春季の狩競を終えて後、諏訪子の『隠居』――下諏訪還幸の日は五月の末と決まった。
ひと口に還幸と言っても、ただ洩矢諏訪子が輿に乗って下諏訪の御所を目指すわけではなかった。
何せ王にして神の片割れが住まいを移すのだから、その行列が仰々しいものとならぬわけがない。供をする神人たちの装いひとつ、護衛として付き従う兵たちの軍装のひとつでさえ、科野諸州の他の豪族を威圧するごとくの華やかさがあった。たとえば、いま諏訪子の乗っている輿の手すりでさえ、値の張る漆を何度も何度もていねいに塗り重ねて深い赤色をつくってある。職人が刷毛(はけ)をいちど動かすごとに、彼の十数日分の飯が賄えるだけの金が動いているにも等しいのだ。
だが、そのような事情を諏訪子は知らぬ。
今はただ、顔に塗りたくられたたっぷりの白粉(おしろい)と紅、それに重々しく複雑なつくりをした儀礼用の装束の煩わしさに、輿の上にて心苛まれるばかり。それ自体がひとつの重要な儀式と化している、自身の還幸については、諏訪子本人もその意味を解ってはいる。……が、やはりそれはそれとして、いちいちわが身を拘束する装いの面倒さには、いつまで経っても慣れることがない。ちょっとすると、「はーあ……着物が重い」と盛大な溜め息を吐いてしまう。傍から見れば、祭りか何かの主役に抜擢され、分不相応な重責に嫌気が差している少女にも見える。
「何も一日をまるまる潰すほどの長旅ではございませぬ。どうかお気をしっかり持って」
狩競のときと同じ甲冑を身にまとったモレヤが、諏訪子の愚痴を耳にして声を掛けてきた。
いま馬上に在る彼は、軍勢を率いて妻を護衛し、また還幸の列を先導する役目の長だ。今は、出立前の最後のときである。いちど発てばモレヤは諏訪子のもとを離れて列の先頭付近を担うのだから、なかなか話す機会はない。妻も夫も、それが解っているから互いに眼を見交わした。そして、ふいに笑い合う。
「モレヤ、わが夫。大きうなった。こうしてわたしを諭すところなど、まるで諏訪子の方がおまえの娘か妹のようだ」
「娘でも妹でもなく、諏訪子さまは私の妻にございまする。妻を護るは夫の務め。道中はご安心ください。晩春の諏訪の山々を眺めているうちに、気がつけばそこはわれらが住まいです」
最後にひと声かけるとモレヤは馬腹を蹴り、自身の担うべき場へと小気味よい駒音を響かせていった。諏訪子は、輿の手すりを握り締めたまま、しばし呆けている。
「何とまあ、人目も憚らぬ」
夫婦のそういう遣り取りに憧れぬわけではなかったし、今までモレヤとのあいだでは何度かしてきたつもりだった。が、いつの間にか諏訪子がモレヤにするよりも、モレヤが諏訪子にするようになってしまっているではないか。時の流れは、ある意味では惨い。
そして時の流れは、惨いものをも押し流していく。
次に諏訪子のもとへやって来たのは、誰あろう、八坂神奈子その人である。
馬には乗らず、徒歩(かち)である。供も連れていない。そのため彼女の側からは、輿の上の諏訪子を少しく見上げる格好となる。今日このときだけは、素直に相手を立ててやろうという気遣いが感じられた。
神奈子は唇の端ににまにまと笑みを刻み、溜め息まじりに言った。
「そなたたちの惚気も、今日で見納めかな」
「惚気など、そのような、公の場で人聞きの悪い」
さっき自分がモレヤへ抱いた感情も忘れ、諏訪子は抗議の声を上げる。
分厚い化粧のせいで判りにくかったが、彼女の顔は、赤かったかもしれない。
一方の神奈子は意にも介さず「なに。下諏訪(むこう)に移れば一日中、そういうことに費やせるのであろう。ならば最後に一分の存念も残さぬよう、この神奈子の眼にも見せつけてから行けば良いではないか?」とからかい始める。門出に当たり、たっぷりと精のつく食い物を土産に持たせたからな、と、嘘か本当か解らぬことまでつけ加えて。
「ッな……! この期に及びて、何を! まったくモレヤといい八坂さまといい、廉恥の心というものが……」
「こら、袖で頭を叩くな! 結髪が乱れる!」
「先にからかったのは、そちらにございます!」
「だからと言うてだな、見送りに来た相手を叩く者があるか!」
諏訪子の振るった袖が、神奈子の頭を引っぱたいた。
子供の喧嘩のようなふたりの振る舞いに、周囲の兵たちから笑いが漏れる。さすがにふたりとも、大人気がなかったかと落ち着きを取り戻さざるを得なかった。それからややあって、次に口を開いたのは神奈子の方だ。
「寂しくなる、と、このいくさ神に、そのような女々しきこと言わせるものではない。政の上で手を切るわけではないが、身近くに好敵手が居らぬとなれば、やはり少し張り合いがなくなる」
「好敵手、にございまするか」
意外と言えば意外だし、納得がいくと言えば納得がいく。
神奈子の言葉には、ただただ、そんな感想を抱かざるを得なかった。
どのみち、掛け値なしにつき合える友人ではないのだ。
今は単に、互いの利害が反目し合っていないというだけに過ぎない。
時が来れば、それぞれの首に刃を突きつけ合うほどの乾いた関わり方こそが、本来のいくさ神と崇り神だったはずである。やはり、時の流れの惨さなるものを、諏訪子は思った。その内において敵を見出さねばならぬ相手をも、ひとりの友人として遇さねばならぬと感じられるようになるのだから。それが、好敵手と呼び合える間柄の真実だ。
「好敵手、善き言葉にございまする。われら、いかに政の場ではで相克するとも、心のうちでは、そう呼び合うていたいものにございまする」
なれど今このときばかりは、それが諏訪子正真の本音であった。
元来が敵同士であれ、同じ堂宇の中で同じ国の政に汲々としていたという以上に、八坂神奈子と洩矢諏訪子は友人なのであった。残酷なまでに友人なのだ。諏訪子の言葉に、神奈子はしばし言葉を選んでいたようである。その友人を見送るに当たり、何か気の利いたことを言ってやりたかったに違いない。しかし、そういうときに限って上手いことはひとつも言えないものだ。右に左に幾度か眼を泳がせたあと、神奈子はようやく
「われらは、どうあってもわれらだ」
それのみを――どこか諦めたような口ぶりでそれのみを――返した。
――――――
五月末、洩矢諏訪子の一行は上諏訪を発向、下諏訪御所へと還幸を果たした。
神の夫たるモレヤに先導された行列は、鮮やかきわまる装束、軍装、それに各地の豪族方から奉られた奴婢進物を連ね従えてきらびやかであった。あたかも洩矢の神こそが、諏訪に立つただひとりの王であると誇示するかのような威勢ではないか。道中幾ヶ村もの人々で、諏訪子の行列が通り過ぎた後にそのような噂をせぬ者は居なかったという。
――――お帰りだ、お帰りだ。
――――“諏訪さま”、御所へのお帰りだ。
そして、その噂話に紛れるように、人のものとも思われぬような奇妙な唄声を聞き取る者もあった。洩矢神の行列に、幾千匹という白い蛇の群れがぴったりと付き従っているのを垣間見たという話もある。が、いずれもこれといった確証のない白昼の夢として、巷間に流行る間もなく立ち消えとなっていった。実際にその姿を見、声を聞き、ミシャグジ蛇神たちの祝福を受けた諏訪子とモレヤを除いては。
すでに倭国朝廷で大王が代替わりを果たして後、ふた月ばかりが経過していた。この月は中央の歴史に従うならば、安閑大王の元年(五三一年)五月。神奈子と諏訪子によって切り分けられた科野諏訪の相克が表面化するのは、いま少しの時を経てのことであった。
(続く)
この先どうなるのか楽しみにしております。
陰となるか陽となるか...
え?すると神主もおかしいとならないか? 東方はふぁんたじいですから。
多くの人にとっての東方キャラって男性社会のアンチテーゼ的な代物で有るのではないかなって。
対立に当たってギジチは復讐をどうするのか気になりますね。と言うか未だに弟の仇を討つ気はあるのかどうか。ダラハドもウヅロの件で諏訪子には恨みがあるだろうし、対立の主役はこの二人になるのかなあ。分裂した諏訪政権の暗部をこの二人は背負うことになるのか。それはそれで悲惨な気もする。
モレヤが着実に成長し、将たる風体を得つつあるのは純粋に喜ばしい限りです・・・が、同時に、否が応にも政に関わってしまうであろうことが気掛かり。モレヤだけは権力に毒されないでほしいなあ。
続きが楽しみです。
モレヤは癒し。