穏やかな秋空の下、その白くてさらりとしてふわふわしている物体は、早苗と魔理沙の顔を見ると、くあ、とアクビをして畳にあごを落とした。
「‥‥もふもふですね」
「ああ」
「‥‥どうしてこんなことに」
「そりゃあ、アレのせいだろ」
しばしその物体を凝視した二人は、ぞろりと横を向く。
「どういうことですか」
「どういうことだこれは」
「わしもどーいんなってっか分からねっけさぁ」
「訛らないでください。てかそれ佐渡弁じゃない、新潟弁」
二人の視線の先には縁側でポリポリと頭を掻く化け狸、二ツ岩マミゾウの姿。ぷかぷかとたばこの煙をふかしつつ、二人と同じものを見ている。
ただ、怪訝そうな表情の二人と決定的に違うのは、ニヤニヤとした心底楽しそうな笑顔だということで。
「どーして霊夢さんが狐になってるんです」
「さあねえ、分からん」
「お前の術のせいだろがっ」
「あだっ!炉で殴るな!炉で!」
ぎゃあぎゃあと縁側で騒ぐ三人をよそに、畳の上の白狐――――霊夢――――は、また「くああ」とアクビをして、そろえた前足の上に頭を置いた。
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「スペルの効果が切れなくてもとに戻らないってか」
「ああ、ワシの術はどこも失敗しとらんはずなんだがの。なぜだか知らんが、一向に元の姿に戻らん」
「術じゃなくて呪い掛けたんじゃないんですか?」
「似たようなもんだが、そこまでえげつないのはかけとらんて」
「似たようなもんなのかよ」
縁側で、マミゾウが勝手に出したお茶を飲みながら、二人ののんびりとした尋問は続いていた。彼女達の後ろでは白狐と化した霊夢が、おっきな陰陽玉に背中を当てながら丸まって寝ている。時々大きくなる縁側の声に、耳がピクリとうごいて、ふす、と不満そうな鼻息が漏れてくる。
それを見た早苗は、ああ、と大仰なため息を吐いて天を見上げる。わきわきとうごめく右手が、ぷるぷると霊夢の方に延びようとするのを左手で抑えながら。
「あああああ、なんてことでしょう、まさかあの霊夢さんがこんなかわいい‥‥そうな姿になってしまうなんて‥‥これじゃあこの神社は一体どうなってしまうことやら」
「管狐と言い、紫んとこの藍といい、狐に好かれてんなこの神社は」
「実は稲荷でも祀ってんじゃないのかねぇ」
「‥‥マミゾウさん、狐嫌いの団三郎としてはこの霊夢さんの姿は如何なもので」
「まあ、狐にしちゃめごいが、狸だったらなおよし」
「いや、お前が化けさせたんだろがっ」
「いやん、暴力はよしこさん」
「古っ。古いですマミゾウさん」
早苗の突っ込みに、うへへへ、とおどけるマミゾウ。それをなおも殴るふりをしながら、魔理沙は後ろを振り返る。視線の先には、相変わらずのんびりと寝ている白狐。
事の顛末はこうだ。切っ掛けは、霊夢とマミゾウによる暇つぶしの決闘だったらしい。勝った方が羊羹おごるとか、秘蔵の酒をおごるとか、実にのんびりした理由による決闘だったそうなのだ。そのときたまたま、神社には二人しかいなかった。なので決闘がどのように行われて、何が起こったのか見ていた者はいない。のんびりとした秋の午後、天気もいいのに二人しか居なくて暇だというからこそ、決闘したのだからして。
その決闘の最中に、マミゾウはとある妖術スペルを発動させた。――――“変化「二ッ岩家の裁き」”。妖力の込められたキセルの煙を吹き付けて、相手を無力な何者かの姿に変身させて手も足も出なくさせてしまう、ちょっと外道なスペル。マミゾウの化けさせる程度の能力をフルに発揮させた、彼女ならではの技。相手の霊力に術が中和されるのか、そも永久持続させないようにしているのか、とりあえず効果は短時間。
そんな技を、油断していたのか、マミゾウが上手だったか、とにかくそれを食らった霊夢は、哀れ物言えぬ獣の姿に成り果ててしまった。変化した姿は、白狐。神仏の使いとして白狐が出てくるお告げの夢、それを霊夢というらしいが、マミゾウは霊夢そのものを狐に変えた。
哀れ狐にされてしまった霊夢。これで羊羹はお前のおごりじゃ、と襲い掛かったマミゾウが次の瞬間見た物は、地面にトテ、と降り立ち、神社の中に駆け込むと、ひょいと畳に上がってぽふ、と座り込んでしまった霊夢であったのだ。
神社の中に逃げ込まれた格好となったマミゾウは、うまい逃げ方を考えたもんじゃのと苦笑しながら、霊夢が復活して攻撃してくるのを待ち構えた。神社を壊せば、暢気な決闘では済まなくなるからして。社を盾にするとは、ちょっとずるいのう、とつぶやきながら霊夢の復活を待っていたマミゾウだったが、霊夢狐は一向に動かず、おまけになかなか元の姿に戻らない。
おいこら、と縁側に近づいてみたら、霊夢はあろうことか「キュアア」とあくびをして寝てしまった。どうしたもんかと途方に暮れていたところに現れたのが、早苗と魔理沙だったというわけ。
「しっかし、話しにゃ聞いてたが、えげつないスペルだな、こりゃ」
「えげつないとはなんじゃ。楽しいじゃろ」
「まあ、見た目はな‥‥」
はは、と笑いながら、魔理沙は手を伸ばして霊夢の耳を触る。ぴこん、と動いたそれは不機嫌そうに魔理沙の指を叩いた。
魔理沙も伝聞でこのスペルの事は聞いていた。霊廟の連中なんかは、軒並み鳥にされてそれはそれは哀れで可愛い姿だったそうな。寺の連中も猿だの鼠だのにされたらしい。まだ自分は幸いにもスペルを受けてはいないが、できれば獣の姿にされるのは、魔理沙的にはご遠慮したい気分である。だって、周りに何言われるか分かんないし。いや、何されるか分かんないし。特に魔法使いの連中とか。
すでに喰らった者たちの関係者でいえば、たとえば霊廟の連中――屠自古と青娥――は、にっこり笑いながらデカい鳥かごを買ってきて、布都と神子にそれぞれ冷や汗を流させているらしい。「布都に/太子様に、何かあっても、私が/わたくしが一生飼ってあげるから」とうっとりした表情で申す彼女らは、それはそれは恐ろしい瘴気をまき散らしていたとかいないとか。寺は寺で、ナズーリンが聖にくっついて離れなくなって大変とか、ムラサがシンバル買ってきて、一輪に素手で幻想郷の天蓋まで殴り飛ばされたとか、色々酷いうわさを聞いている。だから、明日は我が身とばかりに、魔理沙は霊夢をからかわず、可哀想にとそっとさわるだけなのだ。
そんな彼女の気を知ってか知らずか、自分には関係ないと思っているのか、早苗はいつの間にか霊夢の横に移動して、眠る白狐の背中を存分に撫でていた。
もふ、もふ。そんな音が聞こえてきそうな、ゆったりとした撫で方。白狐を覆う柔らかく神々しい白い体毛。しゅ、と筆先のように黒く染められた形の良いしっぽ。もふもふもふもふそれらを撫でる早苗の顔はもうとろけきっていた。いまにも涎を垂らしそうな雰囲気である。
「ふひ。ジュル、‥‥だけど問答無用で獣にしちゃうとか、ゲ○ゲの鬼太郎なんかに出てくる妖術みたいですねえ」
「いや、わしはまだ良心的じゃぞ?一応生き物じゃし。水にしたりカマボコにしたり石にしたりはしとらんからの」
「出来るのかよ」
「御望みとあらば。ひひひ」
「うわ、とんでもねえな、‥‥って、おい、なんだその目は、おいやめろ、やめろ!」
「ぶはあ」
「うぎゃあ!」
「あ、魔理沙さんが」
にわかに目を細めたマミゾウに危険な匂いを感じた魔理沙だったが、遅かった。逃げる間もなく真っ白な煙が魔理沙に吹き付けられる。悲鳴が聞こえた瞬間、横で見ていた早苗の目に現れたのは――――
「かぁー‥‥」
「ぶ」
そこに現れたのは一羽の鴉。その姿を見て、噴き出す早苗。手を叩いて笑うマミゾウ。
「ははは、似合う似合う」
「あああ、ついに魔理沙さんまで。ぶぶぶ」
「ガァー!」
ばっさばっさと羽ばたく鴉は、笑うマミゾウの周りをよたこらと飛び回り、柱や梁に何度かぶつかってから、庭先に半ば落下する形で着地した。きょろきょろとあたりを見わたし、「がぁー!」とか鳴いて抗議するその姿は、どこからどう見ても野生の鴉。梁にぶつかった時に落としたらしい、ミニサイズのとんがり帽子がぽとりと畳の上に転がっているのが、被害者の哀れさを醸し出している。
そんな魔理沙の状況を見て、改めて早苗がつぶやく。
「うわあ、どこからどうみてもカラスだ‥‥」
「いい出来じゃろ?おい、魔理沙殿。これは決闘じゃないしの、制限時間はちょいと長めにしたわ。しばしその姿を存分に楽しむがよい。うひひ」
「わ、えげつない。外道妖怪がいますよここに。ひどいことしますね。頼れるみんなの親分じゃないんですか団三郎狸殿」
「人間は別。妖怪限定じゃ。そして楽しさ優先じゃよ。イタズラマニアのロクデナシ狸に何言っても無駄じゃ。ひひひひ」
「うわあ、退治ですね。退治ですねこれは」
「ひっひ、口の端吊り上げながら言われてもの。楽しそうな顔してるぞ、お前さんも」
「え、そうですかぁあ?」
「そのワザとらしい喋り方が実にヒドイな」
「んふふふふ」
「ひひひひひ」
にわかに悪い顔をして笑い始めた二人を見て、くちばしをパクパクさせるしかない魔理沙烏。霊夢狐は、ちらりとそちらを見て、ふす、と鼻息を出してまた寝てしまった。
魔理沙、孤立無援である。
「しかし、カラスですかぁ」
「ご不満か?」
「いえ。別に。まあ、可愛いですけど、あえて言うなら、私としては次の展開を望みたく」
「と、申されると」
「あれ、なんだか賑やかじゃん。何かあったのー」
「ほら、こういうふうにですね、ほかのカラスさんが来てくれると楽しくなる訳でして」
「ほお」
「ガァ!?」
見上げれば、空に羽ばたく巨大な鴉。
地獄烏、お空の姿。
――なぜか。このタイミングで。
「奇跡じゃな」
「奇跡です」
「カァーッ!」
「ん?」
こちらを見上げてニヤニヤ笑う狸と現人神を怪訝そうに見つつ、神社に降り立とうとしたお空だったが、その視線の先に何やら黒い影を見つける。“何しやがる!”と奇跡の乱用に抗議していた魔理沙烏は、上空からの熱い視線に恐る恐る振り返った。
「か、かぁー?」
「――っ!?」
二羽の目があったその瞬間、お空が硬直した。
彼女の目に映るのは、一羽の鴉。こちらを見上げる黒い瞳。その瞳よりもなお黒い翼。すらりと伸びた尾っぽの先までその毛並みは艶があり柔らかで、爪とくちばしは傷一つなく、しかし頑丈そうで――――
「か、カラス彦さんっ!?」
『誰それっ!』
空中で何者かの名前を叫んだお空。その頬は上気し、瞳は潤み、片手の甲を口に当て、わなわなともう片方の手を震わせている。それはどうみても、“おんな”の姿。
ああ、一体この地獄烏にどんなラブロマンスがあったというのだろうか。それを知る者はここにはいない。しかし見ればわかる。彼女の瞳、表情、震える声。それらはすべて、昔愛した人と突然再会したおんなの取るしぐさだということを。この魔理沙烏は不幸にもお空のよい人とそっくりだったらしいということを。
「ああ、ああああ、そんな、ああ、生きて、生きていたんですね‥‥!」
「が、っがが、がああー!」
――そしてそんな男女の間には、悲劇的な何かがあったらしいことを。
「もう、二度と会えないと思ってた‥‥あの日、覚えていますか?428年と213日前、あの針山地獄の亡者が蜂起したのを皆で鎮圧し(喰いに)に行った日‥‥あの日、突然、貴方は私の前からいなくなってしまった‥‥!ねえ、覚えてますか?」
「が、がががが」
「ううん。いい、何も言わなくてもいいです。私には、今ここに貴方がいる。あなたが見つめていてくれている。それだけで十分なんです。ああ、生きていてくれたんだ‥‥よかった‥‥!」
「ががぁー!」
――そういう悲劇の過去が会った二人が再会した後には、お約束として良くも悪くもちょっとした騒ぎが起こることを。
「ああ‥‥!生きている、ここにいる!」
――――それをマミゾウと早苗は知っていた。サスペンス劇場や昼ドラなどを見ていた二人はよーっく知っていた。
「がぁー!」
「もう、もう離さない‥‥みて、私、ヒトの姿になれたんですよ。太陽の力だって手に入れた‥‥これでもう貴方を放さないですむ‥‥あなたを守れる!ずっと!ずっと!わたしが守ってあげるから‥‥!」
「ぐ、ぎゃ、あ」
「おーっとお空さんのチョークスリーパー!効果は抜群です。魔理沙さん、身動きが取れない!」
「愛の力で威力が2割増しになっておるようだの」
「そして一気にお空さんの知能指数が上がりましたが。どうしてでしょう。如何ですか、解説のマミゾウさん」
「愛は偉大じゃということじゃな。しかし400年前の良い人をずっと待っとったとは。一途じゃの。やはり鴉じゃな」
「確かカラスは特につがいに対する愛情が強いと聞きますが」
「相手が骨になっても傍を離れんそうじゃ。カラスの愛は深くて重いぞい。ぱっぱと浮気するオシドリなんかとは比べ物にならん」
「たとえ相手が骨になっても!重い、これは重い!さあ、魔理沙さん、この重い愛をどう受け止めるのかっ!」
「ががががががが!」
「あ、ど、どこいくんですか鴉彦さんっ!」
「逃げました!逃げました魔理沙さん!やはり愛の重みに耐えきれなかったか!」
小芝居を打ちながら感動の再開のような修羅場を見物していた二人だったが、悲鳴と共に魔理沙烏は一目散に空に飛んで行ってしまった。あわててそれをお空が追いかける。両者はあっという間に空の彼方に見えなくなった。
「二人の門出に、幸多からんことを」
「ですね」
そういって、ゲスい笑みを浮かべつつ、盃代わりにお茶の入った湯呑をカチンと鳴らす二人。
その騒ぎの間中、白狐は泰然としていた。ぐ、と頭を持ち上げたかと思うと、カフカフ耳を掻く。なんだか気になるようすで、掻いた足の先をふんと嗅いで。その仕草を見て、二人の目がやんわりと細くなる。
「幸せそうです」
「じゃな」
高い高い空に鴉の鳴き声が響いている。秋だなあと思いつつ、二人はお狐様を愛でていた。
そのうち、何かお茶請けを探しに行くと言って、早苗は台所へと歩いて行った。
縁側に残るのは、キセルをふかす化け狸と、丸まって眠る白狐。
「のう、霊夢よ」
二人きりの縁側で、マミゾウは白狐に耳打ちをする。
「お主、なんだかんだでサボりたかっただけじゃな?わざと戻らんのじゃろ?」
「‥‥」
「ま、天気もいいし、分からんでもないが。大体、いいところで元に戻っとくんじゃぞ。いろいろ面倒になるまえにな」
ひひ、と笑ってマミゾウはまた空を見る。狐は煩そうに眉間にしわを寄せると、前足の上にあごをのせ直した。
何かついさっきまで悲劇が起こっていたような気がするが、ポカポカした秋の午後のせいでどうでもよくなってくる。
早苗にはどんな姿が似合うだろうかとぼんやり考えながら、外道狸はまたぽかりとキセルをふかした。
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「まって!待って鴉彦さん!どうして!」
「カァー!」
太子様の飼育とか見てみたい。
紫は恐らく即倒ですね、鼻血だしながら。
久しぶりに蕗さんの作品が見れて
良かったです
いやー霊夢狐かわええ。
次作も期待しております(笑)
ところで、烏天狗がこの光景を見たらどうなるでしょう。
言い換えると、ケモナーなんですね
あと華仙ちゃんが霊夢に「これは喜んでいるんですね〜。よーしよしよし(ペロペロ」するまで見えた。
でも、やっぱり可愛いは正義です