なんだろう?不思議な感覚だ。ここはどこ?私は誰?……随分と陳腐なセリフだ。……大丈夫覚えている。お嬢様からもらったものを忘れるはずなどないのだから。私は紅魔館のメイド長『十六夜咲夜』だ。あやふやな記憶を何とかつなぎ合わていく。あぁそうだ。私は死んだんだ。じゃあここはあの世?……何となく違う気がする。
「――――――」
声は出なかった。というか今の自分はどうなっているのだろうか?取りあえず見ることはできるようだし考えることもできている。しかし他はわからない。浮いているようで沈んでいるようで、飛んでいるようで落ちているようで、どこかおぼつかないフワフワとした不思議な感覚だ。
「――――――」
「――――――」
「――――――」
暗いのか明るいのかよく分からなかった視界が急に開けた。そこは紅魔館のバルコニーだった。見える風景からして私は少し離れた上空を浮いているようだ。
「――――――」
「――――――」
「――――――」
どうやら声を聞くことは出来ないらしい。紅魔館の皆がお茶をしながら談笑しているようだが聞き取ることが出来ない。なにか楽しい事でも思いついたのか大げさなアクションを取りながら自信満々に何かを語るレミリアお嬢様。自分には火の粉が降りかからないのをいいコトにお嬢様をその気にさせて楽しんでいるフランドールお嬢様。やれやれといった風に気怠げながら案外楽しんでいるパチュリー様。半ば諦めつつ被害が少ないよう祈っている美鈴。そして……お嬢様の隣で凛とした出立ちで日傘をさす私ではないメイドの少女。
「――――――」
……今自分はなんと叫んだ?私は人間として生き、そして死ぬことを選んだ。ならば私が死んだ後いずれこうなる日が来るのは分かっていたはずだ。いや、むしろ喜ばしいことではないか。皆の様子から恐らくメイド長らしきその少女に不満はないようだ。これが過去の出来事なのか、未来の出来事なのか、私の空想なのかは分からない。しかし少なくても空想でないのなら、このメイドの少女は紅魔館を支える一人となれているのなら私は喜ぶべきだ。そしてこれがもし未来のことであるなら……私のいない穴はちゃんとふさがったということだ。綺麗に……跡形もなく……。
「――――――」
「――――――」
「――――――」
紅魔館の皆から笑顔を向けられる少女。この笑顔は間違いなく家族に向けるそれだった。私は死んだのだ。紅魔館は最早私の居場所ではない。ならば誰かが私の代わりにならなければならない。これは私の望みのはずなのだ……。
「――――――」
「――――――」
「――――――」
なのに……見ているのが辛かった。自分で思い通りに動けるわけでもない。視界を塞ぐことも出来ない。私はずっとこの光景を見ていた。このおかしな世界では時間の感覚などなかったが。
「――――――見つけた!」
明るい声とともに突然世界が変わる。回りながらひっくり返されたような不思議な感覚、世界がぐちゃぐちゃになっていく中で辛うじて引き上げられているように感じる。そして不意に世界に秩序が戻った。
「いやー苦労したよほんと。この大勢の中から特定の幽霊を見つけてこいって言うんだもん。正直無理だと思ってたよ」
目の前にいたのはいつかの死神だった。どうやらこいつが私を引き上げた犯人らしい。
「感謝してくれよ?結構大変だったんだから」
「――――――」
「あー、あたい幽霊の言葉分かんないから。だから一方的に事情を話すよ」
色々と聞きたいことはあったのだが、目の前の死神はサボり魔なだけでなく役立たずでもあったようだ。全くもって使えない。それでも1つだけ確認がとれた。どうやら私は時を動かすことにはちゃんと成功していたようだ。
「さて確認にはならないけど、説明はしておくよ。あたいは生前に『十六夜咲夜』って名前だった奴の幽霊を探してここまで来たんだ。そしてあたいはそれがあんただと思ってる」
「――――――」
「いやさっきも言ったけど言葉分かんないから」
……無能。
「見つかるわけ無いと思ってたんだけどねぇ。あんただけ様子がおかしかったから発見できたよ。夢でも見ていたのかい?」
あれは……夢だったのだろうか。確かに言われてみればそんな気もしなくはない。
「とにかく私が上司から頼まれた仕事は三つ。その内の一つ目はこれにて解決」
確認も取れていないのに何が解決したのだろうか?紅魔館のメイド妖精には絶対にいてほしくないタイプだ。
「さてそのまま二つ目と行こうか。あたいは『十六夜咲夜』を乗せて船を漕がないといけないのさ」
死神はついて来いとでも言いたげな様子で先を歩き始めた。しかし完全に死んで魂だけの状態となった今先ほどまでと違い上手く動けず、結局引っ張っていかれることになった。
◇◇
「―――そして言ったんだ『いつか必ず貴方に会いに帰ってきます。その時は初めてあった時のあの言葉が聞きたいです』ってな。どうだい?いい話だろ?」
死神が長々と一人で語っていた話は全く耳に入らなかった。死後どうなるのかは分からないが、記憶は留めては置けないだろう。だから私は死神についていく間はずっとこれまでの思い出に浸っていた。
「さてちょうどいいタイミングで話も終わったな。これがあんたを乗せる船だ」
そう言って死神は船に乗り、私も後に続く。私が乗ったことを確認するとゆっくりと船を漕ぎだした。……念の為に、寝かかっているという意味ではない。
「さて二つ目の頼み事はこれにて終了かな」
そうつぶやいた後、死神は鼻歌交じりに船を漕いでいく。たしか生前の善行が少ないほどこの川幅は広くなるという話だったはずだ。ならばすぐには到着することはないだろう。
「~♪……さて、そろそろ最後の頼まれごとといこうか」
陸が見えなくなるまで漕いだ頃に、不意に鼻歌が止まった。
「あんたの死についてなんだけどさ……実は少し困った事になってるんだよ。『時間を操る程度の能力』ってさ、神様や閻魔様にも影響を与えちゃうほどすごいもんなんだよ。それであんたの寿命の計算が大幅にずれちゃってるんだ」
死神が急に真面目そうに話しだす。寿命がずれたなんて言われてもこちらとしては知ったこっちゃあない。……いや自分の寿命だしそういうわけでもないのか。
「とりあえず短くなったか長くなったかは言えないけど、あんたが『今』死ぬことは閻魔様ですら想定の範囲外だったんだ。というわけでちょっとあんたの魂をどうするか、問題になったのさ」
どうするもこうするも死んだら……あれ?その後ってどうなるんだったかしら?
「とりあえず準備ができるまで彼岸で魂を放置っていう事なかれ主義から、能力を使ったのはあんたってことで自業自得、このタイミングで死なれても対処できないから魂を消滅させちまおうっていう過激派な案までいろいろでたんだ」
知らない間にまさかの消滅の危機。裁判は一方的に行われるというのは全くもってその通りらしい。
「議論はなかなか進まなかったらしいよ。だって過去類を見ないケースだったし正しい対処が見当もつかない状態で下手なことを言えば責任問題。閻魔様だってそんなの勘弁ってわけ。でもね……」
死神がそこでため息を付き、そして呆れたという表情で再び話し始める。
「世の中には利害よりも正義感ってやつで動いちゃう苦労人がいるんだよ……。あたいの上司がまさにそれさ。この件を一人で全部引き受けちゃったってわけ。全く損する性格の御人だよ」
死神は相変わらず呆れたといった表情だが、どこか楽しげに笑っている。
「そしてあんたのことなんだけどさ……もう一回生きてみないかい?」
………………へ?
「四季様が出した解決策は『十六夜咲夜に再び生きてもらい、寿命が来たその時に今度こそ彼岸を渡ってもらう』。どうだい?美味しすぎる話だと思うけど」
思いがけない話に頭が真っ白になる。私は……まだ生きていていいの……?
「まぁ色々疑問はあるだろうさ。とりあえず今回のケースは超例外。普通はあり得ないことだし、対応もあり得ないものになっちゃったのさ」
混乱してる頭でも流石におかしいことには気づいている。だってこれは……
「これは道理に反した結論ではある。四季様もそれは承知してるさ。でもねこの世には『善行は必ず報われる』って道理もあるのさ」
善行……?私が特別に善行を行った記憶など……
「閻魔様ってさ、『浄玻璃の鏡』って便利なものを持ってるんだよ。これを使えば嘘もプライバシーもなく過去に行われた行いが全て明かされちまうんだ。止まった時の中のことは神様も閻魔様も知覚できないけど、間違いなくあんたの『行い』ではある。ならば時に関係なくその人の『行い』を見ることができる『浄玻璃の鏡』なら止まった時間のことも見ることができるのさ。他人に尽くすことは善行であり、あんたは止まった時間の中でどこまでも善行を重ねてきた……らしい。あたいは知らないけど。だから知ってる四季様からの特別措置がこれってわけだ」
驚きを隠せない……。止まった時の中のことをちゃんと褒められる日が来るとは思っても見なかった。
「いやー幻想郷っていうのはすごいところだね。普通は閻魔様が許可したって一度死んだものが生き返ることなんて無理だ。まぁ許可した時点で普通じゃないけど。まぁとにかく他にも色々な問題があるわけさ。でもそれが全部クリア出来たっぽいんだよね」
喋っている間もずっと船を漕ぎ続けていた手がとうとう止まった。
「行きな。あんたが十六夜咲夜であるなら。もう少しだけ生きてみたいのなら。そこに大切なモノがあるのなら」
私は迷わず川に飛び込んだ。
「……これで最後の頼み事も終了。ま、近いうちに会いに行くさ」