Coolier - 新生・東方創想話

「梅雨といえば」

2013/12/13 18:37:46
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「わたしは、道行く人の荷物に『傘』が一つ増える、そういうところが好きなのよね」


その傘が化けた妖怪は、どこか誇らしさを窺わせるようにそう言った。「誰も彼も、老若男女。強面な人も、歌を口遊む人も、ぼーっと歩く人も忙しなく動く人も、皆が皆傘を差して、雨音から雨音に消えるのよ」「それって素敵な事じゃない?」


彼女は徐に立ち上がると、手前の小間物屋から通りの奥へと傘を差し行く女を目で追って行った。どうだろう。私には分かるようで、いまいち分からない感性だ。「そういうもんかなぁ」


今、こうして彼女に言われるまで、この右手に持つ傘を意識する事など一度も無かった、と思う。
私はふと、真上へと目線を上げてみた。……この紙の傘というのは、私にとって未だどうにも落ち着かないシロモノだ。独特の脂の匂いもあるし、何より重い。昨年の梅雨のはじめに一度、社に傘を何本か取り揃えようと森の外れの骨董屋に足を運んで、そこでいくつか外の傘を見繕った事もあったのだけれど、流れ物という事もあってか大体は骨が折れていた。それに諏訪子様も「折角なんだからカサぐらい、こっちの文明レベルに合わせてみたって良いんじゃあない?」と暢気に仰っていたっけ。けれども布やビニールに一旦慣れてしまうとどうしても、何処を歩いていたってこれが濡れて破れてしまわぬものかと思案し続けてしまう物で。そんな事もあってか、ここに住まいを移して以来、どうにも雨は、憂鬱だ。


「そういうもんなの。里を一度飛んでみなさいな。色とりどりで大小様々のまあるい傘が、通りや小路を譲り譲られ、あっちやこっちへといったり来たりするんだから、見ていて飽きないの。あの傘はどこから来たんだろう、この傘はどこへゆくのかな。そんな事を考えていると、本当に時間を忘れちゃうんだ…」


はて、小傘は今なんて言ったんだか。「えっ?」物思いに耽っていた私は、耳をそのまま流れて行った彼女の言葉を上手く反芻できずにいた。「どう?面白そうでしょ?」加えて、不意に彼女がこちらを振り向いたために、自分はそこで少し面食らってしまう。
私を真っ直ぐ見つめる赤と青のオッドアイは、偏屈さをまるで知らない様に澄明だ。この妖怪はここで自分と出遭うまでの長い時に、一体何を見て来たのだろう。束の間、問い掛けにどう返したものかと思いあぐねたけれど、結局私は曖昧に口を上向きに尖らせるだけだった。


「それにね、」端から同意を求めていなかったのだろう。或いは私のあんな声無き返答にも満足したのか、小傘は再び、樋から溢れる雨水越しに人の疎らに交わる通りへと目を戻した。「雨だって好き。わたし自身が傘だからなのかも知れないけどさ、景色一面に雨、水玉って言っても良いかな。それがぱらっと落ちて地面も屋根も葉っぱも濡らしていく。たった一時(いっとき)の雨粒の世界征服。そこに可愛らしさを感じたりもするんだ」小傘は曇天を見上げながら、今の私には到底真似の出来ない様な屈託のない笑顔を作って見せた。「他にも、虹とか、水溜りとか、音とか匂いとか……ふふ」


別に今は妖怪退治をするつもりも無かったのだけれど、私と彼女との間に今一度はっきりとした価値観の違いを見てしまって、無意識に不快感を覚えてしまったのかもしれない。その時私は急に、そしてなんとなく、たといこの妖怪を負かす事はあっても、この妖怪に勝つ事はきっと無いのだろうな、と感じた。何故だか分からないけれども、いざという時、世界は私にではなく彼女に味方するような気がしたから。その純朴さは、善良さは、無邪気さは。私には欠けている、と言うより、私が遠い昔に何かと引き換えに置いて行ったものだ。生きていく中で人間が己の中に積み上げる数多の経験、知識、行動様式、そういった何か、有り体に言えば、ひどく現実的で、合理的で、つまらないもの。こういったもの達を享受する代わりに、どうも私は自らそれを懐より選り取って捨て置いた気がするのだ。もし、それを捨てずにいたなら、自分は今頃どうなっていたか知れない。


――――――――さあさあ、しとしと。ぱらぱら、ぽたぽた。



私は大きく息を吸って一つ、ため息を吐いた。冷たい空気が肺から体に沁み入る様な感覚を覚え、それが白い靄の掛かった追憶を頭から、心から払って行くのを感じた。小傘がその瞳に湛えた無垢は、確かに私にはとうに無いけれども、それでも、それを後悔する気持ちも更々持ち合わせていない。そう、彼女は彼女で、私は私だ。


「私は、あまり好きではないかな。足下は濡れるし、空も飛べないし……家に居たってじめじめするもの。洗濯も出来ないし憂鬱を感じる事ばかりでどうも、ね」


別にそういうつもりは無かったのだけれど、それでもきっと多少の反目は言葉の中に、或いは言外にあったかもしれない。そんな事を思いながら私は向こうの柳を見ていた。暫く待ったけれども、気配からして、小傘はこっちを振り向かなかった。


「早苗は、なんて言うか即物的なんだね」


「え?」通り過ぎ行く傘達を見送りながら、小傘はそんな事を洩らした。そして、ずい、と立ち上がると、「もうそろそろ雨が止むよ。私もお腹が空いてきちゃったなぁ」と言って、私に別れを告げて、雨のそぼ降る小径に消えて行った。軒下で少し待ってみれば、確かに雨は疎らになっていった。


――――――


里での買い物を終えて神社に戻ると、神奈子様が境内で私を待っていた様子だった。雨が降りだしたせいで私の帰りが遅れるのを心配してくれていたらしい。気持ちはとても嬉しいけれど、ちょっぴり過保護な気もするなと思いながら、私は予め傘を携えて出掛けた事と、雨宿りに傘お化けと会った事とを悉に話した。


他愛もない雑談のつもりだったから、話す内に神奈子様が何やら含み笑いを始めたのを見て、私はひょっとして何か顔に付けたまま里に出ていたのだろうかと眉を顰めた。「あれ、何か可笑しかったですか?」


「ん、ふふっ……だって早苗ったら、道具に心を説かれてるんだもの。傘に即物的、なんて言われたらもう世話ないわね、ふふ」

「……あー、」堪えきれず破顔した神奈子様に、私はきょとんとしてしまった。まさしく言い得て妙、といった所だった。そのまま神奈子様が鼻を鳴らしながら、お腹を抱えて社の中へと戻って行ったのを、私はただ、呆然と見送った。疎らだった雨はもう止み、厚かった雨雲も今は切れ切れに流れて、その上の青い空を露にしていた。その時は、何故だったろうか、清々しい程に晴れやかなその空までもが、どうにも、私を笑っているような気がしたのだった。
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コメント



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2.90名前が無い程度の能力削除
責任と権限と、目的と信頼と神の力と。少女の年齢でありながら子どもでいられないほどに、早苗さんにはたくさん背負うものがあるのでしよう。
3.90名前が無い程度の能力削除
じっくり読みたくなる文章でした。後半は尻すぼみな感がやや残るのですが、前半の描写の巧さにかかってはそれも大して気にならず。小傘の言う見ていて飽きない、華やかな雨降りの情景がありありと浮かんできました。
5.90奇声を発する程度の能力削除
この雰囲気良いですね
12.80絶望を司る程度の能力削除
おぉう、深い。
13.無評価名前が無い程度の能力削除
純真無垢な小傘いいですね〜