一
私の友人に稗田阿求と言う女の子がいるのだが、この子とは平生、「あーちゃん」と呼ぶことを許されるまでに親しくしている。何時ごろから「あーちゃん」と呼ぶようになったのか。記憶を探れば、あれは、二年前か、三年前か、判然としない。いや、たしかにあれは、二年前の冬であったと思う。彼女のほうから、「あーちゃん」と呼んで欲しいと私に言ってきたことがはじまりである。その時私は、「じゃぁ、わたしのことは、けーちゃんかい? 慧音ちゃんでも、いいよ。」と言って、対等に呼び合うことを提案したのだが、彼女は顔を真っ赤にして、ぶんぶんと首を横に振って、「慧音さんって、呼ばせてください。」と、慎み深く言ったのであった。
私はこのとき、なるほど、微笑ましいと感じた。
同時に、ちょっと彼女を可哀想に思った。
あーちゃんも、まだまだ年若い少女である。「あーちゃん」と呼ばれて、親しくしたい友人が欲しいに違いないのだ。かといって、流石に私とは年の差があるものだから、私を「けーちゃん」とか、「慧音ちゃん」と呼ぶのは憚られたのであろう。私は一向に気にしないのだが、彼女がそうして謙虚であるのでは、強いて求めることも出来ない。そうして彼女は、飼い猫の花子を、「はなちゃん」と呼んでこの上なく溺愛するのだから、かわいくって仕方が無い。
さて、このあーちゃんであるが、どうやら私の親友の藤原妹紅に恋心を抱いているらしいことを私は察知したのである。
はじめ私がそのことを疑い始めたのは、さて、これも何時だったろうか。よく覚えてはいない。が、なんだか、あーちゃんがやたらと私の家に泊まりに来る妹紅のことについて聞くものだから、はて、何でこんなことを聞くのだろうかと、疑問に思ったのが始まりといえば始まりであったように思える。はじめのうちは、「昨日はいかがお過ごしになられましたか?」などと言って、それとなく妹紅が私の家に来たことを確認する程度であったのが、この様なやりとりを繰り返しているうちに、毎日のように妹紅が我が家に来ていることが知れると、「昨日は妹紅さんは来られたのですか?」と、顔を合わせるたびに妹紅の来訪を問うようになっていったのである。もちろん、それだけで、あーちゃんが妹紅を好いている証拠になる1とは思わない。が、妹紅が来たと言うと、「それで、お二人でどう過ごされたのですか?」などと、やや突っ込んで聞いてくるのだから、私のほうでも、「おや?」と思ったのである。
またあるとき、妹紅が何日も私の家に宿泊する予定になっていることを伝えると、がくりと意気消沈した姿を見せたりするので、これはいよいよ怪しくなって来た。流石に平生、石部金吉の堅物先生と揶揄されるところのある私でも、「ははぁん、さては……」と思って、彼女の心の内をおぼろげに察することが出来たのである。
こういった逸話を取り上げては一々きりがないが、それでも思い起こされることがいくつかあるから、それを思い出してみようと思う。
或る日、彼女の家を訪れた夕時、私は紅茶と洋菓子をご馳走になった。その際私は、その洋菓子は果たして買って来たものか、それともあーちゃんが作ったものかを訪ねた。
あーちゃんは、俯き加減に、確か夕焼けが斜にかかって、頬はすっかり赤く染まっていたと思うが、しどろもどろ、「あの、私が作ったんですけど……お口に合いましたか?」と私に感想を求めた。
私はもちろん、「あぁ、美味しいよ。」と答えた。
そして続けて、「流石に、妹紅ほど洗練された技術はないけれども、素朴で良い味を出しているよ。」と言った。そうすると、あーちゃんは「妹紅さんも、お菓子作りを嗜まれるのですか?」と尋ねて来た。私が、「あぁ。でも、妹紅は、洋菓子は作れないからなぁ。」と答え、「洋菓子は滅多に食べられないから、大変嬉しい。」と続けると、あーちゃんは大変喜んで、「私、もっと洋菓子のお勉強しますね。」と答えた。やはり、意中の人と共通の趣味があると嬉しいのだろう。これは全く、純情可憐な乙女心である。
またあるとき、これは冬のことだったと思うが、彼女の家に行き、幻想郷の歴史について、いくつか資料を探していると、「此処に、糸くずが……」と、私の腕についていた、赤い糸を取ってくれた。「あぁ、ありがとう。昨日、妹紅の服がほつれていたから、それを縫ったときに、糸くずがついたんだな。」と答えると、「そんなに、お世話して差し上げているのですか?」と、不安そうに尋ねてくるのであった。私は、あぁ、迂闊だったかと思い、「なぁに、偶々だよ。何時もはそんな、世話を焼いちゃいないよ。妹紅も、何だって一人で出来るんだからね。それに、私だって、忙しいからな。」と弁解をした。そうすると、「そうですよね!」と、にっこり微笑んでくれた。その後、「もし慧音さんが……もし、もしですけど、身近な世話をする者が必要とお思いになられましたら、何時でも仰ってくださいね。私がお世話しますから。」と、お愛想を言うのが、なんとも心憎いばかりだったので、「ははは。あーちゃんは世渡りが上手だなぁ。お世辞だよ。」と言ったら、シュンとしてしまったのは、きっと照れたからに違いない。
やはりあーちゃんは、かわいい良い子である。
二
さて、このように状況証拠らしきものは幾らでも集まるのであるが、断片的な推察を重ねるだけでは、私も、彼女が憂いているのは、何かを憂いていることだけはその瞳がとろんとして艶やかなことからも明らかなのであるが、果たしてそれが藤原妹紅という意中の人を誰かに取られてしまうという懸念なのか、それとも親友の私を独占できないことを嫌がっているのか、どちらとも判別がつかなかった。このぐらいの年の子であれば、どちらも良くある不安だからだ。
もしかすると、私の推測は誤っており、彼女は純粋に、私を独占したいと思っているのかもしれない。というのは、寺子屋の子供たちも、あっちの子供と遊んでは、こっちの子供が駄々をこねて私を困らせるものであって、あーちゃんもまだまだそういった童心があってしかるべきだからだ。
だから私は、もう少し深く彼女の言動を考察し、また探偵してみねばならなくなった。
まず、あーちゃんが私を誰かに取られて寂しいと思うかどうかであるが、そう思うことは、もう間違いが無いように思われた。
これは以前、里の仕事が忙しく、中々彼女の家を訪れることが出来なかったときのことだが、二週間ぶりに彼女の家を訪ねると、彼女が今にも泣きそうな顔をして、「この二週間、毎夜毎夜、月を見ては慧音さんを思い出していました。どれほど私がさびしく思ったことでしょうか……」などと言って泣き崩れるのである。そうして、「どうして一度でも会いに来てくださらなかったのですか?」と言うものだから、「あーちゃんのところへ来れないことは無かったのだが、夜分遅くになってしまうので、申し訳なくてな。」と答えると、「お会いできないことのほうが、よっぽど切なくて辛いです。」と、さめざめ言うのだ。
よくよく考えてみれば、彼女にとって私は親友であり、姉であり、母であるような、そういった大切な人なのである。
彼女の命短きことを思えば、少しでも近しい人と交流し、思い出を作っておきたいのであろう。彼女の家には使用人が多くいるが、それもどこか余所余所しい。神童であることもあり、父母も、何処と無く遠慮がちに思える。兄弟が他に無いのも、不幸であったに違いない。従兄弟とて、本家分家の隔たりがある以上は、容易に親しく慣れぬのが定めである。
そういったことを考えれば、何とも薄情なことをしたものだと、申し訳がなくなって、私もしみじみ、「すまなかったね。」と言って、彼女を抱きしめなくてはおられなかったのは人情である。そうしてやると、安心したのだろう、嬉し泣きに泣きはらしたあとは、にこりと、少女らしく微笑むのだから、これからも親友として、家族として、よくよく懇意にせねばならぬと思わされたことだ。
三
こういったわけであるから、私が妹紅と親しくするのを、あーちゃんが妬いてしまうのも当然である。そうは言っても、妹紅との交流を少なくするのも変な話であるから、私は出来るだけ、あーちゃんが寂しくないように彼女の家へと行くことにした。
また、あーちゃんを、しばしば家に招いて歓迎することにもした。そうして、妹紅と三人で一緒の時間を過ごすことにした。買い物などに行く際も、三人で揃って行くことにした。これは、あーちゃんが寂しくないようにとの配慮もあるが、一方で、果たしてあーちゃんが妹紅のことをどう思っているのかを解明したい、私の密かな野次馬根性だったことは正直に告白せざるを得ない。
そうして私の探偵の結果として、いよいよあーちゃんが妹紅に熱烈な感情を、つまり憧れを抱いている証拠を得たのである。
それは昨年の夏祭りのことである。
私は妹紅と約束して、彼女と一緒にお祭りを見ることにしていた。このとき彼女は、桃色の浴衣に黒の帯を締めていたが、これはこの日のために新調したらしかった。平生、やや身なりに無頓着なところがある彼女であったが、やはりそこは女であるから、この日ばかりはと意気込んだに違いない。私はお気に入りの藍の浴衣に黄色の帯を締めていた。やはり和服は馴染みのあるものに限る。こうして浴衣を着て女二人で並んで歩いたことなど、今思い返しても、なかなか優美で良いものであったよ。
さて、そうして二人で歩いていると、ちょっと込み合ったところに入ってしまって、別れるのはまずいからと、私は妹紅の手を取った。そうして歩いていくが、どうにも混雑していて、知らず知らずにほとんど妹紅を抱擁するような形になってしまった。困ったなぁっと思っていると、私は妹紅の様子がおかしいことに気がついた。耳も頬も真っ赤である。きっと、人混みの中で苦しくなったのだと私は合点したので、人混みを割いて端に向かって、少し通りからそれたところにある一本の大きな松の木陰へと進み、周囲に人っ子一人いないことを確認し、ここならば十分に落ち着けようと思い、また息苦しそうにしている姿を見て、一言「良いかい?」と断りを入れて、胸元を少しはだけさせ、帯を緩めて抱き寄せて、「大丈夫?」と頬を優しく撫でながら具合を尋ねると、「う、うん……良いよ。」と消え入りそうな声で答えたから、これは無理をしているなということが分かったので、「無理は良くないぞ。待つから。」と言って、しばらくそのままで心を落ち着けさせることにした。
しかし五分十分と経っても、いっこうに妹紅の気分が優れる様子はない。相変わらず頬は赤く染まり、息は荒く、そうして何故か脚をもぞもぞとしているのだから不思議である。私は最初、おしっこでも我慢しているのかと思ったが、夜出会ったときに、トイレは済ませたかを確認しておいたのでそんな心配もないはずである。どうしたことかなと思っていると、急に妹紅が、「け、慧音!」と私の名前を呼ぶと、私の腰に手を回して、ぐっと抱きよってきたのである。「おぉ?」と私は少し驚いたが、すぐに合点した。あぁ、孤独の長い、永遠の乙女の悲劇である。思えば平生あまり人と接することのない彼女だ。お祭りだから、男の人も多くいる。彼女も女だから、怖かったのだろう。私はあまり気の利かない女だから、妹紅の気持ちに気がついてやれなかったのだ。申し訳なくて彼女のことが愛しく思えたから、私も彼女を抱き寄せてやった。妹紅はそれが嬉しかったらしく、優しく私を抱き返してきた。
すると、折り悪くそこにあーちゃんが来たのである。
あぁ、しまったと私は思った。
実はこのお祭りでは、あーちゃんは大事な役目があるから、一緒に見て回る時間がないと聞いていたので、あーちゃんに見つかることなどは全く考えておらず、無防備だったのだ。
確かこのときあーちゃんは、白の下地に紅い牡丹が可愛い着物に、薄桃色の帯をしていた。これも後で聞くと新調したものらしかった。きっとお祭りを、精一杯におめかしして、少しだけでも見て回りたいと思っていたに違いない。そうして出来れば、私と一緒にという気持ちがあって、私を探していたに違いない。
それが察せられたから、私はいっそうまずいと思った。
きっとあーちゃんはやきもちを焼いてしまう。
そう思って弁明しようと思ったとき、あーちゃんはつかつかと近づいてくると、妹紅の手を取って、
「妹紅さん……少し、ご一緒していただけませんか?」
と、妹紅を誘ったのである。
私は驚いた。なんとあーちゃんは私ではなく、妹紅を探していたのだ。そして、あーちゃんはやっぱり妹紅のことが好きだったのだ。しかもこんな大胆に誘うとは。夢にも思わなかったことである。顔つきも何時になく緊張している。間違いない。これは覚悟した目だ。そうしてこれが決定打となった。
あーちゃんは妹紅のことが好きである。間違いない。
四
憧憬と恋慕は紙一重である。とりわけ、思春期の女の子にとっては。そうして、中性的な魅力ある女性に憧れるのは、これまた少女の常である。あーちゃんにとって妹紅が、憧れのお姉様となっていることは容易に想像できた。
夏祭りから半年経った。
それからの進展は、どうにもあるようでない。
全くじれったくて適わない。毎日二人のことで煩悶する。
そもそも、あの後二人きりで一緒だったのだ。何かしらの進展があったに違いない。私としてはあれこれ詳しい話を知りたくて仕方が無いのだが、それはあまりにも野暮ったいから二人にはついぞ聞けずにいる。
一度、それとな~く、妹紅に尋ねたことがあったが、何だかあやふやにして私から目をそらすのだから怪しい。そうしてよく見ると、少しばかり頬が赤かったのが分かった。決して進展が無かったわけではなさそうだが、はてさて、妹紅もなかなか奥出であるから、どうにも態度がハッキリしない。
(妹紅、君のほうが年長者なのだから、あーちゃんをしっかりとリードしてあげないと、ダメだろう!)
私はそう説教をしたくなってしまって、むずむずした。
(えぇい、鈍いぞ、妹紅! こう、賊と相対したときの、俊敏にして勇猛果敢なる君らしくないじゃないか!)
そんなふうに思うものの、恋と武勇は同一ではない。
やれやれ、仕方が無い。いよいよ私が二人の間に立って、あーちゃんと妹紅とが二人きりの時間を作れるようにしてあげなくてはなるまいと、ついに覚悟が決まったのである。
しかしである。ここ最近、何だか二人が私に対して余所余所しくなっている気がするから、そうした機会を作るのも容易ではなさそうだ。そうして彼女達同士も互いに余所余所しいのだ。きっと二人は照れあって余所余所しいのだろう。だが、何故あーちゃんは私に対しても余所余所しくするのだろうか? 妹紅も私に余所余所しいのは何故だろうか? 二人とも、私が感づいたと思って恥ずかしいのかも知れない。しかし二人とも、余所余所しくするくせに、前よりよっぽど私の家には来るのだから分からない。そうして、二人きりになると、途端に大胆になって、以前よりよっぽど私と親しくしようとするのだ。だが私がいなくなると、全然二人で会話をした様子がない。それでは意味がなかろうと思うのだが、全く以て、恋する乙女は不思議である。
私はこの奇怪を悩んだ末、なるほど、一つ答えを得たのだった。
要するに二人は両思いなのである。
しかしお互いに、お互いの気持がハッキリと分からないものだから、照れ照れして、不安で切なくて、そのくせやっぱり逢いたいものだから、私の家によく来るのである。私の家にさえくれば、愛しのあの人がいると思っているに違いない。
あぁ、なんと甘酸っぱい青春だろうか!
そうして、私とあまり仲良くしすぎると、愛しのあの人に勘違いさせてしまうと思って、または妙な噂が立っては困ると思って、よっぽど私と二人きりの状況が確かにならない限りは、妙に警戒してしまうのだ。その緊張が解けた反動として、私と二人きりになったときは、何時もよりもよっぽど私に密着するのである。
二人ともなんて可愛いのだろうか!
私は永久凍土の不可思議が、淡雪の如く瞬時に氷結した愉快に破顔大笑し、思わず授業中に諸手を挙げて万々歳をするほど愉快になった。子供たちは何だか大喜びをしていた。そうして、慧音先生は見ているだけで楽しいと褒めてくれた。私はそう言ってくれて嬉しかったから、子供たちにお礼を言った。
だがいざ行動を起こす前に、二人が両思いであるかを確かめるため、私はさらにもう一度、探りをいれてみることにした。
まずは、あーちゃんからである。
私はお昼休みに早速、あーちゃんの家に走って行った。
「ぜぇ、ぜぇ……はぁ、はぁ……あ、あーちゃん、ちょっと聞きたいことがあるんだけどね」
「え!? ど、どうしたんですか? なんですか、慧音さん」
「あ、あーちゃんは、意中の方がいたりするかい?」
「え、あ、あの、それって……」
「もし、間違っていたらすまないのだけれども、あーちゃんは今、好きな人がいるのではないかな?」
「あ、あの……その……はい……」
「もしかしてその人って、あーちゃんより大分年上じゃないか?」
「は、はい。そうです」
「しかも殿方ではなくって、女の人であったりはしないかい?」
「う、あぅ……はい」
「そうか!! いや、やっぱりか。うん、よく話してくれたね。有難う。なに、悪いようにはしないから、安心してくれ。それじゃ、ちょっと授業に戻るから。風邪には気をつけるんだよ」
「は、はぃ……」
あーちゃんが妹紅を好きなことはこれで確かだ。間違いない。
だから次は、妹紅の気持ちを確かめるために、寺子屋が終わるや否や彼女の家へと駆け込んだ。
「妹紅、急に来てごめんな!」
「いや、別に、いいけど。ど、どうした? 雪の中。よく来たね。しかも、そんなに息切らして。風強くて空飛べなかったんでしょ。ほら、火にあたっ」
「なに。大丈夫だ。私は寒さに強いからな。かんじきがあれば雪なんて減っちゃらだ。それに乳牛というのは、暑さに弱いらしいぞ。ハクタクというのは、実は乳牛なんじゃないか? はっはっは」
「そ、そう。それで、えっと、何か用かな? あ、ご飯、まだだよね? 良かったら、慧音の分も用意するけど」
「いや、それには及ばないよ。今日はちょっと聞きたいことがあって来ただけなんだ」
「そうなの? そんなに慌てて、私に聞きたいことって……えっと、何?」
「うん。どうしても確認したいことがあってな。単刀直入に聞くけど、妹紅って、今、好きな人はいるのか?」
「へ? え、えぇ!? あ、う、うん。えっと、い、います……」
「そっか。それでさ、もしかしてその人って」
「う、うん」
「女の子じゃないか?」
「あ、う、は、はい……」
「そっか!! いや、なら良いんだ。いやぁ、そうかそうか。うんうん。後は、私に任せておいてくれよ」
「は、はい……」
以上の結果から、彼女達は両思いであることが、間違いなく証明されたのである。
五
私は、どうにかしてこの二人を素直にさせてくっつけるために、一つ策を弄することにした。
古今、人と人の心の壁を取り払い、率直な気持にさせるには、混浴が一番である。幸い、我が家の風呂は広い。二人くらいなら、普通に入れる。此処は一つ、二人を我が家に誘い、混浴風呂に入れて、互いの距離をゼロにしてしまえば、なぁに、好きあった仲だ。万事解決となるに違いない。
そうして女三人集まって一夕の歓を迎えるに相成った。
まだまだ冬の名残多き寒い二月の中頃のこと。雪は溶けてなくなったものの、日が暮れれば寒い寒い。朝などは霜が降りて草木凍る静寂である。近くの湖沼を訪れれば、霧さえ立ち込める風景に、美しく幻想的であるが故に、澄んだ空気の肌寒きことと相まって、自然に吸い込まれるかのような心地すらする。山に魅入られ、人里を捨てて、山人となりて帰らぬ者も過去にはあったが、その心も分からぬでないと思わせる。
冬は朝に比べると夕は今ひとつ趣を感じぬものと思っていたが、中々どうして、悪くはないぞ。この寒きに蓬莱の麗人が、縁側に腰掛け、一人無沙汰にたそがれている。夕飯の手伝いをしようかと言ってくれた心は受け取り、君は客人と囲炉裏にすすめ、酒燗せんや、餅焼かんやともてなすも、好意多謝とのみ告げて、夕暮れを見て一人佇むその姿は実に詩的な華が咲いている。
茶こそは好まんと、菓子添えて出だすに、物憂げに晩冬のとく暮れぬる夕日を見上げるその面は、赤を砕いて実に映える。思わず私も時めいた。
「何をそう物憂げに夕暮れを見上げているんだい。今はまだ寒くとも、これから春を迎えようとする、この季節には似合わないことだよ」
と言って、その心を問わば、
「しのぶれど 色にいでにけり わが恋は ものやおもふと 人の問うまで」
と名高き恋歌もて答える。
あぁ、そこまであーちゃんへの思いは募って堪えきれなくなっていたのだなと思うと、私は胸が締め付けられる心地がした。たまらず妹紅を抱きしめた。千代に八千代に変わることなく美しき蓬莱の花嫁は、永久の乙女の操の尊さをこそ花言葉に飾るに相応しい。そう思い自然に零れた歌は、
「富士に合う 月見の草の乙女には 永久の操の 花言葉をぞ」
と、何の飾りもなく、充分に意を伝えられておらぬ拙いものであったが、
「任せておけ、妹紅。私がちゃんと、仲を取り持つから」
と言って、胸を張り、拳を握って心意気を語れば、気持ちは伝わったのだろう。瞳をうるわせて、私を見上げていたことだよ。
六
全て、計画通りだった。
私が一から十まで全部、お膳立てしてあげたのだ。
二人はもう、招かれた客だから、私が甲斐甲斐しく奉公するのに任されるしかない。私が酒を飲めと言えば飲み、飯を食えと言えば食い、風呂に入れと言えば入るしかない。
飯が先か風呂が先かと思ったが、そこは私も女心を知っている。ご飯を食べた後は、お腹ぽっこりして恥ずかしいから、ちゃんと食前に風呂に入れてあげた。
もちろん、混浴である。
そうして今、二人は湯の中で一糸まとわぬ姿で、文字通り裸の付き合いをしているのだ。
寒い冬、混浴風呂で、少女たちの想いは加速する大作戦……孔明もかくやという妙術であろう。慧音先生、一世一代の大計画だ。
しかし……ふむ、よく考えてみれば、あまりにも成功しすぎたらどうしようか。ことによっては、ことによるぞ。いや、まぁ、それならそれで良いのだが……その後でお風呂に入るの、なんか嫌だなぁ。
そんなことを思っていたら、ガラガラっと二人が風呂場から上がってくる音が聞こえてきた。
どうだ? 大成功だろう? そう思って二人の顔を見ると、うん、二人とも真っ赤だぞ!
「ははは。どうした二人とも、顔が真っ赤じゃないか」
「うん。いや、お風呂入ってたし」
「あ、そっか。それもそっか」
妹紅の言葉は正論である。
しかし、あるいは照れ隠しではと思い、よく二人の顔を覗き見ると、おや?
「どうしたんだ、二人とも? 目が赤いぞ」
これはどうにも、尋常ではない。
「うん。なんか、二人でさ。身の上話になっちゃってさ」
「はい。なかなか、報われないですねって。お互い、こんなに一生懸命なのに……。それで、悲しくなってしまって」
そうか……そうであろう。思えば二人とも、尋常ならざる苦労を抱えて生きているのだ。
妹紅は凄惨な過去を背負い、死にたくとも死ねない蓬莱人として生き続けねばならないという業を背負っている。
あーちゃんは夭折を宿命付けられていて、生きたくとも生きることができない定めを背負っている。
二人はそれぞれ対照的な、しかし相応に数奇な星の下に生きているのである。
その二人が、心打ち解け合って話をする段になって、覚えず互いの辛酸辛苦を分かち合うに至ったというのは、何の不思議もない話である。むしろ、そうなってしかるべきだ。
それにしても、なんと哀れな二人であろうか。折角の思い人と意を通じ合う絶好の機会に、歓喜の涙を得られぬとは……。
そのとき私の脳裏に、雷電が響き渡って天才の如き閃きが巡った。
(そうか! だからなのだ。この二人は、お互いにないものを持ち合っているのだ。だから惹かれあうのだ。千年の齢を数えし妹紅は、心中死を望んでいる。他方で阿求は、平生どれほど気丈に振舞っていようとも、死を恐れぬわけがない。あぁ、きっと、千年でも万年でも生きて、生きてこの愛しの君と共に、この世界の美しさと愛しさとを、その永遠の記憶が飽くほどまでに満たしつくして生き永らえたいと願うに決まっているではないか。そこにおいて、妹紅もまた、死ではなく生を望み得るのだ)
同時にまた、私はハッとさせられた。
(とすれば、なんということか。宿命ではないか。遅かれ早かれ、この二人は大きな罪を犯す。必ず犯す。妹紅は……妹紅は……いざ、あーちゃんが臨終を迎えるに至ったとき、その肝を抜いて差し出すに決まっている)
私は背筋に、すぅっと冷たいものが伝わるのを感じた。
そうして同時に、私は自問した。
(上白沢慧音……お前は、そのときこの二人を止められるのか?)
この究極的な自問に対して、意外に大胆な答えが、しかも瞬時に導き出された。
(出来ぬ。私には出来ぬ。親友として、この二人の幸福を止めることなどは出来ぬ。女として、誰かの恋を妨げることなどは出来ぬ。ならばどうする? 知れたことよ。二人を逃がそう。どこか遠くに、逃がしてあげよう。地の底には、人妖の訪れ得ぬ暗黒があると音に聞く。そこでは生き物は、ことごとく盲目となって何も見得ぬのだと聞く。それでも良い。恋こそ盲目なのだから。そうしてその罪は、私が一身に受けよう。腹を切って、天にお詫び申し上げよう。友情と愛情とのために命を失うというのであれば……ふふふ。なかなか、伊達な人生じゃぁ、ないか)
私は台所に行くと、お猪口を三つ、酒と共に携えて、二人のところへと戻って来た。
「やっぱり酒は、冷に限るな」
そうして私は酌をして、三人、微笑みながら酒を飲んだ。
私は自分の覚悟を確認するよう、出来るだけ、出来るだけ伊達なように、懐中深く一気に飲み干した。
(妹紅……あーちゃん……君たちには幸せになる権利がある。私が必ず、守ってやるぞ!)
私には何も、恐れることなどはないのである。
私の友人に稗田阿求と言う女の子がいるのだが、この子とは平生、「あーちゃん」と呼ぶことを許されるまでに親しくしている。何時ごろから「あーちゃん」と呼ぶようになったのか。記憶を探れば、あれは、二年前か、三年前か、判然としない。いや、たしかにあれは、二年前の冬であったと思う。彼女のほうから、「あーちゃん」と呼んで欲しいと私に言ってきたことがはじまりである。その時私は、「じゃぁ、わたしのことは、けーちゃんかい? 慧音ちゃんでも、いいよ。」と言って、対等に呼び合うことを提案したのだが、彼女は顔を真っ赤にして、ぶんぶんと首を横に振って、「慧音さんって、呼ばせてください。」と、慎み深く言ったのであった。
私はこのとき、なるほど、微笑ましいと感じた。
同時に、ちょっと彼女を可哀想に思った。
あーちゃんも、まだまだ年若い少女である。「あーちゃん」と呼ばれて、親しくしたい友人が欲しいに違いないのだ。かといって、流石に私とは年の差があるものだから、私を「けーちゃん」とか、「慧音ちゃん」と呼ぶのは憚られたのであろう。私は一向に気にしないのだが、彼女がそうして謙虚であるのでは、強いて求めることも出来ない。そうして彼女は、飼い猫の花子を、「はなちゃん」と呼んでこの上なく溺愛するのだから、かわいくって仕方が無い。
さて、このあーちゃんであるが、どうやら私の親友の藤原妹紅に恋心を抱いているらしいことを私は察知したのである。
はじめ私がそのことを疑い始めたのは、さて、これも何時だったろうか。よく覚えてはいない。が、なんだか、あーちゃんがやたらと私の家に泊まりに来る妹紅のことについて聞くものだから、はて、何でこんなことを聞くのだろうかと、疑問に思ったのが始まりといえば始まりであったように思える。はじめのうちは、「昨日はいかがお過ごしになられましたか?」などと言って、それとなく妹紅が私の家に来たことを確認する程度であったのが、この様なやりとりを繰り返しているうちに、毎日のように妹紅が我が家に来ていることが知れると、「昨日は妹紅さんは来られたのですか?」と、顔を合わせるたびに妹紅の来訪を問うようになっていったのである。もちろん、それだけで、あーちゃんが妹紅を好いている証拠になる1とは思わない。が、妹紅が来たと言うと、「それで、お二人でどう過ごされたのですか?」などと、やや突っ込んで聞いてくるのだから、私のほうでも、「おや?」と思ったのである。
またあるとき、妹紅が何日も私の家に宿泊する予定になっていることを伝えると、がくりと意気消沈した姿を見せたりするので、これはいよいよ怪しくなって来た。流石に平生、石部金吉の堅物先生と揶揄されるところのある私でも、「ははぁん、さては……」と思って、彼女の心の内をおぼろげに察することが出来たのである。
こういった逸話を取り上げては一々きりがないが、それでも思い起こされることがいくつかあるから、それを思い出してみようと思う。
或る日、彼女の家を訪れた夕時、私は紅茶と洋菓子をご馳走になった。その際私は、その洋菓子は果たして買って来たものか、それともあーちゃんが作ったものかを訪ねた。
あーちゃんは、俯き加減に、確か夕焼けが斜にかかって、頬はすっかり赤く染まっていたと思うが、しどろもどろ、「あの、私が作ったんですけど……お口に合いましたか?」と私に感想を求めた。
私はもちろん、「あぁ、美味しいよ。」と答えた。
そして続けて、「流石に、妹紅ほど洗練された技術はないけれども、素朴で良い味を出しているよ。」と言った。そうすると、あーちゃんは「妹紅さんも、お菓子作りを嗜まれるのですか?」と尋ねて来た。私が、「あぁ。でも、妹紅は、洋菓子は作れないからなぁ。」と答え、「洋菓子は滅多に食べられないから、大変嬉しい。」と続けると、あーちゃんは大変喜んで、「私、もっと洋菓子のお勉強しますね。」と答えた。やはり、意中の人と共通の趣味があると嬉しいのだろう。これは全く、純情可憐な乙女心である。
またあるとき、これは冬のことだったと思うが、彼女の家に行き、幻想郷の歴史について、いくつか資料を探していると、「此処に、糸くずが……」と、私の腕についていた、赤い糸を取ってくれた。「あぁ、ありがとう。昨日、妹紅の服がほつれていたから、それを縫ったときに、糸くずがついたんだな。」と答えると、「そんなに、お世話して差し上げているのですか?」と、不安そうに尋ねてくるのであった。私は、あぁ、迂闊だったかと思い、「なぁに、偶々だよ。何時もはそんな、世話を焼いちゃいないよ。妹紅も、何だって一人で出来るんだからね。それに、私だって、忙しいからな。」と弁解をした。そうすると、「そうですよね!」と、にっこり微笑んでくれた。その後、「もし慧音さんが……もし、もしですけど、身近な世話をする者が必要とお思いになられましたら、何時でも仰ってくださいね。私がお世話しますから。」と、お愛想を言うのが、なんとも心憎いばかりだったので、「ははは。あーちゃんは世渡りが上手だなぁ。お世辞だよ。」と言ったら、シュンとしてしまったのは、きっと照れたからに違いない。
やはりあーちゃんは、かわいい良い子である。
二
さて、このように状況証拠らしきものは幾らでも集まるのであるが、断片的な推察を重ねるだけでは、私も、彼女が憂いているのは、何かを憂いていることだけはその瞳がとろんとして艶やかなことからも明らかなのであるが、果たしてそれが藤原妹紅という意中の人を誰かに取られてしまうという懸念なのか、それとも親友の私を独占できないことを嫌がっているのか、どちらとも判別がつかなかった。このぐらいの年の子であれば、どちらも良くある不安だからだ。
もしかすると、私の推測は誤っており、彼女は純粋に、私を独占したいと思っているのかもしれない。というのは、寺子屋の子供たちも、あっちの子供と遊んでは、こっちの子供が駄々をこねて私を困らせるものであって、あーちゃんもまだまだそういった童心があってしかるべきだからだ。
だから私は、もう少し深く彼女の言動を考察し、また探偵してみねばならなくなった。
まず、あーちゃんが私を誰かに取られて寂しいと思うかどうかであるが、そう思うことは、もう間違いが無いように思われた。
これは以前、里の仕事が忙しく、中々彼女の家を訪れることが出来なかったときのことだが、二週間ぶりに彼女の家を訪ねると、彼女が今にも泣きそうな顔をして、「この二週間、毎夜毎夜、月を見ては慧音さんを思い出していました。どれほど私がさびしく思ったことでしょうか……」などと言って泣き崩れるのである。そうして、「どうして一度でも会いに来てくださらなかったのですか?」と言うものだから、「あーちゃんのところへ来れないことは無かったのだが、夜分遅くになってしまうので、申し訳なくてな。」と答えると、「お会いできないことのほうが、よっぽど切なくて辛いです。」と、さめざめ言うのだ。
よくよく考えてみれば、彼女にとって私は親友であり、姉であり、母であるような、そういった大切な人なのである。
彼女の命短きことを思えば、少しでも近しい人と交流し、思い出を作っておきたいのであろう。彼女の家には使用人が多くいるが、それもどこか余所余所しい。神童であることもあり、父母も、何処と無く遠慮がちに思える。兄弟が他に無いのも、不幸であったに違いない。従兄弟とて、本家分家の隔たりがある以上は、容易に親しく慣れぬのが定めである。
そういったことを考えれば、何とも薄情なことをしたものだと、申し訳がなくなって、私もしみじみ、「すまなかったね。」と言って、彼女を抱きしめなくてはおられなかったのは人情である。そうしてやると、安心したのだろう、嬉し泣きに泣きはらしたあとは、にこりと、少女らしく微笑むのだから、これからも親友として、家族として、よくよく懇意にせねばならぬと思わされたことだ。
三
こういったわけであるから、私が妹紅と親しくするのを、あーちゃんが妬いてしまうのも当然である。そうは言っても、妹紅との交流を少なくするのも変な話であるから、私は出来るだけ、あーちゃんが寂しくないように彼女の家へと行くことにした。
また、あーちゃんを、しばしば家に招いて歓迎することにもした。そうして、妹紅と三人で一緒の時間を過ごすことにした。買い物などに行く際も、三人で揃って行くことにした。これは、あーちゃんが寂しくないようにとの配慮もあるが、一方で、果たしてあーちゃんが妹紅のことをどう思っているのかを解明したい、私の密かな野次馬根性だったことは正直に告白せざるを得ない。
そうして私の探偵の結果として、いよいよあーちゃんが妹紅に熱烈な感情を、つまり憧れを抱いている証拠を得たのである。
それは昨年の夏祭りのことである。
私は妹紅と約束して、彼女と一緒にお祭りを見ることにしていた。このとき彼女は、桃色の浴衣に黒の帯を締めていたが、これはこの日のために新調したらしかった。平生、やや身なりに無頓着なところがある彼女であったが、やはりそこは女であるから、この日ばかりはと意気込んだに違いない。私はお気に入りの藍の浴衣に黄色の帯を締めていた。やはり和服は馴染みのあるものに限る。こうして浴衣を着て女二人で並んで歩いたことなど、今思い返しても、なかなか優美で良いものであったよ。
さて、そうして二人で歩いていると、ちょっと込み合ったところに入ってしまって、別れるのはまずいからと、私は妹紅の手を取った。そうして歩いていくが、どうにも混雑していて、知らず知らずにほとんど妹紅を抱擁するような形になってしまった。困ったなぁっと思っていると、私は妹紅の様子がおかしいことに気がついた。耳も頬も真っ赤である。きっと、人混みの中で苦しくなったのだと私は合点したので、人混みを割いて端に向かって、少し通りからそれたところにある一本の大きな松の木陰へと進み、周囲に人っ子一人いないことを確認し、ここならば十分に落ち着けようと思い、また息苦しそうにしている姿を見て、一言「良いかい?」と断りを入れて、胸元を少しはだけさせ、帯を緩めて抱き寄せて、「大丈夫?」と頬を優しく撫でながら具合を尋ねると、「う、うん……良いよ。」と消え入りそうな声で答えたから、これは無理をしているなということが分かったので、「無理は良くないぞ。待つから。」と言って、しばらくそのままで心を落ち着けさせることにした。
しかし五分十分と経っても、いっこうに妹紅の気分が優れる様子はない。相変わらず頬は赤く染まり、息は荒く、そうして何故か脚をもぞもぞとしているのだから不思議である。私は最初、おしっこでも我慢しているのかと思ったが、夜出会ったときに、トイレは済ませたかを確認しておいたのでそんな心配もないはずである。どうしたことかなと思っていると、急に妹紅が、「け、慧音!」と私の名前を呼ぶと、私の腰に手を回して、ぐっと抱きよってきたのである。「おぉ?」と私は少し驚いたが、すぐに合点した。あぁ、孤独の長い、永遠の乙女の悲劇である。思えば平生あまり人と接することのない彼女だ。お祭りだから、男の人も多くいる。彼女も女だから、怖かったのだろう。私はあまり気の利かない女だから、妹紅の気持ちに気がついてやれなかったのだ。申し訳なくて彼女のことが愛しく思えたから、私も彼女を抱き寄せてやった。妹紅はそれが嬉しかったらしく、優しく私を抱き返してきた。
すると、折り悪くそこにあーちゃんが来たのである。
あぁ、しまったと私は思った。
実はこのお祭りでは、あーちゃんは大事な役目があるから、一緒に見て回る時間がないと聞いていたので、あーちゃんに見つかることなどは全く考えておらず、無防備だったのだ。
確かこのときあーちゃんは、白の下地に紅い牡丹が可愛い着物に、薄桃色の帯をしていた。これも後で聞くと新調したものらしかった。きっとお祭りを、精一杯におめかしして、少しだけでも見て回りたいと思っていたに違いない。そうして出来れば、私と一緒にという気持ちがあって、私を探していたに違いない。
それが察せられたから、私はいっそうまずいと思った。
きっとあーちゃんはやきもちを焼いてしまう。
そう思って弁明しようと思ったとき、あーちゃんはつかつかと近づいてくると、妹紅の手を取って、
「妹紅さん……少し、ご一緒していただけませんか?」
と、妹紅を誘ったのである。
私は驚いた。なんとあーちゃんは私ではなく、妹紅を探していたのだ。そして、あーちゃんはやっぱり妹紅のことが好きだったのだ。しかもこんな大胆に誘うとは。夢にも思わなかったことである。顔つきも何時になく緊張している。間違いない。これは覚悟した目だ。そうしてこれが決定打となった。
あーちゃんは妹紅のことが好きである。間違いない。
四
憧憬と恋慕は紙一重である。とりわけ、思春期の女の子にとっては。そうして、中性的な魅力ある女性に憧れるのは、これまた少女の常である。あーちゃんにとって妹紅が、憧れのお姉様となっていることは容易に想像できた。
夏祭りから半年経った。
それからの進展は、どうにもあるようでない。
全くじれったくて適わない。毎日二人のことで煩悶する。
そもそも、あの後二人きりで一緒だったのだ。何かしらの進展があったに違いない。私としてはあれこれ詳しい話を知りたくて仕方が無いのだが、それはあまりにも野暮ったいから二人にはついぞ聞けずにいる。
一度、それとな~く、妹紅に尋ねたことがあったが、何だかあやふやにして私から目をそらすのだから怪しい。そうしてよく見ると、少しばかり頬が赤かったのが分かった。決して進展が無かったわけではなさそうだが、はてさて、妹紅もなかなか奥出であるから、どうにも態度がハッキリしない。
(妹紅、君のほうが年長者なのだから、あーちゃんをしっかりとリードしてあげないと、ダメだろう!)
私はそう説教をしたくなってしまって、むずむずした。
(えぇい、鈍いぞ、妹紅! こう、賊と相対したときの、俊敏にして勇猛果敢なる君らしくないじゃないか!)
そんなふうに思うものの、恋と武勇は同一ではない。
やれやれ、仕方が無い。いよいよ私が二人の間に立って、あーちゃんと妹紅とが二人きりの時間を作れるようにしてあげなくてはなるまいと、ついに覚悟が決まったのである。
しかしである。ここ最近、何だか二人が私に対して余所余所しくなっている気がするから、そうした機会を作るのも容易ではなさそうだ。そうして彼女達同士も互いに余所余所しいのだ。きっと二人は照れあって余所余所しいのだろう。だが、何故あーちゃんは私に対しても余所余所しくするのだろうか? 妹紅も私に余所余所しいのは何故だろうか? 二人とも、私が感づいたと思って恥ずかしいのかも知れない。しかし二人とも、余所余所しくするくせに、前よりよっぽど私の家には来るのだから分からない。そうして、二人きりになると、途端に大胆になって、以前よりよっぽど私と親しくしようとするのだ。だが私がいなくなると、全然二人で会話をした様子がない。それでは意味がなかろうと思うのだが、全く以て、恋する乙女は不思議である。
私はこの奇怪を悩んだ末、なるほど、一つ答えを得たのだった。
要するに二人は両思いなのである。
しかしお互いに、お互いの気持がハッキリと分からないものだから、照れ照れして、不安で切なくて、そのくせやっぱり逢いたいものだから、私の家によく来るのである。私の家にさえくれば、愛しのあの人がいると思っているに違いない。
あぁ、なんと甘酸っぱい青春だろうか!
そうして、私とあまり仲良くしすぎると、愛しのあの人に勘違いさせてしまうと思って、または妙な噂が立っては困ると思って、よっぽど私と二人きりの状況が確かにならない限りは、妙に警戒してしまうのだ。その緊張が解けた反動として、私と二人きりになったときは、何時もよりもよっぽど私に密着するのである。
二人ともなんて可愛いのだろうか!
私は永久凍土の不可思議が、淡雪の如く瞬時に氷結した愉快に破顔大笑し、思わず授業中に諸手を挙げて万々歳をするほど愉快になった。子供たちは何だか大喜びをしていた。そうして、慧音先生は見ているだけで楽しいと褒めてくれた。私はそう言ってくれて嬉しかったから、子供たちにお礼を言った。
だがいざ行動を起こす前に、二人が両思いであるかを確かめるため、私はさらにもう一度、探りをいれてみることにした。
まずは、あーちゃんからである。
私はお昼休みに早速、あーちゃんの家に走って行った。
「ぜぇ、ぜぇ……はぁ、はぁ……あ、あーちゃん、ちょっと聞きたいことがあるんだけどね」
「え!? ど、どうしたんですか? なんですか、慧音さん」
「あ、あーちゃんは、意中の方がいたりするかい?」
「え、あ、あの、それって……」
「もし、間違っていたらすまないのだけれども、あーちゃんは今、好きな人がいるのではないかな?」
「あ、あの……その……はい……」
「もしかしてその人って、あーちゃんより大分年上じゃないか?」
「は、はい。そうです」
「しかも殿方ではなくって、女の人であったりはしないかい?」
「う、あぅ……はい」
「そうか!! いや、やっぱりか。うん、よく話してくれたね。有難う。なに、悪いようにはしないから、安心してくれ。それじゃ、ちょっと授業に戻るから。風邪には気をつけるんだよ」
「は、はぃ……」
あーちゃんが妹紅を好きなことはこれで確かだ。間違いない。
だから次は、妹紅の気持ちを確かめるために、寺子屋が終わるや否や彼女の家へと駆け込んだ。
「妹紅、急に来てごめんな!」
「いや、別に、いいけど。ど、どうした? 雪の中。よく来たね。しかも、そんなに息切らして。風強くて空飛べなかったんでしょ。ほら、火にあたっ」
「なに。大丈夫だ。私は寒さに強いからな。かんじきがあれば雪なんて減っちゃらだ。それに乳牛というのは、暑さに弱いらしいぞ。ハクタクというのは、実は乳牛なんじゃないか? はっはっは」
「そ、そう。それで、えっと、何か用かな? あ、ご飯、まだだよね? 良かったら、慧音の分も用意するけど」
「いや、それには及ばないよ。今日はちょっと聞きたいことがあって来ただけなんだ」
「そうなの? そんなに慌てて、私に聞きたいことって……えっと、何?」
「うん。どうしても確認したいことがあってな。単刀直入に聞くけど、妹紅って、今、好きな人はいるのか?」
「へ? え、えぇ!? あ、う、うん。えっと、い、います……」
「そっか。それでさ、もしかしてその人って」
「う、うん」
「女の子じゃないか?」
「あ、う、は、はい……」
「そっか!! いや、なら良いんだ。いやぁ、そうかそうか。うんうん。後は、私に任せておいてくれよ」
「は、はい……」
以上の結果から、彼女達は両思いであることが、間違いなく証明されたのである。
五
私は、どうにかしてこの二人を素直にさせてくっつけるために、一つ策を弄することにした。
古今、人と人の心の壁を取り払い、率直な気持にさせるには、混浴が一番である。幸い、我が家の風呂は広い。二人くらいなら、普通に入れる。此処は一つ、二人を我が家に誘い、混浴風呂に入れて、互いの距離をゼロにしてしまえば、なぁに、好きあった仲だ。万事解決となるに違いない。
そうして女三人集まって一夕の歓を迎えるに相成った。
まだまだ冬の名残多き寒い二月の中頃のこと。雪は溶けてなくなったものの、日が暮れれば寒い寒い。朝などは霜が降りて草木凍る静寂である。近くの湖沼を訪れれば、霧さえ立ち込める風景に、美しく幻想的であるが故に、澄んだ空気の肌寒きことと相まって、自然に吸い込まれるかのような心地すらする。山に魅入られ、人里を捨てて、山人となりて帰らぬ者も過去にはあったが、その心も分からぬでないと思わせる。
冬は朝に比べると夕は今ひとつ趣を感じぬものと思っていたが、中々どうして、悪くはないぞ。この寒きに蓬莱の麗人が、縁側に腰掛け、一人無沙汰にたそがれている。夕飯の手伝いをしようかと言ってくれた心は受け取り、君は客人と囲炉裏にすすめ、酒燗せんや、餅焼かんやともてなすも、好意多謝とのみ告げて、夕暮れを見て一人佇むその姿は実に詩的な華が咲いている。
茶こそは好まんと、菓子添えて出だすに、物憂げに晩冬のとく暮れぬる夕日を見上げるその面は、赤を砕いて実に映える。思わず私も時めいた。
「何をそう物憂げに夕暮れを見上げているんだい。今はまだ寒くとも、これから春を迎えようとする、この季節には似合わないことだよ」
と言って、その心を問わば、
「しのぶれど 色にいでにけり わが恋は ものやおもふと 人の問うまで」
と名高き恋歌もて答える。
あぁ、そこまであーちゃんへの思いは募って堪えきれなくなっていたのだなと思うと、私は胸が締め付けられる心地がした。たまらず妹紅を抱きしめた。千代に八千代に変わることなく美しき蓬莱の花嫁は、永久の乙女の操の尊さをこそ花言葉に飾るに相応しい。そう思い自然に零れた歌は、
「富士に合う 月見の草の乙女には 永久の操の 花言葉をぞ」
と、何の飾りもなく、充分に意を伝えられておらぬ拙いものであったが、
「任せておけ、妹紅。私がちゃんと、仲を取り持つから」
と言って、胸を張り、拳を握って心意気を語れば、気持ちは伝わったのだろう。瞳をうるわせて、私を見上げていたことだよ。
六
全て、計画通りだった。
私が一から十まで全部、お膳立てしてあげたのだ。
二人はもう、招かれた客だから、私が甲斐甲斐しく奉公するのに任されるしかない。私が酒を飲めと言えば飲み、飯を食えと言えば食い、風呂に入れと言えば入るしかない。
飯が先か風呂が先かと思ったが、そこは私も女心を知っている。ご飯を食べた後は、お腹ぽっこりして恥ずかしいから、ちゃんと食前に風呂に入れてあげた。
もちろん、混浴である。
そうして今、二人は湯の中で一糸まとわぬ姿で、文字通り裸の付き合いをしているのだ。
寒い冬、混浴風呂で、少女たちの想いは加速する大作戦……孔明もかくやという妙術であろう。慧音先生、一世一代の大計画だ。
しかし……ふむ、よく考えてみれば、あまりにも成功しすぎたらどうしようか。ことによっては、ことによるぞ。いや、まぁ、それならそれで良いのだが……その後でお風呂に入るの、なんか嫌だなぁ。
そんなことを思っていたら、ガラガラっと二人が風呂場から上がってくる音が聞こえてきた。
どうだ? 大成功だろう? そう思って二人の顔を見ると、うん、二人とも真っ赤だぞ!
「ははは。どうした二人とも、顔が真っ赤じゃないか」
「うん。いや、お風呂入ってたし」
「あ、そっか。それもそっか」
妹紅の言葉は正論である。
しかし、あるいは照れ隠しではと思い、よく二人の顔を覗き見ると、おや?
「どうしたんだ、二人とも? 目が赤いぞ」
これはどうにも、尋常ではない。
「うん。なんか、二人でさ。身の上話になっちゃってさ」
「はい。なかなか、報われないですねって。お互い、こんなに一生懸命なのに……。それで、悲しくなってしまって」
そうか……そうであろう。思えば二人とも、尋常ならざる苦労を抱えて生きているのだ。
妹紅は凄惨な過去を背負い、死にたくとも死ねない蓬莱人として生き続けねばならないという業を背負っている。
あーちゃんは夭折を宿命付けられていて、生きたくとも生きることができない定めを背負っている。
二人はそれぞれ対照的な、しかし相応に数奇な星の下に生きているのである。
その二人が、心打ち解け合って話をする段になって、覚えず互いの辛酸辛苦を分かち合うに至ったというのは、何の不思議もない話である。むしろ、そうなってしかるべきだ。
それにしても、なんと哀れな二人であろうか。折角の思い人と意を通じ合う絶好の機会に、歓喜の涙を得られぬとは……。
そのとき私の脳裏に、雷電が響き渡って天才の如き閃きが巡った。
(そうか! だからなのだ。この二人は、お互いにないものを持ち合っているのだ。だから惹かれあうのだ。千年の齢を数えし妹紅は、心中死を望んでいる。他方で阿求は、平生どれほど気丈に振舞っていようとも、死を恐れぬわけがない。あぁ、きっと、千年でも万年でも生きて、生きてこの愛しの君と共に、この世界の美しさと愛しさとを、その永遠の記憶が飽くほどまでに満たしつくして生き永らえたいと願うに決まっているではないか。そこにおいて、妹紅もまた、死ではなく生を望み得るのだ)
同時にまた、私はハッとさせられた。
(とすれば、なんということか。宿命ではないか。遅かれ早かれ、この二人は大きな罪を犯す。必ず犯す。妹紅は……妹紅は……いざ、あーちゃんが臨終を迎えるに至ったとき、その肝を抜いて差し出すに決まっている)
私は背筋に、すぅっと冷たいものが伝わるのを感じた。
そうして同時に、私は自問した。
(上白沢慧音……お前は、そのときこの二人を止められるのか?)
この究極的な自問に対して、意外に大胆な答えが、しかも瞬時に導き出された。
(出来ぬ。私には出来ぬ。親友として、この二人の幸福を止めることなどは出来ぬ。女として、誰かの恋を妨げることなどは出来ぬ。ならばどうする? 知れたことよ。二人を逃がそう。どこか遠くに、逃がしてあげよう。地の底には、人妖の訪れ得ぬ暗黒があると音に聞く。そこでは生き物は、ことごとく盲目となって何も見得ぬのだと聞く。それでも良い。恋こそ盲目なのだから。そうしてその罪は、私が一身に受けよう。腹を切って、天にお詫び申し上げよう。友情と愛情とのために命を失うというのであれば……ふふふ。なかなか、伊達な人生じゃぁ、ないか)
私は台所に行くと、お猪口を三つ、酒と共に携えて、二人のところへと戻って来た。
「やっぱり酒は、冷に限るな」
そうして私は酌をして、三人、微笑みながら酒を飲んだ。
私は自分の覚悟を確認するよう、出来るだけ、出来るだけ伊達なように、懐中深く一気に飲み干した。
(妹紅……あーちゃん……君たちには幸せになる権利がある。私が必ず、守ってやるぞ!)
私には何も、恐れることなどはないのである。
そら見てて楽しいわこの先生
思い込みの激しい先生だからこそ、一途で真剣に教育をするんだろうなぁ。
愛嬌のある慧音先生でした。
ないならないでいいんだけど。やっぱり面白いし。
先生自身も頑張ってください(恋を)。
これは黒です。罪深いです。
ラノベでもここまで鈍感な主人公は見ないぞw
このけーちゃん罪作りな女だわぁ…
あきゅけねっていいよね
それにしてもこの慧音はカッコ可愛いなぁ
そんなわけない
このけーちゃんは黒です。
キャラ間の呼称まで同じだし…同じ人かな?
だとしても、その話を若干変えただけの作品でしかない
このけーねは鈍感王。でも将来がちょっとこわくなる。
それでもやはり笑ってしまうのもまた事実.楽しませていただきました.