「おつかれー」
「「おつかれー」」
私の両側に居る河童と吸血鬼という物珍しい組み合わせについて、どうしても思うところはあるのだが。
違和感はあるのだが、しかし今となってはどうでもいい。
きっと酒が全ての違和感を洗い流してくれるだろう。
「今日も寒いね。女将さんおでん頂戴」
「大根で良いんでしたよね」
「たっぷりお汁も入れてよ?」
そんな事を言いながら、河童はじゃらじゃらと貨幣を先払いしている。
ミスティアは少し困った顔をして、大根と熱々の汁が入った食器を渡した。
袖を白い布で縛り、色っぽい二の腕が見え隠れしている。
「私には、女将さんからのおすすめを一つ」
「あ、じゃあ私もそれで」
吸血鬼がそんな風に注文するので、私も便乗して注文する。
そしてミスティアが食器に入れたのは、大根と卵に牛肉と少し値段の張りそうなラインナップだった。
まあ、今日は河童の奢りだしなんの文句もないが。
「今日は疲れたね、とはいえ労働時間は一時間も無いわけだけれど」
「そうですね。まさか魔界に落ちる羽目になるとは思いませんでした」
「ふん、五百年物の吸血鬼たる私にはそう恐ろしいものでもないさ」
若干焦げた髪の毛を揺らしながら、河童は最初に汁を飲み干す。熱くないんだろうかと思ったが、まあ妖怪なんてそんなものだ。
バカバカしいくらいに鈍感で、特定の条件でのみの鋭敏である。
河童は早速、汁のおかわりを要求した。非常にいい匂い。
「酒はどうするのかしら」
「あー、私はパスです」
「右に同じく」
「なんだ、つまらんな」
私の左手で、吸血鬼は軽い舌打ちをする。
まあ、従者に一週間の休暇を与える為にふらふらとしているので、素面のままでは少々暇なのだろう。
しかし初日から魔界へ一泊二日するとは、吸血鬼とは言え夢にも思わなかった筈だ。
まあ私も、家出二日目で魔界へ行くとは思わなかったけれど。
「ところでお二人さん、ナメクジの交尾は見た事あるかね?」
「河童、まさかお前の脳髄がおでん汁に犯されているとは思わなんだ。今すぐ竹林のキカイダーを呼んで……」
「いやいやいやいや、一回見てみって。あれは息を呑む激しさだから」
不潔である。
そう突っ込もうとしたが、私は非常に美味しい肉の食感に惑わされていた。
うん、魅了されていたのだ。だから突っ込めない、残念だなあ。
「くそう、じゃあ話題は変わるけど牛の」
「交尾の話題なら全世界†ナイトメアな」
「肉って美味いよねー」
止めてよ、私を挟んでその空気止めてよ。
あ、河童こっち見んな。話題とか出せないから。
「あ、にとりさんおかわり要りますか?」
「はい、もー。女将さんの優しさでお腹一杯だよ……」
「え!? あ、いやあのその私には響子がいてですねあのそのなんというか」
あまずっぺえぇ。
きょどった女将さんも可愛いなあもう。
顔を真っ赤にしちゃってまあ。
「なに、話題なんて無理に作るものではないだろう。こういう時は静かに飲み乾せばいいんだよ」
「私としては、ちょっとくらい会話が弾んでもいいと思いますけどねえ」
「そう文句ばかり言われると私も引き下がりたくなるが、やはり姦しいだけが酒呑みではないのさ。そうだろう河童」
「くそう、幼女なのに落ち着き払ってるぜちくせう。女将さん、お汁もう一杯!」
「はいはい」
あのお汁にはアルコールでも入っているのだろうか、中毒性あるのか。
私がそう思っていると、思案するように吸血鬼は顎に手を当てる。
「ふむ、ではこうしよう。女将、何か歌ってくれ」
それは良い案だ。そう言って河童は水を少し飲む。やはり汁だけは濃かったようだ。
ミスティアは慣れたように笑い、軽く咳払いをして歌いだした。
それは耳元で囁くような声で、時折巻き舌になるのがとても色っぽい。
『マーシャルの匂いで、飛んじゃって、大変さ』
しっとりと濡れたような歌声が心地よい。
自然と酒を呑む速度は落ちるが、口の中に含んでゆっくりと呑みこむ。
吸血鬼は少し頬を吊り上げる様に笑い、卵を潰して汁に溶かす。
「林檎ちゃんか。私は好きだぞ」
「おや、吸血鬼さん知ってたのかい」
「無縁塚に落ちていたカセットを買い取ったのはうちのメイドだぞ。結構吹っかけられたと聞いているが」
「そうだったかい? そいつは失礼」
そんな話をしている間もミスティアは歌い、空気を震わせている。
耳に染み入るその感覚。私には歌声だけで、世界を支配しているようにさえ聞こえた。
しかしそんな歌声も、五分も経たずに過ぎ去ってしまう。
「もう終わってしまったか。済まないがもう一曲良いか?」
「お代は弾むからさ」
二人が注文すると、ミスティアは『お代は結構です』と言うように首を振り、また静かに歌いだす。
先程より力強く、しかし声を押し殺すように歌っている。
『どうか、私と、ワルツを』
切なく、重々しい声で私達の耳を溶かしていく。
どこか泣きそうな歌い方。先頃から衣擦れの音や吠える獣の声も聞こえない、静寂の中でミスティアの歌声だけが浸透する。
歌が終わった時、私達は三人とも思わず拍手してしまう。
そんな強制力、支配力が彼女の歌声には宿っているような気分になった。
「やはり、良いな。明日もまた来てしまうかもしれない」
「今度は私もツレと来ようかね。久々に雛とも呑もう」
口々に感想を呟く横で、私は静かに酒をちびちびと口に含む。
優しい歌は本当に戦争を終わらせることも出来るのかもしれない、そう錯覚する程度には私の気分も良くなっていた。
目指せ、百万チバパワー。なんちゃって。
「今度、うちの門番にヴァイオリンを弾かせよう」
「え、あの人ヴァイオリン弾けるんですか?」
意外だ。
花と子供を愛でるのが趣味のグラップラーだとばかり思っていたのに。
「あれで数千年は生きてる女だ。一番古かった昔話は、確か清少納言の同僚時代の話だったかな」
「……まさか定子の女房だったんですか?」
にわかには信じきれない。というか信じていいのかどうか怖い話だ。女房と言えば当時のメイドのような者の筈だ。
もしそうなら確実に私より年上で、由緒正しきどっかの鵺より古式ゆかしい妖怪となる。
それなりに長く生きて、教養も刻み込まれた私でさえ、清少納言などほぼ名前しか知らない程度の認識なのだ。
「ふん。普段はまるで分からないが、咲夜に押し倒された時とヴァイオリンを弾く時だけは女の顔になるんだ。あの門番」
「そ……れは想像できない」
「お金払ったら見せてくれないかなー」
「見せんぞ河童。あれは私達だけの物だ」
このカリスマロリ吸血鬼に、いや変身すればエロいグラマラスモードになれるとは言え、それでも今はロリロリしい吸血鬼にここまで言わせるとは俄然興味が出てくる。
うっかり覗き見したくなった。
まあ、私は死にたくないので自重するが。
「くそう、こっちにはそこまで自慢できるものが無いな。椛ももっと攻め攻めな顔すればいいのに」
「椛さんはポーカーフェイスですよね。無表情って言うか、表情を隠すのに慣れていると言うか」
「根はただの熱血漢なんだけどね。将棋だっていつもガチガチに固める癖にいつだって食い殺そうって気概満々だもの」
「それはおっかない、人間のメイドみたいにおっかない」
「お前の所と一緒にすんなよ、また将棋でボコボコにしてやろうか」
ガタッと両側で立ち上がる音がしたと思ったら、アメコミみたいに両目を光らせる妖怪が二人もいた。袖捲ったりしてる。
なんだろうなあ、私を挟むのは止めてほしいんだけどなあ。
聞いてくれないんだろうなあ。
ううん、確かのお汁は美味しい。おかわりするのも分かる気がする。
「ふん。まあ今日は見逃してやるかね。あまり素人をいじめるのは体面が悪い」
「天狗鼻を叩き折るのもやぶさかではないが、しかし河童に天狗鼻とは愉快愉快」
「ほうほう吸血鬼の御嬢さん、やぶさかなんて難しい言葉を使えるようになったんさね。お姉ちゃんが褒めてあげよう、飴玉をあげよう」
「はっはっは、キュウリと汁で脳内水浸しかと思ったが飴も食べるのか。いいぞ好き嫌いを治したご褒美に私が誉めてやろうではないか、ほら土下座して感涙にむせび泣けよ」
「……」
「……」
「あ、この大根美味しい。味が染みてますね」
「分かります? いつもの大根と違うやり方で作ったんですよ」
私は今日、ツッコミは放棄したのだ。
値千金の友情でさえ、今の私を動かすには役不足。無価値に等しいのである。
出来れば暖かいおでんと蜜柑、そして大きめのコタツが欲しい。
今日から一週間はお仕事も何もかも投げやって、大きなおっぱいをコタツに乗せて楽な体勢でだらだらしたい。
その内、私の両側はゆっくりと席につく。諦めたようだ。
私は三人分、また酒を頼んでぐいっと残った酒を飲み干す。
それなりに頭がふらついてきたので、水も一杯頼んで酔いを醒ます事にした。
「結局、結局さ」
涼しい顔をして、卵を溶いた汁を煽る吸血鬼。
冷たい風が足元に吹き、旋風となっておでんの湯気が飛ばされる。
汁に浮く小さな肉の欠片を箸で沈めるが、これと言って達成感は得られなかった。
その姿を私は見つめ、そして背中から聞こえてくる時計の音で我に返る。
「お嬢様、寝具の用意はできております」
それは月の無い夜ですら、眩く輝く銀の女。まるで刃の様だと思ったが、彼女はきっと時計の針でしかないのだろう。それともただの歯車か。
いつか、人を止めるその時まで。
「お代は置いておく。綺麗な歌だったぞ」
「はん、さっさと帰って寝ちまいな吸血鬼」
「河童」
吸血鬼は立ち上がり、ぐにぐにと背が――背を、伸ばしている。
変身、グラマラスモード。
夜風にたなびく長い髪は薄い夕雲のような、薄い紫色をしていた。
「今度、会う時はチェスで戦おう」
「……応。負けないよ」
「ああ、私もだ。良い夢を」
休んでおけと言っただろう。そう吸血鬼は言い、メイドは妹様が待っていますと答えた。
吸血鬼の真っ黒な翼が広がり、二人を包み込んで消える。
妙な余韻のようなものが冷たい風と共に消え、旋風となって消えて行った。
「さ、私も帰ろうかね。アンタはどうする?」
「私はもう少し呑んでいきます。払っておきましょうか」
「いや良いよ。手持ちはある」
河童は小銭をミスティアに放り、ミスティアは慣れたようにそれを受け取る。
もう私の横に河童の姿は無く、闇夜から油の匂いが少し流れてきた。
こうなると、やはり両脇が寂しい。丁度いいマスコットとかいないだろうか。
いや、けれど一人で呑むのも悪くない。
結局どっちも私は好きなんだろう。
「ミスティア、もう一杯」
「はぁい。今日は朝までですか?」
「そうしようかな」
私がそう答えると、ミスティアはおでんを追加してくれた。
こんにゃく、卵、肉、大根。王道がすべからく揃っている辺り、ミスティアは私の好みも完全に把握しているらしい。
鳥頭の癖に、どうしてそんなことは覚えているんだろう。
「ミスティア、これ食べたら私は帰るから、お金置いておきますね」
私がじゃらっと小銭を置くと、ミスティアはゆっくりと白い腕で数えて掬う。
先程置かれた吸血鬼のお代も既に回収済み。きっちりとしていると言うか、普段のミスティアからは考えられない強かさだ。
まあ。お金を数えて拾うなんて、どこか卑しく見えそうな行為も優美な所作になる風格が悪い。
ベテランである。
「私の顔、何かついていますか?」
「ううん。大根美味しいです」
「良かった」
また冷たい風が足元に吹きこんでくる。だが温かい汁は美味しく、深く腹に染み入って行く。
少しすると、冷たい風に乗って話し声が聞こえてきた。
「儂だって外の世界に知り合いぐらいおるよ。すぐに眼鏡を勧めてくる変な女とか、じょにー・でっぷに似た『じーざす』Tシャツを着た青年じゃがの」
「濃い面子ですね。雲山、ちょっと濃い顔してみない?」
「これこれ対抗するでない」
彼女達はどこへ行くのだろうか。夜風に乗ってくる声は、私の後ろを通り過ぎて竹林の奥へと進んでいく。
最後には「雲山は雲だから外見と性別は固定されない、つまり美少女でありおっさんでもあるあるてぃめっとしーいんぐ!」とよく分からない事を叫んでいた。
そう言えば、魔界の女神もそんなことを言っていたような気がする。
「はふ。卵美味しい」
そうすると、遠くから酷く慌てた足音がする。
どうやらお迎えが来たようだ。お迎え、ではなく復職願かも知れないが。
「衣玖、何してるのよ。帰ってきなさい」
「はいはい総領娘様。今参りますよ」
「早く戻ってきなさい。早くしないとパパがトイレから出てこなくなるわよ」
「……もしかして総領娘様がごはん作ったんですか」
なんというテロ行為だろう。もう食事は桃さえ食べればいい筈なのに、困った子煩悩様である。
「はぁ、しょうがない。まずは胃薬を買いに行きましょう、仕方ないですね」
「うん。……もう衣玖怒ってないの?」
「怒っていませんよ。ではミスティア、また来ますね」
「はい。また御贔屓に」
私が歩きだすと、総領娘様は黙って私の後ろをついてくる。こんなにしおらしい姿は珍しく、私の脳内に全力で保存しておくことにする。
キカイダーの家までもう少しというところで、総領娘様はようやく口を開いた。
「衣玖。私は衣玖がいないと嫌」
「そうですか」
「や」
「そうですね」
私の左手に冷えた手が重なる。少し涼しい。
指と指を絡めて、恋人繋ぎにしてみる。総領娘様はビクッとしたが、また強く握り返してきた。
とても可愛い。
「総領娘様。今度は一緒にあの屋台に行きましょう」
「うん」
「大根がとっても美味しいんですよ」
「うん」
少しずつ温かくなる手が心地いい。
「もう私の手を、離さないでくださいね?」
「「おつかれー」」
私の両側に居る河童と吸血鬼という物珍しい組み合わせについて、どうしても思うところはあるのだが。
違和感はあるのだが、しかし今となってはどうでもいい。
きっと酒が全ての違和感を洗い流してくれるだろう。
「今日も寒いね。女将さんおでん頂戴」
「大根で良いんでしたよね」
「たっぷりお汁も入れてよ?」
そんな事を言いながら、河童はじゃらじゃらと貨幣を先払いしている。
ミスティアは少し困った顔をして、大根と熱々の汁が入った食器を渡した。
袖を白い布で縛り、色っぽい二の腕が見え隠れしている。
「私には、女将さんからのおすすめを一つ」
「あ、じゃあ私もそれで」
吸血鬼がそんな風に注文するので、私も便乗して注文する。
そしてミスティアが食器に入れたのは、大根と卵に牛肉と少し値段の張りそうなラインナップだった。
まあ、今日は河童の奢りだしなんの文句もないが。
「今日は疲れたね、とはいえ労働時間は一時間も無いわけだけれど」
「そうですね。まさか魔界に落ちる羽目になるとは思いませんでした」
「ふん、五百年物の吸血鬼たる私にはそう恐ろしいものでもないさ」
若干焦げた髪の毛を揺らしながら、河童は最初に汁を飲み干す。熱くないんだろうかと思ったが、まあ妖怪なんてそんなものだ。
バカバカしいくらいに鈍感で、特定の条件でのみの鋭敏である。
河童は早速、汁のおかわりを要求した。非常にいい匂い。
「酒はどうするのかしら」
「あー、私はパスです」
「右に同じく」
「なんだ、つまらんな」
私の左手で、吸血鬼は軽い舌打ちをする。
まあ、従者に一週間の休暇を与える為にふらふらとしているので、素面のままでは少々暇なのだろう。
しかし初日から魔界へ一泊二日するとは、吸血鬼とは言え夢にも思わなかった筈だ。
まあ私も、家出二日目で魔界へ行くとは思わなかったけれど。
「ところでお二人さん、ナメクジの交尾は見た事あるかね?」
「河童、まさかお前の脳髄がおでん汁に犯されているとは思わなんだ。今すぐ竹林のキカイダーを呼んで……」
「いやいやいやいや、一回見てみって。あれは息を呑む激しさだから」
不潔である。
そう突っ込もうとしたが、私は非常に美味しい肉の食感に惑わされていた。
うん、魅了されていたのだ。だから突っ込めない、残念だなあ。
「くそう、じゃあ話題は変わるけど牛の」
「交尾の話題なら全世界†ナイトメアな」
「肉って美味いよねー」
止めてよ、私を挟んでその空気止めてよ。
あ、河童こっち見んな。話題とか出せないから。
「あ、にとりさんおかわり要りますか?」
「はい、もー。女将さんの優しさでお腹一杯だよ……」
「え!? あ、いやあのその私には響子がいてですねあのそのなんというか」
あまずっぺえぇ。
きょどった女将さんも可愛いなあもう。
顔を真っ赤にしちゃってまあ。
「なに、話題なんて無理に作るものではないだろう。こういう時は静かに飲み乾せばいいんだよ」
「私としては、ちょっとくらい会話が弾んでもいいと思いますけどねえ」
「そう文句ばかり言われると私も引き下がりたくなるが、やはり姦しいだけが酒呑みではないのさ。そうだろう河童」
「くそう、幼女なのに落ち着き払ってるぜちくせう。女将さん、お汁もう一杯!」
「はいはい」
あのお汁にはアルコールでも入っているのだろうか、中毒性あるのか。
私がそう思っていると、思案するように吸血鬼は顎に手を当てる。
「ふむ、ではこうしよう。女将、何か歌ってくれ」
それは良い案だ。そう言って河童は水を少し飲む。やはり汁だけは濃かったようだ。
ミスティアは慣れたように笑い、軽く咳払いをして歌いだした。
それは耳元で囁くような声で、時折巻き舌になるのがとても色っぽい。
『マーシャルの匂いで、飛んじゃって、大変さ』
しっとりと濡れたような歌声が心地よい。
自然と酒を呑む速度は落ちるが、口の中に含んでゆっくりと呑みこむ。
吸血鬼は少し頬を吊り上げる様に笑い、卵を潰して汁に溶かす。
「林檎ちゃんか。私は好きだぞ」
「おや、吸血鬼さん知ってたのかい」
「無縁塚に落ちていたカセットを買い取ったのはうちのメイドだぞ。結構吹っかけられたと聞いているが」
「そうだったかい? そいつは失礼」
そんな話をしている間もミスティアは歌い、空気を震わせている。
耳に染み入るその感覚。私には歌声だけで、世界を支配しているようにさえ聞こえた。
しかしそんな歌声も、五分も経たずに過ぎ去ってしまう。
「もう終わってしまったか。済まないがもう一曲良いか?」
「お代は弾むからさ」
二人が注文すると、ミスティアは『お代は結構です』と言うように首を振り、また静かに歌いだす。
先程より力強く、しかし声を押し殺すように歌っている。
『どうか、私と、ワルツを』
切なく、重々しい声で私達の耳を溶かしていく。
どこか泣きそうな歌い方。先頃から衣擦れの音や吠える獣の声も聞こえない、静寂の中でミスティアの歌声だけが浸透する。
歌が終わった時、私達は三人とも思わず拍手してしまう。
そんな強制力、支配力が彼女の歌声には宿っているような気分になった。
「やはり、良いな。明日もまた来てしまうかもしれない」
「今度は私もツレと来ようかね。久々に雛とも呑もう」
口々に感想を呟く横で、私は静かに酒をちびちびと口に含む。
優しい歌は本当に戦争を終わらせることも出来るのかもしれない、そう錯覚する程度には私の気分も良くなっていた。
目指せ、百万チバパワー。なんちゃって。
「今度、うちの門番にヴァイオリンを弾かせよう」
「え、あの人ヴァイオリン弾けるんですか?」
意外だ。
花と子供を愛でるのが趣味のグラップラーだとばかり思っていたのに。
「あれで数千年は生きてる女だ。一番古かった昔話は、確か清少納言の同僚時代の話だったかな」
「……まさか定子の女房だったんですか?」
にわかには信じきれない。というか信じていいのかどうか怖い話だ。女房と言えば当時のメイドのような者の筈だ。
もしそうなら確実に私より年上で、由緒正しきどっかの鵺より古式ゆかしい妖怪となる。
それなりに長く生きて、教養も刻み込まれた私でさえ、清少納言などほぼ名前しか知らない程度の認識なのだ。
「ふん。普段はまるで分からないが、咲夜に押し倒された時とヴァイオリンを弾く時だけは女の顔になるんだ。あの門番」
「そ……れは想像できない」
「お金払ったら見せてくれないかなー」
「見せんぞ河童。あれは私達だけの物だ」
このカリスマロリ吸血鬼に、いや変身すればエロいグラマラスモードになれるとは言え、それでも今はロリロリしい吸血鬼にここまで言わせるとは俄然興味が出てくる。
うっかり覗き見したくなった。
まあ、私は死にたくないので自重するが。
「くそう、こっちにはそこまで自慢できるものが無いな。椛ももっと攻め攻めな顔すればいいのに」
「椛さんはポーカーフェイスですよね。無表情って言うか、表情を隠すのに慣れていると言うか」
「根はただの熱血漢なんだけどね。将棋だっていつもガチガチに固める癖にいつだって食い殺そうって気概満々だもの」
「それはおっかない、人間のメイドみたいにおっかない」
「お前の所と一緒にすんなよ、また将棋でボコボコにしてやろうか」
ガタッと両側で立ち上がる音がしたと思ったら、アメコミみたいに両目を光らせる妖怪が二人もいた。袖捲ったりしてる。
なんだろうなあ、私を挟むのは止めてほしいんだけどなあ。
聞いてくれないんだろうなあ。
ううん、確かのお汁は美味しい。おかわりするのも分かる気がする。
「ふん。まあ今日は見逃してやるかね。あまり素人をいじめるのは体面が悪い」
「天狗鼻を叩き折るのもやぶさかではないが、しかし河童に天狗鼻とは愉快愉快」
「ほうほう吸血鬼の御嬢さん、やぶさかなんて難しい言葉を使えるようになったんさね。お姉ちゃんが褒めてあげよう、飴玉をあげよう」
「はっはっは、キュウリと汁で脳内水浸しかと思ったが飴も食べるのか。いいぞ好き嫌いを治したご褒美に私が誉めてやろうではないか、ほら土下座して感涙にむせび泣けよ」
「……」
「……」
「あ、この大根美味しい。味が染みてますね」
「分かります? いつもの大根と違うやり方で作ったんですよ」
私は今日、ツッコミは放棄したのだ。
値千金の友情でさえ、今の私を動かすには役不足。無価値に等しいのである。
出来れば暖かいおでんと蜜柑、そして大きめのコタツが欲しい。
今日から一週間はお仕事も何もかも投げやって、大きなおっぱいをコタツに乗せて楽な体勢でだらだらしたい。
その内、私の両側はゆっくりと席につく。諦めたようだ。
私は三人分、また酒を頼んでぐいっと残った酒を飲み干す。
それなりに頭がふらついてきたので、水も一杯頼んで酔いを醒ます事にした。
「結局、結局さ」
涼しい顔をして、卵を溶いた汁を煽る吸血鬼。
冷たい風が足元に吹き、旋風となっておでんの湯気が飛ばされる。
汁に浮く小さな肉の欠片を箸で沈めるが、これと言って達成感は得られなかった。
その姿を私は見つめ、そして背中から聞こえてくる時計の音で我に返る。
「お嬢様、寝具の用意はできております」
それは月の無い夜ですら、眩く輝く銀の女。まるで刃の様だと思ったが、彼女はきっと時計の針でしかないのだろう。それともただの歯車か。
いつか、人を止めるその時まで。
「お代は置いておく。綺麗な歌だったぞ」
「はん、さっさと帰って寝ちまいな吸血鬼」
「河童」
吸血鬼は立ち上がり、ぐにぐにと背が――背を、伸ばしている。
変身、グラマラスモード。
夜風にたなびく長い髪は薄い夕雲のような、薄い紫色をしていた。
「今度、会う時はチェスで戦おう」
「……応。負けないよ」
「ああ、私もだ。良い夢を」
休んでおけと言っただろう。そう吸血鬼は言い、メイドは妹様が待っていますと答えた。
吸血鬼の真っ黒な翼が広がり、二人を包み込んで消える。
妙な余韻のようなものが冷たい風と共に消え、旋風となって消えて行った。
「さ、私も帰ろうかね。アンタはどうする?」
「私はもう少し呑んでいきます。払っておきましょうか」
「いや良いよ。手持ちはある」
河童は小銭をミスティアに放り、ミスティアは慣れたようにそれを受け取る。
もう私の横に河童の姿は無く、闇夜から油の匂いが少し流れてきた。
こうなると、やはり両脇が寂しい。丁度いいマスコットとかいないだろうか。
いや、けれど一人で呑むのも悪くない。
結局どっちも私は好きなんだろう。
「ミスティア、もう一杯」
「はぁい。今日は朝までですか?」
「そうしようかな」
私がそう答えると、ミスティアはおでんを追加してくれた。
こんにゃく、卵、肉、大根。王道がすべからく揃っている辺り、ミスティアは私の好みも完全に把握しているらしい。
鳥頭の癖に、どうしてそんなことは覚えているんだろう。
「ミスティア、これ食べたら私は帰るから、お金置いておきますね」
私がじゃらっと小銭を置くと、ミスティアはゆっくりと白い腕で数えて掬う。
先程置かれた吸血鬼のお代も既に回収済み。きっちりとしていると言うか、普段のミスティアからは考えられない強かさだ。
まあ。お金を数えて拾うなんて、どこか卑しく見えそうな行為も優美な所作になる風格が悪い。
ベテランである。
「私の顔、何かついていますか?」
「ううん。大根美味しいです」
「良かった」
また冷たい風が足元に吹きこんでくる。だが温かい汁は美味しく、深く腹に染み入って行く。
少しすると、冷たい風に乗って話し声が聞こえてきた。
「儂だって外の世界に知り合いぐらいおるよ。すぐに眼鏡を勧めてくる変な女とか、じょにー・でっぷに似た『じーざす』Tシャツを着た青年じゃがの」
「濃い面子ですね。雲山、ちょっと濃い顔してみない?」
「これこれ対抗するでない」
彼女達はどこへ行くのだろうか。夜風に乗ってくる声は、私の後ろを通り過ぎて竹林の奥へと進んでいく。
最後には「雲山は雲だから外見と性別は固定されない、つまり美少女でありおっさんでもあるあるてぃめっとしーいんぐ!」とよく分からない事を叫んでいた。
そう言えば、魔界の女神もそんなことを言っていたような気がする。
「はふ。卵美味しい」
そうすると、遠くから酷く慌てた足音がする。
どうやらお迎えが来たようだ。お迎え、ではなく復職願かも知れないが。
「衣玖、何してるのよ。帰ってきなさい」
「はいはい総領娘様。今参りますよ」
「早く戻ってきなさい。早くしないとパパがトイレから出てこなくなるわよ」
「……もしかして総領娘様がごはん作ったんですか」
なんというテロ行為だろう。もう食事は桃さえ食べればいい筈なのに、困った子煩悩様である。
「はぁ、しょうがない。まずは胃薬を買いに行きましょう、仕方ないですね」
「うん。……もう衣玖怒ってないの?」
「怒っていませんよ。ではミスティア、また来ますね」
「はい。また御贔屓に」
私が歩きだすと、総領娘様は黙って私の後ろをついてくる。こんなにしおらしい姿は珍しく、私の脳内に全力で保存しておくことにする。
キカイダーの家までもう少しというところで、総領娘様はようやく口を開いた。
「衣玖。私は衣玖がいないと嫌」
「そうですか」
「や」
「そうですね」
私の左手に冷えた手が重なる。少し涼しい。
指と指を絡めて、恋人繋ぎにしてみる。総領娘様はビクッとしたが、また強く握り返してきた。
とても可愛い。
「総領娘様。今度は一緒にあの屋台に行きましょう」
「うん」
「大根がとっても美味しいんですよ」
「うん」
少しずつ温かくなる手が心地いい。
「もう私の手を、離さないでくださいね?」
そりゃ家出してもおかしくないわーないわー
ほのぼのして面白かったです。おでん食いてぇ!!
冬の夜ってすげーワクワクする
おでんの大根美味しいよね でも、あれ作るの下ごしらえをしっかりしないといくら茹でても固いままなんだよね…
気になった点:最初にお酒断ったはずなのに衣玖さんもお酒を飲んでた?
※誤字と思われる箇所
>ううん、確かのお汁は美味しい。
この素敵な世界観をもっと見てみたいです