Coolier - 新生・東方創想話

後生の夢

2013/11/06 23:39:30
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     一

 ある雪上がりの早朝であった。「幻想郷縁起」を書き上げた稗田阿求の元に、八雲紫が姿を見せた。紫と阿求のの口から白い息が零れた。
「どうされました?」
「すぐ戻るわ」
 紫はスキマに戻りながら言って、づぐに阿求の側を離れた。少し経ってから戻ってきた紫の目には切ない色が浮かんでいた。紫は火鉢に手をかざしながら言った。
「随分と冷えるわね」
 紫の感傷的な声に、阿求は微笑をもって答えた。
「はい。少なくなりましたから」
 九代目としての役目を終えてほとんどの使いの者には暇を出した。だから屋敷はずっと静かになり、小ぢんまりとしていた。
 今ではもう、台所から女中達の声もしなければ、朝食の高い香りも漂ってこない。庭師が雪を踏む音も阿求の様子を見に来る姿もない。残ったものといえば、蓄音機やティーセットや強健な黒松が植えられている銀一色の庭ぐらいであった。
「そういうことを言っているんじゃないのよ。単純に、冬だから、よ。閉めても?」
 もう一度冷たい風が入ってきた。障子窓の向こうでは再び雪がちらつきはじめた。
「確かに、冷えますね。閉めましょうか」
 紫はスキマを用いすぐに窓を閉めた。冬の薄い光は部屋の端々までは届かず、少しの暗さを部屋にもたらした。
 紫はふっと一つ息を吐いて、真面目な調子で言う。
「まずはお役目、ご苦労様。どう? 九代目としての役目を終えた気分は?」
 阿求は長い息を吐いた後、微笑を端に追いやった疲労を確かに見せた。
「疲れました」
「でしょうね」
 阿求は取材の時を思い出しながら、嬉しそうに遮るように言った。紫は阿求の調子を聞き、憂いを帯びた瞳に濃い喜びの色を浮かべた。
「それだけじゃないんですよ」
「何かあったの?」
「はい。私のことを知っている方がいるんです」
 品のある紫の口元が一瞬だけ強く歪んだことに、阿求は気付いた。
「知っている?」
 それでも阿求は、ただの少女のように答えた。紫の声から憐れみが滲んでいたからである。
「そうなんです。私も、その人達のことを知っていたんです。初めて会ったのに、ですよ? 子供の夢だ、偶然、だと笑うでしょうか?」
「良いことだと思うわ。それでね阿求、役目を終えたご褒美に、何でも一つだけ願いを叶えてあげるわ」
 阿求は不審に思い、正直に言った。紫は困ったように笑い、どこか芝居がかった調子で続ける。白い頬の端に、懐かしむような、淋しい微笑が帯びたのを、阿求は見逃さなかった。
「何を考えているのです?」
「何も考えていないわよ。ただ、純粋に、阿求の余暇をより良いものに、したいだけなのよ。だから、何もなかったら、素直に、ない、って答えてちょうだい」
「答える前に一つだけ質問をしてもいいですか?」
「何かしら?」
「他の御阿礼の子は、どういう選択をしたんでしょうか?」
 紫は嬉しそうに笑って答えた。
「内緒よ。昔の貴方がどういうことを言ったのか気になる気持ちは分かるわ。でも、私個人としては、阿求の余暇だから、残された時間だから、昔の貴方に惑わされずに決めてほしいの」
 突然のことに、阿求は何一つ叶えてほしい願いが浮かばなかった。本当に紫が叶えてくれるのかと疑ってしまう。が、紫が一切はぐらかさずにこれほど念を押すということは、叶えてくれるのだろう。
 このまま紫と一緒に居ても、時間ばかりが無意味に過ぎるだけである。阿求はようやく答えた。
「まだ決められません。少しだけ待ってください」
「そうね。待つわ。でも、必ず、直接教えてちょうだいね」
 紫は酷な言葉を残して、阿求の前から姿を消した。
 阿求だけが残された屋敷は怖いほどに静かになった。もしかすれば、この静けさが屋敷の本当の姿なのかもしれない。筆を執る音だけが響く、質素な、淋しい屋敷。しかし、阿求は、この静寂を、全く理解できなかったが感覚的に好きになれそうな気がした。阿求の胸の奥深くに、この静寂が根付いるように思えた。
 一人になった部屋で、堪えきれなくなった咳が零れた。寒さのせいであってほしかった。阿求は布団を引きずりながら、火鉢の前へ寄った。
 阿求は懐にしまった文書を、そっと燃やした。それから新しい文書を書いた。
 火鉢の火を消して、阿求は充足感を覚えた。


     二

 ある月夜のことであった。縁側にひっそりと抜けだしてきた阿求の元に、藤原妹紅が後を追うように姿を見せた。白い頬を耳まで紅潮させ、千鳥足で阿求に歩み寄ってくる。二人が抜けだしてきた大部屋からは、相変わらずどんちゃん騒ぎが続いている。庭の草葉の陰から、こおろぎが小さく鳴いている。
 妹紅は阿求の側に水を置くと、こう訊いた。
「飲んでいないのかしら?」
「飲みましたよ。一杯、二杯程度ですけど」
「駄目じゃない。主役なんだから。お祝いよ? お役目を無事に終えた」
「いきなりあんなに飲めるわけないじゃないですか」
「そう? 余裕じゃない? ミスチーの所にでも行く?」
 あっけらかんに笑う妹紅に、阿求は困ったように眉をひそめた。湧き上がってくる羨望を堪えながら、平然を装って答えた。
「結構です。それに、私と妹紅さんじゃ、全然違うじゃないですか」
 妹紅は阿求の言葉に、目を見開かせた。妹紅の目を見て、阿求は驚いた。無意識の間に、羨望が漏れてしまったのだろうか。それとも、妹紅が、感じ取ってしまったのだろうか。それとも阿求が思っていないだろうか。
 妹紅の頬はいつの間にか熱を失い、冷ややかな月の光を受けていた。潤んだ瞳の底に、阿求と同じような羨望が映っていた。
 その羨望は果たして本当に、妹紅だけのものなのであろうか。阿求の羨望が妹紅の瞳に反射しただけかもしれない。
 妹紅は自虐めいた笑みを浮かべた後、苦い表情を作った。
「そうね。私、貴方が羨ましいわ」
 阿求は鋭い調子で訊いた。
「嫌味ですか?」
「違うわよ。だって、生きられるでしょう? 生きる目的があって生き、目的を終えて、緩やかな余暇を過ごしながら、亡くなる。生きる意味があるじゃない。それがね、羨ましいの」
「妹紅さんもあるじゃないですか」
「あんなの所詮、ただの戯れ事よ。相手は不老不死よ? 達成できるわけないじゃない。それでも、そうしないと私の長い長い生は、意味がないものになるのよ」
 阿求の生は、ある目的のために存在している。「幻想郷縁起」の編纂である。はるか昔から、その目的のために生きているといっても過言ではない。その目的は妖怪から人間を守る方法を説くためであり、突き詰めれば、力のない人間のためにある。
 阿求は妹紅の小さな身体を見ながら心底、こう思った。自分の残り少ない人生を、この少女のために活かせないであろうか。
 達成できない目標よりは、有限である方が彼女のためになる。阿求は微笑を浮かべて、こう言った。
「私の生はもう、目的がありません。ただただ、待つばかりです。きっと妹紅さんも知っていると思いますが、あえて言います。何もない人生は、ただ待つばかりの人生は、気が狂いそうになります。それでも、妹紅さん、私のために待っておいてくれませんか?」
 妹紅は頭を垂れて、弱々しく笑い、力なく答えた。首筋は色を失ったように病的な色に染まっていた。
「そんなに待てないわ」
「私も待てません。ですから妹紅さん、私と一緒に、百年後の準備をしましょう」
 妹紅は困ったように微笑した。庭はようやく静かになった。遠い向こうの宴席の声は、夜に呑まれたように聞こえなくなっていた。



     三

 ある盛夏のことであった。屋敷で休んでいた稗田阿求の元に、ミスティア・ローレライが八目鰻を手土産に持ってきた。部屋にやってきたと思えば、矢継ぎ早に阿求に言い、すぐに台所へと走って行った。
「夏バテって聞いたけど、大丈夫? 台所、借りるよ?」
 阿求の声はミスティアに置いていかれたように、一人の部屋に響いた。
「ええ、どうぞ」
 ミスティアの凛とした歌声が、蒸し暑い中で風鈴のように響く。阿求は幸福そうな微笑を浮かべる。
 まさか妖怪に助けられるような時が来るとは思ってもいなかった。阿求達人間と妖怪の関係は原始から決まっていた。それが膨大な時を経て、確実に変わってきている。
 妖怪が人間のことを心配したり、人間が妖怪の心配したりする。このままいけばずっと先の未来で、「幻想郷縁起」を書かなくても良くなる時が訪れるのではないだろうか。その時になってはじめて、子供達の生は本当の意味で子供達のものになるのではないだろうか。
 が、終生の仕事を失えば、生き方を見失ってしまえば、これからの子供達はどのように生きればよいのだろうか。
 阿求は気力を振り絞り、筆を執る。書斎机の前で姿勢を正す。ミスティアの陽気な音楽を背中で受けるのが、懐かしかった。もう少しすると焼き物の香りやミスティアの嬉しそうな足取りが屋敷を包むのであろう。
 阿求は文章を書くと懐にしまった。
『八雲紫様へ
 貴女がこの手紙を読んでいる頃……そんな決まり文句は書きたくありません。ですが、何から書こうと考えた時、どうしても、こういう言葉を書いてしまいます。
 ですので、最後まで書きます。この手紙を貴女が読んでいる頃、私はもう小舟に乗っている頃でしょう。貴女達に沢山の物を残して。
 紫様、一つ、お願いがあります。次の御阿礼の子に、私の思いを受け継いでほしいのです。
 いずれ、私達は、「幻想郷縁起」を書かなくなる時が来ます。一生の間に時々、やることがなくて書いて、ゆっくりと書き上げる、そういう自己満足の強い書物になる時が来ます。そうなった時、遠慮せずに、誰かと共に生きてください。
 難しいのでしたら、結構です。』



     四

 ある春の曙の時であった。藤原妹紅は八雲紫に一通の遺書を読ませた。
『八雲紫様へ
 書面でごめんなさい。もう少し、生きられると思っていました。嘘じゃないんです。はじめて、生きたいと思ったんです。
 紫様、あの時のお願い、まだ聞いていただけますか? 聞いていただけるようでしたら、続きを読んでください。
 藤原妹紅さんのために、彼女との一部の記憶を受け継いでください』
 妹紅は涙を堪えて、紫に伝えた。
「阿求が、私を見て、言ったんだ。『どこかでお会いしましたか?』って。……そういうことなのね」
「……ちょっと冷えるわね」
 紫はそっと立ち上がると、火鉢を焚き始めた。
コンペ用にと書き始めた時には11月でした
近藤
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コメント



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1.80非現実世界に棲む者削除
ジーンとしました。締めがもう少し欲しかった。
2.90奇声を発する程度の能力削除
素晴らしかった
3.90名前が無い程度の能力削除
紫にだって叶えきれない願いもあるのです。寒いなあ。
6.90らいすばーど削除
いい作品でした。
紫が何を考えてるかもう少し分かったら、というのは個人的な意見ですが。