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「眠れないの」
寝間着を着た魔法使いは、きっと頭のねじが飛んでしまっているに違いないのだ。
◆
アリス・マーガトロイドと呼ばれている妖怪、もしくは魔法使いは極めて『常識人』として通っているのだと私は聞いている。人里で歩いていると結構な割合で「あの人形遣いの爪の垢を飲ませたい」との声が聞こえるからだ。
私はそれを聞くと決まって妙な気分になる、それは別に彼女がその『常識人』である事に対して疑問を呈している訳でもなく、かといって爪の垢を飲ますといった非常に古くから使われているであろう慣用句に対する疑問でも無い。
果たして、アリスの爪の垢というのは存在するのだろうか。
つまりはそれだ、売りに出せばそれこそ人商売になりそうな程の需要を誇る『アリスの爪の垢』たるものは果たして存在するのだろうか、そう考え始めると私の頭の中はそんな馬鹿げたことを必死になってぐるぐると回り始めてしまう。
第一に、大前提として彼女は非常に清潔だ。毎日決まった時間に風呂に入るし体を仔細余すところなく、まるで磨き上げるかのように手製の石鹸で洗っていく。私はその様子を見るたびにこいつは石像か何かだろうかと要らぬ考えを巡らせてしまう。
だって、そうなのだ。仮にも女である私が嫉妬という緑色の感情を思わず吹き出してしまう程に彼女の体は滑らかで、浴場の橙色をした光をてらてらと浴びた艶やかな反射光を私に投げかけるのだ。
見せつけているのか、皮肉か。思わず口からそんな被害妄想も甚だしい発言が飛び出してしまうのも仕方のない事だろう、百人の女に聞けば大体九割の同意を得られる自信がある。だからといってそれが許されるのか許されないのか、それは全く関係ないとしてもだ。
アリスは、きょとんとした顔でこちらをみる。まるでなぜそんな事を言われたのか皆目理解していないような――いや、理解していない可能性も否定できないのが誠に腹立たしい。こいつはそんな奴だ、体温と同様に薄情で冷徹な女なのだ。
――うん、そうだけど
ただ、その一言。それが私にとってすれば苛立ちを募らせるに相応しい原因になるのだから驚きだ。たった一言で簡単に戦争は起こせる、だが戦争を止める一言はどこにだってない。こういった場所でこの世界の歪さを知るのは誠に残念極まりない事だろう。
その後何という事はない様に体をまた洗い始めるアリスを私はただ見ている、あまりにも人間離れした艶やかさと滑らかさと艶めかしさを内包したその肌をただ見ている。そう言えばこいつは人間じゃなかった、私と彼女の違いを改めて理解するのにはいつだって傷と痛みを伴う。
流れる血は私のもので、傷つけたのは私だけど。そうなると私は自傷趣味になってしまう。これは由々しき事態だ、私はそんな救いようのない変態では無い筈だ。もしもそうだとしたらば博麗の巫女の名が泣いてしまう。
しかし、しかしだ。私がもしも――万が一、億が一にでもそんな趣向があったとしよう。そうしたならばそれはアリスの所為だ、きっとそうに違いない。おのれアリス、余計な事をしおってからに絶対に許さん、針をぶっ刺してやる。
針をぶっ刺す、アリスに? そう思うと急に冷静になる自分が嫌になる。しかしなんだかあの絹の様な肌を傷つけるのは気が引ける。誰だってそうだろう、綺麗な物には傷をつけたくない、値打ちが下がるからだ。
仕方ない、お尻を十回叩く事で良しとしよう。妙な落としどころで変な納得をした私にずいと白い塊が突き出された、それは石鹸だった。アリスが私に石鹸を突き出しながら湯を浴びて泡を流している、現れるのは病的なほどに血の通っていない白い肌だった。
これを使って洗えと言っているのだろう。勿論そうする、黙って受け取りながらごしごしと泡を立てて体に擦り付けていく。柔らかい泡が体をみるみるうちに包み込み、さっぱりとした白色の芳香が鼻孔をくすぐった。
そういえばこれはさっきまであの根暗人形遣いの使っていた物だ、つまりこの芳香は彼女のものでもあるのかもしれない。何てことだ、私が彼女に犯されてしまうじゃないか、このような卑劣な罠を仕掛けるとはさすが魔女だやる事がきたない。まあ石鹸は綺麗にするためのものだが。
わしわしと体に泡を擦りつけていると視線を感じる、それはアリスのものだった。いやそれ以外の視線がしたならば即退治対象なのだが、何せここは彼女の家だし私は客として呼ばれただけなのだから。
既に湯船につかったアリスはじっとこちらを見ていた、とは言ってもそれはいやらしさを伴うものではない。アリスも私も正常な性癖を持っているのだと自覚しているし、だからこそこうして同じ湯船につかるのだ。
しかし、一体全体どう言った事なのだろうか。私の体は年相応の平坦さを持っていてとても見ていて面白くはないと思う。そういった趣味の男にとってすれば堪らないのだとしても、そんな輩が近づいた時点で夢想封印を容赦なく叩き込む自信がある私からすれば哄笑ものだ。
だとしたならば、私に何かあるのだろうか。体をぺたぺたと触っていくも別にいつもと違う様子は無く全く平常と同じ、だとしたらアリスはなぜ私をそんなに凝視しているのだろうか、いつも見慣れているものだろうに。
――霊夢って、肌綺麗よね
お前がそれを言うか、お前が。反論は湯船にとっぷりと浸かってしまった彼女の鼓膜を震わせたかどうか、それは私には未来永劫分からない事だろう。無理矢理に聞き出しても良いがそれは意味が無いし、第一面倒だから。
ぴらぴらと、言葉の代わりに振られた手は白く、爪は短く切り揃えられている、どこにも汚れを示す黒は見当たらなかった。鮮烈なまでの白、アリスはどちらかというと青と白が似合う、黒は似合わない。それにどこかほっとする私が居た。
○
「だからね魔理沙、アリスの爪の垢で稼ぐ事は出来ないのよ」
「その頭にマスパぶち込んでやろうか?」
酷い事を言う友人もいたものだ。私はただなんとなくこの間考えた事を言っただけなのに。こいつは私の数少ない友人の中でも粗暴の極みに居ると思う、なんだ死ぬまで借りるって、なんだ星と恋の魔法って、弾幕舐めてんのか。
「よし決めた、お前一発殴らせろ」
「やる? 弾幕勝負」
「おうとも、肉弾戦だ」
結論から言うと私は勝った。完封だった、魔理沙が打撃技主体に対して私は関節技を主としている、決まれば華奢な魔理沙如きの肉体はすぐ悲鳴を上げた。白旗を上げたのですぐ放してやる、これもスポーツマンシップってやつだ。美しきかな友情、青くなった魔理沙を見て多少良心が痛んだとも言う。
「ちょっとは遠慮しろよ……」
「魔理沙、これは戦争なのよ」
「いやいや、違うだろ」
「じゃ、さっきのはなんなのよ」
「肉弾幕勝負」
ああこいつは駄目だった、弾幕はパワーってそのことか? 正直サブミッションでレミリアに勝てる気がしない、紫には勝てる気がするがきっとあいつは夜毎にあの狐式に組み敷かれてるんだろう、臭いで分かる。
○
話が逸れ過ぎた気がする。アリスの事を考えるといつもこうだ、余計な事ばかりに意識が言って肝心な事がどこかに行ってしまう、これも魔法使い特有の呪いに違いない、おのれアリス許すまじ。
つまりは、彼女は無い爪の垢を飲ませたいと言われるほどに常識人で通っていて、それは恐らく疑いようのない事実であるということだ。確かに魔法使いとしては常識のあるものだと思う、何も盗まないし挨拶も出来る。
だが、それはあくまでも魔法使い内での話だ。世間一般で言う『常識人』の範疇にこいつは絶対に留まっていない、常識人であると思われているだけ、勘違いされているだけだ、それを分かっていない。
常識人とはもっとこう、慧音みたいな……違うな、あいつも寺小屋なんて物好きな事やっている時点で常識人じゃない。教えている内容もあれだし態度も相当破天荒らしい、永琳を見ていると分かる通り知識人が常識人じゃない事はまず間違いがない。
「ねえ」
その証拠に、こうして私の前に立っている。満月をバックにして寒色の光を反射する影はどこか神秘的で、そのぞっとするほどの青白さはやはりアリスがこの世のものではない事を如実に表しているように見えた。
ただ、着ているものが可愛らしい兎の模様が入った寝間着でなければ
ただ、片手にやけに大きな枕を担いでいなければ
その場の空気を盛大にぶち壊すそれをどこか誇らしげに担ぎながらこちらに話しかけてくるアリスは、やはり頭のどこかにあるねじが数本盛大に吹き飛んでしまっているに違いない、そんな格好でそんなものを持ちながら平然と空を飛んでこれるこいつにはある種の尊敬すら覚える、無論駄目な方向でだが。
まあ、それはいい、まだいい。こいつと付き合っている内にそんな突飛な事には慣れた、慣れてしまった。こいつときたら私の前では平然と下着姿を晒すことすら躊躇わないから慣れざるを得なかった、同性だからって何をやっているのだこいつは。
「で、なんでここに来たのよ」
「だから、眠れないからよ」
「眠れないからってなんで来るのよ、神社よここ? 一応はだけど」
「寂しいからに決まってるじゃない」
これだ、なぜそんな誇らしげに言えるのか、その精神がさっぱり分からない。寂しいから神社に来たとか、ここはお前の相談所じゃないのを分かっているのだろうか? 分かってないんだろうな、アリスだし。
そして、この後言われるであろう要求も分かってしまうあたり悲しいかな、私とこいつの今まで脈々と途切れるさせることが出来ずに綱が続けている腐れ縁的ななにかをいやになるほど理解出来てしまう。
「一緒に寝て」
「いやよ、面倒くさい」
「えっ」
なんだえって、どうしてそこでそんなに傷ついた顔をするのだ、これではまるでこちらが悪者の様じゃないか。私はただこの面倒くさい脳内七色魔法使いの要求を断っただけだというのにどうして世界の終りの様な顔をするのだ。
「……霊夢が居ないと多分眠れない」
アリスの上目使い、これに私は弱い事をあいつは熟知している。これをされてしまうと何も言い返せなくなるのだ、卑怯な魔法使い特有の技だろう。凄まじい破壊力を伴うその魔法に段々とゆらぎはじめてしまうのを確かに感じる。
これが巷で『常識人』と言われるアリス・マーガトロイドの実態だ。つまりは甘えたがりであり、その為であれば手段を選ばずこちらを落としにかかる狡猾な女なのである。狙われたら最後、彼女の要求通りの事をせねばならなくなるのもその残虐性を表しているだろう。
「だってあんた、体温低いし」
「湯たんぽ持ってくるから」
「布団一つしかないし」
「大きい枕持ってきたから」
「……見返りがないし」
「お菓子焼いてくるから」
駄目だ、逃げ場がない。個人的にアリスの焼いてくる菓子は人里でも非常に人気が高いし、私も好きなのだが別に求めずとも持ってきてくれる。その点からすれば最早見返りではないのだが……どうにも断り辛い。
ああもう、好きにしなさいと半ばやけになって神社の奥にある自室へと向かうとぺたぺたと後をついてくる音だけが静かな夜に響いていた。どうやら靴下をはかなかったらしい、それか脱いできたのか、どちらにせよ泊まる気満々だったのか、本当に狡猾な奴だ。
「ねえ、アリス」
「なに?」
「別に寂しいなら魔理沙もいるでしょ? どうしてわざわざこっちまで来たのよ」
「だって、霊夢は暖かいから」
やっぱり、魔法使いというのは頭のねじがどこか飛んでいるらしい。
「眠れないの」
寝間着を着た魔法使いは、きっと頭のねじが飛んでしまっているに違いないのだ。
◆
アリス・マーガトロイドと呼ばれている妖怪、もしくは魔法使いは極めて『常識人』として通っているのだと私は聞いている。人里で歩いていると結構な割合で「あの人形遣いの爪の垢を飲ませたい」との声が聞こえるからだ。
私はそれを聞くと決まって妙な気分になる、それは別に彼女がその『常識人』である事に対して疑問を呈している訳でもなく、かといって爪の垢を飲ますといった非常に古くから使われているであろう慣用句に対する疑問でも無い。
果たして、アリスの爪の垢というのは存在するのだろうか。
つまりはそれだ、売りに出せばそれこそ人商売になりそうな程の需要を誇る『アリスの爪の垢』たるものは果たして存在するのだろうか、そう考え始めると私の頭の中はそんな馬鹿げたことを必死になってぐるぐると回り始めてしまう。
第一に、大前提として彼女は非常に清潔だ。毎日決まった時間に風呂に入るし体を仔細余すところなく、まるで磨き上げるかのように手製の石鹸で洗っていく。私はその様子を見るたびにこいつは石像か何かだろうかと要らぬ考えを巡らせてしまう。
だって、そうなのだ。仮にも女である私が嫉妬という緑色の感情を思わず吹き出してしまう程に彼女の体は滑らかで、浴場の橙色をした光をてらてらと浴びた艶やかな反射光を私に投げかけるのだ。
見せつけているのか、皮肉か。思わず口からそんな被害妄想も甚だしい発言が飛び出してしまうのも仕方のない事だろう、百人の女に聞けば大体九割の同意を得られる自信がある。だからといってそれが許されるのか許されないのか、それは全く関係ないとしてもだ。
アリスは、きょとんとした顔でこちらをみる。まるでなぜそんな事を言われたのか皆目理解していないような――いや、理解していない可能性も否定できないのが誠に腹立たしい。こいつはそんな奴だ、体温と同様に薄情で冷徹な女なのだ。
――うん、そうだけど
ただ、その一言。それが私にとってすれば苛立ちを募らせるに相応しい原因になるのだから驚きだ。たった一言で簡単に戦争は起こせる、だが戦争を止める一言はどこにだってない。こういった場所でこの世界の歪さを知るのは誠に残念極まりない事だろう。
その後何という事はない様に体をまた洗い始めるアリスを私はただ見ている、あまりにも人間離れした艶やかさと滑らかさと艶めかしさを内包したその肌をただ見ている。そう言えばこいつは人間じゃなかった、私と彼女の違いを改めて理解するのにはいつだって傷と痛みを伴う。
流れる血は私のもので、傷つけたのは私だけど。そうなると私は自傷趣味になってしまう。これは由々しき事態だ、私はそんな救いようのない変態では無い筈だ。もしもそうだとしたらば博麗の巫女の名が泣いてしまう。
しかし、しかしだ。私がもしも――万が一、億が一にでもそんな趣向があったとしよう。そうしたならばそれはアリスの所為だ、きっとそうに違いない。おのれアリス、余計な事をしおってからに絶対に許さん、針をぶっ刺してやる。
針をぶっ刺す、アリスに? そう思うと急に冷静になる自分が嫌になる。しかしなんだかあの絹の様な肌を傷つけるのは気が引ける。誰だってそうだろう、綺麗な物には傷をつけたくない、値打ちが下がるからだ。
仕方ない、お尻を十回叩く事で良しとしよう。妙な落としどころで変な納得をした私にずいと白い塊が突き出された、それは石鹸だった。アリスが私に石鹸を突き出しながら湯を浴びて泡を流している、現れるのは病的なほどに血の通っていない白い肌だった。
これを使って洗えと言っているのだろう。勿論そうする、黙って受け取りながらごしごしと泡を立てて体に擦り付けていく。柔らかい泡が体をみるみるうちに包み込み、さっぱりとした白色の芳香が鼻孔をくすぐった。
そういえばこれはさっきまであの根暗人形遣いの使っていた物だ、つまりこの芳香は彼女のものでもあるのかもしれない。何てことだ、私が彼女に犯されてしまうじゃないか、このような卑劣な罠を仕掛けるとはさすが魔女だやる事がきたない。まあ石鹸は綺麗にするためのものだが。
わしわしと体に泡を擦りつけていると視線を感じる、それはアリスのものだった。いやそれ以外の視線がしたならば即退治対象なのだが、何せここは彼女の家だし私は客として呼ばれただけなのだから。
既に湯船につかったアリスはじっとこちらを見ていた、とは言ってもそれはいやらしさを伴うものではない。アリスも私も正常な性癖を持っているのだと自覚しているし、だからこそこうして同じ湯船につかるのだ。
しかし、一体全体どう言った事なのだろうか。私の体は年相応の平坦さを持っていてとても見ていて面白くはないと思う。そういった趣味の男にとってすれば堪らないのだとしても、そんな輩が近づいた時点で夢想封印を容赦なく叩き込む自信がある私からすれば哄笑ものだ。
だとしたならば、私に何かあるのだろうか。体をぺたぺたと触っていくも別にいつもと違う様子は無く全く平常と同じ、だとしたらアリスはなぜ私をそんなに凝視しているのだろうか、いつも見慣れているものだろうに。
――霊夢って、肌綺麗よね
お前がそれを言うか、お前が。反論は湯船にとっぷりと浸かってしまった彼女の鼓膜を震わせたかどうか、それは私には未来永劫分からない事だろう。無理矢理に聞き出しても良いがそれは意味が無いし、第一面倒だから。
ぴらぴらと、言葉の代わりに振られた手は白く、爪は短く切り揃えられている、どこにも汚れを示す黒は見当たらなかった。鮮烈なまでの白、アリスはどちらかというと青と白が似合う、黒は似合わない。それにどこかほっとする私が居た。
○
「だからね魔理沙、アリスの爪の垢で稼ぐ事は出来ないのよ」
「その頭にマスパぶち込んでやろうか?」
酷い事を言う友人もいたものだ。私はただなんとなくこの間考えた事を言っただけなのに。こいつは私の数少ない友人の中でも粗暴の極みに居ると思う、なんだ死ぬまで借りるって、なんだ星と恋の魔法って、弾幕舐めてんのか。
「よし決めた、お前一発殴らせろ」
「やる? 弾幕勝負」
「おうとも、肉弾戦だ」
結論から言うと私は勝った。完封だった、魔理沙が打撃技主体に対して私は関節技を主としている、決まれば華奢な魔理沙如きの肉体はすぐ悲鳴を上げた。白旗を上げたのですぐ放してやる、これもスポーツマンシップってやつだ。美しきかな友情、青くなった魔理沙を見て多少良心が痛んだとも言う。
「ちょっとは遠慮しろよ……」
「魔理沙、これは戦争なのよ」
「いやいや、違うだろ」
「じゃ、さっきのはなんなのよ」
「肉弾幕勝負」
ああこいつは駄目だった、弾幕はパワーってそのことか? 正直サブミッションでレミリアに勝てる気がしない、紫には勝てる気がするがきっとあいつは夜毎にあの狐式に組み敷かれてるんだろう、臭いで分かる。
○
話が逸れ過ぎた気がする。アリスの事を考えるといつもこうだ、余計な事ばかりに意識が言って肝心な事がどこかに行ってしまう、これも魔法使い特有の呪いに違いない、おのれアリス許すまじ。
つまりは、彼女は無い爪の垢を飲ませたいと言われるほどに常識人で通っていて、それは恐らく疑いようのない事実であるということだ。確かに魔法使いとしては常識のあるものだと思う、何も盗まないし挨拶も出来る。
だが、それはあくまでも魔法使い内での話だ。世間一般で言う『常識人』の範疇にこいつは絶対に留まっていない、常識人であると思われているだけ、勘違いされているだけだ、それを分かっていない。
常識人とはもっとこう、慧音みたいな……違うな、あいつも寺小屋なんて物好きな事やっている時点で常識人じゃない。教えている内容もあれだし態度も相当破天荒らしい、永琳を見ていると分かる通り知識人が常識人じゃない事はまず間違いがない。
「ねえ」
その証拠に、こうして私の前に立っている。満月をバックにして寒色の光を反射する影はどこか神秘的で、そのぞっとするほどの青白さはやはりアリスがこの世のものではない事を如実に表しているように見えた。
ただ、着ているものが可愛らしい兎の模様が入った寝間着でなければ
ただ、片手にやけに大きな枕を担いでいなければ
その場の空気を盛大にぶち壊すそれをどこか誇らしげに担ぎながらこちらに話しかけてくるアリスは、やはり頭のどこかにあるねじが数本盛大に吹き飛んでしまっているに違いない、そんな格好でそんなものを持ちながら平然と空を飛んでこれるこいつにはある種の尊敬すら覚える、無論駄目な方向でだが。
まあ、それはいい、まだいい。こいつと付き合っている内にそんな突飛な事には慣れた、慣れてしまった。こいつときたら私の前では平然と下着姿を晒すことすら躊躇わないから慣れざるを得なかった、同性だからって何をやっているのだこいつは。
「で、なんでここに来たのよ」
「だから、眠れないからよ」
「眠れないからってなんで来るのよ、神社よここ? 一応はだけど」
「寂しいからに決まってるじゃない」
これだ、なぜそんな誇らしげに言えるのか、その精神がさっぱり分からない。寂しいから神社に来たとか、ここはお前の相談所じゃないのを分かっているのだろうか? 分かってないんだろうな、アリスだし。
そして、この後言われるであろう要求も分かってしまうあたり悲しいかな、私とこいつの今まで脈々と途切れるさせることが出来ずに綱が続けている腐れ縁的ななにかをいやになるほど理解出来てしまう。
「一緒に寝て」
「いやよ、面倒くさい」
「えっ」
なんだえって、どうしてそこでそんなに傷ついた顔をするのだ、これではまるでこちらが悪者の様じゃないか。私はただこの面倒くさい脳内七色魔法使いの要求を断っただけだというのにどうして世界の終りの様な顔をするのだ。
「……霊夢が居ないと多分眠れない」
アリスの上目使い、これに私は弱い事をあいつは熟知している。これをされてしまうと何も言い返せなくなるのだ、卑怯な魔法使い特有の技だろう。凄まじい破壊力を伴うその魔法に段々とゆらぎはじめてしまうのを確かに感じる。
これが巷で『常識人』と言われるアリス・マーガトロイドの実態だ。つまりは甘えたがりであり、その為であれば手段を選ばずこちらを落としにかかる狡猾な女なのである。狙われたら最後、彼女の要求通りの事をせねばならなくなるのもその残虐性を表しているだろう。
「だってあんた、体温低いし」
「湯たんぽ持ってくるから」
「布団一つしかないし」
「大きい枕持ってきたから」
「……見返りがないし」
「お菓子焼いてくるから」
駄目だ、逃げ場がない。個人的にアリスの焼いてくる菓子は人里でも非常に人気が高いし、私も好きなのだが別に求めずとも持ってきてくれる。その点からすれば最早見返りではないのだが……どうにも断り辛い。
ああもう、好きにしなさいと半ばやけになって神社の奥にある自室へと向かうとぺたぺたと後をついてくる音だけが静かな夜に響いていた。どうやら靴下をはかなかったらしい、それか脱いできたのか、どちらにせよ泊まる気満々だったのか、本当に狡猾な奴だ。
「ねえ、アリス」
「なに?」
「別に寂しいなら魔理沙もいるでしょ? どうしてわざわざこっちまで来たのよ」
「だって、霊夢は暖かいから」
やっぱり、魔法使いというのは頭のねじがどこか飛んでいるらしい。
これは真理。
霊夢の前でだけ隙を見せるアリスかわいいです
しかしアリスはかわいい。
あと、狐臭い紫についてもっと詳しくお願いします