私は少名針妙丸。現在は博麗神社で居候をしている。しかし、後数日もすれば小槌は魔力を回収し終え、私はここを去ることになるだろう。
「うーん」
私には、それまでにどうしても達成しなければならない試練があった。それを終えるまでは、この神社を出るわけにはいかない。
「どうしたのよ?そんな難しい顔をして」
境内の掃除を終えた霊夢さんが、縁側に腰をおろしながらそう尋ねてきた。
「私は一族の名誉のためにも、あの難題を突破しなければならないの!」
「ああそう、頑張って」
霊夢さんは、私の強い決意をまるで意にも返さず、たったと台所へと歩いて行ってしまった。お茶を淹れて、日向ぼっこでもするつもりなのだろう。何と呑気な。
「くそう・・・!」
霊夢さんは、私ではあの難題を突破することなんてできないと高を括っているに違いない。何としてでも見返さねば。
「小人の力見せてやる!」
私は傍らに置かれたお椀を肩に引っ提げ、小さなスプーンを腰に括りつけ、目的の場所へと向かった。
===
神社の境内に湧き上がる温泉。其処が私の試練の地。空へと昇る湯気が世界を覆い、周りを囲む頑丈な岩々が私の行く手を阻む。
「よいしょ・・・よいしょ・・・」
お椀を頭の上に乗せ、湿気で滑る岩をゆっくりゆっくりと登っていく。表面の小さな凹凸に手足をかけて、体を持ち上げるのだ。先に待ちうけている試練のことを思えば、こんなところで躓くわけにはいかない。一挙手一投足に気を配り、何としてでもこの壁を突破しなければ。
「うーん」
数分もすると、白い湯煙のその奥に、念願の頂上が見えた。窪みにかけた腕に力を込めて、何とか体を引っ張り上げる。
「もう少し・・・」
そして私はついに登頂に成功した。目の前には広大な湯の湖。はるか地底から届く、熱烈たる水の流れ。
そう、私はこの温泉を対岸へと渡りきらなければならない。
私の遠い先祖は、お椀を舟に川を渡り、ついには鬼を退治したという。彼のような立派な勇士になるため、私はこの難題に挑む。挑まなければならないのだ。
「それにしても・・・。遠い・・・」
どれだけ目を細めても対岸を見やることはできない。一体どれほどの距離があるのだろうか。並はずれた試練の過酷さに思わず足が竦む。これから私が挑む壁は、まるで妖怪の山のように高く高く聳え立っているのだ。
「いかなくちゃ・・・」
最初の一歩を踏み出す。湯にお椀を浮かべ、櫂代わりのスプーンを手に取る。
「いくぞ!!」
そうして私は舟を漕ぎ始めた。
===
博麗神社の温泉は、今でも水底から湧き上がっている。気泡と共に上りくる湯の柱は水の流れを乱すので、最大限の注意を払わなければいけない。少しでも気を緩めれば、お椀が転覆してしまう恐れがあるのだ。
「それにしても・・・」
ここまでどれくらいの時間が過ぎただろうか。必死に漕ぎ続けてきたというのに、未だ対岸は姿を見せない。服は湿気で重みを増し、舟を漕ぐ腕には痺れるような疲れがたまっていく。白に包まれた視界の中、それでも懸命に舟を進めるしか道はない。
「負けちゃいけないんだ」
今回の異変を通して私は学んだのだ。力というのは、誰かから授かるものではなく、自分で勝ち取るべきものだということを。打ち出の小槌の誘惑に負けず、小人だからという言い訳に逃げず、自分の手で掴まなければいけないのだ。そのために私はこの荒波を乗り越え、対岸に辿りついてみせる。
私はスプーンをきつく握り直し、舟を漕ぎ続けた。
===
「カーカー!カーカー・・・アッアッ・・・!」
舟を漕ぎ続ける私の頭上で、奇怪な鳴き声が響いた。暗闇に誘いこむような、太く単調な音。
「この鳴き声は・・・鴉ッ!?」
漆黒の翼を広げ、空を自由自在に飛び回る怪鳥。博麗神社に住むようになってから、何度攫われそうになったことか。その度に私は、此奴との激しい戦いに挑んできたのだ。
しかし、足場も視界も不安定なこの場所で戦うのは、余りにも危険すぎる。私はばれないように息を殺し、舟の速度を落とした。
その時である。鴉が突然急降下し、私の舟目がけて飛来してきたのだ。
「うわっ!」
すんでのところで直撃は避けられたものの、風圧で巨大な波が発生し、舟の操作がきかない。スプーンを右に左に動かしなんとか転覆を回避する。鴉は再び高度を上げたようで、湯煙の中へ消え去ってしまった。
だが、この程度で攻撃をやめるほど連中は甘くない。今頃上空で追撃の機会を窺っているのだろう。怖いと、そう思った。
「このままじゃやられる・・・」
私は一体何をしているのだろう。鬼殺しの子孫がただの鴉に怯えて、逃げることばかり考えている。そんなことではいけないと、戦わなければいけないと、そう誓ったはずなのに。
竦む足を奮い立たせ、一つ大きく息を吸う。スプーンを強く握りしめ、中段に構える。決意は固まった。今こそ勝負の時。
「カー!!」
けたたましい鳴き声と共に、再び奴は飛来した。鋭く曲がった嘴と禍々しく光る目玉が、私を突き刺さんと襲いかかってくる。今の私に夢幻の力はない。頼れるのは自分だけ。コマ送りになる世界の中、私は狙いも定めぬまま無我夢中でスプーンを振るった。
「グッ・・!カァー・・・カー・・」
手を伝わる鈍い感覚と共に、鴉が逃げ出していく。
私はついに、あの憎き怪鳥を退けたのだ。
「やった・・・鴉を倒した!」
その時だった。鴉が残した波に煽られ、お椀がひっくり返ってしまった。
「え・・・?ちょっと・・・・!!」
逆さ城よろしく反転する世界。熱い湯の中に堕ちていく体。喉を通り、肺を満たさんとする液体の塊。精一杯手を伸ばすけれど、掴めるものなど何処にもない。視界は薄れ鼓動が高鳴り、私の意識は深くへと消えた。
===
目を開くと、霊夢さんがいた。
「何してんのよ、あんたは」
どうやら私は、霊夢さんの膝枕で寝ていたようだ。いつもの巫女服の上から絆纏を羽織った霊夢さんが、少し心配そうにこちらを見つめている。
「えーと・・・私は一体・・・」
度の合わない眼鏡をかけたようにぼんやりとしていた記憶が、少しずつ鮮明になっていく。そうだ。私はカラスを討ち果たした後、温泉で溺れてしまったんだ。
「霊夢さんが助けてくれたんですか?」
霊夢さんは無言で私を睨みつけて、コツンと頭を叩いた。結構痛い。
「全く、変な手間をかかせるんじゃないわよ。あんた空飛べるんだから、わざわざお椀で渡る必要なんかないじゃない」
「霊夢さんは才能があるから、努力の大切さというものが分からないのよ」
「あーそうねー。努力は大切よねー」
「何その態度は!?私のこと馬鹿にしてるの?」
「うん」
「・・・そんな笑顔で頷かなくても・・・」
本当にこの人は掴みどころがないというか、冷淡というか。こういった性格まで含めて、本当に強い人だなと思う。いつか私も霊夢さんくらい強くなって、小人の皆を守るのだ。
いつの間に時間が過ぎたのか、神社の境内は夕陽で赤く染まっている。台所からは夕飯の甘い匂いが漂ってきて、急に空腹を感じた。よく考えてみると、朝食のおにぎりを食べてから何も口にしていない。比喩ではなく、実際にお腹と背中がくっ付いてしまいそうだ。
「霊夢さん、お腹空いた~」
「はいはい。じゃあ夕飯にしますか」
霊夢さんが立ち上がり、台所へと歩いていく。
「わ~い!」
腹が減っては戦ができぬ。今日はしっかりと食べて英気を養い、明日こそあの大海原を渡りきってみせる。
そう心に決めた私は、霊夢さんの後を追って居間へと歩き出した。
「うーん」
私には、それまでにどうしても達成しなければならない試練があった。それを終えるまでは、この神社を出るわけにはいかない。
「どうしたのよ?そんな難しい顔をして」
境内の掃除を終えた霊夢さんが、縁側に腰をおろしながらそう尋ねてきた。
「私は一族の名誉のためにも、あの難題を突破しなければならないの!」
「ああそう、頑張って」
霊夢さんは、私の強い決意をまるで意にも返さず、たったと台所へと歩いて行ってしまった。お茶を淹れて、日向ぼっこでもするつもりなのだろう。何と呑気な。
「くそう・・・!」
霊夢さんは、私ではあの難題を突破することなんてできないと高を括っているに違いない。何としてでも見返さねば。
「小人の力見せてやる!」
私は傍らに置かれたお椀を肩に引っ提げ、小さなスプーンを腰に括りつけ、目的の場所へと向かった。
===
神社の境内に湧き上がる温泉。其処が私の試練の地。空へと昇る湯気が世界を覆い、周りを囲む頑丈な岩々が私の行く手を阻む。
「よいしょ・・・よいしょ・・・」
お椀を頭の上に乗せ、湿気で滑る岩をゆっくりゆっくりと登っていく。表面の小さな凹凸に手足をかけて、体を持ち上げるのだ。先に待ちうけている試練のことを思えば、こんなところで躓くわけにはいかない。一挙手一投足に気を配り、何としてでもこの壁を突破しなければ。
「うーん」
数分もすると、白い湯煙のその奥に、念願の頂上が見えた。窪みにかけた腕に力を込めて、何とか体を引っ張り上げる。
「もう少し・・・」
そして私はついに登頂に成功した。目の前には広大な湯の湖。はるか地底から届く、熱烈たる水の流れ。
そう、私はこの温泉を対岸へと渡りきらなければならない。
私の遠い先祖は、お椀を舟に川を渡り、ついには鬼を退治したという。彼のような立派な勇士になるため、私はこの難題に挑む。挑まなければならないのだ。
「それにしても・・・。遠い・・・」
どれだけ目を細めても対岸を見やることはできない。一体どれほどの距離があるのだろうか。並はずれた試練の過酷さに思わず足が竦む。これから私が挑む壁は、まるで妖怪の山のように高く高く聳え立っているのだ。
「いかなくちゃ・・・」
最初の一歩を踏み出す。湯にお椀を浮かべ、櫂代わりのスプーンを手に取る。
「いくぞ!!」
そうして私は舟を漕ぎ始めた。
===
博麗神社の温泉は、今でも水底から湧き上がっている。気泡と共に上りくる湯の柱は水の流れを乱すので、最大限の注意を払わなければいけない。少しでも気を緩めれば、お椀が転覆してしまう恐れがあるのだ。
「それにしても・・・」
ここまでどれくらいの時間が過ぎただろうか。必死に漕ぎ続けてきたというのに、未だ対岸は姿を見せない。服は湿気で重みを増し、舟を漕ぐ腕には痺れるような疲れがたまっていく。白に包まれた視界の中、それでも懸命に舟を進めるしか道はない。
「負けちゃいけないんだ」
今回の異変を通して私は学んだのだ。力というのは、誰かから授かるものではなく、自分で勝ち取るべきものだということを。打ち出の小槌の誘惑に負けず、小人だからという言い訳に逃げず、自分の手で掴まなければいけないのだ。そのために私はこの荒波を乗り越え、対岸に辿りついてみせる。
私はスプーンをきつく握り直し、舟を漕ぎ続けた。
===
「カーカー!カーカー・・・アッアッ・・・!」
舟を漕ぎ続ける私の頭上で、奇怪な鳴き声が響いた。暗闇に誘いこむような、太く単調な音。
「この鳴き声は・・・鴉ッ!?」
漆黒の翼を広げ、空を自由自在に飛び回る怪鳥。博麗神社に住むようになってから、何度攫われそうになったことか。その度に私は、此奴との激しい戦いに挑んできたのだ。
しかし、足場も視界も不安定なこの場所で戦うのは、余りにも危険すぎる。私はばれないように息を殺し、舟の速度を落とした。
その時である。鴉が突然急降下し、私の舟目がけて飛来してきたのだ。
「うわっ!」
すんでのところで直撃は避けられたものの、風圧で巨大な波が発生し、舟の操作がきかない。スプーンを右に左に動かしなんとか転覆を回避する。鴉は再び高度を上げたようで、湯煙の中へ消え去ってしまった。
だが、この程度で攻撃をやめるほど連中は甘くない。今頃上空で追撃の機会を窺っているのだろう。怖いと、そう思った。
「このままじゃやられる・・・」
私は一体何をしているのだろう。鬼殺しの子孫がただの鴉に怯えて、逃げることばかり考えている。そんなことではいけないと、戦わなければいけないと、そう誓ったはずなのに。
竦む足を奮い立たせ、一つ大きく息を吸う。スプーンを強く握りしめ、中段に構える。決意は固まった。今こそ勝負の時。
「カー!!」
けたたましい鳴き声と共に、再び奴は飛来した。鋭く曲がった嘴と禍々しく光る目玉が、私を突き刺さんと襲いかかってくる。今の私に夢幻の力はない。頼れるのは自分だけ。コマ送りになる世界の中、私は狙いも定めぬまま無我夢中でスプーンを振るった。
「グッ・・!カァー・・・カー・・」
手を伝わる鈍い感覚と共に、鴉が逃げ出していく。
私はついに、あの憎き怪鳥を退けたのだ。
「やった・・・鴉を倒した!」
その時だった。鴉が残した波に煽られ、お椀がひっくり返ってしまった。
「え・・・?ちょっと・・・・!!」
逆さ城よろしく反転する世界。熱い湯の中に堕ちていく体。喉を通り、肺を満たさんとする液体の塊。精一杯手を伸ばすけれど、掴めるものなど何処にもない。視界は薄れ鼓動が高鳴り、私の意識は深くへと消えた。
===
目を開くと、霊夢さんがいた。
「何してんのよ、あんたは」
どうやら私は、霊夢さんの膝枕で寝ていたようだ。いつもの巫女服の上から絆纏を羽織った霊夢さんが、少し心配そうにこちらを見つめている。
「えーと・・・私は一体・・・」
度の合わない眼鏡をかけたようにぼんやりとしていた記憶が、少しずつ鮮明になっていく。そうだ。私はカラスを討ち果たした後、温泉で溺れてしまったんだ。
「霊夢さんが助けてくれたんですか?」
霊夢さんは無言で私を睨みつけて、コツンと頭を叩いた。結構痛い。
「全く、変な手間をかかせるんじゃないわよ。あんた空飛べるんだから、わざわざお椀で渡る必要なんかないじゃない」
「霊夢さんは才能があるから、努力の大切さというものが分からないのよ」
「あーそうねー。努力は大切よねー」
「何その態度は!?私のこと馬鹿にしてるの?」
「うん」
「・・・そんな笑顔で頷かなくても・・・」
本当にこの人は掴みどころがないというか、冷淡というか。こういった性格まで含めて、本当に強い人だなと思う。いつか私も霊夢さんくらい強くなって、小人の皆を守るのだ。
いつの間に時間が過ぎたのか、神社の境内は夕陽で赤く染まっている。台所からは夕飯の甘い匂いが漂ってきて、急に空腹を感じた。よく考えてみると、朝食のおにぎりを食べてから何も口にしていない。比喩ではなく、実際にお腹と背中がくっ付いてしまいそうだ。
「霊夢さん、お腹空いた~」
「はいはい。じゃあ夕飯にしますか」
霊夢さんが立ち上がり、台所へと歩いていく。
「わ~い!」
腹が減っては戦ができぬ。今日はしっかりと食べて英気を養い、明日こそあの大海原を渡りきってみせる。
そう心に決めた私は、霊夢さんの後を追って居間へと歩き出した。
霊夢の役回りがお得な印象。
性格上、悪いところは感染しないだろうから。
思わずほっこりしました。