Coolier - 新生・東方創想話

風神太平記 第十一話

2013/12/19 22:12:44
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 諏訪の王権が事態を収拾するためには、さらにひと月ばかりを要した。

 辰野での治安の維持、南科野からの撤兵と北科野各地への軍勢の帰還、論功行賞、領主を失った土地の再分配。等々、諸々……。多くの仕事がようやくひと段落ついたのは、年明けて二月も半ば。厳寒のさなかにあってそろそろ春も遠からじ、という頃合いであった。

「その後、何か変わりはないか」

 慌ただしい戦いとその後始末の日々もようやく過ぎ去り、諏訪の政所(まんどころ)にも平穏なものが戻りつつある。

 そのようななかで評定の場に復帰した八坂神奈子は、登城した豪族ダラハドに辰野の土地の次第を問うていた。今や、彼は元・諏訪の豪族ダラハドではない。ユグル一党が滅びた後、入れ替わるかたちで辰野の地を賜った一領主としてのダラハドであった。いち早く諏訪方に降ったノオリも、すでに小県に移っている。多少、歪なかたちではあったものの……神奈子の南科野平定は、ここに結実したといえる。

「は、お気遣い痛み入りまする。万事、順調に進んでおりますゆえ、ご安心のほどを。八坂さまの御いくさにより悪逆無道のユグル一党を平らげ、その後に賜りし辰野の地。このダラハド、報恩のため誠心誠意の忠勤をお約束いたしまする」
「それならば、良い。辰野は北と南の科野を繋ぐ要衝の地、そしてそこを護るそなたは科野を支える大きな柱のひとつ。今後も励めよ」
「ははっ!」

 自信満々に返事をすると、ダラハドは名残も惜しそうに評定堂を退出していった。

 新たに土地を賜って辰野に館を構えたとはいえ、相も変わらず彼の顔の半分には白布が巻かれ、その下にはかつて彼の血筋が諏訪子から受けた祟りがなお息づいている。だが、ダラハドにはもはや一族の離散を経たことによる卑屈さはなかった。未だ四十にもならぬというのに、祟りのため一回りも二回り老いて見えるその顔に――本心はどうあれ――、諏訪子への憎しみらしいものも浮かんではいない。

 ダラハドが実に意気揚々と辰野に入ったという話は、神奈子と諏訪子の耳にもすでに届いていた。しばし仮寓していた諏訪からの移動は、ダラハドと同じく辰野周辺に封(ほう)じられた者たちを引き連れ、多年の屈辱を晴らすかのように盛大な行列をつくって行われたという。

 その行列のなかには、ダラハドがジクイから買い戻した辰野の人々――先の戦いで虜となっていた者たちも少なからず含まれていた。とはいえそこには、未だ確たる基盤を持たないダラハドを領袖とするための、八坂神奈子の力が働いていた。ダラハドとジクイとのあいだで取り交わされた奴婢の売り買いを仲立ちしたのは、他ならぬ神奈子であったのだ。取りも直さずそれは、ダラハドを通して、辰野をはじめとする南科野の反動を抑えておきたいという思惑の為せる業であったろう。


――――――


「河城似鳥(かわしろのにとり)にございまする」

 水内の豪族ギジチの名代と称して登城してきたその男は、日焼けした顔を深々と下げた。
 神奈子と諏訪子、それに評定衆の面々が、似鳥の姿をしげしげと観察する。

 小男だがよく締まっている体格は、着物の上からでも解る。
 その着物は真新しい絹織物であるようで、安からざるものであろうというのが一見して伝わった。おそらく、ギジチが諏訪に名代を派遣するにあたり、新たに用意させた品であると思われた。だが、かなしいかな、肝心の似鳥自身がそのような立派な着物に袖を通し慣れていないらしかった。

 聞けば、彼は、もと天竜川沿いの水運散所の頭目衆のひとりから、ギジチに取り立てられてその傘下に入った男という。出自からすれば、お世辞にも高い身分とは言いがたい。故にか、せっかくの絹の着物も『着ている』というより『着られている』というのがちょうど良い有り様、おまけに言葉遣いも慇懃ながら、どこか響きがあやふやである。馬子にも衣装という言葉も、時としては当てにならぬ。そういうことを、政所を占める人々はひそかに思った。

「此度、ギジチどのは八坂さまに進物を捧げんと考えられ、そのための使者としてこの河城を遣わされました。八坂さまにおかれましては、この儀をもって、ギジチどのをお許しくださいますよう、何とぞ」

 そんな言葉とともに渡された竹簡――今回の進物の目録という――の中身を検めもせずに、神奈子はフと微笑した。皮肉げな笑みである。ちらと顔を上げた似鳥。眼の端に怪訝なものを宿している。

「莫大なる貢ぎ物と引き換えに、この我にさえ秘して武器兵器の取引を行っていたことを許してもらおうとは、調子の良い男よ」
「それだけではございませぬ。此度のことに多大なる責を感じ、ギジチどのは上諏訪商館の経営の権を、返上すると申されておりまする」
「ほう。しかし、さすればあの男、諏訪を起点とした南科野一帯の権益を失うことになるが」
「“損して得取れ”ということかと」
「なるほど。辰野でいくさ起こったことも鑑みれば、諏訪の王権に睨まれるは甚だしき損ということかな」

 神奈子の隣では、諏訪子が着物の袖で口元を押さえている。

 間の悪いことを聞かされて困っているのか、それとも笑いを抑えているのだろうか。
 いずれギジチとのことは、彼女も主導していたのだ。
 この場に名代だけ送ってよこしたギジチの“ご機嫌窺い”に、何ら思わぬところがないわけではない。だがその使者たる似鳥の方は、諏訪子を一顧だにすることもなく話を続けた。

「八坂さまの仰せになること、いちいちごもっとも。なれど、いざいくさ起これば必ず多くの武器兵器が必要になることは、いくさの神たるあなたさまこそ、まずいちばんに御承知のはず。それもすべて、己が土地護らんとする豪族方の声を聞き届けるがゆえ。どうか、御斟酌のほどをお願い申し上げ奉りまする」

 言って、似鳥はまた深々と辞儀をした。
 神奈子は、しばし黙する。数瞬の躊躇の後か、彼女はゆっくりと口を開いた。

「…………その“声”が、まさしく、いくさの種よ。世に数多の義戦あれど、芯から邪悪の心で起こされたいくさはなしと、八坂は見る。いずれの戦いも、行う方は義戦と信ずる心で行うのだ」

 畢竟、かなしきことに、この世の中に悪はなし。
 神奈子は、自身の言葉をそう結んだ。
「はあ?」と、いかにも意味の解らぬといったように、似鳥は小首を傾げる。
 何気ない動作だったが、どこかとぼけた愚鈍さを発揮しているように見える。あるいは、それは着物の一枚や二枚ばかり重ねただけでは隠しきれぬ、彼の品性の問題だったか。呵々と笑って、神奈子は「気にするな、河城」と似鳥に説いた。

「ギジチは科野諸州の、この科野のために、いくさに備えて武器を扱うた。そして河城、そなたたち水運の者たちをも取り込んだ。今この場ではそういうことにしておこう。名代としての儀、御苦労であった。進物の方は、後でいちいち検めておく」

 どうやら上手く話が運んだらしいことに気づき、似鳥は顔いっぱいに喜色を滲ませる。が、評定衆筆頭の威播摩令がそれを礼儀悪しと見て取って、これ見よがしに咳払いをした。ばつが悪そうに首を引っ込める似鳥に、束の間、皆は失笑した。

 ほどなくして、笑いが収まってくると。
 神奈子は、一転して似鳥に怪訝そうな眼を向けた。

「どうした、河城。進物は後でしっかり受け取っておくと、そなたも聞いたであろう。早うギジチの元へ帰り、その儀、しかと伝えるが良い。かの者の咎、許すとな」

 話が済んだのに、似鳥はいっこうに堂から退出しようとしない。
 評定衆のひとりである渟足(ぬたり)が、「河城どの、今日は他にも八坂さまに閲する者、話し合わねばならぬこと、数多い。用が済んだのであれば、急ぎ退出されよ」と促した。だがやはり似鳥は動かない。ばかりか、かぶりを振って「あのう、実は……」と切り出した。

「どうした。未だ、何か?」
「はい。本日、河城が参った理由(わけ)は、ギジチどのおひとりばかりの名代というだけではございませぬ。南科野の諸豪族、諸商人の名代――いいえ、代表として参ったのです」

 予想だにしていなかった似鳥の言葉に、神奈子は眉根に皺を刻んだ。
 評定衆も、にわかにどよめき出す。
 ただし諏訪子だけは、静かであった。彼女はなお口元を袖で隠したまま、ちらと横目に神奈子を見遣る。神奈子もまた、諏訪子の視線には気づいているはずだった。しかし、何も言いはしない。今はただ、事態の変転を見ねばならぬと思っていたせいだ。“諏訪子が何を策しているか”を、急いで云々すべきではないと。

 周囲の動揺ぶりに押されるようにして、似鳥は懐からもう一条の竹簡を取り出した。
 恭しく捧げられたそれを受け取り、神奈子は直ぐさま中身を検める。

 ややあって竹簡から顔を上げた神奈子の眼には、不穏な光が宿っていた。
 じろりと睨まれた似鳥は、がばりとひれ伏し、何の沙汰やあると怯えている様子である。評定衆はどよめきを喪い、沈鬱さばかりが評定堂には横溢する。だがやはり諏訪子だけは、にやとした笑みを浮かべている。それほどに似鳥が持参した竹簡の中身は、神奈子にとって驚愕に値するものであったのだ。

 河城似鳥が献じた竹簡は、南科野の諸豪族、諸商人からの書状であった。
 曰く、――――。

 逆賊ユグル討伐により南科野の勢力の次第は塗り替わったゆえ、また不埒の企み、無用の争いが起きぬよう、迅速なる措置を行うべきこと。

 ユグルに加担せし商人オンゾ討伐により、南科野の商業には空白が生じた。これを早急に治め、われら豪族と商人との糧の道を取り戻すよう措置を行うべきこと。

 これらの任にふさわしきは国家の大権を与り、さらにまた諸豪族、諸商人との関わり浅からぬ者こそ適任。ゆえに、――。

『以て洩矢亜相諏訪子を、科野州の商いの司に任ずべきこと』。

 神奈子は奥歯をぎりと噛んだ。
 その一方で竹簡をつかむ両腕からは、するりと力が抜けてしまうところであった。
 謀られた、と、思ったのだ。

 彼女はもういちど竹簡に眼を通す。
 書状の末尾には南科野の豪族や商人たちの名が幾つも連ねられ、それぞれに血判までも押されている。それはこの三カ条が、極めて強い要求を伴った、南科野の者たちの総意であることを意味している。

 だが、そこに、今や諏訪有数の勢力となりつつある水内郡の豪族ギジチの名はなかった。

 北科野の者という出自を考えるのなら当然だが、ユグルの討伐に関わるうえで、かの豪族商人は南科野に勢力を築きし者たちを数多懐柔したのである。この書状に記された要求に、ギジチの意図が働いているであろうことは、容易に推測ができる。何より諏訪子の権限が大きくなれば、彼女と密接な関わりを持っているギジチの力もまた増すことになる。

 ということは、ギジチもまた王権に叛く者として処断すべきであろうか。
 それは、明確に『否』であると言わざるを得ない。

 神奈子が推し進めんとする政は、商業で糧を得る豪族や商人たちを取り込まねば成立しない。そのなかでもっとも大きな力を持ち、今や南科野との縁(えにし)さえ築いたギジチを敵に回せば、諸方の勢力からの反発は必至。辰野攻めのとき以上に困難ないくさが起きかねない。だからこそ、神奈子はギジチの背任にも眼をつぶらねばならなかったではないか。

 それは、つまり。

 要求通り洩矢諏訪子に国家の大権の半分を預け、商業の司に任じる以外に、いま神奈子の採るべき道はないということ。そして同時に。いちどは退けた斯様な案が再び持ち上がってきたということは、ギジチと結託して動いていたもうひとりの王、他ならぬ諏訪子自身が裏で密かに工作を図っていたということ――――――!

「此度の騒動諸々、われら商人衆の利を図ると確たるお約束を下されたのは、洩矢亜相さまにございまする。いわば洩矢さまこそが、此度の騒動を収むるに当たり、もっとも大きな功を打ち立てられた御方」

 絶句する一同に向け、似鳥はおそるおそる告げた。
 彼の声は重々しく、そして底冷えのするような冷酷さに満ちていた。
 少なくとも八坂神奈子をはじめとする出雲人にとっては、そのようなものと感じられたはずである。剣を手にして命の遣り取りをするいくさから帰ってみれば、剣を取らぬもうひとつのいくさが始まっていた。何という、むごいことだろうか。

「ばかな。いくさを終結せしめたるは、八坂神の御力によるものぞ!」

 評定衆のひとりである出都留(いづる)が、怒りのあまり立ち上がって似鳥を糾弾する。
 ギジチの名代でしかない彼に憤っても仕方がない。それはよく解っているはずだが、あまりに急な物事の進み方を前にしては、道理に合わぬ怒り方でもやむを得ぬものがあった。

「いくさはいくさ、商いは商い。このふたつは違うものなれど、しかし、分かって考えるもまた愚かなり。ギジチどのは、そのように仰せられました。いくさなければ商いはできず、しかし、商いなければいくさはおぼつかず。我らに新たな道、新たな糧を開かれたは、洩矢亜相諏訪子さま。この科野の州の商い委ねるは、かの御方をおいて他に居りませぬ」
「船乗り上がりの卑しき商人風情が、何を!」

 涼しい顔で言い放った似鳥に、出都留はさらなる怒りを燃え立たせた。
 一気に似鳥に駆け寄って襟首に掴みかかり、その場に烈しく押し倒す。周囲の者たちにも止めることができぬほどの剣幕であった。そのまま彼は、拳を振り上げて似鳥を殴りつけようとするが、

「よさぬか」

 と、他ならぬ神奈子が制止する。

「よさぬか、政所で殴り合いなど。見苦しきことを」
「しかし! この者の申すこと、あまりに身のほどわきまえぬ愚論にて! われらはまがりなりにも、出雲におわす大王(おおきみ)よりの勅を得て、東国平定のために遣わされた軍勢。八坂の神はわれらが御大将にてあらせられまする。なれば八坂神の政を蔑ろにするは、すなわち倭国の主たる大王をも蔑ろにするということ!」
「それでもだ。郷里離れて国築くは、ただそこに“国在り”と宣するのみにあらず。当地の民の意をも汲まねばならぬ。その土地ごとに数多ある兆し、幾つもの国情、眼を背けては政など到底できぬではないか」

 そこまで言われては、出都留もさすがに引き下がらざるを得なかった。
 似鳥の着物から手を離し、すごすごと元の列に戻っていく。一方の丹鳥は乱れてしまった着物を直しながら、突如の狼藉にすっかり辟易とした様子である。

「で、では河城はこれでお暇(いとま)を致しまする! われら商人輩(しょうにんばら)よりの御奏聞、よくよくお聞き届けくださいますよう!」

 吐き捨てるような口調で叫ぶと、船乗り上がりのこの使者は辞儀もそこそこ、いかにも憮然とした顔と態度で、さっさと評定堂から退出したのだった。

 後にはまた、深い深い沈黙が訪れる。

 神奈子はあらためて書状を確認し、そして。
 自分の右席で不気味なまでの沈黙を続けていた神奈子に、初めて問うた。

「諏訪子。そなたは、これで良いのだな」
「ええ。これで良うございまする」

 にやりと笑った諏訪子の顔を、神奈子は二度は見なかった。


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