Coolier - 新生・東方創想話

恋色魔法使いと終わる幻想、繋ぐ夢

2013/11/07 17:29:20
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 誰かのすすり泣く声に意識が浮上する。
 後ろ頭や背や足に冷たい土の感触。じんわりと通う血の熱さに、ゆっくりと目を開ける。
 ……暗い。
 いや、星が……見える。
 手をついて上体を起こす。土、ついてないよな。
 後ろ髪を手で梳きながら、傍らに置いてあった帽子を拾い上げて土を払う。
 む……ほわぁ……。はぁ。

「……どこだ、ここ」

 ぽつりと呟いた声に、すすり泣くような声が消えて、代わりに、小さな気配。
 ……ここ、どこだ。
 草の生えていない地面がずっと続いていて……遠くは暗いし、空には分厚い黒雲が広がっている。
 ……ん? なんで雲がかかってるのに星が見えるんだ?
 しばらく空を見上げていて、首が疲れるのに、かっくり頭を落とす。
 ふわあとあくびが出るのに口元を隠して、それから、目元の涙をぬぐった。
 ん……ちょっと寒いな。

「や、てゆうか」

 私、なんでこんな所にいるんだ? 宴会の真っ最中、大盛り上がりの中で霊夢と飲み比べをしてたとこまでは思い出せるんだが……その後が……?
 ひょっとして、これは夢か。

「えらくリアルな夢だな。……覚醒夢ってやつか?」

 確認するように声を出しながら、立ち上がってスカートを払う。
 遠くまで見通せるのに、見えるのは地平線ばかり。どんな夢だ、これ。

「……お」

 ぐるりと辺りを見回すと、先程から感じていた気配の主を発見した。
 布帽子に、長い金髪。紫色のドレス。細い体……そこにうずくまっているのは、子供、か。
 うつむいている上に両手で目元を押さえているせいで顔は確認できない。
 できないが、こいつは……?

「あー、そこのお嬢さん。ちょっと聞きたいことがあるんだが……」

 とりあえず歩み寄りながら声をかけてみる。
 私の声にぴくりと反応して顔を上げた少女は、いくぶん幼くはあるが、見覚えのある奴だった。

「お前……紫か?」
「きりさめ……まりさ」

 幽霊でも見るような顔で私の名前を呟くのに、両腰に手を当てて「いかにも」と頷いてやる。
 なんでこいつ小さくなってるんだろ。聞けばわかるか。

「まりさ……!」
「おっ!?」

 ぺたっ! とこちらに倒れ込むように手をついてくる紫にびっくりして一歩引く。
 な、なんだよ……泣いてんのか?
 私の名前をうわ言のように繰り返しながらぺたぺたと這い寄って来たちび紫が、私の足に縋りついてくる。
 なんだ、なんだっていうんだ? おい、顔をすりつけるな……あー! せっかくのおにゅーの服が……鼻水でべたべただぜ……。

「だー! 離れろ! 言いたいことがあるならちゃんと言え!」

おねがい、おねがいとすすり泣くちび紫をひっぺがして目の前に座らせる。なんだこの、そこら辺にいる子供みたいな紫は。
 片膝をついて目線を合わせ、涙と鼻水でぐしゃぐしゃな顔を袖でぬぐってやる。
 ……本当に紫か? それともそっくりさんか? とにかく落ち着かせないと……。
 あーもう! 泣く子を黙らせるのは不得意だぜ。どうやってあやせばいいんだ? いないいないばあでもすればいいのかな。
 ぐしっ、と顔をぬぐった紫が、縋るような……というか、実際私の両肩を掴んで縋りついてきながら、おねがい! と言った。

「お願いよ……終わらせないで……。止めて……」
「あー? 意味がわからんぜ……」

 ただお願いとか止めてとか繰り返して涙を流す紫もどきの目元を、魔法で取り出したハンカチでぬぐう。
 どういう意味だ? 何を止めろって?
 意味がわからないままにこの少女をあやしていると、ふっと地面に大量の影が流れた。

「……ほー」

 空に、たくさんの星が流れている。世界中照らしてしまえそうなくらい、青白い光を放って遠く地平線に消えていく。すごい……。

「……やめてっ! 止めてまりさ! お願い! やめてぇーっ!!」

 うわっ! び、びっくりした……!
 急に騒ぎ出した紫もどきが、私のスカートをばたばたはためかすのに首を傾げる。
 止めろって、まさかお前、あの流れ星を止めろってんじゃないだろうな?

「……流石の魔理沙さんにも、それは無理なお話だぜ」

 あー、流れ星が終わってしまった。
 ……ん? これって、星を止めたことにならないか?

「やんだよ、流れ星」

 そう思って、ぐずつく紫っぽいの――ああもう、紫でいいや――に言うと、小さく首を振られる。違う?

「ちがう……ちがうのよ……。止めて……お願い……」

 うーん、止めてと言われてもなあ。何を止めろというんだ?

「なあ、ゆか、りっ!?」

 それを問おうとして、その後ろ、上空から飛来した光の玉に、咄嗟に紫を抱いて前へ跳ぶ。
 ちょうど私たちがいた場所に着弾した光球が爆発するのに、地面をごろごろ転がってなんとかやり過ごす。
 今度はなんだ?
 巻き上がる土埃を仰向けの体勢で見上げる。胸の中に抱えている紫がぐずぐず言うのが妙にくすぐったい。
 ……ほれ、どいてくれ。

「……止めて、まりさ」

 意外と聞き分け良く私の上から降りた紫は、風に流されていく土埃を見つめてそう言った。
 だから何を……ああ、なるほど。

「ったく、不意打ちはルール違反だぜ」

 常識的にも少女的にもな。
 人影がゆっくり下りてくるのに、立ち上がって土埃を払い、ついでに別の服に変えておく。一見同じに見えるけど、エプロンの端に緑色の星が刺繍されているのがポイントだ。鼻水が付いている服よりは格好がつくだろう。

「ああ。やることは黒いが、色は灰色か」

 降り立ったのは、おそらく少女の姿をした妖怪……だと思う。
 なにぶん色が薄いというか、灰色に染まっているというか……。
 色の無い妖怪、というのがしっくりくる。
 片手にバトンの様な棒を持ったそいつは、私を見て目を細め、まぶしい……と呟いた。
 眩しいって、私がか。
 そりゃ……まあ。

「ふん。不意打ちしたってことは、やる気なんだろ? 受けて立つぜ」

 帽子のつばをぴんとはね上げて、そのままびしっと指をつきつける。ふっ……決まった。
 さあ、まずは小手調べっと。
 一歩引く妖怪に向けて腕を振って五つ、光の玉を作り出して撃ち出す。
 まずは空へご招待……って、あれ?
 へげ! と変な声を出して光弾に吹き飛ばされた妖怪が地面を転がり、動かなくなった。
 おいおい……おいおいおい。ちょっと。……弱すぎないか?

「おーい、大丈夫か?」

 声をかけながらゆっくりと歩み寄っていく。ひょっとして、誘い?
 近付いたら、がばっと! ……なんて。
 そんな警戒をしつつ近くまで寄ってみたわけだけど、飛び起きる気配はおろか、起き上がる気配さえなかった。

「……ぁ」

 虚空を見つめていた瞳に、色鮮やかな私の顔が映り込む。
 膝をついて妖怪の顔を覗き込むと、今にも事切れそうな弱々しさで腕を上げてきたので、その手を取る。

「冷たっ!? ……く、ない?」

 ……いや、温度を感じない。私の手の温かさしかない。なんだこれ。

「人間に退治されて消えられるなんて……幸せなのかなぁ……」

 ぎゅ、と手を握ったかと思えば、ザワリと耳につく嫌な音をたてて、その頬に小さな黒点が滲み出る。
 それが円状に広がると、中心が白んで、穴が開く。
 体のあちこちに広がる呪いの様な現象に呆けている内に、白と黒に分解されるみたいに虫食いだらけになった妖怪は、最後には空気に溶けて消えてしまった。
 ……なに、これ。

 「おい……おい、紫! これ、これなんだ!?」

 手の中に残る名も知らない妖怪の感触に、何も残っていない手を見つめながら紫の名を呼ぶ。
 返ってきたのは、ただすすり泣く声だけだった。
 ……なんだこれ。こんな消え方……死に方、妖精でも見たことない。
 この妖怪特有の消え方? そもそもこいつはなんの妖怪だったんだ……?

「まりさ……止めて。終わらせないであげて……」

 後ろから聞こえてくる幼い声に、心を落ち着かせるために深呼吸をしてから、手を握りしめて立ちあがる。
 なんだかよくわからんが、大体わかった。

「止めろっていうなら……止めてやるよ。流れ星でもなんでもな」

 この状況は正直よくわからないけど、子供の涙くらいは止めてみせる。
 それぐらいできなきゃ、魔法使いなんてやってらんないもんな。

「……お願い」
「ああ、お願いされた」

 すんすんと鼻をすする音に、空の向こうを仰ぎ見る。
 さて、どっちに行こう。
 どこを見ても地平線だ、どこへ向かっても同じな気がする。
 ちび紫に歩み寄って、頭を撫でてやりながら考えていると、おもむろに腕を上げた紫が、右を指さした。私から見て左。
 ……そっちへ行けって?

「……わかったよ」

 ぺちんと指を弾いて愛用の箒を取り出し、浮き出す柄に腰掛ける。
 私を見上げる紫に「お前も行くか」と問うと、ふるっと一度だけ首を振って、止めて、と消え入るような声。そんな目で見なくても止めるってば。
 ……しかし、何を止めればいいんだろ。

「この世界を、終わらせないで……」

 濁音混じりの声に、そりゃスケールの大きいこってと肩をすくめて見せた。

「じゃあ、行くとするかね。世界を救う旅に」

 ……自分で言ってて恥ずかしいな、これ。
 暗い空へ飛び上がり、相変わらず終わりの見えない大地と黒雲にちょっと感動してから、紫の指さした方へ飛んでいく。
 三百六十度景色がおんなじで、迷ってしまいそうだ。
 そのため、あまりスピードを出さずにゆるゆる飛んでいると……唐突に景色が変わった。
 三百六十度全部が一瞬で別物に。びっくりして箒から落ちそうになって、慌てて柄にしがみつく。あぶなー……。
 前にも体験したことがあるような現象に、空から辺りを見回す。……前方に、門と人影。

「……また色無し妖怪か」

 ぐっと柄を握って、門の前に立つ妖怪少女を観察する。丸い帽子に大きな鎌。……死神か?
 門の向こうには荒野しか広がってないのに、何を守ってるんだろう。そもそもその門も、左右にある程度伸びたところで途切れている。聞けば早いか。
 ……また消えたりしないよな。

「おーい、そこのあん、とわっ!?」

 びゅん! と耳の横を通り過ぎていった物体Xに思い切り体をそらして、すぐ空へ舞い上がる。なんだか知らんが、やっこさん、やる気満々のようだ。しっかり箒に跨っておいた方がよさそうだな。

「不意打ちするのがここでのルールなのか?」

 帽子を押さえながら下へと言葉を投げつける。
 返答代わりに、ベキベキと大地から何かが剥がれて宙に浮く。妖怪少女が鎌を振ると、それらが一斉に撃ち出されてきた。数は……八、九……たくさん!

「よっ、ほっ。はっは、コントロールがなっちゃいないぜ」

 くんっと箒の柄を持ち上げて左右に体を運ぶ。
 これは、石畳か何かか。速度はまあまあだが……一直線じゃ私は落とせない。そういうのは嫌いじゃないがな。

「ん?」

 私を見上げる妖怪が、振った鎌を勢いよく引き戻すのに嫌な予感がして後ろを見る。飛んでいった四角い物体たちが戻ってきている。ちっ、誘導型か!
 くるくる回転しながら飛来する石片たちを再び身をひねってかわし、びっと伸ばした指先から光線を放ち、横に腕を振って全てを破壊する。
 そのついでに光弾をばら撒いてみると、妖怪は鎌を振っていくつか纏めて弾き、残りはその場で空中回転してかわした。さっきの奴よりは……手ごたえがありそうだ。
 べきべきと大地から剥がされる石たちに、こちらも体の周りに弾を浮かべる。
 射出されたそれら全てを光弾で相殺してやると、妖怪は動きを止めて、じっと私を見つめ始めた。

 ……なんだ? 何を窺っている?
 数秒か、数十秒か。痺れを切らしたようにふわりと浮いた妖怪が、鎌を振りかぶって突進してきた。
 直接攻撃とか!

「くっ! わっ!」

 そらした体の上をぶぅんと通る色の無い刃に帽子が持っていかれそうになるのを押さえ、迫る第二撃を箒を繰って距離をとることで避ける。
 危ないな、こいつめ。

「……お」

 ……お?
 巻き髪な妖怪の漏らした声に、先を促そうと声をかけようとして、後ろから迫る物体に咄嗟に身を伏せる。
 通り過ぎて妖怪のそばに浮かぶのは……また石畳か、しつこいな!
 こーなったら、見せてやるぜ。
 帽子の中からびっとカードを取り出して、二指の間に挟んで絵柄がよく見えるようにつきつける。
 スペルカード!

「魔符「ミルキーウェイ」、その目に焼き付けな!」

 ぱっとカードが光って消えるのに合わせて、体の中から引き出した魔力を大気に満ちる星の欠片に乗せて放つ。

「――っ!?」

 ぽぽぽぽー、と間抜けな音と共に周囲にばら撒かれる色とりどりの星たちを素早く見回した妖怪が、鎌を胸元に引き寄せながら距離をとる。
 楽しむどころじゃないみたいだな。必死になって弾幕を避けている。

「うーん……?」

 にしても、なんだろ。この弾幕の少なさは。
 こんなに大気に星が満ちてるから、さぞたくさんの星が飛び出すかと思っていたんだけど……。おかしいな。

「ハッ! ――あ?」

 振り回した鎌で星を砕いた妖怪が、唐突に動きを止め、空を見上げた。
 途端、私の弾幕がひとつ残らず消えるのにぎょっとして……気を取り戻す前に、空の中を大量の星が流れ始めた。

「――そ、な……ゆ」

 つられて空を見上げていたけど、聞こえてきた掠れ気味の声に顔を戻す。
 妖怪は、手から鎌をこぼして呆然と空を見上げていた。

「!」

 ザワリと嫌な音がして、妖怪の顔に白黒が走る。
 それが左目をのみ込んで穴を開けるみたいに広がると、体のあちこちにも白黒が現れて妖怪をのみ込んでいく。
 またか!
 箒の柄を両手で握って、急いで妖怪へと近付いていく。
 距離は近いのに、消えていく方が速い!

「……ゆ、か……さま」

 消え行く声に、伸ばした手は空を切った。
 ぐるんと横回転して勢いを殺し、くそ、と太股ふとももを打つ。ちくしょう、一体何だっていうんだ!

「……途中だったんだぞ」

 分厚い雲の合間に消えていく最後の星にそう呟いて、帽子を深くかぶる。
 ……どうすればいいんだ。世界の終わりを止めるって……たぶん、あの妖怪達の消失も関係があって、それも止めろって事なんだろうけど……、っと!?

 考え込んでいると、周囲がぐにゃぐにゃと歪み始めた。
 眼下の門が白黒に飲まれて消えていくのに、背がひやっとする。
 じょ、冗談じゃない! 私も消えるのか!?

「くっ!」

 体の向きを反転させて、すぐさま飛び出す。ここから脱出しないと!
 歪んでいた景色が黒く塗り潰され、何も無い闇が広がり、後ろから迫ってくる。
 だけど!
 だけど、私の進む先はまだ消えちゃいない。間に合え……!

 前方以外が完全に真っ暗闇になった瞬間、ぱっと景色が変わった。
 上空に流れる地面に上と下が反対になっていると気付いて、慌ててくりんと半転する。
 ほー……。胸が破裂するかと思った。
 どきどきいってる胸に手を当てて、深く息を吐く。

「……で、ここはどこ……って、神社?」

 広がる森の向こうに、石の階段。
 その先には、鳥居と見覚えのある建物。
 すいっと降り立って、やけに灰色がかった鳥居を撫でる。
 うん、温度がある。

「神社の裏……か」

 目の前にある神社の背に、ひょっとして霊夢が居たりするのだろうか、と考える。
 そうだとしたらうんと心強いが……。
 や、心を強く持とう。私一人だって何とかするんだ。

「……笑い声?」

 きゃはは、あはは、と……二つ。聞き覚えのあるような、無いような声。
 それから、何かが弾む音。
 なんだろ……この世界に来て、初めて楽しげな声を聞いた。
 箒を担いで、建物を回り込んでいく。神社の正面。宴会なんかが行われる場所に、人影が二つ。

「あはは、あはは……はれ?」
「おきゃく?」

 薄く色のついている少女……小さなボールを持った紫っぽい髪の霊夢と……私? 石畳に足を投げ出して座る私っぽいの。
 帽子のつばをくいっと上げて私を見る、興味深そうな目。それは霊夢っぽいのも同じだ。

「ひゃー、眩しいわー」
「こんな所にお客さんなんて、なんて珍しいんでしょー」

 大袈裟に両目をおおって眩しがって見せる私モドキに、ぱっとボールを取り落として大袈裟に驚いて見せる霊夢モドキ。
 一体、何がどうなってるんだ……。
 てんてんと私の方に転がってきたボールを拾い上げて二人の下へ持っていく。
 聞きたい事がいっぱいある。だけど、うまく言葉にできない。

「なあ……ここで何してるんだ?」

 ボールを差し出しながら、どうでもいい質問が口から出てくる。
 聞きたいのはそんな事じゃないのに。

「何って、ボール遊び」
「エキサイティングなゲームなのよ。さあれいむ、もう一回!」
「あっ! まりさったら、もう!」

 私からボールを受け取った霊夢が――やはり、霊夢らしい――きょとんとして答えるのに続いて、その手からボールを掠め取った魔理沙――で、あってるらしい。複雑だ……――が言う。
 さっと距離をとって、両手で押し上げるようにボールを投げると同じ動作でボールを打ち返す霊夢をしばらくの間茫然ぼうぜんとして見ていた。

「あなたも混ざりたいの?」

 ボールを胸に抱いた……金髪少女の声にはっと我に返る。
 この私、シンプルな格好してるなぁ……なんて考えてる場合じゃない!

「あ、そうだ。お酒飲みましょ? 仲良くなるには、それが一番だね!」
「うんー……ま、私達にはもう必要ないし、それにいっぱい余ってるもんね、そうしましょ!」
「え、わ、ちょっと……!」

 私よりちょっとばかり背の高い霊夢に背を押されて、奉納箱近くの木製の階段に座らせられる。
 必要ないって、どういう意味だ……?

 二人の話を聞いて、本当に霊夢と私なのか確認するか、この世界の事や、妖怪が消えるあの現象の事を聞くか悩むうちに、ぴんと指を鳴らした金髪少女が取り出したコップを渡されて、いつの間にか霊夢が持っていた酒瓶から半透明の液体が注がれる。
 ちょっと、私まだ飲むって言ってない……。

「ささ、ぐぐっと、眩しい人!」
「眩しい人の、ちょっといいとこ見てみたいー!」

 はい、はい、とパチパチ手を叩いて煽る二人に、眩しい人って私の事か、と聞いてみる。
 そりゃあ私は輝かしいが、そんな眩しがるものか?
 最初に会った灰色妖怪も眩しがっていたが……この世界の色の薄さが関係しているのか?

「そりゃあ、ね」

 両手でコップを挟んで膝元に置く私の腕に手を添えて、顔を覗き込んできながら霊夢が言う。
 さらりと流れた髪がコップに入りそうになるのにコップを退かすと、ん? と小首を傾げられた。
 なんかデジャヴ……あ、昨日? の霊夢だ。
 そういえば、霊夢と飲み比べする事になったのは、この場所だ。
 どういう流れでそうなったか覚えてないが……顔を覗き込まれたのと、コップを退かしたのは覚えてる。
 金髪少女がぱっと私の手からコップを取って、代わりに顔を覗き込んでくる。
 左右からの二人の視線に、なんとなく居心地が悪くなって、目を逸らす。

「そんなにキラキラ活力のある力を持っていては、この世界の者にとって眩しくてたまらないのよ」
「それは、どういう……」
「ま、こんな世界だからねぇ」

 くい、と腕を引かれて、霊夢の方へ顔を向ける。
 彼女は曇りの無い笑顔で、この世界は終わりが近いの、と言った。
 境内の方にふいと顔を向けて、

「どうしてかね、終わりがきたの。親切な妖怪が境目さかいめを作って外と切り離してくれたけど、結局終わりがくる」

 陰の無い笑み。どうしてかそれが寂しげに見えた。
 ……だから、『止めて』、か。紫の奴、こんな事をしていたなんて。

 私の友達、ほとんどいなくなっちゃった。
 私を見て笑う霊夢に、何も言えない。
 友達がいなくなったって……あの、白黒に呑まれる現象のせいか?

「うん。妖怪が施した延命処置。この世界に満たされた力。……それが、日に日に減っていくんだけど、そうすると、色んなものが消えていくの。建物とか、妖怪とか、人間とか」

 そしていつか、この世界は終わる。緩やかに、だけど、確実に。
 さ、飲も? とコップを突きつけられて、いつの間にか霊夢の手に酒の入ったコップがあるのに気付く。
 魔法か。

「はい、コップ。別に飲んでも平気だよ、元々普通の世界だし」

 金髪少女にコップを渡されて、まあそこまで言うならとコップに口をつけ、唇に酒を当てる。
 ……うん、ただの酒、かな。
 一口含んでみても、その評価は変わらない。
 不味くはないけど、そう美味くもないな。昨日飲んでいたのと一緒。
 自分のために取り出したのか、酒をあおる金髪少女を一瞥して、自分のコップの中に視線を落とす。
 揺れる酒に、私の顔が映っている。

 ……紫が止めろと言ったのは、この世界の終わり。
 でもこの世界は、紫の与えた力が無くなれば消える。
 紫自身が再び力を注がないということは、それが出来ないか、他に原因があるか。
 私に頼むって事は、私の力も注げるのか?
 でも、ここまで来るのにいくらか魔力を放ってるけど、何が起こるでもなく戦っていた妖怪達は消えていった。

 ……?
 なぜ妖怪達は消えるんだ?
 人も。
 この世界に満ちる力が無くなっていくからって、妖怪達まで一緒になって消えるのは、何か変だ。
 地面や空が白黒に飲み込まれて消えるのに巻き込まれる……って訳でもなく、灰色妖怪達は消えたな。
 なぜだ?

 二人が酒を飲み下す音を遠くに、思考の海に沈んでいく。
『止めて』……最初に止めろと言ったのは……いや、たしか、流れ星の時に。

 ……私は、間近に流れるあの星を見てスペルカードにミルキーウェイを選んだ。
 だけど、弾幕は思ったよりも力強くなかった。
 その理由は……あれが、本当の星ではないから……?

 それは、そうだ。
 そんなに頻繁に星は流れない。あれは誰かの手によるものだ。
 紫はそれを止めろと言った。
 世界の終わりを止めろと。
 ……星を降らせる事が世界を終わらせる?
 それは、よくわからないが……ひょっとして、と思う事はある。
 あるが……そうだとしたら金髪少女の行動は変だ。
 ……聞けばいいか、目の前にいるんだし。

「魔法を使うのは」

 飲まないの? と声をかけてくる霊夢を置いておいて、金髪少女に声をかける。どうしてだ、と。
 コップから口を離した少女が私を見て、小さく首を傾げる。
 ……この世界が消えていくのと、人妖が消えていくのが重なるのは、人妖の存在の維持も紫の力が関係しているのだと考えれば、一応繋がる。
 でも、そうだとしたら、最初の妖怪も死神みたいな奴も、この少女も……なぜためらいなく力を使うんだ?
 ……知らないのか、私の考えが間違ってるのか。

「どうせ、いつかは消えるから」

 はたして、少女はあっけらかんとそう言った。
 消えるから、って……お前はそれでいいのか?
 こいつは、消えるのが……死ぬのが、怖くないのだろうか。
 その問いの答えは、霊夢の方から返ってきた。

「だって、遅かれ早かれ消えるんだし、だったら笑ってないと。悲しんでるよりはマシでしょ?」

 ねー、と私越しに笑いかける霊夢に、ねー、と少女が返す。
 そりゃあ、確かにそうだけど……。
 私だって、終わるとわかっているなら悲しんでいるよりは楽しんで過ごす。
 だけど……だけど、それは。

「……何も、しないのか?」

 くぴ、とコップを傾けて喉を鳴らした霊夢が、私の言葉にちらりと目をよこす。

「何もできないって言ったら?」

 ……できない理由があるのか?
 でも、あの流れ星を止めに行くとか……ぅいっ!?

「あたたっ、たっ!? ちょっと、なにすんだ!」

 巫女なんだし、と続けようとして、おさげを引っ張られるのに慌てて金髪少女の手を取る。
 痛い痛い、引っ張るなって!

「すてきなリボンねー。私のと交換しない?」
「はあ?」

 だってこの世界じゃ、もうリボンかえらんないんだもん、なんて言いながら私のリボンを解きにかかる少女を止める。
 じっと私を見上げて、だめ? と聞いてきた。私の顔でそれはやめてくれ……。

「別に……かまわんよ」

 仕方なくおさげのリボンを解くと、少女も同じようにリボンを解いて渡してきた。
 きゃは、とむじゃきに喜ぶ姿に悪い気はしないんだけど、それが自分によく似た姿だと、複雑な気分だった。
 いーなー、と口元に指を当てる霊夢に、んー、とリボンと髪を向ける少女。
 霊夢が甲斐甲斐しくリボンを結んでやっているのを見ながら、私は手早く手櫛で髪を整えてリボンを結んだ。
 うーん、おんなじような姿をしているせいか、リボンはしっくりくるな。背は私の方が高いけどな。
 金髪少女が嬉しそうにリボンを揺らすのに、ふうと息を吐く。
 その明るさは、嘘や強がりには見えない。本当に今この時を楽しんでいるように見えた。
 何も言わず、ただコップを掲げる。
 「?」と二人。

「一気!」

 私の言葉に、おー、と声を上げる二人。
 少女がお酒をコップについでくれたので、それを一息に飲み干して見せた。
 んっ、んっ。
 一口飲むたび首を上げて、しまいには後ろにぽすんと帽子が落ち。

「んっぐっ、はーっ」

 喉がちょっと痛い。
 けど、ぱちぱちと手を叩いて喜ぶ二人に、妙な達成感をおぼえた。
 やーやーと両手を上げてこたえる。
 それから、脇にコップを置き、取り出したハンカチで口元をぬぐって、帽子を拾い上げながら立ち上がった。

「……どこ行くの?」

 不思議そうに私を見上げる霊夢に、世界を救いに、と答える。
 いつまでもここにいるわけにはいかない。

 とりあえず、流れ星を降らせている奴のところに行こう。
 つんと気取って歩き出そうとして、両側から服の端を引っ張られて階段に尻を打つ。
 ……ちと、痛みがしゃれにならないんだけど。
 うずくまって悶える私に、夜が明けるまでつきあってよ、と霊夢の声。お酒がもったいない! と少女の声。
 うぐ……そ、そうは言ってもな。さっさと止めないと、みんな消えちゃうんだろ?

「まだ大丈夫だよ。それより、何かお話を聞かせて?」
「ここは退屈なのよ。けっこう、退屈」

 あー、わかったわかった。わかったから揺らすな。尻が痛い。

「ただし、次に流れ星が降ったら、私は行くからな」

 流れを辿れば、犯人の下へ行きつくかもしれないし。
 それでいいよと霊夢は答えて、手を離した。
 ふー。そいじゃ……何を話そう。
 えーと、紅霧異変って知ってるか?
 知らない?
 よし、じゃあ……こほん。

 ぴんと指を立てて語る気配を見せると、二人は私の前に回って、石畳に直接座りこみ、聞きの姿勢に入った。

「あれは、暑い暑い夏の日のこと……」



「そして私たちは力を合わせて、ついに幻想郷を――」

 ……。
 …………。
 ………………。

 話して、話して、酒飲んで、つまみを食べて、また話して。
 酔って、話して、笑いあって。
 どのくらい時間が経っただろうか。
 三人、身を寄せて横になっている中で目を覚まして、しばらく暗い空を眺めていた。起き上がり、伸びをする。
 顔、洗おう。
 明かりのついてない神社の中へ入って、さっさと顔を洗い、ついでに湯もいただいておく。お湯も湯船も灰色だ。
 ちゃかちゃかと朝食を作っている頃には、すっかり目も覚めていた。
 ……私、何やってんだろ。
 とりあえず、できたものを居間のちゃぶ台に並べて、境内でねこけている二人を担いで連れてくる。
 ごはんって何年ぶりー? なんてへらへら笑う私二号の頬を小突いて、朝食とする。
 ……うん、普通に食べられる。

 結局、昨日はあれ以降流れ星は見なかったわけだけど、だからって話し続けるもんじゃないな。
 だるい。
 朝食を終え、私が食器を下げている間に二人は外に出ていった。
 洗い物を手早く済ませて後を追う。
 外は暗い。
 雨こそ降らないが、分厚い雲は今も変わらず空を覆っている。
 その中にいくつか光る星たち。あれは……どうなっているんだろう。
 むー、と空を見ていると、霊夢の呼ぶ声。
 一緒にあそぼ、か。さすがにそろそろ行かないといけないと思うんだが……。

「えー! 夜が明けるまで付き合ってくれるんでしょ?」
「そうはいってもな、こうも雲が厚いと朝か夜かなんてわかんないし、第一一晩は経ってると思うんだが」
「まあ、夜は明けないんだけど」
「おい」

 どうりで、ずっと星が出ているわけだ。というか、ずっと付き合わせる気か?
 冗談だよ、とひらひら手を振った霊夢が、でも、もうちょっとだけ、と手を合わせる。

「あなたと話してるの、すごく楽しいの。いいでしょ、ね? まりさもそう思うよね」
「うん。なんだか初めて会ったって感じがしないし、話しやすくて……もっと話してたいわ」

 ……まあ、なんていうか、同じ名前だし、同じ姿だし。霊夢に至っては、霊夢だし。
 ……腋は開いてないけど。

「ま、私も、話していて楽しかったけどさ」

 酒の力もあったような気がするけど、それを入れても二人の合いの手や、二人の話も面白かった。
 この霊夢の巫女としての話も、この金髪少女の活躍も聞けた。
 その話の中で少し気になるところはあったけど、それは、触れないでおこう。
 私だったら触れてほしくないし。

「話すのがやなら、ボール遊びしよう!」

 ほらほら、と腕を引く霊夢に、ちょっと待った、ストップ! と待ったをかける。
 先を行く金髪少女が足を止めて振り返り、どうしたの? と首を傾げた。

「なあ、どうしてそんな引き留めるんだ?」

 くいくい腕を引いていた腕から力を抜いた霊夢が、一度口を開いて、何も言わずに閉じる。
 金髪少女がぶつかるように反対の腕をとってきた。ちょっと、痛い。

「ボール遊びは嫌い? 別に、他の遊びでもいいけど?」

 いや、そういうわけじゃなくてな。
 ぐっと近付いてくる金髪少女の額を押し返す。

「ずっと暇だったかんね。色々遊びマスターしちゃったから、すごく楽しめると思うよ?」
「だから、遊びとかじゃなくてだな……」
「じゃあお酒? それならいくらでもあるよ?」

 そーでもなくて。
 ぽむ、と片手に一升瓶を出した金髪少女の体をやんわり押して離す。
 さすがに、しつこすぎる。私が行くと不都合でもあるのかと勘繰ってしまうくらいには。
 私の疑問に、霊夢は慌てたように手と首を振った。

「ちがうちがう! ほら、私たち、ずっと二人だけで遊んでたから! あなたが加わってくれたら嬉しいなって、だから! ね? そーだよね? まりさ!」

 その慌てようが、答えを物語っているようなものだった。

「……まりさ?」

 話を振られた金髪少女は、しかし、何も答えず固まっている。
 ……どうしたんだ?

「……あ」

 大丈夫かと肩に手をかけると、ふっと空を見上げるのにつられて、私も空を見上げた。
 直後、空を星たちが駆け始めた。

 流れ星!

「まりさ!?」

 ガチャンとガラスが割れる音と液体の跳ねる音に、霊夢の悲鳴のような声が重なる。
 金髪少女が呆然として手を見つめる。
 手の色が……いや、体全体がどんどん色をなくしていく。
 これって、あの現象か!?

 まりさ! と縋りつく霊夢にゆっくりと顔を向けた少女が、あー、と残念そうな声を出して、小さく肩をすくめる。
 その肩に手をのせて、灰色になっていくのを止めようと色々試す。
 魔力を流すのは……意味がない。纏わせるのは? ……これも駄目か!

「おい、私の魔力を受け取ってくれ!」
「まりさ、消えちゃやだよ!」
「……れいむ」

 ぼーっと霊夢のことを見つめながらも、私のことも認識しているらしく、きちんと魔力を受け取って自分のものにしてくれる。
 ……だけど、止まらない。
 私が渡した力もすぐ失ってしまう。すぐだ。これじゃあいくら魔力があっても足りないじゃないか!
 焦る心を落ち着けようと、胸元を握りしめて、魔力を絞り出す。
 紫は私に止めろって言ったんだ。世界の終わりを。
 だから、私の魔力がカギのはずなんだ。
 なのになんで!

「やくそく……したでしょ」

 懸命に声をかける霊夢に、少女が小さく言う。
 その体を覆う光は私の魔力の色に輝いているのに、少女自身は、もう限りなく灰色に近かった。
 ひゅんひゅんと星の影が私たちを撫でていくのが無性に腹立たしい。

「どっちが先に消えることになっても、笑って送り出そう、って」
「まりさ、でも……!」
「星がきれいだよ。ね、わらって、れいむ」
「まり、あっ」

 かくりと膝をつく少女に、一緒になって屈み込む。霊夢も一緒だ。手を離すわけにはいかない。
 魔力を送るのをやめたら、どうなるかなんてわかりきってる。流れ星、あれを、あれを止めれば!
 空を見上げた私の考えを察したのか、まって! と霊夢が止める。

「それ、やめないで! まりさを消さないで!」
「そうはいっても、このままじゃ……!」

 ジリ貧だ。どのみち、こいつは……!

「もう、いいよ」

 小さな声とともに腕を取られて、ぐいと押し返される。
 この手を離すまいと思っていたはずなのに、あっさりと手は離れてしまった。
 ……いや、わかってるんだ。もう無駄なんだって事くらい。

「こうなることは、この世界がきりはなされた時からわかってたことだもん。かくごしてたことだよ」

 ふっと笑みをこぼし、霊夢の頬に手を添えて、笑って、と少女は言う。

「でも……でも」

 涙をこらえるように肩を震わせる霊夢に、私は無力感でいっぱいになった。怒りさえわいてくる。
 どうにもできない自分に、……この少女に。

「なんで、なんでそんな……」

 ……笑っていられるんだ。
 悟ったような、優しげな笑みの上を流れている影の数が減り、やがて流れ星がやむ。
 だけど、それはもう喜べるものじゃなかった。

 ザワリと嫌な音が鳴って、私が手を置いている肩も、霊夢が片手で包んでいる手にも、虫が這うように白黒が侵食し始めている。
 手の打ちようがない。私の力が通用しない。なんでだ!
 髪を掻き上げて、ぐしゃりと握る。頭皮が訴える痛みなんて、目の前の二人の状況に比べたら何でもない。

「約束したじゃない! また異変が起きたら、協力しようって! 一緒に解決しようって!」

 流れ落ちた涙が、色の薄い石畳に染みを作っていく。
 はっ、と息を吐くように少女が笑った。

「そんな顔じゃ、お嫁の貰い手がなくなっちゃうわよ、れいむ」

 流れるしずくを指ですくって、その頬に塗り付ける。
 絶え間なくあふれる涙に、ズキリズキリと胸が痛む。声が出せなかった。
 胸が張り詰めて、痛くて、でもどうしようもなくて。

「約束は果たせなかったね……」

 ごめんね。
 布の切れ端になった帽子がポロリと落ちる。
 もう、片方の腕も、足も……無い。
 その断面がモノクロにうごめいているのを、黙って眺めている事しか私にはできなかった。
 霊夢がぎゅっと少女を抱きしめる。離さないように、逃がさないように。

「そんなこと……もういいよ。そんなことより、もっと話したい。もっと一緒にいたいの……」
「……ごめんね」

 力なく抱き返す少女の手が、穴だらけになって消えていく。

 私は何のためにここにいるんだろう。
 少女一人の涙を止められないで、何が魔法使いだ。

「……わらって」

 笑ってる顔が見たい。そう言う少女に、霊夢は数瞬身を揺らして、すぐにいびつな笑みを浮かべた。
 抱き合う形では見えないはずなのに、震える手で霊夢の髪を弄っていた少女も笑って、ありがと、と呟いた。その声と一緒に、溶けて消えていった。

「……う……ひぐっ」

 少女の肩にかけていた左手がぱたりと落ちる。
 少女が消えて、自分を抱きしめたままうつむく霊夢に、かける言葉が見つからなかった。
 震える肩を止める事も、こらえるようにしゃくりあげる声を止める事も。

 しばらくの間、境内に哀しい声が響いていた。

「……友達、みんないなくなっちゃった」

 立ち上がった私に、顔を上げないままの霊夢が声をかけてくる。
 ひくっ、と体が揺れるのに、重く濡れた腕がずれる。
 ……霊夢には悪いけど、慰めの言葉はかけられない。
 下手な慰めは……傷をえぐるだけだろう。
 世界を救いに来た、なんて大口を叩いていた私が言える事など何もない。
 結局救えなかったのだから。

 遣り切れない気持ちを押し込めて、帽子を深くかぶる。
 ……酷い逃げだ。
 でも、それを責められる気配はない。
 責められるような状態じゃないって、わかっててやってるんだ、私。
 片手を横に突き出して箒を呼ぶ。手に収まると同時に勢いよく跨った。

「……行って」

 それは、拒絶なのだろうか。
 助けられなかった私を追いやる言葉なのだろうか。
 胸が痛むのに泣きそうになるのをこらえて、ただ、呟く。
 絶対止めるからって。

「行って!!」

 びくりと肩を震わせ、すぐに浮かび上がり、飛び立った。
 遠目に一瞬見えた霊夢の顔は、陰になっていて見えなかった。



 暗い気持ちを抱えたまま、空を飛んでいく。
 空に流れるわずかな星明りでも、流れる緑も、私の心は晴らせない。

 ……わからなかった。
 あの少女たちに引き留められるのを振り払って、先を急げばよかったのか。
 ああして見届けるのが正しかったのか。
 ……流れ星を起こす犯人を倒せば、少女たちは元に戻るのか……。

「…………」

 ほんとは……わかってる。
 力が失われている以上、それが補われなければ、どうしようもない。
 そんな事、わかりたくなかった。

「っ……」

 ぎゅっと胸元を握りしめる。
 夢でも、何でもいい。止めてやる。こんなの、絶対に。
 
 ひゅひゅひゅ、と妙な風が吹いて、地平線から星があふれ出す。
 空を流れていく星たちの出所に向かって、加速した。

 遠く見える丘。
 そこを中心に星が八方へ流れている。
 あそこに……世界を終わらせようとしている奴がいる。
 どんな奴かだなんて考える間もなく、箒に伏せて風の中を突っ切っていく。

 ――――魔力?

 カッと視界が白に染まり、爆音に耳がやられる。
 襲いくる突風に箒の先がぐらぐら揺れるのを、魔力を注いでなんとか制御する。
 でも、何も見えない。聞こえない。丘までの距離は、高さは!?

 このままいくと丘肌に突っ込んでしまうと判断して、減速する。薄く開いた視界は白いままだけど、次には緑や赤に変わる。
 そのたびに響く爆発音が地を揺らす。
 地面が近いのか、ビリビリと体全体に振動が伝わってくる。
 やがて箒が止まると、ゆっくり、確かめるように足を伸ばして、それが地に着くと同時に箒から降りる。
 ぎゅっと目をつぶって視力の回復をはかるも、なかなかうまくいかない。
 ズン……と大きく地面が揺れるのに、箒を地面に突き立ててこらえる。
 あんまり魔力は使いたくないけど……仕方がない。
 体に魔力を纏わせて、さっと身体強化し、目も治す。
 ぶるぶると頭を振ると、やっと聴覚も戻ってきた。
 地面から箒を引き抜き、前を向いてゆっくり目を開く。
 黄色い物体が目の前に迫ってきていた。

「うぐっ!?」

 鳩尾にぶち当たったそれを抱え込んで二、三歩後退し、こらえきれず倒れ込む。なだらかな傾斜を転がり落ちる羽目になった。

 ……人か?
 抱えている感触と、回転する視界の端に映る金色頭にそう判断して抱き込む。
 小さい。

「っう、ぐ!」

 ザス! と地面に腕を突き刺して、体を止める。
 身体強化の魔法のおかげか、抱えている人間を投げ出したりはしなかったが、代わりに箒がどこかにいってしまった。
 身を起こして、抱えているものを確認する。
 ……え?

「……アリス?」

 腕の中でぐったりして目を伏せているのは、幼いし、よそおいも違うが、間違いなくアリスだった。
 煤けた頬を撫でて、軽く体を揺らし、声をかけると、うっすらと目が開く。
 場違いに感じるくらい、綺麗に光る蒼い瞳。
 私の顔を見た途端に、その表情が歪む。
 震える小さな口がわずかに開閉し、顔をそらされた。
 何を言ってる? そんな小さな声じゃ……。

「……め、んね」

 かすれた声を塗り潰すように、ザワリと音がする。
 おい、嘘だろ。――アリスまで。

 すぐに魔力を流し込もうとして、だけど、できなかった。
 あちこちに生まれた白と黒が、あっという間にアリスの体を食らいつくしてしまったから。
 ……今までにない速さ。
 力を、失っていたから?
 それに、さっきの光や爆発音と関係があったのだろう。

 見知った顔が腕の中で消えるのに小さく声を漏らして、爪を立てて胸元をひっかき、丘の上を睨む。
 ……もういい。もう充分だろ。
 充分奪っただろ。
 私の怒りも、もう限界だった。
 ふがいなさも情けなさも、怒りに変えて丘の上の誰かへと向ける。
 立ち上る金色の光が辺りを照らしていた。


「――――……っ」

 丘の上には、一つだけ、人影があった。
 こちらに背を向けて、特徴的な三日月の杖を片手で掲げて佇んでいる。
 マントと共に広がって風に揺れる緑色の髪が、大きく動いた。
 いつの間にか下ろされていた杖がくるんと回転する。

 ……と、妖しく光る翡翠の光に射られていた。
 体が硬くなるのを感じる。
 全身の筋肉が石みたいになって……緊張して、怒気が抜けていくのがわかる。
 重く感じる沈黙に、さわさわと草の揺れる音。擦れ合う音。
 ――なんで。

「……こんなところに来てはいけないよ、魔理沙」

 世間話をするような、そんな声音。
 驚きとか、緊張とか、私が感じているようなものは一切含まれていない。
 私はこんなに緊張して、口の中もカラカラにしてるのに。

「去りなさい」

 ぴしゃりと言われるのに、つばを飲み込んで、小さく首を振る。
 それは……それは、できない。
 だって、私は……星を……止めなきゃいけないんだ。
 ……星を。

「……あんた」

 かすれた声が出る。
 反応がなくて、届いてないのかと不安になった。

「……あんた、なにしてんだ」
「…………」

 返事の代わりか、スカートから覗く半透明の幽体が向きを変えた。ゆっくりと杖が持ち上がっていくのを、目で追う。

「――っ!」

 それが勢いよく地面をついて、カァン、と高い音が響いた。
 竦んだ身を慌てて動かし、腰を落とす。すっ飛んできた箒を掴んで、柄を突き出して構えると、お前は、と、声。

「何をしに来た」

 言葉の外の重圧に及び腰になってしまう。
 ……真正面からこうして対峙するのは、やはりきつい。……たとえ、一度倒した相手でも、それが……それが、魅魔様なら。

「……あんたを、止めに来た」

 違う。世界の終わりを……霊夢たちの消滅をだっ!
 自分の声で自身を鼓舞して、だけど、もう一度杖が地面をつくのに身が竦む。
 っく、こんな、私……!


『強くなるというのは、捨てるという事だ』

 ――ずっと昔。
 もう何年も前、私は魅魔様と戦った。思想と大切なものを賭けて。
 私は勝った。
 その時、魅魔様は正気を失っていたけど……それでも、私は勝った。
 今の私は、あの時よりうんと強くなってる。
 でも、だからこそ、わかる。
 ここまで近付いて、ようやくわかる強大な魔力。絶えず止まらず、めぐり続ける力。
 昔、漠然と感じていたそれが今ならはっきりとわかる。強い。
 けど……だけど。……止めてみせる。私が、私の手で、もう一度。

 にぶく光る翡翠の瞳をまっすぐ見つめる。いや、まっすぐというには少し……ほんの少し、背が足りないけど。
 纏う魔力を多くして、少しずつ心を落ち着ける。
 ……そもそも、この魅魔様は、私の知る魅魔様なのだろうか。
 ……この世界には、もう一人の私がいた。もう一人の霊夢がいた。アリスがいた。……もう一人の魅魔様がいたっておかしくない。
 私の知っている魅魔様ではないんじゃないか。
 私を引き留めていたもう一人の私を思い出して、そう考える。
 だとしても、強さはそう変わらないだろう。……やることも。
 舌で唇をしめらせてから、口を開く。
 ――魅魔様。

「あんたが、星を降らせてるのか」

 妙に力のこもってしまった声に、そうだ、と頷かれる。
 ……あんたが、この世界を終わらせようとしているのか。

「いかにも」

 よどみない答え。何でこんな事を、なんて、問おうと思えなくなるくらいに、気負いのない声。

「……止めさせてもらう」

 止める。止めてみせる。今度こそ。

「できるかしら」
「っ!?」

 後ろから聞こえてきた声に、咄嗟に反転して魔力を通した箒を掲げる。
 ズンと重い衝撃に膝をつきそうになって、だけど、跳ねるようにして押し返す。――いつの間に、後ろに。
 少しずつ下がりながら箒を構えなおすと、くるんと杖を回した魅魔様が目を細めた。

「強くなったようね」

 カァン。
 やけに響く音に、じんと胸が痺れる。……今は、そんな場合じゃない。

「あの時より、随分魔力が上がっているね」

 ゆっくりと、緩く弧を描いた口から出てくる、褒め言葉。……あの時?
 ふっと表情をなくした魅魔様が、だが、とつぶやく。本気でやり合うなら、倒すでは駄目だ、と。

「これ程までに強くなるには、どれ程のものを捨ててきた。友との絆? 想い? それとも……友自身?」
「――や、」

 いずれにせよ。
 バサリと青い服がはためく。私に対して半分体を前に出した魅魔様は、私の目を見て続けた。さらに大きなものを捨てれば、お前は私を超える。

「再び私を捨てるがいい。それが私の弟子となったお前の道だ」

 違う、と声に出そうとして、引っかかるのに、言葉を呑み込んだ。……再び?

「ーっわ!」

 空気を裂いて振られた杖を転がって避ける。慌てて立ち上がるも、追撃はなかった。

「あんた……私の」

 ……ほんとの、魅魔様?
 返答は、光弾だった。
 人の頭ほどのそれを身をよじって避けると、背後で大きく爆発する。膨らむ熱波に押されて前に投げ出され、合わせて振られた杖に、咄嗟に箒を叩きつける。
 不安定な体勢のために押されて、やがて弾かれた。
 ごろごろと煙の中を転がって、すぐ最高速で空へ飛びあがる。
 土をえぐる爆発に、さらに上へ行こうとして、迫る気配に腕を伸ばして光線を放つ。

「むっ!」

 杖で光線を押し返してくる魅魔様に、本腰を入れて片腕を支え、魔力を送り込む。
 腕に、骨にかかる重圧が増してギシギシ鳴るのに、悪手だったかと舌打ちしたくなった。だけど、もう止まれな――っ!?
 パァン、と光が散らされて、一瞬のうちに距離を詰めてきた魅魔様の腕に叩き落される。背に衝撃。ぐんと跳ねる体に息が詰まる。
 三日月を私に向けて落ちてくる魅魔様が見えた。

「くっ、う!」

 痛みを抱えたまま転がって避けるさなか、地を這って広がる衝撃に放り投げられる。
 なんとか体勢を整えてふわりと着地すると、息を吐く間もなく迫る杖。
 一閃で箒を弾き飛ばされ、一歩一歩踏み込みながらのような攻撃をあわあわしながら退がってかわす。
 流れる前髪の先が三日月に刈り取られた。刀のような切れ味にヒヤッとする。

「はっ!」

 一瞬の硬直を見逃さずに振られた杖を、避ける事はできないと判断して、一か八か手を伸ばす。
 パン! と、薄い刃のような三日月を挟んで押し止める。馬鹿力でじりじり目の前に迫る三日月を強引に右にずらすと、至近で魅魔様と目が合った。

「わ、私は!」

 深く覗き込むと引き込まれてしまいそう目に、思わず声を上げていた。
 はっ、はっと荒くなる息を飲み込んで、言いたい事を纏めようとして、ビキ、と腕の筋肉が引きつるのに、それどころじゃなくなった。

「捨ててない!」

 思うまま声に出す。

「捨ててない、私は、何も、捨ててない!」

 真正面から魅魔様の目を見て、魅魔様の『今まで』を否定する。あの時と同じように、あの時とは違う言葉で。
 真意を測るように目を覗き込まれるのに、三日月を押し込めながら必死に見つめ返す。
 と、唐突に魅魔様が身を引いた。腹に衝撃……蹴りだ! 一瞬見えた足が溶けて消える。
 くの字に曲がる背に、反射的に両腕でお腹を庇う。開いた口から、かは、と息が漏れた。
 一閃。
 衝撃に持っていかれて右に回転し、地面を転がる。
 肩を裂いて散った血飛沫が、遅れて地面に落ちる。
 こんなに強化してるのに……!

 右肩を押さえながら立ち上がる。様子を見るように動きを止めている魅魔様に、荒く息を吐いた。
 魅魔様……あんなに動いていたのに、息が上がってない。……死んでるんだから、当然だ。
 帽子を後ろから引っ張って視界を広くし、考える。……前は、どうやって倒したんだっけ。
 ……前は……魅魔様は、本当の悪霊になって正気を失っていた。
 パワーは異常に上がっていたけど、策もない力任せだったから倒せた。……正気の魅魔様の方がよほど強い。
 気を引く。片手間に魔法を練る。先を読む。戦闘中に、冷静に隙を狙ってくる。それだけじゃない。詠唱のスピードも、練り込む魔力の量も、単純な魔力量も私とは段違いだ。
 どうしよう……私も、何か策を。
 意表を突き、かつ、威力の高い魔法。魅魔様の知らないような、最近知った魔法……。
 ……よし。

 早口で詠唱し、隣に私そっくりの魔力の塊を作り出す。それが一度箒を振って走り出すのに合わせて、魔力を練りながら後を追う。
 正面に陣取って相手をする分身と魅魔様を飛び越え、半転、空を飛ぶのと同じように急加速して、魔力を込めたキックをその背中に……!
 杖が分身を砕き、振り抜いたままに反転した魅魔様に足を取られてぶん回される。
 そっ、そりゃそうか……!
 ぐるぐる回る視界に帽子を飛ばされないように押さえて、手を離されると同時に箒を呼ぶ。
 身をひねり、飛び込んできた箒に両足をぶつけて屈伸、思い切り飛び出す。もう一度跳び蹴りだ!
 体を丸めて回転し、前へと足を伸ばして急降下キックの体勢。先程より勢いのある私に、魅魔様は杖を掲げて受けの姿勢に入る。

「ーっ!!」

 それをすり抜けて、胴を突き抜けた。
 ズザザッ! と地面を擦って止まり、すぐに振り返る。暗い中で、魅魔様の背に大きな魔法陣が浮かび上がり、金色に輝いている。
 苦しげな表情で振り向いた魅魔様が、大きく杖を振って魔法陣を破壊する。……あと少しで魔力が爆発したのに!
 通用、しないか。
 帽子の中から八卦炉を取り出す。
 なら、後はもう、力で押すしかない。わずかに息を乱した魅魔様が、両手で持った杖を構える。そこに魔力はない。

 箒を呼び戻し、息を整える。
 じんじんと右肩が痛みを発している。常に全力なせいで魔力の消費が激しい。長引いては、強化が解けて魅魔様に追いつけなくなる。
 早く……倒さなきゃならないんだろう……けど。

「……あんたは言ったな。過去の自分との決別……繋がるものを切り捨てて、高みへ昇っていくって」

 それは、何度か聞いた教え。たくさんの教えの中のうちのひとつ。だけど、根本にある、強さへの教え。
 スカートから取り出した小瓶を開け、八卦炉に粉末を入れて燃やす。
 燃やす。
 燃やす。
 心の中で滾らせる力と、渦巻く魔力をすり合わせていく。纏う光が強くなると、少しずつ頭の中が晴れていく。
 魅魔様の姿が、よく見えた。
 瓶を放り捨て、肘で挟んでいた箒を手の平で転がして、握り込む。

「……私にはそうは思えなかった。あんたがいなくなって、人とか妖怪とか、上にも下にも繫がりができて」

 最初に魅魔様がいて、霊夢と友達になって。
 いろんな奴に会って、戦って、新しい考えを得て、やりたい事が増えて、強くなって、もっとやりたい事が増えて。

「……その繫がりを捨てなければ強さは得られない。抱えていては動けなくなる。それは成長を止める」

 カァンと大きな音。広がる光の波紋に草がざわついて、やがておさまる。

「確かに、時々何もかもが嫌になる。重なってのしかかってくる人や世界との付き合いをかなぐり捨てたくなる事だって、ある」

 一歩進むたび、色々なものが体に絡まってきて、どうすればいいかわからなくて、立ち止まった事なんて、数えきれないくらいあった。
 だけど。
 それらを捨てる事が正解だとは思えなかった。抱えてるものとか、人との繫がりとか……想いも。
 大きな力を生むんだとしても、それは繋がってたって一緒だと思った。

「……私が間違ってるっていうのかい?」

 わずかに空気が震えた。
 ほとばしる魔力が幾度も小さく弾けて、魅魔様を覆っている。
 溢れ出す力が風を動かすのにバタバタと服やスカートがはためく。
 後ろになびく髪の重みが、やけに強く感じられた。

「……それは、違う」

 風を伝う声。
 私も負けないように体の奥から魔力を引き出していく。ゆっくり、じっくりと……負担のないように。いつでも動けるように。
 なら、捨てればいいと魅魔様が言う。

「過去との決別。お前はさらなる力を得るだろう。しがらみを捨て去り、高みへ。私と同じ舞台へおいで」

 ――――。
 かつて対峙した時と同じセリフ。
 あの時と同じように穏やかな声で、あの時と同じように、わずかに熱のこもった目で。
 それは……私に、死ねと言っているのだろうか。

 首を振る。
 首を振って見せる。
 前はわからなかった。
 小さい私には、同じ舞台とは、同じ強さを持つという事だと思った。

 私の拒絶に、動揺することもなく、静かに魅魔様は問う。なぜだ、と。
 なぜ、か。
 ……だって、私。

「恋、してるんだ」

 ぴく、と魅魔様の眉が跳ねる。
 『こ』『い』『?』と、音はなく、口の動きだけが言葉をなぞる。
 瞬間、箒を前に叩きつけていた。

 目の前で振られた杖にぶつかって、衝撃が広がる。なびく髪と帽子に、歯を食いしばって押し返されないように踏ん張る。

「甘ったれるな。恋だと? そんな人間らしい感情では、強さは得られない!」

 両手で持っている杖にぐいと押し込まれて仰け反る。受け止めている柄がミシミシと音を立てている。

「くっ!」

 恐ろしい圧力と力をなんとか右にいなして、左へ跳ぶ。
 地面からさほど足を離さず、滑るように移動する私にきらめく三日月が迫る。
 箒に叩きつけられた衝撃を殺さずに後ろへ跳ぶ。
 充分距離を取って地を擦って止まり、飛来した光弾を柄で弾く。
 爆発。
 反射的に閉じかけた目をなんとか開いたままに、憤怒の表情を浮かべる魅魔様を捉える。
 『人間らしい感情』……か。
 やはり、魅魔様は……。

「ーっ!」

 巨大な魔法陣が魅魔様の背後に描かれるのに、弾かれたように走り出す。いくつも魔力弾を放ちながら近付いて、箒を叩きつけた。
 くるんと杖を回転させて応じる魅魔様と幾度目かの力比べをする。ぶるぶる震える腕。軋む箒。私を覆う金色の光が魅魔様の顔を照らしていた。

「……結局は、同じだ。お前と私が今、こうして戦っている以上、捨てる事になる。お前が勝てば、嫌でも」
「……違う!」

 ぐっと押し込む。全力で前へ。
 魅魔様は、ふっと笑って「そうね」と言った。

「え?」

 てっきり強い言葉が返ってくると思っていたばかりに、思いもよらない反応に力が抜けて、ぱっと離れられるのにつんのめってしまう。
 なんとか体を戻そうと一歩踏み出すと、同時に振られた杖に箒を弾かれ、胸ぐらを掴まれていた。
 足が浮かんで、ぐいと顔が近づく。

「あの日に決着はついていたね。……この世界は、夢でしかない」

 腕を引き離そうともがきながら、その言葉の意味を考える。
 やっぱり、この魅魔様は、あの時倒した……?
 緑の髪が頬にかかる。息のかかる距離。ここでの決着をつけよう、と魅魔様がささやいた。
 放り投げられて、うわ、と声が出る。ぐるんと体をひねってなんとか着地した。
 ここでの決着…………そうだ、私はこの世界の終わりを止める。そのためには……。

「ああ、あんたを……倒す」
「半端な力では私は止まらない。恋などという感情では私にはかなわない。それとも、それを捨てるのかい?」

 幸せな感情を捨てるのは、大きな力を生む、と魅魔様は頷いた。
 ……捨てないよ。
 私は、捨てない。
 今しょってるものも、これから得ていくものも。
 そして、人間のままあんたを超える。

「捨てないよ。捨てるわけじゃない。重くたって、煩わしくたって、何もかも背負うさ。その上で強くなる」

 あんたのことも、あんたの教えも、ちゃんと胸の中にある。
 捨てなかったから次に進めた。新しい出会いがあった。
 だから強くなれるし、今の私があるんだ。
 私の言葉に、魅魔様の顔に疑うような表情が浮かんで、すぐ、消える。
 今は戦闘中だ。戦って知ればいい。本当かどうかなんて。
 ぽん、と手の平の上に八卦炉が乗っかる。それを構えると、魅魔様も三日月をこちらへ向けた。
 何メートルもない、近い距離。

「見せてやるぜ……私の恋心を」

 不敵に笑えば、小さく笑みを返された。
 今なら……今の私なら、真正面から撃ち合って、勝てるだろうか。
 あの時の私は……急な事に、身も心も未熟だった私は動揺していて……師を撃つことをためらって、撃てる力もなくて……ただただぶつかっただけの私には、言えない事がたくさんあった。伝えたい事……。

 纏っていた光が、徐々に八卦炉の前へ集まっていく。魔法陣が描かれて、それが大きくなるにつれて魔力が肥大していく。体が芯から熱くなる。
 あふれ出す光がふわりと髪を持ち上げた。

 感謝とか、文句とか、答えとか。
 ……それら、全部ひっくるめて。

「あんたに贈り物がある」

 杖の先で膨れ上がる力に、負けないように魔力を注いでいく。想いも注いでいく。
 捨てずに抱えたまま進んだ結果の、今の私の力、受け取ってもらうぜ!

「マスター……」

 声に力を乗せて、魔法陣をより強くし、一瞬の発揮のために育てていく。
 私が言い終わる前に、三日月から光があふれ出し、地を削って迫ってきた。

「――スパーク!!」

 両手で支えた八卦炉から熱と光がほとばしる。魔法陣を介して質量を伴った極光が、もうひとつの光とぶつかった。

「……う!」

 腕に痛みが走る。踏ん張る足がざりざりと後退する。
 光と風に服がはためいて、帽子が飛んでいく。とどめておく余裕なんてなかった。

「どうした、それが限界かい!?」

 じょじょに押されている光線の向こうから、余裕のある声が聞こえてくる。
 くうっ、なんであんな……!

「――なわけない! 恋にっ! 人を想う気持ちに限界も際限もない!」
「むっ!」
「宇宙みたいに無限に広がり続けるんだ! 胸の中で星みたいに輝き続けるんだ!!」

 この想いがある限り、私はどこまでだって強くなる!
 ぎゅっと目をつぶって、一歩、八卦炉を押し出して、一歩。
 ううううう、と口から漏れる声が、地を削る光の中にのみこまれていく。
 苦しくて、熱くて、たまらない。体の中をズタズタにするみたいに暴れまわる魔力が膨れ上がって、体の外に放出されていく。
 ――そろそろ、達したか。
 いくつもの準備を重ねる魔法。全てを薙ぎ払う究極の魔砲、ファイナルマスタースパーク。
 手間は多いが、威力は破格だし、何より派手だ。
 太い光線を、根元の方から五つ、魔法陣が通り、さらに肥大させていく。飛び散る土が弾幕みたいにぶつかってくる。

「う、う、ぁあああ!!」

 体がバラバラになりそうな限界まで膨れ上がった魔力を収束する。
 今の私の最大火力だった。

「ああああっ!!」

 光しか映らない視界の向こうで、魅魔様の声が響く。押しているのか、押されているのか。鋭い痛みが頭の後ろに走り、だんだん何も考えられなくなってくる。
 そろそろまずい。ほんとにまずい。魔力が枯渇する。最後の一滴を絞り出すみたいに、体は壊れてしまうだろう。
 ……でも、止められない。これが人間の力だ。私はやれるんだ!



 はっと気が付くと、光はすでに収まっていた。
 気絶……してたのか? 腰を落として、両手を前に出したままで。
 ぎこちない動作で地面に落ちている八卦炉を拾い上げる。広がった視界の端に、杖をついて寄りかかる魅魔様の姿が引っかかった。
 ばっと体を向けて、全身が痛むのに顔をゆがめる。まいったな……。
 胸の中のものと一緒に強く息を吐く。魅魔様も、肩で息をしているように上下させていた。そこに、もうプレッシャーはない。だいぶ力を失っているようだった。

 ……勝った、のか? ……魅魔様に。
 バチバチと帯電しているみたいに火花を散らす魅魔様によろよろ近づいていく。
 体がだるい。私だって、もうほとんど魔力が残ってない。
 頭に手をやって、帽子がないのに溜め息を吐く。後で拾わないと。
 それより今は……魅魔様だ。

「はぁ、はぁ、み、ま……さま」

 深呼吸を繰り返すみたいに息を吐き出しながら、なんとか声を出す。
 顔を上げた魅魔様も、荒く息を吐いていた。

「……う、撃ち負ける、とは……」

 そう小さく呟くのは、悔しいからだろうか。
 目が合う。静かに光る瞳だった。数秒、ただお互いの顔を見て呼吸する。
 おいで、と手を伸ばされるのに、一瞬ためらってから近づくと、背に腕を回された。ちょっと、魅魔様……。

「私は……もう」

 子供じゃ、ないん、だぜ……?
 そう言おうとして、背をつねられるのに悲鳴を上げる。
 慌てて離れると、してやった、と言いたげな笑みを浮かべていた。こ、こいつ……。

 はー、と息を吐いて、魅魔様が、よろけながらも二本の足で立つ。
 ……足で。

「別に私は、魅魔様の教えを否定してるわけじゃない」

 何か言われる前に、先に言う。魅魔様は不思議そうな顔をして、先を促した。
 魅魔様は……私は、魅魔様のこと、あんまり知らないけど……。
 捨てるしかなかったんだろ。……人であることを。
 それでどうして『その考え』に至るかはわからないけど……それを否定するつもりはない。

「私はただ、人間でだって強くなれるって言いたかっただけだ」

 妖怪とか、神様とか、それよりも人間が。
 そういうのがあってもいいだろうって。
 実際一人、いるわけだし。
 ……私は、そいつも超える。
 背中ばっかりじゃなくて、いつか前から顔を見るために。

 パシッ、と魔力の残滓が弾ける。魅魔様の体を這う光。ううと苦しげにうめくのに、声はかけられなかった。

「はっ、はっ、ま、まあ、私を、止めたんだ……この世界を終わらせるのは……やめよう」

 本当に!?
 こくりと頷いた魅魔様に、はぁー、と深く息を吐く。これで……一応は、止まるのか。

「だけど、終わらせることになる」
「え?」

 どうやってこの世界を戻せばいいのか聞こうとして、そんなことを言われた。すぐにわかるさ、と。
 ザワリと、嫌な音。魅魔様の体に白黒が生まれていた。魅魔様まで!?
 何とかできないかと聞くと、どうしようもないと返ってくる。で、でも、私ならどうにかできるはずなんだ!
 そうじゃなきゃ、私はなんのために、ここに……。
 ふっと杖が振られて、体に活力が戻る。失っていた魔力と体力が、少しだけ戻っていた。

「はーっ……ふぅ。わたしゃ眠い。眠らせてもらうよ」

 ポイと杖を投げ渡されて、慌てて抱えると、魅魔様は後ろに倒れ込んで……そのさなかに、消えてしまった。
 ……。
 ……杖。
 家にある杖を思い出す。
 魔力の通りがよくて……でも、使う気になれない杖。

「……魅魔さま」

 ぽつりと呟いて、杖をしまい、代わりに箒を取り出す。手に押し当てて、ぎゅっと握り込み、なんとなくその硬さを感じてから、箒に腰かけて浮かび上がった。
 ……一度、霊夢のところへ戻ろう。



 帽子を拾い、丘を後にしてしばらく飛ぶと、景色がゆがんで神社の上空に出て……すぐに景色がゆがんだ。
 えっ、と声が漏れる。一瞬見えた神社が、白黒にのまれていたから。
 心に冷や汗が流れる。嫌な予感がした。
 まさか、霊夢……。

「……ぁ?」

 荒野と星々の続く先に、光が走った。
 ――霊力?
 霊夢か、と口に出して、しかしなぜ、光なんか出たのかが気になった。
 向こうにいるのは、たぶん、紫だけのはずだが……。
 さっきとは違う嫌な予感がして、ぎゅっと柄を握りしめ、加速した。


 星が流れる。
 白くて、丸くて、霊力でできた流れ星。
 それが、厚い黒雲と灰色の荒野を照らし出していた。

 遠く、空に浮かぶ紅白。近く、地面に横たわる紫。
 私は、まず紫の下へ下りて行った。

「う……」
「大丈夫か?」

 服も体もボロボロの紫を抱き起こすと、わずかに呻いて、目を開けた。

「ごめんなさい……」
「……」

 口端から垂れる血の筋を取り出したハンカチでぬぐい、大きく裂けた脇腹近くの傷にも当てる。
 小さく眉を寄せた紫が、腕をついて身を起こす。再度、ごめんなさい、と、弱々しい謝罪の言葉。
 何に対してか、誰に対してか、なんとなく察しがついた。

「何があったんだ」

 遠くの空で、霊力弾を打ち上げている霊夢の姿を眺めながら、ゆっくりと問いかける。紫は、もう一度小さくごめんなさいと呟いた。
 ……言いたくないなら、いい。
 止めてくる、と短く言って、そっと手を放し、箒に跨って霊夢の下へ飛ぶ。

 霊夢は、空に手を伸ばして絶え間なく光弾を打ち上げていた。

「霊夢!」
「! ま……」

 打ち上げるのをやめて振り返った霊夢が、驚いた風に目を見開いて、しかし、口をつぐんで向こうを向いてしまった。
 回り込んで、何やってんだ、と声をかける。顔をそむけた霊夢は、ちらりと私を見てから、終わらせるの、と言った。
 なんだと?

「なんでそんなこと!」
「…………」

 眉を下げて、黙り込む霊夢にそろりと近づく。

「……なんで、紫を」

 攻撃したんだ。
 そう聞こうとして、唐突に振られた腕に上体をそらす。
 何を、と問う間もなく、睨まれていた。

「あなたには関係ないでしょ」
「関係……」

 明確な拒絶の言葉に、言い返そうとして、言えなかった。
 空に手を向けた霊夢が、光を放出する。空へ延びる光線。それが雲に突き刺さると、霊夢は手を振って霊力の放出を止めた。

「どうせ終わるなら、私の手で終わらせる。それで、あいつも道連れにするの」

 『あいつ』が紫の事を指しているのは、すぐにわかった。
 でも、そんな……そんな終わりってないだろ!?

「言ってたじゃないか! どうせ終わるなら、笑って過ごすって!」
「笑えると思ってるの!? 馬鹿なの!? 笑えるわけないじゃない!」

 声を荒げて、肩で息をする霊夢に、それなら、と私は言う。

「私が止める。この世界を終わらせやしない」
「終わったじゃない! もう終わってるじゃない!」

 違う。何か、すべがあるはずなんだ。この世界を、元に戻すすべが!
 それが何かはわからない。わからないけど、わからないでは済ませられない。

「みんないなくなっちゃったの! いなくなっちゃったのよ!」
「落ち着け霊夢!」

 髪を振り乱して叫ぶ霊夢に近付こうとして、振られた腕にまた後退する。ばっと反転して、霊夢が飛んで行ってしまうのを慌てて追いかける。
 こんな、救うには……戻すには、どうすりゃいいんだ!?
 取り乱す霊夢に、焦りが胸を満たす。くそっ。どうすりゃいいんだよ……!

「霊夢!」
「っ!」

 名前を呼ぶと、振り返らずに腕だけ振って霊力弾を飛ばしてきた。身を屈めて避けると、続けていくつか放たれる。
 それらをかわしながら近づこうとすると、やめてよ! と泣きそうな声。

「こっちこないでよ! 見たくない!」

 胸に突き刺さるような声。一瞬呆然として、見たくないよ! と霊力弾が放たれるのに危うく撃ち落されそうになる。
 そんな、こと、言われたって……!

「待ってくれ!」
「もう放っておいて!」

 少ない魔力を注ぎ込んで加速する。
 そんなこと言われたって、追うのをやめるわけにはいかない。放っておけるわけないじゃないか。
 魔力を使い切る勢いで速度を上げて、なんとか霊夢に追いつき、回り込む。

「やめてよっ!」
「うわっ!」

 悲鳴に近い声と共に飛んできた蹴りに箒から落とされる。回る視界の中で脇を通り過ぎようと飛ぶ霊夢の裾を掴もうと手を伸ばす。

「あっ!」

 ――っ!
 がくんと視界が揺れて、一緒になって落ちていく。
 その最中でさえ私の手を引きはがそうとする霊夢に、意地でも離すもんかと手を握りしめた。
 空を飛ぶ時と同じように速度を緩めて着地すると、直接手を離させるのを諦めたのか、霊夢は私の腹に手を当てて、至近で霊力を爆発させた。
 たまらず手が離れる。足も地面から離れる。
 地面を転がって、すぐに立ち上がる。お腹が焼けるように痛いが、今は痛がってる場合じゃないんだ。

「……まりさは、いなくなっちゃったのに」

 霊夢は、しゃくりあげながら私を見下ろしていた。
 けほ、と咳き込むと、喉の奥で鉄の味がする。唾液を飲み込んで、それと一緒に複雑な気持ちも飲み下した。

「……わかってるんだよ。騒いだって、もうどうしようもないって」

 霊夢は、手の甲で目元をぬぐって、いびつな笑みを作った。……いや、笑みなんて呼べない、自嘲的な何か。

「しょせん、私は雇われ巫女だよ……。こんなに力を持っていたって、何もできないの……何も、守れないの……!」

 ぽろりと零れた涙が、灰色の地面に染みを作る。
 ……でも。

「でも、まだあんたは消えてない。だったら、まだチャンスはあるはずだ」

 悪足掻きのような私の言葉に、霊夢は小さく首を振った。
 確かに、その方法はわかってない。紫が何もしないのは、そんな方法が無いからなのかもしれない。
 でも、でも……!

「何か、あるはずなんだ。何か、道が」
「だったら、だったらさあ……!」

 二度、大きく首を振って、腕を広げる霊夢。
 もう、全部消しちゃってよ、と。

「もういいよ。もういい」

 諦めきった表情に、今度は私が首を振っていた。
 だって。
 私は嫌だ。
 こんなのは嫌だ。
 止めてやるって、口に出そうとして、かすれたような声しか出なかった。
 ……口でならなんとでも言える。
 何とかしたい。でも、できない。
 ……いや、諦めてたまるか。

 踵を返し、紫の下に走り出そうとして、すぐ近くまで紫が歩いてきているのに驚く。
 肩を押さえてよろよろと歩いてくる姿は、今にもあの音が聞こえてきそうなくらい、消えてしまいそうだった。

「紫……」

 歩いてきた紫が、私の前にぽすんと座り込む。
 私が何かを言う前に、ごめんなさい、と紫は言った。
 ……謝罪なんていらない。

「……紫、何かないのか?」
「……ごめんなさい」
「なあ、何かあるんじゃないのか! だから私を呼んだんだろ!?」

 ただごめんなさいを繰り返す紫の肩を掴んで揺らす。
 しかし、うつむく紫が涙を流しているのに気付くと、手を離してしまった。

「……この、世界の終わりは」

 決まっている事なの。
 ぽつりと、消え入るような声。

「止める手段は……ないの」
「……嘘だろ」

 ……嘘だ。
 だって、じゃあ、なんで私を……。
 ……ふと、最初にこの紫に会った時、私を見て驚いていた事を思い出す。
 私がここにいるのは、ひょっとして……。
 ぶんぶんと首を振る。帽子越しに頭を掻き毟る。
 でも、だけど、そうだとしても!

 あいつなら……どうやってこの状況を打開する?
 この世界の終わりを止める?
 黒幕がいるのか。この世界を終わりに追い込んだ奴が、どこかに。
 ぐい、と紫にスカートをひかれて、顔を向けると、だめよ、と首を振られた。

「無理なの。決まっているの。人間でも、妖怪でも、神でも……この終わりは止められない」

 泣きそうになった。
 それじゃあ、無理じゃないか。
 救えないじゃないか。

 帽子の両端を掴んで、ぐいと顔を隠す。
 何か、あるんだ。何かあるはずだ。
 じゃなきゃ……酷すぎるじゃないか。

「どうせ終わらせるなら」

 後ろから、霊夢の声が聞こえてくる。
 泣き止んだ後の、静かな声だった。

「最初からなければよかったのに」

 それは……違うだろ。
 振り返って、霊夢の顔を見る。
 さっきと変わらない、諦めた顔。

「本気で言ってんのか」

 声が震えていた。
 頭の中で怒りが生まれて、大きくなっていく。
 だって、それは……全部を否定する言葉だ。
 霊夢自身も、あの金髪の少女も、この世界の事も全部。
 今まであった事も、一緒にお酒を飲んだ事も。

 どこかではわかっていた。
 きっと、霊夢は本気で言ってない。
 ただこの状況に絶望して、そんな事を言ってしまっただけなんだと。
 でも、言っていいことと悪いことはあるだろう。
 ……でも、その言葉を言わせたのが自分のせいな気がして、何も続けられなかった。
 つんと鼻の奥が痛む。
 無理だって言われて、救えないんだって思ってしまって……悔しいんだ。
 どうしようもない。
 ……どうしようもないってんなら、せめて、本当に、私の手で……。

 紫を見て、霊夢を見て。
 でも、それより先にやんなきゃいけないことがあった。

 霊夢の前へ歩いて行って、その顔を見上げる。

「私が……友達になる」
「え……?」

 友達がみんないなくなっちゃったって言うなら……私が。

「霊夢の事も、みんなの事も、この世界の事も、絶対忘れないから。私が、繋げていくから……。だから……」

 だから。
 続きは、何も出てこなかった。
 こんなの、なんの慰めになるというんだろう。
 ……なんて、自分で思ってしまう時点で、駄目なんだろう。

 でも、本心だった。
 繋ぎ止めたかった。このまま終わらせたくなかった。

「……ともだち?」
「うん……」

 聞き返してくる霊夢に、控えめに頷く。
 改めて言葉にされると、恥ずかしかった。おかしなことを言ってるんじゃないかって不安にもなった。

「……ほんとに?」

 開いたままの口から、か細い声。
 嘘は言わない。それとも、嫌なのか、と問いかける。
 ふるふる首を振った霊夢は、ううん、と言って笑った。
 憑き物が落ちたような笑顔だった。

「うれしい……さいごにまた、ともだちが」

 できた、と言い終わる前に、ザワリと嫌な音。
 反応する暇もなく、一瞬で霊夢は消えてしまった。空気に溶けるように。

 少しの間、動けなかった。
 何も考えられなかった。
 でも、紫のすすり泣く声に意識が戻ってきて、終わらせないと、と思った。

 八卦炉を取り出して、小瓶を取り出し、中身を入れて燃やす。ついでに乾物を取り出して口に入れ、ゆっくり咀嚼そしゃくした。
 飲み下してすぐに、ほんの少しだけ魔力が戻る。その間に準備を整えておいた八卦炉を、空へと向けた。

「……わたしは……守りたかった。この世界の事も」

 後ろで、紫の声。
 腕にもう一方の腕を添えて、足を開く。

「でも、だめだった。決まってしまったから……。でもせめて、長く暮らしてほしかった」

 雲を見据え、呪文を口にする。
 すぐに黄金色の魔法陣が、八卦炉の前に大きく広がった。

「だけどそれは、あの子たちに悲しい思いをさせるだけだったの」

 全部。
 残っている魔力を、全部流し込んでいく。

「寂しい世界で、終わる時を待つだけなんて……」

 限界まで流し込むと、今度は周りの力を取り込んでいく。
 この世界に残っている力を。

「そんな時、あなたが現れた」

 魅魔様がやっていたみたいに、この世界の力を消費する。
 そして収縮させる。終わらせる。

「わたしの代わりに、少しでも照らしてほしかった」

 自分の魔力と擦り合わせて、撃つための力に変えていく。
 魔法陣から零れ落ちる光が、辺りを照らしていた。

「わたしには、ただ一緒に終わるだけしかできないから……」

 光を、解き放つ。
 腕にかかる負荷。わずかに地面に埋まる足。

「……でも、この体は……違うの」

 雲に突き立つ極光に、周りからどんどん力を集め、魔力に変えて注ぎ込んでいく。
 大きな音の中で、紫の声は不思議とはっきり耳に届いていた。

「結局わたしは、自分自身をこの世界と共に終わらせる選択はとれなかった」

 弱々しいのに、響く声。
 私の魔砲のようにまっすぐ届く声。

「この気持ちも……何もかも、うそだったのよ」

 徐々に、魔砲の突き立つ場所から雲が退いていく。
 ……それが嘘なら、泣きはしないだろう。
 だけど、否定はしない。
 したって、何にもならない。
 だけどな。

「……少なくとも」

 散った雲が、星の輝きに消されていく。
 その星も、広がる青に薄くあせていく。

「ここにいる私は、嘘やなんかじゃない」


 だからもう、悪い夢は終わりにしよう。


 空に青だけが広がる。
 光線は細くなり、やがて消えた。
 腕を下ろし、もう一方の手で帽子を取って、胸に置く。

「……空は晴れたぜ。あんたの心も晴れるといいな」

 後ろの紫に、そう声をかける。
 反応があったかは、正直、ふらふらでわからなかったし……知りたくなかった。
 白黒にのまれていく空を見ながら、私は意識を失った。



「……ん」

 髪を引っ張られるような感触に目を開けると、目の前に霊夢の顔があった。

「あ、目、さめたみたいね」

 ぱっとはなれる霊夢に、私はただ目を見開くことしかできなかった。
 は、鼻がくっついちゃいそうな距離だった……!
 びっくりした心臓がバクバクいってるのに、胸に手を当てながら、手をついて上体を起こす。
 う、寒い。
 お腹までずり落ちていた布団を胸元まで持ち上げる。

「おはよう、酔いどれさん。どうやら勝負は私の勝ちのようね」

 私の横に座る霊夢が、割と機嫌良さそうな顔でそう言った。
 あー、勝負……?
 見回すと、どうやら神社の中の寝室なのだとわかった。
 私が布団で眠っていたというのも、外はまだ暗いというのも、ついでに言えば、外から誰かの呻きが聞こえてくるのも。
 脇に置いてある帽子を持ち上げて、頭に乗せる。

「さて、敗者にはなんでも言う事ひとつ聞いてもらうんだったわねー?」
「……そんな約束だったか?」

 ぼやけた頭で、でも、なんだか不利なことを言われているような気がして、とりあえずそれだけ言っておく。
 ……思い出してきた。こいつと飲み比べしていて、それで……。

「そんな約束だったわよ。それで、そうね……。うん、境内の掃除は……その顔じゃ、無理そうね」

 宴会の後の境内の惨状を思い浮かべると、自然、嫌な顔をしていたらしい。
 でも、その程度でこいつが自分の意見を曲げるのかと表情を窺うと、なんか、やっぱり機嫌が良さそうで。
 それは、後ろに隠した手に、何か関係があるのだろうか。

「ふっふふ、じゃあ、魔理沙からはこれを頂いちゃおうかしら」

 じゃん、と後ろに隠してあったらしいものを前に出す霊夢。
 一升瓶て……。

「……随分と高そうな酒だな。でもそれ、私のじゃないぞ」

 高そうというか、ラベルに『超・高・級・酒』と銘打ってあるし、きっと相当なものなのだろう。
 だけど、そんなものを手に入れた覚えはない。

「あら、これは正真正銘魔理沙のものよ?」
「そういうことにして、自分のものにしようとしてるんじゃないだろうな」

 失礼な。
 眉を寄せた霊夢が瓶を撫でて、

「さっき紫が来て、これを置いてったの。あんたのだって」

 あんたから預かってたとっときのお酒、出すの忘れてたとか言ってたけど、きっとちょろまかそうとしてたのね。……どういう心境の変化かしら。
 割と酷いことを言う霊夢に、私は色々思い出してしまってそれどころではなかった。

 私、私……。

「どうしたの?」

 顔が青くなるのが自分でもわかって、うつむくと、霊夢が心配そうに顔を覗き込んできた。
 なんでもない、と手を振る。
 ならいーけど、と、なぜだかちょっと不機嫌そうに霊夢は体を戻した。

「ま、そんなことより」

 くい、と急に髪を引っ張られて、心臓が跳ねあがった。
 髪をいじる冷たい指が頬に当たる。

「これ、どうしたの? 起きてた時は黄色かったような気がしたんだけど」
「え?」

 自分のおさげに手を添えて、リボンを見る。
 ……緑。濃い目の、緑色のリボンだった。
 これは……。

「……もっと薄かった気がしたんだけどな」
「なに、間違えたのつけてるの?」

 いや、そういうわけじゃないさ。
 リボンを軽く握ってそう言うと、ふーん? と理解してない感じの返事。
 ……そう、か。そういえば、交換したんだったか。
 消える間際の少女の笑顔を思い出して、なんとなしにリボンに指を這わせると、なんか怪しい、と霊夢。なっ、なにが?

「誰かから貰ったんじゃないの? 誰? 早苗?」

 え、いや、違うけど。
 霊夢は、ふーん、と細めた目で私を見て、明日の献立でも考えておきましょうと言った。
 ……。
 それなら私は、しゃけがいい。塩じゃけ。味が濃いやつ。

「なら、つまみにでもしましょう。合うかわからないけど」

 ひょい、と瓶を持ち上げて見せる霊夢に、おいおい、今から酒盛りか? と笑いかけると、当然、言う事は聞いてもらうわよと笑い返された。

「はっ、しょうがない。さみしんぼの霊夢には朝までだってつきやってやるよ」
「なっ、誰がさみしんぼよ。それをいうならあんただって、寝言で私の事呼んでたのよ。『れいむぅ~助けてくれ~』って」
「はあ!? 私がそんな事言うわけないだろ!?」
「怖い夢でも見たのかしらねー。おーよしよし」

 頭を撫でようとしてくる霊夢の手を帽子でガードしていると、ふっと笑った霊夢が手を引っ込めて腰を上げた。
 コップを持ってくる、らしい。
 私だけになった部屋に沈黙が下りると、あの世界での出来事ばかりが頭に浮かんだ。
 手を目の前に出して、握ったり開いたりしてみる。魔力は、全然減ってないし、肩に傷もない。
 だけど、リボンは交換したものだ。……きっと、魅魔様に渡された杖もあるだろう。

「二つになっちゃったな……」
「何が?」

 うわ!
 出入り口から聞こえてきた声にびくっと体が跳ねる。
 は、早いな。ていうか、音もなく入ってくるのはやめてほしいぜ。
 すすすっとやってきて座った霊夢がお盆を置いて、コップを並べるのに、ここでするのか? と問いかけると、まあ、なんか体調悪そうだし、と返される。

「……体調悪そうなやつに酒盛りを持ちかけるのか」
「朝まで付き合ってくれるんでしょ?」

 …………。……ああ、朝までな。

「言っとくけど、ほんとに朝までだからな?」
「なによ、途中で寝たりなんかしないったら。……そうね、途中で寝ちゃったら、もうひとつ言う事を聞いてもらおうかしら」
「なんだそりゃ。私だけか」
「当然」

 ふふ、と霊夢は勝ち気な笑みを浮かべて、今から考えておかないと、とのたまった。

「…………霊夢は」

 その顔に、言おうとした「おいおい」とは別の言葉が口を突いて出た。
 ……お前なら。

「ん? なに?」
「……いや」

 『もし』を口にしようとして、誤魔化すように、ま、寝ないからいいけどな、と大きな声を出す。
 私の言葉に、コップに酒を注ぎながら不思議そうな目を向けてくる霊夢に、話したい事が山ほどあるし、と続ける。

「キノコの話ならたくさんよ」
「私がいつキノコの話をした……」

 コップを手渡されて、それから、霊夢のコップと軽く打ち合わせる。

「そうだな、キノコじゃなくて、たくさんの星が流れる世界の話なんだが――」


あとがき。
こーいう話が書きたかった。けど、やっぱり難しいですね。最後の方、自分でもわけわかんなくなってました。
いや、それは最初からだったっけ。
というか、全然実力が足りてない。でも、とりあえず書きたい話が書けて満足。
しかし、書きたい台詞だけで物語を書き始めると、繋ぎにめちゃくちゃ手間取ります。
私の文章も繋いで、魔理沙ー。なんちゃって。

▽ 追記

>2 様
コメントありがとうございます。
なるほど、自己満足。なにか足りてないと思ったら、配慮が足りてなかったんですね。
次からはもっとちゃんと説明したり、引き込む努力をしたいと思います。

>4 様
コメントありがとうございます。
雰囲気しか届けられなかったことを申し訳なく思います。
自分の書くものを客観的に見る努力をしていきたいです。

>5 様
コメントありがとうございます。
そして、お疲れ様でした。
読むのが苦痛なレベルとか、かなりやばいですね。
読んでくれた方にも東方にも申し訳ない。
でもだからこそ、次はこんなことがないように書いていきたいと思います。
木端妖精
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コメント



0.120簡易評価
2.40非現実世界に棲む者削除
幻想に追いやられた旧作?の世界は終わりから免れない運命。
救いを与える為に魔理沙は呼び寄せられたのだろか。
いずれにせよ自己満足だけの作品はわかりづらいです。
4.60名前が無い程度の能力削除
雰囲気は出てたけど分かりにくいかな
5.40名前が無い程度の能力削除
読みました。という感想が出てきてしまう
「良かった」でも「良くなかった」でもなく「読みました」
何が起こっているのか非常に判りづらいです
説明不足な部分と説明過剰な部分がちぐはぐだと感じました