Coolier - 新生・東方創想話

五分間吸血鬼 後編

2013/12/27 00:34:05
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§5.抜け穴

“多くて見苦しからぬは、文車の文、塵塚の塵”
──吉田兼好『徒然草』第七十二段

 昼の博麗神社。霊夢は緑茶を飲みながら、縁側でマミゾウの話を聞いていた。他には咲夜、早苗が自分の分の茶を手に縁側に腰掛けている。妖夢は冥界で妖怪達の管理をしており、布都は入院中だ。
「そう、やっぱり魔理沙が……」霊夢が言った。
「そうじゃ。部下の河童から聞いた。魔理沙どのが輸送車を襲撃し、そこから逃れてきたらしい。残念だが、魔理沙どのは敵の手に落ちたと見ていいだろう」マミゾウが言った。
「前から噂されてはいましたが、これで確定しましたね。よりによって魔理沙さんが。厄介な事になりました」早苗が言った。
「ああ。これがおぬしらの内の誰かならまだマシだったろう。霊夢の博麗の力は唯一無二、早苗の風祝の力は一子相伝、咲夜の超能力は一代限りの固有のもので、どれも誰かに教えられる類のものではない」
「だけれど、魔理沙は自分の力を他人に教えられる。努力すれば誰でも身につけられるものだから」霊夢が言った。
「その通り。想像してみろ。五分間吸血鬼達が吸血鬼の力に加え、全員が光の魔法を完全に使えるようになった所を」
「私も人里で放火魔を何人か捕まえましたが、捕まる前に随分と暴れられましたよ。星をばら撒き、肉体を強化し、鉄球を振り回し……」早苗はそう言って右腕の袖を捲り、包帯が巻かれているところを見せた。
「火傷です。危うく火炎瓶が直撃するところでした。これ以上あの人達に強くなられるとこちらも捕まえられるかどうか」
「これは酷い。河童の傷薬でも分けてやろう」マミゾウが言った。
「一番威力のある魔法は八卦炉がないと使えないと霖之助さんから聞いたけど、ほっておけば手が付けられなくなるのは想像に難くないわね。百人ぐらいの魔理沙が里で好き放題に暴れるところなんて想像したくないわ」霊夢が言った。
「暴れるといえば、何であの人達は人里で暴れるのかしら? 蚊取り線香を売ってる薬屋を狙うならまだ分かるけど、普通の住宅街に火を放ったり排水溝をひっくり返したり」咲夜が言った。
「人里が荒れれば荒れるほど蚊にとっては生きやすい環境になる。ゴミ捨て場に蚊がわいているのを見たことがあるじゃろう」
「なるほど。公衆衛生をどんどん悪くしようとしてるのね」
 咲夜はレミリアとデートに行った際、人里に落ちているゴミが多かったのを思い出した。今はもっと酷くなっているかもしれない。
「私もなるべく被害は出さないようにしているのですが、吸血鬼を捕まえるたびにどうしても周りの建物のかなりの数が半壊します。住宅が壊れてしまったらそこに住んでいた人々は新しく住むところを見つけなければなりません。それまでは蚊に対して無防備になりますし、直すのにもまた手間がかかります」
「おまけに魔理沙どのは妖怪退治の経験が豊富なだけあって、こちらの手の内をかなり正確に読んでくる。慧音が放火魔を事前に何人か捕まえようとしたのだが、先手を打たれて潜られてしまった」
「大胆な誘拐作戦を採ったと思えば、危ないと分かればすぐに手を引っ込める。魔理沙らしいわね。魔理沙は強がっているようで小心なところがあるから、テロリストとしては理想的な人材かもしれないわ」霊夢が言った。
「魔理沙らしい?」咲夜は首を傾げた。何かが引っかかる。
「どうしたの?」霊夢が言った。
「いえ、なんでもないわ」咲夜は頭を振った。霊夢は魔理沙と付き合いが長い。そこに疑問を差し挟む余地はない。
「それより、事業の方は大丈夫なのかしら?」咲夜が言った。
「壊された工場の分は何とか都合が付けられそうじゃが、新たに里の人間を雇えなくなったのが痛い。足りない労働力は河童に任せておるが、それも熱病でどんどん数が減っていく」
「風前の灯火ってわけ?」
「いや、まだまだいける。だがこれ以上生産力を落とさないように拠点を守る必要がある。特に蚊取り線香工場をやられたら人里から蚊を除けておけなくなる。いざとなれば輸入は出来るじゃろうが、それまでは人里は蚊の餌場になるな」
「河童がさらわれたということは、やっぱり次は蚊取り線香工場が狙われるのよね?」
「恐らく。そこで、おぬしらには儂から特別警備を頼みたい。報酬は弾むぞい」
 霊夢達はマミゾウと相談し、警護につく建物と日時のシフトを決めた。
「昔から魔理沙はあんまり強くはなかったけど、ルールの穴を突くのは抜群に上手かった。訳のわからないまま一方的に倒されていたり……だから今回も絶対に何か仕掛けてくるわ。気をつけて」霊夢が言った。
「もちろん、万全の備えはするぞい。そのためにおぬしらがいるんだからのう。問題は連中が姿を隠している内は奇襲し放題ということじゃな。魔理沙どのの智慧がこちらの準備を上回るということは十分有り得る」
「ルールといえば、あの人たちは最初からルールの穴ばかり突いてきたわ。蚊は真っ先に人里から襲い始めた。不意打ち、夜討ち、いいように操って責任は各人に押し付ける」咲夜が言った。
「やはりそれも、魔理沙さんの入れ知恵ですか」
「どうかしらねえ」
「何にせよ、魔理沙を見つけたら絶対にとっ捕まえてやらないとね」霊夢が言った。
「やる気ですね」
 咲夜は自分の分の時間割を読み、次の満月の前の日に蚊取り線香工場のシフトが入っているのを見つけた。それを乗り越えれば次の日はレミリアと一緒だ。

 夕方の大祀廟の洞窟。奥の地底湖には以前よりも更に陰鬱に羽音が響いている。地底湖から少し離れた岩場で、十人あまりの人々が温泉に漬かっていた。魔理沙が魔法で温泉脈を引っ張ってきたのだ。膝ほどの高さの岩に囲まれて円形をとった混浴の大浴場で、人里から失敬してきたカーテンなどで脱衣所まで用意されている。
「あー、こりゃあ次の作戦には私が出てくる必要があるな」白いにごり湯に顎まで浸かりながら、魔理沙は両手に掲げた紙に描いてある蚊取り線香工場の場所と間取りを見ていた。三つ編みは解いている。数メートル上には六芒星の使い魔がいくつかふよふよと浮いており、そこから吊り下げられた金色の魔法光ランプで物を読むには十分な光量が保たれている。魔理沙を含め人々は完全にリラックスしていた。
 魔理沙は里人たちに事前に配っておいたリストを確認させた。霊夢、咲夜、妖夢、早苗などの異変解決にあたる人間たちの詳細な情報が載っている。
「工場を守っているだろう天狗と河童たちは熱病で足止め出来ている。しかしマミゾウも手をこまねいて見ているわけじゃない。このリストの中から一人か複数が邪魔するかもしれない。ちょっと前から咲夜が動き出したとの情報も入ってるしな」魔理沙は反対側で湯船に漬かっている短髪の男の方を見やった。
「まあ、バイト先で色々と盗み聞きできるもんでね」短髪の男は片手でトレイを持つ真似をし、パントマイムで客の食べ終わったパフェのグラスやケーキ皿を載せて見せた。
「こいつらははっきり言って滅茶苦茶強い。私でも五分五分で勝てるかどうかってところだ。これまで以上に苦しい戦いになるのは間違いない」
「それに対しては、これまで通りって事でいいのかしら?」セミロングの女性が言った。底の浅い所で半身浴を楽しみ、胸にまでタオルを巻いている。
「ああ。引き続き訓練に努めてくれ。こいつらの情報は全部持っているから、それに一人ずつ対応していくんだ。人目を盗んで、もっとハイペースで!」
「任せておくれよ。鉄球だって使えるようになったんだ」
 脱衣所から出てきた長髪の少年は両の手を前方に差し出し、温泉の縁のあたりに胸の高さ程の大きさの鉄球を生み出した。ずしんとした重みが地面と擦れ、ガリガリと音を立てた。
「肉体強化の方もバッチリだ」
 彼は鉄球に向けて手刀を打ち込み、真っ二つに割ってみせた。二つの半球が左右に倒れ、回転力を失ったコマのようにすりこぎ運動を始める。今までにない力に少年は得意顔になった。
「使い魔だって!」セミロングの女性は手をかざし、六芒星の魔法陣を五つ上空に展開してみせた。魔法陣が水平方向に円運動をし、そこから星屑が散らばる。
「よしよし、みんな上達したなぁ」
「お嬢さんの教え方が上手いからですよ」短髪の男が言った。
「お世辞はいらないぜ」
 星屑が宙の使い魔の一つに当たり、吊り下げられていたランプが老紳士の側の水面に落下した。飛沫が上がり、老紳士はそれを引っ被った。ランプが消えて辺りの光量が減った。
「ぶばっ」
「あっ、ごめんなさい」セミロングの女性が言った。
「こらこら、気をつけておくれよ」老紳士は目を閉じて首を振った。すっかり白髪になって久しいが、髪の量はまだまだ豊かだ。
 魔理沙は水面に視線を戻し、そこに髪の毛が何本か浮いているのを見つけた。
「そろそろ湯を入れ替えないとなあ」
 魔理沙は湯船から這い出し、脱衣所に行って着替えをした。その後に星柄の寝間着で湯船の側に出ていった。
「そうそう、これは確認だが」魔理沙は全体を見回した。
「霊夢とだけは戦うなよ。まともにやり合ったらまず勝てないぜ。お前らがどれだけ強くなってもな」皆頷いた。
「歩く秩序みたいな人ですからねえ。どっちが妖怪なんだか」ショートカットの女性が言った。今は眼鏡を外している。
「目標を達成したらとにかく逃げろ。逃げ回れ。奇襲と即時撤退を繰り返してれば勝機は見えてくる」
「博麗の巫女さんは、霧雨のお嬢さんとは戦いたがると思うけどねえ。いいのかい? 昔なじみなんだろう?」老紳士が言った。
「そんな事は分かっているとも。だが生き残りたかったら、あらん限りの知恵を振り絞って無粋な事をし続けろ。だから私は霊夢から逃げる。絶対に戦わん」魔理沙は卑屈な笑みを浮かべた。
「臆病者には臆病者なりのものの考え方って奴があるんだよ」
 臆病者のフィロソフィ。大胆小心な人間は自分に割り当てられたスペースへと引っ込んだ。床は硬い岩で周りからも多少生活音が響くが、色々な所から失敬してきた木材で最低限の仕切りはされている。持ち込まれた読書机の上にランプを置いて作戦立案を始める。魔理沙はおにぎりと里から運んできた煮物などの惣菜を食べた。
「うん、うまい」
 仲間を囲んでの宴会も悪くはないが、集中したいことがある時は一人で食べる方が性に合う。寝る前に楽しみのための読書をして、今後のスケジュールを立てて終了だ。まずは別の洞窟で作らせている固形粉末魔力も回収しなければ。取りに行くのは手間だが、居住地と武器庫を一致させておくと万一外から襲撃があった時にダメージが大きい。新しい帽子、新しい箒、柔らかいベッド。この地は日に日に快適になっていく。毎日が充実している。少なくともそう思い込んでいる。一時間ほど魔導書に書き物をしてからベッドに横になって身体を曲げ伸ばししていると、魔理沙の目の前に黒い塊が集ってきた。
「魔理沙」「また昔話をしてくれ」蚊が言った。
「他の奴とも話したほうがいいんじゃないか? 皆いい奴ばかりだぜ」
「そうかもしれない」「でも魔理沙ほど頭が良くない」「色んな事を知らない」「話が面白いのは魔理沙だけだ」
「可愛いけど可愛くねえなあ。あそこの爺さんとか昔の幻想郷の事を色々教えてくれたぜ。私が知らんことだ。面白い」
「……」「考えておく」
「よしよし、柔軟に考えられるのはいいことだ。その調子で成長してくれ」
「意志を持ったのは」「あの吸血鬼から血を貰って以来だが」「ようやく人間とやり取り出来るレベルに達した」
「その内永琳より頭が良くなるかもな。竹林の中に住んでる奴さ。あいつは滅茶苦茶頭が良いんだ。多分幻想郷で一番な」
「それは楽しみだ」「地上の誰よりも賢くなれば」「生き残る確率が上がる」
「よし、じゃあ生き残るために、私のありがたーいお話を聞こうじゃないか?」
「よろしく」
 魔理沙はベッドに腰掛け、ベッドの下から自宅から持ちだしていた本の一つを取り出して開いた。タイトルは……
「昔々……」

¶おとぎ話

 昔々、幻想郷から海を越えて遙か南のあるところに、一つの島がありました。周りを水に囲まれていましたが、ここに人々が海を渡ってやってきて住み着きました。この島は外敵に晒されない理想の環境でした。平和の下で順調に人口を増やした彼らは、彼ら自身の宗教を生み出します。火山地帯から神を象った石を切り出し、木を切って石を運んで並べ、彼らの神々を崇め褒め称えました。
 やがて、石材を運ぶために使っていた森林が切り尽くされます。土地は荒れ、限られた農地を巡って争いが起きました。相手の部族を攻撃するために、彼らは相手方の守り神の石像を引き倒し、神性の宿る目玉の部分を繰り抜きあいました。火山から切りだされるのは神を作るための聖なる石ではなく、武器を作るための血塗られた石に変わってしまいました。
 もちろんそんな事で事態が打開できるはずもありません。血が流される一方で飢餓が起こり、互いを喰い合って人口はどんどん減っていきました。脱出しようにも、人が住める一番近い島は海を越えて二千キロ離れています。船を作る木材も無いのに渡れる距離ではありません。破滅は既に始まっていました。
 白人たちが彼らを発見した時、島の住民は六百人にまで減っていました。しかしそれでも彼らは争っていました。争いの発端にさえ気づくこともなく、森林の要らない石器時代の暮らしをしながら。彼らは先祖の描いた文字が読めません。かつて一万人ちかい人口を誇ったはずのこの人々は、もはや石像を作った理由さえ、忘れてしまっていたのです……
 島の名前はイースター島。後に海を背にして並ぶ、目の部分の欠けた石像で有名になる島でした。最後に奴隷商人たちが島の働き手を連れて行き、後には子供と老人、荒涼とした大地、そしてモアイ像の謎が残されました。

 本のタイトルは『イースター島のひみつ』だった。

 香霖堂。部屋の隅に置かれた蓄音機は蝋管からアイリッシュ・ミュージックを垂れ流している。そのヴァイオリンの跳ねまわるような旋律には何かを打ち付ける音が割り込んでいた。外の世界ではすっかり使われることの無くなった電動機械式タイプライターである。活字のアームは印刷用紙にインクを叩きつけ、その横に接続されたパンチ機は整然と並ぶ穴ぼこの開いた紙テープを吐き出している。
 香霖堂は以前から妖怪の山と提携し、幻想郷なりのテレタイプによるニュース配信システムを生み出していた。当初は不評だった。鴉天狗の多くにとってはネタ集めも兼ねて、自分で紙に印刷されたものを配るほうが楽しかったのだ。しかし外を自在に飛び回ることの出来なくなった今となっては、自宅に居ながらにして記事を配って回れるこのシステムは一つの希望だった。
 森近霖之助はタイプライターの前に立ち、配信されてきた花果子念報を読んだ。『魔理沙氏、指名手配』『輸送車襲撃』『河城氏行方不明』里で蒸発した五十人以上の人間のリスト。
「全く、何をやっているんだか」霖之助は頭を掻いた。霧雨の親父さんが気がかりだ。今度顔でも見せに行こう。霖之助は奥の物置へと行き、道中で身を守れそうなアイテムを探すために漁りだした。戦闘の心得は全くないが、何も持って行かないよりはマシだろう。

 地中深くに、穴を掘る。化け物どもは穴を掘る。眠るための墓穴ではなく……
 土は掘られていく。
  土は掘られていく。
   土は掘られていく。
 土は掘られた。

 満月の前日、夕方の妖怪の山。湖の側の、川の支流で囲まれた部分。咲夜はポニーテールと丸眼鏡の河童に案内されて、林の中にいた。日が当たらないとはいえ蒸すために二人とも少し汗をかいている。
「ここです」ポニーテールが言った。
「よろしくお願いします、十六夜咲夜さん」
「こちらこそ。なにもないように見えるけど」
「そう見えますか? それは良かったです」ポニーテールが笑った。
「見えないことこそが重要なので」
 ポニーテールはコナラやクヌギの林の中に分け入り、藪の中で少し開けた所に出た。雑草の生える地面に踏まれた跡を咲夜は見つけた。ポニーテールが屈み、地面の中に指を突っ込む。咲夜が訝ったが、次の瞬間にポニーテールは草のカーペットをひっぺがした。カーペットの下には銀色に輝く扉が現れ、蝶番の反対側に樹脂製の蓋が付いている。ポニーテールは懐から財布を取り出し、またその中から黒い帯の入った磁気カードを取り出した。樹脂製の蓋を外して現れた溝に通すと南京錠を外したような音がする。
「ちょっと離れててくださいね」
 咲夜とポニーテールが少し離れた場所にいると、突如として扉が鉛直にはね飛んで五メートル上に達した。扉は木々の葉と擦れながら落下し、鈍い音を立てて咲夜の足元から一メートル離れた地面に衝突した。咲夜は思わず飛び退く。扉があった所には下へと続く階段が現れていた。
「第一トラップです。これを知らずにカードを盗んで入ろうとすれば顎が砕けます」
「うーん、これは私も反応できないかも」
 咲夜はポニーテールの誘導に従って階段を降りて行く。階段が終わり、レンガ造りの壁で囲まれた数メートルの渡り廊下の先に金属製の門らしきものが現れた。ポニーテールがカードキーを通すと、左右に開いた奥から空調の冷気が流れ込んでくる。ヘアピンを額でバッテンの形に留めた河童が出迎えた。
「よろしくお願いします」ヘアピンの河童は頭を下げた。声に覇気がない。
「よろしくお願いします。顔色が良くないようだけど、大丈夫?」
「ちょっと前の襲撃事件からみんな不安でしてね。情報が漏れているだろうから場所を移したほうが良いという案はあったのですが、今から移せるスペースはまだ確保できていません」
「どうぞ」ポニーテールは咲夜に工場の見取り図を渡した。一階建てで全てが地下に埋まっており、山の円周にそって向かってずっと奥のほうへと進んでいくようだ。
 ポニーテールに連れられて奥に行く。ポニーテールが扉を開けると、機械が発する騒音とともに蚊取り線香の独特の良い匂いがぶわりと吹き出てきた。
「広い!」見たこともないような機械の羅列が、蛍光灯の無機質な光に照らされてずっと奥まで続いている。
 まず最初に飛び込んできたのは浴槽より大きな金属製の箱。上部のパイプからから落ちてきた数種類の粉末が箱のなかへと投入され、箱の底で縦回転するミキサーにより混ぜ合わされていく。箱のそばにうっかり零したと思われる黒い粉が散乱していた。幻想郷では珍しいコンクリート製の床だ。
「圧巻ね。こんな大掛かりなからくり、外の世界にいた時も直接は見たことないわ」咲夜が言った。
「そうですか? 嬉しいですね。これは第一工程です。あの粉は防虫作用のあるピレスロイドです。その次にタブの木の粉、糊付けに澱粉も混ぜます。他にも必要な添加物を色々と。ここで三十分ぐらい使います」ポニーテールが言った。
 混ぜ合わされた粉はベージュ色の河となってベルトコンベアで運ばれていく。コンベアにそってポニーテールは歩き、咲夜がそれに付いていく。途中で三つ編みの河童とすれ違った。何か思いつめている様子である。
 第二工程。巨大なすり鉢状の容器は粉で満たされ、その上に伸びたパイプから緑色をした粉と水が次々と投入されていく。すり鉢の中心を回転軸に、一対の金属柱が回転して粉を轢き潰していく。
「あの緑色の粉は染料です。ベージュ色のままだと暑苦しいですからね。見た目は大事ですよ。あのドラムは四百キログラムほどありまして、河童十人ほどの重さに相当します」
「巻き込まれたくは無いわね。お嬢様なら持ち上げられるかしら」
 第三工程。粉末は螺旋状に回転する押出成形機でシート上に加工され、ベルトコンベアで運ばれていく。途中でシートに板状の刃が回転して落ち、シートが一枚ずつ腕を広げたほどの長さに裁断された。
「匂いは大丈夫ですか? ここで働いていると服から線香の匂いが取れませんで」
「悪く無いわ。帰ったら洗濯しなきゃだけど」
 第四工程。ベルトコンベアで運ばれてきた緑色のシートの上に型抜き機が落ちた。シートは二つの渦巻きに組み合わさった形に打ち抜かれ、型は渦巻きを嵌めたままベルトコンベアの隣の木の板の上に移動。型から落ちた渦巻きが板の上に乗って、再び別のコンベアで運ばれていく。型を抜かれた後のシートは落とされて崩れ、また別のコンベアで第一工程へと戻っていった。
「一度の型抜きで二かける二かける七の、合計二十八巻の蚊取り線香が成形できます」
 最後に咲夜は乾燥室に連れられた。広大な部屋の中には木箱が整然と積み上がっており、空調により空気から水分が抜かれていた。線香の匂いを感じる鼻はとっくに麻痺している。
「乾燥し切るまでに二日ほどかかります。乾燥し終わったら箱に詰め、麓の中継所までスライダーで一気に滑らせて運ばせます。そうしたら輸送車で里や妖怪達の元まで運ぶわけですね。この間三台ほど失ったばかりですが」
「どうしてこの工場、麓に作らないの? わざわざこんな高い所に。途中で詰まらない滑り台を作るのだって一苦労だと思うけど」
「ここの方が河童のアジトに近いので通勤に楽なのと、麓だと万一の時天狗様の警備を突破されてしまう可能性があるからです。更に湖と川に近いので火災に備えるのも楽です。心配のし過ぎじゃあないかと意見も出ましたけど、熱病が流行りだしてから麓の警備はどんどん手薄になってきているので結果オーライですね」
「大掛かりねえ。でも確かに魔理沙でもここまで昇ってくるのは大変そうね」
「これで見学は終わりです。いかがでしたか?」
「ええ、凄かったわ。山の地下にこんなに技術の粋を集めた大工場があっただなんてね。お嬢様への土産話になりますわ」
「ありがとうございます。すべてが終わったら是非話してみて下さい。それまではやたらと話し回られては困りますけどね」
「嬉しそうね」
「ええ、技術は河童の誇りですから」
「誇り……」咲夜は彼女の主人に言われたことを思い出した。
『永く生きる者にとってはどうでもいいことの方が重要なのよ』
「さあ、戻りましょうか」
 戻っていく間、咲夜はずっと上の空で考えごとをしていた。人里でのデートの後、咲夜は自分なりに誇りについて考えてもいた。しかし自分の経験ではどうしても実感を持って考えることが出来ない。河童の技術に向ける熱意。それはどこから来ているのか。他人が何を誇りにしているかを観察すれば分かるのだろうか。
 気がつくと咲夜はヘアピンの河童が出迎えた場所に戻っていた。ポニーテールは廊下の一つに面している応接室のドアを開けた。中は水色の絨毯が敷かれており、その上に載っている大理石のテーブルを三人ぐらいが座れそうな革張りのソファーが一対挟んでいる。白い壁には何も掛かっておらず殺風景ではあるが、実用性を貴ぶ河童らしいともいえる。ポニーテールがドアを閉めると、どういう理屈か工場中に響いていた機械音が遮断された。二人はドアが見える位置に隣り合って座った。シンプルな作りだが座り心地は良い。ポニーテールが絨毯に置いたリュックから資料を取り出した。
「普通の入り口は先ほど案内した場所しかありませんが、外からは他に第一工程へと続く材料を運び込む穴があります。更に非常口が乾燥室と各工程に一つずつ、合計五つあります。火災警報が作動すれば非常口を含め全てのセキュリティが解除されます」
「じゃあ、非常口を中心に見張ればいいのかしら?」
「はい。非常口にはあんまり複雑なセキュリティは掛けられませんからね。非常口も外から見たら分かりにくい所にありますが、破るならそこでしょうね。外には各入口に天狗様を一人ずつ付けておくので、何かあったらこちらにも無線で連絡が行くはずです」
「紅い霧で阻まれなければ」
「ええ。それが問題です。貴方の御主人が協力してくださったお陰で霧の毒の方はおおかた対策が出来ました。しかし日光を阻む謎の霧はあらゆる電磁波をシャットアウトしてしまうようなので」
「紅い霧が十二分に厄介だってことは、私自身が一番近い所で見ているから分かるわ。マスクは着けておく必要がありそうね」
 咲夜はポニーテールとその他にも火災報知機、消火器の場所など細々としたことを確認した。
 一時間後。
「さあ、そろそろご飯にしましょう」咲夜が言った。咲夜は絨毯に置かれた背嚢から館で作ってきた弁当箱を取り出した。
「あ、みんなも呼んできます!」ポニーテールは慌てて出ていき、ヘアピンの河童と三つ編みの河童を呼んできた。各々の手には弁当箱を包んだ風呂敷と日本酒の瓶が握られていた。咲夜と河童たちは弁当を広げ、夕食を始めた。咲夜はヘアピンやポニーテールの河童たちとおかずを交換した。色とりどりの創作中華。
「美味しい……!」ポニーテールが言った。適度に辛子の効いた、海老とニラ入りのしゅうまいを頬張っている。
「メイドさん、妖怪の山で商売する気はない? あんたの弁当なら毎日でも買いに行くよ!」ヘアピンが言った。海老や椎茸、春雨などの具のたっぷり詰まった春巻きがちょうど彼女の胃袋に飲み込まれたところだ。
「残念ながら、私の料理の腕はお嬢様専属ですので」
「羨ましい! 羨ましい! 私も吸血鬼になるー!」ヘアピンが言った。
「そんな無茶な」三つ編みが言った。
「貴方達のも美味しいわよ」咲夜はきゅうりと豚肉の和物を口に運んだ。醤油に生姜と葱、胡麻の香りが口いっぱいに広がる。日本酒を一口のみ、アルコールのぴりりとした辛味がまた生姜の香りに合う。
「やたらときゅうりが多いけど」
 他にもきゅうりの梅おかか和え、ちくわのきゅうりとチーズ詰め、止めにデザートはきゅうりのはちみつ掛け(メロン風味)である。奮発して魚成分は輸入品だ。
「あはは、面目ないわ。でも人間だって食べる時は絶対に塩を取るでしょ? 私達にとってきゅうりは塩みたいなものよ」三つ編みが言った。
「うん、そういやにとりが家でもろみ味噌を作ってたなあ。今度持ってきて……あっ」ヘアピンが口を抑えた。咲夜は一瞬にして場の空気が冷えたのを感じた。少し間があり、咲夜はその間非常に居心地の悪い思いをした。
「ここに全員いれば良かったのにね。そうすればこんなに美味しい料理、みんなで食べられたのに」ポニーテールが言った。河童たちは全員目を伏せた。
「全員?」咲夜がそう言って、少し前の輸送車襲撃事件のことが思い当たった。
 河童たちはいつもつるんでいる、にとりとおかっぱ頭の河童の事について話した。にとりの作った三平ファイターが山の発明コンクールで入賞したこと。おかっぱ頭が水風船を使った回転兵器を考えだし、それらがアジトを守る河童の装備に採用されたこと。それらは皆とこうして宴会や昼食の時間に駄弁っている時に考えついたアイデアであること。化け狸に雇われて、皆で人里に蚊取り線香を売り込みに行ったこと。儲けた金でまた発明品を作ったこと。
「へえ、仲が良いのねえ」咲夜が言った。
「一緒に山に逃げた事もあったわねえ。覚えてる? 水柱でアジトが壊滅した時のこと」三つ編みが言った。
「そう! 良くサバゲーもやった! みんな夢中だったよ。あいつは弱かったねえ。ちょっと間抜けな所もあってさ!」ヘアピンが言った。
「でも、私達を逃がすためににとりと一緒に……」ポニーテールは襲撃事件のことについて説明した。襲う人間、壊された車、皆で額に汗して作った蚊取り線香の在庫が一度に失われたこと、怪我、爆発、火傷、そして魔理沙。
 ヘアピンは右の袖を捲り、腕にうっすらと残る刺し傷を見せた。
「あの魔法使いが鉄球をぶん投げた時に、樹の枝が折れてここに刺さったんだ。最初の一撃で酷い火傷も負った。人間よりは早く治るけど、痛いったらなかったよ」
 咲夜は顔をしかめた。
「あの魔理沙ってのは何なのさ? にとりとつるんで地底に行っていたりしたのは知ってた。にとりの話じゃあ変人だが随分と面白い人間だと見えたよ。でもあんなに酷いやつだとは思わなかったな」ヘアピンが言った。
「にとり達も今頃どんな目に合わされているか。どんな辱めを受けているか知れたものじゃないわ。めっためたにしてやりたい」三つ編みが言った。
 誇り。また誇りだ。河童は誇りを傷つけられ、怒りに震えている。こだわり、ただ生きる以上のことを賭けるに値するもの。咲夜には河童から聞く魔理沙の話のどこかに違和感があった。魔理沙はかつてどんな人だったか? 観察すれば分かるかもしれない。
「待って」咲夜が言った。閃きのために、とっさに口について出た。
「何さ」ヘアピンが言った。
「確かに、鉄球の使い魔は魔理沙の最新の術の一つよ。宴会で氷精相手に試していたのを見たわ。確かその時は奴隷型のスペルを極めたいと言っていた。それが他の人間たちに伝わって、貴方たちを傷つけたというのね?」
「そうです」ポニーテールが言った。
「そこよ。それはおかしい。私はそれなりに魔理沙と付き合いがあるわ。霊夢と魔理沙の付き合い程は長くないけれど、宴会ではいつも一緒と言っていい。色々と料理をご馳走したことだってある」
「それで、あの白黒は悪く無いって言いたい訳です?」ポニーテールが言った。
「落ち着いて。ウチの館にも一人、百年のキャリアを持つ魔法使いがいるわ。その方は『魔理沙が扱える魔法のレベルに達するには、普通の魔女なら数十年分の試行錯誤が要る』と言っていた。『どれだけ才能があったとしても、その期間は一足飛びに縮められるものでもない』ともね。魔理沙も数十年相当の密度の試行錯誤をしているはずだけど、それを私達に見せることは決して無い」
「ほうっ」河童たちは身を乗り出した。なにか技術的な視点から興味があるようだった。
「まあ、人の努力は盗むんだけどね。その方もいくつか技を盗まれたって怒っていたわ」
「盗むんかい」三つ編みが言った。
 咲夜は魔理沙が今までに見せてくれたものについて語った。主人が起こした紅い霧を止めるために館へと押し入られたこと。その時点で魔理沙の魔法の熱量は既に莫大であり、館の全員がそれに驚いたこと。満月を取り戻すために夜を主人と彷徨った行方に、魔理沙が霊夢とともに立ちはだかったこと。ロケットに乗って月へと行ったこと。つい最近久しぶりにチームを組んで逆さ城へと乗り込んだこと。魔理沙が魅せた、打ち上げ花火のような魔法の数々。その一つ一つに込められた技術。河童たちは途中で何度も息を呑んだ。特に永夜異変の真実は一般には知られていなかったために河童の興味を引いたようだった。
「鉄球だけじゃない。魔理沙が使ってる魔法は星弾からレーザーまで、みんなみんな魔理沙の努力の結晶。貴方たち河童と同じ、エンジニアの魂よ。それを普段の魔理沙が簡単に他人に明け渡すことなんてありえないの。まして誰よりもスペルカードルールを大事にしてきた魔理沙がそれを反故にするだなんて。何かが、間違っている」
 少し間があった。咲夜は自分が魔理沙をこれ程深く観察していたことに自分で驚いていた。意識せずとも、様々な思いが無意識に蓄積されていたのか。これが魔理沙の誇りというものなのか。
「蚊か」ヘアピンが言った。咲夜が頷いた。
「八つ裂きにしてやろうかと思ってたけど、生け捕りにするぐらいにはしてやってもいいかもね」三つ編みが言った。
「たっぷりと絞って、にとり達の場所を聞き出さないといけないですしー」ポニーテールが言った。
 弁当は既に空になっていた。咲夜と河童たちは酒瓶と弁当箱を片付けだした。

 どこかの薄暗闇。冷えた空気の中で泥だらけになりながら、亡者たちは這っている。
「大体ここら辺でいいか?」魔理沙が言った。新しい帽子に新しい箒。
「いいと思うわ」地図と見取り図を手にセミロングの女が言った。今は外套にお多福の面を着けている。
「よし、じゃあ始めるぜ。終わったら温泉だ」魔理沙は仰向けになり、八卦炉を闇の天井に向けて構えた。

妖器「ダークスパーク」

 全てを無に帰す黒色の極光が八卦炉から噴き出で、土壁の先まで撃ち抜いた。視界が開けて蛍光灯の真っ白な光が一瞬目に差し込み、すぐに消えた。魔理沙はスカートから紅い霧を噴き出しながら上空に飛び出した。線香の匂い。天井から蛍光灯の破片とコンクリート、これまたコンクリートの床の破片があたりに飛び散り、第三工程の裁断刃やベルトコンベアを破壊した。大きく抉れた天井は光を失っているが星空までは見えていない。
 かちりと何かが作動する音がし、左右の壁に並ぶ電球が魔理沙に向けて紫色と見えない光を放った。焼けるような痛みに魔理沙は顔を抑えた。工場に張り巡らされたトラップの一つ、紫外線照射装置である。魔理沙は目を抑えながらそれに向けてレーザーを一閃、電球のガラスとフィラメントが飛び散る。電球の光の届かない死角を確保した。辺りに機械の作動音に加えて激しく警報が鳴り響く。
「うおお危ねえ、念のため日焼け止め塗っといて正解だったぜ!」
 火災警報により天井のスプリンクラーが作動。天井に並ぶノズルから流れ水が振りかかる。魔理沙は身体から力が抜けるのを感じた。
『コールドインフェルノ』
 魔理沙は精霊魔法を唱え、体の周囲に水色の光球を四つ展開した。旋回する球から青い冷凍ガスが噴き出して部屋中に広がり、シャワーを伝って配管を凍らせていく。その内部屋の全てのノズルが氷で詰まり、水流は止まった。ノズルから垂れ下がって居並ぶ氷柱が折れて落ち、コンクリートの床に当たって砕けた。
「もう出ても大丈夫ですか、お嬢さん?」土の下の吸血鬼が言った。
「おう! でも気をつけろよ、まだ罠があるかもしれねえ」更に電球を破壊しつつ魔理沙が言った。全員分暴れるスペースは確保されている。吸血鬼達は土の下から飛び出した。

時符「プライベートスクウェア」

 辺り一帯が赤黒く揺らめいた。冷凍ガスが吹き出て魔理沙を守る。能面の外套一人の姿が紅く揺らぎ、一人が「南無大師遍照金剛」と唱えて光った。
 Recapitulation・Recessional・Rattenuto・Religioso・窓枠に鉄格子の嵌る音がする。次の瞬間には魔理沙の周囲五メートル分を覆うナイフの幕。魔理沙は更に冷凍ガスの出力を上げ、ナイフの全てを一度に凍らせた。
「まさかチルノから技をパクる日が来るとは思わなかったぜ!」
 ナイフの幕が音を立てて割れ、紅い世界に銀色の破片が飛び散った。破片がコンクリートの床と当たって乾いた音を立てる。魔理沙の開けた視界の先には咲夜が腕を組んで立っていた。黒い防毒マスクを着けている。
「そのガス、厄介ね」咲夜が言った。
「おうよ、紅い霧と冷凍ガスのミックスだ。時を止めようと近づいたらアウトだぜ。吸血鬼と言ったら冷凍法だし、時間をいじる奴には毒ガスと相場が決まってるよなあ。純粋酸素はねーけどな」
「純粋な悪意は感じられるわね」
「ところで地獄の最下層の氷結地獄って、コキュートスって言うらしいな。改めて名付けるならコールドインフェルノよりそっちのがかっこいいかな?」
「頭にまで冷凍ガスが回ったのかしら」

 魔理沙は辺りを見回した。四人いるはずの仲間たちがどこにもいない。
「おい、私の仲間はどこやった」
「貴方達の一人ひとりに元の世界とは別々の平行世界を割り当て、一時的に押し込めた。チームを組まれたら手こずりそうだから分断させてもらったわ。これ以上いくら暴れてもこの施設を破壊することは不可能よ。投降しなさい」
「おいおい、そんな事が出来るならずっと私達だけを押し込めておけばいいじゃないか。お前はここにいる必要はない」
「……ご名答。残念ながらそう都合良くはいかないの。貴方だって紅い霧からそんなに離れられないでしょ?」
「何か弱点があるんだろう?」
「あると思うなら探してみなさい」
「まあお馴染みのパターンとしては、『私を倒したければ、ここを通ってからにしろ!』ってところか?」
「逆じゃない? そういうパターンも無いではないけど」
 咲夜は頭を掻いた。平行世界を維持するためには、各時間軸の座標の原点になる存在として各平行世界に咲夜を一人ずつ割り当てる必要がある。咲夜が負ければ、平行世界は原点を失って急激に元の世界へと統合されるだろう。そうすれば平行世界で起こった破壊も起こった元の世界と組み合わさり、工場の設備は破壊される。逆に咲夜が勝てば、平行世界と元の世界のズレをゆっくりと調整することで破壊を最小限に抑えられる。咲夜が作った平行世界は五つ。相手が複数であろうと強制的に一対一に持ち込む事ができる反則技だが、もし全ての平行世界で咲夜が負ければ時間軸五本分の破壊が元の世界へと雪崩れ込むこととなる。軟着陸できるかハードランディングとなるか、これは賭けだった。
「なあー、私の負けでいいから壊させてくれよ。河童なんてどうでもいいだろ?」
「怖いの?」
「ああ、その通りだ。お前は強いからな。負ける可能性があれば戦いたくないだろ?」
「そんな風に自分を卑下したり、自分の秘密をあっさり他人に明け渡したり。まるでらしくないわね」
「そんなことより、だ。何でお前は私と戦わないといけないんだ? 御主人様とは関係ないだろ?」
「お嬢様は本来自分に相応しいはずの人間からの畏れを欲してるわ。そしてそれは今、貴方たちと吸血蚊が独占してる。競合店は潰さないとね」
「独占とは人聞きが悪いな。伸び伸びとした営業活動の結果だぜ。自由競争万歳」
「公正取引とは言えないわね。行政処分が必要だわ。それに」
「それに?」
「貴方達に奪われた吸血鬼の誇りを、拾い集めて持ってこいって言われてるんだもの。貴方はここで倒す」
「難儀な主だな」魔理沙は使い魔を召喚して身を固めた。

 魔空「アステロイドベルト」

 星の河がやってくる。前方から、横から。咲夜は平行世界を作った負担を押して、自分の時を加速した。銀河の帯を慎重に抜けていく。反撃へと魔理沙にナイフを投げると、咲夜の目の前に突然目の前に氷の板が現れた。ナイフが弾かれ、氷に巻き込まれて砕け散る。氷が迫ってくる。

時符「デュアルバニッシュ」

 咲夜は氷が自分に達する前に吹き飛ばし、氷と星々が緑色の欠片と消えた。
「自分の弾幕を凍らせて?」咲夜はいったんシート成形機の残骸へと隠れた。脳内で自分の声が聞こえてくる。
『咲夜A、咲夜A、聞こえる?』
「聞こえるわ」魔理沙と戦っている咲夜が言った。平行世界間で念話を行なっている。
『こちら咲夜B。最初の一撃が避けられた。もう少し続きそう』
『こちら咲夜A、魔理沙と交戦中。こいつが本命、絶対に捕まえる』
『こちら咲夜C、最初の一撃で終わったわ。これから私の世界を元の世界に統合して河童に引き渡す』
『こちら咲夜E、同じく既に始末した。手応えないわね』
『こちら咲夜D、こいつ強い。ナイフが刺さらない』
 五人の内、最初の一撃で二人始末できた。効率としては悪くない。残りの三人に無事に勝利すれば、明日には工場を復旧させることができるだろう。しかし残りの二人は一体何なのだろうか。シート成形機が轟音を上げて砕け、破片が咲夜のエプロンの裾を切った。穴の向こうに魔理沙が見える。
「へっへっへ。霊夢、早苗、妖夢、そしてお前。私だけじゃなく仲間にも、工場で対決する可能性のある人間全員分の対策を施した。お前の時止めだって例外じゃないぜ」

 咲夜Cの世界。咲夜は目を閉じて元の世界と平行世界を統合する作業を行っていた。平行世界を創る前に魔理沙に壊された物は直らないが、咲夜が自分で壊した機械や照明は徐々に、徐々に元の姿を取り戻しつつあった。急いては世界間の矛盾を露呈し、平行世界で起こった破壊をそのまま元の世界に持ち込んでしまう。工場を安全に再稼働させるためには全てを慎重に行う必要があった。咲夜Eの世界でも同様の作業を行っているのだろう。
 問題の吸血鬼は足元に倒れていた。三十二ほどのセミロングの女性が妖怪に対する封印が施された鎖で後ろ手に縛られ、目を剥いている。咲夜が最初に時を止めた時にナイフの幕がハリネズミのように刺さり、そのまま失神したのだった。その側にはお多福の面が転がっている。

 咲夜Dの世界。夥しい数のナイフが氷とともに周囲一体の床に散らばり、蛍光灯の光を反射している。その中央には十四歳ほどの少年の姿の吸血鬼がいた。ナイフでボロボロになった外套は既に脱ぎ去り、細身の上半身を裸にし長い黒髪を振り乱して笑っている。光り輝くその肌には傷ひとつ無い。
「銀のナイフが刺さらないだなんて。天人と戦った時以来だわ」咲夜Dが言った。
「すっげえな、これ!」老紳士の孫の少年が言った。期待を胸に緑色に目を輝かせている。
「肉体強化のマントラだっけ? あのお寺ではこんな事を教えてるのか! 僕も入信しようかな。これを極めれば誰に何されたって平気だ。喧嘩にだって絶対勝てるぞ!」
「もう少し生産的な事に使ったらどう?」
「あんたに言われたくないね。折角時を止められるのに無駄に使ってるらしいじゃないか」
「魔理沙ね? 教えたの」
「もっとも、時を止められても攻撃が通んなきゃ意味ないよね。相手が時を止めてくるなら、こっちがどんな攻撃も効かないぐらい硬くなればいいんだ。金髪の女の子が教えてくれた」
「魔理沙ったら、とんでもない化け物を生み出したようね。しかしお嬢様には敵わない」
「じゃあ、始めよっか。あんたに出来るのはただの時間稼ぎだよ」
 少年は三人の分身を生み出し、鏃のような陣形を組んで咲夜に襲いかかる。振りかぶった爪の軌跡にそって星型弾が生み出される。
 時を止める。試しにナイフで爪を突いてみるが、鋼鉄のような音が響いた。咲夜は分身の前にナイフの幕を設置し、星型弾のジャングルジムをなんとか掻い潜って避けて少年の後ろをとった。少年の後ろにもナイフの幕。
 時間切れ。平行世界と分身を五つも創りだした負担のために、それほど長くは止められない。能力に割ける脳のリソースは有限である。時は動き出す。少年が羽を広げ、ナイフの幕を弾いて守る。
「無駄、無駄、無駄!」少年は振り返りながら爪でナイフを引き裂いた。ナイフが裂けたそばから星弾がばら撒かれる。咲夜は飛び退り、少し離れた所から様子を伺った。少年はそれを見てニヤニヤと笑いながら地面に落ちたナイフを拾い上げ、峰の方から噛み砕いてみせる。咀嚼し、唾液だらけの破片を吐き出す。血は混じっていない。あんぐりと開けた口から覗く歯は銀が付着して輝いて、舌にも傷ひとつ無い。
「銀も! 十字架も! にんにくだって平気だ! 今ならどんな封印だって引きちぎって破れそうだよ!」
 分身たちは少年を挟み、咲夜に向けて一斉に鉄球を投げつけた。

 咲夜Bの世界。地下工場は紅い霧で満たされて視界が悪い。壁に六芒星が現れ、レーザーを咲夜はとっさに身を伏せて避けた。壁が砕け、第二工程と第三工程を繋ぐベルトコンベアが千切れた。辺りに緑色の粉が飛び散る。これで五回目だ。吸血鬼の姿はどこにも見えない。
「こんなのアリ?」咲夜Bが言った。
『若ーいピッチピチのお嬢さんと違って、しおしおの老体には肉弾戦はキツいんだね。多少のズルは堪忍しておくんなまし』人を安心させるような老紳士の声があたりに響いた。外套に翁の面を着けていたが、今は工場全体に紅い霧となって広がっており実体を持たない。最初のナイフの幕もそうやって全てが老人の身体を素通りしたのだった。
『時を止めた所で、こっちが霧になってさえいれば攻撃することも捕まえる事も出来ないんだから意味が無いね。霧雨のお嬢ちゃんと一緒に考えたんだよ』
 咲夜の後方の床に六芒星が隊列を組んで現れ、咲夜に向けて滑りだした。光の柱の一斉突撃。天井が削れていく。咲夜は六芒星の一つに向けてナイフを打ち込み、壊れた隙間を縫って抜けた。
『ううむ、隙間なく敷くにはもうちょっと工夫がいるのう』
 再び魔法陣の列が床に加え、咲夜の左方の壁に縦に並んで現れた。光の柱が格子を作り、咲夜を賽の目切りにせんと掛かった。咲夜は左下隅の魔法陣が固まっている箇所にナイフを打ち込んで壊し、ギリギリの所をくぐり抜けた。
『次っ!』
 魔法陣が壁と床を離れ、一箇所に球状に固まって回転しだした。三六〇度の全方位にレーザーが打ち出され、球体はぐねぐねと回転軸を変えた。時を止めては軌跡が読めない。咲夜は自分の時を加速してゆっくりと踊るレーザーを避けた。
『はいさっ!』
 魔法陣が球体から解かれ、宙に散らばって出鱈目に高速回転しだした。使い魔のそれぞれから二本ずつレーザーが照射し、照明や床を抉っていく。咲夜は二つの使い魔を壊し、五本目までを更に加速して避けたが、後の六本目から複数のレーザーが交差して咲夜を挟み込んできた。時を止めても逃げられない位置だ。咲夜は諦めてダメージが最小限に出来る位置へと逃げた。レーザーが二本ほど足を掠った。さそりの一刺しのような激痛。
「ぐっ!」
『よし、読み合いは私の勝ちだよ!』
 咲夜はしゃがみ込みながら、無計画に避けては時を止めても追い詰められるポイントがあることに気づいた。咲夜は足を引きずり、死地となるポイントを巧妙に避けつつ魔法陣が同士討ちしない点を見つけ出して滑りこむように抜けていった。
『やっぱり二度目は引っ掛からないねえ、残念!』
 老紳士は使い魔を二つに分け、再び球体を創りだした。三六〇度のレーザーが交差し合い、避けるための隙間が更に狭くなる。工場の設備を確実に壊しつつ、少しずつ咲夜に疲労を蓄積していった。

 咲夜Aの世界。魔理沙と咲夜はすれ違っては攻撃を仕掛けて間合いを取り、またすれ違っては身を守って間合いを取る動きを繰り返していた。魔理沙が使い魔を生み出せばナイフがそれを貫き、咲夜がナイフを展開すれば冷凍ガスが凍らせる。今のところは互角の戦いだった。七回目のすれ違いを終えて、咲夜の後ろで轟音が響いた。咲夜が振り向くと、折れて落下したダクトが床に転がっている。魔理沙は咲夜の腹に人差し指を向けた。

邪恋「実りやすいマスタースパーク」

 魔理沙の指先からレーザーが伸び、咲夜の腹を捉えた。咲夜は時を止めて抜けようとするが、レーザーに拘束されて身体が動かない。
「ロック・オンだ!」レーザーの導線を伝って光の塊が咲夜に迫る。

時符「トンネルエフェクト」

 咲夜は自分がレーザーから外れた所に存在する確率を上げ、レーザーによるエネルギー障壁を越えて拘束を抜けた。あまり元の位置から離れた所の存在確率を上げるのは難しく、咲夜は拘束レーザーのあったすぐ側の位置に出現した。マスタースパークの光が咲夜の横半身を掠め、衝撃が皮膚を削り身を揺らす。しかし直撃は免れた。遥か後方で光の大塊が乾燥室の扉を吹っ飛ばし、山と積まれた木の板と乾燥中の蚊取り線香を粉砕した。
「避けたあ!?」
 咲夜はもつれた動きで何とかナイフを投げ、マスタースパークで晴れた冷凍ガスの隙間を縫って五本ほどが魔理沙の腹に刺さった。魔理沙はうめき声を上げたが、再び魔理沙を覆った冷凍ガスがすぐにナイフを凍らせた。
「あー痛えー、だがこんなのすぐ治るぜ」魔理沙は凍ったナイフを引き抜き、刀身から握りつぶして粉々にした。刺し傷から少し血が吹き出たが、五秒もしない内に傷口ごと凍った。魔理沙は羽をはためかせて次の攻撃へと移る。

 咲夜Bの世界。老紳士の生み出すレーザーの舞踏は更にテンポを上げていく。
『さあ、社交ダンスもそろそろ終盤。息があがってきたんじゃあないかね?』
 息。空気。それだ。咲夜は壁へと飛び下がった。肩の位置に張り付いているパネルのスイッチを入れ、空調を『換気』『最強』に設定した。工場の中に空気を送る換気扇と空気を外へと逃がす換気扇がそれぞれ唸りを上げて作動し、ダクトから空気が循環し始めた。辺りから線香の匂いと紅い霧が薄くなっていく。
『う、うおお! 吸い込まれる!』
「いつまでその形を保っていられるかしら? このまま穏便に工場から出て行ってもらうわ。排気口からね」
『なんちゅうことを考えてくれたね! このままでは禿げ上がってしまう。ワシはまだフサフサでいたいんじゃ!』
 床に現れた魔法陣がレーザーを振り回し、天井から垂れ下がるダクトを幾つか破壊。咲夜は更なる魔法陣にナイフを打ち込み、別のダクトを破壊される前に砕いた。
「無駄よ。換気扇は工場の外にある。工場の中からどうこうできるものじゃないわ」
 工場の断面積程の大きさの鉄球が部屋の両端に一つずつが現れ、咲夜に向けて転がり出した。工場の設備を轢き潰し、蚊取り線香の粉をまき散らす。
『そもそもワシらは工場を止めるのが目的なんだね! ワシが追い出されようとその前に全部ぶっ壊せば勝ちじゃよ!』
 鉄球が衝突する寸前に咲夜は回りこんで避けた。鉄球同士が衝突し、金属音を発して咲夜の頭をぐらぐらと鳴らす。ダクトの奥からバリバリという音が聞こえ、再び空気が紅く淀み始めた。換気システムが止まったのだ。
「何をしたの!?」
『ほっほっほ。当ててご覧よ!』
 吸血鬼の力を利用して換気扇を止めるには? 霧、分身、吸血。ダクトから血液が垂れる。蝙蝠……蝙蝠!
「霧の一部を蝙蝠化させて、換気扇を詰まらせたのね?」
『ご名答! そして今気づいたのは、音ならいくら時を止めても避けられんということだね!』
 再び大量の鉄球が出現し、そこら中で轟音を響かせ始めた。コンベアが潰れ、金属箱がひしゃげ、ミキサーの軸がへし折れる。原料の粉が宙を舞う。咲夜は酷い耳鳴りと頭痛に陥った。
『このまま精神をじっくりと削ってくれる! ……ん?』
 突如として送風口から風が吹き荒れ、紅い煙がダクトのあった穴に吸い込まれていく。何やら穴の奥からごぼごぼと水底からの泡が弾けるような音がしている。
『ちょっと、何が起こった?』
 工場の屋外、林の中。換気システムの吹き出し口には工場の警備に務めている鴉天狗たちと、先ほど咲夜と談笑していた三人の河童たちが控えていた。吹き出し口に載っていたルーフファンは取り外されて側に置かれ、残った部分は地面にぽっかりと穴をあけていた。その上には河童の持ってきた水の塊が被さり、底から紅い泡を放出してプリンのように震えている。
「ほら、段々水が紅くなっていきますよ。凄いですね」ポニーテールは興味津々だ。
「我ら鴉天狗の風の力で工場の空気を無理やり循環させ、」鴉天狗Aが言った。
「私たち河童の力で集めた水の中に霧を溶けこませる」ヘアピンの河童が言った。
「対抗新聞がみーんないなくなって退屈してるんだよね。換気扇から紅い煙が出た時点でみんなを呼んでおいてよかったよ」鴉天狗Bが言った。
「さあ、どうとっちめてくれましょうか」三つ編みの河童が笑った。
 工場の内部。薄くなりかけた霧はある形に収束しつつあった。揺らめく赤黒い影。
『このまま水に溶かされるなんてごめんだよ!』老紳士は霧を引き払い、無数の蝙蝠の形をとった。天井から吊り下がるもの、瓦礫の影に隠れるもの、低い所を這いずるように飛び回るもの、それ自体が一つの海のようにフロアに溢れている。千には上ろうかという群れが咲夜に向けて牙を向き、一斉に飛びかかった。
『悪いけど、喰い尽くされてくださいな!』

幻世「ザ・ワールド」

 次の瞬間にはナイフが部屋を満たし、蝙蝠たちのの一匹一匹を貫いていた。蝙蝠はぼたぼたと地面に落下して霧散し、排気ダクトの真下のすり鉢の残骸にもたれ掛かるように白髪の老人が伸びていた。
「形があるなら、相手が大群だろうと簡単に倒せるわ!」
『こちら咲夜B、無事終わりました』

 咲夜Dの世界。激闘の末に分身は消滅したが、本体はまだぴんぴんしている。繰り返す時間停止と魔法のために体力を失い、咲夜の息が荒くなり始めた。
「特訓した甲斐があったよ。そっちは時を止めて僕の攻撃を避けられる。ところが僕にそちらの攻撃は通らない。一見互角のようだけど、君は人間、僕は吸血鬼。どっちが体力が持つかはもう分かるよね?」
 時間。それが咲夜に閃きを与えた。
 少年が掛かってくるタイミングに合わせ、咲夜は天井にナイフを投げた。狙うは先ほど凍ったノズル。配管が破壊され、溜まっていた水が吹き出した。少年は上から降ってきた流れ水にまともに突っ込み、力が抜けた拍子に足を滑らせて顎を床にぶつけた。
「ぐえっ!」少年の肺から空気が抜けた。舌を噛んだが、強化した肉体では痛まない。
 咲夜は濡れるのも構わずに少年に跨り、少年の背中に手を当てた。咲夜の手のひらが銀色に光る。少年の身体から力が抜けていくが、流れ水に拘束されて身体が動かない。少年は身体に当たる水流が極限まで遅くなったのを感じた。重力を無視して水が表面張力だけで背に乗っている。吸う空気が粘度を増し、酸素を交換できなくて苦しい。これはまるで、時間が遅くなったような──
 少年は残った力を振り絞って咲夜に足払いを掛け、咲夜が飛び退った隙に抜けだした。次の攻撃に対応するのに十分な間合いをとる。少年はまるで数時間は水に打たれていたかのような感覚と、重い空気で無理に呼吸した末の酸欠に身悶えていた。少年は自分の両手を見た。爪が引っ込んでいる。上顎に手をやる。牙が引っ込んでいる。背中も。羽が消えている。少年は咲夜の方を睨んだ。
「なんだよこれ」
「貴方の時を加速した。貴方たちは限られた時間しか吸血鬼になれないはず。その時間を縮めて強制的に吸血鬼化を解除させてもらったわ。もう勝ち目はない、降参しなさい」
「ああ、だから水を抜けられるようになったのか」少年は笑った。
「あんた、何言ってるの? 分身はできなくなったけど、ナイフが効かないのは変わってないんだよ? 吸血鬼の力がなくても戦えるように鍛えてもらったのさ!」
 少年はマントラを唱え、身体が──光らない。咲夜は時間を止め、あっという間に少年を組み伏せた。腕の関節を取られて、少年が身を捩っても抜けることが出来ない。
「えっ、ちょっ」
「貴方の時間を加速したと言ったでしょう。ナイフが刺さらないほどの肉体強化は莫大な魔力を使うはず。加速した時の中では燃費は最悪。私に背中を抑えられてた数時間分は使い続けなくちゃいけなかったんだから。吸血鬼の体なら魔力も無尽蔵だったでしょうけど、人間の身ならとっくにエネルギー切れじゃない?」
「あっ、あっ、痛い、そこ痛い」
「時間を稼いだ甲斐があったわ」咲夜は少年の頸動脈を圧迫し、失神させた。
『咲夜A、聞こえる? 終わったわよ』咲夜は少年を縛り上げる準備を始めた。

 咲夜Aの世界。咲夜と魔理沙は再び間合いを取り合うフェーズに移っていた。咲夜が近づいては光球が冷凍ガスの出力を上げ、魔理沙が近づいては咲夜が時を止めて距離を取る。咲夜は他の世界からの念話を聞いた。
「たった今連絡が入ったわ。貴方の仲間は全員始末した。これで貴方一人よ。残る平行世界は一つだけ」
 平行世界が統合され、咲夜は別々の世界に分割していた自分の力が戻ってくるのを感じていた。
「そして平行世界の維持に使っていた力を全部貴方に集中する。単純計算で今までの五倍の力よ」
「そうか、そいつはいい」魔理沙が笑った。
「的が一つに絞れるってわけだ」
「まだ強気?」咲夜はこの期に及んで魔理沙がへらへらと笑ってることに不審を抱いていた。気味が悪い。まだ何か手札を隠し持っているのかもしれない。

幻葬「夜霧の幻影殺人鬼」

 何もない所から圧倒的密度のナイフが現れ、銀の津波が魔理沙へと押し寄せる。それは固体金属の集まりというよりは全体で一つの液体に見えた。
「おお、ちょっと凍らせきれねえかな?」

閉符「ビッグクランチ」

 魔理沙は鉄球嵐を召喚し、それが魔理沙を中心に渦巻き運動をしてナイフを弾いた。鉄球が赤熱して炎弾が放出され、木粉を含んだ蚊取り線香のシートに燃え移る。咲夜は鉄球と炎弾を掻い潜って魔理沙へと近づいた。
「一ついい事を教えてあげようか」魔理沙が言った。
「何よ」
「この吸血蚊の力はな、お前の主人がくれたんだ」
 咲夜の思考に一瞬の隙間ができた。魔理沙が距離を詰め咲夜の両腕を掴む、麻痺、動かない。咲夜は凍った床に叩きつけられ、魔理沙がそれを後ろ手に組み敷き首筋に牙を突き立てた。ついでに足も麻痺させる。時間を止めたところでこの姿勢では抵抗できない。首筋から、エネルギーとも魂の一部とも言える何かが滑りだす。魔理沙の口内から芳醇な鉄の匂いが漏れでる。その喉の鳴る音で、自分の液体が彼女の食道を通り胃袋を満たしていくのが分かる。咲夜の身体が勝手に二回痙攣した。
 三分ぐらいはたったと思われるところで、魔理沙は口を離した。
「気絶させるまでやるつもりはないぜ。お前の能力を使ってこっから上手くとんずらしないとな」
 魔理沙が咲夜の背中に手を添え、咲夜は上半身を起こされた。咲夜の口からマスクが落下し、腿にあたって弾んで地面に落ちた。やがて咲夜の衣服の背中を突き破り、蝙蝠の羽が広がった。牙が生えるのも分かる。魔理沙は高笑いした。
「その話、本当なの?」咲夜が言った。
「ああ、『吸血蚊本人から』聞いたから間違いない。お前の御主人様はお前にだけは隠しておきたかったんだろうな。だがそれが裏目に出た。メンツなんぞに拘るから、大事な部下を陥れた」
「……」
 ボウフラが全身のありとあらゆる血管を這いずりまわっている。吸血蚊という種の、巨大な生命システムの一部に組み込まれる感覚。ボウフラが蠢く沼に引きずり込まれ、不潔な泥が靴、靴下、スカート、下着の中に入り込んでくる。袖、襟、胸元から粘性のある液体が注ぎ込まれる。水面が首筋に達し、唇から瞼まで泥が覆う。鼻の穴までぬるぬるとした何かが塞ぐ。これほど気持ち悪いことはないはずなのに、何故だか沼の底はぬるくて心地よく感じる。
 誇り、挟持、そんなものに意味は無い。彼女の両親や友人達が特別悪い人たちだったわけではない。ただ文字通り、住む世界が違った。価値観の衝突から争いは起こる。なら最初から避けるに限る。どうせ分かり合えないのなら、そんな相手に執着しても仕方がないではないか。無関心は心を守る……
「『失われた誇りを集める』だって? 笑わせるぜ。レミリアに会ってこの状況についてじっくり聞いてみたいなあ。どの道、お前の主人はこれから代わるんだけどな」
 お嬢様を捨てる。そうしたら、お嬢様から頂いたこの名前はどうなる? 咲夜は沼の底を突き破り、さらなる闇、無意識の底に落ちていった。咲夜の口から大きな泡が吐き出される。
 五千メートルは下っただろうか。遥か下の方に銀色の光が見える。丁寧にやすりを掛けた後の珠のように滑らかな映写幕だ。壁のはっきりしない映画館の中の、最前列の席に咲夜は座った。忘れたはずの思い出がカタカタと音を立てながら映しだされる。昼寝している同僚に毛布を掛けてやる。後でお礼に中華料理を教わった。図書館に紅茶を運ぶ。図書館の主は宙を見ながら紅茶の入れ方の講釈を垂れた。地下室に食事を運びに行く。妹様はお気に入りのパズル読本で遊んでおり、機嫌がよさそうだ。主人の着替えを用意しにいく。レミリア、レミリア、レミリア。
 咲夜は図書館にいた。自分と本棚の高さを比べて、自分の背丈が数年前のそれだと気がついた。読書室から声が漏れ出てくる。
『ねえレミィ、どうしてあの子の名前を望月にしなかったの?』
『どうしたのいきなり』
『満月たる貴方を表すのなら、十六夜より望月の方がいいと思ったのだけれど』
『ああ、それも悪く無いわね。望月咲夜。語呂は良い』
『でしょう? 今からでも変えたっていいんじゃない?』
『十五夜咲夜でも良かったかもしれない。でもね、どうしても十六夜にしたかったのよ』
『どうして?』
『あの子自身が満月になったら、私の元を離れてどこかに行ってしまいそうな気がしたの。あの子が独立して満月になれたら私、いらないじゃない』
『なにそれ。独占欲?』
『その点、十六夜というものは常に満月の後ろをついてくる。十六夜がどこかに迷い出てしまったとしても、昨夜に戻ればいつだって満月の所に帰ってくる。いっときは離れたとしても、自分を捨てなければずっと一緒。そんな願いを込めたのよ』
『……驚いたわ。まるでレミィがお母さんみたい』
『ふふ。咲夜と遊んでると、自分でもどっちがお母さんやってるんだか分からなくなるわ。でも子供の巣立ちを望まないママってあんまりいないんじゃない? 私は咲夜には立派になって欲しいけど、離れたくはない』
『え、それってつまり』
『まあ、そういう関係なんでしょうね。親子関係というよりはね』
『ヒュー!』
『ふっふっふ』
 映像が終わり、咲夜はまた映画館に座っていた。
『咲夜』ふと横を見ると、見慣れた顔の主人がそこに座っていた。どうせ幻だ。言いたいことはある。しかし彼女は。咲夜は目を閉じ、レミリアにキスをした。
『お帰り』
「行って参ります」
 レミリアは笑い、咲夜は笑い返した。咲夜は操り人形のように襟首を何かに引き上げられ、映画館の天井を抜けた時には魔理沙の前に戻っていた。
 魔理沙は腕を組み、ギラついた緑の眼で咲夜を見下ろしていた。足元の氷を踏みにじって遊んでいる。
「気がついたか?」
「ええ」
「またいつかみたいに竹の花のデザート作ってくれよ。きっとみんな喜ぶぜ?」
「みんなというのは、貴方の今の仲間のことかしら」
「ああ。キャンプの献立もそろそろ一巡したところだ。みんな新しい味を求めてる」
「作ってあげてもいいわ」
「お? 分かってくれたか?」
「でもその時はお嬢様も一緒よ」咲夜は顔を上げた。両目は澄んだ緑色をしていた。
「おい、何だその眼は」魔理沙が驚く間もなくナイフが周りに展開される。魔理沙は反射的にナイフの幕を凍らせた。
「これが誇りというものなのかは分からないわ。でも、私は何故だかこの名前に執着してるし、捨てたくないと思ってる。だから主人を変えるという選択肢は、ない」
「なんでだ、何故操れない?」
「愛の力とでも言っておこうかしら。貴方も私も吸血鬼、これで勝負はイーブン・イーブン。さあ、コンティニューよ!」
 魔理沙は再び冷凍ガスを展開し、咲夜は魔理沙の足元に蹴りを入れた。咲夜の凍った靴が足に張り付いて痛むが、魔理沙は腿を抑えて横に逃げざるを得なかった。
「身体が丈夫だからってダメージ無視で突っ込んできやがる。こりゃまずい。敵に塩を送っちまった」
「やっぱり力押しは厳しいかしら」咲夜は氷漬けになった足を抑えた。
「五分稼ぐか?」魔理沙は一回しか咲夜を刺していない。五分経てば元に戻る。しかし今の咲夜を相手にしては五分は持たないだろう。それよりは……
「ああ、くそ。全部ぶっ壊してやる」
 魔理沙は第一工程の扉まで下がり、箒の柄をしっかりと握って八卦炉を背負う。魔理沙の身体が光に包まれ、工場一杯に広がった。

彗星「ブレイジングスター wiz コールドインフェルノ」

 咲夜の目をくらませる程の光球が渦巻く冷凍ガスを噴き出しながら、工場の端から端まで貫かんと突進する。咲夜は一瞬だけ時を止め、ナイフで工場の断面を埋め尽くした。

「デフレーションワールド」

 咲夜は過去、未来、現在のナイフを全て召喚し、光の塊へと押し出した。
 光の塊が弾く、ナイフを弾く。冷凍ガスが凍らせる。刹那の間に存在する一、十、百、千、万、億のナイフが連なって押し寄せる。ナイフを伝って氷が伝わるが、ナイフの更なる奔流がそれを押し流さんと欲す。氷が咲夜の眼前にまで迫り、そこで止まった。完全な均衡。咲夜は吸血鬼に許された無限の魔力を限界まで引き出す。投げる、ナイフを投げる、両手で五本ずつ絶え間なく投げる。そこから更に刹那の時間軸に乗ってナイフを一〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇本召喚。十の十八乗に達するナイフが光に殺到する。身体が痛い。咲夜の肌にひびが走り、そこから血が滲み出した。あと十秒も持たない。均衡が破れる。氷が退き始めた。釘一本分ほどの僅かな間隔ながら、徐々に、確実に押し返していく。氷が魔理沙と咲夜のちょうど中間に達した所で、氷塊にヒビが入った。ナイフが氷の幕を突き破り、魔理沙の光の幕が貫かれた。魔理沙の顎、首、胴、身体のあらゆる所にナイフが刺さる。魔理沙は第一工程側のドアに叩きつけられ、ナイフの山の中に埋まった。
 咲夜がナイフの山をかき分けると、魔理沙の上半身が現れた。眠そうな顔。傷だらけで、服とナイフの境界さえわからない。
「吐いてもらおうかしら、貴方達が何を企んでいるのか、お嬢様に何をしたのか」
「あの蚊には食べて増える以上の目的は最初からねえよ。ただ私達に色々やらせたほうが生き延びる確率が上がるってだけだ」
「場所は? テロの実行にも拠点がなければ色々準備できないでしょ? 念写にも映らない、貴方の家はもぬけの殻だし」
 魔理沙は沈黙した。咲夜がにじり寄ると、魔理沙は押しとどめるように手のひらを前に突き出した。彼女の周りを旋回するコールドインフェルノからは未だ冷凍ガスが吹き出している。
「コンティニューじゃな、グッドエンドは見れないんだ。お前は一回コンティニューしてる。だから結果は引き分けでいいよな?」
「何を」
「爆ぜろ」
『霊撃』
 魔理沙の氷球が炸裂し、閃光が咲夜の瞳を貫いた。遅れて爆音が咲夜の頭蓋を激しく揺らし、平衡感覚を麻痺させる。辺り一帯を猛吹雪が襲う。魔理沙は爆風を利用して第一工程の扉を破り、自ら後ろへと吹き飛ばされた。吹き矢を掴むような勢いで事務室の扉を過ぎ、工場の入口の通路を過ぎ、階段を逆向きに転がり、火災警報で解錠された入り口の扉をふっ飛ばして垂直に打ち上げられる。やがて頂点に達し、落下、そのまま山の湖に身を投げた。光無く黒い水面からは水柱が上がった。紅い霧は消えていた。
 咲夜は開いた意識を取り戻し、時間停止。氷の痕を追って外に出て、林の上から辺りを月光を頼りに見回した。山の湖が不自然に大きく波立っているのに気づいた。岸に降り立って、止まった水面をコツコツと叩いた。停止した世界においては、この湖は天然の水の要塞だった。底までは見えない。潜っても恐らく追いつけないだろう。魔理沙はここまで読んでいたか。咲夜は岸に戻って時間を動かし、最後の魔力を使って魔法信号弾を打ち上げた。空いっぱいに紅い光が広がるのを確認すると、そのまま後ろに倒れこんだ。凍傷、失血、疲労の蓄積。最後に見えたのは星空と、咲夜の顔を覗き込む河童たちだった。


 山の湖の畔。辺りには天狗たちの喧騒が響いている。夏草の上に敷かれた青色のレジャーシートの上で、はたてと椛は座っていた。はたては正座を横に崩し、椛はあぐらをかいている。椛の手には地図と鉛筆が握られ、台座代わりにスケッチブックが足の上に置かれていた。
 はたては椛に携帯の画面を見せた。蚊が腹をこちらに向けてびっしりと写っている。
「これが私の念写した魔理沙の写真よ。でもこの通りほとんど見えないのよねー」
「なるほど、これでは分からないのも無理はない。そこで私の出番というわけか」
「わずかに岩と水面が見えるから、何処かの洞窟にいるかもしれないけれどねー。貴方はとても良い眼を持っているから、念視の方をお願いするわ」
「分かった。今回はアタリがついているから使えるが、私の千里眼は遠距離では長く使える能力ではない。手早くやる」
 椛は地面に胡座をかいて座り込み、深呼吸をしてリラックスした。潜在能力を引き出す変性意識、トランス状態への導入である。集中力が限定され、目の前に浮かんでくるビジョンに全ての意識が集約されていく。椛は目から気を出し、湖全体に視野を広げた。ゴーグルをつけて潜水する時のように、見える光景が水面からゆっくりと沈んでいく。
「魚。藻。岩。何の変哲もない。湖中に人影はない」
「お館のメイドさんが通報した後、椛が来るまで妖怪の山のみんなで湖を監視していたのよ。水面から出てこれるはずはないわ」
「なら抜け穴を探す」
  椛は湖の縁にさらに注意を集中させた。息をもっと深く、深く。
「……あの穴は?」
「見えたー?」
「湖の縁。神社に近いところの岩場に、横に開けられた穴が見える。いま辿っているところ」
 椛はイメージで湖に開けられた穴をくぐった。数十メートルして水面を出る。暗がりの中を勘を頼りに進んでいく。視野を広げる。麓へと着いた。枝分かれ。椛は俯瞰視点になった。麓の木々や家々が衛星写真のように小さくなる。麓から人里まで至る地中深くを断面としてぶった切ると、幻想郷を横断する地下道の網が浮かび上がった。全体がピンぼけしていてどこがどこに繋がっているか、細かいところまで把握するにはもう少し集中する必要がある。
「これだけの距離の穴を掘ったとは容易には信じられない。さながら岩窟王」
 幻想郷中を覆う巨大なイメージを念視したために、椛の頭は締め付けられるような痛みを訴えだした。椛の視線は妖怪の山から命蓮寺の方向に向かっていく。常人なら窒息しているに違いない距離を辿った末に、大きな空間に行き当たった。蚊のイメージが浮かんでくる。ボウフラが椛の身体にまとわりついて念視を妨害しようとする。所詮は幻覚だ。椛はそれら魔力を含んだ蚊のイメージを払いのけた。
「旧大祀廟の洞窟! あそこは今塞がっているはず。当たり?」
「大丈夫ー? 脂汗が凄いよ」
「少し辛い。でも休むのは地図を描いてから」再び椛の体中をボウフラがへばりついているかのような幻覚が襲った。無視。
「無理はしないでねー」
「大量の卵。ボウフラ。蚊。気味が悪い。人の姿も見える。魔理沙か?」椛は震えだした。
「ビンゴ? ビンゴ? 蚊の繁殖池かしら?」
「そう興奮しないで少し待って。集中力が切れる」
「ごめんごめん」
「……温泉?」
「はあ?」
 椛は鉛筆で地図の上に洞窟に続くルートを書き加えていった。そして洞窟の出来るだけ詳細なスケッチも描いた。トランス状態で行われるそれは機械的で、さながら自動書記のようだった。やがて椛は前に鉛筆を投げ出し、両手を挙げて後ろに背中を倒した。目は虚ろで、完全に集中力を切らした様子だった。
「出来た。地上から洞窟に続く抜け穴もだいたい書けた」
「蚊のアジト発見! とうとう追い詰めたわね!」はたては椛に抱きついた。
「もう少し地下道を詳しく書きたいが集中力が限界。余りにも複雑。今日は恐らくもう無理」
「いや、十分よ。後はみんなが調べてくれるわ」
「早速上に報告する。今回は我々天狗の手柄で嬉しい」
「その前にちょっと休んだら? ふらふらじゃない。美味しいアイスクリーム屋さん知ってるよ」はたては膝立ちになり、椛を助け起こした。
「……お言葉に甘える。ただし報告が終わってから。帰ったら良い酒を開けたい。一緒に飲む?」
「わお。それは楽しみにしなきゃ」
 二人はレジャーシートを背嚢に仕舞い、はたては椛に肩を貸しつつ天狗の集会所へと向かった。

 魔理沙は魔法光カンテラを手に地下道を走っていた。飛べるほどに魔力が回復するにはもう少しかかる。人間に戻った身体には疲労が溜まっているはずだが、興奮作用のあるホルモンが魔理沙の精神に被さってそれを無視していた。
「よし、自分まで気絶しちまうかもしれないからあんまり使いたくはなかったんだけど、上手く行った」
 土の匂いがこもる半月形の穴は、各アジトに物資を運ぶのに十分な広さが保たれている。魔理沙は外の世界の書物に書かれていた『ソ連時代の地下トンネル』をヒントに、このネットワークを仲間たちと協力して作り上げた。もしまともに掘ろうとすれば、数ヶ月どころか年単位の時間は優に掛かるだろう。掘った分の土はどこかに出さなければならないし、悪くすると途中で岩盤に突き当たる可能性もある。しかし吸血鬼の腕力、無限の魔力と、温泉脈を召喚するのにも使われた魔理沙の地形変化魔法が奇跡の土木工事を可能にした。
 もちろん、安全保障上の観点からこのトンネルは全てのアジトに繋がっているわけではない。もし全てのアジト同士が繋がっているなら、万一発見された時に一網打尽にされてしまう。工事の方法自体を考えだしたのは魔理沙だったものの、地中には他にも彼女の知らないアジトや地下道が山ほどあった。亡者たちは地中を這いずり回り、今やシロアリのように幻想郷を食いつぶしつつあった。
 魔理沙は頬に痒みを覚えて指で触れた。切り傷がくっついてかさぶたとなっている。少しずつだが咲夜に負わされた傷は治ってきている。ちょくちょく吸血鬼になっておけば、明日の夜には全快だろう。アジトに戻った後でやるべきことの算段を始めた。

 永遠亭、妖怪の山出張所。麓の少し開けた所に位置するこの建物は、プレハブの平屋建てではあるがひと通りの治療と入院措置がとれるだけの設備が準備されている。診察室の隣の外来処置室には、薬棚や点滴や注射を行う器具に加え、様々なバイオリズムを表示するモニタが置かれている。永琳は壁に面した机の前に座り、咲夜は処置室の中心にある緑色をした寝台に寝かせられていた。寝台から垂れ下がる凍傷を負った左足は四十度から四十二度ほどの温水に漬けられ、打撲を負った右肩から手にかけては氷嚢で冷やされていた。
 永琳が足音を耳にして扉の方へ目をやると、引き戸からは妖怪兎に連れられてレミリアが入ってきた。息を切らし、中心で眠る咲夜を憑かれたような面持ちで見据えている。
「容態は?」
 永琳はレミリアの目の中にお決まりの疑問を見てとった。『もし目を覚まさなかったらどうしよう?』
「まだ意識は戻ってないけど、命に別条はない。ひと通りの検査は終えたわ」
「どこが悪いの?」
「全身の各所に凍傷、右半身に打撲。加えてだいぶ血を抜かれてるわね。輸血の必要はないみたいだけど」
「それだけ? どこか折れてたりしない?」
「紫色にはなっていないし、骨は折れていないみたい。悪くてレントゲンで見えない程度のヒビね。それは意識が戻ってから聞き出しましょう」
「咲夜はどうやってここまで?」
「工場を警備してる時に魔理沙に襲われ、同じく警備してた鴉天狗に背負われてここまでひとっ飛び。貴方は一人だけ?」
「待合室に友人と門番を待たせてあるわ。ノロいから私がおぶってきたの」
「力持ちねえ」
「ねえ、本当に大丈夫なんでしょうね?」
「発見が早かったからね。鴉天狗にお礼を言っておきなさい。後は私が責任をもって治してみせる」
 永琳は咲夜の右の首筋に残る、一対の咬み傷の痕を観察していた。今は血は止まり、既に消毒してかさぶたとなっている。咲夜が吸血鬼にされたのは間違いない。吸血鬼化していた五分間に治りかかっていたおかげか凍傷も打撲も処置は楽だった。では、なぜ魔理沙は咲夜を支配することが出来なかったのか?

 出張所の病室。咲夜には個室が割り当てられていた。樹脂製のベージュ色の床は清潔に保たれ、咲夜が動く方の手で取れるように左手の小机には暇をつぶすための本が置かれている。ベッドの足の方の小スペースにはウェットティッシュ、歯ブラシなどの細々とした品が詰め込まれていた。部屋の隅には水道もある。
 レミリアは水道のコップで水を飲み、寝台の左手のパイプ椅子に座り直した。足を組み、爪を噛む。レミリアは異変が起こった時でも、余りにも敵が強大な場合は自分が出て行くことにしている。しかしレミリアは敵の実力の見極めを誤った。その結果は今そこに転がっている。自分の責任だ。
 暇つぶしに図書館から借りたペーパーバックを読んでいるが、遅々として進まない。それでもやっとこさ十ページほど読んだ所で、咲夜の目がうっすらと開くのが見えた。
「気がついた?」
「お嬢、様」咲夜は身体をゆっくりと起こした。
「馬鹿よね、私ったら。咲夜の考えを尊重するって決めたのに。いざ咲夜が入院したら、咲夜が死んじゃう前に血を吸うのに間に合うかどうかばかり考えちゃってさ」
 レミリアは咲夜の左手を両手で取り、右の頬に擦りつけた。
「ごめんね、咲夜……あの吸血蚊って私の血から生まれたの。いつの間にか吸われてたみたい。私が蚊に気づかなかったから、咲夜がこんな事になっちゃった」
 咲夜は黙っていた。
「もし私がもっとしっかりしていれば、こんな事にはならなかったのかな」
 咲夜は首を振り、手のひらでレミリアの頬を撫でてやった。レミリアは潤んだ目を閉じた。
「お嬢様のせいではありません。誰にでも予測できない事はあるものです」
 咲夜は魔理沙に血を吸われた時に見た風景について語った。ボウフラの蠢く沼について。思い出の映画館。名前の意味。夢の中に現れたレミリアが現実へと引き戻してくれたこと。
「確かにお嬢様は間接的に私を追い詰めたかもしれません。しかし土壇場で救ってくださったのもお嬢様です」
「不思議な事もあるものね。戻ってくるように願いは込めたけど」
「それより安心しましたよ。魔理沙ったら、お嬢様が意識して蚊に力を与えたかのような口ぶりでしたもの。脅されでもしていたらどうしようかと」
「馬鹿ねえ。私が脅しに乗るタマに見えるかしら」
「今はそう見えますね。目が可愛らしく真っ赤に充血してますもの」
「あっ、この!」
 咲夜は笑い、レミリアも笑った。
「お嬢様、魔理沙と戦って分かりました。奪われたのはお嬢様の誇りだけではありません」
「ええ、あの蚊は余りにも多くの者から尊厳を奪った。そして今尚多くの人間が奴らに囚われている。面白い事態じゃないわね」
「魔理沙の誇りを取り返してやって下さい。恐らくそれは霊夢でも私でもなく、お嬢様にしか出来ないことです」
「分かった。約束しましょう。私、頑張るから」
「この部屋から応援していますわ」
 咲夜は一瞬身を震わせ、右肩を抑えた。
「あ、大丈夫?」
「大丈夫です。ただ、ちょっと魔法で打たれた痕が」
「そろそろ疲れたんじゃないかしら? 無理をさせちゃったわね」
「いえいえ」
「私はそろそろ帰ろうかしら。スペースはないと思うし、日が出る前に館に戻らないと」
「私がいなくても、館は回りますか?」
「小悪魔と妖精メイドに頑張らせるわよ。じゃ、またね」
 レミリアは扉に向かったが、右腕に張力を感じて振り向いた。見ると、咲夜がレミリアの袖を引っ張っていた。
「あ……」咲夜は自分で自分の行動に驚いた様子だった。顔が赤らんでいる。咲夜が負傷を超えて無意識のうちに自分を求めていたと知り、レミリアは内心嬉しがった。
「ところで咲夜、幻で満足できる?」レミリアは笑った。咲夜は首を横に振った。

「痛くない?」
 レミリアは寝台の上に昇り、咲夜の脚に跨って膝立ちになった。
「ええ、鎮痛剤が効いてますから」
「無理をしちゃ駄目よ」
 レミリアは咲夜の右肩に手を載せ、首筋を撫でた。
「私以外の吸血鬼に噛まれるなんて、咲夜は悪い子ね」
 咲夜はレミリアの唇に口づけした。
「血は奪われましたが、唇も心も奪われていませんわ」
「じゃあ、血の方も上書きしてやらないとね」
 レミリアは首筋に残る咲夜の傷跡を舐め、塩気を楽しんだ。咲夜がくすぐったそうに声を漏らす。レミリアは唾液で十分柔らかくした部分にむしゃぶりつき、歯を立てた。牙がぷつりと肌を裂き、頸動脈の中へと入っていく。血液というものは人間が飲むと吐き気を催すが、レミリアには歯を伝う鉄の味がなんとも蠱惑的なものに感じられた。吸血鬼にとっては好意を寄せている人物の血液は熟しきった葡萄の甘みに相当する。
 一口分に満たない程度の量を味わい、飲み干した所でレミリアは首筋から離した。咲夜は物欲しそうな顔をした。頬が赤らみ、荒くなった呼吸に肩を上下させている。
「も、もっと」
「駄目よ。これ以上は咲夜の負担が大きすぎるわ。だから今日の分はこれでお終い」
 代償を求めるかのように、咲夜はレミリアを抱き寄せた。ふわりとした匂いと感触がレミリアを包み込む。
「これでも駄目ですか?」
「駄目よ。ただでさえ咲夜は血を失ってるんだから。それにね」
 レミリアは咲夜の首に手を回した。
「中途半端に空腹を満たせば、かえって飢餓感が増す。そうして自分を飢えさせておけば、連中に利子を払わせる時にも身が入るってものよ」レミリアの目は復讐心に笑っていた。従者との生活を犠牲にして新たな楽しみを見つけたのだ。
「それじゃあ、血が吸えなくなった所で別のことをしましょうか」
 レミリアは咲夜の病院着の付け紐を優しく握った。
 引き戸の開く音がした。
「まあ」
 二人が扉に目をやると、永琳が口元に手を当てて立っていた。 
「あら、お熱い事で……そういう関係だったのね」 永琳は他人の弱みを握ったもの特有のスマイルを浮かべた。
「だったら分かるでしょう。邪魔よ」レミリアは顔を紅くし、顎で『あっちいけ』の合図をした。咲夜はどうということもなさそうな顔で永琳を見ていた。
「うふふ。これを直してからね」永琳は咲夜のベッドの側に行き、モニター・ルームへと異常を伝えていた血圧計のツマミを回した。途中で咲夜の傷口をちらりと見たが、そのまま戸口の方に移動した。
「無理しちゃだめよー」永琳がにこやかに笑いかけ、引き戸を閉めて出て行った。レミリアと咲夜は足音が聞こえなくなるまで待った。
「ふう、行ったわね」
「あの、それでは続きを……」
「うん」レミリアは咲夜の頬を撫で、病院着の襟に手を掛けた。
 扉がはね飛ぶ音がした。二人は振り向いた。
「それだーっ!」永琳は特殊部隊もかくやという勢いで病室に雪崩れ込み、咲夜を指さして叫んだ。
「え?」咲夜は困惑し、レミリアは永琳に殺意を覚えた。ショックで小机の上から本が落ちた。
 永琳は咲夜の横につかつかと歩み寄り、薄緑色の病院着の襟元を掴んではだけさせた。魔理沙に付けられたものとは別の、一対の首筋の傷をまじまじと見た。夜灯に血が輝き、滲んでいる。
「そうよ、何で気がつかなかったの! いやでも必要もないのに患者の夜の生活なんて普通は尋ねないわよねそうよね私は悪くない」永琳の目が宙を泳いでいる。不審だ。あの顔で人里を歩いていたら連行されるだろう。
「な、なんなの一体」レミリアは顔を更に真っ赤にした。
 永琳は向き直った。
「ワクチンが見つかったわ」

 永琳は咲夜の病室に二人の捕虜を連れてきていた。老紳士とその孫だ。二人とも妖怪兎が新たに持ってきたパイプ椅子に座り、レミリアと向かい合っていた。
「貴方が湖のお館のメイドさんかね。別嬪さんじゃのう」老紳士は咲夜と初めて目を合わせるかのように笑いかけた。
「そしてこちらは可愛らしいお嬢さん」老人は愛想を振りまいた。レミリアは鼻を鳴らした。
「僕らになんの用なのさ」少年は訝しげに言った。手の甲を顎に当てている。
「貴方たちは、自分たちに何が起こったのか覚えているかしら?」
「いや、気がついたらベッドで寝ていたね」孫が言った。
「最後に覚えているのは、数週間前にワシが住んでいる区域の寄り合いに出かけたところじゃな。その後はさっぱり覚えとらん」
「でしょう? これからすることはきっと貴方たちに役に立つわ」
「どうしろと?」老人が言った。
「これから貴方たちは、目の前に座っているこのおチビさんに血を吸われてもらいます」
「はあ?」孫が言った。
「何のためかね?」老紳士が言った。
「誰がおちびさんよ」レミリアが言った。
「まだ教えられないわ。でも私の仮説が正しければ、そうすることで全ての疑問が氷解するはずです」
「ふうむ……やってもいいが、その、吸血鬼にはならんのかね」
「こちらの方は非常に少食ですから、その点は問題にはならないはずよ」永琳が言った。
「そういう問題かなあ」孫が言った。
「まあ、やってみようじゃないかね。わけも分からん内に閉じ込められるのはごめんだからのう」
「爺さんったらもう。僕は後にするよ」
「じゃあ、まずワシからいこう」 老紳士はしわだらけの首筋をレミリアに差し出した。
「あー、咲夜、いいかな?」レミリアは困ったように咲夜を見た。
「こんなことで浮気だとは思いませんわ。でも手早くお願いしますね」咲夜は余裕を見せた。
 レミリアは老人の弛んだ皮を薄く引き伸ばし、牙を突き立てた。レミリアは口内に雪崩れ込む老人の血の味に顔をしかめた。古い血は鉄分が少なく、香りが薄い。固まりやすいので喉越しもイマイチだ。三口ほどを手早く吸い出し、口を離して手で唇を拭った。老人は息を切らし、首筋の傷を痒そうに抑えている。
 次に少年が唇をへの字にして首を引き伸ばし、血色の良い首筋を見せた。レミリアは吸い付き、たちまちの内に機嫌を良くした。咲夜ほどの味わい深さはないが、シンプルなだけに素材の良さが光った。やはり若い血は良い。毎日飲む気はしないが、たまに味わう程度なら趣向の変化として楽しめるだろう。五口ほど飲み干した所でレミリアは陶酔しながらゆっくりと口を離した。満腹だ。頭を抑える少年の首筋を名残惜しそうに見つめていたが、咲夜がじっと見ていることに気が付いて慌てて頭を振った。
「終わったのかね?」老人が言った。孫とともに前方を胡乱な眼で見つめている。
「ええ、もう少しすれば効果が現れるはずよ」
「あー? あー」老人はしばらく思案顔をしていたが、やがて顔色が青く染まった。口からガチガチと音を発しながらながら孫の方を見つめいている。孫はぎょっとして身をのけぞらせた。
「大丈夫ですか?」咲夜が聞いた。
「大丈夫、身体は大丈夫。しかし、しかし、ああ恐ろしい、なんてことを」
 老紳士を不審げに見つめていた少年も何かを了解したように目を見開くと、老紳士の手を握って震えだした。
「ワシがこの口で吸ったんじゃ。他ならぬ娘の血を」
「そうだ、確かお風呂からあがった時に脱衣所に父さんが入ってきて、そのまま」
「思い出しましたね?」永琳が言った。
「う、うむ」
「落ち着くまで心の中を良く整理しておいてくださいね。大丈夫、吐き出してしまえばスッキリしますよ」永琳は二人の捕虜を部屋の隅に動かしてやった。老紳士と孫は何やら話し合っている。
「ちょっと、何が起こっているのよ。さっぱり読めないわ」レミリアが口を挟んだ。
「すっかり置いてけぼりなんだけど」咲夜が言った。
「支配率ね」永琳が言った。
「どういうこと?」レミリアが言った。
「議決権と言い換えてもいいかもしれない。議会の仕組みについてはご存じ?」
「当然。私はイングランドやスコットランドの議会同士がくっついて英国議会になっていく様子をこの目で見ていたわ」
「それは馬鹿にし過ぎです。今どきは十歳の子供だって学校で習いますよ」
「よしよし、それでは、ここで人間を議会に例えてみましょう」
 永琳は机の前の壁に掛かっていたホワイトボードを外し、レミリアと咲夜の見える位置に持ってきた。
「まず吸血蚊は貴方の血から作られた。ここで貴方と吸血蚊の間には親子関係に似た序列がある。ここまではいいわね?」
「ええ」
「さらに吸血蚊は魔理沙の血を抜いた。ここで魔理沙と吸血蚊の間にも序列がある。ここまでが前提」
「そうね」
「ここから仮説に入るわ。『吸血鬼が人間を支配する度合いは吸った血の量に比例する』」
 永琳はホワイトボードの真ん中に棒人間を書いた。頭部がホワイトボードの縦半分の直径の大きな丸で書かれていて、胴体に対してアンバランスだ。右手にデフォルメされた蝙蝠の絵を、左手に蚊のように見える羽の生えた虫の絵を描いた。さらにその下に魔女の黒いとんがり帽子と星を書き加える。
「いい? この棒人間は咲夜としておきましょう。十六夜国議会は二大政党制です」永琳は蚊の絵から棒人間の頭にいくつか矢印を伸ばし、中に蚊の絵をいくつか描いた。
「左の政党の党首は吸血蚊です。モスキー党とでも呼びましょうか? 吸血蚊やその手下の魔理沙は咲夜の血を吸い、十六夜国議会にモスキー党の議員を送り込みます。一ccごとに一人、それぞれ一票分の議決権を持っています。国会の定員の過半数を握ればどんな条約だって締結できるし、どんな無茶苦茶な法案だって通せます」
「魔理沙は私の議決権を握ろうとしたというわけね」咲夜が言った。
 永琳は棒人間の頭の中に蝙蝠のマークを沢山書いた。
「ところが、レミリア総裁の政党、スカーレッ党とでもしておきましょう。十六夜国議会にはスカーレッ党の議員が既に千人以上詰め掛けていて、モスキー党はいくら議員を送った所でとてもじゃないけど逆転できません。しかもスカーレッ党議員は一人四票もの議決権、合計四千票を握っているのです。」
「私が咲夜から毎月血を吸ってるから?」
「そう。吸血蚊や魔理沙より上の序列にいる貴方が毎月血を吸えば、一回一回に吸う量は小さくともその総量は圧倒的。魔理沙や吸血蚊が吸う血の量が貴方が吸った血の総量を上回らなければ、咲夜を支配することは出来ない。吸血蚊が支配できる余地はないのです」
「愛のなせる技ね……凄いわ」レミリアがうっとりとし、咲夜は頭を掻いた。
「ここでさっきのお爺さんの議会を考えてみましょう」永琳は棒人間の頭の中の絵を消し、蚊の絵をいくつかさらに描いた。
「老人国議会ではモスキー党が議会の過半数を握っています。大体百人ほど、百票分の議決権を持っていると考えて下さい。老人国議会は規模が小さいので、モスキー党が送れる百票程度でも老人国を支配できてしまいます」
「ところが次の選挙でスカーレッ党は大躍進。一人四票の二十五人ほど議員を送っただけであっという間にモスキー党を逆転してしまいました。政権奪取です」
「私がお爺さんの血を吸ったからか」
「そう。蚊や五分間吸血鬼達が里人から抜いた以上の血を貴方が吸えば、蚊の支配率を逆転出来ると推測したの。魔理沙は貴方より多く吸うでしょうけど、貴方と魔理沙は孫の関係にあるから、魔理沙が抜いた血よりもずっと少ない量で逆転できる。それは今ここに証明された」
「でもなんで吸血蚊は血を吸いきらなくても人間を操れるのかしら。私は咲夜を自在に操ったことなんてないわよ」
「試してみたら?」永琳が言った。
「咲夜、今から命令するから拒否してみて」
「分かりました」
「三回周ってワンって言って」
 咲夜は首を横に振った。レミリアは孫の方を見た。
「そこのあんた、三回周ってワンって言ってみて」
「はあ? なんでだよ」少年は首を横に振った。レミリアは訝しげに永琳を見た。
「拒否するのも命令の内に入っているのではないでしょうか?」咲夜が言った。
「ううーん? 堂々巡りになってきたわ」
「血を吸いきらなくても人間を操れるのはオリジナルにない、吸血蚊の固有の能力なのかもしれないわね。そもそも人間と吸血鬼を自在にスイッチできるっていうところからして、純正の吸血鬼にはない能力だし。蚊は自分の身体に対して十分な量の血が吸えるから、たった一滴でも吸えば相手を吸血鬼に出来る。身体が人間サイズのオリジナルの吸血鬼は血を一度に吸いきらないと眷属に出来ないのかも」永琳が言った。
「難しいわねー」
「何にせよ、貴方が里の人間たちを正気に戻したのは間違いない。これで今までわからなかった事を聞き出せるはずよ」
 なるほど、確かに私は連中を救ってやったかもしれない。レミリアは思った。しかし彼らがやってしまった事はどうなる? 操られていたとはいえ、彼らは里や妖怪の財産を破壊し、親しい人々をその手に掛けたのだろう。その記憶が戻ったら彼らはその事実に耐えられるのか? 針山地獄から拾い上げて、そのまま血の池地獄に放り出したようなものじゃないのか?
 思ったとおりだった。
 老紳士は永琳の説明を受けていた。孫と思わしき少年は目を伏せ、誰とも視線を合わせないようにしていた。黒い豊かな長髪には汗が滲んでいる。
「なるほど、なるほど。ようやく分かったぞどういうわけなのか」老紳士が言った。蚊から解放されたと聞いても安心した様子はない。
「ごめんなさいね。貴方たちは蚊に不利な事は出来ないようになっていたようだから、もし何が起こるのか事前に分かっていたら血を吸われる前に酷く暴れたり、舌を噛んで自殺してたかもしれない。インフォームド・コンセントの精神を守るわけにはいかなかったのよ」
「ふーん……」少年は足を組み替えた。
「というわけで、少しでも知っていることがあれば教えて欲しいの。そちらの貴方から先に聞いても良いかしら?」永琳は少年に聞いた。
 少年は黙っていた。顔が青白く、今にも病室から逃げ出してしまいそうな雰囲気だ。老人は少年の背中をさすった。
「まあ、待ちなさい。お医者様、こちらから先に質問しても良いかね?」
「どうぞ」
「ワシの娘と婿は、どこにいるか分かるかな?」
 少年ははっとした。永琳は小机の上に整頓してあった捕虜と行方不明者のリストを持ってきて、老紳士の言った名前を探した。
「残念ながら。里で放火事件があった時に走って消えるのを目撃されているようだけど、その後は行方不明ね」
 少年はそれでも黙っていた。恐らく今出た名前は少年の父母のそれなのだろう。
「ワシらが黙っていたとして、それでどうなる? 新しいお仲間がまた里に血を吸いに来るのが関の山だね。里からは人がどんどん減っていく。いつ死人が出たっておかしくはない。恐らくパパもママもまだそれに加担しておる」
 老人は孫の手をとって言った。
「ワシらに出来る事は知っていることを全部話し、平身低頭して許しを請うことじゃ。それしかなかろう。多分その先に光が見えてくる」
「心は決まった?」永琳が言った。
「分かったよ。父さんと母さんのためになるなら」少年は顔を上げた。
「うむ。全部話そう。ワシからでいいかな?」
 老人は少年から全員の方へと視線を移した。
「じゃあまず、どこから話せばいいかね、えーっと。確かワシは寄り合いの帰りに、物陰で休んでいた所をがぶりとやられたんじゃ。いつも囲碁を打ってる仲間だったから完全に油断してたんだね」
 老人と孫は様々な事を話した。老紳士が娘を『勧誘』し、娘がまたその夫を手に掛けたこと。夫がまた子に。捜査の手が迫っていることを察知し、一家全員で蚊のアジトへと出て行ったこと。河童にした仕打ち。
「僕たちは穴を掘って各アジトや食料庫を作る仕事に従事していた。場所は覚えているから教えられると思う」少年が言った。
「そこを攻めれば打撃になるってわけね?」レミリアが口を挟んだ。
「ああそうとも。だが全部は知らんね。ワシらはだいたい四人か五人ぐらいでチームを組んでおる。その間では情報は完全に共有するが、チームを越えて知ることはあまりない」
「ゲリラ戦の情報管理の基本ね」永琳が言った。
「霧雨のお嬢さんでさえメンバーの全員は知らないだろう。分かるのは各チームのリーダーの顔とおおまかな人数くらいか。最後に聞いた時は確か……全部で五百人だったね」
「五百人!」
 老紳士は懐を探り、辺りを見回した。
「あー、ワシの陰陽玉はどこにやったかな?」
「没収したわ。貴方の手の届かないところよ」永琳が言った。
「ああなるほど、当然じゃな。いざという時は無線通信を使って招集を掛けておる」
「ただし僕たちが一度に集まるのは多くて二十人程度。都合のいい時に各チームがバラバラに集まるんだよ」
「ワシらの利用してたアジトは三ヶ所ぐらいは教えられる。あと武器庫、食料庫を幾つか。ワシらが捕まったからみんな引き払ってるかもしれんがな」
 少年と老紳士の情報から、二十人ほどの人間のリストが集まった。
「ああそうじゃ、一つ重要なことを忘れておったよ」老人は知能を持つ蚊について説明した。
「蚊が喋る?」永琳が言った。
「うむ」
「いつかの蛍みたいな感じかしらねえ」レミリアが言った。
「いや、蛍の子とはだいぶ違う印象を受けたね。霧雨のお嬢さん以外とはなかなか話さないから、どんな奴なのかは詳しくは分からん。だが話を漏れ聞く限りではまるで一匹一匹が一語ずつ喋っているような口調だったよ。声の質もてんでんばらばらだしのう」
「声の全部に共通してるのは無機質でこう、ガラスを叩いたような感じかな。必要最低限以上の欲が感じられないっていうか、個性が感じられないっていうか……そこら辺の妖怪より人間離れしてる感じがするよ」
 永琳はペンを走らせ、老人たちの話したことについてひと通りの記録をとった。後でカーボンコピーして妖怪の賢者達に回すのだ。
「これで大丈夫なんだよね? 僕たちに出来る事はだいたい?」少年が言った。
「大丈夫、家族はきっと見つかるわ。貴方達の言うことが正しいなら、蚊にとって利用価値がある以上は生きてるはずよ」永琳が言った。
「その言い方はあんまり助けにはならないと思うんだけど」レミリアが言った。
 老人と少年は自分の病室に戻る準備を始めた。妖怪兎に付き添われて出て行こうという時に、何かを思い出したかのように少年が戻ってきた。
「どうしたの?」レミリアが言った。
「えーと、その……」
「何か知っているのなら、些細な事でもいいから教えてちょうだい。私達は手がかりを求めているの」永琳が言った。
「うん、分かった。こんな曖昧なもの役に立つかは分からないんだけど。そこのあんたに血を吸われている時に、赤い花が萎れていくのが見えたんだ。あれは確か……カンナの花」
「カンナ?」
「ああ。アジトで見た覚えはないし、それが何か事件と関係あるってわけじゃないんだけど、とにかく尋問中ずっとそれが頭に浮かんでた」
「一応メモしておきましょうか」
「じゃあ、みんなありがとね」病室の外で待っていた祖父について少年は病室へと戻っていった。
「さて、これから貴方には他の診療所も回ってもらいましょうか。今までに捕まった捕虜全員分の記憶を戻して欲しいの。だいたい五十人ぐらい」
「え、もうお腹いっぱいなんだけど」レミリアはとうに咲夜、老紳士、少年の三人分の血を吸っている。普段の食事量から考えると多すぎるぐらいで、みっともなく辺りに零さなかったことが既に奇跡なのだ。
 永琳は立って部屋の隅の戸棚を開け、樹脂製の洗面器を差し出した。
「何よコレ」
「吐きなさい」
「えっ」
「このまま里人たちの記憶を戻せばかなりの情報が得られるわ。だからお腹いっぱいになったら吐く! 吐いてまた飲む!」
「そんな昔のローマ貴族みたいな」
「貴方の従者の治療費代わりと考えてちょうだい。吸血蚊を打ち負かすのに役に立つことよ。ね? お願い?」永琳はゴム製の白い手袋を嵌め、すらりとした指の関節をわきわきとさせた。明らかにレミリアの喉に突っ込もうとしている。
「嫌! 前代未聞よ! 変な真似したらその指を食いちぎる!」
「お嬢様、魔理沙を取り戻さなければなりません。私からもお願いしますわ。後でお嬢様の好きな料理をなんでも作って差し上げますから」咲夜はレミリアの手を握った。
「うっ、しょうがないわね」おかしい。今夜私は咲夜とイイコトをするはずだったのに何でこんな事になっているのか。

 魔理沙はいくらか回復した魔力を使い、ミミズのように地下トンネルを疾走していた。途中で枝分かれを何度も抜けると、奥の方から羽音がしてくる。やがて視界が開け、足元が土からただ広い水面へと移った。大祀廟の洞窟の地底湖に行き当たったのだ。密集する蚊のプラネタリウムの天蓋へと飛ぶと、群れの中心から機械的な声が問いかけてきた。男でもあり、女でもあり、子供でもあり、老人でもある。無機質な硝子の破片のルーレット。意識と知性の渦が巻く。
「魔理沙」「大丈夫だったか?」
「ああ、お前がくれたこの身体のお陰でな。それより大変だ」
「どうした?」
「ここに来るまでに湖の抜け道を使った。ここの場所がバレるかもしれん。勢力を分散した方がいいかもな」
「何?」「どうしてだ?」
「蚊取り線香の倉庫を襲撃する時に闘った人間を噛んだんだが、何故か操作できなかったんだ。完全な誤算だったぜ」
「我々の支配が効かない人間?」「噛んでもか?」「それは初耳だ」
「しかもそいつ追跡するのが得意な奴だったんでな、どうしてもこの抜け道を使う必要が出てきた。すまん」
「いや」「構わない」「破壊活動を頼んだ時点で」「そのリスクはあった」「良く知らせてくれた」
「おう」
「しかし」「支配が効かないということは」「人間側も何らかの智慧を付けたのかもしれない」「今まで捕まった奴は何人?」
「大体五十人ぐらいだな」
「ではそいつらに繋がる」「全員に『蒸発』の準備をさせよう」「万一の事を考えてだ」
「分かった。連絡は任せろ。このアジトも長くない。せっかく温泉を作ったのに無駄骨になりそうだぜ」
 魔理沙は戦闘からずっと分泌されていたアドレナリンを切らし、めまいと酷い空腹を覚えた。ブーツを鳴らして地底湖の端に降り、地底湖から離れた区画へと小石を跳ね飛ばしつつ駆けた。そこには幻想郷の各所に点在する突貫の食料庫から運ばれてきた袋詰や瓶詰めの食べ物が貯められている。いつでも出撃できる体制にする関係もあって干物や梅干しといった保存食が中心だが、時間さえ掛ければそれなりに手の込んだ料理にありつくことが出来る。しかし今は一刻でも早く食べたい。魔理沙は棚の一つから鶏肉のコンフィが詰まった瓶を引っ張りだした。
「酒を頼んでいたと思うが、まだ届かないのか?」魔理沙は頭を掻いた。
 居住区で眠っている人間たちの代わりに蚊が応えた。魔理沙の隣に群れが現れ、今度はよく通る少年の声になった。
「酒?」「酒は駄目だよ」「判断力を失う」「特にこれから」「入念に準備した破壊活動を行おうって時はね」「いつ捕まるかも分からないのに」「消毒用ならOKだけど」
「温泉は許可したじゃないかよ」
「緊張を解し」「ストレスを減らす」「酒と違って判断力は失わないし」「隠密行動が必要な時に」「悪臭を撒き散らしていては作戦に支障が出る」「合理的じゃない?」
「ふん」魔理沙は露骨に不機嫌な声を出した。
 魔理沙は煮炊きのために設けられた区画で火を起こして鶏肉を炙り、肉汁のしたたるそれにむしゃぶりついた。酒抜きの生活はストレスが溜まるが止むを得ない。
「脂肪」「タンパク質」「炭水化物」「人間は大変だわ」「私達には」「血と草の汁があれば十分だというのに」蚊は老婆の声で言った。
 魔理沙は食事と片付けを終え、泥と血と傷だらけの服を脱ぎだした。
「私は風呂に入ったら一眠りする。そっちはこれからどうするつもりだ?」
 蚊は男女の集団の声で応えた。
「今日から」「大移動だな」「この洞窟が駄目なら」「さっさと捨てるに限る」「だがすでに産んでしまった卵を守るために」「成虫もここにいくらか残さなければ」
「撤退戦か。しんがりは手伝うぜ」
「うむ」「これからも頼むぞ」「何しろ我々は弱い」「それに頭脳がない」
「ああ、だが心があるだろ?」
「いや」「ない」
 魔理沙は服を脱ぎ、ひと通り垢と泥を落としてから白いにごり湯の温泉に浸かった。強いられた禁酒と空腹で不機嫌だったのが、血の巡りが良くなったおかげで心に余裕が出てくる。魔理沙は我ながら分かりやすいなと思った。
「なあー、そろそろやるんだろ? アレ」魔理沙は水面から顔を上げ、天井に向かって言った。
「ああ」「知らしめよう」「もし操れない人間がいるのが本当なら」「私達の事もある程度伝わっているはず」「絶好の機会だ」「勝負を掛ける」「既に恐怖は与えた」「要求の時だ」硝子の声が返ってきた。
「我々は」「生きて生きて生き延びて」「もっと増えなければ」「そのためならなんだってする」「脅しでもなんでも使う」
「ああそうだ、上手くいきゃあ幻想郷は救われる。一切の痕を残すことなく。ふ、ふ、くっくっく」
『荒唐無稽で馬鹿馬鹿しい夢想だ。しかし、無限に増える蚊を撲滅するよりは分があるように思えた』魔理沙はそのために自分が打ったあらゆる手を思い出していた。
 魔理沙は風呂から上がり、寝間着に着替えて柔らかなベッドで眠った。次に目覚めるのは恐らく正午過ぎ、作戦は次の夜から。それまでに十分な体力を回復しよう。

 昼の人里、大通り沿いのカフェ。短髪の男は午前中のシフトを終え、勤務時間を記帳した。木造のテーブルと椅子の並びにも今は客がまばらだ。かきいれ時は種類の揃えられた茶と珈琲、それに合う軽食を求めて人がごった返すこの店も、今は客が減っているので仕事は楽なものだった。売り上げの方は知らないが、客の減少に男が貢献しているのは間違いない。それでも男はバイトをクビになる心配はしばらくはないと考えていた。男は店内の様子をスパイする都合上、客の態度や話を良く観察していた。その結果男は店の内装に関する不満からサンドイッチの味に対する感想の変化まで拾い上げて報告していたため、店長からは『細かいところまで目が行き届いている』と評価されていたからだ。皮肉なものだと男は心の内で笑った。制服を脱いで普段着の和装に着替え、挨拶をしてそのまま裏口より出て行く。薄暗い通路でゴミを踏み、紙から滲み出た水分がわらじに染み込んだ。男は悪態を吐き、 懐の陰陽玉を握った。ともかくも自宅へと向かわなければならない。いつ招集が掛かるか分からないのだから。大通りに出たあたりで、男はスパイとしての自分を無意識の底に押し流した。今の彼は里の荒廃に心を痛める善良な青年だ。
 以前より人通りの少なくなった大通りには蚊取り線香の香りが薄くなり、代わりに焼けた家屋の悪臭が漂っている。いつまで蚊を退けておけるだろうか。端に散らばる火炎瓶の屑。ひっくり返された排水溝。すれ違う人々の険しい顔。人里は物質的にも精神的にも今までになく荒れている。薬屋や雑貨屋だけでなく、まったく普通の家も燃やされつつある。男は自分の家が襲撃される可能性もゼロではないことに思い至り、唇を噛んだ。
 男は大通りを外れて住宅街に入った。立ち並ぶ木造の家屋は最高でも二階建てであり、道路の幅にも余裕が有るために青い空は広い。あまりにも暑く、風がない。角を三回ほど曲がった所で、男にはふと疑問が浮かんできた。この辺りはこんなにも人通りが少なかっただろうか? その瞬間に男はどこからか視線を感じ、後ろ背筋が粟立った。振り向きたい衝動を抑える。背後にあるものがなんであろうと、しばらくはこのまま歩いていかなければならないだろう。男は頭の奥の方にむず痒い感覚を覚えた。
 短髪の男は角を曲がった一瞬の隙間に今来た道の方を見た。物陰に人の気配。間違いない。尾けられている。男はスパイとしての自己を意識の表層に引き戻した。恐らく複数で、撒くことは不可能だ。おまけに向こうはこちらが気がついている事に気づいているかもしれない。男は自分の中のスパイをしまい込み、一般人としてはごく自然な足取りで家へと続いていった。
「ただいま」「おかえりなさい」男が引き戸を開けると、母親が箒で玄関から続く廊下の掃除をしているところだった。ウェーブのかかった豊かな髪が揺れている。男は引き戸を閉め、廊下に踏み出したところで言った。
「おっかあ、不味いことになった」母親が振り向き、その目が揺らいだ。その時男と母親の懐の陰陽玉が紫色に光る。指令だ。二人は玉を握るなり全てを理解した。音声に頼らなくても、握ってさえいれば必要な情報が意識に流れこんでくるのだ。男の後方で扉を叩く音がした。
「上白沢です」
 二人はびくりと痙攣し、撥条のごとく階段を駆け上がる。親子は目を剥いて二階の男の部屋に突入した。男はタンスの最上段を開け、蚊を満載した瓶の蓋を開け放った。母親は窓を開けた。
 紅い不定形の靄が男の家の二階の窓から噴き出し、慧音はそれを見上げた。慧音とともに来ていた男たちは面食らって黒いマスクを付ける。二人分の紅い煙は辺り一帯の空を覆い尽くした。男の家だけではない。里中の家々の引き戸から、窓から、煙突から、ありとあらゆる隙間から紅い霧が噴き出す。三分もしない内に里の天蓋には紅い帳が下りた。
 各アジトで受けた度重なる吸血処置により、最初五分間であった吸血鬼達は最大十八時間の変身を可能にしていた。これから日中は里中を紅い霧が覆うだろう。そして人間たちの生活は完全に麻痺するだろう。それはいつかの紅霧異変の再現だった。
「遅かったか!」
 果ての見えない空より杭が出現し、慧音の足元に刺さり地面を抉った。立て看板である。それは人の行き交うと思われる限りのあらゆる通りに刺さっていた。その表面に張り付いている紙には以下の文章が筆で描かれている。

 昨今の放火、襲撃、誘拐は全て我々吸血蚊が人間に命じて行ったものである。
 我々は以下の諸事実を自明なものとみなす。全ての生物は平等に作られている。我々は生存を追求する侵すべからざる権利を天より与えられている。にも拘わらず、この地の民は我々に対して無理非道の殺戮を行っている。この点において我々のあらゆる手段を用いた抵抗はまったく正当なものである。
 しかし我々もまた同じく他の生物に害を与えずには生存できない。よって我々と同様、我々以外の全ての生物には我々の捕食に対し抵抗する権利がある。故に幻想郷において我々は自身を歓迎されざるものと認識した。そこで我々は幻想郷を居住区とする狙いを放棄し、外界へと移住することで最大限の譲歩とする事をここに決定する。
 要求は三つ。
・紫外線の放射・昆虫忌避剤の散布・トラップの設置などの、我々に危害を加える目的の方策を二度と行わないこと。
・研究用に捕獲したものを含め、我々の内の全ての個体を解放すること。
・我々が外の世界へと移動する間、博麗大結界を一時的に通行可能とすること。
 もし要求が受け入れられれば、我々吸血蚊は完全に幻想郷から引き払い、里の人間に対する支配権を二度と行使しない事を約束する。これは卵、幼虫、蛹、成虫の全ての個体を含む。幻想郷において我々が再び増殖する余地はない。
 猶予は三日。回答無き場合、我々は今夜より一夜ごとに更なる打撃を加えるものとする。
 善処を望む。
 吸血蚊

 人里の大通り、商店街。人間たちが五百メートル間隔で設置された看板の回りにおよそ二十人ずつ群がっていた。遠くからははっきりと読めないほど視界が悪いために、入れ替わり立ち代わり看板に近づいて読んでいる。彼らは紅い粒を吸い込まないように黒いマスクを着けていた。その上からは眼だけが覗き、時折警戒するように看板から視線を離して辺りを見回す。誰がスパイとも知れず、もはや里人たちは互いを信用していないのだ。商店街の並びには全焼した家が一軒、ボヤや半焼は二軒や三軒ではない。その中には禿頭に髭を蓄えた酒屋の主人と、七三分けに丸眼鏡の薬屋の主人の姿も見える。
「蚊に自我がある?」「我々?」多くの里人の脳内に疑問符が浮かんだが、それも収まりつつあった。この状況を最もうまく説明しているように思えたからだ。少なくともいたずらではない。
「毎日毎日放火して何がしたいのかと思っていたら、これが狙いだったか」慧音が言った。
「しかしこれはとうてい呑める要求ではありませんぞ。寛大さを装ってはいますが、要は我々の安全と引き換えに外界の人間の命を差し出せと言っているのでしょう? 道義にもとる行いですな」髭を蓄えた酒屋の主人が言い、その友人とおぼしき何人かが頷いた。
「いいんじゃないですかい? 呑めば。それで俺たちは助かるんでしょう?」薬屋の主人が言った。酒屋の主人とは慧音を挟んで反対側にいた。
「ふざけるなよ。そんな要求が通るか」慧音が凄み、酒屋の主人が頷いた。
「へっ」薬屋の主人も負けじとせせら笑った。小娘め、とその眼は語っている。彼も自らの事業を構える一国一城の主。マミゾウの妨害をもらって不首尾に終わったとはいえ、蚊取り線香独占の大博打の狙いを見事に当てた男でもある。それなりの度胸は備えていた。
「しかし、他に手がありますかい? 先生は蚊を全滅させる方法なんて思いつきます? 俺は蚊の対策グッズを売ってますけど、それでもどだい無理な話に思えますね。俺は幻想郷と心中なんてごめんですぜ?」
 薬屋の主人に同意するかのように、彼の回りにも里人が集まっていた。皆慧音に冷えた視線を注いでいる。その人数は酒屋の主人側にも負けなかった。
 慧音は黙り込んだ。

 人里から少しだけ離れた田園地帯。屋根瓦の家の畳の上で、コメ農家の男はたっぷりとした昼寝から目覚めた。今日は一日中晴れているはずだが、窓から漏れる光が少なく感じる。嫌な予感がする。こと農業に関しては男は勘が働く方だ。去年大型の台風が来た時も、事前に排水路をしっかりと清掃しておいたおかげで彼の家と田畑は冠水の被害を免れたのだった。身を起こし、横で眠る妻の顔を見つめる。今年も彼女に腹いっぱい食わせるために、田んぼの方へと出かける準備を始めた。
 例の吸血鬼だろうか? 男は幾通りもの可能性の中でその考えを打ち消した。男の耳にも吸血蚊の脅威は漏れ聞こえていたが、田んぼには基本的に日が当たる。日当たりの悪い沼などに注意し、夜の間はしっかりと蚊帳と線香を設置しておけば問題はないはずだ。人里ほど人間のいないこの集落においては吸血蚊の影響はそれほど無く、イナゴやカメムシといった害虫の方がコメ農家にとってはよほど脅威であった。
 男は玄関口から引き戸を開けて出て行った。匂いが、おかしい。土と肥やしの匂いに混じって、血の腐ったような悪臭がする。男は震える足を制しながら、道なりに数百メートル歩いて田んぼを隠している林の角を曲がった。青々と広がるはずの視界には紅色のドームが広がっていた。
「あ、あ……」
 男はわなないた。馬鹿な、こんなところまで、真っ昼間から吸血鬼が来るはずがない。しかしこれは紛れも無い現実だった。一年分の売上が、一年分の幻想郷の民の食料が踏み荒らされようとしている。男は生活を脅かされる怒りに震えたが、わざわざ死地に踏み入るほど阿呆ではない。男は必死に走って家へと戻った。
 玄関口には妻が緑色の眼をして立っており、そこで男の意識が途切れた。

 大祀廟の洞窟。居住区からは里人たちが慌ただしく箱詰めの食料や物資を運び出している。地底湖では更に勢力を増した昆虫の群れが舞い、男児と老人と少女の声が虚ろに響いている。
「だから言ったでしょ?」「僕達は」「我々は」「私達は」「最初からこの地に拘る理由はないって」「支配なんて興味ない!」
 地底湖の中心に位置する八角柱の大伽藍。かつて神霊廟のあった夢殿大祀廟の跡地である。魔理沙はその瓦屋根の頂点に腰掛け、眠い目を擦っていた。結局半日以上寝ていたことになる。だが咲夜に負わされた体中の傷は痕もなく回復していた。もう一度全力で戦うには十分すぎるだけの体力がある。
「開拓だ」「そう開拓だ」「外の世界には」「億を超える人間がいる」「この餌場を逃す手は無い」「増殖する新生物の恐怖は」「手を変え品を変え」「未だ外の世界を席巻していると聞く」「我々も翅を伸ばせるに違いない」
 魔理沙の回りでは蚊の群れが長広舌を振るっていた。その声は翌日の遠足が待ちきれずに眠れない子供のようでもあり、定年後に保養地に移住を計画している夫婦のようでもあった。はるか下の水面で黒く蠢くボウフラもその振動数を増している。
「後は簡単」「幻想郷から蹴りだされるまで」「痛いところを蹴り続ければいい」「あの紅い霧で」「三日もあれば幻想郷全域を覆える」「人妖の生活全てがマヒする」「そこに突然のこの要求」「破格の解決策」「みんなの意見は絶対に割れる」「必然的に荒れる」「『もうたくさんだ!』」「追い出しにかかる」「奴らが要求を呑んでも」「呑まずに幻想郷が崩壊しても」「どちらにしろ外には出られる」「どちらにせよ我々の目的は達せられる」「生きよう!」「食べよう!」「増えよう!」「素晴らしき外の世界で!」
「そう上手くいくと思うか?」魔理沙はそこで初めて口を開き、不敵に笑った。
「……またあのおとぎ話か」水を差された蚊の一つが言った。
『最後に奴隷商人たちが島の働き手を連れて行き、後には子供と老人、荒涼とした大地、そしてモアイ像の謎が残されました』蚊たちは脳裏に浮かんだ(脳というものがあるのならば、だが)飢餓のイメージを振り払った。不合理だ。
「しかし魔理沙」「我々に妥協すべき点などない」「無限に繁殖できる以上」「現状で我々が圧倒的有利だし」「幻想郷から出て行くことを取引材料にすれば」「魔理沙のいうスキマ妖怪も結界を通してくれるだろうよ」「ならば我々が資源を喰い尽くすのは」「しばらく先だ」
「お前、頭良くなったなあ。だが、私が言いたいことはそれとはちょっと違う。急激に増えるということはそれ自体が歪を生むんだ。喰って、増えて、喰って、増えて、喰いすぎれば妖怪は自滅する。一発逆転のアイデアって奴はどこから出てくるか分からないんだぜ? 既に誤算はあったわけだろ?」
 『イースター島のひみつ』に限らず、物心がつくかつかないの頃より蚊は魔理沙からその手の昔話を何度も聞かされてきた。増えることにこだわり過ぎると自然からいつかはしっぺ返しが来る。表層の論理では否定しても、その観念は無意識にしっかりと根を下ろしている。
「魔理沙は妙な奴だな」「だが」「魔理沙は我々よりも多くの事を知っている」「気には留めておくよ」
「ああ、それでいい」居住区の方から助けを呼ぶ声がした。魔理沙は大伽藍から下り、里人たちを手伝いに行った。

 夕方の守矢神社本殿。御神体の円鏡の前、畳の中に敷かれた座布団の上で、さとり、神奈子、紫の三人は要求書の複写に目を通していた。引き戸の側には早苗が控えている。妖怪の山のエネルギーシステムにより空調が効いており、中心の机には色とりどりの菓子が添えられている。頭を働かすには理想的な場所だ。
「ここに来て分断工作?」神奈子が言った。
「里で反応を見ましたけど、要求を呑むべきか呑まざるべきか、だいたい一対一といったところですね。いつどちらに傾いてもおかしくはありません」さとりが言った。
「連日の放火で家を失った者は沢山いるわ。そういった人々が何もかもかなぐり捨てて今の状況の解決を望んだとしても無理もない話。それこそ外界を犠牲にしてでも」紫が言った。
「収穫前の田園地帯も取られた。まず食料を奪うことで人間を締め上げるつもりでしょうね」神奈子が言った。
「要求書で予告している通り、今夜から攻撃が激化するのは予想できる。更に里の警備を増やすように各所に要請したけど」
「お待たせー」調子っ外れな声を聞き、場の全員が戸の方に目を向けた。伊吹萃香が入ってきて、早苗が新たに用意した座布団の上にあぐらをかいた。
「萃まらない!」萃香は酒臭い息を吐き散らした。さとりが心を読むまでもなく不満が見て取れる。
「やっぱり駄目かしら」萃香は紫達の要請で疎密の操作を用いて吸血蚊を一網打尽に出来ないか実験していた。
 萃香は右手の赤い三角錐の分銅を振り回して言った。
「なんていうか、こいつには自分がないの。私が人間を集める時は肉体に働きかける。妖怪を集める時は精神を集める。霧の粒が空気中の小さな塵を核にしているように、どんなモノにも核がある。物質的にせよ精神的なものにせよ、萃める時はそいつの一番中核になる部分に働きかけないといけないんだ。でもこいつはれっきとした妖怪なのに精神らしい精神がない。核がない」
「これでノーリスクでとれそうな対処法はだいたい潰れた事になりますね」さとりが言った。
「幼虫や卵とか池の中にいるのは物理的にもってこれないしね。繁殖地が物理的に隔絶された所にあるのかも」
 四人は紙の束に纏められた対抗策を一つ一つ潰していった。萃香は来たばかりだというのに誰よりも多くのせんべいを消費していた。また一枚手に取って酒と一緒に流し込んでいく。
「あの立て札、読んだわよね?」紫が萃香に問うた。
「ああ。意識してるかは知らないけど、向こうさんは私たちに究極の二択を迫ってるね。『拾い上げる対象のはずの外の世界の妖怪を見捨てて自分たちだけ助かるか』『大人しく蚊の支配下に入るか』」
「どちらにしても幻想郷の理想は死ぬわ。ただの区切られた場所となる」
「それに外の世界が滅べば、幻想郷もいざという時に外の世界の資源に頼れない。呑もうと呑まざろうと結局のところ同じ。早晩やっていけなくなって共倒れね」神奈子が言った。
「紫の答えは?」萃香が言った。
「もちろん、『両方とも助ける』よ」
「言うねえ」
「それにこれから生まれてくるまだ見ぬ友人が、こんな事で諦めるなと私に言っているの」
「未来にお友達がいるの?」神奈子が言った。
「友達以上よ」
「紫はいつもこうなんだよ。意味もなく意味深な事をいうの。気にしない方がいいと思うね」
「まともに取り合ってもらえるとは思ってないわ。でもいずれ分かるでしょう。あと数百年ぐらい後にね」
 そこまで言った所で、紫は萃香が不審な動きをしていることに気づいた。萃香は目を凝らしていた。
「ねえ」萃香が言った。
「なんかいるよ」萃香の視線に釣られて、全員が円鏡の方を見た。
 円鏡。直径一メートルは優にある守矢神社の御神体。その鏡は神奈子、紫、さとり、萃香のみを写している。少なくとも神奈子や紫の目にはそう見えた。
「誰もいないじゃないの」神奈子が言った。
「いや、萃香さんの言うとおりです」さとりが立ち上がり、円鏡の前に歩いて行った。
「全くもう、どこをほっつき歩いていたの」 さとりが何かを掴む動作をし、勢い良く手を振り上げた。
「こいし!」挙がった手には黄色いリボンのついた黒いキャペリンハットが握られていた。紫と神奈子はそこで初めてさとりの前に緑髪の少女が鎮座している事に気がつく。
「あはは、ばれちゃったあ」
「なんてこと、気付かなかったわ。私とした事が」神奈子が額を掌で打った。
「無理もありません。巨象が蟻の存在に気づかないようなものですから、がっかりしなくても大丈夫ですよ」
「その点私は誰よりもミクロになれるからね」萃香が笑った。
「それよりこいし、ここで聞いたことを誰にも喋ってないでしょうね」さとりはこいしの帽子を脇に置いた。
「安心してよお姉ちゃん。覚えてる限りでは誰にも言ってないと思うわ。どの道だーれも気づかないし、気づいた所で私が話したことなんて忘れてるもの」
「盗み聞きだけが目的? 場合によっては閉じ込めて置かなくちゃいけなくなるんだけど?」萃香が言った。
「そうそう、ちょっと言いたいことがあるの」
 こいしは紫の前に立ち、もう少しで鼻が触れそうなぐらいに顔を近づけた。紫は気圧されはしなかった。相手のほうに圧される気がそもそもないのだ。
「ところで、幻想郷の理想を守りたいって言ったわよね」
「ええ」
「本当にそう思ってる?」
「こいし、いくらなんでも失礼よ」さとりが言った。
「いいわ。そのまま喋らせてやってちょうだい」紫が言った。
「水臭いこと言わないでよお姉ちゃん。私も鬼さんもあの吸血蚊も『たいせつなげんそうきょうのなかまたち』じゃないの」こいしは振り返った。さとりは黙っていた。
「上手くやっていける限りは友達みたいな顔しといてさ。いざ身内が問題起こしたら『ウチの子じゃありません』って言えば済むんだから楽な商売だよねー」
 全てを受け入れると言いながら、コミュニティに馴染めない者達をどこか遠い所に押し込める欺瞞。地底に追い出されるまでの経験がこいしの言動に影響していることは明らかだった。
「地上にとって都合の悪い人たちをどっかに追い出した時点で、理想なんてものは最初から死んでるんだよ。ねえ、お姉ちゃん?」
「全部が理想的に運んでいるというつもりはないわ。でも、ここで止めるわけにはいかないの」紫が言った。こいしの言っていることは詭弁だ。確かに今地底にいる者たちは、全員が望んで爪弾きにされたわけではないだろう。その対応は必ずしも適切ではなかったかもしれない。しかし蚊は明らかな意図を持って幻想郷というコミュニティを丸ごと破壊しようとしている。場合がまるで違う。
 萃香がニヤニヤと笑いながらこいしに近づいた。こいしは胡乱な目で萃香の方を見た。
「こいしちゃん、私はあんたの事をよく知っているよ。地底ではよく貴方を見ていたもの。ここに慣れるまでは大変だったみたいだねえ。今は目を閉じてよろしくやってるみたいだけど? でもそれはただの逃げ。言うに事欠いて紫に文句つけるたあ、自己憐憫の塊みたいな奴だ」
「貴方の言っていることがよく分からないわ。自分を憐れむ感情なんてないもの。ただただ漠然と楽しい記憶があるだけ。貴方みたいにしょっぱい嫌味を言うよりは健全ではなくて?」
「嘘。 なんでもかんでも忘れ去ったような顔をしているけど、本当の所はドス黒い液体があんたの胸に渦巻いている。 グズグズのスープだ」
「そういう貴方も鬼の中ではだいぶ浮いてるように見えるけど。嫌われ者には嫌われ者なりのものの考え方というものがあるわ。嫌われ者同士仲良くしましょうよ?」
 こいしは顔を宙に向けて演説をぶった。
「否定されて流れてきたものをそこでまた否定する! 二重に否定された者達はどこに行けば良いのかしら? お姉ちゃんの考えが分からないわ。何でそんな人たちに協力するの?」
 こいしはあらぬ方向に視線を向けていた。萃香はこいしの方を睨んでいた。
「私はね、嘘をつく奴が一番嫌いなんだ。特にあんたみたいに本音を見せないようなのはね」
「いいえ、こいしの言っていることは全て本当の事です」萃香がさとりを見た。こいしも見た。
「確かにこいしは全てを忘れている。それでも、体験したどんな出来事も無意識の底に溜まっていく。決して消え去った訳ではない。萃香さんはスープに例えたけど、それはある意味では間違ってはいない。つらい目にあったのも貴方の体験。でも楽しい体験をした貴方も無意識の底にあるはずよ。前のお祭りの時にもお友達が出来たんじゃなくて?」
 こいしの眉がぴくりと動いた。
「以前なら恨み事を言うことさえ出来なかった。その方向がプラスであろうとマイナスであろうと、誰かに向ける感情さえ無かった。貴方は無意識の底では諦めてない。他人と関わることを諦めていない。それはとっても喜ばしいこと。関係を絶って地霊殿に篭もるしか手の無かった私よりも、むしろ優れていると言えるわ。違う?」
 萃香はぽかんとし、こいしはケラケラと笑った。上手く切り抜けた。
「やっぱりお姉ちゃんはお姉ちゃんだあ! ちょっと邪魔してやろうかなーと思ってたけど、やっぱりやめた」
「そいつはありがたいね」神奈子が言った。
「ふふ。私を立ててくれたお姉ちゃんの顔に免じてね」
「さっきそのお姉ちゃんの顔を潰すようなことをして何を言ってるんだい」萃香が言った。
「言いたい放題言ってスッキリしたし、また出かけてくるわ」
「どこに行くつもり?」さとりが言った。
「そうねえ。お坊さんの所がいいかな。一応在家信者だし」こいしは引き戸を開け、悠々と本殿を出て行った。
「花吹雪みたいな子だったわね。薔薇の」神奈子が言った。
「どうもお姉さんのが役者が上だったかな?」萃香が言った。
「血を分けた姉妹ですから」

「そろそろ着いててもいい時間ですよね?」
 さとりが言うと引き戸が開き、永琳とレミリアが入ってきた。レミリアは満腹しては吐きを繰り返して少しやつれていた。
「遅かったじゃないの」紫が言った。
「思ったより情報を引き出すのが遅れちゃってねえ。でもそれに見合った手土産は用意してきたわよ」永琳が言った。
「咲夜は大丈夫なの?」
「危機は脱したわ。今はこの埋め合わせをどうしてくれようか考えている所よ」レミリアが言った。
「協力はしてもらえると考えていいのね?」
「まあね」
「ほうほう、それは心強い」神奈子が言った。
 永琳はレミリアが行ったことを説明した。人間の支配権を蚊の手から取り返し、里に散ったスパイとアジトのかなりの部分を潰せるかもしれない。
「なるほど。里中にへばりついた監視網はある程度こそぎ落とせるってわけね」紫が言った。
「しかし残された時間も少ない。一網打尽にする必要があるわ」神奈子が言った。
「時間?」
「そう」紫はレミリアと永琳に里の置かれている状況を説明した。
「で、どうなると思うこの紅い霧? 今は里と穀倉地帯に限られているけど、この勢いだと三日後には幻想郷全体を覆う。二十四時間展開されたら恐らくこちらは詰むんだけど」
「いや、連中も妖怪だから、月が出ている間はその光の力が必要のはずよ。一日中霧で幻想郷を覆っておけるはずがないわ。そこに隙がある。私が異変を起こした時も夜の間は霧を引っ込めておいたもの。その点は安心していいと思う」
「なるほど。なら問題なく実行できそうですね」さとりが言った。
「何を?」
「そうそう、貴方には蚊のアジトを襲撃して欲しいの。吸血蚊の唾液が馴染むせいか、貴方は吸血蚊に刺されても熱病にならない。人間と違って操られる事もない」
 紫達は襲撃計画の要諦を教えた。
「ふーん。やってみる価値はありそうね。引き受けるわ。魔理沙は洞窟を守りに来ると思う?」レミリアが言った。
「恐らく。どうして?」
「個人的な恨みよ」

 夜の鈴奈庵。屋根裏の、小鈴の寝室。小鈴は嫌な気配に覚まされた。布団から起き上がろうと試みるが、じっとりと寝間着にまとわりついた汗が縛り付けている。この汗の量は暑さのためだけでない。恐怖だ。小鈴はやっとのことで呪縛を振り払い、布団から下へと続く階段の方を見た。隙間から緑色の目が覗いている。
「ひっ」どうして。魔除けはしてあるはずなのに。逃げよう。小鈴は外の方をを見た。月光に照らされて障子に影が写っている。蝙蝠の羽のシルエット。答えは一つしかない。八方ふさがりだ。
「鈴ちゃん」小鈴の父親の声で、向こうのそいつは言った。階段が軋む音を立て、本居氏が屋根裏に侵入してきた。痩せ型で紳士然とした顔はいつも通りだが、異様な角度に首が傾いている。小鈴は布団を跳ね除け、床の上を後ずさった。障子に背を付ける。その二倍の速さで本居氏が迫り、布団の上で立ち止まった。
「何、なんなの」
「何って? ああ。時間をね、稼がないといけないんだよ」
「何の!?」
「我らが吸血蚊のアジトがバレたかもしれない。日中に繁殖地を攻められたらダメージは免れない。その前に一匹でも多くの蚊を羽化させて逃さないと行けないんだ」
「何で」
 本居氏は障子へと近づき、小鈴の肩に手を掛けた。一段と大きく身体を震わせる。本居氏は小鈴の脇に何かを置き、もう片手を小鈴の首筋に添えた。口からの血の腐った臭気が小鈴を包む。為す術なし。父親が娘にかぶりつき、牙を伝って命の源が流れだした。いつお父さんはやられたのだろう? その仮面の下で何人の血を吸ってきたのだろう? お母さんは? 恐怖に体の内側を締め付けられながら小鈴は考えた。両親が阿求を手に掛ける最悪のビジョンが浮かぶ。小鈴はすぐにそれを打ち消した。前からであるはずがない。もしお父さんがスパイだったのなら私はとっくにやられている。お父さんが『奴ら』に支配されているのは疑いないが、それは比較的最近のはず。申し訳程度の安堵と共に、小鈴は背中から羽が生えてくるのを感じた。
「具合はどうかな?」
「最悪」
 本居氏は先ほど小鈴の脇に置いたものを拾い上げた。黒々とした巻物だ。
「何それ」
「見てのお楽しみさ」
 本居氏は巻物をそっと広げた。稲妻を纏った黒い雲に、荒れ狂う化け物の絵が描かれていている。一撫でで百人は殺せそうな爪、牙、十里先を射抜く眼光。
 私家版百鬼夜行絵巻・最終章補遺。
 小鈴は顔を強ばらせた。強力な妖怪を封じる巻物。際限なく付喪神を増やす夢幻の魔力の源。小鈴の所有する妖魔本の中で最も危険で、マミゾウさんに『使うのは月一ほどにしろ』と言われて大事にしまっておいたものだ。両親は小鈴のコレクションの事は知らないはずだった。
「嘘でしょ……」
「嘘じゃないさ。鈴ちゃんが店の売上を使って妖魔本を集めていたのは知っているよ。何で放っておいたか分かるかい?」
「分からない、分からない!」聞きたくもなかった。
「理由は大体三つある。一つは、鈴ちゃんに趣味を共有する友達が出来ると思ったから。実際本の貸し借りを通じて阿求ちゃんと仲良くやれているようだから、読みが当たったようでよかったよ。一つは、趣味というものは隠れてやっている方が燃えるものだから。変に手伝ったりして邪魔すると興を削がれると思ってね。そして最後は、この調子で資産価値のある本を買っていけば大きな投資になると思ったから。一時的に稼ぎが減るから節税対策にだってなる。今や我らが鈴ちゃんは稀覯本の一大コレクターだ。本当に誇りに思うよ」
 狂っている。小鈴は思った。娘の成長を喜ぶ父親の言としては完全に場違いだ。
「そう、投資なんだよ。私たち五分間吸血鬼は限られた時間しか動けない。なのに妖怪と人間たちは雁首を揃えて襲撃しにくる。余りにも心もとないと思わないかい? だったら、それ以上に時間を稼げるように投資すればいいんだよ。幻想郷側の戦力を少しでも引きつけておけるようにね。この百鬼夜行絵巻は素晴らしい。時間を稼ぐために最高の投資になるはずだ」
 本居氏は巻物を両手に広げ持ち、小鈴の方に近づけた。小鈴は手を引っ込めた。
「いい子だから、ね? その指でこの本をちょーっと触ってくれるだけでいいんだ。そうやって妖魔本の封印を解いているのは知っているよ」
 冗談じゃない。今の状況で妖魔本の中身を解き放ったら里はどうなるか。人々の営みを魑魅魍魎が蹂躙する様子が鮮明に浮かぶ。小鈴はなけなしの勇気を振り絞り、拳を作って指を堅く握った。吸血衝動が内側から小鈴の精神を抉るが、何とか動かないでいることは出来そうだった。私の能力で里の人たちを手に掛けるわけにはいかない。
「うーん? おかしいなあ。そういえば霧雨のお嬢さんも館のメイドさんを連れて帰れなかったと言っていたな。私が知らないだけで何か抵抗する術があるのかもしれない。やっぱり時間がないんだね」本居氏は小鈴の目を覗き込み、顎で指し示した。突如として大型の獣の体重を掛けられたような強制力が上から働き、小鈴の顎は床に叩きつけられた。うつ伏せの体制になり、それでも拳は堅く握る。本居氏は小鈴の手を握ってこじ開けようとする。小鈴は手を振り回して抵抗するが、いつまで持つかは分からなかった。同じ吸血鬼であっても成人男性と少女の握力の差は歴然としている。小鈴は父の不意を突いて仰向けになった。小鈴の中で何かが切れ、自身の両手の指を全て噛み切る。マミゾウさんが助けてくれた。何としてでもそれに報いる。脳内麻薬が分泌され、痛みを感じる神経はもはや麻痺していた。ちぎれた指は紅くなって口から霧散した。
「血を抜かれているのにすごい意志力だ。人間業じゃない。反抗期にはちょっと早いんじゃないかな? さみしい気もするけれど、鈴ちゃんが強い子になってくれて父さんは嬉しいよ」本居氏は酷薄な笑みを浮かべ、もう一度小鈴を軽く顎で指した。みるみるうちに小鈴の手に新しい指が生える。小鈴は絶望した。本居氏は小鈴に覆いかぶさり、生えたばかりの指に巻物の表面を触れさせた。
 黒い雲が巻物から噴き出でて、鈴奈庵の屋根を内側から突き破った。

 夜の人里、寺子屋。何かが蠢く音を耳にして妹紅と慧音は目を覚ました。編纂の合間の仮眠の折で慧音は完全なハクタクである。
「むにゃむにゃ……慧音、大黒柱をどついちゃ駄目よ……崩れる……」
「妹紅の中では私は何なんだよ。怪獣か何かか?」
 布団の上で何かが這う感触がした。二人は反射的に共有していた布団を跳ね除ける。何かが壁に当たって落ちる音がする。妹紅は脱げかけの服を直してマッチを探した。枕の脇の道具箱を探すが、ない。
「あれ、ないよ。箱はどこ?」
「燭台も見つからん」慧音は空を掻いた。何かの蠢く音が大きくなる。寝床以外を油虫がびっしりと這いまわっているかのようだ。慧音はおぞけを感じた。
「妹紅、頼めるか?」
「はーい」妹紅は妖術で指先に火を灯した。曲者が照らされて実体を映し出す。
 這っているのは虫ではなかった。さっきまで探していた道具箱、内蔵されていた針や筆などの小道具、マッチ、寝床で読む本などが小人の足を生やして歩きまわり、それが畳や互いとこすれ合って音を出しているのだ。
 妹紅は妖術で札を生成し投げた。マッチと本は仕留めたが針と筆を撃ち漏らし、残りは泡を食って障子の隙間から出て行った。部屋の外からまだ足音がする。
「付喪神か?」慧音は顔をしかめた。虫よりはいくらかマシだが気味が悪い。
「うん。このレベルだと害はなさそうね」口では言うが警戒は怠らない。
「道具に出て行かれると私が困る」
 台所で皿の割れる音がした。妹紅は寝室の戸を開けた。足の踏み場のないほどに付喪神が床にもひしめき、右への流れを形作っている。
「あいた!」妹紅の左側頭部に衝撃が走り、目から星が飛んだ。分厚い漢語辞典ががばさりと落ち、茶碗の付喪神の隊列に巻き込まれ流されていった。
 廊下の奥から紙の擦れる音がした。妹紅が左を見ると本の隊列が鳥や蝶のように羽ばたいて向かってくる。文学者の全集、ちょっとした絵巻物、算学の教科書、知識のオールスターだ。妹紅は札を投げて撃ち落とした。奥の書庫でも付喪神化が起こっているのは想像に難くない。妹紅の攻撃を察知したのか第二波は来なかった。
 向かいの台所の戸の隙間からも皿、瓶、コップ、味噌汁の椀といった食器たちが溢れでている。慧音が妹紅の肩から覗くと、百足のように縁にびっしりと足を生やしたまな板が、割れた皿を乗せて運んでいた。弔っているのか? 即席の葬列に居並ぶ霊柩車のように。
「何なのかしら、こいつら」妹紅はしゃもじを拾い上げた。しゃもじは足でばたばたと空を切った。慧音は玄関の方を見やる。やはり引き戸の隙間から食器たちは出てっている。彼らが立てる物音にも流石に耳が慣れてきた。二人は踏み潰さないように空を飛び、玄関の戸を引き開けた。
「怪獣だ」
「怪獣だわ」

 大通りは一種のパレードだった。里の中心へと道具たちの大河が押し寄せている。大幣が紙を散らかし、箒が錐揉み回転する。溝の脇で二体の徳利がお猪口のキャッチボールをしていた。里人たちはその様子を恐る恐る窓から眺めている。
 妹紅と慧音から離れた通りの一つ。遥か向こうから地響きがするのを感じ取ると、器物の行進が聖人の海渡りのようにさーっと引いていった。
「さあ、どいたどいた! 文車妖妃さまのお通りだよ!」老婆の声がする。
 和綴じ本や巻物を満載した文車が、毛むくじゃらな動物二匹に引かれている。動物の顔は黒い靴がめり込んだような形をしており、それが牛ほどの大きさに膨れ上がって爆走している。靴の付喪神・沓頬(くつつら)である。文車の方も牛車ほどの大きさに膨れ上がり、その上に十二単を着込んだ巨体の老婆がふんぞり返っていた。その老婆は角を曲がっては鈴奈庵から奪ってきた巻物や書物を取り出して通りに放り投げている。封印の解かれたそれらは家々の壁や地面に当たって転がり、黒煙から化け物を生み出していた。打ち捨てられた妖魔本の一つから大黒煙がもくもくと上がり、目玉を生やしてどこかへと飛び去っていった。煙々羅だ。
 二メートルの足を生やした一対の腰掛けの付喪神が文車妖妃の脇を固めて並走し、その上に胡座をかいて外套を着込んだ吸血鬼が一人ずつ陣取っている。
「いやあ、いい景色だなあ」龍神の面の吸血鬼が言った。
「これからもっと酷くなるぜ。三日間、里に出来る限りの混乱をもたらせとのお達しだ。時間を稼がないといけないからな」鬼の面の吸血鬼が言った。
「理由なんてどうでもいいんだ! あんたらがやるのはあたしの道案内さ! 久しぶりに暴れられるんだねえ! あたしゃワクワクしてきたよ!」
 鬼の面はやれやれと首を振った。捨てられた恋文に込められた執念と無碍にされた女性の怨念が結びつき妖怪となったと言われているのがこの文車妖妃であるが、恋慕の情を解する機微などは今の彼女には欠片も見当たらない。破壊者としての第二の人生を楽しんでおり、皺だらけの顔には活気が満ちている。
 文車が見えなくなると、その後を再び付喪神が埋め尽くした。
「おい、待ってくれ!」一人の老人が通りに出てきた。彼もまた皿の割れる音で目覚め、亡き妻の遺した大切な食器を追って出てきたのだ。
 老人の前に十枚の布団の群れが立ち塞がった。使い古した布団の付喪神・暮露々々団(ぼろぼろとん)である。破れ目からは綿がはみ出し、突き出た手足と頭の様子は二足歩行の大亀のように見えた。取り囲まれて老人はたじろいだ。
「お爺さん」「もう寝なさい」「もう寝なさい」「明日は早い」
 老人は叫んだ。布団の群れは更ににじり寄る。
「ねないこだれだ」「ねないこいたよ」「悪い人だ」「寝かせよう」布団の合唱団は老人に覆いかぶさらんとした。十枚の布団に一度に潰されては骨が折れたショックで死ぬかもしれない。良くて今後一生寝たきりになるのは必至だ。

お札「お布団調伏」

 通りを埋め尽くすような大きさの正方形の御札が宙に出現し、布団のごろつき達の上に覆いかぶさった。老人の一歩手前で札は布団ごとひしゃげて潰れ、老人が後ずさる。紅白の巫女服を着た少女が札の上から駄目押しに踏みつけた。札には目を閉じた霊夢の顔が一杯に描かれている。撃ち漏らした布団たちは身をふりふり逃げかけるが霊夢の召喚した陰陽玉に潰される。
「布団は大人しく敷かれてなさい」
 霊夢はもう一枚お札を召喚し、それは押した盆の上の水が引くように付喪神たちを押し流した。
「大丈夫だった?」
「ありがたや! ありがたや!」霊夢の手をとって老人は拝み倒した。食器のことを諦めて布団の中に戻るように言い聞かせ、霊夢はやっとのことで老人から離れた。
「やっと、やっと出番が来たわ!」分かりやすい異変ということで霊夢の目にはやる気が満ちている。
「確か、霖之助さんは霧雨店の方にいたわね」魔理沙の父親が経営している道具屋・霧雨店は最近蚊の対策グッズ販売にも手を出している。狙われるとしたらそこかもしれない。いつもの勘だった。

 里の旅館の二階の居室。人里には妖怪向けに昼に眠れる宿がいくつかある。マミゾウは次の商談に備えるべく宿をとっていた。今は夜中の食事を終え、消化を助ける夜寝の時間である。一時間ほど寝入っていた辺りで枕の隣に置いておいた陰陽玉からけたたましくベルが鳴った。
「むむ……なんじゃあ」マミゾウは布団から手を伸ばし、陰陽玉を取って耳に当てた。何故だか外が騒々しい。
『二ッ岩か?』慧音の声だった。
「おう、なんだね」
『至急外を見てくれ。鈴奈庵の方角だ』
 マミゾウは立ち上がり鎧戸を開け放った。鎧戸が落ちて地面で弾み、空中で足を生やして一回転からの着地を決めたかと思うと通りの騒ぎに乱入した。マミゾウの口もあんぐりと開いた。鎧戸だけでなく通りには生きた器物がひしめいている。松明を挿した花瓶、シャンシャンと楽しげな音を響かせる鈴、陸上選手顔負けのスプリントを決める湯のみ。豆を運ぶベルトコンベアのように整然と、かつ混沌としている。
 遥か彼方から轟音が響いてきた。マミゾウが眼鏡を弄ってその方角に目を凝らすと屹立する何かがある。二階建ての家三軒分の高さは優にありそうだ。全体としては冠を被った鬼の姿に見えるが、その輪郭は出来の悪いポリゴンのように不揃いで角張っている。その身体を形成しているのは割れた皿、砕けた屋根瓦、へし折れた木材などの塵芥で、およそ考えうるありとあらゆる不要なものが渾然一体となり巨人の姿をとっていた。その威圧感は遥か離れた旅館にいても十分すぎるほど伝わってくる。まさにゴミの中のゴミ、塵芥の王だった。
 巨人は腕を振るって周囲の家を突き崩し、付喪神化した瓦や木材を吸収してまた膨れ上がる。周りに集まってきた付喪神たちは芥の塊に身を投げて巨人と一体化し、しばらく経つとより大きな質量を得て独立して出て行く。付喪神の拡大再生産だ。
『それ森羅万象およそかたちをなせるものに長たるものなきことなし。麟は獣の長、鳳は禽の長たるよしなればこのちりづか怪王はちりつもりてなれる山姥とうの長なるべし』
「ありゃあ、塵塚怪王じゃないか」
 マミゾウは即座に状況を理解した。塵塚怪王はゴミの付喪神の王だ。鬼を模倣した姿をとっているが、その力は鬼にも劣らない。例の百鬼夜行絵巻の封印が解かれ、怪王の魔力に感化されて道具たちが暴れるようになったのだ。小鈴に何かがあったに違いない。
「よし、分かった。今行くぞい」

七番勝負「野生の離島」

 マミゾウが前に突き出した両手から、緑色の犬と赤色の鳥の郡れが滝のように生み出される。犬が地面へのダイブを決めて茶碗にかじり付き、空中で舞う本を鳥が捕らえる。付喪神たちに負けない密度の野生の勇猛さを前にして、生まれたばかりの弱小付喪神たちはひとたまりもない。
「この量は流石に育てられんからのう。悪く思うなよ」
 マミゾウは窓から飛び降りて人化を解除し、一際大きな怪鳥を空中で召喚してその脚に捕まった。気合を込めて怪鳥が羽ばたき、その風を受けながらマミゾウは巨人のいる方角へと飛び去っていった。空中には変身時に噴き出た煙が尾を引いていた。

 幻想郷上空。海抜五千メートル、妖怪の山の頂上まで臨める大パノラマ。天界に届くか届かないかのギリギリの高度だ。気温は夏場でも氷点下マイナス二十度に達する。上昇気流が吹き上げ、並の人間なら体勢を保つのも一苦労だろう。雲ひとつない空は満月の光の恩恵をレミリアに十分与えている。その点では蚊と五分間吸血鬼たちにとっても条件は同じだ。
 レミリアは足先を天蓋に向け、つま先立ちの体勢をとった。フリルのついたスカートは悪魔的に重力を無視して上へとなびいている。レミリアは準備運動とばかりに両肩と腕を回し、自由落下を始めた。氷点下の乱気流は亡者の肌には心地よい。
 狙うは命蓮寺墓地。レミリアの体重と空気抵抗を考えれば、減速を計算に入れても三分もせずに地面に達するだろう。吸血蚊のアジトに続く抜け穴には吸血鬼達が多く控えている。魔理沙の教育の甲斐あって吸血鬼達は日に日にその脅威を増しており、今や咲夜や布都を始め異変解決者の人間たちを入院に追い込むほどのコンビネーションを取れる。紫達とレミリアはその事実を過小評価していなかった。強行突破を測れば妖怪であれ無事ではすまないだろう。しかし命蓮寺と衝突する事を警戒してか、寺の周辺だけは目立って吸血鬼の人数が少ない。命蓮寺墓地の穴を突破して大祀廟の洞窟へ至るのが最も犠牲の少ないルートといえた。ただし相手も埋め合わせに少数精鋭で強力な人員を揃えている可能性がある。レミリアの脳裏に魔理沙の姿がよぎった。出逢えば儲けもの、咲夜の血の利子は絶対に払わせる。
 一分経過。残り三千六百メートル。ここまでは問題なし。残り千メートルを切った。哨戒の蝙蝠がレミリアを認めるが抜き去る。残り五百メートル。吸血鬼を見かけるがこれも抜き去る。残り二百メートル。五名ほどの吸血鬼が捨て身の体当たりを仕掛けてきた。鍛えているのかイミテーションにしてはなかなか速い。抜き切れない。

紅符「スカーレットシュート」

 レミリアは掌から大小様々な紅の弾を発し、落下のスピードに乗せて全員に叩きつける。完全な力業である。吸血鬼の一匹は霧化しかろうじて回避、それでもレミリアから吹き荒れる風に流されていく。二匹は横に弾かれて遥か彼方へと吹っ飛び、残りはまともに食らってレミリアよりも速いスピードで墓地に衝突し地面が完全に陥没した。墓石十個分ほどのクレーターが二つ。
「ああー、ちょっとやり過ぎたかしら!」
 復讐心と暴力への高揚感でハイになっている彼女に口ほどの反省の心はない。どうせ墓地に眠っているのは死人だ。レミリアの魔力に刺激されてしゃれこうべの一人でも目覚めれば愉快というものだ。
 レミリアは下方に向けて大量の蝙蝠を放出して急減速した。オリジナルの吸血鬼が秘める蝙蝠の数は無尽蔵である。きーきーと鳴き声が真夜中の墓地の静寂を乱し、命蓮寺周辺へと監視の目を広げていく。レミリアは片膝をついて着地した。
「ふう」
 辺りに自分のものでない蝙蝠が潜んでいることに気づいた。
「いらっしゃい」
 レミリアの呼びかけに応えて、周りの木々に隠れていた蝙蝠が辺りを舞い始めた。一匹、二匹、三匹。レミリアと大祀廟の洞窟を結ぶ直線上の一点、墓石の一つの上に収束していく。やがてそれはヒトの姿をとり、渦の中心には霧雨魔理沙が立っていた。
「子ー供の喧嘩ーに親が出るーゥ♪」
「誰が親よ」
「私は子供だ。よう、待ってたぜ。元気そうだな! やっぱり満月だからか?」
「良い子は寝る時間よ」
 今度は魔理沙が辺りを見回す番だった。
「一人?」
「一人よ」
「お前がどんな切り札を用意してるか知らんが、ちょっと少なすぎるように思えるんだが? 少しは仲間がいると思ってたぜ」
「蚊に刺されれば人間は操られ、妖怪は熱病に。防護服を着た所で吸血鬼と交戦すれば破損は避けられず、その隙に蚊に刺される。その点私は操られず、刺されても平気。他に適任が居て?」
「まあ、そうだな」
 魔理沙は昨日咲夜の首筋に間違いなく牙を突き立てた事、その後で咲夜が襲いかかって来た事を思い出した。元はと言えばレミリアから全ては始まったのだ。こいつには何か、ある。人智では測れない何かが。
「もう少しだけ、時間を稼がないといけないんだ。場所のバレた繁殖地をいつまでも放置しとく気はないぜ。さっさと逃げてこの地の全体に分散すれば大きな被害は免れる。だが卵を抱えた蚊が全員出て行くにはもう少しだけ時間がかかる」
「させるもんか。幻想郷が蚊の楽園だったのは今日までの話。これからはたっぷりと血の雨を降らせてやるから」
「そうかい」
 魔理沙は茸を咀嚼して箒を構えた。レミリアも飛び上がる。
「こんなにも月が紅いから?」
「月ごと撃ち落としてやるぜ!」
 外部から手を出させまいと魔理沙の身体から紅霧が噴き出し、背景が歪んだ。

光撃「シュート・ザ・リトルムーン(最大出力)」

 魔理沙が先手を打った。エプロンドレスのスカートから星々が撃ちだされ、林立する墓石を縫って地面に埋め込まれる。

紅蝙蝠「ヴァンピリッシュナイト」

 青みがかった半透明のレーザーが地面に掘られた星々より出てレミリアを襲う。レミリアよりだくだくと放出される蝙蝠がそれを防ぐ。〇.五秒の拮抗ののちに蝙蝠の壁が消滅した。レミリアの背中に怪光線が当たり、まるで血を抜かれたかのように身体より活力が奪い去られる。
「ぐっ!?」
 魔理沙が大きく深呼吸をして緑眼を爛々と輝かせた。先ほどより明らかに活力が増している。レミリアは地面に埋め込まれた星々に向けて蝙蝠からナイフを打ち込み破壊。レーザーの本数がぐっと減った。

恋符「マスタースパークのような懐中電灯(最大出力)」

 八卦炉から放たれた極太の怪光線はどういう理屈か霧を物ともせずにレミリアの身体を薙ぐ。レミリアの身体からピンクの蛍光が塊となって吹き飛び魔理沙の身体に取り込まれた。さらに大量の力が奪い去られて怪光線の出力が増す。レミリアは内臓をまさぐられたかのような悪寒を覚え、地に落ち膝をつき転がって墓石の影に隠れた。魔理沙の中心から衝撃波と共に星型弾の嵐が吹き荒れて墓石を削る。卒塔婆が何本も折れて破片が宙を飛ぶ。いつまで隠れていられる?
「あんた、私の力を吸い取ってるの?」
「おうよ。本来は妖精に手加減してやるための技だが、出力を弄ればこんなこともできる。真の吸血鬼相手に体力勝負を挑むほどこっちも馬鹿じゃない。このまま絞り尽くしてやるぜ」
 吸血鬼の身体は多少傷つけられても難なく癒やすことができる。しかし直接体力を奪い去られればどうなるか。
「……まるであのブンブンうざったく飛び回る蚊みたい!」
「吸血鬼がそれをいっちゃあ形無しだな!」
 レミリアの隠れている墓石を星型弾が砕いた。

呪詛「ブラド・ツェペシュの呪い」

 レミリアの体表から血液が滲み出て凝固しナイフの形を作った。血液の滴るナイフが全方向に打ち出されて魔理沙に殺到する。魔理沙はこれに怪光線を当てるが弾くことが出来ない。星型弾の雨でナイフを相殺しに掛かり二本ほど撃ち漏らす。すんでのところで弧の軌跡を魔理沙は避けた。安心する間もなくナイフの軌道の後に残った血液が鞭のようにしなり魔理沙を襲ってくる。
「おお、凄いな血液」
『コールドインフェルノ』
 魔理沙の精霊魔法で青白く輝く氷球が四つ生み出され、血液球の数珠を凍らせた。赤黒の氷柱が蛇のようにのたくりレミリアを逆襲する。レミリアは血液の放出を打ち切りこれを回避。
「吸血鬼かどうかを決めるのは種族じゃない。魂に刻まれた年月、吸ってきた血の歴史、そういった種族の差だけでは追いつけない何かが吸血鬼を形作るのよ。ぽっと出の虫けらなんかに吸血鬼の何たるかを語られたくはないわ」
「そいつはいいな! もう少し血を吸えば私もこういう事ができるようになるってわけだろ?」
「ポジティブねえ。でもその前に私があんたを叩いて潰すと予告しておくわ」

紅魔「スカーレットデビル」

 レミリアは眼前で腕をエックスの形に組み、足を踏みしめて大地から暗い夜の力を吸い上げ始めた。レミリアの周囲だけ闇が薄らぐ。夜のエネルギーがレミリアに吸収された結果濃度が薄くなっているのだ。それは紅い光となって全身を循環している。レミリアが腕を広げた。貯まった宵闇のエネルギーが、切り裂かれた頸動脈から噴き出る血液の如く上下左右に放出される。地面に穴が空くほど蹴って、打ち出された紅い弾丸が魔理沙に体当たりを仕掛ける。
「そっちが十字なら、私も十字だ」

魔十字「グランドクロス」

 魔理沙は十字に伸びる怪光線と四つの鉄球を同時に展開した。鉄球の一つ一つが赤熱して炎弾をこれまた十字に放つ。レミリアより溢れ出る夜の力が怪光線を遮り炎弾を弾く。鉄球の大公転がレミリアとの正面衝突を防ぎ押し返さんとする。ピンク色の光が鉄球を抉り返す。十字架同士の鍔迫り合いの間で火花が飛び散る。その応酬は永遠につづくかのように思われたが、やがて奪われた体力の差が出てきた。紅い極光が弱まってくるとレミリアの上半身に鉄球がまともに衝突した。吹き飛ばされてレミリアは墓石をいくつか投げ倒し、墓地の端にある柳の下にもたれる形で止まった。

 里の大通り。古の聖者の行進のように付喪神の群れが引いていく。本のページが切り取られる音と何やらぶつぶついう声が聞こえたかと思うと、提灯の化物が上へと飛び去っていく。
「発車オーライ! 汽笛ヨーポッポゥ!」文車妖妃は道を往く。先ほどまで付いていた吸血鬼は目的地を見つけて別方向に去り、老婆の脇を固めているのは鞍を頭蓋に持つ異形頭の武者だ。先ほど呼び出した馬具の付喪神・鞍野郎である。彼は馬を乗りこなしていた。背中に矢筒と弓、腰に竹刀と日本刀。
「さあさあ、宴はこれからだよ! あんたもいい男なんだからあたしを守ってくれよう!」
 言われなくても、というように鞍野郎は頷いた。かつて平安時代末期に活躍した武士であった彼は、東国に落ち延びる途中で親類の裏切りのために計略に掛かって殺された。戦えずして死んだ彼の無念は愛用していた馬具に乗り移り、道具としての意志と溶け合っていた。思わぬ形ではあったが、命を拾った以上はせめて戦場で死にたい。彼は武勲を求めていた。簡単な仕事でもいい。まずは護衛からだ。
 彼らの進行方向と平行に水流が一本走った。背後から水色に光る矢が数多飛び、その内の数本が文車を引く沓頬に刺さる。獣が呻いて文車が揺れる。

弓符「星龍弓」

 老婆が後ろを見ると、道士服を身に纏った少女を乗せて磐舟が追ってきていた。陶製の舟の船首には緑色の竜の飾りがしつらえており、後部には米俵を満載している。背丈の二倍ほどもある帆の下で物部布都は弓を構えていた。今は全快している。風切音を響かせてさらなる矢の群れが飛んでくる。鞍野郎は身につけていた布をはためかせて矢を弾き老婆を守った。異形頭の武士は布製の身体を後ろに捻って弓を構え引き放つ。たちまち矢の雨が降り注ぎ、幾つかは磐舟の帆を抜けて地面に刺さる。最後の一本が布都に当たる寸前で船首に当たって上に逸れた。
「ううむ、やはりあの武者を落とさねば文車には届かぬか!」
 布都が迫ってくると異形頭の武士は腰に差した刀を抜いて戦闘に備えた。鞍から伸びる紐の一本が竹刀を構え、両手で日本刀を持つ二段構えをとる。布の身体と鞍の頭の隙間から覗く眼光が光った。
 布都もまた刀を構えていた。三尺ほどの内反りの大剣・布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)である。その大きさもさることながら、かつて建御雷神・神武天皇が国を平定するのに用い、現在は物部の祭神の御神体として祀られているこの剣は、妖怪退治に必要な謂れある武器としては申し分ない。
 まず掛かったのは布都だ。磐舟を乗り捨て、文車を挟んで鞍野郎の反対側に瞬間移動し文車の車輪に斬りかかる。鞍野郎は反射的に竹刀を振るって布都御魂剣の刃先を反らせた。竹刀を避けるべく老婆が身を屈める。
「危ないねえ! でも助かったよ!」老婆はいくつかの妖魔本を手に、先ほど鞍野郎が乗っていた馬へと避難した。
 鞍野郎は沓頬の上に乗り移って布都を迎え撃つ。布都が袈裟斬りにするも刀でこれを受け、布都の鳩尾目掛けて竹刀を打ち込みに掛かった。頭部に付いている紐でも自在に扱えるように鞍野郎は軽い竹刀を使っている。しかし例え竹刀であっても並みの人間相手であれば骨を折る。打突の当たる寸前に布都が消えた。
 布都が老婆の乗った馬の側に現れ刀を上段に構えた。それを予測してか鞍野郎は先ほど回避された竹刀を遠心力を乗せて後ろに振るい布都の喉笛を突く。布都は多少怯んだが、ずれた剣の軌道でそのまま馬を斬りつけ再び消えた。馬がいななき内臓がはみ出すがぎりぎりで持ちこたえている。
「皿の儀式は済ませてきた! 今の我は金剛石より硬い!」
「ええい! やるねえ! これならどうだい!」
 老婆は手に持った妖魔本のページの一枚を破り捨て、そこに描かれていた文句を読む。布都の出現を予測して日本刀の斬撃。布都もまたこれを予測し刀で受けるが重みで横に吹き飛ばされる。再び瞬間移動。
『白うるりは徒然のならいなるよし……』
 布都が出現と同時に皿を投げて不意を打つ。異形頭はこれを避けるが布都が車輪に斬撃を加え、車体がガタガタと震えだした。
『この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども……』
 布都が低い所に出現して武者に足払いを仕掛けた。布の身体を切り裂かれて武者が怯む。布都が消え、今度は鞍野郎の真上に出現した。鞍野郎は竹刀で斬撃を逸らすが結わえた紐が切れて落ちた。異形頭が斬りかかる間もなく布都が一回転し鞍の頭部を足蹴にする。鞍野郎は布都の重みに仰け反った。切り裂かれた足に痛みは感じないが平衡が取れない。
『外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ』
 鞍野郎が押し負けて落車した瞬間にページが煙を上げて消滅した。中からは灰色に薄汚れた白の長竜が現れた。繊維質の肉体は所々が薄くなっていて向こう側が見え、網のようだ。老婆と布都の間に立って新たに守るはボロ布の付喪神・白うねりである。
「く、くさっ!」鞍野郎に代わって文車の上に立つ布都はあまりの悪臭に目を剥き、剣を持つ手が緩んだ。
 白竜が布都に襲いかかる。慌てて剣で切りつけるも竜の身体はしなやかに曲がり胴の一部が裂けただけだ。布が巻き付く。布都は叫び声を上げて舟から墜落し、通りをごろごろと転がって取り残されていった。
「へっへっへ! 硬いのが強いとは限らない! 舟の陶より年の功だねえ!」
 老婆は馬を乗り捨てて文車に飛び移る。意気揚々と丁字路の角を曲がったが、その途端に得意顔がひきつった。
「よくやってくれました、布都! ここからは任せなさい!」
 前方には紫色のマントを羽織った豊聡耳神子が待ち構えていた。手には宝剣。

眼光「十七条のレーザー」

 神子が宝剣を振るって引き裂いた空間から黄金に輝くレーザーが引き出された。老婆は沓頬を鞭打ってあがくが先ほどの戦いで消耗して回避が間に合わない。まず沓頬が貫かれて足を折った。文車は今度こそ完璧に引き裂かれ、文車妖妃は前方へと投げ出された。
「ひ、ひぇっ」
 文車妖妃が無様に這う。神子が掲げた手が眩く輝き、エネルギーが絞り出されて形をなした。青白く光る、直径が通りの幅ほどもある球体が太子の掌で踊っている。
「ご老体を痛めつけるのは性に合わないので……一撃で決めよう!」

道符「掌の上の天道」

 神子は球体を投擲した。青白く光る天球儀がサブの球体を振り回しながら地響きを鳴らして迫ってくる。文車妖妃はあえなく沓頬ごと潰された。
「問題解決!」
 神子はその場から消え、白うねりに巻かれてもがいている布都のもとへとワープした。気づいた白うねりが神子にも攻撃しようと試みたが、宝剣で一刀両断される結果に終わった。ただの悪臭を放つ布と化した白長竜を神子は宝剣の先で布都から剥いでやった。直接手で触りたくはない。
「大丈夫でしたか?」神子は鼻をつまみつつ言った。布都に臭いが移っている。
「ええ、何とか。あの武者にやられた傷が痛みますが、そのぐらいです」布都は二つの意味で傷ついた様子だった。
 神子は話題を変えた。
「さあ、これで封印されし妖怪の発生源は潰しました。とりあえずは新たな妖怪の増加は抑えられるでしょう。これからは残党狩りです」

 鈴奈庵周辺。塵塚怪王が腕を振るうと周囲の家々の瓦屋根が砕け、漆喰が飛び散る。ここの住民は悲鳴を挙げて通りを逃げ惑っていた。人畜無害な弱小付喪神たちと塵塚怪王は違う。家に留まっていては圧死の危険がある。何人かが瀬戸物を踏みつけて破片で怪我をした。
 また三人、崩壊する家から逃げ出した。中年の夫婦と十八ほどの娘。頭上に落ちてきた屋根瓦をかろうじて避ける。辺りをうろつく徳利を蹴飛ばして安全圏まで逃げた、そう思った瞬間に何かが家族の進行を阻んだ。
「あぁああぁああぁああああああぁぁ。欲しいよう、欲しいよう。火を着けて欲しいよぅ!」
 顔に白粉を塗りこんだ石造りの道化。全長ニメートルの体躯の太鼓腹にはぽっかりと四方に穴が空いている。古びた灯籠の妖怪・古籠火である。この化け物は古びて使われなくなった灯籠に怨念が籠もり鬼火となったものであるが、自分に火を着けることは決して出来ない。よって腹いせに周りのものを燃やして慰めにするのだ。
「欲しいよう、欲しいよう! おいしい火が欲しいよぅ!」
 三人は振り返るが後ろには塵芥の鬼。戻る選択肢は問題外だ。
「着けてくれないならこっちから燃やすぞぉーッ!」古籠火の口の中に煌々と炎が籠もった。母娘が叫び声を挙げ、父親がかばおうと立ちふさがる。
「ではお望み通り」
 古籠火が振り返ると、幅が彼の三倍はある不死鳥が彼に覆いかぶさった。たちまち業火が巻き付いて化物の石の肉体が赤熱し始める。
「ああ―ッ、おいしい、おいしいーッ」炎の中でしばらく恍惚の表情を浮かべたかと思うと、道化は満足した顔でばらばらに崩れ地面に散らばった。
「石焼き芋にはまだ早いわね」妹紅は困惑した顔でその様子を見つめた。
「やれやれ、これこそが百器夜行だな」慧音が言った。
「あ、ありがとうございます!」父親が進み出て妹紅の手を握った。
「慧音先生! 来てくださったのですね!」母親は涙を流していた。娘はその陰に隠れていた。
「早く逃げなさい。私達はあの巨人をどうにかするつもりだ」
「どうやって?」娘が言った。
「それはこれから考えるわ」
 逃げゆく家族を見送った後、二人は改めて怪王に向き直った。
「さて、どうしたものかしら?」
 屑の怪人がまた一つ民家を崩しに掛かった。振り上げた腕から灰塵がぱらぱらと落ちる。

虚人「ウー」

 突如として怪王は腕を寸断された。破れ鍋・廃タンス・ちり紙といったゴミが拘束を失って地面に落ち弾んで散らばる。さらにその胴に爪痕が三列ずつ走り、傷からヘドロの血液が吹き出る。塵塚怪王は怯まずに埃塗れの腐った吐息を宙に吹きかける。すると積もった塵芥で妹紅の側に巨人の精悍な肉体のシルエットが現れた。妹紅が虚数世界の見えない巨人『ウー』を召喚したのだ。怪王は周りから付喪神と廃材を吸収して腕を再生した。虚人が手刀を仕掛けるが、巨人が片腕を盾にしてこれをいなす。妹紅は今までのやり取りから相手の能力を読み取っていた。攻撃から数秒もせずにウーの姿を看破した手腕といい、さっきから見せる格闘術といい、この化物の頭は悪くなさそうだ。巨人は互いに手を振りかぶり、がっぷり四つに組んだ。衝撃に怪音が響く。怪王がやや力で勝り、虚人の手から手首までを無理やり握りつぶした。ウーの手首から見えない血液と肉が吹き垂れて落ち、粘性ある血だまりを地面に作る。
 虚人の額に『无』の文字が浮かび上がり、そこだけは慧音からもはっきりと見ることが出来た。怪王が何かを察知して手刀を首に打ち込みにかかるが虚人はバックステップを踏んでこれを回避。妹紅の足元から紅いエネルギーの濁流が地面を伝い、ウーの足首から伝って无文字へと上った。額の光量が増え手首が再生する。この巨人は術者より妖力の供給を受けて作動しているため、術者が死んだり妖力を切らさない限りは何度でも立ち上がる。そして妹紅に限っては前者の心配は全くない。
「よーし! お次はその額、かち割ってやるんだから! 冠なんてつけちゃって偉そうにまあ!」虚人は身体の埃を払って再び隠れ、正拳突きの予備動作に入った。
「おい、待て!」慧音は妹紅の肩を掴んだ。顔面は蒼く手には双眼鏡。
「何?」
「あれを見ろ」慧音は双眼鏡を手渡した。
 妹紅は慧音の指さした方向を拡大して観察し、顎を開いた。塵塚怪王の額、冠に近い辺りに人間の腕が突き出ている。そしてあれは……飴色の領域。髪だろうか? そこに付属する鈴の髪飾りが満月に照らされて見える。他の部分は塵に埋もれて見えなかった。
「間違いない。小鈴だ」
 妹紅は背筋を震わせた。もしあのまま殴っていたらどうなっていたことか。頭を振る。猟奇的な想像はやめにしよう。
「厄介なことになったわ。マミゾウに知らせないと」妹紅は陰陽玉を手に取った。通話口の向こう側から息を呑む音が聞こえる。作戦をいくつか修正する必要がありそうだ。マミゾウと塵塚怪王の情報を交換した。マミゾウは今こちらに向かっている。
『そうか……よしよし、儂に考えがある』妹紅は虚人で怪王の蹴りを捌きつつしばらくやり取りを交わし、通信を切った。
「どうする?」
「私達の後ろには住宅地が密集してる。稗田のお屋敷もあるわ。逆に向こう側は家が少ない。このまま通りに沿って押し戻す!」
 ウーは怪王の腹にボディーブローを仕掛けた。崩れた家の梁・本棚・屋根瓦などの怪王を構成するゴミがひしゃげて潰れる音が響き渡る。更に押す。押す。通りの向こうへと押し戻す。芥の巨人が身じろいでゴミが落ちる。
「こりゃあ迂闊に炎は使えないわねー。燃やしてもあんなにゴミをまき散らされちゃ燃え移っちゃうわ。民家を巻き込む危険性があるから元々考慮に入れちゃあいなかったけどね」
「よし! 私も手伝おう!」慧音は地面に映る影をしならせて二体の巨人の争う元へとまっすぐ伸ばした。今や月光の形作る影も完全なものとなり、慧音の影の中には知性ある猛牛の輪郭がはっきりと見える。怪王が石材の塊を屋根に投げつける寸前に影が大口を開けてその住宅を飲み込む。石材は衝撃を加える事ができずに影の向こうへと消えた。
 手始めに慧音のハクタク部は両脇に立ち並ぶ住宅の歴史を喰った。里の内部で暴れられては里全体を隠して守る事は出来ないが、これで家屋の破壊とそれに伴う怪王の回復を防げるはずだ。

国符「三種の神器 鏡」

 飲み込まれた家屋を背にして一対の巨大な鏡が地面より立ち昇る。二体の巨人を挟むそれは怪王の頭一つ分は大きい。怪王が撒き散らした破片が鏡に当たるとそれを跳ね返して当たる。慧音の召喚した使い魔が鏡へと反射し威力の倍加させ、虚人の腕の隙間を縫って怪王の胴体に突進した。揺らぐ。
「サンキュー慧音! これで多少暴れても大丈夫ね!」
「程々にしてくれよ」

不死「火の鳥 ‐鳳翼天翔‐」

 妹紅は掲げた右手より三羽の不死鳥を召喚し鏡に反射させた。巨鳥達は炎の勢いを増して、虚人と同士討ちしない角度で足の間や首筋の付近を横切り瓦礫の巨魁にぶち当たった。肘・膝の関節と脇の下を燃やされた怪王は大きく傾ぐ。火の鳥の軌跡に残った炎弾が流れだして追い打ちをかける。虚人はこの隙に足払いを掛けるが怪王は軽く飛び上がってこれを回避。回避からの回し蹴りを仕掛けるも虚人もまた伏せてこれを回避。
 怪王は足を踏みなおして体勢を建て直す。左腕を振り下ろし、配下の付喪神に向けて命令を下した。生命と羽を与えられたバケツ・金属片・古本の廃棄物の大群が怪王の身体から漏れでて羽ばたき、虚人の腕を逃れて妹紅と慧音のいる方向に向かってきた。
 火の燃え盛る飾り棚・椅子・包丁といった付喪神の群れがロケット花火のように二人に雪崩れ込んでくる。妹紅は妖火の塊で灰に変えるも、捌ききれなかった包丁が慧音を襲う。慧音はこれを剣で斬り払って残る付喪神たちに使い魔を立ち向かわせた。今までの戦いの中で怪王は三百メートル後退している。
「よーし、このまま押し出せちゃうかも!」
 更に三十メートルほど後退した所で、怪王は懐かしい汚臭を感じとり黙考した。あの女は気づいていないようだが、私の遥か後方の角に規模の大きいゴミ捨て場がある。このまま追い立てられる振りをしてそこに突っ込めば大きく力を回復できるだろう。里から追い出すつもりだったのだろうがとんだ作戦ミスというものだ。
 再び格闘戦が始まった。虚人は蓬莱人と半獣の援護を受けて三本指から生える爪でめった斬りにする。怪王は腕で庇うが、爪の乱舞は怪王の腕の軸となっている鉄骨まで達しそうだ。怪王が仕掛けた蹴りが虚人の腰に直撃する。虚人は体内の妖力循環を乱されて膝をついた。痛みを感じることはないが全力で戦うためには十分なエネルギーが必要だ。怪王はその隙に直径三メートルほどの石塊を身体から五つ分裂させて放り投げた。虚人が二つほど払って遥か上方に飛ぶ。残る三つが二人に向けて飛んできた。慧音は飛び上がって一つ目を避け、妹紅は炎弾を放って残りを逸らす。
「あ! 妹紅!」
「え?」
 妹紅の死角より先ほど弾いた石材の塊が降ってきた。妹紅は地面に叩きつけられて首が潰れ、下から血液が噴き出した。
『リザレクション』
「はい、一回死亡! 流石にやるわね! こっちは遠距離戦を決め込んでたのに!」妹紅は瓦礫ごと灰になり、炎の中から抜けだした。
 怪王は胸中で歯ぎしりした。仕留めたのは確かのはず。術者さえ殺せば何とかなるとは思ったが、相手は不死身か。
 そろそろ潮時だ。あのハクタクをこれ以上ゴミ捨て場に近づけては隠される危険性がある。怪王は意を決して向き直り、虚人に背を向けて駆け出した。目指すは廃棄物集積所。あの臭いならば相当の量が期待できる。
「あ! 逃げたわね!」
 慧音も影を走らせるが怪王のスピードに追いつけない。妹紅は慧音の手を引いて虚人の肩に飛び乗り後を追う。地鳴りが辺りを揺らす。怪王はその巨体にしては随分と速く虚人も付いていくのがやっとである。妹紅は不死鳥を投げつけるが怪王の背中には焦げ目が付くだけだ。五百メートル移動した。妹紅の供給する妖力も残り少なく呼吸が荒くなる。
 素晴らしい。眼前に広がる廃棄物の海を前に怪王は嘆息した。これだけゴミがあればあと二倍は大きくなれる。あのハクタクの力と女が操る見えない巨人には苦労させられたがそれも終わりだ。圧倒的質量で小細工ごと押しつぶせるだろう。そしてあの狭苦しい巻物に封印されて以来の鬱憤を思う存分に晴らすのだ。あの化け狸め。いつか絶対に探し出す。一ヶ月の断食後の朝食に飛びつくかのような勢いでラストスパートを決める。
 怪王が集積所に足を踏み入れた瞬間、その足が地面の下へと沈んだ。いや地面ではない。水面だ。もくもくと白煙が上がり、さっきまで山と積まれていた土地が柳と池に変化していた。理解した時には遅かった。
 巨人の右足が膝から大きく崩れた。怪王は平衡感覚を失ってうつ伏せに倒れる。大質量の殺到で池から溢れでた水が津波となり通りを広く浸す。片足と腕をついて起き上がるが廃棄物同士を繋いでいる塵芥を池の水分が溶かしていく。水の染み込んだちり紙の繊維がほぐれぐずぐずに溶けるように。まさか! そんな! ゴミの海だと思っていたものが本物の海になるだなんて! 怪王は胸中で罵った。
『化けさせる程度の能力』
 辺り一帯に広がる煙の中からマミゾウの姿が飛び出した。しっぽとスカートを靡かせ逆さになって怪王を見下ろす。
「そう、そのまさかじゃよ。池を丸ごと廃棄物集積所に偽装した。臭いまでそっくりじゃったろう? 小鈴は返してもらうぞ!」
 片足を失った巨人が体勢を立てなおす間もなく虚人『ウー』が追いつき池に踏み入った。怪王が悪あがきにゴミを辺り一帯に散らばそうとするが、虚人が腰に抱きついてこれを止める。
「よし、動きは封じたわ! 慧音!」
「行くぞ!」慧音が虚人の肩から飛び、芥の巨人の胸に月光がハクタクの影を作った。緑色のスカートがはためき、影から薄墨色で文字が浮かび上がる。『単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ』

終符「幻想天皇」

 使い魔が編隊を組んでレーザーを怪王の右肩から左肩に掛けて連続で打ち込み、獣に喰われたかのように怪王の胸にポッカリと穴が開いた。水分を含んでかさを増したヘドロが大量に噴き出す。怪王の首が切れて皮一枚で繋がっている。
「今だ!」慧音が叫んだ。
「おう!」マミゾウが言った。
『妖怪つるべぇ変化』
 空から巨大な桶が現れ、振り子運動で芥の巨人の首筋を横ざまに捉える。衝撃に巨魁の首が取れた。角度調整により頭部自体に伝わる衝撃は最低限に抑えられていたが一溜まりもない。
『妖怪アミキリ変化』
 マミゾウは網切に化けた部下を召喚。落ちゆく首に突進して鋭い爪で貫いた。一瞬だけマミゾウの姿が消え、ゴミの山から抜け出た彼女の脇には小鈴が抱えられていた。残りの瓦礫は池に落ちて水柱を上げる。池が溢れていたために水深は既に浅くなっていた。
「マミ、ゾウ、さん」小鈴が言った。柔らかい肌も艶やかな髪も、今は屑と泥だらけだ。
「もう大丈夫じゃ」マミゾウは池の縁に着地し、小鈴の髪や肩に付いているゴミを払ってやった。
 突如として池の真ん中から怪王だった残骸が盛り上がり、右腕の形をとった。マミゾウが目を剥き、小鈴は震えた。しかしその手が二・三回空を掴んだと思うと、徐々に溶けて水面の下へと沈んでいった。それが付喪神の王の最期だった。後には見渡すかぎりの埋立地が残っていた。水面は再び地面になった。
「手馴れてるじゃないの。すぐにあんな作戦を思いつくだなんて」妹紅が駆け寄ってきた。虚人は妖力の供給を失って虚数世界へと帰っていった。
「そりゃあそうじゃ。元はといえばあやつは儂が封印したんじゃからな」
「ほう?」同じく駆け寄ってきていた慧音が言った。
「儂は佐渡の外では主に貧民窟を根城にしておったからのう。ちょうど今の人里のような衛生状態でな。ゴミの山の中からあいつが現れて暴れた時はそりゃあもう大変じゃった。街全体が今日みたいなパニック状態で、子分総出で三日三晩経ってやっと巻物に封印した」
「で、その巻物が巡り巡って幻想郷に辿り着いたってわけ?」
「そういう事になるな。鈴奈庵であの巻物を見た時は驚いたよ。そこにあるだけで付喪神を増やす巻物、封印しててもこいつが仲間を増やすことは止められん。里で人間が生活を営む限り、付喪神のべーすとなるゴミも物品も増え続ける。だからせめてこちら側に取り込んでしまおうと考えてたんじゃが……数百年経ってやっと利用価値が出てきたかと思ったが、こりゃあ手に負えんかったのう」
「とっておかずに退治しておけばよかったんだ」
「まあそういうな。儂も妖怪の身、同じ妖怪に対して必要以上に厳しい措置は取れんよ。それに当時はあやつに対して封印以上のことをする力が無かった。妹紅どのと慧音どのとの連携があってこそじゃ」
「それで私達を立てたつもり? 嬉しいけど」
「ごめんなさい、ごめんなさい」小鈴が虚ろな目で言う。
「儂も悪かった。鈴奈庵という妖魔本の一大集積地を最悪の形で利用すればこんな事になるとは分かりきっておった。下手に利用しようとせずに止めておくべきだったかもしれんのう。今となっては手遅れじゃが」
 怪王の残骸から転がり出てきた徳利・盆・漆器といった器物の付喪神たちが里の中心に向けて走って行くのを四人は見かけた。特に害は無さそうなので捨て置くことに決めた。
「アレは戻らないの?」妹紅は言った。
「怪王の魔力の供給を失った付喪神は三日から一週間ほどで道具に戻るじゃろう。それまでは混乱が続くじゃろうな」
「皿とかいっぱい割っちゃったよね」
「里全体が財産を一度に失うことになるな。仕方あるまい、人命優先じゃ」
 体育座りで休んでいる小鈴を妹紅達は囲んでいた。まず妹紅が小鈴の目が赤色なのを確認して診てやった。髪や服は泥だらけで、ところどころに瓦礫やガラスの破片によるものと思われる刺し傷や擦り傷が見られた。怪王の頭部に埋まっている間に出来たのだろう。しかし即座に命に関わるような傷は無さそうだった。いや、これは一度大きな傷を付けられているのが治っているような──それに首筋に一対の刺し傷。妹紅は不審に思い、眉を寄せた。
「まだお父さんが、お母さんが」小鈴がか細く言った。赤色の瞳は潤んでいた。
「泣くでない。直に助けてやる。寺の連中も来るはずじゃ」
「そうじゃないんです、お父さんとお母さんは……」
「助けるのはこっちのほうよ。鈴ちゃんを渡しなさい」女性の声がした。四人は池に沿った通りの向こうを見た。
「小鈴、いらっしゃい」本居夫人だった。若草色の和服と対照をなす飴色の髪は小鈴への遺伝を思わせたが、彼女はそれを肩まで届くストレートにしていた。しかし同様に遺伝している赤色の瞳は今は緑色にぎらぎらと輝いている。
「お父さん、お母さん」
「駄目じゃないか、パパから離れてそんな化け狸と仲良くしちゃあ」本居氏が言った。その両手は阿求の肩に置かれている。阿求の瞳も緑色だ。小鈴を嘲るような三人のニタニタ笑いから目を背けるために小鈴は両手で目を覆った。
 そして本居夫妻たちの前後にも亡者の群れが続いている。三人の阿求、三組の本居夫妻……百人、いや三百人はいようか。分身で四倍に水増しされた五分間吸血鬼の一個大隊が妹紅たちを挟んでいた。その内の何十人かは空を旋回し、獲物が飛んで逃げないか慎重に伺っている。その中には先ほど妹紅と慧音が助けた一家の姿もあった。彼らと同様に怪王に家屋を破壊されて逃げ出した住人たちを暴漢達が即席の吸血鬼にしたのだ。後はねずみ算式だった。
「妹紅、どこまでやれる? 満月だから私はもう少しいけると思うが」
「もう一度ウーを呼び出すだけの妖力は流石に残ってないかな~」
「こいつら全員相手に五分間か。小鈴だけでも逃がせるかのう?」
「駄目よ駄目、駄目。小鈴は今から私と一緒になるんだもの。私、初めては小鈴の血が欲しいわ。誰よりも先に!」阿求が言った。垂れるよだれと共に吐出される言葉には小鈴の背筋に震えが奔るほどの熱情が込められていた。本居氏は自分が先に小鈴の血を吸ったことは阿求に黙っておいた。
「鈴ちゃんも阿求ちゃんと一緒にいる方が嬉しいだろう? そして私達は里一番の実力者たちの身柄を仲間への手土産に持っていくというわけさ」
 四人の逃げる隙間を作らないように慎重に先頭の吸血鬼達がにじり寄ってくる。マミゾウは隙間を見つけられるか図っていたが、それを発見するたびに吸血鬼の内誰かが霧化して埋める。押し切ろうにも妹紅は妖力切れ、慧音も残り少ない。マミゾウが手下を全員呼び出しても切り抜けられるビジョンが見えない。
 五分間の時間切れを迎える前に押し寄せようとしたその時、地平線から火の玉が打ち上がった。弾ける前の花火のように煌々と煌めくそれを吸血鬼達は目に止め、俄に騒ぎ出した。
「あれは……何?」妹紅が言った。
「とうとう来たか」マミゾウが言った。眼鏡の縁が照らされて光った。

 命蓮寺墓地。レミリアは柳に背をもたれている。
「へへ。クリーンヒットだ」
 レミリアは親指で唇についた血を拭った。拭いてくれる咲夜は今は隣にいない。やってしまったことの尻拭いは自分でしなければならない。
 魔理沙は遥か後方の、大祀廟の洞窟の入口の方を見やった。新しく植えられた低木の群と岩で巧妙に隠されてはいるが、恵まれた観察眼があれば人為的に塞いだ跡があるのを見て取れるだろう。
「今の感触だと、既に産んだ卵を守る人員を除けばだいたい移動が終わったところだな。もうここを守る意味もあまり無い。諦めな」
 レミリアの返答はなかった。
「ところで……吸血鬼の身体に光の魔法は堪えるんじゃないか? ちょっと心配なんだが」
 レミリアはなおも応えなかった。魔理沙は不審に思い少し近づいて顔を見ると、レミリアの口元がニヤニヤと曲がっている。まるで声を発したら手の内が読まれでもするかのように必死に押さえつけた笑いだった。
「おい、なんだその余裕は」
「ええそうね。吸血鬼の身体に光は堪えるわねえ」
「どうした? 気でも狂ったか?」魔理沙は『敵を心配するだなんて、ずいぶんと余裕だこと』といった反応を期待していた。
「いや、ちょっと面白すぎてね。ホント辛いわよねえ、『吸血鬼の身体には』!」
 レミリアは魔理沙から視線を外して空を見上げている。魔理沙はそれに合わせるように背後を振り返った。何かが、何かが空を昇っていく。魔理沙は最悪の可能性に思い当たった。
「ふふ、アレ、なんだか分かる? 事前に気づくのは無理だったでしょうけど、諦めるのは貴方。そろそろ来るわよ」
「させるかよ!」

「ブレイジングスターのような鬼ごっこ」

 魔理沙は怪光線を周囲に纏い火球の方面に向けて跳躍した。レミリアが旋回して立ち塞がりありったけの炎弾を放出して阻む。蝙蝠が上空を舞いだした。
 魔理沙は分身を三つ生み出してレミリアを足止めしにかかった。自分は大きく弧を描いてレミリアを迂回するが、上空に展開されていた蝙蝠から血液の雹が降り注いでこれを防いだ。顔への衝撃を和らげるべく魔理沙はその身を屈める。
「何のために私が墓場にノコノコ出てきたと思ってるの? あんたをここに釘付けにしておくためよ。私が蚊の主要なアジトを襲撃するとなれば絶対あんたレベルの実力者が出てくるはずだからねえ。だからここに来るまでに派手に暴れてやったわ。あんたがどうあっても気づくように」
「おいおい、それって」
「そう。つまりは、時間稼ぎよ」
「畜生」

 『それ』は原始の熱そのものだった。何かを察知した蚊や空を巡回していた五分間吸血鬼が『それ』に近づこうと試みるが、中途半端に距離を詰めては灼かれるだけだ。その熱量と勢いは蚊とその奴隷をまるで寄せ付けず、幻想郷の空をぐんぐんと登っていく。光が頂点に達して瞬いた刹那、幻想郷中を閃光が走った。『それ』が体内に秘めたエネルギーを開放した。

「地獄の人工太陽」

 夜が昼になった。眩く輝く天空の頂点に立つのは『地底の太陽』霊烏路空である。天蓋全てを紅く覆うプラズマ塊の圧倒的な重力が辺りの空間を歪め、光さえも針金のようにねじ曲げていく。重力から逃れたことが出来た荷電粒子は太陽風として吹き荒れようと辺りを伺っている。

「なんだこりゃ。霧の下にいない里の五分間吸血鬼は全滅だな」紅い霧の下にいても光が身を焼いていくのが分かる。
「いい気味だわ。ちょっとはお天道様の下に出れない苦しみって奴を味わいなさい」
「だがまだ蚊は無事のはずだ。昼でも大丈夫なように洞窟や日の当たらない木陰にも繁殖地を作っているからな。月の下に出ていたグループはまず死ぬだろうが、全滅さえ免れればまだ増える。今後はもっと慎重に増えるように奴に言っておくぜ」
「それはどうかしらね?」レミリアは蝙蝠を頭上に展開して盾にした。紅い霧だけでは足りない。

 幻想郷の天辺で霊烏路空が湿度をたっぷり含んだ空気を肺いっぱいに吸い込んだ。天体は更なる力を開放しようとしていた。水素とヘリウムの形作る輪郭が波立ち歪む。
「ガンマ線ッ……バァァアアアアストッ!」
 太陽の表面をプロミネンスがうねり、コロナが奔る。爆発音が鳴り響き、見えない光線が放たれ、紅い霧をも透過して地面に降り注ぐ。卵、幼虫、さなぎ、成虫。木陰で、水辺で、上空で。雄雌拘わらず、コミュニティを形成している吸血蚊が次々と蒸発していく。
 核融合で生成し、通常はほとんどが太陽内のガスに吸収されるガンマ線の一部を幻想郷中に放射。ガンマ線は通常の日光と異なりボウフラや卵が木陰に隠れていようと透過する。そしてその波長は紫外線より短い。加えて他にも様々な宇宙線の嵐が日陰や地中の蚊の命さえも容赦なく摘み取っていく。
 空は地上の各所から黒煙が上がるのを確認してご満悦だった。蚊の断末魔が目に見える形となって立ち上っているのだ。
「あっはっはっは、上手くやったわ! 山の神様に頼まれてからこの時のために練習してきたんだもの。このまま一日中お昼にしちゃおうかしら!」
『お空、それ以上は皆が危険よ! 戻っていらっしゃい!』
「はぁいさとり様。残念ー」
 陰陽玉からの声に止められ、空はしぶしぶ撤退の準備を始めた。プラズマのエネルギー塊が収縮して胸で紅く光る目に吸収されると、後には空を背後から照らす星々と満月だけが残された。先程の幻想郷白夜化計画の野望はさとりの喝ですっかり空の意識から抜け落ち、頭の中に残っているのも地霊殿に戻ってお燐とおいしいごはんを食べることだけだった。線香花火の落ちるように大鴉は地へと降下を始めた。

 人里の大池前。吸血鬼の分身たちが次々と倒れて消滅し、本体の七十五人を残すのみとなった。紅い霧も蒸発して辺りの空気が済み渡り、慢性の偏頭痛患者の集会のように呻き声の合唱が辺りに渦巻く。この混乱に乗じてマミゾウは小鈴たちの頭に葉っぱを乗せた。
「ちょっと、何が起こったのよ」妹紅が言った。
「これからおぬしらを吸血鬼化した里人の姿に変える。そうすれば紛れて逃げられるじゃろう」
 それでも五十人がすぐに持ち直した。小鈴の両親と三人ほどの外套が進み出る。妹紅達は自分たちの何人かを犠牲にしてでも小鈴を逃がす覚悟を決めた。

妖雲「平安のダーククラウド」

 黒雲の粘土玉が二つほど宙から落ちてきて潰れ、暴徒の集団を包み込んだ。中は動揺にうごめいて怒号が挙がっている。
 黒い靄が晴れると獰猛な怪鳥の群れ、いや蛇の群れとも言える何かが本居氏の周りを取り囲んでいた。ある者は口のあるべき場所から蛇の束を生やし、またある者は頭から鷲の下半身を伸ばしている。醜い傷口を隠すかのように怪生物たちの身体のところどころを塞いでいるのは紫色に無機質な光りを発するモザイク模様。
『(’’#お父さ’)%#$#どうし’&()fajfajたのs22?』金属音の混ざった声がする。隣にいるのもまた化物。ぬらぬらと黒光りしているその姿は蛸とも烏賊とも形容しがたい。どちらにしても地上よりは深海にいる方がお似合いの類だ。
 本居氏は全身に鳥肌を立てて叫んだ。目を見開いてマミゾウの方に突進したかと思うと進路を変え、怪王の残滓の浮かぶ池に飛び込んで泳ぎだす。続いて恐慌状態に陥った里人たちが飛沫をあげてレミングとなった。全身が泥水とカスに塗れて押し合いへし合いしている様は阿鼻叫喚の見本市である。
 それでも何人かは幻惑されなかった。外套に龍神の面を付けた吸血鬼は鉄球を投げつける準備を始め、小尉の面は炎弾と使い魔を身に纏った。お多福の面は形勢不利と見て仲間たちに逃げようと呼びかけた。
 チャンスだ。マミゾウがバックステップを決めて飛び上がる。後ろの地面から地響きを上げて鳥居が生え、マミゾウはその上に飛び乗ってあぐらを掻いた。妹紅と慧音は小鈴の手を引いて鳥居の前から退いた。

変化「百鬼妖界の門」

 中から妖怪変化たちがぬらりと現れ出た。鬼・雪女・女郎蜘蛛の形をとった化け狸たちの列がそれぞれ前後に疾走する。泡を食う吸血鬼達を高速回転する輪入道が轢き潰していく。山嵐のような白髪を頭から生やしたしょうけらの爪が能面の里人達の外套を引き裂く。本居夫人は両手を上げて逃げるも着物の裾を踏んで転び、提灯お化けに飲み込まれて意識を失った。
「小鈴! 大好き! 貴方の血をちょうだい!」自棄を起こした阿求が妖怪変化の間を縫って小鈴に突進してきた。闇雲に空を引っ掻く爪の真ん前に慧音が剣を一閃、怯んだ隙にハクタクを仕掛けて影の中に捕らえた。黒いカーペットに巻かれて手足が動かず、霧にもなれない。
「この……この……」うつ伏せになってじたばたともがく阿求の所へ小鈴が歩み寄った。しゃがみこんで、紫色の髪のつむじの辺りを撫でてやる。
「阿求が落ち着いたらいくらでも飲ませてあげるわ。もっとも、戻った頃にはそんな気持ちは起こらなくなっているでしょうけど」
 阿求の蒼白な頬に赤みが差した。
 鳥居から下りたマミゾウの頭上に、封獣ぬえが逆立ちしていた。背中から生える異形の羽は重力に逆らって上に垂れている。
「はあーいマミゾウ。応援にきたよー」
「おう、助かったぞい」
「もうちょっと鍛えたほうがいいんじゃないの? あんな烏合の衆に追い詰められちゃってさあ。私だって正体不明の種を簡単に埋め込めたのに」
「儂の術はおぬしの術とはちょいと性質が違うんじゃよ。心配しなくともいずれこの借りは返してやるとも」
「お父さんに何をしたの?」小鈴が口を挟んだ。阿求は足元でぐったりとしている。
「ちょっと相互不信をプレゼントしてあげただけよ。溺れなければ時間経過で正気に返ってるわ」
 慧音が言った。「お前がぬえか。お前が来たということは……」
「ええ、他の寺の連中も来てるはず。特に寅丸はカンカンよ」

 商店街の薬屋。薬屋の主人が目覚めると、窓の外を煙が覆っていた。天井にも靄がかかって見える。焼けた建材の悪臭。階下を炎が炙り、この二階にも煙が侵入しつつあるのだろう。目眩と吐き気がする。窓から飛び降りればまだ助かる見込があるのに身体が動かない。ガスの中毒だろうか?
 薬屋の主人は昼に吐いた言葉を後悔した。防虫を商売にした時から自分が殺されるのは確定していたのだ。
「畜生、中途半端に屈するようなことはやめておけばよかったんだ」
 どの道死ぬなら最後まで蚊と戦えば良かった。自分はこのまま炎の到着を待つまでもなく一酸化炭素中毒で死ぬだろう。薬屋の主人はガスがこのまま自分の意識を奪ってくれる事を祈った。少なくとも炎に巻かれて焼けた肉が縮こまって死ぬよりはマシのはずだ。五感が奪われていく。ほら、もうすぐ扉の奥から炎が……早く。

浸水「船底のヴィーナス」

 扉の隙間から噴き出たのは炎ではなかった。扉の下から水が滑り込み、たちまちの内に寝床を主人ごと飲み込んだ。窓の外も煙の代わりに水が覆っており、月光が液体を通して煌めいて歪んだ。
「悪いですけど、商品は諦めてくださいね」
 水の中から幽霊然とした少女の姿が現れた。村紗水蜜は診療所で貰った酸素ガスのボンベを薬屋の主人の口に当てると、薬屋の主人を背負ったまま窓を開けて外に飛び出した。水の中から抜け出る。薬屋の主人が最後に見た光景は、自分の城を暗青色の立方体がすっぽりと包み込んでいる姿だった。村紗は里の永遠亭出張所へと主人を運んでいった。今頃は診療所もパンク寸前だろうが、永遠亭なら上手くやってくれるだろう。

「ぐえっ」
 黒い煙を吹き出しながら魔理沙が墓場の敷石に落ち、転がってうつ伏せに倒れこんだ。宙のレミリアからもぶすぶすと黒煙が舞う。全身の各所に軽い火傷の痕。純血の吸血鬼にも流石に堪えるが、魔理沙達や吸血蚊よりは痛手は軽い。
「フランは大丈夫かしら。今夜はずっと地下室を霧で満たしておきなさいって言った事を守ってればいいんだけど」
「くそ、こんなのアリかよ」
「健康への配慮、その他諸々の調整に時間は掛かったけど、何とか間に合ったようね!」
 魔理沙は八卦炉を構えて蝙蝠たちをなぎ払いにかかった。
「時間稼ぎは終いよ」
 レミリアの姿が紅く揺らいだ。

「紅色の幻想郷」

 レミリアの体内から四方八方へと血液の洪水が溢れ出る。林立する墓石・卒塔婆・敷石・その他墓場に存在するあらゆる物体が血みどろのぬるぬるとした質感を持った。生け垣が肉塊となり、柳が白骨となる。卒塔婆と墓石に刻まれる梵字までもが呪いの意味を持つかのようだ。あたりに鉄の匂いが立ち込める。池ほどの大きさをもった血液塊が空中に撒き散らされ弾けて飛ぶ。ピアノの速弾きの如き巧みさでレミリアは赤黒の大鎖を操った。今のレミリアは血液そのものの化け物だ。
『コールドインフェルノ』
 魔理沙は残りの全魔力を精霊魔法に振り向けて凍らせる。血液が固まり、赤黒の氷塊となってレミリアに逆流する。レミリアは氷塊を躊躇なく蹴りあげた。弾き返された大塊は魔理沙を地面に押しつぶして砕け散る。血氷は欠片となってなお魔理沙にまとわりつきその身を削る。魔理沙を守っていた氷球が血塊の砂利の大質量と摩擦で粉々に砕けた。
「ちくしょう……」
 無防備となった魔理沙を新たな血の幕が覆い尽くし、中から現れ出たレミリアがその首筋に牙を突き立てた。魔理沙の肩から腕にかけてを血液の鎖で縛り付け、墓場のひび割れた石畳に組み敷く。吸血蚊の魔力を大量に含んだ魔理沙の血液を貪欲に取り込んでいった。
「んっ……ふうぅ」
 魔理沙はひっくり返った昆虫のようにしばらくもがいていたが、レミリアに活力を奪い返されてその勢いも止まる寸前の振り子だった。時折電撃が走ったようにビクリと身体を震わせ、情けなく力の抜けた表情をしている。緑色の薄くなりつつある眼の焦点があっていない。勝敗は決した。魔理沙の牙は引っ込み、羽は萎れて開いた背中に痕を留めるばかりだった。
「債権、回収!」
 寝そべって軽く痙攣している魔理沙をレミリアは助け起こした。その眼は金色だった。魔理沙の側にどこからともなく一匹の蚊が近づく。生き残りだろうか。
「あ、この」レミリアは蚊を焼き払おうとした。
「待て」魔理沙は両の手のひらで蚊を叩き潰した。的中。右手に張り付いた蚊を見て、卑屈ではない笑みをぼんやりと浮かべた。左手の人差し指から魔法で紫外光を出して消滅させる。黒い煙が上った。魔理沙の顔は多少やつれてはいるが、命に別状はなさそうだ。
「よしよし」
「さて、詳しいことを話してもらおうかしら? これからこのまま蚊のアジトを潰すんだから」
「あー……なんだったかなー?」
 魔理沙が本格的な思考能力を取り戻すのをレミリアは辛抱強く待った。捕虜の記憶を戻して周っていた時も、彼らはしばらく会話がおぼつかなかった。魔理沙も例外ではないだろう。待つのには慣れていた。レミリアは二、三の質問を出し合って魔理沙の思考回路に油を差してやることにした。
「私達がアジトから蚊を逃がすことも読んでいたのか?」
「そうよ。岩盤の下にいる連中は人工太陽を使っても仕留めきれるかどうか分からなかったから、判明した蚊のアジト周りを白狼天狗とかに監視させておいたの。蚊の行軍が途切れた辺りでジュッ! って寸法よ」
「そりゃあ残念だったな。既に産んだ卵の分は洞窟に残してあるから全滅じゃあないぜ」
「あの看板のメッセージは本当に蚊が書いたものなの?」
「ああ。実際に書くのは仲間で筆が達者な奴にやらせたが、内容は一言一句本人のものだ」
「ゴーストライターじゃないの?」レミリアは眉をひそめた。あの文は原始生物にしては教養がありすぎる。単純な生物から派生した妖怪は思考も原始的なものに終始するものだ。まして生まれてから一年も経たない妖怪が?
「それは単純に群れ全体で神経の数が増えたのと、私の教育の成果だ」
「教育? 玉乗りでも仕込んだの?」
「智慧を授けてやったんだ。家から本をほとんど持ちだしてアジトで読み聞かせてやった。最近はページを捲るのは仲間にやらせて自分で読むようになってたな」
「虫に読み書きを仕込んだですって? 余計な事を」
「そう思うだろ? だがこれからはそれが上手く働く。今なら奴を妥協させられるかもしれないぜ」
「妥協?」
「さっきの太陽光で今や奴も壊滅寸前だ。生き残りたければ外に出て行くなんて野望は捨てるしかない」
「そんな損得勘定が働くかしら」
「そういう風に教育したからな。色んな話をしたぜ。古来から増長した妖怪たちがどんな風に退治されていったか。要らんところに手を伸ばした人間がどのように破滅していったか。結構な文明を築いていたのに、増えすぎた人口で尽きた食料を奪いあって壊滅したイースター島の話。一つの品種を植えすぎて栄養が枯渇してしまった畑の話。闇雲に増えすぎるのは長い目で見れば損だって事をお伽話を通じてたっぷり教えこみ、野望を押さえつける方向というよりは、より抑制が効いて老獪になるように仕向けた」
「教育というより、懐柔ね」
「これが相変わらず虫の原始的な思考のままだったら話し合いなんて出来なかっただろうな。吸血鬼の不死身さと昆虫の繁殖力を併せ持った怪物なんて、とてもじゃないが絶滅させられるもんじゃない。脅すなりおだてるなりして妥協させるしかないんだ。そのためには基本的な損得勘定を理解出来るだけの智慧を授ける必要があった。パチュリーの本に感謝しないとなあ」
「うーん、まだ釈然としないわね。あんた、操られていたんじゃなかったの?」
 その時、血溜まりを踏むぴちゃぴちゃという音がした。二人は大祀廟の洞窟がある方を振り向いた。
 魔理沙が倒されたことを感知したか、仮面に外套の男女がやってくる。魔理沙はその光景に何かを刺激され、全身からガタガタと震えだした。顔の色は先ほどまでに劣らないほど蒼白である。
「あ……あ……」
「大丈夫?」
「すまん。もっと詳しいことは後で話す」
「どうしたの? 気分が悪いの?」レミリアは血を吸い過ぎたかと思い、爪を噛んだ。
「思い出した……今夜里で燃やすの、私の親父の店だ」
「えっ!」
「襲撃計画の中に入ってる。そう私が提案したんだ。このままじゃ親父が殺されちまう。悪くすると香霖も」
「何やってるの! 早く行きなさい!」
「いいのか?」
「あんたがいなくても、あいつらに遅れは取らないわ」
「……分かった、後は任せたぜ!」
 魔理沙は箒を拾って飛び立ち、指で魔法を振るって血の染み付いた服を新品同様にした。彼女はレミリアに感謝の視線を投げると、大砲もかくやという勢いで人里の方角へと飛んでいった。
 ぞろぞろと並ぶ五分間吸血鬼達に向けてレミリアは紅い矢を構えた。亡者たちもめいめいが得意な魔法をその身に纏った。鉄球・炎弾・輝く星々。
「掃除の時間だわ」メイドはいない。自分でやらねば。

 商店街の霧雨店前。博麗霊夢は疲弊していた。その原因は熱帯夜の湿度や連日の夜回りだけではない。
 例によって吸血鬼の側はゲリラ戦術をとっていた。ある時は上空から火炎瓶をばら撒く。ある時は遥か彼方の死角から炎弾を打ち込む。向こうは正面衝突を避け、いつどこから襲われるかこちらは分からない。どのような攻撃が来るにしても、その全てを捌かなければ守れないのだ。妖怪相手でなくても疲労を強いられるものだった。
 紫と通信は出来なかった。紫が霊夢に予告していた通り、今夜はもっと大規模な事への対応で手一杯のはずだ。それが先ほど空から一帯を照りつけた太陽と関係していることは明らかだった。どこか安全で邪魔されない場所から指揮をとっているのだろう。
 いっその事この場所を捨てて、別の場所で暴れているであろう妖怪を退治にしにいっては? もとより守るよりは攻めることの方が得意な性分だ。しかしその考えはすぐに打ち消された。自分が幼い頃に魔理沙の父と霖之助がしてくれた様々な事を思うと、足がこの場所から動かないのだった。どこか安全な場所に避難するにしても、その間に襲われる危険の方が大きい。それに『ここで待っていれば何かが起こる』と生来の勘が言っていた。それは魔理沙と関係があるかまでは分からない。どちらにせよ、魔理沙はタダでは起きないはずだ。
 霧雨店二階の応接間。霧雨氏は沈痛な面持ちで霖之助と向い合って座っていた。会話はない。部屋の隅にある仏壇の遺影には金髪で三十代の女性の写真が飾られている。
 霧雨氏は我が子の要求を頭から撥ね付けた事を今になって後悔していた。妻が亡くなったあの夜から魔理沙は二階の子供部屋で何やらゴソゴソやっていた。それが子どもらしく、また同時に子どもらしからぬ高度なおねだりに変わるまでは三ヶ月と経たなかった。いわく魔法の研究がしたい、店の金を使って道具を揃えてくれと。霧雨氏は却下した。当時の状況を鑑みれば当然の決定ではあった。幼いころの魔理沙はペットに蛇やら猫やらを買おうとしては飽きて放置し、霧雨氏と夫人が世話をする羽目になっていた。どうせすぐに飽きる、すぐに用をなさなくなるもののために大事な店の経営方針を変えてはいられない。そんな余裕があるはずはない。しかし霧雨氏の目算は外れた。魔理沙には魔法使いとして大成するだけの能力があったのだ。それは里を覆っている今の状況が証明している。もし我が子が新しい才覚を育むのを見守ってやれていれば、魔理沙が道を踏み外す事は無かっただろう。しかし妻を亡くしたばかりの夫には次々と運ばれてくる経営上の諸問題を解決するのが精一杯で、我が子の新たな、そして突飛な可能性を喜んで受け入れてやるだけの余裕が擦り切れていたのだ。魔理沙も辛かっただろう。だから魔理沙は未熟なりに世の真理を探求することに慰めを見出したのだ。ライフワークと化すまでに。だからこそ、この私が側にいてやらねばならなかったのに。
「大丈夫です、親父さん。霊夢が付いてくれています」霖之助が言った。その手元にはヒヒイロカネ製の剣が置かれている。霖之助いわく、これもまた魔理沙が香霖堂に持ち込んだ物だという。霧雨氏は娘の『引き』のあまりの良さに目を剥いた。どう見積もってみても神話級の代物である。その真の価値は見逃したにせよ、ある程度は経験を積み感性を磨く事で補えるはずだ。あのまま道具屋として育てていれば……しかし今や道具屋そのものの存続が危ぶまれた。手を伸ばし、娘の縁の品にそっと触れる。冷たい感触。
 霧雨氏は窓の中から、外で吸血鬼達と戦っている霊夢の姿へと視線を移した。五歳にもならない頃からあの子は魔理沙と良く遊んでくれていた。魔理沙を勘当した翌日にも遊びに来てくれた。魔理沙がこの家にいないと知った時の霊夢の困った顔は今でも印象に残っている。魔理沙が霧雨店にいることはもう永久にないと霊夢が理解できたのはいつだったのだろうか? 勘当されたと知った後も、霊夢は魔理沙とくっついて良く遊んでいたようだ。霖之助がその様子を時々知らせに来てくれた。魔理沙がこうなるということを霊夢は見抜いていたのだろうか? だからいつも魔理沙の側にいてくれていたのだろうか? 疑問は尽きない。だが全てが遅すぎた。
 霊夢は通りの向こうに外套の一団を見た。何かから逃げているように見える。太陽のせいで壊滅的なダメージを受けたのだろう。二十五人はいるように見える。その中には文車妖妃が解き放ったと思われる火の妖怪が混じっている。天狗火の妖怪・松明丸など。
「ちょっと! 数が多すぎるでしょう!」霊夢が言った。
 吸血鬼も大いに慌てた様子だった。
「げっ! 博麗の巫女です! このままじゃ挟み撃ちだ!」先頭の泣尼の面を付けた男が言った。
「迂回は?」リーダーらしき大黒の面を付けた男が言った。霊夢とはなるべく戦いを避けるように彼らは『霧雨のお嬢さん』から助言されていた。
「無理です! 追いつかれます!」
「仕方ない、押し切れ! 残りの火炎瓶を全部投げつけろ!」
 数十の鉄球と星雪崩が霊夢の張った結界をぶち破る。霧雨店への直撃は避けられたが霊夢の働きをもってしても捌き切れない。吸血鬼達は有利と見て一斉に火炎瓶と炎弾を投げつけた。星空を橙色に覆う体積のそれを相手にし、何の守りもなければ木造建築など消し炭だ。
「待て! こら!」魔理沙が箒に乗って吸血鬼達を追ってきた。

「マジックアブソーバー」

 向日葵の大輪が霧雨店の上空に展開され、炎弾・火炎瓶・松明丸の炎を次々に吸い込みその熱量を紅い魔力塊に転化する。魔理沙は全身でそれらを吸収し、レミリアとの戦いの傷と疲労をたちまちに癒やした。吸血鬼の身体では得られなかった太陽の力だ。
「よっしゃあ! 間に合った!」

流星「スーパーペルセイド」

 魔理沙が指を振って号令を掛けると、青い光を纏った鉄球が流星群となって降り注いで吸血鬼達の頭を直撃した。割れた火炎瓶が外套に燃え移り暴漢達が悲鳴をあげる。鉄球が落ちた所から星型弾の破片が散らばって辺りを埋め尽くす。不幸にも巻き込まれた付喪神が数体砕け散った。
「ちょ、霧雨のお嬢さん、どうして!」外套の能面達が悲鳴を上げた。言葉を発する余裕のある者達は運良く顎は砕かれていなかった。
「よう香霖、ツケを返しに来たぜ!」魔理沙は前方に八卦炉を構えた。吸血鬼達が背を向けて逃げ出そうとする。窓の中であんぐりと口を開けている初老の父親を横目に留め、魔法使いはニッと笑った。

恋符「マスタースパーク」

 魔法光の奔流に飲み込まれて松明丸が消滅する。衝撃波が霧雨店を震わせ、残りの吸血鬼達は背中を焼かれて吹き飛ばされていった。

 人里の中心からやや離れた住宅街。瓦解した吸血鬼達のグループは撤退戦を始めていた。その中には眼鏡にショートカットの女性に、スパイから実行部隊に鞍替えした短髪の男とその母も含まれている。さらに今夜は鈴奈庵から持ち出された妖魔本に封印されていた乳鉢坊・払子守・木魚達磨といった仏教に纏わる付喪神達も加わっていた。このグループは命蓮寺などの檀家の横の繋がりを介して仲間を増やしていたのである。
 逃げなければ。眼鏡の女性は歯をカチカチと鳴らして路地を逃げ惑っていた。毘沙門天の法力を悪事に使ったから仏罰が下ったのかもしれない。吸血鬼対策が進んだ今はそこら中に蝙蝠を捕らえるための罠が仕掛けてあるので空を飛ぶ選択肢はナシだ。肉体強化を足へと利用し、迷路のような路地を掻い潜る。やがてグループは丁字路に突き当たった。
「二手に分かれましょう」眼鏡の女性のグループが左に行った。木魚達磨がごろごろと転がって付いていく。
「よし、そっちは任せた」短髪の男のグループが右に行った。乳鉢坊と払子守がついていく。

 もう少し先に角があるはずだ。そこを左に曲がれば逃げられる。目的の十字路を見つけて短髪の男は口元を歪めた。他の吸血鬼達の能面の下にも安堵の表情が浮かぶ。
 突如として十字路の左の方から編笠を被った人影が現れた。グループの進路を塞ぐように道の真ん中に立ちはだかる。
「邪魔だ!」短髪の男は炎弾を仕掛けた。

「遊行聖」

 人影から紫色の雲が立ち昇り、辺り一帯をたちまちに覆った。俄に紫色の豪雨が振り出し、炎弾を掻き消すとともに吸血鬼達の退路をも断った。亡者たちの身体から力が抜ける。
 慌てふためく仏教徒たちに短髪の男が一喝する。「慌てるな! 霧雨のお嬢さんに習った通りにやれ!」
 短髪の男がマントラを唱えると、青白い光がその身を包んで雨を弾いた。他の吸血鬼達もそれに倣い、いくらか落ち着きを取り戻した。日光以外は吸血鬼特有の弱点を気にする必要はない。毘沙門天の加護があるかぎり。
 人影はおもむろに編笠を放って捨てた。その下から紫と金のグラデーションの掛かった豊かな長髪が現れる。仏教徒たちの顔が引き攣った。白蓮の開いた経文の、四角で構成された文字は所有者の意図を読み取って虹色に光った。白蓮の身体も蒼く眩く輝く。
 短髪の男は腹を決め、肉体を最大限強化して受けて立った。間に鉄球を設置して盾にする。

超人「聖白蓮」

 突進。破壊的な運動量を乗せた肩で鉄球が突かれ、衝突振り子の要領で運動量が鉄球に移り一度に五人の吸血鬼が巻き込まれて潰れた。残りの吸血鬼達も白蓮の二度目の体当たりで上に弾き飛ばされて錐揉み回転する。
「法力を使った悪さは私が許しません!」
 十字路の左の方から古明地こいしが顔を出した。
「あれー、妖怪は人里を守っちゃあいけないんじゃなかったのー?」
「何を言っているの、今夜きっと決定的な行動があるって情報を寄越したのは貴方じゃないの」こいしの後ろにいた一輪が言う。泡を吹きながら這いずりまわる付喪神達を雲山は無造作に掴みとっている。
「こいしちゃん、覚えておくと役に立ちますよ。これは勧誘といいます。私たちの目的は迷える人妖に仏の道を布教すること。いいわね?」白蓮が言った。ちぎっては投げ、ちぎっては投げ。
「馬鹿なことは止めてウチにおいでよってことね」水蜜が言った。薬屋の主人を無事に送り届けて白蓮達と合流したところだ。
「あ、それ知ってる。方便ってやつでしょー?」

 眼鏡の女性もまた前方の宙に人の影を認めていた。法力レーザーを乱射し、黄色い蛇がのたうって宙を走る。人影が何かを掲げ、全面に立つ小尉の面の腹に紅い曼荼羅が映しだされた。

法力「至宝の独鈷杵」

 緑の光柱が十字に組み合わさって回転し、吸血鬼達を巻き込んでなぎ倒していく。
「よくも、よくもナズーリンを虐めてくれました! 今こそ借りを返す時!」寅丸星は激昂していた。
 女性の打ち出した法力レーザーが向かってくる。寅丸はそれを認めると、片手の爪で打ち消した。寅丸は眼鏡の女性を見下ろした。その素顔は小童の能面に隠れて見えない。寅丸は訝り、眉を上げた。
「おや、貴方も法力を使うのですね。私と同じく仏門の徒と見えます」
「ひっ、ひぃい!」
「法力を使って悪事を働くグループがいると噂に聴いていましたが、なるほど本当でしたか」
 眼鏡の女性は怯えていた。信仰し、日々すがっている毘沙門天の御本尊そのものが目の前に現れたのである。寅丸への恐怖は蚊の支配を上回る勢いで、今すぐにでも土下座をしたい気分だった。
「共に仏道を学ぶ身、このような蛮行を働く貴方にも何かしらの正義があるのかもしれません。私はそれを否定しません、が──」
「はぁーっ、はぁーっ」
「もし貴方が道を誤っているのであれば」
「ひっ」
「現世に有りてなお輝き続けるこの法の光──」
「あぁ……」
「この毘沙門天の宝塔の前にひれ伏す事になるでしょう!」
「嫌ぁァああアアあ!」
 眼鏡の女性はひれ伏した。寅丸の身体が輝きだした。全身から溢れ出る力は他の吸血鬼達の法力とは比にならない。

寅符「ハングリータイガー」

 寅丸が突進し、牙が女性の肩を捉えた。肩でタックルを食らわせ、黄色い光の塊が他の吸血鬼ごと通りの向こうへと吹き飛ばしていく。結局は寅丸も白蓮と同じく肉体派だった。
「宝塔、使ってないじゃないっ!」眼鏡の女性はそういうと、肺に残る酸素を吐き切って徐々に意識を失っていった。

 大祀廟の洞窟。レミリアは命蓮寺が洞窟に施していた封印を破り、昏い岩の路を奥へ奥へと進んでいた。内側から封印を張り直したため、外に置き去りにしてきた五分間吸血鬼達はしばらくは入ってこれないはずである。様々な色に薄く染まった石が無秩序に散りばめられた様子は出来の悪いステンドグラスのようだ。どういう原理か洞窟内には追い風が吹いてレミリアを後押しする。また風の強さがある程度蚊を退けており、これもまたレミリアには追い風となっている。辺りには蚊の羽音に混じって水音が鳴り響くが、運の良いことにレミリアの前進を阻むほどの水量は流れていないようだ。
 しかし奥になるにつれて蚊の密度が濃くなってきた。今も交尾を済ませた蚊の一団がレミリアに接近しようと試みたが、レミリアの纏うピンク色の光を感知すると退いていった。レミリアは先程の夜の力を吸収・放出する原理を応用し、一種のオーラとして体表を覆うことで身を守っているのだ。レミリアは蚊と子と親の関係にあるせいか、蚊に刺されても操られることはなく熱病をもたらすアレルギー反応も起こさない事が永琳の行った実験により分かっている。だが痒いのは御免だし、レミリアの血を与えてしまうことでわざわざ蚊の魔力を増やす必要もなかった。
 やがて最奥部の門にたどり着いた。その表面には黒ひげを下まで垂らした漢族の絵が並んでおり暑苦しい。レミリアは門の蝶番の側に描かれた漢字を見た。
「海……澄み……? 今は関係無さそうね」
 レミリアはその門も破った。蝶番が軋み石の扉が跳ねて音を立てた。蚊の立てる羽音がもっと強くなる。
 レミリアは更に数分ほど進む必要があった。途中で岩や蚊の群れの黒いノイズに交じって炊事場・置き去りにされた家具など、人間がここで生活していた形跡に出会った。魔理沙と里の人間たちは間違いなくここで暮らしていたのだ。大きな水たまりらしきものにも出会ったが、辺りが暗かったためにそれが温泉の跡だとはレミリアには分からなかった。魔理沙の魔力熱も供給されず湯気が立っていない。一時は里人たちの奇妙な共同生活が送られていたアジトも今となってはただの残骸だった。
 真の最奥部には地底湖があった。腐った蓮の花と葉が浮いている隙間をボウフラの一団が黒々と蠢いている。水面で埃のように漂っているのは螺旋状に連なった卵だ。その振動する様子はレミリアの限られた光でも暗い水面と容易に見分けがついた。石の島の上には木の柱を張り巡らされた八角塔が屹立して、その先端は天井に吸い込まれている。一時は聖徳王の身体を収め神秘的な雰囲気を漂わせていたこの霊廟も、今は新生物の跋扈を象徴するモニュメントとなっていた。ここは蚊の密度が最も濃い。レミリアはここに何かがあると直感した。
「来てやったわよ」レミリアは地底湖の縁に立った。
 一度に多人数が話しているようなエコーの掛かった声が天井から響く。
「貴方が」「レミリア・スカーレット?」
「あら、よくご存知で」
「魔理沙が言っていた」「貴方について」「……」「魔理沙は?」
「私が取り返した。もうあの白黒からあんたが盗むモノは何もないわ」
 この生物に歯ぎしりというものがあるとすれば、今立てた音がそれだった。反響する羽音がレミリアに警告するサイレンのような響きを含んでいる。
「そうか」「魔理沙は面白かった」「我々は多くの事を学んだ」「実に残念だ」
 羽音が弱まった。
「でも」「仕方ないかな」「所詮は血で繋ぎ止めておくだけの関係だった」「そちらがどんな手品を使ったのかは知らないが」「それがひっくり返された以上は」「……」「何をしに来た?」
「名誉を取り返しに来たわ」
 しばらく思案した様子だった。
「名誉か」「名誉のために人は死ぬ」「恥辱のために腹を切る」「せっかく拾ったはずの命を」「芥のように投げ捨てる」「意味が分からない」「無い方が良いのでは?」
「よく喋る虫ね」
 口数の多い者が知性も高いとは限らない。しかし相手の知能が必要最低限以上の水準であることは今の会話が示していた。
「でも、あんたがどれだけ智慧を付けた所でもう意味はないでしょう? 王手よ」
「確かにチェックではある」「だがチェックメイトではない」「正直言って驚いた」「我々の九九.九九%は滅ぼされてしまったよ」「今のたった一撃でだ」「だが一週間足らずで」「我々は三百倍になれる」「二週間もせずに元通りだ」
 身内をほとんど殺されたにしては、機械的で冷静すぎる声だった。個々の自分の価値が極限まで薄まっている、生まれながらの全体主義者。ただ種が存続しさえすれば良い。
「何度でも増えればいいわ。何度でも滅ぼすから」
「しかしあの光は」「あまり乱発できない」「違うかな?」「我々のほとんどを滅ぼせる光が」「他の生物に害が無いとは考えにくい」
 レミリアは思案した。高線量のガンマ線は遺伝子を傷つけ、発癌させる。今回の作戦は吸血蚊が普通の生物よりガンマ線に遥かに弱いからできる事だが、何度も繰り返せば幻想郷中の生物に悪影響を及ぼす可能性があった。
「しかし不死身の我々も」「こんな事が続くのは御免だ」「今は全滅しなくても」「後遺症が子孫に伝わるかも知れない」「それは全ての生物に同様で」「誰も得しない」
「今更何を。お前は幻想郷中を敵に回してしまった」
「いや」「全くそのとおりだ」「もっと早く気づくべきだったのだ」「このままでは泥沼だ」「終わりがない」
「あの人間が教えてくれた」「この地にはこの地なりの秩序があると」「それを守ることが出来ないのなら」「我々は種として排除される運命にあると」「我々は悟った」「増える事を重視するあまり」「秩序を崩してしまった」「均衡を欠いてはならない」「幻想郷中を敵に回しては勝てない」「生きるという目的が達せられられない」「だから我々は一つの妖怪になる」「妖怪にさえなれば」「駆除されるべき害虫としてでなく」「一つの個人として扱われる」「我々に幻想郷の法を適用する事を要求する」「スペルカードルールに則って扱われる事を要求する」
 都合のいい奴だ、とレミリアは思ったが、それについては何も言わなかった。幻想郷に住む者なら忘れもしない吸血鬼異変。外からやってきた吸血鬼達が争うことを忘れた妖怪達を束ねて実力行使に出た。幻想郷の妖怪の力を結集して多大な犠牲を払った末に鎮圧し、再発防止のために『適度に争いを起こす仕組み』スペルカードルールを作ったのだった。今ここに新しい侵略者がおり、それをスペルカードルールの俎上に載せるには同程度の犠牲が必要かもしれない。すんなり載せられたらそれこそ釣り合いが取れないというものだ。
「で、私はあんたのどこに弾を当てればいいわけ?」
「待っててくれ」「今作る」
 俄に水面が大きく波立った。地底湖の中央に水面が盛り上がり、夢殿の底面を浸す。まず卵が動いた。おもむろに八角塔の扉が開き、その中に卵を含んだ水が流れ込んでいく。次に体中のヒゲを掻き込んで有機物を食んでいたボウフラが結集した。これもまた八角塔の中に滑りこんでいく。蛹も同様に入った。これだけで地底湖の水が五分の一程減ったように見えた。残った水にボウフラは一匹もいないが、睡蓮が腐ったままである。最後に扉の中へ成虫達が渦を描いて吸い込まれていった。五分ほど掛かっただろうか。視界を妨げるほどに地底湖中に蔓延っていた吸血蚊は、一匹もその姿を留めていなかった。
 八角堂の中で羽音の反響する音が漏れてくる。娘が母に、息子が父に、孫が祖父母へと遡っていく。やがてその音も止んだ。地底湖で聞こえる物音は、水滴の垂れる音とレミリアのする息以外には無くなった。
 ふとレミリアが上を見上げると、尖塔の天辺の屋根瓦から何か人影が浮かび上がった。レミリアは夜の力の中途半端な放出を止め、夜目を凝らした。昆虫を思わせる薄い翅が背中より生えている事と、両眼が緑の蛍光色に光っている事を除けば、顔つきも体つきもレミリアにそっくりだった。その身体の中には今までに捧げられた血と昆虫の肉から成る無数の生命が蠢いているのだろう。しかし右肘の先だけが何かを待っているように欠けている。
「お前、あの時の……あの虫けらが随分と成長したじゃあないの」
 レミリアは今こそ思い出していた。夏の初め頃、咲夜を守るために仕留めたはずの蚊。あの時ただ一匹の蚊を仕留め損なった事が、些事の積み重なりで今に至ったのだ。北京の蝶の羽ばたきが遥か西洋にハリケーンを引き起こすように。
 蚊には聞こえていないようだった。
 最後に人間たちの居住区から何かが打ち上がり、尖塔の頂点へと向かった。それは右腕の肘から先で、その手にはボロボロの布切れが握られている。泥だらけになったので魔理沙が捨てた帽子だ。吸血蚊の妖怪は右腕を戻し、両腕で帽子をしばらく抱きしめていた。しかしレミリアに見られている事に気がつくと、諦めたようにそれを被った。
「終わった」相変わらず、誰が話してるとも知れないような声。
「ちょっと、なに人の真似をしてくれているのよ」
「受けた血の作用だろう」「我々にはこの姿がしっくりくる」
「とにかく降りて来なさい。話しにくいし、見下されたらなんとなくムカつくから」
 吸血蚊の妖怪はそれに従った。尖塔の頂点から飛び降りて、底面の縁石の上に乗った。ちょうど八角堂の扉の真ん前に立った格好だ。
「始める前に」「いくつか取り決めをしておこう」
「いいわ。こちらが負けたら、二度と私からはお前に手を出さない。次の挑戦者が現れるまであんたは自由よ」
「こちらが負けたら」「人間を操ることを止める」「里の人間の血は吸わない」
「妖怪の血を吸うのもやめなさい」
「駄目か?」
「駄目」
「不公平だな」「貴方が手を引いたとしても」「次の挑戦者が現れる」「我々が好き勝手やるためには」「幻想郷の全員を打ち負かさなければならない」「負けが決まっているようなものじゃないか」
「そういうものよ。ここで異変を起こすってことはね。私もそういうプロセスを辿ったから」
「ああ」「魔理沙が話してたな」「霧の異変について」「……」
「言っておくけど、悪魔との契約は破れないわよ。その姿で生活していくなら覚えておきなさい」
「悪魔なのか?」
「あんたが吸血鬼でいるつもりならね」
 吸血蚊の妖怪は顎に手を当てて三十秒ほど考え、わざとらしく指を鳴らした。
「よし」「交渉成立だ」「始めよう」吸血蚊は基礎石を蹴ってレミリアに跳んだ。
「全力で戦って、せいぜい私を楽しませなさい」
 レミリアは手で魔法陣をいくつか描き、
『サーヴァントフライヤー』
 そこから蝙蝠の矢を牽制に放った。
 吸血蚊の妖怪はそれをまともに腹に受け、放り出されて水面に浅く沈んだ。レミリアそっくりの腕が水を掻き腐った水が小さく波立つ。
「あっぷ」「あっぷ」
 唖然とするレミリアを横目に、吸血蚊の妖怪は八角塔の基礎石に這い登りゲホゲホと吐いた。腐った水が辺りに飛散る。
「ちょ、何で自分から当たりに行ってるのよ!」
「増えるのは諦めた」「しかしこれ以上数を減らされるのはごめんだ」「どのみちいつかは負けるんだし」「スペルカードルールに乗った時点で生命は保証されている」「なら被害が出ない内に手早く負けるのが得策」
「あんたには全力で戦うって考えがないわけ? 余裕を持つことと手を抜くことは違うのよ?」
「何を怒っているのか分からないな」「我々が今の決め事を破棄すれば」「いつだって泥仕合に持ち込める」「主導権を握っているのはこっちだ」
「私の顔でそういうこと言うのやめてよ、ホント気持ち悪いから」
「我々にはこの姿がしっくりくる」「一番負担が少ない」「全力で戦えと言われた気がするが」
「咲夜ー! もうこいつと戦うのやだー!」
 こいつ、宇宙人だ。中途半端に意思疎通出来るのが逆に苦痛なタイプの! レミリアは頭を抱えた。吸血蚊の態度は咲夜の悪い面を思い出させ、それがレミリアをなおのこと苛つかせた。
『チェーンギャング』
 レミリアの周囲から鎖の蛇が具現化し、方々からのたうって吸血蚊を追った。槍状の穂先が基礎石を抉る。
「お?」「お?」吸血蚊の妖怪は八角塔を登って上に逃れた。吸血蚊のいる辺りの塔の壁を槍の穂先が突き破って抜け、支えを失った吸血蚊を突き落とした。
「うおっとっとっと」吸血蚊は思い出したように翅を広げ、水面に落ちる直前にかろうじて宙に浮いた。蝙蝠の羽に比べて周期の速い羽ばたきが余裕のなさを表しているように見える。
「貴方が本気でやらないから、本気で殺すわよ!」
「殺す?」「出来る?」「どうやって?」
「できる! できるったらできるの! これから何千年かけてでもやってやる! 咲夜の血の代金を払わせてやる!」
『デモンズディナーフォーク』
 レミリアは紅い槍を無数に召喚した。樽にナイフを、針山に針を刺していくように八角塔が蜂の巣になる。吸血蚊は翅に槍が三本ほど刺さり、再び水に潜ってこれを逃れた。
「本気でやる? それともこれから何千年もかけて死ぬ?」
 レミリアは熱病にならないし、従わせる事も出来ない。不老不死で、やろうと思えばこの先永遠につきまとうことだって出来るだろう。レミリアは吸血蚊の妖怪に二択を迫った。
 吸血蚊は水面から顔を出し、無表情にレミリアを見た。冷徹な自然選択に沿った合理性によって生き延びてきた生物には、ここぞという時に感情的な選択をする生物の存在が信じられない様子だった。
「……」「それは困る」「主導権は未だ我々が握っている」「交渉が決裂すれば」「幻想郷中の生物の遺伝子と」「種としての我々を天秤に掛けた」「チキンレースに持ち込むことだって可能だ」「しかし貴方は」「多分本気だ」「やるといったら実行する」「何を犠牲にしようと」「我々を滅ぼすまでやめないだろう」「そんな凄みがある」
「ようやく事態が理解できて?」
「乗ろう」「何をすればいい?」
「弾で自分を表現すればいい。貴方が一つの生命というのなら、今までに歩んできた道を表現できるはずだわ。そこら辺の妖精でもやってる事よ」
「無茶な」
「無茶じゃない」
「……仕方あるまい」
 吸血蚊が成虫を数百体切り離し、レミリアに向かって襲わせた。レミリアは水面に矢を打ち込み水壁でこれを弾く。吸血蚊はレミリアを見失った。左だ。
 レミリアが瞬時に距離を詰め、右手で横ざまに一発。外した。吸血蚊がバランスを崩す。音を頼りにもう一発。レミリアのアッパーカットが決まり、吸血蚊の顎が砕けた。吸血蚊はショックを吸収しようと上に跳ぶ。
「痛い」「痛いなあ」「もう」
 砕けた部分から蚊の群れが百匹舞い出て、再び顎を形成した。
「まだ手を抜いてるんじゃないの? 最後まで私にすっきりさせなさいよ」
「しょうがないだろう」「貴方から貰った吸血鬼の血はただの一滴」「残りは数多の人間と」「妖怪の血で薄く引き伸ばしただけに過ぎない」「我々は弱いんだ」「それに文句を言われても困る」
 レミリアも吸血蚊の態度に慣れてきた。五百年かけて一日三食ずつ貯めていくのと、数ヶ月で幻想郷中から一滴ずつ徴収するのと、どちらが吸った血の総量は多くなるのだろう? レミリアは考えるのをやめた。
 再び吸血蚊が仕掛けた。レミリアの槍を真似て身体から一匹がサッカーボール大ほどの成虫の集団を生み出す。それらは血液の力で強化されており、口吻を振りかざして襲ってくる。レミリアは斜め上に飛んで群れに真っ直ぐに突っ込みこれを切り抜けた。そのまま八角塔の壁を蹴って体当たりを仕掛ける。
『デーモンロードアロー』
 反動で八角塔が根本から折れた。レミリアの蹴りが当たる寸前に吸血鬼はレミリアを蹴って塔ごと横に回避。一人の身体にも慣れが出てきたようだ。尖塔が地底湖の水面に衝突して濁水をひっくり返し、レミリアも吸血蚊も泥水を被った。
「思いだせ……」「思い出せ……」身体を一つにしたせいか口調は安定してきている。自我も。
 吸血蚊の妖怪は逃げ惑いながら、自分の中の魂達が歩んできた系譜を刻まれた遺伝子から思い出していた。藻で満たされた池の中、卵の殻を破ったときに飲んだ水の味を。幼虫の時に水面から顔を出して吸った空気の味を。成虫の時に食べた、アブラムシが残していった甘い露の味を。雄と交尾した後、新しい命を作るために人間から啜った血の味を。一仕事を終えた夜、渇きを癒すために汁を啜った花の色を。そうだ、我々は、私は──
 吸血蚊は八方に成虫の群れを展開して牽制しつつ、残された基礎石の上に飛び乗った。吸血蚊の体内から上空へと無数の光の球が産み出され、集まって生命を形作っていく。
 それは紅く、瑞々しく光る、洞窟全体を包み込むようなカンナの花だった。人間の遠い祖先が石の洞窟の壁に描いた絵のように写実的で飾り気のないものだったが、どうにか弾幕にはなっていた。
「カンナの花言葉は堅実な未来。最後まで面白くない奴だ。でもまあ、及第点かしら。初めてにしてはやるんじゃない?」
 一片ずつ花びらが散らばり出し、レミリアはそれを抜けていく。一瞬の内に何十と弾が掠めるがレミリアは怯まない。やがて中心に到達し、吸血蚊の胸に押し当てるように紅い十字架を創り出した。

紅符「不夜城レッド」

「何だその名前は」「そんなのでやられると微妙に悔しいぞ」
 吸血蚊の妖怪は水面に叩き落とされ、飛沫を上げて水底に沈んでいった。十字架の発する光の屈折で歪むその顔は、レミリアには笑っているように見えた。
「大きなお世話よ」

 吸血蚊の妖怪は地下道を走っていた。地底湖の底から通じている穴が非常口となっているのだ。大きく穴の開いた西瓜を左腕で抱えており、右手を突っ込んでは汁を咀嚼している。途中で一度地上に出て、人間の畑から盗んできたのだ。このまま行けば地底に続く穴を通って逃げられるはずだ。
 あと数十メートル。角を一つ曲がった所で、薄暗闇の中に三人の人影が現れた。吸血蚊は立ち止まり、西瓜を横に放り投げた。魔理沙の帽子から泥水が滴る。
 紫・さとり・レミリアの三人。魔理沙はいない。吸血蚊は唇を噛んだ。
 レミリアが言った。ひと通り殴ってスッキリしたのか、あまり敵意は感じない。
「人を操り、病を撒き散らし、人里を半壊させたあんたが最後にやる悪事がよりによってスイカ泥棒? いくらなんでも情けなくない?」
「しょうがないだろう」「お腹が空いたんだもの」「どうしてここを?」
「白狼天狗の報告書にあったわ」
「最後の交渉か」「我々は地底に逃げる」「邪魔はさせない」「最低六十年」「今回の出来事が歴史になるまでだ」
「逃さないと言ったら?」
「地上に小さなコロニーを幾つか残してある」「もしこの身体に手を出せば」「その子らが再び繁殖を開始するはずだ」「地底でこの身体の安全が確認されれば」「その子らも引き払わせると約束する」「泥仕合は繰り返したくないだろう?」
「地底でどうやって暮らすつもり?」やっていけなくなれば再び反乱する危険がある。
「私達蚊は出産の時以外は花の蜜を吸っている」「それと草の汁」「増えるのは諦める約束だ」「なら血が無くとも暮らしていけるはず」「地底にも植物ぐらいはあるな?」
 さとりは頷いた。
「人間に手を出さない保証は?」
「その点は心配しなくていい」「この身体になって以来」「人間を操るのが難しくなってきた」「多分私自身が普通の吸血鬼に近づいているんだ」「だから血を吸いきらないと操れない」
「約束を破ったらウチのお空を差し向けますからね」
「生き延びられる可能性がある限りは守るさ」「カンナの花言葉は永遠だ」
 レミリアが口を挟んだ。
「カンナの花言葉は情熱でもある。その頭に乗っているモノをあんたが忘れなければ、地上に出てくる機会はあるかもしれないわ。その時は吸血鬼のよしみでお茶会に招待してやってもいい。あんたが悪魔として生きるつもりならね。でも次は私に濡れ衣を着せるのはやめてちょうだい」
「濡れ衣?」「何の話?」
「いや……もういい。分からないならいいわ」面倒臭い。
 紫はここで初めて口を開いた。
「どう?」さとりに言った。さとりは頷いた。
「嘘はついていないようです」
 最初から嘘を吐くつもりはないように見えた。さとりについて魔理沙から聞いていたのだろう。
「よし、行きなさい。二度と来るな」紫が道を開け、他二人もそれに倣った。目の前には直径一メートル程の必要最小限の穴が空いており、風が吹き出している。
 吸血蚊は穴の縁に立ち、振り返ってレミリアを見た。しかしその目はレミリア以外の者を見ているようにも思えた。
「じゃあ、お母さん。さようなら」
 吸血蚊の妖怪は下に開いた隙間へと身を投げ、地下六六六階の一番底へと真っ逆さまに落ちていった。魔法使いの帽子を失くさないように両腕でしっかりと抱えていた。
「ところで、血の池地獄の血って美味しいのかな?」


 永遠亭の病室。夜明けの光が窓から差し込んでいる。咲夜のベッドの横に魔理沙は横たわっている。病院着をまとった身体は清潔にはしてあるものの目にはクマが出来ている。自分では健康的な生活を送っていたつもりなのだろうが、地下のアジトに潜る生活が続いたせいかかなり消耗した様子だ。それをレミリア・紫・神奈子・さとり・永琳・布都・マミゾウ・慧音・妹紅・霊夢が取り囲んでいる。病室に入っても邪魔にならないギリギリの人数だ。
「そうか、あいつは逃げ切ったか! 私が育てただけはあるぜ」魔理沙は笑った。
「どういうことか説明してもらえるかしら」
 魔理沙はレミリアに話した事までをもう一度繰り返し、更なる説明を加えた。
「普通の妖怪は一人で一つの意志を持ってるから、異変が起こっても首謀者と交渉するなり命名決闘法のルールに乗せるなりすれば解決できる。ところが蚊にはこの異変解決法が通用しない。ルールに乗せようにもルールを理解する頭が無いからだ」
「だから絶滅させてしまおう、という話だったわね。一妖怪じゃなくてただの害虫扱いだったわ」霊夢が言った。
「普通はそう考える。だが本当にそうか? 蚊の繁殖力を考えれば絶滅させるのは難しい。外の世界でも蚊を根絶しようとしたらしいが、結局うまく行っていない。なんたって一週間で百倍に増えるんだからな。蚊を滅ぼさずに幻想郷から蚊の脅威を除く方法があるかも知れない。そこで私はいくつか実験をした」
 魔理沙は横の小机からブラックライトを取り出した。
「私は里の工場を壊す時、作戦が失敗することを見越して実行部隊にブラックライトを持たせておいた。蚊のカプセルを持っていたって証拠を隠滅できるようにな。実際慧音の妨害が入って二グループ分は失敗したんだが、捕まる前に蚊を殺してとんずらできたんだ」
 慧音が皆に向けて当時の状況を補足した。魔理沙が続けた。
「そこである仮説が確かめられた。私達には『蚊に有利な事をしろ』というルールが課されていたが、どうすれば有利になるかは自分で考える事ができる。蚊が命令するわけじゃない。長期的な利益を優先するために目先の利益を諦める必要が出てくれば、各自の裁量で方針を選べるんだ。最近はそうでも無くなってきていたが……」
「となれば方針は二つ。一つは蚊に交渉出来るだけの智慧を付けること。リグルみたいに虫の大群が一つの妖怪として意志を持つようになるケースはある。だから蚊が力を付けていけば、全体で一つの妖怪として振る舞うようになるんじゃないかと思ったんだ。これは私が蚊に有利になる範囲で出来る。蚊に智慧を付けた所で蚊には邪魔にならん。二つ目は蚊が交渉に乗ったほうが有利になる状況に持っていくこと。絶滅させることは出来なくても、ルールに従わざるを得なくなるまで追い込む。これは他の奴に任せないと駄目だ」
「人工太陽はウチの早苗の発案だわ」神奈子が得意になった。
「途方も無い話ね」レミリアが言った。
「ああ、これは賭けだった。私の方が上手くいっても、蚊の頭脳が幻想郷全体の知恵を上回れば一気に滅亡に傾くリスクがあった。しかしお前らは対応できた。結果として幻想郷は蚊のほとんどを殺し、交渉のテーブルに着かせることに成功した。吸血蚊を一人の妖怪として命名決闘法のルールに乗せたんだ」
「ふーむ……」マミゾウが息を呑んだ。
「ともあれ、これが私の抜け穴だ。私は疲れた。償いは後でやる。悪いがもう少し寝かせてくれ」
 魔理沙はベッドに倒れ込み、高いびきをかき始めた。各々がしばらく話し合い、後始末に戻っていった。レミリアだけは残って咲夜の横に付いていた。

§6.後始末

 昼の人里。大通りには割れた食器や本が散乱している。酒屋は営業を再開し、通りを行き交う里人たちの密度も戻りつつあった。財産と人生を奪われた者は少なくない。しかしあの満月の夜よりは遥かにマシだった。最悪の事態は過ぎたのだ。不安から蚊取り線香の匂いはまだまだ漂っていたが、焼けた建材のそれは薄くなっていた。
 小鈴は稗田邸の阿求の寝室で眠っていた。散逸した妖魔本と妖怪の再封印のために両親と三日三晩休まずに働いたためだ。今は鈴奈庵再建のために体力を回復する必要があった。両親は別室に滞在していたが、小鈴だけは阿求の意向で阿求の部屋に眠る事になった。それがいいだろうと皆が思っていた。
 阿求は畳で正座を崩し、横から小鈴の寝顔を覗きこんでいた。枕の上に散らばる髪をそっと触る。ふわふわとした飴色。今は閉じられている瞳は、これから先もずっと優しい赤色だろう。
 阿求は布団に手を潜り込ませ、小鈴の手を握った。胸の奥に温かいものが広がった。
 突然、握っていた手が阿求の首に伸び、小鈴が阿求を抱き寄せた。その唇は首筋には行かなかった。

 早朝の命蓮寺参道。幽谷響子は一人で掃除をしていなかった。
「おはよーございます!」
「「「お早うございます」」」人間たちがぼそりと言う。
「もっと声を大きく! おはよーございます!」
「「「お早うございます!」」」眠気を押し切った。
 命蓮寺には満月の夜に焼け出された里人達が避難してきていた。ショートカットの女性や短髪の男を含む五分間吸血鬼も今は支配を解かれ、新入りに指導を施しつつ参道の掃除をしている。新入りの中には薬屋の主人のように命蓮寺の信徒に助けだされ、その場で入信を決めた者も少なくなかった。
「さあ、次は座禅ですよ!」
「墓の掃除はしなくていいんですかい?」薬屋の主人が自ら進んで言った。あの夜に財産を失って、金以外の何かに価値を見出したようだった。
「今あそこは血がべっとり着いてるのよ。ちょっとやそっとじゃ取れないわ。だから後で。誰だか知らないけど迷惑な話よね」
 払子守・乳鉢坊・木魚達磨といった新入りの妖怪達が掃除のメンバーを迎えに来た。彼らは鈴奈庵が所蔵していた妖魔本から逃げ出した仏具の付喪神であったが、もともと仏教に関連の深い妖怪であったため命蓮寺に『勧誘』されて入信したのだった。そういう訳で小鈴の再封印は免れた。
 その最後尾には古明地こいしがついていた。

 はるか遠くの仙界からその様子を覗くものがあった。
「納得いかぬ! いかぬぞ! どうして仏教徒共の方が信徒を増やしておるのだ!」布都は座布団の上で胡座をかいていた。その前の皿には水が張られ、命蓮寺の参道の石の隙間に仕掛けた遠隔監視札から見える光景を映し出している。布都は髪を掻きむしった。
「タイミングが良かったんだ。妖怪退治自体よりも消火と救助活動が里人の心にウケたんだろうよ」屠自古が布都の頭上で言った。青娥は芳香とどこかで遊んでいる。
「我だって頑張った! それを、それを……」
「落ち着けったら!」
「布都が頑張ったのは誰よりも私が知っていますよ」神子は窓の外を見ていた。
「それよりもお客さんです。貴方に用があるそうですね」神子には聞こえていた。
 布都は慌てて神霊廟の門の前にワープした。
「どうも。射命丸文です。ヒーローインタビューに来ました」血色は良さそうだった。
 布都は喜色満面になった。
「何事も宣伝次第です。頑張りなさい」神子が言った。
「だが羽目を外しすぎんなよ。ネタは出してもネタにはされるな」屠自古が念じた。

 霧雨魔法店。
「どうすんだよこれ」机に積み上がる請求書の山を見て、魔理沙は嘆息した。破壊した工場の賠償金、負傷させた人々の治療費、その他もろもろ。関わった人間の数が余りにも多く、事情が事情であったために吸血蚊の支配が解けた今となっては魔理沙が牢に入れられる事は無かった。しかし失われた財産は誰かが補償しなければならない。
「今まで儲けた金なんて焼け石に水だ。肝心要の吸血蚊事件は解決しちまったし、返す当てがねえ」魔理沙は机に突っ伏した。拝啓お父様。魔理沙は一生遊んで暮らすどころか破産しそうです。
 思わず泣きそうになっていると、玄関の方から扉を叩く音が聞こえた。魔理沙が扉に駆け寄って開けると、そこにはにとりが立っていた。腰に両手を乗せて胸を張り、腕やスカートから覗く脚には包帯が巻かれている。
「にとり……良くなったのか? あのおかっぱ頭も?」
「まだ病み上がりだけどね。それより儲け話がある」
「は?」
「妖怪の山じゃあ蚊を避けて引きこもっていた間に食い過ぎで太った奴が多いんだ。そして一度崩れた生活習慣は中々直せない。妖怪の山だけじゃない、打ち続く運動不足の後で今や幻想郷は一大ダイエットブーム。魔理沙、抑制薬を作るんだ! 食べる衝動を抑える秘薬、儲けるチャンスは今しかない!」
「いいのか? お前と組んで? 私だぞ?」
「確かに私は魔理沙から多大な精神的苦痛って奴を受けたさ。それこそぎったんぎったんにしてやりたいくらいにね。だが私は話の分かる河童でね。受けた苦痛の分は金に替えることでチャラに出来る。賠償金は抑制薬の利益から頂くよ。それに、あれが魔理沙が本当にやりたかったことじゃあないとは分かってるつもりだしね。頭では」
「やっぱ怒ってるだろ?」
「うるさいなあ。借金を返したかったら、許して欲しかったらとっとと働け! 私はこれから怒りを金に替えるんだ!」
「よし、任せろ!」
 魔理沙はにとりを実験室へと連れて行き、長らく使われていなかった鍋に火を掛け始めた。煮詰まった内容物に水を足し、深い青色の液体に星屑が渦巻き始める。
「もっと量産すればコストは下げられると思う。にとり、出来るか?」
「河童の技術なら、多分。まずはレシピを見せておくれよ」
「妖怪向けにはレシピをもっと強く調整する必要があるな」
 試行錯誤はまだ続く。

 きゅうりの次はひじきだった。
 永遠亭の病室。咲夜の前のトレイにディナーが乗っていた。レミリアは横の椅子に座ってニコニコしている。
 とにかくひじきだ。ひじきご飯の乗った茶碗、ひじきとごまのサラダがトレイの端に鎮座し、ひじきと生姜の味噌汁が湯気を立てている。メインはひじきとネギのたっぷり詰まったハンバーグ。掛かっているソースは砂糖と醤油・みりんをバランスよく取り混ぜた王道の味付けだ。例によってデザートも寒天とひじきのペーストの混合である。咲夜は磯の風味と砂糖のミスマッチを恐れた。
「何ですか、これは」
「ひじきよ」
「見れば分かります。病院食は?」
「これは私の手製だけど、永琳の監修もバッチリだからご心配なく。事情を話したら快く引き受けてくれたわ」永琳は恋する乙女に甘い。
 確かに美味しそうではあった。誰だか知らないが、陸の孤島に海の物を取り寄せてくれた人に感謝しよう。
「とにかく咲夜、鉄分を摂るのよ! そして来月こそは私に血を飲ませなさい!」
 レミリアは箸でハンバーグを切り分け、咲夜に差し出してやった。
「はい、あーん」
 咲夜は観念し、ネギで臭みを抑えられたハンバーグの肉汁をありがたく噛み締めた。
「美味しい」
「でしょー?」

 再び人里。カフェーは営業を再開していた。短髪のウェイターはいなかった。
 マミゾウと慧音は屋外のテーブル席に座り、真ん中に盛られたカリカリのクラブハウス・サンドイッチを食べていた。ビールの瓶とジョッキが冷えて汗をかいている。昼間から酒を飲むに値することを彼女らはやったのだ。
「儂が金を貸し、河童が作り、虫は知識と連絡網」
「月の者達が居なければ蚊の正体が割れるのはもっと遅かっただろう。吸血鬼は蚊を説得し、ワクチン役を買ってでた。妖怪の避難場所は白玉楼が提供してくれた」
「九尾の狐と紫どのはあらゆる物資を手配してくれた」
「そうだ、地底の太陽を手引きしたのは山の神だったな。あれは風祝の発案だったと聞く」
「おぬしも妹紅どのも人里のために駆けずり回った。小鈴も一度は時間稼ぎに利用されたものの、その後は再封印のために寝ずに頑張ってくれた」
「他にも博麗の巫女を始め、人里が襲われた夜に立ち上がってくれた者は大勢いる。特に宗教家達の活躍は目覚しかったな」
「一時は完全に蚊の手に落ちさえした魔理沙どのも、蚊とこみにゅけーしょんをとって知能と意志を持たせ、吸血鬼との交渉の余地を作る事に成功した。流石の儂も無脊椎動物を懐柔する自信はない」
「つまり?」
「つまりは、幻想郷全体の勝利じゃ」
「ああ、幻想郷は吸血蚊の恐怖さえも受け入れた」
「本当に器のでかい場所じゃ。儂は気に入った。故郷も気になるが、もう少し腰を落ち着けるとするかのう」
「それは厄介だな」
「文字通り、ご厄介になるというやつじゃ」
「あんまり面白くないぞ。それはともかくとして、我々の努力に乾杯」
「乾杯」
 一匹と半分の獣はビールのジョッキを呷った。まだまだこの地は蒸しそうだ。今は肩の荷を下ろし、リラックスする時間である。
「働いた後の酒は美味いのう」
「そうだな」
 妹紅が入り口からやってきて、二人のテーブルに加わった。

(了)
ヤマメ「あ、かかった」
吸血蚊「やべえ」

■参考文献
アンドリュー・スピールマン/マイケル・ド・アントニオ「蚊はなぜ人の血が好きなのか」ソニーマガジンズ 2002
W・H・オハンロン/M・マーチン「ミルトン・エリクソンの催眠療法入門―解決志向アプローチ」金剛出版 2001
ジェフリー・K・ザイグ/W・マイケル・ムニオン「ミルトン・エリクソン―その生涯と治療技法」金剛出版 2003
レ・ファニュ/訳:平井呈一「吸血鬼カーミラ」東京創元社 1970
ジョージ・オーウェル/訳:H. Tsubota「一九八四年」
http://blog.livedoor.jp/blackcode/archives/1700656.html
その他東方公式書籍

■Webサイト
afpbbnews:マラリア撲滅へ向けて「魔法の蚊帳」登場、日本企業も一役
http://www.youtube.com/watch?v=l4hMTgm5NGA
織物について
http://www.matsunaoka.net/weaving/orimono.html
tateshina01:製織方
http://www.smrj.go.jp/keiei/dbps_data/_material_/common/chushou/b_keiei/keieiseni/pdf/45300-13.pdf
one fine day
http://www.youtube.com/watch?v=2Lzz28K52zs
倉敷丸進工業の力織機
http://www.youtube.com/watch?v=4ZJSyXQP0XY
半木製力織機 福井 ゆめお~れ勝山にて
http://www.youtube.com/watch?v=mu0hJla3mR8
工場見学 | KINCHO 大日本除虫菊株式会社
http://www.kincho.co.jp/factory/
SankeiNews:和歌山県有田市で蚊取り線香の生産最盛期
http://www.youtube.com/watch?v=Hf0fIK5kGAI
朝日新聞社:蚊取り線香の出荷ピーク 和歌山県有田市
http://www.youtube.com/watch?v=OaDZqRv3JOk
蚊に蚊取り線香が効くか試してみた
http://www.youtube.com/watch?v=oEfPV06dekA
Coilmaster MKE Double
http://www.youtube.com/watch?v=gbjtGwEoALo
Mosquito coil making machine( 44 Mould High Speed Stamping Machine)
http://www.youtube.com/watch?v=ReL-YYo4wkQ
百器徒然袋 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%99%A8%E5%BE%92%E7%84%B6%E8%A2%8B
鳥山石燕『百器徒然袋』妖怪画画像一覧 - 妖怪うぃき的妖怪図鑑
http://www.youkaiwiki.com/entry/2013/07/05/010038
妖怪ギャラリー
http://www.cromagnon.jp/gallery/
室内-火災実験eizo26
http://www.youtube.com/watch?v=vbyWcP7CdDU
2013 東京消防庁消防技術安全所一般公開 火災実験
http://www.youtube.com/watch?v=swgTFwWgR5I
一酸化炭素 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E9%85%B8%E5%8C%96%E7%82%AD%E7%B4%A0
その他多数

■その他専門知識についての助言を頂いた人たち
片想い天極さん(医療)
クロダオサフネさん @kuroda_osafune (百器徒然袋・火災)
バイオ系の知人K・K君(環境)
喚く狂人さん @wamekukyouzin (参考書籍紹介)

■査読をしてくださった人たち
片想い天極さん
喚く狂人さん @wamekukyouzin
平田(弟)

創想話ジェネリックに新作を投稿しました。甘いレイマリです。
平田凡斎
[email protected]
http://twitter.com/HBonsai
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コメント



0.2640簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
怖さと面白さで一気に読ませていただきました。大満足です。
2.100非現実世界に棲む者削除
いやあ存分に楽しめましたよ。
久方ぶりの大長編を読めて凄く満足してます。
皆が皆かっこよかったです。
吸血蚊による百鬼夜行。
キャラ達の大活躍は見物でしたよ。
取り分けお空と白蓮そしてレミリアがかっこよかったです!
唯一つ懸念があるとすればアリスや輝夜等の準主要キャラの活躍が無かったことですかね。
ここまでの大容量の執筆ご苦労様でした。
ではちょっと憂さ晴らしに緋想天、やってきます。
それではこれにて失礼いたします。
ありがとうございました!
3.100名前が無い程度の能力削除
最高でした、楽しい時間をどうもありがとう
5.100奇声を発する程度の能力削除
前編、後編を一気に読んじゃいました
とても面白く良かったです
6.100名前が無い程度の能力削除
100点じゃ足りない
8.100名前が無い程度の能力削除
幻想郷の住人達が一丸となって物語の中で動くというのは途方もなく壮大で、何ともわくわくさせられてしまいますね。すっごく面白かったです。ご馳走様でした。
10.80名前が無い程度の能力削除
良い意味でも悪い意味でも書きたい事が溢れている文章だと思いました。
それにきちんと面白かったです
12.100名前が無い程度の能力削除
卒論もかくやの怒濤の参考文献に、作者の本気を見た。脱帽です。
14.100名前が無い程度の能力削除
久々に食い応えのある作品を読んだ
やっぱりこう言う長編は楽しい
タイトルからドタバタかと思っていたら、まさかの多数の勢力を巻き込んでの大活劇。
特に布都はマヌケな感じでイジられる事は多くても、きちんと異変解決に携わる者の一人として、見せ場が沢山あるのをはじめて見たので、すげー面白かったです
たかが蚊、たかが五分だけ吸血鬼になれても…って甘く見ていたらこのザマなのは登場人物と全く同じ心理状態ですな

あとモブ河童の拷問とおもらしがエロティックで素敵でした
拷問とおもらしが素敵でした(大事じゃないけど二回言いました)
18.100名前が無い程度の能力削除
本当に面白かった
次の作品を楽しみにしてます
20.90名前が無い程度の能力削除
リアル世界の疫病対策の歴史を幻想郷で再現するのかな?
と思いきや幻想郷理論で解決する展開に脱帽。
面白かったです。
22.100名前が無い程度の能力削除
面白さのあまり一気読みしてしまいました・・・。
このスケールの話をしっかりとまとめ切ったことに脱帽です。
次の作品も是非読みたい。
24.90名前が無い程度の能力削除
随分と面白かった
長いけどもわざとらしくない範疇で冗談も入っていて工夫もあったし

まぁ、それでも腰を据えて読むべき作品って覚悟しないときついかもわからん
25.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです!
異変解決の為に総出で登場するキャラの使い方が凄く上手いし、オチの付け方が何よりグッドでした。
28.100名前が無い程度の能力削除
人里に紛れ込んだ吸血蚊で昔読んだ小節がまた読みたくなりました…また面白い作品を期待します!!
31.100名前が無い程度の能力削除
ネタの嵐。もうただひたすら翻弄されていた。
吸血鬼、濡れ場(?)、サスペンス、ホラー、マラリア、科学、情報戦、バトル、抜け目ない商人の目、百鬼夜行、まさかの民族学、共産ゲリラ、『1984年』、ガンマ線バースト、集合精神体、もはや何でもありだ。
どうやったらこんなプロットが書けたものか。何回笑って、ぞっとしたか。もうわかんない。
32.100名前が無い程度の能力削除
下調べがすごい、そして、専門知識が面白さに転化されている!
もってけ、100点!
34.100名前が無い程度の能力削除
極めて気合の入った作品と感じました。素晴らしい!
35.100◯(仮名)削除
満腹です。書きぶりの転調連続が気持ち良かったですねえ。またこの分量で読みたいです。
36.100名前が無い程度の能力削除
全体的にピンチになるシーンが危機感に溢れていて最高です。
撲滅エンドになるのかと思ったら予想を外されました…
なんというか、読んでて共感させられたり驚かされたり熱くなったりと非常に揺さぶられましたありがとうございます

咲夜さんスタイリッシュ!
37.100辻堂削除
最初はパニック映画的なものになるかと思いきや、吸血蚊の能力が進化し知性を身につけていくあたり、わくわくしました。
結末も、非常に幻想郷的でよかったと思います。
参考資料の多さにびびるとともに、新年一発目に良いものを読ませていただいたことに感謝。
40.100名前が無い程度の能力削除
果たして彼女はヤマメの手から逃れることが出来るのか!? 
本当に面白かったです
41.100超空気作家まるきゅー削除
ちょっと故あって、名前なしでしか書けなかったんだけど、
これだけ長い作品に一言だけっていうのなんだから、削除して感想書き直します。

この作品の良いところは群像劇でうまくそれぞれに見せ場を作っている点ですね。
逆に言えば、そのせいで、霊夢があまり目立ってなかった点が残念でもありましたが、
レミリアがやっぱり主人公といえば主人公なので、霊夢は後衛に回るのが必然だと思いました。

いろいろと言いたいこと、書きたいことがあるんですけれど、
この作品で一番印象に残っているところって、実をいうと、
河童の御嬢さんをですね、くすぐり倒すところを見たときにですね……
フフ……下品なんですがね……その(以下略)

吸血蚊も絶滅せず、幻想郷らしい終わり方。
私がもしも群像劇を書くなら目指すだろう結論と一致しており、楽しめました。

良い作品です。
42.100名前が無い程度の能力削除
いやあ、面白かった、面白かった!
吸血蚊がここまで怖面白い存在になるとは思いませんでした。
45.100みつば削除
よくぞ書ききったという喝采を作者さんに。よくぞ読み切ったという喝采を自分に。
面白かったです。ハングリータイガーは特に最高です。
最後がちょっと切なかったです。寄生獣を読んだときのモヤモヤ感をここで晴らした気がします。

この大長編を読み終えた感想として相応しくないことは百も承知ですが、
百合は最高ですね(最高の笑顔)
49.100名前が無い程度の能力削除
Collapse.アフターケアまで最初の最初から考えていたわけですね。魔理沙、あんた天才だよ。革命の。他の人里の人間たちが引き受けるべき賠償(法律上は吸血蚊が帰責)まですべて自分で肩代わりするあたり、まさに英雄です。
ちなみに外の世界は、幻想郷よりはるかに攻撃的で、犠牲を省みず、利潤追求と合理を柱として、効率的なため、他の生命への危険などおかまいなしに猛毒のDDTをばら撒いて、オリセットの普及には面倒くささが壁になり、現在では「生命への冒涜」なんて言葉は忘れ遺伝子組み換えで加工した生殖能力の無い蚊を繁殖させています。今回の魔理沙のやり方とは、まさに対照的。
50.100はつ♂削除
東方らしからぬ大異変の中で、東方のキャラ達を生き生きと描き出し、「これぞ幻想郷」だ、と唸らざるを得ない結末を導き出すその手腕に感服致しました。ごちそうさまです、ありがとうございました。
ところで、魔理沙の帽子を被った無表情レミリアって、すごく可愛いですよね。こころに通ずる可愛さがあって、キますよね。
51.90名前が無い程度の能力削除
これはすごい大作。いちいち発想が豊かで新しく、尽きないネタがシーンを彩ります。下調べの努力にも感服。
54.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい。とても面白かったです。感謝!
55.100名前が無い程度の能力削除
一気に読んでしまった。やだ面白い。(二度目)
しかし読み終わって思うのは、魔理沙が居てくれて、紫が理解してくれていて、そしてここが幻想郷で良かった。
もしも外の世界に溢れ出して、幻想郷以外のコミュニティ……容赦の無さに定評のあり気がする西洋コミュニティに喧嘩を売ってたら、「汝、絶滅すべし」って偉い神様に言われて慈悲も無いか、核ルートだっただろうな。
しかし、魔理沙が居なければ絶滅で終わってたような。ふむ。エンマーイ。

個人的には、萃香の能力が効かない点にキチンと言及されていたのに興奮しました。
萃めて焼けばいいじゃん、は誰もが思う筈。小さく満足です。
いやしかし、レミリアの血パネェ。
56.90名前が無い程度の能力削除
幻想郷らしい締め方が、らしくて良かったです。蚊って怖いよね。
65.90r削除
素晴らしい。一丸となって解決する姿も、腹立たしいほどの悪役も、みな一様に輝いている。そしていろいろな映画や作品を彷彿とさせる、情景描写も素晴らしい。後半戦ではそういった描写が減って大味になったのはやや物足りなく感じた反面、空や聖といった面々の登場シーンでは、曲が脳内に自然と流れたり、小説でありながら映画的演出であることに非常に感銘を覚えました。
でもこの作品で印象に残ったのが、おかっぱ河童であることがオンリーワンでなかったのが、安心した(コメ欄)。
66.90名前が無い程度の能力削除
徹底した取材に裏付けられた、リアリティと中身にあふれた物語。堪能いたしました。
70.100名前が無い程度の能力削除
こりゃあ面白ぇ……!
豆腐メンタルなのでくすぐり地獄でガチ凹みし、後編読むのやめようか……なんて及び腰でしたが、いや読んでよかった!

多くのキャラが登場しながらも、そのすべてがキャラらしく描かれていることになによりも感銘を受けました。長編執筆お疲れ様でした!
71.100名前が無い程度の能力削除
一日かけて一気に読み通してしまいました。面白かったです!
キャラ一人一人の能力や設定が活かされていて、壮大な群像劇に。
ちらちらっと入っていた咲レミやあきゅ小鈴にドキドキしました。
76.100名前が無い程度の能力削除
「永琳いわく『親がいつまでも死なないと、食料がなくなって全滅する』だそうだ。へー」とか、
「夜が続けば、妖怪は食いすぎで自滅する。その前に退治してやらないとな」とかの台詞が、
この作品の魔理沙を見ててなんとなく思い浮かびました(後者は作中に出てますし)。

永琳が医療以外で結構活躍してますね、しかも説明が分かりやすい。モスキ党スカレ党w

前編からもなんとなく思いましたが、蚊と魔理沙がなにやら親子みたいでしたね。それが
(不謹慎とはいえ)微笑ましかったです。魔理沙はヘンな生き物との縁が豊富?
>所詮は血で繋ぎ止めておくだけの関係だった。
おま、それプラス情がある程度通ってたらさぁw

素晴らしい作品をありがとうございました。時間も忘れて読みふけりました。
78.100名前が無い程度の能力削除
面白かった!!!みんながみんな「らしい」活躍をするのがいいですね。個人的にはこういう魔理沙ちゃんサイコー
80.90名前が無い程度の能力削除
いやー大作でした。すごいよかった。
吸血蚊の、「じゃあね、お母さん」って言葉には涙がこぼれた。
幻想郷全体に広げた風呂敷も綺麗にたたまれて、なんて見事なお手前!
なんて大変な異変だろう!!
82.100名前が無い程度の能力削除
いやー面白かった。考えてみれば蚊によって毎年何十万人も死んでるんですもんね、怖いわー
でもあとがきの二行で蚊の運命がwww
83.100名前が無い程度の能力削除
魔理沙ちゃんが魔法について語ってる時の表現がとても好みです。お空ちゃん登場時と同じくらいに心躍りました。
そして何よりレミ咲! あきゅすず! 霊魔理のように、それらだけ単品で書いてくださってもいいのですよ?(チラチラ
ただ、海抜という表現が少し引っかかりました。公式に使われてる言葉なのかも分かりませんけれど。
84.100絶望を司る程度の能力削除
あwとwがwきww
面白かったです。もう大満足ですね。文句なしです!
86.100名前が無い程度の能力削除
読んでる途中に長さに気付いたものの、結局止まらず最後まで一気に読んでしまいました。
主人公の一人であると同時に敵役の一人でもあり、なんだかんだで話の中心となっていた魔理沙、霊夢をして「ルールの穴を突くのは抜群に上手かった」と言わしめるだけあって、吸血蚊のルールを破らずに解決に導いた手腕は見事の一言。大雑把なようでいて合理的な所はいかにも魔理沙と言った所でしょうか。

事の発端が吸血鬼に血を吸われて吸血鬼になる、ではなく吸血鬼の血を吸って吸血蚊になる、と言う辺りでストーカー著のドラキュラを髣髴されましたが、コメディタッチな始まりとは裏腹にサスペンス、ホラー、パニックとどんどん脅威が広がりつつも最後は何だかんだで幻想郷らしい〆方で終わる、という事で不思議と読後に清涼感が残りました。

しかし経済的損失を一手に受けた魔理沙は御気の毒な事に、ただ支配が早かったというだけで特別罪が重いわけではない……と思うのですがそこはなんというか何事にも「落とし所」を見つけないと満足できない人間の性なのでしょうか、読んだ後でこれって妖怪が生まれるプロセスと似てるなーなんて思ってしまいました。
89.100名前が無い程度の能力削除
面白かった、途中凹む場所も多々あったけど、最後に吸血蚊が幻想郷の仲間入りをしてハッピーエンドと実にらしい終わり方だなと思いました。敵味方みんな仲良く生き残って終了、大好きです。
ただおかっぱ頭ちゃんにもうちょっと救いの手を差し伸べてほしかったかもと思いました。



まあ興奮したんですけどね(ゲス顔)
90.100名前が無い程度の能力削除
すんごく面白かった。アイデアの勝利ですな
92.100名前が無い程度の能力削除
とっても面白かったです!
95.100名前が無い程度の能力削除
戦闘から日常までとにかくいろんな要素が詰め込まれてたけど、それがうまく噛み合っててたいへん面白いストーリーでした。大きな異変に対する解決法や落とし所はとても幻想郷的。多くの登場人物も魅力的に描かれおり、それぞれの関係性も含めキャラがよく立ってます。すばらしい。
100.100名前が無い程度の能力削除
レベルの高い群像劇を読ませてもらって幸せです。
102.10名前が無い程度の能力削除
そもそも、なぜ蚊がレミリアの支配から完全に抜け出しているのかが分からない
レミリアは少食で吸血鬼を増やせないだけで、吸血鬼化=支配されることに変わりは無いはずなのに
108.100名前が無い程度の能力削除
前後合わせて大満足のボリュームでした
109.100評価する程度の能力削除
前編後編合わせて三日で読んでしまいました!
全体的にシリアスなのですが、所々入る小ネタもくどすぎず、読んでいて凄く面白かったです。
まさかの魔理沙が敵勢力というのは斬新でした。そこに至るまでの経緯が非常に魔理沙らしいと言えばらしいんですけれども…
最後に! この作品のmvpはなんといってもマミゾウさんと、


我々に素敵なお漏らしシーンを見せて下さったモブ河童さんですね(真顔)