「フラン……なんで呼ばれたかわかってる?」
「知らない。気持ち良く昼寝してる時に起こされたあげくお姉様の部屋まで呼び出されるようなことをした覚えがない」
レミリアの自室。
外はとうに日も暮れて本来は沈む夕陽が窓から差し込むような時間だが、あいにくこの部屋に窓はない。
故に燭台ランプのみが不気味な明るさを演出している。
そこでは、仁王立ちで腕を組んでいるレミリアと、不機嫌そうに立っているフランが対峙していた。
束の間の静寂。
口火を切ったのはレミリアだった。
「あなた、自分の枕壊したでしょ!!パーンて!」
「うるっさいなぁ、ちょっとムカついてたからたまたま。わたしのだから別にいいじゃん」
「よくないわよ!せっかくあなたのためにオーダーメイドしたフッカフカの羽毛枕なのに!ベッドが羽根まみれだったじゃない!」
「ありがた迷惑だしそんなの!ていうかまた勝手に部屋入ったの!?キモい!」
「羽根であふれるベッドの上で寝ているあなたは天使のようだったわ!」
「一回キモいって言われてんのになんで調子上げてくんのよ!」
ギャーギャーと広い部屋から響き渡る吸血鬼姉妹の声は、もはや紅魔館恒例。
主にレミリアのウザい姉妹愛がきっかけであることが多い。
そう聞くとフランが被害者のような気もするが、フランはフランで
ずさんな部分も多く、それはそれで今日みたいに怒られることもある。
「とにかく、もっとおしとやかになりなさい!私の妹なんだから」
「…っ………面倒くさい…」
「聞いてるの?」
「あ゛ぁぁーーっウザい!!!私の勝手だ!!寿命でしんじゃえ!」
「本望よ!あ、待ってフラン!」
フランはそう言って勢いよく扉を開け、部屋から出て行った。
伸ばした手を寂しそうに降ろすレミリアを残して。
「ホントなんなのあいつ……ちょっかいばっか」
わたしは自分の部屋に帰り、とりあえずベッドの上の羽根を落としてシーツへとダイブした。そうしたらこのフカフカのベッドもあいつにプレゼントされた物だというのを思い出し、また怒りが再燃する。
……お姉様はホントうるさい。
いつだってこっちのことを考えず好き勝手な理想を持ちかける。
〝可愛げを持ちなさい〟
〝優しくなりなさい〟
そして今日の
〝おしとやかになりなさい〟
「わたしだって……いや、もういい!」
ボフッと顔を下にうずめるが、それを受け止める役目の物がないことに気付く。今更ながら枕を破壊してしまったことに後悔してきた。
……まぁいいや。
今日はもうこのままぐーすか眠ってすべてを忘れてやる。
お姉様の言うことなんて、誰が聞いてやるものか。
あ、今日は夕飯いらないってまだ咲夜に言ってない。
なんかゴメン咲夜
でもおやすみ
◇
瞼にわずかな光を感じ、深い眠りからゆるゆると意識が引き戻される。
灯りを消さずに眠ってしまったので部屋は明るいままらしい。
(もう……朝、なのかな…)
幻想郷に来てから朝型の吸血鬼へと変わったわたしだったが、まだ少し眠いのが正直。
そもそも夜の王である吸血鬼がなんで人間みたいな生活時間を送らなくちゃいけないのか。本来の活動タイムに、ひいては畏怖と権威を撒き散らすべき時間に眠っている夜の王を誰があがめるっていうの。
ーーそれでもわたしが夜に寝て、朝に起きるようになったのは誰かの影響でそうなったから。そうしたいと思ったから
でも
誰かとは、誰だったっけ
そう思いつつ横向きの姿勢からゆっくりと瞼を開ける。
「ぐがー…ぐがー………むにゃ…」
そこには
大口を開けてイビキをたてる、わたしがいた。
蜂蜜色の髪が顔にかかり、子供っぽくヨダレがちろっと垂れている。自分の寝顔などみたことないし確証があるわけではないのだが、これはおそらくわたしの顔である。
「…………」
言葉が出ないというより考える方を今は優先した方がいいのかもしれない。それでも自分を落ち着かせるため、思ったことを素直に吐き出すことにする
「…………わたしってこんなアホ面で眠ってんのか」
そんなことしか浮かばない。
とにかくこれは見なかったことにしておいて、反対方向に寝返りを打つ。
「すー……すー……」
規則正しい寝息を響かせた、起こすのがはばかられるような穏やかな寝顔と対面。いや、バカ面じゃなければいいというわけではないが自分の寝顔はこっちであって欲しい。だがもれなくこれもわたしである。
デジャヴであってデジャヴじゃない、もう一人わたしがいた。
横の体制からゆっくり天井の方へ体を向ける。
右も左も自分に囲まれてるこの状況
えーと、これは俗になんて言うんだっけ
「………両手に、花?」
いや落ち着け。どっちも自分だし。
造花もいいとこだ。
とりあえず、左右の自分を起こさないようにゆっくりと起き上がってみる
「あら、やっと起きたの?朝に起きる吸血鬼なんて誰が怖がるというのかしら。ちょっとは自覚を持ちなさい」
起きた途端なんか怒られた。だがこれは聞き覚えのある声、なんなら毎日聞いている。実に嫌な予感がしつつ声の方向へ顔を向けると、ベッドの横の椅子で足を組んでいる自分を見つけた。
見るからに高圧的で、お仕事モードのお姉様みたいだ。まぁそれでもあいつにはカリスマ性を一切感じないが。
さて
そろそろ我慢の限界というか、言っとかなきゃいけないことがあるだろう。左右でいまだに寝ているわたしには大変申し訳ないがいち早く伝えなくてはいけない
心は自分でも驚くほど冷静なまま、とりあえず正直に言ってみた
「ここわたしのベッドッ!!!!」
◇
とりあえず自分を一旦落ち着かせベッドに座り、わたしの分身三人を目の前に並ばせた
あ゛ぁー…
並べみて思ったがそういえばフォーオブアカインドっていう分身するスペルカードを持ってたな。寝ている間に発動したってことは、夢にあいつでも出てきたのだろう。
これは別になんてことはない事件だと気付いたが、目の前のわたしには一応聞いてみることにする
「じゃあ改めて聞くけど、あんたらはわたし?」
「まぁそう言えるわね。でも厳密に言うとわたし達はあなたの理想の具現体よ」
なんか中二臭いこと言われた気がする。
真ん中の高圧的なわたしが喋りだすと左のわたしは得意げにそうそう!と首を大きく振っている。右のわたしは何も言わずニコニコと微笑んでいた。
どうやら真ん中のわたしが、この三人の間では主導権を握っているみたい。
「どういうことよ」
「つまり理想の姿がわたし達。 あなた、寝る前になんかあったでしょ?」
「……寝る前…?」
ふと昨日の晩を思い出し、あの忌々しい光景が蘇る。
自分勝手なお姉様の言葉。それに対し腹を立て、ふて寝を決め込んだ自分。
確かになにかは起こってしまったわけだけど。
それになんの関係があるのだろうか
訝しげに眉を潜めてみせると
目の前のわたしは、さも得意気に告げた
「今抱いてる自分の理想を捨ててしまいたい、そんなことを考えたんじゃない?そしてその理想とは……お姉様が望む自分の姿」
ピクっと、一瞬だけ自分の体が反応する。
「日頃、言われていたんでしょ?
〝可愛げを持ちなさい〟
〝優しくなりなさい〟
〝おしとやかになりなさい〟って。お姉様のことが好きなあなたは表では否定してても、心のどこかでは言われた通りの可愛く、優しい、おしとやかな妹になりたいって思ってたはず。いつしか、それがあなたの理想になった」
「はぁ!?な、なにいってんの??ありえないしそんなの!!」
「でも性格上そんな自分にはなれない。それでもお姉様の望む姿でありたい。そんな無意識の葛藤に嫌気がさしたあなたは、自分の理想の姿を捨ててしまおうと思った。だから理想の姿であるわたし達があなたの中から出てきた、ということよ」
おわかり?と腕を組み、こちらを見下ろす自分。
こ、このわたし腹立つ……!!
冗長な言い方がさらにムカつくし
「それだけじゃないわ。私たちは素直になれないあなたの理想でもあるのよ?つまり自分の気持ちに素直になれるあなたなの」
「……どういうことよ」
「あ゛ぁー……だから、お姉様のことが好きだってこうやって正直に言えるってことよ」
「なるほど。嘆きの声が自分そっくり」
「当たり前でしょ。まぁあなたみたいにかんしゃくを起こしたりはしないけどね。話を戻すけど、もちろんお姉様本人の前でも「お姉様大好き」って素直に言えちゃうってことよ?」
フフン、と得意気に無い胸を張っている。あ、ちくしょう自分で言っちゃった
目の前のわたしには非常に腹が立つが、なにより自分の姿で「お姉様大好き」っていわれるのはなんというかこう……すごい恥ずかしい
「わたしの姿で好きとかいうな!!そ、そんなの思ってない!」
「あら?正直に言ってるだけよ。あぁーお姉様大好き愛してるわ」
「あ〝ぁぁーっもう!!やめてよ!!」
なんだかたまらなくなり、目の前の自分の口を塞ごうと掴みかかった
しかし勢いよく伸ばした腕はいとも簡単に両手で掴まれる。そのまま勢いも殺されたのでピクリとも動かない。
動揺しているわたしの顔を、目の前の自分は余裕そうな笑みで見つめる
「わかるでしょ?わたしが言ってることはあなたの本音。隠しようもない心の声なの」
そう言うと小馬鹿にしたような目つきは消え、こちらを軽蔑するような視線へと変わる。他の2人も同様に自分をみていた。
「あなたがそんなだから、わたしたちが出てきたのよ」
その言葉でさらに体が動かなくなる。
自分の心を見透かされ、内側から叩かれたような感覚。
「……っ…」
それを隠すように、掴まれていた手を強引に振りほどいた
「なんなのもう……はいはいあんたらの言いたいことはわかった。だからわたしの中に早く戻って」
「なにをいってるの?戻る気なんてないわよ」
「はぁ?そっちこそなにいってんの!?わたしは本体で、あんたらは分身でしょ?」
「まだわかんないの~?あのスペルカードは確かにあなたの分身だけど、わたし達はあなたの理想のぐげんかってやつ!ほぼ別人だよ?」
今まで喋っていたわたしではなく、左に居るわたしが唐突に抗議してきた。腰に手を当てたまま頬をぷくーっと膨らまし、こちらを睨んでいる。
……なんだこいつは。これもわたしの理想なの?変に子供っぽいっていうか見ててムズムズする。他の次元ではこんな自分もいるのか?
「具現化とかべつにどっちでもいいから。それで?あんたらは何が望みなの?」
「察しがいいわ流石自分ね。そうね……私たちとゲームをしませんこと?」
また高圧的な方のわたしが喋りだす。
「ゲーム?…………鬼ごっこ、とか?」
「同じ姿でやる鬼ごっこは混沌をもたらすと思うわ。そうじゃなくて、あなたも含め私たちでお姉様にアプローチをするゲーム、なんてどう?」
「……は?ちょっと待って、なんで?」
「理にかなってるでしょ?お姉様にもっと好かれることがあなたの望みなんだから、上手くいけば理想が叶うかもしれないのよ?」
「な、なにわわわわけわかんないこと!」
「あなたがわたし達よりお姉様に好かれれば、そもそもの望みが叶うわけよね。だからそのための理想である私たちはいらなくなる。綺麗サッパリあなたの前からいなくなってあげるわ」
「……別にこれ以上好かれたって、そんなのウザイ、だけだし…」
「でも、私たちの方がお姉様に好かれればそれが理想の姿となり、そうじゃないあなたは消えることになる」
おしとやかなわたしは、淡々と告げた
「…………え?」
ぽかん、と口があく
すぐには理解が追いつかず、
突然言われた「消える」という言葉に呆気にとられた。
しかし、目の前のわたしが冗談を言っているようには感じない。
「消えるってどういうこと……?」
動揺を押し込ませなんとか喉から言葉をしぼり出すも、頭は混乱しっぱなしである。朝から信じられない展開の連続でしまいには自分が消えるかもしれないと言われている。
さすがに納得ができなかった。
「しょうがないわね。わかってないようだから説明してあげるわ」
目の前の私は偉そうに一人用の椅子に座る。
そのまま机の上のティーカップを口に運び一呼吸入れると、こちらをなだめるように語りだした。
「まずあなたの性格上、人に合わせるなんてことはしないし、なによりできないわよね。それなのにお姉様にはもっと自分を好きになって欲しいと思っているでしょ。だからお姉様の言う通りの性格を理想に掲げた。誰だって好きな人の望みになりたいって思うものね」
クスクスと笑い、こちらを見ている
「故に、理想という存在はとても大きい。生物はみんな自分の理想を求めて生きているのだから当たり前よね。
そして自分がいざ望みの姿となった時、人は過去の自分を捨て新しい自分へと生まれ変わるの。それでやっと理想となれる。
別に難しくないわ、同じことよ。
あなたの願望であるわたし達が、本来の望みである『お姉様に好かれる』ようになればそれが理想の姿になる。そうすればあなたが消えることになるのは当然よね。だってそうでしょ? あなたは、過去の自分になるんだから」
長文を喋り終えた目の前の私は、喉を潤す為にまた紅茶を傾ける。
「なにそれ……」
とくに反論する余地もなく、わたしはようやく今置かれている状況を把握した。
彼女たちの目的と手段、そしてこの勝負における代償。
いまだ信じがたいことではあるが、このありえない状況下では妙な現実味を帯びている。
途中、いっそ目の前のこいつらを消し飛ばそうとも考えたが、最早受け入れる選択肢しか残っていないのだろう。
掴まれた自分の手首を見つめる。
「………わかったよ。勝負しよう」
「ふふ、無駄に反論しないようでよかったわ。自傷行為なんてまっぴらだもの」
目の前の余裕そうな態度に舌打ちが出そうになりつつ、冷静に考える。
今ここで争ったって勝負は見えている。状況的には三対一であり、もともと私にはこの場であらゆる選択権は奪われている。
その上に――
(分身じゃないなんて、よく言うわ)
さっき手で掴まれた時、こいつらはただの思想とはいえ私と同じ力を持っていることに気づいたのだ。
「じゃあ決まり。ちょうどいい時間だし今から始めるわよ。終了は全員のアピールが終わった時ね。それまでに好感度が最も高い子が、明日からあなたの自我となるわ。自然にね」
「……わかってるって。あんたらなんかに絶対負けないから」
「やる気が出てきたようね。まぁどっちに転んでも形としては理想が叶うんだから良いことよ」
「わー!楽しみ!これからお姉様に会えるんだ!」
どっちかが消えるか消えないかの瀬戸際でも、そんなの知らないとばかりに子供っぽい方がピョンピョンと飛び回っている。もうなんなんだよありゃ……絶対にわたしの理想じゃないって。
その姿に若干引きつつも、これから始まるであろう自分を賭けた自己PR合戦に緊張が高まる。
そもそもあいつにアプローチするなんてわたしに出来るのだろうか?なにより昨日の件もあって今は気まずい。
いやあれは確かに物を壊したわたしも悪かったけど、お姉様だって普段からシスコンをこじらせすぎだと思う。そんな奴にいきなり枕あげる!って言われたら怖くない!?気持ち悪い何かが入ってると思うじゃん!?
だからあれは正当防衛というか現物証拠を押さえたい刑事魂からくるものだから!!
心の中で言い訳を叫んでる中、偉そうなわたしが何か言いたそうにこちらを見つめていることに気付く。
「一つ聞いていい?」
「な、なによ」
「今更なんだけど、あなたってまだ理想があるのねって思って」
先ほどまで乱れていた心に、スッ、と冷たい風が通る
再度わたしが聞き返す前に彼女はあっけらかんと続けた。
「だってそうじゃない?今でもあなたはお姉様に多少なりとも好かれているわけでしょ。それなのに私たちが出てきたっていうのは本当はおかしい話なのよね」
「おかしいって、元凶がなにいってんのよ」
「なにか他にもっと好きになって欲しい理由でもあるの?」
自分よりもよほどまっすぐな瞳がわたしを見つめた。
具現体であってもそこは別人。考えのわからないこともあるのだろう。
きっと純粋な疑問で、ちゃんとした理由があると思って聞いてきたのだと思う。
理由がなくこんな不可思議なことが起きるわけがないことを彼女たちもわかっているのだ。
根源にあるわたしもそう思っている。
だけど
それでもわたしは、その質問に返事することができなかった。
「……………どうでもいいでしょ」
「ふーん、まぁいいけど」
「そんなことより終始ニコニコしてるこの子はなんなの?ねぇあんた喋れないの?」
話題を変えるようにさっきから一言も喋らないもう一人のわたしを指さした。
急に話を振られたニコニコしてる方のわたしは、申し訳なさそうに頭を下げる
「お話がスムーズに進むように黙ってたの。勘違いさせてゴメンなさい。 えと……お互い頑張ろうね!」
わたしの両手をそっと包み、ふんわりとした優しい笑顔を浮かべる。
うーむ自分で言うのはなんだが悪魔とは思えない。てかわたしとも思えない。
ざっと部屋を見回してみる。
イスに座り、優雅に紅茶を飲んでいるわたし。
ベッドでバウンドしているわたし。
ニコニコと微笑んでいる、わたし。
……わたしって、なんだっけ?
■
とうとうフランが、昨日の夕飯にも今日の朝食にも顔を出さなかったわ…
ろくに喉も通らない食事を終え、自室で不安に包まれ一時間。昨日の夕方からフランに会っていないからそろそろ禁断症状が出てしまいそうだ。私の朝はフランの可愛い罵倒から始まるというのに。
咲夜がご飯を届けているだろうから、お腹が空いてるってことはないわよね……
やっぱ勝手に部屋に入るのはもうダメか。ちょっと寝顔を写真撮影するだけなのになぁ。
てかお風呂ももう一緒に入って貰えないのにご飯さえ食べられなくなったら……あの必死に熱いものをふーふーする顔や、明らかに右ほっぺに溜め込んでモグモグしてる顔を見ることができなくなるということじゃない!!
うわぁあーやだぁあー!!私はこれから何をおかずにご飯を食べりゃいいんだ!!
頭を抱え悶絶していると、ドンドンドン!!と目の前の扉が突然叩かれる。
なんなの……今私は食糧危機と闘っているというのに、一体誰だ
「入りなさい。どうせ咲夜でしょ、時間止めて普通に入ればいいのに」
そう機嫌悪く言い放つとガチャっとドアが開き、私はその先にいるであろう咲夜を睨みつける。
だが、部屋に入ってきたのは違う人物だった。
「え……フ、フラン!!?」
今朝からずっと心配していた可愛い妹、フランが立っている。うつむいてはいるが確かに本人である。突然の来訪に私は思わずその場から立ち上がり、フランの元へと駆け寄った。
だけど近くに来ても顔は下を向いていて表情を見ることはできない。
(あーやっぱ怒ってるかな~……嫌われたくない……
でもここでちゃんと謝らなくちゃもう一緒にご飯が食べられなくなる!)
勇気を出し、さらに怒らせないよう優しく話しかけてみた。
「フラン、その、昨日はごめんね。ちょっと言い過ぎたのかもし」
そこまで言ったところで、ずっとうつむいていたフランがバッと顔をあげ、
「お姉様大好きーー!!!!」
と、大きな声と満面の笑顔で勢いよく抱きついてきた。
「れ……な…………え?」
一瞬、時が止まる。
フランに抱きつかれているというありえない事実に脳がついていけなかった。
(あー……夢かな ? だって、フランが私に……ウソでしょ?)
落ち着け落ち着け落ち着け
私はレミリア・スカーレット。紅魔館の柔らかい主で幻想郷を統べるカリスマ的イイ匂いな存在であり誰もが恐れる髪フワフワ吸血鬼でちんまりあったかいフランは超可愛いペロペロしていいかなだって体が私にくっついて一つになっているのはもう姉妹だとか置いといて愛し合うしかないわけであって
「お姉様ー?なんで固まってるの?」
その声にハッと意識が呼び戻される。だが目線の少し下にあるフランの上目遣いにまた脳がスパーキングしそうになり、天へと召されそうになるところ下唇を思いっきり噛むことによってこらえた。
「あっお姉様、口から血が」
「なんでもないわ今朝の飲み残しよ」
「そうなんだー。それよりもお姉様もギュってしてよ?」
「ふ、フラン!?そんなもちろん嬉しすぎるけど、絶対私死んじゃうから!!!というかどうしたの?怒ってたんでしょ……?」
「全然怒ってないよ?フラン、お姉様大好きだもん!」
「だ、大好きって私を……?」
「当たり前じゃん!あ、そうだ!ちょっと今から館の中散歩しようよ!!」
私の手を取りそのまま廊下へと連れ出される。
……えーと、なにがどうなってる。フランは昨日から怒ってて今日は甘えてきて………
「お姉様!はやくはやく!」
まぁ、どうでもいいかな!!!!
◇
「あ゛あ゛あぁぁっー!!!なにこのわたしぃぃーー!!!」
遠視の魔法により鏡に映し出された、おぞましいほど甘々なわたしと満更でもない顔のお姉様。
それを見て自室の壁をすべて叩き壊したい衝動に襲われる。灰になりたいてかもう一生引きこもるしかないんじゃないかなコレ
「どうしてくれんのよ!!お姉様にどんな顔して次会えばいいんだよぉ!」
「少しは黙りなさいな。しょうがないじゃない、あなたが求めた姿なんだから」
顔をしかめながら勝手に届けられた朝食を食べているおしとやかなわたし。このヤロ咲夜の目からあんたらを隠すの大変だったんだぞ。
というより、よく涼しい顔して見てられるなコイツは。自分から出てきたとは絶対思えない。それに子供っぽいわたしが部屋から出ていったあと、すぐに鏡を出して遠視魔法をかけてやがった。わたしはまだできないのに……こいつの方が魔法少女設定を上手く使いこなしてるのがムダに悔しい。
「まだまだあの子のターンなんだから、あなたは大人しく見てなさい」
「ぐぐ~……っ!こんなの羞恥プレイだ……恥ずかしいしムカつく……!」
「ムカつく?ふーん、嫉妬してんの?」
「違うし!デレデレのお姉様なんかどうでもいいし!!」
「はいはい」
あぁっー!!ウザいっ!!とっとと終わってくれ!!
◆
――突然だが説明しよう、いや説明させてくれ。今フランが私の腕に自分の腕を絡ませつつ、身体を預けるように引っ付いている。そしてさっきから二人仲良く館の中を歩いてまわっているのだ。いやもう練り歩いてる。妖精メイドは必ず私達を二度見してくるし、そのままヒソヒソと噂話されるほどに注目を集めていた。
フラン様が……嘘でしょ……
でもすごいニコニコしてるわ……
お嬢様もしかして盛ったんじゃ……
なにやら失礼なことが聞こえたが気にしない。だって私にはフランがいるんだから
「えへへ~!みんな見てるね!」
「そりゃあなたが甘えるのが珍しいからよ」
「えー?そーかな。わたしはいつだってこうしたかったのに。でも見られてるとちょっと恥ずかしいかも」
「そのわりにはずっとくっついてるけど?」
「も~……お姉様いじわる~!」
そう言って頭を肩にトンっと押し付けてくる。私はそんな微笑ましい様子にフフフ、と笑った。
そして笑いながら実感する。
なにこれ……なにこれ!!このリアルが充実してる感じ……!!
はたからみてもめちゃくちゃ仲の良い姉妹じゃないこれ!いや、むしろ恋人……?うひょーー!!もうなにがあったかなんて考えなくてもいいよね!おかしいことなんて何もない!むしろ今のフランならなんでも許してくれそうだし、こんなチャンス逃してなるものか!!よーし。ち、ちょっと試しに……
「そんなにくっつきたいなら、今日はお風呂も一緒に入っちゃう?」
うわー言っちゃった言っちゃった!長いこと一緒にお風呂入ってなかったし、思い切ってみたぞ!でもこれで拒否されたらお風呂にトラウマできちゃうかもね!
内心ドキドキしながら返事を待っている私に、フランは目をキラキラと輝かせてきた。
「ほんと!?入る入る!わーいお姉様とお風呂いっしょ~!」
嬉しそうに笑うと、引き寄せてた私の腕をさらにギュ~っと強く抱きしめる。
あれ?本当に成功した……?
「いいの!?マジで!?じ、じゃあ洗いっことかもしていい?」
「うん!もちろ……あ、やっぱりどうしよっかな~? お姉様てば、えっちぃ目つきしてるもん」
上目遣いでいたずらっぽい笑みを浮かべるフラン。ヤバイヤバイ、密着した位置から繰り出されるこの小悪魔的可愛いさ。生物の成せる技じゃないわこれ
「でもね、一つだけ言う事を聞いてくれたら洗いっこしてあげてもいいよ」
「なっ!そんなのいくらでも聞くわよ!なにがお望み??」
蓬莱の玉の枝でも隙間妖怪の座椅子でもなんでもブン取ってきてやるわ!
「じゃあねじゃあね!フランの頭を……ナデナデしてくれる?」
フランは突然歩くのをやめて私と向き合うと、スッと恥ずかしそうに帽子を取った。
「……優しく、だよ?」
そう言うと取った帽子を胸に抱え、撫でやすいように頭を少し傾ける。
「ま…じ……?」
その光景に、ゴクリとつばを飲み込んだ。
いやいやこんなのご褒美じゃないか。
すでにさきほどの攻撃力の高い挙動に何度かハートブレイクはしたが、あれは序章に過ぎなかったらしい。
夢にまでみたフランの頭ナデナデ……それが今叶うのだ
恐る恐る腕を伸ばし頭の上へと手の平をセッティングする。震えが収まらないのは武者震いか、はたまた止まらなくなりそうな自分に対する恐怖か。
決意を固め、天使の輪っかに触れるかのように優しく手を降ろした。
最初に髪の柔らかな感触、そして次に手の平に収まってしまいそうな小さな頭を感じる。そのまま右へ左へとゆっくり撫でてみた。さらさらと絹のように滑らかな感触が指をくすぐり、優しく押し返すようにフワッとした弾力もある極上の髪。光沢のある金色が目でも私を楽しませる。くすぐったいのか、時折ふふっとフランが笑う声が聞こえてくるのもなんて心地良いことだろう。
確実に私が使っても説得力がない表現かもしれないが、ここはまるで陽だまりの中にいるような癒し空間だ。ここがこの世の幸せなのだと深く実感する。フランの頭を優しく撫で、私はいつまでもこの時間が続けばいいと、夢見心地な気分で思っていた。
――思っていたら
「あ、お嬢様ー!!フラン様ー!!偶然ですね何してるんですか混ぜてくださいよーー!!」
廊下の向こう側に何故か美鈴が現れ、こちらに気付き小走りで近づいてきた。
なん……だと……!?
クソ!!こんな時にこいつと会うとは!!お前はもう充分陽だまりの中で光合成してきただろうが!!ここは私とフランだけのサンルームなんだよちくしょう!!
という思いは微塵も出さず朗らかに美鈴と対面した。
「あら美鈴、昼休憩かしら。毎日ご苦労様ねニッコリ」
「表情に反映されてませんよ!?」
いつものようにビシィっと大袈裟なリアクションでツッコんできた。普段なら美鈴とのこういうやり取りは楽しいのだがホント今は勘弁してほしい。このまま撫でっぱなしもあれなので、名残惜しくもフランの頭から自分の手を降ろす。あぁ~あ、あとで手の匂いだけでも嗅いでおこう。
「なんなのよもう……どうせオヤツでもつまみに来たんでしょ」
「あはは、バレました?でも気になる噂があったので、それの確認も兼ねてって感じですね」
「どんなよ?」
「なんでもお嬢様がフラン様に媚薬を盛ったとか」
「妖精仕事早いな」
外勤の美鈴にも広まってるなんて、あいつらの噂好きを甘くみてたみたいだ。
「違うわよ。ったく妖精は適当なんだから」
「ですよねー」
「パチェにも『そんなもん作らねぇよ』って前に言われたしありえないわね」
「未遂の実行犯!?」
「大体そんなの使わなくたってほら、仲良いでしょ?」
「あー、確かにさっきフラン様の頭を撫でてたような……いつのまにそんな発展したんですか?」
驚きです、と興味深そうにフランを見下ろした。
フランは見られていたことが恥ずかしかったのか、会ってからずっと美鈴に背中を向けている。可愛いなぁもう!
「ふふん!もとからよもとから。普段は冷たい態度をとっててもなんだかんだフランにとって私は」
私が自慢気に喋っている途中、
フランが急にくるっと美鈴の方に体を向け、タタッと 走っていった。
そして
「美鈴大好きーー!!!」
愛する妹が愛を叫び、従者に思いっきり抱きつく後ろ姿を見ることとなった。
「うわぁっ!!?フ、フラン様?どうしたんですかっ!!?」
突然のことにうろたえまくる美鈴。
大好きな妹を取られ呆然としてる私と、自分の体に抱きつくフランを交互に見つつ両手を挙動不審にはためかせている。だがそんなこと知ったことではない
「なにやってんだ美鈴……?いや、紅美鈴」
「誤解ですっ!!ほら!フラン様もなんか」
「美鈴は太陽の匂いがするね!」
「じゃあ私達の敵よ早く離れなさいむしろ種族の仇として消し飛ばすべきだわ」
「飛躍しすぎですって!」
「うっさい!!フランを返せぇぇえ!!!」
「うわぁぁあすいません!!フラン様、お気持ちはすごい嬉しいんですけどちょっと離しますね?」
「私のフランに触んなぁ!!!
「ええぇぇ!?」
藪から棒に現れといてなに好かれてんだこの門番!!
最早くっつかれてどうしたらいいかわかんなくなっている様子の美鈴に尚更腹が立つ。無理やりにでも引き剥がそうと私が眉間目掛けてグングニルを飛ばそうと構えかけた
「ほら、お姉様もお姉様も!」
フランはこちらを振り返ると、美鈴から離れて私の手を握り、もう片方の自分の手で美鈴の手を握った。ニコニコしてるフランを中心にして唐突に横一列に並んだ私達。その様子はまるで仲の良い家族のよう。
「ケンカはダメだよ!二人とも仲良くしなきゃ」
「フラン……?いや、その、もちろんケンカなんてしてないわよ?ね?」
「そ、そうですよ!むしろ一方的ですから!」
「ほんと?じゃあ仲直りの握手してよ」
言われるがまま、私と美鈴は外側の空いた手で恐る恐る繋ぎ合う。
こうして
昼下がりの紅魔館廊下にて。
今ここに私とフラン、美鈴により平和を表す小さな輪が出来上がった。
……なんだこれは
「えへへー!これで皆仲良しだね!二人とも大好き!!」
ご満悦なフランと苦笑いの美鈴。なんだかよくわからないが一件落着な雰囲気である。
「よーし、このまま三人で紅魔館をさんぽしようよ!」
横一列にまた並ぶために私は美鈴の惜しくもない手を離し、フランを中心に歩き出した。妖精メイド達は練り歩く私達を見て、先ほど以上に怪訝な顔をしている。
「……ちょっぴり恥ずかしいかもです。お嬢様」
「ええ。なにがなにやらだわ」
「でもこういうのも良いですね」
「ん?」
「わたしにも妹ができたみたいでなんか嬉しいですよ」
「……フランはわ・た・し・の・だからね?」
「ははは、わかってますって」
美鈴は嬉しそうな顔で前を向き、フランと仲良く歩く。
フランと手を握って歩けることは嬉しいはずだが、私はどっか微妙な感覚を抱いていた。心がグルグルと渦を巻くようなよくわからない感覚。
しかしあまりに些細なことなのですぐにその感情は吹っ飛んでいった。
「……ま、いいか。そんなことより美鈴。あんたもっとフランから離れて歩きなさいよ」
「いいじゃないですか~。フラン様も皆で仲良く歩いた方がいいですよねー?」
「ねー!」
「ぐっ…!そ、そうね。一緒に仲良く歩きましょうにっこり」
「だから表情も一致させましょうよ!」
ワイワイと三人で話しながら見慣れてるはずの廊下をひたすら散歩する。
それはとても、新鮮で楽しい時間だった。
少しの違和感が気にならないほどに
◇
「ただいまー!!お姉様にいっぱい甘えてきたよ」
「よくもまぁ堂々とこのやろう」
「はいはい落ち着きなさいな」
部屋に帰ってきた子供っぽい方に掴みかかったわたしを、羽交い締めにするおしとやかな方のわたし。
くそ!相変わらずややこしい
「んー?なに怒ってんのー?」
「あんたの痴女っぷりに驚いとんじゃコラァ!!引きこもり再燃すんぞ」
「気にしないで。あなたはもう休んでいいわ」
「わかったー」
「美鈴はともかくお姉様にあんな……てゆーかあの輪になるやつなんなの?最早自我が消えていいぐらい恥ずかしかったんだけど?しかもお風呂の約束て……今後それでゆすられでもしたら……」
「ほら、あなたもボヤいてないで次のアピール始めるわよ」
「あんたのせいで明日からお姉様の目がマジになったらどうしてくれんの!!責任もって退治してよね!!?」
「ちょっとは聞きなさいよ」
こちらを完全に無視し、子供っぽい方はすでに机の上のお菓子を食べ始める。
そしてずっと黙ってるニコニコとしたわたしがこちらをみて微笑んでいた。
まるで、じゃれて遊んでいる子供達を見るような
暖かい眼差しで
◆
「パチェ、フランがなんか甘えん坊になってる」
「ちゃんとセーブしときなさいね」
「落ち着いて。現実で起こってるんだ」
思わず図書館に来てしまった。
あの後も夢じゃないかと、何度か窓から顔を出して日光直浴びしたけど夢じゃなかった。だって痛い。
とりあえずこの事を親友に報告せねばと音速で図書館に向かい、本を読んでるパチェの向かいに座った親友の私。
「ホントなんだよ、甘えてくれたんだよ!!」
「へー、ア行以外の言葉で喋ってくれたってこと?」
「そこまでハードル低くないわ!目を合わせて喋ってくれたんだよ!」
「それもまぁ膝下ぐらいのハードルだと思うけど」
「いやいやもちろんそれだけじゃない。実はさ」
さっき起こった出来事を事細かに説明する。話をしていてどこも盛らなくていいという感動に涙が出そうだった。鼻血は出た。
「そういうことなんだよ、パチェ」
「……にわかには信じられないけどそれだったら、確かに、甘えん坊に、なってる、わ」
「歯切れ悪いそうだけど真実なんだ」
「不思議なこともあるわね。無愛想な子なのに」
「あんたが言うかね」
「まぁ私や他の子とかには割と普通に接してくれるけどねあの子。レミィに対しては家畜のような扱いだけど」
「ホントだよ」
「きっと姉とも思ってないわよね。死ねとは思ってるだろうけど」
「さっきからイジメてんの!?」
「冗談冗談。 でもそれにしたっておかしいわよね……なんかあったのかしら」
二人でうーん、と考え込む。
ちょっとまだ疑ってはいるが、パチェはわたしの不遇の歴史を知ってるからいつになく興味持って聞いてくれているのは気のせいではない。
しかしあの突然の甘えっ子妹風……心当たりは残念ながら無い。
「でも別に困っているわけじゃないんでしょ?フランから貴女に甘えてきてくれるなんてなかったわけだし」
「いや、うん、勿論すごい嬉しいんだけど」
「……? なによ。あなたも歯切れ悪いじゃない」
キョトン、と意外そうな顔をする。
そうなのだ。
フランにはいつも「可愛げを持ちなさい」と、皆がいる前でも涙ながらに訴えている。いやもちろんフランは不機嫌でも超可愛いんだけど、普段からもうちょっと可愛げがあったほうがいいだろうと思うことはある。
そんな矢先にさっきの天使降臨で死んじゃうぐらい幸せだったけど、今はなんかフワフワしてしまっている。違和感というか突然すぎて……どうした私。
「あー……多分嬉しすぎてまだトリップしてんだよ。後からグッとくると思」
「ごきげんよう お姉様」
落ち着いた、しかし良く通る声が図書館に響く。
その声の方向へ、私とパチェはほぼ同時に顔を向けた。聞き覚えのある声だがどうにも様子が違う。
カツカツとこちらへ向かってくるのは話題の張本人、フランだった。
突然の来訪に驚いている私達を見据え、座っている私の横まで来ると今まで見たことなかった丁寧なお辞儀をした。
「ここにいらしたのねお姉様。流石、紅魔館の主たるもの常に知識を蓄えるその御姿にこのフラン、敬服の致す限りですわ」
さっきまでとは全く違う様子にまたポカン、としてしまった。
向かいのパチェも驚愕といった表情で固まっている。そのままゆっくり顔を合わせてお互いに目だけで会話をする。
(ちょっと!これが子供っぽくて甘えん坊ってどういうこと!?あんたの妹フィルター壊れてんじゃない!)
(いやいやいや違うって!さっきはホントにロリロリしてて甘えっ子風味だったんだって!!てかなんだこのお嬢様は!)
(知らないわ誰よこれ!てか自分の妹にロリロリしてるとか表現使うな気持ち悪い!)
(アイコンタクトでしょこれ!?)
二人でせわしなく目を動かしまくっていると
「お姉様?どうしてわたしと目を合わせて下さいませんの?もしかして嫌いに……?お姉様に会いたくて館の中を探しまわったのに、そんなの悲しいですわ」
そう言ってフランは右手で口を抑えると大きな目がうるうると潤みだし、やがて一筋の涙が頬に零れ落ちていた。
その様子は美しくも儚げでまさに薄幸の美少女。庇護欲そそるその姿に、今まで感じたことのないほどの罪悪感が襲ってくる
「ご、ごめんなさいフラン!!これは違くて!」
私は慌ててイスから立ち上がると、空いてる方の手をギュッと優しく握る。
「私がフランを嫌いになるなんてあるわけないでしょ?さ、泣くのはおよし……その星の雫は暗い夜空に置いといて、フランという青空に笑顔という名の太陽を咲かせ、私というオゾン層に紫外線を浴びせてちょうだい?」
フランの目元にたまっている涙を私はそっと指で拭う。そして、安心させるように優しく微笑んだ。
………はっ!?しまった!
いつかフランに言おうと温めていた口説き文句が!!2人きりの時限定と決めていたのに……!!あーパチェ引いてるよ……すごい悲しい瞳をしてるよ……
フランそっくりのニンニクがあったらむしゃぶりつくす自信あるわ!って夕食の席で言った時と同じぐらい悲しい表情だわ。
親友に引かれるという犠牲はあったものの、ともかくフランの方は泣き止んだみたいである。それにしても今度はなんなのこの子は。繊細でおしとやかでずっと守ってあげたくなるような……超強いのは知ってるけど
いや、いったん落ち着こう。
よく考えなくてもさっき涙拭いたとき、普段のフランだったら指が触れる前に関節一個増やしたかもしれない。そもそも言った段階でキモいと言われ無視されるはず。当然、お昼の甘えん坊モードの時も同じくだ。
やっぱ今日のフランは絶対におかしい
これは欲望に流されず姉としてちゃんと聞いたほうがいいかもしれない。
浮かれる心を静め、握っていたフランの手をそっと降ろした
「……えっともう大丈夫?フラン、さっきも思ったのだけど今日はなんか」
「ごめんなさい疑ってしまって。綺麗でカッコ良くて優しい頼りになるわたしの尊敬するお姉様なのに」
「それほどでもないわ私の可愛いフラン」
…………まぁその、様子見だよ様子見。
フランであることは間違いないんだからそんな問い詰めるようなことしたってしょうがないじゃない。ほら、こんなうっとりした目で私を見てるフランなんてもうお目にかかれないかもだし。
「あぁお姉様……先ほどおっしゃった言葉も本当にセンスが溢れていますわ。思わず涙が出そうになりました」
「え、そ、そう?まぁあれぐらいの言葉は息を吐くように出てくるわ」
「是非とも呼吸を遠慮して欲しいわ」
「なによりお姉様はフランのことをいつも見ていてくださるし」
「当たり前じゃない。可愛い妹だもの」
「お風呂もトイレも欠かさないわよね」
「紅魔館の主としてカリスマ溢れる美しさもあって」
「人も妖怪も私の魅力に惹かれるのよ」
「館の住人にも絶賛引かれてるしね」
「今みたいに図書館で本を嗜み、知識を蓄えているのも素敵ですわ」
「常に知識欲を満たさないとなんだか物足りないのよね」
「レミィ、早く『赤ずきんちゃん』返してくれるかしら」
「さっきからうっさいわパチェェ!!」
ええいせっかく可愛い妹が褒めてくれているのにこのモヤシは!!今後一生ないかもしれないのよ!?
恨みをこめて目で訴えるが、パチェはもうすでにデフォである読書を開始していた。どうやらフランの性格変化の疑問よりも、私達のイチャつきっぷりへの飽きが先にきてしまったようだ。それでもイジりはやめないみたいだが。
「まったく、普段そんなこと言われないからって調子こいちゃって」
「いいじゃない今は!フランが私の魅力に気づいただけよ!」
あぁでもフランが褒めるなんて嬉しいわね!
ふふん、羨ましかろう親友よ。違和感はさておきこんなにも尊敬し慕ってくれる妹がいるんだぞ!今度からはレミリアストーカー(妹限定)なんてあだ名で呼ばないでよね!
誇らしい気分で目の前のおしとやかなフランを眺める。が、さっきまで自分に向けられていた尊敬の眼差しが、なぜか今はパチェの方へと注がれていた。
「パチュリー、あなたもすごいわ。たった100年ほどでこれだけ膨大な本を読んで、魔法を極めてしまうなんて。紅魔館の頭脳であり、あらゆる知識を司る魔法使い。私なんて教えて貰った簡単な術さえまだ上手くできないのに」
手の平を合わせ、キラキラとした目でパチェを見つめるフラン。
(あれ……?今度はパチェを褒めてるぞ)
突然褒められたパチェは、ビクっと肩を震わせ読んでいた本から顔を上げた。さっきと違い、変にムスっとした表情で固まっている。
(まぁそうよね。そもそもそんな子じゃないってわかってるだろうし)
だが褒められ慣れてない我が親友は、次第に顔が赤くなっていき目が泳ぎはじめる
「き、極めたなんて、まだまだよ私は。本だって好きで読んでいるのだから知識なんてたまたま身についてるだけだし、フランだって遠視魔法ぐらいの術式ならきっとすぐにできるようになるわ。あなたは吸血鬼でありながら魔法書を読み解く才能があるもの」
「ありがとうパチュリー。また今度、あなたの素晴らしい魔法を教えて貰っていいかしら?」
「私の知識が役に立つなら、よよ、喜んで」
ここまでパチェは早口で喋り終わると、赤くなった顔を隠すように本を再び読み始めた。……おいおい動かない図書館が動揺してるぞこりゃ
フランの方は改めて、私らを交互に見つめる
「フフ、お姉様もパチュリーもフランの憧れ。お二人に近づけるよう勉学に励み、礼儀を身に付け、立派な紅魔館当主の妹になりますわ。では邪魔しては悪いので、ひとまずごきげんよう」
スカートのすそをつまみ、ぺこりとお辞儀をしてフランは図書館から静かに出て行った。
「………」
「………」
そして残された私達はというと
しばらく互いに静寂の時間が流れていた
「……………パチェ、照れすぎじゃない?」
「うるさいアホそこじゃないでしょう問題は。フランは一体なにを考えてるの」
「わからない。さっきとも違ってるし」
「そうみたいね。まぁ丁寧な子になっただけなら良いことだと思うけど。おしとやかになりなさいってあなたもフランによく言ってたし」
「そ、そりゃあちょっと乱暴なとこもあるから言ってはいたけどさ」
「でも、さっきとも様子が違うってことでしょ。……………情緒不安定といってもここまでじゃなかったでしょうに」
言いづらそうにパチェが呟く。
彼女なりに色々と心配しているようだ
「いや、今回は情緒不安定が理由じゃないと思う。なんか共通点というか、しっかりとした意志があるような」
「レミィ?」
「……なんでもない。よくわかんないけどまぁ、あの子の気まぐれでしょ。とにかく私は部屋に戻るよ。また夕飯で」
席を立ち、不思議そうな顔をしてるパチェを残して私も図書館から出た。
自室へと続く廊下を歩き、考える。
――さっき感じたのと同じモヤモヤ感、そして今日のフランの行動。うーむ、なんか引っかかる。それに自分でもわからないこの感情のせいで今までの嬉しいはずの出来事が薄れているような、そんな気がしている。
全体的になんなんだ今日は
◇
おしとやかなわたしが部屋に戻ってきた。
「随分と早かったじゃん?あんたが一番偉そうだったのに」
遠視魔法でずっと見ていたが、最初の子供っぽいわたしと比べ、お姉様と交わした時間がとても短かった。三人の中じゃリーダー的存在かと思っていたのだが。
「……わたしはメインじゃないもの。無駄に引き伸ばしたってしょうがないわ」
「メイン?」
おしとやかなわたしは、疑問を問いかけた自分の横を素通りし、ずっと一人用のイスに座っていたニコニコしてるわたしの肩をポンっと叩く
「頼んだわよ」
「うん。わかった」
ニコニコしてるわたしはゆっくり立ち上がり、こちらへと歩いてきた。今まで一番影が薄かったのでまったくもって意識はしてなかったが、なるほど。
――どうやらこいつがラスボスだったらしい
しかし、目の前に来たわたしは相変わらず愛想が良さそうな佇まいである。
「改めてこんにちは。わたしで最後だからよろしくね」
「よろしくしたくないけどね。そんなことより、あんた達は三人で一人ってわけ?誰が気に入られてもいいんだ?」
「う、うんそうだよ。理想という一つの思念から生まれたからね。一人が気に入られれば、それがわたし達になるの」
そういうと彼女は優しくニコッと微笑む。
でもなぜだろう
その笑顔に、心がザワついた
◆
「咲夜、フランが従順で慕ってきてくれるんだ」
「オートセーブは設定していますか?」
「違うんだゲームはしてない。てかなんだ。この館ゲーム好き多いのか」
変な影響が出そうだしもう八雲のやつにはゲームもらわないようにしよう。パチェも説得しなくては
「……でもなんか腑に落ちない、といったところですかね」
「まぁそうなんだよ」
相変わらず察しのいいメイドである。
「自分からアプローチかけて攻めるのはいいけど相手から攻められるのはちょっとなぁ、てことですか?」
「そこまで踏み込んでくるなよ。多分違うんだわ……確かに可愛いし、変に素直だとは思うけど……う~…」
「夕食前に難儀ですねぇ」
紅魔館のムダに広い食堂でまた頭を抱える。そろそろ夕飯だというのに、考え事でお腹一杯の気分だ。ちなみに妖精メイドが使っている食堂は別にあり、ここは私やフラン、咲夜、美鈴それとパチェ、小悪魔など館の古株たちが使う食堂である。
困り顏の咲夜が横に立つ。
夕飯の支度などで忙しいだろうに、咲夜には心配かけて申し訳ない。
だが今日はあまり食べられそうにないので、デザート以外の食事の量を減らして貰うべく咲夜に話しかけようとしたところ
「お嬢様、とりあえず謎解きはディナーのあとにしましょう。今日はお嬢様のためスペシャルなシェフを呼んでいますから」
「ん?咲夜じゃないのか?」
「私も手伝いますけど本日は副料理長という立場になろうと」
「……へーそりゃ新鮮。誰なの?」
「それは、この方です」
今日は本当にいろんな事が起きすぎて、イベントに耐性がつきはじめている。
しかしあの咲夜が台所に他人が立つのを許すなんて本当に珍しいことだ。
よっぽど信用たる人物なのだろう。
手で促された先の廊下。
そこから恥ずかしそうに出てきたのは――フラン。
こちらに向かって静かに歩いてくる。しかし
(あぁ、やっぱりね)
――そうなのだ。別に驚いているわけではない。今日のことを振り返ってみれば、多分そうなのではないかと内心思っていたからだ。
「へー。フランが作るの」
「はいそうで…………え。 どうしたんですか……?妹様の手料理が食べられるってことですよ?まさか本当にお嬢様の目はふしあなになったんですか?」
「いやもちろん嬉しいけど」
珍しくうちのメイドが驚いてらっしゃる。フランが料理を作ってくれるなら流石にテンションが上がるだろうと考えていたらしい。だから自分でもおかしいなって思ってるんだってば。
そして、腑に落ちない理由となっている目の前の妹を観察した。……これも今日で何度目か。
少し顔をうつむかせこちらの様子を伺っている。その頬は恥ずかしさからか薄らと赤く染まり、咲夜が用意したのであろう白と黄色のチェック柄のエプロンを付け、手の指をソワソワと合わさせている姿はとても新鮮で可愛らしかった。
「お姉様……どうかな?変じゃない?」
「……ええ。可愛いわフラン」
「ホ、ホントに?ありがとう」
照れながら笑いかけてくれる。昼間のあどけない満面の笑みとは違い、見る者の心を癒すような優しい笑み。もちろんこれも普段では考えられない。そもそも料理を進んでするような子ではないし、褒められて素直に頷くこともしないはず。
どうやらまた今までのフランとは違う性格になっているようだ。
「つい先ほど妹様に頼まれたんですよ」
「うん。日頃のお礼……っていうのは恥ずかしいけど皆にご飯作ってあげたいなって」
「それはいい心がけね」
フランの隣に立っている咲夜もニコニコと微笑んでいて、一緒に料理が出来ることに満更でもない様子。フランは咲夜に比較的よく懐いているし、咲夜も気にかけてくれている。むしろ言い合いをしている時なんかはフランの味方をすることが多いし(そりゃ妹のイスに頬ずりしてた時は私が悪いかもしんないけどさ)、悔しいが仲の良い二人と言ってもいいだろう。
「お姉様楽しみにしててね。気に入ってもらえるように、わたしがんばって作るから」
大好きなお姉様に美味しく食べてもらいたいし……と小さな呟きも聞こえた。
「じゃあそろそろキッチン行こうよ咲夜。アドバイス、お願いできる?」
「はい。任せてください」
どんな料理を作ろうか、何を作ったら喜んでもらえるか。楽しそうに相談しながら二人がキッチンへと消えていく。
私は一人、いつもよりも広く感じる食堂に残された。なんとなく二人の料理風景が気になるしもっとフランの激カワエプロン姿も見ていたいのだがどうも体が動かない。
このフランもまた、いつもと違う。
こうも立て続けに行われると昼間や夕方のようなテンションにはなりづらかった。待ってるこの時間もワクワクしてればいいのにそんな気分にはなれない
(あぁくそッ!妄想しろ妄想!テンション上げて迎えてやらんとなるまい。フランが作ってくれるんだぞ?きっと今はちっちゃい手で野菜なんかを洗ってて、包丁を使う時なんかは左手を猫の手みたいに丸めて野菜を抑えてるんだろうなぁ。あと、隠し味っていう言葉に憧れてハチミツとかチョコレートを用意してみるけど、結局怖くて使えないどころかちょっとつまみ食いしてしまうフランさんかわいい!)
そうこう考えていると食堂にパチュリーと美鈴が入ってきた。とりあえず無理矢理な妄想を止めて声をかけようと思ったが、なにやら白熱した議論を交わしている。喋りながら二人は私の座っている長机に座った。
食事について基本的には朝食と昼食は皆バラバラであり各々自由に食べにくるのだが、夕食だけは普段外や図書館にいる二人も集まり、私ルールで一緒に食べるようにしている。長机には上座に私が座り、その向かいがフランの席。私側の左右が咲夜と美鈴で、フラン側の左右がパチュリーとたまにくる小悪魔が座るのがなんとなくの恒例。
しかし今は私側の左右に美鈴とパチュリーが談義しながら座っていた。
二人が熱く語っているのはなんだか珍しい。やはり気になったので声をかけてみる
「おーい、お二人なに喋ってr」
「いやー今日のフラン様はすごい子供っぽかったというか、妹全開でめっちゃ愛らしかったんですよ!見てないなんてもったいなかったですね~パチュリー様」
「別にかまわないわ。私が会ったフランは上品でおしとやかでお嬢様然としているまさにレアフラン。あれを見てないなんてホント美鈴は可哀想ね」
「私なんて手を繋ぎましたからね」
「今度魔法を教える約束したわ」
「まてこら」
弾幕でもなんでもない火花がパチュリーと美鈴の間でバチバチと散っている。これもまた珍しい光景なのだが、そんなことより聞き捨てならない内容が聞こえた。
「いやいやいやあんたらさ、誰の許可を取って私の妹を語ってんだ?」
「なによ。別にいいでしょう」
「そうですよ。てかもう皆の妹でいいんじゃないですか」
「詰めるぞ」
「なにを!?」
まるで推しているアイドルでも語っているような二人の様子。てか美鈴はともかくもパチェまでどうしたその自論。今日はもうキャラ崩壊の日かなにかですか。
私がフランを語っているときにパチェがするような心底呆れた視線を送ってやると、それに気付いたパチェは取り繕うかのようにコホン、と咳払いする。
「別にそんなんじゃないけど、廊下で会った時に美鈴が『甘えん坊のフラン様は最高ですね!』とか言うから」
「パチュリー様だって『あら、幼い見た目に優雅な佇まいこそ彼女の隠してた魅力よ』って挑発したじゃないですか」
また二人が睨みあう。お互いのモノマネが無駄に上手いのも気になるし、パチェのフラン論はむしろ私の魅力なんじゃないかと思うし、どうしたらいいかわからなくなってきた。
「あの、二人共?今日のフランについてなんか疑問というか、おかしいって思わないの?」
「ん?そりゃおかしいって思うわよ。当然じゃない」
「でしょ?ならさ」
「わたしも思いましたけど……個人的にはちょっと嬉しかったんですよね」
「あぁん?」
「手軽にメンチ切らないでくださいよ!……前に朝食でフラン様と二人になった時があって、良い機会なので沢山お話したんですよ。そしたら私の話をほんと楽しそうに聞いてくれて。そのときの笑顔が子供っぽくて可愛いかったんです。だから普段から無邪気に甘えてくれたらなぁ、と 」
いやー夢が叶っちゃった感じですよ、と頭に手を当て苦笑している。
それにつられてかパチェも静かに語り出す
「私のとこにもフランが本を読みに来たことがあったわ。しかも魔道書よ。術式についても質問してきたし読んでどうするのかと思ったけど、簡単な魔法ならすぐに使えるようになっちゃったわ。暇つぶしになったって帰っちゃったけど、もっと真面目に取り組めれば色々教えてあげられるのに……ほら、もったいないじゃない? 落ち着きない子だからしょうがないけど」
はぁ~…と二人で深いため息をつく。
どうやらそれぞれにフランへ思い描いていた理想があったみたいだ。
「まぁどうせ今日限りのお遊びみたいなものなんでしょうけど」
「そうですね……明日には元に戻ってますよね絶対。でも、新鮮で楽しかったです」
いつのまにか今日のことを楽しく談笑している二人。常駐する場所は違えど、古くからこの館にいるだけあってこいつらもたいがい仲良いものである
「そういえばお嬢様はどっちが良かったんですか?」
「え?」
「そうね。あなたは両方体験したみたいだし」
「ぁ~………その、私は」
「みなさーん、出来ましたよー」
言いかけたところで、咲夜とフランがキッチンから戻って来た。ガラガラと配膳台を押して私達のところまで来ると、咲夜は座る皆の顔を確認した。
「はい、ちょうど良くお揃いですね。お待ちかねの夕食です」
妹様お願いします、と小声で横のフランに囁き、料理の乗ったお皿をフランが皆に配り出す。慣れないことなのでお皿を配る手に緊張が読み取れた。その様子を異様に暖かい目で見守る美鈴とパチェに不気味さを感じたものの、とりあえず言いかけたことは言わずに済んだみたいだ。
そして、フランが作ったのはハンバーグのようである。小さめのハンバーグにデミグラスソースがかかっているが、ソース自体は恐らく咲夜が作ったものだろう。その横には人参とブロッコリーなどの温野菜が添えられている見本のようなハンバーグランチ。
他の二人の皿と見比べてみてもハンバーグの形や大きさが不揃いで、いかにも手作り感が出ている。慣れないながらも一生懸命作ったのが見てわかる代表的な料理だろう。
いまだちょこまかとナイフとフォークを配っているフランが視界に映る。
美鈴がさっき言っていたように、今日のことはフランの気まぐれだとは思う。この後にでも「遊びでしたー」とフランが種明かしして終わり。だからこその普段じゃありえない振る舞いをしたのだと。
――でもこのフランは今までのフランとはちょっと違う感じがする。いや、本人に間違いないし自分でもなに言ってんだかとは思うけど、なにかすごく懐かしい感覚がするのだ。
そう考えてるうちにフランは食器を配り終えたみたいだ。
咲夜が改まって号令をする。
「では、料理の前に本日のスペシャルシェフを紹介します。主に野菜を切ったりハンバーグをこねたりしてくださった、フランドールシェフです」
パチパチと咲夜が拍手をすると、横に立っていたフランが気恥ずかしそうに前に出た。皆がフランに注目する
「えーと、フランです。今日は皆に感謝の気持ちを伝えたくて夕食をつくりました。咲夜にだいぶ手伝ってもらっちゃったけど」
ありがとね咲夜、と顔を見て照れ臭そうに笑う。咲夜もその様子を見て微笑んだ。
「……それでね、ちょっと食べてもらう前に聞いて欲しいことがあるの」
突然、神妙な面持ちになったフラン。和やかな空気が一瞬止まり、そばにいる咲夜でさえキョトンとしていた。
少し間を置いてフランが話し出す
「お姉様……そばにいてくれてありがとう。閉じこもり気味だったわたしを、ずっとお姉様は守ってくれた。いつもお姉様に好きって言われても無愛想に返してたけど、本当はすごく嬉しかったの」
にこやかに私を見つめるフラン。
唐突な公開告白にみんなの目が点になる。それも束の間、フランはクルッと横にいる咲夜のほうへ向くと
「咲夜も。毎日美味しいご飯ありがとう。紅魔館が綺麗なのは咲夜のおかげだね。あと、デザートいつも少しつまみ食いさせてくれてありがとね?」
言われた咲夜は、それ内緒ですってば!?と焦り気味にフランへ耳打ちし、こっちをチラチラ見つつ申し訳なさそうな顔をする咲夜。聞こえてたし初耳だぞおい
続いてフランは正面にいるパチェと、美鈴の方へ顔を向ける
「パチュリーは普段むずかしい顔してるけどどんな質問にも優しく答えてくれるし、美鈴は私が暇そうだと一緒に遊んでくれたり、面白い話をしてくれた」
自分でも噛み締めるように話すフラン。二人は突然のことにリアクションできず、ただただ呆然としていた。
言い終わると胸に手を当て、深く深呼吸をする。そしてさっきまでの明るい表情ではなく、辛そうな表情へと変わっていった。
「だから本当にわたし、みんなに感謝してるんだ………みんなが来るまではこの館はすごく寂しい場所だったから」
そうだったよねお姉さま、と悲しそうな目線を向けられる
「ここには最初、お姉様とわたししかいなかった。それはすごくお互いに寂しい日々だったの。わたし達の世界には2人しかいない。ずっと二人ぼっちなのかなって」
「でも、お姉様がここにみんなを連れてきてくれた。咲夜、美鈴、パチュリー。紅魔館に来てくれて、わたし達に笑顔をくれて、ありがとう」
自分の目から涙がこぼれそうになったことに気付いたフランは、指でそれをサッと拭って精一杯の笑顔を作る
「みんなが揃ってわかったの。これが理想の紅魔館なんだって。たくさんの笑い声と楽しい日常、それがこんなにもキラキラした毎日にしてくれる。それを教えてくれたみんな、そしてお姉様……世界で一番、大好きだよ」
聞いてくれてありがとう、とぺこりと頭を下げるフラン。そして再び顔を上げたとき、急に皆の視線が恥ずかしくなったのか、こそばゆそうにはにかんだ。
静まり返った食堂。
先程からみんなは唖然とした表情でフランの言葉を聞いていた。話が終わった今でも表情は変わらない。
一時の静寂。
それを破ったのはずっとフランの横に立っていた、咲夜の小さな拍手だった
パチパチと響き渡る一人分の拍手。今までフランを見つめていた美鈴とパチェは、咲夜の方に振り向いた。その顔は穏やかで、目の端には涙がたまっている。咲夜の拍手を皮切りに美鈴とパチェは互いに目配せをして咲夜と同じように手を叩いた。
それは次第に膨らんでいき、三人分の大きな拍手が食堂を埋める。
「ありがとうございます妹様……私も妹様のことが大好きですよ」
「あ、咲夜さんズルい!!も、もちろんわたしもですよ!?今更そんな、ね?水臭いというかなんというか」
「そうね。でもこうやって言葉にしてもらうと、その……嬉しいわね」
口々にフランへの賛美の声が飛び交う。すっかりみんな笑顔になり、フランも嬉しそうに笑っている。
「いやーフラン様ったら唐突すぎますってホント!わたし達はもう家族なんですからそんなの」
「あら美鈴?顔真っ赤じゃない。照れてんの?」
「パ、パチュリー様だって赤いですよ!あ、今更隠しても無駄ですからね!?」
「はいはい二人とも落ち着いて。せっかくの妹様の料理が冷めちゃいますよ?」
「「それはいけない!」」
大きな声でいただきまーすと言い終わるやいなや、二人が一斉にがっつく。
その様子にフランと咲夜は笑みをこぼした。
「えへへ。そんな喜んで食べてもらえるとわたしも嬉し……あーー!!パチュリーっ!!大丈夫!?慣れないことするからだよ~!」
「ゲホっ!だ、大丈夫よ。あまりに美味しそうだったからつい、ね」
「喘息設定を忘れないでくださいねパチュリー様」
「もう、美鈴もがっつきすぎだよ。口にご飯付いてるし」
「あっ……すす、すすいません!取っていただいて」
「美鈴あなたっ!ゴホッ!グハァッ!!」
「はぁ、まったくもう」
わいわいといつも以上に騒がしく、夕食の時間が流れていく。笑い声が絶えず響き、暖かな空気が食堂を包み込んだ。
フランを中心に、みんな笑顔で幸せそうな顔をしている。
「……」
目の前で広がっている団欒を見据え、私は同じ場所にいながらそれをどこか遠くに感じていた。
別にさっきのフランの独白に心が打たれなかったわけではない。むしろここにいる誰よりも衝撃を受けていると自負している。
今までこんなことが出来るような子ではなかった
みんなのために料理を作り、感謝の気持ちを伝えることなんて。
でも、今日一日を振り返ってみてわかったことがある。
可愛く甘えてくるフラン。おしとやかで従順なフラン。
そして、素直に気持ちを打ち明けてみんなのために笑顔を作れる優しいフラン。
どれも私が思い描いた、理想の妹の姿だったのだ。こうあって欲しいと願い、フランに言い続けてきた理想。もしかしたらそれを聞き受けてフランは生まれ変わったのかもしれない。
ずっと自分の中で渦巻いていた感情の正体も、この光景をみてやっとわかった気がした。
――そうか。これが
ふと、フランと目があった。皆が談笑してる中、さっきから黙っている私を心配しているのだろうか。美鈴と話しながらも不安そうな顔をしてこちらをチラチラと見ている。
その様子に、自分の中で感じていた妙な既視感の正体にも気づくことができた。
(あーなるほど。……見覚えがあるわけよね)
私は話を遮らないように「おいしいよ」と口パクで伝える。
それをみたフランはパァッと喜びの表情で満ちていった。
満足した私はそのままパチュリーに話しかけ、暖かな団欒に加わることにした。
愛情のこもった美味しい料理に楽しい会話。
紅魔館の食堂の明かりは、いつもよりも長く点いていた。
* * *
ある日 、お姉様は言った。
みんなと合わすために時間を変えるわ、と
それからは
わたしの眠る時間にお姉様は起き、
わたしが起きる時間にお姉様は眠るようになった
一方的に告げる「おはよう」と「おやすみ」がわたしとお姉様の会話になった。
夢じゃお姉様に会えやしない
でも起きてもお姉様には会えなかった
なにが変わったどうして変わった
でもわたしも変わらなきゃ置いてかれる
今のままでは、置いてかれる
* * *
「…………いい加減、顔上げたら?」
鏡を前にうなだれているわたしをみて、おしとやかなわたしはそう告げる。
先程まで遠視魔法によって古びた鏡から映し出されていた、紅魔館の楽しげな食事風景。みんなの中心となって笑っているのは紛れもない自分。だけど勿論わたしはここにいる。
そんなことには誰も気づかず、賑やかにおしゃべりをしていた。
鏡の中のわたしはお姉様に嬉しそうに笑いかけて、それにお姉様も優しく微笑み返していた。
それが他のわたしに対しての、デレデレとした態度をとっていたお姉様とは明らかに違っていたことに気づく。
仲が良くて幸せそうな普通の姉妹。
心から繋がり満ち足りているような関係。
目の前にはそんな光景が広がっていて、そこに自分はいるけどわたしはいない。
それでも、いつか夢見た理想の自分の姿が、完成していた。
「本当に言葉も出ないみたいね……無理もないけど。だからあの子が切り札だったのよ」
そう言い放つ声さえ遠くで聞こえているように感じた。鏡から聞こえていた談笑だけが今も耳の奥で反響する。
「ねぇ、自分と比べてどう?正直に気持ちを伝えられる私たちと、冷たく無愛想、素直に好きとも言えないあなた。お姉さまはどっちがいいかしらね?」
「……」
それでもなお畳み掛けてくる言葉に返す気力もなく、たとえ言えても正当性のある言葉を返せる自信もない
「……ふん、いつまでぼーっと座ってるのよ。そろそろあの子も帰ってくるから準備なさい。最後はあなたよ」
「…………わかってるよ。顔洗ってくる」
無理やり体に力を入れてよろよろと立ち上がる。そのまま重い足取りで扉の方へ向かった。ドアノブに伸ばした自分の手がわずかに震えている。
毎日求愛してくるぐらいだし多少なりとも愛されている自信があったので、お姉さまに対する分身たちの行動に驚くことはあってもこんなにも絶望することは今までなかった。
過剰な反応なのかもしれない。しかし鏡の中で笑う自分をみて、なにか絶対越えられない壁のようなものを感じたのだ。
そして不思議と、妙な既視感も。
――あの子がみんなに言った言葉も、自分にとっては違和感だらけだというのに
力なく扉を開けて出ていこうとすると、後ろから声が投げかけられた
「もう気づいてるでしょ?あの子を見て否応にも思い出したはずだわ。 そうよ、あれは…………素直で優しかった頃の貴女」
「フランドール・スカーレットの過去の姿よ」
* * *
わたしとお姉様
ここは二人だけのお城
お姉様の言葉にはわたししか返せない
わたしの言葉にはお姉様しか返せない
そんな世界が私達だった
でもいつの日からか、目に見える世界がどんどん広くなった
お姉様の言葉にわたし以外の言葉が返す
お姉様の言葉がわたし以外に向けられる
それが日常になる
いつも笑顔に包まれて、世界に言葉が増えていく
明るい声が増えていく
雑音が 増えていく
* * *
昼間は妖精メイドのサボリにより、きゃいきゃい騒がしい紅魔館の廊下だが、それも夕食の時間が終わる頃になると途端に悪魔の館らしい静けさに包まれる。血に染まっているような赤の絨毯の上を、今はわたしの足だけが支配している。流石にこの時間の廊下を出歩くのは吸血鬼だけだということだ。今は朝方吸血鬼だけども。
地下室にいた数時間前よりは気持ちが落ち着いたものの、足取りはそのまま廊下に沈んでしまうんじゃないかと錯覚するほどに重い。
一つ先の角を曲がれば、すぐにお姉様の部屋がある。あと何十メートルか考えるたびに心臓がきゅっと締め付けられた。指先の冷えも収まらない。そして先ほど投げかけられた言葉
「……あいつは〝過去のわたし〟か」
ポツリとつぶやいた。その言葉を思い出すたびに気持ちが沈んでいく。
初めて見た時から薄々とは気づいていたが、あいつとお姉様が話している場面を見てそれは確信に変わっていた。
あれは何百年も前のわたしにそっくりの性格をしていたのだ。
当時のわたしはお姉様のことが大好きで、褒めて貰えれば飛び上がるほど喜んだし、叱られれば素直に反省する。いつだってお姉様の後ろを歩いて、どんなところでもついていった。それだけがわたしの全てで、そんな毎日に満足していた。わたしもその時は常に笑顔だったことを覚えている。でも、いつからか自分が変わっていったことも気づいていた。そしてもう戻れないことも。
あれは
「あっ…」
そう思っているうちに、お姉様の部屋の前に着いてしまった。わかった途端にまた足がすくんでしまいそうになりどうしようもない虚無感と恐怖が襲ってくる。行っても無駄だ。敵うわけない。
だって
だって 過去のわたしとお姉様は、 もうさっき会ってしまったじゃないか
ギリっと自慢の歯が軋む音がする。
わかっている。今のわたしじゃダメだってことぐらい。
甘える妹も従順な妹もお姉様の理想の妹なんだろうけど、でもなにより昔のわたしを望んでいるに違いないんだ。
鏡に映っていた二人の幸せそうな笑顔が目に焼きついている。
自分自身には敵わない。
「………もうわたしが出てきても」
それでもわたしは目の前の扉を開けようと、手を伸ばした。
どうせ明日にはわたしはいなくなる。正確にはあの子、昔のわたしが成り代わることになるだろう。
だからこれがお姉様と顔を合わし言葉を交わす、最後の場となる。そう思えば立ちすくんでるこの時間さえ惜しい。
そして同時に、フッとなんだか気持ちが軽くなる。
よく考えたら別にフランドール・スカーレットという存在がいなくなるわけではないし、客観的にはレミリアとフランドールという仲良し姉妹が出来上がるわけだからなんてことない、わたし自身が望んでいたことじゃないか。
お姉様や他のみんなにとっても絶対そっちのほうがいい。
もしかしたらそのうち幻想郷でも噂になっちゃうかも。
『仲良くて微笑ましい、幻想郷で話題の優雅な姉妹』みたいな。お姉様があんな調子だし、あの子はわたしみたいに拒んだりしないからきっとそうなる。そうなったら毎日一緒のベッドで寝たりお揃いの服を着たりしてさ、たまーにちっちゃなことでケンカなんかして。でもすぐに仲直りできちゃうんだ。それでまた一緒のベッドでお喋りしながら眠る……そんな毎日。
いつも、お姉様の後ろを歩ける。
「なーんだ。今より全然良くなるじゃんか」
そうだそうだ、と気持ちが楽になり自分でも笑いながら、静かにお姉さまの部屋の扉を開けた。
そうだよ わたしは何も終わらない。むしろ始まるんだ
じゃーね
今のわたし
じゃーね
お姉さま
わたし、変わってみせるよ
部屋に入ると当然だがお姉様がいた。ただ珍しくいつもは締め切ってるカーテンを開け、こちらに背を向けた形で窓越しの夜空を眺めていた。ドアを開けた時点で部屋に誰かが入ってきたことはわかっているはずだから、こちらから要件を言うのを待っているのだろう。いや、もうわたしが来ることさえ知っていて、話かけられるのを待っているのかもしれない
(これじゃ今朝呼び出されたのと同じだなぁ……なんて)
そんな風に考えるのもこれが最後か、と覚悟を決めてだんまりを決め込んでるお姉さまに話しかける。
「お姉様、まだ起きてんの?……早く寝なきゃ朝起きれないよ」
思わずいつもの皮肉が出そうになったがなんとか押しとどめる。今更変に言い合うのは後味悪いし、サラッとお別れしたほうがいいだろう。
しかし、お姉さまはこちらを振り向こうとはせず後ろを向いたまま返事をした
「……あらフラン。心配ありがとう。でも、ちょっと今はこうしていたい気分なの」
柄にもなくそんなことを言うお姉様に少し違和感を感じる。こんな浸ってるお姉様は珍しい。いつもあんなうるさいのに、今日に限ってどうしたのだろう
「ふーんそう…………今日は、月が綺麗だね」
「ええ、眠ってしまうのが惜しいくらい」
「今は夜だと眠っちゃうし、なおさらかな」
「そうかも」
相変わらず後ろを向いたままではあるが、久しぶりに言葉を交わしたように感じた。むしろこんなまともに会話をしたのさえ最近では無かったかもしれない。そう思うと少しばかりの後悔が今更ながら襲ってくる。
でも、明日からはたくさんお姉様とお喋りをするわたしがここに存在していることだろう。
あー楽しみだ
こんなわたしとももうすぐおさらば
今度はうまくいきますように
とりあえず、今日のことを質問してみる
「ねぇお姉様。今日のわたしはどうだった?」
「今日の、あなた?」
「うん。おどろいたでしょ?」
そう切り出すと、後ろ姿ではあるが背中に緊張が走ったようにみえた。
「実はわたしさ色々反省したんだよ。今までお姉様に馬鹿な態度とってたなぁ、このままじゃいけないな、とおもってさ。だから明日から生まれ変わる気持ちで、今日は属性変えてアピってみたわけ」
「…………そう」
朝起きたら自分の理想が分裂していました、なんて言えるはずもない。かんしゃくだけでなく妄想癖までわたしのキャラに追加されたらたまんないし、今度のわたしに悪いだろう。なんだっけ……立つ鳥跡を濁さず、だったかな。魔理沙が図書館からコソコソ抜け出す前によくつぶやいてたっけ。わたしはそれを見てるだけだったけど。
明るく言ってみたつもりだが、お姉様はなぜか興味なさそうな返事をした。
おかしい。わたしから話しかけたら三度見ぐらいするくせに
「だからさ、感想聞かして。特別にお姉様が気に入った性格に明日から変わってあげるよ。どのわたしが良かった?」
「比べられないわ」
うーんらしくない。照れてんのかね
「……そんな迷わないでよ。まぁ自分で言うのはなんだけど、どれもけっこう可愛く出来たと思ってるししょうがないけどさ。でもチャンスだよ?明日から今日のどれかのわたしになってあげるんだから」
「べつに」
どうしたんだろう ほらこっち向いてよ
「遠慮しないでいいってば。今日は実験みたいなもんだし、キモいなんて言わないからいつものように欲望全開でかまわないよ」
「いいってば」
おかしいオカシイ
「今日みたいにいつだって甘えてあげるし、言うことはなんでも聞くおしとやかな妹にもなってあげるよ。ソファーにも隣で座る、ご飯もアーンして食べさせてもいい。毎日お風呂もベッドも一緒に入ってあげるし」
「フラン、だから」
「あ゛ぁぁぁーーッっうるっさいっっ!!!!いいから答えてよっ!!!どのわたしが良かったかっ!!!」
ダンっ!!と勢いよく足を踏み、その衝撃で床に亀裂がはいる。
無意識に飛び出た叫び声は、空気をつんざきこの広い部屋に反響した。びりびりと響く音の振動が、自分の肌にも突き刺さる。
耳鳴りのような余韻。
一瞬で静まりかえった部屋。
鳴動する鼓動だけが自身の体をわずかに震わせ、瞳孔が開いた目はお姉様だけをとらえて動かない
――なぜ叫んだのか、じぶんでもわからない。
ただ気づいたら声が出ていた。
しばしの静寂の後、今までずっと背中を向けていたお姉様がゆっくりとこちらを振り向く。
「…………フラン……?」
今日初めて直で見るお姉様の顔。それは先程からの声と同じ悲しそうなわけでもなく、唐突なわたしの叫びに憤慨してるわけでもなかった。その表情はまるで
―――ずっと見つからなかった探し物をようやく見つけた、そんな安堵と呆然とした表情が入り混じったような顔をしていた。
「フラン、なのよね?」
自分の胸を手で押さえて、恐る恐る確認するような声を出す。
さっきとは裏腹にジッとこちらを見つめている。
「………そ、そうだけど」
わたしはというと、お姉さまの予想外の表情に呆気にとられていた。
「あ、いやその、ごめんね!!当たり前よね!」
少し焦ったあと、やはりどこか安心したみたいに息を吐くお姉さま。
「な、なんなの」
自分でも整理がつかずパチパチと瞬きをする。
何が起こっているのかさっぱりわからない。
今までのつれない態度から、一気にいつもの雰囲気へと様変わりしている。ていうかなぜそんな表情をしているんだろう?さっきのわたしになんか言うことはないのか。
少し混乱しつつも、とりあえず目の前で安堵してるお姉様に話しかける。
「今日はずっと一緒にいたじゃんか。廊下でだって図書館でだって会ったし………夕飯もついさっき食べたでしょ。いまさらなんなのよ」
「ええそうね。でもなんか今日は一度もあなたに会っていなかったような気がしちゃって……その、寂しかったわ」
「……!…な、なにいってんの?」
「あー違うか。正確にはあなたに会えなくて寂しかったというよりは、今日のあなたに対して寂しくなった、っていうのが正解」
今日のことを思い返したのか、悲しそうに目を伏せる。
「はぁ?今日はたくさんお話したし、て……手も繋いだりしたのにそれで不満なの?」
お姉様は何を言ってるんだろう。あんな幸せそうにわたしの分身と過ごしてたくせに。
わたしの言葉を聞いたお姉様はムッとした表情でこちらを睨む
「不満も不満よ。いい?確かに今日のあなたは甘えっ子だわおしとやかだわ優しいわで、とんだエレクトリカルなパレードだったわ。年間フリーパス欲しい」
「う、うん」
「でもそのパレードは私だけに向けられたものではなかった。つまり、みんなへのハピネスだったのよ」
「……………えっと…?」
「いや、その、だからあの…」
意図した反応ではなかったのかあたふたと目を泳がしている。
その様子に困惑し、先程までたまっていた体の熱が冷めていくのがわかった。そういえば今日の図書館でも私に向けて変な例えを披露して、パチュリーのジト目を独占していたのを思い出す。分身はそれさえも褒めちぎっていたが、流石にその口がわずかに引きつっていたのをわたしは見逃さなかった。なんてったって自分の顔ですからね。
しかし、すっかり普段の調子に戻ったお姉様に、なんとなく安心してしまった自分もいる。あんなそっけない態度のままお別れするのもイヤだったから、この空気は良い緩和剤になっていた。
「お姉様、そういう例えはいいから。向いてないから」
「決まったつもりでいたのに……」
「もともと内蔵されてないセンスを出そうとしてもムダだってば」
「ぐっ……わかったわよ」
自分でも驚くぐらいの生暖かい視線をよそに、考え込んだお姉様は仕切り直すように咳払いをする。そして
「ごめんなさい。つまりあれよ、今日のあなたの態度は私だけに向けられたものじゃなかったっていうのが…………すごくイヤだったのよ。」
言った瞬間、後悔するように重いため息を吐いた。恥ずかしかったのか、叱られた子供のようにバツの悪そうな顔でこちらの反応を伺っている。
「……」
しかしそれを聞いて私は固まってしまった。
一瞬でも感じたさっきの暖かな空気が、自分の周りだけ突然変わったみたいだった。
そして、お姉さまの言葉に
プツ、と
なにかが切れる音が聞こえた。
「………それが、理由?」
急激にカラカラと乾いていく喉から、自分でもわかるほどに震える声が出る。
収まったはずなのに体がまた熱くなり、さっき感じた逆立つような熱が体を支配し始める。
落ち着け落ち着けとこみあげてくるそれをなんとか押し込め、ゆっくりと問いかけた
「……ええそうね。はじめは嬉しかったんだけど、そばにいた美鈴やパチェにも同じ対応してたでしょ?」
「……」
「その時にね、ぎゅーっと心臓を締め付けられたみたいな、変な痛みがあったのよ」
次第にうつむいてくこちらの様子を知ってか知らずか、つらつらと喋り続けるお姉様
「『あー私だけがもう特別じゃないんだ、フランにとってのみんなと同じカテゴリーに私は入っちゃった』って思ったわ」
「……」
「最初はこのモヤモヤがなにかわかんなくてさ。でも夕食の時に確信したのよ。こんな感情が自分にもあるんだって驚いた」
「まぁ〝嫉妬〟ってやつよ」
その言葉にビクッと体が反応する
これじゃ人間みたいよね、そう言ってお姉様は自嘲気味に笑う。吸血鬼という孤高の種族である自分にそんな弱い心があったとは信じられなかったみたいだ。
「だから今日は辛かった。抱きつかれて甘えられるよりも、慕われて褒められるよりもなにより………好きでも嫌いでも、あなたにとっての特別じゃなくなった方が私にとってずっと、寂しかった」
こちらを見つめて、でも、と続ける。
「今ここにいるのはフランでしょ?私にだけあまり優しくなくて甘えん坊でもない大切な妹、フランドールなのよね?…………いつものあなたで安心したわ」
その目には嘘偽りもなく、今のわたしを求めてくれていた。
――だから、この部屋に入ったときあんなにも素っ気無かった。きっとわたしに会うことが怖くなっていたのだ。また他のみんなと同じ態度を取られて傷つくのが。
途中叫んだわたしをみて安心したのは、この部屋にいるフランは甘えたり褒めたりしない、いつものわたしであることに気付いたから。
「…………」
しかし、わたしはその視線に応えることは出来なかった。
さっきからお姉様がしゃべるたびに、ふつふつと湧き上がる感情。
『最初の言葉』を聞いた時から震えが収まらない。
途中何度も叫びだしたくなった。
それも自分の歯を力いっぱいに噛み締めることで我慢していたが
もう
ダメだった
「………ズルいよ、そんなの」
ぽろっとこぼれてしまった言葉
意図したことではなく、ただ、出てしまった。
だがそれは、今まで抑えていた感情を決壊させるのに十分な引き金となった
「フラン……?」
ゆっくりと顔を上げたわたしの目には、呆然と立っているお姉様が見える
「お姉様が言ったんじゃん…………おしとやかになれ、可愛げを持て、優しくしろ……全部お姉様がわたしに言ったことでしょ?望んだことでしょ……?」
「たかが一日でなにが寂しかった、よ…………わたしはずっと……」
止まらない。勝手に口が動いてしまう。
氾濫し、濁流となって流れてくる感情の吐露
歯止めの効かなくなった想いは言葉となって吐き出される。
「寂しいなんて……自分だけだと思ってるの?」
「ふざけないでよ」
「あんただけを特別にしろって………じゃあお姉様はどうなの?お姉様はわたしだけを見てくれてないじゃんか!!自分ばっか勝手なこと言うなっ!!!」
激情が、取り繕えない本心が、剥き出しになっていく
「ねぇお姉様?いつから…………いつからここはわたし達以外の声で溢れるようになったの? どうして二人だけじゃないの? どうして人が増えてくの!!?」
「眠る時間だって、起きる時間だって、なんでもお姉様に合わせたんだよ……?わたしを見て欲しかったから。お姉様の理想の妹になりたかったから。だってわたしをもっと好きになってくれればこれ以上人が増えないはずでしょ? 今のわたしだけじゃ足りないから、他の人に目が行くんだよね? そうなんだよね?」
ぐらつく視界の先にいるお姉様を見つめる
目を見開いたままのお姉様は答えない
その反応にまた頭に血が昇っていく
「……紅魔館の皆は好き。でもこの館に住む人が一人二人って増えてくたびに、お姉様が取られてくような気がしたの。不安で、嫌で、怖かった」
ぎりっと手に力が入った。自分の爪が内側に突き刺さる感覚さえ今は感じない
「だけどお姉様はどんどん仲間を増やしていって、いつも隣に誰かがいるようになって、喋ることも、食事の時間だって合わなくなって」
発作のような呼吸。目の前もぼやけてきて目元に熱い何かが溜まってくる。
潤む視界に、すべてが揺らいでいく
「二人だけで幸せだったのに…………わたしは、お姉様がいればなにもいらなかったのにっ!!!」
――それでも、言葉は途切れることなく想いをぶちまけていった
「賑やかな声もたくさんの笑顔もいらないっ!!お姉様がいればそれでよかったんだ!!!」
「これ以上声を増やさないで!!他の人の声に返事しないで!!優しくしないで!! みんなに手を伸ばさないで!!わたしを―――」
くしゃりと歪んだ目元から、雫が一筋、こぼれる
「―――わたしだけを、見てよぉ……」
そのまま膝から崩れ落ち、手のひらで溢れてくる涙を覆った。
一度流れたそれは止まらず手の平を絶えず濡らしていく。
自分ではもうどうしようもなかった
〝ここには最初、お姉様とわたししかいなかった。それはすごくお互いに寂しい日々だったの〟
夕食の席でニコニコしてたわたしが皆に言った言葉。
わたしは、地下室でこの言葉を鏡越しに聞いたとき思ったのだ。
――違う、と
そんなこと思ったこともない。
むしろそれからの日々が、寂しかったはず
しかしそれは誰にも言えない。言えるはずがない。
自分の浅ましさや醜さ、散々冷たくしたお姉様にこんなにも依存してたことを、誰にも悟られたくないから。
だからこそあのニコニコしたわたしは、本当のわたしを隠す為の理想の姿と成りえているからあんなことを言ったのだろう。
みんなだけじゃなくお姉様にも優しく、笑顔を絶やさずいつでも素直な自分。
……そんな、まるっきり逆なわたし
でも、できるならば
ふと、前方から近づいてくる足音が聞こえた。
「来るなっ!!」
覆っていた手から顔を上げて、心配した表情で手を伸ばしてるお姉さまを強く睨みつけた。わたしに向けられた指先がわずかに反応し、一瞬逡巡したあと悲しそうに降ろされる。
「――ごめんお姉様。 いいんだ。 もう疲れたの」
「フラン……」
「………わたしのことを嫌いになってよ。そうすれば明日、素直だった昔の自分に戻れるんだ……だから、お願い」
なぜだか泣き出しそうな顔のお姉様に、安心させるようゆっくり微笑んであげた
「明日のわたしを愛してあげて」
今できる、自分なりの精一杯の笑顔を作る。
これでいいはず。久しぶりだけどきっとちゃんと笑えてる
そして、明日の私はもっと上手く笑えているだろう。
返事はなく、物語の終わりを示すようにこの部屋の音は止んだ。お姉様は口をつぐみ、何も言えないでいる。最後までこんな表情をさせてしまうなんてやっぱ悪い妹だったのかもしれない
でもこちらとしては言いたいことは全部言えたし、これで思い残すことはなくなった。
――フランドール役はもう交代。
今度は自分でも納得のいくフランドールを演じてくれますよう彼女に期待しましょう。
前作を超えるドキドキと、ハッピーエンドはお約束……なーんてね。
立つ鳥跡を濁さぬよう これで本当に
さよならだ
溜まった涙を右手でぬぐい、立ち上がろうとした。
「待って」
崩した足に力を入れようとしたところで、呼び止められた。
その声には不思議な力があるようにわたしの体はピタッと止まった。
鮮明になった視界の先には先程から変わらず、お姉様が立っている。ただその表情は今までにみたことないほど真剣なものだった。
「…………なに?さらっと行かせてよ。恥ずかしいんだけど」
「どうして、今のあなたを愛してないなんて思うの?」
語気を強めたハッキリとした声で問いかけられる
その様子に一瞬、たじろぐ。
「………だから、そういうことじゃなくて、明日になればもっと」
「最初っから、変わる必要なんてないって言ってるでしょ」
予想外な態度に戸惑ったわたしの言葉を、お姉様はピシャリと遮るように言い放った。
本来持っている夜の王の威圧感は有無を言わせない迫力を感じさせる。
両足を崩して座っている姿勢から改めてお姉様を見上げる。
射るような眼差しを携えた表情の中には怒りはなく、どちらかといえば哀しんでいるようなそんな表情だった。
「よくはわからないけど、明日、あなたが〝変わる〟かもしれないのね?」
「い、今のわたしを嫌ってくれればそうなれるよ」
「わかった……話したくなさそうだしその理由は聞かないわ。でもそれなら、あなたは変わることはできなそうね。嫌いになんてならないもの」
「……っ……」
凛とした声でそう言い放つお姉様に、またふつふつと怒りが湧いてきた
「……どうしてわかんないの……?お互いが幸せになれるんだっ!!理想の関係になれる!!」
「それで今のあなたが消えてしまうのなら、絶対に嫌よ」
「どうしてッ!!?」
思い悩んだ決意を否定され、我慢できずにさっきと同じように怒気を含ませ叫んだ。聞く者を怯ませる声の圧は再び空気を震わせるも、お姉様は少しもうろたえなかった
毅然とした態度でこちらを見下ろす。
互いに温度の違う視線がぶつかる。
しばらくそうしていたかと思うと、そのまま静かな動作で最初みたいに後ろを向いた。
「確かに、昔の方があなたはわたしに笑いかけてくれてたわ。それだけは事実」
背を向け、淡々と告げる。
その見えない顔は窓の向こうに浮かぶ艶やかな月へ、
夜空に弓を張ったようなその姿を見上げている
「だけどその時のあなたは、私以外に心を開かなかったでしょ。 親にさえも」
「……そ、それがなに?」
遠い昔の自分。顔だって思い出せない生み親に、優しく育てられた記憶はない。
思い出せることといえば、わたしに向けられた怒鳴り声を遮る、姉の後ろ姿。
そのあとの優しく頭を撫でる温かな手。いつも掴んでいたドレスのすそ。
親のことを思い出そうとしても昔のことはお姉様しか記憶に出てこない。
確かに信じられるものは、目の前にいるお姉様だけだった
――お姉様だけだった、のに
「フラン、別にそれが悪いと言ってるんじゃないのよ。私がいる限りはあなたを守っていくって決めてるもの。でもそれは必ずしも絶対的なことではない………ありえないとは思うけど、もし私がいなくなったら誰がそんなあなたを守ってくれるのか。………あの頃はずっと考えてた」
「………そんなのっ!!」
「ちょっと昔話でもしようかしら。あれだけ本音をぶつけてくれたんだもの。私も喋らないと、フェアじゃないでしょ?」
そう言って
ゆっくりと言葉を紡ぐ。諭すように、言い聞かせるように
昔みたいな、二人しかいないこの部屋で。
お母様とお父様が早くに亡くなって、ここの当主の座が私に移ってまずしたことは、仲間を集めることだったの。
さっき言ったとおり、私以外にもあなたを愛してくれる存在をどうしても作りたかったから。
西方に住む魔女
東の野良妖怪
そして、挑んできた小さなハンター。
彼らを仲間にし、この紅魔館に私達以外の者を集めた。
あれよ?これでも一応選んだし、強くて助け合えるメンバーを集めることができたつもりよ。フラン、あなたが寂しくないように。
最初、ここに来たパチェと美鈴にだいぶ警戒してたわよね。覚えてる?
会ってすぐ笑顔で抱きつこうとした美鈴はともかく、パチェは目が怖かったししょうがないけど。でも今だから言っちゃうけど、緊張するとしかめっ面になるのよあいつ。
それでも二人と話せるようになっていった時はホント嬉しかった。皆と円滑に話すために私は寝る時間を変えたけど、フランも変わってくれたのは……いい誤算だったしね。
だけど、地下室に引きこもることが多くなったのもその時からだった。
でもそのあと来た咲夜のおかげで、あなたも今みたいに館の中を歩けるようになったわね。あの子の世話好きは異常だから、わりと早く懐柔できたみたいだし。
これで大丈夫。
みんながフランを愛してくれる理想の家族が作れたと思ったわ。安心したけど、でもすぐに思い出したの。
――この世界には私達のような吸血鬼を敵とする輩が、沢山いることを。
戦力的にも考えて集めたはずだったけどやっぱ不安だった。
中は良くても、一歩でも館を出れば味方なんて存在しない。
ましてや大人の吸血鬼もいない、客観的に見ればたった二人の吸血鬼の姉妹がいるだけの館。
このままじゃフランだけでなくせっかく来てくれたあの子達も標的にされる。
だから私は、噂に聞いていたこの幻想郷に館ごと移動した。異変もまぁデモンストレーションってことでね。様々な種族が入り混じり共存しているここならきっと敵だけじゃないし、家族とは別の、フランに「友達」を作ってあげられるって思ったの。
……ここがいい場所で良かったわ。思惑通り、害のない妖怪も人間もこの館を訪れるようになった。これでいざという時が来てもあなたに寂しい思いをさせなくて済む。
まぁ代わりに
その時にはもう、あなたはわたしにだけ素っ気なくなってたけど。
でもそれでいいと思ったわ。私のことを嫌いになってもフランが今後幸せに過ごせるなら構わないって思ってた
「……どうやら、間違ってたみたいだけどね」
一瞬言葉が途切れたかと思ったら、お姉様は力なく腕を降ろした。
「ふふ、もう空回りもいいとこよ。あなたを寂しくさせないためにしたことが、かえって寂しくさせるなんてね」
月明かりを遮る後ろ姿から空笑いがこぼれる。
「とんだエゴだった。勝手にあなたの幸せを決めつけた。――頼られてることに、必死だった………さっきは言ってくれてありがとう。ようやく気づけたわ」
表情は当然見ることができない。早口で無理に張った喋り方だが、それでも震える肩が、声が、自虐的なその言葉に拍車をかける。独り言に聞こえるのは、わたしにではなく自分に対して攻めているように聞こえるからだろう。
いつも無駄に自信ありげな姿は影をひそめ、そこにあるのは今にも崩れ落ちてしまいそうな小さな背中
「……」
そんなお姉様の後ろ姿を呆然としたまま見ていた。
咲夜に叱られて凹んだり、
美鈴の顔にいたずら書きして、子供みたいに喜んでたり
パチュリーと口喧嘩して涙目になってたり。
そんなどうしようもない姿は散々見てきた。
だけどこんな寂しそうな弱々しい姿は見たことがない。こんな、弱音も。
だってお姉様は昔から堂々としてて、その背中はすごく頼りにみえて……
でも
もしかして
(……わたしの前で、だけ……)
嫌でも気づいてしまった。
それを理解したときやっとお姉様が言っていたことが、わかった。
わかってしまった
絶えず濁さず貼り付けていた過去のわたしの
――笑顔の理由。
なんで、忘れていたんだろう
「……でもね、フラン」
くるっと体ごと振り返る。生まれた時から授かった綺麗な目は、泣いて赤くなった瞳さえあやふやにしてしまう。
「やっぱり私は、あなたにもう一度昔みたいに変に優しくして欲しいなんて思ってないのよ。無理に笑いかけることをしなくていいの」
「そもそもあなたに言っていた〝おしとやかにしなさい〟とかは『私好みのフランの理想』ではないわ。あなたが他の人と仲良くできるように勝手に助言した『あなたの今後を考えた理想の姿』なの。そしてあと一つ、大きな勘違いをしてる」
「聞きなさい?いい?………私はね、今のあなたが、一番自然だと思うの。正直な感情で私と接してくれるようになった。それを、とても愛しく思うわ」
言い終わるやいなや
わたしの目を見つめつつ、カツ、カツ、と赤い靴を鳴らして近づいてきた。
歩いている間も決して目線は外れず、静かに歩み寄った。
「フラン。あなたの気持ちも、あなたが寂しがる理由もわかった。そしてそれが、私のせいだというのも」
ごめんなさい、と歩きながら語りかけてくる。後ずさろうとしても足に力が入らない。動けないでいるわたしとの距離が縮まっていく。
――やめてよ
「でも仲間を捨てることはできない。フランもそれは望んでないでしょう?だってあなたは、〝これ以上人を増やさないで〟とは言ったけど、〝今の紅魔館に住むみんなを追い出して欲しい〟なんてことは一言も言ってないもの」
やめて 来ないで
「今でも充分あなたは優しい子よ。変わる必要なんてない」
そんな目で見ないでよお姉さま わたしは
「もう、こんな私のために変わろうなんて思って欲しくないの。 なにより」
紅い靴先が、わたしに触れる20cmほどまで来たところでお姉様は立ち止まった。
地べたに座っているわたしは、さっきよりも上に首を傾け見上げる。捕らえられたように視線を逸らすことができない。ドクン、ドクン、と心臓が早鐘を打つ。
やめて やめて やめて
自分の中で決めたのに。せっかく覚悟を決められたのに
そんな言葉で引っ掻き回さないで。
――消えたくないって、思ってしまう
不意に
ずっと見つめてたお姉様と視線が外れる。
(あ……)
それに戸惑う間もなく、上から包み込まれるように
ギュッと抱きしめられた。そして同時に耳元で囁かれた
「今の素直なあなたを、愛してるから」
意図せぬ抱擁に一瞬体がビクッと震える。なぜだか懐かしいお姉様の匂いと暖かな感触。
それらがゆっくりと染み込んでいく。強張った体から緊張の糸が抜けていき、嘘みたいに心が落ち着いていく。
「………お姉様………」
また知らないうちにこぼれ出した言葉。
〝もう思い残すことはない〟〝入れ替わった方が幸せに決まってる〟
必死に自身を誤魔化そうとしていた心の声。見ないふりをして無理やり納得させていた感情の化けの皮が剥がれ出す。
思い残すことはない、なんてウソだ
入れ替わってもいい、そんなのウソだ
――消えたくない
それに気づいた時、この部屋に来てからずっと内側にあった本音、それを誤魔化すための虚勢がいとも簡単に崩れていったのがわかった。
幼い子供をあやすようにお姉様はわたしの背中を優しくさすった。
耳元で優しい声が響く
「後ろで守られるんじゃなく、今度はちゃんと正面に立ってくれた。だからあなたは正直に悔しい気持ちをぶつけてくれてたんじゃないの?……その感情の名前もまだわかんなくていいわ」
「……」
「あなたはしっかり向き合ってるじゃない。自分に、私に。今のあなただったら、弱い私を見せられるもの」
わたしの呼吸に合わせて撫でてくれている小さな手。その手は、泣き果て叫び切った体にぬくもりを与えてくれて、言葉の一つ一つは、ほつれた心を結び直す。
抑えきれずに手放した感情が、自分の中へ戻っていくのを感じた
後ろで守られる、という言葉にふと、さっき聞いた話を思い出す。
同時にあの寂しげな後ろ姿も目の奥でチラついた
――お姉様の話を聞いて思ったこと。
それはきっと今のわたしじゃないとわからないことだった。
(過去のわたしはお姉様に笑いかけてた?優しかった?………いや違う。そうじゃなかった)
やっと気づけた。
過去のわたしは、「お姉様」自身にではなく、その「背中」に笑いかけていたんだ。
わたしを叱る声から守ってくれて、そんなお姉様の後ろに隠れていれば安心できた。
気遣うように笑いかけ、どこにもいかないように優しくする。
横に立って共に笑うわけでもない。
目を見て正面に向き合うわけでもなかった
ただ、依存してただけ。
そしてお姉様はそのことを知っていた。それがきっと不安だったんだ
ずっと自立ができないかもしれない、わたしを
「素っ気ない態度も、あなた自身が感じた私への素直な思いなのよ。まっすぐ向き合ってくれるようになった証拠」
「それを否定しないで…………嬉しかったんだから」
安心させるように居場所を定めるように、再び強く抱きしめてくれた。
過去のわたしより今のわたしを認めてくれた、暖かな言葉とともに。
―――いつまでも後ろにいようとした自分のせいなのに、あっさりとお姉様の横に並んでいく紅魔館のみんなが恨めしく、羨ましく思った過去の自分。この今でもわからない感情にどうしたらいいかわからず、ずっとモヤモヤしていた。お姉様に笑いかけることがどんどん辛くなっていった。それはわたし以外にも笑いかける人がたくさんできてしまったから。今のままじゃ変わらないし、きっと振り返ってくれない。
だからわたしは、お姉様に依存することをやめたんだ。
後ろによりかかって笑顔を浮かべることはもうしない。後ろじゃ顔は見えないし、でもだからといって正面でぎこちなく笑っても辛いだけ。
ならばいっそ
正面に向かってしかめっ面をしてやると、そう決めた。
今の気持ちに嘘を付かないよう、押し殺した笑顔は作らない。
このモヤモヤも、なぜかわからない腹立つ感情も、全部正面でぶつけてやる。不満であると、こっちを見て欲しいと。今の自分の感情に素直になることが、遠回りでもお姉様に近づける一歩になると信じて。
それが屈曲でもありストレートでもある、わたしなりの伝え方だった。
なのにいつしかそのことさえ、そんな大切なことさえ忘れていたんだ
「…………いいの?」
すがるように弱々しい声が出た。お互いの表情こそ見えないが、それでもこの距離ならきっと聞こえてる。
「なぁに?フラン」
「………本当に、今のわたしでいいの?」
「もう、はじめから何回も言ってるでしょ。そろそろ言葉が思いつかなくなっちゃうわ」
「だって……」
「いいの。自分の考えで向き合ってくれた、今のあなたが一番いい」
どこまで、お人好しなんだろう
「後悔しない?……明日から別に優しくなんてなんないよ?」
「えぇ、いいわよ」
どうしてそこまで言ってくれるんだろう
「ソファーも離れて座るし、アーンしても無視するし、一緒にお風呂も入んないんだよ?」
「それが私の知るフランだもの」
またこんなことを言ってしまうわたしに
「くっついてきたらキモイっていっちゃうよ?傷つけるかもよ!?」
「かまわないわ」
それでも――
「……それでも、愛してくれるの?」
「まっすぐなあなたを、愛してるもの」
そう言うと背中に回されていた手を離し、その両手はわたしの肩に添えられた。
互いに向き合った姿勢でまっすぐに目を見つめられる
「好きよ。フラン」
口の動きさえはっきりとわかる距離で告げられる言葉。
切れ長の瞳はひたすらに凛々しくて、その真剣な眼差しと言われ慣れているはずの言葉に思わず、ドキっとしてしまった。
普段のおちゃらけた様子は微塵もなく、まっすぐ目を合わせてくれるお姉様の紅くて綺麗な目にそのまま吸い込まれてしまいそうになる。
(好きなんていつも言われてるのに………こんなのズルい)
―――でも………ちょっとカッコいいかもしれない………なんて
なんだか恥ずかしくなって目線を下にそらす
「………知ってるしそんなの」
「それは嬉しいわ。私も毎日本気であなたと向き合ってるもの」
「時々ウザイけどね」
「いいもーん。本望だしー、今日もカッコよくキマったしー」
「今日は、でしょ?」
「ホント?ありがとう」
「あっ!…ちが……ぐっ…もう目合わせてあげない」
「やめて!最後の防衛線なのに!」
わたしがそっぽを向くと慌てた様子で必死に目を合わせようとしてくる。
こんなのいつもと同じようなやりとりなのになんだか可笑しい。
だから面白くて、左に向いたわたしを覗き込むようにお姉様が顔を寄せると、右を向いてやり、右に寄せてきたら左を向く、とすねた子供みたいに振舞う。へたん、と眉が下がったお姉様は
「ゴメンてばー……もう……機嫌直して一緒に立ちましょう?そろそろ足しびれちゃうわよ?ね?」
肩から手を離して、片膝をつきながらわたしの方に手を伸ばす。
「ほら。手、伸ばして」
「………もっとカッコよく言ってよ」
さらにちょっと困らせようと挑発してみる。横目で口元に笑みを浮かべるわたしは、さぞ意地悪く見えただろう。
案の定すこし戸惑ったみたいで、あーえっと、とつぶやきながら虚空を見つめる。
そして再びわたしに目線を戻すと、ぎこちなく微笑みながら
「私の手をお取りください、お嬢様。…………………で、いいかしら?」
「まぁいいよ」
満足したわたしは不安そうに問いかけるお姉様の手の平に自分の手を重ねる。
お姉様はそれにホッとしながら手を握り、ゆっくりと立ち上がった。
それに引き寄せられるようにわたしの体も起き上がる
そうすると自然とお互いに向き合う形になり、ぼんやりと(あー…3~4cmぐらいお姉様の方が目線が上かな……)なんてことを考えた。やっぱお姉様の方が高いよね、というなぜか今更意識した身長差と、さきほど恥も外聞もなく本音をぶちまけたことを思い出してしまい、なんか唐突に気恥ずかしい。
そう思って少し無言でいるとお姉様が先に喋りだす。
「ねぇ、フラン。 なんでムカムカするのか、今の自分の気持ちがわからない?……でも、それでいいの。ゆっくり、ゆっくり自分と整理していけば」
「……うん」
「私は、今の自分の気持ちを隠さないあなたが一番好き。 でも、いつかその気持ちに名前がつけられたら、そのモヤモヤもきっと晴れると思うわ」
目を細め、小さな口元が微笑む。
それだけでまたわたしは安心してしまった。
きっとお姉様はこんなバカなわたしをいつまでも好きでいてくれるのだろう。でも今はまだ、わたしは態度を変えることはできそうにない。
なぜなら
やっぱ自分のこのもどかしい気持ちはなんなのかわからないから。
確かにもう、自分の悔しい気持ちを隠さないようになれたけど、その悔しい気持ちはなぜなのか。どこから来るのか。
お姉様を見てると胸がキュッてなるし、他の人とお姉様が喋ってたらすごくムカつく。自然と素っ気なくしてしまう。なんなんだろう……この気持ちに名前がつくとしたらなんていうのかな。
けどとにかく、今までみたいに必要以上に無下な態度をとるのだけはやめようと思った。
………セクハラ発言にはそれ相応の罵声は浴びせるけど。
でも昔みたいな依存する優しさではなく今みたいに正面に立って、そして優しくできるような、そんな強いわたしにいつかなれたらいい。
そう思う。
微笑んだ後、お姉様は目線が斜め上の方へと泳いでいき、恥ずかしそうに頬をかいた
「あとその……〝おしとやかになれ〟とか〝優しくなれ〟とか言ってたのは忘れていいわ。今後のあなたの為に必要だと思ってたけど、やっぱり今の自分の気持ちを優先にしなさい」
「それもわかったけど……でも、パチュリー達は今日のわたしの方が良いって思ってんでしょどうせ」
「そんなことないわよ。普段のあなたが大好き、っていうのが大前提だからこそあんな萌え狂えたのよあいつら。ギャップってやつね」
「ギャップ?なにそれ、そんなのがいいの?変なの」
「まぁまぁ。色んな愛し方があるってこと」
ぽん、と頭に手が置かれる。普段なら振り払ったりしてしまうだろうが、今はそんな気は起きない。むしろ心地いいとさえ思ってしまう
「別に今日のあなたに魅力がなかったわけではないのよ? 私もほら、浮かれちゃったし、あいつらもデレデレだったでしょ。だからたまーにならそのギャップを楽しんでみたいわねぇ……えへへ…」
恍惚とした表情でニヤけている。……前言撤回、やっぱウザったい。
自分の頭を撫でている手をおもいきり振り払いたい衝動に駆られる
だが、すぐにそのニヤけ顔が薄らいだ
「ただ、今日改めて気づいたことがあるの」
「……?なに?」
頭を撫でている手が止まる。
「私はすごく、すごくわがままだってこと。それこそ好きな人が他の人に特別な顔を見せるなんて、とてもじゃないけど我慢できない」
スー、と頭に置かれていた手がゆっくり下へ移動していった。頬を優しくなでられ、さらに降りて細長い指が首元に触れた時、体がビクッと反応する。しかしお姉様の手は動くことを止めず、なぞり続ける。突然の行動にわたしは声も出せなかったが、それでも自分の視線はしなやかな手を追いかける。輪郭をなぞるように移動する手は、肩まできてやっと動きを止めた。
その手から視線を外し、恐る恐るお姉様の顔を見つめる。すると怖いほどに満面の笑顔を浮かべていた。そしておもむろに口を開く
「甘えるあなたも従順なあなたも、私以外の誰かには見せないで? いや……………見せるな 」
豹変したかのように強い口調と、鋭い目つき。それとは裏腹に両手で優しく肩と腰を掴まれ、そのままクッと引き寄せられた。
お姉様の顔が急に目の前に現れる。切れ長の瞳も、小さな唇も。わたしの視界がすべて支配される。
「思い出すのも腹立たしい。私じゃない誰かに甘え、抱きつき、笑う、あなたが」
「ぇ……ぁ……」
「だから今日からは、私だけを特別にしなさい」
「おねぇ…さま………?」
「いい?」
「は、はひっ!!」
吐息がかかるほどの距離で囁かれ、ゾクゾクと背筋が震える。普段のヘタレた態度からは考えられないような強引さと冷たい表情。今だったらなんでも言う事を聞いてしまいそうなほど、このお姉様には逆らえる気がしない。
(ええぇーーッッ!!??なに??なんなのこれ!!?こ、こここんなのお姉様じゃないみたい……!でも、なんだかこういうのも……ってなにをわたし)
初めて見るお姉様のサディスティックな雰囲気に、怖いというよりはなぜか見惚れてしまっている自分に気づく。
そんなことは露ほども知らないであろうお姉様はもう一度、念を押すみたいに低く問いかけた
「……約束、だからね?……も~ほんと傷付いたんだから!」
途端にいつもの調子に戻り、スッとわたしを掴んでいた手を離す。
「ぁ……」
「だからもちろん、私だけにだったら構わないから!!いつでもカムカム!」
先ほどの様子はどこへやら、すっかりご機嫌なお姉様はヘイヘーイ、と手招きをしている。
単純で調子のいい、無駄に似合うドヤ顔。この部屋に入ってからやっと本来のテンションへと戻ったはずなのだが、わたしはまだその切り替わりに対応できていなかった。
「………」
「んー?どうしたのフラン?」
「…………ハっ!いや、その、な、なに気安く触ってんの!?」
「いまさら!?さっきまで抱き合った姉妹じゃない!」
「びっくりすんじゃん!!いきなりあんな触って、ドキドキしt……ばかじゃん!?」
「だって本当に寂しかったし約束して欲しかったんだもの」
「だからって……!!次触ったらもう視界にお姉様入れないから」
せめて見てよ!とお姉様が叫び、ギャーギャーとまたこの部屋で言い合う。まるで昨日と一緒の光景だ。さっきの恥ずかしさも忘れて、またいつもどおりのわたし達に戻ってしまった。
これでは、
部屋に入る前に想像した『仲良くて微笑ましい、幻想郷で話題の優雅な姉妹』と言われるのはとてもじゃないが現実性がなくなってしまっただろう。
だっておしとやかにも甘えん坊にも、もう今は全くなる気がない。
なぜならば、それらはもうわたしの理想じゃないから。
理由?……どうでいいでしょ
にしても、この姉はシスコンこじらせ過ぎでホント大変恥ずかしい。完全に頼るのをやめ、依存することを終えたわたしを見習って欲しいものだ。
「だいたいさ、妹が好きなんておかしいんじゃない?」
「………………ふふ。それはお互い様かもよ?」
「は?なにいってんの?わけわかんない」
「ま、私からはこれ以上言わないでおいてあげる。…………………くふふ、今までてっきり嫌われてるかと思ったわ…………あんな堂々と宣言するとは」
「……?なんかいってる?」
「べっつにー。 それにしても、あの言葉………〝お姉様がいればなにもいらなかったのに!!〟………忘れられないわね! お姉ちゃん冥利に萌え尽きるわ!」
「あー穴があったらお姉様を埋めたいコンクリで施工したい」
「それとあの場はシリアスな顔したけど、あなたの泣き顔見て内心は私のスカーレットデビルが暴れまわってたから」
「だあ゛あ゛ぁーーもう帰る寝るっ!!朝日で消えろ!!灰になれ!!」
ニヤニヤしてるお姉様を睨みつけ、憤慨したわたしは踵を返し部屋の扉まで早歩きした。なんでこんな変態に依存してたんだ過去のわたし!と、自分自身に問いかけて部屋のドアをあけたとき、後ろから声がした。
「今日はゆっくり休みなさい。そして明日も、いつものあなたでいてね」
空気に溶けるように響いた姉の声。
一瞬、先を行こうとした足が止まった。
しかしすぐに左右とも一歩ずつ歩き出し、廊下に出る。
左手で扉を開けたままスーっと息を吸った
「当たり前じゃん」
後ろにいるお姉様に聞こえるように告げる。
そして小さな声でつぶやいた
「おやすみ お姉様」
左手を離し、ドアが締まる瞬間
おやすみ
と、後ろでかすかにお姉様の声が聞こえた
それは、とても優しい声だった
じゃーね
お姉様
また明日
◇
地下室への階段を静かに下り、その重い扉を開ける。
「ただいまー」
「おかえりなさい。そして、おめでとう。あなたの勝ちよ」
目の前にはおしとやかなわたしを先頭に三人のわたしが立って出迎えてくれた。
先頭のわたしは相変わらず腕を組んでいて偉そうである。しかしその顔は変にスッキリとしている。他の二人も同様で表情に陰りはない
「ふーん。意外と淡白じゃん」
「負けは負けだもの」
「悔しいとかないんだ?こっちはあんたの毒舌に身構えてたんだけど」
「ないわね。というより正直な話、こうなるだろうなと思ってたぐらいだし」
「え、そ、そうなの??」
「そうよ。あなたとお姉様の様子見せてもらったけど、確信してたわ」
おしとやかなわたしがチラッと絨毯の上に置いてある古鏡を見る。
自分の時も例外に漏れず、全部見られていたのだろうと思うとやけに恥ずかしい。
目の前のわたしは呆れたようにため息をこぼす
「ようは姉妹揃ってワガママだったってことね。お互いの気持ちを勘違いしてただけとか、どこの少女漫画よ全く」
「うっ……そんなはっきりと」
「………まぁ、今のあなたがどれだけお姉様に愛されてたかなんて、最初からわかってたけど。 自分だもの。 結局、一つの面でしかない私達はそれでしか接することはできない。あなたのようにお姉様にだけの特別な態度は私達にはわからなかったし、私達はあなたの表面でしかなかった。元々勝負にならないわよこんなの」
やれやれと、わざとらしく首を振る
そして
「お姉様の理想は初めから今のあなただった。おめでとう。もう野暮なことさせないでよ、とうへんぼく」
そう言いながら静かに微笑んだ。
「……おぉ……」
少し驚いた、はじめてみる穏やかな顔。会った時からずっとトゲトゲとした不遜な顔してたから尚更その変化に虚をつかれた。
いや、これはもしかしてさっきお姉様が言っていた「ギャップ」というやつではなかろうかとここで密かに納得をする。
なるほど、まぁ………悪くないのかもって、あれ?これって自画自賛?
しかし、ずっと偉そうに見下してたなんとも鼻につく奴だったが、その笑顔を見て自分もこういうふうに笑えるんだな、と再確認することができた。
「………ありがとう。あんたもそんな風に笑うんだね」
「こういうとこはあなたと違って素直なのよ」
「でも、わたしの勝ち」
「我ながら可愛くないわね」
お互いに笑いかける。
それは円満に、今日の長い長いアピール合戦を終えるピリオドとなった
「さて、そろそろ消えるとしましょうか。お役目御免でしょうし」
「ホントあっさりしてんね」
「なによ?感動的に泣きながらお別れでもしたいのかしら?」
「いやいや別に。自分だし」
「そうよ自分なの。だからあなたが勝ってもそれは私でもあるし、言ってしまえば悔しがることも後悔もない。消えて本望よ」
気づけば、だんだんと三人のわたしが淡く透き通っていく。
今まで黙っていた横の二人も、にこやかにわたしに向けて告げる
「お姉様をよろしく~!!がんばってイチャイチャできるようにね!」
「えへへ、心配しないで。きっと大丈夫。 あなたは私達で、私達はあなたなんだから」
ぶんぶんと手を振る子供っぽいわたしと、控えめにニッコリとしているわたし。
両方とも強がっているわけでもなく、本当にただ純粋に応援してくれている。
相変わらず自分とは思えない二人だ。美鈴やパチュリーがハマるのもなんかわかる気がする。ん?また自画自賛になってる?
微笑ましく思いながらわたしも手を振っていると、おしとやかなわたしがこちらに近づいてきた。すぐ目の前まで来るとふいに顔を寄せ、そっと耳打ちする
「消える前に一つ、あなたにアドバイスしておくわ。――――――よ」
「え?」
その言葉を言い終わると後ろにいる二人の元へと戻っていった
そしてこちらに向き直ると、お馴染みの偉そうな顔でかすかに笑みを浮かべている。
そして、彼女らしく尊大に言い放った。
「では、ごきげんよう。 理想の私」
すると、空気と同化していくように音もなく、すーっと三人の姿は見えなくなった
まるでそこにははじめから何もいなかったみたいに静寂だけが訪れる。いつものわたしの部屋。ティーテーブルの上に置いてある、空のカップだけが彼女達がいたことを表していた。
それでも寂しさはない。彼女たちはわたし自身であり、わたしがいる限り彼女たちが本当の意味で消えることはないと理解しているから。
最後に言われた言葉を頭の中で反復し、わたしはなんとなくベッドに腰をかけて背中からボスンと倒れこむ。腕を投げ出し疲れを実感するように背中を伸ばす。それで何気なく思い出し、つぶやいた
「あー。枕無いんだった」
こうしてわたしの忙しい一日は終わった
◇
わたしのある意味自分探し事件から翌日
何事もなかったかのようにお姉様とは朝の挨拶を交わし、朝食を食べて普通に午後を過ごした。みんなで食べる夕飯も終わり、そのあとお姉様に夜のお茶会に誘われて今に至る。
「でね、パチェったらまた美鈴とケンカしててさ、妖精メイド集めて今度討論会するっていうのよ?なんでもフランの魅力についてですって。ったく五百年早いっつの!ねぇ?」
「はいはい」
バルコニーで月を見ながらのお茶会。
向かいにお姉様が座り、さっきから好き勝手喋っている。わたしはというと静かにミルクティーを飲み、聞き流していた。
そう、別に昨日あんなことがあったからといってやはり何も変わらない。
宣言通りである。
相変わらず朝からウザいし、わたしはそんなお姉様に辟易としている。
ようするにお姉様のことを好きになることなんて全くないのだ。あっちはわたしのことがウザいぐらい好きらしいがわたしはお姉様のことは言うほど好きではない。なぜなら依存はもうしてないから。つまりこれがわたしたち姉妹の関係だということ。
今更とくに変わることはない
ただ
昨日はまぁちょっと色々あったし、つり橋効果っていうの?
だからなんか好きって言われた時カッコよく見えちゃったっていうか、てかお姉様は全然カッコよくないし。考えごとをしてるときの真剣な横顔だってそうだし、今日だってわたしがお姉様の部屋にお呼ばれして、お話しながらもさりげなく椅子を引いてくれるとことか、ホント全然カッコよくない。かといって、ナイフやフォークを持ってる時のピンとした白くて細い指やワインを飲んで頬がちょっと赤くなってる顔なんて全然綺麗じゃない。それに朝起きた時の
「フラン、どうしたの?ニマニマして」
「…………は?え、なに?別にお姉様はカッコよくないよ」
「そ、そうなの。なんかいきなり傷つくわね」
そういいながらも懲りずに、すぐさまわたしに話しかけて来る。
まったく調子に乗らないで欲しい。わたしはお姉様のことなんかもう興味無いというのは事実であり、わかってるとは思うがあんなことがあっても決して変わらないのだ。
勘違いしないで?ホントぜんぜんまったく好きじゃない。ましてや姉妹以上の〝好き〟だなんてありえないじゃん。お姉様じゃあるまいし。
てかそんなことよりさ、昨日の「自分以外に見せるな」って言ってわたしを抱き寄せるやつ。本当鳥肌立ったよね。いやいやいやいやもちろん気持ち悪いからだよ?なにあの強引な感じ。どんだけ嫉妬深いのよみたいな?独占欲丸出しで甘く腰とか肩触っちゃってさ。そんなんでときめくと思ってんのかな?あまりにも気持ち悪いから昨日はずっと頭の中でそのシーンをループしちゃったしでおかげで眠れなかったあームカつく!
「あ、フラン、そういえば新しい枕が届いたのよ」
さっきまで咲夜が誰もいない廊下でモップを片手にノリノリでエアギターをしていた話から、急に話題を変えてこちらに振ってきた。
唐突だったので少し焦ったが表には決して出さず、不機嫌に返事をする。
「ふーん……そうなんだ。昨日の今日なのに早いね」
「いつまでも枕無しベッドで寝てるなんて、私の妹としてカッコつかないじゃない。すぐにオーダーメイドで作らせたわ!美鈴に」
「別にそんな早くなくてもいいよ。美鈴にも悪いし………!そうかじゃあお礼を言いに行ってこようかな」
わたしが立ち上がろうとすると、ちょっと待って!と言ってきた。
「あ、明日でいいじゃない!ほら、あの子も疲れてるしもう寝てるかもしれないわ!」
あたふたと早口で喋り、座って座って!と手でうながす。
全く…どうせ引き止めると思ったよ。ホントわかりやすいお姉様。
てかこの場で美鈴の名前を出さなくてもいいでしょ。二人っきりなのにさ。あーまたなんかモヤモヤムカムカする……ホントなんだろうこの感覚。ま、いいか。
しかたなくわたしは座り直した
「そうだね。寝てるのがお姉様だったら叩き起こすかもしれないけど、美鈴は可哀想だよね。ちゃんと働いてるし」
わたしが言えたことじゃないけどさ
「う~…冷たいわフラン」
「しょうがないじゃん。今はお姉様にだけムカつくんだから」
「うふふふ。なぜムカつくのかしら~?」
「は?わかんないからそんなの。…………それで、いいんでしょ?」
「もちろんよ。私はフランにとっての特別……この優越感はやっぱいいわねー」
「……っ……ホ、ホントわかんない。勝手にそう思ってたら?」
「フフ、そうするわ。 ところで枕はどうする?今自分で持ってっちゃう?」
それとも後で部屋に届けとこっか? と、呼び鈴を摘まんでヒラヒラと顔の前で揺らしている。咲夜を呼んでマクラを持ってってもらうのだろう。
「そ、そうだね……えっと……その」
この時わたしの頭の中は、
昨日の自分の分身達の言葉を思い出していた。
――恐らく今、ここが分岐点
自分の部屋の中
彼女が消える間際にそっと教えてくれた言葉
〝もう一つだけ今とは別の、お姉様にだけ特別な一面を見せてあげなさい。別に全部を変えろってわけじゃなくて、ここぞという時に少しだけ見せてみたらってことよ。
――それは私達のように一つの面だけじゃない、あなただからこそできることだから〟
その時の彼女は、またらしくもなく微笑えんでいたのを覚えている。
今の自分をそのままに、全部を変えるんじゃなく時々変えて見せる、というのは考えつかなかった。
そんな中途半端なことをして意味があるのかと思ったが、昨日のお姉様の言葉と照らし合わせると一理あるかもしれないと思ったのだ。
前にパチュリーに貸してもらった本にもそんな人が出てきていた。いつもはいけすかない態度なのに、たまに出てくるもう一つの顔のおかげでそのキャラクターは外の世界でもエラく人気があるらしい。わたしにはそのキャラはウザく映るのだが、しかし助言ならばしょうがない。つまりお姉様自身が言っていた「ギャップ」というやつをやる、と。
まぁ迷惑をかけてしまったのは本当だし、ちょっとぐらいなら頑張ってみようと思うのだ。
別に好感度を上げたいわけでもないし恥ずかしくもなんともないのだが……なるべくこれは誰にも見せたくない
決心した私は息を飲み、目線は少し下がってしまうも、お姉様に向かって口を開く
「…………に……置いといて…」
「……?ごめん、聞こえなかったわ。枕どうするって?」
もちろん勘違いはしないでほしい。基本的にお姉様を喜ばせるなんてことはしないし、そのために自分を変えることも当然ない。
調子に乗られてもこっちが迷惑なだけなんだから
「だ、だから……に……置いといてって…」
「えーと……もういっかい?」
「あ゛ぁぁーっ!もうっ!!だーかーらっ!!!」
故に、いきなり態度を変えるつもりはないが
「お姉様の枕の隣に、置いといてって言ってんの!!」
たまには少しデレてやる
「知らない。気持ち良く昼寝してる時に起こされたあげくお姉様の部屋まで呼び出されるようなことをした覚えがない」
レミリアの自室。
外はとうに日も暮れて本来は沈む夕陽が窓から差し込むような時間だが、あいにくこの部屋に窓はない。
故に燭台ランプのみが不気味な明るさを演出している。
そこでは、仁王立ちで腕を組んでいるレミリアと、不機嫌そうに立っているフランが対峙していた。
束の間の静寂。
口火を切ったのはレミリアだった。
「あなた、自分の枕壊したでしょ!!パーンて!」
「うるっさいなぁ、ちょっとムカついてたからたまたま。わたしのだから別にいいじゃん」
「よくないわよ!せっかくあなたのためにオーダーメイドしたフッカフカの羽毛枕なのに!ベッドが羽根まみれだったじゃない!」
「ありがた迷惑だしそんなの!ていうかまた勝手に部屋入ったの!?キモい!」
「羽根であふれるベッドの上で寝ているあなたは天使のようだったわ!」
「一回キモいって言われてんのになんで調子上げてくんのよ!」
ギャーギャーと広い部屋から響き渡る吸血鬼姉妹の声は、もはや紅魔館恒例。
主にレミリアのウザい姉妹愛がきっかけであることが多い。
そう聞くとフランが被害者のような気もするが、フランはフランで
ずさんな部分も多く、それはそれで今日みたいに怒られることもある。
「とにかく、もっとおしとやかになりなさい!私の妹なんだから」
「…っ………面倒くさい…」
「聞いてるの?」
「あ゛ぁぁーーっウザい!!!私の勝手だ!!寿命でしんじゃえ!」
「本望よ!あ、待ってフラン!」
フランはそう言って勢いよく扉を開け、部屋から出て行った。
伸ばした手を寂しそうに降ろすレミリアを残して。
「ホントなんなのあいつ……ちょっかいばっか」
わたしは自分の部屋に帰り、とりあえずベッドの上の羽根を落としてシーツへとダイブした。そうしたらこのフカフカのベッドもあいつにプレゼントされた物だというのを思い出し、また怒りが再燃する。
……お姉様はホントうるさい。
いつだってこっちのことを考えず好き勝手な理想を持ちかける。
〝可愛げを持ちなさい〟
〝優しくなりなさい〟
そして今日の
〝おしとやかになりなさい〟
「わたしだって……いや、もういい!」
ボフッと顔を下にうずめるが、それを受け止める役目の物がないことに気付く。今更ながら枕を破壊してしまったことに後悔してきた。
……まぁいいや。
今日はもうこのままぐーすか眠ってすべてを忘れてやる。
お姉様の言うことなんて、誰が聞いてやるものか。
あ、今日は夕飯いらないってまだ咲夜に言ってない。
なんかゴメン咲夜
でもおやすみ
◇
瞼にわずかな光を感じ、深い眠りからゆるゆると意識が引き戻される。
灯りを消さずに眠ってしまったので部屋は明るいままらしい。
(もう……朝、なのかな…)
幻想郷に来てから朝型の吸血鬼へと変わったわたしだったが、まだ少し眠いのが正直。
そもそも夜の王である吸血鬼がなんで人間みたいな生活時間を送らなくちゃいけないのか。本来の活動タイムに、ひいては畏怖と権威を撒き散らすべき時間に眠っている夜の王を誰があがめるっていうの。
ーーそれでもわたしが夜に寝て、朝に起きるようになったのは誰かの影響でそうなったから。そうしたいと思ったから
でも
誰かとは、誰だったっけ
そう思いつつ横向きの姿勢からゆっくりと瞼を開ける。
「ぐがー…ぐがー………むにゃ…」
そこには
大口を開けてイビキをたてる、わたしがいた。
蜂蜜色の髪が顔にかかり、子供っぽくヨダレがちろっと垂れている。自分の寝顔などみたことないし確証があるわけではないのだが、これはおそらくわたしの顔である。
「…………」
言葉が出ないというより考える方を今は優先した方がいいのかもしれない。それでも自分を落ち着かせるため、思ったことを素直に吐き出すことにする
「…………わたしってこんなアホ面で眠ってんのか」
そんなことしか浮かばない。
とにかくこれは見なかったことにしておいて、反対方向に寝返りを打つ。
「すー……すー……」
規則正しい寝息を響かせた、起こすのがはばかられるような穏やかな寝顔と対面。いや、バカ面じゃなければいいというわけではないが自分の寝顔はこっちであって欲しい。だがもれなくこれもわたしである。
デジャヴであってデジャヴじゃない、もう一人わたしがいた。
横の体制からゆっくり天井の方へ体を向ける。
右も左も自分に囲まれてるこの状況
えーと、これは俗になんて言うんだっけ
「………両手に、花?」
いや落ち着け。どっちも自分だし。
造花もいいとこだ。
とりあえず、左右の自分を起こさないようにゆっくりと起き上がってみる
「あら、やっと起きたの?朝に起きる吸血鬼なんて誰が怖がるというのかしら。ちょっとは自覚を持ちなさい」
起きた途端なんか怒られた。だがこれは聞き覚えのある声、なんなら毎日聞いている。実に嫌な予感がしつつ声の方向へ顔を向けると、ベッドの横の椅子で足を組んでいる自分を見つけた。
見るからに高圧的で、お仕事モードのお姉様みたいだ。まぁそれでもあいつにはカリスマ性を一切感じないが。
さて
そろそろ我慢の限界というか、言っとかなきゃいけないことがあるだろう。左右でいまだに寝ているわたしには大変申し訳ないがいち早く伝えなくてはいけない
心は自分でも驚くほど冷静なまま、とりあえず正直に言ってみた
「ここわたしのベッドッ!!!!」
◇
とりあえず自分を一旦落ち着かせベッドに座り、わたしの分身三人を目の前に並ばせた
あ゛ぁー…
並べみて思ったがそういえばフォーオブアカインドっていう分身するスペルカードを持ってたな。寝ている間に発動したってことは、夢にあいつでも出てきたのだろう。
これは別になんてことはない事件だと気付いたが、目の前のわたしには一応聞いてみることにする
「じゃあ改めて聞くけど、あんたらはわたし?」
「まぁそう言えるわね。でも厳密に言うとわたし達はあなたの理想の具現体よ」
なんか中二臭いこと言われた気がする。
真ん中の高圧的なわたしが喋りだすと左のわたしは得意げにそうそう!と首を大きく振っている。右のわたしは何も言わずニコニコと微笑んでいた。
どうやら真ん中のわたしが、この三人の間では主導権を握っているみたい。
「どういうことよ」
「つまり理想の姿がわたし達。 あなた、寝る前になんかあったでしょ?」
「……寝る前…?」
ふと昨日の晩を思い出し、あの忌々しい光景が蘇る。
自分勝手なお姉様の言葉。それに対し腹を立て、ふて寝を決め込んだ自分。
確かになにかは起こってしまったわけだけど。
それになんの関係があるのだろうか
訝しげに眉を潜めてみせると
目の前のわたしは、さも得意気に告げた
「今抱いてる自分の理想を捨ててしまいたい、そんなことを考えたんじゃない?そしてその理想とは……お姉様が望む自分の姿」
ピクっと、一瞬だけ自分の体が反応する。
「日頃、言われていたんでしょ?
〝可愛げを持ちなさい〟
〝優しくなりなさい〟
〝おしとやかになりなさい〟って。お姉様のことが好きなあなたは表では否定してても、心のどこかでは言われた通りの可愛く、優しい、おしとやかな妹になりたいって思ってたはず。いつしか、それがあなたの理想になった」
「はぁ!?な、なにいってんの??ありえないしそんなの!!」
「でも性格上そんな自分にはなれない。それでもお姉様の望む姿でありたい。そんな無意識の葛藤に嫌気がさしたあなたは、自分の理想の姿を捨ててしまおうと思った。だから理想の姿であるわたし達があなたの中から出てきた、ということよ」
おわかり?と腕を組み、こちらを見下ろす自分。
こ、このわたし腹立つ……!!
冗長な言い方がさらにムカつくし
「それだけじゃないわ。私たちは素直になれないあなたの理想でもあるのよ?つまり自分の気持ちに素直になれるあなたなの」
「……どういうことよ」
「あ゛ぁー……だから、お姉様のことが好きだってこうやって正直に言えるってことよ」
「なるほど。嘆きの声が自分そっくり」
「当たり前でしょ。まぁあなたみたいにかんしゃくを起こしたりはしないけどね。話を戻すけど、もちろんお姉様本人の前でも「お姉様大好き」って素直に言えちゃうってことよ?」
フフン、と得意気に無い胸を張っている。あ、ちくしょう自分で言っちゃった
目の前のわたしには非常に腹が立つが、なにより自分の姿で「お姉様大好き」っていわれるのはなんというかこう……すごい恥ずかしい
「わたしの姿で好きとかいうな!!そ、そんなの思ってない!」
「あら?正直に言ってるだけよ。あぁーお姉様大好き愛してるわ」
「あ〝ぁぁーっもう!!やめてよ!!」
なんだかたまらなくなり、目の前の自分の口を塞ごうと掴みかかった
しかし勢いよく伸ばした腕はいとも簡単に両手で掴まれる。そのまま勢いも殺されたのでピクリとも動かない。
動揺しているわたしの顔を、目の前の自分は余裕そうな笑みで見つめる
「わかるでしょ?わたしが言ってることはあなたの本音。隠しようもない心の声なの」
そう言うと小馬鹿にしたような目つきは消え、こちらを軽蔑するような視線へと変わる。他の2人も同様に自分をみていた。
「あなたがそんなだから、わたしたちが出てきたのよ」
その言葉でさらに体が動かなくなる。
自分の心を見透かされ、内側から叩かれたような感覚。
「……っ…」
それを隠すように、掴まれていた手を強引に振りほどいた
「なんなのもう……はいはいあんたらの言いたいことはわかった。だからわたしの中に早く戻って」
「なにをいってるの?戻る気なんてないわよ」
「はぁ?そっちこそなにいってんの!?わたしは本体で、あんたらは分身でしょ?」
「まだわかんないの~?あのスペルカードは確かにあなたの分身だけど、わたし達はあなたの理想のぐげんかってやつ!ほぼ別人だよ?」
今まで喋っていたわたしではなく、左に居るわたしが唐突に抗議してきた。腰に手を当てたまま頬をぷくーっと膨らまし、こちらを睨んでいる。
……なんだこいつは。これもわたしの理想なの?変に子供っぽいっていうか見ててムズムズする。他の次元ではこんな自分もいるのか?
「具現化とかべつにどっちでもいいから。それで?あんたらは何が望みなの?」
「察しがいいわ流石自分ね。そうね……私たちとゲームをしませんこと?」
また高圧的な方のわたしが喋りだす。
「ゲーム?…………鬼ごっこ、とか?」
「同じ姿でやる鬼ごっこは混沌をもたらすと思うわ。そうじゃなくて、あなたも含め私たちでお姉様にアプローチをするゲーム、なんてどう?」
「……は?ちょっと待って、なんで?」
「理にかなってるでしょ?お姉様にもっと好かれることがあなたの望みなんだから、上手くいけば理想が叶うかもしれないのよ?」
「な、なにわわわわけわかんないこと!」
「あなたがわたし達よりお姉様に好かれれば、そもそもの望みが叶うわけよね。だからそのための理想である私たちはいらなくなる。綺麗サッパリあなたの前からいなくなってあげるわ」
「……別にこれ以上好かれたって、そんなのウザイ、だけだし…」
「でも、私たちの方がお姉様に好かれればそれが理想の姿となり、そうじゃないあなたは消えることになる」
おしとやかなわたしは、淡々と告げた
「…………え?」
ぽかん、と口があく
すぐには理解が追いつかず、
突然言われた「消える」という言葉に呆気にとられた。
しかし、目の前のわたしが冗談を言っているようには感じない。
「消えるってどういうこと……?」
動揺を押し込ませなんとか喉から言葉をしぼり出すも、頭は混乱しっぱなしである。朝から信じられない展開の連続でしまいには自分が消えるかもしれないと言われている。
さすがに納得ができなかった。
「しょうがないわね。わかってないようだから説明してあげるわ」
目の前の私は偉そうに一人用の椅子に座る。
そのまま机の上のティーカップを口に運び一呼吸入れると、こちらをなだめるように語りだした。
「まずあなたの性格上、人に合わせるなんてことはしないし、なによりできないわよね。それなのにお姉様にはもっと自分を好きになって欲しいと思っているでしょ。だからお姉様の言う通りの性格を理想に掲げた。誰だって好きな人の望みになりたいって思うものね」
クスクスと笑い、こちらを見ている
「故に、理想という存在はとても大きい。生物はみんな自分の理想を求めて生きているのだから当たり前よね。
そして自分がいざ望みの姿となった時、人は過去の自分を捨て新しい自分へと生まれ変わるの。それでやっと理想となれる。
別に難しくないわ、同じことよ。
あなたの願望であるわたし達が、本来の望みである『お姉様に好かれる』ようになればそれが理想の姿になる。そうすればあなたが消えることになるのは当然よね。だってそうでしょ? あなたは、過去の自分になるんだから」
長文を喋り終えた目の前の私は、喉を潤す為にまた紅茶を傾ける。
「なにそれ……」
とくに反論する余地もなく、わたしはようやく今置かれている状況を把握した。
彼女たちの目的と手段、そしてこの勝負における代償。
いまだ信じがたいことではあるが、このありえない状況下では妙な現実味を帯びている。
途中、いっそ目の前のこいつらを消し飛ばそうとも考えたが、最早受け入れる選択肢しか残っていないのだろう。
掴まれた自分の手首を見つめる。
「………わかったよ。勝負しよう」
「ふふ、無駄に反論しないようでよかったわ。自傷行為なんてまっぴらだもの」
目の前の余裕そうな態度に舌打ちが出そうになりつつ、冷静に考える。
今ここで争ったって勝負は見えている。状況的には三対一であり、もともと私にはこの場であらゆる選択権は奪われている。
その上に――
(分身じゃないなんて、よく言うわ)
さっき手で掴まれた時、こいつらはただの思想とはいえ私と同じ力を持っていることに気づいたのだ。
「じゃあ決まり。ちょうどいい時間だし今から始めるわよ。終了は全員のアピールが終わった時ね。それまでに好感度が最も高い子が、明日からあなたの自我となるわ。自然にね」
「……わかってるって。あんたらなんかに絶対負けないから」
「やる気が出てきたようね。まぁどっちに転んでも形としては理想が叶うんだから良いことよ」
「わー!楽しみ!これからお姉様に会えるんだ!」
どっちかが消えるか消えないかの瀬戸際でも、そんなの知らないとばかりに子供っぽい方がピョンピョンと飛び回っている。もうなんなんだよありゃ……絶対にわたしの理想じゃないって。
その姿に若干引きつつも、これから始まるであろう自分を賭けた自己PR合戦に緊張が高まる。
そもそもあいつにアプローチするなんてわたしに出来るのだろうか?なにより昨日の件もあって今は気まずい。
いやあれは確かに物を壊したわたしも悪かったけど、お姉様だって普段からシスコンをこじらせすぎだと思う。そんな奴にいきなり枕あげる!って言われたら怖くない!?気持ち悪い何かが入ってると思うじゃん!?
だからあれは正当防衛というか現物証拠を押さえたい刑事魂からくるものだから!!
心の中で言い訳を叫んでる中、偉そうなわたしが何か言いたそうにこちらを見つめていることに気付く。
「一つ聞いていい?」
「な、なによ」
「今更なんだけど、あなたってまだ理想があるのねって思って」
先ほどまで乱れていた心に、スッ、と冷たい風が通る
再度わたしが聞き返す前に彼女はあっけらかんと続けた。
「だってそうじゃない?今でもあなたはお姉様に多少なりとも好かれているわけでしょ。それなのに私たちが出てきたっていうのは本当はおかしい話なのよね」
「おかしいって、元凶がなにいってんのよ」
「なにか他にもっと好きになって欲しい理由でもあるの?」
自分よりもよほどまっすぐな瞳がわたしを見つめた。
具現体であってもそこは別人。考えのわからないこともあるのだろう。
きっと純粋な疑問で、ちゃんとした理由があると思って聞いてきたのだと思う。
理由がなくこんな不可思議なことが起きるわけがないことを彼女たちもわかっているのだ。
根源にあるわたしもそう思っている。
だけど
それでもわたしは、その質問に返事することができなかった。
「……………どうでもいいでしょ」
「ふーん、まぁいいけど」
「そんなことより終始ニコニコしてるこの子はなんなの?ねぇあんた喋れないの?」
話題を変えるようにさっきから一言も喋らないもう一人のわたしを指さした。
急に話を振られたニコニコしてる方のわたしは、申し訳なさそうに頭を下げる
「お話がスムーズに進むように黙ってたの。勘違いさせてゴメンなさい。 えと……お互い頑張ろうね!」
わたしの両手をそっと包み、ふんわりとした優しい笑顔を浮かべる。
うーむ自分で言うのはなんだが悪魔とは思えない。てかわたしとも思えない。
ざっと部屋を見回してみる。
イスに座り、優雅に紅茶を飲んでいるわたし。
ベッドでバウンドしているわたし。
ニコニコと微笑んでいる、わたし。
……わたしって、なんだっけ?
■
とうとうフランが、昨日の夕飯にも今日の朝食にも顔を出さなかったわ…
ろくに喉も通らない食事を終え、自室で不安に包まれ一時間。昨日の夕方からフランに会っていないからそろそろ禁断症状が出てしまいそうだ。私の朝はフランの可愛い罵倒から始まるというのに。
咲夜がご飯を届けているだろうから、お腹が空いてるってことはないわよね……
やっぱ勝手に部屋に入るのはもうダメか。ちょっと寝顔を写真撮影するだけなのになぁ。
てかお風呂ももう一緒に入って貰えないのにご飯さえ食べられなくなったら……あの必死に熱いものをふーふーする顔や、明らかに右ほっぺに溜め込んでモグモグしてる顔を見ることができなくなるということじゃない!!
うわぁあーやだぁあー!!私はこれから何をおかずにご飯を食べりゃいいんだ!!
頭を抱え悶絶していると、ドンドンドン!!と目の前の扉が突然叩かれる。
なんなの……今私は食糧危機と闘っているというのに、一体誰だ
「入りなさい。どうせ咲夜でしょ、時間止めて普通に入ればいいのに」
そう機嫌悪く言い放つとガチャっとドアが開き、私はその先にいるであろう咲夜を睨みつける。
だが、部屋に入ってきたのは違う人物だった。
「え……フ、フラン!!?」
今朝からずっと心配していた可愛い妹、フランが立っている。うつむいてはいるが確かに本人である。突然の来訪に私は思わずその場から立ち上がり、フランの元へと駆け寄った。
だけど近くに来ても顔は下を向いていて表情を見ることはできない。
(あーやっぱ怒ってるかな~……嫌われたくない……
でもここでちゃんと謝らなくちゃもう一緒にご飯が食べられなくなる!)
勇気を出し、さらに怒らせないよう優しく話しかけてみた。
「フラン、その、昨日はごめんね。ちょっと言い過ぎたのかもし」
そこまで言ったところで、ずっとうつむいていたフランがバッと顔をあげ、
「お姉様大好きーー!!!!」
と、大きな声と満面の笑顔で勢いよく抱きついてきた。
「れ……な…………え?」
一瞬、時が止まる。
フランに抱きつかれているというありえない事実に脳がついていけなかった。
(あー……夢かな ? だって、フランが私に……ウソでしょ?)
落ち着け落ち着け落ち着け
私はレミリア・スカーレット。紅魔館の柔らかい主で幻想郷を統べるカリスマ的イイ匂いな存在であり誰もが恐れる髪フワフワ吸血鬼でちんまりあったかいフランは超可愛いペロペロしていいかなだって体が私にくっついて一つになっているのはもう姉妹だとか置いといて愛し合うしかないわけであって
「お姉様ー?なんで固まってるの?」
その声にハッと意識が呼び戻される。だが目線の少し下にあるフランの上目遣いにまた脳がスパーキングしそうになり、天へと召されそうになるところ下唇を思いっきり噛むことによってこらえた。
「あっお姉様、口から血が」
「なんでもないわ今朝の飲み残しよ」
「そうなんだー。それよりもお姉様もギュってしてよ?」
「ふ、フラン!?そんなもちろん嬉しすぎるけど、絶対私死んじゃうから!!!というかどうしたの?怒ってたんでしょ……?」
「全然怒ってないよ?フラン、お姉様大好きだもん!」
「だ、大好きって私を……?」
「当たり前じゃん!あ、そうだ!ちょっと今から館の中散歩しようよ!!」
私の手を取りそのまま廊下へと連れ出される。
……えーと、なにがどうなってる。フランは昨日から怒ってて今日は甘えてきて………
「お姉様!はやくはやく!」
まぁ、どうでもいいかな!!!!
◇
「あ゛あ゛あぁぁっー!!!なにこのわたしぃぃーー!!!」
遠視の魔法により鏡に映し出された、おぞましいほど甘々なわたしと満更でもない顔のお姉様。
それを見て自室の壁をすべて叩き壊したい衝動に襲われる。灰になりたいてかもう一生引きこもるしかないんじゃないかなコレ
「どうしてくれんのよ!!お姉様にどんな顔して次会えばいいんだよぉ!」
「少しは黙りなさいな。しょうがないじゃない、あなたが求めた姿なんだから」
顔をしかめながら勝手に届けられた朝食を食べているおしとやかなわたし。このヤロ咲夜の目からあんたらを隠すの大変だったんだぞ。
というより、よく涼しい顔して見てられるなコイツは。自分から出てきたとは絶対思えない。それに子供っぽいわたしが部屋から出ていったあと、すぐに鏡を出して遠視魔法をかけてやがった。わたしはまだできないのに……こいつの方が魔法少女設定を上手く使いこなしてるのがムダに悔しい。
「まだまだあの子のターンなんだから、あなたは大人しく見てなさい」
「ぐぐ~……っ!こんなの羞恥プレイだ……恥ずかしいしムカつく……!」
「ムカつく?ふーん、嫉妬してんの?」
「違うし!デレデレのお姉様なんかどうでもいいし!!」
「はいはい」
あぁっー!!ウザいっ!!とっとと終わってくれ!!
◆
――突然だが説明しよう、いや説明させてくれ。今フランが私の腕に自分の腕を絡ませつつ、身体を預けるように引っ付いている。そしてさっきから二人仲良く館の中を歩いてまわっているのだ。いやもう練り歩いてる。妖精メイドは必ず私達を二度見してくるし、そのままヒソヒソと噂話されるほどに注目を集めていた。
フラン様が……嘘でしょ……
でもすごいニコニコしてるわ……
お嬢様もしかして盛ったんじゃ……
なにやら失礼なことが聞こえたが気にしない。だって私にはフランがいるんだから
「えへへ~!みんな見てるね!」
「そりゃあなたが甘えるのが珍しいからよ」
「えー?そーかな。わたしはいつだってこうしたかったのに。でも見られてるとちょっと恥ずかしいかも」
「そのわりにはずっとくっついてるけど?」
「も~……お姉様いじわる~!」
そう言って頭を肩にトンっと押し付けてくる。私はそんな微笑ましい様子にフフフ、と笑った。
そして笑いながら実感する。
なにこれ……なにこれ!!このリアルが充実してる感じ……!!
はたからみてもめちゃくちゃ仲の良い姉妹じゃないこれ!いや、むしろ恋人……?うひょーー!!もうなにがあったかなんて考えなくてもいいよね!おかしいことなんて何もない!むしろ今のフランならなんでも許してくれそうだし、こんなチャンス逃してなるものか!!よーし。ち、ちょっと試しに……
「そんなにくっつきたいなら、今日はお風呂も一緒に入っちゃう?」
うわー言っちゃった言っちゃった!長いこと一緒にお風呂入ってなかったし、思い切ってみたぞ!でもこれで拒否されたらお風呂にトラウマできちゃうかもね!
内心ドキドキしながら返事を待っている私に、フランは目をキラキラと輝かせてきた。
「ほんと!?入る入る!わーいお姉様とお風呂いっしょ~!」
嬉しそうに笑うと、引き寄せてた私の腕をさらにギュ~っと強く抱きしめる。
あれ?本当に成功した……?
「いいの!?マジで!?じ、じゃあ洗いっことかもしていい?」
「うん!もちろ……あ、やっぱりどうしよっかな~? お姉様てば、えっちぃ目つきしてるもん」
上目遣いでいたずらっぽい笑みを浮かべるフラン。ヤバイヤバイ、密着した位置から繰り出されるこの小悪魔的可愛いさ。生物の成せる技じゃないわこれ
「でもね、一つだけ言う事を聞いてくれたら洗いっこしてあげてもいいよ」
「なっ!そんなのいくらでも聞くわよ!なにがお望み??」
蓬莱の玉の枝でも隙間妖怪の座椅子でもなんでもブン取ってきてやるわ!
「じゃあねじゃあね!フランの頭を……ナデナデしてくれる?」
フランは突然歩くのをやめて私と向き合うと、スッと恥ずかしそうに帽子を取った。
「……優しく、だよ?」
そう言うと取った帽子を胸に抱え、撫でやすいように頭を少し傾ける。
「ま…じ……?」
その光景に、ゴクリとつばを飲み込んだ。
いやいやこんなのご褒美じゃないか。
すでにさきほどの攻撃力の高い挙動に何度かハートブレイクはしたが、あれは序章に過ぎなかったらしい。
夢にまでみたフランの頭ナデナデ……それが今叶うのだ
恐る恐る腕を伸ばし頭の上へと手の平をセッティングする。震えが収まらないのは武者震いか、はたまた止まらなくなりそうな自分に対する恐怖か。
決意を固め、天使の輪っかに触れるかのように優しく手を降ろした。
最初に髪の柔らかな感触、そして次に手の平に収まってしまいそうな小さな頭を感じる。そのまま右へ左へとゆっくり撫でてみた。さらさらと絹のように滑らかな感触が指をくすぐり、優しく押し返すようにフワッとした弾力もある極上の髪。光沢のある金色が目でも私を楽しませる。くすぐったいのか、時折ふふっとフランが笑う声が聞こえてくるのもなんて心地良いことだろう。
確実に私が使っても説得力がない表現かもしれないが、ここはまるで陽だまりの中にいるような癒し空間だ。ここがこの世の幸せなのだと深く実感する。フランの頭を優しく撫で、私はいつまでもこの時間が続けばいいと、夢見心地な気分で思っていた。
――思っていたら
「あ、お嬢様ー!!フラン様ー!!偶然ですね何してるんですか混ぜてくださいよーー!!」
廊下の向こう側に何故か美鈴が現れ、こちらに気付き小走りで近づいてきた。
なん……だと……!?
クソ!!こんな時にこいつと会うとは!!お前はもう充分陽だまりの中で光合成してきただろうが!!ここは私とフランだけのサンルームなんだよちくしょう!!
という思いは微塵も出さず朗らかに美鈴と対面した。
「あら美鈴、昼休憩かしら。毎日ご苦労様ねニッコリ」
「表情に反映されてませんよ!?」
いつものようにビシィっと大袈裟なリアクションでツッコんできた。普段なら美鈴とのこういうやり取りは楽しいのだがホント今は勘弁してほしい。このまま撫でっぱなしもあれなので、名残惜しくもフランの頭から自分の手を降ろす。あぁ~あ、あとで手の匂いだけでも嗅いでおこう。
「なんなのよもう……どうせオヤツでもつまみに来たんでしょ」
「あはは、バレました?でも気になる噂があったので、それの確認も兼ねてって感じですね」
「どんなよ?」
「なんでもお嬢様がフラン様に媚薬を盛ったとか」
「妖精仕事早いな」
外勤の美鈴にも広まってるなんて、あいつらの噂好きを甘くみてたみたいだ。
「違うわよ。ったく妖精は適当なんだから」
「ですよねー」
「パチェにも『そんなもん作らねぇよ』って前に言われたしありえないわね」
「未遂の実行犯!?」
「大体そんなの使わなくたってほら、仲良いでしょ?」
「あー、確かにさっきフラン様の頭を撫でてたような……いつのまにそんな発展したんですか?」
驚きです、と興味深そうにフランを見下ろした。
フランは見られていたことが恥ずかしかったのか、会ってからずっと美鈴に背中を向けている。可愛いなぁもう!
「ふふん!もとからよもとから。普段は冷たい態度をとっててもなんだかんだフランにとって私は」
私が自慢気に喋っている途中、
フランが急にくるっと美鈴の方に体を向け、タタッと 走っていった。
そして
「美鈴大好きーー!!!」
愛する妹が愛を叫び、従者に思いっきり抱きつく後ろ姿を見ることとなった。
「うわぁっ!!?フ、フラン様?どうしたんですかっ!!?」
突然のことにうろたえまくる美鈴。
大好きな妹を取られ呆然としてる私と、自分の体に抱きつくフランを交互に見つつ両手を挙動不審にはためかせている。だがそんなこと知ったことではない
「なにやってんだ美鈴……?いや、紅美鈴」
「誤解ですっ!!ほら!フラン様もなんか」
「美鈴は太陽の匂いがするね!」
「じゃあ私達の敵よ早く離れなさいむしろ種族の仇として消し飛ばすべきだわ」
「飛躍しすぎですって!」
「うっさい!!フランを返せぇぇえ!!!」
「うわぁぁあすいません!!フラン様、お気持ちはすごい嬉しいんですけどちょっと離しますね?」
「私のフランに触んなぁ!!!
「ええぇぇ!?」
藪から棒に現れといてなに好かれてんだこの門番!!
最早くっつかれてどうしたらいいかわかんなくなっている様子の美鈴に尚更腹が立つ。無理やりにでも引き剥がそうと私が眉間目掛けてグングニルを飛ばそうと構えかけた
「ほら、お姉様もお姉様も!」
フランはこちらを振り返ると、美鈴から離れて私の手を握り、もう片方の自分の手で美鈴の手を握った。ニコニコしてるフランを中心にして唐突に横一列に並んだ私達。その様子はまるで仲の良い家族のよう。
「ケンカはダメだよ!二人とも仲良くしなきゃ」
「フラン……?いや、その、もちろんケンカなんてしてないわよ?ね?」
「そ、そうですよ!むしろ一方的ですから!」
「ほんと?じゃあ仲直りの握手してよ」
言われるがまま、私と美鈴は外側の空いた手で恐る恐る繋ぎ合う。
こうして
昼下がりの紅魔館廊下にて。
今ここに私とフラン、美鈴により平和を表す小さな輪が出来上がった。
……なんだこれは
「えへへー!これで皆仲良しだね!二人とも大好き!!」
ご満悦なフランと苦笑いの美鈴。なんだかよくわからないが一件落着な雰囲気である。
「よーし、このまま三人で紅魔館をさんぽしようよ!」
横一列にまた並ぶために私は美鈴の惜しくもない手を離し、フランを中心に歩き出した。妖精メイド達は練り歩く私達を見て、先ほど以上に怪訝な顔をしている。
「……ちょっぴり恥ずかしいかもです。お嬢様」
「ええ。なにがなにやらだわ」
「でもこういうのも良いですね」
「ん?」
「わたしにも妹ができたみたいでなんか嬉しいですよ」
「……フランはわ・た・し・の・だからね?」
「ははは、わかってますって」
美鈴は嬉しそうな顔で前を向き、フランと仲良く歩く。
フランと手を握って歩けることは嬉しいはずだが、私はどっか微妙な感覚を抱いていた。心がグルグルと渦を巻くようなよくわからない感覚。
しかしあまりに些細なことなのですぐにその感情は吹っ飛んでいった。
「……ま、いいか。そんなことより美鈴。あんたもっとフランから離れて歩きなさいよ」
「いいじゃないですか~。フラン様も皆で仲良く歩いた方がいいですよねー?」
「ねー!」
「ぐっ…!そ、そうね。一緒に仲良く歩きましょうにっこり」
「だから表情も一致させましょうよ!」
ワイワイと三人で話しながら見慣れてるはずの廊下をひたすら散歩する。
それはとても、新鮮で楽しい時間だった。
少しの違和感が気にならないほどに
◇
「ただいまー!!お姉様にいっぱい甘えてきたよ」
「よくもまぁ堂々とこのやろう」
「はいはい落ち着きなさいな」
部屋に帰ってきた子供っぽい方に掴みかかったわたしを、羽交い締めにするおしとやかな方のわたし。
くそ!相変わらずややこしい
「んー?なに怒ってんのー?」
「あんたの痴女っぷりに驚いとんじゃコラァ!!引きこもり再燃すんぞ」
「気にしないで。あなたはもう休んでいいわ」
「わかったー」
「美鈴はともかくお姉様にあんな……てゆーかあの輪になるやつなんなの?最早自我が消えていいぐらい恥ずかしかったんだけど?しかもお風呂の約束て……今後それでゆすられでもしたら……」
「ほら、あなたもボヤいてないで次のアピール始めるわよ」
「あんたのせいで明日からお姉様の目がマジになったらどうしてくれんの!!責任もって退治してよね!!?」
「ちょっとは聞きなさいよ」
こちらを完全に無視し、子供っぽい方はすでに机の上のお菓子を食べ始める。
そしてずっと黙ってるニコニコとしたわたしがこちらをみて微笑んでいた。
まるで、じゃれて遊んでいる子供達を見るような
暖かい眼差しで
◆
「パチェ、フランがなんか甘えん坊になってる」
「ちゃんとセーブしときなさいね」
「落ち着いて。現実で起こってるんだ」
思わず図書館に来てしまった。
あの後も夢じゃないかと、何度か窓から顔を出して日光直浴びしたけど夢じゃなかった。だって痛い。
とりあえずこの事を親友に報告せねばと音速で図書館に向かい、本を読んでるパチェの向かいに座った親友の私。
「ホントなんだよ、甘えてくれたんだよ!!」
「へー、ア行以外の言葉で喋ってくれたってこと?」
「そこまでハードル低くないわ!目を合わせて喋ってくれたんだよ!」
「それもまぁ膝下ぐらいのハードルだと思うけど」
「いやいやもちろんそれだけじゃない。実はさ」
さっき起こった出来事を事細かに説明する。話をしていてどこも盛らなくていいという感動に涙が出そうだった。鼻血は出た。
「そういうことなんだよ、パチェ」
「……にわかには信じられないけどそれだったら、確かに、甘えん坊に、なってる、わ」
「歯切れ悪いそうだけど真実なんだ」
「不思議なこともあるわね。無愛想な子なのに」
「あんたが言うかね」
「まぁ私や他の子とかには割と普通に接してくれるけどねあの子。レミィに対しては家畜のような扱いだけど」
「ホントだよ」
「きっと姉とも思ってないわよね。死ねとは思ってるだろうけど」
「さっきからイジメてんの!?」
「冗談冗談。 でもそれにしたっておかしいわよね……なんかあったのかしら」
二人でうーん、と考え込む。
ちょっとまだ疑ってはいるが、パチェはわたしの不遇の歴史を知ってるからいつになく興味持って聞いてくれているのは気のせいではない。
しかしあの突然の甘えっ子妹風……心当たりは残念ながら無い。
「でも別に困っているわけじゃないんでしょ?フランから貴女に甘えてきてくれるなんてなかったわけだし」
「いや、うん、勿論すごい嬉しいんだけど」
「……? なによ。あなたも歯切れ悪いじゃない」
キョトン、と意外そうな顔をする。
そうなのだ。
フランにはいつも「可愛げを持ちなさい」と、皆がいる前でも涙ながらに訴えている。いやもちろんフランは不機嫌でも超可愛いんだけど、普段からもうちょっと可愛げがあったほうがいいだろうと思うことはある。
そんな矢先にさっきの天使降臨で死んじゃうぐらい幸せだったけど、今はなんかフワフワしてしまっている。違和感というか突然すぎて……どうした私。
「あー……多分嬉しすぎてまだトリップしてんだよ。後からグッとくると思」
「ごきげんよう お姉様」
落ち着いた、しかし良く通る声が図書館に響く。
その声の方向へ、私とパチェはほぼ同時に顔を向けた。聞き覚えのある声だがどうにも様子が違う。
カツカツとこちらへ向かってくるのは話題の張本人、フランだった。
突然の来訪に驚いている私達を見据え、座っている私の横まで来ると今まで見たことなかった丁寧なお辞儀をした。
「ここにいらしたのねお姉様。流石、紅魔館の主たるもの常に知識を蓄えるその御姿にこのフラン、敬服の致す限りですわ」
さっきまでとは全く違う様子にまたポカン、としてしまった。
向かいのパチェも驚愕といった表情で固まっている。そのままゆっくり顔を合わせてお互いに目だけで会話をする。
(ちょっと!これが子供っぽくて甘えん坊ってどういうこと!?あんたの妹フィルター壊れてんじゃない!)
(いやいやいや違うって!さっきはホントにロリロリしてて甘えっ子風味だったんだって!!てかなんだこのお嬢様は!)
(知らないわ誰よこれ!てか自分の妹にロリロリしてるとか表現使うな気持ち悪い!)
(アイコンタクトでしょこれ!?)
二人でせわしなく目を動かしまくっていると
「お姉様?どうしてわたしと目を合わせて下さいませんの?もしかして嫌いに……?お姉様に会いたくて館の中を探しまわったのに、そんなの悲しいですわ」
そう言ってフランは右手で口を抑えると大きな目がうるうると潤みだし、やがて一筋の涙が頬に零れ落ちていた。
その様子は美しくも儚げでまさに薄幸の美少女。庇護欲そそるその姿に、今まで感じたことのないほどの罪悪感が襲ってくる
「ご、ごめんなさいフラン!!これは違くて!」
私は慌ててイスから立ち上がると、空いてる方の手をギュッと優しく握る。
「私がフランを嫌いになるなんてあるわけないでしょ?さ、泣くのはおよし……その星の雫は暗い夜空に置いといて、フランという青空に笑顔という名の太陽を咲かせ、私というオゾン層に紫外線を浴びせてちょうだい?」
フランの目元にたまっている涙を私はそっと指で拭う。そして、安心させるように優しく微笑んだ。
………はっ!?しまった!
いつかフランに言おうと温めていた口説き文句が!!2人きりの時限定と決めていたのに……!!あーパチェ引いてるよ……すごい悲しい瞳をしてるよ……
フランそっくりのニンニクがあったらむしゃぶりつくす自信あるわ!って夕食の席で言った時と同じぐらい悲しい表情だわ。
親友に引かれるという犠牲はあったものの、ともかくフランの方は泣き止んだみたいである。それにしても今度はなんなのこの子は。繊細でおしとやかでずっと守ってあげたくなるような……超強いのは知ってるけど
いや、いったん落ち着こう。
よく考えなくてもさっき涙拭いたとき、普段のフランだったら指が触れる前に関節一個増やしたかもしれない。そもそも言った段階でキモいと言われ無視されるはず。当然、お昼の甘えん坊モードの時も同じくだ。
やっぱ今日のフランは絶対におかしい
これは欲望に流されず姉としてちゃんと聞いたほうがいいかもしれない。
浮かれる心を静め、握っていたフランの手をそっと降ろした
「……えっともう大丈夫?フラン、さっきも思ったのだけど今日はなんか」
「ごめんなさい疑ってしまって。綺麗でカッコ良くて優しい頼りになるわたしの尊敬するお姉様なのに」
「それほどでもないわ私の可愛いフラン」
…………まぁその、様子見だよ様子見。
フランであることは間違いないんだからそんな問い詰めるようなことしたってしょうがないじゃない。ほら、こんなうっとりした目で私を見てるフランなんてもうお目にかかれないかもだし。
「あぁお姉様……先ほどおっしゃった言葉も本当にセンスが溢れていますわ。思わず涙が出そうになりました」
「え、そ、そう?まぁあれぐらいの言葉は息を吐くように出てくるわ」
「是非とも呼吸を遠慮して欲しいわ」
「なによりお姉様はフランのことをいつも見ていてくださるし」
「当たり前じゃない。可愛い妹だもの」
「お風呂もトイレも欠かさないわよね」
「紅魔館の主としてカリスマ溢れる美しさもあって」
「人も妖怪も私の魅力に惹かれるのよ」
「館の住人にも絶賛引かれてるしね」
「今みたいに図書館で本を嗜み、知識を蓄えているのも素敵ですわ」
「常に知識欲を満たさないとなんだか物足りないのよね」
「レミィ、早く『赤ずきんちゃん』返してくれるかしら」
「さっきからうっさいわパチェェ!!」
ええいせっかく可愛い妹が褒めてくれているのにこのモヤシは!!今後一生ないかもしれないのよ!?
恨みをこめて目で訴えるが、パチェはもうすでにデフォである読書を開始していた。どうやらフランの性格変化の疑問よりも、私達のイチャつきっぷりへの飽きが先にきてしまったようだ。それでもイジりはやめないみたいだが。
「まったく、普段そんなこと言われないからって調子こいちゃって」
「いいじゃない今は!フランが私の魅力に気づいただけよ!」
あぁでもフランが褒めるなんて嬉しいわね!
ふふん、羨ましかろう親友よ。違和感はさておきこんなにも尊敬し慕ってくれる妹がいるんだぞ!今度からはレミリアストーカー(妹限定)なんてあだ名で呼ばないでよね!
誇らしい気分で目の前のおしとやかなフランを眺める。が、さっきまで自分に向けられていた尊敬の眼差しが、なぜか今はパチェの方へと注がれていた。
「パチュリー、あなたもすごいわ。たった100年ほどでこれだけ膨大な本を読んで、魔法を極めてしまうなんて。紅魔館の頭脳であり、あらゆる知識を司る魔法使い。私なんて教えて貰った簡単な術さえまだ上手くできないのに」
手の平を合わせ、キラキラとした目でパチェを見つめるフラン。
(あれ……?今度はパチェを褒めてるぞ)
突然褒められたパチェは、ビクっと肩を震わせ読んでいた本から顔を上げた。さっきと違い、変にムスっとした表情で固まっている。
(まぁそうよね。そもそもそんな子じゃないってわかってるだろうし)
だが褒められ慣れてない我が親友は、次第に顔が赤くなっていき目が泳ぎはじめる
「き、極めたなんて、まだまだよ私は。本だって好きで読んでいるのだから知識なんてたまたま身についてるだけだし、フランだって遠視魔法ぐらいの術式ならきっとすぐにできるようになるわ。あなたは吸血鬼でありながら魔法書を読み解く才能があるもの」
「ありがとうパチュリー。また今度、あなたの素晴らしい魔法を教えて貰っていいかしら?」
「私の知識が役に立つなら、よよ、喜んで」
ここまでパチェは早口で喋り終わると、赤くなった顔を隠すように本を再び読み始めた。……おいおい動かない図書館が動揺してるぞこりゃ
フランの方は改めて、私らを交互に見つめる
「フフ、お姉様もパチュリーもフランの憧れ。お二人に近づけるよう勉学に励み、礼儀を身に付け、立派な紅魔館当主の妹になりますわ。では邪魔しては悪いので、ひとまずごきげんよう」
スカートのすそをつまみ、ぺこりとお辞儀をしてフランは図書館から静かに出て行った。
「………」
「………」
そして残された私達はというと
しばらく互いに静寂の時間が流れていた
「……………パチェ、照れすぎじゃない?」
「うるさいアホそこじゃないでしょう問題は。フランは一体なにを考えてるの」
「わからない。さっきとも違ってるし」
「そうみたいね。まぁ丁寧な子になっただけなら良いことだと思うけど。おしとやかになりなさいってあなたもフランによく言ってたし」
「そ、そりゃあちょっと乱暴なとこもあるから言ってはいたけどさ」
「でも、さっきとも様子が違うってことでしょ。……………情緒不安定といってもここまでじゃなかったでしょうに」
言いづらそうにパチェが呟く。
彼女なりに色々と心配しているようだ
「いや、今回は情緒不安定が理由じゃないと思う。なんか共通点というか、しっかりとした意志があるような」
「レミィ?」
「……なんでもない。よくわかんないけどまぁ、あの子の気まぐれでしょ。とにかく私は部屋に戻るよ。また夕飯で」
席を立ち、不思議そうな顔をしてるパチェを残して私も図書館から出た。
自室へと続く廊下を歩き、考える。
――さっき感じたのと同じモヤモヤ感、そして今日のフランの行動。うーむ、なんか引っかかる。それに自分でもわからないこの感情のせいで今までの嬉しいはずの出来事が薄れているような、そんな気がしている。
全体的になんなんだ今日は
◇
おしとやかなわたしが部屋に戻ってきた。
「随分と早かったじゃん?あんたが一番偉そうだったのに」
遠視魔法でずっと見ていたが、最初の子供っぽいわたしと比べ、お姉様と交わした時間がとても短かった。三人の中じゃリーダー的存在かと思っていたのだが。
「……わたしはメインじゃないもの。無駄に引き伸ばしたってしょうがないわ」
「メイン?」
おしとやかなわたしは、疑問を問いかけた自分の横を素通りし、ずっと一人用のイスに座っていたニコニコしてるわたしの肩をポンっと叩く
「頼んだわよ」
「うん。わかった」
ニコニコしてるわたしはゆっくり立ち上がり、こちらへと歩いてきた。今まで一番影が薄かったのでまったくもって意識はしてなかったが、なるほど。
――どうやらこいつがラスボスだったらしい
しかし、目の前に来たわたしは相変わらず愛想が良さそうな佇まいである。
「改めてこんにちは。わたしで最後だからよろしくね」
「よろしくしたくないけどね。そんなことより、あんた達は三人で一人ってわけ?誰が気に入られてもいいんだ?」
「う、うんそうだよ。理想という一つの思念から生まれたからね。一人が気に入られれば、それがわたし達になるの」
そういうと彼女は優しくニコッと微笑む。
でもなぜだろう
その笑顔に、心がザワついた
◆
「咲夜、フランが従順で慕ってきてくれるんだ」
「オートセーブは設定していますか?」
「違うんだゲームはしてない。てかなんだ。この館ゲーム好き多いのか」
変な影響が出そうだしもう八雲のやつにはゲームもらわないようにしよう。パチェも説得しなくては
「……でもなんか腑に落ちない、といったところですかね」
「まぁそうなんだよ」
相変わらず察しのいいメイドである。
「自分からアプローチかけて攻めるのはいいけど相手から攻められるのはちょっとなぁ、てことですか?」
「そこまで踏み込んでくるなよ。多分違うんだわ……確かに可愛いし、変に素直だとは思うけど……う~…」
「夕食前に難儀ですねぇ」
紅魔館のムダに広い食堂でまた頭を抱える。そろそろ夕飯だというのに、考え事でお腹一杯の気分だ。ちなみに妖精メイドが使っている食堂は別にあり、ここは私やフラン、咲夜、美鈴それとパチェ、小悪魔など館の古株たちが使う食堂である。
困り顏の咲夜が横に立つ。
夕飯の支度などで忙しいだろうに、咲夜には心配かけて申し訳ない。
だが今日はあまり食べられそうにないので、デザート以外の食事の量を減らして貰うべく咲夜に話しかけようとしたところ
「お嬢様、とりあえず謎解きはディナーのあとにしましょう。今日はお嬢様のためスペシャルなシェフを呼んでいますから」
「ん?咲夜じゃないのか?」
「私も手伝いますけど本日は副料理長という立場になろうと」
「……へーそりゃ新鮮。誰なの?」
「それは、この方です」
今日は本当にいろんな事が起きすぎて、イベントに耐性がつきはじめている。
しかしあの咲夜が台所に他人が立つのを許すなんて本当に珍しいことだ。
よっぽど信用たる人物なのだろう。
手で促された先の廊下。
そこから恥ずかしそうに出てきたのは――フラン。
こちらに向かって静かに歩いてくる。しかし
(あぁ、やっぱりね)
――そうなのだ。別に驚いているわけではない。今日のことを振り返ってみれば、多分そうなのではないかと内心思っていたからだ。
「へー。フランが作るの」
「はいそうで…………え。 どうしたんですか……?妹様の手料理が食べられるってことですよ?まさか本当にお嬢様の目はふしあなになったんですか?」
「いやもちろん嬉しいけど」
珍しくうちのメイドが驚いてらっしゃる。フランが料理を作ってくれるなら流石にテンションが上がるだろうと考えていたらしい。だから自分でもおかしいなって思ってるんだってば。
そして、腑に落ちない理由となっている目の前の妹を観察した。……これも今日で何度目か。
少し顔をうつむかせこちらの様子を伺っている。その頬は恥ずかしさからか薄らと赤く染まり、咲夜が用意したのであろう白と黄色のチェック柄のエプロンを付け、手の指をソワソワと合わさせている姿はとても新鮮で可愛らしかった。
「お姉様……どうかな?変じゃない?」
「……ええ。可愛いわフラン」
「ホ、ホントに?ありがとう」
照れながら笑いかけてくれる。昼間のあどけない満面の笑みとは違い、見る者の心を癒すような優しい笑み。もちろんこれも普段では考えられない。そもそも料理を進んでするような子ではないし、褒められて素直に頷くこともしないはず。
どうやらまた今までのフランとは違う性格になっているようだ。
「つい先ほど妹様に頼まれたんですよ」
「うん。日頃のお礼……っていうのは恥ずかしいけど皆にご飯作ってあげたいなって」
「それはいい心がけね」
フランの隣に立っている咲夜もニコニコと微笑んでいて、一緒に料理が出来ることに満更でもない様子。フランは咲夜に比較的よく懐いているし、咲夜も気にかけてくれている。むしろ言い合いをしている時なんかはフランの味方をすることが多いし(そりゃ妹のイスに頬ずりしてた時は私が悪いかもしんないけどさ)、悔しいが仲の良い二人と言ってもいいだろう。
「お姉様楽しみにしててね。気に入ってもらえるように、わたしがんばって作るから」
大好きなお姉様に美味しく食べてもらいたいし……と小さな呟きも聞こえた。
「じゃあそろそろキッチン行こうよ咲夜。アドバイス、お願いできる?」
「はい。任せてください」
どんな料理を作ろうか、何を作ったら喜んでもらえるか。楽しそうに相談しながら二人がキッチンへと消えていく。
私は一人、いつもよりも広く感じる食堂に残された。なんとなく二人の料理風景が気になるしもっとフランの激カワエプロン姿も見ていたいのだがどうも体が動かない。
このフランもまた、いつもと違う。
こうも立て続けに行われると昼間や夕方のようなテンションにはなりづらかった。待ってるこの時間もワクワクしてればいいのにそんな気分にはなれない
(あぁくそッ!妄想しろ妄想!テンション上げて迎えてやらんとなるまい。フランが作ってくれるんだぞ?きっと今はちっちゃい手で野菜なんかを洗ってて、包丁を使う時なんかは左手を猫の手みたいに丸めて野菜を抑えてるんだろうなぁ。あと、隠し味っていう言葉に憧れてハチミツとかチョコレートを用意してみるけど、結局怖くて使えないどころかちょっとつまみ食いしてしまうフランさんかわいい!)
そうこう考えていると食堂にパチュリーと美鈴が入ってきた。とりあえず無理矢理な妄想を止めて声をかけようと思ったが、なにやら白熱した議論を交わしている。喋りながら二人は私の座っている長机に座った。
食事について基本的には朝食と昼食は皆バラバラであり各々自由に食べにくるのだが、夕食だけは普段外や図書館にいる二人も集まり、私ルールで一緒に食べるようにしている。長机には上座に私が座り、その向かいがフランの席。私側の左右が咲夜と美鈴で、フラン側の左右がパチュリーとたまにくる小悪魔が座るのがなんとなくの恒例。
しかし今は私側の左右に美鈴とパチュリーが談義しながら座っていた。
二人が熱く語っているのはなんだか珍しい。やはり気になったので声をかけてみる
「おーい、お二人なに喋ってr」
「いやー今日のフラン様はすごい子供っぽかったというか、妹全開でめっちゃ愛らしかったんですよ!見てないなんてもったいなかったですね~パチュリー様」
「別にかまわないわ。私が会ったフランは上品でおしとやかでお嬢様然としているまさにレアフラン。あれを見てないなんてホント美鈴は可哀想ね」
「私なんて手を繋ぎましたからね」
「今度魔法を教える約束したわ」
「まてこら」
弾幕でもなんでもない火花がパチュリーと美鈴の間でバチバチと散っている。これもまた珍しい光景なのだが、そんなことより聞き捨てならない内容が聞こえた。
「いやいやいやあんたらさ、誰の許可を取って私の妹を語ってんだ?」
「なによ。別にいいでしょう」
「そうですよ。てかもう皆の妹でいいんじゃないですか」
「詰めるぞ」
「なにを!?」
まるで推しているアイドルでも語っているような二人の様子。てか美鈴はともかくもパチェまでどうしたその自論。今日はもうキャラ崩壊の日かなにかですか。
私がフランを語っているときにパチェがするような心底呆れた視線を送ってやると、それに気付いたパチェは取り繕うかのようにコホン、と咳払いする。
「別にそんなんじゃないけど、廊下で会った時に美鈴が『甘えん坊のフラン様は最高ですね!』とか言うから」
「パチュリー様だって『あら、幼い見た目に優雅な佇まいこそ彼女の隠してた魅力よ』って挑発したじゃないですか」
また二人が睨みあう。お互いのモノマネが無駄に上手いのも気になるし、パチェのフラン論はむしろ私の魅力なんじゃないかと思うし、どうしたらいいかわからなくなってきた。
「あの、二人共?今日のフランについてなんか疑問というか、おかしいって思わないの?」
「ん?そりゃおかしいって思うわよ。当然じゃない」
「でしょ?ならさ」
「わたしも思いましたけど……個人的にはちょっと嬉しかったんですよね」
「あぁん?」
「手軽にメンチ切らないでくださいよ!……前に朝食でフラン様と二人になった時があって、良い機会なので沢山お話したんですよ。そしたら私の話をほんと楽しそうに聞いてくれて。そのときの笑顔が子供っぽくて可愛いかったんです。だから普段から無邪気に甘えてくれたらなぁ、と 」
いやー夢が叶っちゃった感じですよ、と頭に手を当て苦笑している。
それにつられてかパチェも静かに語り出す
「私のとこにもフランが本を読みに来たことがあったわ。しかも魔道書よ。術式についても質問してきたし読んでどうするのかと思ったけど、簡単な魔法ならすぐに使えるようになっちゃったわ。暇つぶしになったって帰っちゃったけど、もっと真面目に取り組めれば色々教えてあげられるのに……ほら、もったいないじゃない? 落ち着きない子だからしょうがないけど」
はぁ~…と二人で深いため息をつく。
どうやらそれぞれにフランへ思い描いていた理想があったみたいだ。
「まぁどうせ今日限りのお遊びみたいなものなんでしょうけど」
「そうですね……明日には元に戻ってますよね絶対。でも、新鮮で楽しかったです」
いつのまにか今日のことを楽しく談笑している二人。常駐する場所は違えど、古くからこの館にいるだけあってこいつらもたいがい仲良いものである
「そういえばお嬢様はどっちが良かったんですか?」
「え?」
「そうね。あなたは両方体験したみたいだし」
「ぁ~………その、私は」
「みなさーん、出来ましたよー」
言いかけたところで、咲夜とフランがキッチンから戻って来た。ガラガラと配膳台を押して私達のところまで来ると、咲夜は座る皆の顔を確認した。
「はい、ちょうど良くお揃いですね。お待ちかねの夕食です」
妹様お願いします、と小声で横のフランに囁き、料理の乗ったお皿をフランが皆に配り出す。慣れないことなのでお皿を配る手に緊張が読み取れた。その様子を異様に暖かい目で見守る美鈴とパチェに不気味さを感じたものの、とりあえず言いかけたことは言わずに済んだみたいだ。
そして、フランが作ったのはハンバーグのようである。小さめのハンバーグにデミグラスソースがかかっているが、ソース自体は恐らく咲夜が作ったものだろう。その横には人参とブロッコリーなどの温野菜が添えられている見本のようなハンバーグランチ。
他の二人の皿と見比べてみてもハンバーグの形や大きさが不揃いで、いかにも手作り感が出ている。慣れないながらも一生懸命作ったのが見てわかる代表的な料理だろう。
いまだちょこまかとナイフとフォークを配っているフランが視界に映る。
美鈴がさっき言っていたように、今日のことはフランの気まぐれだとは思う。この後にでも「遊びでしたー」とフランが種明かしして終わり。だからこその普段じゃありえない振る舞いをしたのだと。
――でもこのフランは今までのフランとはちょっと違う感じがする。いや、本人に間違いないし自分でもなに言ってんだかとは思うけど、なにかすごく懐かしい感覚がするのだ。
そう考えてるうちにフランは食器を配り終えたみたいだ。
咲夜が改まって号令をする。
「では、料理の前に本日のスペシャルシェフを紹介します。主に野菜を切ったりハンバーグをこねたりしてくださった、フランドールシェフです」
パチパチと咲夜が拍手をすると、横に立っていたフランが気恥ずかしそうに前に出た。皆がフランに注目する
「えーと、フランです。今日は皆に感謝の気持ちを伝えたくて夕食をつくりました。咲夜にだいぶ手伝ってもらっちゃったけど」
ありがとね咲夜、と顔を見て照れ臭そうに笑う。咲夜もその様子を見て微笑んだ。
「……それでね、ちょっと食べてもらう前に聞いて欲しいことがあるの」
突然、神妙な面持ちになったフラン。和やかな空気が一瞬止まり、そばにいる咲夜でさえキョトンとしていた。
少し間を置いてフランが話し出す
「お姉様……そばにいてくれてありがとう。閉じこもり気味だったわたしを、ずっとお姉様は守ってくれた。いつもお姉様に好きって言われても無愛想に返してたけど、本当はすごく嬉しかったの」
にこやかに私を見つめるフラン。
唐突な公開告白にみんなの目が点になる。それも束の間、フランはクルッと横にいる咲夜のほうへ向くと
「咲夜も。毎日美味しいご飯ありがとう。紅魔館が綺麗なのは咲夜のおかげだね。あと、デザートいつも少しつまみ食いさせてくれてありがとね?」
言われた咲夜は、それ内緒ですってば!?と焦り気味にフランへ耳打ちし、こっちをチラチラ見つつ申し訳なさそうな顔をする咲夜。聞こえてたし初耳だぞおい
続いてフランは正面にいるパチェと、美鈴の方へ顔を向ける
「パチュリーは普段むずかしい顔してるけどどんな質問にも優しく答えてくれるし、美鈴は私が暇そうだと一緒に遊んでくれたり、面白い話をしてくれた」
自分でも噛み締めるように話すフラン。二人は突然のことにリアクションできず、ただただ呆然としていた。
言い終わると胸に手を当て、深く深呼吸をする。そしてさっきまでの明るい表情ではなく、辛そうな表情へと変わっていった。
「だから本当にわたし、みんなに感謝してるんだ………みんなが来るまではこの館はすごく寂しい場所だったから」
そうだったよねお姉さま、と悲しそうな目線を向けられる
「ここには最初、お姉様とわたししかいなかった。それはすごくお互いに寂しい日々だったの。わたし達の世界には2人しかいない。ずっと二人ぼっちなのかなって」
「でも、お姉様がここにみんなを連れてきてくれた。咲夜、美鈴、パチュリー。紅魔館に来てくれて、わたし達に笑顔をくれて、ありがとう」
自分の目から涙がこぼれそうになったことに気付いたフランは、指でそれをサッと拭って精一杯の笑顔を作る
「みんなが揃ってわかったの。これが理想の紅魔館なんだって。たくさんの笑い声と楽しい日常、それがこんなにもキラキラした毎日にしてくれる。それを教えてくれたみんな、そしてお姉様……世界で一番、大好きだよ」
聞いてくれてありがとう、とぺこりと頭を下げるフラン。そして再び顔を上げたとき、急に皆の視線が恥ずかしくなったのか、こそばゆそうにはにかんだ。
静まり返った食堂。
先程からみんなは唖然とした表情でフランの言葉を聞いていた。話が終わった今でも表情は変わらない。
一時の静寂。
それを破ったのはずっとフランの横に立っていた、咲夜の小さな拍手だった
パチパチと響き渡る一人分の拍手。今までフランを見つめていた美鈴とパチェは、咲夜の方に振り向いた。その顔は穏やかで、目の端には涙がたまっている。咲夜の拍手を皮切りに美鈴とパチェは互いに目配せをして咲夜と同じように手を叩いた。
それは次第に膨らんでいき、三人分の大きな拍手が食堂を埋める。
「ありがとうございます妹様……私も妹様のことが大好きですよ」
「あ、咲夜さんズルい!!も、もちろんわたしもですよ!?今更そんな、ね?水臭いというかなんというか」
「そうね。でもこうやって言葉にしてもらうと、その……嬉しいわね」
口々にフランへの賛美の声が飛び交う。すっかりみんな笑顔になり、フランも嬉しそうに笑っている。
「いやーフラン様ったら唐突すぎますってホント!わたし達はもう家族なんですからそんなの」
「あら美鈴?顔真っ赤じゃない。照れてんの?」
「パ、パチュリー様だって赤いですよ!あ、今更隠しても無駄ですからね!?」
「はいはい二人とも落ち着いて。せっかくの妹様の料理が冷めちゃいますよ?」
「「それはいけない!」」
大きな声でいただきまーすと言い終わるやいなや、二人が一斉にがっつく。
その様子にフランと咲夜は笑みをこぼした。
「えへへ。そんな喜んで食べてもらえるとわたしも嬉し……あーー!!パチュリーっ!!大丈夫!?慣れないことするからだよ~!」
「ゲホっ!だ、大丈夫よ。あまりに美味しそうだったからつい、ね」
「喘息設定を忘れないでくださいねパチュリー様」
「もう、美鈴もがっつきすぎだよ。口にご飯付いてるし」
「あっ……すす、すすいません!取っていただいて」
「美鈴あなたっ!ゴホッ!グハァッ!!」
「はぁ、まったくもう」
わいわいといつも以上に騒がしく、夕食の時間が流れていく。笑い声が絶えず響き、暖かな空気が食堂を包み込んだ。
フランを中心に、みんな笑顔で幸せそうな顔をしている。
「……」
目の前で広がっている団欒を見据え、私は同じ場所にいながらそれをどこか遠くに感じていた。
別にさっきのフランの独白に心が打たれなかったわけではない。むしろここにいる誰よりも衝撃を受けていると自負している。
今までこんなことが出来るような子ではなかった
みんなのために料理を作り、感謝の気持ちを伝えることなんて。
でも、今日一日を振り返ってみてわかったことがある。
可愛く甘えてくるフラン。おしとやかで従順なフラン。
そして、素直に気持ちを打ち明けてみんなのために笑顔を作れる優しいフラン。
どれも私が思い描いた、理想の妹の姿だったのだ。こうあって欲しいと願い、フランに言い続けてきた理想。もしかしたらそれを聞き受けてフランは生まれ変わったのかもしれない。
ずっと自分の中で渦巻いていた感情の正体も、この光景をみてやっとわかった気がした。
――そうか。これが
ふと、フランと目があった。皆が談笑してる中、さっきから黙っている私を心配しているのだろうか。美鈴と話しながらも不安そうな顔をしてこちらをチラチラと見ている。
その様子に、自分の中で感じていた妙な既視感の正体にも気づくことができた。
(あーなるほど。……見覚えがあるわけよね)
私は話を遮らないように「おいしいよ」と口パクで伝える。
それをみたフランはパァッと喜びの表情で満ちていった。
満足した私はそのままパチュリーに話しかけ、暖かな団欒に加わることにした。
愛情のこもった美味しい料理に楽しい会話。
紅魔館の食堂の明かりは、いつもよりも長く点いていた。
* * *
ある日 、お姉様は言った。
みんなと合わすために時間を変えるわ、と
それからは
わたしの眠る時間にお姉様は起き、
わたしが起きる時間にお姉様は眠るようになった
一方的に告げる「おはよう」と「おやすみ」がわたしとお姉様の会話になった。
夢じゃお姉様に会えやしない
でも起きてもお姉様には会えなかった
なにが変わったどうして変わった
でもわたしも変わらなきゃ置いてかれる
今のままでは、置いてかれる
* * *
「…………いい加減、顔上げたら?」
鏡を前にうなだれているわたしをみて、おしとやかなわたしはそう告げる。
先程まで遠視魔法によって古びた鏡から映し出されていた、紅魔館の楽しげな食事風景。みんなの中心となって笑っているのは紛れもない自分。だけど勿論わたしはここにいる。
そんなことには誰も気づかず、賑やかにおしゃべりをしていた。
鏡の中のわたしはお姉様に嬉しそうに笑いかけて、それにお姉様も優しく微笑み返していた。
それが他のわたしに対しての、デレデレとした態度をとっていたお姉様とは明らかに違っていたことに気づく。
仲が良くて幸せそうな普通の姉妹。
心から繋がり満ち足りているような関係。
目の前にはそんな光景が広がっていて、そこに自分はいるけどわたしはいない。
それでも、いつか夢見た理想の自分の姿が、完成していた。
「本当に言葉も出ないみたいね……無理もないけど。だからあの子が切り札だったのよ」
そう言い放つ声さえ遠くで聞こえているように感じた。鏡から聞こえていた談笑だけが今も耳の奥で反響する。
「ねぇ、自分と比べてどう?正直に気持ちを伝えられる私たちと、冷たく無愛想、素直に好きとも言えないあなた。お姉さまはどっちがいいかしらね?」
「……」
それでもなお畳み掛けてくる言葉に返す気力もなく、たとえ言えても正当性のある言葉を返せる自信もない
「……ふん、いつまでぼーっと座ってるのよ。そろそろあの子も帰ってくるから準備なさい。最後はあなたよ」
「…………わかってるよ。顔洗ってくる」
無理やり体に力を入れてよろよろと立ち上がる。そのまま重い足取りで扉の方へ向かった。ドアノブに伸ばした自分の手がわずかに震えている。
毎日求愛してくるぐらいだし多少なりとも愛されている自信があったので、お姉さまに対する分身たちの行動に驚くことはあってもこんなにも絶望することは今までなかった。
過剰な反応なのかもしれない。しかし鏡の中で笑う自分をみて、なにか絶対越えられない壁のようなものを感じたのだ。
そして不思議と、妙な既視感も。
――あの子がみんなに言った言葉も、自分にとっては違和感だらけだというのに
力なく扉を開けて出ていこうとすると、後ろから声が投げかけられた
「もう気づいてるでしょ?あの子を見て否応にも思い出したはずだわ。 そうよ、あれは…………素直で優しかった頃の貴女」
「フランドール・スカーレットの過去の姿よ」
* * *
わたしとお姉様
ここは二人だけのお城
お姉様の言葉にはわたししか返せない
わたしの言葉にはお姉様しか返せない
そんな世界が私達だった
でもいつの日からか、目に見える世界がどんどん広くなった
お姉様の言葉にわたし以外の言葉が返す
お姉様の言葉がわたし以外に向けられる
それが日常になる
いつも笑顔に包まれて、世界に言葉が増えていく
明るい声が増えていく
雑音が 増えていく
* * *
昼間は妖精メイドのサボリにより、きゃいきゃい騒がしい紅魔館の廊下だが、それも夕食の時間が終わる頃になると途端に悪魔の館らしい静けさに包まれる。血に染まっているような赤の絨毯の上を、今はわたしの足だけが支配している。流石にこの時間の廊下を出歩くのは吸血鬼だけだということだ。今は朝方吸血鬼だけども。
地下室にいた数時間前よりは気持ちが落ち着いたものの、足取りはそのまま廊下に沈んでしまうんじゃないかと錯覚するほどに重い。
一つ先の角を曲がれば、すぐにお姉様の部屋がある。あと何十メートルか考えるたびに心臓がきゅっと締め付けられた。指先の冷えも収まらない。そして先ほど投げかけられた言葉
「……あいつは〝過去のわたし〟か」
ポツリとつぶやいた。その言葉を思い出すたびに気持ちが沈んでいく。
初めて見た時から薄々とは気づいていたが、あいつとお姉様が話している場面を見てそれは確信に変わっていた。
あれは何百年も前のわたしにそっくりの性格をしていたのだ。
当時のわたしはお姉様のことが大好きで、褒めて貰えれば飛び上がるほど喜んだし、叱られれば素直に反省する。いつだってお姉様の後ろを歩いて、どんなところでもついていった。それだけがわたしの全てで、そんな毎日に満足していた。わたしもその時は常に笑顔だったことを覚えている。でも、いつからか自分が変わっていったことも気づいていた。そしてもう戻れないことも。
あれは
「あっ…」
そう思っているうちに、お姉様の部屋の前に着いてしまった。わかった途端にまた足がすくんでしまいそうになりどうしようもない虚無感と恐怖が襲ってくる。行っても無駄だ。敵うわけない。
だって
だって 過去のわたしとお姉様は、 もうさっき会ってしまったじゃないか
ギリっと自慢の歯が軋む音がする。
わかっている。今のわたしじゃダメだってことぐらい。
甘える妹も従順な妹もお姉様の理想の妹なんだろうけど、でもなにより昔のわたしを望んでいるに違いないんだ。
鏡に映っていた二人の幸せそうな笑顔が目に焼きついている。
自分自身には敵わない。
「………もうわたしが出てきても」
それでもわたしは目の前の扉を開けようと、手を伸ばした。
どうせ明日にはわたしはいなくなる。正確にはあの子、昔のわたしが成り代わることになるだろう。
だからこれがお姉様と顔を合わし言葉を交わす、最後の場となる。そう思えば立ちすくんでるこの時間さえ惜しい。
そして同時に、フッとなんだか気持ちが軽くなる。
よく考えたら別にフランドール・スカーレットという存在がいなくなるわけではないし、客観的にはレミリアとフランドールという仲良し姉妹が出来上がるわけだからなんてことない、わたし自身が望んでいたことじゃないか。
お姉様や他のみんなにとっても絶対そっちのほうがいい。
もしかしたらそのうち幻想郷でも噂になっちゃうかも。
『仲良くて微笑ましい、幻想郷で話題の優雅な姉妹』みたいな。お姉様があんな調子だし、あの子はわたしみたいに拒んだりしないからきっとそうなる。そうなったら毎日一緒のベッドで寝たりお揃いの服を着たりしてさ、たまーにちっちゃなことでケンカなんかして。でもすぐに仲直りできちゃうんだ。それでまた一緒のベッドでお喋りしながら眠る……そんな毎日。
いつも、お姉様の後ろを歩ける。
「なーんだ。今より全然良くなるじゃんか」
そうだそうだ、と気持ちが楽になり自分でも笑いながら、静かにお姉さまの部屋の扉を開けた。
そうだよ わたしは何も終わらない。むしろ始まるんだ
じゃーね
今のわたし
じゃーね
お姉さま
わたし、変わってみせるよ
部屋に入ると当然だがお姉様がいた。ただ珍しくいつもは締め切ってるカーテンを開け、こちらに背を向けた形で窓越しの夜空を眺めていた。ドアを開けた時点で部屋に誰かが入ってきたことはわかっているはずだから、こちらから要件を言うのを待っているのだろう。いや、もうわたしが来ることさえ知っていて、話かけられるのを待っているのかもしれない
(これじゃ今朝呼び出されたのと同じだなぁ……なんて)
そんな風に考えるのもこれが最後か、と覚悟を決めてだんまりを決め込んでるお姉さまに話しかける。
「お姉様、まだ起きてんの?……早く寝なきゃ朝起きれないよ」
思わずいつもの皮肉が出そうになったがなんとか押しとどめる。今更変に言い合うのは後味悪いし、サラッとお別れしたほうがいいだろう。
しかし、お姉さまはこちらを振り向こうとはせず後ろを向いたまま返事をした
「……あらフラン。心配ありがとう。でも、ちょっと今はこうしていたい気分なの」
柄にもなくそんなことを言うお姉様に少し違和感を感じる。こんな浸ってるお姉様は珍しい。いつもあんなうるさいのに、今日に限ってどうしたのだろう
「ふーんそう…………今日は、月が綺麗だね」
「ええ、眠ってしまうのが惜しいくらい」
「今は夜だと眠っちゃうし、なおさらかな」
「そうかも」
相変わらず後ろを向いたままではあるが、久しぶりに言葉を交わしたように感じた。むしろこんなまともに会話をしたのさえ最近では無かったかもしれない。そう思うと少しばかりの後悔が今更ながら襲ってくる。
でも、明日からはたくさんお姉様とお喋りをするわたしがここに存在していることだろう。
あー楽しみだ
こんなわたしとももうすぐおさらば
今度はうまくいきますように
とりあえず、今日のことを質問してみる
「ねぇお姉様。今日のわたしはどうだった?」
「今日の、あなた?」
「うん。おどろいたでしょ?」
そう切り出すと、後ろ姿ではあるが背中に緊張が走ったようにみえた。
「実はわたしさ色々反省したんだよ。今までお姉様に馬鹿な態度とってたなぁ、このままじゃいけないな、とおもってさ。だから明日から生まれ変わる気持ちで、今日は属性変えてアピってみたわけ」
「…………そう」
朝起きたら自分の理想が分裂していました、なんて言えるはずもない。かんしゃくだけでなく妄想癖までわたしのキャラに追加されたらたまんないし、今度のわたしに悪いだろう。なんだっけ……立つ鳥跡を濁さず、だったかな。魔理沙が図書館からコソコソ抜け出す前によくつぶやいてたっけ。わたしはそれを見てるだけだったけど。
明るく言ってみたつもりだが、お姉様はなぜか興味なさそうな返事をした。
おかしい。わたしから話しかけたら三度見ぐらいするくせに
「だからさ、感想聞かして。特別にお姉様が気に入った性格に明日から変わってあげるよ。どのわたしが良かった?」
「比べられないわ」
うーんらしくない。照れてんのかね
「……そんな迷わないでよ。まぁ自分で言うのはなんだけど、どれもけっこう可愛く出来たと思ってるししょうがないけどさ。でもチャンスだよ?明日から今日のどれかのわたしになってあげるんだから」
「べつに」
どうしたんだろう ほらこっち向いてよ
「遠慮しないでいいってば。今日は実験みたいなもんだし、キモいなんて言わないからいつものように欲望全開でかまわないよ」
「いいってば」
おかしいオカシイ
「今日みたいにいつだって甘えてあげるし、言うことはなんでも聞くおしとやかな妹にもなってあげるよ。ソファーにも隣で座る、ご飯もアーンして食べさせてもいい。毎日お風呂もベッドも一緒に入ってあげるし」
「フラン、だから」
「あ゛ぁぁぁーーッっうるっさいっっ!!!!いいから答えてよっ!!!どのわたしが良かったかっ!!!」
ダンっ!!と勢いよく足を踏み、その衝撃で床に亀裂がはいる。
無意識に飛び出た叫び声は、空気をつんざきこの広い部屋に反響した。びりびりと響く音の振動が、自分の肌にも突き刺さる。
耳鳴りのような余韻。
一瞬で静まりかえった部屋。
鳴動する鼓動だけが自身の体をわずかに震わせ、瞳孔が開いた目はお姉様だけをとらえて動かない
――なぜ叫んだのか、じぶんでもわからない。
ただ気づいたら声が出ていた。
しばしの静寂の後、今までずっと背中を向けていたお姉様がゆっくりとこちらを振り向く。
「…………フラン……?」
今日初めて直で見るお姉様の顔。それは先程からの声と同じ悲しそうなわけでもなく、唐突なわたしの叫びに憤慨してるわけでもなかった。その表情はまるで
―――ずっと見つからなかった探し物をようやく見つけた、そんな安堵と呆然とした表情が入り混じったような顔をしていた。
「フラン、なのよね?」
自分の胸を手で押さえて、恐る恐る確認するような声を出す。
さっきとは裏腹にジッとこちらを見つめている。
「………そ、そうだけど」
わたしはというと、お姉さまの予想外の表情に呆気にとられていた。
「あ、いやその、ごめんね!!当たり前よね!」
少し焦ったあと、やはりどこか安心したみたいに息を吐くお姉さま。
「な、なんなの」
自分でも整理がつかずパチパチと瞬きをする。
何が起こっているのかさっぱりわからない。
今までのつれない態度から、一気にいつもの雰囲気へと様変わりしている。ていうかなぜそんな表情をしているんだろう?さっきのわたしになんか言うことはないのか。
少し混乱しつつも、とりあえず目の前で安堵してるお姉様に話しかける。
「今日はずっと一緒にいたじゃんか。廊下でだって図書館でだって会ったし………夕飯もついさっき食べたでしょ。いまさらなんなのよ」
「ええそうね。でもなんか今日は一度もあなたに会っていなかったような気がしちゃって……その、寂しかったわ」
「……!…な、なにいってんの?」
「あー違うか。正確にはあなたに会えなくて寂しかったというよりは、今日のあなたに対して寂しくなった、っていうのが正解」
今日のことを思い返したのか、悲しそうに目を伏せる。
「はぁ?今日はたくさんお話したし、て……手も繋いだりしたのにそれで不満なの?」
お姉様は何を言ってるんだろう。あんな幸せそうにわたしの分身と過ごしてたくせに。
わたしの言葉を聞いたお姉様はムッとした表情でこちらを睨む
「不満も不満よ。いい?確かに今日のあなたは甘えっ子だわおしとやかだわ優しいわで、とんだエレクトリカルなパレードだったわ。年間フリーパス欲しい」
「う、うん」
「でもそのパレードは私だけに向けられたものではなかった。つまり、みんなへのハピネスだったのよ」
「……………えっと…?」
「いや、その、だからあの…」
意図した反応ではなかったのかあたふたと目を泳がしている。
その様子に困惑し、先程までたまっていた体の熱が冷めていくのがわかった。そういえば今日の図書館でも私に向けて変な例えを披露して、パチュリーのジト目を独占していたのを思い出す。分身はそれさえも褒めちぎっていたが、流石にその口がわずかに引きつっていたのをわたしは見逃さなかった。なんてったって自分の顔ですからね。
しかし、すっかり普段の調子に戻ったお姉様に、なんとなく安心してしまった自分もいる。あんなそっけない態度のままお別れするのもイヤだったから、この空気は良い緩和剤になっていた。
「お姉様、そういう例えはいいから。向いてないから」
「決まったつもりでいたのに……」
「もともと内蔵されてないセンスを出そうとしてもムダだってば」
「ぐっ……わかったわよ」
自分でも驚くぐらいの生暖かい視線をよそに、考え込んだお姉様は仕切り直すように咳払いをする。そして
「ごめんなさい。つまりあれよ、今日のあなたの態度は私だけに向けられたものじゃなかったっていうのが…………すごくイヤだったのよ。」
言った瞬間、後悔するように重いため息を吐いた。恥ずかしかったのか、叱られた子供のようにバツの悪そうな顔でこちらの反応を伺っている。
「……」
しかしそれを聞いて私は固まってしまった。
一瞬でも感じたさっきの暖かな空気が、自分の周りだけ突然変わったみたいだった。
そして、お姉さまの言葉に
プツ、と
なにかが切れる音が聞こえた。
「………それが、理由?」
急激にカラカラと乾いていく喉から、自分でもわかるほどに震える声が出る。
収まったはずなのに体がまた熱くなり、さっき感じた逆立つような熱が体を支配し始める。
落ち着け落ち着けとこみあげてくるそれをなんとか押し込め、ゆっくりと問いかけた
「……ええそうね。はじめは嬉しかったんだけど、そばにいた美鈴やパチェにも同じ対応してたでしょ?」
「……」
「その時にね、ぎゅーっと心臓を締め付けられたみたいな、変な痛みがあったのよ」
次第にうつむいてくこちらの様子を知ってか知らずか、つらつらと喋り続けるお姉様
「『あー私だけがもう特別じゃないんだ、フランにとってのみんなと同じカテゴリーに私は入っちゃった』って思ったわ」
「……」
「最初はこのモヤモヤがなにかわかんなくてさ。でも夕食の時に確信したのよ。こんな感情が自分にもあるんだって驚いた」
「まぁ〝嫉妬〟ってやつよ」
その言葉にビクッと体が反応する
これじゃ人間みたいよね、そう言ってお姉様は自嘲気味に笑う。吸血鬼という孤高の種族である自分にそんな弱い心があったとは信じられなかったみたいだ。
「だから今日は辛かった。抱きつかれて甘えられるよりも、慕われて褒められるよりもなにより………好きでも嫌いでも、あなたにとっての特別じゃなくなった方が私にとってずっと、寂しかった」
こちらを見つめて、でも、と続ける。
「今ここにいるのはフランでしょ?私にだけあまり優しくなくて甘えん坊でもない大切な妹、フランドールなのよね?…………いつものあなたで安心したわ」
その目には嘘偽りもなく、今のわたしを求めてくれていた。
――だから、この部屋に入ったときあんなにも素っ気無かった。きっとわたしに会うことが怖くなっていたのだ。また他のみんなと同じ態度を取られて傷つくのが。
途中叫んだわたしをみて安心したのは、この部屋にいるフランは甘えたり褒めたりしない、いつものわたしであることに気付いたから。
「…………」
しかし、わたしはその視線に応えることは出来なかった。
さっきからお姉様がしゃべるたびに、ふつふつと湧き上がる感情。
『最初の言葉』を聞いた時から震えが収まらない。
途中何度も叫びだしたくなった。
それも自分の歯を力いっぱいに噛み締めることで我慢していたが
もう
ダメだった
「………ズルいよ、そんなの」
ぽろっとこぼれてしまった言葉
意図したことではなく、ただ、出てしまった。
だがそれは、今まで抑えていた感情を決壊させるのに十分な引き金となった
「フラン……?」
ゆっくりと顔を上げたわたしの目には、呆然と立っているお姉様が見える
「お姉様が言ったんじゃん…………おしとやかになれ、可愛げを持て、優しくしろ……全部お姉様がわたしに言ったことでしょ?望んだことでしょ……?」
「たかが一日でなにが寂しかった、よ…………わたしはずっと……」
止まらない。勝手に口が動いてしまう。
氾濫し、濁流となって流れてくる感情の吐露
歯止めの効かなくなった想いは言葉となって吐き出される。
「寂しいなんて……自分だけだと思ってるの?」
「ふざけないでよ」
「あんただけを特別にしろって………じゃあお姉様はどうなの?お姉様はわたしだけを見てくれてないじゃんか!!自分ばっか勝手なこと言うなっ!!!」
激情が、取り繕えない本心が、剥き出しになっていく
「ねぇお姉様?いつから…………いつからここはわたし達以外の声で溢れるようになったの? どうして二人だけじゃないの? どうして人が増えてくの!!?」
「眠る時間だって、起きる時間だって、なんでもお姉様に合わせたんだよ……?わたしを見て欲しかったから。お姉様の理想の妹になりたかったから。だってわたしをもっと好きになってくれればこれ以上人が増えないはずでしょ? 今のわたしだけじゃ足りないから、他の人に目が行くんだよね? そうなんだよね?」
ぐらつく視界の先にいるお姉様を見つめる
目を見開いたままのお姉様は答えない
その反応にまた頭に血が昇っていく
「……紅魔館の皆は好き。でもこの館に住む人が一人二人って増えてくたびに、お姉様が取られてくような気がしたの。不安で、嫌で、怖かった」
ぎりっと手に力が入った。自分の爪が内側に突き刺さる感覚さえ今は感じない
「だけどお姉様はどんどん仲間を増やしていって、いつも隣に誰かがいるようになって、喋ることも、食事の時間だって合わなくなって」
発作のような呼吸。目の前もぼやけてきて目元に熱い何かが溜まってくる。
潤む視界に、すべてが揺らいでいく
「二人だけで幸せだったのに…………わたしは、お姉様がいればなにもいらなかったのにっ!!!」
――それでも、言葉は途切れることなく想いをぶちまけていった
「賑やかな声もたくさんの笑顔もいらないっ!!お姉様がいればそれでよかったんだ!!!」
「これ以上声を増やさないで!!他の人の声に返事しないで!!優しくしないで!! みんなに手を伸ばさないで!!わたしを―――」
くしゃりと歪んだ目元から、雫が一筋、こぼれる
「―――わたしだけを、見てよぉ……」
そのまま膝から崩れ落ち、手のひらで溢れてくる涙を覆った。
一度流れたそれは止まらず手の平を絶えず濡らしていく。
自分ではもうどうしようもなかった
〝ここには最初、お姉様とわたししかいなかった。それはすごくお互いに寂しい日々だったの〟
夕食の席でニコニコしてたわたしが皆に言った言葉。
わたしは、地下室でこの言葉を鏡越しに聞いたとき思ったのだ。
――違う、と
そんなこと思ったこともない。
むしろそれからの日々が、寂しかったはず
しかしそれは誰にも言えない。言えるはずがない。
自分の浅ましさや醜さ、散々冷たくしたお姉様にこんなにも依存してたことを、誰にも悟られたくないから。
だからこそあのニコニコしたわたしは、本当のわたしを隠す為の理想の姿と成りえているからあんなことを言ったのだろう。
みんなだけじゃなくお姉様にも優しく、笑顔を絶やさずいつでも素直な自分。
……そんな、まるっきり逆なわたし
でも、できるならば
ふと、前方から近づいてくる足音が聞こえた。
「来るなっ!!」
覆っていた手から顔を上げて、心配した表情で手を伸ばしてるお姉さまを強く睨みつけた。わたしに向けられた指先がわずかに反応し、一瞬逡巡したあと悲しそうに降ろされる。
「――ごめんお姉様。 いいんだ。 もう疲れたの」
「フラン……」
「………わたしのことを嫌いになってよ。そうすれば明日、素直だった昔の自分に戻れるんだ……だから、お願い」
なぜだか泣き出しそうな顔のお姉様に、安心させるようゆっくり微笑んであげた
「明日のわたしを愛してあげて」
今できる、自分なりの精一杯の笑顔を作る。
これでいいはず。久しぶりだけどきっとちゃんと笑えてる
そして、明日の私はもっと上手く笑えているだろう。
返事はなく、物語の終わりを示すようにこの部屋の音は止んだ。お姉様は口をつぐみ、何も言えないでいる。最後までこんな表情をさせてしまうなんてやっぱ悪い妹だったのかもしれない
でもこちらとしては言いたいことは全部言えたし、これで思い残すことはなくなった。
――フランドール役はもう交代。
今度は自分でも納得のいくフランドールを演じてくれますよう彼女に期待しましょう。
前作を超えるドキドキと、ハッピーエンドはお約束……なーんてね。
立つ鳥跡を濁さぬよう これで本当に
さよならだ
溜まった涙を右手でぬぐい、立ち上がろうとした。
「待って」
崩した足に力を入れようとしたところで、呼び止められた。
その声には不思議な力があるようにわたしの体はピタッと止まった。
鮮明になった視界の先には先程から変わらず、お姉様が立っている。ただその表情は今までにみたことないほど真剣なものだった。
「…………なに?さらっと行かせてよ。恥ずかしいんだけど」
「どうして、今のあなたを愛してないなんて思うの?」
語気を強めたハッキリとした声で問いかけられる
その様子に一瞬、たじろぐ。
「………だから、そういうことじゃなくて、明日になればもっと」
「最初っから、変わる必要なんてないって言ってるでしょ」
予想外な態度に戸惑ったわたしの言葉を、お姉様はピシャリと遮るように言い放った。
本来持っている夜の王の威圧感は有無を言わせない迫力を感じさせる。
両足を崩して座っている姿勢から改めてお姉様を見上げる。
射るような眼差しを携えた表情の中には怒りはなく、どちらかといえば哀しんでいるようなそんな表情だった。
「よくはわからないけど、明日、あなたが〝変わる〟かもしれないのね?」
「い、今のわたしを嫌ってくれればそうなれるよ」
「わかった……話したくなさそうだしその理由は聞かないわ。でもそれなら、あなたは変わることはできなそうね。嫌いになんてならないもの」
「……っ……」
凛とした声でそう言い放つお姉様に、またふつふつと怒りが湧いてきた
「……どうしてわかんないの……?お互いが幸せになれるんだっ!!理想の関係になれる!!」
「それで今のあなたが消えてしまうのなら、絶対に嫌よ」
「どうしてッ!!?」
思い悩んだ決意を否定され、我慢できずにさっきと同じように怒気を含ませ叫んだ。聞く者を怯ませる声の圧は再び空気を震わせるも、お姉様は少しもうろたえなかった
毅然とした態度でこちらを見下ろす。
互いに温度の違う視線がぶつかる。
しばらくそうしていたかと思うと、そのまま静かな動作で最初みたいに後ろを向いた。
「確かに、昔の方があなたはわたしに笑いかけてくれてたわ。それだけは事実」
背を向け、淡々と告げる。
その見えない顔は窓の向こうに浮かぶ艶やかな月へ、
夜空に弓を張ったようなその姿を見上げている
「だけどその時のあなたは、私以外に心を開かなかったでしょ。 親にさえも」
「……そ、それがなに?」
遠い昔の自分。顔だって思い出せない生み親に、優しく育てられた記憶はない。
思い出せることといえば、わたしに向けられた怒鳴り声を遮る、姉の後ろ姿。
そのあとの優しく頭を撫でる温かな手。いつも掴んでいたドレスのすそ。
親のことを思い出そうとしても昔のことはお姉様しか記憶に出てこない。
確かに信じられるものは、目の前にいるお姉様だけだった
――お姉様だけだった、のに
「フラン、別にそれが悪いと言ってるんじゃないのよ。私がいる限りはあなたを守っていくって決めてるもの。でもそれは必ずしも絶対的なことではない………ありえないとは思うけど、もし私がいなくなったら誰がそんなあなたを守ってくれるのか。………あの頃はずっと考えてた」
「………そんなのっ!!」
「ちょっと昔話でもしようかしら。あれだけ本音をぶつけてくれたんだもの。私も喋らないと、フェアじゃないでしょ?」
そう言って
ゆっくりと言葉を紡ぐ。諭すように、言い聞かせるように
昔みたいな、二人しかいないこの部屋で。
お母様とお父様が早くに亡くなって、ここの当主の座が私に移ってまずしたことは、仲間を集めることだったの。
さっき言ったとおり、私以外にもあなたを愛してくれる存在をどうしても作りたかったから。
西方に住む魔女
東の野良妖怪
そして、挑んできた小さなハンター。
彼らを仲間にし、この紅魔館に私達以外の者を集めた。
あれよ?これでも一応選んだし、強くて助け合えるメンバーを集めることができたつもりよ。フラン、あなたが寂しくないように。
最初、ここに来たパチェと美鈴にだいぶ警戒してたわよね。覚えてる?
会ってすぐ笑顔で抱きつこうとした美鈴はともかく、パチェは目が怖かったししょうがないけど。でも今だから言っちゃうけど、緊張するとしかめっ面になるのよあいつ。
それでも二人と話せるようになっていった時はホント嬉しかった。皆と円滑に話すために私は寝る時間を変えたけど、フランも変わってくれたのは……いい誤算だったしね。
だけど、地下室に引きこもることが多くなったのもその時からだった。
でもそのあと来た咲夜のおかげで、あなたも今みたいに館の中を歩けるようになったわね。あの子の世話好きは異常だから、わりと早く懐柔できたみたいだし。
これで大丈夫。
みんながフランを愛してくれる理想の家族が作れたと思ったわ。安心したけど、でもすぐに思い出したの。
――この世界には私達のような吸血鬼を敵とする輩が、沢山いることを。
戦力的にも考えて集めたはずだったけどやっぱ不安だった。
中は良くても、一歩でも館を出れば味方なんて存在しない。
ましてや大人の吸血鬼もいない、客観的に見ればたった二人の吸血鬼の姉妹がいるだけの館。
このままじゃフランだけでなくせっかく来てくれたあの子達も標的にされる。
だから私は、噂に聞いていたこの幻想郷に館ごと移動した。異変もまぁデモンストレーションってことでね。様々な種族が入り混じり共存しているここならきっと敵だけじゃないし、家族とは別の、フランに「友達」を作ってあげられるって思ったの。
……ここがいい場所で良かったわ。思惑通り、害のない妖怪も人間もこの館を訪れるようになった。これでいざという時が来てもあなたに寂しい思いをさせなくて済む。
まぁ代わりに
その時にはもう、あなたはわたしにだけ素っ気なくなってたけど。
でもそれでいいと思ったわ。私のことを嫌いになってもフランが今後幸せに過ごせるなら構わないって思ってた
「……どうやら、間違ってたみたいだけどね」
一瞬言葉が途切れたかと思ったら、お姉様は力なく腕を降ろした。
「ふふ、もう空回りもいいとこよ。あなたを寂しくさせないためにしたことが、かえって寂しくさせるなんてね」
月明かりを遮る後ろ姿から空笑いがこぼれる。
「とんだエゴだった。勝手にあなたの幸せを決めつけた。――頼られてることに、必死だった………さっきは言ってくれてありがとう。ようやく気づけたわ」
表情は当然見ることができない。早口で無理に張った喋り方だが、それでも震える肩が、声が、自虐的なその言葉に拍車をかける。独り言に聞こえるのは、わたしにではなく自分に対して攻めているように聞こえるからだろう。
いつも無駄に自信ありげな姿は影をひそめ、そこにあるのは今にも崩れ落ちてしまいそうな小さな背中
「……」
そんなお姉様の後ろ姿を呆然としたまま見ていた。
咲夜に叱られて凹んだり、
美鈴の顔にいたずら書きして、子供みたいに喜んでたり
パチュリーと口喧嘩して涙目になってたり。
そんなどうしようもない姿は散々見てきた。
だけどこんな寂しそうな弱々しい姿は見たことがない。こんな、弱音も。
だってお姉様は昔から堂々としてて、その背中はすごく頼りにみえて……
でも
もしかして
(……わたしの前で、だけ……)
嫌でも気づいてしまった。
それを理解したときやっとお姉様が言っていたことが、わかった。
わかってしまった
絶えず濁さず貼り付けていた過去のわたしの
――笑顔の理由。
なんで、忘れていたんだろう
「……でもね、フラン」
くるっと体ごと振り返る。生まれた時から授かった綺麗な目は、泣いて赤くなった瞳さえあやふやにしてしまう。
「やっぱり私は、あなたにもう一度昔みたいに変に優しくして欲しいなんて思ってないのよ。無理に笑いかけることをしなくていいの」
「そもそもあなたに言っていた〝おしとやかにしなさい〟とかは『私好みのフランの理想』ではないわ。あなたが他の人と仲良くできるように勝手に助言した『あなたの今後を考えた理想の姿』なの。そしてあと一つ、大きな勘違いをしてる」
「聞きなさい?いい?………私はね、今のあなたが、一番自然だと思うの。正直な感情で私と接してくれるようになった。それを、とても愛しく思うわ」
言い終わるやいなや
わたしの目を見つめつつ、カツ、カツ、と赤い靴を鳴らして近づいてきた。
歩いている間も決して目線は外れず、静かに歩み寄った。
「フラン。あなたの気持ちも、あなたが寂しがる理由もわかった。そしてそれが、私のせいだというのも」
ごめんなさい、と歩きながら語りかけてくる。後ずさろうとしても足に力が入らない。動けないでいるわたしとの距離が縮まっていく。
――やめてよ
「でも仲間を捨てることはできない。フランもそれは望んでないでしょう?だってあなたは、〝これ以上人を増やさないで〟とは言ったけど、〝今の紅魔館に住むみんなを追い出して欲しい〟なんてことは一言も言ってないもの」
やめて 来ないで
「今でも充分あなたは優しい子よ。変わる必要なんてない」
そんな目で見ないでよお姉さま わたしは
「もう、こんな私のために変わろうなんて思って欲しくないの。 なにより」
紅い靴先が、わたしに触れる20cmほどまで来たところでお姉様は立ち止まった。
地べたに座っているわたしは、さっきよりも上に首を傾け見上げる。捕らえられたように視線を逸らすことができない。ドクン、ドクン、と心臓が早鐘を打つ。
やめて やめて やめて
自分の中で決めたのに。せっかく覚悟を決められたのに
そんな言葉で引っ掻き回さないで。
――消えたくないって、思ってしまう
不意に
ずっと見つめてたお姉様と視線が外れる。
(あ……)
それに戸惑う間もなく、上から包み込まれるように
ギュッと抱きしめられた。そして同時に耳元で囁かれた
「今の素直なあなたを、愛してるから」
意図せぬ抱擁に一瞬体がビクッと震える。なぜだか懐かしいお姉様の匂いと暖かな感触。
それらがゆっくりと染み込んでいく。強張った体から緊張の糸が抜けていき、嘘みたいに心が落ち着いていく。
「………お姉様………」
また知らないうちにこぼれ出した言葉。
〝もう思い残すことはない〟〝入れ替わった方が幸せに決まってる〟
必死に自身を誤魔化そうとしていた心の声。見ないふりをして無理やり納得させていた感情の化けの皮が剥がれ出す。
思い残すことはない、なんてウソだ
入れ替わってもいい、そんなのウソだ
――消えたくない
それに気づいた時、この部屋に来てからずっと内側にあった本音、それを誤魔化すための虚勢がいとも簡単に崩れていったのがわかった。
幼い子供をあやすようにお姉様はわたしの背中を優しくさすった。
耳元で優しい声が響く
「後ろで守られるんじゃなく、今度はちゃんと正面に立ってくれた。だからあなたは正直に悔しい気持ちをぶつけてくれてたんじゃないの?……その感情の名前もまだわかんなくていいわ」
「……」
「あなたはしっかり向き合ってるじゃない。自分に、私に。今のあなただったら、弱い私を見せられるもの」
わたしの呼吸に合わせて撫でてくれている小さな手。その手は、泣き果て叫び切った体にぬくもりを与えてくれて、言葉の一つ一つは、ほつれた心を結び直す。
抑えきれずに手放した感情が、自分の中へ戻っていくのを感じた
後ろで守られる、という言葉にふと、さっき聞いた話を思い出す。
同時にあの寂しげな後ろ姿も目の奥でチラついた
――お姉様の話を聞いて思ったこと。
それはきっと今のわたしじゃないとわからないことだった。
(過去のわたしはお姉様に笑いかけてた?優しかった?………いや違う。そうじゃなかった)
やっと気づけた。
過去のわたしは、「お姉様」自身にではなく、その「背中」に笑いかけていたんだ。
わたしを叱る声から守ってくれて、そんなお姉様の後ろに隠れていれば安心できた。
気遣うように笑いかけ、どこにもいかないように優しくする。
横に立って共に笑うわけでもない。
目を見て正面に向き合うわけでもなかった
ただ、依存してただけ。
そしてお姉様はそのことを知っていた。それがきっと不安だったんだ
ずっと自立ができないかもしれない、わたしを
「素っ気ない態度も、あなた自身が感じた私への素直な思いなのよ。まっすぐ向き合ってくれるようになった証拠」
「それを否定しないで…………嬉しかったんだから」
安心させるように居場所を定めるように、再び強く抱きしめてくれた。
過去のわたしより今のわたしを認めてくれた、暖かな言葉とともに。
―――いつまでも後ろにいようとした自分のせいなのに、あっさりとお姉様の横に並んでいく紅魔館のみんなが恨めしく、羨ましく思った過去の自分。この今でもわからない感情にどうしたらいいかわからず、ずっとモヤモヤしていた。お姉様に笑いかけることがどんどん辛くなっていった。それはわたし以外にも笑いかける人がたくさんできてしまったから。今のままじゃ変わらないし、きっと振り返ってくれない。
だからわたしは、お姉様に依存することをやめたんだ。
後ろによりかかって笑顔を浮かべることはもうしない。後ろじゃ顔は見えないし、でもだからといって正面でぎこちなく笑っても辛いだけ。
ならばいっそ
正面に向かってしかめっ面をしてやると、そう決めた。
今の気持ちに嘘を付かないよう、押し殺した笑顔は作らない。
このモヤモヤも、なぜかわからない腹立つ感情も、全部正面でぶつけてやる。不満であると、こっちを見て欲しいと。今の自分の感情に素直になることが、遠回りでもお姉様に近づける一歩になると信じて。
それが屈曲でもありストレートでもある、わたしなりの伝え方だった。
なのにいつしかそのことさえ、そんな大切なことさえ忘れていたんだ
「…………いいの?」
すがるように弱々しい声が出た。お互いの表情こそ見えないが、それでもこの距離ならきっと聞こえてる。
「なぁに?フラン」
「………本当に、今のわたしでいいの?」
「もう、はじめから何回も言ってるでしょ。そろそろ言葉が思いつかなくなっちゃうわ」
「だって……」
「いいの。自分の考えで向き合ってくれた、今のあなたが一番いい」
どこまで、お人好しなんだろう
「後悔しない?……明日から別に優しくなんてなんないよ?」
「えぇ、いいわよ」
どうしてそこまで言ってくれるんだろう
「ソファーも離れて座るし、アーンしても無視するし、一緒にお風呂も入んないんだよ?」
「それが私の知るフランだもの」
またこんなことを言ってしまうわたしに
「くっついてきたらキモイっていっちゃうよ?傷つけるかもよ!?」
「かまわないわ」
それでも――
「……それでも、愛してくれるの?」
「まっすぐなあなたを、愛してるもの」
そう言うと背中に回されていた手を離し、その両手はわたしの肩に添えられた。
互いに向き合った姿勢でまっすぐに目を見つめられる
「好きよ。フラン」
口の動きさえはっきりとわかる距離で告げられる言葉。
切れ長の瞳はひたすらに凛々しくて、その真剣な眼差しと言われ慣れているはずの言葉に思わず、ドキっとしてしまった。
普段のおちゃらけた様子は微塵もなく、まっすぐ目を合わせてくれるお姉様の紅くて綺麗な目にそのまま吸い込まれてしまいそうになる。
(好きなんていつも言われてるのに………こんなのズルい)
―――でも………ちょっとカッコいいかもしれない………なんて
なんだか恥ずかしくなって目線を下にそらす
「………知ってるしそんなの」
「それは嬉しいわ。私も毎日本気であなたと向き合ってるもの」
「時々ウザイけどね」
「いいもーん。本望だしー、今日もカッコよくキマったしー」
「今日は、でしょ?」
「ホント?ありがとう」
「あっ!…ちが……ぐっ…もう目合わせてあげない」
「やめて!最後の防衛線なのに!」
わたしがそっぽを向くと慌てた様子で必死に目を合わせようとしてくる。
こんなのいつもと同じようなやりとりなのになんだか可笑しい。
だから面白くて、左に向いたわたしを覗き込むようにお姉様が顔を寄せると、右を向いてやり、右に寄せてきたら左を向く、とすねた子供みたいに振舞う。へたん、と眉が下がったお姉様は
「ゴメンてばー……もう……機嫌直して一緒に立ちましょう?そろそろ足しびれちゃうわよ?ね?」
肩から手を離して、片膝をつきながらわたしの方に手を伸ばす。
「ほら。手、伸ばして」
「………もっとカッコよく言ってよ」
さらにちょっと困らせようと挑発してみる。横目で口元に笑みを浮かべるわたしは、さぞ意地悪く見えただろう。
案の定すこし戸惑ったみたいで、あーえっと、とつぶやきながら虚空を見つめる。
そして再びわたしに目線を戻すと、ぎこちなく微笑みながら
「私の手をお取りください、お嬢様。…………………で、いいかしら?」
「まぁいいよ」
満足したわたしは不安そうに問いかけるお姉様の手の平に自分の手を重ねる。
お姉様はそれにホッとしながら手を握り、ゆっくりと立ち上がった。
それに引き寄せられるようにわたしの体も起き上がる
そうすると自然とお互いに向き合う形になり、ぼんやりと(あー…3~4cmぐらいお姉様の方が目線が上かな……)なんてことを考えた。やっぱお姉様の方が高いよね、というなぜか今更意識した身長差と、さきほど恥も外聞もなく本音をぶちまけたことを思い出してしまい、なんか唐突に気恥ずかしい。
そう思って少し無言でいるとお姉様が先に喋りだす。
「ねぇ、フラン。 なんでムカムカするのか、今の自分の気持ちがわからない?……でも、それでいいの。ゆっくり、ゆっくり自分と整理していけば」
「……うん」
「私は、今の自分の気持ちを隠さないあなたが一番好き。 でも、いつかその気持ちに名前がつけられたら、そのモヤモヤもきっと晴れると思うわ」
目を細め、小さな口元が微笑む。
それだけでまたわたしは安心してしまった。
きっとお姉様はこんなバカなわたしをいつまでも好きでいてくれるのだろう。でも今はまだ、わたしは態度を変えることはできそうにない。
なぜなら
やっぱ自分のこのもどかしい気持ちはなんなのかわからないから。
確かにもう、自分の悔しい気持ちを隠さないようになれたけど、その悔しい気持ちはなぜなのか。どこから来るのか。
お姉様を見てると胸がキュッてなるし、他の人とお姉様が喋ってたらすごくムカつく。自然と素っ気なくしてしまう。なんなんだろう……この気持ちに名前がつくとしたらなんていうのかな。
けどとにかく、今までみたいに必要以上に無下な態度をとるのだけはやめようと思った。
………セクハラ発言にはそれ相応の罵声は浴びせるけど。
でも昔みたいな依存する優しさではなく今みたいに正面に立って、そして優しくできるような、そんな強いわたしにいつかなれたらいい。
そう思う。
微笑んだ後、お姉様は目線が斜め上の方へと泳いでいき、恥ずかしそうに頬をかいた
「あとその……〝おしとやかになれ〟とか〝優しくなれ〟とか言ってたのは忘れていいわ。今後のあなたの為に必要だと思ってたけど、やっぱり今の自分の気持ちを優先にしなさい」
「それもわかったけど……でも、パチュリー達は今日のわたしの方が良いって思ってんでしょどうせ」
「そんなことないわよ。普段のあなたが大好き、っていうのが大前提だからこそあんな萌え狂えたのよあいつら。ギャップってやつね」
「ギャップ?なにそれ、そんなのがいいの?変なの」
「まぁまぁ。色んな愛し方があるってこと」
ぽん、と頭に手が置かれる。普段なら振り払ったりしてしまうだろうが、今はそんな気は起きない。むしろ心地いいとさえ思ってしまう
「別に今日のあなたに魅力がなかったわけではないのよ? 私もほら、浮かれちゃったし、あいつらもデレデレだったでしょ。だからたまーにならそのギャップを楽しんでみたいわねぇ……えへへ…」
恍惚とした表情でニヤけている。……前言撤回、やっぱウザったい。
自分の頭を撫でている手をおもいきり振り払いたい衝動に駆られる
だが、すぐにそのニヤけ顔が薄らいだ
「ただ、今日改めて気づいたことがあるの」
「……?なに?」
頭を撫でている手が止まる。
「私はすごく、すごくわがままだってこと。それこそ好きな人が他の人に特別な顔を見せるなんて、とてもじゃないけど我慢できない」
スー、と頭に置かれていた手がゆっくり下へ移動していった。頬を優しくなでられ、さらに降りて細長い指が首元に触れた時、体がビクッと反応する。しかしお姉様の手は動くことを止めず、なぞり続ける。突然の行動にわたしは声も出せなかったが、それでも自分の視線はしなやかな手を追いかける。輪郭をなぞるように移動する手は、肩まできてやっと動きを止めた。
その手から視線を外し、恐る恐るお姉様の顔を見つめる。すると怖いほどに満面の笑顔を浮かべていた。そしておもむろに口を開く
「甘えるあなたも従順なあなたも、私以外の誰かには見せないで? いや……………見せるな 」
豹変したかのように強い口調と、鋭い目つき。それとは裏腹に両手で優しく肩と腰を掴まれ、そのままクッと引き寄せられた。
お姉様の顔が急に目の前に現れる。切れ長の瞳も、小さな唇も。わたしの視界がすべて支配される。
「思い出すのも腹立たしい。私じゃない誰かに甘え、抱きつき、笑う、あなたが」
「ぇ……ぁ……」
「だから今日からは、私だけを特別にしなさい」
「おねぇ…さま………?」
「いい?」
「は、はひっ!!」
吐息がかかるほどの距離で囁かれ、ゾクゾクと背筋が震える。普段のヘタレた態度からは考えられないような強引さと冷たい表情。今だったらなんでも言う事を聞いてしまいそうなほど、このお姉様には逆らえる気がしない。
(ええぇーーッッ!!??なに??なんなのこれ!!?こ、こここんなのお姉様じゃないみたい……!でも、なんだかこういうのも……ってなにをわたし)
初めて見るお姉様のサディスティックな雰囲気に、怖いというよりはなぜか見惚れてしまっている自分に気づく。
そんなことは露ほども知らないであろうお姉様はもう一度、念を押すみたいに低く問いかけた
「……約束、だからね?……も~ほんと傷付いたんだから!」
途端にいつもの調子に戻り、スッとわたしを掴んでいた手を離す。
「ぁ……」
「だからもちろん、私だけにだったら構わないから!!いつでもカムカム!」
先ほどの様子はどこへやら、すっかりご機嫌なお姉様はヘイヘーイ、と手招きをしている。
単純で調子のいい、無駄に似合うドヤ顔。この部屋に入ってからやっと本来のテンションへと戻ったはずなのだが、わたしはまだその切り替わりに対応できていなかった。
「………」
「んー?どうしたのフラン?」
「…………ハっ!いや、その、な、なに気安く触ってんの!?」
「いまさら!?さっきまで抱き合った姉妹じゃない!」
「びっくりすんじゃん!!いきなりあんな触って、ドキドキしt……ばかじゃん!?」
「だって本当に寂しかったし約束して欲しかったんだもの」
「だからって……!!次触ったらもう視界にお姉様入れないから」
せめて見てよ!とお姉様が叫び、ギャーギャーとまたこの部屋で言い合う。まるで昨日と一緒の光景だ。さっきの恥ずかしさも忘れて、またいつもどおりのわたし達に戻ってしまった。
これでは、
部屋に入る前に想像した『仲良くて微笑ましい、幻想郷で話題の優雅な姉妹』と言われるのはとてもじゃないが現実性がなくなってしまっただろう。
だっておしとやかにも甘えん坊にも、もう今は全くなる気がない。
なぜならば、それらはもうわたしの理想じゃないから。
理由?……どうでいいでしょ
にしても、この姉はシスコンこじらせ過ぎでホント大変恥ずかしい。完全に頼るのをやめ、依存することを終えたわたしを見習って欲しいものだ。
「だいたいさ、妹が好きなんておかしいんじゃない?」
「………………ふふ。それはお互い様かもよ?」
「は?なにいってんの?わけわかんない」
「ま、私からはこれ以上言わないでおいてあげる。…………………くふふ、今までてっきり嫌われてるかと思ったわ…………あんな堂々と宣言するとは」
「……?なんかいってる?」
「べっつにー。 それにしても、あの言葉………〝お姉様がいればなにもいらなかったのに!!〟………忘れられないわね! お姉ちゃん冥利に萌え尽きるわ!」
「あー穴があったらお姉様を埋めたいコンクリで施工したい」
「それとあの場はシリアスな顔したけど、あなたの泣き顔見て内心は私のスカーレットデビルが暴れまわってたから」
「だあ゛あ゛ぁーーもう帰る寝るっ!!朝日で消えろ!!灰になれ!!」
ニヤニヤしてるお姉様を睨みつけ、憤慨したわたしは踵を返し部屋の扉まで早歩きした。なんでこんな変態に依存してたんだ過去のわたし!と、自分自身に問いかけて部屋のドアをあけたとき、後ろから声がした。
「今日はゆっくり休みなさい。そして明日も、いつものあなたでいてね」
空気に溶けるように響いた姉の声。
一瞬、先を行こうとした足が止まった。
しかしすぐに左右とも一歩ずつ歩き出し、廊下に出る。
左手で扉を開けたままスーっと息を吸った
「当たり前じゃん」
後ろにいるお姉様に聞こえるように告げる。
そして小さな声でつぶやいた
「おやすみ お姉様」
左手を離し、ドアが締まる瞬間
おやすみ
と、後ろでかすかにお姉様の声が聞こえた
それは、とても優しい声だった
じゃーね
お姉様
また明日
◇
地下室への階段を静かに下り、その重い扉を開ける。
「ただいまー」
「おかえりなさい。そして、おめでとう。あなたの勝ちよ」
目の前にはおしとやかなわたしを先頭に三人のわたしが立って出迎えてくれた。
先頭のわたしは相変わらず腕を組んでいて偉そうである。しかしその顔は変にスッキリとしている。他の二人も同様で表情に陰りはない
「ふーん。意外と淡白じゃん」
「負けは負けだもの」
「悔しいとかないんだ?こっちはあんたの毒舌に身構えてたんだけど」
「ないわね。というより正直な話、こうなるだろうなと思ってたぐらいだし」
「え、そ、そうなの??」
「そうよ。あなたとお姉様の様子見せてもらったけど、確信してたわ」
おしとやかなわたしがチラッと絨毯の上に置いてある古鏡を見る。
自分の時も例外に漏れず、全部見られていたのだろうと思うとやけに恥ずかしい。
目の前のわたしは呆れたようにため息をこぼす
「ようは姉妹揃ってワガママだったってことね。お互いの気持ちを勘違いしてただけとか、どこの少女漫画よ全く」
「うっ……そんなはっきりと」
「………まぁ、今のあなたがどれだけお姉様に愛されてたかなんて、最初からわかってたけど。 自分だもの。 結局、一つの面でしかない私達はそれでしか接することはできない。あなたのようにお姉様にだけの特別な態度は私達にはわからなかったし、私達はあなたの表面でしかなかった。元々勝負にならないわよこんなの」
やれやれと、わざとらしく首を振る
そして
「お姉様の理想は初めから今のあなただった。おめでとう。もう野暮なことさせないでよ、とうへんぼく」
そう言いながら静かに微笑んだ。
「……おぉ……」
少し驚いた、はじめてみる穏やかな顔。会った時からずっとトゲトゲとした不遜な顔してたから尚更その変化に虚をつかれた。
いや、これはもしかしてさっきお姉様が言っていた「ギャップ」というやつではなかろうかとここで密かに納得をする。
なるほど、まぁ………悪くないのかもって、あれ?これって自画自賛?
しかし、ずっと偉そうに見下してたなんとも鼻につく奴だったが、その笑顔を見て自分もこういうふうに笑えるんだな、と再確認することができた。
「………ありがとう。あんたもそんな風に笑うんだね」
「こういうとこはあなたと違って素直なのよ」
「でも、わたしの勝ち」
「我ながら可愛くないわね」
お互いに笑いかける。
それは円満に、今日の長い長いアピール合戦を終えるピリオドとなった
「さて、そろそろ消えるとしましょうか。お役目御免でしょうし」
「ホントあっさりしてんね」
「なによ?感動的に泣きながらお別れでもしたいのかしら?」
「いやいや別に。自分だし」
「そうよ自分なの。だからあなたが勝ってもそれは私でもあるし、言ってしまえば悔しがることも後悔もない。消えて本望よ」
気づけば、だんだんと三人のわたしが淡く透き通っていく。
今まで黙っていた横の二人も、にこやかにわたしに向けて告げる
「お姉様をよろしく~!!がんばってイチャイチャできるようにね!」
「えへへ、心配しないで。きっと大丈夫。 あなたは私達で、私達はあなたなんだから」
ぶんぶんと手を振る子供っぽいわたしと、控えめにニッコリとしているわたし。
両方とも強がっているわけでもなく、本当にただ純粋に応援してくれている。
相変わらず自分とは思えない二人だ。美鈴やパチュリーがハマるのもなんかわかる気がする。ん?また自画自賛になってる?
微笑ましく思いながらわたしも手を振っていると、おしとやかなわたしがこちらに近づいてきた。すぐ目の前まで来るとふいに顔を寄せ、そっと耳打ちする
「消える前に一つ、あなたにアドバイスしておくわ。――――――よ」
「え?」
その言葉を言い終わると後ろにいる二人の元へと戻っていった
そしてこちらに向き直ると、お馴染みの偉そうな顔でかすかに笑みを浮かべている。
そして、彼女らしく尊大に言い放った。
「では、ごきげんよう。 理想の私」
すると、空気と同化していくように音もなく、すーっと三人の姿は見えなくなった
まるでそこにははじめから何もいなかったみたいに静寂だけが訪れる。いつものわたしの部屋。ティーテーブルの上に置いてある、空のカップだけが彼女達がいたことを表していた。
それでも寂しさはない。彼女たちはわたし自身であり、わたしがいる限り彼女たちが本当の意味で消えることはないと理解しているから。
最後に言われた言葉を頭の中で反復し、わたしはなんとなくベッドに腰をかけて背中からボスンと倒れこむ。腕を投げ出し疲れを実感するように背中を伸ばす。それで何気なく思い出し、つぶやいた
「あー。枕無いんだった」
こうしてわたしの忙しい一日は終わった
◇
わたしのある意味自分探し事件から翌日
何事もなかったかのようにお姉様とは朝の挨拶を交わし、朝食を食べて普通に午後を過ごした。みんなで食べる夕飯も終わり、そのあとお姉様に夜のお茶会に誘われて今に至る。
「でね、パチェったらまた美鈴とケンカしててさ、妖精メイド集めて今度討論会するっていうのよ?なんでもフランの魅力についてですって。ったく五百年早いっつの!ねぇ?」
「はいはい」
バルコニーで月を見ながらのお茶会。
向かいにお姉様が座り、さっきから好き勝手喋っている。わたしはというと静かにミルクティーを飲み、聞き流していた。
そう、別に昨日あんなことがあったからといってやはり何も変わらない。
宣言通りである。
相変わらず朝からウザいし、わたしはそんなお姉様に辟易としている。
ようするにお姉様のことを好きになることなんて全くないのだ。あっちはわたしのことがウザいぐらい好きらしいがわたしはお姉様のことは言うほど好きではない。なぜなら依存はもうしてないから。つまりこれがわたしたち姉妹の関係だということ。
今更とくに変わることはない
ただ
昨日はまぁちょっと色々あったし、つり橋効果っていうの?
だからなんか好きって言われた時カッコよく見えちゃったっていうか、てかお姉様は全然カッコよくないし。考えごとをしてるときの真剣な横顔だってそうだし、今日だってわたしがお姉様の部屋にお呼ばれして、お話しながらもさりげなく椅子を引いてくれるとことか、ホント全然カッコよくない。かといって、ナイフやフォークを持ってる時のピンとした白くて細い指やワインを飲んで頬がちょっと赤くなってる顔なんて全然綺麗じゃない。それに朝起きた時の
「フラン、どうしたの?ニマニマして」
「…………は?え、なに?別にお姉様はカッコよくないよ」
「そ、そうなの。なんかいきなり傷つくわね」
そういいながらも懲りずに、すぐさまわたしに話しかけて来る。
まったく調子に乗らないで欲しい。わたしはお姉様のことなんかもう興味無いというのは事実であり、わかってるとは思うがあんなことがあっても決して変わらないのだ。
勘違いしないで?ホントぜんぜんまったく好きじゃない。ましてや姉妹以上の〝好き〟だなんてありえないじゃん。お姉様じゃあるまいし。
てかそんなことよりさ、昨日の「自分以外に見せるな」って言ってわたしを抱き寄せるやつ。本当鳥肌立ったよね。いやいやいやいやもちろん気持ち悪いからだよ?なにあの強引な感じ。どんだけ嫉妬深いのよみたいな?独占欲丸出しで甘く腰とか肩触っちゃってさ。そんなんでときめくと思ってんのかな?あまりにも気持ち悪いから昨日はずっと頭の中でそのシーンをループしちゃったしでおかげで眠れなかったあームカつく!
「あ、フラン、そういえば新しい枕が届いたのよ」
さっきまで咲夜が誰もいない廊下でモップを片手にノリノリでエアギターをしていた話から、急に話題を変えてこちらに振ってきた。
唐突だったので少し焦ったが表には決して出さず、不機嫌に返事をする。
「ふーん……そうなんだ。昨日の今日なのに早いね」
「いつまでも枕無しベッドで寝てるなんて、私の妹としてカッコつかないじゃない。すぐにオーダーメイドで作らせたわ!美鈴に」
「別にそんな早くなくてもいいよ。美鈴にも悪いし………!そうかじゃあお礼を言いに行ってこようかな」
わたしが立ち上がろうとすると、ちょっと待って!と言ってきた。
「あ、明日でいいじゃない!ほら、あの子も疲れてるしもう寝てるかもしれないわ!」
あたふたと早口で喋り、座って座って!と手でうながす。
全く…どうせ引き止めると思ったよ。ホントわかりやすいお姉様。
てかこの場で美鈴の名前を出さなくてもいいでしょ。二人っきりなのにさ。あーまたなんかモヤモヤムカムカする……ホントなんだろうこの感覚。ま、いいか。
しかたなくわたしは座り直した
「そうだね。寝てるのがお姉様だったら叩き起こすかもしれないけど、美鈴は可哀想だよね。ちゃんと働いてるし」
わたしが言えたことじゃないけどさ
「う~…冷たいわフラン」
「しょうがないじゃん。今はお姉様にだけムカつくんだから」
「うふふふ。なぜムカつくのかしら~?」
「は?わかんないからそんなの。…………それで、いいんでしょ?」
「もちろんよ。私はフランにとっての特別……この優越感はやっぱいいわねー」
「……っ……ホ、ホントわかんない。勝手にそう思ってたら?」
「フフ、そうするわ。 ところで枕はどうする?今自分で持ってっちゃう?」
それとも後で部屋に届けとこっか? と、呼び鈴を摘まんでヒラヒラと顔の前で揺らしている。咲夜を呼んでマクラを持ってってもらうのだろう。
「そ、そうだね……えっと……その」
この時わたしの頭の中は、
昨日の自分の分身達の言葉を思い出していた。
――恐らく今、ここが分岐点
自分の部屋の中
彼女が消える間際にそっと教えてくれた言葉
〝もう一つだけ今とは別の、お姉様にだけ特別な一面を見せてあげなさい。別に全部を変えろってわけじゃなくて、ここぞという時に少しだけ見せてみたらってことよ。
――それは私達のように一つの面だけじゃない、あなただからこそできることだから〟
その時の彼女は、またらしくもなく微笑えんでいたのを覚えている。
今の自分をそのままに、全部を変えるんじゃなく時々変えて見せる、というのは考えつかなかった。
そんな中途半端なことをして意味があるのかと思ったが、昨日のお姉様の言葉と照らし合わせると一理あるかもしれないと思ったのだ。
前にパチュリーに貸してもらった本にもそんな人が出てきていた。いつもはいけすかない態度なのに、たまに出てくるもう一つの顔のおかげでそのキャラクターは外の世界でもエラく人気があるらしい。わたしにはそのキャラはウザく映るのだが、しかし助言ならばしょうがない。つまりお姉様自身が言っていた「ギャップ」というやつをやる、と。
まぁ迷惑をかけてしまったのは本当だし、ちょっとぐらいなら頑張ってみようと思うのだ。
別に好感度を上げたいわけでもないし恥ずかしくもなんともないのだが……なるべくこれは誰にも見せたくない
決心した私は息を飲み、目線は少し下がってしまうも、お姉様に向かって口を開く
「…………に……置いといて…」
「……?ごめん、聞こえなかったわ。枕どうするって?」
もちろん勘違いはしないでほしい。基本的にお姉様を喜ばせるなんてことはしないし、そのために自分を変えることも当然ない。
調子に乗られてもこっちが迷惑なだけなんだから
「だ、だから……に……置いといてって…」
「えーと……もういっかい?」
「あ゛ぁぁーっ!もうっ!!だーかーらっ!!!」
故に、いきなり態度を変えるつもりはないが
「お姉様の枕の隣に、置いといてって言ってんの!!」
たまには少しデレてやる
投稿して下さり、ありがとうございました。
ツンツンしてるの口調だけになっちゃったフランちゃんマジ天使!
ありがとうございます
分身が理想の自分として登場した時点で物語にぐっと引き込まれました。
そして本当に最高のレミフラ、本当に素敵な紅魔館でした。途中から涙が止まらなかったです。
レミフラの理想形をここに見た気がしました。
満点じゃ足りないの意味を込めて贈らせていただきますので、この点数を受け取ってください。
ありがとうございましたー
やっぱいいですねこの姉妹、最高です
二人以外の紅魔館組もいい味出してると感じました
>さっきまで咲夜が誰もいない廊下でモップを片手にノリノリでエアギターをしていた
想像したら吹きそうになりました
ツンデレと言うよりはギャップ萌えの話だった気がする。咲夜がノリノリでエアギターやるのもギャップ萌えかな?w
レミフラスキーの私にはドストライクでした。これであと半年は闘える。
カリスマレミリア万歳!!
所々のセンスの良さには、なんか変なため息が漏れるレベル。素晴らしい。
はじめてコメントするくらい素晴らしかった
ありがとうございました
100kbもあるのに、ダレずに読めたのですごく読みやすかったです。
新作も楽しみに待ってます。
フランちゃんの可愛らしさに悶えてたところにまさかの不意打ちイケメンレミリア様に完全ノックアウトですわ
ああ、これがギャップということなのですね……!
フランが可愛いです
好きなキャラを好きな形で生み出せる、共感してもらえる
東方の魅力ですよね
おかげで口角ゆるゆるですwwww
個人的にはレミィがイケメン化するところが大好きなので、もう少し自然に描写ができたらなぁ、とは思いました
照れるぱっちぇさん可愛いよ
読んだ後何とも言えない気持ちになる
自分が書きたいSSの理想の形に気付けた。あなたのSSのような作品が書ける理想の私になりたい
フランとレミリアはどうか末永くお幸せに!
お互いがお互いを大切に思っているのが伝わってくる素晴らしい作品でした