人里から香霖堂への道というのは、意外に広い。魔法の森方面ということや、そもそも大体の人間が里の外に出ないということもあり、人通りは少ないのだが、まるで昔、幹線だったような名残がある。
それはさておき、道の脇には木々が生い茂り、野草も根性を見せていて、いつもと変わらない景観のはずだった。
黒の帽子、白エプロンドレス、スカートの黒、モノクロな格好の少女、霧雨魔理沙も、いたずら好きそうな笑みを浮かべて、道の真ん中を箒にまたがって滑空していた。
目的地はもちろん香霖堂。昔馴染みのある男が経営していて、魔理沙もよく乗り込んでは商品を物色している。今日もそのつもりであった。
別に森を飛び越えてもいいのだが、コレクターである彼女の経験則がそうはさせない。道端にこそ、お宝は眠っているのだ。
風を掻き分けて進み、金髪が軽くたなびく。そんな心地好さに魔理沙が酔いしれているうちに、見慣れない建物が、左前方に見えてきた。
「……なんだ?」
以前は影も形もなかったその建物。魔理沙はその手前でブレーキを掛けた。平屋建てで、こじんまりとした外観は、幻想郷ではあまり見かけないものだ。
箒から降りて、その全体像を訝しげに眺める。
看板のようなものが建物の上にかけられていて、ローマ字のKを丸で囲ったデザインが浮き出ている。しかもありえないことに前面がガラス張りになっていて、中が丸見えだったのだ。
(怪しいな……)
いよいよ怪しくなってきた、と腕を組む魔理沙。
もう一度中を見ると、本のようなものがたくさん置いてあったり、瓶のようなものが山ほどガラスのケースに入れられていたり、ビニールの袋に詰められたものが整然と並んでいる。不気味この上ない。
(異変の前触れなら解決しないとな……いや待てよ?)
八卦炉をポケットから出しかけた魔理沙だが、彼女の友人である東風谷早苗の話が頭を過った。
『コンビニ』というのを早苗は語っていたのだが、目の前の建物はまさにその話そっくり。
(もしかしたら幻想入りしてきたのか……? いやでも早苗の話通りなら現役のはずだし……)
ガラス越しに店内を覗くと、カウンターみたいなところに人影もある。店員かそうでないかは別として無人ではない。
ともかく調査をするために、入り口である扉の白い取っ手を握り、慎重に押して開けた。軽快な音楽が流れる。
その人は幻想郷ではあまり見かけない服装をしていて、胸元に表で見たデザインが刺繍されていた。恐らくは店員だろう。しかも顔立ちやらなんやらを見るに女性だ。
カウンターの向こうに立っていたその女性が魔理沙に気づき、一言。
「うわ、よくも入ってきやがったな!?」
「なんか私恨まれてる?!」
いきなりの喧嘩腰に魔理沙もビックリ。女性はじりじりと後ずさり、唖然とする魔理沙から逃げようとする。
(ん?)
強い既視感があった。魔理沙はその顔に見覚えがある。目をそばめてじっと見つめてみる。
「お、お前、正邪か?」
「だ、だったらなんだというのだ、霧雨魔理沙」
目を見開きながら指を指す魔理沙に、いまだに警戒心を剥き出しにしている女性、鬼人正邪。黒髪の中に赤や白のラインが混じっていて、眉を潜め、いかにも不機嫌そうだ。
彼女は天邪鬼。先の異変の首謀者で、しばらく姿を見かけなかったのだが、こんなところにいるとは誰も想像しないだろう。魔理沙もそうだ。
「……なにしてんだよお前」
「見ての通り、バイトだ」
これが見えんのか、と言わんばかりに制服の裾をつまんで見せびらかす正邪。
(いやそれはわかってんだよ)
と魔理沙は心中で突っ込みを入れる。
「そうじゃなくて、何かを企んでんじゃないかって話だよ」
魔理沙はカウンターに寄りかかり、鋭い眼光を正邪に指す。
「ナ、ナンモタクランデナイゾー」
「嘘つけ!」
正邪が、目を世界チャンピオン並みに泳がせた。
黒という線が濃厚になってきて、魔理沙も八卦炉を握って臨戦態勢に入る。
「いや、本当だ! たまたま空き家になってるここを見つけて、再利用有効活用させてもらおうと思っただけだぞ!」
不穏な空気を察し、正邪が身を庇うように腕を前に出す。
しかし、魔理沙の気は収まらなかった。正邪はまだ知らない。東方の主人公は、誤認を正当化してしまうことを。
マスパが正邪を月まで吹き飛ばすまであとわずかというところで、魔理沙がもう一度店内をさらりと見回した。
外の世界の遺産ということで、結構清潔感漂う内装。元からか正邪が手入れをしたのかは不明だが、目立った汚れもない。
魔理沙も商家の娘だったから商品の陳びに関する知識もあるのだが、彼女からしても上手いと唸らせる陳列。
再び正邪に視線を戻す。
ぎこちなく歯を見せ、小さくピースサインを作っていた。
(……商売をするってのは本気のようだな。なら……いいかな……?)
商法は別にして、一見害もなさそうだ。魔理沙は一旦溜飲を下げた。
「……まあ見逃しといてやるよ」
魔理沙がカウンターから体を離すと、正邪が脱力して溜め息をついた。その上深呼吸をしているところから、緊張で息をする暇もなかったのだろう。
懸念事項は残っているが、とりあえずは保留にしておくことにする。ただ一つ訊きたいことがあった。
「ところで、なんで私が入ってきた時あんな敵愾心剥き出しにしてたんだ?」
「いやだって見かけからして強盗しそうな人が入ってきたから……」
「人を見かけで判断するなよ」
「いやお前はどう見たって強盗にしか見えないが」
「……あー、うん、他人にはそういうことするなよ?」
言い返す言葉が見当たらず、言葉を濁す魔理沙。
さてそろそろ帰ろうとする強盗っぽい魔女だが、なぜか足を止める。
外見よりも少し広く感じる店内と、カウンターのレジの隣に置かれた、オレンジ色の光をケースの中に照らしている機械が目に入る。
(なんかこう……買ってかないと悪いみたいな雰囲気だよなぁ……)
魔理沙がこめかみを指で掻く。
そのケースの中身を確認していた正邪に向き直り、
「その、なんだ。さっきまでは異変を解決しにきたっての? そんな心構えだったんだが……何て言うんだ、英雄として?」
「男ならぁぁあ」
「その英雄じゃねえよ。ともかく、手ぶらで帰るのもなんだから客としてなにか貰ってってやるよ」
「代金は払ってけよ」
「……チッ」
正邪に釘を刺され、魔理沙は舌を打った。いわゆる賄賂代わりにと期待していたのに、と魔理沙は落胆する。
「ゴホン」
仕切り直すように正邪が咳払いをした。
「いらっしゃいませー」
正邪渾身の営業スマイル。ただ、その裏側に隠された本性と出逢ったときとのギャップに魔理沙は鳥肌がたつのを禁じえない。
「……疲れたから笑顔やめていいか?」
「早いな」
しかしすぐに素に戻ってしまった。
とっとと済ませてこの場を去った方が身のためと、魔理沙は手近にある商品を物色する。
(意外と普通のメニューなんだな)
妖怪がやっている店、しかも天邪鬼という人に嫌がらせをして悦に浸る変態の店だから、どんな色物が揃っているのかと不安になったが、見た限りでは不審な点は見当たらない。皆、普段から馴染みがあったり、香霖堂で見たことのあるものばかりだ。……見た目ではという補足がつくが。中にハバネロやわさびが入っていたら、魔理沙は恐らく容赦しないだろう。
レジの脇においてある小袋に入ったチョコやガム。カゴに入って投げ売りされている数々。湯気の立つ熱々のおでん。さっきから魔理沙の目を引くケースに入った、チキンやポテト、ソーセージを見て、一番上の段の、狐色をした美味しそうなチキンを指し示した。
「このチキンくれよ」
「募金を!?」
「それこそ普通の強盗じゃねえか。チキンだ」
「北京?」
「ダックでもねえよ。しかもちょっと上手いこと言ったみたいな顔するな。チ、キ、ン」
「チカン?」
「痴女か私は。自ら痴漢所望する女とかただのビッチだよ。チキンだっつってんだろ!」
「と金?」
「将棋やってんじゃないんだよ。チキン!」
「チキン、ああお前のことか」
「なにさらりと毒舌吐いちゃってくれてんだよお前。喧嘩売ってんのか、おい」
「そのような商品は取り扱っておりません」
「だろうな。あったら真っ先に買いたいぐらいだわ」
「ちょっと何言ってるかわからないな。マオリ語で話せ」
「どこの言葉!?」
ニヤニヤしながらチキンを用意している正邪に、魔理沙は変な頭痛がしてきて頭を抱えた。
(うわメンドクセェ……)
しかも律儀にお手拭きとレジ袋まで用意しているところがイヤらしかった。そこまで強く注意できない。ちなみにマオリ語とは、ニュージーランドで話されている少数言語である。正邪はもちろん話せないし、聞いたこともないのは、いうまでもないだろう。
(……一回ぐらいは目を瞑っておいてやるよ。もう二度と来ないだろうしな)
帽子の中から財布を取り出そうとして、何か物足りなさを感じる魔理沙。リリーの来ない春のような、魚のいない川のような不足感。少し考えて、食事に必須な、無いと辛いあるものを思い出した。
カウンターの上にあるが、少し離れていた透明な箱に気づき、
「ああ、あとあのお茶くれよ」
追加で注文する。ペットボトルに入った緑茶だ。
幻想郷に数はないが、外来人が持ち込んだものもあって、利便性と共にそれなりに知られている。だが、数十本とあるのは魔理沙も初めて見た。
正邪もつられて見る。
棚の様なところに『あったかい』『HOT』と表記されていて、少し肌寒くなってきたこの季節にぴったりだと思い、魔理沙はそれを買おうとしていた。
「すまんが、少し前に入れたばかりでな、たぶん温まってないぞ」
肩を竦める正邪。
「そうか……。じゃあそれでいいからくれよ」
暖かくなければ死ぬというわけでもないので、妥協した魔理沙だった。とにかく早く帰りたがっている。
正邪が横開きのドアを開けて一本手にとって、機械でバーコードを読み取った。
魔理沙はその光景を一度見たことがある。もちろん香霖堂でだ。しかし、正邪も知っているとなると、どこで使い方を習ったというのだろう。説明書でも読んだのだろうか。
そしてレジ袋に入れようとする。ところが、一回首をかしげて、背後にあった電子レンジなるものに手をかけて、
「なんなら温めようか?」
「破裂するからやめろ!」
「大丈夫大丈夫。修理費はお前持ちだから」
「全然大丈夫じゃない!」
魔理沙も早苗のところで電子レンジは見せてもらったことがあるのだが、彼女が絶対やってはいけないこととしてあげた例の中に、ペットボトルが入っていた。
しかも、魔理沙が憤る理由は他にもあった。
「というか今のところ私は客なんだからしっかり接客しろよ!」
「え、だってお前年下であろう? 私Ω¶∬歳なんだけど」
「オメーの歳なんか知りたくもないしそもそも年齢の話してんじゃねぇよ。お前は店員、私は客。だったら自分をしたに置くのは当然だろ」
「お前のこと客だと思ってないから安心するがいい」
「消し飛ばすぞお前」
憤怒のあまり魔理沙がカウンターに手のひらを叩きつける。ペチンという可愛い音がしただけで、特に何も起こりはしなかったが、絶妙に首をかしげたその表情には、青筋がいくつも浮かんでいた。ヤクザ面だった。
「なあ、正邪。お前私をなめてるのか」
「ナメクジみたいな味がしそうだからちょっと遠慮しておきたい」
「ベタな間違い……って酷っ! 失礼だな!」
「ペプシしそみたいな味だったら喜んでなめるが」
「変態だー! 味覚的にも変態だー!」
うおおおおぉおぉぉぉぉ、と呻き声をあげながら、魔理沙がカウンターに突っ伏す。
会計三百五十円だぞ、早く出せ、と正邪が魔理沙の肩を二度叩いた。
もう魔理沙は腹を立てるという段階を通り越し、むしろ徹底的な教育が必要だと思う始末。顔をあげて上目遣いで、
「おい、お前ってたしかバイトって言ったよな。てことは店長もいるのか?」
と訊く。
正邪は一瞬キョトンとし、まあな、と腰に手を当てた。
(……やっぱりいたのか。正邪を制御できるやつがいるとは思えないけど、……そいつにガツンと言っとかないとな)
「なあ正邪。その店長呼んでこいよ」
正邪がそう易々と人の指図を真に受けるとは思えないが、一言物申しておかないと気を揉みそうでしょうがない。
「……私の接客に何か問題でも?」
「無いと思えるお前の頭に問題があるな」
「HAHAHA! 冗談は胸と身長だけにしておけ」
「死ね」
魔理沙の口から咄嗟に暴言が飛び出した。
大笑いする正邪に八卦炉が突きつけられると、天邪鬼はすぐに口を閉じた。
「いいから、店長を、呼べ」
「アニメ店長?」
「ここの店長をだよ。店が燃えるぞ。そういうボケはいいから」
ここぞとばかりにネタを挟み込んでくる正邪に、冷静に対処する魔理沙。
さすがに遊びすぎたと、正邪がつまらなさそうに指を遊ばせて、レジの奥、調理場や更衣室がある方に顔を向けた。
(……なんか私、本物の強盗みたいだな)
その間、魔理沙が自嘲気味に苦笑する。
「テンチョー、指名入ったぞー」
「キャバクラみたいに言うなよ!」
言い方的に最悪だった。ドヤ顔で振り向く正邪。魔理沙の膝が脱力して崩れ落ちそうになる。
だが、一先ず区切りがつき、無情にも手を突き出して金銭を要求する正邪に、魔理沙は生まれたての小鹿のように体勢を立て直し、代金だけは支払って商品を受け取った。
「あ、魔理沙。店長ここ来るのしばらくかかりそうなんだが」
「……なんか作業でもしてたのか?」
「いや休憩中」
「だったら早く切り上げさせろよ」
「とっくに切り上げてるぞ。頑張って移動してる」
「なんで!? たかが数メートルを頑張るってなんだよ! 嘘をつくな、嘘を!」
「嘘じゃないんだけどなぁ……」
こればっかりは正邪も本気の困り顔だ。魔理沙はそれを見て一度は演技と疑ったが、正邪の心配そうな目付きと、妙に体をそわそわさせている動きに信憑性があり、困惑していた魔理沙の頭がさらに混沌としていってしまう。
(咲夜みたいに空間を弄ってるのか? でも他にそんなことができるやつなんて……距離だけなら小町でもいいけどそれ意外には……)
自分の知らない妖怪の可能性もありえ、警戒する魔理沙。
一方で正邪はさっきとうってかわって退屈そうに貧乏ゆすりをしだした。魔理沙をじっと眺めていた正邪は、言い玩具があると言わんばかりに目を光らせ、身を屈めカウンターに肘をついた。
「暇潰しにさ、何かしたくないか?」
悪いことを企てているように声が黒くなる。
「そんなに長くなるのかよ」
「ああ、あと半日はかかる」
「それもう店長ここにいないだろ!」
「まあそれは嘘にしても、かなりかかる」
「……じゃあ何すんだよ」
魔理沙は店内を見渡し、正邪とあまり関わらずに時間を潰せるものはないかと探す。ガラス越しに雑誌類が並べられていたことを思いだし、興味も沸いたのでそれを読みに行こうとした。しかしその肩が正邪によって掴まれた。
「なんだよ、今から立ち読みしようと思ってたんだが」
「暇潰しのために早速煮え湯を持ってきたぞ!」
「なぜにっ!? ってか速いな!」
正邪が持ってきたのは、サッカーボール大のたらいに並々と汲まれた、沸騰したお湯だった。
カウンターに容赦なく置いて、襟の辺りをまさぐる正邪。
「息止め対決しよう」
「ただの拷問じゃねーか! むしろそれやるなら冷たい水持ってこいよ! 根比べってレベルじゃねーよ!」
「コンクラーベ?」
「駄洒落かよ! なんでローマ法王の選挙の名前が出てくるんだ!」
「なあ、この生卵をこの中入れると何になると思う? とんでもないことが起きそうなんだが」
「茹で玉子になるだけだよ! てかそれ商品だろ!」
「いや、私物」
「なんで持ち歩いてるんだ!」
「……非常食?」
「じゃあせめて茹で玉子持ち歩け!」
「イヤだね。だって私卵嫌いだし」
「じゃあもうお前に言えることはなにもねえよ!」
「ふぅ……なんか疲れたな」
「まったくだ! ったく、早く家に帰って風呂焚きたいぜ……」
「とぐろ巻きたい?!」
「蛇か私は! どんな聞き間違えだ!」
「ありがとう、いい暇潰しになったぞ」
「……なんか全部お前の手のひらで踊ってたような気がしてきた」
してやったり顔の正邪と、何歳か老け込んでしまったような魔理沙。ついに魔理沙が崩れ落ちた。
正邪がたらいを片付けに奥に戻る。魔理沙の前に戻ってきた彼女が、
「お、店長がやっときた。ほら、お客様第一号だ」
「さらっと大事なこと言うなよ……」
魔理沙がなんとか踏ん張って立ち上がる。スカートをてで払って、正邪の隣に店長を探すが、
「……店長いないじゃん」
そんなものどこにも居なかった。ジロリと正邪を睨むが、彼女は動じず、ある所を人差し指で示しているだけだった。
その先はカウンターの上。そんなところに人が登っているというのはにわかに信じられず、しかし魔理沙は指された先を辿っていた。
「どうも、魔理沙さん」
「……おう、どうも」
小人が、あの少名針妙丸が、正邪とお揃いだがミニサイズな制服を着て、逆さになったお椀を持ち上げていた。
片手を離してオイッスとやってくる針妙丸に、魔理沙はつられて右手を挙げた。
「……お前が店長?」
「ええ、もちろん」
キリリと引き締まった表情の針妙丸。
魔理沙は思わず正邪を見て、彼女が頷いたので、もう一度視線を落とした。
肩越しに店内を振り返り、他に誰もいないことを確認する。
なにをやってるのよ、と針妙丸が針の先で魔理沙の手の甲をつつき、呆然とする魔女を振り向かせた。
「ちょっと待て、訊きたいことがある」
「どうぞ、なんなりと」
「お前、針妙丸は、以前異変を起こしたよな?」
「実行犯としてだけどね」
「正邪に唆されてやったんだよな」
「おふこーす」
「……正邪がお前を騙してたってのは」
「存じておりますん」
「どっちだよ」
魔理沙が正邪に目をやると、彼女は下手な口笛を吹いて誤魔化そうとした。息が口から漏れる音しかせず、ある意味で隠そうとしていない正邪の行動に、魔理沙は複雑な心境。
しかしそれ以上に腑に落ちないことがいくつかあった。
「ということはだ。何も知らないお前を利用してその後とんずらこいた吐き気を催す邪悪なやつを雇っているわけなんだな」
「いぐざくとりぃ」
「おい、そんな言い方は酷くないか? 二人とも」
針妙丸にさりげなく邪悪と認定されて、正邪は顔の影を濃くした。
「……なぜに? 怒ってたりしないのか?」
「正邪の方から話が持ちかけられたのよ。神社から通うのは大変だけど、そこはなんとか正邪がカバーしてくれるみたいだし」
「へぇ……」
「……怒ってるかと言われれば、確かに少しは頭に来たけど、焼き土下座されちゃあ許さないわけにもいかないでしょう」
「想像してたのとレベルが違う! だったら納得だけど!」
「焼き土下座を提案したのは私だけどね」
「同じ穴の狢だよ! お前も正邪も似たり寄ったりだよ!」
目玉が飛び出しそうになるぐらい驚愕している魔理沙。
懐かしそうに笑う針妙丸の後ろで、正邪が遠い目をしていた。
「ともかく、正邪が商売しようって言ってきて、内容を聞いてみれば案外まともで緻密だったし、なによりおでこに火傷負った正邪を見てたら、ね」
「土下座したその場で提案聞いたの!? 鬼だな、針妙丸!」
「鬼は私の方だぞ、魔理沙!」
「お前は引っ込んでろよ正邪」
「しゅん……」
正邪が少しだけ元気を取り戻したかと思えば、すぐにうなだれる。
哀れな天邪鬼を無視し、カウンターに手をついて針妙丸に顔を近づける魔理沙。
「もうこの際お前が騙されてたりとか、正邪の企みがどうのこうのなんてどうでもいい」
「あ、私が騙されてる前提なのね……」
「私の言いたいことはただ一つだ」
「こんな店を潰してやると」
「そんな暴虐しねーよ!」
「では店長の座を奪ってやるぞ、と」
「興味すらないぜ! 正邪にちゃんと接客を教えてやれって言いたいの!」
「……正邪の接客に何か問題でも?」
「この店長にしてこのバイトありか! し、種族から云々はあるにしても、もう少し丁寧にやらせろよ。こう、マニュアルとか作ってさ」
「なるほどね、クレーマーの対処法も必要だものね」
「それだけじゃないから。あとそのチョイス微妙に私を攻撃してるよなぁ」
魔理沙は自身の金髪をガシガシと掻いた。そうでもしなければ、行き場のないイライラが溜まる一方だからだ。
「……針妙丸、お前人里は比較的出入りしやすいだろ? そこで色々と学んだらどうだ?」
「うーん……」
人差し指を顎にやり、針妙丸が思考する。
(考え込む余地ないんじゃ……)
と閉口する魔理沙。
「わかったわ、その方向で検討してみましょう」
「……ふぅ、ひと安心だぜ」
不安要素は満載だが、要求が飲まれたことにより魔理沙は安堵した。
「では、今回は正邪が失礼をしたということで、何かお詫びをしたいんだけど」
「お、値引きか? もしくは何かひとつ無料とかか? それぐらいはやってもらい
「正邪の焼き土下座でどうか」
「もう許してやれよ!」
正邪の瞳からとうとう、涙が零れ落ちた。
それはさておき、道の脇には木々が生い茂り、野草も根性を見せていて、いつもと変わらない景観のはずだった。
黒の帽子、白エプロンドレス、スカートの黒、モノクロな格好の少女、霧雨魔理沙も、いたずら好きそうな笑みを浮かべて、道の真ん中を箒にまたがって滑空していた。
目的地はもちろん香霖堂。昔馴染みのある男が経営していて、魔理沙もよく乗り込んでは商品を物色している。今日もそのつもりであった。
別に森を飛び越えてもいいのだが、コレクターである彼女の経験則がそうはさせない。道端にこそ、お宝は眠っているのだ。
風を掻き分けて進み、金髪が軽くたなびく。そんな心地好さに魔理沙が酔いしれているうちに、見慣れない建物が、左前方に見えてきた。
「……なんだ?」
以前は影も形もなかったその建物。魔理沙はその手前でブレーキを掛けた。平屋建てで、こじんまりとした外観は、幻想郷ではあまり見かけないものだ。
箒から降りて、その全体像を訝しげに眺める。
看板のようなものが建物の上にかけられていて、ローマ字のKを丸で囲ったデザインが浮き出ている。しかもありえないことに前面がガラス張りになっていて、中が丸見えだったのだ。
(怪しいな……)
いよいよ怪しくなってきた、と腕を組む魔理沙。
もう一度中を見ると、本のようなものがたくさん置いてあったり、瓶のようなものが山ほどガラスのケースに入れられていたり、ビニールの袋に詰められたものが整然と並んでいる。不気味この上ない。
(異変の前触れなら解決しないとな……いや待てよ?)
八卦炉をポケットから出しかけた魔理沙だが、彼女の友人である東風谷早苗の話が頭を過った。
『コンビニ』というのを早苗は語っていたのだが、目の前の建物はまさにその話そっくり。
(もしかしたら幻想入りしてきたのか……? いやでも早苗の話通りなら現役のはずだし……)
ガラス越しに店内を覗くと、カウンターみたいなところに人影もある。店員かそうでないかは別として無人ではない。
ともかく調査をするために、入り口である扉の白い取っ手を握り、慎重に押して開けた。軽快な音楽が流れる。
その人は幻想郷ではあまり見かけない服装をしていて、胸元に表で見たデザインが刺繍されていた。恐らくは店員だろう。しかも顔立ちやらなんやらを見るに女性だ。
カウンターの向こうに立っていたその女性が魔理沙に気づき、一言。
「うわ、よくも入ってきやがったな!?」
「なんか私恨まれてる?!」
いきなりの喧嘩腰に魔理沙もビックリ。女性はじりじりと後ずさり、唖然とする魔理沙から逃げようとする。
(ん?)
強い既視感があった。魔理沙はその顔に見覚えがある。目をそばめてじっと見つめてみる。
「お、お前、正邪か?」
「だ、だったらなんだというのだ、霧雨魔理沙」
目を見開きながら指を指す魔理沙に、いまだに警戒心を剥き出しにしている女性、鬼人正邪。黒髪の中に赤や白のラインが混じっていて、眉を潜め、いかにも不機嫌そうだ。
彼女は天邪鬼。先の異変の首謀者で、しばらく姿を見かけなかったのだが、こんなところにいるとは誰も想像しないだろう。魔理沙もそうだ。
「……なにしてんだよお前」
「見ての通り、バイトだ」
これが見えんのか、と言わんばかりに制服の裾をつまんで見せびらかす正邪。
(いやそれはわかってんだよ)
と魔理沙は心中で突っ込みを入れる。
「そうじゃなくて、何かを企んでんじゃないかって話だよ」
魔理沙はカウンターに寄りかかり、鋭い眼光を正邪に指す。
「ナ、ナンモタクランデナイゾー」
「嘘つけ!」
正邪が、目を世界チャンピオン並みに泳がせた。
黒という線が濃厚になってきて、魔理沙も八卦炉を握って臨戦態勢に入る。
「いや、本当だ! たまたま空き家になってるここを見つけて、再利用有効活用させてもらおうと思っただけだぞ!」
不穏な空気を察し、正邪が身を庇うように腕を前に出す。
しかし、魔理沙の気は収まらなかった。正邪はまだ知らない。東方の主人公は、誤認を正当化してしまうことを。
マスパが正邪を月まで吹き飛ばすまであとわずかというところで、魔理沙がもう一度店内をさらりと見回した。
外の世界の遺産ということで、結構清潔感漂う内装。元からか正邪が手入れをしたのかは不明だが、目立った汚れもない。
魔理沙も商家の娘だったから商品の陳びに関する知識もあるのだが、彼女からしても上手いと唸らせる陳列。
再び正邪に視線を戻す。
ぎこちなく歯を見せ、小さくピースサインを作っていた。
(……商売をするってのは本気のようだな。なら……いいかな……?)
商法は別にして、一見害もなさそうだ。魔理沙は一旦溜飲を下げた。
「……まあ見逃しといてやるよ」
魔理沙がカウンターから体を離すと、正邪が脱力して溜め息をついた。その上深呼吸をしているところから、緊張で息をする暇もなかったのだろう。
懸念事項は残っているが、とりあえずは保留にしておくことにする。ただ一つ訊きたいことがあった。
「ところで、なんで私が入ってきた時あんな敵愾心剥き出しにしてたんだ?」
「いやだって見かけからして強盗しそうな人が入ってきたから……」
「人を見かけで判断するなよ」
「いやお前はどう見たって強盗にしか見えないが」
「……あー、うん、他人にはそういうことするなよ?」
言い返す言葉が見当たらず、言葉を濁す魔理沙。
さてそろそろ帰ろうとする強盗っぽい魔女だが、なぜか足を止める。
外見よりも少し広く感じる店内と、カウンターのレジの隣に置かれた、オレンジ色の光をケースの中に照らしている機械が目に入る。
(なんかこう……買ってかないと悪いみたいな雰囲気だよなぁ……)
魔理沙がこめかみを指で掻く。
そのケースの中身を確認していた正邪に向き直り、
「その、なんだ。さっきまでは異変を解決しにきたっての? そんな心構えだったんだが……何て言うんだ、英雄として?」
「男ならぁぁあ」
「その英雄じゃねえよ。ともかく、手ぶらで帰るのもなんだから客としてなにか貰ってってやるよ」
「代金は払ってけよ」
「……チッ」
正邪に釘を刺され、魔理沙は舌を打った。いわゆる賄賂代わりにと期待していたのに、と魔理沙は落胆する。
「ゴホン」
仕切り直すように正邪が咳払いをした。
「いらっしゃいませー」
正邪渾身の営業スマイル。ただ、その裏側に隠された本性と出逢ったときとのギャップに魔理沙は鳥肌がたつのを禁じえない。
「……疲れたから笑顔やめていいか?」
「早いな」
しかしすぐに素に戻ってしまった。
とっとと済ませてこの場を去った方が身のためと、魔理沙は手近にある商品を物色する。
(意外と普通のメニューなんだな)
妖怪がやっている店、しかも天邪鬼という人に嫌がらせをして悦に浸る変態の店だから、どんな色物が揃っているのかと不安になったが、見た限りでは不審な点は見当たらない。皆、普段から馴染みがあったり、香霖堂で見たことのあるものばかりだ。……見た目ではという補足がつくが。中にハバネロやわさびが入っていたら、魔理沙は恐らく容赦しないだろう。
レジの脇においてある小袋に入ったチョコやガム。カゴに入って投げ売りされている数々。湯気の立つ熱々のおでん。さっきから魔理沙の目を引くケースに入った、チキンやポテト、ソーセージを見て、一番上の段の、狐色をした美味しそうなチキンを指し示した。
「このチキンくれよ」
「募金を!?」
「それこそ普通の強盗じゃねえか。チキンだ」
「北京?」
「ダックでもねえよ。しかもちょっと上手いこと言ったみたいな顔するな。チ、キ、ン」
「チカン?」
「痴女か私は。自ら痴漢所望する女とかただのビッチだよ。チキンだっつってんだろ!」
「と金?」
「将棋やってんじゃないんだよ。チキン!」
「チキン、ああお前のことか」
「なにさらりと毒舌吐いちゃってくれてんだよお前。喧嘩売ってんのか、おい」
「そのような商品は取り扱っておりません」
「だろうな。あったら真っ先に買いたいぐらいだわ」
「ちょっと何言ってるかわからないな。マオリ語で話せ」
「どこの言葉!?」
ニヤニヤしながらチキンを用意している正邪に、魔理沙は変な頭痛がしてきて頭を抱えた。
(うわメンドクセェ……)
しかも律儀にお手拭きとレジ袋まで用意しているところがイヤらしかった。そこまで強く注意できない。ちなみにマオリ語とは、ニュージーランドで話されている少数言語である。正邪はもちろん話せないし、聞いたこともないのは、いうまでもないだろう。
(……一回ぐらいは目を瞑っておいてやるよ。もう二度と来ないだろうしな)
帽子の中から財布を取り出そうとして、何か物足りなさを感じる魔理沙。リリーの来ない春のような、魚のいない川のような不足感。少し考えて、食事に必須な、無いと辛いあるものを思い出した。
カウンターの上にあるが、少し離れていた透明な箱に気づき、
「ああ、あとあのお茶くれよ」
追加で注文する。ペットボトルに入った緑茶だ。
幻想郷に数はないが、外来人が持ち込んだものもあって、利便性と共にそれなりに知られている。だが、数十本とあるのは魔理沙も初めて見た。
正邪もつられて見る。
棚の様なところに『あったかい』『HOT』と表記されていて、少し肌寒くなってきたこの季節にぴったりだと思い、魔理沙はそれを買おうとしていた。
「すまんが、少し前に入れたばかりでな、たぶん温まってないぞ」
肩を竦める正邪。
「そうか……。じゃあそれでいいからくれよ」
暖かくなければ死ぬというわけでもないので、妥協した魔理沙だった。とにかく早く帰りたがっている。
正邪が横開きのドアを開けて一本手にとって、機械でバーコードを読み取った。
魔理沙はその光景を一度見たことがある。もちろん香霖堂でだ。しかし、正邪も知っているとなると、どこで使い方を習ったというのだろう。説明書でも読んだのだろうか。
そしてレジ袋に入れようとする。ところが、一回首をかしげて、背後にあった電子レンジなるものに手をかけて、
「なんなら温めようか?」
「破裂するからやめろ!」
「大丈夫大丈夫。修理費はお前持ちだから」
「全然大丈夫じゃない!」
魔理沙も早苗のところで電子レンジは見せてもらったことがあるのだが、彼女が絶対やってはいけないこととしてあげた例の中に、ペットボトルが入っていた。
しかも、魔理沙が憤る理由は他にもあった。
「というか今のところ私は客なんだからしっかり接客しろよ!」
「え、だってお前年下であろう? 私Ω¶∬歳なんだけど」
「オメーの歳なんか知りたくもないしそもそも年齢の話してんじゃねぇよ。お前は店員、私は客。だったら自分をしたに置くのは当然だろ」
「お前のこと客だと思ってないから安心するがいい」
「消し飛ばすぞお前」
憤怒のあまり魔理沙がカウンターに手のひらを叩きつける。ペチンという可愛い音がしただけで、特に何も起こりはしなかったが、絶妙に首をかしげたその表情には、青筋がいくつも浮かんでいた。ヤクザ面だった。
「なあ、正邪。お前私をなめてるのか」
「ナメクジみたいな味がしそうだからちょっと遠慮しておきたい」
「ベタな間違い……って酷っ! 失礼だな!」
「ペプシしそみたいな味だったら喜んでなめるが」
「変態だー! 味覚的にも変態だー!」
うおおおおぉおぉぉぉぉ、と呻き声をあげながら、魔理沙がカウンターに突っ伏す。
会計三百五十円だぞ、早く出せ、と正邪が魔理沙の肩を二度叩いた。
もう魔理沙は腹を立てるという段階を通り越し、むしろ徹底的な教育が必要だと思う始末。顔をあげて上目遣いで、
「おい、お前ってたしかバイトって言ったよな。てことは店長もいるのか?」
と訊く。
正邪は一瞬キョトンとし、まあな、と腰に手を当てた。
(……やっぱりいたのか。正邪を制御できるやつがいるとは思えないけど、……そいつにガツンと言っとかないとな)
「なあ正邪。その店長呼んでこいよ」
正邪がそう易々と人の指図を真に受けるとは思えないが、一言物申しておかないと気を揉みそうでしょうがない。
「……私の接客に何か問題でも?」
「無いと思えるお前の頭に問題があるな」
「HAHAHA! 冗談は胸と身長だけにしておけ」
「死ね」
魔理沙の口から咄嗟に暴言が飛び出した。
大笑いする正邪に八卦炉が突きつけられると、天邪鬼はすぐに口を閉じた。
「いいから、店長を、呼べ」
「アニメ店長?」
「ここの店長をだよ。店が燃えるぞ。そういうボケはいいから」
ここぞとばかりにネタを挟み込んでくる正邪に、冷静に対処する魔理沙。
さすがに遊びすぎたと、正邪がつまらなさそうに指を遊ばせて、レジの奥、調理場や更衣室がある方に顔を向けた。
(……なんか私、本物の強盗みたいだな)
その間、魔理沙が自嘲気味に苦笑する。
「テンチョー、指名入ったぞー」
「キャバクラみたいに言うなよ!」
言い方的に最悪だった。ドヤ顔で振り向く正邪。魔理沙の膝が脱力して崩れ落ちそうになる。
だが、一先ず区切りがつき、無情にも手を突き出して金銭を要求する正邪に、魔理沙は生まれたての小鹿のように体勢を立て直し、代金だけは支払って商品を受け取った。
「あ、魔理沙。店長ここ来るのしばらくかかりそうなんだが」
「……なんか作業でもしてたのか?」
「いや休憩中」
「だったら早く切り上げさせろよ」
「とっくに切り上げてるぞ。頑張って移動してる」
「なんで!? たかが数メートルを頑張るってなんだよ! 嘘をつくな、嘘を!」
「嘘じゃないんだけどなぁ……」
こればっかりは正邪も本気の困り顔だ。魔理沙はそれを見て一度は演技と疑ったが、正邪の心配そうな目付きと、妙に体をそわそわさせている動きに信憑性があり、困惑していた魔理沙の頭がさらに混沌としていってしまう。
(咲夜みたいに空間を弄ってるのか? でも他にそんなことができるやつなんて……距離だけなら小町でもいいけどそれ意外には……)
自分の知らない妖怪の可能性もありえ、警戒する魔理沙。
一方で正邪はさっきとうってかわって退屈そうに貧乏ゆすりをしだした。魔理沙をじっと眺めていた正邪は、言い玩具があると言わんばかりに目を光らせ、身を屈めカウンターに肘をついた。
「暇潰しにさ、何かしたくないか?」
悪いことを企てているように声が黒くなる。
「そんなに長くなるのかよ」
「ああ、あと半日はかかる」
「それもう店長ここにいないだろ!」
「まあそれは嘘にしても、かなりかかる」
「……じゃあ何すんだよ」
魔理沙は店内を見渡し、正邪とあまり関わらずに時間を潰せるものはないかと探す。ガラス越しに雑誌類が並べられていたことを思いだし、興味も沸いたのでそれを読みに行こうとした。しかしその肩が正邪によって掴まれた。
「なんだよ、今から立ち読みしようと思ってたんだが」
「暇潰しのために早速煮え湯を持ってきたぞ!」
「なぜにっ!? ってか速いな!」
正邪が持ってきたのは、サッカーボール大のたらいに並々と汲まれた、沸騰したお湯だった。
カウンターに容赦なく置いて、襟の辺りをまさぐる正邪。
「息止め対決しよう」
「ただの拷問じゃねーか! むしろそれやるなら冷たい水持ってこいよ! 根比べってレベルじゃねーよ!」
「コンクラーベ?」
「駄洒落かよ! なんでローマ法王の選挙の名前が出てくるんだ!」
「なあ、この生卵をこの中入れると何になると思う? とんでもないことが起きそうなんだが」
「茹で玉子になるだけだよ! てかそれ商品だろ!」
「いや、私物」
「なんで持ち歩いてるんだ!」
「……非常食?」
「じゃあせめて茹で玉子持ち歩け!」
「イヤだね。だって私卵嫌いだし」
「じゃあもうお前に言えることはなにもねえよ!」
「ふぅ……なんか疲れたな」
「まったくだ! ったく、早く家に帰って風呂焚きたいぜ……」
「とぐろ巻きたい?!」
「蛇か私は! どんな聞き間違えだ!」
「ありがとう、いい暇潰しになったぞ」
「……なんか全部お前の手のひらで踊ってたような気がしてきた」
してやったり顔の正邪と、何歳か老け込んでしまったような魔理沙。ついに魔理沙が崩れ落ちた。
正邪がたらいを片付けに奥に戻る。魔理沙の前に戻ってきた彼女が、
「お、店長がやっときた。ほら、お客様第一号だ」
「さらっと大事なこと言うなよ……」
魔理沙がなんとか踏ん張って立ち上がる。スカートをてで払って、正邪の隣に店長を探すが、
「……店長いないじゃん」
そんなものどこにも居なかった。ジロリと正邪を睨むが、彼女は動じず、ある所を人差し指で示しているだけだった。
その先はカウンターの上。そんなところに人が登っているというのはにわかに信じられず、しかし魔理沙は指された先を辿っていた。
「どうも、魔理沙さん」
「……おう、どうも」
小人が、あの少名針妙丸が、正邪とお揃いだがミニサイズな制服を着て、逆さになったお椀を持ち上げていた。
片手を離してオイッスとやってくる針妙丸に、魔理沙はつられて右手を挙げた。
「……お前が店長?」
「ええ、もちろん」
キリリと引き締まった表情の針妙丸。
魔理沙は思わず正邪を見て、彼女が頷いたので、もう一度視線を落とした。
肩越しに店内を振り返り、他に誰もいないことを確認する。
なにをやってるのよ、と針妙丸が針の先で魔理沙の手の甲をつつき、呆然とする魔女を振り向かせた。
「ちょっと待て、訊きたいことがある」
「どうぞ、なんなりと」
「お前、針妙丸は、以前異変を起こしたよな?」
「実行犯としてだけどね」
「正邪に唆されてやったんだよな」
「おふこーす」
「……正邪がお前を騙してたってのは」
「存じておりますん」
「どっちだよ」
魔理沙が正邪に目をやると、彼女は下手な口笛を吹いて誤魔化そうとした。息が口から漏れる音しかせず、ある意味で隠そうとしていない正邪の行動に、魔理沙は複雑な心境。
しかしそれ以上に腑に落ちないことがいくつかあった。
「ということはだ。何も知らないお前を利用してその後とんずらこいた吐き気を催す邪悪なやつを雇っているわけなんだな」
「いぐざくとりぃ」
「おい、そんな言い方は酷くないか? 二人とも」
針妙丸にさりげなく邪悪と認定されて、正邪は顔の影を濃くした。
「……なぜに? 怒ってたりしないのか?」
「正邪の方から話が持ちかけられたのよ。神社から通うのは大変だけど、そこはなんとか正邪がカバーしてくれるみたいだし」
「へぇ……」
「……怒ってるかと言われれば、確かに少しは頭に来たけど、焼き土下座されちゃあ許さないわけにもいかないでしょう」
「想像してたのとレベルが違う! だったら納得だけど!」
「焼き土下座を提案したのは私だけどね」
「同じ穴の狢だよ! お前も正邪も似たり寄ったりだよ!」
目玉が飛び出しそうになるぐらい驚愕している魔理沙。
懐かしそうに笑う針妙丸の後ろで、正邪が遠い目をしていた。
「ともかく、正邪が商売しようって言ってきて、内容を聞いてみれば案外まともで緻密だったし、なによりおでこに火傷負った正邪を見てたら、ね」
「土下座したその場で提案聞いたの!? 鬼だな、針妙丸!」
「鬼は私の方だぞ、魔理沙!」
「お前は引っ込んでろよ正邪」
「しゅん……」
正邪が少しだけ元気を取り戻したかと思えば、すぐにうなだれる。
哀れな天邪鬼を無視し、カウンターに手をついて針妙丸に顔を近づける魔理沙。
「もうこの際お前が騙されてたりとか、正邪の企みがどうのこうのなんてどうでもいい」
「あ、私が騙されてる前提なのね……」
「私の言いたいことはただ一つだ」
「こんな店を潰してやると」
「そんな暴虐しねーよ!」
「では店長の座を奪ってやるぞ、と」
「興味すらないぜ! 正邪にちゃんと接客を教えてやれって言いたいの!」
「……正邪の接客に何か問題でも?」
「この店長にしてこのバイトありか! し、種族から云々はあるにしても、もう少し丁寧にやらせろよ。こう、マニュアルとか作ってさ」
「なるほどね、クレーマーの対処法も必要だものね」
「それだけじゃないから。あとそのチョイス微妙に私を攻撃してるよなぁ」
魔理沙は自身の金髪をガシガシと掻いた。そうでもしなければ、行き場のないイライラが溜まる一方だからだ。
「……針妙丸、お前人里は比較的出入りしやすいだろ? そこで色々と学んだらどうだ?」
「うーん……」
人差し指を顎にやり、針妙丸が思考する。
(考え込む余地ないんじゃ……)
と閉口する魔理沙。
「わかったわ、その方向で検討してみましょう」
「……ふぅ、ひと安心だぜ」
不安要素は満載だが、要求が飲まれたことにより魔理沙は安堵した。
「では、今回は正邪が失礼をしたということで、何かお詫びをしたいんだけど」
「お、値引きか? もしくは何かひとつ無料とかか? それぐらいはやってもらい
「正邪の焼き土下座でどうか」
「もう許してやれよ!」
正邪の瞳からとうとう、涙が零れ落ちた。
そして正邪が不憫すぎるw
サークルKもついに幻想入りか
針妙丸も恐ろしいことをするなあ。怖い怖い。
つーかバイト店員に霊夢って...そんなにアレなのか。
とても面白かったです。
てか、商品の入荷はどこから?
まさか紫が...
まあ接客態度がいくら悪かろうがみんな許せてしまうけどね!
鬼はどっちなんだ