みーんみんみん、みんみん、みー
口々に蝉たちがわめくのを聞くともなしに聞きながら、湯呑みを口に運ぶ。
ずずっ
出涸らしを通り越して単なるお湯と変わらないそれを一口飲んでから、腰かけた縁側から足を伸ばす。
濃くも短い影の外、出た足は真上からの太陽に灼かれる。
じりじり。じりじり。
暑いな、とつぶやくと、
当り前じゃない、と言われる。真夏の真昼間よ。
ずずずっ
隣に座る霊夢が名ばかりのお茶をすすり、自分もならって再びすする。
ぬるい。味もない。一応水分には違いないが、こんな文句も出て仕方ないだろう。
──これだけの炎天下、冷えたサイダーを出してもバチは当たらないと思うがな。
すると、こう返される。
──ふぅん、魔理沙の家に行けば出してくれるわけね。気前がいいわ。
無論、そんなものはない。ハッと笑う私に、霊夢がさらに言葉を足すには、
これだけの炎天下、弾幕勝負を挑んでくる輩にはバチが当たりそうだけどね。
たったの三度だろ?
四度よ。
そりゃ縁起の悪い数値だな、もう一戦するか。
ずずずっ
カウンターが決まったのにまるで悪びれない私に、霊夢はあきれた様子で再びすする音を立てた。
そりゃこんなことでダメージ受けてられんさ。以前の私ならいざ知らず。
じわっ
水分を摂ったからか、額に汗がにじむ。日陰にいるとそれほどとは思わないのだが、身体は身体で暑さを認識しているんだろう。そう考えていると、やっぱり暑苦しいような気になってきた。変なもんだ。
汗をぬぐうのを見とがめられ、ほら、やっぱり暑い中無理するから、と言われる。こういうときは家の中でじっとしてるのがいいのよ。
じゃっ、じゃりり
足元の玉砂利を足裏でかき回す。
霊夢の言葉に他意はないのだろうが、少し不機嫌になった。ダメージ受けてられんとか思ったそばからこれだ。人間そう簡単に変わりきれないってことかね。
暑いのは別に問題じゃないんだよ。むしろ好ましいのさ。何も感じられないあの春に比べれば断然に。格段に。
私の態度をどう思ったか。霊夢は、だってね、と言葉を継ぐ。
ここのところしょっちゅう来てるじゃない。
そうかな?
そうよ。
そうでもないだろ。
前に全然来なくなったときがあったから、その印象があるのかもしれないけど、それにしたってね。用もないのに来過ぎよ。
じわっ
再び浮いた汗を額から手のひらに移し、ピッ、と地面に払う。その手のひらを上に向け、おどけたジェスチャーをする。そうして鼻で笑うような口調を演じる。
あのなー、用もないのに来るわけないだろ。
あら、何かあったっけ?
いろいろあるさ。今日で言えば弾幕勝負、昨日は掃除やらの手伝いやったろ。それから茶飲み話に夕飯、昼寝にちょっかい…
特に何もないじゃない
そうだな。
ずずっ
けど、お前だって特に忙しいわけじゃないだろ。
何よ、人を暇人みたいに。
暇人じゃないか。
忙しいわよ。
忙しいって、何に忙しいんだ。
そりゃあ、たとえば、掃除したり、ご飯食べたり、昼寝したり、弾幕勝負したり…
基本暇じゃないか。
そうみたいね。
ずずっ
唇を湿し、軽口の流れに台詞を乗せる。
──じゃあ、私が来るのは、迷惑ってこたぁないよな?
──…………。
沈黙。
流れが停滞した。
どうして、黙る。
なぁ。
なんで何も言わないんだ、霊夢。
あ、違うか、ここはマジにならないで、「どうして黙るんだよー」とツッコむとこか。敢えて口を閉じたままとは、ずいぶんと高度なボケだな、おい。あるいは私の台詞がボケということになるのか。
……そうじゃない。それこそ違う。
今この時が、茶化す場でないことを、霊夢の表情は示している。
みーんみん…
蝉の声が遠く聞こえる
霊夢は湯呑みを両手に持ち、日陰と日向の境目を見つめている。
言葉を探しているのか、選んでいるのか、それともすでに用意されているのか。
いずれにせよ、私は、私への言葉を待ち受けるだけだ。
ジト…
湯呑みを持つ手に汗が。少しばかり震えてもいる。情けない。
唾を飲み込む。
霊夢は、わずかに口を開けて、けれど閉じ、それでも再び開けて……言った。
──何を求められても、私はあげたことはないの、誰にも、何も。
ああ……、
わかっているさ。そうだろう。博麗の巫女はそういうもんだ。
誰に対しても平等、公平、無頓着、無関心。
霧雨魔理沙にしてもそこらの有象無象と大差ないのだろう。足元の砂利、その一粒に過ぎないんだ。
博麗の巫女に異変解決以外の何を求めてもいけない。求めれば求めただけ、得られず与えられないがゆえに、絶望は深くなる。
霊夢ははっきりとそう言ったわけだ。
しかし、
思ったよりダメージはないな。ちと意外だ。
面と向かって拒否を突きつけられて、むしろ落ち着いた心持ちになっている。何が来るのかわからないって疑心暗鬼が取っ払われたからか。
どうやら「最悪の春」は経験して良かったようだ。
あの春は今まで生きてきた中で間違いなく、掛け値なしに最悪の春だった。
穏やかな日差しの下で冷たいままだった感覚。例年口々にさえずるはずの小鳥の声が、そのときばかりは記憶にない。人の視界にはモノクロのフィルターがかかることもあるんだと初めて知った。
けど、自分でたどりついた事実に落ち込みまくったから、同じ事実を霊夢の口から出されても落ち込まずにいられる。正対できる。おおさ、こちとらあの春を乗り越えて、今の夏を迎えているんだ。
事実は覆せていない。「博麗の巫女」──それは幻想郷というシステムの中ではどうあっても絶対のことで、認めざるをえなかった。
だがな、私はクサビを手に入れた。こいつはもちろん打ち込むためにある。打ち込んでいりゃ、落ち込んでいずに済む。
クサビの芯は、疑問やら希望やら何やら製のそれだ。要するに、つまりはこうだ、
「博麗の巫女」って立場はそうだとしても、「霊夢」ってやつ、お前自身はまた別じゃないのかって。
根拠? んなモンはない。ないが、クサビはある。それで十分だ。
さあ、打ち込むぜ。こいつは打ち込むためにあるんだしな。
──誰か「から」は求めないさ。私「が」求めるんだ。
私の台詞はよどみない。
瞳は霊夢を見つめ、霊夢の瞳には私が映っている。やや困惑の色がある。私ではなく、霊夢の方にだ。
こちらの悲哀とか絶望とかを想定してたか? アテが外れたな。
薄く口を開き、ようやく返すには、
──相手の気持ちは無視するわけ? ひどい話ね。
思わず苦笑が浮かぶ。お前が言うかよ。
そして、笑みは変化する。それをどう表現したらいいだろうか。花開くような笑みか、噛みつくような笑みか。まあ多分両方だろう。
あの日、結実した想い。それを言葉にして、本人にぶつけられるときがこんなに早く来るなんてな。よく聞いとけよ、「霊夢」。
「私は私の気持ちを無視できないからな。欲しいものには手を伸ばす。いつでも、いつまでもだ」
今世紀の傑作というなら、
その時の霊夢の顔がMVPだろう。
まんまるの目。一文字に閉じた口。まばたき一つ以外は固まりきっている。
たとえるなら、あれだ、絵描き歌のコックさんだ。
それともそれは私のヒイキ目だったのだろうか。普段の澄ました顔をちょっとでも崩せたってことからの。
確かめる間もなく、霊夢は立ち上がって後ろを向いた。
じゃっじゃっ
玉砂利を踏んで歩き、離れていく。
どこへ、と聞けば、洗い物忘れてたわ、と返される。
心なしか、耳がやや赤く染まっているようにも……暑さのせいかもしれないが。
──お茶、
──ん?
──飲みかけだけど、いらないならこぼしといて。
じゃっじゃっじゃっ
それだけ言って、霊夢は角の向こう側に消えてしまった。
残されたのは、私と、霊夢の身代わりみたいな湯呑み。
ふむ。
どう解釈すべきかね、これは。霊夢の湯呑みを手に取って、考える。大した意味はないのか、それとも。
持ち前の明晰な頭脳は、現在諸事情あって働きが鈍い。何か今になって動悸が早くなってきているのだ。参ったな。ボロが出る前に霊夢が立ち去ってくれて良かった。
……ま、とりあえずは、だ。やりたいと思ったことをしよう。それが原点だしな。
湯呑みを口に運ぶ。
ずずっ
縁の濡れた部分に唇を重ね、ぬるい液体を体内に流し込んだ。
みーんみんみん、みんみん、みー
蝉の鳴き声がやかましく流れてくる鎮守の森、その濃い緑を眺めやる。
暑い夏になりそうだ。
口々に蝉たちがわめくのを聞くともなしに聞きながら、湯呑みを口に運ぶ。
ずずっ
出涸らしを通り越して単なるお湯と変わらないそれを一口飲んでから、腰かけた縁側から足を伸ばす。
濃くも短い影の外、出た足は真上からの太陽に灼かれる。
じりじり。じりじり。
暑いな、とつぶやくと、
当り前じゃない、と言われる。真夏の真昼間よ。
ずずずっ
隣に座る霊夢が名ばかりのお茶をすすり、自分もならって再びすする。
ぬるい。味もない。一応水分には違いないが、こんな文句も出て仕方ないだろう。
──これだけの炎天下、冷えたサイダーを出してもバチは当たらないと思うがな。
すると、こう返される。
──ふぅん、魔理沙の家に行けば出してくれるわけね。気前がいいわ。
無論、そんなものはない。ハッと笑う私に、霊夢がさらに言葉を足すには、
これだけの炎天下、弾幕勝負を挑んでくる輩にはバチが当たりそうだけどね。
たったの三度だろ?
四度よ。
そりゃ縁起の悪い数値だな、もう一戦するか。
ずずずっ
カウンターが決まったのにまるで悪びれない私に、霊夢はあきれた様子で再びすする音を立てた。
そりゃこんなことでダメージ受けてられんさ。以前の私ならいざ知らず。
じわっ
水分を摂ったからか、額に汗がにじむ。日陰にいるとそれほどとは思わないのだが、身体は身体で暑さを認識しているんだろう。そう考えていると、やっぱり暑苦しいような気になってきた。変なもんだ。
汗をぬぐうのを見とがめられ、ほら、やっぱり暑い中無理するから、と言われる。こういうときは家の中でじっとしてるのがいいのよ。
じゃっ、じゃりり
足元の玉砂利を足裏でかき回す。
霊夢の言葉に他意はないのだろうが、少し不機嫌になった。ダメージ受けてられんとか思ったそばからこれだ。人間そう簡単に変わりきれないってことかね。
暑いのは別に問題じゃないんだよ。むしろ好ましいのさ。何も感じられないあの春に比べれば断然に。格段に。
私の態度をどう思ったか。霊夢は、だってね、と言葉を継ぐ。
ここのところしょっちゅう来てるじゃない。
そうかな?
そうよ。
そうでもないだろ。
前に全然来なくなったときがあったから、その印象があるのかもしれないけど、それにしたってね。用もないのに来過ぎよ。
じわっ
再び浮いた汗を額から手のひらに移し、ピッ、と地面に払う。その手のひらを上に向け、おどけたジェスチャーをする。そうして鼻で笑うような口調を演じる。
あのなー、用もないのに来るわけないだろ。
あら、何かあったっけ?
いろいろあるさ。今日で言えば弾幕勝負、昨日は掃除やらの手伝いやったろ。それから茶飲み話に夕飯、昼寝にちょっかい…
特に何もないじゃない
そうだな。
ずずっ
けど、お前だって特に忙しいわけじゃないだろ。
何よ、人を暇人みたいに。
暇人じゃないか。
忙しいわよ。
忙しいって、何に忙しいんだ。
そりゃあ、たとえば、掃除したり、ご飯食べたり、昼寝したり、弾幕勝負したり…
基本暇じゃないか。
そうみたいね。
ずずっ
唇を湿し、軽口の流れに台詞を乗せる。
──じゃあ、私が来るのは、迷惑ってこたぁないよな?
──…………。
沈黙。
流れが停滞した。
どうして、黙る。
なぁ。
なんで何も言わないんだ、霊夢。
あ、違うか、ここはマジにならないで、「どうして黙るんだよー」とツッコむとこか。敢えて口を閉じたままとは、ずいぶんと高度なボケだな、おい。あるいは私の台詞がボケということになるのか。
……そうじゃない。それこそ違う。
今この時が、茶化す場でないことを、霊夢の表情は示している。
みーんみん…
蝉の声が遠く聞こえる
霊夢は湯呑みを両手に持ち、日陰と日向の境目を見つめている。
言葉を探しているのか、選んでいるのか、それともすでに用意されているのか。
いずれにせよ、私は、私への言葉を待ち受けるだけだ。
ジト…
湯呑みを持つ手に汗が。少しばかり震えてもいる。情けない。
唾を飲み込む。
霊夢は、わずかに口を開けて、けれど閉じ、それでも再び開けて……言った。
──何を求められても、私はあげたことはないの、誰にも、何も。
ああ……、
わかっているさ。そうだろう。博麗の巫女はそういうもんだ。
誰に対しても平等、公平、無頓着、無関心。
霧雨魔理沙にしてもそこらの有象無象と大差ないのだろう。足元の砂利、その一粒に過ぎないんだ。
博麗の巫女に異変解決以外の何を求めてもいけない。求めれば求めただけ、得られず与えられないがゆえに、絶望は深くなる。
霊夢ははっきりとそう言ったわけだ。
しかし、
思ったよりダメージはないな。ちと意外だ。
面と向かって拒否を突きつけられて、むしろ落ち着いた心持ちになっている。何が来るのかわからないって疑心暗鬼が取っ払われたからか。
どうやら「最悪の春」は経験して良かったようだ。
あの春は今まで生きてきた中で間違いなく、掛け値なしに最悪の春だった。
穏やかな日差しの下で冷たいままだった感覚。例年口々にさえずるはずの小鳥の声が、そのときばかりは記憶にない。人の視界にはモノクロのフィルターがかかることもあるんだと初めて知った。
けど、自分でたどりついた事実に落ち込みまくったから、同じ事実を霊夢の口から出されても落ち込まずにいられる。正対できる。おおさ、こちとらあの春を乗り越えて、今の夏を迎えているんだ。
事実は覆せていない。「博麗の巫女」──それは幻想郷というシステムの中ではどうあっても絶対のことで、認めざるをえなかった。
だがな、私はクサビを手に入れた。こいつはもちろん打ち込むためにある。打ち込んでいりゃ、落ち込んでいずに済む。
クサビの芯は、疑問やら希望やら何やら製のそれだ。要するに、つまりはこうだ、
「博麗の巫女」って立場はそうだとしても、「霊夢」ってやつ、お前自身はまた別じゃないのかって。
根拠? んなモンはない。ないが、クサビはある。それで十分だ。
さあ、打ち込むぜ。こいつは打ち込むためにあるんだしな。
──誰か「から」は求めないさ。私「が」求めるんだ。
私の台詞はよどみない。
瞳は霊夢を見つめ、霊夢の瞳には私が映っている。やや困惑の色がある。私ではなく、霊夢の方にだ。
こちらの悲哀とか絶望とかを想定してたか? アテが外れたな。
薄く口を開き、ようやく返すには、
──相手の気持ちは無視するわけ? ひどい話ね。
思わず苦笑が浮かぶ。お前が言うかよ。
そして、笑みは変化する。それをどう表現したらいいだろうか。花開くような笑みか、噛みつくような笑みか。まあ多分両方だろう。
あの日、結実した想い。それを言葉にして、本人にぶつけられるときがこんなに早く来るなんてな。よく聞いとけよ、「霊夢」。
「私は私の気持ちを無視できないからな。欲しいものには手を伸ばす。いつでも、いつまでもだ」
今世紀の傑作というなら、
その時の霊夢の顔がMVPだろう。
まんまるの目。一文字に閉じた口。まばたき一つ以外は固まりきっている。
たとえるなら、あれだ、絵描き歌のコックさんだ。
それともそれは私のヒイキ目だったのだろうか。普段の澄ました顔をちょっとでも崩せたってことからの。
確かめる間もなく、霊夢は立ち上がって後ろを向いた。
じゃっじゃっ
玉砂利を踏んで歩き、離れていく。
どこへ、と聞けば、洗い物忘れてたわ、と返される。
心なしか、耳がやや赤く染まっているようにも……暑さのせいかもしれないが。
──お茶、
──ん?
──飲みかけだけど、いらないならこぼしといて。
じゃっじゃっじゃっ
それだけ言って、霊夢は角の向こう側に消えてしまった。
残されたのは、私と、霊夢の身代わりみたいな湯呑み。
ふむ。
どう解釈すべきかね、これは。霊夢の湯呑みを手に取って、考える。大した意味はないのか、それとも。
持ち前の明晰な頭脳は、現在諸事情あって働きが鈍い。何か今になって動悸が早くなってきているのだ。参ったな。ボロが出る前に霊夢が立ち去ってくれて良かった。
……ま、とりあえずは、だ。やりたいと思ったことをしよう。それが原点だしな。
湯呑みを口に運ぶ。
ずずっ
縁の濡れた部分に唇を重ね、ぬるい液体を体内に流し込んだ。
みーんみんみん、みんみん、みー
蝉の鳴き声がやかましく流れてくる鎮守の森、その濃い緑を眺めやる。
暑い夏になりそうだ。
間接キスっていいですよねぇ。
いい雰囲気ですね、にやにやしてしまいます