から、ずっとそうしている。
「まあ私としては、これから徹底的に殲滅的に貴方を祟るのも、吝かじゃないんだけど?」
「……そう」“彼女”は未だに俯いている。「痛いのはいいけれど、痛ましいのは勘弁して欲しいところです」
「ふん、守矢神社(うち)に侵入した時点で、その希望は絶たれている。ここをどこだと思っている?」
「……ふふ」“彼女”は笑う。「祟り神の独壇場か」
「よく判ってるじゃない。貴方、案外浅はかなのね」
「……まあ、それとも」“彼女”は一言こう続けた。「貴方の遊び場、か」
諏訪子は振り返る――
「ああ……逃がしたか」諏訪子は溜め息を吐いた。「……まあ、盗られなかっただけ良しとするか。……私も甘くなったなぁ。でも、どうやって天狗の目をかいくぐって来たのかしら――どうやってかいくぐるつもりなのかしら」
諏訪子の視界には、その姿は、既に一寸もなかった。
「うーん……ちょっと探ったほうがいいのかなぁ……」
諏訪子は帽子を取り、面倒くさそうに頭を掻いた。
◇
「諏訪子様の様子がおかしかったんです」
東風谷早苗は博麗神社に来るなり、そんなことを私たち三人に言ってきた。
早苗が来るまで、私は博麗霊夢と霧雨魔理沙と茶を啜りながら、話をしていた。
それは言ってしまえば談笑の部類に入るので、特に回想するまでもないけれど、何の話をしていたかと言えば、『最近山で、妖怪化する動物が増えている』ということだった。自然に成るならば、別に問題は無いのだけれど……その現象は、どうやら禁忌のモノ――人間の血によって引き起こされているらしいのだ。先日の『伸上り』、昨日の『旧鼠』などもその例の一つ。
私にとっては一大事だし、山の妖怪にとっても守矢神社にとっても大きな問題である。ゆえにそれぞれの勢力で、目下その原因を捜索中だが――あまり芳しい結果を得られていない。
とまあ、私のような『妖怪の山に住まう者』にとっては、大問題かつ大事件かつ大騒動であるのだけれど――今ここで話をしていた二人の異変解決屋にとっては、せいぜい話のタネ、もしくはネタ程度にしかならなかったようで、だから『談笑』になってしまっていた。
もうちょっと、こう……興味を持ってくれないかしら……いや、興味はあるのだろうけれど、如何せん、なんだか真剣味が無いと言うか……。まあ、いつもの事だし、この二人にそんなものを求めた私が悪いのかもしれない。二人は山の住人ではないし。
「いつもおかしいだろ」魔理沙の声。「それとも何か? あれが更にヘンテコになったってのか?」
「な、なんてこと言うんですか!」早苗は少し声を荒げる。「諏訪子様はいつも平常運航ですよ!」
「それ聞くと、『いつも変』って言っているみたいね」
霊夢はそう言って、中に入って行った。早苗にお茶を出すのだろう。なんと驚くべきことに、今日の霊夢は誰に言われるでもなくお茶を差し出しているのだ。昨日はあんなことを言っていたのに、今日は気分が良いらしい。
しかし、早苗に話を出されて、すぐに喰らい付くとは……どうやらさっきまでの話には実は興味の欠片もなかったらしい。自分たちも少しは関わっているのに。口惜しい――
「って、洩矢諏訪子!?」思わず大声を出してしまう私。
「え……、ええ。そうですが」私の驚嘆に、早苗は引き気味になる。
「どうしたんだ、そんな大きな声で……仙人らしくない」魔理沙が茶々を入れる。「また何か里で良いもんでも食ってきたのか?」
「あ……いえ、取り乱してしまって」片手で口を押さえつつ。
人里ね――訪れなくなって久しい。それは主に、この魔理沙と、あの小さな百鬼夜行に原因があるのだけれど……。ああ、あのお団子が懐かしい……。何とかして、再び里に安全に這入れるようにならないかしら……。
って、違う、違う。今は早苗の話に集中しなければ。いけないいけない。
あの諏訪の土着神が、今、このタイミングで『おかしい』とあれば。
「……それって、やっぱり『例の件』かしら? 動物妖怪化の」
「えっと……」早苗は少し戸惑っている様子だ。「よく分からないんです」
「……というと?」
「いえ、確かに守矢神社(うち)は最近、その件で忙しいですけど、実際指揮を執っているのは神奈子様なんです。ですから、その件と諏訪子様はあまり関係ないと思います。むしろ、関係ない筈なのに『おかしい』のが、この上なくおかしい」
「…………」
……確かに、そうかもしれない。
私が彼女――洩矢諏訪子と初めて顔を合わせたのは、例の『河童ダム湖計画』の時だった。その時の彼女は、まさに飄々を絵に描いたように、のらりくらりと私の詰問をかわしていた。はぐらかしていた。誤魔化していた。本人にその意思があったのか、それとも無意識の行動だったのかは判らないけれど……。
早苗の言う『おかしい』がどんなものなのかは分からない。が、納得の出来ない話でもなかった。
と、ここで霊夢が湯呑を持って戻って来た。
「諏訪子がどんなふうに『おかしい』って言うの? ――はい、お茶」
「あ、ありがとうございます――至極簡単に、簡潔に言いますと、何かを警戒しているようなのです」
「え? あの呑気を体現したような奴が?」
「…………」
霊夢はもう少し神を敬ったらどうだろう。
それとも、敬っていてこうなのかしら?
「……それも、常識であり得る程度ではありません。尋常ではないのです。――今日、私が後ろからお声を掛けようとしたら、あわや首を刈られるところでした」
「人間版ろくろ首の完成だな」
「…………」
……魔理沙は人としての倫理観が少しずれている気がする。
「それで、今日も出かけられてしまいました。諏訪子様は普段インドア派なのに、です」
「散歩じゃないの?」霊夢がお茶を啜る。
「インドア派なんですって。散歩すら滅多にしないほどの」
……確かに、『おかしい』。
首を刈ろうとするとは、さすがは祟り神……まあ、日本の神様は基本祟ると言うけれど。基本神仏のあれこれには疎い私だが、それくらいは知っている。
後ろから声を掛けられるということは、イコールで背後に誰かがいるということだから……。つまり、早苗が言っている『おかしい』というのは『神経質になりすぎている』ということだろう。『何かを警戒している』とは、言い得て妙。
ふむ……。
「で、だから何だって言うんだ? 私達にどうしろと?」
「あ、いえ、その……」早苗は目を泳がせる。
「ん、何? 何か疾しいことでもあるの?」霊夢はこういうことに関しても目敏い。
「その、何と言いますか……」早苗は言葉を選ぶようにして言った。「誰かに聞いて欲しかっただけです……はい」
「つまり、愚痴りたかっただけね?」
霊夢は目を妖しく光らせ、立ち上がって早苗に詰め寄る。
「まあ、端的に言えば……」
「ふうん。じゃあ、相談料……頂こうかしら。――ああ、お賽銭じゃなくても良いのよ。それなりの献身を――」
ごん、と。
ここで鈍い音と共に霊夢の言葉が切れた。
私が一発活を入れたのだ。ガツンと。
「痛い……何するのよ!」キッ、と私を睨む霊夢。
「やりすぎよ」
「こういうときばっかり仙人ぶらないでよ!」
む、いつもは仙人らしく見えていないのかしら……?
だとすれば気をつけなければ……。
「ま、まあ」魔理沙が仲介に入る。「話のネタくらいにはなりそうだから、別に良いんじゃないか? な?」
「むう……しょうがないわね」
霊夢は諦めたように座りなおし、鳥居の方、すなわち早苗のいる場所の向こう側に目を向けた。
「ん? ……何かこっちに来るわ」
「参拝客ですか!?」早苗がこの世の終わりみたいな勢いで言って振り返った。
「何よ、その言い草は」霊夢は少し早苗を見て、また視線を戻す。「……多分、違うわ。だって、飛んでくるんだもん。里の人間は、空を飛べないでしょ」
霊夢がそう言うと、魔理沙もそちらを向く。
「あれ、本当だな。鳥居側から誰かが飛んで来るなんて珍しいぜ」
「そうだったかしら?」と霊夢。
「そうだぜ。だって大体の奴は……律儀にも歩いてくるか、失礼にもいつの間にかいるじゃないか」
紫も、文も、萃香も、そこにいる仙人もな、と魔理沙は言った。
私はただ単に気付かれないように来ているだけなのだけれど……。
……というか、魔理沙自身、飛んでくるのが普通ではなかったかしら?
「あれ、あれって……」早苗がきょとんとする。
「ああ、何だ、あいつらか」魔理沙は面白くもなさそうに言った。「一緒に居るのを見るのは珍しいな」
「そうだっけ?」霊夢が言う。「まあ、確かに見ない組み合わせね」
私も、そちらの方に目を凝らしてみる。
するともう、すぐそこには。
「はぁい、ごきげんよう」
「こんにちは、みなさん」
仙人、霍青娥と豊聡耳神子が飛来してきていた。
◇
「で? うちに何の用があるわけ?」
「ご挨拶ねぇ。……用事が無いと来ちゃいけないのかしら?」
「……そもそも神社ってそういう場所なのでは?」
「いや、ここに来たのはただの寄り道さ。深い意味は無いよ」
青娥と神子はのんびりまったりした雰囲気で、既にメンツの中に馴染んでいた。私達同様にお茶をちゃっかり頂いていることからも、それが判る。まあ、霊夢がまるで強制するかのように渡した結果だが……。
駄目だ、適応力が高すぎる。さすがは……あれ、そういえばこの二人は一体どれくらい寿命を伸ばしているのかしら?
神子は最近復活したばかりだから、まだそんなに寿命を伸ばしているわけではないだろう――青娥は、失念していたが、小町が言うところの『恐ろしい者』である“水鬼鬼神長”から逃げて果せているのだから、相当の年数を、場数を踏んで来ているであろうことは容易に想像できる。
「はぁー、疲れたわ」青娥が大きな溜め息を吐く。
「何だ、仙人(おまえ)でも疲れは溜まるのか」魔理沙がどうでも良さそうに言う。「てっきり無尽蔵かと思ってたぜ」
「やあねぇ」青娥は片目を閉じて言う。「別に溜まりはしないわよ――ただ、すぐに回復しないだけでね」
「それを『疲れが溜まる』って言うんじゃないのか?」
「そうとも言うわね」
「そうとしか言わねえよ」
「そうかしら」
そう言って軽くウィンクする彼女の様子は、まるっきり『厄介』とか『邪悪』といった言葉からは縁遠いように感じる。
「何の寄り道なの?」霊夢が神子にやるせなく訊く。
「いやね、最近里で空き巣が起こっていると聞いてね――直接的にではないにせよ、私も『そういうもの』を解き放ってしまったことがあったし、事情聴取の真似事をしていた。が、時既に遅し。というか、間に合っている、と言った方が正しいか。もう事件は解決されていた」
「それって」私が口を挟む。「猫がどうたらって話ですか?」
「そうそう――解決には、魔理沙が一枚噛んでいるとは聞きました。あと、山の化猫」
「私か?」魔理沙がこっちへ振り向く。
「そうそう」
そんな風に頷く神子の顔に、偽りの色は無い――どうやら、私もその件に噛んでいることはバレていないようだ。
まあバレたから特に困るということではないけれど……一応、一応の用心だ。
と、ここで神子がこちらを見る。
「で、その人里からこっちに来る途中で聞いたのけれど……山が凄い事になっているらしいね」
「は、はあ。まあ」
「そうなんですよー。お陰でうちも大変で――」
と、早苗が話し始めたのだが、ここで青娥もこっちに振り向き、今日初めて私と目を合わせる。
「――おっと、あらあら、同業の方じゃない」
え、今まで気付かなかったの……?
そんなに存在感を出していなかったかしら。
「お久しぶりね」
「……お久しぶりです」少し警戒しながら、私は慎重に、しかし冗談っぽく言う。「また誰かに追われていたのですか?」
「え?」しかしこの質問は予想していなかったようで、青娥は途端にきょとんとした顔になったが、すぐ元の表情に戻る。「……ああ――そうよ。全く、“少しだけ”困ったわ」
青娥は『少しだけ』を強調して言った。
なんとまあ、また危険な目に遭っていたのか。
まあ、恐らくは地獄の使者だろう。本来はそんなに軽いものではないはずだが。
「――ああ、貴方を見て思い出したわ」
「……?」
青娥が唐突に言った。
隣の神子は首を傾げている。
「何、どうかしたの?」霊夢が気だるそうに訊く。
「ちょっと皆さん方に、訊いてみたいことがあって――ちょっとした心理テストよ、時間は取らないわ」
「時間なら腐るほどあるから別に良いんだがな」
「時間は腐りませんよ、魔理沙さん」
「違うぜ早苗、腐るのは時間じゃない。食べ物が腐るくらいの時間が有り余ってるってことだよ」
「……だからたまに、うちに食べ物をたかりに来るんですね……」
「いやあ、魔法の研究に没頭すると、いけないぜ。時間なんか多すぎて忘れちまう」
「うちにたかりに来るのは、お門違いよ」
「だから、茶しか飲んでないだろう?」
「もう既に茶をたかってるじゃない!」
バレたか、と魔理沙は茶目っ気満載に笑う。
なんという天性の泥棒癖か。こういうのを“魔性”と人は呼ぶのだろうか。さすがは職業、魔法使い。
……というか、霊夢は自分からお茶を出したんじゃなかったっけ?
「腐る……腐るねぇ――」
青娥が小さく呟く。他の三人には聞こえなかっただろう程の小さな声で。
さすがに耳の良い神子には聞こえただろうが、特に反応はない。
「まあ、腐るほどの時間があるにせよ、時間は取らせないわ」
「この問答が長すぎよ」霊夢がぴしゃりと言う。「早くその質問とやらをして頂戴」
「そうねぇ……」
青娥は順番に霊夢、魔理沙、早苗を見て、そして私を見てから言った。
「とても危ないところに、自分の宝物を落としてしまったら、貴方はそれを拾いに行く?」
「…………」
……?
どういう意味だろう。
「あ、もしかして青娥――」神子が何か言いかけるが。
「太子様――ご心配は無用ですわ」と青娥が即座に遮った。「ここでバラしてしまっては、心理ゲームになりませんわ――この三人の性格はよく分かっておいででしょう?」
「……そうだね。まあ良いでしょう」
何かを納得したのか、神子はそれ以上は言わなかった。
「私だったらな」魔理沙は何の躊躇いもなく、口を開いた。「もちろん、何が何でも拾いに、奪還しに行くぜ。そこがどんなに危険でも、その宝物は、宝物なわけだろう? だったら、無論だ。理屈がどうこうの話じゃないぜ」
「……ほうほう」青娥はうんうんと頷いている。
「まあ、私は宝物を滅多に外に出したりしない――というか出せないから、起こり得ない喩え話だけどな」
魔理沙らしい、と言えば魔理沙らしいだろうか。
理屈を無視して力押しのゴリ押し、みたいな。
「……私なら、一人では心細いですので、誰かについて来てもらうかもしれません」と早苗。「自分の腕に自信が無いわけではないですが、まだまだ未熟だと思っています。そして、信用に足る――とは言い難いですが、少なくとも頼りになるような人を知っているので」
そう言いながら、霊夢と魔理沙をちらりと見遣る早苗。
「私達が信用ならないとは、薄情な奴だな」
「いや、神奈子とか諏訪子の事かもしれないじゃない」
「あ、そうか。なるほどな」言いながらポン、と手槌を打つ魔理沙。
「掛け値なく貴方達お二人の事ですよ! 頼りにはしているんですからね!」
……早苗もなかなか矛盾したことを言うのね……。
「信用に足らない癖に頼るって――」
私が言おうとすると、
「はい、参考になるわ。では、霊夢はどうかしら?」
と、青娥が遮った。
この人、わざとやっているのだろうか。
神子も黙ってないで何か言ってはくれないのか。
「そうねえ」霊夢は少し考えるポーズをとってから、言う。「多分、取りに行かないわ。自らの危険を冒してまで取りに行くような物が、私には――わからないから」
「成程」頷く青娥。
「まあ、私にとって危険な場所なんて、障害にもならないけど。むしろハンデみたいなものね」
……さすが博麗の巫女。と言うよりかは、さすが博麗霊夢、か。
博麗霊夢、此処に在り。向かう処敵なし、といった感じ。
「って言うかさ」霊夢が続けざまに言う。「これ、心理テストでも何でもないでしょ?」
「…………」
青娥は何も言わない。ただ霊夢を見つめている。
「まあ、私の予測だけど、多分、あんた自身が『危険な場所に宝物を落としてしまった』んじゃないの?」
「…………」
「ん? そうなのか?」魔理沙も口を出す。「そうならそうと言ってくれよな」
「え、何ですか、どういうことですか?」早苗は話について行けていないらしい。
「そ、それって――」
しかし、霊夢の言葉が真実なら、この同業者は『危ないところに宝物を落とした』ことになる。仙人に物質的な“宝物”があるのもなかなかおかしな話だけれど、水鬼鬼神長から逃げ遂せ、かつ余裕の表情まで見せた彼女に“危険な場所”があるというのは、それを越える意外さだ。
……一体、どこに、何を落としたというのだろうか。
と、突然。
「……ふ、ふふ……」
笑い出したのは――神子だった。私を含めた四人は、それに少しぎょっとする。
隣の青娥はすまし顔。
「いや、失礼。はは――こうも簡単に見破られてしまうとはね。いやはや、気づかないだろうと、私は踏んでいたのだが――さすがは霊夢、か」
神子は片手で腹を抱えながら言う。何がそんなに面白かったのだろう。
「え? いやいや華扇殿。私が十の欲に作用し、過去現在未来が手に取るように分かることをお忘れでしょうか?」
「……心の内を読まれるのはあまり好みませんが」
それにしたって大層な物言いだろう。
「失敬。いえ、なので予想外の結果に吹き出してしまったという次第ですよ」
「はあ……成程」私はその懇切丁寧な説明に納得する。「それで、見破られた、というのは……?」
「ああ、それでしたね――青娥、もういいだろう?」
神子は青娥に向きそう言うと。
「ええ、そうですわね――」青娥が返答し、私たち四人の方へこう言い放った。「そう、そうよ。霊夢の言う通り。ちょっと危ないところに、私の大事な――そう、“宝物”を置いてきちゃったの」
「…………」
なんと、本当だったのか。
意外や意外。
「でも、なんでこんな回りくどいことしたんだ? さっきも言ったが、だったらだったで早くそう言えばいいじゃないか。助けを求めてるんだろ?」
「まあ実は、私たちが里を訪ねたのはそれ関連の目的もあってね……」神子が言う。「粗相をしたのは青娥だが――十分に反省しているようだし、協力はしてやろうと」
「…………?」
粗相……?
話が見えない。
「詰まる所、言い出しづらいところがあり、それに――」
「ああ、成程」早苗がぽん、と手槌を打つ。「直接言ったら皆さん面倒臭がって答えないと考えたわけですね」
「ご明察」
神子はそう言って首肯する。
成程、なかなかこの二人の扱いを心得ているようだ。魔理沙や早苗はともかく、霊夢は「協力してやってもいいけど参拝していけ」とか言いそうだし。……いえ、ただ単にこの二人が『人間の扱い方』に長けているということかしら……。
神子にしても、青娥にしても。
「そこで、なんだけど」青娥が急に私の方を向く。「みんなの意見を聞いて、妙案を思い付きましたわ」
「……へえ、何ですか?」
恐る恐る問うてみる。
嫌な予感がする……。
「同業のよしみで、一つ頼まれて頂けないかしら?」
◇
というわけで、妖怪の山。
彼女が危険と見なしているのが、此処だとは……全くの予想外。
考えてみれば“妖怪の山”、しかしこの名称は“すべての妖怪”に当てはまるわけではない。自分のよく知る土地だということに加え、霊夢や魔理沙やその他一部の人間が此処に入ることに全く躊躇しないから忘れがちだけれど、幻想郷でこの場所以上に人為(妖怪だが)で排他的な地域は無い。
天狗や河童の自治区のようなものなのだ。換言すれば、砦。
だからこそ古い文化が残留していたり、特殊な技術が発達していたりするのだが。
例外的に――外から来た守矢神社は何とか受け入れられたけれど、それにしたって結構な騒ぎがあったもの。
そんなわけで、ここは幻想郷でも有数の危険地帯なのだった。
「だからって、他力本願なんて……」
酷過ぎる。
まあしかし、人の頼みを無下にするわけにもいかない。
あの場の者では、山の住人は私と早苗くらいしかいなかったし、しかも早苗は本人が言っていた通り、少し心細い。つまり、私くらいしかこの依頼は受けられなかったわけだ。
それにこれは、青娥だけでなく、神子からの依頼でもある――。
「いや、どうやらどうも、山で盗みを働いたようなんだ」神子は呆れたように言った。「昔からのこの人の『癖』ではあるけれど、山の河童に手を出してしまうのは良くない」
粗相とは、例の『水鬼鬼神長』のときの、青娥の泥棒稼業を指していたらしかった。
「まあお陰で、厄介なのに目をつけられるわ、『あの子』を置いてきてしまうわで――そう、良くなかったわね」
青娥は含みのある言い方をした。わざとらしくも。
「あれ、河童たちが以前愚痴っていたのって、貴方の仕業だったんですか」早苗が言う。「成程――では、諏訪子様はそれを警戒していたのでしょうか……?」
「…………」
……つまり諏訪子は河童の被害の噂を何かしらで耳にして、それを警戒しているのではないかということか、と私は考えた。
早苗の言い分はもっともだったが、それだけであからさまにあの洩矢諏訪子が警戒するとも思えなかったが……。
「ともあれ、私たちは出来るだけあの近辺には近寄りたくはない――だから霊夢か魔理沙でも探していたのだが、それが山在住の貴方であるならば心強い。……どうか、引き受けてくれないだろうか?」
青娥はともかく、神子にあそこまで頼られてしまっては――受けないわけにはいかなかった。
それに、私の性分がそういう傾向にあるのだから仕方がない。……仙人が仙人に頼みごとなんて、なかなか珍妙だったし。
と、回想しつつ、道なき妖怪の山の道の歩みを進めること数十分。
目的地に着いた。
「…………」
玄武の沢から、少し離れた場所。
そこに――方術で隠されたそこに、“それ”は横たわっていた。
「……“貴方”が彼女の宝物なのね」
そこには一つの『死体』が、眠っていた。
キョンシー。
大陸の怪異。僵尸(きょうし)とも言う。正しく埋葬されなかった死体や、怨みを残して死んだ者の死体が動きだして、成る。死体であるのに腐敗せず、生前と姿が変わらないという。性格は凶暴で、血に飢えた人食い妖怪である。
しかしこのキョンシー――宮古芳香は、霍青娥本人によりその死体をキョンシー化させられて、使役されている。それ故なのかどうなのか、彼女に食われたところで、『一時的に』キョンシー化するだけらしい。
これが、霍青娥の『宝物』か。
仙人の――宝物、か。
「さて、と――」
要するに私はこの娘を拾い上げて、青娥の元へ届ければいいらしい。というか、三人の意見を一つも反映していない案だった。他人に行かせるなんて……。『悪』とまで言わないけれど、なかなか強(したた)かなお人だ。
はあ……。
さあ、早いところ用を済ませよう。
私は彼女の顔を覗き見てみた。おや、割と血色が良いのね……。
額には何やら見たことの無い文字が書かれた符が貼り付けられており、その表情は死んでいるかのように穏やかだ。って、本当に死んでいるのか。
というか――ずっとさっきから気になっていたけれど、『ミヤコヨシカ』って名前、どこかで聞いたような……。ううん、気の所為かしら?
まあそれは置いておいて――試しに少し芳香の腕を上げてみるか。
と思ったが、肩の関節しか曲がらず、肘の関節は伸びっぱなしだ。しかもその肩の関節も一定の角度までしか曲がらない。どうやら曲がる関節と曲がらない関節があり、その曲がり具合も様々らしい。……背負うか。この死体を運ぶにはそれしかなさそうだ。
私は芳香の両手首を両手でそれぞれ持って、一本背負いのようにして背負い込んだ。
すると途端に、何か胸のあたりに冷たい感触が。
「ん……」
見ようとすると――
「あらら、奇遇ね」
その時背後から、声が聞こえた。その声は、すぐ後ろから聞こえるというわけではないから、芳香の物ではないと判断できる。それより、もう少し背後からの声。
私は咄嗟に振り向く。
「あ、貴方は――」
「お久しぶり、とでも言った方が良いかしら? 仙人さん」
飄々とした、その態度。目玉をギョロつかせた、独特の帽子。
間違いなく、洩矢諏訪子だった。
「ど、どうして、ここに?」
「いやいや、私はこの山住まいなんだから、当たり前でしょう? それともまだ憶えられていないのかしら? そりゃ割と新参者だけどさ」
「いえ、そうではなくて――」
「それよりね、訊きたいことがあるのよ」
諏訪子が接近してくる。
そして、私の顔を至近から覗きこんできた。近すぎると言っていいほどに。
「その、背中に背負ってるの、一体何かしら?」
「……え」
背負っているものと言えば――芳香だけれど。
「キョンシー、ですけど」
「へえ……。そりゃ珍しい物を見たわ」
……まただ、話を、はぐらかしてくる。
「……はっきり言ったらどうです?」
「……何の話?」
「早苗から話は聞きました……何だか今日の貴方、挙動が奇妙なようですね。普段は外を出歩かないのに、今みたいに外出していたり」
「……ああ、そっか早苗、今日は麓の神社に行くって言ってたんだっけ」諏訪子が独り言つ。「とはいえまあ、部外者に話して損する話でもないし……いえ、貴方はそこまで部外者では無かったわね」
「…………」
一体何だって言うのか。全然読めない。
そう、喩えるなら。
八雲紫や霍青娥を相手にしているときと、似た感覚。得体の知れない感じだ。でもそれは、あくまで似ているだけであって、同じではない。
日本の神全般がこうなのかは判らないが……内に宿した『何か』をひしひしと感じる。
「じゃあ、単刀直入に訊きましょう。貴方、“あの仙人”に加担してるんじゃないの?」
「…………!」
どうやら、早苗の推測は正しかったらしい――。
しかし、『加担』……? 何のことだろうか。
「えっと」私は問うてみる。「どういうことですか?」
「いや、そのキョンシーとやらから、“あの仙人”の力を感じるのよ。そして、貴方は今、それを背負っている。……当然の帰結じゃないかしら?」
「…………」
まあ、青娥の事だろう。芳香は神子のものではないし。そして早苗の推測では、諏訪子は明らかに青娥に対して敵意を持っている。で、青娥が何かを企んでいるらしく、私はその仲間と見なされたわけだ。……いやいや。
「あの、すみませんが、何なのですか……?」
「何が違うって言うの? 現に貴方は、“あの仙人”の部下を担いでいるじゃない」
それはその通りなのだけれど。
「その“仙人”って、霍青娥さんの事ですよね?」
「ふうん……あいつ、そういう名前なのね。しかし仙人同士で共謀とは、世も末になったもんね」
全く話が見えない。今日はこんなことばっかりか。
知らないところで勝手に話が進んでいて、過程をすっ飛ばされて結果を見ているような。
「青娥さんが何か企んでいるって仰るんですか?」
「あれえ? あんた、本当に何も知らないの?」
諏訪子が意外そうに目を見開く。
「いやあ、貴方だって、例の『妖怪化』の件、知っているでしょう? 私達はそれで困っているものね。そしてそれは、人間の血による物」
「……何が言いたいんですか?」
「それが、霍青娥の仕業だってことよ。故意なのか、そうじゃないのかは判らないけど」
「そんな、どうやって」
「どうやってって……今まさに、貴方が背負っているもので、よ」
そう言われて、私は芳香の顔を見遣る。
非常に安らかな顔で、吐血していた。
先ほど私の胸元に掛かったのは、どうやら血のようだった。
◇
私は諏訪子から彼女の推察を聞き、その上で山の動物の為の適切な策を練った。
そして、その“原因”であるところの芳香を山から出すことも、その一環となった。
舞い戻って、博麗神社。すでに日が傾き、空が赤に染まっていた。
早苗はもう帰ったらしい、すれ違ったか。霊夢と魔理沙と神子、それと青娥がいた。
……それにしても、重い。芳香が。
「まあ!」
私の姿――ではなく、多分芳香の姿を見て、青娥はぱあっと顔を輝かせた。
「……頼み通り、拾ってきました、『宝物』」
「ありがとうございます~」
「何だ、律儀な奴だな」
「全くね。私は仙人にはなれそうにないわ。なる気なんて無いけど」
私は、芳香を青娥に手渡した(とてもそんな大きさではないけれど)。
「ああ、芳香。無事でよかった!」
こんな彼女の姿を、今までは『無邪気』と感じていたけれど――諏訪子の話が真実なら、もうそんな風に思えない。
少なくとも、『宝物』を道具として使う彼女は――『無邪気』を通り越して『邪悪』に思えた。
「……青娥さん。盛りあがっているところ悪いのですが、少しよろしいですか?」
「ええと、太子様。よろしいでしょうか?」青娥は神子に振り向き、確認を取る。
「ん……まあ、少しなら良いだろう。ただ――」
「時間が迫っているから手早く、ですわね」
「ああ」
「…………」
「では、行きましょう」
私は青娥と二人で、他の三人に話が聞こえないような場所に連れ出した。
まあ聞き耳を立てるようなことはまずしないだろうが、念の為、ということだ。これだけ離れれば神子も察して『能力』を制御してくれるだろうし。
「さ、何でもおっしゃって?」
青娥は無邪気に微笑んで、芳香を横たわらせた。
芳香は……まあ、いいか。
「では……
守矢神社に窃盗に入った、というのは本当ですか?」
一瞬で一瞬、場の空気が固まる。
そして次の一瞬で、青娥は答えた。
「ええ、そうよ」
「…………」
諏訪子から聞いたのは、青娥が昨夜、守矢神社にある何かを狙い、忍び込んだ、ということだった。
つまり――ここから先は、未知の領域。
私が――問い詰めなければならない。
「まさか――金目の物目当てでは、ないでしょうね」
「……もちろん。いやだわ、仙人が俗物に手を出す事など、あり得ません」
それに関しては全面的に同意するが。
「――さて、どこから話したものやら」青娥は少し思案するようにした。「まず、貴方からの質問、これはイエスです」
「……一体、何の為に?」
「芳香の為に」
「…………どういうこと? それじゃ、おかしい。だって、貴方は彼女を“囮”に使って――」
「何か勘違いしているようね――
以前、私が厄介な“地獄の使者”に襲われた事があったでしょう?
私がその時何をしていたか、憶えてる?
河童の家を漁っていたの。
その時――知ったわ。
守矢神社には、“翡翠”があると。それもかの有名な厭い川の翡翠。
翡翠については、ご存知かしら?」
「…………」
……翡翠とは、不老不死や生命の再生をもたらすと言われている宝玉、だったか。
魔理沙が聞いたら興味を持ちそうな一品だ。
「端的に言って、不老不死、ですね」
「ええ不老不死――正確には、私が欲しいのは『生命の再生』だったんだけど」
「……それって」
「そう、芳香の為よ」
儚げに微笑む青娥。
判らない。本当の事を言っているのか、出まかせを言っているのか、判らない。
神子は黙っている。
「でも」私は言う。「貴方ならば、そんな事をする必要は、わざわざ翡翠を使わずとも――」
「いやねぇ、私にそんな力は無いわ」
青娥はそう言って妖しく笑う。
――それは流石に、信じ難い。
「話を元に戻しましょうか――
そう、私は芳香を囮に使ったわ。
でも、こんな大事になるとは、思ってもみなかった」
芳香の血。それが『妖怪化』の要因だった。いや、キョンシーは本来血を抜かれている筈なので、青娥が何かの血を詰め込んだに違いない。となると、「芳香の血」と言うのは語弊があるけれど。
何かの血――人間の血。
要するに青娥は、人間の血を芳香に入れ、それにより引きつけた――惹きつけた。なるほど人間の血、あの妖怪ばかりの山では、さぞ目立つ事だろう。が、とはいえ、天狗や河童のような上級、中級の妖怪にとっては、人間大の、しかも死体に入った血は、あまりに小さすぎた。だから気付けなかったのだろう。
逆に、先のニホンカワウソやネズミなどの、“動物たち”は野生に近い分――と言うより、“野生その物”だから、少量の血にすら惹かれていったのだろう。
つまり、青娥は芳香自身を囮にするのではなく、芳香に入っていた血をなめてしまった動物たちを、囮にしたわけだ。
山の動物を――カモにしたわけだ。
しかし……しかし、だ。
何年も何年も生き、挙句真の“地獄の使者”に狙われて、それでもなお余裕綽々にして意気揚々と生き永らえているこの仙人が、この結果を予期できない筈がない――。
「貴方は本当に――翡翠“だけ”を狙っていたのですか?」
「……どういう意味かしら?」
青娥は変わらず笑顔だ。
「用意が周到すぎるのです。……いえ、もっと有体に言えば、『囮』が大きすぎるのです」
「……と言うと?」青娥が問う。
「今回の騒動、貴方が『囮』としたのは、『山の動物すべて』と言っても過言ではありません。囮の種として人間の血液を使うというのは、それほど無差別で、無作為な手段」
そう――それこそ、危険な行為。
大々的なレッドヘリングは、時に逆効果となる。
「囮は大きいに越したことはないでしょう? 気付かれなければ、囮にならないじゃない」変わらず青娥が問うてくる。
「それは少し違います――分かっていることでしょう?」
「へえ?」
首を傾げてとぼけたふりをする青娥。
この仙人、どこまで本気で言っているのか――。
この遣り取りが戯れ言以下のお遊びだということは、明白だが。
「確かに囮は気付かれなければ意味がないけど……しかし囮が大きくなるということは、それだけ多くの者を関係させてしまうということ。つまり、囮が看破されやすくなるということ――三人寄れば何とやら、言うけど。今回で言えば、“妖怪の山全体”を巻き込んでしまう結果になった」
「ふむ……」
そう、これぐらいの被害が出ると、予想できない訳がないのだ。
神子は――知らなかったのだろうか? それとも、知っていて?
どちらにせよ――
私は改めて青娥に向き直る。
「――本当に、何が目的なんですか?」
「……いえ」しばらく無言だった青娥だが、ようやく口を開いた。「さっき話した通りで、他意は無いのよ」
「そ、そんな――」
そんな筈は、無い――
「さあて」青娥は、横たわっていた芳香をつまみ上げた。「そろそろ、時間ねぇ」
「ちょ、ちょっと待って――」
私がそう言って青娥を止めようとした刹那。
青娥が私の耳元に顔を近づけて来た。
「!?」
動作が急過ぎて、私は不覚をとられてしまった。
そして、青娥はこう囁いた。
「――『気霽(は)れて、風は新柳の髪を梳(けず)る』、だったかしら――」
「――――!!」
それは、聞き覚えのある詩(うた)だった。
青娥は言った後、芳香を抱きかかえて私の横を通り過ぎていった。
「…………」
私は、動けなかった。
「お、済んだか」
「ええ。お茶、ありがとうね、美味しかったわ。じゃあ、私たちはそろそろ帰りましょう、太子様」
「ああ――じゃあ、二人共」
「……あーあ、行っちゃったぜ。一体なんだったんだ?」
「さあね。しかし、お茶をタダ飲みしていったわね、あいつら」
「は? タダだろ?」
「何言ってるの。問答無用で飲ませて、最後に取り立てる作戦なのよ」
「は、はあ。お前もなかなかエグいことするなぁ」
「他人事じゃないわよ、魔理沙。こうなったらあんたにだけでも払ってもらうわ!」
「わ、私もか!? おい、聞いてないぞ!」
「言ってないからね。でも、正当な要求でしょ?」
「ぐぐ……お前いま思いついただろ……」
「別に。ただ早苗が帰ったときに、『これ使えるかも』って思っただけよ」
「図星じゃないか! せ、仙人、お前もそんなところに突っ立てないで、何か言ってくれよ!」
…………。
「おい! おいってば!」魔理沙が私の顔を覗いてくる。
「…………」
「お~い! 聞こえないのか!?」
「…………」
「おいってば……よし、これならどうだ!」
次の瞬間、私の顔に衝撃が走った。
「……まりふぁ」
「お、気が付いたか?」
「いたいふぁ」
「お、すまん」
魔理沙は私の頬を両手で抓っていた。
◇
その後、私は何とか荒ぶる霊夢を諌め、その場を去った。二人はしばらく言い争いをしていたが、まあ大丈夫だろう。
いつもならば積極的に干渉するような出来事だったが、私はそんな気分ではなかった。
「ふむ。あんたにしては珍しく災難だったねぇ。いや、別に珍しくもないかな?」
小野塚小町は面白そうに言ってきた。割かし失礼だと思う。
「……どこから見てたの? 良い趣味ね……」
「まあ、一応仕事なもんで」
「それこそ貴方にしては珍しいわね……“ある者”って、霍青娥の事だったのね」
「まあね――あの方が仕留め損ねたってさ、結構特例なんだよ」
あの方――水鬼鬼神長のことか。
「だから、しばらくは様子見を決め込むらしい。それで、偵察仕事の御鉢が巡り巡ってあたいのところまで回って来たってわけさ」
「ふうん……災難ね」
「ああ。遣り甲斐のある船頭の仕事に早く戻りたいよ」
「よく言うわ」
普段は散々サボっている癖に……。
「で、あんた、大丈夫なのかい?」
「ん……。大丈夫、だと思うわ」
「そんなに適当で良いのかね。でもまあ、何の不思議も無いさ。いつ『露見』しても」
「……重ね重ね、意地悪な死神ね」
霍青娥。
小町曰く『邪悪な仙人』。
――いつ、気付いたのだろう?
「いやさ、あんたは色々と迂闊だよ。こんなんじゃあ、いつ霊夢や魔理沙にバレてもおかしくない」
「解ってるわ。でも、そんなドジは踏まない」
「今回のような事が、いつ起こるか――いや、いつ起こされるか、判らないよ」
「……解ってるわ」
でも、確かに私は油断していた。迂闊だった。
恐らく、青娥は今回(カワウソの事件からだ)最初から私に対して何か――そう、『牽制』をする為に囮を立てたのだろう。
山の妖怪や守矢神社に対してではなく、私に対する囮。
そういう意味では、守矢神社に押し入ったのも、立派に陽動だったと考えられる。
私を油断させる為の。
あの一瞬に、私が油断するように仕向けた。
私に、私のみを目的として、そうした。しかし、『あそこまで』したのに、『あそこまで』しかしてこないなんて――やはり『牽制』か。否、牽制ですらなく、ただちょっかいを掛けた、程度の事なのかもしれない。
「仕事としては上々の結果だよ。何せ、事件を起こしてくれたんだから。ないよりは報告に華が出る」
「私には、脅威しか残らないけどね」
「まあまあ、その時は地獄の仲間が待っているよ」
「……意地悪」
しゃあしゃあと笑う小町。
気楽だなぁ。
「はは――ま、これに懲りたら精々油断しないこったね」
じゃあ、と右手を挙げてから小町は消えた。
「…………」
仙人、霍青娥。
間違いなく彼女は『私』を察している。
――八雲紫と同様に。
正体不明に対する恐怖は、なにも人間の専売特許ではないと、私は思い知った。
華仙の心理がよくよく伝わりました。
(間違ってたらすみません)うろ覚えですが良香が何らかの形で羅生門に関わってたような...
事件の黒幕が意外で良かったです。
さてさてどうなることやら
今回もおもしろかったです!