レミリアは決意した。
霊夢の血を飲んでやる。
首筋にかぷりと噛み付いてちゅーちゅー吸ってやる。
やめてって言っても聞いてあげない。
私が満足するまで吸い続けてやる。
そうと決まれば話は早い。
手早く寝間着からいつもの洋服に着替える。
鏡と睨めっこして髪の毛を整える。
扉が開く。咲夜だ。
「どちらへ」
「博麗神社」
「一昨日、霊夢に拒まれたばかりでは」
「もういいの。無理やり吸ってやるの」
「嫌われますよ」
「吸ってから後悔するわ」
「そうですか」
咲夜はそれっきり何も言わずに櫛で髪を梳いてくれた。優秀なメイドだ。
事の発端は一週間前に遡る。
いつもは頼めば血を吸わせてくれていた霊夢が、その日はレミリアを拒絶したのだ。
無理だと言った。
やめてと言った。
どうして、とレミリアが問うても、霊夢は終ぞはっきりとは答えなかった。
そもそも、吸血鬼の吸血には二種類ある。眷属を増やすための吸血と、そうではない吸血だ。レミリアが霊夢に行っていたのは、当然後者であった。
人間の血液にも〝味〟がある。美しい少女の血であっても、全ての吸血鬼にとって美味とは限らない。魂だとか、信仰だとか、そういう有象無象の要素と吸血鬼側の事情との兼ね合いで血の味は決まる。だが、特に好意を抱く相手の血は、それはもう吸血鬼でも思わず天にも昇ってしまう味わいなのだ。――レミリアにとって、霊夢の血は特上のデザートに他ならない。
だが、慣れないなりのレミリアの努力も虚しく、未だに霊夢からその類の言葉を引き出せずにいた。
なので、レミリアは足繁く博麗神社に通っては、衝動に抗えず、稀によく霊夢の首筋にかぶりついていたのだ。
「血なんて、美味しいものなの?」
「霊夢も私の血を飲んでみる?」
「遠慮するわ。吸血鬼になっちゃいそう」
「私は大歓迎よ。何なら紅魔館に迎え入れたっていいわ」
「咲夜の仕事が増えそうで悪いから、やめておくわ」
「残念ね」
レミリアのような高位の吸血鬼は、吸血しても相手の人間に苦痛を与えない。牙を皮膚に突き立てるのだから、首筋に二つの傷を拵えてしまうのは避けられないが、痛覚を刺激することはない。
もっとも、博麗の巫女たる霊夢は過敏なのか、「よくわからないけど、ぞわぞわする」と漏らしていたが。
幻想郷の夜空を駆けながら、ふとレミリアは思い出す。
……そういえば。
そういえば、霊夢の様子がおかしいのは特段一週間前に始まったことではなかったような気がする。
いつから、という訳ではないが、確かに吸血の後に最近の霊夢はしきりに首筋の辺りを気にしていた。
「もしかして、痛かった? そんなはずはないと思うのだけど」
「……いえ、大丈夫よ」
「そう、なら安心だわ。ご馳走様」
「相変わらず、変な違和感はあるけど」
「やっぱり、霊夢は敏感なのね」
「やめてよ、そんな言い方」
「どうして?」
「……なんだか、恥ずかしいわ」
むっふ。
ああもう可愛いなあ。霊夢は可愛いなあ。
首筋を抑え俯きながらぼそりと漏らした霊夢の姿を思い出すと涎が滴ってしまう。いつの間にかとっくに博麗神社を通り過ぎていた。慌てて旋回する。
夜の博麗神社の境内は不気味なほど閑散としていた。鈴虫の鳴き声の劇伴が深々と響く。――裏手に回ると、まだ神社の中には火が灯っていた。
慣れた手つきでいそいそと靴を脱いで縁側に上がり、淡い光が漏れる襖に手をかける。だが、そこで急にレミリアは動けなくなった。唐突に咲夜の「嫌われますよ」の言葉が、脳内で不気味に尾を引いて反響する。らしくない。臆するなんて、私らしくない。
「……レミリア?」
ぽつと、奥から声がする。
美しい音だ。大好きな音だ。
「ええ、そうよ。夜の王が訪ねてやったわ」
レミリアは今になって気付いた。どうやら私は、霊夢に対しては虚勢を張ってでも高慢に振舞おうとしてしまうらしい。
霊夢は白色の寝巻を纏って、部屋の片隅で膝を組んでいた。その普段の毅然とした姿とは掛け離れた儚い影に、レミリアは目を奪われる。
「血を、吸いに来たの?」
「そうよ」
「……駄目よ。前も言ったでしょう」
「そうね、確かに聞いたわ」
後ろ手に襖を閉めて、一歩一歩霊夢に忍び寄る。
「だけど、それを聞き入れるかどうかは私の自由よ」
「……横暴ね」
「私は神も恐れぬ傲岸不遜な吸血鬼よ。巫女の言葉なんて――」
自らの前に立つレミリアを見上げる霊夢の瞳が揺れている。
愛くるしいと、思った。こんな感情を彼女に抱いたのは、初めてだった。
「──ただの童女の言葉と何ら変わりないわ」
そう言って、ゆっくりと霊夢の色白な首筋に顔を寄せる。
霊夢の両手は、レミリアの肩に当てられて、力弱くも押し返そうとする。だが、レミリアが霊夢の身体を掻き抱くように密着させると、その抵抗も霧散した。
彼女の首には、まだしっかりとレミリアの牙の痕が残っていて、不思議な充足感と支配感がレミリアの全身に満ちる。口を開く。犬歯が煌めく。
霊夢は、震えていた。
「ねえ、霊夢……どうして急に私を拒んだの?」
レミリアが傷跡を舐めると、霊夢の四肢は瞬間大きく戦慄いたが、やがて彼女の鼓動は少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「それは……」
「私が嫌いになった?」
「そんなことは、ないわ」
「血を吸われるのは怖い?」
「……そういうわけでも、ない」
「なら、どうして」
霊夢は顔を背けたまま、しばし黙りこくる。形容し難い感情の細糸一つ一つを丁寧に編み合わせて、なんとか言葉を紡ごうとする。
それをレミリアはじっと眺めていた。赤色の満月のような瞳の奥底では、吸血鬼の矜恃なんてものは消え去って、ただただ霊夢の言葉を待つ。
「……笑わない?」
「笑わないわ」
「馬鹿にしない?」
「馬鹿にしないわ」
「軽蔑しない?」
「するわけ、ないじゃない」
霊夢がゆっくりとレミリアに視線を合わせる。
吐息が混ざる。お互いの鼓動が聞こえそうな距離。
窺うようにレミリアの瞳を覗き込んでいた霊夢は、一つ唾を飲み込んだ後、長い長い沈黙を挟んで、とうとう語り出す。
「……レミリアが、前に言ってたじゃない。吸血しても、レミリアみたいな吸血鬼なら、痛みを与えないって」
「そうね」
「確かに、それはその通りだったんだけど……」
不意に、かっと霊夢の頬が火照る。
「レ、レミリアってさ、私の血を吸うとき、すごい……きっ……気持ち良さそうな顔するじゃない?」
つい、レミリアは顔の筋肉が緩むのを感じた。
どうも、自分が覚悟していたのとは、違う。
「ええ、確かにそうね。霊夢の血はロマネコンティにも勝るから」
「ろ、ろまねこ……?」
「酔ってしまうぐらい、美味しいってことよ」
レミリアとはしては、もっとシリアスな話が切り出されると思っていたのだ。
しかし、今や霊夢は耳まで真っ赤に染めて、まともに視線も合わそうとしない。滑舌も悪い。
これではまるで、恋患う乙女ではないか。
「それで、その、ね……初めは違和感があるだけで、何とも思わなかったんだけど……」
「ええ」
「血を吸ってる時のレミリアの顔を見てると、その、……違和感がだんだん大きくなってきて……」
「うん」
「血を、吸われると……」
「……」
「…………私まで、気持よくなっちゃうようになったの」
……。
……。
……?
はて。
はてはて。
私は一体何の話をしていたのだろうか。
レミリアの呼吸が止まる。
鈴虫の羽音だけが遥か彼方で鳴り続ける。
薄明かりに妖しく照らし出された霊夢の横顔は美しい。
美しいが、それに感嘆する余裕は今のレミリアには残っていなかった。
遅い理解がようやく全力疾走でやってきた。
俯く。
息を、吸う。
胸を両手で押さえる。
幾度か瞬きをして、勢い良く顔を上げて霊夢を見遣る。
「……っ」
駄目だった。
反射的に顔を背けてしまった。
頬を叩いて、ぐにぐにと歪ませる。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
どうやっても顔がにやけてしまう。
人に見せれる表情ができない。
だらしなく歪んでしまう。
笑窪が目立ってしまう。
口元が上がってしまう。
目尻が下がってしまう。
力を込めても、制御できない。
さっきの霊夢のか細い言葉がしつこく反響し続ける。
「れ、霊夢っ」
顔は畳に向けたまま、回らない舌を必死に動かす。
「つっ、つまりっ、霊夢は! 血を吸われるのがっ、嫌な訳じゃ、にゃっ……、ないんでしょ!?」
「え、ええ……そうよ」
我慢できなかった。
飛ぶように霊夢に抱きつく。
こんな表情、彼女には見せられないから。
しばらく顔を霊夢の肩に埋めていると、彼女の体温に宥められるように、レミリアの鼓動も落ち着いてきた。
蚊の鳴くような声で尊大なる吸血鬼は囁く。
「……血、吸っていい?」
「……ええ」
「……本当に?」
「……嫌じゃないわ」
――レミリアになら、血を吸われてもいいわ。
ああ、またこれだ。
レミリアは震え出す心臓を悟られまいと僅かに身体を離そうとするが、一瞬二人の間に流れ込んできた外気に耐え難い寒さを覚えて、結局先程よりも強く強く霊夢に密着させる。
せめて顔は見られまいと、子猫のように首筋に顔を擦り寄せると、そこにはレミリアの吸血痕があった。
「……血、吸うわよ」
「うん」
「……これからも吸うわよ」
「ええ」
「……霊夢が大人になっても、おばあちゃんになっても、吸い続けるわよ」
「構わないわ」
「本当よ? 私は本気よ?」
「言ってなかった? ……レミリアに血を吸われるのは、好きよ」
――牙を霊夢の白い柔肌に突き立てる。
赤い血液が滲み出てくる。
優しい味だ。安心できる味だ。
全身がみるみる潤っていく。
目が自然と弛んでしまう。
法悦に浸りながら、時折霊夢が漏らす嬌声を聞く。
それは、これまでで一番長い吸血だった。
霊夢の血を飲んでやる。
首筋にかぷりと噛み付いてちゅーちゅー吸ってやる。
やめてって言っても聞いてあげない。
私が満足するまで吸い続けてやる。
そうと決まれば話は早い。
手早く寝間着からいつもの洋服に着替える。
鏡と睨めっこして髪の毛を整える。
扉が開く。咲夜だ。
「どちらへ」
「博麗神社」
「一昨日、霊夢に拒まれたばかりでは」
「もういいの。無理やり吸ってやるの」
「嫌われますよ」
「吸ってから後悔するわ」
「そうですか」
咲夜はそれっきり何も言わずに櫛で髪を梳いてくれた。優秀なメイドだ。
事の発端は一週間前に遡る。
いつもは頼めば血を吸わせてくれていた霊夢が、その日はレミリアを拒絶したのだ。
無理だと言った。
やめてと言った。
どうして、とレミリアが問うても、霊夢は終ぞはっきりとは答えなかった。
そもそも、吸血鬼の吸血には二種類ある。眷属を増やすための吸血と、そうではない吸血だ。レミリアが霊夢に行っていたのは、当然後者であった。
人間の血液にも〝味〟がある。美しい少女の血であっても、全ての吸血鬼にとって美味とは限らない。魂だとか、信仰だとか、そういう有象無象の要素と吸血鬼側の事情との兼ね合いで血の味は決まる。だが、特に好意を抱く相手の血は、それはもう吸血鬼でも思わず天にも昇ってしまう味わいなのだ。――レミリアにとって、霊夢の血は特上のデザートに他ならない。
だが、慣れないなりのレミリアの努力も虚しく、未だに霊夢からその類の言葉を引き出せずにいた。
なので、レミリアは足繁く博麗神社に通っては、衝動に抗えず、稀によく霊夢の首筋にかぶりついていたのだ。
「血なんて、美味しいものなの?」
「霊夢も私の血を飲んでみる?」
「遠慮するわ。吸血鬼になっちゃいそう」
「私は大歓迎よ。何なら紅魔館に迎え入れたっていいわ」
「咲夜の仕事が増えそうで悪いから、やめておくわ」
「残念ね」
レミリアのような高位の吸血鬼は、吸血しても相手の人間に苦痛を与えない。牙を皮膚に突き立てるのだから、首筋に二つの傷を拵えてしまうのは避けられないが、痛覚を刺激することはない。
もっとも、博麗の巫女たる霊夢は過敏なのか、「よくわからないけど、ぞわぞわする」と漏らしていたが。
幻想郷の夜空を駆けながら、ふとレミリアは思い出す。
……そういえば。
そういえば、霊夢の様子がおかしいのは特段一週間前に始まったことではなかったような気がする。
いつから、という訳ではないが、確かに吸血の後に最近の霊夢はしきりに首筋の辺りを気にしていた。
「もしかして、痛かった? そんなはずはないと思うのだけど」
「……いえ、大丈夫よ」
「そう、なら安心だわ。ご馳走様」
「相変わらず、変な違和感はあるけど」
「やっぱり、霊夢は敏感なのね」
「やめてよ、そんな言い方」
「どうして?」
「……なんだか、恥ずかしいわ」
むっふ。
ああもう可愛いなあ。霊夢は可愛いなあ。
首筋を抑え俯きながらぼそりと漏らした霊夢の姿を思い出すと涎が滴ってしまう。いつの間にかとっくに博麗神社を通り過ぎていた。慌てて旋回する。
夜の博麗神社の境内は不気味なほど閑散としていた。鈴虫の鳴き声の劇伴が深々と響く。――裏手に回ると、まだ神社の中には火が灯っていた。
慣れた手つきでいそいそと靴を脱いで縁側に上がり、淡い光が漏れる襖に手をかける。だが、そこで急にレミリアは動けなくなった。唐突に咲夜の「嫌われますよ」の言葉が、脳内で不気味に尾を引いて反響する。らしくない。臆するなんて、私らしくない。
「……レミリア?」
ぽつと、奥から声がする。
美しい音だ。大好きな音だ。
「ええ、そうよ。夜の王が訪ねてやったわ」
レミリアは今になって気付いた。どうやら私は、霊夢に対しては虚勢を張ってでも高慢に振舞おうとしてしまうらしい。
霊夢は白色の寝巻を纏って、部屋の片隅で膝を組んでいた。その普段の毅然とした姿とは掛け離れた儚い影に、レミリアは目を奪われる。
「血を、吸いに来たの?」
「そうよ」
「……駄目よ。前も言ったでしょう」
「そうね、確かに聞いたわ」
後ろ手に襖を閉めて、一歩一歩霊夢に忍び寄る。
「だけど、それを聞き入れるかどうかは私の自由よ」
「……横暴ね」
「私は神も恐れぬ傲岸不遜な吸血鬼よ。巫女の言葉なんて――」
自らの前に立つレミリアを見上げる霊夢の瞳が揺れている。
愛くるしいと、思った。こんな感情を彼女に抱いたのは、初めてだった。
「──ただの童女の言葉と何ら変わりないわ」
そう言って、ゆっくりと霊夢の色白な首筋に顔を寄せる。
霊夢の両手は、レミリアの肩に当てられて、力弱くも押し返そうとする。だが、レミリアが霊夢の身体を掻き抱くように密着させると、その抵抗も霧散した。
彼女の首には、まだしっかりとレミリアの牙の痕が残っていて、不思議な充足感と支配感がレミリアの全身に満ちる。口を開く。犬歯が煌めく。
霊夢は、震えていた。
「ねえ、霊夢……どうして急に私を拒んだの?」
レミリアが傷跡を舐めると、霊夢の四肢は瞬間大きく戦慄いたが、やがて彼女の鼓動は少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「それは……」
「私が嫌いになった?」
「そんなことは、ないわ」
「血を吸われるのは怖い?」
「……そういうわけでも、ない」
「なら、どうして」
霊夢は顔を背けたまま、しばし黙りこくる。形容し難い感情の細糸一つ一つを丁寧に編み合わせて、なんとか言葉を紡ごうとする。
それをレミリアはじっと眺めていた。赤色の満月のような瞳の奥底では、吸血鬼の矜恃なんてものは消え去って、ただただ霊夢の言葉を待つ。
「……笑わない?」
「笑わないわ」
「馬鹿にしない?」
「馬鹿にしないわ」
「軽蔑しない?」
「するわけ、ないじゃない」
霊夢がゆっくりとレミリアに視線を合わせる。
吐息が混ざる。お互いの鼓動が聞こえそうな距離。
窺うようにレミリアの瞳を覗き込んでいた霊夢は、一つ唾を飲み込んだ後、長い長い沈黙を挟んで、とうとう語り出す。
「……レミリアが、前に言ってたじゃない。吸血しても、レミリアみたいな吸血鬼なら、痛みを与えないって」
「そうね」
「確かに、それはその通りだったんだけど……」
不意に、かっと霊夢の頬が火照る。
「レ、レミリアってさ、私の血を吸うとき、すごい……きっ……気持ち良さそうな顔するじゃない?」
つい、レミリアは顔の筋肉が緩むのを感じた。
どうも、自分が覚悟していたのとは、違う。
「ええ、確かにそうね。霊夢の血はロマネコンティにも勝るから」
「ろ、ろまねこ……?」
「酔ってしまうぐらい、美味しいってことよ」
レミリアとはしては、もっとシリアスな話が切り出されると思っていたのだ。
しかし、今や霊夢は耳まで真っ赤に染めて、まともに視線も合わそうとしない。滑舌も悪い。
これではまるで、恋患う乙女ではないか。
「それで、その、ね……初めは違和感があるだけで、何とも思わなかったんだけど……」
「ええ」
「血を吸ってる時のレミリアの顔を見てると、その、……違和感がだんだん大きくなってきて……」
「うん」
「血を、吸われると……」
「……」
「…………私まで、気持よくなっちゃうようになったの」
……。
……。
……?
はて。
はてはて。
私は一体何の話をしていたのだろうか。
レミリアの呼吸が止まる。
鈴虫の羽音だけが遥か彼方で鳴り続ける。
薄明かりに妖しく照らし出された霊夢の横顔は美しい。
美しいが、それに感嘆する余裕は今のレミリアには残っていなかった。
遅い理解がようやく全力疾走でやってきた。
俯く。
息を、吸う。
胸を両手で押さえる。
幾度か瞬きをして、勢い良く顔を上げて霊夢を見遣る。
「……っ」
駄目だった。
反射的に顔を背けてしまった。
頬を叩いて、ぐにぐにと歪ませる。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
どうやっても顔がにやけてしまう。
人に見せれる表情ができない。
だらしなく歪んでしまう。
笑窪が目立ってしまう。
口元が上がってしまう。
目尻が下がってしまう。
力を込めても、制御できない。
さっきの霊夢のか細い言葉がしつこく反響し続ける。
「れ、霊夢っ」
顔は畳に向けたまま、回らない舌を必死に動かす。
「つっ、つまりっ、霊夢は! 血を吸われるのがっ、嫌な訳じゃ、にゃっ……、ないんでしょ!?」
「え、ええ……そうよ」
我慢できなかった。
飛ぶように霊夢に抱きつく。
こんな表情、彼女には見せられないから。
しばらく顔を霊夢の肩に埋めていると、彼女の体温に宥められるように、レミリアの鼓動も落ち着いてきた。
蚊の鳴くような声で尊大なる吸血鬼は囁く。
「……血、吸っていい?」
「……ええ」
「……本当に?」
「……嫌じゃないわ」
――レミリアになら、血を吸われてもいいわ。
ああ、またこれだ。
レミリアは震え出す心臓を悟られまいと僅かに身体を離そうとするが、一瞬二人の間に流れ込んできた外気に耐え難い寒さを覚えて、結局先程よりも強く強く霊夢に密着させる。
せめて顔は見られまいと、子猫のように首筋に顔を擦り寄せると、そこにはレミリアの吸血痕があった。
「……血、吸うわよ」
「うん」
「……これからも吸うわよ」
「ええ」
「……霊夢が大人になっても、おばあちゃんになっても、吸い続けるわよ」
「構わないわ」
「本当よ? 私は本気よ?」
「言ってなかった? ……レミリアに血を吸われるのは、好きよ」
――牙を霊夢の白い柔肌に突き立てる。
赤い血液が滲み出てくる。
優しい味だ。安心できる味だ。
全身がみるみる潤っていく。
目が自然と弛んでしまう。
法悦に浸りながら、時折霊夢が漏らす嬌声を聞く。
それは、これまでで一番長い吸血だった。
フランが嫉妬しちゃいますからほどほどに。
ただし、吸い過ぎ吸わせすぎには気をつけるのですよ……
堪能しました
もっと欲望を開放するんだ。
吸血行為は受ける相手が性的快感を覚えると、何かで読んだような。
レミ霊いいね。
吸血されると気持ちいいのか。
むっは。