Coolier - 新生・東方創想話

「マリーツァ・マリーツァ」

2013/12/15 04:27:26
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今は昔、まだ幻想郷が切り離されてそんなに経っていない頃の話。

水晶の銀色、色を消した風景、雪の白。
三つの色を織り成す季節、それを冬と言う。
人は家に篭り、春を待ちわびながら囲炉裏端でぼそぼそと話し、妖怪達もしばしの眠りにつく。
ゆえに、外のことを詳しく知るものは少ない。

しかし、冬に山に入り、狩りをする者達は知っている。
吹雪く風の中にかすかに聞こえるものがある事を。
それを聞くと、熟練の猟師は耳栓をしっかりとして、それに取り込まれまいと抗う。
新参もそれに倣うが、それを侮り古参の警告を無視したものは、二度と山から下りて来ない。
雪が溶けても、その亡骸が見つかることも無い。

「彼の行方は知れず、その理由は不可解なり」

名を墓石に刻まれる事も無い彼らは、今どこで、何をしているのかもわからない。
しかし、老練の猟師は冬になると聞こえて来るそれに、彼らの声を聞くという。
『マ…サ マリ…サ』と言うよく聞き取れぬ言葉を。

そしてある年の冬に、どう考えても日本の気候ではない寒波がやってきた。
一晩だけのその寒さは囲炉裏を囲む人さえも凍らせ、幾つかの里人が布団の中で冷たくなった。
その日から数日後、凍りついた森の中に今まで見ない人影が現われるようになったと言う。

「日本と言う国は不思議な国だと聞いていたけど、不思議通り越してけったいな処ね」
森を歩く人影は、誰も聞いていないのに呟く。
「カリアッハ・ベーラ婆さんの話で来て見たけど、異国の文化はある意味興味深いわ。黄金の国ではなかったのは残念だけど」
青いノースリーブのワンピースに、羽織った白いロングクローク、頭のダッチキャップ。
彼女ーーーレティ・ホワイトロックが日本を訪れたのは、そんな時代だった。
本来なら人里で色々と訊きたい事はあったのだが、空から眺めてみれば自分の服装が浮きすぎて、正体がばれると思い
聴取活動が出来ずに困っているのだった。
「この国では墓穴を掘らずんば墓地を得ず、とか言うらしいけど、正体がばれると先日みたいに退治されかねないし、困ったわ」
そう言って彼女は郷に来た夜の事を思い出す。
挨拶代わりに寒気を暴れさせて、何が出てくるかを見ていたら、いきなり目の前に巫女装束の人間が現れて、問答無用で
撃ち落されてしまったのだ。
反撃体制を整える間もなく飛んできた、退魔の気を纏う拳は正確に彼女の急所を捕らえ、まともに動けるようになるまでの数日間、
回復を待たねばならない程の威力を備えていた。
その威力でも手加減して、数分の一の力も出していないと、巫女は言った。
「あんな強い人間が居るなんて、故郷のエクソシストすら虫けら同然ね…」
苦い響きを含んだ呟きが漏れる。と、刹那、どこからか、からかう様な声が聞こえてきた。
「この郷に異国の妖怪が来るとは稀有ですね。明日は大雪か大吹雪か、どちらになるやら?」
声はその位置が判らない様に、巧妙に響きを重ねてレティに届く。
「一応来たばかりなので不躾だけどね、私はあなたのようなこそこそした真似が嫌いなのよ。戦うつもりが無いなら出ていらっしゃいな」
レティの不機嫌な反応に、声は答える。
「私は臆病者でしてね。初対面の方と正面から話し合うのが苦手なのですよ。気分を害されたならお詫びいたします」
それと同時に、レティから数メートル離れた大木の洞から、緑の髪に黒いマントを羽織った、ボーイッシュな少女が現れる。
「ようこそ幻想郷へ。異国の方。私は蛍の化生にして蟲使いのリグルと申します」
洋式の一礼をして、リグルはにっこりと笑った。
レティは不思議そうにリグルを見て、訊く。
「虫の化生が真冬に?妖怪でも聞いたこと無いわ」
その言葉に笑みを崩さず、リグルは言った。
「それは虫の世界を知らない者の視点だからですよ。冬に活動する連中もいるんですよ?」
「よほどのつむじ曲がりが居るのね。本当にこの国は不思議だわ」
失礼な物言いにも笑顔を崩さず、リグルは説明する。
「アリの仲間や蛾の仲間にそう言う者達が居ましてね。彼らに食料のある場所を教える代わりに私も自分の食い扶持が
 どこに埋まっているかを教えて貰うんですよ。遭難して死んだ人間や衰弱死した獣を、ね」
その言葉にレティはたいした反応を見せない。人食いはどこの国にも居るし、墓を暴いて死体を食うものも珍しくはないのだ。
「そう言えば、リグル…だっけ?この郷に来て間もないので教えて欲しい事が色々あるのよ」
「そうですか。自分の知っている範囲でしたらお答えしますよ…レティ・ホワイトロックさん?」
レティは虚を突かれる。目の前の少女にはまだ自己紹介をしていないのに何故知っているのかと。
その様子を相変わらずの笑みで見つめ、リグルは素直に種明かしをした。
「ここの情報源は天狗の新聞記事でしてね。あなたが博麗の巫女に仕置きをされた記事なら翌日に出ていますよ」
「テング?」
「詳しい事は後に回して、簡単に言えば空を飛びながら情報収集をしている方々です」
「妖怪にもゴシップ好きが居るのね。奇妙な国だわ」
レティの素直な感想に、リグルは言う。
「異国の神になると取り憑いた者の隠した本音をつまびらかに、本人の口から喋らせる悪趣味な者も居ますけどね。
 そう言う者達と比べれば、悪意も嫌味も無いだけこちらの新聞記者は良心的です。それにこの郷では噂話と新聞が娯楽ですから
 悪事と噂は千里を走りますよ」

とりあえず自分よりもこの郷に居る実力者に会った方が話が早い、とリグルに言われ、彼女の案内でレティは雪道を歩いていた。
「どこに向かっているの?随分歩いているみたいだけど」
いぶかしむレティの質問に、リグルは答える。
「博麗神社です。あそこには時折この郷を作った…と言うより外界から切り離して私達の様なモノが棲める様にした、とても偉い方が
 遊びに来るんですよ」
ハクレイと聞いてレティが警戒する。
「確か私を一撃で動けなくした人間がいるところよね?」
その警戒をよそに、リグルは涼しげに言う。
「確かにそうですが、人間を襲わない限りは無関心な方なので心配は無用です」
レティの頭の中にクエスチョンマークが溢れかえる。自分の故郷ではどんな事情であろうが見かけたら即退治に来る連中が
ごった返していた。ここは人間を襲わなければ目の前に死刑台があっても、気分次第で見逃すと言うのか。ありえない。
「話を聞けば理が解りますよ。解らなくてもここに住んでみれば半年も経たずに慣れます。この国はどんな神でも受け入れて、
 それが元は悪神だろうと破壊神だろうと自分達の宗教に組み込んで祀って来た所です。そしてこの国は神でさえ死なねばならない
 不便な国でもあります。北欧の国にもそう言う話がありませんでしたか?」
リグルの問いは、穏やかだが否定出来ないものを突きつける。
確かに異郷の神が入ってくる前の神話の神は人と同じで、寿命が無いだけ。傷つけば怪我もするし、最悪死ぬ。
自分の居た国以外にもそう言う神がいる事に、レティは素直に驚く。

それから暫く歩く。
人里に行くと先日の騒ぎから日が経ってない分、また騒ぎを起こすとまずい、と里を迂回して着いたのは博麗神社。
長い石段の上には真っ赤な鳥居が鎮座し、来た者を迎えている。
警戒しながら階段を上るレティ、どこ吹く風のリグルはどこか観光客と地元人を思わせるコミカルな対比だった。
「別に取って食われるわけではありません。オドオドしてると人に舐められますよ?」
そう嗜めるリグルの口調も、何か弄う響きがある。

神社の境内は、あちこち雪が積み上がり、しかし、本殿に行く道だけは雪かきがされている。
それ以外は屋根から雪を乱暴に下ろしてそのままだ。
雪を被った木は凍り付いて、さながらオブジェみたいな様相になっていた。
レティはそれを見て、木の方へ歩を進める。
「どうされたんですか?社務所は…。」
リグルの言葉を無視して、レティは雪を掻き分けて一本の枝を拾った。
「…巫女なら、神木くらいはきちんと手入れなさいな。」
そう言って彼女がその幹を枝で打つと、木に積もった雪は霧氷と化して綺麗に散りうせた。
リグルはその光景を感心したように見ている。
「これもあなたの力ですか?」
その問いに、西の彼方を遠い目をして、レティは答えた。
「私にこの国へ行け、と送り出してくれたお婆さんが居てね。その方から習ったのよ。鹿が大好きで、青い服を好んで着てたわ」
「便利な力を持っているのね」
リグルとは違う、凛とした力ある声が響く。
レティがこの国に来た初日に聞いた声と変わらないが、敵意は無い。
振り返ると、先日自分を撃ち落とした巫女が、リグルの隣で静かに笑っていた。
「その分だと、かなり回復したみたいね。用向きは再戦の為ではなさそうだけど?」
表には出さないが、その内に秘めた力は静かににじみ出ている。
「そこの…リグル、に案内されて来たのよ。戦う意思は無いわ」
レティは警戒しながらも自分の目的を話す。
「この郷がどう言うところなのか、人里で聞くわけにもいかないし、住まうにしろ追い出されるにしろ知っておきたいと思って」
「で、この子に案内されてきたわけね」
優しくリグルの髪を撫でる巫女は、どこにでも居る普通の乙女と変わらない。
あれだけにじみ出ていた闘気も霧散している。
「ホタル、いつもご苦労ね。でも、たまには参拝客も連れて来て欲しいわ」
リグルの顔が渋くなる。
「私の名前をそろそろ覚えて下さいよ。大体、ここに連れて来るにも祭神を教えてくれなければご利益も案内できません。
 何が効能なのか判らない神に物事は頼めないでしょう?犠牲を伴うかも知れないのに」
不満げに抗議するリグルに、巫女は困った様に言った。
「いつもそれで蔵を漁っているんだけど、変なものしか出てこなくて困ってるのよね。人を入れると行方不明になるし、
 妖怪のみんなは怖がって近づかないし」
「神器がいつ雪崩を起こすか解らない所に好んで入るのは自殺志願者だけですよ。あなたが良く知ってるでしょう?」
憤慨するリグルを宥めつつ、巫女は言う。
「見つけらるならば、貴方の虫の力を借りたいのだけど」
その頼みに、リグルはきっぱり言った。
「蜂蜜を酒樽二つ分、私の食料になる人か獣を週一回と、虫達の冬の餌になる家畜をひと月五頭で手を打ちます」
リグルの条件に、巫女は肩をすくめる。
「その条件だから頼めないの。私は誰にも肩入れしない代わりに誰にも力を貸す、けど、その対価に犠牲が入ってはいけないのよ」
「解っているなら隙間の賢者に頼めばいいのですよ。この世界の創造主でしょう?」
そこで、レティが訊く。
「…その隙間の賢者に会いに来たんだけど、どこに居るのか教えてくれる?」
巫女の顔が困った顔になる。
「うーん、紫は時々遊びには来るんだけど、冬の間は眠るとか言って中々来ないのよ。彼女の使いは良く来るんだけどね。
 この世界のことをざっくばらんで良いのなら、私も説明できるわよ?」

数刻後。

レティは神社の縁側でリグルとお茶を飲みながら、幻想郷が結界で覆われている世界であること、これからの時代に幻想が忘れ去られ、
行き場の無くなるであろう者達ーーー神も妖怪も妖精も暮らしていけるような仕組みであること、妖怪は人間を怖がらせ、そして
退治されることは『お約束』ではあるが、人里の人間を襲ってはならないことなどを説明された。
「じゃあ、人間はどこで調達するわけ?」
レティの素朴な質問に、巫女はあっけらかんと答える。
「神隠し、と言う現象で攫って来て、この世界のどこかに放り出すのよ。大抵は自殺場所を求めている死にたがりを連れて来るんだけどね、
 まれに結界の隙間に落ちてここに来るものも居るわ。貴方の国なら『妖精惑い』と言われてると思うんだけど」
意外な言葉が出てくる。この時代にそんな言葉は好事家でもなければ知らない。
「驚いて居るようね。この神社には何故か妖怪達が良く集まるのよ。貴方のような舶来のモノ達も例外ではないわ。このホタルだって
 元は舶来から来た虫の化生が力を得て、蛍に宿ったものなんだから」
「だから私は…」
うんざりしたようなリグルの抗議を手でやんわり制して巫女は続ける。
「これからもここには色々な者達が来るでしょう。貴方のような舶来のモノもね。そう言う連中がうちの境内で宴会を開くから
 そこで情報を得ることも出来るわ。貴方が人嫌いではないなら満月の夜にここに来れば会えるわよ。私も色々教えてもらったわ」

それから数日後、青白い満月の輝く夜。
レティが博麗神社に訪れると、既に宴会は始まっているらしく、賑やかな一角が神社の庭に出来ている。
「あら、来たのね?」
声のほうを見ると、巫女がにこやかに手を振って居る。
その周りには三々五々、妖怪達が集まって杯を交わしたり、舞い踊っているものも居る。
「ようこそ幻想郷へ」
いきなりかけられた声に振り返ると、羽ペンと革張り表紙の手帳を持った、修験者のような女性が居た。
「いきなりで失礼。私はこの郷の新聞記者でございます。種族は烏天狗…と言っても解らないでしょうから、後々知っていただきましょう」
「カラス?レイヴンなの?」
レティは戸惑いながらも訊いてみる。と、記者は言った。
「生憎と『ネヴァ・モーア』と言う言葉とは無縁でしてね。大体、この国にワタリガラスは居りません。
 尤も、見ただけで狂う烏は居りますが…」
謎かけのような、人を煙に撒く様な言葉。
「本日はとりあえずこの宴で色々話をして行って下さい。最近良い記事のネタがありませんので期待しておりますよ?」
その言葉に、巫女は軽く警告する。
「射命丸、宴に無粋はご法度よ。あと、彼女のことは既に記事にしてるんだから、名刺代わりに名前くらい名乗りなさいな」
「あやや、これは失礼。私は射命丸 文と申します。以後お見知りおきを、レティさん」
どうやらここに来た初日の出来事を記事にしたのは彼女らしい。
しかしどこで、どうやって自分の名前を知ったのかを疑問に思ったが、あえて訊かない事とした。
「あなたが私の名前を知っている、と言う事はここに居る妖怪達も大体は知っているということね?」
文は微笑みながら
「まあ、私は幻想郷最速の記者ですからね。新聞を購読してくれてる方々は知っていますよ。」
レティは肩をすくめる。
「人里に行かない選択をしたのは賢明だったって事ね」
文は少し笑っただけで答えず、まあ他の皆さんと話でもして下さい、と言って他の妖怪達の輪に入っていってしまった。

宴もそろそろ終わりに差し掛かる頃、妖怪の一人が愚痴るように言った。
「この時期は憂鬱だよ。ここ十数年まともに眠れる夜ってモンが無い」
輪の中に入っていたレティが反応する。
「眠れないって…寒さで?」
その妖怪は首を横に振って、
「寒さなら慣れてるモンさ。そうでなくて、この時期になると毎晩毎晩歌が聞こえてくるんだけどさ、耳に障る上に同じ言葉を繰り返すんで
 鬱陶しくて仕方が無いんだよ。今年はおかげで冬篭りの住処を変えたんだけどね、それでも耳に残って仕方ない」
「巫女には頼んだの?」
「妖怪じゃなくて幽霊の類らしいんで管轄外だって言われてね。冥界の方でも何度か強引に連れて行こうとしたらしいけど、
 どうやっても解けない呪いにかかってるとか、何か魂魄の従者も出張ったんだけど、斬れなかったとかで相当嘆いてたよ。
 …まあ、魂魄の場合はその呪いと思いを断ち切ってやれなかった事を修行不足だったと落ち込んでるだけだけどね」
そこに、いつの間にか紛れ込んでいた射命丸 文が話に入ってくる。
「私の取材だと、人里から冬の狩りに行っている猟師達が何人か帰ってこないのですよ。春になっても亡骸どころか骨も見つかってないので
 未だ行方不明扱いですね」
「聞こえるのは歌だけ?」
レティの問いに、文はメモをめくりながら答える。
「琴に似たような楽器の音も聞こえる、と言う証言はありますが、歌の途絶える所で最初から演奏をやり直しているので
 どうも歌が関係してるようですが…私も皆もそれ以上の関わりは持ちたくないので…取り込まれたらどうなるか解りませんし
 取材では『マリサ』としか歌っていない事とそれが異国の言葉だと言う事までは突き止めてます」
レティが文に不思議そうに訊く
「そこまで判っていながら、何故誰も動かないの?」
渋い顔をして、文は答えた。
「残念な事に、その言葉が解る者が居ないのですよ。一応、人里の守護者が話をしにいったのですが、言葉が通じない、と。
 蘭語でも英語でも独逸の言葉でもなく、聞き取れたのが例の歌の一節と同じ『マリサ』と言う事でした」
何となく、レティはその言葉に心当たりがあった。
故郷にいたころ、冬の間は寒気に乗ってあちこちを遊びまわっていた時期があった。
その時、とある地域の魔法使いに聞いた言葉に似ている。そこの魔法使いは、臼に乗って空を飛び、杵を振って魔法を使う。
しかしレティは口には出さず、皆の話を聞き入るだけにする事にした。
これ以上取材対象にされるのは御免こうむる所なのだ。

また数日後、
レティは誰にも解らぬ様に夜の空を飛んでいた。
興味を持った事を気取られて、邪魔が入る事を恐れての事だ。
相手がその言葉で他人を取り込んでいるなら、呪いを解く為には方法は一つしかない。
異郷の神は自分を侮辱する、または機嫌を損ねれば本人に対してその対価以上の罰を課す。
しかもそれは協力した他人を巻き込むようなシステムになる場合もあるのが最悪だ。
呪いを解けば本人はともかく、巻き込まれた他人はどうなるか想像はつかない。
とはいえ、死のうが生きようが彼女には関係が無い。妖怪に通じる呪いはたかが知れているし、よしんばかかったとしても
それに縛られるほど彼女はその神の教えなど端から信じていない故に、薄紙を剥ぐように呪縛を逃れる事が出来る。
彼女が動いたのは、ただ単に話が通じれば理由が聞きたかっただけなのだ。
総じて、そう言う季節で出てくる者達はその季節が好きな場合が多い。好きではなくても、何か想いを残しているなら
それを気まぐれで叶えてやれば喜ぶだろうと思ってのことだった。

森を注意深く空から見ると、青い燐光の集まっている所がある。
中心にはギターに似た弦楽器を持った、いかにもこの国のものではない服装のものと、その周りには
歌に誘われて取り込まれたであろう者達がそれを囲んで同じ歌を歌っている。その数は十数人。
彼らの輪の外に降り立ち、レティは中心に居る「彼」を見る。
その眉間には深い皺が刻まれ、彼の辿った時間と思考にふけった時間を如実に表している。
やがて、彼はレティに訊いて来た。
「Вы Кто?」(貴方は誰だ?)
少しなまりはあるが、東欧の言葉。
「Призрак совсем недавно пришел」(最近来たばかりの妖怪よ)
レティは流暢な返答をする。と、男は行った。
「…ここに来て随分経つが、我が故郷の言葉で話すものが居るとは思わなかった。誰も話が通じないので困っていたのだ」
「私は国は違うけど、スラブの方は良く遊びに行っていたからね。ババーヤガさんに感謝して」
その言葉に、彼は遠い目をして言う。
「早く寝ないと、ババーヤガが攫いに来ると脅されたのは…いつの頃か忘れてしまったな」
暫く無言の沈黙が続く。それを破ったのはレティだった。
「所で、この集まっている人達と貴方の関係は?」
彼の顔が苦くなる。
「私の歌に誘われて囚われた者だ。私に掛けられた呪いは他人を取り込んで、私自身の務めを終えるまでその苦しみを背負う事となる。
 だから私はここに迷い込んだ時に誰も来ない山奥に入った、が…罪を背負うものに安息の地というものは無いのだ。
 言葉の壁もあって、彼らには済まない事をしたと思っている」
彼の視線は周りに居る、苦悩の色を浮かばせた者達に向かう。
レティはとりあえず、彼の過去について聞いてみることにした。彼は苦悩に満ちた顔でぽつぽつ話し始める。
「今は知らぬが、我が祖国では戦が絶えない時代があった。自分の与えられた土地を護っていれば良いものを
 人骨で出来た都市を作り、西欧かぶれの宮殿を造る、そんな時代だった」

そこで話を切り、彼は弦楽器を鳴らし始める。

「そして何度目かの戦争の時、街一つを瓦礫にした我々は、略奪を始めた。
 私のその意思は無かったが、とある教会の中に入ったとき、一人のシスターが私の前に立ちはだかった。拳銃をもってな」

「もしかすれば、彼女が何も武器を持っていなければ…私は撃たなかったのかも知れない。しかし、銃を見た私のとるべき行動は
 反射的な軍の応対だった。そして私は罪無き神の使徒を殺してしまった」

弦楽器の音が途切れる。

「その瞬間、そのシスターを慰める頌歌を作り上げるまで、世界をさまよい不幸を撒き散らし、石をもて追われるがいい、と
 破門の宣告が下された。後はその宣告通りの繰り返し。いい加減この永劫の苦しみからの逃げ場を探していた時に
 私はここに来た、が、ここでもその苦しみから逃れることは出来ん」
少しの沈黙の後、またくたびれた様な響きで弦が鳴る。
「幾ら考えても、曲が完成しても、詞が出来ない。何度も冬が訪れるたびに考えるが『マリーツァ』と言う単語以外は
 全く出てこないのだ。私の苦しみはどうでもいい。しかし、巻き込んでしまった者達の為にも、私はこの頌歌を完成させねばならない」
「…祈れ、と言う言葉は出てきたのに、それ以上は出て来ない。それはあなたが誰の為に祈るのかを忘れている為ではなくて?」
男の顔に困惑が浮かぶ。
「あなたは誰の為に祈る歌を作っているの?殺してしまったシスターの為?それとも巻き込んだ人たちの為なの?
 ただ苦しみから逃げる為だったら、頌歌はこの世界がなくなっても完成はしないわ」
男が呟く。
「マリーツァ・マリーツァ…」
レティが返す。
「誰のために?」
男が再度呟く
「…マリーツァ・マリーツァ」
レティはまた返す
「君のために」
そこで男の言葉は途切れ、苦悩が浮かぶ。
「しっかりなさいな、貴方の国では魂はどこへ行くの?雲の上でなくて?」
彼の顔に、はっきりと過去を思い出した何かが浮かぶ。
「天の国で見守る方…かの方へと…空へ祈る」
ここでレティは紙とペンをポケットから取り出し、今のやり取りを書き込む。
「今はここまで出来たわ。ここから先も手伝うけど、貴方も自分自身と向き合って本気で考えなさい」
呆けた様に見つめる彼と、その周りに居る者達の目には、希望の光が僅かに灯る。
「私は手伝うけど、人の命を脅かしてきた私が出来るのは貴方の尻を引っぱたくだけよ。私はこの世から居なくなっても
 貴方と同じところには絶対に行けない存在だから」
そう言い残して、彼女は空へ飛び上がる。

誰にも見られていない事に多少安堵しながら、レティは苦笑した。
「滑稽なものね。多くの人の命を奪った私が罪滅ぼしを手伝うなんて」
自分にも動機がわからないのに、何故彼に手を差しのべたのか、答えの出ない問いを振り切って、その日は終わった。

次の夜。
人里や妖怪の間で何も変化が無いと確認して、レティは忍んでやってくる。
そして男の周りを見渡して、
「新しい犠牲は無かったようね」とだけ言った。
彼は苦笑しながら、
「あまり騒ぎすぎても困るのでね。下手な事をして冥界の従者に斬られると、流石に痛みはあるのだよ」
「霊は斬れても、その想いと無念、執着を断ち切るのは神でも難しいと聞いたわ。この国も同じなのね」
「私もこの国に来て驚いた。ここの国の神への概念は故郷と違う。絶対的な力を持っていても人間に使役されるし、
 何よりも不死ではないと言うのが特に、な」
レティは答えて
「この国だけではない。滅ぼされたアステカやマヤも、私の居た北欧の昔の神も皆そうよ。GODはこの国では絶対者を表す言葉ではないわ」
男は静かに訊く。
「ならば、何故この国に来ても私は解放されないのだろうな?」
「刑罰による苦役と業罰の呪いを一緒くたにしている時点で間違っているのよ。呪いはどこへ逃げても逃れられない魂の贖罪でもあると
 あなたの神は言ってなかったの?彷徨い過ぎて本来の自分の役目を忘れてるようではこの先、生まれ変わっても同じことを繰り返すわよ?」
辛らつに、容赦ない言葉は彼の心に鋭利に刺さる。その痛みは斬られた痛みよりもなお痛い。
「容赦のない方だな…」
苦笑めいた呟きを漏らし、彼はまた弦楽器を構える。
「そう言えばその楽器、マンドリンではないわよね?何て言うの?」
「バラライカ、と言う。私が手にかけたシスターの形見だ」
何ともいえない感情が彼の顔を一瞬覆ったが、彼は何もいわず、前日までの分を歌い始める

マリーツァ・マリーツァ 誰のために
マリーツァ・マリーツァ 君のために
天の国で見守る方 その方へと届け 祈り

マリーツァ・マリーツァ 一人祈る
マリーツァ・マリーツァ 皆に祈る
心繋ぐその言葉は 海を山を越えて響く

そこで歌が途絶える。
「昨日から随分進んだわね。しかも歌詞の一部も変えているし、何かあったの?」
レティは感心したが、彼は俯いて言った。
「君の言葉で自分がどれほど身勝手な事をしていたかを思い知らされてね」
そこで話を切って、彼は続きの部分の楽を奏でる。
「この辺りの詞がどうも上手く出来ないのだ。あまり語彙が少ないのが災いなのか、それとも自分の贖罪の気持ちが足りないのか」
彼の言葉にレティは返す。
「言い表せないこととか、自分が背負ってきたものを振り返れば、あなたの神の教えは道を指し示すのではなくて?」

「償いきれぬこの罪を…誰にも背負わせぬように」
自然と彼の口から言葉が紡がれる
「その重さに耐えるため…私はただ…祈り捧ぐ」

「マリーツァ・マリーツァ…」
そこでレティが入ってくる
「空に響け」
「マリーツァ…いや、これは頌歌でもあるから…歌よ、にした方がいいのだろうか?どう思うね?お嬢さん」
「あなたが行くべき所への門を開くのは貴方自身よ、私は歌よ、の方がしつこくなくて良いとは思うけど」
彼は少し考えて、また歌い始める。
「歌よ、歌よ、空へ届け…誰も求む安らぎの地 扉開く鍵へ変われ」

そこでスムーズな連弾が響く。
「ここが一番難しい。私がどこまで作れるのか正直自信はないが」
「でも、やらねばならない。そして貴方はあまりそれに拘り過ぎて見落しているものがある」
レティが断ずると彼は顔を上げてレティを見た。
「見落とし?」
まだ気付かないのか、呆れ半分で彼女は男に言った。
「貴方の前にいる人は、私だけじゃないわよ」
レティの視線の示す先には、年若い、修道服姿の女性がいた。
「貴方は…!」
驚きで固まる男に、シスターは言う。
「貴方が皆の為に歌を作ると決めた時、それが貴方が見えなかったものが見える時でした。私も貴方と共にいたのですよ。御使いとして」
「しかし私は…」
「いえ、あの状況で貴方が銃を向けるのは仕方のない事でしょう。貴方が破門をされても私は貴方に付いて行ったのです
 本当に心からの懺悔を聴くために。」
男の目から涙が流れる。
「シスター、本当に…申し訳なかった。あの時、貴方が修道女に変装した兵士だと誤解したが故に、私は」
レティがそこで話に入る。
「まだ頌歌は出来ていないわ。ここからは私は見届け人、シスターが手伝ってくれるでしょう」
彼女はシスターを見ると、シスターは優しくうなづいた。
「もう少しです、私も共に歌いましょう、もう、この冬で終わらせるように」
すすり泣きがひとしきり続いた後、掠れるような声が聞こえてきた。
「慈母の笑み浮かべ…御使いが降りる」
シスターがあとを継ぐ
「安息の地へと我らを導く、憂い無きその地微笑みに溢れ 手をとり皆が互いに援け合う」
男が歌う
「マリーツァ・マリーツァ…優しこころ」
シスターが歌う
「マリーツァ・マリーツァ 労わるもの」
男が顔を上げて歌う。その視線はシスターに注がれている。
「迷い抜けたその喜び 歌に乗せ貴方へ捧ぐ
 小さな声 その震えも 頑なな心を溶かす 受け継がれよこの祈りよ 荒れた世界包み癒せ…」
歌が終わり、静寂の中に小さな泣き声が聞こえる。
周りには男の呪いに囚われた者達が泣いていた。行くべき所へ帰れる、と。
肩を組んで男泣きに泣いていた。やっと終わったのだと。

レティは自分の仕事は済んだと踵を返そうとする。が、その後姿に声がかかった。
「待って欲しい、心優しい者よ」
男がバラライカを持ってレティへ歩いてきた。その隣にあのシスターもいる。
「貴方に改めて礼を言いたい。と言っても言葉が出てこないのだが」
そこでシスターが言う。
「この楽器を私達の見届け人となった証に、そして今の歌を覚えて、歌っていただけますか?」
「私が?冬の度に命を奪うような真似をしてきた私がそんなことを?」
「だからこそ、貴方に歌って欲しいのです。不意に命を失ったものもこれで慰めにはなるでしょうから、そしてそれが…あなたの贖罪」
レティの表情が複雑になる。
「果たして貴方達の神の『常識』がここで通用するかはわからないわよ?キリシタンでさえ三万人も殺された国なのだし」
シスターは言う。
「それでも、隠れて生き残り、今では教会も建っています。今のこの国は宗教を差別しない国。今は何もなくても、
 いつかは結果が出るでしょう」
「妖怪が鎮魂曲ねえ…とりあえず考えさせてもらうわ。答えは今出せないから」
レティの提案に、シスターはうなづき
「迷いが晴れるまで無理強いはしません。これは私達の解放の証ですから、持っていてくれるだけでも構いません」

東の空がうっすらと明るくなってきた。

「そろそろ時間です。囚われた人々は解放されるでしょう。もちろん生きたままで。その説明はそこにいる方にしていただければ、
 丸く収まると思います」
振り向いた先には、博麗の巫女が立っている。
「相変わらず人が悪いわね。管轄外の仕事を妖怪に丸投げする巫女なんて聞いた事ないわよ」
レティの険を含んだ言葉に、巫女は飄々と言う。
「言葉が通じないならどうしようもないからね。ま、貴方のお手柄であることは確かよ」
「なるべくなら新聞記者には記事にしないように圧力をかけて欲しいわね。あろう事か妖怪が人助けなんてお笑いよ」
「これからの貴方の行動いかんによるわ。まあ、目立った悪さはしないことね」

その時、後ろから声が聞こえた。
「Спасибо. И до свидания.」
「Ваша цель как счастье」
そこに先ほどの二人の姿は無く、古びて弦の切れ掛かったバラライカと、解放された里人がいるだけだった。
「Чтобы связаться счастье」
小さくレティは呟いて、バラライカを拾い上げると
「後は頼んだわ。私は何もしていない。そう言うことにしておいて」
と、巫女へ言い残し、朝日の昇る方向へと飛び去っていった。

その朝から数日間、郷は大騒ぎになった。誰も解決できなかった異変を解決し、行方不明になっていた者達が
無事な姿で帰ってきたのだから当然だ。
天狗の新聞は毎日号外で賑わい、博麗の巫女の説明で村人達の経緯は説明されて、妖怪化もしていない、仲良く暮らせると
太鼓判を押され、皆が抱き合って喜び、泣いた。
もちろんその解決に携わった彼女のことは、誰にも口外しなかった。

そんな喧騒をよそに、人里のとある雑貨屋に入っていくものが一人。
「いらっしゃい、妖怪のお客さんは久方ぶりですな」
店主の言葉にさしたる反応を見せず、その客は沢山の金を出して言った。
「この楽器に合う弦を見繕って張り替えて、そしてクリーニングも頼むわ。出来ればケースも欲しい」
店主は困ったように、
「時間も金も大分かかりますけど…と、金子は十分ですな。この楽器はなんというので?」
「東欧の楽器でバラライカと言うらしいわ。合うならギターでも何の弦でも良いわよ」
「ようがす、時間は頂きますがきっちり、責任を持って直しときますわ」
「形見にもらった大切なものなので、どんなに時間がかかってもお願いね」
来た時と変わらない静けさで店を出ると、妖怪…レティは目立たぬように飛び去った。

心に響くのは昔聞いたメロディ

~はるか時は流れて あの男はもういない
 高い空の真下で 歌う歌はもう無い
 ……
 浅い眠りの淵で 夢の旅は続くよ

僅かな感傷がレティの胸中を過ぎる。
それもつかの間の事で、彼女は空に向かって

「もう会う事は無いでしょうけど、貴方達の歌はいつか歌うわ。私のためではなくて、居場所をなくしてしまったものの為に」

そう言って、彼女は森のほうへと飛び去って行った。


あとがき
お久しぶりです。みかがみでした。
ひとつ昔話を書こうとして散々考えて搾り出したのがこの話です。
他の妖怪たちも出したかったのですが、紫と文以外に1000年も生きている記述のある者達がわからなかったので
彼女達以外は先代巫女が出ている程度です。
みかがみ
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コメント



0.720簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
魔理沙が出てくるとか思ったらそんなことなかったぜw
2.90名前が無い程度の能力削除
レ、レベル高ぇ!高度な知識と専門性に裏打ちされた民俗風の物語で、深みを感じます。
3.90名前が無い程度の能力削除
中味が分厚い!妖怪としての風格を感じさせるレティもグッドです。
7.90名前が無い程度の能力削除
私は事物を理路で見る人間で。
反面あなたは観念的に語る人で。どのお話もそう云う調子で書かれるのでトッツキ難さを感じていたが、割り切って読めばひとつの筋はあるので悪くない(むしろ其れが良い)と気付く。
8.100絶望を司る程度の能力削除
すごく…濃いです。とてもおもしろかったです。
11.100非現実世界に棲む者削除
今作も素晴らしかったです。
綺麗な歌でした。
13.90名前が無い程度の能力削除
元兵士の男の心情が切々と伝わってきました。
15.100奇声を発する程度の能力削除
素晴らしかったです、そして面白かったです
17.100名前が無い程度の能力削除
綺麗な話で良かったです
罪悪感や恥こそ人を何かに縛りつける呪いであるとともに人を人にたらしめる魂そのものかも知れませんね
罪悪感やそれに対する贖罪こそその人の知性生物としてのあり方なんでしょう
18.100名前が無い程度の能力削除
幻想郷が舞台なのに異国情緒あふれる昔話とは…
とても濃厚で面白かったです
20.100南条削除
今までの作品の中で一番おもしろかったです
21.100名前が無い程度の能力削除
とてもいい雰囲気でした。誤字報告までのレベルではないですが、レティの台詞なのでпришел→пришелаではないかと。
24.80名前が無い程度の能力削除
作者さんの作品をいくつか拝読させてもらっていますが、格段に上達しているように感じました
28.100お姉ちゃん信者削除
これぞ東方二次創作のオリキャラの使い方ぞ。
レティやリグルの妖怪としての視点が垣間見えて、心をくすぐられる。