※この話は『茨歌仙脇道』というシリーズの五作目です。
単独でも問題なく読めますが、今話は作品集188の『茨歌仙脇道 -川の真実-』と直接話が繋がっているので、そちらを読んでいますと楽しみが六割一部四厘増すかもしれません。
では、本編をお楽しみください。
◇
眠る。仙人でも、睡眠をすることはある。
少なくともこの時、私、茨華仙は睡眠をしていた。当然、「仙人」という人間を超越した存在であるが故に、人間ほどの時間を要しない。だから、仙人の朝は早い。
しかし別段いつもより疲れていたわけでもないのに、自発的に目覚める事が出来なかった。
私は何かの『音』が聞き、目を覚ましたのだ。
「ん……?」
瞼を開けてみれば、光はまだ無く暗い――と言うか夜だ。
耳を澄ましてみれば、どうやら外、それもちょうど庭の方からその『音』は聞こえているようだ。いや、これは……音というより、声――否、鳴き声。つまり、動物のもののように聞こえる。
はて……うちにこんな鳴き声を出す奴がいたかしら?
それも――こんなに『たくさん』。何が居るかは判らないけれど、二十匹は下らないだろう。
私は目をこすりながら起き上がり、庭に通じる襖を恐る恐る開けた。
そこには――
「……貴方、こんな夜中から何をしているの?」
「お、やっとお目覚めか。おはようさん。待ちくたびれたよ」
猫、猫、猫。
夥しい数(と言っても精々二十匹程度だが)の猫の山の中に。
小野塚小町がいた。
彼女は特に気にする風でもなく、挨拶をしてきた――
「いやいやいやいや」
どう考えてもおかしい。
何の因果で、三途の河の渡しがこんな山の中、しかも私の家で猫を纏っている(そう表現するとしっくりくる)っていうの? しかもこんな夜中に。
「何が『嫌』なんだい?」
「もう何もかも嫌になりそうよ……」
「そりゃ災難だね。ドンマイ」
「主に貴方の所為よ! それとその猫何!」
惚けた顔の小町に、思わず大声を上げてしまう。
当たり前だ。自宅に不法侵入された挙句、勝手に動物を連れこまれたのだから。後者は別にいいのだけれど――前者は彼女の能力の性質上、防ぎようがないのが悔しすぎる。
「その猫達、どうしたの? まさか貴方が飼ってるわけじゃないでしょう?」
悔しさ紛れに冗談を言ってみる。
「そのまさか――」
「え」
え、完全に冗談のつもりだったのに。
「――のわけがないじゃないか」
「……………………馬鹿にしてるの?」
「冗談だ、冗談」
そう言って小町は朗らかに笑った。
……つくづく意地悪な死神だ。
「じゃあ、その猫達は――」
と、私が言うが早いか、小町は
「そこらで放浪していたのを連れて来たんだ」
と言った。
「放浪? じゃあ野良っていうこと? それじゃあ尚更、どうしてその子たちを連れてきたの?」
「おいおい、あんた、それ本気で言ってるのか? 知らぬ間に耄碌したかい?」
「……む」
その言い様には少しカチンと来たが、小町の言わんとしていることはすぐ解った。
実は今、妖怪の山で『動物の妖怪化』が頻発している。頻発と言っても、数日前のニホンカワウソに始まり、二、三件程度だけれど……看過できない事態であることに変わりはない。すでに天狗たちや守矢神社も問題視し始めている。
そして肝心要の『妖怪化』の原因は、邪悪な事に、どうやらどれも『人間の血』だった。
「成程――確かに、そのか弱そうな猫達を放置するわけにはいかない」
「そういうことさね。あんたは動物を扱うのが上手いから」
「まあ……でも」
「? どうしたんだ?」
私は小町に纏わり付いている猫を一匹、抱きかかえてみた。
「どうして、野良猫が山にいるのかしら?」
少なくとも、抱きかかえている猫に、変わった様子はない。何の変哲もない普通の猫だ。
つまり、この妖怪の山において何もなしに生き抜いていくのは、とてもじゃないが無理だということだ。別に不可能ではないけれど、その可能性は低い。
「さあね。少なくとも私の知るところではないよ」
「でしょうね。はあ……調べてみますか」
「――まあ、私にはこいつらが何かから『逃げていた』ように見えたがね」
「……?」
逃げていた……? まあ、ここは妖怪の山で、当然動物にとっては危険がありふれているのだから、自然と言えば自然なのだけれど……。
と、まだ目覚めない頭で考えを巡らしていると、ある事に思い至った。
「ところで貴方」私は小町を見据えて言う。「何の用なの? もしかしてまたサボり?」
「あ……いや」小町は不意を突かれたような顔をした。「そんなことあるわけないじゃないか。人聞きの悪い」
「……へえ」
どうだか。
と、私が思ったのを察知したのか、小町はゴホンと咳払いをして、こう付け加えた。
「仕事だよ、仕事。れっきとした、上からのご指令で、ここに来たんだ」
「船頭が、山の仕事……?」
「あ、信じてないな」
そりゃそうだ。
船頭の仕事場は、決して山ではなく、川なのだから。
「実は“ある者”の監視を任されてね――幻想郷担当の死神で、幻想郷にいがちだからって理由で。で、監視対象が今は山にいるから、あたいも山にいるってわけさ」
「ふうん……」
まあ、彼女が嘘を吐くメリットはないし……それは本当なのだろう。
……“ある者”って誰の事かしら?
「まあ、あたいは山の地理に詳しいわけじゃないから、あんたのとこにこいつらを連れて来たんだが――お陰で、対象を見失ってしまった」
「自業自得……」私はぼそっと呟く。
「何か言ったかい」
「いえ」
そもそもその指令を出されたのも、サボりがちである事が一因――というか大きな要因であるようだから、やっぱり自業自得だと思う。が、口は災いの元。これ以上余計なことを口に出すのは控えよう。
「――と言うわけで、あたいはこれから観察対象を探さないといけない。ここらで失礼するよ」
「……結構仕事熱心なのね。意外」
「いつだって熱心さ。いつもの船頭にしたって、死神稼業の中で最も遣り甲斐のある仕事だからね――それに」
これはかなり重要な指令なのさ、と言って、小町は“消えた”。
小町が去った後には、猫達がにゃあにゃあと群がっていた。
「全く……勝手に来て勝手に去っていくとは、大層な身分ね」
空には、月がどこにも浮かんでいなかった。
新月だった。
◇
「……もう一度訊くけど、霊夢」
「……何よ」
「別に『猫神社始めました』とか、そういうわけじゃないのよね?」
「私にそういう意図はないわ。考えてみたら、そういうことでも良いかもしれないけど」
でも、と霊夢は言う。
「それにしたって、多すぎよ!」
私の家に猫達が現れて(小町が猫達を置いていって)から数日後、博麗神社。
博麗霊夢と霧雨魔理沙はいつもの通り、境内を入ってすぐのところで、暇を持て余しながらお茶を啜っていた。特に霊夢は……来て欲しい、来て欲しいと言っている割には、参拝客など来ないとでも心の内で決めつけているようなほどの呑気ぶりだった。それもいつも通りだが。
まあそんなことだろうと思い、猫達の身元のヒントを探してそこを訪れた。山の猫だとは、やっぱりどうしても思えなかったからだ。
が、驚くべきことに、その神社にも、ざっと数えて二十匹の猫達が、彼女たちの面前でニャアニャア鳴いていたのだった。うちに来たのとほぼ同数の猫。
「一体どうしたの? この猫達」
「来たら居たんだよ」と魔理沙が語る。「空を飛んでたら、少し小腹が空いてな――で、何かたかろうと来てみると、霊夢がこのにゃんにゃん達と戯れていたってわけだ。いやあ、驚天動地だぜ」
「だから何回も言ってるけど」霊夢は煩わしそうに言う。「朝起きたら居たのよ――というか、こいつらの鳴き声で目が覚めたくらいなんだから。うるさいったら」
「でも、結構可愛いじゃないか」魔理沙が猫を一匹抱き上げながら言う。
「む……別に否定するわけじゃないわ。でも、うるさいものはうるさいの!」
どうやら霊夢は私と同じ体験をしたらしい――ただし死神の有無を除いて。
その有無の差は、疲労度合において意外にも大きかったりする。
「――実は、私の家にも猫達が来たの」
正確には『連れてこられた』だけれど。
「へえ……じゃあ、あんたも私と同じで、鳴き声がうるさくて目が覚めたクチかしら?」
「…………」
どうしてこう、霊夢は勘が良いのだろうか。
その勘の良さをもっと神社経営に役立てたらいいのに。
「ふうん、じゃあこいつらと同じとこから来たのかもな」猫とにらめっこする魔理沙。「でもなー、どっかで見たことあるんだけどな、こいつら」
「あ、それ私も思ってたわ」霊夢が魔理沙に同調する。「でもどこで見たのかしら……」
うーむ、と唸って考え始める二人。
私も思考を整理しておこう――まず、山ばかり調べていたから、山が出どころだという可能性はかなり低いと思う。
神社(ここ)にいる猫達は、確認された時間帯から鑑みるに、魔理沙の言うとおり、小町が私の家に連れて来た猫達と出どころが同一だと考えられる。どこが出どころなのかは定かではないけれど、いずれにせよ、神社(ここ)と山の両方にいるということは……つまり、神社(ここ)と山以外にもいるかもしれないということだ。
博麗神社と妖怪の山――それも私の家――は、猫達の移動場所としては物理的に離れ過ぎている。どこから発生したにせよ、意図的に発生したのでなければ、出どころを中心に分散した可能性が高い。
でも、じゃあ、どこから? それが重要というか、私が知りたい事なのに……如何せん、山で暮らしているが故に幻想郷全体の地理に疎い。山ばかり調べたのもそれが原因だし……。
ああ、この二人に任せるしかないとは……我ながら情けない。
と、私が早くも思考を放棄し、他力本願モードに突入しようとしていたところに、
「あ!」
と、魔理沙が大声を上げてぽん、と手槌を打った。
「ど、どうしたの? 何か判ったの?」
「そうだ、判った――多分こいつら、橙の猫だぜ」
「ちぇ……チェーン?」耳に覚えの無い単語に、反応が遅れてしまう。
「鎖じゃねぇよ。飼い主はいるけどな。橙だ」
「ちぇん?」
「そう、橙」
ちぇん……?
聞いたことない名前……しかし、魔理沙が知っているのなら、そこそこの有名人なのだろうか。
「その方は?」
「ああ、橙はな、紫のキツネの飼い猫だぜ」
「……はい?」
紫……というのは、八雲紫のことで相違ないだろう。
八雲紫の、キツネ――つまり、八雲藍か。
そして――八雲藍の、飼い猫……?
この猫達は、その飼い猫の飼い猫……?
うん、意味が分からない。
「ちょっと魔理沙、それは不親切すぎるわ」霊夢にしては珍しいことを言う。
「そうか? 大体こんな感じだろ」
「そうだけどさ……ほら、仙人の顔を見なさい。『意味不明』って書いてあるわ」
「私には『理解不能』って見えるな」
「同じことじゃない!」
「あの、私の顔で遊ぶのは……」
私がそう言いかけると、魔理沙が、しょうがないな、と茶を口に含み、そして呑みこんでから言う。というか霊夢も、魔理沙を咎めるくらいなら直接教えてくれてもいいんじゃないかしら……?
「お前、藍が紫の式神だってことは、知っているだろ?」
「え、ええ」
「だったら、橙は、藍の式神なんだよ。それも化け猫に憑かせた式」
「え、式神の式神?」
「そうだ。全く、常識はずれにも程があるよな」
「あんたが言わないの」霊夢が突っ込みを入れる。
「でも、そんなの常識以前に、出来るのかしら?」
「さあな。現に出来てるんだから、出来るんじゃないか? 私もそういうの欲しいな、式神」
「…………」
橙、という者は、あの胡散臭い八雲紫の式神の式神、ね……。
しかし、猫が猫を飼うというのもちょっとシュールなものを感じる。
しかもこんなにたくさん。
「じゃあ、この子たちは山の動物じゃなかったのね」
「それは違うわ」
「え?」
「だって、橙は山に棲んでるんだもん。一応、『山の動物』でしょ?」
霊夢は淡々とそう言う――霊夢まで知っているのに、山に住んでいる私は知らないとは……何たる不覚。調べが甘かったか。おかしいなぁ。
「そ、そうなの?」
「そう……えっと、なんてとこだっけ」
「えー……迷い家、じゃなかったか?」
「マヨイガ……?」
マヨイガって……あの伝説の、訪れた者に富をもたらすと言われている?
幻想入りして――というか、実在していたの……?
「マヨイガが、妖怪の山に?」
「ああ」魔理沙がしみじみと言う。「あれは、幻想郷が春なのに真っ白だったときか」
「そうね。私も春雪異変のとき、初めて知ったわ。アレが“あの”マヨイガだなんて、全然思ってないけど」
だって、訪れたのに全然儲からないもの! と霊夢は叫んだ。
続けて魔理沙が、橙が勝手に言ってただけだしな、と付け加える。
「そういうこった。ま――じゃあ、私はそろそろ里に行ってみるぜ」魔理沙が立ち上がりながら言う。
「え、どうかしたの?」
私は思わず問うてしまう。最近は萃香が里の酒屋に出入りしているので、近づかないようにしている――故に、その内情が把握できていない。少しは里の情報も欲しいところ。
「ああ。なんかな、最近泥棒――というか空き巣だな、それが多いらしい。だからちょっと様子を見に行ってみるって次第だぜ」
「…………」
……それって。
「貴方じゃなくて?」
「そうよ。うちの茶も勝手に呑んでるし」霊夢が付け加える。
「ちげぇよ。というか、茶を出してきたのは霊夢だろ?」
「そうだったかしら」
おいおい、と魔理沙は言ってから、私達の方を向く。
「私は返せる物しか借りないぜ?」
「茶は?」霊夢が鋭く言う。
「いただきます。ごちそうさまでした」
「おい!」
二人とも、仲の良いことだ。
◇
魔理沙が箒に乗って里に向かった後、私も神社を後にし、二人が言った通りの場所を目指した。
今回の私の目的は、橙から事情を聞き、問題があるなら、その解決に尽力することだ――そうすることが、あの猫達の為、もとい私達(猫に寄り付かれている方々)の為だ。
魔法の森に近い、山の麓とも奥とも言える位置に、マヨイガ、迷い家――橙の住処はあるという。
確かに私も、その辺りに廃屋の集合を見たことがあった気がするけれど……中まで見ようとまではしていなかった。昔は無かったしなあ。なによりぼろぼろだったから気にも留めなかった。
私は非常に曖昧な記憶も頼りとして、そして遂にその廃屋集落を見つけ出した。
天道が真上に来ている。今日の天気は割と晴れ。
「……はあ……」
思わず溜め息を吐いてしまう。
聞けばこの迷い家、その存在を知る者をして『猫の里』と呼ばれていると言うじゃないか――幻想郷の地理には疎い私でも、山の地理には詳しいと思っていたのだけれど……どうやら私は山の地理も満足に把握出来ていないようだった。
無念。
まあ、そんなことは今となっては些事だった――『これ』が『そういう存在』だと、知れたのだから。
何はともあれ、この中に橙はいるという話だ。
私は未踏の地に足を踏み入れるような気概を以って、迷い家に入った。
「…………」
見回してみると。
入る前から――即ち、外から見ていたときから思っていたのだけれど、いくらなんでもぼろぼろ過ぎる。霊夢達の言うとおり、“あの”迷い家だというわけではないのだろうな、と想像できるほどに。
でもまあ、案外本物もこんな感じなのかもしれないが。いや――
「本当にここなの……?」
迷い家――少なくとも、妖怪の山にあるという迷い家には、猫がたくさんいるという話だった筈。なのに、猫の子一匹居やしない。
集落の外側全体を隈無く見て回ってみたが、猫の影も形も「ね」の字もない。
つまり、ここにいたという猫たちは――例えばうちや神社に――残らず漏れなく散ってしまったということになるわけだが……橙までもいないのは解せない。ああ、橙までいなくなってしまったのか――だから統制を失った猫達が、蜘蛛の子を散らすように逃げてしまったのか。
それとも、橙は猫を探して放浪中なのか。
――と、そのとき。
「うわああああぁぁ!!」
突然に、叫び声が聞こえた。
どうやらそう遠くない――いや、かなり近い。外側には誰もいなかったから、恐らく内部だろう。
何はともあれ、行ってみるしかない――もしかしたら橙かもしれないし。
「やめて! やめてってぇ!」
依然として叫び声がマヨイガ全体に響き渡っていた。
お陰で声の発生源――もとい、発声源を特定できた。
そこに辿り着くと、化猫――あれが橙か――を、巨大な“何か”が襲っていた!
「そ、そこ! 誰かいるの!?」
どうやら橙が私の存在に気付いたようで、こちらに声を掛けて来た。
「だ、大丈夫?」とりあえずそんなことを問うてみる。
「大丈夫じゃないぃ! 助けて!」
……仕方がない……か。『これ』は人前ではあまり使いたくないのだけれど……。
私は『右手』を、橙を襲っている者に向けて照準を定めた。
「――――っ!」
少し念じ、『右手』を巨大化させ、飛ばした。そして――。
ばしん!
と、橙を襲っている奴を、弾き飛ばした。
“そいつ”は壁に打ち付けられ、床に落ちた。
そしてそれを見ながら、何事も無かったかのように即座に『腕』を戻す。……あまり見られたくないのだ。
「はあ……はあ……」
橙は息を切らしている――もちろん彼女にとってはそれ程のことだったのだろう。
「ふう……さて」
私は弾き飛ばされた“そいつ”に近づき、俯瞰してみる。
見てみれば、そいつは――大きな鼠だった。
◇
橙を襲っていた鼠は、しばらくじたばたと床でのたうち回っていた。これ以上動けないだろうけれど一応……と思い、懐に仕舞ってあった縄でそいつを縛って自分の足下に寝かせた。まあ、ちょっとやそっとじゃ千切れる縄ではないし、簡単に解ける縛り方もしていないのでこれで大丈夫だろう。それに、観念したのか、大人しくなっているし。それにしても、猫達はこいつから逃げていたのか……なるほど、そう考えると納得できる。
おっと、それより橙は――と、私が橙のいる方を見遣ると、橙は頭を抱えてうつ伏せになっていた。ガクガクブルブルって感じ。
「ねえ、貴方が橙よね? 大丈夫?」
「うええ……」
そんなにうろたえられても。
「えっと、あの……」
「……うん、私が橙よ」
橙は少し戸惑った声を出した後、起き上がり、名乗った。
「助けてくれてありがとう……でも、どうしてここに? ここは私の居城(すみか)なんだけど」
「ああ……そうね」私は若干首を傾けながら言う。「実は、うちに猫が大量にやって来てね――神社にもいたし、それ以外の場所にもいる可能性が高いわ。で、その子たちはここの猫――つまり、貴方の猫じゃないかって。それで訪ねて来たの」
私が言い終わると――否、言っている最中から橙は「あちゃー」とでも言いたげな顔をした。
「うーむ……ああ、大変だなぁ」と橙は俯いて呟く。
「どうしたの? 何があったの? 差し支え無ければ、教えてくれないかしら?」
「……貴方、仙人でしょう? この山に住んでるっていう。実物は初めて見たわ」
私の問いを無視して、物珍しげに私を見つめる橙。
自分で言うのもアレだけれど、少なくとも恩人に対して向ける目ではない。
「じゃなくて!」
「わっ!」跳ね上がる橙。
「一体このネズミは、どうしたの?」
「えぇ、うーん……むぅ」
橙は曖昧な返事しかしない――いや、これは返事にも返答にもなっていない。ただ有耶無耶に言葉を濁しているだけだ。
改めて橙を見る。
見たところ、彼女は化猫の類の妖(あやかし)で間違いない。しかし、その力および知能は通常の化け猫のそれとは比較にならないほど高いように見える――あくまで一般の化猫と比べて、だが。
成程、魔理沙の言っていた通り。
式神、か――。
「……………………」
「……そこに転がっている妖怪は」
橙がだんまりを決め込み始めたので、私から先手を打つことにした。
「『旧鼠』と見て間違いないでしょう」
「きゅ……きゅうそ? 猫を噛む?」
「それは窮鼠」
まあ今回の場合、あながち間違いでもないけれど。
『旧鼠』――ネズミの怪異だ。齢(よわい)を重ねたネズミが、この妖怪となる。しかし、一口に『旧鼠』と言っても、大まかに分けて三つの種類が存在する。
一つは、猫すらも喰らう者。
一つは、人間に害を為す者。
そして――子猫を育てる者。
驚くべきことに、最後の事例が最も一般的な旧鼠の姿なのだ。
それなのに。
「どうして――貴方を襲っていたのかしら? 確かに、猫に害を為す旧鼠だっていないわけじゃないけど……」
そういったネズミは、往々にして旧鼠に成り得ない。別の怪異に成るのだ。
「い、いやあ……」橙はおずおずと言いだす。「私にもよく分からない。……そいつね、私がちょっと前まで“しもべ”にしてたんだけど、急にどっかに消えちゃってね。で、ようやく帰って来たと思ったら、今度はここにいた私の“しもべ”たちを散り散りにしたのよ。前はこんなに凶暴じゃなかったのになぁ」
「……ふむ」
つまり数日前、旧鼠はこの場にやって来て、猫をここから追いやったのか。その翌日あたりにその一部が、小町に連行されてきて、これまた一部は今朝、とうとう博麗神社にまで辿り着いた、と。
「私はカンカンに怒ったわ。でも……その……ちょっと力が及ばなかったのよ」
「…………」
……まだ未熟なのだろうか? あの八雲藍の式神ならば、旧鼠なんて目でもないと思うのだけれど。
いやそれとも、やっぱり式神の式神ではかなり力が落ちるということか。
まあ、どちらにせよ、か……。
「こりゃあいけない、と私は考えて、“しもべ”たちを探しに行ったんだけど……成果なし。でもなるほど、貴方の話を聞いて合点が行ったわ。私は山しか探してないから、神社にいたんじゃあ見つからないのは当然ね。貴方の家は知らないし」
「ちょっと待って。じゃあ、貴方はどうして今襲われていたの?」
山、即ち外に探しに行っていたなら、今ここにいる理由がない。
いや、案外数日探して見つからなかった程度で諦めてしまっただけなのかもしれないが。
「いや、あんまり見つかんないから、安息と休息を求めて我が家に戻ってきただけよ」
「……旧鼠がいるとは、考えなかったの?」
「…………」
考えなかったらしい。
その位の予想は、式神なのだから、出来て欲しい。
「い、いやー、それにしても」橙は旧鼠を指して言う。「どうしてこいつ、いきなり凶暴になったのかしら? 大人しめの奴だったのに……」
「それは確かに、気になるわね……」
いや、話が逸らされた感はあるが、実際には気になるどころの興味じゃない。是非とも知りたい、知らなければならない。
だって、そんな現象が――動物が妖怪化する現象が、今、この妖怪の山で起こっているようなのだから。作為的な物なのか、自然現象なのかは判らないけれど。
さっきも言及したが、旧鼠という妖怪は、齢を重ねたネズミが成るものである。成り果てるものである。なのに、この旧鼠はつい先日まで大人しいただのネズミだったというではないか――つまり。
『何か』が、あるのだろう。
「このネズミ、私の方で引き取っていいかしら?」
「え、ええ……別にいいよ。ただ……」
橙は上目遣いで言ってきた。
「私の“しもべ”たちを集めるの、手伝ってくれない?」
◇
「で? その後どうした? 猫は回収し終わったのか?」
再び博麗神社。
魔理沙が一仕事のあとの一服とばかりにお茶を飲みながら、私に訊いてくる。
“しもべ”集めは、かなりの時間を要したのだった。昼だったのが、日が傾き始める程度には。
夕暮れの橙色が目に眩しい。
「まあ、回収はし終えたけど……いえ、それが結構な仕事でね――実際、猫は私の家や神社だけじゃなくて、命蓮寺に魔法の森、果ては竹林の入口にまではびこってたのよ」
「里にも居たしな。そこに橙が現れた時にはびっくりしたぜ――まさか自ら顔を出すとは思わなかったからな。しかし泥棒猫とは、あいつは一体どういう教育をしてるんだ?」
「さあ……」
猫があんなところに行けるほどの時間を費やして山を探して、そして見つからなかったのに、どうして山にはいないと思い至らなかったのだろう。
お陰で、入る事こそしなかったものの、里に近づかなければならなかったし……いくら萃香の気配がなかったとはいえ、だ。
「結局、やっぱり猫に猫の制御は手に余るってことか。ま、当たり前だけどな。もしかしたら飼い猫の方が賢いかもしれん」
「…………」
橙曰く、『飼い猫』ではなく『しもべ』だそうだが、それは置いておいて。
まあ、魔理沙の言っていることは正答に近い。
“しもべ”の方が賢いというということはないにしても、見たところ橙は――完全に舐められていた。
誰かを従わせたいなら、その者より圧倒的に強い力を持つのは大前提として――その者の心情や感情を把握する必要があるのだ。
橙はそれが欠如している、ようだ。決定的に。
「まあ、あの猫ならやりかねないわね。自分の下っ端も満足に支配できないなんて、未熟もいいところだわ」
霊夢が室内から出てきながら言う。
「でも、今の私にはそんなことはどうでも良くってね」
どうでもいいのか。
「魔理沙、どうして勝手にお茶を飲んでいるのかしら?」
「え? だってお前、居なかったじゃないか。だから戴いてるぜ」
「居なかったら飲んでいいとか、私は一言も言ってないわ」霊夢は毅然として言う。「対策を考えないとダメかしら……」
「ま、旨いからいいじゃないか。御神酒をぶんどってるわけじゃないんだから」
「御神酒に手ぇ出してたら、問答無用で弾幕かましてたわよ」
最近の霊夢は何かとストイックだ。
いや、守銭奴なだけか。それにいつもそうかもしれない。
「ていうか、私は中でちょっとお札の準備をしてただけだし」
「へえ、珍しいな。殊勝なこったぜ」
「どうして今?」
私が問うと、霊夢は明瞭快活に答えた。
「最近妖怪退治が出来ないから――泥棒退治でもしようかと思ってね!」
ああ。
今日も比較的、幻想郷は平和だ。
◇
「…………」
ああ、疲れた。
疲れない体だろうが、疲れることをすれば勿論漏れなく疲れる。
私のような者でも、だ。
疲れた体を文字通りでなく引き摺りながら山道を、自宅を目指して歩く。
慣れているとはいえ、やはり考え事をしながら帰路につくと、碌なことがない。
私は空を見上げた。
空には――細き月。
「そうか、今夜は三日月だったわね……」
数日前には消えていた物が、また顔を出してくる。
それは当たり前――一ヶ月毎に来る、いつも通りの当たり前なのに。
それは、不安、と表現できる言い知れぬ何かを、私の胸に感じさせた。
あの旧鼠――自宅に猫を回収しに行ったとき、置いてきたけれど――大丈夫だろうか。
少なくとも、ただの旧鼠ではないだろう。
恐らく、最近流行っているのか何なのか知らないけれど、『人間の血』が原因なのだろう。そうとしか考えられない。最近『そういう事件』が頻発しているこの山での事ならば。
それは――いけないことだ。
もっと有体に言えば、『悪』だ。
もっと露骨に言えば、『邪悪』だ。
『そういう過程』を踏んで妖怪になるのは。
私が空を見るのを終え、視線を戻す――と。
ヒュッ
「……?」
と、何かが自分の横を通り過ぎた気がした。
何なのかは、さっぱり判らないけれど。
そう、私の進行方向とは、真逆の方向から。
つまり、山中から。
こんな三日月の真夜中に、だ。
「はあ……」
何故だかわからないけれど、明日は忙しくなる気がした。
明日は――危険な日になる気がした。
単独でも問題なく読めますが、今話は作品集188の『茨歌仙脇道 -川の真実-』と直接話が繋がっているので、そちらを読んでいますと楽しみが六割一部四厘増すかもしれません。
では、本編をお楽しみください。
◇
眠る。仙人でも、睡眠をすることはある。
少なくともこの時、私、茨華仙は睡眠をしていた。当然、「仙人」という人間を超越した存在であるが故に、人間ほどの時間を要しない。だから、仙人の朝は早い。
しかし別段いつもより疲れていたわけでもないのに、自発的に目覚める事が出来なかった。
私は何かの『音』が聞き、目を覚ましたのだ。
「ん……?」
瞼を開けてみれば、光はまだ無く暗い――と言うか夜だ。
耳を澄ましてみれば、どうやら外、それもちょうど庭の方からその『音』は聞こえているようだ。いや、これは……音というより、声――否、鳴き声。つまり、動物のもののように聞こえる。
はて……うちにこんな鳴き声を出す奴がいたかしら?
それも――こんなに『たくさん』。何が居るかは判らないけれど、二十匹は下らないだろう。
私は目をこすりながら起き上がり、庭に通じる襖を恐る恐る開けた。
そこには――
「……貴方、こんな夜中から何をしているの?」
「お、やっとお目覚めか。おはようさん。待ちくたびれたよ」
猫、猫、猫。
夥しい数(と言っても精々二十匹程度だが)の猫の山の中に。
小野塚小町がいた。
彼女は特に気にする風でもなく、挨拶をしてきた――
「いやいやいやいや」
どう考えてもおかしい。
何の因果で、三途の河の渡しがこんな山の中、しかも私の家で猫を纏っている(そう表現するとしっくりくる)っていうの? しかもこんな夜中に。
「何が『嫌』なんだい?」
「もう何もかも嫌になりそうよ……」
「そりゃ災難だね。ドンマイ」
「主に貴方の所為よ! それとその猫何!」
惚けた顔の小町に、思わず大声を上げてしまう。
当たり前だ。自宅に不法侵入された挙句、勝手に動物を連れこまれたのだから。後者は別にいいのだけれど――前者は彼女の能力の性質上、防ぎようがないのが悔しすぎる。
「その猫達、どうしたの? まさか貴方が飼ってるわけじゃないでしょう?」
悔しさ紛れに冗談を言ってみる。
「そのまさか――」
「え」
え、完全に冗談のつもりだったのに。
「――のわけがないじゃないか」
「……………………馬鹿にしてるの?」
「冗談だ、冗談」
そう言って小町は朗らかに笑った。
……つくづく意地悪な死神だ。
「じゃあ、その猫達は――」
と、私が言うが早いか、小町は
「そこらで放浪していたのを連れて来たんだ」
と言った。
「放浪? じゃあ野良っていうこと? それじゃあ尚更、どうしてその子たちを連れてきたの?」
「おいおい、あんた、それ本気で言ってるのか? 知らぬ間に耄碌したかい?」
「……む」
その言い様には少しカチンと来たが、小町の言わんとしていることはすぐ解った。
実は今、妖怪の山で『動物の妖怪化』が頻発している。頻発と言っても、数日前のニホンカワウソに始まり、二、三件程度だけれど……看過できない事態であることに変わりはない。すでに天狗たちや守矢神社も問題視し始めている。
そして肝心要の『妖怪化』の原因は、邪悪な事に、どうやらどれも『人間の血』だった。
「成程――確かに、そのか弱そうな猫達を放置するわけにはいかない」
「そういうことさね。あんたは動物を扱うのが上手いから」
「まあ……でも」
「? どうしたんだ?」
私は小町に纏わり付いている猫を一匹、抱きかかえてみた。
「どうして、野良猫が山にいるのかしら?」
少なくとも、抱きかかえている猫に、変わった様子はない。何の変哲もない普通の猫だ。
つまり、この妖怪の山において何もなしに生き抜いていくのは、とてもじゃないが無理だということだ。別に不可能ではないけれど、その可能性は低い。
「さあね。少なくとも私の知るところではないよ」
「でしょうね。はあ……調べてみますか」
「――まあ、私にはこいつらが何かから『逃げていた』ように見えたがね」
「……?」
逃げていた……? まあ、ここは妖怪の山で、当然動物にとっては危険がありふれているのだから、自然と言えば自然なのだけれど……。
と、まだ目覚めない頭で考えを巡らしていると、ある事に思い至った。
「ところで貴方」私は小町を見据えて言う。「何の用なの? もしかしてまたサボり?」
「あ……いや」小町は不意を突かれたような顔をした。「そんなことあるわけないじゃないか。人聞きの悪い」
「……へえ」
どうだか。
と、私が思ったのを察知したのか、小町はゴホンと咳払いをして、こう付け加えた。
「仕事だよ、仕事。れっきとした、上からのご指令で、ここに来たんだ」
「船頭が、山の仕事……?」
「あ、信じてないな」
そりゃそうだ。
船頭の仕事場は、決して山ではなく、川なのだから。
「実は“ある者”の監視を任されてね――幻想郷担当の死神で、幻想郷にいがちだからって理由で。で、監視対象が今は山にいるから、あたいも山にいるってわけさ」
「ふうん……」
まあ、彼女が嘘を吐くメリットはないし……それは本当なのだろう。
……“ある者”って誰の事かしら?
「まあ、あたいは山の地理に詳しいわけじゃないから、あんたのとこにこいつらを連れて来たんだが――お陰で、対象を見失ってしまった」
「自業自得……」私はぼそっと呟く。
「何か言ったかい」
「いえ」
そもそもその指令を出されたのも、サボりがちである事が一因――というか大きな要因であるようだから、やっぱり自業自得だと思う。が、口は災いの元。これ以上余計なことを口に出すのは控えよう。
「――と言うわけで、あたいはこれから観察対象を探さないといけない。ここらで失礼するよ」
「……結構仕事熱心なのね。意外」
「いつだって熱心さ。いつもの船頭にしたって、死神稼業の中で最も遣り甲斐のある仕事だからね――それに」
これはかなり重要な指令なのさ、と言って、小町は“消えた”。
小町が去った後には、猫達がにゃあにゃあと群がっていた。
「全く……勝手に来て勝手に去っていくとは、大層な身分ね」
空には、月がどこにも浮かんでいなかった。
新月だった。
◇
「……もう一度訊くけど、霊夢」
「……何よ」
「別に『猫神社始めました』とか、そういうわけじゃないのよね?」
「私にそういう意図はないわ。考えてみたら、そういうことでも良いかもしれないけど」
でも、と霊夢は言う。
「それにしたって、多すぎよ!」
私の家に猫達が現れて(小町が猫達を置いていって)から数日後、博麗神社。
博麗霊夢と霧雨魔理沙はいつもの通り、境内を入ってすぐのところで、暇を持て余しながらお茶を啜っていた。特に霊夢は……来て欲しい、来て欲しいと言っている割には、参拝客など来ないとでも心の内で決めつけているようなほどの呑気ぶりだった。それもいつも通りだが。
まあそんなことだろうと思い、猫達の身元のヒントを探してそこを訪れた。山の猫だとは、やっぱりどうしても思えなかったからだ。
が、驚くべきことに、その神社にも、ざっと数えて二十匹の猫達が、彼女たちの面前でニャアニャア鳴いていたのだった。うちに来たのとほぼ同数の猫。
「一体どうしたの? この猫達」
「来たら居たんだよ」と魔理沙が語る。「空を飛んでたら、少し小腹が空いてな――で、何かたかろうと来てみると、霊夢がこのにゃんにゃん達と戯れていたってわけだ。いやあ、驚天動地だぜ」
「だから何回も言ってるけど」霊夢は煩わしそうに言う。「朝起きたら居たのよ――というか、こいつらの鳴き声で目が覚めたくらいなんだから。うるさいったら」
「でも、結構可愛いじゃないか」魔理沙が猫を一匹抱き上げながら言う。
「む……別に否定するわけじゃないわ。でも、うるさいものはうるさいの!」
どうやら霊夢は私と同じ体験をしたらしい――ただし死神の有無を除いて。
その有無の差は、疲労度合において意外にも大きかったりする。
「――実は、私の家にも猫達が来たの」
正確には『連れてこられた』だけれど。
「へえ……じゃあ、あんたも私と同じで、鳴き声がうるさくて目が覚めたクチかしら?」
「…………」
どうしてこう、霊夢は勘が良いのだろうか。
その勘の良さをもっと神社経営に役立てたらいいのに。
「ふうん、じゃあこいつらと同じとこから来たのかもな」猫とにらめっこする魔理沙。「でもなー、どっかで見たことあるんだけどな、こいつら」
「あ、それ私も思ってたわ」霊夢が魔理沙に同調する。「でもどこで見たのかしら……」
うーむ、と唸って考え始める二人。
私も思考を整理しておこう――まず、山ばかり調べていたから、山が出どころだという可能性はかなり低いと思う。
神社(ここ)にいる猫達は、確認された時間帯から鑑みるに、魔理沙の言うとおり、小町が私の家に連れて来た猫達と出どころが同一だと考えられる。どこが出どころなのかは定かではないけれど、いずれにせよ、神社(ここ)と山の両方にいるということは……つまり、神社(ここ)と山以外にもいるかもしれないということだ。
博麗神社と妖怪の山――それも私の家――は、猫達の移動場所としては物理的に離れ過ぎている。どこから発生したにせよ、意図的に発生したのでなければ、出どころを中心に分散した可能性が高い。
でも、じゃあ、どこから? それが重要というか、私が知りたい事なのに……如何せん、山で暮らしているが故に幻想郷全体の地理に疎い。山ばかり調べたのもそれが原因だし……。
ああ、この二人に任せるしかないとは……我ながら情けない。
と、私が早くも思考を放棄し、他力本願モードに突入しようとしていたところに、
「あ!」
と、魔理沙が大声を上げてぽん、と手槌を打った。
「ど、どうしたの? 何か判ったの?」
「そうだ、判った――多分こいつら、橙の猫だぜ」
「ちぇ……チェーン?」耳に覚えの無い単語に、反応が遅れてしまう。
「鎖じゃねぇよ。飼い主はいるけどな。橙だ」
「ちぇん?」
「そう、橙」
ちぇん……?
聞いたことない名前……しかし、魔理沙が知っているのなら、そこそこの有名人なのだろうか。
「その方は?」
「ああ、橙はな、紫のキツネの飼い猫だぜ」
「……はい?」
紫……というのは、八雲紫のことで相違ないだろう。
八雲紫の、キツネ――つまり、八雲藍か。
そして――八雲藍の、飼い猫……?
この猫達は、その飼い猫の飼い猫……?
うん、意味が分からない。
「ちょっと魔理沙、それは不親切すぎるわ」霊夢にしては珍しいことを言う。
「そうか? 大体こんな感じだろ」
「そうだけどさ……ほら、仙人の顔を見なさい。『意味不明』って書いてあるわ」
「私には『理解不能』って見えるな」
「同じことじゃない!」
「あの、私の顔で遊ぶのは……」
私がそう言いかけると、魔理沙が、しょうがないな、と茶を口に含み、そして呑みこんでから言う。というか霊夢も、魔理沙を咎めるくらいなら直接教えてくれてもいいんじゃないかしら……?
「お前、藍が紫の式神だってことは、知っているだろ?」
「え、ええ」
「だったら、橙は、藍の式神なんだよ。それも化け猫に憑かせた式」
「え、式神の式神?」
「そうだ。全く、常識はずれにも程があるよな」
「あんたが言わないの」霊夢が突っ込みを入れる。
「でも、そんなの常識以前に、出来るのかしら?」
「さあな。現に出来てるんだから、出来るんじゃないか? 私もそういうの欲しいな、式神」
「…………」
橙、という者は、あの胡散臭い八雲紫の式神の式神、ね……。
しかし、猫が猫を飼うというのもちょっとシュールなものを感じる。
しかもこんなにたくさん。
「じゃあ、この子たちは山の動物じゃなかったのね」
「それは違うわ」
「え?」
「だって、橙は山に棲んでるんだもん。一応、『山の動物』でしょ?」
霊夢は淡々とそう言う――霊夢まで知っているのに、山に住んでいる私は知らないとは……何たる不覚。調べが甘かったか。おかしいなぁ。
「そ、そうなの?」
「そう……えっと、なんてとこだっけ」
「えー……迷い家、じゃなかったか?」
「マヨイガ……?」
マヨイガって……あの伝説の、訪れた者に富をもたらすと言われている?
幻想入りして――というか、実在していたの……?
「マヨイガが、妖怪の山に?」
「ああ」魔理沙がしみじみと言う。「あれは、幻想郷が春なのに真っ白だったときか」
「そうね。私も春雪異変のとき、初めて知ったわ。アレが“あの”マヨイガだなんて、全然思ってないけど」
だって、訪れたのに全然儲からないもの! と霊夢は叫んだ。
続けて魔理沙が、橙が勝手に言ってただけだしな、と付け加える。
「そういうこった。ま――じゃあ、私はそろそろ里に行ってみるぜ」魔理沙が立ち上がりながら言う。
「え、どうかしたの?」
私は思わず問うてしまう。最近は萃香が里の酒屋に出入りしているので、近づかないようにしている――故に、その内情が把握できていない。少しは里の情報も欲しいところ。
「ああ。なんかな、最近泥棒――というか空き巣だな、それが多いらしい。だからちょっと様子を見に行ってみるって次第だぜ」
「…………」
……それって。
「貴方じゃなくて?」
「そうよ。うちの茶も勝手に呑んでるし」霊夢が付け加える。
「ちげぇよ。というか、茶を出してきたのは霊夢だろ?」
「そうだったかしら」
おいおい、と魔理沙は言ってから、私達の方を向く。
「私は返せる物しか借りないぜ?」
「茶は?」霊夢が鋭く言う。
「いただきます。ごちそうさまでした」
「おい!」
二人とも、仲の良いことだ。
◇
魔理沙が箒に乗って里に向かった後、私も神社を後にし、二人が言った通りの場所を目指した。
今回の私の目的は、橙から事情を聞き、問題があるなら、その解決に尽力することだ――そうすることが、あの猫達の為、もとい私達(猫に寄り付かれている方々)の為だ。
魔法の森に近い、山の麓とも奥とも言える位置に、マヨイガ、迷い家――橙の住処はあるという。
確かに私も、その辺りに廃屋の集合を見たことがあった気がするけれど……中まで見ようとまではしていなかった。昔は無かったしなあ。なによりぼろぼろだったから気にも留めなかった。
私は非常に曖昧な記憶も頼りとして、そして遂にその廃屋集落を見つけ出した。
天道が真上に来ている。今日の天気は割と晴れ。
「……はあ……」
思わず溜め息を吐いてしまう。
聞けばこの迷い家、その存在を知る者をして『猫の里』と呼ばれていると言うじゃないか――幻想郷の地理には疎い私でも、山の地理には詳しいと思っていたのだけれど……どうやら私は山の地理も満足に把握出来ていないようだった。
無念。
まあ、そんなことは今となっては些事だった――『これ』が『そういう存在』だと、知れたのだから。
何はともあれ、この中に橙はいるという話だ。
私は未踏の地に足を踏み入れるような気概を以って、迷い家に入った。
「…………」
見回してみると。
入る前から――即ち、外から見ていたときから思っていたのだけれど、いくらなんでもぼろぼろ過ぎる。霊夢達の言うとおり、“あの”迷い家だというわけではないのだろうな、と想像できるほどに。
でもまあ、案外本物もこんな感じなのかもしれないが。いや――
「本当にここなの……?」
迷い家――少なくとも、妖怪の山にあるという迷い家には、猫がたくさんいるという話だった筈。なのに、猫の子一匹居やしない。
集落の外側全体を隈無く見て回ってみたが、猫の影も形も「ね」の字もない。
つまり、ここにいたという猫たちは――例えばうちや神社に――残らず漏れなく散ってしまったということになるわけだが……橙までもいないのは解せない。ああ、橙までいなくなってしまったのか――だから統制を失った猫達が、蜘蛛の子を散らすように逃げてしまったのか。
それとも、橙は猫を探して放浪中なのか。
――と、そのとき。
「うわああああぁぁ!!」
突然に、叫び声が聞こえた。
どうやらそう遠くない――いや、かなり近い。外側には誰もいなかったから、恐らく内部だろう。
何はともあれ、行ってみるしかない――もしかしたら橙かもしれないし。
「やめて! やめてってぇ!」
依然として叫び声がマヨイガ全体に響き渡っていた。
お陰で声の発生源――もとい、発声源を特定できた。
そこに辿り着くと、化猫――あれが橙か――を、巨大な“何か”が襲っていた!
「そ、そこ! 誰かいるの!?」
どうやら橙が私の存在に気付いたようで、こちらに声を掛けて来た。
「だ、大丈夫?」とりあえずそんなことを問うてみる。
「大丈夫じゃないぃ! 助けて!」
……仕方がない……か。『これ』は人前ではあまり使いたくないのだけれど……。
私は『右手』を、橙を襲っている者に向けて照準を定めた。
「――――っ!」
少し念じ、『右手』を巨大化させ、飛ばした。そして――。
ばしん!
と、橙を襲っている奴を、弾き飛ばした。
“そいつ”は壁に打ち付けられ、床に落ちた。
そしてそれを見ながら、何事も無かったかのように即座に『腕』を戻す。……あまり見られたくないのだ。
「はあ……はあ……」
橙は息を切らしている――もちろん彼女にとってはそれ程のことだったのだろう。
「ふう……さて」
私は弾き飛ばされた“そいつ”に近づき、俯瞰してみる。
見てみれば、そいつは――大きな鼠だった。
◇
橙を襲っていた鼠は、しばらくじたばたと床でのたうち回っていた。これ以上動けないだろうけれど一応……と思い、懐に仕舞ってあった縄でそいつを縛って自分の足下に寝かせた。まあ、ちょっとやそっとじゃ千切れる縄ではないし、簡単に解ける縛り方もしていないのでこれで大丈夫だろう。それに、観念したのか、大人しくなっているし。それにしても、猫達はこいつから逃げていたのか……なるほど、そう考えると納得できる。
おっと、それより橙は――と、私が橙のいる方を見遣ると、橙は頭を抱えてうつ伏せになっていた。ガクガクブルブルって感じ。
「ねえ、貴方が橙よね? 大丈夫?」
「うええ……」
そんなにうろたえられても。
「えっと、あの……」
「……うん、私が橙よ」
橙は少し戸惑った声を出した後、起き上がり、名乗った。
「助けてくれてありがとう……でも、どうしてここに? ここは私の居城(すみか)なんだけど」
「ああ……そうね」私は若干首を傾けながら言う。「実は、うちに猫が大量にやって来てね――神社にもいたし、それ以外の場所にもいる可能性が高いわ。で、その子たちはここの猫――つまり、貴方の猫じゃないかって。それで訪ねて来たの」
私が言い終わると――否、言っている最中から橙は「あちゃー」とでも言いたげな顔をした。
「うーむ……ああ、大変だなぁ」と橙は俯いて呟く。
「どうしたの? 何があったの? 差し支え無ければ、教えてくれないかしら?」
「……貴方、仙人でしょう? この山に住んでるっていう。実物は初めて見たわ」
私の問いを無視して、物珍しげに私を見つめる橙。
自分で言うのもアレだけれど、少なくとも恩人に対して向ける目ではない。
「じゃなくて!」
「わっ!」跳ね上がる橙。
「一体このネズミは、どうしたの?」
「えぇ、うーん……むぅ」
橙は曖昧な返事しかしない――いや、これは返事にも返答にもなっていない。ただ有耶無耶に言葉を濁しているだけだ。
改めて橙を見る。
見たところ、彼女は化猫の類の妖(あやかし)で間違いない。しかし、その力および知能は通常の化け猫のそれとは比較にならないほど高いように見える――あくまで一般の化猫と比べて、だが。
成程、魔理沙の言っていた通り。
式神、か――。
「……………………」
「……そこに転がっている妖怪は」
橙がだんまりを決め込み始めたので、私から先手を打つことにした。
「『旧鼠』と見て間違いないでしょう」
「きゅ……きゅうそ? 猫を噛む?」
「それは窮鼠」
まあ今回の場合、あながち間違いでもないけれど。
『旧鼠』――ネズミの怪異だ。齢(よわい)を重ねたネズミが、この妖怪となる。しかし、一口に『旧鼠』と言っても、大まかに分けて三つの種類が存在する。
一つは、猫すらも喰らう者。
一つは、人間に害を為す者。
そして――子猫を育てる者。
驚くべきことに、最後の事例が最も一般的な旧鼠の姿なのだ。
それなのに。
「どうして――貴方を襲っていたのかしら? 確かに、猫に害を為す旧鼠だっていないわけじゃないけど……」
そういったネズミは、往々にして旧鼠に成り得ない。別の怪異に成るのだ。
「い、いやあ……」橙はおずおずと言いだす。「私にもよく分からない。……そいつね、私がちょっと前まで“しもべ”にしてたんだけど、急にどっかに消えちゃってね。で、ようやく帰って来たと思ったら、今度はここにいた私の“しもべ”たちを散り散りにしたのよ。前はこんなに凶暴じゃなかったのになぁ」
「……ふむ」
つまり数日前、旧鼠はこの場にやって来て、猫をここから追いやったのか。その翌日あたりにその一部が、小町に連行されてきて、これまた一部は今朝、とうとう博麗神社にまで辿り着いた、と。
「私はカンカンに怒ったわ。でも……その……ちょっと力が及ばなかったのよ」
「…………」
……まだ未熟なのだろうか? あの八雲藍の式神ならば、旧鼠なんて目でもないと思うのだけれど。
いやそれとも、やっぱり式神の式神ではかなり力が落ちるということか。
まあ、どちらにせよ、か……。
「こりゃあいけない、と私は考えて、“しもべ”たちを探しに行ったんだけど……成果なし。でもなるほど、貴方の話を聞いて合点が行ったわ。私は山しか探してないから、神社にいたんじゃあ見つからないのは当然ね。貴方の家は知らないし」
「ちょっと待って。じゃあ、貴方はどうして今襲われていたの?」
山、即ち外に探しに行っていたなら、今ここにいる理由がない。
いや、案外数日探して見つからなかった程度で諦めてしまっただけなのかもしれないが。
「いや、あんまり見つかんないから、安息と休息を求めて我が家に戻ってきただけよ」
「……旧鼠がいるとは、考えなかったの?」
「…………」
考えなかったらしい。
その位の予想は、式神なのだから、出来て欲しい。
「い、いやー、それにしても」橙は旧鼠を指して言う。「どうしてこいつ、いきなり凶暴になったのかしら? 大人しめの奴だったのに……」
「それは確かに、気になるわね……」
いや、話が逸らされた感はあるが、実際には気になるどころの興味じゃない。是非とも知りたい、知らなければならない。
だって、そんな現象が――動物が妖怪化する現象が、今、この妖怪の山で起こっているようなのだから。作為的な物なのか、自然現象なのかは判らないけれど。
さっきも言及したが、旧鼠という妖怪は、齢を重ねたネズミが成るものである。成り果てるものである。なのに、この旧鼠はつい先日まで大人しいただのネズミだったというではないか――つまり。
『何か』が、あるのだろう。
「このネズミ、私の方で引き取っていいかしら?」
「え、ええ……別にいいよ。ただ……」
橙は上目遣いで言ってきた。
「私の“しもべ”たちを集めるの、手伝ってくれない?」
◇
「で? その後どうした? 猫は回収し終わったのか?」
再び博麗神社。
魔理沙が一仕事のあとの一服とばかりにお茶を飲みながら、私に訊いてくる。
“しもべ”集めは、かなりの時間を要したのだった。昼だったのが、日が傾き始める程度には。
夕暮れの橙色が目に眩しい。
「まあ、回収はし終えたけど……いえ、それが結構な仕事でね――実際、猫は私の家や神社だけじゃなくて、命蓮寺に魔法の森、果ては竹林の入口にまではびこってたのよ」
「里にも居たしな。そこに橙が現れた時にはびっくりしたぜ――まさか自ら顔を出すとは思わなかったからな。しかし泥棒猫とは、あいつは一体どういう教育をしてるんだ?」
「さあ……」
猫があんなところに行けるほどの時間を費やして山を探して、そして見つからなかったのに、どうして山にはいないと思い至らなかったのだろう。
お陰で、入る事こそしなかったものの、里に近づかなければならなかったし……いくら萃香の気配がなかったとはいえ、だ。
「結局、やっぱり猫に猫の制御は手に余るってことか。ま、当たり前だけどな。もしかしたら飼い猫の方が賢いかもしれん」
「…………」
橙曰く、『飼い猫』ではなく『しもべ』だそうだが、それは置いておいて。
まあ、魔理沙の言っていることは正答に近い。
“しもべ”の方が賢いというということはないにしても、見たところ橙は――完全に舐められていた。
誰かを従わせたいなら、その者より圧倒的に強い力を持つのは大前提として――その者の心情や感情を把握する必要があるのだ。
橙はそれが欠如している、ようだ。決定的に。
「まあ、あの猫ならやりかねないわね。自分の下っ端も満足に支配できないなんて、未熟もいいところだわ」
霊夢が室内から出てきながら言う。
「でも、今の私にはそんなことはどうでも良くってね」
どうでもいいのか。
「魔理沙、どうして勝手にお茶を飲んでいるのかしら?」
「え? だってお前、居なかったじゃないか。だから戴いてるぜ」
「居なかったら飲んでいいとか、私は一言も言ってないわ」霊夢は毅然として言う。「対策を考えないとダメかしら……」
「ま、旨いからいいじゃないか。御神酒をぶんどってるわけじゃないんだから」
「御神酒に手ぇ出してたら、問答無用で弾幕かましてたわよ」
最近の霊夢は何かとストイックだ。
いや、守銭奴なだけか。それにいつもそうかもしれない。
「ていうか、私は中でちょっとお札の準備をしてただけだし」
「へえ、珍しいな。殊勝なこったぜ」
「どうして今?」
私が問うと、霊夢は明瞭快活に答えた。
「最近妖怪退治が出来ないから――泥棒退治でもしようかと思ってね!」
ああ。
今日も比較的、幻想郷は平和だ。
◇
「…………」
ああ、疲れた。
疲れない体だろうが、疲れることをすれば勿論漏れなく疲れる。
私のような者でも、だ。
疲れた体を文字通りでなく引き摺りながら山道を、自宅を目指して歩く。
慣れているとはいえ、やはり考え事をしながら帰路につくと、碌なことがない。
私は空を見上げた。
空には――細き月。
「そうか、今夜は三日月だったわね……」
数日前には消えていた物が、また顔を出してくる。
それは当たり前――一ヶ月毎に来る、いつも通りの当たり前なのに。
それは、不安、と表現できる言い知れぬ何かを、私の胸に感じさせた。
あの旧鼠――自宅に猫を回収しに行ったとき、置いてきたけれど――大丈夫だろうか。
少なくとも、ただの旧鼠ではないだろう。
恐らく、最近流行っているのか何なのか知らないけれど、『人間の血』が原因なのだろう。そうとしか考えられない。最近『そういう事件』が頻発しているこの山での事ならば。
それは――いけないことだ。
もっと有体に言えば、『悪』だ。
もっと露骨に言えば、『邪悪』だ。
『そういう過程』を踏んで妖怪になるのは。
私が空を見るのを終え、視線を戻す――と。
ヒュッ
「……?」
と、何かが自分の横を通り過ぎた気がした。
何なのかは、さっぱり判らないけれど。
そう、私の進行方向とは、真逆の方向から。
つまり、山中から。
こんな三日月の真夜中に、だ。
「はあ……」
何故だかわからないけれど、明日は忙しくなる気がした。
明日は――危険な日になる気がした。
泥棒被害も関係あるのかな?
うーん楽しみ!
面白かったです。
続きが楽しみ!
面白かったです
続きが読みたいですね。猫異変はなぜ起こったのか。気になる気になるー。
しかし、いよいよ一連の事件の真相に迫っていくのでしょうか?
続き楽しみにしてます