初注意
作品集192の『ひとり、ひとり』の続きです
読了必須というわけではないですが読んでさらにお楽しみいただけると幸いです
アリスが来なくなった。
ただ、それだけだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
たった10文字で説明できる、そうとしか説明しようのないことに、霊夢は苛ついていた。
霊夢に、自身の日常生活がこれまでと比べて明らかにおかしくなっているという自覚はある。
それの原因が数日に一度毎回欠かさず来ていたアリスが急に、全然来なくなったことにあることも、自覚できていた。
だが、それがどうしてこうも自分を苛んでいるのか、それが霊夢にはわからなかった。
アリス。
数日に一度会って、話をして、茶菓子を持ちあって一緒に食べる、それだけの存在だ。
ふたりの間に劇的な出来事なんて何もない。人生を左右するほどの影響を受けたわけでもない。
付き合いはただの日常の延長でしかない。
それなのになんで私はこんなにも苛々しているの。全然わからない。
よく博麗神社まで遊びに来る子。それが霊夢のアリスに対する認識だ。
そうでしかない、はずなのに。
「何をそんなに不満そうにしているのだ、博麗霊夢」
日課の掃き掃除を空を眺めながらやっている時に、急に話しかけられた。
茫洋としていて接近に気付かなかった。そうとう呆けていたらしい。霊夢の目の前には最近見知った人外がひとり。
今更のことながら本当にここには参拝客が来ないなと落胆の感情を覚える。そっとため息をひとつ。
「素敵なお賽銭箱はあちらよ……ええと、秦こころ、だっけ」
「そうだ。我こそが秦こころ。感情を司る者。参拝客ではないぞ」
見覚えのある謎の決めポーズらしきものを決める秦こころ。それに合わせて身体の周りをお面がくるくる巡っている。
「覚えてるわよ」
似たようなやりとりを前にもした気がする。
「覚えていてもらえていたのか、これは僥倖だ」
少し意外そうな口調だ。失礼ねと睨めつける。
「忘れられているかと思ったから、意外だ。驚いだぞ。びっくりだー」
口調こそ意外そうにしているし、びっくりもしているのだろう。ただ、表情はそうではなかった。
人形のように、無表情。一切動かない。こころはそういう性質らしい。面霊気という属性がそうさせるのか。
ポーカーフェイスとか、表情筋が動かないとか、そんなレベルではない表情の不動ぶりだ。口だけが言葉を紡ぐために動いている。人形、ついでアリスを連想してしまった。
アリス。アリス。
今の霊夢にそれはNGワードだ。聞くだけで、考えるだけで腹立たしくなってくる。
勝手に連想してそれというのもひどい話だ。自覚はしている。つとめて冷静でいようと心がける。
「それよりなんの用よ、こころ」
「あなたになにがしの件での用があって来たのだが……それよりもどうしたんだ霊夢。泣きそうになっているぞ。一体どうしたというんだ」
「は、何を言っているのよ。そんな、何もないのに泣くわけないじゃない。私物心がついてから泣いたことないのよ」
目元に触れる。ほら、涙なんて出ていない。
「泣いたことがないというのはにわかに信じがたいが、普段の霊夢だったら本当に泣いたことがなさそうで怖いな。思わず信じてしまいそうだよ。涙は今でこそ出ていないが、今すぐにでも泣きそうなくらいゆがんでいる。鏡はあるか、あるなら見てみるがいい。声が震えているぞ、それも気付かないのか?」
「いくらうちが貧乏だからって鏡くらいあるに決まってるじゃない……それに、声も震えてなんて……」
「アリスが原因か?」
「……!」
意識しないようにしていたのに口に出されてしまって、意識せざるを得なくなった。
アリスのことを考えるとどうしてこんなにも苛々する。
どうして急に来なくなったんだろう。
何か嫌がることをしてしまったのか。研究が忙しすぎて来れないでいるだけなのか。それともそれ以外の何かがあるのか。わからない。わからない。なんでわからないんだろう。
来てくれないから、アリスが今どうしてるか、自分のことをどう思ってるかなんてなんにも、霊夢にはわからない。
アリスはどこ。
わからない。
どうすればいいの。
「……うるさい。ていうかなんで知ってるのよ」
声は震えているのか。顔は泣きそうになっているのか。自分でどうなっているのかもわからない。
「前にも何度か用があってここを訪れたことがあるからだ。その時はだいたい、というかいつもか。アリスと仲睦ましげにしていたから遠慮していたのだが。そういえば今日はアリスが来ていないな。いや、様子から察するにしばらく来ていないみたいだな」
「そんなのあなたには関係ないでしょう!」
「図星か」
「うるさい!」
声を荒げる。わけもわからずに暴言を吐きまくった。自分で何を言っているのかもわからない。
真っ白になった頭と真っ黒な心で何事かを喚き散らす。
なんで私はこんなにもアリスのことで心を乱されてしまう。こんなの私じゃない。
何処吹く風と霊夢の暴言を受け流すこころだがふと気付いたように頷いた。
「ひとりぼっちで寂しいんだな、霊夢」
その散々言われ続けてきた一言が今となって、どんなにも心を穿った。
今度こそ霊夢は、何も言えなくなってしまった。
寂しい? 寂しいってなに。
私は寂しくない。寂しくなんて、ない。
ずっとひとりぼっちで生きてきたんだ。
前にもそんなことを言われた。その時はどう答えたか。そうだ、全然寂しくない、ずっとこうやってひとりで生きてきたから。
そう答えた。アリスに、そう答えた。
そうだ、そのはずだ。今の私はひとりぼっちで、別にそれは普通で、いつものことで、だから平気。平気なはずなのに。
それなのに、どうして隣にアリスがいないだけでこんなにも苛々する。平気でいられない。
こんなにも虚無感に襲われてしまう。
……こんなにも胸が苦しい。
アリスと一緒に、いたい。
唐突に、最後にあった時の別れの会話を思い出す。
「またね、って言ったんだ、アリスに」
「ああ」
「それに対してアリスがさ、またね、って返してくれなかったんだ」
「なんて返したんだ、アリスは」
「じゃあね、って言ったの。またね、って言ってくれなかった。もうアリスは私と会いたくないのかな」
「そんなことはないさ」
なんなんだ、この気持ちは。隣にアリスがいないだけで私はこんなにも不安定にさせられてしまう。
「それが、寂しいっていうことだよ。霊夢」
すとん、と言葉が心に落ちた。
ああ、そっか。理解できた。
これが寂しいってことなんだ。
私はこんなにも、寂しかったんだ。
これから何をどうしようにも先ず、アリスが博麗神社に来てくれないからどうしようもない。
だからこそ霊夢はこんなにも苛々していて、寂しがっていたのだ。
自分が寂しがっていたことを自覚しても結局は、アリスが来てくれないから霊夢には何もできないでいた。
……こころに訊いてみようか。その考えが頭をもたげた。
いきなり現れて、悩みのひとつをあっという間に解決してしまったこころ。
もしかしたらこの悩みもあっさり解決に導いてくれるかもしれない。
……甘ったれた考えだった。そんなこと、自分で考えろ。
「ところで霊夢。アリスのところに行かないでいいのか? いつまでそうしているつもりなんだ?」
「……えっ?」
「え、ってなんだ。え、って。え?」
お互いにお互いをきょとんと見返す。
「アリスのところに、いく?」
きょとんとオウム返しに問い返すことしか霊夢にはできないでいた。それくらい霊夢にとっては想像を絶する言葉だった。
「ああ、そうだ。理由を訊かないでいいのか。どうして遊びに来てくれなくなったのかと……」
まさかと気付いたように、言葉を選ぶような慎重な態度で恐る恐るこころは重ねて霊夢に問う。
「霊夢、君。友だちの家に遊びに行ったりとかはしたことないのか」
「まず友だちがいないんだけど」
「アリスは友だちじゃないのか?」
「あー……どうなんだろう。アリスはそう思ってくれてなさそうだけど」
秦こころ、思わずといった風に天を仰ぐ。
「霊夢」
「なによ」
「アリスがどうして急に遊びに来なくなったのか気にはならないのか」
「気になってるわよ。でもアリスが来ないんだからその理由なんてわからないじゃない。どうすればいいかもわからない」
「ならば、アリスのところに行けばいいじゃないか。行って、訊けばいいじゃないか。なんで遊びに来なくなったのかと」
「……」
「……?」
「……あー。そういえばそうね。そうすればよかったんだなあ」
「く……っ。もう効かぬ。もう私は霊夢がなんと言おうとこれ以上驚かぬぞ……!」
「? 何をそんなに身悶えてるのよ」
「なんでもない……! そんなことよりどうせ君はアリスの家も知らないだろう。案内してやるぞ」
「なんであんたは知ってるのよ」
訊くとこころは凄く嫌そうな顔をした。
ぱっと見無表情なのは変わりないが、いかにも嫌そうな顔になった。なんというか、雰囲気が変わったといえばいいのだろうか。
「まあ、昔、少し縁があってな。その折にアリスの家に連れ去ら……行ったことがあるんだ」
気にはなったけどこころがあんまりにも嫌そうにしていたから霊夢は何も重ねて言わなかった。
何か土産のひとつでも用意しよう。
アリスの家に向かう道中に人里があるらしいので、ついでに向かおうということになった。
「えっとさ、こころ。なんて言ったらいいかわからないんだけど、その、ね。いろいろとね、感謝するわ。おかげで、いろいろ助かったわ」
「う、うわあああああ」
のけぞるこころ。土産のおかしのひとつが手から離れて落ちそうになって、慌ててキャッチする。
「……なによ」
「いや、すまない。本当に今日はきみに驚かされてばかりいるな。お礼とか言えるんだな。いや、私の偏見だな、これは」
「偏見?」
「霊夢のことだよ。私は霊夢のことを完全に誤解していた。私は君のことを、なんというか、そう、孤高の人だと思っていたよ」
「孤高の人……」
「悪い意味でね。誰にも何にも興味を示さず、隣に誰もいず、ずっと独りでいて、それで平気な人。この世には自分以外の人間なんて存在していないんだって普通に思っていそうな人。そう、間違っても誰かにお礼なんて言ったりしない。それが君に対する印象だったんだ。そんな人間、いるはずないのにな」
「おおむね間違っていないわよ。私は他人のことをどうこう気にしたことなんてない。よく冷たい人間だなんて言われるわ。ま
るで妖怪みたいだなんてことを言われたこともあるし、それを否定しようとも思わなかった。だって、事実だし」
「そんなことはない。最初勘違いしていた私が言うのもなんだけど君はそんな冷たい人間なんかじゃないよ。ちゃんと他人の名前を覚えていて、友だちが遊びに来てくれないからと不機嫌になっちゃうような、どこにでもいるような寂しがりやの人間だよ」
「む。改めて言われると反応に困るわね」
「そう思ってしまうくらい、君は人に対して無関心だと、私は勘違いしていた」
「……すごい言われようねえ」
「それだけ私が驚いてるということだよ。誰が君をそんな風に変えてしまったんだろうね」
「……」
「お土産。これとかよさそうじゃないか? ふたりで食べるにはちょうど良さそうだ」
「そうね、おいしそう。あ、これもいいかも」
人里を抜けて、霊夢は土産の和菓子を片手に面霊気と共に魔法の森に進入する。
鬱蒼とした木々を抜けていくとやがて開けた道に出る。そこを道なりに進んでいくと小さな洋風の家が見えてきた。
「ここがアリスの家だ。ではな」
役目は終えたと言わんばかりにこの場を離れようとするこころ。
「すまないな。私はあまりアリスのことが得意ではない。それに見つかったら少々めんどうなことになるのでな。お邪魔虫はいない方がいいだろう。ふたりで存分に想いをぶつけあうがいいさ」
「想い……」
「言いたいことや、知りたいことがたくさんあるんだろう。納得出来ないことがあるんだろう。不満があるんだろう。言える時に言っておかないと、いつか言えなくなる時が来るから」
くれぐれも私の名前は出さないでくれよ。
最後にそう言ってこころは空を飛んで早急にこの場を立ち去った。
言われずとも、わかっている。
言いたいこと、知りたいこと、全部全部訊いてやるから、覚悟してよねアリス。
こんこん、ノックを鳴らすと少しだけ経って扉が開かれる。
アリスだ。ひどく懐かしい顔なはずなのに、久しぶりという気が全然しなかった。
震える唇を尖らせてアリスを見る。
「会いに、来たわ」
「霊……夢。どうして、っ」
「たくさん。たくさん言いたいことがあるの。聞きたいことがあるの。あなたに、伝えたいことがあるの」
「……わかった。あがって」
「ええ」
客間に通される。
紅茶を淹れてくるから少し待ってて。
いい匂いと共にアリスが紅茶をもって現れる。
テーブルに互いの紅茶が置かれる。
霊夢は土産に買ってきたお菓子を置く。
「なんだか懐かしい気がするわ、この流れ」
「そうね、しばらく会えてなかったから」
ふたり向き合う。
「初めてね、霊夢が私の家に来るなんて」
「そうね。そうなのよね。ずっと私は神社でひとりでいた……ひとりでいたつもりだった。」
ずっとひとりで生きてきたつもりだった。
隣に誰かはいた。でも私はその隣にいてくれた誰かをいないかのごとく扱って生きてきた。それで平気で私は生きてきた。
いてもいなくても変わらないのだと思っていた。
ひとりぼっちで平気と笑って言っていた。
でもアリスが気付かさてくれた。
ひとりぼっちがこんなにも寂しいということを。
「でも、私はひとりじゃなかった。隣にいてくれる人がいる。やっと。やっと……気付けた。ねえ、アリス。なんで急に来てくれなくなったの。私……とても寂しかった」
視界が歪む。アリスの顔がひどくぼやけていた。何も見えなくなる。
目元を拭われる。ハンカチだ。アリスが拭ってくれていた。
泣いてるんだな、って他人事のように自覚する。
これ以上何かを言おうとするとなにかたがのようなものが外れてしまいそうになる。
「ごめんなさい、霊夢。私、あなたを試していた……の」
声がひどく震えている。
アリスのこんな声、初めて聞いた。
「だって霊夢、ひとりで寂しくないなんて言うんだもの。私なんて、いてもいなくても一緒なのかなって思った。霊夢にとって私はどうでもいい存在なのかなって思った。霊夢にそんな風に思われたくなかった……嫌だったの……! 私だけが一方通行に想っているのなんて。友だちいないだんて言うもん。じゃあ私ってなんなの。友だちじゃないの。なんなの。ただ近くにいるから相手されてるだけなの。寂しがらせちゃえって思った。寂しがってくれないならいっそ……」
「ごめん、ごめんアリス」
「私こそごめん、ごめんね霊夢」
「私たち、友だちだから。ずっと、きっとずっとそうだから」
「うん……うん……!」
嗚咽がもれる。もうダメだって思った。
堰を切ったように涙が溢れる。もう抑えられない。
ふたりしてわんわんと泣き喚いた。
直感が働きかけてきた。
区切りはあまり良くはないけど別にいいかという雑な思考の下、落ち葉の掃き掃除を中断して霊夢は箒をそこら辺に立て掛け、住居を兼ねている社務所の中に引っ込む。
何かあったかしらと考えながら台所に向かうがあまり大したものはなかったような気がする。探すと普段霊夢が飲むようのとは別にしてある、来客用の値段が少しお上品なお茶の葉が残っていた。
最近頻繁に使うようになったからもうないと思っていたがそんなことはないようだった。
これだけあれば充分かと早速霊夢はふたり分お茶を淹れる準備をする。
手慣れた手つきで自分と来客用のお茶を淹れ終えてお盆に乗せるのと、
「こんにちは、霊夢。いるかしらー?」
というアリスの外からの呼びかけはほぼ同時だ。
友だちの来訪に私は声を張って返事するのだった。
「いるわ。丁度お茶を淹れたところだから座って待ってて」
作品集192の『ひとり、ひとり』の続きです
読了必須というわけではないですが読んでさらにお楽しみいただけると幸いです
アリスが来なくなった。
ただ、それだけだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
たった10文字で説明できる、そうとしか説明しようのないことに、霊夢は苛ついていた。
霊夢に、自身の日常生活がこれまでと比べて明らかにおかしくなっているという自覚はある。
それの原因が数日に一度毎回欠かさず来ていたアリスが急に、全然来なくなったことにあることも、自覚できていた。
だが、それがどうしてこうも自分を苛んでいるのか、それが霊夢にはわからなかった。
アリス。
数日に一度会って、話をして、茶菓子を持ちあって一緒に食べる、それだけの存在だ。
ふたりの間に劇的な出来事なんて何もない。人生を左右するほどの影響を受けたわけでもない。
付き合いはただの日常の延長でしかない。
それなのになんで私はこんなにも苛々しているの。全然わからない。
よく博麗神社まで遊びに来る子。それが霊夢のアリスに対する認識だ。
そうでしかない、はずなのに。
「何をそんなに不満そうにしているのだ、博麗霊夢」
日課の掃き掃除を空を眺めながらやっている時に、急に話しかけられた。
茫洋としていて接近に気付かなかった。そうとう呆けていたらしい。霊夢の目の前には最近見知った人外がひとり。
今更のことながら本当にここには参拝客が来ないなと落胆の感情を覚える。そっとため息をひとつ。
「素敵なお賽銭箱はあちらよ……ええと、秦こころ、だっけ」
「そうだ。我こそが秦こころ。感情を司る者。参拝客ではないぞ」
見覚えのある謎の決めポーズらしきものを決める秦こころ。それに合わせて身体の周りをお面がくるくる巡っている。
「覚えてるわよ」
似たようなやりとりを前にもした気がする。
「覚えていてもらえていたのか、これは僥倖だ」
少し意外そうな口調だ。失礼ねと睨めつける。
「忘れられているかと思ったから、意外だ。驚いだぞ。びっくりだー」
口調こそ意外そうにしているし、びっくりもしているのだろう。ただ、表情はそうではなかった。
人形のように、無表情。一切動かない。こころはそういう性質らしい。面霊気という属性がそうさせるのか。
ポーカーフェイスとか、表情筋が動かないとか、そんなレベルではない表情の不動ぶりだ。口だけが言葉を紡ぐために動いている。人形、ついでアリスを連想してしまった。
アリス。アリス。
今の霊夢にそれはNGワードだ。聞くだけで、考えるだけで腹立たしくなってくる。
勝手に連想してそれというのもひどい話だ。自覚はしている。つとめて冷静でいようと心がける。
「それよりなんの用よ、こころ」
「あなたになにがしの件での用があって来たのだが……それよりもどうしたんだ霊夢。泣きそうになっているぞ。一体どうしたというんだ」
「は、何を言っているのよ。そんな、何もないのに泣くわけないじゃない。私物心がついてから泣いたことないのよ」
目元に触れる。ほら、涙なんて出ていない。
「泣いたことがないというのはにわかに信じがたいが、普段の霊夢だったら本当に泣いたことがなさそうで怖いな。思わず信じてしまいそうだよ。涙は今でこそ出ていないが、今すぐにでも泣きそうなくらいゆがんでいる。鏡はあるか、あるなら見てみるがいい。声が震えているぞ、それも気付かないのか?」
「いくらうちが貧乏だからって鏡くらいあるに決まってるじゃない……それに、声も震えてなんて……」
「アリスが原因か?」
「……!」
意識しないようにしていたのに口に出されてしまって、意識せざるを得なくなった。
アリスのことを考えるとどうしてこんなにも苛々する。
どうして急に来なくなったんだろう。
何か嫌がることをしてしまったのか。研究が忙しすぎて来れないでいるだけなのか。それともそれ以外の何かがあるのか。わからない。わからない。なんでわからないんだろう。
来てくれないから、アリスが今どうしてるか、自分のことをどう思ってるかなんてなんにも、霊夢にはわからない。
アリスはどこ。
わからない。
どうすればいいの。
「……うるさい。ていうかなんで知ってるのよ」
声は震えているのか。顔は泣きそうになっているのか。自分でどうなっているのかもわからない。
「前にも何度か用があってここを訪れたことがあるからだ。その時はだいたい、というかいつもか。アリスと仲睦ましげにしていたから遠慮していたのだが。そういえば今日はアリスが来ていないな。いや、様子から察するにしばらく来ていないみたいだな」
「そんなのあなたには関係ないでしょう!」
「図星か」
「うるさい!」
声を荒げる。わけもわからずに暴言を吐きまくった。自分で何を言っているのかもわからない。
真っ白になった頭と真っ黒な心で何事かを喚き散らす。
なんで私はこんなにもアリスのことで心を乱されてしまう。こんなの私じゃない。
何処吹く風と霊夢の暴言を受け流すこころだがふと気付いたように頷いた。
「ひとりぼっちで寂しいんだな、霊夢」
その散々言われ続けてきた一言が今となって、どんなにも心を穿った。
今度こそ霊夢は、何も言えなくなってしまった。
寂しい? 寂しいってなに。
私は寂しくない。寂しくなんて、ない。
ずっとひとりぼっちで生きてきたんだ。
前にもそんなことを言われた。その時はどう答えたか。そうだ、全然寂しくない、ずっとこうやってひとりで生きてきたから。
そう答えた。アリスに、そう答えた。
そうだ、そのはずだ。今の私はひとりぼっちで、別にそれは普通で、いつものことで、だから平気。平気なはずなのに。
それなのに、どうして隣にアリスがいないだけでこんなにも苛々する。平気でいられない。
こんなにも虚無感に襲われてしまう。
……こんなにも胸が苦しい。
アリスと一緒に、いたい。
唐突に、最後にあった時の別れの会話を思い出す。
「またね、って言ったんだ、アリスに」
「ああ」
「それに対してアリスがさ、またね、って返してくれなかったんだ」
「なんて返したんだ、アリスは」
「じゃあね、って言ったの。またね、って言ってくれなかった。もうアリスは私と会いたくないのかな」
「そんなことはないさ」
なんなんだ、この気持ちは。隣にアリスがいないだけで私はこんなにも不安定にさせられてしまう。
「それが、寂しいっていうことだよ。霊夢」
すとん、と言葉が心に落ちた。
ああ、そっか。理解できた。
これが寂しいってことなんだ。
私はこんなにも、寂しかったんだ。
これから何をどうしようにも先ず、アリスが博麗神社に来てくれないからどうしようもない。
だからこそ霊夢はこんなにも苛々していて、寂しがっていたのだ。
自分が寂しがっていたことを自覚しても結局は、アリスが来てくれないから霊夢には何もできないでいた。
……こころに訊いてみようか。その考えが頭をもたげた。
いきなり現れて、悩みのひとつをあっという間に解決してしまったこころ。
もしかしたらこの悩みもあっさり解決に導いてくれるかもしれない。
……甘ったれた考えだった。そんなこと、自分で考えろ。
「ところで霊夢。アリスのところに行かないでいいのか? いつまでそうしているつもりなんだ?」
「……えっ?」
「え、ってなんだ。え、って。え?」
お互いにお互いをきょとんと見返す。
「アリスのところに、いく?」
きょとんとオウム返しに問い返すことしか霊夢にはできないでいた。それくらい霊夢にとっては想像を絶する言葉だった。
「ああ、そうだ。理由を訊かないでいいのか。どうして遊びに来てくれなくなったのかと……」
まさかと気付いたように、言葉を選ぶような慎重な態度で恐る恐るこころは重ねて霊夢に問う。
「霊夢、君。友だちの家に遊びに行ったりとかはしたことないのか」
「まず友だちがいないんだけど」
「アリスは友だちじゃないのか?」
「あー……どうなんだろう。アリスはそう思ってくれてなさそうだけど」
秦こころ、思わずといった風に天を仰ぐ。
「霊夢」
「なによ」
「アリスがどうして急に遊びに来なくなったのか気にはならないのか」
「気になってるわよ。でもアリスが来ないんだからその理由なんてわからないじゃない。どうすればいいかもわからない」
「ならば、アリスのところに行けばいいじゃないか。行って、訊けばいいじゃないか。なんで遊びに来なくなったのかと」
「……」
「……?」
「……あー。そういえばそうね。そうすればよかったんだなあ」
「く……っ。もう効かぬ。もう私は霊夢がなんと言おうとこれ以上驚かぬぞ……!」
「? 何をそんなに身悶えてるのよ」
「なんでもない……! そんなことよりどうせ君はアリスの家も知らないだろう。案内してやるぞ」
「なんであんたは知ってるのよ」
訊くとこころは凄く嫌そうな顔をした。
ぱっと見無表情なのは変わりないが、いかにも嫌そうな顔になった。なんというか、雰囲気が変わったといえばいいのだろうか。
「まあ、昔、少し縁があってな。その折にアリスの家に連れ去ら……行ったことがあるんだ」
気にはなったけどこころがあんまりにも嫌そうにしていたから霊夢は何も重ねて言わなかった。
何か土産のひとつでも用意しよう。
アリスの家に向かう道中に人里があるらしいので、ついでに向かおうということになった。
「えっとさ、こころ。なんて言ったらいいかわからないんだけど、その、ね。いろいろとね、感謝するわ。おかげで、いろいろ助かったわ」
「う、うわあああああ」
のけぞるこころ。土産のおかしのひとつが手から離れて落ちそうになって、慌ててキャッチする。
「……なによ」
「いや、すまない。本当に今日はきみに驚かされてばかりいるな。お礼とか言えるんだな。いや、私の偏見だな、これは」
「偏見?」
「霊夢のことだよ。私は霊夢のことを完全に誤解していた。私は君のことを、なんというか、そう、孤高の人だと思っていたよ」
「孤高の人……」
「悪い意味でね。誰にも何にも興味を示さず、隣に誰もいず、ずっと独りでいて、それで平気な人。この世には自分以外の人間なんて存在していないんだって普通に思っていそうな人。そう、間違っても誰かにお礼なんて言ったりしない。それが君に対する印象だったんだ。そんな人間、いるはずないのにな」
「おおむね間違っていないわよ。私は他人のことをどうこう気にしたことなんてない。よく冷たい人間だなんて言われるわ。ま
るで妖怪みたいだなんてことを言われたこともあるし、それを否定しようとも思わなかった。だって、事実だし」
「そんなことはない。最初勘違いしていた私が言うのもなんだけど君はそんな冷たい人間なんかじゃないよ。ちゃんと他人の名前を覚えていて、友だちが遊びに来てくれないからと不機嫌になっちゃうような、どこにでもいるような寂しがりやの人間だよ」
「む。改めて言われると反応に困るわね」
「そう思ってしまうくらい、君は人に対して無関心だと、私は勘違いしていた」
「……すごい言われようねえ」
「それだけ私が驚いてるということだよ。誰が君をそんな風に変えてしまったんだろうね」
「……」
「お土産。これとかよさそうじゃないか? ふたりで食べるにはちょうど良さそうだ」
「そうね、おいしそう。あ、これもいいかも」
人里を抜けて、霊夢は土産の和菓子を片手に面霊気と共に魔法の森に進入する。
鬱蒼とした木々を抜けていくとやがて開けた道に出る。そこを道なりに進んでいくと小さな洋風の家が見えてきた。
「ここがアリスの家だ。ではな」
役目は終えたと言わんばかりにこの場を離れようとするこころ。
「すまないな。私はあまりアリスのことが得意ではない。それに見つかったら少々めんどうなことになるのでな。お邪魔虫はいない方がいいだろう。ふたりで存分に想いをぶつけあうがいいさ」
「想い……」
「言いたいことや、知りたいことがたくさんあるんだろう。納得出来ないことがあるんだろう。不満があるんだろう。言える時に言っておかないと、いつか言えなくなる時が来るから」
くれぐれも私の名前は出さないでくれよ。
最後にそう言ってこころは空を飛んで早急にこの場を立ち去った。
言われずとも、わかっている。
言いたいこと、知りたいこと、全部全部訊いてやるから、覚悟してよねアリス。
こんこん、ノックを鳴らすと少しだけ経って扉が開かれる。
アリスだ。ひどく懐かしい顔なはずなのに、久しぶりという気が全然しなかった。
震える唇を尖らせてアリスを見る。
「会いに、来たわ」
「霊……夢。どうして、っ」
「たくさん。たくさん言いたいことがあるの。聞きたいことがあるの。あなたに、伝えたいことがあるの」
「……わかった。あがって」
「ええ」
客間に通される。
紅茶を淹れてくるから少し待ってて。
いい匂いと共にアリスが紅茶をもって現れる。
テーブルに互いの紅茶が置かれる。
霊夢は土産に買ってきたお菓子を置く。
「なんだか懐かしい気がするわ、この流れ」
「そうね、しばらく会えてなかったから」
ふたり向き合う。
「初めてね、霊夢が私の家に来るなんて」
「そうね。そうなのよね。ずっと私は神社でひとりでいた……ひとりでいたつもりだった。」
ずっとひとりで生きてきたつもりだった。
隣に誰かはいた。でも私はその隣にいてくれた誰かをいないかのごとく扱って生きてきた。それで平気で私は生きてきた。
いてもいなくても変わらないのだと思っていた。
ひとりぼっちで平気と笑って言っていた。
でもアリスが気付かさてくれた。
ひとりぼっちがこんなにも寂しいということを。
「でも、私はひとりじゃなかった。隣にいてくれる人がいる。やっと。やっと……気付けた。ねえ、アリス。なんで急に来てくれなくなったの。私……とても寂しかった」
視界が歪む。アリスの顔がひどくぼやけていた。何も見えなくなる。
目元を拭われる。ハンカチだ。アリスが拭ってくれていた。
泣いてるんだな、って他人事のように自覚する。
これ以上何かを言おうとするとなにかたがのようなものが外れてしまいそうになる。
「ごめんなさい、霊夢。私、あなたを試していた……の」
声がひどく震えている。
アリスのこんな声、初めて聞いた。
「だって霊夢、ひとりで寂しくないなんて言うんだもの。私なんて、いてもいなくても一緒なのかなって思った。霊夢にとって私はどうでもいい存在なのかなって思った。霊夢にそんな風に思われたくなかった……嫌だったの……! 私だけが一方通行に想っているのなんて。友だちいないだんて言うもん。じゃあ私ってなんなの。友だちじゃないの。なんなの。ただ近くにいるから相手されてるだけなの。寂しがらせちゃえって思った。寂しがってくれないならいっそ……」
「ごめん、ごめんアリス」
「私こそごめん、ごめんね霊夢」
「私たち、友だちだから。ずっと、きっとずっとそうだから」
「うん……うん……!」
嗚咽がもれる。もうダメだって思った。
堰を切ったように涙が溢れる。もう抑えられない。
ふたりしてわんわんと泣き喚いた。
直感が働きかけてきた。
区切りはあまり良くはないけど別にいいかという雑な思考の下、落ち葉の掃き掃除を中断して霊夢は箒をそこら辺に立て掛け、住居を兼ねている社務所の中に引っ込む。
何かあったかしらと考えながら台所に向かうがあまり大したものはなかったような気がする。探すと普段霊夢が飲むようのとは別にしてある、来客用の値段が少しお上品なお茶の葉が残っていた。
最近頻繁に使うようになったからもうないと思っていたがそんなことはないようだった。
これだけあれば充分かと早速霊夢はふたり分お茶を淹れる準備をする。
手慣れた手つきで自分と来客用のお茶を淹れ終えてお盆に乗せるのと、
「こんにちは、霊夢。いるかしらー?」
というアリスの外からの呼びかけはほぼ同時だ。
友だちの来訪に私は声を張って返事するのだった。
「いるわ。丁度お茶を淹れたところだから座って待ってて」
個人的にはもう少し長く続いてもいいなーと思ったんですが、二人が仲直りできたので満足です。
ただこころちゃんが霊夢をさん付けしていないのがどうしても気になりました。
ともあれレイアリ最高でした。
次作では全力でいちゃいちゃする二人が見れるんですね胸熱
初めての感情に戸惑う不器用な霊夢が可愛い。原作の霊夢、特に書籍版の霊夢はそこまでクールじゃなくて、人情味というか、人間臭さのあるキャラをしているように思うけど、二次創作の霊夢は確かに「孤高の人」という印象が強いですね。そういう意味でアリスととても似合うのかもしれない。